秋 草 俊 一 郎 こに 瑕 瑾 があるにしても 4 ただただ 圧 倒 されてしまってもおかしくない もちろんナボコフの ベビーベッド 発 言 を 真 に 受 けるならば, 私 たちが 読 者 として 成 熟 しひとり 立 ちできるようになったあかつきには,この 注 釈 書 は 登 りきった 梯 子

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1 SLAVISTIKA XXIII (2007) ナボコフが 付 けなかった 注 釈 ナボコフ 訳 注 エヴゲーニイ オネーギン を 貫 く 政 治 的 姿 勢 について 秋 草 俊 一 郎 1 オネーギン 翻 訳 と 注 釈,この 仕 事 によってナボコフは 自 身 の 名 をただの 作 家 として ではなく, 優 れた 文 学 研 究 者 としても 文 学 史 に 刻 み 込 むことに 成 功 した 後 年, 彼 は 自 分 に 寄 せられた 反 論 に 詩 人 として 二 流 と 言 われればほほ 笑 んですますだろうが, 学 者 とし て 二 流 だと 言 われれば 持 っている 一 番 重 い 辞 書 に 手 を 伸 ばすだろう 1 と 答 えているが, この 並 外 れた 注 釈 の 出 版 以 後, オネーギン 研 究 を 志 す 人 間 ならその 存 在 を 無 視 するこ とはほとんど 不 可 能 になってしまった 実 際,ナボコフのあまりに 直 訳 的 な 翻 訳 のぎこち なさに 悲 鳴 をあげる 読 者 でも, 注 釈 書 のほうには 有 用 性 を 認 めないわけにはいかないよう だ ナボコフは 序 文 やインタヴューでこの 翻 訳 と 注 釈 を pony (Ⅰ x) 2 であり crib である 3 と 呼 んだ この 二 語 はスラングとして アンチョコ, 虎 の 巻 といった 意 味 を 持 ち,こ こでもその 用 法 で 用 いられている しかし 元 来 は 子 馬 ベビーベッド という 意 であ り,ナボコフの 言 葉 遊 び 好 きを 知 っているこちらとしては,そもそもの 意 味 のほうも 意 識 せざるをえない これは 一 見 ナボコフが 自 分 の 労 作 は 読 者 がロシア 語 に 親 しみ, 背 景 知 識 を 十 分 に 得 るまでの 間 の 代 替 品 に 過 ぎないと,がらにもなく 謙 遜 しているようにも 思 える が, 実 際 のところその 真 意 をよく 考 えてみれば, 謙 遜 の 意 よりも, 読 者 を 赤 ん 坊 扱 い しているだけな 感 は 否 めない こうした 尊 大 さ, 自 信 はいかにもナボコフらしいと 言 えそ うなものだが,そこに 詰 め 込 まれた 博 識 を 前 にして 圧 倒 されないものは 少 ないのではない だろうか ポーランド 語 訳 やドイツ 語 訳 など 自 分 に 参 照 できる 翻 訳 はすべてチェックする 初 雪 の 記 述 があれば,その 年 の 本 当 の 初 雪 はいつだったのかを 調 べる 文 学 的 アリュージ ョンに 関 する 膨 大 なリファレンス 衒 学 の 極 みとも 言 えるようなこの 仕 事 ぶりには そ 1 Vladimir Nabokov, Strong Opinions (New York: Vintage International, 1990), p 括 弧 内 引 用 は Aleksandr Pushkin, Eugene Onegin: A Novel in Verse (Princeton: Princeton UP, 1975)か らとし, 何 巻 かをローマ 数 字 で 付 記 することにする 3 My only ambition has been to provide a crib, a pony, an absolutely literal translation of the thing, with copious and pedantic notes whose bulk far exceeds the text of poem Nabokov, Strong Opinions, p

2 秋 草 俊 一 郎 こに 瑕 瑾 があるにしても 4 ただただ 圧 倒 されてしまってもおかしくない もちろんナボコフの ベビーベッド 発 言 を 真 に 受 けるならば, 私 たちが 読 者 として 成 熟 しひとり 立 ちできるようになったあかつきには,この 注 釈 書 は 登 りきった 梯 子 のように 投 げ 捨 てられるべき 存 在 のはずだ しかし,この 巨 大 な 注 釈 を 読 むというのはどういうこ となのであろうか 私 たちはナボコフがつぎからつぎへと 取 りだすものを 消 化 するのに 精 一 杯 で,そこに 欠 けているものを 意 識 することがない それゆえこの 書 物 を 傍 らにおいて 読 書 するものは,ミニチュアールもさながらの 注 釈 を 読 めば 読 むほどそれを 批 判 する 能 力 を 失 ってしまうのではないか ベビーベッドから 出 る,それはナボコフと 同 じ 地 面 に 立 っ てものを 言 えるようになることだが,いつしかベビーベッドの 中 で 読 者 としての 生 涯 を 終 えてしまうのではないか 青 白 い 炎 において 注 釈 者 キンボートの 注 釈 を 読 みふける 読 者 が,いつの 間 にか 架 空 の 王 国 ゼンブラの 幻 影 に 囚 われて, 本 体 であるはずのシェイドの 詩 青 白 い 炎 以 上 にそ の 内 容 に 魅 了 されてしまっているように,ナボコフの 注 釈 書 も オネーギン 探 求 の 目 的 でそれを 読 み 始 めた 読 者 の 心 を 捕 らえてしまいかねない 本 論 ではナボコフの オネーギ ン 注 釈 をナボコフ 研 究 の 文 脈 に 置 き, 5 そのことで 生 じる 問 題 点 について 論 じてみたい その 際 巨 大 な 注 釈 書 の すべて に 触 れることは 紙 幅 の 都 合 もあり 不 可 能 なので,ナボコ フの 政 治 意 識 に 関 するものを 中 心 に 扱 うことにする 2 いくつかの 論 文 がナボコフにおけるこの 領 域 にアプローチしているが,その 方 法 にはパ ターンがあった それは 長 編 断 頭 台 への 招 待 や ベンドシニスター などをソ 連 やナ チズムによる 独 裁 と 関 連 付 けて 論 じることである 6 だが,こうしたアプローチがどれだ 4 この 注 釈 書 の 一 般 的 に 述 べられている 長 所 短 所 を 含 む 評 価 については Alexander Dolinin, Eugene Onegin, in Vladimir E.Alexandrov, ed., Garland Companion to Vladimir Nabokov (New York: Garland, 1995), pp を 参 照 するのがわかりやすい 5 ニコラス O ウォーナーは 主 題 の 重 要 性 や 技 術 的 な 完 成 度 の 点 から 考 えても,こうした 短 い 注 をみると,ナボコフのより 長 い 脱 線 同 様, 私 たちは 彼 の 注 釈 を 慣 例 的 な 批 評 的 分 析 の 産 物 ではなく, クリエイティヴな 想 像 力 の 産 物 として 自 立 した 芸 術 作 品 であるとみなさざるをえない と 述 べ,そ れぞれの 注 釈 を 独 立 した 研 究 の 対 象 とすることを 主 張 している(Nicolas O. Warner, The Footnote as Literary Genre: Nabokov s Commentaries to Lermontov and Puškin, Slavic and East European Journal 30 (1986), p. 177)が,そのようにナボコフ 注 釈 を 作 品 としてその 解 釈 の 傾 向 を 分 析 したものとし て Leona Toker, Fact and Fiction in Nabokov s Biography of Abram Gannibal, Mosaic 22:3 (1989), pp や Vera Proskurina, Nabokov s Exegi Munumentum: Immortality in Quotation Marks (Nabokov, Pushkin and Mikhail Gershenzon), in Jane Grayson, Arnold McMillin and Priscilla Meyer, ed., Nabokov s World Volume2: The Shape of Nabokov s World (New York: Palgrave, 2001), pp があるが, 本 論 もそ こに 連 なる 6 たとえば Leona Toker, Who Was Becoming Seasick? Cincinnatus : Some Aspects of Nabokov s 60

3 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 けの 成 果 を 挙 げているのかということについては 疑 問 が 残 る 私 はナボコフの 政 治 観 はむしろ 作 品 よりも, 文 学 作 品 の 読 み 解 き 方 にこそ 見 いだしやす いのではないかと 思 う 特 にロシア 文 学 やソヴィエト 文 学 と 対 峙 したときにそれは 鮮 明 な ものになる 作 品 の 背 景 となっているロシアの 歴 史 や 当 時 の 政 治 状 況 について 言 及 する 機 会 が 多 くなるからだ 一 般 に,ナボコフは 文 学 における 政 治 性 を 蛇 蝎 のごとく 嫌 った 人 物 として 知 られている 彼 はゴーリキーなど 政 治 と 密 接 に 関 わった 作 家 を 生 涯 評 価 しなかっ たし, 文 学 にそのような 解 釈 が 行 われることにも 強 い 反 発 を 示 した あるインタヴューで 私 は 自 分 がなんの 社 会 的 な 主 張 をもたない 人 間 であることを 誇 りに 思 っている [ 中 略 ] 政 治 的 な 小 説 や 特 別 な 意 図 をもって 書 かれた 文 学 ほど 私 を 退 屈 させるものはない 7 と 述 べているほどである 序 文 で プーシキンの 作 品 は 第 一 に 文 体 の 現 象 である(Ⅰ 7) と 定 義 したナボコフは, オネーギン を 政 治 的 に 解 釈 しようとするソ 連 の 注 釈 者 たちに 対 して グロテスクだ と 攻 撃 的 な 態 度 を 表 明 している(Ⅱ 380) ナボコフはプーシキンがデカブリストの 乱 に 関 わっていたという 東 側 の 注 釈 者 に 対 して 異 を 唱 えている(Ⅲ 349)し,17 世 紀 のコサックの 反 乱 を 指 揮 したステンカ ラージンに 付 けられた 注 釈 ではソ 連 の 注 釈 者 たちに 皮 肉 を 言 っ ている(Ⅲ 279) 数 多 いプーシキニストの 中 で,ナボコフが 攻 撃 の 目 標 として 選 んだのは 先 行 して オネ ーギン 注 釈 書 を 執 筆 していたブロツキーであった もっとも,ブロツキーの 注 釈 はソヴ ィエトの 学 者 からも 行 きすぎである として 咎 められるほどの 内 容 であった 8 から,ナ ボコフの 舌 鋒 が 鋭 くなったのも 理 解 できないことではない だがその 批 判 の 口 調 はあまり に 辛 辣 で, 学 問 的 な 目 的 からは 外 れた 個 人 攻 撃 とさえ 映 ることも 少 なくない この 連 につけられたブロツキーの 注 釈 は 恥 知 らずなほど 醜 悪 である このソヴィエトのおべ っか 使 いは, 奴 隷 的 な 熱 心 さでプーシキンがまじめくさった 革 命 の 崇 拝 者 だったと 証 明 しよう として, 美 的 な あるいは テクスト 論 的 な 方 法 ではなく, 歴 史 的 な かつ イデオロギ ー 的 な ものを 適 用 しようとしているのだ (Ⅲ 363) テクストのあらゆるところからボリシェビズムを 引 き 出 そうとするブロツキーをナボ コフは 許 さない (Ⅱ 164, Ⅲ 160, 320) 注 釈 書 においてブロツキーに 代 表 されるソ 連 の 注 Treatment of the Communist Regime, in Nabokov: Autobiography, Biography and Fiction (Nice: Departement d etudes anglophones de la Faculte des lettres et sciences humaines de Nice, 1993), pp など 7 Nabokov, Strong Opinions, p Иваненко А. Н.Л.Бродский. Евгений Онегин, роман А.С.Пушкина // Пушкин:временник Пушкинской комиссии C

4 秋 草 俊 一 郎 釈 者 たちは, 論 争 こそ 引 き 起 こさなかったものの 英 語 圏 のほかの 翻 訳 者 たちと 並 ぶナボコ フの 仮 想 敵 であったことに 注 意 すべきだ この 本 で 罵 倒 された 数 多 くの 作 家, 翻 訳 者, 研 究 者 の 中 でブロツキーほど 激 しい 批 判 の 対 象 になっている 人 物 はいない だがゲルシェン クロンが 指 摘 していたように, ナボコフのほかの 注 釈 者 についての 意 見 は 慎 みや 公 正 さ を 欠 いている 9 だろう いかにナボコフといえども, 先 人 の 業 績 がなくては 不 明 だった 点 も 多 かったし, 断 わりなしにブロツキーの 注 釈 を 借 用 している 箇 所 も 多 いのである こうした 姿 勢 は 小 説 の 内 容 にそくした 場 面 においても 変 わらない それは 作 者 プーシキ ン 同 様, 小 説 の 主 人 公 オネーギンをどのように 扱 うかといった 点 にも 表 れている ナボコ フはオネーギンが 当 時 の 歴 史 的 な 潮 流 のもとで, 実 際 の 人 物 のように 読 まれることに 抗 議 している ナボコフが 反 駁 するのはオネーギンをソヴィエトに 都 合 のよい 革 命 的 な 人 物 と してとる 読 み 方 である 芸 術 はルポルタージュではないとナボコフは 訴 える そのことに よって, 芸 術 家 が 作 り 出 した 偉 大 な 被 造 物 は 一 つのありふれた 典 型 type に 矮 小 化 さ れてしまう,と(Ⅱ 48, 53) ある 場 所 では 芸 術 の 現 実 と 歴 史 の 非 現 実 のあいだの 差 を 強 調 するために, 私 はいままで, 文 学 の 様 式 化 された 登 場 人 物 の モデル を 求 めるという 退 屈 で 根 本 的 に 的 外 れな 探 求 を 相 当 詳 しく 検 討 してきた (Ⅲ 177)とも 述 べている 芸 術 の 現 実 と 歴 史 の 非 現 実 という 表 現 からもうかがえるように, 天 才 が 作 り 出 した 芸 術 こそ が 絶 対 的 な 真 実 であるとナボコフは 訴 えている こうした 例 はほかにもいくつも 挙 げ ることができるが, 一 番 ふるっているのは 次 の 注 釈 だろう ここでは 典 型 が 逆 手 にと られている 典 型 (ロシアの 批 評 家 たちの 常 套 句 )としてのタチヤーナはツルゲーネフからチェーホフ までのロシア 作 家 たちの 作 品 の 中 の 女 性 登 場 人 物 の 母 であり, 祖 母 である [ 中 略 ]1917 年 11 月 の 革 命 の 直 前,タチヤーナはロシア 文 学 から,そしてロシアの 生 活 から 消 え, 重 い 靴 をはい た 実 務 的 な 男 たちがロシアの 文 学 や 生 活 のリーダーシップを 引 き 継 いだ ソヴィエト 文 学 にお いて,タチヤーナのイメージは 彼 女 の 妹 のオリガによって 取 って 代 わられた オリガはいまや 豊 かな 胸 に, 赤 らんだ 頬 をして, 騒 々しいほど 陽 気 である オリガはソヴィエトの 小 説 に 出 て くるよき 娘 である 彼 女 は 工 場 でものごとを 解 決 し,サボタージュを 見 つけだし, 演 説 をして, 完 璧 な 健 康 を 発 散 している もしこのように 正 しい 精 神 で 用 いれば,この 典 型 は 極 めて 愉 快 なものなのである (Ⅱ ) タチヤーナを ロシア 女 性 の 典 型 としてみるのはベリンスキーなど 多 くのロシア 9 Alexander Gerschenkron, A Manufactured Monument?, in Modern Philology 63:4 (May, 1966), p

5 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 の 批 評 家 が 行 っていたことであるが,ナボコフはそんな 女 性 がソヴィエトに 存 在 しないこ とを 述 べ, 妹 オリガに ソヴィエト 女 性 の 典 型 を 見 いだして 皮 肉 っている これこ そ 典 型 のパロディとも 言 うべきものだ 注 釈 の 末 尾 で,ナボコフは 自 分 のほうにこそ 正 しい 精 神 があると 宣 言 する これはもちろん 半 ば 皮 肉 であるが, 半 ば 本 気 のものだ ろう ソヴィエトに 対 する 憎 悪 はそれを 容 易 に 正 当 化 しうるほど 強 いものだ また 天 才 による 芸 術 作 品 という 神 話 を 奉 じるそぶりをする 一 方 で,ある 注 釈 ではナ ボコフは 自 分 がこの 韻 文 小 説 の 登 場 人 物 を 典 型 や 現 実 の 人 間 として 読 むことに 抗 議 する 理 由 を 最 近,ソ 連 の 観 念 論 者 たちがオネーギンのイデオロギーをかなり 理 想 化 し ている そしてこれこそが,この 注 釈 において 私 が 彼 のことをあたかも 現 実 の 人 間 で あるかのように 議 論 することを 避 けている 唯 一 の 理 由 なのである (Ⅱ 227)ともらしてい る 私 たちは 一 般 的 な 芸 術 至 上 主 義 者 といったイメージからナボコフが 政 治 的 な 解 釈 を 退 けていると 考 えがちだが,むしろこうした 態 度 はソヴィエトの 注 釈 者 たちに 対 する 過 剰 な までの 対 抗 意 識 によって 形 作 られたもので, 芸 術 至 上 主 義 とどちらが 先 にあるとははっき りとは 言 えないものだ それはナボコフという 人 間 の 持 つアンビヴァレントな 二 面 性 であ ると 言 ってよい その 過 剰 なまでの 批 判 や 対 抗 意 識 は, 逆 に 彼 自 身 の 政 治 的 な 信 条 や 立 ち 位 置 を 浮 かび 上 がらせてしまうこともある ナイーヴな, 間 違 ったことを 教 えられた 現 代 の 読 者 たちが 革 命 家 のメッセージをそこに 見 る ように 仕 向 けるために,いくつかのまったく 間 違 った, 政 治 的 に 触 発 された 考 えがソヴィエト の 注 釈 者 たちによってプーシキンの 上 記 の 頌 詩 につけられてしまった 今 となっては, 頌 詩 自 由 は 法 [ 中 略 ]こそが 彼 にとっては 自 由 の 分 配 における 第 一 条 件 を 表 し,バイロンの 詩 行 にまったく 基 づいている 保 守 的 な 若 きリベラルの 作 品 である,ということをいくら 繰 り 返 し ても 繰 り 返 したりない[ 後 略 ] (Ⅲ 337) ナボコフは 自 由 が 革 命 的 な 身 振 りを 表 現 した 作 品 ではないということを 証 明 するた めに,それを 全 訳 し 詳 細 な 注 釈 をつけている(Ⅲ ) だが,ここでキーワードと なるのはプーシキンを 指 すために 使 われている 保 守 的 な 若 きリベラル というフレーズ である あるインタヴューで, 政 治 的 な 姿 勢 を 問 われたナボコフは 私 の 父 は 古 いタイプ のリベラルだったが, 私 もそうとられることになんの 依 存 もない 10 と 答 えているが, それとナボコフの 主 張 するプーシキンの 政 治 的 な 信 条 は 一 致 しているのである つまりナボコフはある 意 味 でソヴィエトの 注 釈 者 たちと 同 じこと, 対 象 となる 作 家 を 自 分 自 身 の 政 治 的 な 信 念 にひきつけて 読 むということを 行 っているのである 問 題 となるの 10 Nabokov, Strong Opinions, p

6 秋 草 俊 一 郎 は,これが 無 意 識 的 なものか, 意 識 的 なものなのかということだろう 私 はこれから 見 て いくようにそれはある 程 度 までは 意 識 的 な 操 作 であると 思 う そしてそれこそが 彼 が 唯 一 持 ちえた 社 会 的 な 主 張 ではなかったのではなかろうか 3 前 節 で 見 たのは 注 釈 に 滲 みでる 反 ソ 感 情 とでも 言 うべきものだったが,それはソヴ ィエトの 注 釈 たちの 政 治 的 な 解 釈 を 媒 介 にして 引 き 起 こされるものばかりとは 限 らない ナボコフは 実 にイマジネーション 豊 かな 作 家 的 とでもいうべきような 方 法 で オ ネーギン のテクストに 未 来 のソヴィエトの 暗 い 影 を 発 見 する それはソヴィエトの 注 釈 者 たちがボリシェビズムの 兆 しを 見 いだすのと 対 照 的 であると 言 ってもよい 第 1 章 17 連 7 行 目 につけられた 注 釈 では,プーシキンの 書 簡 が 引 用 されるが,そこで 言 及 されている 屯 田 兵 制 度 についてナボコフは 詳 しく 解 説 している 1819 年 の 若 い 自 由 主 義 者 たちは 屯 田 兵 制 度 を 激 しく 非 難 した これらは 平 和 時 に 巨 大 な 軍 隊 を 保 持 するコストを 削 減 するために 1817 年 に 設 立 され,アレクサンドルⅠ 世 の 軍 事 顧 問 アレ クセイ アラクチェーエフ 伯 ( )によって 指 示 された これらは 国 家 が 保 有 する 農 民 ( 地 主 が 所 有 する 農 奴 ではなく 国 家 に 属 する 農 奴 )によって 形 成 されていた [ 中 略 ] 屯 田 兵 た ちは 厳 しい 訓 練 と,ごくささいな 軽 罪 にも 厳 罰 が 与 えられる 中 で, 軍 事 行 動 と 農 業 を 両 立 させ なくてはならなかった 屯 田 兵 制 度 というアイデアはアレクサンドルの 神 秘 的 で 几 帳 面 な 精 神 に 大 いに 訴 えかけたのだろう [ 中 略 ] 屯 田 兵 制 は 1920 年 にレーニンによって 設 立 され 今 (1973 年 時 点 ) 11 なお 栄 えているはるかに 効 率 的 かつ 広 範 囲 なソ 連 の 強 制 労 働 所 のおぼろげな 未 来 の 予 見 である (Ⅱ 77-78) 実 際 にアラクチェーエフの 進 言 した 過 酷 な 屯 田 兵 制 は 後 世 の 歴 史 家 たちにも 評 判 が 悪 いものだが,そこにナボコフが 重 ねるのは 今 なお 栄 えている ソ 連 の 強 制 労 働 所 の 影 で ある 彼 は 19 世 紀 当 時 の 帝 政 下 における 社 会 状 況 を 負 の 側 面 の 継 承 者 として,20 世 紀 の ソヴィエトを 見 る 注 目 すべきは, 注 釈 の 中 で 皇 帝 の 独 裁 からソ 連 の 圧 制 への 移 行 がナボ コフの 内 的 な 論 理 においてはスムーズに 行 われている 点 である ナボコフの 基 準 において 両 者 は 人 々を 虐 げているという 点 において 大 差 ない, 地 続 きのものである 皇 帝 の 専 制 とソヴィエトの 恐 怖 政 治 を, 残 酷 さを 根 拠 にナボコフは 作 家 一 流 の 幻 視 という 方 法 で 結 びつける この 幻 視 の 能 力 こそ, 政 治 意 識 と 絡 めてしばしば 言 及 され る 作 品 断 頭 台 への 招 待 や ベンドシニスター などに 登 場 する 独 裁 国 家 をフィクショ 11 初 版 では(1962) となっていたが, 改 版 するさいに (1973) に 直 している 64

7 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 ンの 世 界 に 成 立 せしめるためにナボコフが 駆 使 したものだったはずだ こうした 幻 視 はほかのところでも 繰 り 返 されている (Ⅲ 207, 257n) 分 厚 い 注 釈 のさらに 付 録 として 付 けられた Abram Gannibal では,ナボコフはプ ーシキンの 祖 先 であるアビシニア 人 の 少 年 がいかにアフリカ 大 陸 から 連 れてこられたの かについて 乏 しい 資 料 をもとに 推 量 に 推 量 を 重 ねる ここでの 視 点 は 一 貫 してプーシキン の 曽 祖 父 ガンニバルの 運 命 にあるが,この 注 釈 において,ピョートル 大 帝 は 幼 子 を 翻 弄 す る 暴 君 である(Ⅲ 331, 336) ナボコフにとってピョートル 大 帝 は 幼 いガンニバルを 拉 致 しただけでなく, 故 郷 の 地 所 にゆかりの 人 物,アレクセイ 王 子 を 殺 害 した 人 物 でもある 催 眠 術 的 なしつこさ, 説 得, 欺 きの 類 によって 特 徴 づけられたこの 拉 致 をする 一 連 の 静 かな 動 きは 私 たちに 今 日,ソ 連 の 兇 徒 による 亡 命 者 の 本 国 への 強 制 送 還 を 連 想 させる ナポリの 保 護 から 恐 ろしい 彼 の 母 国 へとアレクセイを 誘 い 出 した 奴 ならば, 難 なく 哀 れな 黒 人 の 子 供 を 主 人 の 享 楽 のために 連 れ 去 る 方 法 を 仕 組 んだことだろう (Ⅲ 419) ここではピョートル 大 帝 の 非 道 な 拉 致 の 手 際 に,ソヴィエトによる 亡 命 者 の 強 制 送 還 が 重 ねられている ソ 連 による 強 制 送 還 は 亡 命 生 活 の 間 常 にわが 身 を 脅 かしていたものとし て,ナボコフはその 恐 怖 を 肌 身 で 感 じとっていたに 違 いない こうしたツァーリによる 独 裁 からソヴィエトによる 支 配 の 恐 怖 を 引 き 出 す 注 釈 群 から 感 じとれるのは,ナボコフの 残 酷 さに 対 する 繊 細 な 感 情 と 同 時 に,ある 種 の 政 治 的 な 意 図 と 呼 んでいいものだ ここで 断 わっておかなければならないのは,ローティの 卓 抜 な 論 文 が 解 説 しているよう にナボコフは 残 酷 さ というものにとても 敏 感 な 作 家 であったということだ だが 一 方 で,ローティの 指 摘 する 残 酷 さ は 単 にヒューマニズムの 次 元 に 終 わる 話 ではなく,あ る 種 のリベラリズムと 密 接 にかかわっていたことを 忘 れてはならない 12 ここでナボコ フはローティが 自 説 で 例 として 引 用 したディケンズの 荒 涼 館 を 論 じたときよりも 明 ら かに 度 を 失 っている ナボコフはほかのヨーロッパ 文 学 を 論 じるときにかぶっている 仮 面 冷 静 な 芸 術 至 上 主 義 者 をかなぐり 捨 てているようにさえ 見 える かくも 古 典 オ ネーギン 注 釈 は 政 治 的 な 闘 争 の 場 であった ナボコフが オネーギン のテクストに 対 して,あるいは 付 随 的 に 導 かれる 事 項 に 対 し て 政 治 的 な 身 振 りをしている 点 については 先 行 研 究 がほとんどないが,ナボコフの オネ ーギン について 現 行 で 唯 一 のモノグラフを 執 筆 したエスキンはこうした 傾 向 を 社 会 政 治 的 な 注 釈 者 とイデオロギー 批 評 家 と 整 理 して, 以 下 のように 述 べている 12 More important, however, they both met Judith Shklar s criterion of liberal: somebody who believes that cruelty is the worst thing we do. Richard Rorty, The Barber of Kasbeam: Nabokov on Cruelty, in Contingency, Irony, and Solidarity, (Cambridge: Cambridge UP, 1989), p

8 秋 草 俊 一 郎 ナボコフの 自 己 様 式 化 と 有 名 な 作 家 やその 作 品 に 対 する 有 罪 判 決 と 同 様 に,この 注 釈 書 に 散 らばる,その 一 部 はツァーリに 統 治 されていたロシアと 以 前 のソヴィエトの 社 会 主 義 思 想 的 な システムおよび 後 者 で 実 践 されていた 文 学 研 究 に 対 する 作 者 のアイロニカルなイデオロギー 批 評 的 な 意 見 は, 翻 訳 とその 提 示 の 仕 方 を 説 明 する 議 論 にはあまり 寄 与 することがない それ らはむしろ, 様 式 化 されたナボコフの 人 物 像 から 文 献 学 者 ナボコフ を 区 別 するのと 同 様 に, そこから 区 別 できるひとつのペルソナを 構 成 している 13 エスキンはこうした 傾 向 を 注 釈 の 中 でナボコフが 見 せる 多 様 さのひとつのペルソナと して 切 り 離 し, 自 身 が 提 唱 する ポリフォニックな 注 釈 という 解 釈 に 組 み 込 んでいる しかしこうしたその 政 治 的 なスタンスを 翻 訳 や 注 釈 から 完 全 に 切 り 離 してしまう 議 論 に は 賛 同 できない むしろ,ナボコフのイデオロギー 批 評 的 な 面 が オネーギン 翻 訳 注 釈 の 深 いところまで 浸 透 しており,そこから 注 釈 書 全 体 を 俯 瞰 する 新 たな 視 点 を 模 索 する ほうが 生 産 的 な 成 果 が 得 られると 考 えることはできないだろうか 次 節 以 降 はそのことに ついて 考 察 してみたい 4 オネーギン をベリンスキーは ロシア 文 学 のエンサイクロペディア と 評 した 14 が (この 意 見 にナボコフはくみしないが),それは オネーギン が 当 時 のロシアの быт に ついての 多 くの 記 述 を 含 んでいるからであった では, 当 時 のロシア とはいかなる 場 所 であったのだろうか その 例 として 第 6 章 4 節, 地 主 ザレツキイが 読 者 に 紹 介 される 場 面 を 取 りあげてみよう ここでザレツキイは Отец семейства холостой, (103) 15 / bachelor paterfamilias, (Ⅰ 229) と 描 写 されている 一 見 何 気 ない 箇 所 だが, 法 橋 和 彦 はここの 一 節 を 原 文 とナボコフの 英 訳 を 対 比 しながら 詳 しく 論 じている 法 橋 が 注 目 するのは Отец семейства холостой という 三 つのロシア 語 の 連 結 が 生 み 出 す 言 葉 の 効 果 である それによればここでの семействo とは 普 通 の 家 族 をさす 言 葉 ではなく, 地 主 が 所 有 する 農 奴 の 全 家 庭 をもあわせた 単 位 の 総 称 とし ての 意 味 を 含 み,ナボコフの 英 訳 の bachelor paterfamilias とはプーシキンの 原 文 の 意 をくんだ 結 婚 もせず, 農 奴 娘 を 邸 にかこい, 子 をもうけている 地 主 という 農 奴 制 に 対 する 批 判 的 な 意 味 を 内 包 している ゆえに, 法 橋 は ナボーコフが 家 父 長 独 裁 の 意 味 で 父 13 Michael Eskin, Nabokovs Version von Puškins Evgenij Onegin : Zwischen Version und Fiktion eine übersetzungs- und fiktionstheoretische Untersuchungs, (München: Verlag Otto Sanger, 1994), pp ヴィッサリオン ベリンスキイ( 小 澤 政 雄 訳 ) プーシキン: 近 代 ロシヤ 文 学 の 成 立 光 和 堂, 1987 年,554 頁 15 以 後 括 弧 内 引 用 は Пушкин А.С. Собраниние сочинений в 10 томах, Т. 4. М., 1975 を 指 す 66

9 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 と 家 族 を<paterfamilias>の 一 語 にまとめあげたのはさすがである この 家 父 長 訳 はいずれの 邦 訳 よりもすぐれている 16 とまずナボコフの 訳 語 の 選 択 眼 を 賞 賛 する だ が, 一 方 で 未 婚 男 子 の 家 父 長 ではそのイメージが 整 然 としない おまけにこの 部 分 には 注 釈 もない とナボコフの 訳 語 の 難 点 も 同 時 に 挙 げている ここで 提 出 されているのは 優 れた( 文 脈 を 伝 える) 訳 語 と 注 釈 の 不 備 という 矛 盾 した 評 価 である なぜこんなことが 起 こってしまったのだろうか 詳 しく 調 べるために, まず 訳 語 のほうから 観 察 してみよう 法 橋 が 指 摘 するナボコフの 訳 語 に 対 する 選 択 眼 は, 他 の 英 訳 者 の 訳 文 と 比 べたときによりはっきりする 手 元 にある 6 つの 英 訳 (Babette Deutsch (1943),Charles Johnston (1979),James E. Falen (1990),Douglas R. Hofstadter (1999), Walter Arndt (2002),Tom Beck (2004))を 調 べると 家 父 長 という 文 脈 を 伝 えているのは 6 人 のうちではジョンストンだけである 他 の 5 人 の 訳 文 は 法 橋 が 主 張 する 意 味 では 文 脈 を 外 していることになる 17 ここで 看 取 されるのはナボコフ 訳 の 普 通 でなさ である ナボコフ 訳 を 参 照 して 1979 年 に 出 版 されたジョンストン 訳 は,ほぼ 同 じ paterfamilias (unwed) という 訳 語 を 採 用 している 異 なるのは,この 訳 にはしっかりと 注 釈 が 付 けら れていることである マイケル バスカーによって 巻 末 にまとめられた 注 釈 によれば, 家 父 長 ( 未 婚 ) paterfamilias (unwed) : 社 会 的 には 結 婚 が 許 されなかった 農 奴 の 女 性 (ある いは 複 数,ひょっとしたら 農 奴 のハーレム)を 暗 示 している 18 のであり, 未 婚 の 家 父 長 という 訳 語 の 含 むところを 読 者 に 説 明 していることがわかるだろう こうしたことから, 次 のような 結 論 が 出 る おそらくここで 訳 者 がとる 選 択 肢 は 二 つ, 原 文 の 含 むところをなにも 知 らないで(または 知 らないふりをして) 訳 してしまうか,あ るいは 原 文 の 含 みを 察 知 して paterfamilias という 言 葉 を 訳 出 し,その 唐 突 な 語 彙 の 含 む ところを 19 世 紀 ロシア 事 情 に 疎 い 読 者 のために 注 釈 を 付 けるかである だが,ナボコフはそのいずれもとらなかった 可 能 性 としては,こうした 歴 史 的 背 景 を 知 らなかった,というものだ だが,それは 法 橋 も 指 摘 するように 英 語 で 正 確 な 訳 語 を 探 して 使 用 しているという 事 実 と,そしてナボコフがロシアの 地 主 貴 族 の 家 庭 で 生 まれ 育 っ たという 事 実 と 矛 盾 する ナボコフは 別 の 注 釈 でプーシキンが 実 際 に 農 奴 の 女 性 に 子 供 を 生 ませていたという 事 実 に 言 及 している(Ⅱ 218) また 彼 は 先 ほど 列 挙 した 訳 者 では 唯 一 のロシア 人 であり,18 歳 で 亡 命 を 余 儀 なくされたとはいえ,もっともロシアの 地 主 制 16 法 橋 和 彦 詩 の 言 葉 散 文 の 言 葉 法 橋 ロシア 文 学 の 眺 め 新 読 書 社,1999 年, 頁 17 もっとも,ほかの 訳 者 たちは 韻 文 体 で 訳 出 しようとしているので, 意 味 よりも 音 を 優 先 させてい るだけかもしれない 18 Alexander Pushkin, Eugene Onegin: A Novel in Verse, Revised Edition, translated by Charles Johnston, introduction and notes by Michael Basker with a preface by John Bayley. (London: Penguin Books, 1979), p

10 秋 草 俊 一 郎 についてのレアリアを 持 ち 合 わせていたはずの 人 物 なのだ 上 記 のように,ここでのナボコフの 態 度 はどこかぎこちないものである そこで 必 然 的 にもうひとつの 可 能 性 が 浮 上 する 不 在 の 注 釈 が 示 唆 するもの,それはナボコフがこうし た 背 景 を 正 確 に 認 識 しながら,あえて 無 視 し 隠 匿 しているという 可 能 性 である 5 前 節 では オネーギン における 農 奴 制 に 関 わる 記 述 を 見 たが, 普 通, 農 奴 制 の 特 徴 と しては 地 主 に 農 奴 への 徴 税 権 が 与 えられていたことが 第 一 にあげられるだろう オネー ギン には 徴 税 に 関 する 記 述 もいくつか 登 場 する たとえば 第 2 章 4 連 でオネーギンが 伯 父 から 相 続 した 領 地 の 税 を バールシチナ барщинa から オブローク oброк に 変 更 する 場 面 Ярем он барщины старинной / Оброком легким заменил; (32) / the ancient corvée s yoke / by the light quitrent he replaced; (Ⅰ 127) がある バールシチナとオブロークとはどちらもロシア 農 奴 制 における 時 代 の 一 形 態 で, 平 たく 言 えばバールシチナとは 一 定 期 間, 領 主 の 土 地 で 労 働 をしなければならない 賦 役 であり, それに 対 してオブロークとはその 分 を 生 産 物 や 貨 幣 で 払 う 貢 租 である この 一 節 にナボコ フは 以 下 のような 注 釈 を 付 けている 19 世 紀 前 半 の 開 明 的 地 主 は,マルクス 主 義 者 には 信 じがたいことだろうが, 奴 隷 の 境 遇 を 楽 にするために しばしば 自 分 の 利 益 に 反 して できる 限 りのことをした 彼 らは 数 的 には 多 くなかったが, 結 局 はヒューマニズムが 優 勢 になり,1861 年, 農 奴 は 公 式 に 解 放 されたので ある (Ⅱ 224) 重 労 働 であるバールシチナを 税 金 であるオブロークに 変 えるということに,ナボコフは 農 奴 の 解 放 の 兆 しとプーシキンとオネーギンに 共 有 されているロシアの 進 歩 的 な 自 由 主 義 思 想 を 見 いだし,そこに 後 の 農 奴 解 放 令 につながるものがあると 主 張 する その 背 景 には 残 酷 さ とは 対 極 にある 概 念 としてのヒューマニズムがある ここでナボコフは 政 治 性 を 剥 き 出 しにして, 当 時 の 農 村 の 保 守 的 な 封 建 制 を 批 判 するマルクス 主 義 者 に 対 して 勝 ち 誇 っている あたかも,ソヴィエトもいつかはこのヒューマニズムの 名 のもとに 屈 す ることになるとでも 言 うかのように この 注 釈 での 口 調 は 確 信 に 満 ちたもので, 注 釈 書 の 権 威 もあいまって 私 たちを 信 用 させ るに 足 るものだ だが, 客 観 的 に 見 てその 内 容 は 事 実 なのだろうか 久 保 英 雄 はこの 箇 所 に 付 された 注 釈 を 取 りあげて ナボコフはオネーギンがオブロークを 採 用 した 根 拠 をヒュ ーマニズムにのみ 見 ており,さらに,それを 農 奴 の 解 放 と 同 一 視 しております がはたし てそうなのか? という 疑 問 を 提 出 し, 詳 しく 扱 っている それによれば, バールシチ 68

11 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 ナもオブロークも, 農 奴 に 課 せられる 封 建 地 代 という 意 味 において,その 法 制 史 上 の 性 格 には,まったく 変 わりがな く, 農 奴 に 賦 役 ではなく 貢 租 を 課 すことそれ 自 体 を, 無 媒 介 的 にヒューマニズムに 結 びつけることはでき ないという また 久 保 は 当 時 の 知 識 人 の 風 潮 の 中 でのオネーギンの 性 格 を 分 析 し, 農 奴 制 を 擁 するロシアの 後 進 性 に 批 判 的 な 目 を 持 ちながら, 一 方 では 利 に 聡 い オネーギン 像 を 提 出 した 上 で,オネーギンが 道 徳 律 正 義 の 原 理 としてスミスを 理 解 した その 意 味 では オネーギンがバールシチナをオブロ ークに 替 えた 動 機 をヒューマニズムに 見 るナボコフの 解 釈 は 部 分 的 には 当 たって いるが, オブロークの 採 用,つまり, 農 奴 に 課 す 地 代 形 態 の 変 更 と, 自 由 主 義 化,つまりこの 脈 絡 の 中 でいえば, 農 奴 の 解 放 との 間 には 千 里 の 距 離 があり,これは ナボコフをもとら えた 錯 誤 であると 批 判 している 19 注 釈 では 結 局 はヒューマニズムが 優 勢 になり としているが, 農 奴 解 放 令 はヒューマ ニズムにのみもとづいて 行 われたわけではなかった それはクリミア 戦 争 の 敗 北 によって ロシアの 後 進 性 に 危 機 感 を 抱 いた 皇 帝 アレクサンドルⅡ 世 が, 資 本 の 発 展 に 欠 かせない 賃 金 労 働 者 を 作 り 出 すために 多 くの 貴 族 領 主 の 反 対 にもかかわらず 行 ったものだった その 結 果,ナボコフが 読 者 に 信 じ 込 ませようとしているように オブロークの 訳 語 にも light quitrent をあてていたが,これも 利 に 聡 い オネーギン 像 とは 正 反 対 だ 農 奴 たちが 完 全 に 解 放 されたわけではなかった 農 奴 たちの 多 くは 解 放 後 も 土 地 に 縛 りつけられ, 領 主 によって 一 部 の 人 権 を 支 配 されていたままだった 農 民 には 土 地 の 所 有 が 認 められたが,そのための 地 代 は 非 常 に 高 額 であり, 長 い 時 間 をかけて 支 払 わなければ ならなった また, 農 村 共 同 体 的 秩 序 は 依 然 として 温 存 強 化 され, 徴 税 徴 兵 裁 判 と いった 権 限 が 領 主 から 共 同 体 に 移 された 共 同 体 に 対 する 領 主 側 の 監 督 も 存 続 した こういった 事 情 を 踏 まえて,ヒューマニズムといった 要 素 もあるとしながらも 久 保 はナ ボコフが 過 ちを 犯 していると 指 摘 している 20 だが,ここで 問 題 にしたいのはその 錯 誤 が 生 み 出 されるに 至 ったプロセスであり,その 錯 誤 は 本 当 に 無 意 識 的 な 錯 誤 だったの かということだ 言 いかえれば,ナボコフはここで 確 信 犯 的 にこうした 読 みはずしを 行 っ ているのではないか こうしたことがなぜ 起 こるのか その 理 由 はナボコフの 政 治 的 な 立 ち 位 置 に 求 められる 久 保 はナボコフを 紹 介 するときに, カデット 党 の 領 袖 で,ロシアの 自 由 主 義 を 一 身 に 体 現 していたナボコフの 息 子 と 表 現 していたが, 私 たちはナボコフという 作 家 をその 出 自 19 久 保 英 雄 歴 史 のなかのロシア 文 学 ミネルヴァ 書 房,2005 年,44-60 頁 20 この 論 文 では 法 橋 久 保 といった 論 者 の 意 見 を 用 いてナボコフの 主 張 の 特 殊 性 を 浮 き 彫 りにしよ うと 試 みたが,もちろんナボコフの 主 張 を 咎 める 彼 らの 意 見 そのものが 政 治 的 なものである,とい うことも 忘 れてはいけない 他 人 の 政 治 的 なスタンスを 論 じるときにおうおうにして 人 は 政 治 的 な 磁 場 にとらわれるというのが 本 論 の 主 張 であるが, 本 論 もその 危 険 を 冒 している 69

12 秋 草 俊 一 郎 にまでさかのぼって 再 考 しなければならない ナボコフの 政 治 的 なスタンスを 理 解 しなか ったために 最 終 的 に 友 情 を 破 綻 させてしまった 例 として,エドマンド ウィルソンを 挙 げ ることができる 注 釈 書 の 作 業 中 に 書 かれた 手 紙 で,ナボコフはウィルソンの 回 想 記 にお いて 示 されたロシアの 歴 史 認 識 を 厳 しい 口 調 でたしなめている しかしいつも 困 るのは,ロシア 史 に 対 する 君 の 考 え 方 で, 君 が 若 いときに 心 酔 した 古 臭 いボ リシェビキのプロパガンダに 基 づいているから,まったくの 誤 りなのだ 19 世 紀 ロシア 作 家 た ちをあれほどよく 理 解 している 君 が,アレクサンドル 1 世 の 時 代 に 始 まり,19 世 紀 を 通 してず っと 顕 著 に 存 在 していたのに,プロパガンダの 理 由 からレーニン 主 義 者 やトロツキストによっ て 意 図 的 に 軽 視 された obshchestvennoe dvizhenie( 自 由 運 動 )をどうして 無 視 できるのかわか らない 21 口 調 の 激 しさもさることながら, 驚 かされるのはその 論 理 の 流 れである この 一 節 から 判 断 すれば 19 世 紀 ロシア 作 家 たちをよく 理 解 するためには アレクサンドル 1 世 の 時 代 に 始 まり,19 世 紀 を 通 してずっと 顕 著 に 存 在 していた 自 由 運 動 を 理 解 していな ければ 道 理 に 合 わないとナボコフは 心 の 底 から 信 じているとしか 思 えない さかのぼってナボコフの 19 世 紀 のロシア 作 家 たちについての 文 章 を 振 り 返 ってみれば, 自 由 主 義 への 信 念 は 目 立 たないながらも 述 べられていた たとえば,1944 年 に 出 版 され た 評 論 ニコライ ゴーゴリ でナボコフは 革 命 前 のロシアの 自 由 主 義 的 な 風 潮 について ロシアの 輿 論 はその 本 然 からして 民 主 主 義 的 であり,ついでに 言 っておけば,アメリカ に 対 して 深 い 敬 意 を 払 っていた いかなるツァーもこの 気 骨 を 折 り 砕 くことはできなかっ た(これがソヴィエト 体 制 によってへし 折 られるのは,はるかのちのことである) と 触 れている 22 ここでナボコフは 19 世 紀 のロシアにおいてはむしろ 民 主 主 義 こそが 本 流 で あり, 世 論 ここでの Public opinion の 具 体 的 な 所 在 の 典 拠 は 明 らかではないが にも 支 持 されてきたと 読 者 を 説 得 しようとしている そして 注 釈 にもあったように,ここ でも 皇 帝 とソヴィエト 政 権 は 自 由 主 義 運 動 を 弾 圧 し,もみ 消 した 独 裁 者 たちとして 同 一 視 されている また,ナボコフがアメリカでした 講 義 のなかでも 同 様 のコメントは 散 見 できる たとえ ばコーネル 大 学 で アンナ カレーニナ について 論 じたとき,オブロンスキーが 提 唱 す る 完 璧 な 自 由 主 義 にはこう 注 釈 を 付 けている 21 ウラジーミル ナボコフ,エドマンド ウィルソン( 中 村 紘 一, 若 島 正 訳 ),サイモン カーリ ンスキー 編 ナボコフ=ウィルソン 往 復 書 簡 集 作 品 社,2004 年,422 頁 22 ウラジーミル ナボコフ( 青 山 太 郎 訳 ) ニコライ ゴーゴリ 平 凡 社 ライブラリー,1996 年, 193 頁 70

13 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 トルストイ 自 身 の 自 由 主 義 という 概 念 は, 西 欧 の 民 主 主 義 の 理 想 や, 旧 ロシアの 進 歩 的 なグループの 考 える 真 の 自 由 主 義 とは 一 致 しない オブロンスキーの 自 由 主 義 は 明 らかに ギリシア 正 教 の 側 に 立 った 考 え 方 であり, 月 並 みな 人 種 的 偏 見 についても,オブロンスキーが 決 してそれを 免 れていないことを,やがて 私 たちは 見 るだろう[ 後 略 ] 23 トルストイの 志 向 する 自 由 主 義 を 偏 見 に 満 ちたものとして 退 けているが,もちろんボコ フが 西 欧 の 民 主 主 義 の 理 想 や, 旧 ロシアの 進 歩 的 なグループの 考 える 真 の 自 由 主 義 の ほうに 自 分 自 身 を 置 いていることは 間 違 いがないことだ ここでもナボコフは 自 分 が 信 じ る 自 由 主 義 を 守 ることに 心 を 砕 いている 結 局,ウィルソンとはこの オネーギン 翻 訳 と 注 釈 をめぐって 喧 嘩 別 れしてしまうこ とになるが, 沼 野 充 義 がすでに 指 摘 している 24 ように,こうしたロシアに 対 する 政 治 的 な 意 見 に 関 する 行 き 違 いが 二 人 の 不 和 の 伏 線 として 張 られていたことに 注 意 すべきであ ろう この 二 人 の 偉 大 な 文 学 者 の 対 立 は 審 美 的 な 価 値 観 の 相 違 からのみ 引 き 起 こされたも のではなかった ここでウィルソンと 同 じ 轍 を 踏 まないためにも, 私 たちは オネーギン 執 筆 時 のプー シキンが 置 かれていた 政 治 的 コンテクストを 観 察 するそのまなざしで 持 って, オネーギ ン 注 釈 執 筆 時 のナボコフが 置 かれていた 政 治 的 コンテクストを 理 解 しようとしなければ ならない ナボコフは 作 家 としての 前 半 生 をV シーリンというペンネームで 通 したが, これは 同 姓 同 名 である 父 に 気 をつかったからだと 言 われている 作 品 の 発 表 の 場 である 亡 命 ロシア 人 社 会 では, 父 親 は 当 然 ながら 有 名 人 であった そこで 作 品 を 発 表 する 際 に 本 名 を 用 いていたのでは 過 剰 な 政 治 性 を 背 負 い 込 んでしまうことになる 25 その 後 アメリカに 渡 って 英 語 で 執 筆 するようになり,ナボコフは 自 分 の 本 名 をとり 戻 す ことができた その 一 方 で,アメリカにおいて 彼 はまた 違 った 種 類 の 困 難 に 直 面 しなくて はならなかった それは 誰 も 彼 の 生 い 立 ちや, 今 まで 成 してきたことを 知 らず,ただ 亡 命 ロシア 人 であるという 理 由 だけで 白 系 や トロツキスト といった 言 葉 でくくりたが り,ひどい 場 合 には 反 感 を 抱 く 人 々に 作 品 を 発 表 しなければならなくなったことだ 26 英 語 圏 の 読 者 の 多 くはロシアの 歴 史 や 文 化 についてあまりにも 無 知 であった また,アメリカに 来 たことでナボコフがロシア 亡 命 社 会 から 完 全 に 切 り 離 されたかとい 23 ウラジーミル ナボコフ( 小 笠 原 豊 樹 訳 ) ロシア 文 学 講 義 TBS ブリタニカ,1982 年,266 頁 24 沼 野 充 義 仲 良 しウサちゃんと 大 喧 嘩 沼 野 徹 夜 の 塊 : 亡 命 文 学 論 作 品 社,2002 年,125 頁 25 こうした 観 点 をすでに 提 出 しているのは 貝 澤 哉 である 貝 澤 哉 ナボコフあるいは 物 語 られた 亡 命 : 複 数 の 読 み 読 みかえの 位 相 越 境 する 世 界 文 学 河 出 書 房 新 社,1992 年,315 頁 26 当 時 の 欧 米 の 人 々が 亡 命 ロシア 人 に 対 して 抱 いていた 嫌 悪 感 については 諫 早 勇 一 亡 命 と 文 学 : 第 一 次 ロシア 亡 命 文 学 をめぐって 望 月 哲 男, 中 村 喜 和, 川 端 香 男 里 編 スラブの 文 化 弘 文 堂, 1996 年, 頁 にコンパクトにまとめられた 記 述 がある 71

14 秋 草 俊 一 郎 えばそうではなかった 多 くの 同 郷 の 亡 命 者 たちと 彼 は 依 然 コンタクトをとり 続 けてお り, 27 亡 命 ロシア 人 向 けの 雑 誌 に 論 文 や 詩 を 発 表 するなどの 活 動 を 続 けていた ナボコフが 書 いたテクストを 読 む 際 には,こうした 複 雑 なコンテクストを 理 解 しなけれ ばならない ナボコフにとってなによりも 耐 え 難 かったのは, 英 語 圏 の 左 派 インテリ 層 の 多 くは, 革 命 以 前 のロシアでは 農 民 労 働 者 たちは 専 制 君 主 の 下 で 虐 げられそこには 自 由 と 呼 べるものはなかったと 見 なしていたことだった それは 自 らの 故 郷 を 不 当 に 奪 ったボ リシェビキに 正 当 性 を 与 えてしまうことになり,ロシアに 自 由 をもたらそうとした 父 の 努 力 を 無 にすることであり, 貴 族 の 長 男 として 享 受 した 自 分 の 少 年 時 代 を 汚 してしまうこと になるからである ナボコフは 1919 年 から 22 年 までケンブリッジで 大 学 生 として 過 ごした このイギリス 時 代 については 自 伝 においても 記 述 が 少 ないが, ロシアの 過 去 についてごくわずかしか 知 らなかった 学 友 たちの 帝 政 時 代 のロシアに 対 する 蔑 視 と 当 時 のソヴィエトへの 賞 賛 に 対 する 不 満 が 述 べられた 一 節 はひときわ 目 を 惹 くものである ツァーリたちの 支 配 下 では[ 中 略 ], 本 質 的 に 馬 鹿 げた 残 忍 な 統 治 にもかかわらず, 自 由 を 愛 するロシア 人 は,レーニン 支 配 下 とは 比 べ 物 にならないほど 意 見 を 表 現 する 手 段 を 持 ってい たし,また 表 現 しても 危 険 でなかった 1860 年 代 の 改 革 以 後,ロシアは 西 欧 のどこの 民 主 主 義 国 でも 誇 りにできるような 法 律 と, 専 制 君 主 でも 恐 れるくらいの 活 発 な 世 論 と, 広 く 読 まれる, さまざまなリベラルな 政 治 思 想 を 説 いている 雑 誌 [ 中 略 ]を 持 っていたのである[ 後 略 ] 28 ナボコフは 過 去 にさかのぼって, 友 人 の 偏 見 を 念 入 りに 反 駁 している それはもちろん そのまま,これを 読 んでいる 英 語 圏 の 読 者 に 向 けられたものでもある 述 べられている 1860 年 代 の 改 革 とは 農 奴 解 放 令 のことだろうが,ここでもナボコフはそれを 過 剰 に 評 価 している ちなみに,この 箇 所 はロシア 語 版 の 自 伝 向 こう 岸 では 大 幅 に 縮 小 されて いる 29 が,この 一 節 が 英 語 読 者 を 強 く 意 識 して 書 かれたことの 一 つの 証 拠 だろう ケンブリッジでの 大 学 生 活 の 間, 認 識 の 落 差 に 絶 望 していたナボコフは,アメリカにお いても 同 じギャップをウィルソンとの 間 にも 感 じとっていた 当 初, 新 天 地 での 生 活 費 を 文 筆 活 動 だけでは 十 分 に 得 られなかったため, 教 職 やロシア 文 学 の 紹 介 で 稼 がなければな 27 比 較 的 最 近 になってナボコフのロシア 語 書 簡 が 公 刊 されているが,その 中 にはアメリカ 時 代 のも のもある 例 を 挙 げれば,В. М. Зензинов (В. В. Набоков: Pro et Contra. Спб., C ) や М. В. Добужинский (Звезда С ) とのものなどがある またナボコフはストルーヴェなど 自 分 と 政 治 的 な 立 ち 位 置 が 近 い 人 間 とは 終 生 友 情 を 保 ったことは 明 記 すべきことだろう 28 Vladimir Nabokov, Speak, Memory: An Autobiography Revisited, (New York: Vintage International, 1989), pp Набоков В.B. Собрание сочинений русского пеpиода в 5 томах, T. 5. Спб., C

15 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 らなかったナボコフにとってこれは 重 要 な 問 題 だった オネーギン 執 筆 中 だった 1958 年 に 行 った 講 演 の 中 で,ナボコフは 自 伝 における 自 由 主 義 についての 主 張 を 革 命 前 のロ シアにおける 自 由 主 義 思 想 の 発 展 という 問 題 は, 今 世 紀 20 年 代 から 30 年 代 にかけての 狡 猾 な 共 産 党 員 たちの 宣 伝 によって, 外 国 人 の 目 には 全 く 不 分 明 な, 歪 んだものにされてし まった と 繰 り 返 している また,ボリシェビズムにつながる 社 会 思 想 的 な 自 由 主 義 と 真 の 自 由 主 義 を 峻 別 するように 聴 衆 であるアメリカ 人 たちに 語 りかけている そして ロ シア 自 由 主 義 の 正 統 に 属 する 作 家 として 19 世 紀 20 年 代,30 年 代 における 芸 術 家 と 批 評 家 の 軋 轢 の 好 例 として,ロシアに 初 めて 現 われた 大 作 家,プーシキンの 実 例 がある 30 としている ナボコフにとってプーシキンが 特 別 な 存 在 であったのはその 芸 術 が 卓 越 して いたからだけではなく, 彼 が ロシア 自 由 主 義 の 正 統 に 系 譜 に 位 置 する 作 家 であったか らだ 一 方 で,ナボコフが オネーギン 注 釈 で 行 っていることもまたこのあまり 言 及 さ れることのない 講 演 と 同 様 なのではないだろうか オネーギン の 解 釈 をめぐって 行 わ れている 論 争,それは 表 だって 主 張 されている 美 的 政 治 的, テクスト 論 的 歴 史 主 義 的 といった 次 元 だけではなく, 純 粋 に 政 治 的 な 闘 争 といった 面 も 暗 黙 のうちに 含 まれているのである それゆえ,ナボコフが 読 むロシア 文 学 はある 意 味 では 若 干 屈 折 した ものとなってしまった 彼 がロシア 文 学 を 読 むとき,そこには 農 民 を 虐 げる 貴 族 など 登 場 してはならなかった もっと 正 確 に 言 えばそうしたものは 主 題 化 されてはならず,すみや かに 視 界 の 外 にご 退 場 願 わなければならなかった 逆 に, 自 由 主 義 運 動 は 微 妙 な 形 で 強 調 された 私 たちはこうした 観 点 からナボコフのロシア 文 学 に 関 する 仕 事 を 再 評 価 する 必 要 があ るだろう なぜ 彼 がドストエフスキーを 排 してトルストイを 崇 めるのか,その 理 由 が 純 粋 に 審 美 的 なものなのかよく 考 えてみなくてはならない それは 文 学 というものを 通 じて, 異 国 の 読 者 に 彼 の 父 親 が 成 し 遂 げようとしたことの 正 統 性 を 遠 まわしに 訴 えようとする 行 為 にほかならない インタヴューで 答 えているように, 少 なくとも 政 治 に 関 するかぎり, ナボコフは 父 の 代 理 人 だったのだから むしろそれは 作 家 という 一 人 の 人 間 から 政 治 性 や 審 美 的 な 価 値 観 だけを 取 り 出 して 評 価 することができるのかという 文 学 における 本 質 的 な 問 題 につながってくるだろう もちろんこうした 政 治 的 な 注 釈 は 巨 大 な 注 釈 書 全 体 の 中 で 見 れば,わずかな 割 合 をしめ ているに 過 ぎない だがそれにもかかわらず,この 翻 訳 と 注 釈 書 を 読 む 上 でこうした 見 な おしは 重 要 である なぜなら,それはナボコフがどのような 意 識 を 働 かせてこの 翻 訳 と 注 釈 を 作 ったのかという 動 機 の 問 題 へと 直 結 するからである そしてその 議 論 はナボコフの 作 品 全 体 にさえ 拡 張 できるものだ 最 後 の 節 ではそのことを 示 すひとつのささやかな 読 み 30 ナボコフ ロシア 文 学 講 義 4-8 頁 73

16 秋 草 俊 一 郎 方 の 例 を 挙 げてみることにする 6 今 まで 述 べてきたような 現 象 は,ナボコフ 自 身 の 自 伝 や 創 作 を 読 む 段 になって 私 たち 読 者 の 身 に 現 実 の 問 題 として 降 りかかってくる それはテクストを 読 む 私 たちがナボコフの 見 えない 政 治 力 に 囚 われているのではないかという 問 題 である 読 者 にとって 厄 介 なのは こうした 現 象 がおこるのが,しばしばナボコフの 魔 力 が 最 高 点 に 達 し, 文 体 の 力 で 私 たち を 完 全 に 魅 了 する 瞬 間 だということだ ここで 例 として 取 り 上 げてみたいのはナボコフが 自 らの 人 生 に 付 した 注 釈 書 とでも 言 うべき 書 物, 記 憶 よ, 語 れ: 自 伝 再 訪 の 第 1 章 の 末 尾 の 有 名 なシーンである このシーンは 一 家 がヴイラの 邸 宅 に 滞 在 中 に 起 こったエピソ ードを 描 いたもので, 少 年 ナボコフは 自 宅 の 中 にいながら 部 屋 の 窓 から 舞 いあがる 父 親 の 姿 を 目 撃 する 三 度, 目 に 見 えない 放 り 投 げる 人 々の 力 強 いかけ 声 に 合 わせて, 彼 はこのように 舞 いあがっ たが,[ 中 略 ] 最 後 の 一 番 高 い 浮 遊 では,それが 永 遠 であるかのように,コバルト ブルーの 夏 の 昼 下 がりに 体 をもたせかけているかのようだった ちょうどその 姿 は 教 会 の 丸 天 井 の 下 で, 服 をしわでいっぱいにして 心 地 よさそうに 舞 いあがる 天 国 の 住 人 のようだった 一 方 その 下 で はひとつひとつ,ひとびとの 手 の 中 の 小 さなろうそくにかすかな 炎 の 群 れがともされ, 司 祭 が とこしえの 安 らぎの 歌 をうたい, 弔 いの 百 合 が 揺 らめく 灯 りの 中 で 開 いた 棺 に 横 たわる 人 物 の 顔 を 覆 い 隠 すのだ 31 屋 敷 を 訪 れた 農 民 たちによって 胴 上 げされ, 空 中 に 舞 い 上 がった 父 親 は 永 遠 に 一 時 停 止 したまま 棺 の 中 へ 消 えていく この 輝 かしい 光 景 は, 多 くのナボコフ 愛 好 者 の 胸 に 一 枚 の 写 真 として 焼 きついていることだろう 若 島 正 が 指 摘 した 反 重 力 の 想 像 力 32 の 典 型 とも 言 えるようなこの 描 写 は, 線 状 に 流 れる 時 間 を 文 体 の 魔 力 で 寸 断 してしまう こうし た 文 体 による 魔 術 はナボコフ 以 外 の 誰 もなしえなかったことであろう ボイドの 評 伝 でも,このエピソードは 言 葉 の 魔 術 を 示 すものとして 冒 頭 に 紹 介 されてい る ボイドはこの 一 節 こそ, 自 分 の 記 念 碑 的 な 伝 記 の 導 入 にふさわしいと 考 えたのだ 未 亡 人 ヴェラや 息 子 ドミトリイなどの 信 頼 と 協 力 を 得 て, 数 々の 未 公 開 資 料 を 閲 覧 するとい う 恩 恵 を 受 けて 書 かれ, 上 下 巻 合 わせて 1400 ページにも 達 するこの 労 作 が,ナボコフ 研 究 のひとつの 達 成 点 であることは 疑 いようもなく,ボイドがナボコフ 研 究 の 第 一 人 者 とさ 31 Nabokov, Speak, Memory, pp 若 島 正 反 重 力 の 想 像 力 :ジョイス,ナボコフ,カルヴィーノ 若 島 乱 視 読 者 の 帰 還 みすず 書 房,2001 年, 頁 74

17 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 れるのもこの 一 組 の 評 伝 によるところが 大 きい それはナボコフ 研 究 を 志 すものなら 誰 し も 傍 らに 置 き, 参 照 しなければいけない 基 本 文 献 になっている その 輝 かしい 書 物 の 冒 頭 で,この 輝 かしい 描 写 をボイドは 以 下 のように 解 説 する ここでナボコフは(すぐれた 読 者 はすぐに 気 づき, 記 憶 よ, 語 れ の 読 者 ならだれでもや がてわかるように)のちになって 自 分 の 人 生 に 降 りかかるある 瞬 間,すなわち, 開 かれた 柩 に 横 たわる 父 を 見 下 ろす 日 を 予 告 しているのだ 天 に 舞 い 上 がる 男 の 最 初 のイメージは, 話 の 端 緒 から 逸 脱 しているようにみえるが, 永 遠 に 空 にとどまるかのように 浮 かんだ 人 物 から, 棺 台 の 上 の 死 者 へと 下 っていく 文 章 には, 偶 発 的 なところも, 恣 意 的 なところもまったくない 33 ボイドも 放 り 上 げられて 静 止 した 父 親 がいつの 間 にか 記 憶 よ, 語 れ の 後 半 で 描 かれ る 父 親 の 死 のイメージへとナボコフの 文 体 の 魔 力 によって 移 行 していくことを 述 べて いる そしてこの 挿 話 を 評 伝 の 導 入 部 に 置 くことによって, 下 巻 で 描 くことになる 作 家 の 死 をも 示 唆 している ここでボイドの 解 釈 はまぎれもなく 一 つの 正 解 であり,ナボコフが 予 期 した 模 範 解 答 の 一 つでさえあるだろう だが, 正 直 に 告 白 すればまさに 正 解 であるがゆえに 一 抹 のナイーヴさ,あやうさを 私 は 感 じてしまう ボイドがなぞっているのはある 意 味 で ナボコフはナボコフだ というトートロジーの 袋 小 路 であるからだ そしてそれは 全 体 の 基 本 線 になってしまっている だが 評 伝 の 権 威 をふまえたうえで, 誤 解 を 恐 れずに 言 え ば,その 意 味 でボイドの 評 伝 はナボコフの 用 意 した ベビーベッド から 一 歩 も 出 てはい ない ナボコフのような 癖 の 強 い 作 家 において, 読 者 は 二 通 りの 反 応 を 示 すことがあらか じめ 決 定 されてしまっている 一 つは 拒 絶 反 応 そしてもう 一 つはそれが 提 示 する 世 界 に すっかり 取 り 込 まれてしまうかだ それは 言 いかえれば,かつてナボコフじきじきの 許 し を 受 けて 伝 記 を 執 筆 したものの, 事 実 に 反 した 記 述 を 繰 り 返 したため 破 門 されたもう 一 人 の 伝 記 作 者 フィールドのようにナボコフの 芸 術 について 的 外 れな 批 判 をするか,それ を 信 じ 込 んでしまうかの 二 通 りしかないことになる しかし,ここではこの ベビーベッド から 抜 け 出 す 方 法 はないのか,もう 一 度 模 索 し てみることによう この 章 の 始 めで,わざとボイドの 評 伝 通 りに 自 伝 から 引 用 をおこなっ てみた ここでもう 少 し 見 通 し を 良 くするために, 引 用 の 範 囲 をもっと 広 げてみたい このエピソードは 前 述 したとおり 記 憶 よ, 語 れ 第 1 章 の 最 後 を 飾 っている しかし, 多 くの 読 者 は 忘 れているかも 知 れないが,このエピソードが 含 まれる 第 1 章 5 節 はこう 始 められるのだ 33 ブライアン ボイド( 諫 早 勇 一 訳 ) ナボコフ 伝 :ロシア 語 時 代 ( 上 ) みすず 書 房,2003 年,6 頁 75

18 秋 草 俊 一 郎 今 世 紀 のこの 奇 妙 な 最 初 の 十 年 間 には 古 いものと 新 しいものが,リベラルな 空 気 と 家 父 長 社 会 的 な 空 気 が, 致 命 的 な 貧 困 と 宿 命 的 な 富 が,めちゃくちゃにごたまぜになっていた 私 たち が[ 中 略 ] 一 階 のダイニングルームで 昼 食 をとっていると,[ 中 略 ] 執 事 のアレクセイがはい ってきて, 体 をかがめて, 父 に 低 い 声 で[ 中 略 ] 村 人 たちが 旦 那 様 に 会 いに 外 に 来 ていますと 告 げるようなことが,ひと 夏 のうちに 何 度 かあった [ 中 略 ] 目 に 見 えない 一 団 が 目 に 見 えな い 父 に 挨 拶 を 始 めると,その 方 向 から, 農 民 たちの 丁 寧 な 挨 拶 の 声 ががやがや 私 たちの 耳 に 聞 こえてきた [ 中 略 ]おそらくそれは 村 のいさかいごとに 父 の 調 停 を 頼 みに 来 たり,なにかの 特 別 な 補 助 金 のことで 話 に 来 たり,あるいはどこかの 畑 の 刈 り 入 れやどこかの 森 の 伐 採 の 許 可 を 貰 いに 来 たりしてのことだったのだろう そうした 願 いはだいたいいつもすぐに 聞 きいれら れるのだったが,そうすると,またあのがやがや 声 が 聞 こえてきた そして 一 同 の 感 謝 のしる しとして,いい 旦 那 さまは, 多 数 の 力 強 い 腕 で 揺 られ, 放 り 上 げられ, 無 事 にまた 受 け 止 めら れるというわが 国 伝 統 の 試 練 を 受 けねばならなかった ダイニングルームでは 私 と 弟 はきまって 食 事 をつづけなさいと 小 言 を 食 った 母 は 食 べかけ のひと 口 を 人 差 し 指 と 親 指 ではさんだまま, 食 卓 の 下 をちらとのぞいて, 神 経 質 で 怒 りっぽい ペットのダックスフントがいるかどうかたしかめる 昔 の 母 の 家 庭 教 師 で[ 中 略 ], 気 取 り 屋 の,なにごとにも 悲 観 的 な, 年 とったゴーレイ 夫 人 は, いつか 彼 らはきっと 彼 を 落 っことし ますよ とフランス 語 で 言 う 34 まず 目 を 引 くのがこの 節 の 最 初 の 文 である ナボコフはこのセンテンスで 古 いもの と 新 しいもの, リベラルな 空 気 the liberal touch と 家 父 長 的 な 空 気 the patriarchal one と 致 命 的 な 貧 困 と 宿 命 的 な 富 を 対 置 してみせる ここで 使 われている patriarchal という 形 容 詞 が paterfamilias の 同 義 語 であることは 言 うまでもない そし て,それと 対 になる 概 念 としてもちいられているのは liberal という 形 容 詞 である も ちろんこの リベラル とは,ナボコフが 注 釈 の 中 で 主 張 していたロシア 貴 族 が 専 制 的 な 皇 帝 に 対 抗 して 19 世 紀 のあいだ 保 持 してきた 伝 統 ある 真 実 のリベラル だ そして, この リベラル という 形 容 詞 は,ほとんどナボコフの 出 自 を 語 るときの 枕 詞 と 化 してい ることに 注 意 しよう それはボイドの 評 伝 の 第 1 章 のタイトルが Liberal Strains: The Patterns of the Past であることからもうかがえることだ こうしたロシアの 二 面 性 は,20 世 紀 の 最 初 の 10 年 間 いわゆる 銀 の 時 代 に なって 初 めて 出 てきた 特 徴 ではない 世 紀 末 から 20 世 紀 の 初 頭 はそれが 顕 著 になった 時 期 には 違 いないにせよ, 限 られた 階 級 が 享 受 する 富 とその 他 大 勢 の 農 民 たちが 味 わってき た 貧 困 や, 西 ヨーロッパ 経 由 の 自 由 主 義 と 土 着 の 封 建 的 な 農 奴 制 はロシアが 長 年 ひきずっ 34 Nabokov, Speak, Memory, pp

19 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 てきた 問 題 であったはずだ そして, 本 来 は 切 り 離 せない 二 面 性 のうちナボコフがどちら を 読 者 の 前 に 一 貫 して 提 示 し 続 けているかは 明 白 なことだろう 自 伝 の 記 述 に 戻 ると,ヴイラの 邸 宅 で 食 事 をするナボコフ 家 の 団 欒 のひと 時 は, 領 地 の 農 民 たちの 訪 問 によってたびたび 中 断 されたことが 記 されている 農 民 が 来 たことを 申 し 訳 なさそうに 父 ナボコフに 告 げる 執 事 ナボコフの 母 はといえばこのさして 珍 しくもなか っただろう 空 中 浮 遊 の 生 み 出 し 手 たちよりも,ペットの 気 難 しいダックスフントを 気 にし ている この 空 間 に 流 れている 家 族 の 奇 妙 な 無 関 心 さと 静 的 といってもいい 雰 囲 気 は,こ の 儀 式 がありふれたものであったことを 裏 付 けている ここで 注 目 したいのは invisible という 形 容 詞 によって 文 字 通 り 不 可 視 化 されて しまっている 農 民 たちである おそらく 通 常 のナボコフならば, 彼 らの 服 装 から 年 恰 好 な どをありありと 描 写 したことであろう だが,ナボコフはそうしない それは 少 年 ナボコ フが 貴 族 らしい 厳 しいしつけによって 席 に 縛 り 付 けられているからであるが,もうひとつ の 重 要 な 理 由 は, 少 年 ナボコフの 座 しているこの 眺 めの 悪 い 部 屋 こそ, 実 は 作 家 ナボ コフがしばしば 使 う 文 学 的 装 置 だからである ここでナボコフは 農 民 が 見 えない ので はなく, 見 ない ことを 消 極 的 な 形 ながら 選 択 している 読 者 を 自 分 のイマジネーショ ンが 作 り 出 した 空 間 に 閉 じこめてしまうために まさにこの 現 象 と 同 様 のことが オネーギン 翻 訳 と 注 釈 でも 起 こっている ナボコフ 作 家 としての 強 すぎるイマジネーションと 魅 力 的 な 文 体 は,それを 作 り 出 さずにはいられ ないのだ ゆえに, 私 たちはナボコフの 作 品 を 読 むとき 自 分 がどこにいるのか 確 認 してみ る 必 要 があるだろう 私 たちにナボコフが 与 える 情 報 は 時 に 故 意 に 限 られた 種 類 の 情 報 で ある ゆえに, 時 に 書 かれていないものを 読 もうとすること, 見 えないものを 見 ようとす ることが 必 要 なのである ここでさらに 立 ち 止 まって, 空 中 浮 遊 の 前 の 描 写 をよく 読 めば, 農 民 たちがわざわざ 領 主 である 父 のところに 来 た 肝 心 の 理 由 も 書 かれている おそらくそれは 村 のいさかいご とに 父 の 調 停 を 頼 みに 来 たり,なにかの 特 別 な 補 助 金 のことで 話 に 来 たり, 35 あるいはど こかの 畑 の 刈 り 入 れやどこかの 森 の 伐 採 の 許 可 を 貰 いに 来 たりしてのことだったのだろ う とのことだが,これは 共 同 体 としての 村 に 領 主 の 存 在 が 果 たす 役 割 が 少 なくなかった ことを 意 味 している もちろんナボコフは 領 主 側 の 善 意 を 強 調 するが, 注 釈 での 主 張 とは ズレがある こうしたことを 前 提 に 先 に 引 用 した 父 の 浮 遊 シーンをもう 一 度 再 読 してみれば, 美 しい 光 景 の 背 後 にこめられている 一 種 の 不 気 味 さを 感 じとれるはずだ 目 に 見 えない 無 数 の 手 によって 望 んではいない 空 中 浮 遊 を 強 いられている 父 ナボコフ 彼 にできることといえば 35 この 補 助 金 に 関 する 記 述 はロシア 語 版 では 存 在 しない 77

20 秋 草 俊 一 郎 落 下 の 衝 撃 に 備 えて 体 をこわばらせることしかない もちろん,こうした 両 者 の 絶 妙 な 力 関 係 にもとづいておこなわれていた 伝 統 的 な 胴 上 げが, 作 家 ナボコフが 40 年 後 の 未 来 か ら 望 むように 永 遠 に 続 くわけはなかった この 場 にいるただ 一 人 の 部 外 者 であるフランス 人 家 庭 教 師 ゴーレイ 夫 人 だけが,その 光 景 のもつ 意 味 ある 種 の 異 様 さを 客 観 的 に 捕 ら えている そのなにげなく 発 せられたフランス 語 の 台 詞, いつか 彼 らはきっと 彼 を 落 っ ことしてしまいますよ は 奇 しくもロシアという 国 がたどった 運 命 への 予 言 になってしま っている そして 作 家 ナボコフが 与 えてくれる 情 報 からは, 三 度 目 に 空 高 く 放 り 上 げられ た 父 親 が,はたして 現 実 に 小 作 農 たちの 骨 ばった,だが 日 焼 けしてたくましい 腕 に 再 びう けとめてもらえたのかどうかすら, 私 たちにはわからない しかしながら 歴 史 的 な 現 実 は, 革 命 が 起 こると,この 壮 麗 なヴィラの 邸 宅 もまさにナボコフの 父 親 を 胴 上 げした 同 じ 農 民 たちの 手 によって 焼 かれてしまったことを 伝 えている 7 本 論 では エヴゲーニイ オネーギン というテクストを 一 種 の 鏡 として 用 いることで, そこに 映 ったナボコフの 政 治 観 を 描 出 しようと 試 みた そして,それを 援 用 してナボコフ の 作 品 の 解 釈 に 役 立 てる 方 法 を 模 索 した もちろん,こうした ナボコフと 政 治 といっ た 大 きなテーマはひとつの 論 文 で 片 がつく 問 題 ではないし,またそもそも 作 家 と 政 治 あるいは 文 学 と 政 治 といったテーマが 一 種 の 呪 われた 問 題 として 特 に 欧 米 の 洗 練 された 研 究 者 の 間 では 忌 避 される 傾 向 のある 問 題 であることも 忘 れるわけにはいかない 特 にナボコフのような 作 家 の 場 合,こうした 泥 臭 い 問 題 よりも 彼 の 残 した 華 々しい 芸 術 がそれぞれの 時 代 に 応 じたトレンドの 下 で 研 究 される 傾 向 がある しかし 作 家 も 人 間 で ある 以 上, 政 治 から 完 全 に 自 由 であるわけにはいかず,その 痕 跡 は 作 品 にも 残 されている はずだ その 意 味 でこの 問 題 は 解 決 済 みの 問 題 などではなく, 折 りに 触 れて 回 帰 すべき 問 題 である それはナボコフをいかに 脱 神 話 化 するのかという 問 題 にも 繫 がってくることだ ろう 本 論 では 従 来 の 芸 術 至 上 主 義 者 というナボコフ 像 に 対 する 反 証 としてナボコフの 政 治 観 を 提 出 したが,それが 単 純 に(ソ 連 から 見 て) 保 守 反 動 的 であったと 指 摘 するだけでは 発 展 性 はないだろう それがいかにナボコフの 芸 術 観 に 影 響 を 与 え, 作 品 と 不 可 分 になっ てひとつの 文 学 世 界 を 形 成 しているかという 探 求 がなされたときに,その 主 張 は 初 めて 生 産 的 な 議 論 になる 本 論 では 最 終 節 で 自 伝 を 例 にとってそのアプローチの 糸 口 を 試 みたに 留 まったが,この 問 題 は 今 後 一 層 の 研 究 がなされるべき 領 域 だろう そのための 布 石 とし て 将 来 この 論 文 が 寄 与 することを 期 待 する 78

21 ナボコフが 付 けなかった 注 釈 Комментарий, который Набоков не написал: Политические взгляды в комментариях В. В. Набокова к роману А.С. Пушкина «Евгений Онегин» АКИКУСА Сюнъитиро В статье затронут вопрос о политических взглядах Набокова в комментарии к роману «Евгений Онегин». Что касается идеологических взглядов Набокова, крайне мало предшествующих исследований, потому что обще известно, что Набоков никогда не имел интереса к политике и ненавидел литературу, которая занимается вопросами политики, как это делала советская литература. Набоков определяет роман «Евгений Онегин» как явление стиля и показывает многие аллюзии к французской и английской литературе, к тому же, в комментарии к «Евгению Онегину» он неоднократно высказывается против идеологического толкования советских исследователей того времени. С эстетической точки зрения Набоков опровергает мнение, что Пушкин были прогрессивным писателем большевизма. Но Набоков так активно выступал против марксистского толкования советских исследователей, что комментарии стали полем идеологического боя. Однако, несмотря на такое отношение к политике, в комментарии Набокова иногда проскальзывает идеология. Так, например, он окончательно определил Пушкина как «старомодного либерала», а также, в одном интервью Набоков декларировал, что он сам старомодный либерал, как и его отец, который перед революцией основал кадетскую партию и был убит монархистом в Берлине. Таким образом, в комментарии Набоков навязывает тексту свои политические принципы. Кроме того, комментарии Набокова приводят иногда к преувеличениям и натяжкам, отягощая особым смыслом такие детали, которые, несомненно, соответствуют его осмыслению либерализма. Например, в комментариях Набоков посредством писательского воображения насильственно связывает диктатуру Петра Великого и Александра I с большевизмом и ленинизмом советского времени. Вместе с тем, в комментариях Набоков переоценивает освобождение крепостных в 1861 году и тогдашний либерализм дворянства, несмотря на то, что на самом деле это освобождение было обусловленно не только либерализмом, но и кризисом, вызванным поражением страны в Крымской войне. Более того, Набоков, как представитель дворянства, должен был знать, что Крестьянская реформа не полностью освободила крепостных крестьян, и помещики продолжали контролировать 79

22 秋 草 俊 一 郎 крестьян. Сверх того, в комментарии Набоков иногда специально пропускает нужные сведения, которые демонстрируют жесткую действительность крепостного права и неудобны для его либерализма, несмотря на то, что он точно понимает и переводит текст «Евгения Онегина». Следовательно, чтобы узнать политические убеждения Набокова, нам нужно увидеть, что Набоков оставляет за пределами своего громадного комментария. В Европе и Америке Набоков разочаровался в западных интеллигентах, которые считали, что в России не было либерализма до революции и презирали Набокова как цариста или троцкиста. Поэтому Набоков, с одной стороны, притворяется равнодушным к политике, с другой стороны, не снабжает текст аннотациями, которые указывают на жестокость крепостного права, и подчеркивает либерализм. Такое противоречивое отношение к политике Набокова было обусловленно тем, что ему необходимо было выжить в качестве эмигрантского писателя. Следовательно, мы можем рассматривать перевод и комментарии Набокова как «пропаганду» общественного движения. Из этого следует, что мы отмечаем недостатки прежних исследований о Набокове. В своей автобиографии Набоков написал, что крестьяне часто умоляли владельца поместья, отца Набокова, посредничестве между поссорившимися. Так, описание русской жизни в его автобиографии иронически показывает патриархальную отсталую Россию и отчетливо противоречит его комментариям. Кроме того, когда Набоков описывает зрелище, как крестьяне подкидывали его отца в воздух, с одной стороны, он живо изображает «замечательный случай левитации» своего отца, а с другой стороны, старается не показывать читателям реальных крестьян, чтобы отвлечь их внимание от русской действительности. 80

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(1990) (1990) (1991) 88 87 Alina Vitukhnovskaya 1973 3 27 7 11 10 12 1980 Literatunye novosti Smena 1993 1994 1 LSD 10 20 LSD 21 1995 10 1997 10 1998 4 1999 1996 80 1993 1994 1996 1996 1997 1999 10 (1990) (1990) (1991) 88 89

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