博 士 論 文 題 目 駐 露 時 代 ( 年 )の 花 房 義 質 提 出 年 月 2009 年 6 月 言 語 社 会 研 究 科 言 語 社 会 専 攻 氏 名 Maltseva Svetlana

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1 Title 駐 露 時 代 ( )の 花 房 義 質 Author(s) Maltseva, Svetlana Citation Issue Date Text Version ETD URL DOI Rights Osaka University

2 博 士 論 文 題 目 駐 露 時 代 ( 年 )の 花 房 義 質 提 出 年 月 2009 年 6 月 言 語 社 会 研 究 科 言 語 社 会 専 攻 氏 名 Maltseva Svetlana

3 目 次 はじめに 第 1 章 花 房 義 質 の 紹 介 1.1 職 業 外 交 官 としての 花 房 義 質 花 房 義 質 についての 先 行 研 究 花 房 義 質 の 第 二 次 駐 露 時 代 ( 年 )の 資 料 の 紹 介 第 二 次 駐 露 時 代 初 期 ロシアへの 渡 航 年 代 の 年 表 第 2 章 1884 年 の 中 央 アジアのメルフ 地 方 とロシアへの 併 合 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 書 2.1 歴 史 的 背 景 メルフ 地 方 のロシアへの 併 合 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 書 第 3 章 1885 年 のペンジェ 事 件 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 書 3.1 歴 史 的 背 景 ペンジェ 事 件 に 関 する 亜 冨 汗 論 近 況 第 二 駐 露 日 本 特 命 全 権 公 使 花 房 義 質 の 報 告 ペンジェ 事 件 に 関 する アフガン 論 近 況 第 三 花 房 義 質 の 報 告 英 露 アフガニスタン 論 大 概 花 房 義 質 の 報 告 明 治 18 年 7 月 19 日 付 明 治 18 年 七 月 在 露 国 日 本 公 使 館 報 告 ペンジェ 事 件 に 関 する 8 月 の 報 告

4 第 4 章 1885 年 1886 年 のバルカン 問 題 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 4.1 バルカン 問 題 の 歴 史 的 背 景 東 ルーメリアをめぐる 危 機 に 関 するコンスタンチノープル 会 議 の 前 段 階 についての 花 房 義 質 の 1885 年 11 月 4 日 付 東 ルーメリヤ 変 革 ( 第 4) 報 告 セルビア ブルガリア 戦 争 勃 発 を 背 景 としたコンスタンチノープル 会 議 に 関 する 11 月 中 の 花 房 義 質 の 報 告 コンスタンチノープル 会 議 の 最 終 段 階 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 書 1885 年 12 月 の ブルガリア 変 革 ( 第 7) と ブルガリア 変 革 ( 第 8) セルビアとブルガリア 和 平 交 渉 に 関 する 花 房 義 質 の 報 告 1886 年 1 月 の ブルガリア 変 革 ( 第 10) 162 まとめ 参 考 文 献 附 録 はじめに 明 治 期 の 日 本 は 近 代 国 際 社 会 へ 徐 々に 踏 み 出 しつつある 時 期 であった この 明 治 外 交 が 形 成 されていく 時 期 に 日 本 最 初 の 外 交 官 の 一 人 である 花 房 義 質 (はなぶさ よしもと) ( )がいた 当 時 欧 米 列 強 諸 国 やアジア 隣 国 との 激 しい 外 交 戦 が 繰 り 広 げら れる 中 彼 は 榎 本 武 揚 公 使 の 下 役 で 樺 太 千 島 交 換 条 約 の 締 結 (1875 年 )に 係 わる 一 方 朝 鮮 国 でも 壬 午 事 変 (1882 年 ) 時 に 在 朝 鮮 弁 理 公 使 を 務 めた 多 くの 外 交 上 の 業 績 を 残 した 後 も 農 商 務 次 官 宮 内 次 官 枢 密 顧 問 官 日 本 赤 十 字 社 長 等 を 歴 任 し 輝 かしい キャリアを 有 していた 日 本 が 国 家 を 再 建 するという 重 大 な 課 題 を 掲 げた 明 治 期 は 欧 米 列 強 諸 国 によるアジア やアフリカなどの 植 民 地 獲 得 競 争 が 激 しくなり 国 際 情 勢 が 大 きく 変 動 していく 時 期 にあ たる 鎖 国 時 代 の 日 本 から 脱 却 し 弱 肉 強 食 1 の 国 際 状 況 に 適 応 するため 欧 米 諸 国 に 立 ち 向 かい 新 しい 国 づくりを 目 指 した 若 い 外 交 官 の 一 人 であった 花 房 義 質 は 一 年 あまり 1 信 夫 清 三 郎 日 本 外 交 史 第 1 巻 ( ) 東 京 : 毎 日 新 聞 社 1974 年 18 頁 3

5 の 欧 米 留 学 を 終 え 当 時 27 歳 で 外 交 の 世 界 へ 進 む 1870 年 代 前 半 に 清 国 朝 鮮 での 業 務 を 経 て 1873 年 に 彼 は 臨 時 代 理 公 使 として 派 遣 され マリアルース 号 事 件 でロシアの 仲 裁 と 日 露 間 の 国 境 確 定 交 渉 という 当 時 の 日 露 関 係 における 二 大 課 題 に 取 り 組 むことになる 1855 年 12 月 に 調 印 された 日 露 条 約 では 懸 案 の 国 境 は 択 捉 島 とウルップ 島 の 間 とし 択 捉 全 島 を 日 本 領 とした 上 で 樺 太 島 にはこれまで 通 り 国 境 を 設 けないことが 決 定 した よ って 明 治 政 府 はこの 樺 太 島 国 境 問 題 を 受 け 継 いだわけである 1873 年 以 降 樺 太 島 放 棄 論 は 日 本 政 府 見 解 の 主 流 になりつつあり 東 アジアへの 南 下 政 策 が 積 極 的 に 進 められていっ た 極 東 においてウラジオストクなどに 海 軍 基 地 を 設 置 してその 防 御 を 考 えたロシアは 同 時 にバルカン 半 島 における 大 国 の 争 いの 中 で 自 らの 立 場 の 確 保 を 目 指 し 日 本 との 領 土 問 題 のより 早 い 解 決 を 望 んだ 樺 太 島 放 棄 論 という 日 本 の 主 張 はロシアの 国 益 に 応 じる ものであったため 日 本 にとっては 日 露 間 の 国 境 画 定 問 題 解 決 の 好 機 であった そして 1873 年 に 花 房 はこの 重 要 な 交 渉 を 行 う 公 使 に 任 命 されるまでに つまり 榎 本 武 揚 が 駐 露 特 命 全 権 公 使 に 任 命 されるまでに しばらくの 間 臨 時 代 理 公 使 として 交 渉 の 準 備 を 行 い さらに マリアルース 号 事 件 に 関 してロシア 皇 帝 に 仲 裁 の 承 諾 を 得 て 見 事 に 二 つの 重 大 な 任 務 を 成 功 させた だが 自 らは 外 交 官 として 未 熟 であり より 一 層 勉 強 したいと 実 感 したため 帰 国 の 希 望 を 日 本 政 府 に 伝 え 1876 年 10 月 に 帰 国 した そして 1876 年 11 月 に 花 房 は 朝 鮮 へ 派 遣 される 日 朝 修 好 条 規 の 調 印 後 朝 鮮 政 府 は 可 能 な 限 り 江 戸 時 代 からの 交 隣 関 係 を 継 続 するという 方 針 を 選 んだ よって 外 交 代 表 の 首 都 での 駐 在 外 国 人 の 国 内 旅 行 を 認 めなかった 花 房 は 日 朝 修 好 条 規 で 規 定 された 釜 山 以 外 の 二 港 開 港 につき 朝 鮮 国 と 交 渉 し それを 転 換 させるために 釜 山 に 日 本 人 居 留 地 を 設 けることを 提 案 した こうして 翌 年 1 月 に 釜 山 口 租 界 条 約 が 調 印 され 海 外 で 初 めて 日 本 人 居 留 地 が 設 定 された 1880 年 年 は 弁 理 公 使 として 京 城 に 駐 在 した 時 期 であり 花 房 義 質 は 1882 年 朝 鮮 の 壬 午 軍 乱 の 渦 中 にいた 壬 午 軍 乱 とは 1882 年 7 月 23 日 に 大 院 君 らの 煽 動 を 受 けて 朝 鮮 の 漢 城 で 大 規 模 な 兵 士 の 反 乱 が 起 こり 政 権 を 担 当 していた 閔 妃 一 族 の 政 府 高 官 や 日 本 人 軍 事 顧 問 日 本 公 使 館 員 らが 殺 害 され 日 本 公 使 館 が 襲 撃 を 受 けた 事 件 のことである その 際 花 房 公 使 らはイギリスの 軍 艦 に 乗 せられ 帰 国 を 無 事 に 果 たしたが 8 月 23 日 に 花 房 はソウルに 戻 り 朝 鮮 政 府 に 対 して 事 件 に 関 する 謝 罪 犯 人 の 逮 捕 処 刑 損 害 賠 償 など 厳 しい 要 求 をした しばらくして 大 院 君 らが 捕 らえられ 朝 鮮 政 府 は 妥 協 の 姿 勢 を 示 したので 30 日 に 花 房 は 日 本 側 の 代 表 として 済 物 浦 条 約 を 調 印 した この 結 果 日 本 は 朝 鮮 側 から 賠 償 を 受 けると 同 時 に 初 めて 国 外 に 駐 兵 する 権 利 4

6 を 得 た このように 明 治 期 の 外 交 体 制 整 備 が 進 む 過 程 の 中 で 花 房 義 質 は いわゆる 職 業 的 外 交 官 の 一 人 として ロシアとの 国 境 確 定 交 渉 マリアルース 号 事 件 釜 山 日 本 人 居 留 地 の 設 置 壬 午 事 変 の 解 決 に 結 びついた 済 物 浦 条 約 の 締 結 などといった 重 要 な 実 績 を 残 した 当 時 日 本 は 条 約 改 正 に 関 する 欧 米 諸 国 との 交 渉 が 難 航 しており こうした 状 況 を 背 景 に 花 房 義 質 は 職 業 的 外 交 官 としてのキャリアの 最 盛 期 を 迎 え 1883 年 年 に 二 度 目 となるロシ ア 駐 在 を 任 命 される そして 1886 年 にロシアから 帰 国 した 後 外 交 世 界 から 引 退 した 1950 年 以 降 の 研 究 では 外 交 官 としての 花 房 義 質 の 活 動 の 重 要 性 は 認 識 されているが その 研 究 の 殆 どは 1870 年 年 代 の 花 房 の 朝 鮮 駐 在 期 に 関 するものである 具 体 的 に は 年 代 の 開 港 場 の 決 定 問 題 それとの 関 連 で 起 こる 公 使 駐 京 問 題 使 臣 入 京 道 路 問 題 などに 関 して 花 房 が 日 本 政 府 に 提 出 した 報 告 が 朝 鮮 政 府 の 入 京 路 一 定 論 提 議 の 論 破 資 料 であると 高 く 評 価 されている 明 治 初 期 における 日 朝 国 交 回 復 交 渉 の 事 情 の 解 明 にとって 花 房 は 対 馬 の 日 本 側 の 官 吏 が 交 渉 の 妨 げの 主 因 であると 指 摘 し 花 房 が 残 した 資 料 が 征 韓 論 の 発 生 と 明 治 6 年 (1873 年 )の 政 変 に 影 響 を 及 ぼしたという 評 価 も 見 ら れる 2 他 方 日 本 外 交 研 究 における 花 房 公 使 の 駐 露 時 代 ( 年 )の 活 動 につい ての 深 い 研 究 はまだなされていない 花 房 はロシア 駐 在 期 間 中 不 平 等 条 約 改 正 問 題 に 携 わった この 時 のロシア 政 府 の 内 意 を 報 告 するという 役 割 条 約 改 正 についての 日 露 交 渉 における 花 房 公 使 の 役 割 を 重 要 視 した 研 究 は 極 めて 少 ないが 存 在 する 3 以 上 の 先 行 研 究 を 踏 まえた 結 果 1883 年 5 月 から 1886 年 8 月 までの 3 年 間 に 限 って ロシアにおける 特 命 全 権 公 使 花 房 義 質 の 活 動 を 本 研 究 の 主 な 対 象 として 考 察 する 1883 年 ( 明 治 16 年 )3 月 3 日 花 房 は 三 条 太 政 大 臣 の 訓 令 によって 駐 露 特 命 全 権 公 使 に 任 命 され 同 月 にロシアへ 赴 いた さらに 太 政 官 訓 令 によって 瑞 典 諾 威 国 公 使 兼 勤 となった 翌 月 に 三 条 太 政 大 臣 の 訓 令 によって 男 爵 の 初 叙 位 階 に 相 当 する 従 四 位 が 与 えられた 4 日 本 政 府 は 1883 年 年 にわたって 在 ペテルブルグ 日 本 公 使 花 房 に 様 々な 具 体 的 な 使 命 を 与 えていた それは 当 時 のロシア 内 政 の 現 状 やロシア 外 交 の 特 徴 露 欧 関 係 列 強 諸 国 の 態 度 アジア 太 平 洋 地 域 におけるロシアの 外 交 方 針 朝 鮮 問 題 をはじめとする 当 時 の 様 々なアジアにおける 死 活 的 な 問 題 列 強 諸 国 の 立 場 等 を 調 査 情 報 収 集 するということ 2 詳 しくは 第 1 章 花 房 義 質 の 紹 介 先 行 研 究 を 参 照 3 鹿 島 平 和 研 究 所 編 日 本 外 交 史 第 2 巻 東 京 : 鹿 島 研 究 所 出 版 会 1970 年 4 枢 密 院 高 等 官 転 免 履 歴 書 大 正 ノ 一 内 閣 記 録 枢 密 院 文 書 国 立 公 文 書 館 所 蔵 5

7 であった 花 房 は 日 本 政 府 の 要 請 に 応 じて 駐 在 期 間 中 次 々と 報 告 書 を 提 出 している そ れは 1884 年 2 月 の メルフ 地 方 のロシア 帝 国 併 合 に 関 する ( 外 交 史 料 館 所 蔵 ) 1885 年 5 月 8 月 の 太 政 官 記 録 ( 国 立 公 文 書 館 所 蔵 )の 亜 冨 汗 論 近 況 ノ 件 其 二 亜 冨 汗 論 近 況 ノ 件 其 三 英 露 アフガニスタン 論 大 概 の 報 告 1885( 明 治 18) 年 -1886( 明 治 19) 年 の ブルガリアの 変 革 の 件 などである 花 房 義 質 の 駐 露 時 代 (1883 年 年 )の 活 動 の 歴 史 的 な 役 割 を 把 握 するためには 上 記 の 未 刊 の 資 料 を 分 析 し その 真 意 を 明 確 にすることが 必 要 である この 課 題 を 明 らかにす るために 第 一 に 歴 史 的 な 背 景 即 ち 1884 年 のロシアの 中 央 アジア メルフ 地 方 の 併 合 への 動 き 等 を 述 べ 第 二 に 本 論 文 の 焦 点 である 駐 露 時 代 の 花 房 義 質 が 残 した 資 料 の 意 義 につ いて 論 じる 第 二 次 駐 露 時 代 (1883 年 年 )の 花 房 義 質 の 活 動 と その 進 展 が 主 な 研 究 の 題 目 となる かつて 外 交 に 関 わった 花 房 が その 豊 富 な 経 験 を 生 かすことができる 人 物 として 日 本 政 府 に 派 遣 されたことを 前 提 とする 1880 年 代 に 発 生 した 出 来 事 と 時 間 の 経 過 につれ 国 際 関 係 が 変 動 していく それに 応 じて 変 遷 していく 駐 露 特 命 全 権 公 使 とい う 立 場 にいた 花 房 の 活 動 の 内 容 を 考 察 する 本 論 文 の 課 題 は 1883 年 年 にわたって 花 房 が 取 り 組 んだ 問 題 の 中 から メルフ 地 方 のロシアへの 併 合 と 英 露 関 係 ペンジェ 事 件 と 英 露 関 係 ブルガリアの 統 一 問 題 をめぐるロシア イギリス 等 の 列 強 国 間 関 係 といった 問 題 に 関 して 駐 露 日 本 特 命 全 権 公 使 花 房 義 質 が 駐 在 期 間 中 に 書 いた 日 本 政 府 宛 報 告 書 を 紹 介 する 即 ち 公 式 文 書 を 中 心 に 分 析 を 行 い 彼 の 駐 露 時 代 における 活 動 の 本 質 を 明 らかにし 明 治 期 の 日 本 外 交 史 における 花 房 義 質 の 歴 史 的 な 役 割 を 捉 えなおすた めの 作 業 を 行 うことである 本 論 文 は 4 章 から 構 成 されている 第 1 章 では 花 房 義 質 という 人 物 を 紹 介 し 彼 の 生 い 立 ち 職 業 外 交 官 としての 経 歴 彼 の 外 交 の 知 識 を 考 察 する この 章 の 主 な 目 的 は 1883 年 に 駐 露 特 命 全 権 公 使 となった 花 房 の 使 命 に 関 して 論 じ 1883 年 年 間 即 ち 本 論 文 の 対 象 となる 時 期 も 含 めて 花 房 義 質 の 活 動 の 経 緯 を 明 らかにすることである 第 2 章 では 1884 年 の 中 央 アジアにおけるメルフ 地 方 のロシア 併 合 の 件 に 関 して 花 房 義 質 が 毛 筆 で 書 いた 末 刊 史 料 を 紹 介 し メルフ 併 合 の 歴 史 背 景 を 論 じながら その 報 告 書 の 詳 細 な 分 析 を 行 う その 報 告 書 の 意 義 を 論 じ 花 房 駐 露 特 命 全 権 公 使 本 人 の 視 野 に 立 ち 6

8 どのような 状 況 でメルフ 併 合 の 重 要 性 を 認 識 したのか なぜ 日 本 政 府 にその 件 について 報 告 したのかという 点 について 論 じる 第 3 章 においても 主 に 毛 筆 で 書 かれた 未 刊 史 料 を 活 用 する 1885 年 ペンジェ 事 件 発 生 後 英 露 が 戦 争 勃 発 の 危 機 に 直 面 した 状 況 を 背 景 に 様 々な 出 来 事 に 関 して 1885 年 5 月 か ら 8 月 にかけて 送 付 された 花 房 義 質 の 報 告 書 を 紹 介 し その 分 析 を 行 う 次 に 彼 の 情 報 収 集 の 特 徴 について 触 れ 花 房 が 残 した 資 料 に 基 づき 英 露 が 直 接 衝 突 を 避 けることができ た 経 緯 中 央 アジア アフガニスタンをめぐる 英 露 対 立 の 原 因 を 明 らかにする 第 三 に ペンジェ 事 件 を 背 景 に 起 こったイギリスの 巨 文 島 占 領 をめぐる 英 露 摩 擦 の 経 緯 と それに 関 して 花 房 が 残 した 発 言 を 明 らかにしながら ロシアに 駐 在 していた 日 本 公 使 の 観 点 から 判 断 された 英 露 対 立 の 本 質 とその 意 義 について 論 じる そして 日 本 政 府 にとって 花 房 が 収 集 した 情 報 は どの 程 度 重 要 であったのか 当 時 日 本 外 交 が 抱 えた 問 題 にどの 程 度 影 響 があったのかという 点 を 考 察 する 最 後 の 第 4 章 では ブルガリアの 変 革 に 関 する 花 房 公 使 の 報 告 書 の 分 析 を 主 として 毛 筆 で 書 かれた 未 刊 史 料 を 用 いながら その 歴 史 的 背 景 を 論 じる アフガニスタンをめぐる 英 露 対 立 が 大 いに 反 映 された 東 方 問 題 また 1885 年 9 月 にブルガリアと 東 ルーメリアの 統 一 が 唱 えられたことによって バルカン 半 島 における 現 状 が 悪 化 する 中 欧 州 列 強 国 の 変 動 していく 態 度 を 観 察 していた 日 本 公 使 花 房 が なぜ 日 本 政 府 にそれを 詳 細 に 紹 介 した のか その 理 由 を 明 らかにする 結 論 として 本 論 文 の 最 終 目 的 は 主 に 下 記 の 3 点 を 明 らかにすることである かつて 欧 州 での 一 年 に 及 ぶ 留 学 を 終 えたばかりの 花 房 義 質 は 外 交 官 職 に 就 き 清 国 朝 鮮 で 任 務 に 就 き そしてロシアで 樺 太 島 千 島 交 換 条 約 の 締 結 とマリアルース 号 事 件 の 解 決 にかかわり 1883 年 に 特 命 全 権 公 使 として 二 度 目 となるロシア 赴 任 を 経 験 する 花 房 が 公 使 に 問 われる 能 力 を 持 つ 外 交 官 として 日 本 政 府 に 認 められたという 原 点 に 立 ち 戻 って 考 えてみると 1883 年 年 における 赴 任 の 使 命 は 何 だったのか 彼 は 1883 年 年 ロシアで 駐 在 期 間 中 外 交 官 として 成 功 したのか 外 交 上 ではど のような 役 割 を 果 たしたのか 花 房 義 質 が 慎 重 に 収 集 した 情 報 は 日 本 政 府 の 要 望 にどの 程 度 応 じるものだったのか 日 本 外 交 にとってその 意 義 はどのようなものであったか という 点 である 無 論 明 治 期 の 外 交 において 花 房 義 質 が 残 した 実 績 特 に 開 港 をめぐる 朝 鮮 との 交 渉 7

9 樺 太 島 千 島 交 換 条 約 の 締 結 マリアルース 号 事 件 におけるロシア 皇 帝 の 仲 裁 に 関 する 交 渉 条 約 改 正 問 題 に 関 する 花 房 の 役 割 などについては 様 々な 先 行 研 究 が 存 在 している しかし 本 研 究 は 未 刊 史 料 を 活 用 しながら 1883 年 年 にわたる 外 交 官 花 房 義 質 の 活 動 を 分 析 し その 結 果 日 本 が 条 約 改 正 問 題 朝 鮮 問 題 を 取 り 組 んでいる 中 不 明 点 が 多 かった 明 治 時 代 のこの 時 期 について 彼 がロシアやイギリスなど 欧 州 列 強 諸 国 のアジアに 対 する 態 度 や 外 交 上 の 懸 案 事 項 などについて 情 報 収 集 し 貴 重 な 情 報 提 供 者 であったことに 着 目 した 全 く 新 たな 研 究 である 本 研 究 はまた 明 治 期 の 日 本 外 交 の 成 立 に 関 する 先 行 研 究 が 残 した 様 々 疑 問 や 不 明 な 点 の 解 明 にとっても 有 用 となる よって 花 房 義 質 研 究 明 治 期 外 交 史 の 知 られざる 側 面 を 明 らかにするものとして 価 値 があるだろう 明 治 期 の 外 交 史 に 関 する 新 しい 個 性 を 持 った 歴 史 研 究 を 生 み 出 すために 先 行 研 究 で 扱 われる 重 要 な 情 報 を 把 握 する 一 方 日 本 の 国 立 公 文 書 館 外 交 史 料 館 などに 所 蔵 されて いる 花 房 義 質 関 係 の 未 刊 史 料 を 紹 介 し その 分 析 を 行 うことが 本 研 究 での 最 も 重 要 な 作 業 となる 勿 論 上 記 の 史 料 は 全 て 毛 筆 で 書 かれた 史 料 であり 本 研 究 の 最 初 の 課 題 は 全 文 の 解 読 と 活 字 化 の 作 業 であり これは 論 文 作 成 の 準 備 段 階 にあたる さらに 花 房 義 質 公 使 関 係 の 文 書 の 一 部 が 戦 災 により 焼 失 していることが 先 行 研 究 では 明 らかになっており 残 されている 史 料 が 数 か 所 に 離 散 していることを 考 慮 に 入 れると 花 房 義 質 研 究 は 非 常 に 困 難 な 作 業 を 伴 うものとなる ただ 大 量 に 残 され 離 散 している 花 房 義 質 日 記 について は 毎 日 の 記 録 があるため 1883 年 年 の 1000 日 以 上 分 の 記 録 を 年 表 に 収 録 するこ とができた 残 されている 史 料 を 日 付 や 背 景 をもとに 正 確 に 整 理 し 他 の 関 連 史 料 と 照 ら し 合 わせると 先 行 研 究 における 幾 つかの 史 料 の 日 付 の 誤 りを 発 見 した これも 本 研 究 の 重 要 な 成 果 の 一 つである 筆 者 は 2 年 8 か 月 にわたり 時 間 が 許 す 限 り 収 集 した 未 刊 史 料 の 解 読 に 力 を 入 れた よって 本 論 文 ではその 解 読 の 結 果 に 基 づき 明 治 外 交 の 成 立 と 成 長 していく 明 治 外 交 のメカニズム そして ペンジェ 事 件 朝 鮮 をめぐる 国 際 緊 張 の 時 代 に 活 躍 していた 日 本 外 交 官 花 房 義 質 の 毎 日 の 活 動 日 本 の 外 交 の 大 きな 勝 利 に 繋 がってい く 彼 の 外 交 上 の 小 さな 勝 利 と 難 題 に 取 り 組 む 花 房 の 葛 藤 の 経 緯 を 明 らかにする これに より 明 治 期 の 国 際 関 係 外 交 史 における 多 くの 疑 問 の 解 明 や 新 たな 研 究 への 展 望 が 開 かれる 8

10 第 1 章 花 房 義 質 の 紹 介 1.1 職 業 外 交 官 としての 花 房 義 質 花 房 義 質 は 1842 年 1 月 1 日 に 岡 山 藩 士 花 房 端 連 の 長 男 として 生 まれた 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 によれば 父 端 連 は 藩 の 小 吏 より 身 を 起 して 大 阪 留 守 居 役 に 累 進 し 一 藩 の 財 政 を 管 理 し 後 に 伏 見 留 守 居 役 から 周 遊 方 に 転 じ 京 都 に 出 て 藩 の 外 交 の 衝 に 当 たる 5 と いう 人 物 であり 維 新 に 際 して 藩 の 参 謀 として 東 海 道 鎮 撫 総 督 に 仕 えた 明 治 初 年 の 藩 政 改 革 に 際 して 帰 県 岡 山 藩 政 試 補 権 大 参 事 を 歴 任 した 花 房 は 8 歳 になると 藩 校 に 入 り 四 書 五 経 を 学 ぶかたわら 蘭 書 を 児 玉 順 蔵 に 砲 術 を 水 谷 亦 六 郎 に 学 んだ 19 歳 の 時 1860 年 に 父 と 共 に 大 坂 に 移 るや 緒 方 洪 庵 の 門 下 に 入 る 1861 年 8 月 に 岡 山 藩 大 坂 詰 大 砲 を 任 され 大 坂 海 岸 防 御 に 従 事 した 1863 年 には 京 都 詰 に 転 じ 禁 門 の 守 備 に 当 たった 以 降 明 治 維 新 にいたるまでの 期 間 は 藩 主 の 命 を 受 けて 国 事 に 奔 走 した 時 期 であった 1865 年 10 月 には 御 所 で 条 約 勅 許 兵 庫 開 港 の 会 議 に 列 し 翌 二 年 には 藩 主 の 命 により 赴 いた 長 崎 で 後 藤 象 二 郎 五 代 友 厚 坂 本 竜 馬 大 隈 重 信 副 島 種 臣 等 を 知 った 慶 応 三 年 には 藩 主 の 内 命 により 香 港 インドを 経 てフランス イギ リス アメリカに 外 遊 帰 国 は 1868 年 10 月 であった 年 に 外 交 官 へ 出 仕 し 外 交 の 道 へ 進 む 当 時 花 房 は 27 歳 職 歴 は 以 下 の 通 りである 1869 年 4 月 外 交 官 お 雇 1869 年 7 月 外 務 大 録 1870 年 2 月 外 務 権 少 丞 1871 年 8 月 外 務 大 記 (この 年 柳 原 外 務 大 丞 に 随 行 し 清 国 に 渡 航 ) 1871 年 12 月 外 務 少 丞 (この 年 沢 外 務 卿 に 随 行 し 清 国 に 渡 航 ) 1872 年 5 月 外 務 少 丞 1872 年 8 月 外 事 右 局 長 兼 考 法 局 長 心 得 (この 年 対 馬 釜 山 に 赴 き 朝 鮮 国 と 交 渉 ) 1873 年 9 月 兼 外 務 一 等 書 記 官 ロシア 公 使 館 在 勤 (ペテルブルグ 着 任 ) 5 黒 瀬 義 門 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 東 京 : 東 京 印 刷 1913 年 1-2 頁 6 黒 瀬 義 門 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 頁 9

11 1876 年 10 月 免 兼 官 1877 年 1 月 外 務 大 書 記 官 1877 年 9 月 兼 代 理 公 使 ( 日 朝 修 好 条 規 で 規 定 された 釜 山 以 外 の 二 港 開 港 につき 朝 鮮 国 と 交 渉 ) 1878 年 3 月 外 務 省 記 録 局 長 心 得 1880 年 4 月 弁 理 公 使 朝 鮮 国 京 城 在 勤 1882 年 11 月 外 務 省 三 等 出 仕 1883 年 3 月 特 命 全 権 公 使 露 国 駐 在 1886 年 8 月 帰 朝 1886 年 12 月 兼 伏 見 宮 別 当 1887 年 1 月 免 露 国 駐 在 ロシアから 帰 国 し 外 交 の 世 界 から 身 を 引 いた 1886 年 末 伏 見 宮 別 当 に 任 命 され 1887 年 7 月 第 一 次 伊 藤 内 閣 の 農 商 務 次 官 を 務 めた 後 同 年 宮 中 顧 問 官 に 就 任 し そして 帝 室 会 計 審 査 局 長 官 を 兼 任 する 1907 年 9 月 には 子 爵 に 叙 せられる また 1911 年 12 月 から 1917 年 7 月 に 没 するまで 枢 密 顧 問 官 の 職 にあった 7 次 に 職 業 外 交 官 としての 花 房 義 質 の 活 動 を 紹 介 したい 1870 年 代 前 半 に 清 国 朝 鮮 での 業 務 を 経 て 1873 年 に 彼 は 臨 時 代 理 公 使 として 派 遣 された 日 本 政 府 は マリアルース 号 事 件 でロシア 皇 帝 の 仲 裁 と 日 露 間 の 国 境 確 定 交 渉 という 二 つの 難 題 を 抱 え この 二 つ 課 題 に 取 り 組 む 充 分 な 能 力 がある 人 物 を 必 要 とした 北 方 領 土 問 題 に 詳 しい 人 物 である ことは 勿 論 その 人 物 に 交 渉 を 行 うためのしかるべき 権 限 と ロシアに 対 して 権 威 付 けと なる 高 位 の 役 職 を 与 える 必 要 もあった そのための 慎 重 な 人 選 を 進 める 一 方 マリアルー ス 号 事 件 に 応 対 する 人 物 を 早 急 に 決 めなければならなかったので 日 本 政 府 は 花 房 に 一 等 書 記 官 を 兼 任 し 臨 時 公 使 としてマリアルース 号 事 件 の 交 渉 と 国 境 確 定 予 備 段 階 交 渉 に 当 たるという 二 つの 重 要 な 使 命 を 与 えた ペテルブルグに 到 着 して ロシア 皇 帝 アレクサン ドル 二 世 に 謁 見 すると 流 暢 な 英 語 でコミュニケーションを 取 り アレクサンドル 二 世 か ら 必 ず 仲 裁 裁 判 において 公 平 な 判 決 をするという 宣 誓 を 得 た これにより その 任 務 を 成 功 させる 前 提 ができた 結 局 日 本 政 府 はすべての 条 件 を 満 たしている 人 物 として 榎 本 武 7 東 京 都 立 大 学 付 属 図 書 館 事 務 室 編 花 房 義 質 関 係 文 書 目 録 第 1 期 東 京 : 北 泉 社, 1996 年 4-6 頁 10

12 明 を 選 定 し 1873 年 6 月 の 榎 本 のロシア 到 着 まで 花 房 は 公 使 館 の 建 物 の 設 備 を 整 えるな どの 重 要 な 仕 事 に 加 え 臨 時 代 理 公 使 として 交 渉 の 準 備 を 行 い さらに マリアルース 号 事 件 に 関 してロシア 皇 帝 との 仲 裁 に 関 する 交 渉 を 成 功 させた 1873 年 3 月 にロシア 皇 帝 が 仲 裁 を 正 式 に 受 諾 し 4 月 に 花 房 はペール 公 使 ラヴァルと 仲 裁 期 間 を 定 める 協 定 を 調 印 し た これによって 法 権 を 目 指 していた 日 本 は 欧 米 諸 国 に 対 する 人 道 主 義 の 立 場 を 表 明 することができたと 専 門 家 が 指 摘 している 8 樺 太 千 島 交 換 条 約 締 結 の 意 義 とは 当 時 欧 米 諸 国 に 押 しつけられた 不 平 等 条 約 で 苦 しんでいた 日 本 が 欧 州 大 国 の 一 つロシアには 対 等 な 交 渉 相 手 として 見 られ 領 土 問 題 は 血 の 一 滴 零 さず 平 和 的 手 段 で 解 決 したことで ある こうした 領 土 問 題 のみならず アジアにおける 大 国 の 覇 権 地 図 の 分 割 をめぐる 大 国 間 外 交 戦 略 などが 花 房 の 職 業 的 関 心 を 呼 び 起 こすきっかけとなった だが 当 時 自 らは 外 交 官 として 未 熟 であり 外 交 官 として 技 術 を 磨 きたいと 実 感 したため 帰 国 の 希 望 を 日 本 政 府 に 伝 え 1876 年 10 月 に 帰 国 した 1876 年 に 帰 国 することにあたり 彼 は 情 報 収 集 のためにイギリス アメリカを 経 由 した イギリスでは イギリスの 極 東 政 略 や 対 ロシア 戦 略 に 関 して 元 駐 日 公 使 オールコックの 意 見 などを 聞 いた 9 帰 国 直 後 1876 年 11 月 に 花 房 は 朝 鮮 へ 派 遣 される 本 人 は ロシアとの 領 土 問 題 を 解 決 でき 国 家 が 安 定 し ロシアの 妨 害 はないだろうと 判 断 して 西 南 つまり 朝 鮮 に 目 を 向 ける 時 期 だと 考 えていた 10 当 時 ロシアの 南 下 政 策 の 対 応 としては 日 本 政 府 が 釜 山 など 大 陸 で 立 脚 地 も 必 要 とし さらにロシアの 外 交 政 策 を 観 察 してきた 詳 しい 人 物 にそれ を 実 現 する 使 命 を 与 えた 当 時 朝 鮮 政 府 は 近 代 国 際 体 制 を 十 分 理 解 できず 日 本 も 含 めた 外 国 との 江 戸 時 代 における 交 隣 関 係 を 頑 固 に 継 続 していた 1876 年 に 日 朝 修 好 条 規 が 調 印 されたにもかかわらず 日 本 公 使 の 首 都 での 駐 在 日 本 人 も 含 めた 外 国 人 の 国 内 旅 行 を 認 めなかった 花 房 は 日 朝 修 好 条 規 で 規 定 された 釜 山 以 外 の 二 港 開 港 に 関 して 朝 鮮 国 と 交 渉 し 釜 山 に 日 本 人 居 留 地 を 設 けることを 提 案 した こうして 翌 年 1 月 に 釜 山 口 租 界 条 約 が 調 印 され 海 外 で 初 めて 日 本 人 居 留 地 が 設 定 され 朝 鮮 植 民 地 化 の 出 発 点 ともなった 1880 年 年 は 弁 理 公 使 として 京 城 に 駐 在 した 時 期 であり 花 房 は 多 忙 な 日 々をおくっ ている 1880 年 5 月 に 日 本 は 元 山 の 開 港 を 実 現 し 釜 山 と 同 様 に 居 留 地 を 設 置 した そ して 花 房 は 朝 鮮 との 関 係 を 進 展 させるために 国 王 をはじめ 朝 鮮 のエリートに 近 代 国 8 犬 塚 孝 明 ニッポン 青 春 外 交 官 東 京 :NHK ブックス 2006 年 97 頁 9 同 上 144 頁 10 同 上 119 頁 11

13 際 体 制 の 意 味 を 説 き 新 式 武 装 日 本 式 軍 隊 の 編 成 の 必 要 性 を 訴 えた 仁 川 開 港 に 関 する 交 渉 にも 成 功 し 居 留 地 を 設 置 することにあたって 朝 鮮 に 日 本 の 軍 事 教 官 の 派 遣 を 確 約 さ せた 1882 年 7 月 23 日 に 大 院 君 らの 煽 動 を 受 けて 朝 鮮 の 漢 城 で 大 規 模 な 兵 士 の 反 乱 が 起 こり 政 権 を 担 当 していた 閔 妃 一 族 の 政 府 高 官 や 日 本 人 軍 事 顧 問 日 本 公 使 館 員 らが 殺 害 され 日 本 公 使 館 が 襲 撃 を 受 けた 事 件 いわゆる 壬 午 軍 乱 が 起 こった その 際 花 房 公 使 らはイギリスの 軍 艦 に 乗 せられ 帰 国 を 無 事 に 果 たしたが 8 月 23 日 に 花 房 はソウル に 戻 り 朝 鮮 政 府 に 対 して 事 件 に 関 する 謝 罪 犯 人 の 逮 捕 処 刑 損 害 賠 償 など 厳 しい 要 求 をした しばらくして 大 院 君 らが 捕 らえられ 朝 鮮 政 府 は 妥 協 の 姿 勢 を 示 したので 30 日 に 花 房 は 日 本 側 の 代 表 として 済 物 浦 条 約 を 調 印 した この 結 果 日 本 は 朝 鮮 側 から 賠 償 を 受 けると 同 時 に 初 めて 国 外 に 駐 軍 する 権 利 を 得 た このように 明 治 期 の 外 交 体 制 が 整 えられる 中 花 房 義 質 は いわゆる 職 業 的 外 交 官 の 一 人 として ロシアとの 国 境 確 定 交 渉 マリアルース 事 件 釜 山 日 本 人 居 留 地 の 設 置 壬 午 事 変 の 解 決 に 結 びついた 済 物 浦 条 約 の 締 結 などといった 外 交 上 の 重 要 な 実 績 を 残 した 当 時 日 本 は 条 約 改 正 に 関 する 欧 米 諸 国 との 交 渉 が 難 航 しており こうした 状 況 を 背 景 に 花 房 義 質 は 職 業 的 外 交 官 としてのキャリアの 最 盛 期 を 迎 え 1883 年 年 に 二 度 目 となる ロシア 駐 在 を 任 命 される そして 1886 年 にロシアから 帰 国 した 後 外 交 の 世 界 から 引 退 し た 花 房 はロシアに 二 度 渡 航 した 第 一 期 は 1873 年 9 月 から 1876 年 10 月 まで 第 二 期 は 1883 年 5 月 から 1886 年 8 月 までである 第 一 期 (1873 年 1876 年 )の 花 房 の 駐 在 活 動 は 多 少 研 究 されており たとえば 樺 太 千 島 交 換 条 約 において 彼 が 重 責 を 果 したことなどは 述 べられているが 第 二 期 (1883 年 1886 年 )に 関 してはほとんど 研 究 されていない 花 房 義 質 の 履 歴 書 11 には 1883 年 年 にわたるロシアでの 使 命 と 活 動 について 以 下 のよ うに 記 録 されている 1883 年 3 月 3 日 任 特 命 全 権 公 使 太 政 官 二 等 官 相 當 二 等 年 俸 下 賜 之 事 露 國 在 勤 被 仰 付 之 事 瑞 典 那 威 國 公 使 兼 勤 被 仰 付 之 事 同 上 同 上 同 上 4 月 26 日 叙 従 四 位 同 上 11 枢 密 院 高 等 官 転 免 履 歴 書 大 正 ノ 一 内 閣 記 録 枢 密 院 文 書 国 立 公 文 書 館 所 蔵 12

14 11 月 21 日 露 西 亜 國 皇 帝 陛 下 ヨリ 贈 与 シタル 神 聖 ス 同 上 タニスラス 第 一 等 勲 章 ヲ 受 領 シ 及 用 スルヲ 許 ス 1885 年 12 月 21 日 波 斯 國 皇 帝 陛 下 ヨリ 贈 与 シタル 獅 子 太 陽 第 同 上 一 等 勲 章 ヲ 受 領 シ 及 用 スル 1886 年 3 月 16 日 改 交 際 官 官 制 勅 任 一 等 ス 同 上 7 月 12 日 上 級 年 俸 下 賜 外 務 省 8 月 30 日 帰 朝 同 上 10 月 20 日 叙 従 三 位 同 上 12 月 27 日 兼 任 伏 見 官 別 當 宮 内 省 1883 年 ( 明 治 16 年 )3 月 3 日 三 条 太 政 大 臣 の 訓 令 によって 駐 露 特 命 全 権 公 使 に 任 命 される その 後 太 政 官 の 訓 令 によりスウェーデンとノルウェーの 公 使 兼 勤 に 任 命 される 続 いて 同 年 同 月 17 日 にロシアへ 赴 き 翌 月 26 日 に 三 条 太 政 大 臣 の 訓 令 によって 男 爵 の 初 叙 位 階 に 相 当 する 従 四 位 が 与 えられる ロシアへの 渡 航 途 中 には 露 国 赴 任 途 上 の 日 誌 を 作 成 している 1883 年 3 月 末 妻 がロシアへ 渡 航 する 広 東 香 港 サイゴン シ ンガポール コロンボ そして 欧 州 のイタリア フランス ドイツ 等 を 経 由 して 花 房 は 1883 年 5 月 9 日 にサンクト ペテルブルグに 到 着 している さらに 1883 年 5 月 に 駐 露 公 使 花 房 義 質 日 誌 の 作 成 が 開 始 されており 日 誌 は 3 年 にわたってほぼ 毎 日 の 出 来 事 が 記 録 されている 1883 年 5 月 16 日 に 国 書 を 提 出 するにあたって ロシア 皇 帝 アレク サンドル 三 世 に 謁 見 する 3 年 間 にわたってペテルブルグ 市 中 心 部 のグランド モルスカ ーヤ 大 通 り 48 番 に 彼 は 暮 らした ペテルブルグに 到 着 した 直 後 から ロシア 外 相 ギールス をはじめとするロシア 外 務 省 の 高 官 駐 露 各 大 使 や 公 使 軍 の 司 令 官 軍 人 政 治 行 政 エリートなどとの 接 触 が 始 まった これらの 人 物 たちは 必 要 に 応 じて 本 人 も 報 告 で 指 摘 したように 起 こった 出 来 事 の 解 説 や 情 報 提 供 をする 役 割 を 果 たしていた さらに 数 回 花 房 はロシアの 首 都 ペテルブルグを 離 れて ロシア 国 内 (モスクワなど)やヨーロッ パを 旅 行 した 例 えば 1883 年 8 月 9 月 中 にはスウェーデン 及 びノルウェーに 滞 在 し 国 書 の 提 出 のためスウェーデン 皇 帝 に 謁 見 する また 1885 年 8 月 17 日 9 月 2 日 の 陸 奥 宗 光 のロシア 訪 問 にあたって 8 月 23 日 29 日 にモスクワへ 旅 行 した この 旅 行 ではモス クワとその 周 辺 を 見 学 し モスクワ 知 事 ペルフィリエフをはじめとする 行 政 界 財 政 界 な 13

15 どのトップ 人 物 と 接 触 した 年 にわたり 花 房 の 支 えとなったのは 大 前 退 藏 岩 倉 具 経 二 橋 謙 安 藤 謙 介 山 内 勝 明 天 野 瑚 次 郎 加 藤 増 雄 高 田 政 久 12 といった 在 露 国 在 勤 公 使 館 書 記 官 駐 露 日 本 公 使 館 の 職 員 である そのうち 二 橋 謙 や 天 野 瑚 次 郎 な どはロシア 語 及 び 英 語 フランス 語 の 様 々な 情 報 を 日 本 語 に 翻 訳 して 花 房 の 情 報 収 集 にとって 必 要 な 準 備 を 行 い 重 要 な 役 割 を 果 たした 花 房 は 数 十 年 後 過 去 を 振 り 返 り 自 ら 1883 年 年 の 活 動 を 評 価 している 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 という 花 房 義 質 の 回 想 録 では 翌 明 治 16 年 の 三 月 に 特 命 全 権 公 使 に 任 ぜられて 露 国 在 勤 を 仰 せ 付 けられ 瑞 典 諾 威 国 の 公 使 を 兼 勤 することになった この 時 期 露 西 亜 の 先 帝 の 即 位 式 が 行 われるので 臨 時 の 特 派 大 使 として 伊 藤 公 爵 がヨーロッ パに 滞 在 中 であったので 直 ぐに 遣 わされることになり 自 分 もまた 在 留 の 公 使 としてその 即 位 式 に 参 列 するため 早 く 行 くようにということで 三 月 に 発 って 行 った 露 西 亜 皇 帝 の 即 位 式 は 非 常 に 盛 んな 大 層 なものであるが 式 が 大 層 盛 んであったという 迄 でそれを 精 しく 話 せば 賑 やかな 話 であるが 自 分 は 任 務 を 無 事 に 勤 め 上 げて 勲 章 を 賜 り さらに 記 念 金 牌 をも 賜 ったのである それから 明 治 17 年 18 年 19 年 迄 在 留 したがその 間 に 条 約 の 改 正 の 事 の 談 判 が 多 少 あった まだ 至 って 事 のまとまらぬ 段 階 なので 時 々 書 面 の 往 復 がある 位 のことで 格 別 之 といって 仕 出 来 したということはなく 唯 だ 無 事 に 三 年 を 過 ごした 譯 で ある そして 明 治 19 年 の 8 月 に 帰 朝 した 13 即 ち 花 房 は 条 約 改 正 問 題 が 1883 年 から 1886 年 までの 在 露 期 間 中 における 最 大 の 出 来 事 であったと 評 価 している 1883 年 から 1884 年 にわたり 日 本 と 欧 米 列 強 諸 国 との 交 渉 はイギリスの 頑 強 な 交 渉 カードによってたびたび 中 止 されていた 花 房 は 1883 年 に 条 約 改 正 ニ 関 スル 露 国 政 府 ノ 内 意 という 覚 書 を 送 り ロシア 政 府 が 納 得 しやすい 交 渉 カードを 明 記 した 条 12 Lensen G.A., Japanese Diplomatic and Consular Officials in Russia, Tokyo: Sophia University, 1968, pp. 14, , 大 前 退 藏 は 1885 年 にペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 生 年 の 間 は 随 行 員 となっている 岩 倉 具 経 は 年 にペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 官 となっている 二 橋 謙 は 年 にペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 生 となっている 安 藤 謙 介 は 年 にコルサコフ 領 事 館 の 書 記 一 等 見 習 1881 年 にペテルブル グ 公 使 館 の 三 等 書 記 生 1885 年 には 書 記 生 となっている 山 内 勝 明 は 年 ペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 官 となっている 天 野 瑚 次 郎 は 1885 年 に 書 記 生 となっている 加 藤 増 雄 は 年 にペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 官 となっている 高 田 政 久 は 年 にペテルブルグ 公 使 館 の 大 使 館 付 き 海 軍 武 官 となっている 13 黒 瀬 義 門 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 頁 14

16 約 改 正 問 題 に 関 するロシア 政 府 の 態 度 は 極 めて 協 力 的 であり 日 本 側 の 要 望 に 応 えるもの であった 従 って ロシアは 条 約 改 正 についてのイギリス フランス ドイツの 反 対 意 見 を 無 視 し ロシアにとって 日 露 不 平 等 条 約 は 無 期 限 の 条 約 ではなく むしろ 期 限 付 きの 条 約 として 改 正 すべきものであるとロシア 政 府 は 考 えていた 14 花 房 はロシア 政 府 の 内 意 を 明 記 し その 結 果 条 約 改 正 問 題 に 関 する 日 露 交 渉 は 進 展 し 1889 年 8 月 にロシアは 大 隈 外 相 の 条 約 改 正 案 を 可 決 した そこでついにイギリスは 譲 歩 し 欧 州 との 条 約 改 正 交 渉 はようやく 纏 まったと 指 摘 すべきであろう このように 1883 年 年 に 花 房 は 条 約 改 正 問 題 に 関 わったことが 明 らかになってい る しかし 第 二 訪 露 期 における 花 房 の 駐 露 公 使 としての 使 命 を 明 確 にするために この 時 期 の 歴 史 的 背 景 の 焦 点 を 記 述 しなければならない 1875 年 以 降 つまり 樺 太 千 島 交 換 条 約 締 結 後 日 露 関 係 は 非 常 に 良 好 であったと 指 摘 できるであろう 年 代 のロシ ア 帝 国 における 資 本 主 義 の 発 展 につれ ロシア 商 工 業 界 の 極 東 への 進 出 が 積 極 化 し 日 本 側 は 灯 油 などに 関 心 を 持 っていたため 日 露 貿 易 流 通 総 額 は 多 くはないものの 上 昇 傾 向 にあった しかし 当 時 のロシア 極 東 地 域 は 鉄 道 の 欠 如 などでかなり 隔 離 した 地 域 であり その 上 イギリスが 清 国 などへの 進 出 を 積 極 化 したため ロシアのこの 地 域 の 防 御 への 意 識 も 欠 けていた ロシアにとっては 日 本 が 太 平 洋 への 出 口 という 戦 略 的 な 意 味 を 持 ち さらに 流 通 総 額 も 多 くないため ロシア 政 府 は 不 平 等 条 約 を 改 正 することを 承 諾 した よ って 1870 年 代 後 半 1880 年 代 前 半 は 外 交 上 日 本 を 対 等 な 相 手 として 扱 う 大 国 の 一 つだ った 友 好 的 なロシアの 存 在 が 徐 々に 利 害 関 係 が 対 立 する 存 在 へと 変 動 していく 時 期 にあたる その 変 動 の 原 動 力 は 第 一 に 朝 鮮 問 題 であるが 本 研 究 ではこの 問 題 及 び この 問 題 をめぐる 日 露 関 係 に 深 入 りしないが ロシアに 対 する 日 本 外 交 方 針 の 転 換 期 をも たらした 問 題 の 大 きな 存 在 は 考 慮 に 入 れなければならない 無 論 当 時 の 日 本 政 府 は どんどん 植 民 地 化 されていくアジアに 対 する 欧 米 諸 国 の 政 策 を 注 意 深 く 観 察 していた 欧 米 国 の 清 国 や 朝 鮮 などへの 進 出 中 央 アジアの 諸 汗 国 を 勢 力 下 に 置 くロシアの 南 下 政 策 など 日 本 が 眼 を 光 らせた 点 は 多 く 存 在 していた 当 時 の 日 本 外 務 卿 であった 井 上 馨 は 1885 年 7 月 11 日 に 在 外 各 帝 国 公 使 宛 に( 花 房 を 含 めて) 欧 米 各 国 ノ 連 合 政 策 打 破 方 二 關 シ 訓 令 ノ 件 を 送 り 今 ヤ 欧 米 諸 国 大 二 植 民 政 策 ヲ 拡 張 シ 競 テ 東 洋 二 着 手 ス 誠 二 東 洋 多 事 ノ 日 ト 云 ハサルヲ 得 ス そして 今 日 我 国 二 於 テ 切 二 希 望 ス 14 Кожевников В. В. Российско-японские отношения в в.в. Вл.: Изд-во Дальневосточного университета,1997. C

17 ル 所 ノモノハ 欧 米 諸 国 カ 従 来 ノ 連 合 政 策 ヲ 捨 テ 各 自 独 立 シテ 我 国 ト 交 際 セン 事 二 有 之 候 結 局 欧 米 諸 国 ノ 東 洋 政 策 モ 敢 テ 今 日 ノ 地 位 二 躊 躇 スル 事 ナカルヘシ 15 と 述 べている よって 日 本 は アジアに 対 する 列 強 諸 国 の 動 向 を 自 らの 対 アジア 戦 略 の 方 針 に 影 響 を 与 えるものとして 注 意 深 く 観 察 していた その 代 表 的 な 例 としては 朝 鮮 をめぐる 国 際 的 緊 張 が 挙 げられる ペンジェ 事 件 直 後 英 露 が 紛 争 に 直 面 していた 状 況 を 背 景 に イギリス が 朝 鮮 領 土 である 巨 文 島 を 占 領 した 直 後 ロシアは 朝 鮮 半 島 に 付 属 する 他 の 諸 島 および 海 港 を 占 領 すると 通 告 した これにより 日 本 政 府 は 対 清 と 対 朝 鮮 方 針 の 選 択 を 迫 られた 結 局 日 本 は 朝 鮮 の 分 割 を 一 時 的 に 放 棄 し 清 国 の 主 導 下 で 朝 鮮 を 日 清 両 国 による 共 同 保 護 下 におく 方 針 を 選 んだ 16 こうした 日 本 外 交 戦 略 は 無 論 多 様 な 要 因 が 存 在 するが その 一 つとは 欧 米 諸 国 の 対 アジアの 方 針 に 影 響 されることであり 日 本 政 府 はその 本 質 を 理 解 せざるを 得 なかった それゆえに 列 強 諸 国 の 外 交 に 関 する 徹 底 的 な 情 報 提 供 が 必 要 且 つ 重 要 になってくる 花 房 はかつて 1870 年 代 の 第 一 訪 露 の 際 イギリスなどの 対 極 東 政 策 についての 情 報 収 集 を 首 尾 よく 行 った よって 1880 年 代 に 新 たな 情 勢 に 対 応 すべきであった 日 本 政 府 のた め 花 房 は 再 び 列 強 国 についての 情 報 収 集 に 着 手 する 本 稿 において 筆 者 はその 第 二 訪 露 期 にわたる 花 房 義 質 の 情 報 収 集 の 内 容 とそのプロセスの 特 徴 について 論 じる 1.2 花 房 義 質 についての 先 行 研 究 第 二 次 訪 露 期 間 ( 年 )についての 先 行 研 究 は 極 めて 少 なく 条 約 改 正 問 題 に 関 して 花 房 義 質 が 関 わったことについてのみとなる 全 体 的 に 花 房 義 質 という 明 治 期 の 人 物 を 中 心 に 置 く 研 究 は 極 めて 少 ないと 言 っていいだろう 先 行 研 究 は 圧 倒 的 に 明 治 5 年 (1872 年 )から 明 治 15 年 (1882 年 )にかけての 朝 鮮 での 活 動 に 関 するものである 具 体 的 に 説 明 しておこう 毛 利 敏 彦 (1992) 17 は 明 治 初 期 の 日 朝 国 交 回 復 交 渉 の 実 相 解 明 にとって 貴 重 な 史 料 で 15 日 本 外 交 文 書 頒 布 会 編 条 約 改 正 関 係 大 日 本 外 交 文 書 第 2 巻 東 京 : 日 本 外 交 文 書 頒 布 会 1942 年 頁 16 信 夫 清 三 郎 日 本 外 交 史 第 1 巻 132 頁 17 毛 利 敏 彦 明 治 初 期 日 朝 国 交 不 調 原 因 論 : 外 務 大 丞 花 房 義 質 尋 交 商 量 渋 滞 之 縁 由 略 の 紹 介 法 学 雑 誌 38 大 阪 市 立 大 学 法 学 会 1992 年 頁 16

18 ある 尋 交 商 量 渋 滞 之 録 由 略 ( 外 務 大 丞 花 房 義 質 の 朝 鮮 国 出 張 報 告 書 )の 全 文 を 紹 介 して いる 毛 利 は 次 のように 指 摘 している 明 治 初 期 の 数 ヵ 年 にわたる 日 朝 間 の 国 交 不 調 状 態 は 日 本 国 内 の 政 情 にも 複 雑 な 影 響 を 及 ぼした 政 界 の 一 部 には 朝 鮮 側 に 誠 意 なしと 非 難 する 征 韓 論 が 台 頭 したし 1873 年 に 起 きた 政 府 首 脳 大 分 裂 事 件 ( 明 治 6 年 政 変 )にも 朝 鮮 問 題 が 密 接 に 絡 んでいた このような 国 交 不 調 状 態 が 生 じた 主 要 な 原 因 は 毛 利 が 指 摘 しているように 以 前 は 日 本 側 の 見 解 では 日 本 政 府 が 政 権 交 代 という 新 しい 事 態 に 即 応 して 対 朝 鮮 外 交 の 復 活 と 刷 新 を 申 し 入 れたにもかかわらず 朝 鮮 国 政 府 は 幕 府 時 代 の 旧 式 の 方 法 に 固 執 して 日 本 側 が 提 示 した 新 式 国 書 の 受 理 を 断 ったからだという 説 明 が 多 かっ た 実 はこの 基 本 的 な 事 実 は これまで 必 ずしも 体 系 的 かつ 実 証 的 に 解 明 されていたとは いえない この 問 題 解 明 ついては 1872 年 ( 明 治 5 年 ) 旧 暦 8 月 から 10 月 にかけて 朝 鮮 国 に 出 張 した 外 務 大 丞 花 房 義 質 が 帰 国 直 後 に 太 政 官 正 院 に 提 出 した 報 告 書 尋 交 商 量 渋 滞 之 録 由 略 という 有 用 な 史 料 がある 毛 利 (1992)は この 報 告 書 を 執 筆 者 の 地 位 執 筆 動 機 ないしに 背 景 内 容 などから 実 地 を 踏 んだ 日 本 政 府 当 事 者 の 日 朝 外 交 観 を 端 的 に 示 す 貴 重 な 文 書 であると 評 価 している さらに 毛 利 によれば 尋 交 商 量 渋 滞 之 録 由 略 の 内 容 において 注 目 すべき 事 項 は 以 下 の 通 りであり 花 房 の 報 告 書 の 分 析 に 基 づいて 以 下 の 事 実 が 明 らかになる 1872 年 ( 明 治 5 年 )の 時 点 において 日 本 外 務 省 の 対 朝 鮮 政 策 実 務 最 高 責 任 者 は 朝 鮮 国 政 府 の 対 日 基 本 姿 勢 は 少 なくとも 関 係 樹 立 に 否 定 的 でないと 評 価 していた 換 言 すれば 朝 鮮 側 の 頑 迷 固 陋 が 復 交 にとって 最 大 障 害 だとの 見 解 をとっていなかった 交 渉 の 前 途 に も 楽 観 的 な 見 通 しが 立 つわけであり もちろん 征 韓 論 的 発 想 に 傾 斜 することになったはず である 尋 交 が 渋 滞 した 主 因 については 対 州 吏 人 が 交 渉 進 展 を 妨 害 したからである と 花 房 はみなした さらに 朝 鮮 側 が 主 動 的 であったと 記 しているが 後 半 の 事 実 関 係 の 記 述 を 見 ると むしろ 主 動 的 なのは 対 州 吏 人 の 方 であって 朝 鮮 側 の 現 地 役 人 の 方 が 使 役 されたと 読 み 取 れる 結 局 花 房 は 朝 鮮 側 は 対 日 関 係 を 原 則 として 拒 んではおらず 交 渉 を 妨 げているのは 対 州 吏 人 であるので 対 州 吏 人 の 妨 害 を 排 除 すれば 日 朝 復 交 は 実 現 できると 判 断 したの である このような 認 識 からは 征 韓 論 が 生 まれ 得 ないのは 自 明 だろう このような 花 房 の 報 告 書 を 直 接 受 けた 参 議 が 板 垣 退 助 だった これに 関 して 毛 利 は 報 告 書 が 明 治 6 年 の 政 変 時 の 板 垣 の 行 動 に 影 響 を 及 ぼしたであろうという 結 論 を 導 いている 17

19 桜 井 義 之 (1959) 18 は 花 房 義 質 代 理 公 使 入 京 路 程 概 測 図 について という 論 文 の 中 で 花 房 義 質 等 入 京 路 程 概 測 図 を 紹 介 し 考 察 を 試 みている 1876 年 2 月 日 鮮 修 好 条 規 締 結 後 懸 案 となっていた 開 港 場 の 決 定 それとの 関 連 で 起 こる 公 使 駐 京 問 題 使 臣 入 京 道 路 問 題 などの 解 決 は 花 房 代 理 公 使 に 課 せられた 使 命 であった 花 房 代 理 公 使 の 渡 鮮 使 命 は 日 鮮 修 好 条 規 第 五 条 に 従 い 朝 鮮 政 府 に 議 して 開 港 場 の 地 名 を 指 定 して 開 港 を 実 現 し その 上 での 日 鮮 修 好 条 規 附 録 第 三 条 の 趣 旨 に 基 づく 諸 規 定 の 議 立 にあった 特 に 開 港 問 題 の 決 定 は 最 も 急 務 とされた 花 房 は 1877 年 から 1882 年 にわたって 朝 鮮 側 と 交 渉 をし 1881 年 2 月 28 日 の 会 談 において 仁 川 開 港 を 受 諾 した 1882 年 9 月 を 開 港 の 時 期 と 取 り 決 め 7 ヵ 年 にわたる 開 港 問 題 は 遂 に 完 全 なる 解 決 を 告 げたのであった 日 鮮 修 好 条 規 第 五 条 に 基 づき 港 口 二 カ 所 の 選 定 公 使 駐 劄 及 び 入 京 道 路 問 題 等 商 議 のため 朝 鮮 国 に 派 遣 された 花 房 代 理 公 使 は まず 開 港 場 二 カ 所 の 選 定 に 着 手 したのである 外 務 卿 内 訓 に 従 い 首 都 京 城 近 傍 の 一 カ 所 は 最 初 からの 予 定 されていた そこで 釜 山 よ り 京 城 までの 海 路 を 木 浦 群 山 牙 山 等 に 寄 港 しながら 調 査 を 進 めつつ 済 物 浦 に 到 着 し たが 調 査 をしたにも 拘 わらず 具 体 的 に 何 処 の 港 をという 結 論 も 出 さないまま 京 城 入 り をしなければならなかった そのため 韓 船 5 隻 を 用 意 し 代 理 公 使 花 房 をはじめ 政 府 の 役 人 海 軍 陸 軍 の 代 表 の 16 名 が 乗 船 した 江 華 水 路 を 経 由 し 控 海 門 に 上 陸 してから 控 海 門 通 津 金 浦 陽 川 を 経 て 揚 花 津 を 渡 り 京 城 に 入 った 代 理 公 使 花 房 は 距 離 と 時 間 と 方 向 を 測 りながら 行 程 を 記 録 した その 図 は 花 房 義 質 等 入 京 路 程 概 測 図 と 呼 ば れている 桜 井 によれば 本 図 の 作 製 は 韓 国 政 府 の 入 京 路 一 定 論 提 議 19 の 論 破 資 料 とし て 実 測 されたと 述 べているが 本 図 が 反 証 資 料 として 交 渉 のいかなる 段 階 において 具 体 的 にどのように 論 破 の 資 料 としての 役 割 を 演 じたのかは 研 究 されていない 花 房 は 当 時 外 交 世 界 の 新 人 として 常 に 世 界 史 的 視 野 に 立 ち 困 難 な 初 期 日 韓 交 渉 の 事 務 に 携 わった 公 使 苦 心 の 一 齣 であったという 結 論 を 導 いている 布 和 (2004) 20 は 1880 年 代 初 期 の 日 本 の 対 朝 鮮 外 交 を 考 察 し 以 下 の 通 りの 結 論 を 導 18 桜 井 義 之 花 房 義 質 代 理 公 使 入 京 路 程 概 測 図 について 朝 鮮 学 報 14 朝 鮮 学 会 1959 年 頁 19 朝 鮮 政 府 の 入 京 路 一 定 論 提 議 とは 従 来 倭 使 の 上 京 道 筋 は 典 礼 主 義 的 観 念 に 基 づくも のであったが 開 国 の 新 時 代 に 入 ってから 臣 民 の 不 安 や 社 会 的 動 揺 を 考 慮 して 朝 鮮 政 府 が 外 国 使 臣 の 上 京 道 筋 を 一 定 化 しようとしたものである 20 布 和 1880 年 代 初 期 の 日 本 の 対 朝 鮮 外 交 : 壬 午 事 変 までの 時 期 を 中 心 に 桜 花 学 園 大 18

20 いている 1880 年 代 に 入 って 日 本 の 対 朝 鮮 外 交 の 課 題 は 依 然 として 江 華 島 条 約 の 実 行 で あった そして 仁 川 開 港 公 使 駐 京 などの 要 求 を 実 現 するために 井 上 馨 外 務 卿 は 朝 鮮 政 府 に 対 して 恩 威 並 行 策 の 実 施 を 決 定 した 1880 年 8 月 に 金 宏 集 朝 鮮 修 信 使 一 行 が 来 日 すると 彼 らに 対 して 限 定 的 な 開 国 勧 告 を 行 って 好 感 触 を 得 た また その 後 の 朝 鮮 政 府 の 開 国 方 針 決 定 を 知 って 井 上 は 新 たに 清 国 を 意 識 した 対 朝 鮮 独 立 支 援 策 の 使 命 を 朝 鮮 行 きの 花 房 義 質 代 理 公 使 に 与 えた この 時 期 の 日 本 政 府 の 対 朝 鮮 政 策 の 方 針 は 武 器 提 供 開 国 勧 告 関 税 交 渉 等 のいわゆる 親 日 化 策 であり 布 和 は 当 該 期 の 一 連 の 日 朝 交 渉 事 件 について とりわけ 花 房 の 対 朝 鮮 交 渉 を 再 検 討 した 結 果 日 本 の 対 朝 鮮 外 交 は 依 然 とし て 砲 艦 外 交 の 継 続 にあったことを 明 らかにした 明 治 時 代 の 外 交 史 もしくはその 時 期 の 東 アジア 朝 鮮 問 題 などを 重 視 する 研 究 の 中 で 外 交 官 としての 花 房 義 質 の 朝 鮮 における 活 動 がある 程 度 取 り 上 げられている 場 合 がある 言 及 の 程 度 は 様 々で 朝 鮮 における 花 房 義 質 の 活 動 について 軽 く 言 及 するという 程 度 から 詳 細 な 分 析 に 基 づいてその 活 動 を 評 価 している 場 合 もある 具 体 的 な 例 としては 下 記 の 研 究 がある 英 修 道 (1960) 21 は 明 治 外 交 史 の 中 で 花 房 義 質 の 年 代 の 朝 鮮 での 活 動 について 手 短 に 触 れている 1872 年 10 月 に 外 務 大 丞 花 房 義 質 を 釜 山 に 派 遣 した 1880 年 12 月 に 弁 理 公 使 花 房 義 質 は 漢 城 に 赴 任 して 朝 鮮 国 王 に 国 書 を 呈 した 1882 年 7 月 の 壬 午 事 件 時 花 房 公 使 以 下 28 名 の 館 員 は 24 日 午 後 仁 川 まで 脱 出 し 得 た などと 述 べて いる 信 夫 清 三 郎 (1974) 22 は 花 房 が 直 接 に 関 わった 釜 山 租 界 問 題 壬 午 事 件 問 題 甲 申 事 件 問 題 などの 出 来 事 の 事 情 と 花 房 の 活 動 の 詳 細 な 記 録 をのせるばかりでなく 花 房 が 行 っ た 活 動 の 評 価 もしている また 釜 山 租 界 問 題 に 関 連 して この 消 極 外 交 を 転 換 させたのは 1876 年 11 月 の 花 房 大 丞 の 出 張 であった と 指 摘 し 開 港 の 問 題 に 関 しては 京 城 に 常 駐 した 花 房 公 使 は 国 王 をはじめとする 政 府 要 人 に 精 力 的 に 国 際 情 勢 を 説 き 新 式 武 器 を 贈 与 して 日 本 式 軍 隊 を 編 成 する 必 要 を 説 いて 回 った と 述 べた ロシア 駐 在 期 間 内 1884 年 に 花 房 は 台 湾 をめぐって 清 仏 対 立 に 関 しては 次 のように 指 摘 していた フランスが 台 湾 を 領 土 にすれば 琉 球 は 危 険 に 曝 されるので 我 みずから 台 湾 を 占 むるの 計 に 出 でざる 学 人 文 学 部 研 究 紀 要 7 桜 花 学 園 大 学 人 文 学 部 研 究 紀 要 編 集 委 員 会 編 2004 年 頁 21 英 修 道 明 治 外 交 史 東 京 : 至 文 堂 1960 年 頁 22 信 夫 清 三 郎 日 本 外 交 史 第 1 巻 頁 19

21 べからず と 主 張 し 前 二 者 ができないとすれば 日 本 が 直 接 台 湾 を 占 領 する 以 外 にない が その 機 会 は 求 めずして 今 まさに 熟 し ている ここで 研 究 書 とういよりむしろ 回 想 録 に 近 い 明 治 十 五 年 朝 鮮 事 變 と 花 房 公 使 とい う 著 書 について 言 及 したい これを 自 費 出 版 した 武 田 勝 蔵 (1929) 23 は 花 房 太 郎 24 と 巡 り 合 い 明 治 15 年 の 朝 鮮 事 変 についての 花 房 義 質 の 言 葉 を 追 想 する 一 資 料 とした 武 田 は 花 房 家 の 秘 蔵 の 史 料 花 房 義 質 自 身 花 房 太 郎 父 の 武 田 尚 久 水 三 郎 など 明 治 15 年 の 朝 鮮 事 変 のその 他 の 目 撃 者 の 証 言 や 回 顧 の 資 料 集 を 作 成 した 残 念 ながら 史 料 の 解 説 は ほとんど 欠 けているが 明 治 15 年 朝 鮮 事 変 の 経 緯 の 記 述 はこの 事 変 の 観 察 に 有 益 な 資 料 収 集 であったと 指 摘 すべきである 専 門 書 ではなく 一 般 向 けの 書 である 犬 塚 孝 明 (2006) 25 の ニッポン 青 春 外 交 官 で は 花 房 の 活 動 を 極 めて 高 く 評 価 し 日 露 国 境 交 渉 の 鍵 をにぎる 人 物 だとしている 交 法 学 末 ダ 開 明 ナラズ という 章 では 花 房 子 爵 の 第 一 期 ロシア 滞 在 を 話 題 にし 彼 のロシア での 活 動 に 触 れている 最 初 の 一 節 では 花 房 義 質 の 抱 えた 日 本 の 難 題 について 述 べ 花 房 の 活 動 その 問 題 に 対 しての 主 張 について 考 察 している 1873 年 9 月 22 日 に 一 等 書 記 官 を 兼 任 することになった 外 務 大 丞 の 花 房 はロシアへ 向 か うことになった さらに 12 月 に 臨 時 代 理 公 使 を 命 じられる 政 府 が 花 房 の 派 遣 を 急 いだ のは 前 年 六 月 に 起 こったマリアルース 号 事 件 の 仲 裁 をロシア 皇 帝 アレクサンドル 二 世 に 依 頼 するためだけではなく 樺 太 をめぐる 問 題 のためでもある 犬 塚 孝 明 が 指 摘 するよう に 日 本 政 府 はロシアとの 国 境 交 渉 には 北 方 領 土 に 詳 しい 一 級 の 人 物 を 充 てる 必 要 がある と 考 えていた 犬 塚 は 従 来 は 花 房 が 国 境 交 渉 に 関 しては 傍 観 者 的 な 立 場 にいたとされ てきたが 実 際 花 房 は 国 境 交 渉 の 成 功 に 関 して 重 要 な 準 備 を 行 ったと 指 摘 している 花 房 は 臨 時 代 理 公 使 の 資 格 を 与 えられ 国 境 交 渉 のお 膳 立 てをしなければならなくなった 日 本 政 府 は 樺 太 問 題 はアジア 政 策 の 一 環 と 考 えており 当 時 樺 太 放 棄 論 が 普 及 し 開 拓 中 判 事 榎 本 武 揚 はその 支 持 者 の 一 人 であった 彼 は 後 に 1874 年 ( 明 治 7)1 月 駐 露 特 命 全 権 公 使 となり 樺 太 千 島 交 換 条 約 の 締 結 に 尽 力 する その 頃 花 房 は 多 忙 な 日 々 23 武 田 勝 蔵 明 治 十 五 年 朝 鮮 事 變 と 花 房 公 使 東 京 : 武 田 勝 蔵 1929 年 24 はなぶさ たろう ( ) 明 治 6 年 4 月 19 日 生 まれ 花 房 義 質 の 長 男 巡 洋 艦 阿 蘇 などの 艦 長 皇 族 付 武 官 などをつとめ 大 正 10 年 海 軍 少 将 14 年 貴 族 院 議 員 昭 和 7 年 8 月 22 日 死 去 60 歳 岡 山 県 出 身 海 軍 兵 学 校 卒 25 犬 塚 孝 明 ニッポン 青 春 外 交 官 頁 20

22 を 送 っていた マリアルース 号 事 件 の 仲 裁 について 皇 帝 が 正 式 に 受 諾 した 旨 ロシア 外 相 ゴルチャコフとのやりとり 公 使 館 の 建 物 探 しを 初 めとする 細 かい 問 題 などの 解 決 のた め 飛 び 回 った 7 月 に 榎 本 は 皇 帝 アレクサンドル 二 世 に 謁 見 し 花 房 は 臨 時 代 理 公 使 の 任 を 解 かれたが 花 房 は 帰 国 しないことを 決 め 外 交 官 としてもう 少 し 自 由 に 勉 強 もしてみ たい( 中 略 ) 今 の 日 本 にとって 必 要 なのは 国 際 社 会 で 通 用 する 外 交 官 を 養 成 すること であると 述 べた 1875 年 ( 明 治 8 年 )5 月 7 日 特 命 全 権 大 使 榎 本 武 揚 とロシア 全 権 ゴル チャコフ 首 相 との 間 で 樺 太 千 島 交 換 条 約 が 締 結 された この 条 約 によって 日 露 通 好 条 約 で 両 国 民 混 住 の 地 とされた 樺 太 全 島 はロシア 領 となり その 代 りに ロシア 領 であ った 千 島 諸 島 ( 得 撫 島 から 占 守 島 までの 18 島 )が 日 本 の 領 土 となった 日 本 の 樺 太 放 棄 は ロシアに 好 印 象 を 与 え 皇 帝 アレクサンドル 二 世 は 5 月 29 日 仲 裁 に 関 わっていたマリ アルース 号 事 件 についても 日 本 政 府 には 何 の 責 任 もない との 判 決 を 下 した 日 本 外 交 の 勝 利 であった マリアルース 号 事 件 とロシアとの 国 境 問 題 が 解 決 したことで 花 房 の 気 持 ちも 安 堵 した 犬 塚 は 国 家 が 安 定 し その 力 を 西 南 に 用 いる ことができるという 記 述 は 対 朝 鮮 問 題 のことを 指 し ロシアからの 脅 威 が 無 くなったことを 意 味 していると 指 摘 している さらに 犬 塚 は 1870 年 代 の 日 露 関 係 において 花 房 の 貢 献 が 非 常 に 大 きいと 指 摘 している アジア 外 交 の 季 節 という 章 で 花 房 は 西 南 外 交 に 積 極 的 に 携 わること について 説 明 している 1876 年 に 日 朝 修 好 条 規 の 調 印 後 日 本 政 府 は 積 極 外 交 に 転 換 し 外 務 省 七 等 出 仕 近 藤 真 鋤 を 釜 山 の 管 理 官 ( 領 事 )に 任 じ 花 房 に 同 行 監 督 を 命 じた 花 房 は 釜 山 に 日 本 人 居 留 地 を 設 けることを 提 案 し 朝 鮮 側 の 了 承 を 得 た 西 南 戦 争 の 終 結 後 花 房 は 再 び 朝 鮮 行 きを 命 じられた 官 位 は 外 務 大 書 記 官 兼 任 の 代 理 公 使 である 日 朝 修 好 条 規 に 基 づき 公 使 を 首 都 漢 城 に 駐 留 できるように 交 渉 すべしという 外 務 卿 訓 令 が 出 され た さらに 江 華 府 近 辺 の 二 港 を 新 たに 開 港 させることについて 全 力 を 尽 くしてほしいと 命 じられる やがて 花 房 は 釜 山 に 日 本 人 居 留 地 を 設 けることを 提 案 し そこで 租 界 地 が 設 置 され 1880 年 5 月 に 日 本 は 元 山 の 開 港 を 実 現 し 釜 山 と 同 様 に 居 留 地 を 設 置 するこ とを 成 功 させた 1881 年 花 房 は 弁 理 公 使 として 朝 鮮 政 府 と 交 渉 を 行 い 仁 川 開 港 の 受 諾 を 得 公 使 のソウル 駐 留 を 認 める 確 約 も 取 り 付 けたと 犬 塚 は 述 べている そして 1882 年 の 壬 午 事 件 後 花 房 は 日 本 の 駐 兵 権 を 規 定 した 済 物 浦 条 約 を 締 結 し このことによって 戦 争 の 危 機 を 避 け 日 本 は 大 陸 へ 進 出 する 土 台 を 作 ることができたと 犬 塚 は 指 摘 し 日 本 の 対 朝 鮮 政 策 の 矛 盾 した 本 性 と 花 房 の 見 解 について 論 じた その 見 解 とは 犬 塚 によれば 朝 鮮 独 立 援 助 論 を 維 持 していた 日 本 のエリートが 朝 鮮 における 清 国 の 宗 主 権 を 認 めなが 21

23 ら 朝 鮮 の 独 立 を 維 持 していくことが 論 理 的 矛 盾 であると 気 付 いた 点 である そのうちの 一 人 が 花 房 義 質 であった 彼 はこうしたジレンマの 解 決 方 法 は 武 力 によってのみであると 考 え こうした 結 論 は 花 房 が 列 強 国 のパワー ポリティクスの 現 場 をよく 理 解 していたか らであると 犬 塚 は 論 じている そして 犬 塚 は 済 物 浦 条 約 締 結 を 得 るために 花 房 が 清 国 に 圧 力 をかけた 行 動 などを 考 察 した 結 果 として 1883 年 に 駐 露 公 使 となった 花 房 は 大 陸 政 策 に 対 して 強 硬 論 を 唱 えたと 結 論 を 導 いている 日 本 外 交 史 (1970) 26 では 条 約 改 正 問 題 に 関 する 花 房 公 使 の 役 割 が 特 に 重 要 視 され ている その 他 第 一 次 訪 露 期 の 活 動 についても 言 及 されている 花 房 は 明 治 7 年 駐 露 代 理 公 使 として 公 館 を 開 設 し 同 月 30 日 皇 帝 に 謁 見 し マリアルース 号 事 件 の 仲 裁 の 旨 を 言 上 したところ 皇 帝 は 双 方 に 偏 頗 のない 裁 半 をしなければならないと 述 べた と 指 摘 され 少 なくとも マリアルース 号 事 件 に 関 する 交 渉 の 中 心 的 な 人 物 であったと 評 価 さ れている そして 同 書 では 花 房 はロシアにおける 駐 在 期 間 中 第 一 に 不 平 等 条 約 改 正 問 題 に 携 わったことについて 解 明 されている 1880 年 6 月 に 井 上 外 務 卿 は 在 露 独 墺 洪 各 公 使 に 対 し 交 渉 の 全 権 委 員 を 派 遣 するようにと 訓 令 し 改 正 条 約 及 び 付 録 の 文 書 を 交 付 した その 後 1881 年 に 最 初 の 条 約 改 正 予 議 会 が 開 かれ 次 いで 1882 年 1 月 に 再 び 開 かれた 井 上 外 務 卿 を 議 長 とし ロシア イギリス フランス ドイツ イタリア アメ リカ オランダ 八 ヶ 国 の 全 権 委 員 出 席 の 上 開 催 された その 改 正 予 議 会 について 1883 年 12 月 に 条 約 改 正 ニ 関 スル 露 国 政 府 ノ 内 意 という 覚 書 27 で 花 房 はロシア 政 府 が 内 密 に その 意 図 を 通 知 したと 言 及 している 上 記 の 先 行 研 究 を 踏 まえた 結 果 第 二 次 駐 露 時 代 の 花 房 の 活 動 の 先 行 研 究 は 彼 が 条 約 改 正 問 題 にかかわったことについては 存 在 するが 中 央 アジアめぐる 英 露 関 係 バルカン 問 題 をめぐる 欧 州 列 強 国 の 態 度 に 関 する 花 房 義 質 の 公 式 文 書 についての 先 行 研 究 はとくに 見 当 たらなかった 1.3 花 房 義 質 の 第 二 次 駐 露 時 代 ( 年 )の 資 料 紹 介 花 房 義 質 の 第 二 次 駐 露 時 代 ( 年 )の 活 動 を 明 らかにするための 史 料 として 第 一 に 彼 が 残 した 公 式 外 交 文 書 に 注 目 する 必 要 がある 周 知 の 通 り この 時 代 の 公 式 史 26 鹿 島 平 和 研 究 所 編 日 本 外 交 史 第 2 巻 頁 27 日 本 外 交 文 書 明 治 期 第 16 巻 外 務 省 編 纂 東 京 : 巌 南 堂 書 店 1996 年 22

24 料 は 一 部 が 外 務 省 編 纂 の 日 本 外 交 文 書 で 以 前 から 公 表 されており その 他 の 未 刊 の 毛 筆 で 書 かれた 史 料 は 国 立 公 文 書 館 外 交 史 料 館 などに 所 蔵 されている 花 房 義 質 特 命 全 権 公 使 関 係 の 文 書 は その 一 部 が 戦 災 を 免 れていることが 明 らかになっているが 28 現 在 は 日 本 国 内 のいくつかの 文 書 館 に 離 散 して 保 管 されている 上 記 に 指 摘 した 場 所 以 外 に 北 海 道 大 学 スラブ 研 究 所 所 東 京 都 立 大 学 附 属 図 書 館 宮 内 庁 書 陵 部 岡 山 県 立 記 録 資 料 館 などが 挙 げられる 1883 年 年 に 残 された 史 料 はいくつかのカテゴリーに 分 類 できる 本 研 究 の 課 題 と の 関 連 では 第 一 に 幾 つかの 公 式 外 交 文 書 が 注 目 に 値 する 1884 年 のメルフ 地 方 のロシア による 併 合 の 件 の 報 告 1885 年 ペンジェ 事 件 関 係 の アフガン 近 況 論 第 年 7 月 -8 月 にわたる 同 件 の 数 枚 の 報 告 そして 1885 年 末 年 初 めのブルガリア 変 革 に 関 する 第 4 10 の 報 告 書 である 29 第 二 の 大 きなカテゴリーは 日 記 及 び 回 想 録 である たとえば 筆 者 が 北 海 道 で 調 査 した 1883 年 5 月 から 1885 年 にかけての 毎 日 の 記 録 となるス ラブ 研 究 所 所 蔵 明 治 16 年 17 年 18 年 が 挙 げられる 毎 日 の 詳 細 な 記 録 以 外 に メモ 式 及 び 雑 記 帳 での 形 の 日 記 も 残 されており 外 交 史 料 館 所 蔵 の 明 治 16 年 露 国 赴 任 途 上 ノ 日 誌 及 感 詩 集 同 館 所 蔵 の 瑞 典 諾 威 国 旅 行 日 記 明 治 17 年 露 都 滞 在 日 記 明 治 18 年 露 都 滞 在 中 日 記 露 国 より 帰 朝 の 途 中 における 旅 日 記 かへり みちくさ( 其 一 ) ( 其 二 ) ( 其 三 ) ( 其 四 ) は 筆 者 自 らが 確 認 した さらに もう 一 つの 有 益 な 史 料 は 1913 年 に 花 房 の 古 稀 の 祝 にあたって 黒 瀬 義 門 が 花 房 の 人 生 を 語 ったこと を 記 録 した 子 爵 花 房 義 質 君 事 略 は 彼 の 回 想 録 である さらに 海 外 駐 留 していた 花 房 は 日 本 の 家 族 友 人 と 文 通 し 私 的 な 内 容 に 限 らず 政 治 的 意 味 を 持 つ 言 及 も 書 簡 では 見 られ これも 重 要 な 史 料 となる 花 房 関 連 の 文 書 の 書 簡 は 東 京 都 立 大 学 付 属 図 書 館 を 中 心 に 約 2000 点 が 所 蔵 されている その 多 くは 伊 藤 博 文 榎 本 武 揚 を 初 めとする 当 時 の 卓 越 した 人 物 との 定 期 的 な 文 通 である 特 に 本 研 究 の 対 象 時 期 である 1883 年 年 については 日 本 外 務 卿 井 上 馨 1882 年 年 に 在 墺 国 公 使 であった 上 野 景 範 1874 年 以 降 約 10 年 間 駐 ドイツ 全 権 公 使 を 勤 務 した 青 木 周 蔵 年 に 駐 米 特 命 全 権 公 使 を 務 めた 寺 島 宗 則 などとの 書 簡 が 残 されている これらの 日 記 及 び 回 想 録 書 簡 のより 詳 細 で 本 格 的 な 分 析 は 別 稿 に 委 ねるが 本 稿 では 適 宜 それら の 記 録 から 得 られる 情 報 も 盛 り 込 んでいきたい 第 二 次 駐 露 時 代 ( 年 )の 花 房 28 桜 井 義 之 花 房 義 質 代 理 公 使 入 京 路 程 概 測 図 について 363 頁 29 附 録 2-11 を 参 照 23

25 を 考 察 するために メルフ 地 方 の 併 合 ペンジェ 事 件 ブルガリア 変 革 に 関 する 花 房 義 質 の 公 式 文 書 を 分 析 し 彼 の 活 動 について 論 じる 即 ち 歴 史 学 的 な 研 究 手 法 によって 花 房 の 活 動 の 詳 細 を 明 らかにしたい 1.4 第 二 次 駐 露 時 代 初 期 ロシアへの 渡 航 花 房 義 質 は 赴 任 先 ロシアへ 渡 航 するため 1883 年 3 月 17 日 に Tamis 号 で 東 京 を 出 発 し 広 東 香 港 サイゴン シンガポール コロンボ そしてヨーロッパのイタリア フ ランス ドイツ 等 を 経 て 1883 年 5 月 9 日 にロシアに 到 着 した そして ロシアに 到 着 す るにあたって 国 書 の 提 出 等 をしなければならなかった 新 日 本 公 使 は 1883 年 5 月 16 日 ロシア 皇 帝 であったアレクサンドル 三 世 30 に 謁 見 することになる その 謁 見 に 関 して 日 本 政 府 に 報 告 書 が 送 られている 本 報 告 は 明 治 16 年 (1883 年 )8 月 8 日 に 太 政 大 臣 三 條 實 美 に 上 申 されたものである 31 本 報 告 は 1883 年 5 月 16 日 に 行 われた 花 房 義 質 のロシア 皇 帝 アレクサンドル 三 世 との 謁 見 を 詳 細 に 描 いている まず 本 月 十 三 日 外 務 卿 ヨリ 来 ル 十 六 日 正 十 二 時 ガッチナノ 離 宮 ニ 於 テ 謁 見 ヲ 賜 ルヘキ 旨 報 知 アリ つまり 1883 年 5 月 13 日 に 地 元 の 外 務 省 から 事 前 連 絡 が 入 り 場 所 はガッチナ 離 宮 と 明 記 されている 実 は アレクサンドル 三 世 は 離 宮 と してはツァールスコエ セローよりもガッチナ 宮 殿 を 好 み サンクト ペテルブルグには ほとんどいなかった 32 そして 十 六 日 山 内 書 記 官 ヲ 連 レ 午 前 十 時 ノ 汽 車 ニテ 都 府 ヲ 發 シ ( 中 略 ) 扣 ノ 間 ( 三 間 計 )ニ 案 内 此 ニテ( 中 略 ) 同 処 ニ 内 外 國 人 ノ 謁 見 スル 者 數 十 人 待 合 ヘリ と 記 述 されている つまり 謁 見 の 当 日 に 日 本 公 使 館 山 内 書 記 官 33 と 共 にガッチナ へ 向 かう 汽 車 に 乗 り 到 着 後 控 えの 間 ( 三 間 計 34 )にて 謁 見 に 訪 れた 10 人 余 りの 外 国 人 と 同 様 に 謁 見 の 案 内 を 待 った 謁 見 の 内 容 に 関 しては 以 下 のように 記 述 されている 暫 クシテ 式 部 頭 ノ 通 知 ニ 従 ヒ 書 記 官 ヲ 此 所 ニ 残 シ 置 キ 奥 ノ 間 ニ 進 入 スレハ 露 帝 陛 下 箪 身 書 机 ノ 傍 ニ 立 御 アリ 一 拝 ノ 後 進 テ 30 在 位 年 31 附 録 1 を 参 照 32 デヴェイッド ウオーンズ ロシア 皇 帝 歴 代 誌 東 京 : 創 元 社 2001 年 253 頁 33 山 内 勝 明 ( 勝 則?)は 年 ペテルブルグ 公 使 館 の 書 記 官 となっている Lensen, Japanese Diplomatic, p 控 の 間 は 三 間 計 つまり 3 部 屋 豪 勢 な 皇 帝 陛 下 に 関 する 仕 草 には 総 て 敬 語 を 使 う 24

26 御 前 ニ 至 レハ 帝 モ 一 歩 ヲ 進 ミテ 握 手 シ 健 康 来 着 ヲ 歓 フト 御 詞 アリ 此 是 両 國 交 際 ノ 益 親 密 ナ ルヲ 賀 シ 有 栖 川 殿 下 ノ 受 セラレタル 對 遇 ヲ 謝 シ 皇 帝 陛 下 ノ 萬 壽 ヲ 祝 シ 先 ツ 柳 原 公 使 召 還 ノ 御 書 ヲ 呈 シ 更 ニ 本 官 就 任 ノ 御 信 書 ヲ 呈 ス 帝 亦 有 栖 川 殿 下 ノ 御 来 遊 ハ 今 ニ 至 ルマデ 最 両 國 懇 交 ノ 好 記 念 タリ つまり 式 部 頭 の 指 示 に 従 い 山 内 書 記 官 を 控 の 間 に 残 して 奥 の 間 に 入 ると ロシア 皇 帝 陛 下 がお 一 人 書 斎 机 の 傍 に 立 っておられた 私 が 一 礼 して 皇 帝 の 前 に 進 むと 皇 帝 も 一 歩 前 に 踏 み 出 して 握 手 の 手 を 差 し 伸 べられ 挨 拶 を 申 し 上 げると 私 は 両 国 の 交 際 が 益 々 親 密 になる 事 をお 祈 りしていること また 有 栖 川 殿 下 の 受 けられた 待 遇 や 歓 迎 について 感 謝 致 していることを 申 し 上 げた それに 対 してロシア 皇 帝 は 有 栖 川 殿 下 の 御 来 遊 は 両 国 懇 交 の 最 も 好 ましい 記 念 となる 出 来 事 であるとおっしゃられた そし て 花 房 は 柳 原 公 使 の 召 還 に 関 する 書 類 と 自 分 の 就 任 に 関 する 国 書 を 提 出 した ここで 花 房 が 赴 任 したころの 日 露 関 係 の 特 徴 について 幾 つか 説 明 する 必 要 があるだろ う 1875 年 の 樺 太 千 島 交 換 条 約 締 結 から 日 清 戦 争 にかけての 時 期 (1875 年 ~1894 年 )は 朝 鮮 問 題 をめぐる 当 時 のロシア 日 本 清 国 の 関 係 そして 朝 鮮 問 題 に 関 わった 大 国 の 態 度 等 をロシアが 真 剣 に 観 察 し 1880 年 代 の 初 頭 ロシアは 極 東 に 対 しては 現 状 維 持 を 目 指 していた その 理 由 は 第 一 に ロシアの 経 済 面 での 立 ち 遅 れ そして ロシアの 極 東 領 土 における 軍 事 力 と 資 金 不 足 その 地 域 の 遠 離 性 交 通 路 が 困 難 であったなどという 点 であ る 1883 年 から 1884 年 にわたってロシア 政 府 は ダヴィドフ 駐 日 ロシア 特 命 全 権 公 使 に 与 えられた 訓 令 に 記 述 されているように 日 本 との 政 治 的 関 係 を 非 常 に 重 視 し 日 露 間 で は 対 立 する 利 害 が 存 在 しない と 考 えた そして ロシアの 太 平 洋 への 出 口 をコントロ ールしている 日 本 の 戦 略 的 存 在 の 重 大 さを 考 慮 に 入 れ ロシア 側 は 敵 意 に 満 ちた 他 国 に よる 何 らかの 影 響 の 排 除 そして 日 本 におけるロシアの 影 響 力 の 強 化 を 狙 っている とロ シアの 対 日 政 策 の 課 題 を 明 かし 条 約 改 正 問 題 に 関 するロシア 政 府 の 態 度 は 極 めて 協 力 的 であり 日 露 条 約 は 改 正 すべきものであると 認 めた 実 際 には 日 露 間 の 貿 易 流 通 総 額 は 比 較 的 大 したことのない 程 度 であったため 不 平 等 条 約 の 維 持 はロシアにとって 不 利 であ ったと 指 摘 すべきである たとえば 1870 年 代 後 半 年 代 の 初 めにかけての 日 露 間 の 流 通 総 額 は 日 本 にとっては 依 然 として 黒 字 であった 1878 年 年 の 間 ロシアに 対 する 日 本 の 輸 出 総 額 は 6 万 5 千 円 から 10 万 円 まで 増 加 していたが ロシアからの 輸 入 総 額 は 1 万 円 から 1 万 8 千 円 の 増 加 に 止 まっていた 1880 年 代 ロシアにとっては 日 本 との 貿 易 は 絶 えず 赤 字 だったが 灯 油 販 売 開 始 によって 1890 年 代 にはロシア 側 の 貿 易 赤 字 は 徐 々 に 減 少 していく さらに 1891 年 のシベリア 鉄 道 建 設 開 始 は ロシア 極 東 地 域 における 産 25

27 業 農 業 商 業 等 の 発 展 の 刺 激 となるばかりでなく それに 関 連 して 日 露 貿 易 にも 強 いイ ンパクトを 与 えた ロシア 極 東 と 商 談 する 商 社 が 相 次 いで 設 けられ 日 本 側 はウラジオス トクとの 貿 易 を 進 める 目 的 で 宮 津 湾 を 1893 年 に 開 湾 した 35 条 約 改 正 問 題 以 外 に 両 国 の 皇 室 の 交 流 という 1880 年 年 代 の 日 露 関 係 おけるも う 一 つの 重 要 な 側 面 がある 皇 族 交 流 の 先 駆 者 となった 有 栖 川 熾 仁 親 王 は 日 本 の 皇 族 第 一 人 者 として 明 治 天 皇 から 絶 大 な 信 任 を 受 けていた 明 治 15 年 (1882 年 )ロシア 帝 国 の 首 都 であるサンクト ペテルブルグで 行 われるアレクサンドル 三 世 の 即 位 式 に 天 皇 の 名 代 として 出 席 する 予 定 であったが 即 位 式 が 延 長 されたにもかかわらずロシアを 訪 問 した 訪 問 中 に 尊 敬 の 印 として 冬 宮 に 宿 泊 し ニコライ 皇 太 子 ( 後 のニコライ 二 世 )に 大 勲 位 菊 花 章 を 贈 った また ペテルブルク 大 学 を 見 学 した 際 東 洋 学 部 に 何 百 冊 かの 個 人 蔵 書 を 寄 付 した 帰 路 には 欧 州 諸 国 アメリカ 合 衆 国 を 歴 訪 した ロシアでの 温 かい 歓 迎 に 対 す る 感 謝 の 印 として 日 本 の 天 皇 は 有 栖 川 熾 仁 親 王 の 訪 問 歓 迎 に 関 わった 全 員 に 日 本 の 勲 章 を 贈 った この 日 本 皇 族 代 表 の 訪 問 は 両 国 において 歴 史 上 の 重 要 な 出 来 事 となった 1880 年 年 代 にわたって 日 露 間 の 皇 族 交 流 は 盛 んであった 1886 年 年 の 欧 米 歴 訪 を 皮 切 りに 小 松 宮 彰 仁 親 王 夫 婦 がペテルブルグを 訪 問 した 際 アレクサンドル ネフ スキー 勲 章 が 贈 られ ニコライ 皇 太 子 と 会 談 した 2 年 後 有 栖 川 宮 威 仁 親 王 ( 有 栖 川 熾 仁 親 王 の 弟 )は 欧 州 各 国 の 船 隊 を 見 学 するという 目 的 でペテルブルグを 訪 れ そこで 海 軍 設 備 海 軍 兵 学 校 などを 見 学 し ロシア 皇 族 に 日 本 皇 族 からの 記 念 品 を 贈 呈 した そし て 日 清 戦 争 直 前 の 1894 年 2 月 海 軍 士 官 であった 小 松 宮 依 仁 親 王 ( 小 松 宮 彰 仁 親 王 の 養 子 )は サンクト ペテルブルグを 訪 問 した 1880 年 年 代 にわたってロシア 皇 族 の 第 一 人 者 らは 返 礼 訪 問 をしていた 1887 年 にアレクサンドル ミハイロビッチ 大 公 (アレクサンドル 三 世 の 兄 弟 )が 長 崎 を 訪 問 そして 1891 年 の 日 本 訪 問 中 に 大 津 事 件 に 巻 き 込 まれたロシア 皇 族 の 大 人 物 というの はニコライ 皇 太 子 である 1892 年 の 駐 日 ロシア 公 使 交 替 36 の 際 新 しく 任 命 されるヒトロ ボ 公 使 に 与 えられた 訓 令 により ロシアの 対 日 本 方 針 の 基 本 原 理 は 定 式 化 された その 原 理 とは 対 中 国 対 日 本 の 関 係 は 極 めて 重 要 であり さらに 日 本 の 海 港 はロシア 海 軍 に とって 保 護 所 であり その 際 すべての 必 需 品 を 供 給 される 所 であるという 評 価 が 一 般 的 で 35 Штейнгауз А.И. Русско-японские торгово-экономические отношения ( )// Россия и политика держав в странах Востока, Иркутск, C シェービチ 公 使 ( 在 務 期 間 年 )(Дмитрий Егорович Шевич) に 代 わってヒト ロボ( 在 務 期 間 年 )(Михаил Александрович Хитрово )が 任 命 される 26

28 あったからである 37 よって 1882 年 の 有 栖 川 熾 仁 親 王 のロシア 訪 問 にあたって ロシア 皇 帝 に 厚 遇 されたこ とに 対 するお 礼 を 述 べながら 花 房 は 日 露 関 係 が 友 好 であることを 公 式 に 将 来 の 希 望 と して 述 べた また 花 房 は 新 来 公 使 ノ 旧 知 人 タル 亦 是 可 喜 ノ 一 事 ナリ 等 ノ 意 ヲ 述 ラレ 尚 朝 鮮 昨 年 ノ 変 及 現 今 ノ 模 様 御 尋 アリ 簡 略 ニ 数 語 ノ 奉 答 ヲ 為 シテ 退 ヲ 乞 フトキ 更 ニ 両 国 懇 交 ノ 益 々 深 カ ランコトヲ 望 ム 旨 御 詞 アリ と 記 録 している つまり 皇 帝 陛 下 は 新 任 公 使 の 私 が 旧 知 だったとは 誠 に 喜 ばしい 限 りだと 仰 せられた と 花 房 は 述 べている 実 は 上 記 に 指 摘 されているように 花 房 の 第 一 訪 露 時 期 は 1873 年 9 月 から 1876 年 10 月 までにあたり そ の 間 花 房 はロシア 皇 帝 アレクサンドル 二 世 へ 日 本 政 府 からのマリアルース 号 事 件 仲 裁 の 依 頼 に 関 する 交 渉 をし 1875 年 樺 太 千 島 条 約 の 重 要 な 準 備 作 業 も 行 った そいう 意 味 で は ロシア 外 交 問 題 などに 馴 染 んだ 経 験 を 積 んだ 外 交 官 であり ロシアには 旧 知 であ った ともいえる また 1874 年 年 の 間 に 駐 在 した 日 本 公 使 21 人 の 内 花 房 を 含 めて 二 人 のみが 以 前 ロシアへ 外 交 官 として 渡 航 した 経 験 があった 38 という 事 は 本 研 究 にと っては 重 要 ではないが 興 味 深 い 事 柄 である その 上 ロシア 皇 帝 は 1882 年 の 朝 鮮 事 変 は 昨 今 どのような 状 況 かと 尋 ねられた こ の 件 について 簡 単 に 5 6 語 のお 答 えを 申 し 上 げ 辞 意 を 表 し 退 室 しようとした 時 皇 帝 陛 下 から 更 に 両 国 懇 交 が 益 々 深 まる 事 を 望 む 旨 のお 言 葉 があった と 花 房 は 語 っている 当 時 のロシアの 対 朝 鮮 の 態 度 を 考 慮 に 入 れると ロシア 皇 帝 の 朝 鮮 事 変 に 関 する 強 い 関 心 は 興 味 深 い 側 面 であると 指 摘 できるだろう 即 ち 1876 年 の 日 朝 修 好 条 約 締 結 後 朝 鮮 に 対 するロシアの 関 心 は 増 大 していたが 政 府 の 方 針 は 絶 えず 隣 国 としての 関 係 を 現 状 維 持 し 続 け 隣 接 している 国 家 の 保 安 と 防 護 に 協 力 していた だが 1882 年 の 壬 午 事 変 後 そ して 年 の 米 朝 英 朝 修 好 条 約 調 印 後 ペテルブルグ 府 の 対 朝 鮮 方 針 が 変 わ りはじめ その 結 果 1884 年 6 月 に 露 朝 修 好 条 約 が 締 結 され ソウルにロシア 公 使 館 が 設 置 される 39 そこで 1882 年 の 壬 午 事 変 の 渦 中 にいた 花 房 が ロシア 皇 帝 に 事 情 に 詳 しい 37 Кожевников. Российско-японские отношения в в.в. C Lensen, Japanese Diplomatic, p Хевролина В.М ред. История внешней политики России: вторая половина XIX в. (От Парижского мирного договора 1856 г. до русско-французского союза)., М.: Междунар.отношения, С ; Иванов И.С. ред. Очерки истории МИД, т.1., 27

29 人 物 と 見 られ 質 問 されるのは 当 然 である このような 会 話 はあくまでも 外 交 作 法 の 枠 組 みで 行 われるもので 本 研 究 にとって 重 要 な 点 とはならないかもしれないが 花 房 が 活 躍 していた 第 二 次 訪 露 時 代 の 特 徴 の 理 解 のためには 興 味 深 い 事 柄 であると 考 えられる 年 代 の 年 表 1883 年 1886 年 における 花 房 義 質 の 年 表 は 彼 が 残 した 各 種 の 歴 史 史 料 に 基 づいて 作 成 されたものである 用 いた 史 料 は 花 房 義 質 の 報 告 書 や 第 二 次 訪 露 に 関 する 公 式 文 書 41 そして 1883 年 ~1886 年 の 滞 在 中 に 彼 が 大 量 に 残 した 日 記 である 42 当 年 表 の 原 典 として 使 用 された 日 記 に 関 して 幾 つかの 点 について 解 説 する 必 要 があるだろう 1883 年 3 月 に 赴 任 使 命 を 受 けた 花 房 は 明 治 一 六 年 露 国 赴 任 途 上 の 日 誌 及 雑 感 詩 集 と いう 雑 記 帳 を 作 成 した そこには 1883 年 3 月 17 日 に 東 京 を 出 発 するという 記 録 があり 花 房 は 広 東 香 港 サイゴン シンガポール コロンボ そして 欧 州 のイタリア フラン ス ドイツ 等 を 経 由 して 1883 年 5 月 9 日 にロシアに 到 着 した そして ペテルブルグに 到 着 した 直 後 の 1883 年 5 月 16 日 ロシア 皇 帝 であったアレクサンドル 三 世 に 謁 見 する 43 ただし 北 海 道 大 学 スラブ 研 究 所 に 所 蔵 されている 明 治 16 年 は 花 房 義 質 本 人 の 日 記 とされているが 44 この 日 誌 は 1883 年 5 月 14 日 に 開 始 されている この 時 点 では 花 房 はロシアに 既 に 到 着 していた 日 誌 にはこの 日 付 で 巴 里 公 使 館 九 時 着 大 山 食 すロシア 書 状 差 し 出 す 光 明 寺 大 山 二 人 来 る と 記 録 されており 日 誌 の 著 者 はパ リに 滞 在 していたことが 明 らかになっている よって この 日 誌 の 著 者 は 不 明 であり 日 本 公 使 館 員 か 花 房 の 個 人 秘 書 のいずれかの 人 物 と 考 えられる 北 海 道 大 学 スラブ 研 究 所 に 所 蔵 されている は 3 冊 からなり 明 治 16 年 18 年 ( 年 )にわたって 記 録 がある 毎 日 の 出 来 事 来 客 の 記 録 各 組 織 への 訪 問 郵 便 受 取 送 М.:Олма пресс, 2002.С ; Нарочницкий А.Л. Международные отношения на Дальнем востоке. М.:Мысль, 1973,С 附 録 12 を 参 照 41 アフガン 近 況 論 第 2-4 太 政 官 記 録 1885( 明 治 18) 年 国 立 公 文 書 館 等 を 参 照 42 明 治 16 年 等 を 参 照 43 外 務 省 上 伸 在 露 国 特 命 全 権 公 使 花 房 義 質 同 国 皇 帝 陛 下 へ 謁 見 の 件 国 立 公 文 書 館 所 蔵 44 図 書 カタログ 上 の 書 誌 情 報 として 著 者 標 目 という 事 項 では 花 房 義 質 と 明 記 されて いる 28

30 付 等 が 記 載 され そのような 出 来 事 の 記 録 の 中 に 旦 那 様 義 質 様 両 人 といった 表 現 が 大 量 にある 即 ち その 3 冊 ともに 著 者 は 不 明 であり 筆 跡 が 多 少 異 なることが 明 らかになっているため 著 者 は 複 数 であり 日 本 公 使 館 員 と 考 えられる このように 1883 年 5 月 17 日 6 月 21 日 まで つまり の 著 者 ( 著 者 ら)がペテルブルグに 到 着 した 時 点 までの 花 房 の 活 動 滞 在 場 所 を 判 定 するのは 困 難 である ただし 明 治 16 年 では 1883 年 6 月 15 日 付 で 汽 車 で 公 使 とオーストリアへ 行 く と 記 載 されていることを 考 慮 に 入 れると その 公 使 とは 花 房 のことを 差 していると 考 えられ 花 房 はその 時 期 にヨーロッパに 渡 っていたと 考 えられる さらに 1882 年 7 月 1884 年 12 月 の 間 在 墺 国 公 使 であった 上 野 景 範 が 花 房 に 宛 てて 1883 年 5 月 21 日 付 で Hotel Dussaux,Moskow という 住 所 から 送 付 された 書 簡 に モ スコ 之 長 逼 留 ヲ 止 メ 候 可 成 ハ 速 ニ 当 府 江 御 出 当 府 江 モ 速 ニ 御 出 候 様 屈 指 相 待 候 45 と 書 かれていることを 考 慮 に 入 れると 1883 年 5 月 21 日 の 時 点 では 花 房 はモスクワに 滞 在 したと 考 えられるが 6 月 にヨーロッパに 渡 航 した 可 能 性 もあると 考 えられる いずれの 場 合 も 明 確 な 断 定 は 困 難 である 史 料 に 関 しては もうひとつ 解 明 すべき 点 が 存 在 する 明 治 16 年 では 1883 年 8 月 5 日 9 月 18 日 までの 期 間 スウェーデンでの 滞 在 記 録 がある さ らに 外 交 史 料 館 所 蔵 の 瑞 典 諾 威 国 旅 行 日 記 が 存 在 し その 日 記 に 関 して 紫 田 ( ) は 1885 年 8 月 4 日 10 月 31 日 という 日 付 を 明 記 した 明 治 16 年 の 1883 年 8 月 4 日 10 月 31 日 の 記 録 と 瑞 典 諾 威 国 旅 行 日 記 の 記 録 は 完 全 に 一 致 して いるため 瑞 典 諾 威 国 旅 行 日 記 は 1883 年 8 月 4 日 10 月 31 の 間 の 花 房 のスウェーデ ン 旅 行 及 びペテルブルグ 帰 着 後 の 活 動 の 記 録 であることは 明 らかである さらに 明 治 十 八 年 露 都 滞 在 中 日 記 の 著 者 は 1885 年 5 月 4 日 5 月 16 日 まで ス ウェーデンとノルウェーに 滞 在 していることが 明 らかになっており 同 じ 1885 年 5 月 4 日 5 月 16 日 まで の 著 者 はペテルブルグに 滞 在 し 花 房 のその 時 期 の 活 動 が 記 録 されていることを 指 摘 すべきであろう そして 駐 露 公 使 花 房 義 質 日 誌 では 1885 年 5 月 19 日 に 9 時 に 大 前 着 く と 記 録 されていること 45 附 録 13 を 参 照 46 紫 田 紳 一 花 房 義 質 関 係 文 書 について 外 交 史 料 館 報 第 7 号 1994 年 3 月 頁 但 し 瑞 典 諾 威 国 旅 行 日 記 は 1885 年 8 月 4 日 ~10 月 31 日 の 日 付 で 書 かれている 29

31 を 考 慮 に 入 れると 1885 年 にペテルブルグ 公 使 館 で 書 記 生 を 務 めた 大 前 退 藏 47 は スウェ ーデンとノルウェーに 出 張 し 明 治 十 八 年 露 都 滞 在 中 日 記 はその 旅 行 記 である 毛 筆 でかかれた 未 刊 の 史 料 となる 年 までの 日 記 を 解 読 した 結 果 を 踏 まえて 第 二 次 訪 露 時 代 ( 年 )の 花 房 の 交 流 相 手 についても 説 明 しておきたい 第 二 次 訪 露 時 代 ( 年 )に 花 房 と 接 触 した 人 物 たちはいくつかのカテゴリーに 分 類 でき る しかし 日 記 はあくまでも 内 部 用 メモとして 作 成 されたものであり 殆 どの 場 合 氏 名 や 苗 字 のみが 記 載 され 役 職 社 会 的 地 位 などは 明 記 されなかった 当 時 のロシア 政 界 では 貴 族 の 子 孫 の 多 くが 同 時 期 に 活 躍 していたため 48 名 前 と 父 称 が 明 記 されていない 限 り 断 定 は 極 めて 困 難 である 花 房 の 交 流 相 手 としては 第 一 に 1883 年 5 月 9 日 の 到 着 以 来 から 接 触 のあった 当 時 のロシア 外 相 ギールスを 初 めとする 現 地 (ロシア)の 外 務 省 の 官 僚 海 外 駐 在 ロシア 人 大 使 公 使 などが 挙 げられる 元 駐 日 公 使 スツルヴェ 49 駐 清 公 使 館 職 員 ビュツェフ 50 外 務 卿 補 佐 官 ヴランガリ 51 駐 ドイツロシア 大 使 欧 州 部 局 長 オステ ン サケン 52 駐 日 公 使 バロン ローゼン 53 駐 日 公 使 ダヴィトフ 54 駐 朝 ロシア 公 使 シェ ペアー55 ロシア 外 務 卿 補 佐 官 バロン ジョミニ 56 外 務 大 輔 アジア 局 長 ジノヴィエフ 57 同 副 長 バトルスキー 同 局 次 官 オエンスキー 外 務 卿 補 佐 官 ラムスドフ 58 プチャーチン Lensen, Japanese Diplomatic, p たとえば アンネンコフ イワン バシリヴィチ( ) 政 治 家 1867 年 以 降 ペテルブルグ 要 塞 司 令 官 アンネンコフ ミハイル ニコラエヴィチ( ) 陸 軍 将 軍 ザカスピ 州 の 鉄 道 建 設 工 事 長 49 スツルヴェ キリル バシリヴィチ 年 駐 日 ロシア 公 使 50 ビュツェフ エヴゲニー カルロヴィチ( ) 外 交 官 清 国 等 に 駐 在 した 51 ヴランガリ アレクサンドル ゲオルゲヴィチ( ) 外 交 官 年 駐 清 公 使 年 外 務 卿 補 佐 官 52 オステン サケン ニコライ ドミトリエヴィチ( ) 外 交 官 駐 ドイツロシ ア 大 使 を 務 めた 53 ローゼン ロマン ロマノヴィチ( ) 外 交 官 駐 メキーシコ 駐 日 公 使 を 務 めた 54 ダヴィトフ アレクサンドル ペトロヴィチ( ) 外 交 官 年 駐 日 公 使 を 務 めた 55 シェペアー アレクセイ ニコラエヴィチ 外 交 官 1884 年 以 降 駐 朝 ロシア 公 使 館 設 立 後 朝 鮮 駐 在 年 駐 朝 ロシア 公 使 56 ジョミニ アレクサンドル ゲンリホヴィチ( )ロシア 外 務 卿 の 補 佐 官 57 ジノヴィエフ イワン アレクセエヴィチ ( ) 年 ロシア 外 務 省 アジア 局 の 局 長 58 ラムスドフ ヴラジミール ニコラエヴィチ( ) 公 爵 政 治 家 外 交 官 年 外 務 卿 補 佐 官 59 プチャーチン エフィミー バシリヴィチ( ) 政 治 家 外 交 官 1855 年 日 露 通 商 条 約 締 結 にかかわる 30

32 外 務 省 職 員 パシコフ 外 務 省 職 員 ブロッセ 等 である 第 二 に ロシアに 駐 在 していた 欧 米 諸 国 アジアの 外 交 官 である 駐 露 イギリス 大 使 ト ルントン 駐 露 イギリス 代 理 公 使 ケネディ 駐 露 フランス 大 使 アべル 駐 露 フランス 大 使 館 の 書 記 官 サンシール 駐 露 ドイツ 公 使 シュワイニツ 駐 露 オーストリア 公 使 ギルデン 駐 露 スウェーデン 公 使 ドエ 駐 露 デンマーク 公 使 キュル ペルシア 領 事 ジャバルアリオフ 駐 露 アメリカ 公 使 駐 露 アメリカ 大 使 館 書 記 官 リルマ 駐 露 ポルトガル 公 使 バロン ド サント ポーランド 公 使 マゼル ルーマ 二 ア 公 使 クレツレスコらが 挙 げられる 第 三 に ロシアなどの 軍 人 である 陸 軍 大 臣 ワンノウスキー60 海 軍 大 将 海 軍 大 臣 シ ェスタコフ 61 陸 軍 中 将 チェルニャエフ 62 海 軍 中 将 ポシェット 63 ロシア 海 軍 大 将 アドミ ラール レスソースキー 海 軍 少 将 アバザ 64 陸 軍 中 将 リヒテル 陸 軍 大 佐 レベデフなど 第 四 に 当 時 のロシアの 行 政 界 政 界 宮 内 省 等 及 び 様 々な 民 間 企 業 の 人 物 である ガ リーチン 65 モスクワ 知 事 ゼネラール ドルゴルギー モスクワ 知 事 ペルフィリエフ ニ ジニー ノブゴロド 州 知 事 ゼネラル バラノフ 式 部 頭 スチュルメル モスクワ 美 術 館 長 バロン フュルレル 式 部 頭 ドルゴルキー 宮 内 省 のダシコフ ヒリャコフ 鉱 山 博 物 館 長 勅 使 コント キセリョフ コチュベー66 アンネンコフ 67 など 第 五 に 医 師 女 史 絵 画 の 教 師 など その 他 のサービス 係 である 医 者 リーヴェン 女 史 モーロ( モロー モロウ 等 の 表 記 もある) 絵 画 教 師 ペレンスなど 60 ワンノウスキー ピョトル セミョノヴィチ( ) 陸 軍 大 臣 61 シェスタコフ イワン アレクセーエヴィチ( ) 政 治 家 海 軍 大 将 年 ロシア 帝 国 海 軍 大 臣 を 勤 めた 62 チェルニャエフ ミハイル グリゴリエヴィチ( ) 陸 軍 中 将 1865 年 強 襲 してタシュケントを 占 領 した その 後 1875 年 に 反 トルコ 運 動 を 導 くセルビア 軍 の 司 令 官 となり 年 トルケスタン 州 の 知 事 を 務 めた 1884 年 以 来 軍 事 理 事 会 員 63 ポシェット コンスタンチン ニコラエヴィチ( ) 海 軍 中 将 年 プチャーチン 世 界 一 周 航 海 に 参 加 日 本 を 訪 れる 1855 年 に フリゲート 艦 ディアナ 号 で 日 本 の 二 度 目 の 訪 問 年 に 交 通 路 大 臣 年 に 行 われたペテルブル グ 新 港 の 工 事 長 64 アバザ アレクセイ ミハイロヴィチ( ) 政 治 家 海 軍 少 将 1880 年 代 シェスタコフ 海 軍 卿 の 同 行 で 極 東 の 港 一 周 航 海 で 参 加 旭 日 章 が 与 えられた 65?ガリーチン ニコライ ドミトリエヴィチ( ) 公 爵 政 治 家 年 アラハンゲルスク 州 の 福 知 事 その 後 内 務 省 の 経 済 局 の 福 局 長 等 を 務 めた 66?コチュベー ピョトル アルカデヴィチ( )ロシア 帝 国 技 術 協 会 の 会 長 を 務 めた 67?アンネンコフ イワン バシリヴィチ( ) 政 治 家 1867 年 以 降 ペテルブ ルグ 要 塞 司 令 官 31

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