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1 東 海 道 ウオーク 2009 年 8 月 ~2011 年 11 月 第 2 版 三 浦 良 & 美 奈 子 2011 年 12 月 9 日

2 目 次 1 東 海 道 ウオーク 事 始 め ( 日 本 橋 ) 2009 年 8 月 10 日 2 西 郷 と 勝 の 会 見 地 ( 三 田 ) 2009 年 8 月 10 日 3 英 公 使 館 になった 東 禅 寺 ( 高 輪 ) 2009 年 8 月 10 日 4 幕 末 太 陽 伝 ( 品 川 ) 2009 年 6 月 10 日 5 再 開 東 海 道 ウオーク ( 川 崎 ) 2011 年 1 月 9 日 6 生 麦 事 件 が 日 本 の 歴 史 を 変 えた ( 生 麦 ) 2011 年 1 月 9 日 7 神 奈 川 問 題 ( 横 浜 ) 2011 年 1 月 9 日 ごん たさか 8 権 田 坂 ( 保 土 ヶ 谷 ) 2011 年 1 月 10 日 9 不 動 坂 の 鎌 倉 ハム ( 戸 塚 ) 2011 年 1 月 10 日 ゆぎょうじ 10 遊 行 寺 ( 藤 沢 ) 2011 年 1 月 15 日 なんこ 11 南 胡 の 左 富 士 ( 茅 ヶ 崎 ) 2011 年 2 月 6 日 12 相 模 川 と 川 の 渡 し ( 平 塚 ) 2011 年 2 月 6 日 13 松 並 木 ( 大 磯 ) 2011 年 2 月 6 日 14 エリザベス サンダースホーム ( 大 磯 ) 2011 年 2 月 6 日 15 ガラスのうさぎ ( 二 宮 ) 2011 年 2 月 11 日 16 代 表 的 日 本 人 二 宮 尊 徳 ( 小 田 原 ) 2011 年 2 月 11 日 17 箱 根 東 坂 ( 箱 根 ) 2011 年 2 月 19 日 18 箱 根 山 戦 争 ( 箱 根 ) 2011 年 2 月 27 日 19 箱 根 西 坂 ( 箱 根 ) 2011 年 2 月 27 日 20 越 年 アユ ( 三 島 ) 2011 年 3 月 5 日 はくいん ぜんじ 21 白 隠 禅 師 ( 沼 津 ) 2011 年 3 月 5 日 22 富 士 登 山 ( 吉 原 ) 2011 年 4 月 3 日 23 富 士 川 舟 運 ( 富 士 ) 2011 年 4 月 9 日 24 東 海 道 を 大 切 にする 街 ( 蒲 原 ) 2011 年 4 月 9 日 さつたとうげ 25 薩 埵 峠 ( 由 井 ) 2011 年 4 月 17 日 せいけんじ 26 清 見 寺 ( 興 津 ) 2011 年 4 月 17 日 27 清 水 次 郎 長 ( 清 水 ) 2011 年 4 月 24 日 28 江 戸 城 を 去 った 徳 川 家 ( 静 岡 ) 2011 年 4 月 29 日 29 宇 津 の 谷 峠 ( 丸 子 ) 2011 年 4 月 29 日 30 楽 しい 屋 号 ( 岡 部 ) 2011 年 5 月 1 日 31 大 井 川 の 川 越 遺 跡 ( 島 田 ) 2011 年 5 月 3 日 32 徳 川 家 臣 団 と 士 族 授 産 ( 金 谷 ) 2011 年 5 月 3 日 33 中 山 茶 ( 日 坂 ) 2011 年 5 月 3 日 2

3 34 イギリス 外 交 官 襲 撃 事 件 ( 掛 川 ) 2011 年 5 月 6 日 35 東 海 道 中 膝 栗 毛 を 読 む(1) ( 袋 井 ) 2011 年 5 月 8 日 36 アユ 解 禁 ( 磐 田 ) 2011 年 5 月 14 日 37 東 海 道 中 膝 栗 毛 を 読 む(2) ( 天 竜 川 ) 2011 年 5 月 14 日 38 東 海 道 中 膝 栗 毛 を 読 む(3) ( 浜 松 ) 2011 年 5 月 15 日 39 新 居 関 所 ( 新 居 ) 2011 年 6 月 4 日 40 三 河 弁 ( 豊 橋 ) 2011 年 6 月 11 日 41 宿 駅 伝 馬 制 ( 赤 坂 ) 2011 年 6 月 26 日 42 大 橋 屋 ( 赤 坂 ) 2011 年 6 月 25 日 43 三 河 武 士 ( 岡 崎 ) 2011 年 7 月 2 日 44 三 河 万 歳 ( 知 立 ) 2011 年 7 月 3 日 45 絞 りの 有 松 ( 鳴 海 ) 2011 年 7 月 9 日 46 宮 の 渡 し ( 宮 ) 2011 年 7 月 10 日 47 長 良 川 河 口 堰 ( 桑 名 ) 2011 年 9 月 30 日 48 時 雨 蛤 ( 桑 名 ) 2011 年 9 月 30 日 ひなが 49 日 永 の 追 分 ( 四 日 市 ) 2011 年 10 月 1 日 50 シャープ 亀 山 工 場 ( 亀 山 ) 2011 年 10 月 1 日 51 時 間 が 止 まったまま 往 時 の 姿 を 保 つ 関 宿 ( 関 ) 2011 年 10 月 8 日 52 鈴 鹿 峠 ( 鈴 鹿 峠 ) 2011 年 10 月 8 日 たるみさいおうとんぐうあと 53 垂 水 斎 王 頓 宮 跡 ( 土 山 ) 2011 年 10 月 8 日 54 田 村 神 宮 ( 土 山 ) 2011 年 10 月 8 日 55 水 口 の 干 ぴょう ( 水 口 ) 2011 年 10 月 9 日 し が らきぐう 56 紫 香 楽 宮 ( 水 口 ) 2011 年 10 月 21 日 57 三 上 山 ( 石 部 ) 2011 年 10 月 21 日 58 天 井 川 ( 旧 草 津 川 ) ( 草 津 ) 2011 年 10 月 22 日 59 瀬 田 の 唐 橋 ( 大 津 ) 2011 年 10 月 22 日 60 大 津 京 ( 大 津 ) 2011 年 10 月 22 日 61 逢 坂 の 関 ( 大 津 ) 2011 年 11 月 20 日 62 花 咲 く 都 ( 京 都 ) 2011 年 11 月 20 日 63 行 程 表 表 紙 の 写 真 は 天 龍 寺 ( 京 都 嵐 山 )の 玄 関 の 衝 立 の 達 磨 図 ( 前 管 長 平 田 精 耕 氏 ) 玄 関 口 の 衝 立 は 単 に 目 隠 し 用 のパーテーションでなく 訪 問 客 が 最 初 に 目 にする 調 度 品 なので それ 自 身 に おもてなし にふさわしい 美 しさ が 求 められている この 絵 は 達 磨 宗 の 天 龍 寺 の 顔 のようなもので 見 るたびにまた 禅 寺 へきたなと 緊 張 させられる 3

4 1 日 本 橋 東 海 道 ウオーク 事 始 め 2009 年 8 月 10 日 ( 月 ) 突 然 だったが 東 海 道 ウオーク を 思 い 立 った リタイアしたので その 記 念 になるこ とをしたかった この 日 は 日 本 橋 から 品 川 まで 歩 いた 東 海 道 を 歩 いてみよう 車 や 電 車 でなく 東 海 道 を 自 分 で 歩 いてみよう 今 まで 見 過 ごしてきた 事 も 再 発 見 するかもしれない だから 寄 り 道 もたくさんしてみよ う 人 の 意 見 でなく 自 分 の 体 験 で 物 事 を 見 直 してみるのもいい いつ 都 にゴー ルできるかは 決 めないで 妻 と 2 人 で 歩 くことにした そして 道 中 のあれこれを ブログに 書 いてみようとも 考 えた 右 下 の 写 真 は 道 路 原 標 で 道 路 の 起 点 を 示 す 標 識 である 国 道 を 歩 くと 歩 車 道 の 境 目 に kmと 書 かれた 表 示 がある それが 里 程 標 で 五 街 道 は 日 本 橋 の 真 ん 中 に 埋 められたこの 道 路 原 標 が 起 点 である ただ 近 年 の 高 速 道 路 は 東 名 が 環 八 入 口 中 央 道 が 高 井 戸 IC という 具 合 に 路 線 ごとに 置 かれるようになっている 4

5 2 三 田 西 郷 と 勝 の 会 見 地 2009 年 8 月 10 日 東 海 道 が 日 比 谷 通 りと 交 差 する 芝 5 丁 目 交 差 点 を 過 ぎると 左 に 三 菱 自 動 車 本 社 ビルがある その 足 元 に 西 郷 勝 会 見 の 地 碑 がある このあたり 一 帯 は 薩 摩 藩 の 土 地 だったようで NEC の 敷 地 内 にも 薩 摩 藩 跡 を 示 す 碑 がある 1868 年 1 月 27 日 ( 慶 応 4 年 1 月 3 日 )に 始 まった 鳥 羽 伏 見 の 戦 いで 優 勢 に 立 っ た 薩 長 軍 に 朝 廷 が 官 軍 として 錦 旗 を 与 えると 幕 府 軍 は 賊 軍 となり 離 反 者 も 相 次 ぎ 慶 喜 は 海 路 江 戸 へ 遁 走 した 東 海 道 を 東 征 してきた 官 軍 は 江 戸 攻 撃 に 先 立 ち 4 月 5,6 日 (3 月 13,14 日 )に 西 郷 勝 がここで 会 見 し 江 戸 城 明 渡 し と 慶 喜 の 水 戸 退 去 を 骨 子 とする 合 意 に 至 り 無 血 開 城 となった しかし 争 いは ぼ し ん せんそう まだ 序 の 口 で その 後 1 年 以 上 にわたり 幕 府 と 新 政 府 の 争 いは 戊 辰 戦 争 として 越 後 東 北 地 域 を 舞 台 に 続 けられた 江 戸 開 城 は 江 戸 の 住 民 を 戦 火 に 巻 き 込 まなかったことが 最 大 の 成 果 だった し 5

6 かし 幕 府 が 天 皇 を 頂 点 とする 明 治 新 政 権 にいち 早 く 完 全 降 伏 したことを 意 味 し 江 戸 の 都 市 基 盤 を 無 傷 で 新 政 権 へ 渡 す 意 義 をもった 江 戸 開 城 には 多 彩 な 評 価 があり 勝 海 舟 は 無 血 開 城 の 幕 府 側 の 責 任 者 だったので 勝 の 評 価 もまた き よ ほうへん 激 しい 毀 誉 褒 貶 にさらされてきた 福 沢 諭 吉 は 1891 年 ( 明 治 24 年 )に 痩 せ 我 慢 の 説 を 書 き 勝 と 榎 本 の 維 新 後 の 出 処 進 退 を 批 判 した 強 弱 がはっきりしている 国 際 社 会 でも 小 国 は 勝 算 が なくても 千 辛 万 苦 力 の 限 りを 尽 くす 痩 せ 我 慢 をして 国 の 栄 誉 を 保 ってい る 今 後 の 日 本 にも 痩 せ 我 慢 精 神 は 重 要 である しかるに 勝 は 無 血 開 城 で 痩 せ 我 慢 を 旨 とする 武 士 の 気 風 を 損 ない 外 国 からも 前 例 がないと 冷 笑 され た そのうえに あれほどの 事 件 を 起 こした 政 治 家 が 維 新 後 は 敵 だった 新 政 府 で 高 位 高 官 を 得 ている 人 民 を 欺 き 武 士 の 士 気 を 弱 めたのは 勝 の 責 任 でそ の 後 は 地 位 も 財 産 も 捨 てて 身 を 隠 すなら 救 いもあろうが そうならないのは 国 民 の 不 幸 である と 述 べている こうぞう き よ これに 対 する 勝 海 舟 の 回 答 もいい 行 蔵 は 我 に 存 す 毀 誉 は 他 人 の 主 張 我 に あずからず 与 らず 我 に 関 せずと 存 じ 候 各 人 へお 示 し 御 座 候 とも 毛 頭 依 存 これなく 候 札 の 辻 から 東 京 タワーを 見 る 慶 応 大 学 三 田 校 舎 の 前 から 先 は 国 道 一 号 線 となっている 私 自 身 もよく 利 用 したが 昔 は 都 電 が 走 っていた 6

7 とうぜんじ 3 高 輪 英 公 使 館 になった 東 禅 寺 2009 年 8 月 10 日 泉 岳 寺 交 差 点 を 過 ぎて 高 輪 門 跡 の 先 の 交 差 点 を 右 に 曲 がると 約 300m 位 続 く きれいな 一 本 道 があり その 突 当 りに 東 禅 寺 がある 初 代 英 公 使 オールコックはサンプソン 号 で 1859 年 6 月 26 日 品 川 沖 へ 到 着 し た 6 月 29 日 浜 離 宮 に 上 陸 して 公 使 館 候 補 の 視 察 をし 高 輪 の 東 禅 寺 を 一 目 見 て 気 に 入 り その 日 のうちに 英 公 使 館 に 決 定 した 江 戸 中 心 部 から 離 れてい るが 3 万 坪 に 広 がる 荘 重 な 構 えの 寺 で 部 屋 も 充 分 ある 東 海 道 の 左 側 はすぐ 江 戸 湾 で 海 上 の 船 との 連 絡 もたやすい というのが 選 んだ 理 由 だった 引 越 しの 後 7 月 6 日 には 国 旗 も 掲 揚 されて 業 務 が 開 始 された 引 っ 越 しが 終 わって 次 に 開 港 場 視 察 へ 行 った 驚 いたのは 条 約 上 の 開 港 地 は 神 奈 川 だが 現 地 では 横 浜 に 整 備 中 だったことである 神 奈 川 問 題 である 聞 けば 横 浜 も 神 奈 川 の 一 部 といい ハリスも 承 諾 済 みで 浄 滝 寺 に 領 事 館 も 7

8 用 意 したという オールコックとハリスは 何 度 か 抗 議 するが 計 画 した 安 部 老 中 や 岩 瀬 忠 震 ら 幕 府 側 は 外 国 側 の 反 対 も 予 想 し 最 終 的 には 横 浜 を 飲 ませるつも りで 工 事 を 続 け やがて 外 国 側 は 既 成 事 実 として 認 めざるを 得 なかった 1861 年 5 月 28 日 水 戸 藩 の 浪 士 14 名 が 公 使 館 を 襲 撃 した 第 1 次 東 禅 寺 襲 撃 事 件 で 書 記 官 オリファントと 長 崎 領 事 モリソンが 負 傷 公 使 自 身 は 短 銃 で 防 戦 して 難 を 逃 れた オールコックは 改 めて 日 本 人 の 外 国 人 排 外 運 動 の 根 強 さと 日 本 側 警 備 兵 の 弱 体 さを 知 った 犯 人 処 分 のうえ イギリス 水 兵 の 公 使 館 駐 屯 日 本 側 警 備 兵 の 強 化 1 万 ドルの 賠 償 金 で 解 決 した その 1 年 後 の 1862 年 5 月 29 日 警 備 兵 の 一 人 が 代 理 公 使 ニールを 襲 撃 した 水 兵 2 名 が 死 傷 し 犯 人 も 自 害 した 第 2 次 襲 撃 事 件 で 英 側 警 備 兵 が 増 強 さ れた 賠 償 金 交 渉 中 に 8 月 生 麦 事 件 が 発 生 し 生 麦 事 件 の 解 決 時 に 1 万 ドルの 賠 償 金 が 支 払 われた 8

9 4 品 川 幕 末 太 陽 伝 2009 年 8 月 10 日 品 川 駅 を 過 ぎると 八 ツ 山 橋 に 出 る 直 進 が 第 一 京 浜 左 が 八 ツ 山 通 り その 間 の 道 が 東 海 道 で 品 川 宿 の 入 口 になる 踏 切 を 渡 り だらだら 坂 を 下 ると 数 軒 先 に 土 蔵 相 模 跡 ( 大 妓 楼 の 相 模 屋 の 跡 地 )の 碑 がある 品 川 はもともと 海 に 面 した 漁 師 町 で どの 路 地 も 左 へ 入 ると 海 へ 出 た 今 でも 土 蔵 相 模 の 先 の 路 地 を 入 ると いきなり 品 川 浦 の 舟 溜 りへ 出 る 舟 溜 り かが た の 水 路 の 突 き 当 りに 洲 崎 弁 天 ( 利 田 神 社 )がある 漁 師 の 守 護 神 である 神 社 に 接 する 細 長 い 公 園 には 昔 ここの 漁 師 が 鯨 をとった 記 念 の 鯨 塚 もある さ らに 神 社 の 海 側 の 台 場 小 学 校 の 脇 には 品 川 台 場 跡 があり 白 い 灯 台 のレプリ カが 立 っている ペリーが 江 戸 沖 へ 来 た 時 伊 豆 韮 山 の 代 官 江 川 太 郎 左 衛 門 の 提 案 で 黒 船 を 迎 え 撃 つために 作 った 人 口 島 の 砲 台 である この 台 場 は 桜 の 名 所 だった 御 殿 山 を 崩 した 土 砂 で 作 られた 品 川 宿 は 東 海 道 第 一 番 目 の 宿 場 で 細 長 い この 八 ツ 山 口 から 目 黒 川 までが 徒 歩 新 宿 と 北 品 川 宿 で 目 黒 川 から 鈴 ヶ 森 までが 南 品 川 宿 この 間 3.8kmが 幅 3 間 (4.5m)の 東 海 道 が 残 っている そして 今 なお 生 活 道 路 としてそのまま 使 われ ている とても 珍 しいことだ この 品 川 はただの 漁 師 町 でなく 遊 里 としても 有 名 だった 海 に 面 した 景 勝 の 宿 場 町 だったので 早 くから 料 亭 や 遊 郭 が 生 まれた 北 の 吉 原 南 の 品 川 と 呼 ばれるほどだった その 品 川 は 北 品 川 を 指 す 遊 郭 を 舞 台 にした 居 残 り 佐 平 次 や 品 川 心 中 の 落 語 もある 私 は 以 前 から 通 勤 電 車 でテープに 入 れた 古 今 亭 志 ん 朝 や 上 方 の 桂 枝 雀 の 落 語 を 聞 いていた だから 志 ん 朝 の 話 から 品 川 のにぎやかさはよく 知 っていた 9

10 幕 末 太 陽 伝 ( 川 島 雄 三 監 督 S33 年 松 竹 )という 映 画 がある 古 いが 先 日 デジタルリマスター 版 ができたというので 早 速 見 た 幕 末 の 文 久 2 年 品 川 の 大 店 土 蔵 相 模 屋 を 舞 台 にして 落 語 の 居 残 り 佐 平 次 品 川 心 中 お 見 立 て をアレンジした 喜 劇 映 画 である 労 咳 ( 肺 結 核 ) 病 みの 佐 平 次 (フランキー 堺 )が お 金 はないが 転 地 療 養 するために 相 模 屋 で 居 残 り をする 布 団 部 屋 を 根 城 にして 佐 平 次 は 芸 達 者 でよく 気 が 付 き 愛 想 もいいという 特 技 を 生 かして 次 第 に 馴 染 みもできる この 宿 にはお 金 が 払 えず 居 続 け の 尊 王 攘 夷 の 志 士 高 杉 晋 作 ( 石 原 裕 次 郎 )もいた 彼 らは 攘 夷 を 目 指 して 御 殿 山 で 建 設 中 のイギリス 大 使 館 焼 き 討 ちを 計 画 している さらに 板 頭 のお 染 ( 左 幸 子 )は 祭 りの 前 でも 着 物 も 買 えず 死 のうとしている 心 中 の 相 手 に 貸 本 屋 のあばたの 金 蔵 ( 小 沢 昭 一 )である 相 模 屋 の 前 の 桟 橋 で 先 に 金 蔵 が 突 き 落 とされるが 番 町 の 旦 那 がお 金 を 持 ってきたと 聞 いて お 染 は 心 中 をやめて しまう 飛 び 込 んだ 金 蔵 は 遠 浅 の 海 だったので 助 かる イギリス 大 使 館 焼 き 討 ちも 成 功 する 次 第 に 佐 平 次 も 居 残 り をやめようと 考 える いよいよ 辞 める 時 に お 染 の 旦 那 が 来 るが お 染 が 佐 平 次 に 断 ってくれるよう 頼 む 頼 ま れた 佐 平 次 がお 染 は 死 んだことにすると 旦 那 がその 墓 へ 連 れて 行 けという 寺 へ 行 くがその 墓 が 決 まらない 旦 那 が 怒 り 佐 平 次 は 墓 から 逃 げ 出 す この 映 画 は 喜 劇 仕 立 てだが 見 る 人 を 元 気 にさせるのが 魅 力 である 俳 優 もフランキー 堺 や 小 沢 昭 一 石 原 裕 次 郎 左 幸 子 南 田 洋 子 など 個 性 派 揃 いで 楽 しい ストーリーも 落 語 に 沿 った 筋 立 てで 落 語 ファンには こたえられない 面 白 さがある 加 えて 当 時 の 世 相 や 街 の 様 子 をしっかり 見 せてくれる ( 注 )この 稿 は 2012 年 11 月 に 改 定 した 右 のポスターは 2011 年 12 月 デジタル リメーク 版 の 公 開 時 のものである 10

11 5 川 崎 再 開 東 海 道 ウオーク 2011 年 1 月 9 日 再 開 のご 挨 拶 2009 年 8 月 10 日 我 々ドン キホーテとサンチョ パンサは 東 海 道 完 全 踏 破 を 旗 印 に 意 気 揚 々と 日 本 橋 を 出 発 した ところが 都 心 から 品 川 を 経 て 多 摩 川 を 越 して 川 崎 に 入 ったところで 同 行 者 の 妻 サ ンチョ パンサが 膝 を 痛 めた 開 始 早 々のことだったが 残 念 ながら ウオークはやむ なく 中 断 せざるを 得 なかった しかし 約 1 年 半 後 幸 いにもその 膝 が 回 復 したので 中 断 していたウオー クを 再 開 することにした 2011 年 1 月 9 日 ドン キホーテ 再 現 された 旧 東 海 道 川 崎 もこの 砂 子 通 り( いさご と 読 む)は 街 道 の 名 残 が 残 されている しかし 次 の 日 進 町 八 丁 畷 まで 来 ると ごくありふれた 道 に 戻 る その 先 の 鶴 見 を 経 て 神 奈 川 まで 来 ると 再 び 旧 東 海 道 が 再 現 された 道 になる 名 残 が 残 された 区 間 が 短 くてかつ 貧 弱 だ 全 部 の 区 間 とは 言 わないが 一 定 の 区 間 をある 程 度 の 規 模 で 再 現 すれば 150 年 後 の 今 日 でも 気 軽 に 歩 いて 楽 しむこと ができるはずだ 若 いころに 道 路 行 政 に 携 わり 楽 しく 歩 ける 道 づくり を 実 践 してきた 経 験 からみて こうした 歴 史 的 な 遺 跡 はもっと 積 極 的 に 保 存 活 用 できるようにしておくべきだったと 思 う 11

12 6 生 麦 生 麦 事 件 が 日 本 の 歴 史 を 変 えた 2011 年 1 月 9 日 鶴 見 駅 を 抜 け 第 一 国 道 を 横 断 して JR 鶴 見 線 ガードをくぐると 生 麦 魚 河 岸 通 りが 始 まる 鶴 見 川 に 接 して 魚 貝 類 がたくさん 捕 れたことから 魚 河 岸 通 りとよばれて, 現 在 も 毎 朝 早 くから 魚 や 貝 が 商 われている その 途 中 に 生 麦 事 件 発 生 現 場 の 碑 がある 生 麦 事 件 とは 1862 年 9 月 14 日 ( 文 久 2 年 8 月 21 日 ), 薩 摩 藩 主 島 津 久 光 が 江 戸 から 帰 国 途 中 に この 生 麦 村 で 行 列 に 乗 り 入 れた 上 海 の 英 国 商 人 C リチャ ードソンら 4 名 を 無 礼 討 ちで 殺 傷 した 事 件 である リチャードソンはここでと どめを 刺 され 傷 を 負 ったボロデーロ 夫 人 クラーク マーシャルは 馬 に 乗 っ たまま 米 国 領 事 館 ( 本 覚 寺 ) 英 国 領 事 館 ( 浄 龍 寺 )へ 逃 げ 帰 った 薩 摩 藩 はそ のまま 行 列 を 進 めて 保 土 ヶ 谷 宿 へ 入 った 横 浜 在 住 の 英 国 人 は 激 昂 し 報 復 を 主 張 したが 英 代 理 公 使 ニール 氏 がこれを 収 めて 後 日 徳 川 幕 府 へ 謝 罪 と 賠 償 金 10 万 ポンド 薩 摩 藩 へ 犯 人 処 罰 と 賠 償 金 2.5 万 ポンドを 要 求 幕 府 は 翌 年 5 月 支 払 ったが 薩 摩 藩 は 支 払 い 拒 絶 したため 7 月 に 薩 英 戦 争 が 発 生 した 9 月 講 和 会 議 で 薩 摩 藩 は 幕 府 から 借 金 の 上 これを 支 払 った この 事 件 は 第 1 に 幕 府 が 薩 摩 藩 を 統 制 できないほど 弱 体 化 していることを 示 した 第 2 に 現 状 では 西 洋 列 強 に 勝 てないことがはっきりしそれまでの 外 国 人 排 除 思 想 を 小 攘 夷 とし 開 国 で 富 国 強 兵 を 図 って 西 洋 列 強 に 伍 するようにす る 大 攘 夷 論 が 急 速 に 広 まった 第 3 に 薩 摩 藩 は 戦 争 を 機 に 英 国 へ 親 近 感 を 持 つようになり 英 国 もまた 薩 長 をひそかに 支 援 することに 転 換 した これらか ら 見 ると この 事 件 は 日 本 の 歴 史 を 大 きく 変 えた 事 件 だったことが 判 る 12

13 7 横 浜 神 奈 川 問 題 2011 年 1 月 9 日 青 木 橋 を 渡 ると 丘 の 上 にアメリカ 領 事 館 跡 の 本 覚 寺 がある ここから 狭 い 旧 道 へ 入 り 東 横 線 の 廃 線 敷 を 過 ぎると 台 町 の 坂 になる 台 町 は 昔 は 袖 ヶ 浦 と 呼 ばれた 海 に 面 した 高 台 で 野 毛 山 や 本 牧 岬 を 望 む 景 勝 地 だった だから 神 奈 川 宿 は 旅 籠 や 茶 屋 が 並 んで 人 馬 の 往 来 が 絶 えることがないほど 栄 えていた 割 烹 田 中 屋 神 奈 川 宿 は 5 カ 国 条 約 上 はここが 開 港 地 のはずだったが 幕 府 は 対 岸 の 横 浜 を 開 港 地 としたので 昔 の 街 並 みが 残 された しかし 開 港 に 伴 って 尊 王 攘 夷 論 が 広 まり その 排 外 主 義 により 開 国 論 者 の 多 くは 暗 殺 対 象 者 になったので ゆっくりみなと 見 物 などした 人 はいなかっただろう それでも 坂 の 途 中 の 割 烹 田 中 屋 には 坂 本 竜 馬 のつれあいだったおりょうさんもある 時 期 働 いていたというのだから 港 を 遠 くから 眺 める 場 所 だったに 違 いない 13

14 英 公 使 オールコックも 米 公 使 ハリスも 現 地 へ 来 て 横 浜 村 で 開 港 場 建 設 を 進 め ている 様 子 を 見 て 幕 府 が 意 図 的 に 出 島 を 作 ろうとしていると 大 いに 驚 いた オールコックは 条 約 相 手 国 に 相 談 なしに 開 港 地 が 変 更 されたこと 開 港 地 が 出 島 のようでは 自 由 な 交 易 自 由 な 人 々の 往 来 が 保 証 できないとして 抗 議 した これに 対 して 幕 府 は 神 奈 川 が 広 域 名 称 で 同 じ 湾 内 にある 横 浜 もその 一 部 であ る 神 奈 川 沖 が 遠 浅 で 港 に 適 さない 攘 夷 派 からの 外 国 人 保 護 上 の 不 適 切 さを 挙 げて 協 力 を 求 めた これに 対 して 5 カ 国 側 は 手 続 き 面 の 不 備 を 攻 撃 した しかし 幕 府 の 横 浜 開 港 は 周 到 に 練 られた 戦 略 的 事 業 だった 条 約 交 渉 のトップ の 老 中 堀 田 正 睦 は 岩 瀬 忠 震 の 横 浜 開 港 論 に 沿 って 交 渉 を 進 めていた その 基 本 的 考 え 方 は 政 治 中 枢 の 江 戸 と 経 済 中 枢 の 大 阪 は 開 港 しない 開 港 場 は 両 都 市 から 適 度 に 離 れた 場 所 に その 外 港 として 出 島 の 形 態 で 開 港 する 輸 出 品 輸 入 品 とも 江 戸 へ 集 めてから 全 国 へ 流 通 させる 物 流 システムを 形 成 し て 利 権 を 江 戸 へ 集 中 させて 幕 府 権 力 の 強 化 を 図 る というものであった そうした 国 家 戦 略 は 隠 されたまま 幕 府 は 各 国 領 事 に 攘 夷 派 からの 警 備 居 留 地 整 備 良 港 な 港 などの 理 由 で 横 浜 を 開 港 場 にせざるを 得 ないと 説 得 を 始 め た 同 時 に 幕 府 はぬかりなく 日 本 側 の 商 人 を 地 租 免 除 して 希 望 者 に 加 えて 幕 府 が 指 定 した 両 替 商 三 井 など 数 百 軒 を 横 浜 へ 集 めた 幕 府 は 外 国 側 が 日 本 の 実 態 を 理 解 できるようになれば 条 約 違 反 の 反 発 も 次 第 に 収 まるだろうとみ ていた それだけで 幕 府 は 静 観 していたわけではなかった 外 国 側 の 反 発 を 和 らげるため 5 カ 国 の 領 事 館 はすべて 神 奈 川 の 寺 をあてた また 横 浜 を 管 轄 す る 奉 行 所 を 神 奈 川 奉 行 所 横 浜 の 税 関 を 神 奈 川 運 上 所 と 呼 ぶなどの 工 夫 もした こうして 各 国 領 事 の 反 対 にもかかわらず 外 国 商 人 たちは 続 々と 横 浜 居 留 地 へ 集 まるようになり 取 引 も 急 激 に 増 えていった その 結 果 在 留 外 国 人 が 横 浜 で 貿 易 活 動 に 従 事 し 彼 らを 保 護 監 督 する 領 事 が 対 岸 の 神 奈 川 に 暮 らすと いった 不 便 な 事 態 が 生 じてきた さらに 新 たに 外 国 商 人 が 増 加 すると 横 浜 居 留 地 が 次 第 に 手 狭 になり 地 割 を 巡 って 各 国 領 事 が 争 う 事 態 まで 起 き 始 めた 開 港 後 約 1 年 で 神 奈 川 問 題 は 幕 府 の 思 惑 通 り 横 浜 を 居 留 地 とすることでな し 崩 し 的 に 決 着 していった この 一 連 の 事 態 について オールコックは 幕 府 はあらゆる 面 で 準 備 を 整 えており その 熱 心 さと 用 意 周 到 さはいかに 疑 い 深 い 者 でも 納 得 させられるほどで 日 本 人 の 外 交 に 関 する 最 初 の 授 業 だったと 述 べ ている 14

15 ごん たさか 8 保 土 ヶ 谷 権 田 坂 2011 年 1 月 10 日 保 土 ヶ 谷 交 差 点 から 約 2kmで 権 太 坂 入 口 に 着 く 権 太 坂 は 言 わずと 知 れた 箱 根 マラ ソン 花 の 2 区 の 最 大 の 難 所 である それでも 今 の 権 太 坂 は 切 通 しの 中 をゆっくり 登 っていく 昔 の 東 海 道 はいきなり 強 烈 な 登 り 坂 になる 権 太 坂 入 口 は 新 旧 両 方 とも 同 じで 今 の 権 太 坂 は 保 土 ヶ 谷 バイパス( 橋 梁 )の 下 を 抜 けていくが 昔 の 権 太 坂 はバイパス( 橋 梁 )の 上 にもう 一 つ 渡 した 橋 梁 をいく だから 今 でも MM21 地 区 のランドマークタワー がよく 見 えるが 権 太 坂 の 由 来 板 にはここから 東 京 湾 とその 先 の 千 葉 がよく 見 えたと 書 かれている 日 米 修 好 通 商 条 約 は 1858 年 7 月 29 日 ( 安 政 5 年 6 月 19 日 ) その 後 英 仏 など 4 カ 国 とも 条 約 を 結 んだが 開 港 場 は 9 月 になって 横 浜 村 と 決 定 した 1859 年 7 月 1 日 ( 安 政 6 年 6 月 2 日 )の 開 港 までの 1 年 以 内 に 波 止 場 建 設 奉 行 所 や 運 上 所 建 設 横 浜 道 建 設 街 の 建 設 商 人 移 住 など 山 のような 仕 事 があっ た 工 事 が 始 まったのは 1859 年 1 月 頃 で 開 港 までの 実 際 の 工 期 は 約 3 カ 月 程 度 だったという 最 も 難 航 したのは 東 海 道 と 横 浜 村 を 結 ぶ 横 浜 道 の 建 設 で これを 担 当 したのが 保 土 ヶ 谷 宿 の 本 陣 を 務 めた 苅 部 清 兵 衛 だった 地 ならしは 磯 子 村 の 農 民 堤 磯 右 衛 門 が 行 いつつ 苅 部 が 道 路 整 備 を 進 めて 間 に 合 わせたといわれている そ の 苅 部 本 陣 跡 が 保 土 ヶ 谷 交 差 点 に 残 っている 15

16 9 戸 塚 不 動 坂 の 鎌 倉 ハム 2011 年 1 月 10 日 東 海 道 は 不 動 坂 で 左 へ 折 れて 戸 塚 宿 へ 至 る 戸 塚 駅 周 辺 では 難 産 だった 再 開 発 が 真 っ 盛 りである 東 口 はすでに 1990 年 に 完 了 済 みだが 西 口 は 2013 年 完 了 予 定 だがまだまだ 時 間 がかかりそうに 見 える その 西 口 再 開 発 の 目 玉 の 一 つが 戸 塚 大 踏 切 の 立 体 交 差 化 である 戸 塚 大 踏 切 は 旧 国 道 一 号 線 と 東 海 道 線 横 須 賀 線 の 踏 切 で 長 い 間 開 かずの 踏 切 で 大 勢 が 苦 労 させられた 立 体 交 差 化 工 事 は 2014 年 度 までの 予 定 と 聞 いた 完 成 すれば 旧 道 と 一 緒 に 東 海 道 も 鉄 道 をアンダーパスすることになる 不 動 坂 から 直 進 する 現 一 号 線 は 大 坂 上 で 旧 道 と 合 流 して 原 宿 方 面 へ 向 かう こ の 不 動 坂 ~ 大 坂 上 は 別 名 戸 塚 道 路 または ワンマン 道 路 と 呼 ばれて 箱 根 マラソンもこのワンマン 道 路 がコースの 一 部 になっている 昭 和 28 年 当 時 の 吉 田 首 相 のお 声 がかりで 開 かずの 踏 切 といわれる 戸 塚 駅 前 の 大 踏 切 を 避 ける ため このバイパス 道 路 が 建 設 された 経 緯 もあり ワンマン 宰 相 だった 吉 田 首 相 の 名 をとってこのように 呼 ばれた 不 動 坂 から 約 300m 下 った 右 側 に 赤 レンガ 造 の 大 きな 倉 庫 が 現 われる 地 元 の 名 家 でもある 斉 藤 家 である この 斉 藤 家 は 鎌 倉 ハム の 創 設 者 の 一 人 で 今 でも 名 古 屋 に 本 社 を 構 えてハムやソーセージの 製 造 販 売 をしている そこで 鎌 16

17 倉 ハム について 説 明 する 明 治 10 年 にイギリス 人 W カーテイス( 新 橋 横 浜 間 の 鉄 道 敷 設 の 指 導 に 当 たっ た 鉄 道 技 師 )が 東 海 道 に 面 したここ 柏 尾 村 で 居 留 地 の 外 国 人 相 手 に 白 馬 亭 ホ テル を 開 業 した 同 時 に このホテル 敷 地 内 に 牛 馬 豚 などを 飼 育 し ハム ソーセージ 牛 乳 バターなどを 製 造 販 売 した 当 初 この 製 品 はホテルと 居 留 地 だけで 販 売 したので カーテイスは 日 本 人 の 敷 地 内 立 ち 入 りを 禁 じ 製 法 も 日 本 人 には 教 えなかった しかし カーテイスはこの 村 の 娘 おかねを 日 本 人 妻 にし 明 治 17 年 の 工 場 火 災 で 近 所 の 日 本 人 の 消 火 活 動 に 感 激 したことなどか ら 次 第 にこれまでの 日 本 人 排 斥 感 が 薄 らぎ 地 元 の 農 家 益 田 直 蔵 と 地 元 の 名 士 斉 藤 万 平 の 二 氏 にハムの 製 法 を 教 えた 以 降 鎌 倉 ハムは 斉 藤 系 と 益 田 系 (のちの 石 井 商 会 )の 二 つの 流 れに 沿 って 発 展 した 益 田 は 鎌 倉 ハム と 名 付 けて 製 造 したが 昭 和 2 年 石 井 商 会 の 石 井 嘉 吉 と 共 同 経 営 で 受 け 継 いだ また 斉 藤 は 関 東 大 震 災 を 経 て 名 古 屋 へ 転 出 して 規 模 を 拡 大 した この 不 動 坂 の 鎌 倉 ハムは 斉 藤 系 で ここがまた 鎌 倉 ハム 発 祥 の 地 である 鎌 倉 ハム はブランド 名 だが 長 い 歴 史 があるため 複 数 の 事 業 者 が 製 造 販 売 していて 特 定 企 業 の 銘 柄 でない また ここが 昔 は 鎌 倉 郡 柏 尾 村 だったため その 地 名 を 冠 して 鎌 倉 ハム と 呼 ばれているが 今 は 横 浜 市 戸 塚 区 上 柏 尾 町 であるために 鎌 倉 市 域 の 発 祥 ではないのに 鎌 倉 という 名 を 冠 している 特 徴 がある なお 赤 レンガ 倉 庫 は 明 治 20 年 代 に 建 てられて 冷 蔵 庫 として 使 わ れた 17

18 ゆぎょうじ 10 藤 沢 遊 行 寺 2011 年 1 月 15 日 11 時 過 ぎに 遊 行 寺 到 着 寒 い 日 で 境 内 は 閑 散 としていた この 後 単 調 な 道 だった が 茅 ヶ 崎 まで 歩 いた 藤 沢 は 鎌 倉 時 代 末 期 ころから 遊 行 寺 の 門 前 町 として 発 展 し 江 戸 時 代 になるとすぐ 東 海 道 の 宿 駅 に 指 定 された 安 藤 広 重 の 東 海 道 53 次 の 藤 沢 では 遊 行 寺 が 描 かれている 18

19 遊 行 寺 へ 行 くと 広 重 の 絵 はずいぶん 実 際 と 違 っていることが 分 かる 絵 と 実 物 と 比 べると 入 口 の 黒 門 が 不 自 然 で 形 も 違 う 参 道 に 高 い 階 段 はない ので ある 以 前 から 広 重 は 実 際 に 東 海 道 を 歩 かないまま 絵 を 描 いたらしい と 言 わ れている そうかもしれない しかし 見 ていないとか 実 際 と 違 うとかいっても それが 絵 の 価 値 を 下 げることは 少 しもない 行 ったことがない 場 所 を 描 くため に 他 人 の 話 旅 行 記 絵 を 参 考 にするのは 当 然 だし 元 絵 があってデフォルメ があって 当 然 だからである 要 はそうであっても 独 自 の 魅 力 があるか 心 を 打 つものがあるかの 問 題 だろうと 思 われる しかし 近 年 広 重 の 53 次 は 司 馬 江 漢 の 元 絵 の 盗 作 という 説 が 広 まっている 江 漢 東 海 道 53 次 画 帳 をみると 広 重 は 53 枚 中 50 枚 が 画 帳 を 元 絵 にしている と 伊 豆 高 原 美 術 館 の 對 中 如 雲 氏 が 発 表 し マスコミが 面 白 がって 取 り 上 げたた めである 上 図 の 左 が 広 重 の 藤 沢 右 が 江 漢 の 藤 沢 である 私 は 元 絵 があっても 広 重 の 絵 は 独 自 の 魅 力 がある 絵 画 でも 本 歌 取 り は 当 然 ある 技 法 だし そのために 広 重 の 価 値 は 何 ら 揺 るがないものと 考 えている それよりも 前 に 江 漢 の 画 帳 が 江 戸 期 の 本 物 かどうかをまず 検 証 するほうが 先 だろう 困 ったことは その 美 術 館 が 閉 館 してしまっているし その 絵 も 売 り 払 ったというのである 盗 作 論 争 をするなら もう 少 し 徹 底 的 に 行 わないとすべてが 生 煮 え 状 態 になってし まって かえって 混 乱 を 深 めるだけになることをこの 盗 作 問 題 は 残 している 19

20 なんこ 11 茅 ヶ 崎 南 胡 の 左 富 士 2011 年 2 月 6 日 今 日 は 茅 ヶ 崎 からスタート 東 海 道 が 一 号 線 とダブる 区 間 だったので 排 ガス 対 策 で マスクをつけて 歩 いています 当 初 は 大 磯 まで 歩 く 予 定 でしたが 大 磯 で 歴 史 の ありそうなお 蕎 麦 屋 さんで 早 めの 昼 食 をとると 連 れのサンチョ パンサが 体 調 はとて もいいというので ついつい 二 宮 まで 足 を 延 ばしました 次 第 に 筋 肉 痛 もはじまって 少 々つらい 道 中 となりました 茅 ヶ 崎 から 西 へ 約 3km 行 くと それまで 西 へ 向 かった 道 路 が 右 に 大 きくカーブ する そのカーブが 再 び 左 へ 曲 がるところに 鳥 井 戸 橋 があり そのたもとに なんこ 南 胡 の 左 富 士 の 碑 がある 東 海 道 を 西 へ 下 る 人 には 富 士 山 はおおむね 右 側 に 見 えるのだが この 南 胡 ( 茅 ヶ 崎 )と 吉 原 ( 富 士 の 宮 )の2 個 所 で 左 側 に 見 えるといわれてきたところである 着 いた 時 は あいにくのうす 曇 りで 富 士 山 の 姿 は 見 えなかった ところで 南 湖 は 立 場 茶 屋 である 宿 場 と 宿 場 の 間 の 間 の 村 (あいの むら)のいくつかが 立 場 (たてば)と 呼 ばれた 立 場 では 馬 の 継 ぎ 立 て 人 足 や 駕 籠 かきの 休 憩 が 行 われた 立 場 のうち 権 太 坂 を 上 りきった 境 木 相 模 川 に 接 する 南 湖 酒 匂 川 に 接 する 梅 沢 などで 次 第 に 茶 を 給 仕 する 茶 立 女 (ち ゃたておんな)を 置 いて 営 業 するお 茶 屋 になったものが 立 場 茶 屋 とよばれ たようだ 後 にみる 十 返 舎 一 句 の 東 海 道 中 膝 栗 毛 では 女 性 をからかったり 川 渡 し 人 足 とトラブルを 起 こした 場 所 であった 今 では 往 時 のにぎやかな 街 は ないが 碑 を 通 じて 華 やかだった 昔 を 偲 んでみるのもいい 20

21 12 平 塚 相 模 川 と 川 の 渡 し 2011 年 2 月 6 日 相 模 川 には 普 段 からアユ 釣 りによく 来 る 毎 年 6 月 から 10 月 半 ばまでがアユ 釣 りの 解 禁 時 期 で 釣 り 場 はここよりもずっと 上 流 の 高 田 橋 や 小 倉 橋 あたりになる この 橋 は 馬 入 橋 という この 川 の 名 前 も 馬 入 川 という 人 もいる 土 地 の 人 に 聞 いた ら 源 流 部 は 桂 川 中 流 部 は 相 模 川 下 流 部 は 馬 入 川 というのだそうである 川 は 今 どの 川 もそうだが 水 がない 発 電 上 水 道 や 農 業 用 水 などのために 水 はみんなダムで 止 められて 途 中 で 抜 かれている そのダムが 少 しづつ 流 す 水 だけが 普 段 川 を 流 れているにすぎな い 水 が 少 ないので 普 段 から 川 が 怖 いと 思 わない 人 が 急 増 している それが 集 中 豪 雨 や 鉄 砲 水 で 被 害 を 起 こす しかし 少 し 前 まではそんなことはなかった 川 はいつもとうとうと 水 が 流 れ 嵐 のときは 濁 流 や 洪 水 となって 人 に 大 被 害 を 及 ぼすものだった もっと 前 の 江 戸 時 代 には 少 しばかりの 雨 でも 始 終 氾 濫 をおこして 暴 れていたのだろう ど ちらがいいとは 言 いにくいが 川 には 水 があって 当 然 だろう 幕 府 は 大 河 川 に 架 橋 するのを 禁 止 した 橋 をかけさせなかったのは 関 所 のよ うに 自 由 通 行 を 制 限 する 政 治 的 理 由 と 両 岸 の 宿 駅 の 人 々の 生 活 を 保 護 する 経 済 的 理 由 があったらしい いずれにせよ 橋 がない 限 り 川 を 渡 るには 船 渡 しか 徒 歩 渡 しになる 渡 し 場 は 道 中 奉 行 が 所 管 して 定 船 場 が 作 られて その 方 法 や 料 金 が 決 められてい 21

22 た 例えば神奈川県内では 多摩川と相模川は船渡し 酒匂川は徒歩渡し 馬 渡し 蓮台渡しと決められていたらしい 相模川で使われた船は 小船 馬船 平田船の三種類で 小船は旅人専用船 馬船は馬が荷物を積んだまま乗ってもの 平田船は船底が平らな船で貨物も人 も運んだという 隣の酒匂川の徒歩渡しでは普通の場合は客を瀬や肩に背負っ て渡り 高貴な人は 6 人で運ばれる蓮台の上に乗って渡った 静岡の安部川の 徒歩渡し の事例になるが 東海道膝栗毛 で弥次さんは 人足の肩に担がれて渡った しばらくすると だんだん深くなり腰の上まで水 が来た 怖くて人足の頭へしがみつくと そこは眼で前が見えないとか鼻がふ さがれて息ができないとかいわれる 腰から下がずぶぬれになって川を渡った ホッとして 2 倍の料金 64 文と酒手をはずんだ しかし 終わってよく見ると 浅瀬もあり わざと深いところを渡ってきたことが分かった といってボラれ たことを悔しがった 酒匂川の徒歩渡し オールコック 大君の都 第 20 章転地 22

23 13 大 磯 松 並 木 2011 年 2 月 6 日 大 磯 駅 で 早 めの 昼 食 をすまして 今 日 の 行 程 はこれでおしまいと 思 っていると 連 れ のサンチョ パンサが もっと 歩 こうよ と 言 い 出 した ドキッとしたが 私 の 方 からやめ ようぜというのも 悔 しかったので 行 くことになった 歩 き 始 めて 間 もなく 筋 肉 痛 が 始 ま った 田 舎 に 来 れば 来 るほど 駅 間 が 長 くなって なかなか 次 の 駅 へ 到 着 できないこ とに 気 付 いた 次 の 駅 は 二 宮 だった ウオーキングしていて 景 色 が 一 気 に 広 がって 見 通 しが 開 けることがある 道 路 に 電 柱 がなく 電 線 のたぐいもないために 街 が 明 るく 見 えるのである 電 線 を 歩 道 に 埋 めたケーブルボックス(Cab 電 線 共 同 溝 ともいう)へ 収 納 し 電 柱 を 撤 去 する 事 業 があちこちで 進 んでいる 国 道 一 号 線 の 大 磯 駅 周 辺 二 宮 駅 周 辺 あたりでも 工 事 中 である とてもよいことだ 今 から 約 30 年 前 になるが 私 が 道 路 行 政 を 担 当 した 頃 横 浜 で イセザキモー ル 事 業 があった たった 300mの 商 店 街 のショッピングモール 化 だったが 電 線 を 地 中 化 し 無 電 柱 化 するために 3 億 円 かかるので 負 担 してほしいと 東 電 が 主 張 し みんなで 苦 労 して 負 担 しあったことを 思 い 出 す 23

24 お 金 があれば1mでも 多 く 道 路 を 整 備 したいと 考 える 人 が 多 かった 時 代 だった それでも 私 は 人 が 歩 く 道 では 始 めて 作 る 時 に 電 柱 電 線 をなくし ガス 水 道 下 水 と 一 緒 に 共 同 溝 化 しよう そうすると 30 年 先 に 振 り 返 った 時 に 結 果 安 い 費 用 で 整 備 できたことになると 主 張 した その 時 に 思 い 描 いた 道 の 姿 は 東 海 道 の 松 並 木 だった この 松 並 木 は 歩 く 人 に 夏 には 日 陰 雨 時 には 雨 宿 りを 作 って 旅 人 を 休 息 させ るだけでなく あの 木 は 自 分 のお 爺 さんが 植 えて 世 話 もしてきたとか あの 並 木 の 下 には 道 があるというように 地 域 のシンボルあるいはランドマークだった はずだ その 道 が 明 治 以 降 人 が 歩 く 道 も 自 動 車 道 でも 構 わず 電 柱 や 地 下 埋 設 物 の 収 容 施 設 に 変 わって 空 いた 場 所 に 遠 慮 がちに 街 路 樹 が 立 つようになっ た 特 に 電 柱 はこれまでの 松 並 木 に 代 わりに 立 っているように 見 える 電 柱 電 線 類 の 並 木 は 誰 も 美 しいとは 言 わない むしろ 街 の 景 観 を 著 しく 悪 くさせている だから それらは 埋 めてしまって 地 上 には 松 並 木 を 復 活 させよう 昔 の 人 々 が 快 適 と 考 え 安 藤 広 重 らが 絵 にして 後 世 に 残 した 光 景 を 復 活 させたい 人 が 歩 く 道 では 電 柱 の 並 木 は 一 掃 して 東 海 道 の 松 並 木 を 復 活 させたいのである 24

25 14 大 磯 エリザベス サンダースホーム 2011 年 2 月 6 日 大 磯 駅 から 5 分 位 歩 いたところにエリザベス サンダースホームがある この ホームこそ 戦 後 日 本 の 縮 図 のような 施 設 だった 写 真 は 聖 ステパノ 学 園 HP から 借 用 しています 大 磯 はかって 保 養 療 養 の 目 的 で 政 界 人 財 界 人 を 中 心 に 多 くの 著 名 人 が 別 荘 や 邸 宅 を 構 えてきた その 中 には 伊 藤 博 文 山 県 有 朋 大 隈 重 信 西 園 寺 公 望 寺 内 正 毅 原 敬 加 藤 高 明 吉 田 茂 など 8 人 もの 首 相 もいて 政 界 の 奥 座 敷 といわれるほどだった しかし 昭 和 21 年 の 公 職 追 放 財 閥 解 体 財 産 税 徴 収 により 上 流 階 級 の 別 荘 が 売 りに 出 されたり 企 業 がそれを 買 い 取 る 例 が 多 くなった 一 時 吉 田 茂 が 大 きな 影 響 を 有 した 時 に 大 磯 詣 で があったが その 後 は 次 第 に 落 ち 着 いた 湘 南 の 街 の 一 つになってきた 売 りに 出 され 物 納 した 別 荘 を 買 い 取 る 人 々の 中 に 沢 田 美 喜 ( 外 交 官 夫 人 で 三 菱 財 閥 の 岩 崎 弥 太 郎 の 孫 娘 )がいた 昭 和 23 年 彼 女 は 財 産 税 として 物 納 さ れた 旧 岩 崎 家 別 荘 を 買 い 戻 し 混 血 孤 児 のための 孤 児 院 を 開 園 した これが エ リザベス サンダースホーム である 25

26 ホームは 占 領 軍 兵 士 と 日 本 人 の 間 で 強 姦 売 春 結 婚 で 生 まれたが 親 や 周 囲 から 見 捨 てられた 混 血 児 たちを 収 容 し 育 てる 孤 児 院 だった 1948 年 に 開 設 し その 後 成 長 する 子 供 たちを 周 囲 の 偏 見 から 守 るため 園 内 に 小 学 校 を 設 立 (S28 年 ) 次 いで 中 学 校 を 設 立 した(S34 年 ) 成 長 した 孤 児 たちは 社 会 へ 出 て 活 躍 するもののほか 米 国 へ 養 子 に 行 ったり 外 国 へ 移 民 した 者 もおり 昭 和 55 年 沢 田 美 喜 が 死 去 するまでの 32 年 間 に2 千 人 の 孤 児 がここから 巣 立 ったといわれ ている 沢 田 美 喜 は 外 交 官 の 妻 だったが 熱 心 なキリスト 教 徒 で 施 設 の 名 義 も 日 本 聖 公 会 とした 開 設 当 時 は 大 変 な 資 金 難 が 続 いたらしい そんなとき 聖 公 会 の 信 者 で 日 本 に 長 く 暮 したエリザベス サンダー 女 史 が 高 齢 で 亡 くなりその 遺 産 が 贈 られ これに 感 謝 して 施 設 の 名 前 が 付 けられた また 付 属 する 学 校 名 も 美 喜 の 子 供 の 洗 礼 名 からステパノと 名 付 けられたという もともとこの 施 設 は 占 領 軍 がもたらした 混 血 児 の 孤 児 院 だったが 近 年 では 理 由 あって 親 と 暮 らせない 子 供 たち 約 80~90 人 を 育 てている 特 に 学 校 は 平 成 4 年 から 施 設 の 子 供 たちだけでなく 外 部 の 一 般 家 庭 の 子 供 たちも 受 け 入 れ ている こういう 活 動 家 や 施 設 に 出 会 いその 歴 史 を 知 ると 経 済 効 率 一 本 槍 で 来 た 自 分 のこれまでの 暮 らし 方 ものの 考 え 方 を 反 省 し キリスト 教 などの 宗 教 への 信 心 なしで 本 当 に 良 いのかと 考 え 直 す 必 要 に 迫 られる 26

27 15 二 宮 ガラスのうさぎ 2011 年 2 月 11 日 このウオーキングで 初 めての 雨 だったが 二 宮 から 箱 根 湯 本 まで 歩 いた 天 気 予 報 も 雨 のち 雪 だったが その 通 りになった 駅 を 出 るときから 雨 合 羽 に 傘 のいでたちであ る 雨 はさほど 強 くなかったが 寒 い 酒 匂 川 を 超 えるあたりから 雨 が 雪 に 変 わった 小 田 原 で 昼 食 をした 時 上 着 はウインドブレーカーだったので 雨 がしみ 込 んで 下 に 着 ていたコートが 濡 れていた それでもこの 雨 と 雪 の 中 をよく 歩 いたと 思 う 戦 争 が 終 わる 寸 前 の S20 年 8 月 5 日 この 二 宮 駅 周 辺 は 米 軍 の 機 銃 掃 射 を 受 け た その 中 に 父 と 新 潟 へ 向 かう 高 木 敏 子 氏 がいて 父 が 亡 くなった もともと 彼 女 は 東 京 から 疎 開 中 で これまでに 二 人 の 兄 は 軍 人 として 出 征 して 死 去 空 襲 で 家 と 母 と 二 人 の 妹 を 失 い 父 と 二 人 だけだったので これで 彼 女 は 一 人 っ きりになってしまった その 時 空 襲 で 焼 けた 東 京 の 実 家 のガラス 工 場 跡 から 持 ち 帰 った 半 分 溶 けた 大 きなガラスのうさぎの 置 物 を 手 に 持 っていた 高 木 氏 はこの 時 12 歳 その 少 女 が 目 の 前 で 失 った 父 の 葬 式 を 出 し 家 族 を 亡 く しながら 形 見 になってしまったガラスのうさぎを 心 の 支 えにして けなげに 生 き 抜 いた 実 話 が ガラスのうさぎ に 描 かれている もちろんこのお 話 しは 戦 争 を 告 発 するものである しかし それにとどまらず 我 々の 心 を 打 つのは 家 族 を 失 った 12 歳 の 女 の 子 が 必 死 に 生 きようとしている 姿 とその 心 意 気 である 戦 争 という 大 きな 社 会 事 象 の 中 での 事 件 だったが 何 も 持 たない 少 女 が 父 の 形 見 の ガラスのうさぎ を 心 の 支 えにして 生 きて 行 こうとする 姿 に 感 動 する 人 はその 年 齢 や 時 代 などの 外 的 要 因 にかかわらず 人 は 生 きようと 努 力 すれば きっちり 報 われることを 教 えているようだ 27

28 16 小 田 原 代 表 的 日 本 人 二 宮 尊 徳 2011 年 2 月 11 日 酒 匂 川 を 渡 ると 小 田 原 はもうすぐだ 酒 匂 川 はアユ 釣 りで 来 る 富 士 道 橋 報 徳 橋 十 文 字 橋 などはその 代 表 的 釣 り 場 だ この 報 徳 橋 のたもとの 町 が 栢 山 (かやま)で 二 宮 尊 徳 記 念 館 がある 1894 年 に 内 村 鑑 三 は 代 表 的 日 本 人 を 書 いた その 5 人 は 宗 教 家 の 日 蓮 教 育 者 の 中 江 藤 樹 農 民 の 二 宮 尊 徳 地 方 大 名 の 上 杉 鷹 山 政 治 家 の 西 郷 隆 盛 である 5 人 の 代 表 的 日 本 人 に 共 通 するものは 何 か 敬 虔 なクリスチャンの 内 村 鑑 三 は たぶん 清 貧 で 勤 勉 禁 欲 をキーワードにして 選 んだのだろうと 思 わ れる そこには 資 本 主 義 の 形 成 期 に 生 きた 内 村 が 宗 教 基 盤 は 違 うが 日 本 の 近 代 社 会 の 発 展 に 最 も 重 要 な 資 本 主 義 のエートス( 精 神 )に 連 なる 態 度 が 見 える 二 宮 尊 徳 というと 私 たちが 子 供 の 頃 にはどこの 小 学 校 にもあった 薪 を 背 負 っ て 歩 きながら 勉 強 する 二 宮 金 次 郎 の 銅 像 のイメージにつながる しかし 勉 強 する 人 というのは 学 校 が 作 ったメッセージで それが 凄 いのではない 尊 徳 の 凄 さは 農 地 改 良 や 土 地 に 合 った 農 産 物 の 栽 培 合 理 的 な 農 業 経 営 を 進 めて その 農 業 で 村 づくりに 努 め 藩 財 政 の 改 革 を 進 めて 社 会 改 革 を 行 ったところ にある この 社 会 改 革 の 取 り 組 みが 評 価 されて 栢 山 村 (かやまむら)の 貧 農 だった 尊 徳 がやがて 侍 身 分 を 得 て 名 字 帯 刀 を 許 されるなど 立 身 出 世 していった 尊 徳 の 立 身 出 世 の 話 も 日 本 人 が 好 きな 話 だが 尊 徳 には 勤 勉 禁 欲 社 会 貢 献 といった 資 本 主 義 の 精 神 が 見 えるようで それを 内 村 鑑 三 は 評 価 したのである 28

29 17 箱 根 箱 根 東 坂 2011 年 2 月 19 日 いよいよ 箱 根 の 登 りに 挑 戦 する 日 である サンチョ パンサは 数 日 前 から もしも 足 が 痛 んだらバスに 乗 るからね と 何 度 も 念 を 押 していた 天 気 予 報 は 晴 れだったが 箱 根 湯 本 へ 着 くころには 雪 は 降 らなかったが 予 報 は 外 れてうすら 寒 い 曇 り 空 だった 朝 9 時 に 湯 本 の 三 枚 橋 をスタートするとすぐ 上 り 坂 になる ここから 標 高 7 百 m の 箱 根 宿 まで 約 12kmの 区 間 は 箱 根 東 坂 と 呼 ばれ 深 い 谷 底 が 控 える 急 坂 を 石 畳 道 で 歩 く 3 日 前 に 降 った 大 雪 で 石 畳 は 滑 りやすい 畑 宿 を 過 ぎると 残 雪 が 石 畳 全 体 に 残 り とっても 歩 きにくい 寒 い 曇 り 空 のせいか ほかにこの 道 を 歩 く 人 もほとんどいない でも 芦 ノ 湖 が 木 の 葉 越 しに 見 えたときは ほっとした 杉 並 木 を 抜 けて 14 時 に 箱 根 関 所 にゴールした 箱 根 の 山 道 は 石 ころがごろごろしている 石 は 転 がっているのでなく 山 道 に 埋 まっている その 上 を 歩 くが 草 鞋 の 裏 で 石 を 踏 みながら 歩 くというのはひどく 疲 れる と 十 返 舎 一 九 は 弥 次 さんに 語 らせる その 上 に 今 日 の 石 畳 は 滑 るので 危 険 でもある 石 畳 を 作 る 前 までは 雨 のたびに 道 がぬかるみ 土 が 流 されて この 道 を 管 理 した 小 田 原 藩 は 毎 年 泣 かされたという 29

30 七 曲 りでは 箱 根 旧 道 はくねくねと 何 度 も 折 り 曲 がりながら 高 さをかかせぐ しかし 歩 く 方 の 道 は 箱 根 旧 道 につけられた 歩 道 を 歩 くところもあるが 突 然 急 階 段 が 出 てきて 歩 行 者 専 用 の 道 を 登 らされる 自 動 車 で 通 るときはカーブが 多 いねくらいしか 感 じなかったが 確 かに 七 曲 り は 箱 根 の 難 所 だった 央 が 箱 根 旧 道 その 歩 道 が 旧 東 海 道 車 が 見 える 道 は 箱 根 新 道 である 中 30

31 旧 街 道 の 杉 並 木 これまで 歩 いた 東 海 道 は 松 並 木 だったが 低 温 高 湿 で 雨 が 多 い 箱 根 では 松 がうまく 育 たないので 杉 が 植 えられたという この 芦 ノ 湖 周 辺 の 立 派 な 杉 並 木 は 約 400 本 あると 聞 いた ここを 抜 けると すぐ 横 に 芦 ノ 湖 が 出 てきて 間 もなく 箱 根 の 関 所 へ 到 着 する 31

32 18 箱 根 箱 根 山 戦 争 2011 年 2 月 27 日 1 週 間 前 に 東 坂 を 上 り 今 日 は 西 坂 を 下 る 予 定 は 箱 根 関 所 から 三 島 駅 まで 約 16km 約 4 時 間 の 行 程 小 田 原 からバスで 関 所 まで 来 た 湯 本 までは 晴 れてい たが 上 るにつれて 曇 り 空 に 変 わった 寒 い 気 温 5 箱 根 関 所 関 所 は 今 はフリー 通 行 だが ほんの 150 年 前 までは 通 行 が 不 自 由 だった 顔 の 見 分 けがつくようにな る 明 け 六 つ( 午 前 6 時 ころ)から 暮 れ 六 つ( 午 後 6 時 ころ)までが 開 門 時 間 で その 時 間 が 過 ぎると 旅 人 はずっと 待 たされた 通 行 には 往 来 手 形 と 関 所 手 形 が 必 要 で 百 姓 町 人 は 庄 屋 や 名 主 が 武 士 は 藩 がその 手 形 を 発 行 した 人 々は 土 地 に 縛 られていて 移 動 の 自 由 がなかったためである お 伊 勢 参 りなど 特 別 な 場 合 だけ 許 可 されたので 関 所 は 移 動 の 不 自 由 の 象 徴 的 存 在 だった 高 度 経 済 成 長 が 始 まった 昭 和 30 年 代 初 め この 箱 根 では 小 田 急 グループと 西 武 グループが 観 光 開 発 競 争 を 繰 り 広 げた 途 中 から 藤 田 観 光 も 参 加 して 箱 根 の 観 光 開 発 の 主 導 権 争 いが 三 つ 巴 状 態 で 展 開 された 獅 子 文 六 がこの 争 いを 箱 32

33 根 山 と 題 して 朝 日 新 聞 で 連 載 小 説 にしたため 人 々はこの 大 資 本 の 熾 烈 な 争 いを 箱 根 山 戦 争 と 呼 んで 面 白 がった しかし バブルが 崩 壊 して 平 成 に 時 代 が 変 わる 頃 から 箱 根 観 光 も 頭 打 ちにな り 三 グループは 対 立 から 協 調 路 線 へ 変 わり 平 成 15 年 には 小 田 急 西 武 間 で 業 務 提 携 も 始 まった 協 調 路 線 に 変 わったとはいえ 箱 根 山 戦 争 の 傷 痕 はまだ この 芦 ノ 湖 のあちこちに 残 されている たとえばバス 小 田 急 系 の 箱 根 登 山 バ スと 西 武 系 の 伊 豆 箱 根 登 山 バスは 箱 根 ホテルを 挟 んで 別 々にバスターミナル を 構 えている 小 田 原 ~ 芦 ノ 湖 は 両 方 とも 1,150 円 約 50 分 の 路 線 だが 周 遊 券 は 相 互 利 用 できない 箱 根 山 戦 争 の 主 役 だった 遊 覧 船 も ともに 芦 ノ 湖 を 並 走 するが 小 田 急 系 が 海 賊 船 で 西 武 系 が 双 胴 船 で 船 着 き 場 も 各 々のバスタ ーミナルに 接 して 別 に 作 られている 周 遊 券 もそうで 小 田 急 系 は 箱 根 フリ ーパス 西 武 系 は 箱 根 スマイルクーポン で 微 妙 に 値 段 やルートが 違 う 獅 子 文 六 はこの 箱 根 山 戦 争 について 表 向 きは 小 田 急 系 と 西 武 系 の 争 いだが 実 は 東 急 と 西 武 の 対 立 だったと 述 べている また 古 今 を 通 じて 箱 根 の 山 は なんとケンカの 山 であったことか とも 述 べる 江 戸 幕 府 が 関 所 を 築 造 した 時 箱 根 権 現 の 門 前 町 だった 元 箱 根 が 宿 場 町 になるのを 拒 んだため 関 所 と 反 対 側 に 箱 根 町 を 作 った その 後 箱 根 町 ( 宿 場 町 )は 繁 盛 し 元 箱 根 はさびれだした この 時 以 来 両 町 は 何 かにつけて 対 立 しあうようになった また 強 羅 と 宮 城 野 仙 石 と 元 箱 根 の 対 立 もある 文 六 は 特 に 戦 後 道 が 開 け ガソリンのにおいを まき 散 らす 車 が 増 えた 頃 からケンカが 激 しくなったとも 述 べている 箱 根 山 は 大 資 本 の 争 いを 背 景 にして 若 い 旅 館 経 営 者 が 地 方 の 小 資 本 とし て 頑 張 る 話 である 大 資 本 が 国 の 官 僚 や 政 治 家 を 巻 き 込 んで 展 開 する 陣 取 り 合 戦 はそれとして 面 白 いが 小 なりといえども 簡 単 に 大 に 飲 みこまれずに 頑 張 る 様 子 は 何 ともほほえましい 今 日 の 箱 根 で 考 えさせられることは 大 資 本 の 競 争 の 良 しあしとはとは 別 に 競 合 する 区 間 は 何 でも 二 重 投 資 になっていてもったいないなと 思 う 相 互 乗 り 入 れのシステムに 変 えれば どちらか 一 方 しか 施 設 がない 場 合 にも 他 の 側 の 券 が 使 えるようにすれば 利 用 者 側 の 利 便 向 上 はもちろんだが 相 乗 効 果 によっ て 施 設 側 のパイの 拡 大 利 用 総 額 の 拡 充 は 確 実 に 発 生 するだろう なんともっ たいないことかと 思 う 33

34 18 箱 根 箱 根 西 坂 2011 年 2 月 27 日 寒 い 気 温 5 9 時 に 関 所 前 をスタートして 14 時 半 に 三 島 着 だったので 約 5 時 間 半 の 強 行 日 程 に なった 三 島 大 社 へ 着 いた 時 には ドン キホーテとサンチョ パンサはともに 足 ががくがく も う 歩 きたくない 状 態 で 名 物 の うなよしのうなぎ も 食 べられなかった 三 島 から 新 幹 線 で 帰 宅 したので 16 時 10 分 には 自 宅 に 到 着 していた 箱 根 の 下 りはとても 芸 術 的 な 道 が 続 く 萱 がトンネル 状 態 になっている 道 が 続 くのである 1 号 線 はくねくねと 蛇 行 して 下 るが 東 海 道 はまっすぐに 下 る だから 1 号 線 からみればショートカットし たようなもので 7,8 百 m 下 ると 1 号 線 を 横 断 し また 次 のショートカットの 道 へ 入 る この 萱 のトンネルは 1 号 線 を 走 る 車 の 姿 はもちろんのこと 音 も 消 してくれる また 風 だってさえぎっ ている 何 よりも 大 勢 の 人 々がこの 道 を 歩 いているらしく 萱 のクッションで 踏 みしめられた 道 が 心 地 よ い 34

35 山 中 城 跡 を 過 ぎると 三 島 市 役 所 が 整 備 した 東 海 道 になる 幅 4.5m 石 畳 の 舗 装 でも 東 坂 は 昔 風 に ごつごつした 舗 装 だったが ここは 今 風 に 比 較 的 平 らな 舗 装 である 東 坂 と 違 い 今 日 はひたすら 下 り 坂 だから 竹 で 作 った 杖 がブレーキ 替 わりになっている ちょうど 杉 が 花 粉 をまき 散 らす 時 期 らしく 両 35

36 側 の 巨 大 な 杉 が 風 が 吹 くとギーギーと 音 を 出 して 揺 れて 黄 色 い 花 粉 を 霧 状 にまき 散 らしていた 道 はきれいだが 慣 れてくると 歩 きも 単 調 になり サンチョの 足 取 りもだいぶ 重 くなってきた 塚 原 新 田 で 東 海 道 は 1 号 線 と 合 流 する 三 島 側 から 箱 根 を 上 る 人 には ここから 箱 根 路 に 入 るという ことになる 下 る 我 々には 空 も 晴 れて ここで 箱 根 路 がお 仕 舞 いになったというサインになるのでうれし い この 先 で 1 号 線 と 東 海 道 が 合 流 し 1 号 線 の 並 木 道 の 歩 道 が 東 海 道 になる 三 島 大 社 階 段 を 4 段 上 ると 神 社 の 境 内 になるが 今 日 のわれわれはとっても 疲 れており 一 刻 も 早 く 三 島 駅 に 行 き 電 車 で 足 を 伸 ばしたいので 神 社 は 覗 くだけにした 36

37 19 三 島 柿 田 川 の 越 年 アユ 2011 年 3 月 5 日 静 岡 県 入 りして 2 回 目 今 日 は 三 島 から 原 までの 約 14km 久 しぶりの 快 晴 である 前 回 の 箱 根 の 下 山 で 痛 めた 足 もすっかり 回 復 した 今 日 の 道 中 は 一 番 富 士 山 に 近 い 場 所 だから 一 日 中 富 士 山 を 見 ながら 歩 くことになりそう 歩 きだしてまもなく 3 組 の 東 海 道 ウオークのグループに 出 会 った これまではほとん ど 会 わなかったが 近 年 東 海 道 ウオークが 流 行 りだしたということなのか 最 初 のグ ループは 6 人 連 れで 中 年 の 男 たちに 女 性 が 一 人 混 じっていた 彼 らの 歩 き 方 は 早 い 後 ろで 声 がしたかと 思 うとすぐ 我 々を 追 い 越 して 間 もなく 見 えなくなった 2 番 目 は 50 歳 代 の 夫 婦 連 れで こんにちわ と 言 いながら 追 い 越 して 行 った 3 番 目 は 60 歳 代 の 一 人 旅 の 男 だった 最 初 の 6 人 組 は 原 駅 前 の 食 堂 でまた 会 った アユの 産 卵 ( 国 土 交 通 省 HP から 借 用 ) 三 島 を 過 ぎると 清 水 町 へ 入 る 三 島 と 沼 津 に 挟 まれた 町 で これまで 何 度 か 沼 津 市 と 町 村 合 併 話 があったが いまだに 実 現 されていない その 清 水 町 の 真 ん 中 を 流 れる 川 が 柿 田 川 である 川 と 言 っても 大 河 でなく 国 道 1 号 線 の 下 から 湧 き 出 して 狩 野 川 へ 流 れ 込 むまでの 幅 30m 延 長 1.2km の 川 に 過 ぎない しかし この 川 は 富 士 山 の 伏 流 水 が 大 量 に 湧 き 出 して 越 年 アユが 住 む 川 として 有 名 である また ナショナルトラスト 運 動 が 早 くから 活 発 に 行 わ れてきた 川 としても 有 名 である 37

38 柿 田 川 ではあちこちで 湧 水 がみられる この 水 は 富 士 山 に 降 った 雨 や 雪 が 長 い 時 間 を 経 て 三 島 溶 岩 流 へしみこんで 湧 き 出 しているという 湧 水 量 1 日 100t 水 温 は 年 間 を 通 じて 15 毎 年 10 月 中 旬 頃 から 狩 野 川 本 流 を 下 ってきた 落 ちアユが 柿 田 川 へ 入 り 1 月 中 旬 頃 まで 産 卵 する アユは 一 年 魚 で 普 通 産 卵 すると 死 んでしまう しかし 柿 田 川 では 川 の 水 温 が 冬 になっても 下 がらないため 産 卵 もせずに 年 を 越 して 生 息 する 越 年 アユが 毎 年 多 く 発 生 する 不 思 議 な 川 である そして ここのアユはエサ 釣 りで 釣 ることができる アユはふつう 川 の 中 では 石 につくコケ( 珪 藻 )を 食 べているので 友 釣 り で 釣 るが ここではシラス のようなエサで 釣 ることができるという これもまた まことに 不 思 議 な 川 の 話 である (Kakitagawa info01.net から 借 用 ) 38

39 はくいん ぜんじ 20 沼 津 白 隠 禅 師 2011 年 3 月 5 日 沼 津 を 過 ぎると 単 調 な 道 が 続 く 右 手 に 愛 鷹 山 越 しに 白 い 富 士 山 が 見 え 左 手 には もう 1 本 の 道 路 と 千 本 松 原 があって 駿 河 湾 があるのだが 海 は 全 く 見 えない 道 は 車 が 多 く 人 々は U 字 溝 のふたの 上 を 歩 く 東 海 道 本 線 の 踏 切 をわたって 約 1km 行 くと 左 側 に 松 陰 寺 がある 江 戸 時 代 中 期 に 臨 済 宗 の 中 興 の 祖 白 隠 禅 師 が 布 教 し た 寺 として 有 名 だった 朱 達 磨 ( 大 分 県 万 寿 寺 ) 39

40 白 隠 は 禅 画 をよく 書 き 達 磨 釈 迦 観 音 様 を 描 いた 朱 達 磨 には 直 指 人 心 (じきし じんしん) 見 性 成 仏 (けんしょう じょうぶつ) と 書 かれている 禅 宗 の 悟 りを 示 した 言 葉 で 坐 禅 により 自 己 の 本 来 の 心 性 を 徹 底 的 に 見 つめれば そ れが 仏 の 悟 りに 他 ならないという 意 味 といわれている 他 の 書 画 もそうだが 極 太 で 単 純 化 された 輪 郭 大 きな 目 や 鼻 黒 の 背 景 に 際 立 つ 朱 色 は 力 強 さ 明 快 さ 愛 らしさで 人 を 引 き 付 ける 白 隠 が 80 歳 を 超 え た 最 晩 年 に 描 いたというが その 躍 動 感 に 驚 かされる また 彼 の 書 がいい 肉 太 で 揺 れていない 字 である 字 のハネや 返 し 上 がり 下 がりといった 細 部 を 全 く 無 視 しているもがいい 松 陰 寺 からは 富 士 山 も 上 半 分 がしっかりと 見 える 白 隠 は 江 戸 中 期 の 1685 年 にこの 原 で 生 まれ 15 歳 で 出 家 19 歳 の 時 (1704 年 )から 諸 国 修 行 へ 出 て 32 歳 (1717 年 )の 時 に 再 びこの 松 陰 寺 へ 戻 っている その 間 の 1707 年 12 月 16 日 ~12 月 31 日 に 宝 永 大 噴 火 が 起 きた( 白 隠 22 歳 ) この 大 噴 火 は 溶 岩 流 こそなかったが 激 しい 地 震 による 家 屋 倒 壊 で 大 勢 の 犠 牲 者 を 出 すとともに 降 灰 で 広 範 囲 の 畑 や 用 水 路 を 耕 作 不 能 にさせたともいわれて いる この 原 一 帯 も 富 士 山 の 足 元 だったので 大 噴 火 による 直 接 的 被 害 だけで なく その 後 の 大 飢 饉 などの 2 次 的 被 害 でも 大 勢 の 死 者 があったと 思 われる 白 隠 はその 惨 状 を 直 接 見 ることはなかったが 被 災 後 10 年 後 に 帰 郷 した 時 には まだ 復 興 途 上 だったろう 何 をしたかの 記 録 を 見 ることはできなかったが 白 隠 も 復 旧 に 相 当 尽 力 したに 違 いない 駿 河 には 過 ぎたるものが 二 つあり 一 に 富 士 山 二 に 原 の 白 隠 という 言 葉 がある この 歌 をある 人 々は 白 隠 が 臨 済 宗 の 復 興 に 力 を 入 れたことを 指 すと 言 うが 私 には 大 噴 火 後 の 郷 土 の 復 興 に 尽 くした 白 隠 を 讃 えているように 聞 こえ てならない 40

41 21 吉 原 富 士 登 山 2011 年 4 月 3 日 3 11 東 日 本 大 震 災 で 港 湾 住 宅 にも 被 害 が 生 じてその 処 理 にあたっていた,また サ ンチョ パンサの 母 が 92 歳 の 大 往 生 を 遂 げてそのお 葬 式 に 行 っていた,さらに 娘 夫 婦 が 自 宅 を 新 築 して 引 っ 越 し 騒 動 があった などいろいろな 出 来 事 が 重 なって ウオー キングが 中 断 したが 4 月 3 日 ( 日 )から 再 開 した 今 回 はマイカーで 前 回 の 終 着 点 原 駅 まで 行 き 駅 前 に 車 を 置 いて 東 海 道 を 約 13k m 富 士 まで 歩 いた 富 士 駅 から 電 車 で 原 駅 へ 戻 り 再 び 東 名 高 速 で 帰 宅 した これ からしばらくの 間 このパターンが 続 きそうである 原 を 出 発 してまもなく 吉 原 へ 入 る 昔 は 沼 地 で 葦 がたくさん 生 えたところだから 吉 原 というのだそうである 今 ではそんな 面 影 はなく 製 紙 工 場 のいくつもの 巨 大 な 煙 突 が 日 曜 日 というのにもくもくと 白 煙 を 出 しており 町 中 で 薬 の 臭 いがした その 吉 原 には 三 つの 吉 原 がある 最 初 の 町 が 元 吉 原 で 次 いで 東 海 道 線 の 駅 が ある 中 吉 原 へ 移 転 し さらに 今 の 吉 原 本 町 へ 移 転 したという どうしてこうなった かというと もともとは 元 吉 原 が 中 心 地 だったが 江 戸 時 代 に 2 回 の 大 津 波 (1639 年 1680 年 )があって 壊 滅 的 被 害 を 受 けたために 町 全 体 が 移 転 したというのである 今 3 11 大 震 災 で 三 陸 地 方 の 町 が 直 面 している 事 態 と 同 じ 光 景 が 4 百 年 前 頃 にこ こで 起 きていたのだった 吉 原 駅 を 過 ぎると 茅 ヶ 崎 に 次 いで 2 か 所 目 の 左 富 士 の 場 所 にでる 江 戸 時 代 に 大 津 波 の 被 害 を 繰 り 返 さないように 町 の 移 転 とともに 東 海 道 も 海 から 離 れて 富 士 山 も 左 手 側 に 見 えるほど 内 陸 側 へ 大 きく 湾 曲 されたのである 今 は 製 紙 工 場 の 間 を 歩 くようになっていて 1 本 の 松 が 残 るのみであるが 昔 は 景 勝 地 で その 頃 の 吉 原 は 富 士 登 山 のスタート 地 点 でもあった 41

42 1859 年 に 着 任 した 初 代 英 国 公 使 オールコックは 約 1 年 後 の1860 年 9 月 4 日 ( 安 政 7 年 7 月 19 日 )に 横 浜 から 富 士 登 山 へ 出 発 した 公 使 館 の 館 員 ら 8 名 の 英 人 のほかに 警 護 や 従 者 などで 馬 30 頭 以 上 総 勢 100 名 を 越 す 団 体 になったという 幕 府 は 当 初 この 富 士 登 山 に 反 対 してやめさせようとした その 理 由 は 外 国 人 に 対 して 開 港 場 から 十 里 四 方 以 遠 への 移 動 は 認 めないルールがあって 公 使 といえども 通 行 制 限 に 従 わせようとしたものだった また 富 士 山 は 信 仰 の 山 で 大 勢 の 信 者 が 登 山 しており 信 者 と 外 国 人 の 間 のトラブルを 恐 れたこと さ らに 既 に 登 山 の 時 期 を 過 ぎて 安 全 が 保 証 できないことなどがあげられていた これに 対 して オールコックはことごとく 反 論 する 厳 しい 通 行 制 限 は 貿 易 振 興 を 図 る 英 国 には 許 しがたい 措 置 で 外 国 人 を 監 禁 する 措 置 にほかならないの だから 外 国 商 人 たちに 監 禁 状 態 から 脱 出 するパフォーマンスを 見 せよう ま た オールコックは 攘 夷 派 による 外 国 人 排 除 運 動 が 当 時 の 幕 府 や 朝 廷 の 一 部 が 画 策 したもので 一 般 の 人 民 との 接 触 でトラブルが 起 きることはないと 確 信 していた さらに 山 へ 登 ること 自 体 を 目 的 とする スポーツとしての 近 代 登 山 に 親 しんできたオールコックからみると 登 山 の 安 全 性 については 十 分 配 慮 した 上 の 行 動 で 幕 府 からあれこれ 言 われるものではなかった 一 行 は 東 海 道 を 歩 いて 箱 根 を 超 え 吉 原 宿 へ 到 着 した ここから 東 海 道 と 別 れ 9 月 10 日 早 朝 から 今 風 にいえば 富 士 宮 ルートを 1 合 目 から 登 り 始 めた 当 日 は 何 合 目 かは 不 明 だが 室 堂 へ 宿 泊 して 翌 日 の9 月 11 日 薄 い 空 気 にあえぎ ながら 頂 上 へたどり 着 いた 頂 上 では 英 国 旗 を 掲 げ ピストルを 発 射 して 英 国 歌 を 歌 ってシャンパンで 乾 杯 した その 日 は 山 頂 で 宿 泊 して 翌 9 月 12 日 に 下 山 した 今 でもそうだが 彼 はこの 山 に 登 るには 約 8 時 間 かかるが 下 るには 3 時 間 もあれば 十 分 だった とも 述 べている 帰 路 は 9 月 13 日 に 富 士 宮 を 出 発 し 吉 原 で 東 海 道 へ 入 って 三 島 から 狩 野 川 沿 いに 韮 山 を 経 て 熱 海 で 2 週 間 逗 留 した その 後 には2 代 目 英 公 使 パークス 夫 人 やアーネスト サトウらも 登 山 しているが 多 分 この 登 山 が 西 洋 人 によ る 初 めての 富 士 登 山 であり また 日 本 で 初 めての 近 代 登 山 だったといわれて いる そしてこの 近 代 登 山 さえ 日 本 人 の 古 くからの 信 仰 を 壊 して 実 行 された ことに 改 めて 驚 かされる 42

43 22 富 士 富 士 川 舟 運 2011 年 4 月 9 日 富 士 駅 からスタートして 蒲 原 を 経 て 由 比 まで 歩 いた 雨 の 中 だったが 富 士 川 は 水 量 が 豊 かで 本 当 の 川 らしい 川 を 渡 ると 岩 淵 の 町 へ 入 る 富 士 川 西 端 の 信 号 で 東 海 道 は 左 に 曲 がるが 右 へ 行 くと 土 手 に 富 士 川 舟 運 の 終 点 だった 場 所 を 示 す 常 夜 灯 と 水 路 を 開 拓 した 門 倉 了 以 (すみのくら りょうい)の 石 碑 がある ここから 蒲 原 へ 向 かう 東 海 道 は 山 へ 入 る 今 の 道 路 は 川 沿 いに 造 ら れているが 昔 はこの 富 士 川 が 暴 れ 川 でしばしば 氾 濫 したので 道 は 川 が 埋 め 立 て できた 三 角 州 でなく 山 の 中 に 道 が 作 られたようだ 江 戸 時 代 に 年 貢 米 による 課 税 が 始 まると お 米 や 雑 穀 を 中 心 に 消 費 都 市 江 戸 と 商 業 都 市 大 阪 の 間 で 廻 船 による 長 距 離 物 流 が 始 まり 次 いで 沿 海 部 と 内 陸 部 の 間 で 河 川 舟 運 による 中 距 離 物 流 が 行 われるようになった この 航 路 開 発 と 河 川 舟 運 の 整 備 による 物 流 の 発 展 は 交 通 ネットワーク 整 備 にとどまらず 農 村 と 都 市 の 間 で 消 費 物 資 や 原 材 料 供 給 資 本 の 還 流 を 引 き 起 こして 大 都 市 江 戸 の 発 展 のロジステイック システムを 形 成 した 43

44 富 士 川 舟 運 は 中 距 離 輸 送 の 河 川 舟 運 の 典 型 的 事 例 である 富 士 川 の 山 梨 県 の 鰍 沢 と 静 岡 県 の 岩 淵 ( 富 士 市 )の 約 72km 区 間 の 急 流 に 1607 年 ( 慶 長 12 年 ) ころから 徳 川 家 康 の 命 を 受 けて 京 都 の 豪 商 門 倉 了 以 が 難 工 事 の 末 川 を 開 削 して 航 路 整 備 された 舟 運 である その 結 果 高 瀬 舟 ( 笹 舟 )が 行 きは 半 日 で 下 り 帰 りは 船 頭 たちが 縄 で 船 を 曳 い て 4~5 日 かけて 上 った それまでは 人 馬 が 背 中 に 乗 せて 荷 物 を 運 んでいたので 舟 の 登 場 は 大 量 輸 送 を 可 能 にし 大 幅 に 時 間 短 縮 した このルートでは 下 り 荷 は 江 戸 や 駿 府 への 年 貢 米 や 雑 穀 果 物 タバコ 織 物 で 上 り 荷 は 塩 海 産 物 砂 糖 瀬 戸 物 が 中 心 で 甲 斐 と 駿 府 を 結 ぶ 物 流 の 大 動 脈 となった 年 貢 米 は 岩 淵 河 岸 へ 着 くと 馬 や 大 八 車 で 蒲 原 町 まで 行 き そこから 小 回 り 船 で 清 水 港 へ 運 ばれ 大 型 船 に 積 み 替 えて 江 戸 蔵 前 まで 運 んだという 逆 に 上 り 荷 の 塩 は 鰍 沢 で 陸 揚 げされると 甲 州 や 信 州 伊 那 佐 久 地 方 へ 運 ばれたと いわれている この 甲 州 年 貢 米 を 清 水 で 扱 ったのが 清 水 次 郎 長 で 甲 州 側 では 黒 駒 勝 蔵 がいて 富 士 川 水 運 の 発 展 がヤクザの 抗 争 も 引 き 起 こした 明 治 になると 貨 物 が 多 様 化 大 量 化 し 利 用 客 も 増 加 したため 航 路 改 修 が 進 み 舟 も 大 型 化 した その 後 帆 船 やプロペラ 船 も 登 場 したが 明 治 22 年 東 海 道 線 明 治 36 年 中 央 線 が 開 通 すると 舟 運 は 急 速 に 衰 えはじめ 昭 和 13 年 に 身 延 線 が 開 通 すると 舟 運 は 完 全 に 終 焉 した 44

45 23 蒲 原 東 海 道 を 大 切 にする 町 2011 年 4 月 9 日 富 士 川 を 越 すと 東 海 道 は 山 道 へ 入 る 東 名 高 速 や 新 幹 線 のガードを 越 して 坂 道 を 下 ると 再 び 海 のそばへ 出 てきて 蒲 原 の 町 へ 入 る 蒲 原 は 東 海 道 をとても 大 切 にし ている 町 だった 次 の 由 比 もまた 東 海 道 に 加 えて 漁 業 で 町 の 活 性 化 を 進 めている 元 気 な 町 だった 蒲 原 の 町 では 古 い 家 屋 が 大 切 に 残 され 家 ごとにその 来 歴 を 記 載 した 小 さな 看 板 が 掛 けられていた 道 はきれいな 舗 装 で 楽 しく 歩 ける 道 だった 散 策 す る 人 に 向 けてあちこちに 小 さな 休 憩 所 もあった 隣 の 富 士 市 では 東 海 道 に 時 々 標 識 があるだけで 何 ら 特 別 な 対 策 がなされて いなかった 我 々が 歩 く 歩 道 は 路 肩 の U 字 溝 のふたの 上 で 幅 も 狭 かった この 隣 り 合 う 二 つの 町 を 見 ても 東 海 道 という 歴 史 遺 産 を 大 切 にしている 町 と そうでない 町 の 違 いが 明 白 だ 少 し 誇 張 になるかもしれないが 町 づくりの 面 から 見 て 行 政 が 市 民 と 一 緒 になって 仕 事 をしているかどうか また 町 の 歴 史 を 大 切 にして 未 来 へ 渡 す 努 力 をしているかどうかの 踏 み 絵 に 見 える 由 比 の 町 へ 入 ると 漁 業 がとても 元 気 である 東 日 本 大 震 災 の 影 響 で 地 震 や 津 波 に 皆 さんがとても 神 経 質 になっているが 歴 史 遺 産 の 東 海 道 に 加 えて シ ラスと 桜 えびで 町 を 活 性 化 しようとしている 様 子 が 心 地 よい 45

46 さつたとうげ 24 由 比 薩 唾 峠 2011 年 4 月 17 日 咲 くのが 遅 かった 桜 もやっと 満 開 を 過 ぎて 散 り 始 めた 晴 気 温 20 度 歩 くと 汗 ばむ 陽 気 である 今 日 は 由 比 から 薩 埵 峠 を 越 えて 興 津 を 経 て 清 水 を 目 指 す 約 12kmの 行 程 由 比 の 街 は 街 歩 きを 楽 しむ 老 若 男 女 でとても 賑 わっていた 特 に 桜 エビとシラスに 注 文 が 集 まっているようで 食 べ 物 屋 さんはどこも 客 が 列 をなし ていた 先 週 の 雨 降 りの 日 に 来 た 時 は 閑 散 としていたが 今 日 は 様 変 わりだった 46

47 薩 埵 峠 の 展 望 台 からみる 景 色 は 昔 広 重 が 描 いた 東 海 道 53 次 由 比 と 同 じ 構 図 である 違 うのは 道 路 や 鉄 道 があるかないかである 蒲 原 からこの 由 比 のあたりにかけて 山 が 海 岸 線 へ 迫 ってくるので 人 は 山 と 海 の 間 のせまいところを 横 長 に 伸 びたあたりに 住 んでいる 東 海 道 国 道 1 号 線 東 名 高 速 東 海 道 本 線 などの 交 通 と 物 流 の 大 動 脈 もまた その 狭 いところへ 集 まっている 好 天 気 だったので 穏 やかな 駿 河 湾 の 向 こうに 伊 豆 半 島 や 三 保 の 松 原 がくっきり 見 える 由 比 から 薩 埵 峠 へ 上 る 道 は 急 斜 面 の 中 を 上 っていくので 右 側 が 畑 で 左 側 が 急 に 落 ち 込 む 崖 であ る 右 側 の 広 くもない 畑 には 夏 ミカンやポンカンが 沿 道 に 鈴 なりに 実 っていた 途 中 の 展 望 台 にはちょ っとした 休 憩 所 があって 座 ることもできる 休 憩 所 付 近 を 写 真 に 撮 ったが 本 当 にこんな 道 を 大 名 行 列 が 通 ったのだろうかと 何 度 も 考 えた 47

48 せいけんじ 25 興 津 清 見 寺 2011 年 4 月 17 日 興 津 駅 を 過 ぎて 約 10 分 総 門 と 本 堂 の 間 を 東 海 道 線 が 横 断 する 清 見 寺 がある 大 そう 歴 史 が 古 いお 寺 で 7 世 紀 後 半 に 開 かれて 足 利 尊 氏 今 川 義 元 徳 川 家 康 らが 関 係 したらしい 特 に 徳 川 家 康 はまだ 竹 千 代 と 呼 ばれた 幼 少 時 代 に 今 川 家 の 人 質 に なったが その 時 に 清 見 寺 に 滞 在 したようで 家 康 手 習 いの 間 が 今 も 保 存 されてい る 江 戸 時 代 には 朝 鮮 通 信 使 らが 訪 問 するなど 徳 川 家 とは 縁 が 深 いお 寺 さんである 明 治 以 降 もこの 古 刹 には 島 崎 藤 村 夏 目 漱 石 らの 文 人 墨 客 も 多 く 訪 れて 清 見 寺 を 詠 んだ 歌 も 数 多 く 残 されている その 一 人 に 福 沢 諭 吉 がいて 福 沢 は 痩 せ 我 慢 の 説 で 碑 文 を 書 いた 榎 本 武 揚 を 批 判 した 境 内 の 碑 は 幕 末 期 に 榎 本 武 揚 が 軍 艦 数 隻 を 率 いて 函 館 へ 脱 走 した 際 に その うちの 一 艘 の 咸 臨 丸 が 故 障 し 清 水 港 へ 修 理 しにきて 賊 鑑 として 官 軍 兵 士 に 攻 撃 され 戦 死 した 兵 士 を 慰 霊 したものである 榎 本 武 揚 が 次 のように 揮 ごうし ている 48

49 食 人 之 食 者 死 人 之 事 ( 人 の 食 を 食 むものは 人 のことに 死 す) いい 文 章 とは 言 えないが その 大 意 は 禄 をいただいた 主 君 のために 人 は 殉 じ るべきだ という 意 味 である この 碑 文 は かって 自 分 は 徳 川 方 で 禄 を 得 てき たが 心 ならずも 明 治 維 新 後 も 生 き 続 けている ここ 清 水 港 には 徳 川 のため に 大 勢 の 兵 士 が 死 んだと 聞 いて 榎 本 が 思 わず 恨 み 嘆 いたものである この 碑 文 を 福 沢 諭 吉 が 読 んで 後 年 痩 せ 我 慢 の 説 で 次 のように 述 べている 三 田 の 項 でも 書 いたことだが 江 戸 城 の 無 血 開 城 で 勝 安 房 は 痩 せ 我 慢 を 旨 とする 武 士 の 気 風 を 損 なった これに 対 して 榎 本 武 揚 は 函 館 で 官 軍 に 徹 底 抗 戦 した 榎 本 は 痩 せ 我 慢 のよい 例 で 勝 の 場 合 とは 全 く 異 なっているよ うにみえる しかしながら 降 伏 後 の 榎 本 をみると 維 新 政 府 の 高 官 まで 上 り 富 貴 も 名 誉 も 得 た 一 緒 に 戦 った 武 士 は 地 下 で 不 平 を 鳴 らしているに 違 いない 本 来 隠 遁 すべきなのに 安 閑 と 暮 らしていることが 許 されない 勝 も 榎 本 も 政 治 上 は 既 に 死 んだのだから その 苦 難 を 受 け 入 れるべきだった と 言 うのである 明 るい 春 の 晴 れた 日 に 清 見 寺 の 殉 死 した 兵 士 碑 の 前 にいると 福 沢 諭 吉 に 難 詰 された 榎 本 武 揚 が 苦 々しい 心 持 で 庭 を 歩 きまわりながら 清 水 港 を 見 ているよう に 思 える 49

50 26 清 水 清 水 次 郎 長 2011 年 4 月 24 日 昨 日 は 大 雨 だったが 今 日 は 快 晴 清 水 から 静 岡 まで 歩 いた 歩 数 は 2.3 万 歩 清 水 駅 前 では 文 化 会 館 東 静 岡 駅 前 では 駅 前 再 開 発 が 各 々 整 備 中 で 静 岡 駅 前 では 静 岡 市 美 術 館 が 竣 工 したばかりである この 長 引 く 不 景 気 の 中 で どこの 自 治 体 も 財 政 は 危 機 的 状 況 だというのに この 静 岡 ではそんな 気 配 が 見 えないことに 大 いに 驚 かさ れた 次 郎 長 生 家 清 水 港 は 日 本 書 紀 に 清 水 湊 として 登 場 するほど 長 い 歴 史 を 持 つ 天 然 の 良 港 である 江 戸 時 代 には 甲 州 年 貢 米 が 富 士 川 水 運 で 岩 淵 ( 富 士 市 )へ 着 くと 清 水 港 へ 集 められて 大 型 船 に 積 み 替 えて 江 戸 へ 回 送 された 清 水 港 は 大 阪 と 江 戸 を 結 ぶ 長 距 離 輸 送 の 主 要 な 中 継 基 地 で 多 くの 廻 船 問 屋 がいる 湊 だった 明 治 になると 廻 船 問 屋 の 特 権 が 奪 われ 清 水 港 も 一 時 さびれたが 国 際 貿 易 でお 茶 がシルクに 次 ぐ 重 要 な 輸 出 商 品 になると 牧 の 原 台 地 などでお 茶 の 大 幅 な 増 産 が 始 まり 横 浜 港 へのお 茶 の 移 出 港 として 栄 えた 50

51 1889 年 東 海 道 本 線 が 開 通 するとお 茶 の 輸 送 は 鉄 道 中 心 になり 再 び 清 水 の 海 運 業 は 衰 退 した しかし 1899 年 に 開 港 場 に 指 定 されると お 茶 の 直 輸 出 が 可 能 になって お 茶 を 扱 う 商 社 も 進 出 して 清 水 港 は 茶 の 輸 出 港 として 再 生 した 清 水 次 郎 長 は 幕 末 から 明 治 にかけて この 清 水 港 振 興 に 尽 力 した 次 郎 長 は 舟 持 ち 船 頭 の 父 をもち のちに 養 子 となる 叔 父 が 甲 州 年 貢 米 を 扱 う 廻 船 問 屋 を 営 む 家 系 にあって 清 水 港 に 縁 が 深 いやくざである 前 回 の 清 見 寺 でも 取 り 上 げた 咸 臨 丸 襲 撃 事 件 で 乗 組 員 は 官 軍 から 賊 艦 と して 攻 撃 され 全 員 が 殺 されて 海 へ 投 棄 された 賊 軍 に 加 担 する 者 は 厳 罰 に 処 すというお 触 れもあり 遺 体 はそのまま 海 に 浮 かんでいた その 時 次 郎 長 は 死 んだら 仏 仏 に 官 軍 も 賊 軍 もあるものか と 言 って 厳 罰 覚 悟 で 遺 体 を 収 容 し 埋 葬 した 次 郎 長 は 藩 に 呼 び 出 されたが 同 じ 趣 旨 のことを 堂 々と 述 べたという これに 感 銘 した 静 岡 県 大 参 事 の 山 岡 鉄 舟 は 旧 幕 臣 だったこともあり 次 郎 長 が 乗 組 員 を 慰 霊 して 立 てた 墓 碑 に 壮 士 之 墓 と 揮 ごうして その 偉 業 を 後 世 に 伝 えた この 事 件 を 機 に 次 郎 長 はやくざ 稼 業 をやめて 本 業 の 廻 船 業 だけ でなく お 茶 栽 培 による 開 拓 事 業 などの 地 域 貢 献 事 業 にも 参 加 するようになっ た 広 沢 虎 造 の 浪 曲 の 世 界 に 登 場 する 次 郎 長 は 義 理 と 人 情 の 人 だが 後 半 生 はそれに 恩 返 し も 加 わったようである 次 郎 長 を 清 水 の 人 々はとても 愛 しているようだ 彼 が 多 くの 人 に 慕 われる 秘 密 は 彼 が GNO( 義 理 人 情 恩 返 し)を 体 現 した 人 だったと 考 えてもよさそ うだ 51

52 27 静 岡 江 戸 城 を 去 った 徳 川 家 2011 年 4 月 29 日 静 岡 には 徳 川 ゆかりの 施 設 がたくさんある 駅 前 には 強 い 家 康 像 が 東 の 空 を 睨 んで いる その 先 には 駿 府 城 臨 済 寺 浅 間 神 社 久 能 山 東 照 宮 などがある いずれも 家 康 ゆかりの 施 設 である 青 春 期 の 今 川 家 人 質 時 代 と 引 退 後 の 大 御 所 時 代 を 静 岡 で 過 ごし 死 後 には 東 照 大 権 現 神 君 と 崇 められた 家 康 が 中 心 になるのはわかる し かし その 徳 川 の 最 後 の 将 軍 だった 徳 川 慶 喜 もまた 静 岡 にはとても 縁 が 深 かったに もかかわらず 影 が 薄 いのはどうしたことか 不 公 平 な 処 遇 ということもできよう 慶 喜 は 1866 年 12 月 5 日 に 第 15 代 将 軍 に 就 任 し 1868 年 4 月 10 日 にその 座 を 去 って 江 戸 城 を 無 血 開 城 した 幕 末 の 大 激 動 期 だったとはいえ その 間 わずかに 1 7 カ 月 だけの 将 軍 だった その 慶 喜 の 早 すぎた 引 退 を 最 も 惜 しんだ 人 の 一 人 にイギリ ス 公 使 ハリー パークスがいた 4 月 11 日 江 戸 城 無 血 開 城 で 慶 喜 は 一 旦 水 戸 へ 退 去 したものの 7 月 23 日 に 海 路 を 清 水 港 経 由 で 静 岡 へ 移 住 し 1 年 余 にわたり 宝 台 院 で 謹 慎 生 活 を 送 った 戊 辰 戦 争 終 了 後 謹 慎 がとかれて 元 代 官 屋 敷 ( 現 浮 月 楼 )へ 移 転 ここで 約 20 年 間 を 過 ごし 明 治 21 年 3 月 に それまでの 紺 屋 町 から 駿 府 城 の 反 対 側 に 位 置 する 西 深 草 町 へ 移 転 し 10 年 余 住 んだ その 後 公 爵 となり 貴 族 院 議 員 になって 東 京 巣 鴨 へ 移 住 するが 彼 の 静 岡 時 代 は 約 30 年 にわたった 52

53 1866 年 712 月 5 日 第 14 代 家 茂 (いえもち)が 大 阪 で 病 死 すると その 後 見 役 だった 慶 喜 (よしのぶ)が 第 15 代 将 軍 に 就 任 した 慶 喜 が 最 初 に 行 ったことは 約 1 年 前 に 解 決 した 勅 許 問 題 で 積 み 残 した 兵 庫 開 港 問 題 の 解 決 だった 翌 年 3 月 の 英 米 仏 蘭 の 公 使 らと 会 談 を 行 い 兵 庫 開 港 の 勅 許 を 得 た これにより 薩 長 らの 従 来 の 攘 夷 運 動 は 全 く 名 目 を 失 い その 後 は 明 らかに 倒 幕 運 動 となった 外 国 公 使 との 会 談 は 萩 原 延 壽 氏 の 遠 い 崖 ( 第 4 巻 慶 喜 登 場 朝 日 新 聞 社 )が 詳 しい 外 国 との 通 商 条 約 の 是 非 を 巡 る 国 内 の 争 いは 薩 英 戦 争 や 下 関 戦 争 の 藩 側 敗 北 で 決 着 していた 条 約 を 1 日 も 早 く 履 行 して 開 国 により 経 済 発 展 することが 重 要 で その 経 済 発 展 に 幕 藩 体 と 新 体 制 のどちらがふさわし いか 問 われるようになっていた 実 はそのことを 早 くも 理 解 していた 慶 喜 は 外 国 公 使 団 との 会 談 で 兵 庫 開 港 を 含 む 条 約 義 務 の 遵 守 やヨーロッパ 文 明 の 導 入 を 明 確 に 述 べたといわれる 英 公 使 パークスは 将 軍 はこれまで 知 り 合 っ た 日 本 人 で 最 も 優 れた 人 物 といい 仏 公 使 ロッシュは 慶 喜 は 家 康 家 光 の 再 来 を 見 る 思 い と 述 べている 敵 対 する 岩 倉 具 視 は 一 の 頸 敵 木 戸 孝 允 も 家 康 の 再 生 と 呼 ぶほどだった しかし 1868 年 1 月 3 日 鳥 羽 伏 見 の 戦 いで 幕 府 側 が 敗 北 し 慶 喜 が 江 戸 へ 帰 還 すると 1 月 7 日 慶 喜 追 討 令 と2 月 9 日 東 征 の 開 始 で 幕 府 側 が 賊 軍 にされた こ うして 一 気 に 江 戸 城 無 血 開 城 へ 進 むことになった 慶 喜 が 鳥 羽 伏 見 の 戦 いに 破 れて 海 路 江 戸 へ 帰 った 時 大 奥 にいた 天 璋 院 (13 代 将 軍 家 定 夫 人 )や 静 寛 院 宮 (14 代 将 軍 家 茂 夫 人 )らから 朝 敵 の 汚 名 をこうむり 幕 軍 を 捨 てて 逃 げ 帰 ったことを 叱 責 された その 慶 喜 は 神 君 家 康 だったらど うしたかを 考 えて いま 日 本 を 二 分 して 再 び 戦 乱 の 世 に 戻 すことは 許 さないだ ろうと 思 ったと 弁 明 したという このあたりの 慶 喜 の 思 慮 が 今 のわれわれには 十 分 知 られていないし 慶 喜 の 評 価 が 低 くなっている 理 由 ではないかと 思 われ る 4 月 10 日 篤 姫 たちが 大 奥 を 去 り 慶 喜 が 水 戸 へ 逃 れると 官 軍 が 江 戸 城 へ 入 場 した 5 月 15 日 彰 義 隊 も 壊 滅 して 徳 川 家 を 相 続 した 第 16 代 宗 家 家 定 は 5 月 24 日 駿 河 府 中 70 万 石 を 命 ぜられて 静 岡 へ 移 住 した 7 月 23 日 には 水 戸 か ら 慶 喜 も 移 住 した 続 いて 8 月 から 10 月 の 間 に 旧 幕 臣 たちも 新 政 府 に 仕 えるか 静 岡 へ 移 住 する かを 迫 られたが 多 くの 人 々は 新 政 府 に 仕 えることを 潔 しとせず 無 禄 の 難 民 として 海 路 で 静 岡 へ 移 住 した その 数 は 旧 幕 臣 が 13,764 名 で 家 族 や 従 者 を 含 めると 数 万 人 に 上 ったと 推 計 されている 53

54 その 後 1871 年 廃 藩 置 県 で 家 達 は 東 京 へ 戻 り その 後 英 留 学 を 経 て 公 爵 に なって 貴 族 院 議 員 として 生 涯 を 送 った また 慶 喜 は 約 30 年 間 を 静 岡 ですごした のち 公 爵 になり 貴 族 院 議 員 として 余 生 を 送 った 決 して 華 々しくはないが 静 かな 余 生 を 送 ったと 思 われる これに 対 して 旧 幕 臣 たちの 生 活 は 悲 惨 を 極 めた 慶 喜 の 謹 慎 生 活 ぶりを 探 偵 が 新 政 府 へ 送 っているがそれには 駿 遠 総 体 ノ 人 民 藩 士 入 込 以 来 益 々 困 弊 ニ 及 ビ 候 事 但 シ 人 数 ノミ 相 増 シ 米 穀 野 菜 等 不 足 ニ 付 困 弊 ニ 及 ビ 候 也 とい うほどだった 移 住 後 の 家 臣 とその 士 族 授 産 は 別 に 述 べることにする 54

55 28 丸 子 宇 津 の 谷 峠 2011 年 4 月 29 日 静 岡 をスタートし 安 倍 川 を 渡 ると 左 手 に 満 観 峰 が 迫 ってくる その 峰 をまくように 東 海 道 は 国 道 1 号 線 と 並 行 して 丸 子 宿 に 入 り その 先 で 宇 津 の 谷 峠 に 入 る 岡 本 太 郎 の 母 岡 本 かの 子 は 昭 和 13 年 雑 誌 新 日 本 へここを 舞 台 にした 短 編 小 説 東 海 道 53 次 を 書 いた この 短 編 は 何 か 特 別 な 色 恋 や 暴 力 名 物 を 描 いている わけではない 時 間 から 取 り 残 されたような 街 道 があって 道 を 歩 くことの 楽 しさや 何 があるんだろうかというドキドキ 感 を 高 ぶらせるような 魅 力 を 見 出 して 喜 んで 東 海 道 を 何 度 も 歩 く いわば 東 海 道 人 種 について 淡 々と 描 いているのが 面 白 い * * * 大 正 10 年 ころの 話 である 岡 本 かの 子 は 岡 本 一 平 と 養 子 縁 組 することになっ た その 婚 前 旅 行 に 丸 子 から 島 田 へ 東 海 道 を 歩 く 旅 へ 出 た 二 人 は 静 岡 から 人 力 車 で 丸 子 へ 出 て 名 物 とろろ 汁 を 食 べた 後 宇 津 の 谷 峠 へ 行 く 峠 でお 茶 を 飲 んでいて 主 人 の 友 人 の 作 楽 井 (さくらい) 氏 に 出 会 う 作 楽 井 氏 は 東 海 道 は 山 川 海 の 配 置 がよく 宿 がいい 具 合 の 距 離 にあって 旅 の 面 白 味 からいってもめったに 無 い 道 筋 だ 東 海 道 ができて 300 年 幾 百 万 の 人 々の 旅 の 寂 しさや 気 晴 らしなどの 思 いを 街 道 の 土 松 並 木 宿 々の 壁 に 染 み 込 ませてきた その 味 が 情 にもろい 人 間 をマヒさせる ここの 宿 を 朝 だち して 晩 にはあの 宿 へ 着 こう その 間 の 孤 独 にも 動 かされる 前 に 立 った 宿 に は 生 涯 二 度 と 戻 る 時 はなく 次 の 宿 が 自 分 の 唯 一 の 目 的 に 思 われる 旅 にはこ うした 気 持 ちはつきものだが この 東 海 道 ほどその 感 を 深 くするものはない 何 度 通 っても 新 しい 風 物 と 感 慨 に 浸 れる とも 述 べている このように 東 海 道 に 魅 せられて 俗 界 を 忘 れてしまった 趣 味 人 が 作 楽 井 さんで 彼 は 大 津 へ 着 くと 汽 車 で 品 川 へ 戻 り 再 び 歩 き 出 す こうした 趣 味 人 の 仲 間 が 大 分 居 る ひょっとするとあなたもすでに 仲 間 かもしれないよ ともいう それから 20 年 後 かの 子 は 名 古 屋 で 作 楽 井 氏 の 息 子 小 松 技 師 の 訪 問 を 受 ける 国 鉄 技 師 の 小 松 氏 は 東 海 道 53 次 観 光 事 業 を 夢 見 ており その 節 はぜひ 力 を 貸 してくれという 岡 本 夫 婦 は 伊 勢 路 を 汽 車 で 走 りながら 20 年 の 歳 月 を 経 た 交 流 の 中 に 人 生 に 脈 打 つものを 感 じていた 55

56 宇 津 の 谷 峠 の 街 並 み この 町 は 丸 子 宿 を 過 ぎていよいよ 峠 道 にさしかかる 登 り 口 にある 今 でもこの 町 には 各 家 々に 屋 号 があり それが 民 家 の 玄 関 に 掲 げられている 56

57 丁 子 屋 ( 丸 子 宿 ) 丸 子 宿 の 端 に 昔 ながらの 姿 で 昔 のままにとろろ 汁 を 食 べさせる 丁 子 屋 がある かの 子 は 53 次 で 老 婢 が 運 んできたとろろ 汁 を 見 て 別 に 変 った 作 り 方 ではなかったが 炊 き 立 て の 麦 飯 の 香 ばしい 湯 気 に 神 仙 の 土 のような 匂 いのする 自 然 薯 は 落 ちついた 美 味 しさがあった 私 は 香 りを 消 さぬように 薬 味 の 青 海 苔 をふらずに 椀 を 重 ねた と 述 べている 明 治 のトンネル 家 並 みを 過 ぎて 坂 を 上 りきると 明 治 のトンネルがある わざわざ 頭 に 時 代 名 を 振 るのはどうしてかと 思 ったが 右 下 にある 現 在 の 県 道 のトンネルが 大 正 のトンネル で 右 下 の 国 道 の 上 下 線 に 分 かれた 2 本 のトンネルが 昭 和 のトンネル 平 成 のトンネル と 名 付 けられていると 説 明 板 があった この 明 治 のトンネルは 今 は 歩 行 者 専 用 で 薄 暗 いけれども 等 間 隔 に 照 明 灯 がぶら 下 がっており 藤 枝 側 から 吹 く 風 がトンネルの 冷 気 と 一 緒 になって さわやかな 気 分 にさせる 57

58 29 岡部 楽しい屋号 2011 年 5 月 1 日 岡部から島田まで歩いた 小雨だったが GW3 日目なので 早めに出発した その おかげで朝は渋滞もなく快調だったが 帰路がだめだった ウオーキングを終えて 午後 2 時過ぎに焼津 IC に入ったとたんに大渋滞に巻き込まれた U ターン渋滞であ る 結局 2 時間半の予定が 5 時間半かけて横浜へ戻った 岡部宿は山の中だが 東海道を中心にして個性的な街づくりがされている 2001 年に国土交通省が旗を振り 東海道 400 年イベント が各地で実施された時 この岡部でも道路拡幅 カラー舗装 無電柱化を行ったと聞いた それに合わ 58

59 せて 隣 の 丸 子 宿 などと 連 動 して 各 家 に 屋 号 をふって 軒 先 に 掲 げる 事 業 もし た という この 屋 号 運 動 は 各 家 がその 歴 史 を 振 り 返 り 家 ごとに 特 徴 個 性 を 出 してい ると 同 時 に その 爽 やかな 個 性 づくりを 通 じて 屋 号 の 由 来 や 事 業 の 歴 史 など を 材 料 にして 我 々のような 旅 人 とその 家 の 人 たちとが 会 話 を 始 める 大 きなきっ かけになっているように 思 う 日 本 は 今 後 本 格 的 な 人 口 減 社 会 に 突 入 しているが そうすると 早 いか 遅 いか の 違 いはあっても どこの 都 市 でも 人 口 減 少 が 起 きてくる 我 々は これまで 拡 大 再 生 産 する 経 済 しか 見 てこなかったが 今 後 は 縮 小 する 経 済 を 見 ることに なると 予 想 されている 都 市 もまた 成 長 する 都 市 ばかりでなく 縮 小 する 都 市 が 現 れる そんな 場 合 に 重 要 になるのが 観 光 やコンベンション 事 業 のような 集 客 事 業 が 期 待 される 都 市 内 の 絶 対 人 口 が 増 加 しない 以 上 回 遊 する 人 口 を 集 めてにぎわいを 作 り 出 し 経 済 効 果 を 高 めることができるかという 集 客 戦 略 が 重 要 になるのだ 人 口 減 社 会 では 集 客 を 目 的 にする 都 市 の 個 性 づくりはとても 効 果 的 である 59

60 30 島 田 大 井 川 の 川 越 遺 跡 2011 年 5 月 3 日 島 田 駅 から 西 へ 約 2km 行 くと 大 井 川 の 左 岸 の 東 海 道 に 沿 って 島 田 宿 大 井 川 川 越 遺 跡 がある 旅 人 に 川 札 を 売 った 川 会 所 人 足 が 集 まっていた 番 宿 など 昔 の 街 並 みが 復 元 されている ( 川 渡 し) 大 井 川 の 川 渡 しは 1601 年 に 徳 川 家 康 が 宿 駅 伝 馬 制 度 を 設 けて 東 海 道 を 整 備 した 時 から 大 井 川 や 安 倍 川 など 6 つの 川 には 橋 を 架 けず 徒 歩 通 行 とされた そのため 増 水 時 には 水 が 引 くまで 何 日 も 足 止 めされた 川 越 しの 管 理 は 初 めは 代 官 の 役 目 だったが やがて 川 会 所 制 度 へ 変 わっていっ た ここでは 川 会 所 で 川 札 を 買 い 川 腰 人 足 の 肩 や 蓮 台 に 乗 って 川 を 渡 った 川 札 の 値 段 は 毎 日 川 幅 と 深 さを 測 って 決 められた 川 越 人 足 は 初 めの 頃 は 島 田 金 谷 で 各 々350 人 だが 幕 末 ころには 島 田 で 650 人 を 超 す 人 がいたという 60

61 ( 東 海 道 中 膝 栗 毛 ) 十 辺 舎 一 九 東 海 道 中 膝 栗 毛 は 1802 年 ( 享 和 2 年 )の 出 版 である それまで の 大 阪 中 心 の 元 禄 文 化 に 代 わり 江 戸 の 町 人 文 化 が 最 盛 期 を 迎 える 文 化 文 政 の 時 代 の 直 前 である 弥 次 郎 兵 衛 ( 弥 次 さん)と 北 八 ( 北 さん)が 身 を 持 ち 崩 した 挙 句 に 江 戸 から 東 海 道 を 西 へ 下 って 伊 勢 参 りする 道 中 記 である 膝 栗 毛 とは 栗 色 の 馬 の 代 わりに 自 分 の 足 を 使 って 歩 く 旅 行 のことをいい 十 辺 舎 一 九 は この 本 を 書 くために 実 際 に 東 海 道 を 歩 いたともいわれている 当 時 お 伊 勢 参 りが 庶 民 の 流 行 だったので この 本 は 広 く 読 まれた 特 に 当 時 流 行 の 狂 歌 がちりばめられたうえに 行 く 先 々で 女 あさり 悪 事 いたずらが 繰 り 返 され 失 敗 談 が 面 白 おかしく 描 かれてベストセラー 本 になったという ( 偽 侍 を 演 じ 人 足 賃 を 値 切 ろうとするが ばれる) 島 田 では 偽 侍 を 演 じて 川 渡 しの 人 足 賃 を 値 切 ろうとしたがばれてしまう 話 旅 行 中 は 町 人 でも 護 身 用 に 脇 差 を 指 していた 武 士 の 場 合 川 越 えは 公 定 料 金 の 割 安 な 値 段 で 渡 ることができた そこで 弥 次 さんは 刀 は 持 っていなかった がその 袋 だけがあったので 北 さんを 従 者 にして 偽 侍 になって 人 足 賃 を 値 切 る ことにした しかし 川 会 所 の 番 頭 から 荷 物 の 量 侍 の 人 数 などをあれこれ 聞 かれるうちに 答 えが 詰 まってしまう その 挙 句 刀 の 袋 だけで 中 身 がなかっ たために いつの 間 にか 地 面 にあたった 刀 袋 の 先 端 が 曲 がってしまい 偽 侍 が ばれてしまった 東 海 道 中 膝 栗 毛 では これを 狂 歌 に 詠 んでいる 出 来 合 いのなまくら 武 士 のしるしとて 刀 の 先 の 折 れて 恥 づかし ( 間 に 合 わせの 先 の 折 れたなまくら 刀 となまくら 武 士 がはづかしいとの 掛 け 合 い) まことに 他 愛 のない 話 である 川 会 所 番 宿 61

62 62

63 31 金 谷 徳 川 家 臣 団 と 士 族 授 産 2011 年 5 月 3 日 島 田 宿 を 出 て 大 井 川 を 超 すと 金 谷 へ 入 る すぐ 背 後 に 広 がる 牧 の 原 台 地 と 大 井 川 の 間 にへばりついた 町 だ その 牧 の 原 台 地 はお 茶 の 大 生 産 地 である 今 ではSLが 走 る 大 井 川 鉄 道 の 始 発 駅 と 言 った 方 がわかりやすいかもしれない 我 々が 着 いた 日 は 春 の 嵐 で 黄 砂 が 俟 って 景 色 はぼんやりし 呼 吸 もやや 息 苦 しかった 63

64 1868 年 ( 慶 応 4 年 )4 月 に 皇 女 和 宮 や 篤 姫 らが 大 奥 を 去 ると 江 戸 の 役 宅 から 退 去 を 命 ぜられた 旧 幕 臣 たちも その 多 くが 無 禄 の 難 民 として 海 路 で 静 岡 へ 移 住 せざるを 得 なかった しかし 70 万 石 に 減 らされた 静 岡 藩 に 任 官 できたものはわずかで 大 部 分 の 人 々 は 先 の 展 望 もないまま 家 族 と 一 緒 に 駿 河 や 遠 江 へ 移 り 住 んだ 移 住 した 旧 幕 臣 たちの 生 活 は 困 窮 を 極 めたようで みかねた 山 岡 鉄 舟 や 勝 海 舟 らの 音 頭 取 り で 各 地 で 帰 農 や 開 墾 などの 士 族 授 産 事 業 が 始 まった その 代 表 的 事 例 の 一 人 に 当 初 は 徳 川 家 達 (いえさと)の 護 衛 次 いで 久 能 山 警 備 を 担 当 した 新 番 組 の 隊 長 だった 中 條 景 昭 (なかじょうかげあき)がいた 彼 は 牧 の 原 のお 茶 園 開 拓 の 先 駆 者 である また この 時 富 士 山 がある 東 部 方 面 の 愛 鷹 山 麓 や 富 士 南 麓 の 開 拓 も 同 時 に 始 まった 1869 年 7 月 版 籍 奉 還 により 新 番 組 が 解 体 されて 藩 から 牧 の 原 開 墾 を 命 じ られ 新 番 組 の 隊 長 中 條 景 昭 は 約 240 名 の 無 禄 の 移 住 氏 族 を 率 いて 入 植 した 翌 年 には 約 80 名 の 元 彰 義 隊 の 武 士 も 加 わり 合 計 約 300 名 の 士 族 に 膨 れたとい われている 当 時 横 浜 港 からの 主 要 な 輸 出 商 品 の 一 つがお 茶 だったことから 勝 らは 茶 畑 開 墾 を 勧 めた 旧 幕 臣 たちは 慣 れない 農 作 業 と 住 居 食 料 なども 自 活 せねば ならない 悪 条 件 下 で 始 めたため その 開 拓 事 業 は 苦 難 の 連 続 だった 士 族 は 中 條 組 大 草 組 榊 原 組 久 保 組 などに 分 かれて 競 い 合 うように 茶 畑 開 墾 にあた った 牧 の 原 台 地 はそれまで 地 元 農 民 すら 顧 みない 荒 れた 台 地 だった 大 井 川 が 堆 積 した 砂 礫 土 で 何 よりも 水 利 がなかった いったん 旱 魃 になると 対 応 するすべも なかったといわれている お 茶 は 木 を 植 えてから 収 穫 は 6,7 年 後 になるため 牧 の 原 でも お 茶 の 収 穫 が できるようになったのは 1978 年 頃 からだった その 間 中 條 たちは 極 貧 生 活 を 余 儀 なくされ 体 を 壊 す 者 などが 続 出 して 開 拓 から 逃 げ 出 す 者 も 多 かったが 中 條 たちは 幕 臣 の 誇 りと 覚 悟 を 支 えに 頑 張 り 続 けたという 少 額 だったが 藩 から 支 給 された 開 墾 手 当 や 家 禄 廃 止 に 伴 う 奉 還 金 も 彼 らの 苦 労 を 支 えたものの 一 つだった ところで この 士 族 の 開 墾 にはもう 一 つ 大 きな 力 があった 明 治 維 新 後 に 大 井 川 の 渡 船 が 許 可 されて 1871 年 には 川 越 人 足 の 転 業 が 始 まった 彼 らも 開 墾 事 業 に 向 かうことになって あるものは 士 族 と 一 緒 に またあるものは 自 分 た ちだけで 開 墾 に 入 ることになったのである 開 拓 は 決 して 順 調 ではなくて 茶 園 経 営 を 成 功 させて 規 模 拡 大 や 製 茶 技 術 改 良 を 行 う 者 もいる 一 方 借 金 を 増 やして 失 敗 する 者 も 多 く 士 族 間 の 格 差 分 裂 64

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<967B8E5292AC95B689BB8DE08E6A90D58A E786C73> 1 長 徳 寺 跡 長 徳 寺 は 久 安 5 年 (1149) 吾 橋 庄 に 創 建 と 伝 えられる 吾 橋 庄 は を 中 心 に 汗 見 川 の 流 域 に 広 がる 領 主 頼 則 盛 政 らが 開 発 した 荘 園 で 長 徳 寺 はその 菩 提 寺 長 徳 寺 跡 は 河 岸 段 丘 状 の 緩 傾 斜 地 であり 北 に 山 を 背 負 い 日 当 たりも 良 く 南 西 方 は

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<8E9197BF8251814095578F80926E95CA8CF68EA689BF8A6988EA97972E786C73> 前 年 葵 - 1 葵 - 1 静 岡 市 葵 区 音 羽 町 214 番 3 208,000 206,000 1.0 音 羽 町 5-6 * 葵 - 2 葵 - 2 静 岡 市 葵 区 西 草 深 町 19 番 7 247,000 244,000 1.2 西 草 深 町 19-16 葵 - 3 葵 - 3 静 岡 市 葵 区 安 東 2 丁 目 150 番 201,000 199,000 1.0

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’V3000Form−®’¬.xls 1821 姓 3034 本 SET 1-5 コート 姓 数 量 184 天 野 383 池 野 556 入 江 728 梅 林 910 大 上 あ 190 雨 宮 391 池 本 559 入 沢 729 梅 原 912 大 内 3 阿 久 津 197 綾 部 395 石 井 567 岩 井 731 梅 村 913 大 浦 12 阿 部 201 荒 井 397 石 上 570 岩 上 732 梅 本

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