ら両陛下の宿泊所近くまで ご来県に対する奉迎の提 九日夕刻には ミクニワールドスタジアム北九州 か 饌料奉献奉告祭を厳粛に斎行致しました また 二十 朝には 拝受した御幣饌料を御神前にお供えし 御幣 責任の重さを改めて実感した次第です 翌二十八日早 に努め 公の為に尽くしていかねばならないと その

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1 冬号 西郷隆盛 藩主 逆走の顛末 天神さまの御縁 黒長溥 57 維新150年歴史探訪② 飛梅 冬号 第185号 大鳥居信全 平成30年1月1日 表紙 太宰府市 山﨑久己氏提供 太宰府天満宮社務所発行

2 ら両陛下の宿泊所近くまで ご来県に対する奉迎の提 九日夕刻には ミクニワールドスタジアム北九州 か 饌料奉献奉告祭を厳粛に斎行致しました また 二十 朝には 拝受した御幣饌料を御神前にお供えし 御幣 責任の重さを改めて実感した次第です 翌二十八日早 に努め 公の為に尽くしていかねばならないと その 陛下の思し召しを賜る一社の宮司として 祭祀の厳修 ること つまりは変わり続けて変わらないものをつく 代に合った またその時代に生きる神社をつくり続け を守るためには 普段から少しずつ手を加え その時 態を維持できず劣化してしまいます 変わらないもの えずに放っておくだけでは建物 自然はそのままの状 が 理想の神社だと考えます しかしながら 手を加 て百年後も同じ写真を撮れる空間であり続けること 私は 御神木である飛梅の前で 百年前 今 そし 千百二十五年大祭に向けて 灯行列が行われました 一万人を超える人々のお迎え ることが重要なのです 先祖が見た景色を私たちが受 年頭所感 に 両陛下には何度も提灯をお振りになられご答礼の け継ぎ そして孫の代も共有できる空間 いつ来ても 西高辻 信良 新玉の年の始めにあたり 謹んで皇室の弥栄と御国 由を頂き 感謝に堪えません この平成の御代がいよ 太宰府天満宮 宮司 のご平安を心よりご祈念申し上げます 併せまして どこか懐かしいような場所を遺していきたいと思って 結びに 本年が皆様にとりまして輝かしき良き年に いよ安らかで 両陛下にはますますお健やかにお過ご さて 本年は菅原道真公が神様になられて千百十六 なりますことを心よりご祈念申し上げ 新年のご挨拶 氏 崇敬者の皆様方のご多幸を衷心よりお祈り致し 天皇皇后両陛下におかせられましては 昨年十月二 年目となります 当宮では二十五年ごとに大祭を行っ とさせていただきます います 十七日から三十日までの間 福岡 大分の両県に行幸 ており 来る千百二十五年目の大祭に向けて その十 しにならんことを願うばかりです 啓遊ばされ 昨夏七月の九州北部豪雨被災地のお見舞 年前に当たる昨年より 十年計画 として様々な事業 ます い並びに宗像市で開催された 第三十七回全国豊かな 大祭を斎行するということには大きな意味がありま が始まりました 昨年十二月には 御本殿調査有識 ました この度の行幸啓にあたり 両陛下より特別の す それは天満宮の長い歴史の中で大祭を契機に命の 海づくり大会 にご臨席なさりました 平成十九年以 思し召しを頂き 当宮をはじめ県内の旧官国幣社並び 蘇りをしていくということです 天神さまが永遠にお 者会議 を立ち上げ 御本殿大改修に向けた準備が鋭 に福岡縣護国神社に御幣饌料を賜りました 二十七日 鎮まりになる御本殿を中心とした建物 自然 更には 来の当県への行幸啓でございましたので 私共県民に 夕刻 リーガロイヤルホテル小倉にて伝達式が行われ 人々も再生され蘇り 新しい力を得て 天神さまが更 意着々と進められています 侍従長より直々に各神社宮司に御幣饌料が伝達されま にご神威を増す ここに大祭の意味があります とりまして大変有難く また私自身も大変感銘を受け した 大変有難い時間を共有させて頂き こうして両 昭和 28 年頃 現在 02 とびうめ 冬号 No.185

3 お しかし 筑前行きと決まった五卿が冷 征長対策に奔走する西郷の一つの懸念 は 八月十八日の政変で都落ちして長州 に滞在した五卿の処遇問題でした 五卿 福岡移転を周旋した西郷は 慶応元年 一 八六五 一端 報告も兼ねて薩摩へ帰郷 周りの勧めもあって三度目の結婚をしま した 海を隔てた遠い島に西郷が暮らしてい る間にも 時代は激しく動揺していまし た 禁門の変 第一次長州征伐と征長参 謀として長州に強硬路線で臨んだ西郷で したが 勝海舟と接するに及び 融和策 へと転換していくようになります 再び西郷が政局に躍り出たのは 元治 元年 一八六四 三十八の歳でした 藩主が変わるや一転 西郷は失脚 尊 王攘夷派の僧 月照と入水を図り 一命 はとりとめたものの その後度々離島へ 配流される憂き目にあいます 江戸での西郷は 藤東湖や橋本左内 ら時代を見据えた思想家と交わり 先進 的な斉彬の下で頭角を現していきます しかし安政五年 一八五八 その斉彬 が急死してしまいます 嶽 は語っています 西郷 隆盛 れは 今までに天下でおそろし い者を二人みた その意見や 議論はむしろおれの方が勝る程 だったけれども いわゆる天下の大事を 負担する者は はたして西郷ではあるま いかと 密かに恐れたよ かの勝海舟を してそう言わしめた西郷隆盛は 幕末の 動乱期 八月十八日の政変で都落ちし 太宰府天満宮にお預かりとなった尊王攘 夷派の公卿 三条実美以下五卿のために 尽力したキーパーソンの一人でした 西郷隆盛は 文政十年 一八二七 薩 摩藩の下級武士の家に生れました 隆盛 と名乗ったのは明治になってからで 幼 名は小吉 後に吉兵衛 吉之助といいま した 先祖は南北朝時代 勤王家として 有名な熊本菊池氏に通じるといい 菊池 源吾の変名をなのったりもしています 兄弟も多く 明治時代に活躍した西郷従 道は弟 家計は苦しかった西郷家でし たが 幼少期に腕を怪我したことで剣の 道より学問に一生懸命だった西郷は 十 八歳で御役につき 程なく時の藩主 島 津斉彬にその才を見い出されます 斉彬 は 江戸に西郷を伴い 天下のための尽 力や周旋 秘密の事に西郷を用い また 江戸中の景況を探らせ 直接庭口で内々 に言上させていました 斉彬は 家来多 数あれども 誰も間にあふものなし 西 郷一人は 薩国貴重の大宝なり と西郷 を評したと 福井藩主だった松平慶永 春 遇されていると大久保利通らの手紙で 知った西郷は 意に反した現状を打開す べく福岡へ北上 いよいよ自らが太宰府 に出向いて五卿の待遇を改善する決意を 固めたのでした この年二月五日の書状 に は 是 非 参 り 掛 け 候 間 一 往 は 是 非 参らず候わでは相済まざる儀と相考え候 に付き とその胸中をしたためています 五卿に無礼があってはならぬと急ぎ太 宰府入りした西郷ですが 監視体制の中 にあっても ここ太宰府で五卿は 人々 から敬意を持って遇されていました そ の様を目にし ひとまず胸をなで下ろし たのでした 無論 五卿に付き従う者をはじめ警護 の 五 藩 福 岡 藩 の 他 に 鹿 児 島 熊 本 佐賀久留米の各藩 五卿に集う志士た ち そして天満宮をはじめ太宰府で志を 同じにする人々も 五卿を敬い 太宰府 は五卿を核に尊皇攘夷の一大拠点となっ ていったのでした しかし五卿が太宰府にいつまでも滞在 することが本意ではないと懸念する西郷 は 二 十 三 日 付 の 書 簡 に 明日は会議 爰許にて相決むべく候に付き其の段細川 等へ御掛け合い置き下さるべく候 とあ る如く 早速五藩の者を招集し対策会議 を開きます 国の未来を思い 大極を鑑み 関係各 所に周旋して八面六臂に粉骨砕身する西 郷の姿がまたここ太宰府にもあったので す 太宰府にはこんな逸話が残っていま す 薩摩藩の人々はこの頃 当宮参道の松 屋を定宿としていました 松屋の主人孫 兵衛は尊皇攘夷の志厚い人で 福岡藩で 尊王派弾圧が起こったときには連座して 入牢の刑を受けた人物でした 西郷もこ の松 屋に止宿し ていた といわれ わが 町太宰府 には 松屋で西郷の世話をし た しげさん から聞いた話が載ってい ます ある日の朝 しげさんが朝食を給仕し ていると 西郷の掌の端が黒く焼けてい ました 驚いて尋ねると おしげどん 昨日は通夜や 燈明を天神様に上げたん や といったというのです 西郷の辛抱 強さと 深く天神様を信仰した姿が 長 く太宰府の人々に伝えられていたので す 太宰府で五卿の様を見届けた西郷 は その後も忙しく国事のために奔走し ます 薩長連盟 王政復古 戊辰戦争と 歴史を動かす活躍をみせ 江戸城の無血 開城を成し遂げ 江戸時代の幕を閉じ明 治という新たな時代の扉を開けたのでし た 一時薩摩に帰っていた西郷ですが 明 治の新政府でも参議として国政に携わり ます が 同郷の大久保らと対立し 征 韓論論争で下野して帰郷 薩摩で私学校 を建設し若者の教育に尽くしていました が 明 治 十 年 一 八 七 七 その私学校 生徒が起こした西南戦争の大将となって 戦い 政府軍に破れ 自刀して果てまし た 維新三傑といわれた西郷の壮絶な最 期でした No.185 とびうめ 冬号 03 57

4 とびうめ冬号 No.185 中世は禅宗の時代と言っても過言ではありません それは 江戸時代になって あらゆる宗教そして社会現象に至るまで影響を及ぼしました このことは 徳川家康が江戸幕府の儒官の首座に林羅山を据すえたことも起因しています 中世における五山の禅僧の学問は 仏教と儒教の調和したものでした それを 林羅山の師にあたる藤原惺せいか窩は 仏門を脱した上に仏教を排して現世的精神に重きをおきました それは 従来の仏教が説とく 極楽や地獄が否定され 現世的利福が主体化されたものなのです この惺窩と羅山の師弟は 家康の支援を得て 近世的朱学 日本的新朱学を確立し 以後近世教学の主流となってい 学問の神 として 全国的規模の崇敬を集めます それは 私塾や藩校においても同様でした さらに 江戸後期 道真公は晩年の太宰府での詩作をはじめ その菅公精神より 忠誠の神 と尊崇され 尊王論 の基盤ともなりました ところで 天皇の権威を尊重する尊王論(尊王思想)は 江戸中期以降 多方面から唱えられていました 当初 幕府にも 身分秩序の頂点である天皇の権威を高めることで 幕藩体制の安定をはかるという目もくさん算がありました 主に 家康によって 御三家の中で特別の役割を担になっていた水戸藩で興隆した 水戸学 は 史学 国学 神道を基幹とした国家意識を色濃く備えた尊王論でした 次に 儒教 仏教渡来以前の日本文化や精神を 古事記 日本書紀などの古典の文献学的研究に基づいて明らかにしようとする 国学 も 近世の学術の発達とともに 国学者や神道家の間に尊王論が勃興していました そして 江戸後期には 長い朱学による格差社会への反発が 草そうもう莽から武士や公家の間あいだにも生じ始めていました その回天論は 尊王論を標ひょうぼう榜していたのです さらに 江戸末期 日本列島近海に鯨を求めて出没する黒船の問題もありました 当時 欧米では ランプの油に主おもに鯨げいゆ油を使用していたのです 彼らは 鯨油を搾しぼり取ると鯨肉は海岸に捨て 帰国のための薪しんすい水(たきぎと明治維新一五 年黒長溥藩主逆走の顛てんまつ末禰宜味酒安則きました 江戸時代の天神信仰も他宗教と同様に この影響を少なからず受けています 天神縁起 の中の 怨霊説や雷神 火雷天神をはじめとする伝承的な話は省略し 日蔵上人の地獄巡めぐりも短縮か除去されています さらに 羅山は 渡唐天神についても 信仰的な妄説であると排しているのです 現世を生きられた菅原道真公の御生涯 史実の中に神性が存在するという 新たな教学が展開していきます このことは 林羅山の 菅丞相伝 貝原益軒の 太宰府天満宮故実 松平定信の 天満宮略伝 をはじめ 多くの書物に顕けんちょ著です それで 江戸前期の天神信仰の特徴は 手習いの神 で 道真公は 書の三聖 と称たたえられ 御真筆といわれるものが不思議と各地に出現しています 次に 元禄時代後に沸き起った 寺屋 ブームによって 寺屋の守護神 七卿都落之図 ( 太宰府天満宮所蔵 ) 黒長溥天神信仰と尊王論04

5 No.185 とびうめ冬号真まみず水)と食糧を奪うばって逃亡します 清国が阿片戦争に敗北した情報も入っていて 海防の重要性が叫さけばれますが 幕府は頼りになりません そこに 攘じょうい夷が生まれ やがて 尊王攘夷論 となるのです さて 洋ようへき癖 とは西洋かぶれの意味ですが 当時の国家意識高揚の中での揶やゆ揄と考えられます 蘭学などの洋学者にはあまり使いませんが 大名藩主に用もちいる言葉です 数少ない幕末の開明な殿さまの 天幕一和 (公武合体) 開国 には 尊王 という時代が胎たいどう動すると矛むじゅん盾しかねない危険を持ち合わせていたのです 筑前福岡藩では 世継ぎに恵まれず 六代継つぐたか高より十二代長ながとも知まで七代の斉なりきよ清を除く藩主のすべてが養でした 婿入りには 数百名の家臣も随行入城します このためもあって 藩主の絶対化や藩論の統一に支障があったことも 幕末福岡藩の悲劇の底流としてあったといえます 天保五年(一八三四) 福岡藩第十一代藩主となる黒長溥もやはり薩摩藩よりみえました この長溥ほど 生まれの良い人はいません 実父は 薩摩藩主島津重しげひで豪で 三の下馬将軍 と呼ばれた進取的大大名でした 養父は 福岡藩主の黒斉なりきよ清で シーボルトと親交するほどの好学の殿様です さらに 姉の茂は 徳川第十一代将軍徳川家斉の正室 御台所で 家斉が一橋家の出自なので 最後の将軍徳川慶喜とも御縁になります ちなみに 島津家側だけでも 藩主五人が兄弟 藩主夫人となると十人が姉妹の間にありました 一方 公家とも五摂家をはじめ 多くの縁戚関係をもっていたのです 島津重豪の九男として生れた長溥は 実父譲りの豪快な指導力と蘭癖といわれるほど西洋の学問好きで 藩内保守派の反対を押し切って 洋式軍事技術の導入や 領内で種痘を接種したり コレラ対策の薬を無償で配布したりもしました さらに 製塩に領内の石炭を利用し 東中洲には精錬所を設け 硝製造もしています 文久二年(一八六二)にはオランダ医学を取り入れた医学校 賛生館 まで創っていたのでした 安政五年(一八五八) 福岡に長崎海軍伝習所のカッテンディーケらが訪れた際に 藩営の鋳鉄工場や小型蒸気機関車のあった製銃所 硝工場 博多織工場など見学させています この長溥の唯一の欠点といえば 神経質な面を 時折 覗かせるところがあったことです ペリーが 嘉永六年(一八五三)六月 日本を開港させるため 艦隊を率いて 浦賀に来航した時 老中阿部正弘は開幕以来皆無といえる 政策方針を外様大名を含む総ての大名に聴くという拳に出ました この時 長溥は 開国して 諸外国と貿易を行い 国を富ませるべし 内乱は 外国軍隊に付け入る隙を与える と いわば 日米同盟 を わが国で初めて文書で答えた 数少ない大名のひとりでした 幕末 長溥の先見性は 群を抜ぬいていたのです この後 長溥は 数多い親族縁者を手始めに 持論を説いて廻っています それが孝明天皇に達して 文久二年(一八六二)国事周しゅうせん旋の労で天盃を授かっています この時 関屋に太宰府天満宮の一の鳥居となった石鳥居を奉献しました 鳥居の前後を約五〇 一〇〇センチの板石百枚程を敷いた大変豪華なもので その石鳥居は今にあります しかし 時勢は 長溥の思いとは逆に 文久三年 長州藩と攘夷派の公家たちが 天皇の大和行幸と倒幕の動きをみせます それに対して 公武合体派の幕府 薩摩 会津 桑名藩が連合して起こした 八月十八日の政変 で 長州藩と三条実美以下七卿は 京より追放されたのです 長州藩としては 藩主毛利父と七卿の赦免を請うため 藩兵を伴って上京します 京都守護職松平容かたもり保の率いる諸藩の兵と戦火を交坂本龍馬え敗北しました これが 蛤御門の変 です 幕府はすぐさま 長州に落ちた五卿の奪還を目的のひとつに 第一次長州征伐の出陣を諸藩に命じました この時 長溥は 薩摩の西郷隆盛とは親しい上下関係にありました というのも 嘉永二年(一八四九)薩摩藩の御家騒動 お由羅騒動 の折 一時弾圧された斉彬派すなわち西郷の属する方の家臣を長溥は 福岡藩の離島で匿った経緯があったのです 長溥は その西郷と計って 長州を不戦降伏に持ち込みました 長州藩でもその前に四国艦隊に敗れた下関事件で 藩内も攘夷派から保守派へ指導権が移行していたこともこれを助けました 次に 長溥は 幕府方まずは 征長大総督徳川慶勝に征長軍解兵と長州寛かんてん典 すなわち その罪を大目に見ることを懇願し 五卿の九州各藩でのお預かりを願い出たのです 江戸送りになると 暴ぼうはつ発した幕府役人や新撰組の手に倒されるかもしれないと考えたからです 慶勝は長溥の申し出を裁可としました しかし 五卿のひとり三条実美は 五卿が離れ離れになることに大反対 そこで ついに五卿は福岡藩でお預かりすることで決着がつきました この征長軍広島会議のあたりから 五卿は尊王攘夷派のシンボルに成長していたのです 実は 長溥が頼りにした 平派国学の影響を受けた福岡(筑前)勤王党も 活躍の日々殿さまの大逆走05

6 とびうめ冬号 No.185 の姿勢が 藩の政権の座にあった福岡勤王党から嫌われていたことから あながち空想の産物ともいえないといわれるようになっています しかし 一方 洋ようへき癖大名とまでいわれた西洋的開国進取の姿勢は 保守派から嫌われるありさまでした この長溥の立場からは 孤独感すら漂ってくるのです この乙丑の変の一ヶ月前 薩摩でなの陰謀までありとされました ここで 長溥もついに福岡勤王党の大粛しゅくせい清を断行せざるを得なくなりました 慶応元年(一八六五)六月二十日 乙丑の変です 戦前は これらの陰謀はすべて未遂であり 保守派の捏ねつぞう造とみなされていましたが 近年 長溥の出自の良さから 勤王反幕になりきれず 勤王佐幕勤王派が保守派重役の暗殺を企てている 五卿を三みなぎ奈木に移して挙兵も目論んでいる 首謀者は 福岡勤王党の加藤司書とみなされて ついに家老職辞任に追い込まれてしまいました そのうえ 司書が犬鳴山に建設した藩主の別館に 長溥を幽閉して養嗣黒長ながとも知を立て 全九州の勤王党を結集して挙兵すると加藤司書を中心に歴史の表舞台に立っていました 長溥の意を受けた司書は 広島会議の総勢三十六藩の指揮官に対して 自身の解兵論を述べ ついに征長軍を解兵に導いたのでした この功により 司書は家老職に栄進することになりました さらに 慶応元年(一八六五)三月四日には 藩の重鎮黒播はりま磨以下家老一同連盟で 藩主長溥へ 勤王で藩論統一の建白書が提出されました いよいよ福岡藩では勤王派が実権を握り 中央への影響力を発揮するかに見えました 実は この頃すでに 月形洗蔵をはじめとする福岡勤王党は 薩摩や長州など各地に足掛かりを作っていたのです 長州より筑前福岡藩領へ移った三条実美ら五卿は 太宰府天満宮の延寿王院に 同年二月に入りました 未だ 保守派の多い福岡城内より 勤王の里 太宰府の方が安全と考えた福岡勤王党の計らいだったようです そこで 幕府は 同年四月目付の小林甚六郎を太宰府へ差し向け 五卿を大坂へ送ろうとしますが 西郷隆盛の命で 黒清隆や大山綱良が大砲六門と約百人で守護します その頃 実権を奪われ 九死に追い込まれた福岡藩保守派(佐幕派)はいよいよ最後の一手に出ました 保守派の中老浦上信濃らはまず総辞職によって長溥に揺さ振りをかけます 次に中老十八家中十五家の連署で訴状を提出しました 内容は 次のとおりです 黒長溥公年譜発黒家の江戸屋敷提出を九州筑前へ明治維新薨去 06

7 No.185 とびうめ冬号を披露し それを若き天皇は興味深げにご覧になっていたと書き残されています 二日後 参内した長溥は 紅白の絹布を下賜され 三月には 自ら福岡へ下って 光てるも雲神社の祖神に参拝 報告をしています そして 下賜された紅白絹布は 撒下の後 細かく切断されて 祝酒料と共に旧領内七万戸あまりに分配されたのです この時の長溥の脳裡に浮かんだ幕末の出来事は 押して知るべきものがあります 明治十年(一八七七)西郷隆盛らの西南戦争が勃発すると 当時 島津家一門の長老格になっていた長溥は 福岡の旧藩士の軽率を戒め 天皇の使者として 鹿児島へ乗り込み島津家には 動くべからず と本家を強く説得しました 実は この時 はじめて長溥は桜島を見たのだそうです その功で 麝じゃこう香間祇候 の栄誉を受けたのです そして 明治二十年(一八八七)三月七日 七十七歳で没しました 没前には従二位に昇叙されています 生前 私費で多くの福岡藩の若者を国内 そして米国に留学させました その中で 金堅太郎や団琢磨など数えきれない人材も育てました たった一度の逆走がなければ このお殿さまは 坂本龍馬と肩を並べる明治維新の英傑けつのひとりになっていた御方なのであります 参考文献アクロス福岡文化誌編纂委員会編 福岡県の幕末維新 海島社(平成二十七年)処分については 長州藩出身者は厳刑を 薩摩は 西郷隆盛が急遽きょ福岡へ来て救援の手を差し延べたように寛刑を主張しました しかし 結果は同年七月二日 前年に家督を長溥より受け継いだ知藩事黒長知は免官閉門 小河愛四郎以下斬首刑五名 徒刑三年以上は五十名に及びました このような大断罪が福岡藩だけに下された理由については 長溥の大逆走が大きな一因となっていることは言うに及びません 知藩事免官ということは 藩の改かいえき易廃絶を意味し 福岡藩は 廃藩置県を待たずして 事実上の廃藩となったのです 同年八月二十三日 長溥 長知父は 波奈(荒津)の港から東京へ旅立ちました それは 黒長政の入国以来二百七十余年の領国経営の終焉でもあったのです 現代の学者はいいます 福岡藩いや黒長溥は 明治維新へのバスに最初に乗り運転したが そのバスを最初に降ろされてしまいましたと 国会議事堂からほど近い赤坂二丁目界隈を 福岡藩中屋敷にちなんで福吉町と呼んでいました 長溥はこの大きな人工の池で 鴨猟を楽しんでいました 旧藩士たちはこのお屋敷を 赤坂溜池 と呼び ここで少年期を過ごした孫の黒長成しげ 長禮みち 長久は わが国を代表する鳥類学者となっています 明治八年(一八七五)一月三十一日 静寛院宮(和宮)邸へ行幸の途中 二十四歳の明治天皇が ここをふと訪れられました 天皇に長溥は 自慢の鴨猟すが わずか一年後 王政復古 となり 情勢はさらに逆転しました 今度は 保守派の粛清となり 浦上信濃ら保守派三中老に対して長溥は 切腹致しくれ候ふ様と 頼み込む始末だったといいます 福岡藩は 乙丑の獄と王政復古とで惜しい人材を大勢失ってしまいました 福岡藩は 慶応四年(一八六八)鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争では 勤王の心意気を示す最後のチャンスとばかり 二 三〇〇人に及ぶ藩兵を繰り出して新政府に協力し あたかも 乙丑の獄 を忘失させるかのように一丸となって各地で奮戦しました このため 藩の財政は圧迫され とうとう一三〇万両の借金を抱えることになりました このように 財政難に落ち入った多くの藩では 太政官札の偽造で切り抜けていました そこで 福岡藩でも贋札づくりを城内で始めたのです 明治三年(一八七 )六月 新政府は 贋造紙幣巡察順序 を設けて取り締まりに乗り出しました その第一に福岡藩が挙げられたのです んと福岡勤王党月形洗蔵らの活躍で 奇策 薩長同盟 が発案されました それを坂本龍馬が まず太宰府の五卿の許可と同意を求めて この筑前太宰府に来ていました 歴史は こちらの道を進んでいたのです 何も知らない長溥は 歴史を逆走し始めたのでした 同年十月二十五日 加藤司書ら七名を切腹 月形洗蔵ら十四名を斬首刑 野村望東尼ら十六名を島流しに処しました これを乙丑の獄と呼んでいます 佐幕に転じた長溥は 慶応二年六月 幕命随順 として 五卿の滞在する太宰府を三千の藩兵と農民兵で取り囲みました 長溥は佐幕の道を一筋に邁進することになります 一方 この年の一月 坂本龍馬の尽力で 京において 薩長同盟は成立していたのです この大獄により 福岡勤王党は一掃され 再び保守派の時代となったので明治天皇と長溥関屋の鳥居 07

8 役 飛梅講社役員委嘱 部 職 氏 名 住 所 長 増 繁樹 長崎県大村市 森 長 大神 武三 福岡市早良区 行い 続いて天拝の間にて直会が開催 されました 本年は 萬鐡尚大人命 倉掛勇幸大 人命 橋爪スミ刀自命 櫻井琴刀自 命の四名を物故会員名簿に追記し 三 百四十六名のご冥福をお祈りいたしま した 飛梅講社 連合支部 大麻頒布式 新年に各家庭にお祭りする大麻 お 札 を お 分 か ち す る 大 麻 頒布式を飛梅講社連合支部 十支部の各地の公民館等に おいて 斎場を設けて執り 行いました 祭典では一年間の国家の 平安や講員御家庭の平安 家運隆昌を御祈願申し上げ 講員の皆様の各家庭に配布して戴くた め 役員の皆様に授与いたしました 役員の皆様におかれましては 年末 のお忙しい中御参列 御配布戴きまし たこと衷心より厚く御礼申し上げます 伊勢神宮 氏神神社 太宰府天満宮 のお札を神棚にお祀りされ平成三十年 も皆様にとりまして 良き年でありま すようお祈りいたします 一日 二日 六日 七日 九日 二十二日 二十六日 二十八日 二十九日 八日 甘木連合支部 篠栗連合支部 福 蜷城連合支部 嘉穂連合支部 筑穂連合支部 古賀連合支部 志免連合支部 粕屋連合支部 須恵連合支部 壱岐連合支部 当宮の大麻 お札 をご希望の方には 送付もいたしておりますので 左記連 絡先までおたずねください お問い合わせ 太宰府天満宮飛梅講社本部 電話番号092 922 8484 受付時間 九時 十七時の間 十一月 十二月 松屋ガーデンパレス 高天満宮社務所 山見支部長自宅 嘉穂老人センター 筑穂保険福祉総合センター 八幡組合公民館 天満宮本殿 原町公民館 須恵カルチャーセンター 壱岐東風荘 甘木連合支部 粕屋町連合支部 講員の皆様のお世話をしていただく 新役員の委嘱が左記の通り行われまし た 何卒 宜しく御尽力賜りますようお 願い申し上げます 支 松嶋 輝道 太宰府市 陽一 太宰府市 連 合 支 部 顧 問 三 一成 糟屋郡篠栗町 連 合 支 部 長 柳池 吉則 糟屋郡篠栗町 部 連 合 事 務 長 今長谷 潔 糟屋郡篠栗町 支 井口 秀喜 朝倉郡筑前町 連 合 事 務 長 秋山 政孝 古賀市 順不同敬称略 飛梅講社二十五日会 物故会員合同慰霊祭 去る十月二十五日 水 会員の皆様 は当日午前十時からの月次祭 講社祭 に参列され 祭典後 崇敬者会館 宝 満の間において物故会員合同慰霊祭を 物故会員合同慰霊祭 祭詞奏上 08 とびうめ 冬号 No.185

9 九月二十八日 二十九日 二十五日会研修旅行に参加して 天神さまが 見てござる めくるめく時は流れ今年も研修旅行 の機会を得ました バスは新車で乗り 天皇をお迎えした様が偲ばれます 宮神社で正式参拝します 往時の景行 翌朝は山鹿灯篭踊りが奉納される大 を祈ります く二十五日会が末永く盛会であること ます 道真公のご神徳に集い仲睦まじ 連日報道されていた益城の街を走り 葉や 生きていることの喜びを伝える げる存在 私たちが口にする感謝の言 この度の研修で得たこと そもそも ます 街並みの電柱は傾き申し訳なさ ことこそが神さまの望みだと思うので 快晴の空の下熊本城へ車を進めると そうに役目を成しており 道路沿いの す ですから個人的な祈願にはほとん 神とは豊穣 国の安泰 繁栄など大き 家 屋 は 解 体 さ れ 更 地 へ い ま だ に ビ ど干渉しない と言うのが通例とされ 天守閣 櫓の被災や石垣の崩壊に眼を ニールで覆われた屋根も散見され心が ていました しかしそれだけでは人間 な祈願に関与し あるいは神とは本来 痛みました 車窓から垣間見た仮設住 の暮らしに不安や迷いが生じることか 疑いました 自然の災害の猛威を前に 見し一同はすっかり魅せられています 宅の軒並み そこに暮らす方々の御苦 ら 家内安全 疫祓い 病気平癒 合 願い事をする相手ではなく 感謝を捧 踊りの舞姿を見て元乙女の面々は若 労 不自由はいかばかりかと 人間の無力さを痛感 すでに阿蘇の山なみは初秋の風 ス かりし頃を懐かしみ 善男たちは鼻の 格 安 産 な ど を か み さ ま に 祈 願 し ま す 心地は快適 天神さまの信者を乗せて スキの柔らかな白髪がうねっています 下を長くする ゆう鬱な年金生活のや あ ら ゆ る 神 々 の 中 で 異 色 の 神 さ ま 一路大刀洗平和記念館へ 秋晴れのカルデラを眼下に見て滑空す りくりも忘れしばし雅の世界へ誘って とに感謝しなくてはいません 私たちは平和な時代に暮らしているこ バを呑む あの戦争は何だったのか 飛んで逝った 展示品を見るにつけツ ゼロ戦は祖国の平和を願い南の空へ るかのように一息に下り 湧水で身を くれました く垂れ 平和な日々が続くこの良き日 さて季節はめぐり 今年も稲穂は重 崩壊した石垣 は 神さまのご加護によるものであり 飛梅講社二十五日会 は 天神さまの御神徳 まこと心 を 宣布高揚し会員相互の親睦を図る ことを目的とする団体です 毎月 二十五日十一時からの月次祭 講 社祭に参列し その後直会を行っ ています 二十五日会佐賀支部 岩下 誠一 しょう ば私たちの味方になってくれることで ちらの神さまも上手にお付き合いすれ の神 なるものが鎮座しています ど 貧乏神や疫病神 そうして家庭には山 清め修復現場へと目をやれば荘厳な社 は一変していました 民家や商店の被 災を一手に引き受けたかのような惨状 有志で募った義捐金を贈呈し 阿蘇神 社の復興を祈るばかりです 神々がお 造りになられた日本国も内憂外患の 日々 心安らぐ時はありません 平穏 を願い神社を後にしました バスの心地よいゆれが飲むほどに酔 うほどに 車中直会の宴も最高潮 左 党の連中は肝臓も口も達者 何とのど かなことでしょうか 宿での楽しみは夕餉だけではありま せんでした 本場の山鹿灯篭踊りを拝 No.185 とびうめ 冬号 09 山鹿灯篭踊り 大宮神社

10 東長寺黒忠之公墓 嘉永六年の福岡城連歌 宜博 嘉永六年の連歌 有川 太宰府天満宮の連歌資料の調査 を昨年から続けさせていただいて いる 飛梅 第一八三号参照 が 天 満 宮 の 嘉 永 六 一 八 五 三 年 の 御記録には連歌に関する記事がた く さ ん 出 て く る 嘉 永 六 年 と い え ばアメリカのペリーが黒船四隻を 率いて浦賀沖にやってきた年とし て 有 名 で 天 満 宮 で は 京 都 の 高 辻 家 生 家 は 梅 小 路 家 よ り 延 寿 王 院に養として入られていた信全 公が正別当として勤めを果たされ ていたころである 嘉永六年正月 恒例の松御会 御 城連歌 福岡城での初連歌 が例 年 通 り に 実 施 さ れ 二 月 に は 天 満 宮において黒忠之公の二百回忌 追福のための連歌三百韻が朔日よ り 三 日 に か け て 詠 ま れ て い る つ づ い て 藩 か ら の 依 頼 に よ り 公 方 様 本 卦 将 軍 家 慶 の 本 厄 除 御 祈 祷の連歌二百韻が五日から七日に かけて本殿廻廊において詠み上げ ら れ た 忠 之 公 追 福 の 連 歌 三 百 韻 は 十 四 日 に 東 長 寺 忠 之 公 の 墓 が あ る に 奉 献 さ れ て い る 延 寿 王 院 に 同 道 し た 小 鳥 居 御 供 屋 執 行 坊 検 校 坊 花 台 坊 浦 之 坊 満盛院 勾当坊 上座坊 六度寺 連 歌 屋 都 維 那 坊 小 野 伊 予 小 野加賀 寺主坊は他行につき不同 ら が こ の 時 の 連 衆 連 歌 参 加 者 で あ っ た と 思 わ れ る さ ら に 三 月 に は 延 寿 王 院 信 全 公 は 黒 如 水 公 の 追 福 と し て 独 吟 ひ と り で 百 句を詠むこ と をして藩 に提出してい る 六 月 信 全 公は福岡の藩 役所に出向い て 藩 主 斎 溥 公 のち長溥 継嗣慶賛公 のち長知 の臨席のもとに城内で実施される こととなった如水公二百五十年忌 および忠之公二百年忌の追悼連歌 会 の 打 合 せ を 行 っ て い る 如 水 公 の追悼連歌は来たる水鏡天満宮の 御神祭で奉納される予定であった その綿密な打合せは 御出福日記 にまとめられている 水鏡天満宮は道真公が大宰府左 遷 の 途 中 川 に 映 っ た ご 自 分 の 姿 に嘆かれたという故事により博多 今 泉 の 地 に 建 立 さ れ た が 慶 長 十 七 一 六 一 二 年 に 初 代 藩 主 黒 長政公によって現在の地に移さ れ 福 岡 城 の 鬼 門 を 守 っ て い る 福 岡 随 一 の 繁 華 街 天 神 の 地 名 がこの天満宮に由来していること は 有 名 し ば ら く 如 水 公 が 太 宰 府 天 満 宮 の 境 内 の 一 角 に 居 を 構 え 連歌に親しんでおられた因縁もあ り 水 鏡 天 満 宮 の 御 神 祭 で の 奉 納 が計画されたのであろう しかるに何らかの理由で水鏡天 満宮の御神祭が延期となっている おそらく 六月三日に浦賀沖に入っ たペリーの黒船の影響があったの で あ ろ う あ る い は 将 軍 家 慶 が こ の月二十二日に亡くなったことに 依 る の か も し れ な い 九 月 に は 水 天満宮で異国船退散の祈祷連歌 二百韻が催されるとの記事もある 10 とびうめ 冬号 No.185 天 満 宮の連 歌 資 料 調 査 続 報 太宰府天満宮の連歌の歴史は古 い 平 家 物 語 に も 安 徳 天 皇 を 擁 して大宰府に逃れてきた平家一門 も天満宮の御神前で連歌を詠んだ と 記 さ れ て い る し 鎌 倉 時 代 の 蒙 古襲来に際して天神様の尊像を掛 けて連歌を巻いてその退散を祈っ た と も い わ れ て い る 残 念 な が ら 天満宮での連歌奉納は昭和九年に 途 切 れ て し ま っ た が 行 橋 市 今 井 の須佐神社では現在も連歌奉納を 続 け て い る そ の 奉 納 の 主 体 は 氏 の 方 々 で 夏 祭 り の 一 環 と し て も五百年近くもなお絶やすことな く大切に受け継いできているとい う の で 福 岡 県 の 文 化 財 に も 指 定 されている その今井連歌よりも古い歴史を も つ こ こ 天 満 宮 の 連 歌 は 今 井 の 奉 納 連 歌 と は 違 い 連 歌 奉 納 の 主 体 は 神 主 の 方 々 で あ っ た 江 戸 時 代は神仏混淆でもあり 神主といっ て も 当 時 は 坊 家 で 現 在 の 宮 司 家 である西高辻家は延寿王院という 名で活躍されていた 奉納される連歌

11 No.185 とびうめ冬号伸 御供屋信覚(先住) 寺主坊観増 都維那坊全継この日は 前半後半で執筆を交代する筈であったが 後半の執筆であった御供屋坊信龍が前日急病となり 執行坊が一人で執筆をつとめた 開始 一 連衆は揃って控所から釈迦の間に進み 御神影に焼香し拝礼 二 執筆が文台を持って御長床の間の御敷居に入り 竪畳一枚夫利尚 野村隼人祐連 立花平左衛門増熊 小川専大夫直諒 杉山文左衛門尚行 吉弾馬盛年 小川主計昌盛 林太郎右衛門尚容 毛利内記元英 大音六左衛門厚剛 黒三左衛門一鵆 浦上帯刀正質 竹九郎大夫義存 小川靫負実節 山口孫右衛門直方 伊丹九郎右衛門景陽天満宮連衆 延寿王院信全公(宗匠) 小鳥居信昇 執行坊信亨(執筆) 浦之坊信彦 満盛院快元 上座坊実量 連歌屋昌順 小野伊予氏興 小野加賀氏り共不相成御作法也 連主中同道之所ニ而御城代頭見通ニ相成候様取計置候 已後之例ニ者不相成 全野衲之仁恵也 この門は御城代頭以上の者でなければ通れないところで この時特別に一緒に通れるようになったのは信全公のお陰であった 水鏡権現御神影は御館小書院御用人より御次廻りに渡され 同人が御本丸へ持参し御納戸頭に差し出されたのち 連歌興行の場である釈迦之間の御床に御茶道の手によって懸けられた 当日の御床には御前机に御香 御神酒 御花 御燈 御洗米が飾られ 文台硯箱は延寿王院が持参したものが使用された 御熨斗目御長袴を召された御両殿様(斎溥公 慶賛公)が六ツ半時に御供揃にて御本丸に入られ 御路次より松木坂御門を通り(御供廻り例月御参詣之通り)御本丸玄関から御居間へお入りになる 出席者一覧 藩方 黒斎溥公(少将様) 黒慶賛公(侍従様) 黒播磨一整(御家老) 櫛橋又之進祐恕 浦上数馬正春 吉九大延引していた水鏡天満宮の御神祭が十一月二十日に実施されると福岡藩庁より延寿王院信全公に連絡が入った それに先立ち十五日に福岡城内で連歌の実作が行われることも決まった 前日から福岡城下に宿泊していた連衆一同は正六ツ時うち揃って登城 延寿王院は御門を通り 他は桐ノ木坂より登城との仰せであったが 信全公の申し出により同道が許された その御門については次のような記載がある 東御門ト云ハ浦上家ノ向 大音家之并ヒノ表御門也 此門より通路者御城代頭以上ならてハ独礼た連歌座の作法連衆お目見えの図 ( 嘉永 6 年 御記録 より ) 福岡城本丸の連歌福岡城表御門跡 11

12 目に着座 三 そ れ ぞ れ の 手 元 に 自 分 用 の 懐 紙が配られる 四 御 両 殿 様 の 御 出 座 が あ り 御 神影への拝礼を済まされ御着 座 そ れ に 合 わ せ て 出 席 者 一 同も着座し一礼 前半一巡目 五 時 宜 を 見 計 ら い 御 納 戸 頭 よ り延寿王院 執筆へ会釈 六 執 筆 は 文 台 を 持 出 し 一 礼 し 懐 紙をひろげ捧げる 七 惣礼を受け 少将様 斎溥公 よ り 御 発 句 が 出 さ れ る そ れ を 執 筆 執 行 坊 が 拝 聴 し て 吟ず 八 延 寿 王 院 宗 匠 が 賦 物 を 定 め る 執 筆 ま た 吟 じ て 賦 物 を 書き また吟ず 都合 御発 句を三度吟ず 九 侍 従 様 慶 賛 公 よ り 御 脇 句 の出句 十 第三の御方は御次席へ会釈し 御互に御一礼あって出句 十 一 次 四 句 目 の 御 方 出 句 と い ずれも御出句前に御次席へ会 釈し 一巡銘々が出句する 一巡以降 十二 一巡が終わると延寿王院が進 み 出 て 御 安 座 を 進 言 し 御 意 によって一同は座に安らうこ ととなる 十 三 延 寿 王 院 よ り 一 巡 作 品 を 御 納 戸 頭 へ 指 出 し 御 同 方 よ り 少将様へ指上げに成られる 十四 さらに残りの読上げに入り 名残裏に至って一同座を改め る 十 五 第 二 の 懐 紙 を 延 寿 王 院 よ り 執 筆 が 受 取 り 直 に 持 出 し 硯 蓋へ置いて復座 十 六 名 残 の 花 の 句 を 少 将 様 御 出 句ののち 百韻満吟と相成る 満吟 前半終了 水鏡天満宮 十 七 執 筆 は 懐 紙 を た た み 第 二 の 懐 紙 を 文 台 へ 置 く 第 一 の 懐 紙 を 肩 に 載 せ 一 礼 こ の 時 一同惣礼 十 八 懐 紙 を 受 け 取 っ た 延 寿 王 院 はこれを御懐紙箱に入れる 後半 終了 十 九 第 二 の 作 品 作 り も 前 半 と 同 様に進行 二 十 す べ て が 終 了 し 惣 礼 あ っ て 御 両 殿 様 は 御 退 座 御 家 老 播磨 以下も退出 二 十 一 連 衆 は 御 床 の 間 の 前 に 進 み 焼 香 拝 礼 を し て 控 所 に 着 座となる そ の 後 延 寿 王 院 は 御 居 間 に お いて御両殿様および藩方御一同の 御 目 見 に 預 か り 連 衆 一 同 も ま た 長床の間で謁見があった 更 に そ の 後 褒 賞 が 下 さ れ た 沙綾二包と銀七枚が延寿王院へ 金 百 疋 充 が 連 衆 十 二 人 へ さ ら に御本丸御広間において精進なら び に 魚 仕 立 一 汁 五 菜 の 料 理 が 延 寿 王 院 以 下 連 衆 に 振 る 舞 わ れ た 登 城 供 の 東 北 院 信 宝 智 光 寺 少 弐 にも御膳を賜り 同じく大島兵庫 岡 崎 貞 水 神 山 繁 司 中 村 左 衛 門には湯付を賜った 延寿王院ならびに連衆はそれぞ れ 本 丸 御 間 内 を 見 学 し た 後 七 ツ 時 は じ め に 退 出 延 寿 王 院 は 表 御 玄関を通り御広間まで御家預の見 送 り を う け 御 玄 関 番 へ 一 礼 の の ち 退 出 ち ょ う ど 雨 天 で あ っ た た め 御 玄 関 よ り 長 柄 の 傘 を 用 い た 連 衆 は 敷 台 玄 関 よ り 引 取 り 桐 木 通 り を 退 出 番 所 〳〵 で 下 座 し 御 館 へ 罷 出 て い る そ の 後 一 同 は 水 鏡 天 満 宮 に 詣 で た が 同 宮 で は ちょうど七五三の準備中であった という この時の作品は太宰府天満宮の 大守御数代御奉納連歌 に収めら れ 二 百 韻 と も に す べ て の 句 を 鑑 賞することができる ち な み に 第 一 の 百 韻 水 鏡 宮 如 水公二百五拾年忌於御本丸興行 の発句脇句は 動きなき道を守るや国の春 斎溥 世に咲花に忍ふ往昔 慶賛 第 二 の 百 韻 忠 之 公 二 百 年 忌 於 御本丸御興行 の発句脇句は 異国の寇猶まもれ代々の春 斎溥 伝へ霞まぬ武士の道 慶贊 となっている なお作品には当日欠席の御供屋信龍の句 も入っていることからみて 作品自体は前 もって作り上げられており 御両殿様およ び藩方の句は代作であり 当日は儀式とし て連歌座が興行されたのではないかと推測 している 12 とびうめ 冬号 No.185

13 第四十六回留学生との国際親善 料理交歓会 調理チームと交流しながら召し上がりました 各国の料理が勢揃い 平成二十九年十月十五日 日 に第 四十六回留学生との国際親善 料理交 歓会 が国際奉仕婦人部 西高辻典 会長 九州大学留学生会 ハジム会長 の主催により中村学園大学において開 催されました 和気藹藹と調理 本年は錦梅委員会 小辻芳委員長 のご担当のもと留学生二十チーム 二十一ヶ国 留学生家族 友人 各 ご後援 ご協賛団体総勢二百六十五名 のご参加をいただきました 日本で食べられないような料理も 九時からの開会式の後 中村学園大 学七号館において 参加者の皆様が各 チームに分かれて 料理を作っていた だきました 交歓会では 料理の説明を聞きなが ら親睦を深め 閉会式では協賛各社か らの記念品を各チームにお渡しし 最 後に中村学園大学の三成教授による総 評を賜り 近年で一番豪華な料理だっ たのではないかとのお言葉をいただき ました 最後になりましたが ご担当の錦梅 委員会の皆様をはじめ ご後援 ご協 賛 ご協力を賜りました各団体の皆様 何よりも中村学園大学の三成先生をは じめとする学生の皆様には本当にご尽 力をいただき 厚く御礼を申し上げま す No.185 とびうめ 冬号 13 ハジム会長よりご挨拶 小辻芳担当委員長より感謝のご挨拶

14 奉納グラウンドゴルフ大会 小郡連合会 グラウンドゴルフ大会 日帰り研修旅行 14 とびうめ 冬号 No.185 各連合会 秋の奉納行事 十月十日 火 春日連合会 春日市総合グラウンド 二六〇名 十月二十六日 木 太宰府連合会 湯の谷グラウンド 二十七名 十月三十日 月 小郡連合会 たなばた地域グラウンド 一六六名 大野城連合会 日帰り旅行 小郡連合会 日帰り旅行 奉納ゲートボール大会 太宰府連合会 グラウンドゴルフ大会 九月六日 水 主丸連合会 主丸老人センター 四十六名 十月三日 火 日連合会 三和グラウンド 三十九名 十月四日 水 曰佐連合会 井尻公園 三十六名 春日連合会 グラウンドゴルフ大会 三和グラウンド 二十一名 曰佐連合会 グラウンドゴルフ大会 九月二日 土 筑紫野連合会 熊本県 藤崎八幡宮 三十八名 九月八日 金 小郡連合会 熊本県 藤崎八幡宮 二十八名 九月十一日 月 大野城連合会 熊本県 藤崎八幡宮 六十五名 九月二十七日 水 太宰府連合会 熊本県 藤崎八幡宮 二十一名 十一月十六日 木 春日連合会 熊本県 藤崎八幡宮 四十名 太宰府連合会 ゲートボール大会 十一月二十一日 火 太宰府連合会 日連合会 グラウンドゴルフ大会 当宮崇敬会では 天神様のご神徳 誠 心 を い た だ い て 日 本 の 輝 か し い そして美しい世界に誇るべき文化と伝 統 そしてその心を後世に伝えるべく 敬神崇祖の宗として活動しております 各連合会その主旨のもと 天神様と のご縁を拡げ 会員の拡大を図るべく 活発な事業を計画 展開しております 主丸連合会 グラウンドゴルフ大会

15 世界三大記念艦 三笠 と 横須賀軍港めぐり 熱海温泉 箱根温泉への旅 平成二十九年十一月六日 月 八日 水 にかけて崇敬会全体の研 修旅行を開催致しました 本年は合 計九十六名の御参加をいただきまし た 一日目は福岡空港より出発し 羽 空港へ 到着後はバス三台に分乗 して鎌倉方面へ向かい 源頼朝公が 関東の総鎮守として篤い崇敬を寄せ 応神天皇 比売神 神功皇后をお祀 りする鶴岡八幡宮に正式参拝させて いただきました 先ず 権禰宜 谷 口様より御本殿 拝殿 神輿等のご 説明を賜り 宝物殿を拝観致しまし た そして厳かな空気の中参拝を終 え 倒伏した神奈川県指定天然記念 物大銀杏についてのご説明もいただ きました 鶴岡八幡宮楼門 その後 権宮司 國生様より同宮 の歴史を含む大変貴重なご講話を賜 り 参加者一同食い入るように耳を 傾けました 昼食後 国宝の鎌倉大 仏で有名な高徳院へ赴きました 鶴 岡 八 幡 宮 同 様 沢 山 の 参 拝 者 の 中 昨今の御朱印ブームも手伝って 大 変多くの方が御朱印を受けておられ たのが印象的でした 翌日の箱根巡りに備えて 初日の 宿泊先である熱海温泉ホテルニュー アカオへと移動 このホテルは国内 でも数少ない海の上に建つホテルで あり 大浴場や 頼朝の湯 政の 湯 という露天風呂で一日の疲れを 癒し 宴席では互いに懇親を深めま した 二日目は 先ず伊豆海産物店へと 足を運び 活気溢れる店内でそれぞ れお土産を購入し 河津七滝と浄蓮 の滝へと足を運びました 河津には 多くの滝がありますが なかでも特 に有名な七つの滝が河津七滝と呼ば れています また 浄蓮の滝は日本 の滝百選にも選ばれるほどの名瀑で あ り こ の 滝 の 名 前 が 日 本 中 に 広 まったのは石川さゆりさんが歌う 天城越え によるところが大きい のではないでしょうか 滝の近くに は歌碑があり 皆記念撮影をしてい ました 次に箱根の大涌谷へ向かい 雄大 な 自 然 を 堪 能 し な が ら 黒 た ま ご をいただきました そして二日目最 後の目的地 箱根関所跡へと移動し ました 江戸時代の交通の要でもあ り 見事な技術により現代に復元さ れたその姿は 一瞬にして我々を江 戸時代へと誘ってくれました そし て 二日目の宿泊地である湯本富士 屋ホテルへ 箱根の温泉と夕食を存 分に堪能し 恒例の福引大会では大 きな盛り上がりを見せました 最終日は横須賀方面に向けて移動 し 先ずは戦艦三笠の内部を見学し ました 三笠といえば東郷平八郎司 令長官率いる大日本帝国海軍連合艦 軍艦勢揃いの横須賀軍港 隊のフラッグシップであり 日露戦 争時 対馬沖に於けるバルチック艦 隊との交戦では圧倒的な勝利を収め たことでも有名です そして次なる 目的である 軍港めぐり のために クルーズ船へと乗り込みました 米 海軍と海上自衛隊の艦船を懇切丁寧 な説明を受けながら船上より見学し ました 最新鋭の装備をもつイージ ス艦や護衛艦 潜水艦 掃海艇 機 雷を除去するための艦船 等数十隻 を見て回り この旅行では最後の目 的 地 で あ る 横 浜 中 華 街 へ と 向 か い 本格的な中華料理や紹興酒に舌鼓を 打ち 羽空港へと移動し 福岡空 港へと向かいました 旅行全体が滞ることなく 無事に 全行程を終えて帰路につくことがで き 皆様のご協力に感謝を申し上げ ます 太宰府天満宮崇敬会は今後も 学びも楽しみもある研修旅行を催行 致します 来年の研修旅行にも多数 のご参加をいただきますようお願い 申し上げます No.185 とびうめ 冬号 15 高徳院 鎌倉 國生様のご講話 鶴岡八幡宮権宮司

16 まさし氏のコンサートが行われ こ 崇敬会 れを皮切りに大祭に向けて始動して 奉幣大祭並びに大会 いくことを併せてお伝え申し上げま 去る十月二十三日 月 二十四 した また 七月五日に発生した九 ( ) 日 火 州北部豪雨で被災された杷木連合会 ( の ) 二日間約六百三十名の御 参加を賜り 第四十九回太宰府天満 日連合会の皆様に心よりお見舞い 宮崇敬会奉幣大祭並びに大会が盛大 を申し上げると共に 復興に向けて に開催されました 秋空の下 各連 当宮も出来る限りのご支援をしてい 合会より賜りました 沢山の野菜や くこと 一日でも早い復興をお祈り 果物などをお供えし 国家安泰 皇 しているとお伝え致しました 室弥栄そして 崇敬会々員皆様の平 その後 ご来賓を代表して今年四 安をお祈りし 大祭が厳かに斎行さ 月より氏会長になられました安河 れました 正裕氏会長よりご挨拶を賜り 役 その後 余香殿に移動し大会式典 員表彰では崇敬会に長年ご尽力いた が開催されました 開会挨拶 国歌 だいた皆様に表彰状と記念品をお送 斉 唱 敬 神 生 活 の 綱 領 唱 和 の の ち り致しました 西高辻宮司より皆様にご挨拶を申し 記念講演では石川真理先生より 上げました 初めに日頃より崇敬会 女徳なくして 国は栄えず 世界が 憧れた明治日本女性の美徳 と題 の活動にご尽力をいただいている皆 してご講演をいただきました 石川 様へ感謝をお伝えし 十年後に一千 百 二 十 五 年 大 祭 が 斎 行 さ れ る こ と 先生は東京都のご出身で武家の家系 に お 生 ま れ に な り 文 化 女 大 学 本年九月に天神広場において さだ 現 文 化 学 園 大 学 を 卒 業 後 独自に武士道や 武家の生活文化 を学ばれながら 大手出版社の編 集プロダクショ ン に 勤 務 独 立 後は日本精神や 現代では忘れら れ た 婦 道 に ついての執筆や セミナーを通じ て啓蒙活動を行 わ れ て お り ま す 当 宮 の 社 報 飛 梅 におきまし て も 梅 花 の ご とく凛として 本殿前にて参列 斎館前にて列立 奉幣の儀 と題して執筆をいただいております ご講演の中では日本女性の美徳と いう点に重点をおかれ 大東亜戦争 後 西洋文化が押し寄せてきている 現代の日本で 今まで先祖が築いて きた日本女性の つつしむ ことの 美しさや 今一度女性教育を見直し 舞踊のご披露 日本女性の美徳の本質をしっかりと 身につけることで真の文化の多様化 がなされるのではないか と一時間 にわたってご講演を賜り 会員の皆 様も熱心に耳を傾けられていました 直会におきましては各連合会の皆 様より舞踊やカラオケなど多岐にわ たって演芸をご披露頂き 大いに盛 り上り 閉会とさせていただきまし た 来年は太宰府天満宮崇敬会が創立 五十周年を迎えます これまで崇敬 会を支えていただいた皆様 そして 現在もご尽力いただいている皆様に 心より感謝を申し上げます 五十周 年に向けて さらに天神様の輪をよ り大きく拡げていく為に 本部一同 邁進していく所存でございます 会 員の皆様におかれましては これか らもお力添え賜りますよう お願い 申し上げます 演芸のご披露 宮司挨拶 氏会長挨拶 安河正裕 ご講演 石川真理氏 16 とびうめ 冬号 No.185

17 日佐連合会 太宰府天満宮 崇敬会本部 お問い合わせ お申し込み先 平成二十九年度 青年部主催 清掃奉仕 正会員 戸主 三千円 家族 二千円 但し連合会 支部所属の御家族は 一千円 名誉会員 一万円 法人会員 三万円 会社 団体での御入会 入会のすすめ 太宰府天満宮崇敬会 平成二十九年十月一日 日( 秋)晴れの澄 み渡る青空の下 青年部主催の清掃奉 仕が行われました 当日は各連合会の 崇敬会々員をはじめ筑紫青年会議所 別府梢風園 太宰府顕彰会の皆様 総 勢百十五名のご参加を賜りました 余香殿にて一日の流れや注意事項を 本部より申し上げた後 飛梅前に移動 し ご参加の皆様の安全と健康を祈念 しまして お祓いを受けていただきま した その後は各清掃場所に分かれ およそ一時間余り清掃を行いました 今回は邂逅の苑 御本殿裏手の摂末社 定遠館 太鼓橋周辺の四ヶ所に分かれ 草むしりや掃き掃除を中心に隅々まで 綺麗にしていただきました 日差しも 強く 熱中症や怪我等が心配されまし たが 何事もなく一日無事に終えるこ とができました 清掃後は余香殿に戻り 昼食をとっ ていただきつつ九月末に執り行われる 神幸式大祭や 秋思祭などの天満宮の 祭典についてのD V Dをご覧いただき 普段では分からない祭典の流れや雰囲 気を味わっていただけたのではないか と思います 本年も準備から後片付けまでご協力 頂きました 崇敬会青年部の皆様をは じめ ご参加の皆様お疲れ様でござい ました 本部より厚く御礼を申し上げ ます 役員委嘱 通 順不同敬称略 乙金支部 栗 原 英 崇敬会支部並びに皆様のお世話をし ていただく役員の委嘱が左記の通り行 われました 何卒ご協力の程宜しくお 願い申し上げます 大野城連合会 世話係 No.185 とびうめ 冬号 17 崇敬会行事の御案内 年会費 新春三社詣で 福岡県内の三社にお参りさせていただき 多く の御神徳を賜ります チャリティー餅つきぜんざい会 平成三十年は一月十四日 日 に開催します 売 り上げは福祉施設などに寄贈します 部会費 崇敬会本部までお気軽にご連絡 お問い合せ下 さいませ 一千円 一千円 国際奉仕婦人部 青年部 定遠館にて草むしり 邂逅の苑を隅々まで 太宰府天満宮崇敬会 昭和四十三年創立 現会員数約七, 000名 は御祭神 菅原道真公 の御神徳 誠心 をいただいて 一家の幸せと繁栄を願い 日本文化の伝統を守り より良い 社会づくり 国づくりに努め 広くは世界平和に寄与する崇敬者の集いでございます 社報にて活動のご報告を行っておりますが 他にも沢山の行事がございますので 是非御参 加をいただき 天神様と御縁を結ばれますよう 御入会を心からお待ち申し上げます

18 梅花 のごとく凜 として 石川真理 厳寒の中に咲き誇る梅花のようでありなされ 武士の娘が嫁ぐ日に母より賜るはなむけの言葉 そうですよね と答えていました もっとも 私のように即座に同意 納 得する女性は 今もさほど多くはないの で し ょ う 反 対 と ま で 言 わ ず と も 本 当にそうなのかな と疑問を抱く人のほ うが大半かと思われます 戦前の日本は男尊女卑だった 日本は 戦後になって ようやく民主主義や男女 平等主義を取り入れて 国際社会におけ る先進国として まともな国 となった これが戦後世代に共通する認識であり 私も武士道を学ぶまでは こうした認識 に対して疑いもしませんでした むしろ それでもまだまだ日本は男尊女卑だとさ え思っていたほどです しかし 武士道や武家の女性について の学びが深くなるほど 本当にそうだろ うか と思わざるを得なくなり ま し た 第一 男尊女卑の風潮の中で肩身の狭い 思いをしていたはずの祖母が なぜあん なにも堂々としていたのか つじつまが 合わないのです その理由はほどなく解決しました が まずは大塚氏の述べられたことをお伝え しましょう 凜として美しい日本女性のあり方を示しているのです 大切にされてきた 日本女性 先日 天然理心流第四代心武館館長の 大塚篤氏と面談の機会を得ました 天然 理 心 流 と い え ば 新 撰 組 そ う 誰 も が イ メージすることでしょう さらにいえば どちらかといえば木訥な剣法と思われが ちかもしれません けれど実際は理論的 で精神修養を非常に重んじており 剣の 技を通して人間性の飽くなき成長を目指 しているのです もちろん他の流派も突 き詰めれば行き着くところはやはり 精 神 人間性 でありましょう 剣の道を 往く人は おのずから武士道を体得する ゆえんです そのようなわけで 面談ではおのずか ら武士道の話に花が咲きました 意見交 換をするなかで 最も膝を打つ思いだっ たのは 次の言葉です 世界中で日本女性ほど大切に守られて きた存在はありません 免許皆伝 現代に於ける剣の使い手が このように述べられたのです 思わず 女性に強く出るのは 卑怯者 かつて日本では男性が女性の二 三歩 か つては私の 世代で も 弱い者いじ 前を歩き 女性は風呂敷包みを抱えて後 めをしてはいけない それは大変卑怯な ろからついていきました ことだ と教えられたものでした これ これを戦後は 大の男が威張り腐って がま さしく 悌 の徳 です 武士道 にお 前を歩き か弱い女性にあろうことか荷 いて も 悌 があるた め 男 性が女 性に 物を持たせていた というように解釈し 対して強く出ることはできませんでした ています が まったくとんでもないこ よほど体格が良くて鍛えた女性なら別か とで 誤解もいいところなのです も し れ ま せ ん が 女 性 は 力 で は ど う し 男が前を歩くのは あくまでも女性を たって男性に勝つことはできません 力 守るためです 二 三歩というのは 刀 の弱い女性に対して暴力的に振る舞うこ の間合いに他なりません この間合いが とは卑怯千万 武士どころか男の風上に あれば 前から賊が斬りかかってきても も置けないということにほかなりません 女性に気遣うことなくすばやく刀を抜く 現存する武将の家訓のうち日本最古と ことができます そして 風呂敷包みを されている北条重時 一一九八 一二六 女性が持っていることにも意味がありま 一 の家訓 には 以下のよう な記述 があ す 襲われた際に女性は風呂敷包みを投 ります げつけて 逃げおおせるための時間を稼 自分の妻が何事か申しのべる時が ぐのです あったならば よくよく聞き届けなさる 実は 私の実家では父の前を歩くとい がよい その際 僻み言を申したとして う習慣がありませんでした 両親と私と も 女どものつねであるからと思って 三人で出かける際には 母と私は父の数 こらえ また道理のあることを申すなら 歩後ろを歩くのです 前を行く父の背中 ば いかにももっともなことだと感心し は とても安心なものに感じられたもの これから後も このようにのべて聞かせ です もっとも 母と二人で だいぶ白 てくれ といっておかれるがよい 女 髪が増えて老けたわね などとひそひそ どもだとて 決して卑しむべきではない 言 い 合 い ク ス ク ス 笑 い な が ら つ い て 天照大神様も女神であらせられるし ま 行ったのですが た 神功皇后も御后様であられ しかも 三韓出兵という大業をなされ給うたので ある どのような卑賤な女でも 女に対し てかれこれ非難をしてはならない まし て恥のある人のことはいうまでもないこ とで 同じく口にする場合でも 美点な らば取り上げてもよいのである 悪い点 は どこまでも匿してやるように心得な さるがよろしい 以上 武士の家訓 桑 忠親 講談社学術文庫 ついでながら この家訓の中には 旅 に出た際に 供の者にも馬にも あまり では なぜ武士道を学ぶことによって 日本は男尊女卑ではなかったと思えるよ うになったか 私の意見を述べましょう 武士道には 仁 義 礼 智 信 忠 孝 悌 という八つの徳があります こ のうち 悌 は 簡単にいえば 弱い者に 対して思いやりを持て ということです 18 とびうめ 冬号 No.185

19 から武家に伝わる薫陶を受ける 文化女大 現 文化学園大 学 卒業後 大手出版社の編集プロダクション勤務 武士道や武 家の生活文化を独自に学び 独立後は日本精神や忘れられた 婦 道 について執筆やセミナーを通じて啓蒙活動を行う 主な著 書 女の武士道 女の教養 勝海舟修養訓 いずれも 武家の女性の精神を貫いた祖母の いまも生きる 武士道 武家の女はまつげを濡らさない P 致知出版社 新島八重 HP研究所 明治女が教えてくれたプライドのある生き方 教え いずれも講談社 五月の蛍 内外出版社 など 最 新刊に女教育の先駆者 下歌の教えを読み解いた 乙女 女の武士道 致知出版社 武家の娘の矜持を貫いた明治 生まれの祖母 激動の時代を 生き抜いた生涯を通じて真の 女性の強さや美しさを問いか ける テレビでも紹介された 話題のベストセラー です 近 年 男 女の関係に おける DV ドメ スティックバイオレンス が社会問題化 しています 武士道は武士階級のみなら ず 一 般 庶 民 に 浸 透 し た 日 本 の 精 神 ですが これが失われてからというもの 実に卑怯な世の中になったというべきで はないでしょうか 男女同権 男女平等 を目指してきたばずですが 歪みが生じ ているのは誰もが感じるところでしょう 男は男らしく 女は女らしくということ が 真の意味での男女同権 男女平等と いえるのではないでしょうか 書籍紹介 重い荷物を持たせてはならない 百姓 は十分にいたわれ 酒 の 席 で は は る か下座の者にも常に目をかけ言葉をかけ よ といった内容も散見され いずれも 悌に則った 目下の者や弱者に対しての いたわりの心 を持つことの重要性が教 えられています すでに鎌倉時代中期以 降には こうした認識を持つ武士がいた ということが 北条重時の家訓から慮る ことができます 米沢藩士という武家の家系に生まれ 明治二十二生まれの祖母 自分が手綱を握っていると思っている 開の国 日本 を訪れ 興味深い記録を そして 可愛らしい妻が実際にはしっか 残しています その中には日本女性につ り方向を定めていて 彼女が導くままに いて述べられているものも多く 概ね日 従っているだけなのを知らないのだ 本女性の評判は上々です そのうえ日本 英 国 人 写 真 家 の 見 た 明 治 日 本 ハ ー 女性は多くの自由と権利を得ているとす バート G ポンティング 講談社学術 る も の も 少 な く あ り ま せ ん 以 下 は 文庫 ほんの一例です 妻は数歩下がって夫を立てているよう 日本では婦人たちが大きな力を持っ な顔をして その実 背後からコントロー ていて 彼女たちの世界は広い分野に及 ルしていた というわけです 素晴らし んでいる いのは 夫が 手綱を握っているのは自 家の中で婦人の演ずる役割について 分 だ と 信 じ 切 っ て い る と こ ろ で す 人々の見解が分かれることは無い 彼女 は独裁者だが 大変利口な独裁者である 夫は威張りながらも その実 結果的に は北条重時の家訓にあるがごとく 妻の 彼女は自分が実際に支配しているように 言うことを聞いていることになります 見えないところまで支配しているが そ 私はここに日本女性の賢さを垣間見るの れを極めて巧妙に行っているので 夫は 東京都出身 祖父方が仙台藩士 祖母方が 昭和41年 1966 女性は 家庭の独裁者 幕末の開国以降 多くの西洋人が 未 No.185 とびうめ 冬号 19 世界が恋した日本女性 グッドブックス の心得 プロフィール 石川真理氏

20 太宰府天満宮へ届きます 平成二十六 二〇一四 な思いから始まりました 思いは千 以上離れた 援 し た い 平 成 の 飛 梅 プ ロ ジ ェ ク ト は そ ん の中でも未来を見据え 懸命に学ぶ後輩たちを応 された福島県立福島高校の生徒たち 困難な環境 の事故で 体育館や仮設校舎での授業を余儀なく 原力発電所 め 福 島 第 一 解して頂くた 評について理 だ消えない風 を 知 り い ま 福島県の現状 原発視察で太宰府からお越し頂いた四人に同行 英樹 恵与から三回目となる梅の剪定季節を迎えた したのは 東京電力ホールディングス福島復興本 関根 梅 のご縁が実現させた 東京電力福島第一原発構内視察 福島県立福島高校同窓会理事 福島民報社論説委員 南相馬支社長 年 二 月 二 十 八 日 五 本 の 梅 の 若 木 を 恵 与 し て 頂 の構内を視察 年目に入った きました 西高辻信良宮司にも福島市まで足をお するという特 東日本大震災と東京電力福島第一原力発電所 運 び 頂 き 梅 が 紡 い だ ご 縁 は 福 高 生 に と っ て か 十 一 月 十 六 日 今 社副代表の佐藤英俊氏 同窓会理事の伊藤幹夫氏 別のコースも 年も太宰府天満宮 と篠木雄司氏と私に私の妻 同窓会事務局の今関 けがえのないものとなっていきます 同窓会では から毛利清彦権禰 達也氏 前福島高校校長で現在は南相馬市小高区 日程に入れさ 宜と神苑管理の古 の益多嶺神社 甲大国社 の宮司を務める代 太宰府飛梅基金 を設け 恵与された梅の保護と 賀 義 悟 中 島 紀 寿 公啓氏 テレビディレクターの葛西愛氏の八人 せて頂きました 木本順の各造園技 です 20 とびうめ 冬号 No.185 配管がつながっていた4号機を含めて 1 3 4 号機が水素爆発を起こして放射性物質を拡散させ ました 現在は すべて冷温停止状態に保たれて いますが 溶けだして原炉格納容器の底にある とされる核燃料を確認し 取り出し 廃炉にする ための作業が続けられています 事故直後は構内 全域で線量が高く ほとんどの作業は防護服を着 て行われていました しかし 現在は 簡易対応 で作業できる場所が大部分を占めるようになって います 三十年から四十年はかかるといわれる廃 炉作業のために 原発構内では毎日 五千人から 六千人が働いています 毛利さんら四人と私たちは十一月十七日午前九 時 第一原発から約十 地点にある旧東京電力エ ネルギー館に集合し 東京電力の用意したバスに 乗車し 原発構内に向かいました テロ対策もあり 原発構内入 場には厳し いチェック が あ り ま す ま ず 一 人 ずつ免許証 などで厳重 に本人確認 を さ れ た 後 福島第一原力発電所には原炉が1号機から 照合する立 視察に臨む 左から 古賀さん 木本さん 中島さん 太宰府との交流を確実に続ける態勢を整えました 能士を福島にお迎 え し ま し た た だ 6号機まであります このうち 当時稼働してい ち入りカー 指の指紋で し 今 回 は 大 震 災 た1 3号機が炉心溶融 メルトダウン を起こし 原発の現状について説明を受ける一行 と原発事故から七 原発敷地内に降り立つ一行

21 開いて中へ入れ 構内側の格が 紋を照合すると で カードと指 が閉まった状態 は 両側の格 す 入場ゲート ドが作成されま 料プールにある て 使用済み燃 バスから降り そばの高台では ました 3号機 中から見て回り をなどをバスの いた津波跡など 原炉の壁につ 全と安心について科学的に考えてほしい 風評被 ず 一人でも多くの方に福島県を訪れてもらい安 か り と 生 活 し て い る の で す 百聞は一見に如か 毛利さんらは 構内が整然と整えられ 多くの 核燃料取り出し用のドーム取り付け中の 3 号機 皆様の訪問でした もさらに重ねて頂きたいと改めて感じた太宰府の かれたご縁を福島高校だけでなく福島県のために 害を悲しむ多くの県民が願っています 梅 で導 るようになって すために取りつ 核燃料を取り出 最初に 新事 けているドーム います 務本館で構内の 館からは廃炉作業中の各原炉が窓越しで臨める 作業員が働く様や 原炉まで約三百 の地点 などについての説明を受けました ようになっています 次に防じんマスクにヘルメッ に自分たちが立てている状況に 驚きを隠せない 現状についての概要説明を受けました 新事務本 ト ベ ス ト 線 量 計 手 袋 靴 下 な ど を 着 用 し で福島県から今でも約三万五千人が県外避難を続 てもらおうと考えたためでした 原発事故の影響 ことで 福島県の現状や放射線の問題を肌で感じ を聞くよりも実際に自分の目で見て自ら体験する 所構内を見て頂いたのは ニュースで見たり 話 今回 太宰府天満宮の皆様に 第一原力発電 クでだれも問題はありませんでした 射線の線量計を身につけましたが 視察後のチェッ 味わう機会も設けました 視察する前に全員が放 昨年完成した構内の食堂で作業員らと同じ定食を ようでした 約一時間十分にわたる構内視察後は 構内視察を終えた毛利さんら 立ち入り準備を整え 構内専用のバスに乗り込み ました トリチウム以 外の放射性物質 を取り除く多核 種除去設備やト リチウム水を含 んだ汚染水を保 存しているタン クエリア 土を 凍らせて地下水 けていることがニュースになりますが 一方で福 島県内では原発事故直後から約百九十万人がしっ No.185 とびうめ 冬号 21 の流入を防ぐ凍 土 方 式 遮 水 壁 参加者全員で記念撮影 左から 2 番目が著者 汚染水を貯蔵するタンク群 奥に見えるのが 1 3 号機

22 境内解説員 禰宜 は と う ぼっぱつ 味酒 なおまさ 安則 こつぜん しゅうほう かんそう ひっそく ろ て い やすひで 長崎に オランダ国旗を掲げて侵入しま した 当時 ヨーロッパでは ナポレオ ン戦争の波祷で オランダはフランスの 支配下にあり 英仏は交戦状態にあった ことが原因です フェートン号の兵士は オランダ船と信じて出迎た長崎出島のオ ランダ商館員を二人捕え その二人と引 替えに薪水と食糧を奪取して忽然と退去 したのです この事件の結果 最後まで手が出せな かった幕府の長崎奉行 松平康英は責任 をとって切腹しました 長崎港の警備は 寛永十八年 一六四一 より 佐賀藩が福 岡藩と一年交代で千人規模の藩士をもっ て 番船を配して担っていたのです こ の事件が勃発した時は 佐賀藩の当番で した それで これを切っ掛けに 佐賀 藩の 長崎御番 の不始末が露 呈 し 家 なりなお 老が切腹 藩主鍋島 斉 直は逼 塞 閉門に 近い を命じられました 正に フェートン号事件は 佐賀藩さ らに九州にとって 黒船 であり 幕末 でした 斉直の 直正 閉叟 は この 事件を教訓として 十六歳で襲 封 し て 人材登用 殖産興業を中心とする藩政改 革を行います 佐賀藩では特に西洋式兵 まさ 佐賀の天神信仰を訪ねて ほ 十二月十三日 水 本年度の境内解説 員の研修旅行は 佐賀の天神信仰を訪 ねて 佐賀県立佐賀城本丸歴史館を総勢 二十七名で訪問しました アームストロング砲 さかのぼ だ 幕末とは 日本史上 ペリー来航後を 指しますが 西国の九州では違っていま した それは 遡ること四十五年前のイ ギリス軍艦 フェートン号 事件でした 文化五年 一八 八 八月 駆逐艦フェー トン号は オランダ船を拿捕するために フェートン号 ごりょうかく いりょく ら せ ん 備を整え 当時 最強の軍事力を有する までに至りました 中でも アームストロング砲の威力は 絶大でした これはイギリスの G アームストロングが開発したものです 砲身の円筒内に螺旋状の溝が彫られ 弾 丸が回転しながら飛び出すため 射撃の 精度や射程距離 さらに殺傷力が飛躍的 に伸びました 実は 鳥羽伏見の戦から 五稜郭の戦まで 戊辰戦争という内戦を 短期間で決着させたのは このアームス トロング砲の威力だったといいます 大隈重信 たたかい さて 佐賀県には 菅公の末裔として 幕末から明治に渡り活躍した偉人がいま す 大隈重信と副島種臣は 菅公を厚く 尊崇するとともに 広く世に顕彰してい るのです 大隈重信は 佐賀藩士で外相や首相を 務め 維新政府の要職を歴任した政治家 であり 早稲大学の創立者で初代総長 という教育者でした 自著 菅公談 明 治 三 十 三 年 発 行 の 中 で 出 自 が 菅 家 で その孫であると系図を示して明言して います そして 同書の中で次のように 述べています 私も幼少の際より數回太宰府の廟へも 参拝致しましたが 其等の關係からして 私も自ら菅公の徳の感化を享けた事が餘 程多い様に存じまする 先ず家庭に母な どより教訓を受くるに 平素に菅公の事 蹟を話された 即ち菅公といふ御方は第 一に運命の神として大切である 一體武 士といふものは 武運と云って運が强く なくてはいけない それから文學の神と して大切である 所謂學問をする上に就 きわ W いて最も大切な御方である 故に平素に 其德を仰いで 菅公の如き人にならなく てはならぬと云聞せられて居た 副島種臣 つな かがみ 副島種臣も佐賀藩士で 幕末には志士 として活動 維新後参議となり 外務卿 在任中にマリア ルーズ号事件の解決に あたります その時 中国人労働者を解 放したことで 正義と人道の人として国 際的評価を受けています 征韓論争では 下野しますが そののち枢密顧問官や内 相を務めています 大隈に同じく 菅家 の系譜と称し 菅公を鑑に 漢詩や書道 を能くしていました 菅公一千年忌大祭 の菅公会では 評議員として中央政界へ の繋がりを生かして 千年祭の成功のた め尽力した先哲だったのです ガイドサービス 主任講師 佐賀城にて 22 とびうめ 冬号 No.185

23 維新 年 歴史探訪 ② てはならないのが 大鳥居信全の存在であ たことも挙げられるだろう しかし 忘れ こと 天満宮が中立的な立場の寺院であっ を発揮した 各地天満社の創建や地位の向上に大きな力 古連歌等文教を行う 聖堂学校 を設立し 生きる同志であったと考えられる 以上のことから 五卿を受け入れる基盤 が整っていた太宰府において 信全は そ 溥や秋月藩主黒長元と親交を得るなど豊 描いた信全の肖像画が一点伝わっている の後も多くの勤王派の人々を繋ぐ役割を果 かな社交的手腕を持ち合わせ 朝廷や幕府 実直な眼差しの奥に 新しい時代に向けて さらには 連歌をもって福岡藩主黒長 信 全 は 文 政 五 年 一 八 二 二 京 都 の のつながり さらには連歌や歌道を積極的 る 梅 小 路 定 肖 卿 の 次 男 に 生 ま れ 天 保 三 年 に学ぶなど文化的素養を備え持つ人物で 天満宮には 太宰府の絵師 吉嗣梅仙が たすこととなる 筑前太宰府司務別当延寿王院の養として 一八三二 高辻以長の養となり ついで 託された 理想とする国家の建策を安政五 藩兵らと共に長州に下った その後 幕府 を務めた また ペリーが浦賀に来航した 復し 宮中の求めに応じて国家安泰の祈祷 まず 十数回に及ぶ御撫物送迎を守護往 の学問の教えに則り現在学問に励んでいる 政六年一月二十八日 その中には 道真公 が信全に送られている 三條実萬書状 安 憚るような上書はすべきでない との手紙 天満宮に残る他の手紙からも 信全の上 卿が残した品々を一挙に公開いたします いたします 今回紹介した大鳥居信全や五 新150年太宰府幕末展 を宝物殿で開催 来 た る 二 月 十 七 日 土 よ り 明治維 真木和泉守の研究 真木和泉守百年祭奉賛会 太宰府の五卿 長沼賢海 太宰府百科事典 太宰府天満宮文化研究所 菅原道真と太宰府天満宮 下巻 参考文献 信全一世中略記 について 西高辻信貞 の想いが静かに燃えているようだ そして 信全は三條実美の父である三條 あった 天保九年 一八三八 に別当職を継ぎ 嘉 実萬と親戚関係にあった 信全は 水天宮 天保六年 一八三五 十四歳で京都を下る 永四年 一八五一 には 太宰府司務 天 神官で尊攘派の真木和泉守より 実萬へと さねつむ 満宮留守 安楽寺別当 延寿王院主 権大 五卿を受け入れた延寿王院 大 鳥 居 信 全 年 一八五八 の御撫物守護の上洛時に実 蓉 僧 都 法 印 と な る 文 久 元 年 一 八 六 一 清水 上洛の折に 同伴した信厳に正別当を譲る 文化研究所 津 薩摩藩が長州藩を中心とする尊王攘夷 萬に渡している 次の年 安政の大獄で篭 文久三年 一八六三 公武合体派の会 派を京都から追放した八月十八日の政変で 居した実萬から 真木の建策を熟覧し 感 さんじょうさねとみ までの二十三年の歳月の中で 信全は様々 ひがしくぜみちとみ な改革を成し遂げている さんじょうにしすえとも にしきこうじよりのり み ぶ も と な が 尊攘派の三條実美をはじめとする七人の公 さわのぶよし が行った第一次長州征伐の結果 生野で挙 嘉永六年 一八五三 秋には 異船退治御 激したが 嫌疑が多い時期なので 幕府に 家 三 条 西 季 知 壬 生 基 東 久 世 通 禧 しじょうたかうた 兵した沢 下関で病没した錦小路を除く五 四条隆謌 沢宣嘉 錦小路頼徳 は 長州 卿が 福岡藩に移ることとなり 慶応元年 洛中に度々会うほど実萬と懇意であること ともあり 実萬の篤い天神信仰心も知るこ そのほか 平安時代に始まり しばらく途 とができる 絶えていた四度宴 内宴 曲水宴 七夕宴 が 窺 わ れ 五 卿 が 太 宰 府 に 来 る 以 前 か ら 祈祷連歌 や 異国渡来 ニ付国土安穏之寸 五卿の滞在先が筑前太宰府に決定した背 三條家とは血縁関係以上に 激動の時代に 志祈祷 など時勢に応じた勤行をしている 景としては 五卿を擁護する者たちの尽力 残菊宴 を復活させ 神幸式を勅祭の格式 王院に入った 一八六五 二月十三日 従者とともに延寿 に加えて 太宰府が 同じく京都から下ら をもった祭として整備したほか 境内に稽 No.185 とびうめ 冬号 23 大鳥居信全 吉嗣梅仙筆 れた菅原道真公がお鎮まりになる地である 延寿王院山門 150

24 古 室 溝 2階 八尋千世 所 路 階段 階段 調理場 配膳室 路 道 仲居 芸妓 着替室 階段 の落雁を納めていました 連歌屋通 りは天満宮と関係の深い町でした 現在 連歌屋通りで昔のまま残っ ている建物は高家だけになりまし た 高魚屋兼料亭 角打ちの店を思 い出しながら書きたいと思います 高魚屋はずい ぶん古い建物で す 裏の建物を増 築したときは 私 が五 六歳の時で 魚 屋 すから 八十五年 ぐらい前です 私 料 亭 玄 関 は家の二階から建 築しているのを見 角 打 ていました 表の 母屋はそれ以前の 建物です いつ建 築されたか全くわ かりません 魚屋兼料亭 角 打ちの店と多角経 営の家でした 門 口は広く 道に面 住 居 して三か所の入口 がありました 真 中は立派な料亭の 階段 玄関です 中に入 ると左へ折れて二 階に行く階段があ ります 一階は奥 の部屋があり そ こにも階段があり 階段 18畳 面 便 通 18畳 1階 義太夫などの 稽 階段 庭 古 民 家 高 魚 屋の思い出 く 洗面 室 洗 便所 浴 天 満 宮 西 門 前 連 歌 屋 通り に 太宰府館 昔 太宰府天満宮西門前の連歌屋 通りの永八百屋 現在は廃業 に 行ったとき きれいな野菜をあれこ れ揃えているので 何ばしょっ と と聞くと おにくをそろえよ る と返事 八百屋に肉はなかろ うもん と言うと 肉じゃないと 天満宮に毎日納めるお供えの野菜の ことをお日供といって 御神饌の野 菜たい と笑われました にく 違いでした 毎日 御神饌を八百屋は野菜 魚 屋は魚を神社に納めています それ が永八百屋 高魚屋でした ずーっと以前は渡辺饅頭屋 現在の 合格祈願パーキング も梅紋の紅白 西鉄 太宰府駅 8畳 6畳 道 参 太宰 府 天満 宮 小鳥居小路 連歌屋信号 交差点 元高 P 魚屋 元永 八百屋 元渡辺 饅頭屋 ます そこは出来た料理を置く棚が あり 容器を納める戸棚がありまし た チリンチリンと鳴る電話も柱に 取付けてありました 二階は広い宴会場になります 八 畳位の部屋がいくつかあって 襖を どけると大広間になります それが 手狭になって裏に増築したのだと思 います 建増しの分は大広間だった と思います 一階の右側の入口は表に魚を並べ て売っていました その奥は調理場 でした 調理場の二階は家族の部屋 でした 夏になると供たちは蠅う ちをもってはらっていました 魚屋の奥には氷の冷蔵庫がありま す その奥は調理場です 横には竃 があります 板前の弟はカツラム キの稽古をしていました 大根がこ 高の家 表側 24 とびうめ 冬号 No.185

25 んなになるのかと感心してみていま した たまには 烏賊刺しのトロン としたのをたべさせてもらったりし ていました それの美味しかったこ と 今でもその感覚が残っていま す 調理場の奥に行くと裏の建増し の土間にでます それを通り抜けて 溝を渡り我家に帰ったものです 一階の左側は角打ちができる場所 です 菰かぶりがおいてありまし た 栓をひねり置いてある五合 二 合半 一合升に入れて飲みます 手 前側においてある戸棚の中から酒の 肴を出して食べていました お勘定 はどんなになっていたのでしょうか ね 供の私にはまったくわかりま せんでした 酒がおいてある奥の部屋は 仲居 さん達が着替えたり 芸者さんと箱 持ちの小父さんがやってきて 三味 線を組み立てて渡していました そ してお座敷に行っていました その 奥に小さい中庭がありました 裏の建増しの階下の部屋は 義太 夫の師匠が来て旦那衆に義太夫の稽 古をつけていました 夏になると師 匠の姿は上半身裸で腰にはネルのよ うな腰巻のようなものを巻き付けて いました お弟さんには 近所の 市川瓦屋の小父さん 有吉林之助さ ん 元太宰府市長 のお父さん達が いました 私は縁側に座って 稽古 を見ていました 野次馬だったんで すね 料理屋は繁盛していて賑やかなも のでした 結婚式の披露宴 集会所 の宴会 太宰府以外のところからも 来ていたようです 忙しい時は近所 の奧さんたちも酒のカンツケを手 伝っていました 私たち供も時々 手伝っていました 今から五十年前ごろには 魚屋だ けになりました 大きい建物を持て 余したのではないでしょうか 最後 の主人の三次さんは魚屋を閉店する 前に家を補修されましたので 今ま であると思います 私は十歳ごろま でしか近所に居ませんでしたのでそ の頃の思い出です 昭和二十五年頃連歌屋に戻ってき た時はほとんど魚屋だけでした お日供の魚は 三次さんが福岡市 長浜の魚市場で選んで天満宮に納め ていました 魚屋だっ た高家を 保存活用す るための話 が進められ ているよう です 古い建物 です 貴重 な家です 手を入れて 残して 地 域の振興と 活性化のた めにも有効に使ってもらうようにし てもらいたいです No.185 とびうめ 冬号 25 料亭の玄関 高の家 裏側 1 階の調理場 2 階の座敷

26 太宰府天満宮の文化財 今 回 は 平 成 三 〇 年 の 干 支 の 戌 年 に因み 狛犬を紹介しましょう 狛 犬 の 起 源 は 古 く エ ジ プ ト イ ンドまでさかのぼると言われていま す こ れ が 中 国 朝 鮮 半 島 を 経 て 日 本 に 伝 わ っ た た め 朝 鮮 半 島 の 昔 の 呼び方の コマ 高麗 を意味する コ あ うん マ イ ヌ と 呼 ば れ た の で す 獅 の 右 一 対 で 置 か れ て い ま す とが分かります の狛犬は 大坂と山口の石工の合作であるこ よ う な 姿 で 多 く は 阿 形 吽 形 の 左 邪を退け神仏を守護するた 惣次郎 青木勘蔵 吉忠吉 萩尾与八 吉 また 吽形像の台座には 博多湊町の吉 写真の狛犬は ご本殿の 忠治 加瀬半三郎 有吉伊助 吉喜平次 めのものです 前に置かれているもので 加瀬丈七 長沢八右 エ門 加瀬藤七の十一人 の名前が刻まれています この人々が実際に す 石材について不勉強でよ で作られているものだそう す 当時の湊町の住人については 福岡市総 湊町は現在の福岡市中央区大手門の辺りで 狛犬を奉納した連中です です 白い姿に黒い目のり 合図書館に 福岡湊町券帳 という史料があ く分かりませんが 大理石 りしい姿の狛犬です 赤間関の石工大黒屋正兵衛 兵衛 台座石工として長州 として大坂の石工江戸屋七 ないのですが 高麗犬石工 す また 薄くてよく見え 茂七の名が刻まれていま 坂の商人鍵屋卯助 和泉屋 延寿王院と世話人として大 阿形像の台座には取次の 狛犬奉納の連中は だいたいこれらの図面の 加瀬丈七 長沢八右 エ門の六名の名前がみえ 青木勘蔵 吉忠治 加瀬半三郎 有吉伊助 その事が分かります 明治四年の図面には 明治四年 一八七一 のものがあり おおよ のはありませんが 天保六年 一八三五 と る人を調べた図面のことです 嘉永五年のも す 券帳 とは 土地の所有者と住んでい 屋を営んでいた青木家に伝わっていたもので ります これは 湊町で船庄屋や材木伐出問 嘉永五年 1852 阿形像高約 80 幅約 37 奥行約 58 吽形像高約 86 幅約 31 奥行約 とびうめ 冬号 No.185 範囲 現在の大手門三丁目の中の北側に住ん でいたのではないかと思われます さて この狛犬の奉納については 嘉永 五年御記録 西高辻文書 に記録が残って います これによると 狛犬は 御神酒一樽 御鏡餅三重 金五両 御齋料二両とともに奉 納されました そこで延寿王院では 二月五 日 奉納の儀式を行いました 院内で御神酒 頂戴のあと 吸い物二通り 三つ盆二面のお 料理とお酒でもてなし その後橋のところか ら総勢十三人で揃って出たことが記されてい ます ご本殿を参拝したのでしょうか この ほかに奏楽が二座となげ餅などがあったと記 されています 嘉永五年 一 ( 八五二 は ) 天満宮の御神忌九 百五十年祭に当たります そのため 多くの 人々が様々な寄進をしました 境内にあるも のの中で すぐに見つけられるものとしては 福岡県の文化財に指定されている銅製の麒麟 と鷽があります また 狛犬は太鼓橋からご本殿までの間に 全部で四対置かれています 灯籠の笠の上に狛犬が乗っている石灯籠も 境内を歩かれるとき 少し周りを見回して あります みてはいかがですか 笠に狛犬の乗った石造灯籠 嘉永五年御記録 西高辻文書 の名が刻まれています こ 嘉永五年奉納の石造狛犬 石造狛犬 74

27 太宰府天満宮 西 愛 友 祐 邦 理 管 理 員 米 石 松 河 倉 川 本 津 まり 和 季和 貴美 小 権 長 山 大仁 丈 野 久瑠実 麻 文 美 ちなみ 紗 美 はるか 宮 西高辻 信 良 権 禰 宜 松 谷 西 吉 友 誠 悠 保 剛 恵 哉 人 慶 知 女 郎 司 森 五 秀 アンダーソン依里 社 研 究 員 古 管 理 員 永 博 京 行 運 転 手 公益財団法人 良 康 信 久 博 西高辻 宏 永 会 恭 松 雄 信 事務局長 二 山 二 英 牧 栄 浩 西高辻 上 副 会 長 井 常 藤 寛 志 柴 和 史 健 川 川 末 石 石 武 功 事 悟 管 理 員 主 二 太 宰 府 顕 彰 会 義 一 彦 嶋 耕 清 賀 恵 利 平 毛 古 上 事 務 局 松 一 井 雄 由美 山 恵美 平 樹 美 紀 昭 上 堀 里 井 笠 嶋 事 久 信 則 宏 村 川 信 哲 明 六 喬 史 務 安 嘉 徳 中 令 康 輪 清 三 園 折 利 松 是 吉 則 保 慶 知 秀 ミ 洋 彦 毛 事 外 事 監 理 長 平 長 西高辻 安 所 酒 究 味 研 所 管 化 主 アンダーソン依里 事務局長 清 任 蓉 事 水 主 智 ユ 藤 良 越 社 戸 伊 信 一 岩 郎 事 務 局 神 秀 西高辻 門 方 大 宜 貞 司 松大路 邦 宮 森 愛 禰 問 顧 良 権 禰 宜 志 原 信 郎 圭 長 西高辻 五 美 竈 西高辻 しおり 森 野 頭 渕 園 問 斉 太宰府天満宮幼稚園 教 奉 宮 井 真 良 琴 女 靖 巫 井 宏 美保 香代 内 珠 石 方 野 美 士 里 上 秀 祐 祐 事 貞 尾 野 録 松 姫 西 信 志 行 白 健 宣 新 事 西高辻 事 末 場 武 馬 主幹教諭 管 理 員 中 実 さとみ 久 みなみ 寿 垣 口 村 枝 中 水 木 松 諭 教 指導教諭 主 副 主 事 参 顧 録 文 辺 美 弥 順 録 諭 志 野 形 新 野 興 巫 教 奈 新 山 熊 上 幸 成 事 杏 梅 拝 典 佐 藤 正 穂 録 木 原 中 主 澤 眞 澤 行 齋 橋 杏依 女 実 宏 平 梨 あゆみ 巫 真 美 眞知 則 髙 西 希充 尋 穂 輝 口 月 村 敏 磐 㟢 梨 原 皆 杉 信 強 新 畑 なつき 美 信 知 岩 西 村 しおり 小鳥居 安 貢 磯 井 藤 すみれ 西高辻 良 康 中 広 河 野 酒 寬 彦 藤 憲 寿 清 川 権 宮 司 味 藤 博 彦 日永 紀 渕 後 原 正 久 島 達 谷 西 清 彦 中 本 美津江 司 永 小鳥居 御 奈 昌 輔 可奈 木 嵜 寛 殿 松 利 良 山 彩 美和 大 上 成 道 霊 郎 佐 原 太 脇 ひかり 穂 井 村 紀 祖 愛 権 禰 宜 毛 上 森 澤 佐紀 渡 美和 千 恵 藤 恵 五 栗 尾 長 本 明 小鳥居 一 管 理 員 佐 谷 裕二郎 井 介 桑 藤 さや佳 岡 永 妙 長 永 成 森 松 木乃実 教 斉 江 ひとみ 豊 口 蓉 ミ 松 瀬 喜美 小 中 雄 藤 藤 萌 坂 水 ユ 野 川 宏 村 靖 二 大 奈 清 藤 山 正 常任顧問 野 西 英 幸 関 邉 佳 椰 伊 由香 郁 中 介 道 新 浩 潔 渡 紗 原 津 英 俊 一 藤 重 郎 海 口 英 香 河 翔 光 寛 広 柴 吉 信 行 出 井 遥 舞 平 山 行 永 史 雄 有 大 也 髙 付 みゆき 館 博 川 谷 松大路 宣 朝 肝 原 いづみ 示香 石 栁 森 場 智 洋 宮 耶 古 谷 長 馬 木 公 嗣 村 摩 長 紗耶香 青 真 光 史 木 下 あやめ 則 出 智 博 木 次 莉 是 神苑管理員 越 川 誠太郎 末 川 由 一 石 山 德 山 賀 由紀 松大路 髙 花 宗 秀 古 岡 立 髙 慶 弘 吉 宜 戸 則 彰 樹 禰 是 橋 英 大 仕 三 木 孔 出 鈴 恵 友 千 No.185 とびうめ 冬号 27

28 ① 菊花展 十 十一 一月 月一 一日 日よ より り二 二十 十五 五日 日ま まで で天 天満 満宮 宮境 境内 内に に於 於い いて て 秋 を 秋芳 芳会 会の の皆 皆様 様に によ よる る菊 菊の の展 展示 示 菊 菊花 花展 展 を開 開催 催致 致し しま ま した 天神さまも菊をこよなく愛され 大輪をはじめ し た 天 神 さ ま も 菊 を こ よ な く 愛 さ れ 大 輪 を は じ め 小 五 小菊 菊の の福 福助 助や や滝 滝の の流 流れ れを を表 表し した た懸 懸崖 崖等 等約 約一 一 五〇 〇〇 〇鉢 鉢 が 境 内 を 彩 り 御 本 殿 前や 天 神 広 が 境 内 を 彩 り 御 本 殿 前 や 天 神 広場 場な など ど多 多く くの の参 参拝 拝 者 者の の心 心を を癒 癒す す空 空間 間と とな なり りま まし した た ② 更衣祭 十一月二十日 御本殿に於いて 天神さまの御衣 お ころも をお取り替えする 更衣祭 が毎年二回春秋に 斎行され 宮司以下神職の手によって 夏の御衣 より 冬の御衣 に取り替えられました ③ 世界糖尿病デー 世界糖尿病デーではシンボルマークであるブルーサークルが用い られ どこまでも続く空を表す ブルー 団結を表す 輪 をモ チーフとし 世界中で増加している糖尿病抑制に向けた活動が推進 されています 十一月十四日を含む一週間を全国糖尿病週間とし全国的にイベン トが催され 本年は十一月十 三 日 月 十一月十九日 日 が期 間でした 全国的に様々な建 物を青色でライトア ップするイベントが 行われますが 福岡 においては十一月十一 日 土 に太宰府天 満宮がブルーにライ トアップされ歴史あ る御本殿が青く浮か び上がりました ④ りんごの使節 十一月 二 十一日 青 森 県よ り 青 森 り んごの 使 節 が 訪 れ 赤い サンふじ と黄 色い 金星 の奉 納が あ り まし た 今 回の 交流で二十回を迎え 太宰府天満宮幼稚 園の園児が見守る中 御本殿にお供えを致 しました 一月 主な行事予定 一日 歳旦祭 四日 斧始祭 七日 追儺祭 鬼すべ うそ替神事 八日 成人祭 二十五日 初天神祭 二月 三日 節分厄よけ大祭 二十四日 飛梅講社大祭 二十五日 梅花祭並びに飛梅講社 大祭 三月 四日 曲水の宴 二十五日 春季大祭 二十七日 天開稲荷社初午祭 信 後藤 敏 松尾 立花誠太郎 戸髙 高山 博 清水 株式会社 四ヶ所 西高辻 太輔 宗德 蓉 良 電話 〇九二 九二二 八二二五 福岡県太宰府市宰府四 七 一 第一八五号 平成三十年一月一日 太宰府天満宮社務所 飛梅 定期購読のお知らせ 定期購読料 一年分 千五百円 年四回発行 消費税 送料込み お 申 し 込み お 問 合せ 先 は 左 記 までご連絡下さい 飛 梅 発行日 発行所 発行人 編集員 印刷所 28 とびうめ 冬号 No.185

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untitled 1 人 事 異 動 表 発 令 年 月 日 平 成 17 年 4 月 1 日 部 長 級 区 長 発 令 発 令 権 者 中 野 区 長 田 中 大 輔 発 令 氏 名 旧 備 考 区 長 室 長 寺 部 守 芳 区 民 生 活 部 ごみ 減 量 清 掃 事 業 担 当 参 事 総 務 部 未 収 金 対 策 担 当 参 事 ( 総 務 部 長 石 神 正 義 兼 務 ) 区 民 生 活

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