文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) し 公 立 精 神 病 院 と 同 等 の 病 院 であると 見 なそうとするものであった これは 公 立 精 神 病 院 を 増 やす 政 策 ではなく 私 立 精 神 病 院 でもって

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1 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し * 小 泉 博 明 [ 要 旨 ] 斎 藤 茂 吉 は 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 を 卒 業 後 恩 師 呉 秀 三 の 許 で 東 京 府 巣 鴨 病 院 医 員 として 勤 務 した 精 神 病 医 である 茂 吉 の 名 を 歌 人 として 一 躍 高 らしめたのが 1913( 大 正 2) 年 に 刊 行 した 第 一 歌 集 赤 光 である その 中 で 異 彩 を 放 つのが 狂 人 守 の 連 作 である 精 神 病 者 や 精 神 病 医 さらには 精 神 病 院 をテーマとした 歌 が 詠 まれたのである 本 論 では 茂 吉 が 欧 州 へ 留 学 するまでの 茂 吉 の 作 品 から 精 神 病 医 である 茂 吉 が 精 神 病 者 に 対 して どの ような 眼 差 しであったのかを 当 時 の 時 代 精 神 を 読 み 解 きながら 考 察 し また 茂 吉 の 自 殺 嫌 悪 の 基 層 を 解 明 するものである 1.はじめに 斎 藤 茂 吉 が 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 を 卒 業 し 東 京 府 巣 鴨 病 院 に 勤 務 したのは 1911( 明 治 44) 年 2 月 から 1917( 大 正 6) 年 1 月 までであり 6 年 ほどの 期 間 であった ここで 茂 吉 の 精 神 病 者 への 眼 差 しを 考 察 するに 当 時 の 精 神 病 を 取 り 巻 く 状 況 について 俯 瞰 しておく 必 要 がある 1900 年 に 精 神 病 者 監 護 法 が 成 立 したが これは 精 神 病 者 の 私 宅 監 置 を 法 的 に 是 認 し た 内 容 であった 要 するに 私 宅 監 置 ができない 場 合 には 精 神 病 院 への 隔 離 や 収 容 が 行 われる という 事 でもある また 精 神 病 院 への 入 院 手 続 きをすべて 警 察 の 管 轄 下 に 置 き 私 立 の 精 神 病 院 も 警 察 さらには 内 務 省 の 監 督 下 に 置 いたのであった 精 神 病 者 は 医 療 による 管 理 ではな く 警 察 という 治 安 による 管 理 に 置 かれていたという 事 である これは 精 神 病 に 特 定 するも のではなく 当 時 は 伝 染 病 が 流 行 すれば 衛 生 行 政 は 警 察 の 管 轄 であった この 精 神 病 者 監 護 法 は 結 果 的 には 戦 後 になって 1950 年 に GHQの 指 導 により 精 神 衛 生 法 が 施 行 されるまで 存 続 した これは 私 宅 監 置 と 言 う 劣 悪 な 座 敷 牢 が 戦 後 まで 存 在 していたということである そこで 政 府 は 公 立 精 神 病 院 の 圧 倒 的 な 不 足 を 解 消 するために 第 一 次 世 界 大 戦 が 終 結 した 翌 1919( 大 正 8) 年 になると 精 神 病 院 法 を 公 布 した 内 務 省 衛 生 局 は 代 用 精 神 病 院 の 制 度 を 明 ら かにした この 制 度 は 私 立 精 神 病 院 であっても 一 定 の 基 準 を 満 たせば 国 庫 から 補 助 金 を 給 付 * 教 授 / 倫 理 学 153

2 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) し 公 立 精 神 病 院 と 同 等 の 病 院 であると 見 なそうとするものであった これは 公 立 精 神 病 院 を 増 やす 政 策 ではなく 私 立 精 神 病 院 でもって 精 神 病 院 の 絶 対 的 な 不 足 を 代 用 する 制 度 であった このような 制 度 は 諸 外 国 に 例 を 見 ないものであり 政 府 の 簡 易 で 安 上 がりの 精 神 医 療 政 策 であ ると 言 えよう 同 年 に 内 務 省 衛 生 局 から 私 立 精 神 病 院 経 営 者 に 提 示 された 代 用 精 神 病 院 の 指 定 条 件 の 第 3 項 は 次 のようにある 医 員 ノ 数 ハ 院 長 ヲ 加 へ 患 者 六 十 名 ニツキ 一 名 以 上 ノ 割 合 ニ 専 任 者 ヲ 置 クコト 但 シ 院 長 以 外 ノ 医 員 中 一 名 以 上 ハ 精 神 病 ニ 関 スル 学 識 経 験 ヲ 有 スル 者 タルコト 患 者 ノ 数 六 十 名 ニ 充 タザル 場 合 ニオイテモ 医 員 ノ 数 ハ 院 長 ヲ 加 ヘ 二 名 ヲ 下 ルコトヲ 得 ズ 病 院 の 医 者 数 臨 床 数 設 備 構 造 給 食 内 容 などの 基 準 を 満 たした 私 立 精 神 病 院 は 精 神 病 者 一 人 当 たりの 計 算 で 委 託 費 が 支 払 われるようになった よって 私 立 精 神 病 院 にとっ て 代 用 病 院 となれば 安 定 的 な 収 入 が 得 られるということであり 病 院 経 営 が 円 滑 に 運 営 される ことになる 早 くも 1920 年 には 茂 吉 が 後 に 院 長 となる 青 山 脳 病 院 も 代 用 精 神 病 院 に 指 定 さ れた 1920 年 以 降 各 地 の 主 要 な 私 立 精 神 病 院 は 代 用 精 神 病 院 の 指 定 を 受 けることとなった しかし この 代 用 制 度 は 精 神 病 院 の 不 足 を 補 完 する 抜 本 的 な 解 決 策 ではなく 一 時 的 に 精 神 医 療 の 課 題 を 棚 上 げにするだけであった 精 神 病 院 への 収 容 をすり 抜 けた 病 者 は 私 宅 監 置 で あり 非 病 院 的 な 施 設 まさにアジール 的 な 施 設 に 収 容 されていたのである 小 俣 和 一 郎 は ア ジールから 精 神 病 院 へ という 歴 史 的 な 変 化 がごく 短 期 間 に 一 斉 に 進 行 したのではなく 日 本 の 場 合 明 治 維 新 から 精 神 衛 生 法 の 成 立 する およそ 八 年 間 がその 移 行 期 に 相 当 していた と 考 えてよいであろう その 間 アジールと 精 神 病 院 とはともに 併 存 しつつ それぞれの 役 割 を 果 たしていたということである 1) と 言 う また 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 は 精 神 病 の 附 属 病 院 を 設 置 せずに 東 京 府 の 巣 鴨 病 院 を 臨 床 の 場 として 活 用 したのであった 茂 吉 の 恩 師 呉 秀 三 は 医 科 大 学 の 教 授 であり 東 京 府 巣 鴨 病 院 の 院 長 でもあった 2. 東 京 府 巣 鴨 病 院 医 員 斎 藤 茂 吉 が 精 神 病 医 として はじめて 赴 任 したのが 東 京 府 巣 鴨 病 院 であった そして 精 神 病 医 である 茂 吉 の 名 を 歌 人 として 一 躍 高 らしめたのが 1913( 大 正 2) 年 に 刊 行 した 第 一 歌 集 赤 光 である その 中 で 異 彩 を 放 つのが 狂 人 守 の 連 作 である 精 神 病 者 や 精 神 病 医 さら には 精 神 病 院 をテーマとした 歌 が 詠 まれたのである 当 時 いかにセンセーショナルであった のか 想 像 するに 難 くない 時 に 茂 吉 は 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 を 卒 業 し 恩 師 呉 秀 三 の 許 で 東 京 府 巣 鴨 病 院 医 員 として 勤 務 して 間 もない 頃 である きょうじん をり うけもちの 狂 人 も 幾 たりか 死 にゆきて 折 をりあはれを 感 ずるかな ( 赤 光 大 正 元 年 狂 人 守 ) この 歌 に とくに 難 解 な 所 はない 狂 人 守 連 作 8 首 の 最 初 にあり 一 連 の 導 入 であり 総 154

3 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) 括 的 な 歌 でもある 茂 吉 が 担 当 していた 精 神 病 者 が 幾 人 か 死 んで 時 折 り 無 常 を 感 ずるといの である ただし 狂 人 も という も に 精 神 病 者 への 悲 哀 が より 一 層 読 者 に 伝 わるので ある 生 きている 者 の 誰 もが 死 を 迎 えるという 無 常 がある これは 自 分 が 担 当 している 精 神 病 者 も 例 外 ではないのである 茂 吉 が 作 歌 四 十 年 においても 受 持 患 者 が 死 んだというこ とで 取 り 上 げた 歌 である 2) 茂 吉 は 精 神 病 者 の 狂 人 に 対 し 精 神 病 医 である 自 らを 狂 人 守 という また 精 神 病 医 を 茂 吉 自 らが 感 謝 せられざる 医 者 という 狂 人 守 とは 誰 もが 日 常 で 使 う 言 葉 ではない この 言 葉 には 茂 吉 の 精 神 病 者 に 対 する 深 く 沈 潜 した 思 いがある しかし 精 神 科 医 で 精 神 医 療 史 の 研 究 者 である 岡 田 靖 雄 は 茂 吉 の 歌 には 狂 人 守 狂 人 狂 院 瘋 癲 院 などという 差 別 語 があり 茂 吉 には 差 別 問 題 への 意 識 が 欠 如 しているとするが 皮 相 的 に 批 判 していると 言 わざるをえない 3) 何 故 に 岡 田 は 文 学 者 の 中 で 茂 吉 だけをスケープゴートにするのであろう か まさに らい 予 防 法 が 廃 止 されるとハンセン 病 において 隔 離 政 策 を 推 進 し それまでは 救 ライの 父 と 呼 ばれ 賞 賛 された 光 田 健 輔 が 糾 弾 されたのと 同 じ 文 脈 となるのである さて こ の 世 間 では 歓 迎 されない 狂 人 守 という 言 葉 には 何 とも 言 えない 哀 切 の 響 きが 感 じられる それは 狂 人 に 対 し 狂 人 守 である 茂 吉 が 病 者 の 側 に 身 を 置 いているからであり まさ に 病 者 に 寄 り 添 う 茂 吉 の 温 かな 眼 差 しがあるからなのである さらには 当 時 誰 が 狂 人 の 立 場 から その 悲 痛 な 叫 びを 謙 虚 に 聴 こうとしたと 言 えるであろうか 世 間 では 誰 もがと 言 え るほど 精 神 病 者 への 差 別 問 題 への 意 識 が 欠 如 していたのである 確 かに 恩 師 呉 秀 三 は 病 名 から 狂 の 字 を 取 り 除 き 例 えば 躁 鬱 狂 は 躁 鬱 病 となった それでは 世 間 では そのように 狂 の 字 と 訣 別 し 差 別 が 解 消 されたのであろうか 呉 秀 三 による 理 念 が 存 在 するが 現 実 には 精 神 病 医 の 中 で 取 り 決 められた 病 名 の 変 更 に 過 ぎなかったのが 実 態 である よって この 呉 秀 三 の 高 邁 な 精 神 は 当 時 の 社 会 では 全 くに 近 いほど 浸 透 していない 1924( 大 正 13 年 )12 月 29 日 養 父 紀 一 の 経 営 する 青 山 脳 病 院 焼 失 の 新 聞 記 事 の 見 出 しには 焼 出 された 狂 人 とあり 焼 け 跡 に 佇 む 精 神 病 者 の 姿 が 赤 裸 々に 写 真 で 掲 載 されている この 一 例 でもって すべてを 語 っ ているとも 言 えよう 当 時 は 狂 の 字 は 日 常 の 空 間 では 何 ら 抵 抗 なく 語 られていたのである あるいは 狂 人 は 別 の 差 別 語 でも 日 常 会 話 で 語 られていたのである 漸 く 戦 後 になり 1970 年 代 になると 短 歌 にある 差 別 語 の 狂 人 への 批 判 が 高 まるようになったのである 大 正 デモクラシーとは 言 え 女 性 の 参 政 権 もなく 男 女 同 権 に 程 遠 い 状 況 であり まして 精 神 病 者 の 人 権 の 回 復 まで 議 論 は 及 ばない 現 代 では 精 神 病 に 対 する 差 別 排 除 が 少 しずつ 緩 やかになっている 何 ら 抵 抗 なく 心 の 病 で 精 神 科 へ 通 院 していることを 他 者 に 憚 らずに 言 えるようになった このように 精 神 病 院 を 跨 ぐ 敷 居 は 少 しずつ 低 くなっている 茂 吉 の 作 品 を 理 解 する 上 で 時 代 精 神 の 隔 絶 した 相 違 についての 認 識 が 極 めて 肝 要 なのは 言 うまでもない また 当 時 は 精 神 病 に 対 する 有 効 な 手 だてが 精 神 医 学 において 確 立 されていなかったのである 即 ち 精 神 病 院 が 治 療 により 治 癒 する 空 間 でなく 世 間 から 病 者 を 隔 離 し 隠 蔽 する 異 空 間 で あったのである 恩 師 呉 秀 三 により 病 者 への 拘 束 具 は 解 放 されたとは 言 え 暴 力 的 な 病 者 を 155

4 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) 投 薬 により 安 定 化 させることが 困 難 であった 状 況 では 精 神 病 医 だけではなく とりわけ 看 護 人 の 負 担 は 重 いものであった も は 死 に 近 き 狂 人 を 守 るはかなさに 己 が 身 すらを 愛 しとなげけり ( 赤 光 明 治 四 十 四 年 折 りに 触 れて ) 茂 吉 は 間 もなく 臨 終 を 迎 える 精 神 病 者 を 看 取 っているが 為 す 術 もなく 精 神 病 者 は 死 んで いく このようなはかなさ 見 るにつけて 自 分 の 身 さえいとおしいと 嘆 くのである 医 者 とい う 職 業 の 故 身 近 に 死 を 看 取 るからである 茂 吉 が 狂 人 守 の 歌 を 詠 んだ 頃 に 恩 師 である 呉 秀 三 は 東 京 帝 国 大 学 精 神 病 学 教 室 の 教 室 員 を1 府 14 県 に 派 遣 し 1910( 明 治 43) 年 から 1916( 大 正 5) 年 にかけて 364 の 私 宅 監 置 を 調 査 した 私 宅 監 置 とは 1900( 明 治 33) 年 に 公 布 された 精 神 病 者 監 護 法 に 基 づき 行 政 庁 の 許 可 のもとで 私 宅 に 一 室 を 設 け 精 神 病 者 を 監 禁 することをいう 国 家 が 容 認 した 座 敷 牢 である 当 時 の 精 神 病 者 は 14 万 から 15 万 人 と 推 定 され 官 公 私 立 の 精 神 病 院 入 院 者 数 は5 千 人 程 であった 従 って その 他 は 私 宅 監 置 か 民 間 療 法 などに 依 存 せざるをえなかった 呉 秀 三 は 調 査 報 告 書 精 神 病 院 私 宅 監 置 ノ 実 況 において 我 邦 十 何 万 ノ 精 神 病 者 ハ 実 ニ 此 病 ヲ 受 ケタルノ 不 孝 ノ 外 ニ 此 邦 ニ 生 レタルノ 不 孝 ヲ 重 ヌルモノト 云 フベシ と 断 言 した こ のように 呉 は 精 神 病 者 の 救 済 や 保 護 は 人 道 問 題 であり 制 度 施 設 の 改 善 に 国 家 は 尽 力 しな ければならいと 高 らかに 宣 言 したのであった しかし 現 実 にはこの 呉 の 言 葉 だけが 一 人 歩 き し その 後 の 国 家 政 策 に 大 きな 改 善 が 見 られたとは 言 い 難 い この 呉 の 宣 言 も 黙 殺 されていた に 等 しいのである さて このような 状 況 下 において 茂 吉 が 狂 人 狂 人 守 の 歌 を 詠 んだことに 着 目 する 必 要 がある ただ 単 に 狂 人 の 死 を 歌 ったのでなく 精 神 病 医 茂 吉 の 精 神 病 者 の 置 かれた 境 涯 や 差 別 に 対 する 歌 に 詠 み 込 まれた 悲 痛 な 訴 えなのである 茂 吉 が 詠 まなければ 誰 が 狂 人 の 死 に 関 心 を 持 つであろうかとも 言 えよう 精 神 病 医 の 臨 床 医 として 駆 け 出 しの 頃 である 茂 吉 にとって 病 者 の 死 がはかないものであり 身 体 が 悪 寒 で 震 えるような 状 態 なのであった こ の 心 の 疼 きの 表 出 が この 歌 となって 収 斂 していったのである なお 少 し 後 年 となるが 精 神 病 院 の 入 院 患 者 の 疾 病 別 比 率 を 見 ると 1921( 大 正 10)から 1925( 大 正 14) 年 の 東 京 府 松 沢 病 院 では 早 発 性 痴 呆 49% 麻 痺 性 痴 呆 30% 躁 鬱 病 9%と 続 く ここにある 早 発 性 痴 呆 とは 統 合 失 調 症 の 症 例 である また 現 代 ではほとんど 消 失 した 梅 毒 性 の 麻 痺 性 痴 呆 の 病 者 が 多 い ことが 特 徴 と 言 えよう 4) すがた すがた かすかなるあはれなる 相 ありこれの 相 に 親 しみにけり この 歌 は 狂 人 守 連 作 の 第 2 首 である 精 神 病 者 が 世 間 から 隔 絶 された 存 在 であることを かすかなる と 表 現 したのである さらに あはれなる と 感 情 のこもった 表 現 が 続 く 世 間 からは 忘 れられた 病 者 への 親 しみ のある 眼 差 しが 感 ぜられる また 精 神 病 者 の 現 実 や 実 態 を 訴 えかけているとも 言 えよう 156

5 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) この くれなゐの 百 日 紅 は 咲 きぬれど 此 きやうじんはもの 云 はずけり 第 3 首 である 百 日 紅 はサルスベリとも 言 い 夏 から 秋 に 紅 色 の 小 さな 花 が 群 がり 咲 く 病 院 の 庭 で 百 日 紅 が 咲 いているのか 特 定 できない 狂 人 ではなく きやうじん と 表 現 する この きやうじん は 男 性 なのか 女 性 なのか どんな 症 状 の 病 者 なのかも 分 からない しかし この 病 者 は 百 日 紅 が 咲 く 季 節 になっても 依 然 としてものを 言 わないのである 茂 吉 は どの ように 病 者 に 寄 り 添 うべきか 躊 躇 している ものは 言 わないけれども 病 者 は 何 かを 世 間 に 訴 えかけているようでもある あけ び としわかき 狂 人 守 りのかなしみは 通 草 の 花 の 散 らふかなしみ 第 4 首 である としわかき 狂 人 守 り とは 茂 吉 自 らのことである 若 い 精 神 病 医 として の 悲 哀 は アケビの 花 が 散 るさまであると 言 う アケビは 山 形 県 を 代 表 する 果 実 である 茂 吉 の 郷 里 金 瓶 村 のアケビを 思 い 出 したのであろう アケビは4 月 頃 に 淡 紅 紫 色 の 花 をつけ 秋 に なると 淡 紫 色 の 果 実 となる なお 茂 吉 には 次 の 歌 がある かが 屈 まりて 脳 の 切 片 を 染 めながら 通 草 のはなをおもふなりけり ( 赤 光 大 正 元 年 折 々の 歌 ) これは 茂 吉 が 病 理 組 織 研 究 室 で 呉 秀 三 がニスル(F.Nissl)から 欧 州 留 学 中 に 学 んだ 神 経 細 胞 染 色 法 を 伝 授 され 脳 片 にニスル 染 色 法 を 行 ったのである アケビの 花 や 果 実 が ニスル 染 色 標 本 と 同 色 系 統 であり 懐 かしく 思 い 出 されたのであった 脳 片 が 染 め 出 され 紫 色 になる と 少 年 の 頃 に 親 しんだ 郷 里 のアケビが 脳 裏 に 浮 かんだのである 病 脳 を 切 片 にし それをい ろいろの 方 法 で 染 色 し その 標 本 を 顕 微 鏡 で 屈 んでのぞくのであった これは 後 の 博 士 論 文 麻 痺 性 痴 呆 者 の 脳 カルテ に 繋 がる 為 事 であった アケビの 実 は 大 きく 目 立 ち 食 用 となるが 花 は 小 さく 目 立 たない 世 間 では 報 われない 感 謝 せられざる 医 者 としての 悲 哀 を 郷 里 のア ケビの 花 が 散 るさまに 対 象 化 している 気 のふれし 支 那 のをみなに 寄 り 添 ひて 花 は 紅 しと 云 ひにけるかな 第 5 首 の 歌 である 病 者 の 一 人 である 中 国 の 女 性 に 寄 り 添 って 花 を 指 して 紅 色 である 言 っ たのだという この 花 は 百 日 紅 であり 第 3 首 の 此 きやうじん のことであろう ものを 言 わない 病 者 なので 言 葉 をかけて 病 者 の 反 応 を 確 かめているのである 少 しでも 話 をしてくれ ることを 期 待 しているのである このゆふべ 脳 病 院 の 二 階 より 墓 地 見 れば 花 も 見 えにけるかな 第 6 首 の 歌 である このゆふべ とは 9 月 のゆうべに 青 山 脳 病 院 の2 階 の 窓 から 青 山 墓 地 ないしは 立 山 墓 地 を 見 ると そこにも 百 日 紅 の 花 が 咲 いているという 遠 くの 墓 地 に 咲 く 紅 の 花 が 見 えるのだという じきけつ が き ゆふされば 青 くたまりし 墓 みづに 食 血 餓 鬼 は 鳴 きかゐるらむ 第 7 首 の 歌 である 茂 吉 の 随 筆 童 馬 漫 語 に 食 血 餓 鬼 5) があるので 引 用 する 青 山 の 梅 窓 院 境 内 を 抜 けて 裏 手 の 墓 地 の 凹 いところに うら 枯 れる 草 を 縫 うて 細 い 水 が 流 れてゐる 杉 の 木 に 黄 色 い 小 鳥 がとまつて 鳴 いてゐる 遠 くの 方 で 女 の 子 のじゃんけんを 157

6 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) する 声 が 聞 える 眼 のもとに 法 号 のない( 何 某 長 女 )といふ 小 さい 木 の 墓 標 がある ( 略 ) ぶ と 左 手 の 甲 が 癢 いと 思 って 見 ると 蟆 子 が 一 つ 血 を 吸 って 居 る 見 つめて 居 ると 紅 く 膨 れ た 尻 が 重 た 相 に 飛 んで 行 った 手 の 甲 は 血 の 滲 んだ 小 点 を 中 心 にしてぼつりと 腫 れて 居 た ( 略 )いま 人 間 の 血 を 食 って 腹 がふくれたひとつの 小 さい 食 血 餓 鬼 に 堪 へ 難 い あはれ を 感 じた 己 は 一 つの 小 さな 疵 を 手 の 甲 に 得 て 墓 の 木 立 を 出 た 紅 い 日 が 落 ちかかってゐ る 食 血 餓 鬼 とは 墓 地 で 手 の 甲 を 蟆 子 に 刺 された 話 であるが 前 世 は 人 間 であったが 輪 廻 転 生 で 蟆 子 になり 墓 前 の 花 立 ての 水 の 周 辺 で 鳴 いているかもしれないという 仏 教 的 な 輪 廻 や 因 果 が 感 ぜられる 歌 である この 歌 が 狂 人 守 の 連 作 にあるのは 興 味 深 い 小 さい 食 血 餓 鬼 への 堪 え 難 い あはれ が 精 神 病 者 に 投 射 すると 言 うことであろうか じ ん り き あはれなる 百 日 紅 の 下 かげに 人 力 車 ひとつ 見 えにけるかな 第 8 首 である 百 日 紅 に 茂 吉 は あはれ を 感 ずるという 人 力 車 は 誰 が 利 用 したものか 分 からない 病 者 が 乗 って 来 たものともいえよう おそらく 黒 塗 りの 人 力 車 と 紅 色 の 百 日 紅 が 対 比 的 な 構 図 となっている 連 作 狂 人 守 では 嘱 目 の 風 景 として 百 日 紅 が 重 要 な 役 割 を 担 っ ている さて 赤 光 には 狂 人 守 連 作 の 前 に 1912( 明 治 45) 年 作 黄 涙 余 録 の 連 作 がある 葬 り 火 黄 涙 余 録 の 一 冬 来 黄 涙 余 録 の 二 柿 乃 村 人 へ 黄 涙 余 録 の 三 の 三 部 で 合 計 44 首 を 数 えるのである この 連 作 においても 茂 吉 の 病 者 への 眼 差 しが 見 て 取 れる 医 者 の 宿 命 と して 臨 終 の 場 に 立 ち 会 わざるをえない 医 者 が 死 亡 診 断 書 を 書 くのである また 精 神 病 医 であ るならば 誰 もが 担 当 の 精 神 病 者 が 自 殺 することに 遭 遇 せざるをえない 連 作 黄 涙 余 録 は 臨 床 医 として 経 験 の 浅 かった 茂 吉 が 入 院 中 の 病 者 が 隙 を 見 て 自 殺 した 事 件 の 衝 撃 をうたった ものである 但 し この 病 者 が 入 院 していたのは 勤 務 していた 東 京 府 巣 鴨 病 院 ではなく 養 父 紀 一 の 経 営 していた 青 山 脳 病 院 である ここで 茂 吉 は 紅 涙 とせずに 黄 涙 とした 紅 涙 とするならば 子 女 の 涙 となってしまうからであろうか 黄 涙 にも 茂 吉 の 精 神 病 者 へ の 思 いが 込 められている よ よ はた 葬 り 火 黄 涙 余 録 の 一 では 自 殺 した 精 神 病 者 の 粗 末 な 葬 列 が 代 々 幡 の 火 葬 場 にて 荼 毘 に 付 されるまでを 次 のように 歌 う ひつぎ あらはなる 棺 はひとつかつがれて 隠 田 ばしを 今 わたりたり 衝 撃 的 な 歌 である あらはなる とあるので 棺 に 白 い 布 を 掛 けずに 粗 末 な 棺 のままで 火 葬 場 へ 運 ばれていったのである 隠 田 橋 は かつての 渋 谷 川 に 架 かっていた 橋 である 棺 は 青 山 脳 病 院 から 青 山 通 りを 横 切 り 今 の 表 参 道 から 隠 田 橋 を 渡 り 原 宿 代 々 木 の 原 を 通 り 代 々 幡 の 火 葬 場 へと 向 かった 今 では 渋 谷 川 もなければ 隠 田 橋 もない 世 間 には 知 らされる ことなく ひっそりと 葬 儀 が 執 り 行 われている きょうじゃ くわん め ま ひ 自 殺 せし 狂 者 の 棺 のうしろより 眩 暈 して 行 けり 道 に 入 日 あかく 158

7 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) 土 屋 文 明 は この 患 者 は 開 成 中 学 同 級 以 来 科 はちがっても 高 等 学 校 大 学 と 交 わって 来 た 友 人 某 の 紹 介 患 者 で 青 山 脳 病 院 に 入 院 した 者 であり 自 殺 の 際 にその 紹 介 者 からひどく 詰 問 された ということもあるので それやこれやで 作 者 の 傷 心 は 一 通 りでなかったようである しかしそ ういう 事 実 上 のいきさつは 別 としても 精 神 病 医 としての 患 者 のこれまで 深 く 取 上 げるといふ ことは 作 者 の 性 格 に 本 づくものであらう 6) という なお 正 確 に 言 えば 棺 は 死 体 を 納 めると 柩 となる 茂 吉 は 医 者 として 病 者 の 自 殺 に 傷 心 し 眩 暈 を 感 じ その 葬 列 に 随 行 したのであった 茂 吉 は 取 り 返 しのつかない 結 果 となり 茫 然 自 失 のままで おそらく 伏 し 目 がちとなり 遠 慮 深 く 身 体 も 固 くなった 状 況 であったのであろう 自 殺 した 者 を 詮 索 するならば 茂 吉 の 友 人 が 主 宰 していたらしい 雑 誌 の 編 集 者 をしていた 安 野 助 多 郎 という 作 家 志 望 の 青 年 7) だったとい う この 死 者 は 室 生 犀 星 と 同 郷 であった くわん はる はて 赤 光 のなかに 浮 びて 棺 ひとつ 行 き 遙 けかり 野 は 涯 ならん こつがめ ね きた 骨 瓶 のひとつを 持 ちて 価 を 問 へりわが 口 は 乾 くゆふさり 来 り 上 野 なる 動 物 園 にかささぎは 肉 食 ひゐたりくれなゐの 肉 を 茂 吉 は 担 当 医 として 火 葬 場 まで 加 わった 納 骨 箱 は 桐 の 箱 ではなく 杉 板 の 粗 末 なもので あった 気 が 付 けばかなりの 時 間 が 経 過 し 緊 張 感 のためか 喉 の 乾 きを 覚 えた 死 に 対 する 飢 えや 乾 きという 生 が 表 出 されている その 後 病 院 へ 帰 ることなく 上 野 動 物 園 へと 場 面 は 転 換 する 憔 悴 した 茂 吉 の 痛 めつけられた 神 経 を 鎮 める 場 所 が 動 物 園 であったというこ とである かささぎ は カラス 科 で 漆 黒 色 の 長 い 尾 が 特 徴 で 腹 は 白 色 である その か ささぎ が 深 紅 の 肉 を 喰 っているのである 茂 吉 にとっては 何 とも 痛 々しい 光 景 である 冬 来 黄 涙 余 録 の 二 では 一 転 して 上 野 動 物 園 を 訪 れた 茂 吉 が 生 命 あるものへの 愛 惜 の 思 いを 詠 むのである おのの 自 殺 せる 狂 者 をあかき 火 に 葬 りにんげんの 世 に 戦 きにけり この 歌 は 塚 本 邦 雄 が 茂 吉 秀 歌 8) で 論 じるように 自 殺 狂 者 あかき 火 葬 り 戦 き と 刺 戟 的 な 用 語 が 連 続 した 凄 惨 な 場 面 である 人 間 を にんげん と 記 し 心 の 悲 痛 を 訴 えかけている そして 動 物 園 での 見 聞 を 中 心 に 改 めて 生 命 を 思 索 している かき の むらびと 柿 乃 村 人 へ 黄 涙 余 録 の 三 では 歌 友 である 島 木 赤 彦 ( 柿 乃 村 人 )へ 担 当 する 病 者 の 自 殺 の 衝 撃 を 訴 え また 精 神 病 医 の 心 境 を 慨 嘆 する 歌 が 続 く この 夜 ごろ 眠 られなくに 心 すら 細 らんとして 告 げやらましを うつつ たのまれし 狂 者 はつひに 自 殺 せりわれ 現 なく 走 りけるかも すがた 友 のかほ 青 ざめてわれにもの 云 はず 今 は 如 何 なる 世 の 相 かや 茂 吉 は 自 らの 神 経 が 衰 弱 し 毎 晩 眠 れぬ 夜 が 続 くことを 告 げたものだという 依 頼 されて 159

8 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) いた 病 者 が 恐 れていた 通 りに 遂 に 自 殺 してしまった 現 なく とは 無 我 夢 中 になって 事 後 処 理 に 奔 走 したのであった そして 病 人 を 依 頼 した 友 人 に 自 殺 の 件 を 報 告 すると た ちまち 友 人 が 衝 撃 で 蒼 白 となり 茫 然 とし 無 言 で 堅 い 表 情 に 変 貌 したのであった その 後 の 葬 儀 の 経 過 は すでに 微 細 にわたり 黄 涙 余 録 の 一 に 歌 われている い ろ 世 の 色 相 のかたはらにゐて 狂 者 もり 黄 なる 涙 は 湧 きいでにけり 色 相 とは 肉 眼 で 見 える 姿 や 形 のことであり 現 実 の 世 界 のことであり 万 物 の 本 体 は 変 転 し 空 しいという 意 味 である そして 精 神 病 医 として 現 実 のかたわらにいて 黄 なる 涙 を 流 すというのである よって 茂 吉 の 異 常 なほどの 自 殺 嫌 悪 の 基 層 がこの 自 殺 にあることは 間 違 いない 1937( 昭 和 12) 年 に 改 造 に 掲 載 された 茂 吉 の 癡 人 の 随 筆 の 中 に 自 殺 憎 悪 がある 精 神 病 医 の 吾 々には さう 簡 単 に 行 かぬ 事 が 多 い 自 殺 する 者 は 勝 手 に 自 殺 するのだから 法 律 からいっても 何 も 吾 々には 罪 は 無 いのだが 家 人 などといふものは 一 から 十 まで 吾 々 に 罪 があるやうな 顔 付 をすることがある ( 略 )そして 自 殺 する 者 の 具 合 を 見 てゐるに やる 者 は 何 時 かは 遣 ってしまふのが 多 いし なんでもなくやる 者 がある 世 間 の 健 康 な 人 達 が 常 識 で 考 へるやうなものではない 私 はそのころ 一 面 は 注 意 上 の 心 配 をすると 同 時 に 自 殺 者 をいつのまにか 憎 むやうになった 如 何 にしてもいまいましくて 叶 はない 彼 等 は 面 倒 な 病 気 を 一 つ 持 つてゐて 医 者 も 看 護 人 も 苦 心 惨 憺 してゐるのに なほそのうへ 勝 手 に 死 んで 心 痛 をかけるといふのが いまいましくて 叶 はんのである 自 殺 憎 悪 症 とも いふべき 心 が 起 こつて 来 てどうしても 除 かれないのはそのころからである 9) 他 の 医 学 の 部 門 と 違 い 精 神 病 医 であるならば 病 者 の 自 殺 は 不 可 避 なことである 精 神 病 医 の 間 では 担 当 する 病 者 に 自 殺 された 経 験 のない 者 はいまだ 一 人 前 ではないという 言 説 がある 程 である しかも 遺 族 による 理 不 尽 な 自 殺 防 止 ができなかったのかという 責 任 の 追 及 もある よって 残 念 ながら 自 殺 に 遭 遇 したならば 職 業 的 に 冷 静 沈 着 に 事 後 処 理 に 当 たらねばならな い 担 当 する 病 者 が 肉 体 的 な 重 い 疾 患 により 生 命 が 喪 失 することでさえ 深 い 哀 しみであり 諦 めにも 時 間 がかかる まして 精 神 病 者 は 精 神 の 病 気 により 精 神 病 医 や 看 護 人 などが 注 意 を 払 っているにもかかわらず 巧 みに 一 瞬 の 間 隙 を 縫 って 自 らの 生 命 を 絶 つのである よって 茂 吉 は 自 殺 憎 悪 症 とも 言 うべき 精 神 状 態 となり 払 拭 しがたい 心 の 傷 となり 癒 されない 状 況 が 続 くのであった 茂 吉 には 臨 床 医 として 経 験 を 重 ねても 事 務 的 に 粛 々と 自 殺 に 対 して 処 理 できぬ 心 のわだかまりがあるのである 黄 涙 余 録 の 連 作 は この 茂 吉 の 心 情 を 理 解 する 基 調 となっている 但 し ここで 茂 吉 の 自 殺 憎 悪 を 精 神 病 医 として 不 適 格 であると 論 ずるものではない む しろ 精 神 病 者 の 側 に 身 を 置 いた 茂 吉 にとって 精 神 病 に 罹 患 し それが 故 に 自 殺 していく 病 者 に 対 する 哀 しみであり 自 らが 自 殺 を 防 止 できなかった 無 力 に 対 する 怒 りが 憎 悪 へと 転 換 していったのである 自 殺 は 鬱 病 に 多 い とくに 内 因 性 の 真 性 鬱 病 は 最 も 深 刻 で 罪 業 念 慮 を 160

9 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) 抱 き 自 らの 存 在 が 家 族 などに 対 し 迷 惑 で 害 があると 考 え 自 殺 へと 追 い 詰 められるのである また 統 合 失 調 症 の 病 者 の 場 合 には 自 らの 妄 想 や 幻 聴 により 衝 動 的 に 自 殺 をする 茂 吉 は 鬱 病 となり 自 分 自 身 に 価 値 を 見 出 せなくなり 追 い 詰 められ 世 を 憂 い 自 殺 していった 病 者 を 決 して 憎 悪 しているのではない 自 分 も 病 院 も 世 間 も 何 ら 自 殺 防 止 の 有 効 な 手 だてのない 憤 りで ある 少 なくとも 茂 吉 の 私 憤 ではなく 義 憤 であるといえよう ここに 茂 吉 は 拘 泥 するのであ る 精 神 病 院 で 単 なる 日 常 に 起 こる 事 故 として 簡 単 に 割 り 切 れないのである さらに 論 ずる ならば 茂 吉 が 関 わり 亡 くなった 病 者 に 対 する 自 責 の 念 と 誰 にも 訴 えることのできない 思 いを 歌 に 込 めることによって 少 なからず 怒 りを 鎮 め 世 間 に 知 らしめようという 意 図 が 見 え 隠 れ するのである そして かろうじて 作 歌 活 動 を 続 けることによって 茂 吉 の 心 は 昇 華 していっ たのである ところで 1903( 明 治 36) 年 5 月 旧 制 一 高 生 の1 年 生 ( 満 16 歳 10 ケ 月 )であった 藤 村 操 が 日 光 華 厳 滝 から 投 身 自 殺 をし 当 時 の 若 者 に 大 きな 衝 撃 を 与 えた 投 身 前 に 巖 頭 の 大 樹 を 削 り 書 き 残 したのが 巖 頭 之 感 である その 中 に 真 相 は 唯 だ 一 言 にして 悉 す 曰 く 不 可 解 とあり この 自 殺 に 対 して 当 時 の 論 調 は 青 年 の 煩 悶 を 批 判 するというよりも むしろ 肯 定 的 であった 藤 村 の 死 の 後 には 相 次 いで 自 殺 者 が 出 た 時 に 茂 吉 は 一 高 の2 年 生 であった 友 人 の 吉 田 幸 助 宛 の 書 簡 に 藤 村 操 の 死 について 一 高 生 の 先 輩 として 次 のように 論 じている 君 よ 藤 村 の 死 を 羨 しとおもひ 給 ふ 事 なかれ 嗚 呼 彼 は 死 せり 彼 の 名 山 の 彼 の 名 瀑 に 落 ちて 死 せり 世 人 は 文 を 作 り 歌 を 作 り 詩 を 作 りて 彼 を 誉 めたたへぬ 霊 も 泉 下 に 笑 まむ しかは あれど 死 人 に 口 なし 如 何 なる 理 由 で 死 んだか 真 に 分 るものにあらず 宇 宙 の 真 相 を 不 可 解 と 観 じ 棄 てて 死 せりとはいへどああ 思 へ 給 へよ 10) 茂 吉 は 世 評 に 対 し 懐 疑 的 であり 批 判 的 である 書 簡 では 続 いてショウペンハウエル 曰 く 戦 はずんば 勝 ちなし を 引 用 し 時 代 的 な 意 義 を 認 めていない 茂 吉 は 養 父 紀 一 の 許 で 一 途 に 学 業 に 刻 苦 精 励 し 紀 一 の 期 待 に 応 えるべく 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 への 進 学 を 目 指 していた 未 だ 養 子 という 待 遇 ではなく まさに 食 客 という 身 分 であった この 不 安 定 な 身 分 の 茂 吉 にとって 世 評 で 持 ち 上 げられるような 藤 村 の 自 殺 は 容 認 しがたいものであった 藤 村 の 死 は 茂 吉 にとって 終 始 一 貫 して 見 られる 精 神 病 者 の 自 殺 に 対 する 嫌 悪 感 の 原 風 景 とし て とらえるべき 事 件 なのである また 1923( 大 正 12) 年 6 月 に 軽 井 沢 三 笠 ホテルの 別 荘 である 浄 月 庵 にて 有 島 武 郎 と 中 央 公 論 の 雑 誌 記 者 である 波 多 野 秋 子 が 縊 死 心 中 をした 有 島 は 人 妻 の 秋 子 と 不 倫 関 係 にあり 秋 子 の 夫 から 姦 通 罪 で 告 訴 すると 脅 かされていた 鬱 々たる 日 々を 経 て 結 果 的 には 心 中 する ことになった 遺 体 が 発 見 された 時 には 醜 悪 な 臭 気 を 発 し 腐 乱 がひどかったが 遺 書 から 身 元 が 判 明 した 茂 吉 は この 心 中 事 件 を 次 のように 歌 った 心 中 といふ 甘 たるき 語 を 発 するさへいまいましくなりてわれ 老 いんとす 有 島 武 郎 氏 なども 美 女 と 心 中 して 二 つの 死 体 が 腐 敗 してぶらさがりけり しに こうがふ 抱 きつきたる 死 ぎはの 遘 合 をおもへばむらむらとなりて 吾 はぶちのべすべし 161

10 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) ( 美 男 美 女 毎 日 のごとく 心 中 す 昭 和 7 年 石 泉 ) 余 りにも 生 々しい 歌 である 塚 本 邦 雄 は 既 に 愛 慾 から 縁 の 遠 い 年 齢 になって 行 くといふ 自 嘲 か さにあらず この 毒 舌 の 言 ひ 放 しに 似 た あまりにも 散 文 的 な 三 十 八 音 の 大 破 調 歌 は 文 体 のみならず こめられた 思 考 も 相 当 屈 折 してゐて 一 度 や 二 度 読 み 下 しただけでは その 面 白 みも 真 意 もつかめまい ( 略 ) 心 中 と 呼 ぶ 行 為 合 意 の 二 重 自 殺 に 批 判 的 で これを 嫌 悪 するあまり 発 音 するさへいまいまし いうのか その 当 時 流 行 的 に 頻 出 した この ささやかなクーデターの その 底 にある 甘 つたれた 態 度 が 許 せなかったから 口 に 出 して 言 ふ のに 抵 抗 を 感 じたのか いづれにせよ 作 者 の 語 気 は 鋭 い 11) と 批 評 する ここで 留 意 すべきなのは 心 中 事 件 が 起 こったのが 大 正 12 年 であるのに 10 年 以 上 の 歳 月 を 経 ていることである この 時 間 的 な 経 過 は 何 を 意 味 するのであろうか そして 当 時 大 きな 醜 聞 であった 有 島 武 郎 の 情 死 を このような 過 激 な 表 現 で 歌 にした 昭 和 7 年 と 言 えば 前 年 に 満 州 事 変 が 勃 発 し 昭 和 恐 慌 が 深 刻 となる 時 期 である 青 山 脳 病 院 院 長 であった 茂 吉 の 私 生 活 を 顧 みれば 妻 てる 子 のダンスホール 事 件 の 前 年 であり 夫 婦 関 係 は 冷 え 切 っていた しか し その 欲 求 不 満 がモチーフで 嫉 妬 によりこのような 表 現 となったと 見 るならば 余 りにも 皮 相 的 であり 茂 吉 の 内 面 には 肉 薄 していない この 連 首 にも 茂 吉 の 自 殺 への 嫌 悪 感 が 根 底 にあると 言 わざるをえない 歌 人 の 茂 吉 ではな く 精 神 病 医 の 茂 吉 の 心 情 を 読 み 取 り この 歌 を 鑑 賞 するならば 精 神 病 医 として 病 者 の 自 殺 に 悩 まされ 生 命 を 縮 める 思 いをしてきた 茂 吉 の 哀 切 な 叫 びとして 捉 えることが 妥 当 なのであ る 病 気 故 に 自 殺 する 精 神 病 者 の 心 情 を 考 えるならば 有 島 の 心 中 事 件 など ぶちのべし と 言 うべき 許 せざる 背 徳 行 為 なのである 精 神 病 医 の 茂 吉 からすれば このような 愚 の 骨 頂 とも いうべき 心 中 事 件 への 世 間 の 関 心 と 過 剰 報 道 に 対 し 無 性 に 腹 が 立 ち 過 激 な 歌 となったのであ る ましてや 単 純 な 老 いの 自 覚 というものでもない ここに 精 神 病 医 である 茂 吉 の 病 者 へ の 眼 差 しを 考 えるに 藤 村 操 や 有 島 武 郎 の 自 殺 に 対 する 茂 吉 の 過 剰 なまでの 反 応 に 通 底 する 心 情 を 見 過 ごしてはならないのである 自 殺 憎 悪 を 茂 吉 の 性 格 による 癖 と 見 るならば それ は 余 りにも 一 面 すぎ 茂 吉 の 魂 の 叫 びが 聴 こえないのである 病 者 の 自 殺 という 精 神 病 医 の 宿 命 に 抗 い 続 けるのは 茂 吉 のリビドーであり この 深 い 闇 までも 照 射 しなければ 茂 吉 の 病 者 への 眼 差 しが 上 滑 りに 理 解 されるのである 狂 人 をテーマとした 作 歌 活 動 を 通 しての 茂 吉 の 役 割 は 一 面 では 呉 秀 三 を 凌 駕 するものであったとも 言 えよう さて あらたま は 赤 光 に 続 く 第 2 歌 集 であり 1913( 大 正 2) 年 9 月 から 1917( 大 正 6) 年 12 月 に 至 るまでの 歌 である ここにも 巣 鴨 病 院 の 一 風 景 をみることができる いそがしく 夜 の 廻 診 ををはり 来 て 狂 人 もりは 蚊 帳 を 吊 るなり ひとりごと のびのびと 蚊 帳 なかに 居 てわが 体 すこし 痩 せぬと 独 語 いへり くつ 履 のおと 宿 直 室 のまへ 過 ぎてとほくかすかになるを 聞 きつつ かばね も な か たま ものぐるひの 屍 解 剖 の 最 中 にて 溜 りかねたる 汗 おつるなり 162

11 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) もだ と も うち 黙 し 狂 者 を 解 体 する 窓 の 外 の 面 にひとりふたり 麦 刈 る 音 す いくとせ 狂 人 に 親 しみてより 幾 年 か 人 見 んは 憂 き 夏 さりにけり ( あらたま 大 正 4 年 漆 の 木 ) 作 歌 四 十 年 では 第 1 首 について 宿 直 の 歌 である この 宿 直 は 記 念 で 好 いものであった とある また 第 6 首 については 人 を 見 るのも 厭 だというのである 併 し 私 は 勉 強 して 宿 直 でも 何 でもやった 盆 の 十 六 日 地 獄 の 釜 のふたも 明 くという 日 に 呉 院 長 がのこのこやって 来 て 休 めぬこともあった という 虫 に 好 かれる 体 臭 をもつ 茂 吉 にとって 夜 の 回 診 は 苦 痛 の 一 つであったろう また 宿 直 のもの 哀 しさが 伝 わってくる また 夜 も 興 奮 する 病 者 がいて 十 分 に 睡 眠 が 取 れなかったであろう 病 者 の 解 剖 は 東 京 帝 国 大 学 医 科 大 学 の 病 理 学 教 室 へ 委 託 することもあるが 巣 鴨 病 院 内 の 屍 室 で 医 員 により 執 刀 することもあった これは 巣 鴨 病 院 内 での 解 剖 のことであり 屍 室 は 病 棟 から 畑 を 挟 んで 離 れた 北 隅 にあった 解 剖 の 歌 は 茂 吉 の 動 揺 する 魂 の 叫 びを 感 ずる 作 品 である まさに 精 神 病 院 の 世 間 の 知 らない 暗 い 闇 を 照 射 し たものであり それが 担 当 した 病 者 の 解 剖 であるならば その 悲 哀 は 深 すぎるのである このように 茂 吉 は 巣 鴨 病 院 で 精 神 病 医 が 遭 遇 する 精 神 病 者 の 自 殺 ばかりではなく 逃 亡 暴 力 などを 目 の 当 たりに 経 験 し 精 神 病 の 臨 床 医 として 大 きく 精 神 的 に 成 長 していったのであ る そして 茂 吉 が 病 者 を 詠 んだ 作 品 からは 病 者 の 置 かれた 現 状 や 改 善 できない 苛 立 ちや 怒 りを 鎮 め 病 者 へ 寄 り 添 う 姿 が 垣 間 見 えるのである 3. 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 茂 吉 は 東 京 府 巣 鴨 病 院 を 退 職 後 1917( 大 正 6) 年 12 月 に 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 となり 1921( 大 正 10) 年 2 月 には 文 部 省 在 外 研 究 員 を 命 じられ 退 職 することとなった 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 であったが この 短 い 期 間 は 茂 吉 にとって 大 きな 転 換 期 を 迎 える 時 期 でもあった とくに 1920( 大 正 9) 年 は 病 苦 に 悩 まされ 生 死 を 彷 徨 した 一 年 間 であった 年 頭 の1 月 6 日 に 猖 獗 を 極 めパンデミーとなったインフルエンザの スペイン 風 邪 12) に 罹 患 し 肺 炎 を 併 発 した 2 月 24 日 に 職 場 へ 復 帰 するまで 特 効 薬 もなく 療 養 をせざるをえなかった その 後 6 月 2 日 には 喀 血 を 見 て 自 宅 療 養 をするが 6 月 25 日 には 県 立 長 崎 病 院 ( 西 二 病 棟 七 号 室 )へ 入 院 した 7 月 2 日 には 退 院 し 自 宅 療 養 に 努 めるが その 後 は 転 地 療 養 を 繰 り 返 すこととなった 喀 血 とは 結 核 であり 当 時 は 不 治 の 病 であり 死 を 覚 悟 したのであった 漸 く 病 が 癒 えて 出 勤 し たのは 11 月 2 日 のことであった 病 院 のわが 部 屋 に 来 て 水 道 のあかく 出 で 来 るを 寂 しみゐたり ( 長 崎 大 正 9 年 つゆじも ) このように 一 年 間 を 振 り 返 れば 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 として 心 ならずも 研 究 臨 床 教 育 に 関 して 自 らの 責 務 を 全 うできなかったのである しかし 歌 人 としては 赤 光 に 続 く あ らたま を 編 み 始 めた 頃 に 当 たり この 死 を 覚 悟 するような 暗 鬱 な 年 に 茂 吉 は 血 を 吐 くよう 163

12 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) に 渾 身 をふりしぼり 短 歌 に 於 ける 写 生 の 説 を 書 きあげたのであった この 歌 論 で 実 相 に 観 入 して 自 然 自 己 一 元 の 生 を 写 す これが 短 歌 上 の 写 生 である 13) という 所 謂 実 相 観 入 を 提 唱 した ここで 茂 吉 は 自 然 と 人 間 を 対 峙 した 存 在 として 捉 え るのではなく 自 然 と 自 分 は 別 なものではなく 自 然 の 中 に 自 己 があるとする 自 然 自 己 一 元 の 生 を 説 いた 自 然 を 写 生 すれば そのまま 自 己 を 写 すことなる 茂 吉 は 和 辻 哲 郎 の 次 の 文 章 を 引 用 し ここに 用 ひる 自 然 は 人 生 と 対 立 せしめた 意 味 の 或 は 精 神 文 化 などに 対 立 せしめた 意 味 の 哲 学 的 用 語 ではない むしろ 生 と 同 義 にさへ 解 せらる 所 の(ロダンが 好 んで 用 ふる 所 の) 人 生 自 然 全 体 を 包 括 した 我 々の 対 象 の 世 界 の 名 である ( 我 々の 省 察 の 対 象 とな る 限 り 我 々 自 身 も 含 んでゐる)それは 吾 々の 感 覚 に 訴 へる 総 ての 要 素 を 含 むと 共 に またその 奥 に 活 躍 してゐる 生 そのものを 含 んでゐる 14) という 茂 吉 は これと 自 分 の 言 う 自 然 は 同 じだとする 生 は 造 化 不 窮 の 生 気 天 地 万 物 生 々の 生 で いのち の 義 であると 言 う そして 童 馬 漫 語 では 親 鸞 の 自 然 法 爾 15) を 引 用 して 自 然 を 法 爾 に 対 し わがはからざ るを 自 然 とまうすなり の 境 にゐておのづから 予 の 生 の 象 徴 は 成 るのである 予 の 象 徴 流 が 流 俗 の 説 とちがふのはここだ 16) という また 予 がこれまで 処 々で 書 いた まこと ひたぶる 直 し 自 然 象 徴 単 純 化 流 露 などの 実 際 的 な 活 動 は 皆 この 写 生 から 分 派 せられるのである 17) という 茂 吉 によれば 実 相 に 観 入 することが 写 生 であるが 写 生 と は 単 に 対 象 を 客 観 的 に 写 しとるだけではなく 主 観 的 に 対 象 の 本 質 を 深 く 探 り 出 す 態 度 や 姿 勢 が 求 められる 写 生 とは 見 たものをみたままに 書 くのではない この 歌 論 は 茂 吉 の 一 つの 人 生 哲 学 ともいうべきもの 18) であり 自 らの 母 の 死 や 伊 藤 左 千 夫 の 急 逝 などの 無 常 迅 速 の 人 生 の 生 々しい 体 験 と 実 作 を 重 ねる 中 で 構 築 したものであった そこには インフルエンザ に 罹 患 し 後 に 喀 血 するなかで 茂 吉 が 短 歌 の 世 界 で 一 語 たりとも 粗 末 にせず 夢 中 になって 実 作 する 集 中 力 凄 まじい 生 命 力 を 感 ずるのである それは 精 神 病 医 であった 茂 吉 の 病 者 へ の 眼 差 しへも 変 化 があったといえるのである さて ( 大 正 10) 年 1 月 20 日 に 歌 友 である 久 保 田 俊 彦 ( 島 木 赤 彦 ) 宛 の 車 間 で 茂 吉 は 次 のように 言 う ( 當 分 以 下 他 言 無 用 ) 小 生 は 三 月 で 学 校 をやめる そして 帰 京 して 體 を 極 力 養 生 する そ して 十 月 頃 欧 州 に 留 学 して 少 し 勉 強 して 来 る 名 儀 は 文 部 省 の 留 学 生 といふなれども 自 費 なり 名 儀 だけでもその 方 が 便 利 だからである 僕 はどうしても 少 し 医 学 上 の 実 のある 為 事 をする 必 要 がある それには 国 を 離 れていろいろの 雑 務 から 遠 離 して 専 心 にならねば 駄 めなり 小 生 は 外 国 へ 行 けば 必 ず 為 事 が 出 来 ると 信 ず そこで 兎 に 角 行 ってくる 病 中 い ろいろ 考 へてこの 結 論 に 達 せり そこで 今 度 帰 京 したならば 出 発 迄 アララギの 選 歌 も 長 崎 の 連 中 ぐらゐか 或 は 全 くせずして 医 学 上 の 準 備 をする 或 は 都 合 よくば 続 童 馬 漫 語 ぐらゐは 纏 めてもよいと 思 ふ しかし 歌 の 方 はいつでも 出 来 るが 医 学 上 の 事 は 年 をとるとどうしても 困 難 になるから 今 のうちにせねばならぬ このこと 大 兄 によう く 理 解 して 貰 はねばならぬ 茂 吉 がアララギに 冷 淡 になるのは 全 く 情 止 みがたき 為 也 小 生 164

13 斎 藤 茂 吉 の 作 品 に 見 る 病 者 への 眼 差 し( 小 泉 博 明 ) は 今 まで 医 学 上 の 論 文 らしきものを 拵 へたるためしあらず そのために 暗 々のうちに 軽 蔑 されることヽされることされることなる このこと 大 兄 も 考 へて 呉 れることヽ 思 ふ 小 生 は 歌 の 方 はずっと 駄 目 になって 大 兄 らより 後 ろになること 必 然 なれどもそれはいたしかたな し さう 何 も 彼 も 出 来 るわけのものにあらざればなりたヾ 茂 吉 は 医 学 上 の 事 が 到 々 出 来 ず に 死 んだといはれるのが 男 として それから 専 門 家 として 残 念 でならぬ 一 體 小 生 はこれ まで 他 国 に 出 て 他 流 に 交 はりしことなかりしが 長 崎 に 来 て 他 流 の 同 僚 に 交 りて 小 生 も 左 程 劣 りはせずといふ 自 信 が 出 来 学 位 など 持 ってゐるものに 較 べてちっとも 劣 ってはゐ ずといふことが 分 り 候 ゆゑ 今 後 は 少 し 為 事 をすればよろしきなり 石 原 君 ほどの 世 界 的 の 為 事 は 到 底 むづかしいが 普 通 の 人 間 のやる 事 ぐらゐは 出 来 るつもりなり 以 上 は 當 分 大 兄 だけ 御 考 へを 願 ふ 19) この 書 簡 は 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 を 辞 職 し 留 学 を 決 意 した 心 情 を 島 木 赤 彦 に 吐 露 したも のである 公 開 を 予 期 せぬ 書 簡 で 他 言 無 用 と 言 うだけに その 内 容 は 赤 裸 々なものである 要 するに 医 学 上 の 為 事 である 博 士 論 文 を 仕 上 げる 為 に 文 部 省 の 留 学 生 とは 言 え 私 費 にて 留 学 する 決 意 を 連 綿 と 綴 った 内 容 である 精 神 病 の 臨 床 医 としての 経 験 は 巣 鴨 病 院 にてほぼ 充 足 したのである 茂 吉 は 臨 床 医 としてはじめて 精 神 病 者 と 接 し 戸 惑 いや 驚 きもあったで あろう しかし 少 しずつ 病 者 とも 親 しみ その 環 境 にも 慣 れてきたが 研 究 者 としての 成 果 はなかった そして 長 崎 医 学 専 門 学 校 教 授 となって 生 死 を 彷 徨 い 死 を 覚 悟 する 中 で 不 惑 を 前 に 茂 吉 は 医 学 上 の 事 が 到 々 出 来 ずに 死 んだといはれるのが 男 として それから 専 門 家 と して 残 念 でならぬ と 言 い 精 神 病 医 として 為 事 を 仕 上 げる 決 意 をしたのであった これは 決 して 研 究 者 となり 病 者 を 置 き 去 りにするのではなく 帰 国 後 に 病 者 の 救 済 を 将 来 的 に 託 す 覚 悟 でもあった 4.まとめ 現 代 の 医 療 現 場 では インフォームド コンセントが 叫 ばれ 医 者 は 病 者 に 対 し ただ 単 に 説 明 をするだけではなく 十 分 に 説 明 した 上 で 同 意 を 得 ることが 求 められている また 担 当 医 以 外 の 医 者 に 意 見 を 聴 くセカンド オピニオンも 行 われている これは 従 来 のパターナリ ズムに 対 する 反 省 から 生 まれたものである また バイオエシックスで 言 う 自 己 決 定 権 は 成 人 で 判 断 能 力 のある 者 という 条 件 がある このように 病 者 の 権 利 が 確 立 されているが 精 神 病 者 には これらの 権 利 が 付 与 されるわけではない よって 精 神 病 医 は 精 神 病 者 の 思 いを 忖 度 し 最 善 の 治 療 を 為 すこととなる 病 者 の 家 族 に とって 感 謝 せられざる 医 者 であるだけに 家 族 との 意 志 の 疎 通 は 取 りにくい 場 合 もある また 医 者 に 対 して 暴 力 をふるい 罵 声 や 怒 号 を 浴 びせる 病 者 もいる このような 医 療 の 現 場 で 茂 吉 は 担 当 の 病 者 が 自 殺 した 時 に 知 人 の 紹 介 であったとは 言 え 愚 直 にも 葬 式 にまで 参 列 した 通 常 は 担 当 医 が 参 列 することはない 茂 吉 は 頑 固 一 徹 な 性 格 ではあるが 集 中 した 165

14 文 京 学 院 大 学 外 国 語 学 部 文 京 学 院 短 期 大 学 紀 要 第 11 号 (2011) 生 命 力 があり 夢 中 で 誠 実 に 病 者 に 接 し 医 者 である 前 に 人 間 茂 吉 をもって 時 には 家 族 に 替 わり 温 かな 眼 差 しを 病 者 に 向 けたのであった 注 1) 小 俣 和 一 郎 精 神 病 院 の 起 源 近 代 編 太 田 出 版 200 年 64 ページ 2) 斎 藤 茂 吉 作 歌 四 十 年 筑 摩 書 房 1971 年 15 ~ 16 ページ 3) 岡 田 靖 雄 精 神 病 医 斎 藤 茂 吉 の 生 涯 思 文 閣 出 版 2000 年 147 ページ 4) 図 説 日 本 の 精 神 保 健 運 動 の 歩 み 日 本 精 神 衛 生 会 2002 年 22 ページ 5) 斎 藤 茂 吉 全 集 第 9 巻 岩 波 書 店 1973 年 15 ~ 16 ページ ( 明 治 44 年 11 月 ) 6) 土 屋 文 明 編 斎 藤 茂 吉 短 歌 合 評 上 巻 明 治 書 院 1985 年 54 ページ 7) 本 林 勝 夫 茂 吉 遠 望 短 歌 新 聞 社 1996 年 110 ページ 8) 塚 本 邦 雄 茂 吉 秀 歌 - 赤 光 百 首 文 藝 春 秋 1977 年 165 ~ 166 ページ 9) 第 6 巻 472 ページ 10) 第 36 巻 47 ページ 11) 塚 本 邦 雄 茂 吉 秀 歌 - つゆじも 遠 遊 遍 歴 ともしび たかはら 連 山 石 泉 百 首 文 藝 春 秋 1881 年 306 ~ 307 ページ 12)なお この スペイン 風 邪 で 島 村 抱 月 は 死 亡 し 松 井 須 磨 子 は 後 追 い 自 殺 をした 米 国 滞 在 中 の 野 口 英 世 は 故 郷 会 津 の 母 がこれで 死 亡 したことを 知 る 竹 久 夢 二 の 愛 児 も 宮 沢 賢 治 の 妹 とし 子 も これに 罹 った 13) 第 9 巻 804 ページ 14) 同 巻 同 ページ 15) 自 然 といふは 自 はおのづからといふ 行 者 のはからひにあらず 然 といふはしからしむといふ ことばなり しからしむといふは 行 者 のはからひにあらず 如 来 のちかひにてあるがゆへに 法 爾 といふ 法 爾 といふは この 如 来 のおむちかひなるがゆへに しからしむるを 自 然 とまうすなり 末 燈 抄 16) 第 9 巻 161 ~ 162 ページ 17) 第 9 巻 816 ページ 18) 山 上 次 郎 斎 藤 茂 吉 の 生 涯 文 藝 春 秋 1974 年 229 ページ 19) 第 33 巻 410 ページ ( 受 稿, 受 理 ) 166

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