16 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 王 錦 は 分 巡 広 西 右 道 柳 州 府 志 の 編 修 責 任 者 この 跋 は 当 時 柳 州 府 に 存 在 した 二 種 類 の 石 刻 について 詳 細 に 記 録 しており 極 めて 重 要

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1 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 戸 崎 哲 彦 Ⅴ 歴 代 の 著 録 と 拓 本 の 異 同 (2) 新 蔵 石 刻 の 時 代 乾 隆 二 八 年 に 至 って 柳 宗 元 ゆかりの 地 から 龍 城 石 刻 が 出 土 したとして 柳 侯 祠 に 献 納 される それはすでに 祠 内 に 収 蔵 されていたものと 異 なっていた 乾 隆 二 八 年 (1763) 以 後 07: 乾 隆 二 八 年 (1763) 乾 隆 柳 州 府 志 (1) 巻 40 雜 志 (3a) 王 錦 跋 柳 子 厚 守 柳 州 日, 築 龍 城, 得 白 石, 微 辨 刻 畫, 曰 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 七 [ 匕 ] 首 福 土 氓, 制 九 醜 此 子 厚 自 記 也 退 之 作 羅 池 廟 碑 云 : 福 我 兮 壽 我, 驅 厲 鬼 兮 山 之 左 蓋 用 此 事 按 : 此 本 許 顗 彦 周 詩 話 是 柳 侯 劍 銘, 原 刻 書 於 白 石, 韓 昌 黎 廟 碑 ( 韓 愈 柳 州 羅 池 廟 碑 ) 亦 云 : 白 石 齒 齒 此 明 證 也 今 廟 ( 柳 侯 祠 ) 中 所 刻, 並 非 白 石, 筆 法 軟 弱 入 時, 又 書 字, 不 書 名, 心 竊 疑 之 乾 隆 二 十 八 年 冬, 修 志 ( 柳 州 府 志 ) 既 竣, 選 郡 邑 諸 生 謄 録 有 王 生, 名 進 者, 手 攜 家 藏 斷 碣 ( 龍 城 石 刻 ) 而 來 云 : 柳 侯 柑 子 園 舊 址 在 城 西, 先 人 文 德 向 家 於 此 雍 正 五 六 年 間, 掘 土 樹 藝, 忽 得 此 碣 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸, 上 缺 一 角, 失 去 龍 所 兩 字 似 屬 柳 侯 故 物, 不 敢 私, 願 請 歸 之 廟 余 拭 淨 塵 封, 凝 眸 熟 視, 見 年 下 書 名, 又 碣 尾 有 天 啓 三 年 龔 重 得 此 於 柳 井 中, 小 字 兩 行 其 蹟 半 明 半 滅, 蓋 由 明 季 至 今, 又 百 有 餘 年, 始 湮 於 井 底, 旋 埋 於 糞 壤, 固 宜 字 畫 之 剥 蝕 難 識 也, 況 龔 姓 未 得 以 前 不 知 幾 經 歳 月, 則 其 爲 古 碣 可 知 稍 有 疑 者, 石 質 不 白 耳 然 此 碣 書 法 蒼 勁, 縱 非 元 和 間 物, 亦 是 宋 人 臨 摹 之 筆, 勝 廟 中 石 刻 遠 矣 茲 已 鳩 工 重 修 柳 祠 落 (2) 成, 時 即 將 此 殘 碣 仍 砌 祠 下, 以 俟 識 者 辯 其 真 贗 云 右 江 道 王 錦 跋 (1) 王 錦 修 呉 光 昇 纂 乾 隆 二 九 年 (1764) 刊 台 湾 故 宮 博 物 院 編 故 宮 珍 本 叢 刊 197 廣 西 府 州 縣 志 3( 海 南 出 版 社 2001 年 ) 所 収 (2) 乾 隆 柳 州 府 志 巻 16 學 校 (1b)に 柳 江 書 院, 在 城 東, 即 柳 侯 祠 也 國 朝 乾 隆 十 年 二 十 七 年 右 江 道 王 錦 公 餘 之 暇, 虔 謁 柳 祠, 見 院 宇 荒 涼, 首 捐 廉 俸 若 干, 柳 屬 共 15

2 16 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 王 錦 は 分 巡 広 西 右 道 柳 州 府 志 の 編 修 責 任 者 この 跋 は 当 時 柳 州 府 に 存 在 した 二 種 類 の 石 刻 について 詳 細 に 記 録 しており 極 めて 重 要 な 史 料 であ る それによれば 乾 隆 二 八 年 (1763) 当 時 柳 州 馬 平 県 柳 侯 祠 ( 旧 羅 池 廟 )には 新 旧 二 つの 龍 城 石 刻 が 存 在 した 一 つは 以 前 より 収 蔵 されていた 石 刻 である 范 赫 乾 隆 丁 卯 ( 十 二 年 1747) 重 修 羅 池 廟 落 成 (3) 詩 に 寂 寞 龍 城 碑, 淒 涼 荔 子 碑 と 詠 む 龍 城 碑 は 王 錦 のいう 今 廟 中 所 刻 廟 中 石 刻 である また 欧 陽 永 裿 (4) 柳 侯 祠 詩 に 江 邊 垂 柳 今 非 昔, 劍 上 遺 碑 贗 未 真 太 息 荒 祠 誰 補 葺, 柑 堂 風 雨 幾 愴 神 と 詠 むのは 当 地 にも 真 贋 を 懐 疑 するものがいた 早 い 例 として 注 目 される 欧 陽 永 裿 (5) ( )は 世 柳 州 馬 平 人, 居 羅 池 雍 正 十 三 年 (1735)の 跋 貢 羅 池 付 近 に 居 住 していた 名 家 であり 幼 少 より 柳 侯 祠 と 劍 上 遺 碑 のことを 熟 知 していた 作 年 は 未 詳 であるが 生 卒 年 や 太 息 荒 祠 誰 補 葺 の 情 況 から 考 えて 重 修 柳 祠 落 成 する 乾 隆 二 八 年 (1763) 以 前 である 可 能 性 が 高 い 他 の 一 つはこのたび 王 進 より 献 上 され 新 たに 柳 侯 祠 に 奉 納 されたもので 本 来 は 城 西 にあった 子 厚 の 蜜 柑 園 の 址 と 伝 承 されていた 地 の 土 中 から 雍 正 六 年 (1728) 頃 に 父 の 王 文 德 が 偶 然 発 掘 したという この 新 旧 両 石 刻 は 次 の 点 で 異 なっていた 襄 盛 舉, 庀 材 鳩 工, 重 建 掌 教 書 室 七 間 院 内 有 碑 記 巻 17 廟 壇 (2b)に 柳 侯 祠 國 朝 百 有 餘 載, 廟 貌 傾 頽, 乾 隆 二 十 八 年 右 江 道 王 錦 創 捐 重 建 有 碑 記 乾 隆 馬 平 縣 志 巻 8 藝 文 に 王 錦 重 建 柳 劉 二 公 合 祠 碑 記 (p235) 柳 江 書 院 碑 記 (p236) 舒 啓 定 柳 江 書 院 祭 産 規 條 議 (p182)を 収 める 戴 義 開 等 点 校 本 ( 広 西 人 民 出 版 社 1997 年 ) が 北 京 圖 書 館 藏 乾 隆 本 を 底 本 とするのに 拠 る 舒 啓 修 呉 光 昇 纂 乾 隆 二 九 年 (1764) 刊 中 國 方 志 叢 書 華 南 地 方 128 ( 成 文 出 版 社 1970 年 影 印 ) 所 収 本 は 乾 隆 二 九 年 原 修 光 緒 二 一 年 重 刊 本 であるが 巻 6 秩 官 の 封 蔭 の 途 中 で 終 わり 以 下 を 欠 く また 民 國 柳 州 縣 志 ( 新 修 方 志 叢 刊 131 台 湾 学 生 書 局 1967 年 影 印 ) 巻 8 藝 文 は 議 の 舒 議 ( 頁 25 p219)はあるが 記 では 途 中 で 終 わり 王 錦 記 等 を 欠 く (3) 乾 隆 馬 平 縣 志 巻 10 藝 文 (p338) 民 國 柳 州 縣 志 巻 10 藝 文 ( 頁 32 p334) (4) 乾 隆 馬 平 縣 志 巻 10 藝 文 (p333) 民 國 柳 州 縣 志 巻 10 藝 文 ( 頁 29 p331) (5) 銭 時 雍 歐 陽 公 神 道 碑 ( 嘉 慶 廣 西 通 志 巻 229 勝 跡 略 十 冢 墓 二 柳 州 馬 平 縣 1b) また 嘉 慶 廣 西 通 志 巻 261 列 傳 六 柳 州 (21b) 乾 隆 柳 州 府 志 巻 23 選 舉 馬 平 縣 貢 生 の 歐 陽 永 裿 (10a)にも 略 伝 あり 程 朗 編 注 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 ( 黄 山 書 社 2004 年 p142)が 生 卒 年 を に 作 るのは 誤 り 神 道 碑 に 拠 るべし

3 戸 崎 哲 彦 17 石 刻 筆 法 缺 字 自 署 跋 文 縦 横 尺 寸 旧 蔵 軟 弱 入 時 ( 無 ) 柳 子 厚 ( 無 ) ( 同?) 新 蔵 蒼 勁 龍 所 柳 宗 元 天 啓 三 年 龔 重 得 此 於 柳 井 中 縱 5 寸 橫 1 尺 4 寸 これによって 先 に 見 た 清 初 の 著 録 が 自 署 を 柳 子 厚 に 作 り 天 啓 三 年 の 跋 文 に 言 及 したものがなかったこと さらに 石 刻 上 部 の 龍 所 をも 録 文 していたことの 説 明 がつく いっぽう 新 蔵 石 刻 の 特 徴 は 清 拓 甲 乙 二 種 や 現 存 重 刻 に 酷 似 する ただ 跋 文 の 行 数 が 異 なる 王 跋 は 兩 行 と 記 録 するが 清 拓 等 の 跋 文 は 三 行 である 清 拓 等 では 第 三 行 は 僅 かに 井 中 二 字 であるから 二 行 とするのは 単 なる 記 憶 違 いであ ろうか しかし 清 拓 から 観 てたしかに 本 来 は 小 字 兩 行 であったと 推 測 でき ないこともない 清 拓 等 の 跋 文 三 行 は09 天 啓 三 年 龔 重 六 字 で 改 行 して10 得 此 於 柳 とあるが 09よりも 二 字 下 げて 始 めており 次 行 に 同 じく 二 字 下 げて11 井 戸 とある これは 天 子 の 年 号 天 啓 を 敬 避 して 二 字 格 上 げした 書 式 の 如 くであるが 天 啓 三 年 龔 重 と 行 頭 を 揃 えれば 得 此 於 柳 井 中 で 一 行 になり つまり 兩 行 に 収 まる しかし 新 蔵 石 刻 の 縦 五 寸, 横 一 尺 四 寸 (49.7cm) は 跋 文 三 行 である 現 存 重 刻 や 清 拓 の 横 46~47cm(1 尺 4 寸 )に 近 く 二 行 に 収 まっていればむしろ 横 一 尺 四 寸 より 短 いはずである これらを 勘 案 すれば 兩 行 はやはり 三 行 の 誤 りであると 考 えざるを 得 ない 縦 横 は 唐 碑 帖 跋 にいう 明 末 石 高 七 八 寸 に 比 してやや 小 さいが 縦 の 差 異 は 前 述 したように 缺 字 が 関 係 している 次 に 新 蔵 石 刻 の 特 徴 は 現 存 する 清 拓 に 酷 似 するが 清 拓 には 首 行 01 石 刻 があり 王 錦 はこの 存 在 について 言 及 していない 清 拓 は 跋 文 を 有 して いるから 新 蔵 石 刻 の 系 統 にある 王 錦 のいう 縦 横 の 尺 寸 も 清 拓 とほぼ 一 致 する から 新 蔵 石 刻 も01 行 を 有 するものであったのではなかろうか 仮 にそうであれ ば 旧 蔵 石 刻 も 同 様 であろう この 首 行 が 旧 蔵 石 刻 になかったのであれば 新 蔵 石 刻 との 最 も 顕 著 な 相 異 点 となるはずであり それを 指 摘 していないのは 両 者 共 に 有 していたからではなかろうか 王 錦 は 碣 石 刻 と 呼 び 次 に 掲 げ る 同 書 柳 州 府 志 では 柳 侯 手 書 龍 城 柳 一 碑 と 呼 んでいる 龍 城 柳 とは 銘 文 冒 頭 一 句 による 呼 称 である 首 行 を 備 えるものであったならばそれを 以 て 称 とすべきであるが 石 刻 とあって 判 読 できなかったために 銘 文

4 18 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) によって 題 としたのであろうか そうならば 旧 蔵 石 刻 も 判 読 不 能 の 状 態 にあっ たであろう 明 末 清 初 において02は 柳 州 石 刻 と 題 し 04は 羅 池 石 刻 と 題 していた 石 刻 を 共 通 しながら 柳 州 羅 池 を 異 にするのは 旧 蔵 石 刻 の 首 行 が 石 刻 とあったことを 想 像 させる 08: 乾 隆 二 八 年 (1763) 乾 隆 柳 州 府 志 巻 18 古 蹟 (4a) 柳 侯 手 書 龍 城 柳 一 碑 : 橫 尺 餘, 高 六 寸, 亦 在 祠 内 王 錦 が 記 録 する 新 蔵 石 刻 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸 に 近 いが 後 掲 する 道 光 九 年 (1829) 頃 の 劉 棻 柳 侯 碑 并 序 の 碑 徑 五 寸 餘, 廣 尺 許 の 方 により 近 い 09: 乾 隆 二 八 年 (1763) 乾 隆 馬 平 縣 志 巻 2 古 蹟 (15b) 柳 州 府 志 と 同 文 府 志 巻 首 に 収 める 王 錦 序 の 年 代 は 乾 隆 二 十 九 年 甲 申 春 三 月 上 浣 縣 志 巻 首 の 王 錦 序 は 乾 隆 二 十 九 年 甲 申 仲 春 既 望 同 時 進 行 の 編 纂 10: 乾 隆 三 二 年 (1767) 以 前 欽 定 續 通 志 (6) 巻 167 金 石 略 歴 代 石 刻 唐 (26b) 龍 城 柳 銘 : 柳 宗 元 書, 行 書, 元 和 十 二 年 柳 城 新 蔵 石 刻 の 公 開 と 時 間 が 接 近 していること 天 啓 跋 文 への 言 及 がないこ とから 乾 隆 二 八 年 以 前 の 拓 本 の 可 能 性 も 考 えられる 06 御 選 唐 宋 文 醇 ( 乾 隆 三 年 )にいう 弘 暦 帝 が 照 覧 したものがこれならば 旧 蔵 石 刻 である 柳 城 とは 柳 城 県 つまり 柳 州 府 ではあっても 馬 平 県 ではない 12 秋 燈 叢 話 に 今 人 鈐 以 柳 州 府 及 經 歴 司 柳 城 縣 三 印 といい 現 に 清 拓 の 三 官 印 中 にも 柳 城 縣 印 がある 王 錦 の 記 録 によれば 新 旧 両 石 刻 ともに 馬 平 県 の 柳 侯 祠 内 に 置 かれており 明 末 の 徐 霞 客 の 記 録 によっても 旧 蔵 石 刻 は 馬 平 県 柳 侯 祠 にあったから それとは 別 に 柳 城 にも 存 在 したのであろうか 宋 末 より 柳 城 県 にも 柳 侯 祠 が 築 かれていた (7) そうならば 乾 隆 二 八 年 以 前 の03 古 林 金 石 表 の 柳 州 府 も 府 内 の 柳 城 県 である 可 能 性 も 考 えねばならない ただし 明 代 の 拓 本 にも 官 印 が 押 されていたかどうかは 未 詳 である 11: 乾 隆 三 六 年 (1771) 稍 前 話 雨 樓 碑 帖 目 録 (8) 巻 3(5a) (6) 乾 隆 三 二 年 (1767) 奉 敕 撰 四 庫 全 書 文 淵 閣 本 ( 第 393 冊 ) (7) 拙 稿 中 国 柳 州 市 柳 侯 祠 蔵 柳 宗 元 石 刻 遺 像 考 ( 彦 根 論 叢 年 )に 詳 しい (8) 王 楠 ( 字 任 堂, 乾 隆 間 の 人 ) 蔵 ( 男 ) 王 鯤 ( 字 旭 楼 1760?-1835) 編 王 鯤 の 後 序 ( 道 光 十 二 年 1832)に 乾 隆 辛 卯 ( 三 六 年 1771), 鯤 兄 弟 四 人 出 所 遺 而 析 之, 閲 今 六 十 餘 年 石 刻 史 料 新 編 第 三 輯 第 36 冊

5 戸 崎 哲 彦 19 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 元 和 十 二 年, 行 書, 天 啓 三 年 從 井 出 天 啓 以 下 は 新 蔵 石 刻 の 跋 文 に 拠 ったもの 新 蔵 石 刻 も 採 拓 されてすでに 広 く 流 布 していた 王 錦 は 首 行 に 言 及 せず また08 乾 隆 柳 州 府 志 等 は 柳 侯 手 書 龍 城 柳 一 碑 と 題 するが 標 題 を 龍 城 石 刻 とするのは 首 行 に 石 刻 とあり 銘 文 の 首 句 に 龍 城 とあったのに 拠 った 可 能 性 がある 12: 乾 隆 四 九 年 (1784) 秋 燈 叢 話 ( 一 巻 ) (9) 柳 柳 州 劍 銘 : 柳 州 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 元 和 十 二 年, 柳 宗 元 共 二 十 六 字 後 刻 天 啓 三 年, 龔 重 得 此 於 柳 井 中 今 人 鈐 以 柳 州 府 及 經 歴 司 柳 城 縣 三 印, 以 代 土 物 贈 遺 余 跋 云 : 右 碑 天 啓 間 出 之 柳 州 井 中, 石 已 刓 闕 而 摹 搨 如 市, 余 初 疑 好 古 者 之 多, 後 知 俗 傳 洞 庭 君 柳 毅 乃 侯 之 族 裔, 湖 湘 賈 佩 此, 以 避 風 浪 之 險, 且 云 必 鈐 以 印 篆, 始 著 靈 應 嗚 呼, 世 俗 之 惑 不 足 辨, 惜 其 以 古 人 名 蹟 視 作 公 家 牘 耳 秋 燈 叢 話 跋 に 葯 砰 ( 戴 延 年 の 字 ) 別 余 十 有 二 年 矣, 今 夏 ( 乾 隆 四 九 年 1784) 自 粤 西 旋 里, 僑 居 松 陵, 空 谷 聞 跫, 且 得 快 讀 別 後 等 身 著 作, 叢 話 亦 其 一 也 憶 乙 未 歳 ( 乾 隆 四 年 ) 校 録 瀕 行 所 贈 呉 語 甲 辰 ( 乾 隆 四 九 年 ) 中 秋 日, 同 郡 楊 復 吉 識 といい また 呉 語 跋 (10) に 辛 卯 ( 乾 隆 三 六 年 1771) 出 都 時 舉 出 贈 余 乙 未 夏 日 同 郡 楊 復 吉 識 とあるから 撰 者 戴 延 年 が 粤 西 にいた 乾 隆 四 九 年 (1784)までの 間 柳 州 で 直 接 入 手 した 三 官 印 を 有 する 拓 本 の 記 録 とし て 貴 重 である ただし 録 文 には 明 らかな 誤 りがある 天 啓 三 年 の 跋 文 を 有 するのは 新 蔵 石 刻 の 特 徴 であるが 龔 重 得 此 於 柳 井 中 十 字 に 作 り 王 錦 は 龔 重 得 此 於 柳 井 中 八 字 に 作 る 現 存 清 拓 では 跋 文 はいずれも 三 行 であってこの 缺 二 字 が 共 に 前 二 行 の 末 尾 に 当 たるのは 偶 然 ではなかろう 現 存 清 拓 の 中 には 柳 字 の 下 に 文 字 の 如 きものが 見 えるもの もあり 後 掲 の 著 録 が 公 州 等 に 釈 文 するのもそのためであるが 王 錦 の 記 録 を 是 とすべきである 二 字 とも 行 末 にあたり かつ 一 行 末 には 文 字 らし き 疵 があったったために 行 末 を 揃 えて 缺 二 字 と 見 做 されたのであろう 次 に 銘 文 の 柳 州 柳, 神 所 守 の 前 柳 と 州 所 も 王 錦 の 記 録 に 合 わない 新 蔵 石 刻 は 上 缺 一 角, 失 去 龍 所 兩 字 であり 清 拓 で も 欠 損 している 欠 損 していたならば 跋 文 での 処 置 と 同 様 に 缺 字 とすべ (9) 楊 復 吉 昭 代 叢 書 戊 集 續 編 ( 乾 隆 五 九 年 序 ) 巻 23( 上 海 古 籍 出 版 社 影 印 道 光 十 三 年 刊 本 1990 年 p1016) (10) 昭 代 叢 書 丁 集 新 編 巻 23(p689)

6 20 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) きであるが 柳 に 作 る また 新 蔵 石 刻 が 欠 損 して 清 拓 でも 残 存 している 字 を 所 に 作 る この 二 字 のみ 見 ればわずかに 残 存 していた 部 分 によって 推 測 したものと 考 えられないこともないが さらに 新 蔵 石 刻 が 缺 字 にせず また 清 拓 でも 判 読 可 能 な 城 を 全 く 別 の 字 州 に 作 る 天 啓 跋 文 を 有 する ものであるから 新 蔵 石 刻 の 系 統 に 属 することは 明 らかであるが 銘 文 の 欠 損 部 分 を 柳 州 柳 に 補 足 して 翻 刻 された 別 の 一 石 と 考 えざるを 得 ない しかし 石 已 刓 闕 而 摹 搨 如 市 というから これも 明 らかに 欠 損 していた また そ の 拓 本 に 柳 州 府 經 歴 司 柳 城 縣 の 三 官 印 が 押 されていたことの 意 味 は 重 要 である 三 官 印 の 存 在 は 多 くの 現 存 清 拓 によって 確 認 されるが その 中 で 缺 字 がな く しかも 柳 州 柳, 神 所 守 に 作 るものを 知 らない 後 掲 の26 煙 嶼 樓 筆 記 も 三 官 印 を 有 する 拓 本 を 記 録 しているが 欠 損 状 態 は 王 錦 の 記 録 や 清 拓 に 近 い 仮 に 柳 州 柳 に 作 る 拓 本 が 存 在 していたならば それは 銘 文 の 上 部 を 補 ったものであるから 偽 刻 であり しかも 誤 字 があることは 直 接 入 手 した 現 地 柳 州 においては 十 目 の 視 る 所 にして 十 手 の 指 す 所 である 仮 に 当 時 いくつか の 翻 刻 が 出 回 っていたとしても 多 くの 誤 字 を 補 刻 した 明 らかな 贋 作 に 当 地 の 三 官 印 が 押 されていたとは 考 えにくい 官 印 の 偽 造 は 大 罪 であり それま で 偽 造 であったこともまずあり 得 ない 当 地 で 官 印 を 押 して 保 証 し あるいは 認 可 し 摹 搨 如 市 代 土 物 贈 遺 土 産 物 として 公 然 と 売 られていたならば 欠 損 部 分 を 補 刻 誤 刻 したものがあったのではなく 欠 損 部 分 はそれを 推 測 し て 補 足 した 著 録 者 の 誤 りと 考 えるべきである 13: 乾 隆 五 七 年 (1792) 宜 祿 堂 收 臧 金 石 記 ( 六 〇 巻 本 ) (11) 巻 47(4a) 唐 龍 城 柳 碣 : 石 殘 缺, 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 石 刻 城 栁 神 守 驅 厲 鬼 出 匕 首 福 四 民 制 醜 (11) 朱 士 端 ( ) 撰 同 治 二 年 (1863) 刻 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 5 冊

7 戸 崎 哲 彦 21 元 和 十 二 年 栁 宗 元 天 啓 三 年 龚 重 淂 此 于 柳 井 中 王 氏 金 石 萃 編 云 : 謝 啓 昆 粤 西 金 石 畧 云 : ( 朱 ) 士 端 家 臧 有 二 本 : 一 得 于 都 中 琉 璃 廠 稽 文 堂, 一 得 于 吾 友 劉 冰 衫 其 先 人 又 徐 先 生 判 廣 西 鬱 林 州 時 所 拓, 博 學 好 古, 箸 書 數 種, 今 遺 失 名, 載 重 修 邑 志 書 目 中 家 蔵 の 二 本 について 内 容 形 状 の 異 同 に 言 及 していないのは 同 一 であったか らであろう 一 本 は 北 京 の 琉 璃 廠 稽 文 堂 で 購 入 しているから 当 時 広 く 出 回 って いたことが 知 られる 録 文 は 臨 摸 して 極 めて 忠 実 であり 現 存 拓 本 との 関 係 を 考 証 する 上 で 貴 重 である 成 書 は 清 末 恐 らく 道 光 間 ( )であり 故 にそれ 以 前 の 金 石 萃

8 22 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 編 ( 嘉 慶 十 年 1805) 粤 西 金 石 略 ( 嘉 慶 五 年 1800)を 引 くが 所 拓 の 劉 冰 衫 の 先 人 又 徐 は 劉 玉 麟 ( )の 字 判 廣 西 鬱 林 州 であったの (12) は 乾 隆 五 七 年 (1792) 前 後 鬱 林 州 は 今 の 広 西 玉 林 市 柳 州 の 遠 く 東 に 位 置 す る 石 刻 が 在 廣 西 馬 平 縣 柳 州 柳 侯 祠 にあったならば 鬱 林 州 州 判 の 時 に 柳 州 で 採 拓 したことになるが 後 述 するように 太 平 天 国 期 に 石 刻 が 鬱 林 に 移 さ れたという 説 があり これとの 関 係 が 懐 疑 される 後 ほど 再 考 天 啓 跋 文 を 有 することから 乾 隆 二 八 年 奉 納 の 新 蔵 石 刻 に 属 することは 明 らかであるが 王 錦 の 記 録 する 所 とやや 異 なる 1) 首 行 石 刻 について 王 錦 は 言 及 していなかった ただし 新 旧 両 刻 に 存 在 していたために 相 異 として 挙 げなかった 可 能 性 もある 刻 の 上 字 を 石 に 作 るのは 清 拓 では 乙 種 であり 甲 種 は 君 2) 王 錦 のいう 新 蔵 石 刻 と 同 じく 上 部 を 欠 損 しているが 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分 は 新 蔵 石 刻 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸 と 比 べてかなり 大 きい 石 殘 缺, 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 の 表 記 は 後 掲 する20 金 石 萃 編 の 記 載 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 と 酷 似 しており これを 襲 用 した 疑 いもあるが そうであるにしてもサイズ 形 状 において 同 一 であったから である 拓 本 紙 片 のサイズならば 当 然 ひと 回 り 大 きくなるが 石 殘 缺 とい い かつ 九 寸 三 分 まで 精 密 に 測 って 伝 えんとしている 点 から 見 て 紙 片 のサイズではあり 得 ない つまり 共 に 残 石 のサイズを 謂 うものであり 両 者 は 明 らかに 異 なる 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分 は 造 営 尺 で 横 60.8cm 縦 26.56cm 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸 橫 尺 餘, 高 六 寸 は 横 44.8cm 縦 16cm ~ 19.2cm 3) 現 存 する 清 拓 には 字 跡 から 見 て 少 なくとも 二 種 類 があったが 01 石 03 驅 厲 07 元 二 等 の 字 跡 は 乙 種 に 近 い ただ05 福 の 示 の 運 筆 は 甲 乙 に 似 ず 常 維 潮 重 刻 本 に 近 い また 醜 の 上 字 (06 九 )は 甲 乙 二 種 で 観 る 限 り 文 字 のあるべき 部 分 の 表 面 が 剥 離 しており 甲 乙 二 種 は 上 部 を 欠 くものであって 同 一 と 認 めてよいが 宜 祿 堂 收 臧 金 石 記 が 忠 実 に 臨 摸 する 所 は ナ に 近 く 右 半 分 を 欠 く (12) 鬱 林 州 志 ( 光 緒 二 〇 年 ) 巻 首 乾 隆 壬 子 ( 五 七 年 ) 重 鬱 林 州 志 姓 氏 (9a)に 分 纂 : 署 鬱 林 州 州 判 候 補 直 隷 州 州 判 丁 酉 科 選 拔 貢 生 寶 應 劉 玉 麟 巻 10 文 職 (20b)の 州 判 の 乾 隆 五 五 年 と 五 七 年 の 間 に 劉 玉 麟 : 江 蘇, 拔 貢, 署

9 戸 崎 哲 彦 23 4) 題 銘 文 の 行 頭 の 欠 損 部 分 で 缺 字 は 示 さないが 跋 文 柳 字 の 下 に 何 かの 痕 跡 のような 存 在 を 描 いている 何 らかの 文 字 あるいは 疵 の 如 きものか 判 断 を 躊 躇 したのであろうか 王 錦 の 記 録 によればそこに 文 字 はないが 現 存 す る 清 拓 数 十 枚 を 比 較 すれば 甲 種 の 最 も 鮮 明 なものではそのような 存 在 は 確 認 できず 痕 跡 の 如 きものが 感 じられるのはむしろ 乙 種 である ただし1977 年 の 重 刻 ( 柳 侯 祠 蔵 )は 全 体 的 には 甲 種 に 属 しながら 柳 字 の 下 に 々 の 如 き 痕 跡 が 加 えられている 総 じて 言 えば 字 跡 は 現 存 清 拓 乙 種 に 近 く このことは 乙 種 が 甲 種 に 先 行 する とした 先 の 仮 説 を 傍 証 する しかし 清 拓 は 甲 乙 両 種 共 に46cm 16cm 前 後 であ り これは 新 蔵 石 刻 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸 に 近 い 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分 の 九 を 五 の 八 を 五 の 誤 字 と 見 做 せばそれまでであるが 宜 祿 堂 が 金 石 萃 編 を 襲 用 したとしても 誤 りは 明 らかであり それを 見 過 ごして 踏 襲 しているとは 考 えにくい 以 上 の 共 通 と 相 異 から 考 えれば 王 錦 のいう 新 蔵 石 刻 より 後 に 翻 刻 された 別 物 を 考 えざるを 得 ない 清 拓 乙 種 の 系 統 に 近 く さらに 常 維 潮 重 刻 本 に 最 も 近 い そうならば 判 廣 西 鬱 林 州 時 所 拓 は 鬱 林 州 で 採 拓 したものを 謂 うもので あろうか 金 石 萃 編 の 他 にも 類 似 の 記 載 をする 資 料 があり それらを 俟 っ て 再 考 を 加 える 14: 乾 隆 五 七 年 (1792) 宜 祿 堂 收 藏 金 石 記 ( 刪 節 六 巻 本 ) (13) 巻 4(25a) 唐 龍 城 柳 碣 : 桉 王 氏 金 石 萃 編 云 : 謝 啓 昆 粤 西 金 石 畧 云 : 此 碣 為 吾 友 劉 冰 衫 所 贈 其 尊 人 又 徐 先 生 判 廣 西 鬱 林 州 時 所 拓 先 生 與 汪 容 甫 先 生 為 講 學 友, 箸 書 甚 多, 詳 重 修 邑 志 書 目 六 十 巻 本 に 見 える 琉 璃 廠 稽 文 堂 本 には 言 及 せず 劉 玉 麟 ( ) 所 拓 本 と 同 一 と 考 えてよかろう 劉 玉 麟 の 友 である 汪 容 甫 名 は 中 ( ) 15: 嘉 慶 五 年 (1800) 稍 前 瞥 記 (14) 巻 7 雜 事 (8b) 柳 子 厚 工 書 其 見 於 世 者, 惟 般 舟 和 尚 與 彌 陀 和 尚 二 碑 而 已 許 周 生 家 藏 柳 書 石 刻, 其 辭 云 : 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 醜 末 題 元 和 十 二 年 柳 宗 元 其 石 乃 天 啓 三 年 得 之 柳 州 井 中 者 則 柳 書 不 僅 二 碑 矣 (13) 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 6 冊 (14) 梁 玉 繩 ( 字 は 曜 北 ) 撰 嘉 慶 五 年 (1800) 刊 清 白 士 集 ( 瞥 記 は 巻 18-24) 清 代 学 術 筆 記 叢 刊 (17) ( 学 苑 出 版 社 2005 年 ) 所 収

10 24 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 拓 本 収 蔵 者 の 許 周 生 名 は 宗 彦 ( ) 浙 江 德 清 県 の 人 嘉 慶 四 年 (1799) 進 士 天 啓 三 年 得 之 柳 州 井 中 は 跋 文 に 拠 るが 州 は13 宜 祿 堂 が 描 く 石 面 の 疵 らしきものを 敢 て 釈 読 したものであろう 龍 九 部 分 を 欠 損 するが 所 は 残 存 部 分 による 推 測 であろう また 柳 書 石 刻 四 字 も 宜 祿 堂 が 石 刻 に 作 るように 首 行 に 拠 ったのではなかろうか 16: 嘉 慶 五 年 (1800) 稍 前 庭 立 記 聞 (15) 巻 1 柳 書 許 彦 周 詩 話 載 子 厚 石 刻 云 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 山 左 首 福 土 氓, 制 九 醜 與 許 周 生 所 藏 石 刻 文 小 異, 蓋 仍 龍 城 録 之 僞 也 許 周 生 所 藏 石 刻 は15 瞥 記 にいう 許 周 生 家 藏 柳 書 石 刻 小 異 と は 出 匕 首 福 四 民 と 山 左 首 福 土 氓 の 違 いを 謂 う 17: 嘉 慶 五 年 (1800) 以 前 嘉 慶 廣 西 通 志 巻 215 金 石 略 (16) (12b) 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 城 柳, 神 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 醜 和 十 二 年 柳 宗 元 行 書, 徑 一 寸 許 羅 池 北, 龍 城 勝 地 也 役 者 得 白 石, 上 微 辨 刻 畫 云 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 山 左 首 福 土 氓, 制 九 醜 余 得 之, 不 詳 其 理, 特 欲 隱 予 於 斯 歟 柳 子 厚 龍 城 録 右 刻 在 馬 平 縣 柳 侯 祠 内 按 : 龍 城 録 所 云 與 此 微 有 異 同, 偽 書, 不 足 憑, 然 茲 刻 實 宗 元 書 也 成 書 は 乾 隆 二 八 年 (1763) 新 蔵 の 数 十 年 後 であり 所 在 地 も 在 馬 平 縣 柳 侯 祠 内 としており さらに 纂 修 者 謝 啓 昆 は 書 柳 侯 碑 後 詩 に 龍 城 之 柳 神 所 守, 誰 其 記 者 柳 子 厚 驅 厲 鬼 兮 羅 池 碑, 誰 其 作 者 韓 退 之 一 碑 ( 羅 池 廟 碑 ) 中 斷 一 碑 ( 龍 城 石 刻 ) 完, 合 璧 何 年 置 祠 居 と 詠 むから 王 錦 のいう 新 蔵 石 刻 のよう に 思 われるが それとは 特 徴 がやや 異 なる 1) 標 題 を 龍 城 石 刻 とするのは 首 行 に 石 刻 とあったのを 引 用 する 龍 城 録 の 記 載 によって 推 測 したものであろう 2) 天 啓 跋 文 が 録 されておらず 言 及 もない 跋 文 がなかったとすれば 旧 蔵 石 刻 がそうであるが 旧 蔵 石 刻 は 龍 所 を 欠 損 しておらず また 自 署 には 字 子 厚 が 刻 されていた 天 啓 跋 文 は 本 文 でないために 省 かれた と 考 えるならば 龍 所 の 欠 損 や 名 宗 元 の 自 署 の 特 徴 は 新 蔵 石 刻 の (15) 梁 玉 繩 撰 嘉 慶 十 七 年 (1812) 序 清 代 学 術 筆 記 叢 刊 (17) 所 収 (16) 謝 啓 昆 撰 嘉 慶 五 年 (1800) 刊 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 17 冊 粤 西 金 石 略 ( 嘉 慶 六 年 ) 巻 1(10a)は 同 人 廣 西 通 志 の 金 石 略 十 五 巻 の 単 行 本

11 戸 崎 哲 彦 25 系 統 に 属 す 3) 龍 所 を 缺 くのは 新 蔵 石 刻 の 特 徴 と 一 致 するが 九 元 の 缺 字 が 一 致 しない ただし 九 は 現 存 清 拓 でも 上 部 を 欠 いて 不 鮮 明 であり 13 宜 祿 堂 15 瞥 記 等 も 缺 字 にしている そこで 最 大 の 相 異 点 は 元 字 の 欠 如 ということになる この 字 は 後 文 和 十 二 年 柳 宗 元 から 容 易 に 推 測 可 能 なのであるが 一 部 残 存 していたであろう 所 九 をも 缺 字 に 扱 っ ている 態 度 から 見 て 元 も 不 鮮 明 な 粗 拓 であったために 缺 字 としたもの つまり 状 態 に 忠 実 な 録 文 の 態 度 に 出 るものと 考 えられないこともない しかし 元 字 は 旧 蔵 石 刻 を 含 む 他 の 著 録 でそれを 缺 く 例 を 知 らない また 現 存 の 清 拓 でも 極 めて 鮮 明 であり 清 拓 は 新 蔵 石 刻 の 系 統 にある 所 見 本 が 新 蔵 石 刻 の 拓 本 でないとしても その 系 統 にあることは 明 らかであり 新 蔵 石 刻 の 翻 刻 か ら 採 拓 したとしても 缺 字 を 補 刻 することはあっても 缺 字 にすることは 通 常 あ り 得 ない この 録 文 をそのまま 信 じることに 躊 躇 する 単 なる 抄 書 上 の 誤 りで なければ 和 は 行 頭 に 当 たるから 前 行 の 行 頭 の 缺 字 に 影 響 されたもの ではなかろうか なお 前 行 の 行 頭 は 他 の 著 録 では 九 に 釈 文 するものが 多 いが 後 に 掲 げる20 金 石 萃 編 のように 元 に 釈 文 するものもある 18: 嘉 慶 七 年 (1802) 以 前 寰 宇 訪 碑 録 (17) 巻 4(16a) 龍 城 柳 碣 : 柳 宗 元 撰 并 行 書, 元 和 十 二 年 廣 西 馬 平 後 掲 の34 寰 宇 訪 碑 録 校 勘 記 は 天 啓 跋 文 を 補 足 する 19: 嘉 慶 十 年 (1805) 以 前 潛 研 堂 金 石 文 字 目 録 (18) 巻 3(7a) 龍 城 柳 銘 : 柳 宗 元 書, 行 書, 元 和 十 二 年 明 天 啓 三 年 得 此 於 柳 州 井 中 天 啓 以 下 は 跋 文 に 拠 るが 柳 字 の 下 にも 一 字 あると 見 做 し 州 と 釈 文 した 20: 嘉 慶 十 年 (1805) 以 前 金 石 萃 編 (19) 巻 107(5a) 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 元 醜 元 和 十 二 年 柳 宗 元 天 啓 三 年 龔 重 得 此 于 柳 公 井 中 (17) 孫 星 衍 ( ) 邢 澍 ( ) 撰 嘉 慶 七 年 (1802) 序 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 26 冊 (18) 銭 大 昕 ( ) 撰 嘉 慶 十 年 (1805) 識 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 25 冊 (19) 王 昶 撰 嘉 慶 十 年 (1805) 自 序 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 3 冊

12 26 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 羅 池 北, 龍 城 勝 地 也 特 欲 隱 予 於 斯 歟 柳 子 厚 龍 城 録 按 龍 城 録 所 云 實 宗 元 書 也 謝 啓 昆 粤 西 金 石 略 按 : 此 碣 在 廣 西 柳 州 府 馬 平 縣 柳 侯 祠 内 馬 平 為 柳 州 附 郭, 州 在 唐 天 寶 初 為 龍 城 郡, 乾 元 初 復 曰 柳 州 寰 宇 訪 碑 録 題 此 碣 曰 龍 城 柳 碣 自 歐 ( 陽 修 ) 趙 ( 明 誠 ) 以 來, 皆 不 見 著 録, 故 向 無 標 題, 而 碣 文 亦 祇 六 句, 首 句 城 柳 上 泐 一 字 据 天 寶 舊 郡 名, 當 為 龍 城, 而 因 以 龍 城 柳 為 碣 名 也 末 署 元 和 十 二 年, 柳 宗 元 以 元 和 十 四 年 卒, 此 碣 在 卒 前 二 年,( 韓 ) 昌 黎 作 墓 誌 銘, 不 詳 宗 元 刺 柳 之 年, 兩 唐 書 傳 皆 云 : 元 和 十 年 移 為 柳 州 刺 史 則 其 刻 此 碣 在 到 柳 州 後 二 年 矣 昌 黎 撰 羅 池 廟 碑 云 : 柳 侯 嘗 與 其 部 將 魏 忠 謝 寧 歐 陽 翼 飲 酒 驛 亭 謂 曰 : 吾 棄 於 時, 而 寄 於 此, 與 若 等 好 也, 明 年 吾 將 死, 死 而 為 神, 後 三 年 為 廟 祀 我 及 期 而 死, 三 年 孟 秋 辛 卯, 侯 降 于 州 之 後 堂 云 云 飲 酒 驛 亭 事 在 題 此 碣 之 明 年, 其 竄 斥 荒 癘, 堙 厄 感 鬱 之 概, 此 碣 十 八 字 中 已 略 寓 之 矣 龍 城 録 託 為 役 者 得 白 石, 微 辨 筆 畫 云 云, 設 為 恍 惚 之 辭, 謝 中 丞 ( 啓 昆 ) 斥 為 偽 書, 不 足 憑, 良 然 天 啓 跋 文 を 有 する 新 蔵 石 刻 の 系 統 にあることは 明 らかであるが いくつか の 点 で 王 錦 の 記 録 と 異 なる 1) 所 字 を 有 する ただし 現 存 清 拓 に 見 られるように 下 半 が 残 存 していた ならば 12 秋 燈 叢 話 15 瞥 記 が 所 に 作 るように 判 読 できないこ ともない 2) 九 を 元 に 作 る ただし 粤 西 金 石 略 ( 即 ち17 嘉 慶 廣 西 通 志 ) が 缺 字 にするように また 現 存 清 拓 のように 上 部 が 剥 落 した 拓 本 であれ ば 元 に 誤 釈 した 可 能 性 がある 3) 跋 文 の 末 を 柳 公 井 中 四 字 と 釈 読 するが 王 錦 は 柳 井 中 三 字 に 作 る ただし 清 拓 や13 宜 祿 堂 によれば 柳 字 の 下 は 行 末 に 当 たり 文 字 の 痕 跡 あるいは 疵 のようなものが 認 められる 19 潛 研 堂 15 瞥 記 が 柳 州 井 中 に 作 り 12 秋 燈 叢 話 が 柳 井 中 に 作 るのもそのためである 4) 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分 は 王 錦 の 記 録 する 縱 五 寸, 橫 一 尺 四 寸 と 比 べてひと 回 り 大 きい 5) 八 行, 行 四 字 とは 跋 文 を 除 く 銘 文 五 行 自 署 二 行 と 首 一 行 とを 指 すはずである 王 錦 の 記 録 と 同 様 に 首 行 の 録 文 が 漏 れていることになるが 向 無 標 題 首 句 城 柳 上 泐 一 字 据 天 寶 舊 郡 名, 當 為 龍 城, 而 因 以 龍

13 戸 崎 哲 彦 27 城 柳 為 碣 名 也 といいながら 龍 城 石 刻 と 題 するのは 首 行 に 石 刻 とあったことに 拠 って 類 推 したものであろう 乾 隆 二 八 年 奉 納 の 新 蔵 石 刻 の 系 統 にあることは 明 らかであり 残 存 する 部 分 ( 所 元 [ 九 ] 公 )は 努 めて 釈 読 するという 態 度 で 臨 んだものと 解 することができる ただ4)サイズのみは 王 錦 のいう 所 と 大 きく 異 なり 13 宜 祿 堂 の 録 する 所 と 一 致 する しかし06 元 を 九 の 上 部 欠 損 による 誤 釈 と 考 えるならば 宜 祿 堂 は ナ に 作 る つまり 欠 損 は 九 の 右 部 分 で あって ナ から 元 字 を 類 推 復 元 することはできない ならば 宜 祿 堂 と 同 一 本 ではなく 近 い 系 統 と 見 做 すべきであるが 次 行 の 頭 すなわち 左 隣 に 元 とあり これに 影 響 されて 誤 ったことも 考 えられる 21: 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 古 墨 齋 金 石 跋 (20) 巻 6(9a): 唐 柳 井 字 : 行 書, 元 和 十 二 年 碑 首 行 存 君 刻 二 字, 下 云 : 城 柳, 神 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 元 和 十 二 年 柳 宗 元 後 有 跋 云 : 天 啓 三 年 龔 重 得 此 於 柳 井 中 其 文 與 龍 城 録 所 載 有 數 字 不 同, 疑 當 以 此 為 是 跋 文 中 に 柳 井 より 出 土 したとあるのによって 唐 柳 井 字 と 題 した 首 行 に 君 刻 二 字 が 残 存 するという 記 録 は 貴 重 である 13 宜 祿 堂 では 石 刻 に 作 っていた 現 存 清 拓 にも 二 種 類 があり 前 述 の 如 く 乙 種 が 石 に 近 く 甲 種 が 君 に 近 い また 跋 文 を 柳 井 に 釈 読 する 点 も 宜 祿 堂 や 柳 州 井 柳 公 井 に 作 るのと 異 なり 清 拓 甲 種 に 近 い 22: 嘉 慶 十 六 年 (1811) 以 前 平 津 讀 碑 記 (21) 巻 7(23b): 龍 城 石 刻 : 元 和 十 二 年 右 龍 城 石 刻 在 馬 平 縣 柳 侯 祠 文 云 : 城 柳, 神 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 醜 上 九 字, 諦 視 甚 明 金 石 萃 編 釋 作 元 醜, 誤 清 拓 でも 九 字 は 下 部 が 残 存 するが 必 ずしも 諦 視 甚 明 とはいえない 天 啓 跋 文 について 言 及 がないが それを 有 する20 金 石 萃 編 と 対 校 して いるから それと 同 じ あるいは 金 石 萃 編 の 釈 読 に 異 論 がなかったのであ ろう 新 蔵 石 刻 に 属 するものであり 題 龍 城 石 刻 も 金 石 萃 編 と 同 じく 首 行 石 刻 に 拠 るものであろう (20) 趙 紹 祖 ( ) 輯 嘉 慶 十 五 年 (1810) 弟 趙 継 祖 跋 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 19 冊 (21) 洪 頤 煊 ( ) 撰 嘉 慶 十 六 年 (1811) 自 序 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 26 冊

14 28 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 23: 嘉 慶 十 八 年 (1813) 清 儀 閣 金 石 題 識 (22) 巻 2(59b): 唐 柳 柳 州 龍 城 石 刻 : 柳 柳 州 龍 城 録 云 : 羅 池 北, 龍 城 勝 地 也, 役 者 得 白 石, 上 微 辨 刻 畫, 云 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 録 作 山 左 首 福 土 民, 制 九 醜 余 得 之, 不 詳 其 理, 特 欲 隱 余 於 斯 與 粤 西 金 石 略 卷 一 云 : 右 刻 在 馬 平 縣 柳 侯 祠 内 按 龍 城 録 然 茲 刻 實 宗 元 書 也 嘉 慶 十 八 年 癸 酉 八 月 晦 日 柳 柳 州 は 柳 宗 元 を 号 で 呼 んだもの 標 題 龍 城 石 刻 は 首 行 石 刻 による 推 測 あるいは 粤 西 金 石 略 が 柳 宗 元 龍 城 石 刻 に 作 るのに 従 っ たもの 粤 西 金 石 略 は 前 掲 17 廣 西 通 志 ( 嘉 慶 五 年 1800) 金 石 略 の 単 行 本 24: 嘉 慶 間 ( 以 前?) 竹 崦 盦 金 石 目 録 (23) 不 分 巻 (81b): 龍 城 柳 碣 : 元 和 十 二 年, 柳 子 厚 行 書 前 掲 の 清 初 の 著 録 と 同 じく 自 署 に 元 和 十 二 年 柳 子 厚 とあった 旧 蔵 石 刻 の 拓 本 ではなかろうか 天 啓 跋 文 に 触 れていないことも 旧 蔵 石 刻 であったこ とを 想 像 させる 25: 道 光 九 年 (1829) 頃 劉 棻 柳 侯 碑 并 序 (24) 碑 徑 五 寸 餘, 廣 尺 許, 四 周 多 落 角, 文 磨 滅 幾 不 可 辨 予 過 羅 池 廟 訪 遺 址, 蓋 子 厚 所 書 劍 銘 也 其 詞 曰 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 人 或 言 攜 其 拓 本 過 洞 庭, 可 無 波 濤 之 險, 亦 頗 驗 (25) 劉 棻 ( 生 卒 未 詳 ) 字 は 香 山 嘉 慶 十 二 年 (1807)の 挙 人 詩 中 に 今 歴 六 千 七 十 二 甲 子, 斷 碣 飄 零 慕 高 躅 の 句 があり これは 跋 文 中 の 元 和 十 二 年 (817)によったものであろうから 道 光 九 年 (1829) 頃 の 作 である 銘 文 の 文 字 が すべて 録 されている 点 では 旧 蔵 石 刻 に 近 いが 四 周 多 落 角, 文 磨 滅 幾 不 可 辨 というから 本 来 龍 等 は 欠 損 しており 徑 五 寸 餘, 廣 尺 許 も 新 蔵 石 刻 に 近 い (22) 張 廷 濟 ( ) 撰 光 緒 十 八 年 (1892) 校 二 十 年 刊 石 刻 史 料 新 編 第 四 輯 第 7 冊 (23) 趙 魏 ( ) 輯 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 20 冊 の 東 武 劉 燕 庭 氏 ( ) 校 鈔 本 の 末 尾 に 癸 卯 ( 道 光 二 三 年 1843) 秋 九 月 兄 ( 劉 ) 雯 改 名 如 海 書, 時 七 十 有 五 ま た 石 刻 史 料 新 編 第 三 輯 第 37 冊 に 宣 統 元 年 (1909) 汪 大 鈞 刻 食 舊 堂 叢 書 本 竹 崦 庵 金 石 目 録 巻 3(14b) (24) 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p152) (25) 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p153)

15 戸 崎 哲 彦 29 26: 道 光 十 八 年 (1838) 煙 嶼 樓 筆 記 (26) 巻 3(1b) 梁 曜 北 玉 繩 瞥 記 云 : 許 周 生 家 藏 柳 書 石 刻, 其 辭 云 : 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 醜 末 題 元 和 十 二 年 柳 宗 元 其 石 乃 天 啓 三 年 得 之 柳 州 井 中 者 按 : 此 石, 柳 州 人 謂 可 以 鎮 妖 異 吾 友 陳 子 相 勱 學 宦 廣 西, 歸 以 一 本 貽 余 上 有 柳 州 府 縣 官 三 印 石 雖 泐 而 字 皆 可 識 : 城 上 是 柳 字, 醜 上 是 羣 字 謝 啓 昆 粤 西 金 石 略 斥 為 偽 書, 不 足 憑, 良 然 唐 人 百 家 刻 龍 城 録, 記 與 稗 海 本 小 異 中 一 條 云 : 羅 池 北, 龍 城 勝 地 也 役 者 得 白 石, 上 微 辨 刻 畫 云 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 山 左 首 福 土 氓, 制 九 醜 余 得 之, 不 詳 其 理, 特 欲 隱 我 於 斯 與 按 : 此 録, 前 人 多 謂 偽 作 今 觀 此 條, 亦 不 似 柳 州 語 柳 本 木 名, 又 是 其 地 州 名 何 以 僅 據 石 刻 中 一 柳 字, 便 云 特 欲 隱 己 於 斯 耶 彼 處 人 云 : 此 石 乃 子 厚 手 書, 可 以 辟 邪 鬼 子 相 贈 余 一 紙, 文 與 此 小 異 陳 勱 ( ) 浙 江 鄞 県 の 人 字 は 子 相 道 光 十 七 年 (1837)に 拔 貢 広 (27) 西 の 知 県 を 授 かるも 一 年 に 及 ばずして 帰 省 なお 謝 啓 昆 粤 西 金 石 略 斥 為 偽 書, 不 足 憑, 良 然 はそのまま 金 石 萃 編 に 見 え それからの 引 用 であるが 謝 啓 昆 が 偽 書, 不 足 憑 といったのは 龍 城 録 を 指 してであっ て 龍 城 石 刻 のことではない 所 見 本 は 天 啓 跋 文 を 有 する 新 蔵 石 刻 の 系 統 に 属 する 柳 州 府 縣 官 三 印 とは 現 存 清 拓 に 見 える 柳 州 府 印 柳 州 府 經 歷 司 兼 管 司 獄 司 印 柳 城 縣 印 であるが 清 拓 は 石 雖 泐 であって15 瞥 記 が 作 る 缺 字 を 含 む 状 態 に 近 い 特 異 な 点 は 城 上 是 柳 字, 醜 上 是 羣 字 であり これは 王 錦 の 記 す 新 旧 両 石 刻 に 合 致 せず また 明 清 の 著 録 にも 見 えない 柳 羣 二 字 は 所 引 の 瞥 記 粤 西 金 石 略 では 缺 字 に 作 るが 所 引 の 龍 城 録 と の 類 似 によって 龍 と 九 であることは 容 易 に 推 測 される であるにも 関 わらず 柳 と 羣 に 作 るのはそのように 判 読 できる 状 態 にあったことに なる 柳 部 分 は 新 蔵 石 刻 やその 録 文 および 清 拓 では 全 損 であるが すでに (26) 徐 時 棟 ( ) 撰 清 代 学 術 筆 記 叢 刊 (54) ( 学 苑 出 版 社 ) 歴 代 筆 記 小 説 集 成 清 代 筆 記 小 説 (20) ( 周 光 培 編, 河 北 教 育 出 版 社 1994 年 ) 所 収 ( 寧 波 鈞 和 聚 珍 版 印 本 ) (27) 民 國 鄞 縣 通 志 文 獻 志 甲 編 人 物 人 物 類 表 文 學 (353)に 字 子 相 號 詠 橋 道 光 十 七 年 拔 貢, 廷 試 第 二, 授 廣 西 知 縣, 念 親 老 無 餘 丁 以 養, 不 一 載, 投 牒 歸 同 治 元 年 舉 孝 廉 方 正, 授 江 蘇 知 縣, 不 赴 また 煙 嶼 樓 筆 記 巻 8(6a)に 吾 友 陳 子 相 知 縣 歸 自 廣 西, 讀 書 養 親 運 甓 齋 文 稿 運 甓 齋 詩 稿 ( 光 緒 二 〇 年 1894)あり 未 見

16 30 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 乾 隆 四 九 年 (1784)の12 秋 燈 叢 話 が 柳 州 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 元 和 十 二 年, 柳 宗 元 天 啓 三 年, 龔 重 得 此 於 柳 井 中 に 作 るのに 近 く またそれも 今 人 鈐 以 柳 州 府 及 經 歴 司 柳 城 縣 三 印, 以 代 土 物 贈 遺 余 跋 云 : 右 碑 天 啓 間 出 之 柳 州 井 中, 石 已 刓 闕 而 摹 搨 如 市 であった しかし 羣 字 部 分 に 至 っては わずかに 下 部 が 残 存 しており それに 拠 って 元 九 と 判 読 した 例 は 清 拓 の 残 存 状 態 の 限 りでは 部 分 的 に 近 いとはいえ ても 羣 あるいは 異 体 字 群 の 下 部 には 全 く 似 ない 12 秋 燈 叢 話 の 条 で 述 べた 如 く 翻 刻 であっても 誤 字 を 補 刻 したものが 官 印 を 押 して 認 可 され ていたとは 考 え 難 い 石 雖 泐 であったが 字 皆 可 識 というのは 欠 落 部 分 に 対 する 著 録 者 の 軽 率 な 推 測 に 過 ぎないのではなかろうか 27: 道 光 二 五 年 (1845) 粤 西 筆 述 (28) 不 分 巻 (32a): 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 眞 [ 行 ] 書 在 馬 平 縣 柳 侯 祠 通 志 通 志 とは17 嘉 慶 廣 西 通 志 の 金 石 略 ( 粤 西 金 石 略 に 同 じ)の 柳 宗 元 龍 城 石 刻 を 指 す 眞 書 は 転 記 の 誤 り 28: 咸 豊 間 ( 以 前 ) 攗 古 録 (29) 巻 8 唐 (55b): 龍 城 柳 碣 : 柳 宗 元 撰 并 行 書 廣 西 馬 平 元 和 十 二 年 29: 咸 豊 間 ( 以 前 ) 金 石 彙 目 分 編 (30) 巻 18 柳 州 府 馬 平 縣 (27b): 唐 龍 城 石 刻 : 柳 宗 元 撰 并 行 書, 元 和 十 二 年 在 柳 侯 祠 標 題 は 攗 古 録 と 異 なるが 金 石 彙 目 分 編 は 呉 式 芬 の 収 蔵 を 整 理 分 類 したものであり 同 一 の 拓 本 30: 咸 豊 間 ( 以 前 ) 吹 網 録 (31) 巻 3 龍 城 柳 石 刻 : 張 譜 梅 秀 才 伯 鳳, 粤 西 歸, 貽 余 龍 城 石 刻 拓 本, 其 文 曰 : 城 柳 神 一 行, 城 上 缺 龍 字 守 驅 厲 二 行, 守 上 缺 所 字 鬼 出 匕 首 三 行 福 四 民 制 四 行 九 醜 五 行 元 和 十 二 年 六 行 柳 宗 元 七 行 而 第 一 行 前 題 石 刻 二 字, 上 亦 有 缺 字 後 有 明 人 得 石 題 記 二 行, 亦 稍 漫 漶 譜 梅 言 : 其 地 頗 重 此 碣, 謂 可 以 辟 不 若, 故 游 客 毎 求 拓 本, 攜 之 行 篋 至 此 碣 原 委, 今 柳 州 (28) 張 祥 河 撰 道 光 二 五 年 (1845) 自 序 桂 林 蒋 存 遠 堂 刻 本 (29) 呉 式 芬 ( ) 撰 咸 豊 間 ( ) 成 書 續 修 四 庫 全 書 (895) ( 上 海 古 籍 出 版 社 1995 年 ) 史 部 金 石 類 また 攈 古 録 金 文 ( 續 修 四 庫 全 書 (902) 史 部 金 石 類 ) 光 緒 二 一 年 呉 氏 家 刻 本 ( 許 瀚 繼 編 校 )あり (30) 呉 式 芬 撰 呉 重 熹 補 遺 咸 豊 間 成 書 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 28 冊 (31) 葉 廷 琯 (?-1868) 同 治 八 年 (1869) 刊 新 世 紀 万 有 文 庫 遼 寧 教 育 出 版 社 1996 年 (p51) 續 修 四 庫 全 書 子 部 雑 家 類 1163

17 戸 崎 哲 彦 31 府 志 有 右 江 道 王 錦 跋, 然 余 頗 疑 此 碣 為 偽 作 張 伯 鳳 字 は 譜 梅 山 水 画 家 王 学 浩 ( )の 弟 子 享 年 四 五 歳 生 (32) 卒 年 未 詳 採 拓 は 撰 者 葉 廷 琯 の 卒 年 ( 同 治 七 年 1868) 以 前 であり 次 に 掲 げ る31 八 瓊 室 金 石 補 正 等 の 記 録 によれば 咸 豊 間 ( )に 喪 失 している から それ 以 前 さらに 張 伯 鳳 を 秀 才 ( 学 生 ) (33) と 呼 称 している 点 から 考 えれば 道 光 間 ( )の 可 能 性 もある 首 行 石 刻 二 字 を 有 する 点 や 欠 損 部 分 は 現 存 清 拓 と 同 じであり また 後 有 明 人 得 石 題 記 二 行 は 天 啓 跋 文 を 有 する 新 蔵 石 刻 である ただ 題 記 二 行 は 現 存 清 拓 が 全 て 三 行 であるのに 一 致 せず 王 錦 のいう 碣 尾 有 天 啓 三 年 龔 重 得 此 於 柳 井 中, 小 字 兩 行 には 符 合 する 亦 稍 漫 漶 といって 録 文 し ていないから 二 行 にするのは 王 錦 跋 に 拠 ったことも 考 えられる 現 に 拓 本 の 中 には 跋 文 の 末 行 が 不 分 明 なものや 途 中 までしか 拓 印 されていないも のもある たとえば 前 掲 の 北 京 図 書 館 蔵 748は09 行 で 終 わっている 首 行 の 残 存 部 分 の 釈 読 には 石 刻 と 君 刻 の 二 通 りがあるが 第 一 行 前 題 石 刻 二 字, 上 亦 有 缺 字 は13 宜 祿 堂 と 同 じであり 清 拓 乙 種 に 属 す 31: 咸 豊 六 年 (1856) 頃 八 瓊 室 金 石 補 正 (34) 巻 69(24b): 龍 城 石 刻 : 元 和 十 二 年 ( 金 石 ) 萃 編 載 卷 一 百 七 制 九 醜 九 誤 元 醜 上 九 字, 作 元 醜, 誤 平 津 讀 碑 記 湘 人 甚 重 此 碑, 相 傳 : 往 來 洞 庭 者, 遇 風 浪, 焚 此 碑 於 湖, 可 免 險 厄 其 信 然 耶 碑 向 在 馬 平, 洪 逆 擾 亂 後, 已 失 所 在 事 平 訪 之, 聞 在 鬱 林 某 里 或 往 詢 之, 則 秘 匿 不 宣 蓋 其 人 嘗 為 賊 脅, 懼 禍 之 及 也 流 傳 雖 多, 日 少 一 日 矣 近 今 所 拓, 似 是 翻 本 龍 城 石 刻 の 行 方 と 当 時 の 事 情 を 伝 える 重 要 な 記 録 である 陸 増 祥 ( )は 道 光 三 〇 年 (1850)の 元 状 咸 豊 十 年 (1860)に 慶 遠 府 の 知 府 となり 同 治 二 年 (1863)には 湖 南 辰 沅 永 靖 道 道 員 に 遷 る 慶 遠 府 は 今 の 広 西 宜 州 市 周 辺 (32) 蒋 宝 齢 墨 林 今 話 ( 咸 豊 二 年 1852 中 華 書 局 聚 珍 倣 宋 版 印 本 ) 巻 6(11b) 兪 剣 華 中 國 美 術 家 人 名 辭 典 ( 上 海 人 民 美 術 出 版 社 1981 年 p823) (33) 清 趙 翼 陔 餘 叢 考 巻 28 秀 才 に 元 明 以 來, 秀 才 為 讀 書 者 之 通 稱 今 俗 猶 以 府 縣 學 生 員 為 秀 才, 蓋 亦 沿 舊 稱 也 (34) 陸 增 祥 ( ) 撰 光 緒 ( ) 初 成 書 民 国 十 四 年 (1925) 希 古 樓 刊 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 7 冊

18 32 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 柳 州 府 の 西 に 隣 接 石 刻 はかつて 柳 州 府 馬 平 県 柳 侯 祠 にあったが 洪 逆 擾 亂 後 洪 秀 全 の 叛 乱 ( 道 光 三 十 年 1850) 後 所 在 が 知 れなくなった 洪 秀 全 が 咸 豊 三 年 に 南 京 に 進 行 して 太 平 天 国 を 樹 立 した 後 咸 豊 六 年 (1856)に 柳 州 にも 大 成 軍 が 侵 入 して 七 年 失 守 が 続 いたから (35) その 間 のことである 32: 光 緒 八 年 (1882) 以 前 寰 宇 貞 石 圖 目 録 (36) 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 廣 西 馬 平 縣 柳 侯 祠 元 和 十 二 年 三 月 公 元 八 一 七 年 寰 宇 貞 石 圖 については 前 掲 の 現 存 拓 本 の 項 藤 原 楚 水 纂 輯 増 訂 寰 宇 貞 石 圖 の 条 に 詳 しい また 三 月 については 後 掲 の37 増 訂 寰 宇 貞 石 圖 を 参 照 33: 光 緒 二 四 年 (1898) 以 前 藝 風 堂 金 石 文 字 目 (37) 巻 6(15a): 龍 城 柳 碣 : 柳 宗 元 撰 并 行 書, 元 和 十 二 年 在 廣 西 柳 城 所 在 地 を 馬 平 県 ではなく 10 續 通 志 と 同 じく 柳 城 県 とする 三 官 印 中 に 柳 城 縣 印 があったことを 記 録 するものがあり また 現 存 する 清 拓 甲 乙 の 大 半 がそれを 有 する そこで 碑 石 は 柳 州 府 の 馬 平 県 と 柳 城 県 の 二 箇 所 にあっ たか そうでなければ 官 印 柳 城 縣 によって 在 柳 城 縣 と 推 測 されたこと が 考 えられる 34: 民 国 二 年 (1913) 以 前 寰 宇 訪 碑 録 校 勘 記 (38) 巻 7(6b): 龍 城 柳 碣 : 元 和 十 二 年 聲 木 謹 案 : 明 天 啓 三 年 龔 重 得 此 于 柳 公 井 中, 後 有 題 記, 正 書 石 右 角 上 缺 佚 數 字 前 掲 の18 寰 宇 訪 碑 録 を 補 足 する 石 右 角 上 が 缺 佚 數 字 であって 天 啓 跋 を 有 する 新 蔵 石 刻 の 系 統 に 属 す 柳 公 井 と 釈 読 するのは20 金 石 萃 編 と 同 じ (35) 民 國 柳 州 縣 志 ( 民 国 二 〇 年 1931) 巻 首 重 印 柳 州 縣 志 略 例 (p11)に 縣 志 初 刊 於 清 乾 隆 二 十 九 年, 中 遭 咸 豐 之 亂, 郡 城 於 七 年 失 守, 公 私 塗 炭 咸 豊 六 年 (1856) 大 成 軍 が 柳 州 を 占 領 柳 州 大 記 事 ( 広 西 人 民 出 版 社 1995 年 p46) 柳 州 市 志 ( 広 西 人 民 出 版 社 1999 年 ) 巻 5 軍 事 志 兵 事 清 代 (p907) (36) 沈 勤 盧 陳 子 彝 編 寰 宇 貞 石 圖 目 録 ( 民 国 二 一 年 1932) 巻 上 光 緒 本 (11b) 寰 宇 貞 石 圖 の 光 緒 本 は 楊 守 敬 ( ) 撰 明 治 十 五 年 ( 光 緒 八 年 1882) 初 印 ( 日 本 大 蔵 省 印 刷 局 石 印 ) 五 冊 本 (37) 繆 荃 孫 ( ) 撰 光 緒 二 十 四 年 (1898) 序 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 26 冊 (38) 劉 声 木 ( ) 撰 民 国 二 年 (1913) 成 書 民 国 十 八 年 (1929) 刊 石 刻 史 料 新 編 第 一 輯 第 27 冊

19 戸 崎 哲 彦 33 35: 民 国 十 二 年 (1923) 以 前 校 碑 隨 筆 (39) 巻 6(8a) 柳 宗 元 龍 城 刻 石 : 行 書, 八 行, 行 四 字 在 廣 西 馬 平 元 和 十 二 年 (40) 舊 拓 天 啓 三 年 小 字 跋, 甚 清 晰, 近 已 漫 漶 有 摹 刻 審 宜, 但 原 石 非 難 得 八 行 とは 首 行 を 含 む 記 載 は20 金 石 萃 編 の 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 城 柳 元 和 十 二 年 に 頗 る 似 る ただし 石 殘 缺 高 八 寸 三 分 の 形 状 をいう 部 分 が 欠 けている 所 蔵 の 物 と 合 致 しないために 刪 除 されたのではなか ろうか 天 啓 跋 文 を 有 するから 新 蔵 石 刻 の 系 統 に 属 す 有 摹 刻 審 宜 以 下 は 文 意 を 解 しがたいが (41) 拓 本 を 複 数 枚 収 蔵 しており 旧 拓 は 天 啓 跋 文 が 鮮 明 で あるが 近 拓 は 不 鮮 明 であったことを 謂 うもののようである そこで 想 起 され るのが 甲 乙 二 種 である 筆 者 の 目 にした 清 拓 数 十 枚 に 限 っていえば より 清 晰 であるのは 乙 種 であり より 漫 漶 であるのは 甲 種 である 清 晰 が 旧 拓 であり 漫 漶 が 近 拓 であるのは 先 に 提 示 した 乙 種 から 甲 種 へ 移 行 し たとする 仮 説 に 合 致 する ただし 清 晰 漫 漶 の 差 は 時 間 経 過 による 石 面 の 劣 化 だけでなく 紙 質 墨 質 にも 関 係 があろう 現 存 清 拓 では 乙 種 の 紙 質 の 方 が 甲 種 よりも 拓 印 に 適 したものであったように 感 じられる 36: 民 国 二 四 年 (1935) 以 前 崇 雅 堂 碑 録 (42) 巻 3 唐 (18a) 龍 城 柳 碣 : 柳 宗 元 撰 并 行 書, 元 和 十 二 年 廣 西 馬 平 民 国 二 二 年 (1933) 周 耀 文 の 重 刻 はこの 直 前 37: 日 本 昭 和 一 五 年 (1940) 以 前 増 訂 寰 宇 貞 石 圖 巻 4 解 説 篇 唐 (p141) (43) 柳 宗 元 龍 城 石 刻 : 唐 元 和 十 二 年 三 月 ( 八 一 七 ) 廣 西 馬 平 前 掲 の 楊 守 敬 寰 宇 貞 石 圖 を 基 にして 刪 除 せず 大 幅 に 増 補 したもの 増 訂 寰 宇 貞 石 圖 の 図 版 篇 唐 (p380)に 所 収 の 影 印 は 新 蔵 石 刻 の 乙 種 であり (39) 方 若 ( ) 著 宣 統 二 年 (1910) 天 津 中 東 石 印 局 民 国 十 二 年 (1923) 上 海 華 璋 書 局 校 刊 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 17 冊 ( 華 璋 書 局 本 ) (40) 王 壮 弘 増 補 校 碑 隨 筆 ( 上 海 書 画 出 版 社 1981 年 )に 應 是 元 和 十 二 年 (p633) (41) 王 壮 弘 増 補 校 碑 隨 筆 は 審 宜 を 宜 審 に 作 るが 校 語 無 し(p633) (42) 甘 鵬 雲 ( ) 撰 民 国 二 四 年 (1935) 刊 石 刻 史 料 新 編 第 二 輯 第 6 冊 (43) 河 井 筌 廬 監 修 藤 原 楚 水 纂 輯 増 訂 寰 宇 貞 石 圖 ( 興 文 社 昭 和 一 五 年 1940; 国 書 刊 行 会 覆 刻 昭 和 五 七 年 1982 B3 判 )

20 34 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 三 月 のような 文 字 の 存 在 は 確 認 されない 三 月 二 字 は 清 拓 甲 乙 二 種 と もに 無 く また32 寰 宇 貞 石 圖 および 解 説 篇 が 著 録 している として 列 挙 する 粤 西 金 石 略 金 石 萃 編 平 津 讀 碑 記 清 儀 閣 金 石 題 識 宜 祿 堂 金 石 記 八 瓊 室 金 石 補 正 を 含 む 先 行 の 著 録 資 料 にも 記 載 は 皆 無 であ る ただ04 金 石 録 補 のみが 元 和 十 二 秊 月 日 と 録 していた しかし 仮 に 月 日 が 記 しされていたとしても 金 石 録 補 は 乾 隆 二 八 以 前 の 旧 蔵 石 刻 である 32 寰 宇 貞 石 圖 目 録 は 唐 元 和 十 二 年 三 月 に 作 るが 光 緒 本 寰 宇 貞 石 圖 の 按 語 にはさらに 三 月 二 字 があったのではなかろうか 残 念 な がら 光 緒 本 は 未 見 であり 確 認 できない 38: 民 国 三 五 年 (1946) 廣 西 石 刻 展 覧 特 刊 民 国 三 五 年 九 月 に 桂 林 等 で 広 西 石 刻 展 覧 会 が 開 催 され 廣 西 石 刻 展 覧 特 刊 ( 広 西 省 政 府 秘 書 処 編 訳 室 民 国 三 五 年 )に 朱 蔭 龍 柳 州 龍 城 石 刻 考 が 掲 載 さ れていたから 広 西 の 石 刻 を 代 表 するものとして 龍 城 石 刻 の 拓 本 も 展 示 さ れたものと 思 われる 本 書 は 未 見 であるが 朱 考 によれば 制 九 醜 を 制 元 醜 に 釈 読 できるものであった (44) 元 に 作 るのは20 金 石 萃 編 に 始 まる (45) 39: 今 楊 方 震 碑 帖 叙 録 ( 上 海 古 籍 出 版 社 1982 年 p236) 龍 城 柳 碣 : 石 殘 缺, 僅 橫 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 四 分 在 廣 西 壯 族 自 治 區 馬 平 縣 柳 侯 祠 缺 首 行, 行 書, 八 行, 行 四 字 柳 宗 元 跋, 殘 存 元 和 十 二 年 紀 年 碣 文 祗 殘 存 六 句, 與 龍 城 録 所 載 有 異 同, 可 以 此 石 文 正 之 石 殘 缺 以 下 の 記 載 は20 金 石 萃 編 の 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 に 酷 似 する 高 八 寸 三 四 分 はより 細 心 であるが 四 は 衍 字 ではなかろう また 踏 襲 しながら 缺 首 行 を 加 えたために 八 行 が 正 確 性 を 欠 くことになった 首 行 は01 石 刻 を 指 し 缺 首 行 を 含 んで 八 行 なのである 缺 首 行 を 加 えたのは 金 石 萃 編 が 八 行 といって 首 行 を 算 入 しながらその 存 在 に 触 れていないから であろう 全 体 的 に 見 て すでに 金 石 学 の 基 本 資 料 にして 権 威 ともなっていた 20 金 石 萃 編 に 拠 った 記 載 と 見 做 してよい (44) 謝 漢 強 龍 城 石 刻 是 討 武 檄 文 嗎 ( 文 物 通 訊 ( 柳 州 ) 1980 年 7 期 後 に 謝 漢 強 讀 柳 札 記 中 国 文 史 出 版 社 2003 年 ) 朱 蔭 龍 論 文 は 龍 城 石 刻 を 柳 宗 元 作 とし 制 元 醜 とあるのに 拠 って 武 元 衡 を 反 撃 する 檄 文 であるとする (45) 潘 景 鄭 序 は1980 年

21 戸 崎 哲 彦 35 40: 今 張 彦 生 善 本 碑 帖 録 ( 中 華 書 局 1984 年 p148) 唐 柳 宗 元 龍 城 刻 石 : 行 書, 八 行, 行 四 字 柳 宗 元 撰 書 唐 元 和 十 二 年 刻 石 在 廣 西 馬 平 縣 柳 侯 祠 内, 明 天 啓 三 年 龔 重 得 之 井 中, 并 刻 跋, 龔 重 刻 三 言 詩 六 首 十 八 字 乾 隆 四 十 二 年 宋 思 仁 重 刻 石 下 刻 跋 流 傳 翻 刻 很 多 標 題 および 以 下 の 記 載 は35 校 碑 隨 筆 に 似 る 校 碑 隨 筆 のそれは20 金 石 萃 編 に 似 る 今 句 読 点 は 原 書 に 従 いながら 固 有 名 詞 には 下 線 を 施 したが 刻 石 以 下 の 解 題 部 分 には 不 可 解 な 点 が 多 い まず 三 言 詩 六 首 十 八 字 は 誤 り 十 八 字 は 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 四 民, 制 九 醜 であり 三 言 六 句 からなる 銘 文 柳 守 首 醜 で 押 韻 されているから 三 言 詩 六 首 で はなく 六 を 一 に 改 める あるいは 詩 字 を 去 り 且 つ 首 字 を 句 に 改 めるべきである 次 に その 前 後 つまり 龔 重 得 之 井 中, 并 刻 跋 にし てさらに 乾 隆 四 十 二 年 宋 思 仁 重 刻 石 下 刻 跋 であるという 表 記 は 実 物 を 知 らない 者 にはどのような 拓 本 なのか 想 像 することは 困 難 であろう じつは 一 枚 の 紙 上 に 二 つの 石 刻 を 上 下 に 配 して 採 拓 したものである 即 ち 上 部 に 龍 城 石 刻 さらにその 下 部 に 唐 柳 侯 劍 銘 がある 唐 柳 侯 劍 銘 は 宋 思 仁 が 龍 城 石 刻 の 銘 文 を 臨 摸 して 題 したもので 末 尾 に 宋 氏 の 跋 文 大 清 乾 隆 四 十 二 年 仲 冬 宋 思 仁 摩 を 有 する 前 掲 の 現 存 清 拓 甲 種 05はその 実 物 以 上 考 察 してきた 所 を 特 徴 を 示 す 主 要 な 項 目 によってまとめれば 次 の 表 の ようになる 資 年 代 縦 横 題 首 行 / 題 缺 字 跋 文 印 所 在 蔵 種 01 崇 禎 十 年 (1637) 羅 池 題 石 馬 平 旧 02 明 末 7+? 柳 州 石 刻 旧 03 清 初 柳 子 厚 書 柳 州 旧 04 清 初 羅 池 石 刻 旧 05 雍 正 七 年 (1729) 前 柳 子 厚 書 旧 06 乾 隆 三 年 (1738) 前 龍 城 柳 石 刻 旧 07 乾 隆 二 八 年 (1763) 乾 隆 二 八 年 (1763) 龍 城 柳 碑 龍 所 柳 井 馬 平 新 10 乾 隆 三 二 年 (1767) 前 龍 城 柳 銘 柳 城 旧? 11 乾 隆 三 六 年 (1771) 前 龍 城 石 刻 新 12 乾 隆 四 九 年 (1784) 柳 州 劍 銘 柳 井 柳 州 新 乙?

22 36 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 13 乾 隆 五 七 年 (1792) 石 刻 14 龍 城 柳 碣 龍 所 九 柳 井 馬 平 新 乙 15 嘉 慶 五 年 (1800) 前 柳 書 石 刻 龍 九 柳 州 井 新 17 嘉 慶 五 年 (1800) 前 龍 城 石 刻 龍 所 九 馬 平 新 18 嘉 慶 七 年 (1802) 前 龍 城 柳 碣 馬 平 19 嘉 慶 十 年 (1805) 前 龍 城 柳 銘 柳 州 井 新 20 嘉 慶 十 年 (1805) 前 龍 城 石 刻 龍 九 柳 公 井 馬 平 新 乙? 21 嘉 慶 十 五 年 (1810) 前 君 刻 龍 所 柳 井 新 甲 22 嘉 慶 十 六 年 (1811) 前 龍 城 石 刻 龍 所 馬 平 新 24 嘉 慶 間 ( 以 前? ) 龍 城 柳 碣 旧? 25 道 光 九 年 (1829) 柳 侯 碑 馬 平 新 26 道 光 十 八 年 (1838) 龍 九 柳 州 新 28 咸 豊 間 ( 以 前 ) 龍 城 柳 碣 馬 平 29 咸 豊 間 ( 以 前 ) 龍 城 石 刻 馬 平 30 咸 豊 間 ( 以 前 ) 石 刻 龍 所 柳 州 新 乙 32 光 緒 八 年 (1882) 前 龍 城 石 刻 馬 平 33 光 緒 二 四 年 (1898) 前 龍 城 柳 碣 柳 城 旧? 34 民 国 二 年 (1913) 前 龍 城 柳 碣 柳 公 井 新 35 民 国 十 二 年 (1923) 前 龍 城 石 刻 馬 平 新 36 民 国 二 四 年 (1935) 前 龍 城 柳 碣 馬 平 年 以 前 龍 城 柳 碣 馬 平 乙? 年 以 前 龍 城 刻 石 馬 平 新 甲 表 中 の 題 缺 字 跋 文 印 ( 三 官 印 ) 中 の はそれの 有 無 を は 有 の 可 能 性 があることを 示 す Ⅵ 新 蔵 石 刻 の 所 在 と 摸 刻 徐 霞 客 の 記 録 によれば 龍 城 石 刻 は 明 末 において 容 易 に 摸 刻 され それに よって 拓 本 が 採 られていた 清 代 においてはどうか 乾 隆 二 八 年 (1763) 馬 平 県 で 出 土 したという 龍 城 石 刻 が 柳 侯 祠 に 献 納 された 後 太 平 天 国 の 乱 で 喪 失 するまで 祠 内 の 壁 に 填 め 込 まれており 拓 本 はそれから 採 られていた 新 蔵 石 刻 の 所 在 新 蔵 石 刻 は 王 錦 によって 勝 廟 中 石 刻 遠 矣 という 鑑 定 を 得 た 後 柳 侯 祠 が 王 錦 によって 重 修 され 柳 江 書 院 として 落 成 した 時 に 祠 内 に 収 蔵 された 將 此 殘 碣 仍 砌 祠 下 とは 具 体 的 には 磚 (レンガ)を 漆 喰 等 で 積 み 上 げて 造 ら れた 祠 の 内 壁 に 填 め 込 む 形 で 飾 られたのではなかろうか そうならば 容 易 に 搬 出 できない 状 態 にあった いっぽうそれまで 廟 中 にあった 旧 蔵 石 刻 の 方 は どうか 廃 棄 されたかどうかは 未 詳 であるが 少 なくとも 顧 みられなくなった ことは 以 後 の 多 くの 記 録 が 天 啓 跋 文 をもつもの つまり 新 蔵 石 刻 であるこ

23 戸 崎 哲 彦 37 と また 官 印 が 押 されていることによって 明 らかである その 十 六 年 後 張 若 海 已 亥 ( 乾 隆 四 四 年 1779) 秋 偕 王 郡 伯 遊 立 魚 峯, 兼 謁 柳 侯 (46) 祠 詩 には 次 のようにいう 壁 上 斷 碑 驅 九 醜, 座 間 遺 像 肅 千 秋 柳 侯 祠 にあった 壁 上 斷 碑 といえば 三 段 に 断 たれていた 蘇 軾 が 韓 愈 羅 池 廟 碑 の 後 半 を 書 した 荔 子 碑 (47) ( 祠 内 に 現 存 )を 先 ず 考 えるべきであ るが 句 中 に 驅 九 醜 が 引 かれていること また 王 錦 の 跋 に 有 王 生, 名 進 者, 手 攜 家 藏 斷 碣 而 來 とあるように 斷 碣 とも 表 現 されていることか ら ここでは 龍 城 石 刻 を 指 すと 考 えてよかろう 壁 上 とは 王 錦 の 砌 祠 下 の 同 じ 状 態 を 謂 うはずであり 祠 壁 中 に 填 め 込 まれていたと 考 える 所 以 である 対 句 を 成 している 座 間 遺 像 肅 千 秋 とは 柳 宗 元 像 が 鎮 座 している (48) こと 乾 隆 二 六 年 (1761)の 朱 佩 蓮 謁 柳 文 惠 侯 祠 詩 にも 幼 誦 唐 文 夢 見 公, 今 來 故 治 拜 遺 容 (46) 祠 内 に 現 存 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p143)は 作 年 を 示 さず 詩 題 の 已 亥 は 乾 隆 四 四 年 (47) 拙 稿 傳 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 辨 偽 神 となった 柳 宗 元 ( 島 大 言 語 文 化 年 ) (48) 祠 内 に 現 存 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p165)は 作 年 を 示 さず 落 款 に 見 える

24 38 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) と 詠 む 龍 城 石 刻 はこの 遺 像 のある 部 屋 の 壁 上 にあった その 部 屋 は 祠 内 の 中 心 たる 大 殿 であろう 羅 池 の 西 に 南 から 北 に 向 かって 大 門 儀 門 大 殿 (49) 柳 宗 元 衣 冠 墓 の 順 で 配 されていた 写 真 ( 石 刻 )を 参 照 今 日 でも 大 殿 の 中 央 に 柳 宗 元 の 銅 鋳 像 が 置 かれ それを 取 り 囲 むように 三 武 将 の 像 が 配 されてい る (50) (51) さらにその 約 二 〇 年 後 の 嘉 慶 三 年 (1798)の 作 銭 楷 柳 州 謁 柳 侯 祠 詩 の 描 写 はかなり 具 体 的 である 青 青 松 柏 枝, 不 見 龍 城 柳 惟 餘 劍 銘 字, 筆 法 辨 跟 肘 傳 聞 渉 洞 庭, 攜 鎮 風 濤 吼 行 客 爭 椎 摹, 登 登 徹 座 右 (49) 乾 隆 柳 州 府 志 巻 首 羅 池 書 院 圖 (3b-4a)による1977 年 の 複 製 柳 侯 祠 内 にあ り (50) ただし 遺 像 肅 千 秋 は 今 日 の 銅 鋳 像 ではなく 至 元 三 十 年 (1293) 李 某 によって 重 刻 さ れた 遺 像 石 刻 であったのではなかろうか 柳 侯 真 像, 唐 時 刻 石 羅 池 と 伝 承 されていた 詳 しくは 拙 稿 中 国 柳 州 市 柳 侯 祠 蔵 柳 宗 元 石 刻 遺 像 考 ( 彦 根 論 叢 年 ) (51) 徐 世 昌 晩 晴 簃 詩 匯 ( 民 国 一 八 年 1929) 巻 106( 中 華 書 局 1990 年 p4514)

25 戸 崎 哲 彦 39 不 知 劍 與 柳, 何 者 神 所 守 墨 雲 茘 子 碑, 為 護 獨 南 斗 この 劍 銘 字 も 龍 城 石 刻 を 指 す 銘 文 に 出 匕 首 とあったために 劍 銘 と 呼 ぶ それは 拝 謁 した 柳 侯 祠 内 に 置 かれており 爭 椎 摹 盛 んに 拓 本 がとられていた 登 登 (トントン)とはその 擬 声 語 である (52) 銭 楷 (1760? 1812) (53) は 嘉 慶 三 年 (1798)に 督 広 西 学 政 十 四 年 に 広 西 巡 撫 となる これらの 描 写 によれば 当 時 龍 城 石 刻 は 先 の 張 若 海 詩 にいう 柳 侯 祠 内 の 大 殿 に 置 かれた 柳 宗 元 遺 像 の 右 手 の 壁 ( 西 壁 )に 填 め 込 まれていたことになる な お 不 見 龍 城 柳 とは 龍 城 石 刻 が 喪 失 していたことではなく 前 句 青 青 松 柏 枝 を 受 けて 石 刻 の 銘 文 にいう 龍 城 の 柳 子 厚 種 柳 戲 題 詩 ( 柳 集 巻 42)に 見 える 龍 城 郡 ( 柳 州 の 旧 名 )の 柳 樹 について 謂 う さらに 約 三 〇 年 後 の 道 光 九 年 (1829) 頃 の 作 前 掲 の25 劉 棻 柳 侯 碑 并 序 に 碑 徑 五 寸 餘, 廣 尺 許, 四 周 多 落 角, 文 磨 滅 幾 不 可 辨 予 過 羅 池 廟 訪 遺 址, 蓋 子 厚 所 書 劍 銘 也 人 或 言 攜 其 拓 本 過 洞 庭 というのも 祠 内 にあって 採 拓 さ れたことを 告 げている さらに 約 二 〇 年 後 の 道 光 二 八 年 (1848) 広 西 道 監 察 御 史 であった 曹 楙 堅 (?- 1854) (54) の 羅 池 謁 柳 柳 州 祠 詩 に 頽 垣 讀 古 銘, 蔓 草 伏 殘 碑 と 詠 む これは 対 句 であり 柳 柳 州 祠 つまり 柳 宗 元 祠 にあった 古 銘 は 龍 城 石 刻 を 指 し 殘 碑 は 羅 池 廟 碑 を 指 す 王 錦 が 祠 を 重 修 した 時 か ら 数 えて 八 十 五 年 後 のことである この 間 柳 侯 祠 は 荒 廃 していったが 石 刻 は 確 かに 祠 内 の 頽 垣 崩 れかかった 壁 中 に まだ 健 在 であった 拓 本 はこの 柳 侯 祠 にあった 原 石 によって 採 られたはずであり それには 官 印 が 押 された 仮 に 翻 刻 されることがあったとしても それはこの 拓 本 に 依 拠 したものであ り しかし 原 石 が 存 在 する 以 上 それらに 官 印 が 押 されることはなかったであ ろう 新 蔵 石 刻 の 喪 失 しかしその 後 現 地 を 訪 れている31 八 瓊 室 金 石 補 正 の 精 確 な 記 録 によれ (52) 蘇 軾 孫 莘 老 求 墨 妙 亭 詩 に 龜 趺 入 坐 螭 隱 壁, 空 齋 晝 靜 聞 登 登 (53) 嘉 慶 廣 西 通 志 巻 55 職 官 表 國 朝 桂 林 市 政 府 文 化 研 究 中 心 編 桂 林 旅 游 大 典 ( 灕 江 出 版 社 1993 年 ) 錢 楷 (p663) (54) 清 國 史 館 傳 包 号 徐 世 昌 編 選 晩 晴 簃 詩 彙 ( 民 国 十 八 年 1929 刊 ) 巻 136 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p157)は 曹 茂 堅 に 作 る

26 40 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) ば 龍 城 石 刻 は 太 平 天 国 の 乱 によって 喪 失 する 咸 豊 六 年 (1856) 頃 つま り 曹 楙 堅 が 存 在 を 目 睹 したわずか 数 年 後 のことである 乱 平 定 後 同 治 三 年 (1864)に 柳 州 知 府 となった 孫 寿 祺 の 乙 丑 ( 同 治 四 年 ) 春 仰 謁 柳 侯 墓 (55) 詩 にも 羅 池 尚 照 今 時 月, 神 劍 難 尋 舊 日 銘 と 詠 み その 句 下 に 小 字 夾 注 を 加 え 祠 壁 劍 銘 舊 碑, 因 兵 燹 失 去 といって 補 説 する 祠 壁 にあった つまり 填 め 込 む 形 で 飾 られていた 劍 銘 の 舊 碑 とは 頽 垣 の 龍 城 石 刻 である 同 人 訪 城 東 柳 江 書 院 故 址 感 賦 (56) 詩 に 不 堪 卒 讀 殘 碑 碣, 剩 有 模 糊 碧 鮮 紋 とあるが こちらは 荔 子 碑 のことであろう 陸 氏 孫 氏 がいうように 龍 城 石 刻 は 確 かに 咸 豊 年 間 の 太 平 天 国 の 乱 で 喪 失 したのであり それまでは 柳 侯 祠 大 殿 の 内 壁 に 填 め 込 まれたままであった 八 瓊 室 金 石 補 正 の 撰 者 陸 増 祥 は 乱 平 定 後 石 刻 原 碑 の 行 方 を 尋 ねてい る 柳 州 での 伝 聞 によれば この 時 すでに 碑 石 は 馬 平 県 から 鬱 林 に 移 って いたという 鬱 林 州 ( 今 の 広 西 玉 林 市 )は 柳 州 よりも 遥 か 東 南 のかた( 直 線 距 離 約 200Km) 広 東 との 界 にある 収 蔵 者 は 秘 匿 して 閲 覧 させなかったらしいが 13 宜 祿 堂 にも 劉 玉 麟 判 廣 西 鬱 林 州 時 所 拓 と 見 える この 地 名 の 一 致 は 偶 然 なのであろうか 劉 玉 麟 所 拓 は 乾 隆 五 七 年 (1792) 頃 洪 秀 全 の 乱 より 半 世 紀 も 前 のことである しかも 乱 の 数 年 前 まで 石 刻 が 祠 壁 中 にあったことは 先 の 曹 楙 堅 等 の 詩 によって 確 かであり 鬱 林 州 に 移 っていたのでも 摸 刻 され たものと 入 れ 替 ったわけでもない いっぽう 公 開 しなかった 理 由 を 蓋 其 人 嘗 為 賊 脅, 懼 禍 之 及 也 という 太 平 天 国 軍 に 脅 迫 された 収 蔵 者 が 災 禍 の 及 ぶの を 恐 れたという 意 味 であろうか 或 往 詢 之 は 陸 氏 の 伝 聞 に 過 ぎない 当 時 すでに 太 平 天 国 の 乱 は 鎮 圧 されていたから 懼 禍 之 及 也 する 心 配 はないと 思 われる ただし 鬱 林 州 は 太 平 天 国 軍 蜂 起 の 地 である 潯 州 府 の 南 に 隣 接 するか ら まだ 残 党 が 暗 躍 していたのを 恐 惧 したのであろうか 龍 城 石 刻 は 官 軍 に 法 力 をあたえて 太 平 天 国 軍 を 制 覇 したと 吹 聴 されており 太 平 天 国 軍 にとっ まが ては 禍 々しきものであった 十 朝 詩 乘 巻 20 馬 端 敏 遇 刺 (57) に 次 のように (55) 柳 侯 祠 石 刻 注 釋 (p116) (56) 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p162) (57) 郭 則 澐 ( ) 十 朝 詩 乘 ( 民 国 二 四 年 1935) 卞 孝 萱 等 点 校 福 建 人 民 出 版 社 2000 年 (p836) この 事 件 について 詳 しくは 前 稿

27 戸 崎 哲 彦 41 いう 柳 子 厚 龍 城 録 載 : 龍 城 在 柳 州 羅 池 北, 有 石 刻 云 : 龍 城 柳, 神 所 守 驅 厲 鬼, 出 匕 首 福 士 氓, 制 九 醜 凡 十 八 字 同 治 初 年, 金 陵 砥 定, 兒 童 競 歌 是 語, 以 為 兵 燹 甫 平, 誦 之 以 驅 厲 祈 福 也 迨 馬 端 敏 遇 刺, 周 彦 升 謂 其 應 讖, 因 作 龍 城 謠 云 : 龍 城 柳, 神 所 守, 驅 厲 鬼, 出 匕 首 匕 首 出, 日 無 光 柳 星 正 對 連 天 張 吁 嗟 乎, 世 間 怪 事 無 不 有, 龍 城 柳, 出 匕 首 しかし 当 時 まだ 懼 禍 之 及 也 であれば 常 維 潮 の 場 合 も 同 様 であろう 現 存 拓 本 の 丙 種 は 常 維 潮 による 同 治 元 年 しかも 広 東 の 西 北 連 州 陽 山 県 での 重 刻 で ある その 地 は 太 平 天 国 軍 が 占 拠 して 五 王 を 立 てた 平 楽 府 の 東 に 隣 接 する か つての 巣 窟 である 石 刻 の 所 蔵 者 は 太 平 天 国 軍 の 禍 を 恐 れたのではなく そも そも 偽 刻 であったために 公 開 を 拒 んだのではなかろうか 在 鬱 林 某 里 は 太 平 天 国 の 乱 中 に 某 人 が 龍 城 石 刻 を 避 難 させて 鬱 州 に 持 ち 帰 ったと 考 える こともできるが それ 以 後 にも 柳 州 に 龍 城 石 刻 は 存 在 しており それは 系 統 を 異 にしていた 新 蔵 石 刻 の 摸 刻 陸 氏 は 近 今 所 拓, 似 是 翻 本 という これは 奇 しくも 先 に 提 示 した 清 拓 の 乙 種 から 甲 種 への 交 代 に 一 致 する 陸 氏 は 似 是 翻 本 というのみで 具 体 的 にどのようなものあったのか 説 明 していないが たしかに 翻 刻 が 存 在 した 先 に 考 察 したように 官 印 A 種 をも つものは 乾 隆 三 一 年 以 後 にして 咸 豊 年 間 以 前 に 採 拓 されたものであり 劉 玉 麟 採 拓 本 常 維 潮 重 刻 本 は 共 に 清 拓 乙 種 の 系 統 に 属 するが いっぽう 官 印 B 種 を もつ 清 拓 甲 種 は 咸 豊 年 間 以 後 の 採 拓 である つまり 陸 氏 がいう 近 今 の 翻 本 とは 甲 種 をいうもののようである ただし21 古 墨 齋 金 石 跋 によれば 甲 種 の 系 統 はすでに 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 に 存 在 していたと 考 えられる しかし 先 に 見 たように 乾 隆 二 八 年 (1763)の 献 納 から 太 平 天 国 の 乱 における 喪 失 まで の 約 百 年 の 間 新 蔵 石 刻 が 祠 壁 中 に 填 め 込 まれていたこと また 乾 隆 間 の12 秋 燈 叢 話 ( 乾 隆 四 九 年 1784)と13 宜 祿 堂 收 臧 金 石 記 ( 乾 隆 五 七 年 1792)の 跋 文 柳 井 との 共 通 性 から 官 印 を 押 したものが 乙 種 であったと 考 えられる ことから 祠 壁 中 にあったのは 乙 種 であり 太 平 天 国 の 乱 でそれを 喪 失 して 甲 種 が 出 現 したということになる ただしこれにも 問 題 があり 縦 横 が 王 錦 の 記 録 と 大 きく 異 なる 甲 乙 との 関 係 について ここでは 問 題 を 提 起 するに 止 めて

28 42 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 後 で 再 考 する 太 平 天 国 期 に 碑 石 を 喪 失 した 後 について 前 掲 の 周 耀 文 重 刻 本 の 跋 によれ ば 民 初 此 碑, 安 教 育 局 内 であり 民 国 十 七 年 (1928)に 柳 侯 祠 が 火 災 に 遭 うまで 龍 城 石 刻 は 祠 内 に 存 在 した しかし 陸 増 祥 孫 寿 祺 の 記 録 によれば 龍 城 石 刻 は 民 国 初 (1913)の 半 世 紀 近 く 前 の 咸 豊 六 年 (1856) 頃 にすでに 喪 失 しており 鬱 林 州 に 移 ったかどうかは 未 詳 であるとしても 少 なくとも 同 治 三 年 (1864)までは 存 在 しなかった 民 初 此 碑, 安 教 育 局 内 とは 民 国 初 には 石 刻 が 教 育 局 に 置 かれていたことを 謂 うに 過 ぎないであろう 柳 侯 祠 は 教 育 局 内 にあった 太 平 天 国 の 乱 で 喪 失 したものが 民 国 初 に 至 って 始 めて 置 かれた ことは 回 収 奪 回 されたのでなければ この 間 に 翻 刻 されたのである 陸 増 祥 が 近 今 所 拓, 似 是 翻 本 というのは 民 国 初 以 前 のことである つまり 清 末 には 翻 刻 が 出 現 していた また 民 国 初 以 前 である 宣 統 辛 亥 三 年 (1911)の 徐 宗 培 謁 柳 文 惠 侯 祠 (58) 詩 には 劍 氣 難 平 王 叔 黨, 茘 碑 珍 似 召 公 棠 と 詠 んでいる 荔 碑 即 ち 荔 子 碑 と 対 をなす 劍 氣 は 劍 銘 碑 即 ち 龍 城 石 刻 を 謂 う これを 取 り 上 げて 詠 むのは 柳 文 惠 侯 祠 即 ち 柳 侯 祠 に 存 在 するそれを 目 睹 してのことではなかろうか そうならば 乱 後 における 翻 刻 出 現 の 時 期 は 清 末 の 宣 統 三 年 以 前 また 孫 寿 祺 の 詩 によって 同 治 四 年 (1865) 以 後 の 約 半 世 紀 の 間 である さらにこれを 限 定 すれば 周 耀 文 は 民 初 此 碑 が 清 末 の 翻 刻 であることを 知 らなかったようである つまり 記 憶 からさほど 近 く ないと 推 測 されること また 拓 本 を 護 符 とする 風 習 が 当 地 には 深 く 根 付 いてお り 民 間 ではそれを 渇 望 したであろうことなどを 考 えると 喪 失 からさほど 時 間 の 経 っていない 頃 つまり 孫 寿 祺 詩 の 直 後 同 治 年 間 ( )の 後 期 に 求 めたい 光 緒 二 五 年 (1899)には 殿 堂 滲 漏, 廓 廡 欹 斜, 墻 壁 剥 落 甚 至 窗 檻 門 榻, 為 人 竊 取 殆 盡 であった 柳 侯 祠 が 重 修 されているから (59) 晩 くともこ の 頃 には 以 前 のように 祠 壁 中 に 重 刻 が 填 め 込 まれたのではなかろうか 民 初 此 碑, 安 教 育 局 内 というのはそれであるが これも 約 十 六 年 後 に 焼 失 し さ らにその 五 年 後 に 周 耀 文 によって 重 刻 される それは 甲 種 の 系 統 に 属 するもの (58) 祠 内 に 現 存 柳 侯 祠 石 刻 注 釋 (p129) 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p164) (59) 倪 思 齡 重 修 柳 侯 祠 記 柳 侯 祠 文 獻 滙 編 (p124)

29 戸 崎 哲 彦 43 であった お わ り に 龍 城 石 刻 はこのように 喪 失 と 翻 刻 を 繰 り 返 し 数 奇 な 運 命 をたどって 来 た 以 上 をまとめれば 明 末 から 民 国 までにおいて 少 なくとも 次 のような 種 類 と 系 統 の 存 在 が 推 定 される A 銘 文 自 署 跋 文 縦 / 横 ( 寸 ) 拠 字 年 代? 刻 龍 城 柳 神 所 守 驅 厲 鬼 出 匕 首 福 四 民 制 九 醜 元 和 十 二 年 柳 子 厚 7-8? 旧 蔵 石 刻 明 末 ~ 乾 隆 二 八 年 (1763) 以 前 B? 刻 城 柳 神 守 驅 厲 鬼 出 匕 首 福 四 民 制 九 醜 天 啓 三 年 龔 重 得 此 于 柳 井 中 乾 隆 二 八 年 (1763) 6 08 新 10 余 蔵 5 余 25 道 光 九 年 (1829) 頃 石 刻 C 石 刻 城 柳 神 守 驅 厲 鬼 出 匕 首 福 四 民 制 醜 元 和 十 二 年 柳 宗 元 天 啓 三 年 龔 重 得 此 于 柳 井 中 乙 乾 隆 五 七 年 (1792) 以 前 20 乙? 嘉 慶 十 年 (1805) 以 前 39 乙? 1980 年 以 前 12 乙? 乾 隆 四 九 年 (1784) 30 乙 咸 豊 ( ) 以 前 D 17cm 47cm 存 丙 1862 年 常 維 潮 重 刻 E 君 刻 城 柳 神 守 驅 厲 鬼 出 匕 首 福 四 民 制 醜 天 啓 三 年 龔 重 得 此 于 柳 井 中 F 17cm 46cm 存 丁 21 甲 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 40 甲 1984 年 以 前 民 国 二 二 年 (1933) 周 耀 文 重 刻 まず 大 きく 新 旧 二 刻 (A B)に 分 かれ さらに 新 刻 は 甲 乙 二 種 類 (C D とE F)に 大 別 されるが 問 題 はA 類 が 甲 乙 のいずれかということであ る あるいは 種 類 はこれより 多 いことも 考 えられ 分 類 は 困 難 を 極 め 系 統 は

30 44 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 紛 糾 する 新 蔵 石 刻 の 原 石 は 一 つであるが 多 くの 種 類 は 複 数 の 翻 刻 の 出 現 に よるものなのか 単 に 著 録 の 相 異 によるものなのか 分 類 が 複 雑 な 様 相 を 呈 す るのは 主 に 以 下 の 理 由 による 1) 残 存 部 分 の 釈 文 最 も 微 妙 な 差 異 で 分 れるのが06 行 第 一 字 九 の 釈 文 であり 九 元 羣 あるいは 缺 字 に 作 るものに 分 かれる しかし これは 清 拓 では 一 部 が 剥 落 しており 著 録 者 がそれを 強 いて 釈 文 するか 否 かによって 生 じた 相 異 に 過 ぎ ない 2) 首 行 の 有 無 現 存 清 拓 はいずれも 首 行 を 有 しているが 明 清 の 石 刻 資 料 でそれを 記 録 する 例 は 稀 であり 記 録 が 無 いといっても 首 行 が 無 かったとは 限 らない また 首 行 を 有 していたとしても 石 刻 君 刻 に 分 れる 以 外 に 羅 池 石 刻 であった 可 能 性 もあり 逆 に 有 さないものがあったならば 分 類 は 更 に 多 岐 に わたる 乾 隆 二 八 年 の 新 蔵 石 刻 の 献 納 から 二 九 年 後 の13 宜 祿 堂 收 臧 金 石 記 ( 乾 隆 五 七 年 1792)が 石 刻 を 録 しており さらに 旧 蔵 石 刻 においても 柳 州 石 刻 羅 池 石 刻 龍 城 柳 石 刻 と 称 されているから ほんらい 首 行 石 刻 を 有 するものであったのではなかろうか ただし 石 は 君 に 近 い 字 跡 であったかも 知 れない 君 に 作 る21 古 墨 齋 金 石 跋 は 跋 文 を 柳 井 二 字 に 作 っており これは 王 錦 の 記 録 と 一 致 する 3) 縦 横 尺 寸 の 不 同 この 他 に 最 も 不 可 解 な 相 異 として 石 刻 の 縦 横 尺 寸 の 不 同 がある 記 録 によれ ば 新 蔵 石 刻 には 少 なくとも 5 寸 14 寸 と 8.3 寸 19 寸 の 二 種 類 があっ た 両 者 には 縦 10cm 横 16cmもの 差 があり これは 誤 差 の 範 囲 をはるかに 超 え る 今 前 者 を 小 本 後 者 を 大 本 と 呼 んでおく 旧 蔵 石 刻 の 縦 7-8 寸 との 差 異 は 旧 蔵 に 上 部 龍 所 等 が 欠 損 していなかったことによると 推 測 され るが 新 蔵 石 刻 の 間 の 差 異 は 記 録 によれば 欠 損 部 分 の 有 無 によるものでは ない そもそも 現 存 する 重 刻 と 清 拓 は 題 自 署 跋 文 による 構 成 とその 内 容 配 置 字 跡 および 原 石 の 形 状 のいずれにも 微 細 な 差 異 があるとはいえ ほぼ 一 致 する これは 新 蔵 石 刻 が 重 ねて 翻 刻 されたことを 証 するものである しかしこ れに 縦 横 尺 寸 を 加 えて 観 るならば 現 存 する 重 刻 清 拓 は 清 人 著 録 の 小 本 に 最

31 戸 崎 哲 彦 45 も 近 い いっぽう 大 本 の 記 録 も 一 例 ではなく 金 石 萃 編 等 複 数 の 資 料 ( )に 見 られるから 信 憑 性 が 高 いといえる しかしそのような 現 存 清 拓 を 知 らない 今 日 に 伝 存 していないことはその 存 在 を 否 定 することにはならない が 摸 刻 という 作 業 の 通 例 に 照 らして 不 自 然 である 翻 刻 が 繰 り 返 されていたことは 明 徐 霞 客 の 記 録 によっても 容 易 に 想 像 され る それは 拓 本 を 販 売 する 目 的 で 行 なわれたのであり それは 拓 本 が 当 地 での 柳 宗 元 祭 祀 と 民 間 伝 承 によって 生 まれた 信 仰 を 背 景 として 広 く 災 厄 祓 除 の 護 符 として 求 められたという 需 要 からであった しかもその 行 為 と 効 果 は 清 代 では 官 印 を 押 して 承 認 され 保 証 されていた 頻 繁 に 拓 本 がとられるために オリ ジナルの 破 損 や 喪 失 を 恐 れて 複 製 即 ちレプリカを 造 った 上 でそれから 採 拓 さ れたことは 考 えられないことではない しかしそうであるとしても 本 物 に 極 めて 近 く 模 倣 して 造 られたはずである そもそも 石 刻 の 翻 刻 は 現 存 石 刻 やその 拓 本 を 臨 摸 し あるいはその 拓 本 を 貼 って 重 刻 される それが 文 字 に 止 まら ず 石 の 形 状 サイズまで 真 似 たことは 清 拓 と 現 存 する 重 刻 の 類 似 を 見 ても 明 らかである したがって 字 跡 に 若 干 の 微 妙 な 差 異 が 生 じることはあっても 縦 横 のサイズに 極 端 な 違 い つまり 面 積 にして 二 倍 以 上 もの 差 が 生 じることは まず 考 えにくい 府 県 の 三 官 印 を 有 するもの つまり 護 符 用 の 拓 本 として 官 署 より 認 可 され 保 証 されたものにおいては 尚 更 である では 新 蔵 石 刻 の 大 小 両 本 の 差 異 はどのように 理 解 すればよいのか 大 本 はサイズを 除 けば 題 自 署 跋 文 からなる 構 成 配 置 字 跡 はいずれも 現 存 重 刻 や 清 拓 と 一 致 する そこで 大 本 の 尺 寸 の 記 録 には 誤 りがあって 本 来 は 小 本 と 同 じであると 考 えたいのであるが しかし 誤 りであるならば なぜその ように 記 されたのか 拓 本 紙 片 のサイズと 解 すればそれに 近 くなるはずである が 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸 とは 原 石 について 謂 う ただ 奇 妙 なこ とに 大 本 三 例 には 20: 石 殘 缺, 僅 存 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 13: 石 殘 缺, 橫 廣 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 分, 八 行, 行 四 字, 行 書, 在 廣 西 馬 平 縣 39: 石 殘 缺, 僅 橫 一 尺 九 寸, 高 八 寸 三 四 分 在 廣 西 馬 平 縣 柳 侯 祠 缺 首 行, 行 書, 八 行, 行 四 字 とあって 尺 寸 を 含 む 前 後 の 記 録 までほぼ 一 致 しており 他 の 数 十 例 の 記 録 と 比

32 46 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) 較 してこれほどまでの 類 似 は 踏 襲 によるものであること 疑 いない では 何 に 拠 ったのか それは 最 も 早 い 例 つまり13 宜 祿 堂 が 引 用 している20 金 石 萃 編 に 違 いない ただ 僅 存 二 字 を 欠 き また 後 の39 碑 帖 叙 録 では 存 廣 の 二 字 を 欠 く 廣 を 欠 くのは 横 高 の 表 記 ですでに 意 を 尽 くしているからであるが 共 に 存 を 欠 くのは20 金 石 萃 編 の 表 記 が 残 存 部 分 の 尺 寸 を 示 すものと 誤 解 されることを 避 けるために 刪 除 されたので はなかろうか つまり 金 石 萃 編 の 記 す 尺 寸 は 残 缺 する 不 完 全 な 碑 石 の 大 き さではない また 残 存 部 分 によって 推 定 される 原 碑 石 の 大 きさも 大 差 はないか らそれでもない だとすれば 原 因 は 拓 本 紙 片 の 大 きさしか 考 えられない 20 金 石 萃 編 は 金 石 学 の 集 大 成 にして 権 威 でもあったから 13 39はその 記 載 を 襲 用 しながら 不 明 確 な 箇 所 に 整 理 を 加 えたのである 現 時 点 ではこれ 以 外 に 合 理 的 な 説 明 が 見 出 せない 次 に では 石 刻 の 交 替 は 何 度 あったのか いつあったのか 新 蔵 石 刻 が 祠 壁 に 填 め 込 まれた 後 旧 蔵 石 刻 に 替 わって 正 統 の 位 置 を 得 たこ とは 多 くの 著 録 と 清 拓 から 明 らかであるが 官 印 との 関 係 から 見 れば 先 に 指 摘 したように 官 印 の 印 文 中 に 中 行 加 添 字 樣 と 呼 ばれる 満 文 楷 書 小 字 が 加 わるのは 道 光 十 九 年 (1839) 以 後 とする 定 説 に 従 って 乙 種 から 甲 種 へ 移 行 した と 考 えねばならない 太 平 天 国 の 乱 平 定 後 の 咸 豊 年 間 ( ) 後 期 以 後 官 印 B 種 の 押 されて いる 拓 本 はいずれも 甲 種 であって それ 以 前 の 官 印 A 種 をもつ 甲 種 はなく か つ 碑 石 は 平 定 後 恐 らく 同 治 五 年 (1866) 頃 に 再 び 翻 刻 されて 祠 内 に 置 かれて おり その 後 民 国 十 七 年 (1928)に 焼 失 したためにまた 周 耀 文 によって 翻 刻 さ れたが それも 甲 種 の 系 統 であった いっぽう 乙 種 は 乾 隆 五 七 年 (1792) 前 後 の 劉 玉 麟 採 拓 本 さらに 同 治 元 年 (1862) 常 維 潮 重 刻 本 が 乙 種 の 系 統 であり これ も 太 平 天 国 の 乱 平 定 を 境 とした 乙 種 から 甲 種 への 移 行 を 傍 証 する 31 八 瓊 室 金 石 補 正 が 洪 逆 擾 亂 後, 已 失 所 在 として 近 今 所 拓, 似 是 翻 本 という のは それが 引 用 している20 金 石 萃 編 22 平 津 讀 碑 記 と 比 較 してのこ とであり 20 金 石 萃 編 は13 宜 祿 堂 にも 引 用 されていることから 首 行 を 石 刻 に 作 るもの 乙 種 であった 乙 種 は 乱 時 に 喪 失 して 平 定 後 に 甲 種 に 入 れ 替 わったのである しかしこれに 合 わない 記 録 が 一 例 ある 甲 乙 二 種 を 区 別 する 重 要 な 根 拠 の 一 つに 首 行 の 文 字 があり 乙 種 は 石 刻 に 近 く 君 刻 は 甲 種 に 近 い 21 古

33 戸 崎 哲 彦 47 墨 齋 金 石 跋 の 録 する 所 は 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 にあって つまり 太 平 天 国 の 乱 以 前 に 君 刻 に 近 く 作 ったものが 存 在 したことを 告 げている つまり 乙 種 から 甲 種 への 移 行 の 仮 説 に 矛 盾 するわけである この 一 例 の 記 載 を 信 じる 限 り 甲 種 は 乙 種 以 前 に 存 在 した あるいは 早 くから 甲 乙 二 種 が 併 存 していた さらには 甲 種 から 乙 種 を 経 て 甲 種 へ 交 替 をたどったという 可 能 性 を 考 えねばな らない また 考 察 の 過 程 で 清 拓 甲 乙 の 特 徴 として 跋 文 の 柳 井 二 字 と 柳 井 三 字 の 差 異 も 挙 げることができた 現 存 する 精 拓 によって 観 れば 甲 種 は 明 らかに 柳 井 であり 乙 種 は 柳 井 に 近 い そこで 新 蔵 石 刻 が 太 平 天 国 の 乱 を 境 として 1) 乙 種 甲 種 と 交 替 したことはほぼ 断 定 してよいが それ 以 前 に 甲 種 から 乙 種 への 交 替 が あったのではないか 仮 に21 古 墨 齋 によって 乙 種 以 前 に 甲 種 の 存 在 を 認 め たとしても 祠 壁 に 填 め 込 まれていたものは 一 つであり それではなかろう つまり 2) 甲 種 乙 種 甲 種 の 過 程 が 想 定 される 祠 壁 に 填 め 込 まれていた 原 石 の 拓 本 であるか 否 かを 断 定 できるのは 官 印 の 有 無 であるが 残 念 ながら 古 墨 齋 が 官 印 を 有 していたこ とは 記 録 されていない むしろ 官 印 の 有 無 まで 記 録 する 例 は 少 ないのであり 記 録 がないことは 存 在 していなかったことを 証 明 する 十 分 条 件 にはならない が 官 印 を 有 するものが 乙 種 であったであろうことは12 秋 燈 叢 話 が 天 啓 跋 文 を 柳 井 に 作 ることから 推 測 される ただし 柳 井 / 柳 井 は 柳 下 が 行 末 にあり 著 録 者 の 見 たものが 精 拓 でなければ 誤 釈 が 生 じ 易 い そもそも 新 蔵 石 刻 の 拓 本 あるいはその 記 録 によれば 前 の 表 で 示 したように 幾 つかに 分 類 されるが 新 蔵 石 刻 そのものは 唯 一 の 物 であり 龍 城 石 刻 は 乾 隆 二 八 年 に 献 納 されて 以 来 柳 侯 祠 の 壁 中 に 填 め 込 まれていた 柳 州 の 官 印 が 押 されている 拓 本 はそれから 採 拓 したものであり 翻 刻 もそれによって 行 なわれたはずである 今 新 蔵 石 刻 がほんらい 甲 種 であったと 仮 定 すれば 太 平 天 国 の 乱 で 喪 失 する 以 前 のある 時 になぜ 乙 種 に 換 わったのか また 太 平 天 国 の 乱 以 前 は 確 かに 乙 種 であったものが 喪 失 後 にはなぜ 甲 種 に 換 わったの か じつは 両 者 は 密 接 に 関 係 するのではなかろうか 乱 で 喪 失 したのは 乙 種 で あり したがって 柳 侯 祠 内 に 填 め 込 まれていたのは 乙 種 であって 甲 種 ではない が 甲 種 も 存 在 していたとなれば それは 祠 内 ではなく 民 間 に 伝 わっていたの

34 48 偽 柳 宗 元 手 書 龍 城 石 刻 諸 本 の 特 徴 と 系 統 ( 下 ) である そこで 乱 以 前 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 にあって 祠 内 の 新 蔵 石 刻 = 乙 種 とは 別 にすでに 翻 刻 がいくつか 作 られて 伝 わっており その 一 つが 甲 種 で あり 乱 で 祠 内 の 石 刻 が 喪 失 した 後 に 甲 種 が 置 かれるようになった つまり 新 蔵 石 刻 のレプリカが 乱 後 にオリジナルに 入 れ 替 わったのではないかというの が 現 時 点 での 筆 者 の 仮 説 である 柳 侯 祠 内 に 置 かれた 龍 城 石 刻 は 乾 隆 二 八 年 (1763)に 旧 蔵 石 刻 から 天 啓 跋 文 を 有 する 石 刻 に 交 替 し 太 平 天 国 後 おそらく 同 治 五 年 から 光 緒 二 五 年 (1899)までに 再 び 交 替 し 民 国 十 七 年 (1928)の 焼 失 によってまた 重 刻 されて 交 替 した ここに 至 って 新 たに 問 題 を 提 起 するのが1977 年 の 重 刻 である 現 在 その 原 石 は 柳 侯 祠 大 殿 の 柳 宗 元 遺 像 前 に 置 かれた 賽 銭 箱 の 上 のガラスケースの 中 に 納 められている これは 龍 城 石 刻 の 五 代 目 新 蔵 石 刻 からいえば 四 代 目 なのであるが じつは 全 体 的 には つまり 題 銘 文 自 署 では 甲 種 の 特 徴 を 備 えながら 跋 文 に 至 っては 明 らかに 柳 井 に 作 っており また 他 の 字 跡 や 字 の 間 隔 位 置 も 微 妙 に 異 なる 清 代 の 官 印 を 有 する 精 拓 で 観 る 限 り 祠 内 に 前 後 献 納 されていた 龍 城 石 刻 は 甲 乙 二 種 に 分 けられるのであるが 1977 年 重 刻 本 は 両 方 の 特 徴 を 具 備 しているのである これは 当 時 そのような 拓 本 が 別 にあってそれに 拠 ったものなのか あるいは 拠 った 甲 種 の 跋 文 部 分 が 偶 々 鮮 明 さを 欠 くものであったために 部 分 的 に 乙 種 を 参 考 にしたのか 新 たな 問 題 を 提 起 する いずれにしても 今 日 祠 内 に 置 かれ かつ 図 版 等 で 柳 宗 元 の 真 蹟 として 紹 介 され かつ 将 来 に 伝 えられるのはこの 四 代 目 新 蔵 石 刻 龍 城 石 刻 なのであり ここに 甲 乙 丙 丁 と 微 妙 に 異 なるものとして 区 別 しておくの がよかろう 今 戊 種 と 呼 んでおく 以 上 考 察 した 所 を 表 にして 示 す

35 戸 崎 哲 彦 49 甲 種 翻 刻 (?) 旧 蔵 石 刻 乾 隆 二 八 年 (1763) 以 前 新 蔵 石 刻 乾 隆 二 八 年 (1763) 乙 種 + 官 印 A 種 乙 系 統 = 劉 玉 麟 所 拓 喪 失 ( 一 説 在 鬱 林 州 ) 乾 隆 三 一 年 (1766) 以 後 乾 隆 五 七 年 (1792) 前 後 嘉 慶 十 五 年 (1810) 以 前 太 平 天 国 の 乱 咸 豊 六 年 (1856) 頃 同 治 元 年 (1862) 以 前 甲 種 + 官 印 B 種 同 治 ( ) 後 期 以 後 焼 失 丁 種 = 周 耀 丙 種 = 常 維 潮 重 刻 陽 山 県 官 廨 民 国 十 七 年 (1928) 民 国 二 二 年 (1933) 文 重 刻 戊 種 = 柳 州 市 博 物 館 重 刻 1977 年 甲 種 乙 種 時 期 * 本 稿 は 科 研 費 ( 課 題 番 号 )による 研 究 成 果 の 一 部 である ( )

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