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1 214(1) 西洋哲学伝来小史はじめに一西洋哲学(スコラ神学)の伝来二宇田川榕庵の写本 西学凡 三江戸時代の思想家にみられる哲学的思想 安藤昌益 三浦梅園 皆川洪園のばあい四西洋哲学の発見者西周五明治期の哲学の傾向西洋哲学を教えた機関 東京大学 哲学館 伝通院 護国寺ドイツ哲学の移入六大正期の哲学 専門的 学術的研究の深化七昭和期(戦前 戦中)の哲学日本哲学(皇道哲学)の勃興京都学派の戦争賛美戦時下における各大学の哲学講義題目 講義評判記戦時下の哲学教師戦時下の学生らのくらしぶり八戦後日本の哲学界九むすびはじめにこんにちほど 哲学 の語が広い意味で用いられている時代はない 哲学(西洋哲学)は 本来ものの原理を究める学問の意であるが 哲学のあたまに修飾語をつけ 恋愛哲学 洒落哲学 雲助哲学 処世哲学 戦争哲学 愚物哲学 狂哲学 といった語まで聞かれることがある が これはじぶんの経験からつくりあげた見方や世界観と哲学とを同一視したものであろう 西洋哲学伝来小史宮永孝

2 (2)213 ヨーロッパの中でもとりわけイギリスは P フィロソフィhilosophy という語をもっとも広義に用いることで知られ 同国においては 大工哲学 という語句すら聞くことも珍しくなかった 哲学といふ語に就きて ( 早稲田文学 明治二十八年五月) 一方 わが国ではどうか 明治期の敬蒙的官僚学者 加藤弘之(一八三六~一九一六)は 哲学会 (明治十七年一月創設)の会員 易学者の高島嘉か右え衛も門ん(一八三二~一九一四)の哲学会での講演をからかい 八百屋哲学 (よろず屋の意)と陰口をいった *わが国にいまだかって固有の哲学は存在し 成立したことがあるのだろうか 日本には古来 仏教や儒教(孔子の思想にもとづく教え)や道教(中国に起った民族的宗教)などが知られていた(1 ) それらは一種の哲学的性質を帯びていたが 必ずしも哲学的に攻究せられたことはなかった しかしながら この三つを一種の宗教思想 広義の東洋哲学もしくは日本哲学として捉えることは可能であろう 日本は哲学と有縁の地であったのか それとも無縁の地であったのか 日本人の国民性や気質からいって 日本人は哲学を研究するに適しているのか否かは いまは問題としない 日本人のなかには 幕末 明治の西洋哲学の移入まで いわゆる西洋流の 哲フィロソフィア学 に相当する考え それに似た思想をもつ者はなきにしもあらずだった わが国の近代的学術のほとんどは 外国から輸入したものである とくに西洋哲学は舶来の哲学であり 換言すれば 伝受的哲学(2 ) にほかならなかった 一西洋哲学(スコラ神学)の伝来 いまわたしは本稿において 西洋哲学 (フロソフィア)がどのように日本に渡来し それがどのようにわが国において発達し こんにちに至ったのか その歴史的発展の軌跡をたどってみたい 西洋哲学がわが国に伝わった正確な時期についてのべることはできないが およその時期は判明している 西洋哲学の日本伝来は 天文十八年(一五四九)八月二十日 スペインのヤソ会宣教師フランシスコ=ザビエル(一五 六~五二)が 修道者コスメ デ トルレス ジョアン フェルナンデスのほか 日本人(3 )(パウロ アントニオ ジョアン)などを伴ない 鹿児島に上陸した以後のことであることだけはたしかである

3 212(3) 西洋哲学伝来小史ザビエルは 布教の主要手段として キリスト教の教理(おしえ)を個人教授するよりも学校を建て そこで教育することに大きな意義を置いていた(4 ) ヤソ会の伝道の興隆は その教育機関の興亡の歴史でもある 当初の布教活動は ザビエルがゴアから連れてきた日本人の親戚のものたちをまずあつめ かれらに創造主 天地創造などについて 日本語で説明してやることからはじまった(5 ) その後 宣教師は日本各地に信徒の子弟をあつめてキリスト教の教義や日本語の読み書きなどを教える寺子屋教育をはじめ ついで伝道師や神学生を養成するためのコレジョ(学林) セミナリオ(修業所) ノビシャド(修練所)などを設立した(6 ) 注目すべきは 後年府ふ内ない(大分市の旧称)のコレジョにおいて ラテン語文法 日本語 民族学 宗教学についで 天正十一 二年(一五八三 四年)ごろに 哲学 の講義がはじまり 天正十三年(一五八五)にはスコラ神学の研究(7 )がはじまったことである このころアリストテレスの論理学やプラトンの哲学などの講義を聴いた日本人もいたはずである 西洋哲学の片りんが神学を通じてわが国に伝わったのは 安土桃山時代であるが そのくわしい内容については明らかでない しかし 長崎や天草で布教用の教義書として刊行された いわゆる キリシタン版 のなかに フィロソフィア Philosophia ( 哲学 の意のラテン語)ヒロゾフォ Philosopho ( 哲学者 の意のポルトガル語)の語が散見する キリシタンの諸学校で教えられた フィロソフィア は ヨーロッパ中世の哲学(宗教哲学 神学) いわゆるスコラ哲学であった それが一部のキリシタン信徒に教授されたとしても 一般大衆とは無縁であった 日本におけるキリスト教は 寛永の初年(一六二 年代)より漸次迫害の度をふかめ またわが国には哲学的思弁的思索の伝統(8 )がなかったために この渡来のフィロソフィアは わが国に根づくことなくそのまま絶滅した しかし 江戸時代の末期に ある信徒がじぶんの告白 ざんげ文を政府に提出したさいに その文章の中に すこし変な発音であるが プラトンとかアリストテレスの名称が書かれていた このことから哲学者の名や学説が多少伝わっていたと考えられるという(9 ) 室町時代に南蛮人が 日

4 (4)211 本人にまず伝えたものは鉄砲であり ついでキリスト教であった そのほか天文学 航海術や語学なども伝授した いまわれわれは フィロソフィア とか ヒロゾフォ や テオロギア といった語をキリシタン文献のなかに見いだすことができる フィロソフィア(Philosophia )の語が出てくるキリシタン版は サントスの御ご作さ業げう (ローマ字本 一五九一年[天正十九年]肥前国高来郡加か津ず佐さの学コレ院ジオで刊行) ヒイデスの導師 (信心録 ローマ字本 一五九二年[文禄元年]天草の学院で刊行) コンテンツス ムンヂ (信心書 ローマ字本 一五九六年[慶長元年]天草の学院で刊行)などであり ヒロゾフォ (Philosopho )の語は サントスの御作業 や ヒイデスの導師 に また テオロギア (Theologia )は前者に見いだすことができる ところでキリシタン版において フィロソフィア の名称はどのように説明されているのか その最も要領をえた説明はつぎのようなものである ヒロゾホの語にも 人は新しき事を見て驚き その由緒を知らんと歎くこと常の法なりと云へり 譬たとへば日月の蝕するを見てはその謂はれを知らんと歎くより ヒロゾハルといふ事は出て来たる也 此を以てその根元を知るもの也(姉崎正治 切支丹宗教文学 所収 七 頁 第二十五章 サントスの御作業 ) 右の文を三さい枝ぐさ博ひろ音と(一八九二~一九六三 昭和期の哲学者 科学史家)は 左記のようにやさしく訳した サントスの御作業 (1591 年刊 ) 肥前国高来郡加津佐学院で刊行された文語体ローマ字綴本

5 西洋哲学伝来小史 ヒロゾホ 哲学 ということばの意味は 人間というものは新しいことを見て驚嘆し そしてそれのわけを知りたいとおもうものである たとえば 宇田川榕庵の写本 西学凡 日蝕や月蝕を見ると そのわけを知りたいものと切におもう そういうところから ヒロゾハル 哲学すること ということはおこったのである これ 二 わが国に西洋哲学 スコラ神学 の断片が伝わったのは十六世紀 安土桃山時代 で あ る が 十 七 世 紀 江 戸 時 代 に 入る と 中 国 在 住 の イ タ リ ア の ヤ ソ 会 士 ジ ウ リ オ アレーニが編んだ漢訳 籍 西学凡 シシュエファン によって 西洋の学術 の体系が日本にも伝えられたと考えられる その中には フィロソフィアを音訳した 斐録所費亞 の語がみられた り ま とう 中国においてヨーロッパの学術が伝わったのはマテオ リッチ 一五五二 一六一 ようあん 儒略 が著わした 西学凡 杭州で刊行された は 明 アイジュリエ 徳川家光が将軍となるわが元和九年の刊行である あるが わが国に言うに足るほどの影響をあたえなかったようだ 碑 が原因となり 禁書となった 西学凡 はヨーロッパの学術を大観した書物で に は キ リ ス ト 教 関 係 の 書 物 の 輸 入 が 禁 止 さ れ た 西 学 凡 も そ の 附 録 景 教 わが国においては 翌寛永元年 一六二四 に禁教策が強化され 同七年 一六三 末の天啓三年 一六二三 で布教活動した 漢名 ーニ 一五八二 一六四九 イタリアのイエズス会士 上海 揚州 山西 福建など イタリアの宣教師 漢名 利瑪竇 以後のこととされている ジウリオ アレ 11 宇田川榕庵 一七九八 一八四六 江戸後期の蘭学者 幕府天文翻訳方 は この でみると ヒロゾホということは根元を知ることなのである こんてむつすむん地 慶長 15 年 月 京都 原田アントニヲ印刷 所刊 漢字ひらがな交り文

6 レ ト リ カ ロ ソ ヒ ア 文科 勒鐸理加 ヒ ジ シ ナ ヒ rhetorica leges ロ リ medicina 理科 斐録所費亞または斐録所 メ ギ ス 医科 黙第済納 レ 子 ス 法科 勒義斯 ノ canones カ 教科 加諾搦斯 theologia テ オ ロ ジ ア 道科 陡 禄 日 亞 logica ロ ジ カ 落日加 シ カ physica ヒ シ カ 費西加 タ ヒ metaphysica メ 黙達費西加 mathematica テ マ チ カ philosophia メディキーナ 西学凡 の写本 和とじ 厚さ あん だいせん の欄外に緑色で 榕庵按本邦寛永三年蘭千六百二十六年 といった書き入れがある この文 章はどう解すべきか 洋暦の一六二六年と考えたものであろう かれはいったいいつごろこの写本を入 西学凡 の刊行年は わが元和九年 一六二三 にあたるが 宇田川は刊行年をわが寛 永三年 手したものか明らかでないが この写本によってヨーロッパの学問が六科に分けられ かつ その教授の順序はどのようなものか識っていたようである すなわち 三 葉 六 頁 題簽の一部を欠く を 0.6 所持していた 現在 早稲田大学中央図書館の貴重本 が 写本年は不明である 十三頁 16.5 六科 雄弁術 修辞学 哲学 医術 立法 規範 神学 などの語が出てくる原文は つぎのようになっている マ 23.8 注 各科目のよみ方は 原文に付けられているルビの通りにした 馬得馬弟加 宇田川榕庵

7 208(7) 西洋哲学伝来小史重刻西シシュエファン学凡大西アイ儒ジュ畧リエ答述閩ミンツオンチンイタンツー中欽一堂梓極西諸國 總名歐邏巴者 隔於中華九百里 字語言 經傳書集自有本國圣賢所紀 其科目考取 雖國各有法 小異大同 要之盡於六科 一爲科 謂之勒レ鐸ト理リ加カ一謂理科 謂之斐ヒ錄ロ所ソ費ヒ亞ア 一爲醫科 謂之默メ第ジ濟シ納ナ 一爲法科 謂之勒レ義ギ斯ス 一爲敎科 謂之加諾搦斯 一爲衟科 謂之陡テオロジア錄日亞 (十三頁)榕庵按本邦寛永三年和蘭千六百二十六年(注)(注)欄外に緑色による このような書き入れがみられる 極きょく西せい(欧州)の諸国 総じて欧ヨーロッパ邏巴と名づける者は 中華(中国)を隔へだたること九万里なり 文字語ご言げん(ことば) 経けい伝でん書集(中国の書物) みずから本国聖せい賢けん(聖人と賢人)の紀しるすところあり その科目を考こう取しゅする(調べる)に 国にそれぞれ法ありといえども 小異大同にして これを要すれば六科に尽つく 一いつに文科に為たり これをレトリカという 一いつに理科(ものの筋道)といい これをヒロソヒアという 一いつに医科たり これをメデシナという 一いつに法科たり これをレギスという 一いつに教科たり これをカノネスという 一いつに道科たり これをテオロジアという 哲ヒロソヒア学や自ロジカ然哲学(物理学)や形メタヒシカ而上学などについて説明した文章は つぎのようなものである 理學者 義理ノ之大學也 人以義理超ヘ於萬物一ニ而メ爲タリ萬物之靈 格物窮理 則於レテ人全ク而於テレ天近 然物之理 藏メリ在二物中 如ク二金在レルカ砂如シ二玉在璞須レ淘之剖レ之 以二ス斐ヒロソヒア錄所費亞之學一ヲ 此斐錄所者 立テ爲二五家一ト分テ有二リ門類 有節 大都學之專者 則三四年可レ成 初一年學落ロ日ジ加カ夫落日黑者 譯言明辨之道 (十六頁)

8 (8)207 理学(自然科学)とは義ぎ理りの大学(正しいすじみちを究める大きな学問)なり 人は義理をもって万物に超え しかして万物の霊(本質)たり 格かく物ぶつ窮きゅう理り(物事の道理をきわめて 知識をふかめる)は すなわち人において全まったく 天においては(意味不明)う しからば物もの理りは蔵めして 物ぶつ中ちゅうにあり 金の砂に在るごとく 玉ぎょくの璞はく(みがかない玉)に在るが如し すべからくこれを淘とうし(えらび分ける) これを剖さくする(判断する)には ヒソロヒアの学をもってす ヒソロヒアは立てて五ご家か(五つの学科)をなし 分わかって門類(派)あり 支節あり 大たい都と(おおむね)これを学ぶこともっぱらなる者は 三 四年にして成るべし はじめ一年はロジカなるものを学ぶ 訳やくして明めい弁べん(明らかにわきまえる)の道という 第二年專學費西加 爲斐ヒ錄ロ所ソ(注) 之第二家 費ヒ西シ加カ譯言察性理之衟以剖萬物之理 (十九頁)(注)榕庵は 斐録所 の語に 緑色00で ヒロソ とルビをふっている 第二年にはもっぱらヒシカを学ぶ ヒロソ(ヒア)これを第二家(第二番目の科目)となす ヒシカは 訳して性せい理り(本性)を察するの道をいい もって万物の理を剖ぼう判はん(分析して判断)するなり 第三年進斐ヒ錄ロ所ソ第三家之學 所謂默メ逹タ費ヒ西シ加カ者 譯言察性以上之理也(二十一頁)第三年はヒロソヒア 第三家(第三番目の科目)の学にすすむ いわゆるメタヒシカなる者は 訳して察性以上之理といふなり 文中の六科は 西洋における学問の体系を紹介しているが あまりにも説明が簡単であるため 読者にその意がじゅうぶんに通じたかどうか疑問である が 宇田川は 斐ヒ録ロ所ソ には 緑色00で ヒロソ とルビをふり またつぎに引用する文中にみられる 斐録所費亞 においては 朱色00で ヒロソピア とルビをふっていることから 哲学 (フィロソフィア)に相当関心をもっていたようにも想像される

9 206(9) 西洋哲学伝来小史各於斐錄之學 互相闡發 而加之以天主超性之確理人學愈爲透露也 斐ヒ錄ロ所ソ費ピ亞ア之學旣畢 則考取之 (二十七頁)それぞれ斐ヒ録ロの学においては (意味不明)発し これに加えるに天主超性の確理をもってすれば 人の学はいよいよ透露とならん ヒロソピアの学 すでにおわりなば すなわちこれを考取し なおジウリオ アレーニの漢訳 西学凡 は 禁書として容易に見ることのできぬ書であったが 渡辺華山(一七九三~一八四一 江戸後期の画家 思想家)は 同書を所蔵していたようだ(高槻未知生 我が蘭学者と科学的思想の発達 ( 東洋哲学 第二五篇第二号所収 東洋哲学発行所 大正七年二月) また中国における西洋哲学についていえば それを初めて伝えたのはカトリック教の宣教師 傳フウ汎タド済ウ(F.Furtado )であり 明末(十七世紀)のこととされている 傳フウは李リツウツア之藻とともにギリシャの哲学者アリストテレスの寰ファンヨーチエン有詮六巻と名ミンリータン理探十二巻を中国語に訳したが 寰有詮六巻は世に出ず 名理探は民国十五年(一九二六)になって 北京の私立大学 輔フーセンターシェ仁大学から出版された 西洋思想文明の哲学は 義和団の乱(一八九九~一九 清末の反キリスト教的排外運動)の前後にいたって 厳イエンフウ復によって再び輸入された 厳イエンフウ復はミルやスペンサーのものを訳したが抄訳であり どれも概論のたぐいであった したがって 清朝末期ごろに中国に入ってきた西洋哲学は 断章不全の学説であったようだ(張星著実藤恵秀訳 西洋文化の支那への影響 日本青年外交協会出版部 昭和十六年四月 二一八~二一九頁) キリシタンにたいする弾圧は 寛永十四年(一六三七)の島原の乱をピークとし 以後禁教はさらに強化され 幕末までつづくのだが この間西洋哲学思想の移入も展開もほとんどなされなかった 享保元年(一七一六)徳川吉宗(一六八四~一七五一)が宗家をついたのち 洋学奨励期をむかえるのである その約二十年後の天保六年(一八三五)秋ごろ 蘭学者 高野長英(一八 四~五 )は 聞ぶん見けん漫語 と題す一文を草した これはオランダ文の学術書の序のようなものを訳した印象をあたえるが 西洋哲学史を略記したものであり いまに遣のこる最古の文献である 古代から十七世紀あたりまでの有名な哲学者や自然科学者が登場する 高野はこの中で 哲学者のことを 学師 と呼んでいる ともあれ 幕末ちかくになって 西洋学術の本源である哲学に注意をむけたものが現

10 (10)205 れたことは注目に値する 高野は西洋の学術を研究することによって 政治的社会的関心をふかめ 晩年には幕府の対外政策を批判してその忌いにふれ 永牢の処分をうけた が やがて放火脱獄し 変名をもちい逃亡生活を送るうちに ついに幕吏に襲われ 自殺するといった数奇な運命をたどった 西洋の哲学に注目した点では 宇田川榕庵に共通するものがある 当時 一世に傑出した学才にめぐまれながら みずから命を絶たざるえなかったことは惜みてあまりある *帆足万里(一七七八~一八五二 江戸後期の儒学者 理学者)は オランダ語の科学書をよんで西洋の自然科学に通じ 窮理通 (未定稿 八巻)を著わしたことでその名は知られている 窮理通 の資料となったものの原書(十数冊)の書名は だいたい判明している 窮理通 の引用書目のなかに 繆ミユツセンブルーク仙武羅骨窮理説 (一七三九)という蘭書名がみられる 著者は ピィーテル ファン ミュセンブルック(一六九二~一七六一)という オランダの数学者兼物理学者である ムュセンブルックはドイツのデュースブルク オランダのユトレヒト レイデン大学教授を歴任した 帆足が所持していたと同じ版本が いま大分県立大分図書館の佐伯文庫に架蔵されており その書名(邦訳)には ミユセンブルーク ペトルスフアン[自然学原理 国民のための]第一部第二部

11 西洋哲学伝来小史 大分県立大分図書館蔵 ペトルス ファン ムュセンブルックの肖像 九 P ライデン 図表 サムエル ルヒトマンス 一七三九 フアン ミユ 哲学および推論のやり方につ に 有名な と こ ろ で は ア リ ス ト テ レ ス や デ カ Voorreden レイデンのサムエル ルフトマンス社刊 第一巻 くの実験を利用した記述によって補足した書 一七三九年 じ つ は こ の 本 の 序 文 ルト ニュートンといった名前が出てくるし 第一章 に われわれはそ I. Hoofdstuk. Over de W ysbegeerte, en Regels van redeneeren といった文章が見られる 一頁 weetenschap van alle zaaken,) に つ い て の 学 問 で あ る welke wy noemen Wysbegeerte of Philosophie: deze is eene れをウェイスベヘルテもしくはフィロソフィと呼ぶ すなわち それら 哲学 は万物 いて 第二版 物理学の原理 同国人のために書かれたもの 最近刊行されたルフトポムペンの多 書名の意は 左記のようなものである 原書名は上記 写真 のようになっている センブロツク著 サムエル ルヒツマン社発行 西暦一七三九年版 とある とある さらに見開きに 国民用理学初歩 蘭書 一冊 蘭人ペトロス 20 また哲学の語源についての記述に つぎのようなものがある

12 (12)203 Het woord Philosophie is van Grieksche afkomst, en saamgesteld uyt twee worden, dat is Beminnaar van Wysbeid: het is uytgevonden van Pythagoras; (p.2 )[訳]フィロソフィという語は ギリシャ語から来ている ピロ(愛している)とソピア(知恵)の二語が一つになったもので 知恵を愛する人 といった意である それはピタゴラスが考案した語である 帆足万里は このPhilosophie といった語に注目しただろうか それともそれを読みとばしたであろうか これらの点については 何ともいえない が 江戸後期にPhilosophie の語が 帆足という日本の科学者の目にふれたことだけはたしかである 本来 学問はひとが世間でくらすうえで役に立つものでなければならぬもの とわたしなどは常々考えている 世間一般のひとは 哲学ということばを耳にすると あたかもそれがむずかしくて とんと意味のわからものと決め込んでしまう 哲学のことを 浮世に利益を為なさぬ無用の長言と為なすものは哲学なり と ユーモラスに茶化したのは 白眼道人戯著 処世哲学一名紳士の綱渡り (博文堂 明治二十年十二月)である かって 哲学 とはどのようなものと考えられていたのか いま明治期の識者が考えていた語義のいくつかを引いて参考に供してみよう 哲学 はインドや中国やヨーロッパ各国でおこったものであるが わが国には久しく 日本哲学 の名実(名称とじっさい)あるを聞かなかった 哲学の 実じつ (本質)とはなにか それは物質や精神 神についての事理について究めることである(筒井明俊 日本哲学 明治会叢誌 第九号所収 明治二十二年八月) また井上円えん了りょう(一八五八~一九一九 明治期の仏教哲学者)によると 哲学 とは何かといえば 無形ノ心しん(核心)ヲ相手ニシテ研究スル学問 であるという 哲学と宗教のちがいはどうか 神を相手にして組立てた教えが宗教であるという(井上円了 哲学総論(接第七号) 日本大家論集 第二巻第十号所収 明治二十三年十月) ほかに哲学の字義について解した古い例として 事物本原の理を推究するの学 といったものがある(九きゅう老こう逸 哲学 陽明学 第一号所収

13 202(13) 西洋哲学伝来小史明治四十一年十一月) 三江戸時代の思想家にみられる哲学的思想 安藤昌益 三浦梅園 皆川淇園のばあい 江戸時代のわが国の思想家のなかに フィロソフィア に相当する学問や哲学的思想をもつものがいたのであろうか その先せん蹤しょう(先例)なきにしもあらずである 漢語の 哲てつ は 物事の道理にあかるい 才知にすぐれた人 哲学の略などを意味する 西洋思想がわが国に移入される前の哲学を考えるとき 哲 ということばを用いて知識上のまたは思想上のひとつの組織を試みた日本人の有無をさぐったのは 三枝博音であった 安藤昌しょう益えき(一七 三~六二 江戸中期の思想家 医者)の著述 自然真営道 の第二十五巻は 真道哲論 の巻である これは別名 良演哲論 である 良とは良中(昌益)の名前であり 演とは昌益の説 哲とはかれの門人のうち その意をほんとうに知ることの意である 論は門人らが師の意を弁論する意味である 仙曰良乃確龍堂良中之名也矣 演先生自演也 哲群門人知先生言也 論乃門人辯論師意也 仙せん曰いわく 良はすなわち確龍堂良中の名なり 演とは先生みずから演ずるなり 哲群の門もん人じん先生の言げんを知るなり 論とはすなわち門人師意を弁論するなり 安藤がいう 哲論 とは ひとつの思想体系 ひとつの世界観的立場 ひとつの思想組織であった かれは 哲論を明らかにする とか 此の哲論は 無始無終なる活真自感互性の妙道なり といった使い方をしている 安藤は 自然真営道 において いわゆる世界観を構成的にのべているから それは日本人がつくったひとつの哲学だという(12 ) 三枝によると 三浦梅園(一七二三~八九 江戸の中 後期の思想家)の 玄語 も日本に 日本大家論集 ( 明治 23 10) の扉

14 (14)201 おける フィロソフィア の一つの実例であるという 三浦のおもな著述といえば 玄げん語ご 贅ぜい語ご 敢かん語ご の三つであり これを俗に 梅園三語 という 玄語 は 人間をふくむ全自然界のなかに働いている条理(法則)を見いだそうとしたものである 贅語 は 天地間のいっさいの事象の実質的な知識を含んでいる 敢語 は かくかくあるべきである と説いた倫理書である 玄語 (宝暦三年[一七五三]起筆 安永四年[一七七五]脱稿)は 学問的知識の原理的な問題だけを扱っているから論理学書とみなすことができるという 三浦は 哲 という語を用いず 玄 といった 漢語の 玄 は 奥深い道理とか天地万象の根本の道を意味している 三浦のいう 玄 とは 知的追求のことではなく 条理を追求して出くわしたものの意のようだ 皆みな川がわ淇き園えん(一七三四~一八 七 江戸後期の儒学者)には多くの著述があるが かれは自著 名めい疇ちゅう (天明八年[一七八八]刊行 儒学における孝 悌 忠 信 恕などを解釈したもの 原文は漢文)において 学 と 哲 の概念を規定している 漢語の 学 は 知るとか習う 研究するのほか 学者や学舎 体系的な知識など じつに多くの意味をもつ語である 哲 は あきらかなること 物事の道理に明るいこと またその人 哲学の略として用いられている 皆川は 哲 ということばの学問的意味をさぐった思想家であった 哲学 という訳語をつくったのは西周であったが 西は皆川淇園のそういった試みに気づいていたとはおもえぬという(三枝博音) 皆川は 名疇 (第五巻)において 詩経や書経のなかに哲のことはずいぶん出ている といい 多くの引用をおこなっている(13 ) 詩書の中に 哲てつを言ふもの甚はなはだ多し 書(経)の皐こう陶よう謨ぼに云ふ 人を知れば則すなわち哲 能よく人を官にす と 洪範に云いふ 明めい哲てつを作なす と 皆川が 哲 ということばにおいて汲みとろうとしたのは ただ単に知るというのでなく 深い意味を実践的に知ることであった(14 )のではないか阿弥陀寺 [ 京都上京区 ] にある皆川漠園の墓 筆者撮影

15 西洋哲学伝来小史 という かい ほ せいりょう 安藤昌益や三浦梅園や皆川淇園にしても皆 物事の道理をたどって考えようとした思索者であ ふ じ たに み つえ った このほかにも西洋思想伝来の前史に登場するわが国の思想家に海保青陵 一七五五 一八 一七 江戸後期の経世家 浪人儒者 や富士谷御杖 一七六八 一八二三 江戸後期の国学者 あまね は 幕命によりオランダ留学の途にあがるまえ 文久二年 一八六二 以前のことである 当 時かれは蕃書調所の手伝並であり 英書によって西洋哲学をまなんでいた 道したユトレヒト大学教授のコルネリウス ウィレム オプゾーマー 一八二一 九二 である 学や語学や文学の研鑽につとめた 西が留学した当時 オランダで盛名があったのは経験論を唱 西と津田はレイデン大学のフィッセリング教授の私宅において個人授業をうけるかたわら 哲 る学であり 百学の学 であった 力があったのはコントの実証哲学であった 西にとって哲学とは すべての経験的科学を統一す らを学ぶにしても根本である哲学を学習する必要性を悟るにいたった 当時オランダにおいて勢 留学先のオランダでは 政治学 法律学 経済学などを学ぶのがおもな目的であったが それ 16 徠学を攻究し さいごに洋学に傾倒するにいたった が 西洋哲学にはじめて関心を寄せた時期 らい 代哲学の父とも呼ばれている かれはまず津和野において藩学である朱子学をまなび ついで徂 そ の哲学者である かれは 哲学 の訳語や哲学的述語をつくったことで知られ 日本における近 西周 一八二九 一八九八 明治期の啓蒙的官僚学者 は わが国に西洋哲学を移入した最初 あまね 四 西洋哲学の発見者 西周 などがいる 15 オプゾマーには 鳥取県津和野のある西周の旧宅 筆者撮影 西の二度目の下宿 レイデン市 Nieuwryn 94 番地 筆者撮影

16 (16)199 哲学 (一八四三年) 真理とその根源等 (一八五九年) 信仰の成果 (一八四八年) 知識の本質 論理学読本 (一八六三年) 科学の方法 (一八五一年) 国内法研究 (一八五四年) 科学と哲学 (一八五七年)などの著書(18 )があった 帰国後 西はイギリスのベンサム(一七四八~一八三一)やミル(一八 六~七三)の功利主義に傾倒し その著書を訳したり紹介したりした(19 ) 西の哲学的思想の淵源は コントとミルの実証主義であり 儒学や仏教は虚学であり かれにとって 遠西の学 こそが実学(20 )であった いずれにせよ西周こそ 日本に西洋哲学を移入した最初の哲学者(21 )であったことはたしかであり 明治十年(一八七七)以前のわが国の哲学的啓蒙活動は ほとんど西周のひとり舞台の観があった(22 ) コルネリス ウィレム オプゾマーの肖像オプゾマー著 科学と哲学 (1857 年 ) [ 筆者蔵 ]

17 198(17) 西洋哲学伝来小史尊王攘夷といった思想は 日本の開国とともに一変し 西洋崇拝 の思想を呼びおこしたのである とくに明治初年における人じん心しんは 風俗習慣までも西洋風に変えることを欲した時代であった(23 ) 西南戦争がおこったのは明治十年(一八七七)二月のことだが この戦役の前後から一般国民はヨーロッパの文物をまじめに研究するようになった それ以前の国民は ただ漠然と西洋熱に浮かされていたのであるが このころになると 維新の改革熱がようやく鎮静化にむかいつつあったという(24 ) 戊ぼ辰しん戦争の結果 幕府勢力が一掃され 天皇親政による新政府が樹立されると 新政の基本方針( 五箇条の御誓文 )が発せられた 旧幕時代においては 攘夷というものが幕府を倒すための標スローガン語であったが 新政府は旧来の陋ろう習(わるいならわし)を破り 知識を世界にもとめ 皇こう基き(天皇の天下統一の基礎)を盛んにすることを新政の方針のひとつとした 悪しき習慣を一洗とするといっても何をすればよいのか それに代るべきものを求めねばならないが 知識を世界にもとめることがこれであった それは換言すれば 西洋文化を輸入 することであった 日本人が西洋文明に接したとき 驚嘆しかつ渇仰したのはその物質的文明であり その輸入に努力したのは英米の実利的文明であった 明治五 六年(一八七二 三年)ごろまで 西洋の学術や思想が輸入されはしたが それらはただ直訳的に移入しただけであり(25 ) じゅうぶんに消化したとはいえなかった 同十年代に入ると いわゆる 西洋心酔時代 となった それは自覚と理解と必要からおこったものでなく 浅薄な模倣にすぎなかった(26 ) 明治期の哲学思潮の特徴といえば 一種の啓蒙思潮にほかならず 外国哲学の輸入 が 明治時代の哲学の特徴といえた(27 ) 外国哲学の輸入は 明治時代だけにとどまらず 大正 昭和へとつづくのである 五明治期の哲学の傾向 いま明治期の哲学界の大勢を歴史的に区分すると つぎの四つに分けることができる いうまでもなく明治哲学の主要勢力は 社会学がそうであったように 外国からの 移入哲学(28 ) であった 第一期 明治初年(準備または発生時代)から同二十年ごろまで(一八六八~一八九五) この時期は 明治哲学の創業時代もしくは啓蒙時代と呼

18 (18)197 ばれうる 第二期 明治二十年から同三十年ごろまで(一八八七~一八九七) 第三期 明治三十年ごろから同四十年ごろまで(一八九七~一九 七) 第四期 明治四十年(一九 七)前後から末期(一九一二)までを指す 明治の約四十年間は およそ十年ごとに哲学的にも思想的にも かなり顕著な変遷があったように思えるという(金子筑水 明治大正の哲学 太陽明治大正の文化 所収 博文館 昭和二年六月) 維新の革命がなるや 本邦古来の諸制度はほとんど破壊せられ(29 ) 固こ陋ろうは根底よりくつがえった 新政府のもと一連の改革がかなりのスピードをもっておこなわれ 明治十年(一八七七)の西南戦争までの大きな政治的改革としては 廃藩置県(明治四年) 学制の発布(明治五年) 徴兵令の布告(明治六年) 地租改正の布告(明治六年)などがおこなわれ とくに政府の諸政策を不満とする不平士族の反抗は 西南の役を頂点として爆発した しかし その後の士族の反政府運動の中心は 自由民権運動へと移っていった 明治五年(一八七二)三月 政府は国学者や平田派の復古神道家の主張を容れて 天皇神格化と国民教化をはかるために教部省を設けたが 同十年(一八七七)廃された 他方では 明治の哲学は福沢諭吉(一八三四~一九 一)のイギリス流の実利主義(現実の利益を重視する精神的傾向)や実際主義をもってはじまり 人生をよりよくするための手段としての学問(実学)や独立自尊(ひとりで事をおこない 自己の尊厳と人格をたもつ)を鼓吹した 福沢の主張は 学問ノスゝメ (明治五年(一八七二)から同九年(一八七六)まで間に十七編著わした)や 文明論之概略 (明治八年刊)などによく現われている 福沢の見識の基礎になったものは 幕末において三みたび欧米視察をしたときにえた見聞や知識である かれはそのときの体験から独得の経済的文明観を構築したといえる 一方 明六社(明治初期の思想団体)の同人は 機関誌 明六雑誌 によって各方面にわたって敬蒙活動をさかんにおこなった 明治十年(一八七七)前後から西周 中江兆民らによって英仏の実証哲学が輸入され また外山正一らは英米の進化論哲学を普及させた これらの西洋思想は 純然たる哲学思想としてわが国に移入されたのはなく 実用的な政治思想(30 )として紹介され 宣言され 伝播されたものである すなわち 政治との連関でわが国に輸入された(31 )

19 196(19) 西洋哲学伝来小史明治十年前後 国会(民撰議院)設立運動が盛んであり 功利主義的な英米思想に加えて フランス流の自由思想が板垣退助らの主唱によって政界に宣伝された(32 ) 第一期にわが国に輸入された英仏の哲学者は (英)ジョン スチュアート ミル(一八 三~七六 ベンサムの功利主義思想の大成者)(英)ジェレミー ベンサム(一七四八~一八三二 功利主義の提唱者)(英)ハーバート スペンサー(一八二 ~一九 三 進化論の概念を諸分野に適用)(英)ヘンリー トマス バックル(一八二一~六二 文明史家)(仏)ジャン ジャック ルソー(一七一二~七八 人民主権にもとずく共和制を主張)(仏)シャルル ド スコンダ モンテスキュー(一六八九~一七五五 啓蒙思想家)(仏)フランソワ ピエール ギローム ギゾー(一七八七~一八七四 政治家 歴史家)などである このうちミルやスペンサーの政治論 ルソーーの自由民権思想 モンテスキューの法理論などがもっとも適切に受け入れられた 第一期(明治初年~同二十年代)に刊行された思想的文献をかかげると つぎのようになる 英国彌爾中村敬太郎訳 自由之理 静岡木平謙一郎版明治四年英国ミル著中村正直訳 改正自由之理 木平讓出板明治四年仏国ギゾー氏著永峰秀樹訳 欧羅巴文明史 奎章閣蔵版明治七年英国彌留氏原著大日本西周訳述 利学 掬翠樓蔵版発兌書肆出版人嶋村利助明治十年戎雅屈蘆騒著服部徳訳 民約論 有村壮一蔵版明治十年英国波斯邊鎖著尾崎行雄訳 権利提綱 慶応義塾出版社明治十年片岡綱紀編 内外大家論説集 出版人山中市兵衛(注)明治十三年(注)ギゾー(欧羅巴文明史) スマイルズ(自助論) モンテスキュー(万法精理)などの翻訳をふくむ

20 (20)195 東京大学法 理 文学部一覧 (明治十三 四年)明治十四年 哲学字彙附清国音符 東京大学三学部印行明治十四年蒲生仙訳 支那文明論 発兌人山中市兵衛孝太郎喜太郎明治十四年中江兆民訳 民約訳解 仏学孰出版局明治十五年清野勉著 格致哲学緒論 発売所丸善商社明治十六年井上哲次郎講述 西洋哲学講義 発兌人阪上半七明治十六年坪井九馬三講述 論理学講義 出版人酒井清造岩本三二明治十六年竹越與三郎重訳 近代哲学宗統史総論巻之一 丸善版明治十七年英ダビット ヒューム著土居言太郎訳 政治哲学論集第一 二巻 日本出版会社出版明治十七年英スペンサー著山口松五郎訳述 哲学原理上巻之一 二 致遠樓蔵版明治十七年ぼうえん原著有賀長雄訳解 訳解近世哲学 弘道書院明治十七年独片利知蒙利須査利冒斯原著竹越與三郎講述 独逸哲学英華 報告堂版明治十七年中江篤介著版 理学鈎玄 集成社発兌明治十九年井上円了著 哲学一タ話 四聖堂蔵版明治十九年井上円了著 哲学要領 四聖堂蔵版明治十九年末広重恭著 二十三年未来記 出版人伊隨又七明治十九年天台道士著 哲学こなし 哲学書院版明治二十年辰己小二郎著 哲学茶話 哲学書院発行明治二十年井上円了編述 哲学道中記 哲学書院発行明治二十年菅了法著 哲学論綱 集成社赤坂亀次郎発兌明治二十年菅野幹編評 哲学汎論 哲学書房版明治二十年渡辺国武著 印度哲学小史 哲学書院版明治二十年田島(任天)象二著 哲学大意 東雲堂明治二十年

21 西洋哲学伝来小史 独 ウエンツ ケ 原 書 今井恒郎訳補 哲学階梯 群英閣蔵版 西洋哲学を教えた機関 明治二十年 東京大学 哲学館 伝通院 護国寺 明治初年に西洋哲学が日本に移入されてからまだ日も浅く またそれ を教える教育機関もすくなかった 第一期において東京府下において哲 学を教えるところは 東京大学 明治十年 一八七七 開成学校と東京医学校とを統合し て創立 哲学館 明治二十年 一八八七 創立の私学 東洋大学の前身 伝通院 大永二十二年 一五二二 創立の寿経寺 浄土宗 には じまり 慶長七年 一六 二 家康の母伝通院を葬った とき いまの名に改称 の三ヶ所のみであった 時文評論 哲学の近況 早稲田文学 第三号 所収 明治二十四年十一月 井上哲次郎 一八五五 一九四四 明治 大正期の哲学者 ドイツ観 念論哲学の輸入につくした は 明治十年に東京大学が創設さるゝに 当つて 哲学の学科も出来 幾くもなく 欧米より専門学者を招聘する こ と に な っ た と 語 っ て い る 井 上 哲 次 郎 座 談 明 治 の 哲 学 回 想 録 哲学講座 第壹 所収 近代社 大正十五年七月 スペンサー著 尾崎行雄訳 権理提網 地 明治 11 3 筆者蔵 末広重恭著 二十三年本来記 明治 19 7 筆者蔵

22 (22)193 創設当時の東京大学の文学部は 文学 史学 哲学のほかに政治 経済学などを包括したものであり 一見後年の法文学部に似たところがあった 開設当時 二学科とした すなわち 第一科 史学 哲学および政治学科第二科 和漢文学科その後 本学部の学科組織は 毎年のごとく少なからず改正をくり返すのである 哲学 という科目は 道義学 とも称せられたが この中には西洋哲学 西洋哲学史 心理学などを含んでいた 明治十四年(一八八一)九月 (西洋)哲学科が独立し このなかにインドおよび支那哲学 世態学(社会学) 審美学(美学)などを加えるにいたった 翌十五年(一八八二)九月 哲学 とある科目は 西洋哲学 と改められた( 東京帝国大学五十年史上冊 昭和七年十一月) 日本の大学で 哲学という科目を置いて学生を教育したのは外山正まさ一かず(一八四八~一九 幕臣の子 明治期の教育者 のち東京帝大総長)が最初であった 東京大学となってからは 外山は哲学科を開いた元祖であった(井上哲次郎君談 日本の哲学教師 太陽 第九巻第十三号所収 明治三十六年十一月) 哲学科が開設されてからの教師の陣容と変遷は 左記のとおりである 明治十年(一八七七)史学および道義学(哲学) 教授エドワルド W サイル心理学およびイギリス語 外山正一明治十一年(一八七八)哲学史 教授アーネスト F フェノロサ注 同人は退官する明治十九年(一八八六)まで八ヵ年 哲学史 論理学 社会学 審美学などを講じた 外山正一

23 192(23) 西洋哲学伝来小史明治十二年(一八七九)哲学史 教授アーネスト F フェノロサ注 この年 サイル満期解嘱となる 明治十四年(一八八一) 同十五年(一八八二)哲学史学イギリス語 教授外山正一哲学論理学理財学 教授アーネスト F フェノロサ支那哲学 島田重礼インド哲学 原坦山 吉谷覚壽明治十九年(一八八六)三月 東京大学は帝国大学となり 従来の文学部は 文科大学 となった(33 ) また文科大学(大正八年[一九一九]ふたたび文学部に改称)においては たびたび学科の変更や増設がおこなわれた 哲学科においては 哲学哲学史論理学心理学東洋哲学社会学審美学倫理学その他の科目が講ぜられ 講座制の確立をみた(34 ) 明治二十六年(一八九三)九月における哲学科の科目は 左記の通りである 哲学科第一年哲学概論(第一期)西洋哲学史(第二 第三期)史学国文学漢文学理学(動物学もしく島田重礼

24 (24)191 は地質学)ラテン語英語ドイツ語第二年西洋哲学史論理学および知識論社会学比較宗教および東洋哲学支那哲学インド哲学生理学心理学倫理学ラテン語(隨意)ドイツ語第三年(従前のとおり)哲学科においては 他の諸学科とおなじように外国人教師を迎えた サイル フェノロサについてはすでに述べたが この二人以外に 相ついで左記の教師が招へいされた 哲学 イギリス人教師チャールズ ジェイムズ クーパー(明治12 4 ~同14 7 まで在任)哲学審美学 アメリカ人教師ジョージ ウィリアム ノックス(明治19 9 ~同12 まで在任)倫理学 美学 論理学 哲学概論 ドイツ人教師ルートヴィッヒ ブッセ(明治20 1 ~同25 12 まで在任)哲学概論 哲学史 ドイツ哲学 古代哲学 ロシア人教師ラファエル フォン ケーベル(明治26 6 ~大正3 7 まで在任)東京大学において最も早くから哲学を講じたのは エドワルド W サイルであり ついで外山やフェノロサであった 外山はスペンサーの信奉者であり フェノロサもスペンサーのほかヘーゲルの学説を祖述し のちにカントの哲学についても学生に紹介した 外山の講義の特徴は じつにその鋭敏な批評的精神にあった フェノロサは 来日したとき二十台の青年であり 学殖はどのていどのものであったかわからぬが 教えながら自らも学ぶやり方を前進させ 知識をたくわえたものか いずれにせよ東京大学で西洋哲学を講じていた者は 諸家の説を足場とし その議論を請け売りして ひとり最高の智識を誇っていた(山路愛山 日本の思想界に於ける帝国大学 太陽 第十五巻第六号所収 明治四十二年五月)

25 190(25) 西洋哲学伝来小史哲学科の講義科目として のちにインド哲学が加えられたが その教授法は旧風であり 仏教に関する本を是ぜ信しん(正しいものと)し 一定の旧説をくり返すだけのものであり 新しく発達させようとする考えから出たものではなかった( 哲学の近況 早稲田文学 第三号所収 明治二十四年十一月) 哲学館は 井上円えん了りょう(一八五八~一九一九 明治期の仏教哲学者)によって 哲学専修の一館 として創設された私学である 時の文部大臣 井上馨かおる(一八三五~一九一五 幕末から大正期にかけての政治家)は 井上円了の 仏教活論序論 (明治二十年)を読んで円了を帝国大学の教授に任命しようとしたが かれは肯こうじなかった 円了の目的は 執筆と学校経営にあったからである(村上専精 東洋大学今昔の感 ( 東洋哲学 第九編第二号所収 明治三十五年二月) 明治哲学の創業時代 東京大学を除くと 哲学を専門的に学習できる学校はなかった 井上が哲学の専門家と謀って哲学館を新たに設立しようとした趣意は つぎのようなものであった 帝国大学の課程のように長期間通学するための資力をもたぬ者 原書に通じるようになれるだけの時間的余裕のない者のために一年ないし三ヵ年の速習コースを設け 論理学 倫理学 心理学 審美学 社会学 宗教学 教育学 政理および法理学 純正哲学 東洋諸学およびこれらと直接の関係を有する諸科を研修するための便利な道を開くにある( 哲学館開設旨趣 明治二十年六月) 要するに本館を開設しようとしたのは 第一に晩学にして速習をもとめる者 第二に貧困であるために大学に入れない者 第三に原書に通ぜず 外国語を理解できない者のために哲学とそれに関連した科目を教えるためであった( 開館旨趣 哲学館開場式の演説筆記) 井上は哲学をどのように理解していたのであろうか かれによると 哲学とは 学問世界ノ中央政府ニシテ 万学ヲ統轄スルノ学 ( 哲学館開設旨趣 明治二十年六月)に外ならなかった 西洋諸学の関係を知り その価値を知るには哲学を修めるのがいちばんだと主張した 哲学館は学科課程を普通科と高等科(上級 下級)にわけた 普通科の修学年数は一年 高等科は二ヵ年間とした 井上円了

26 (26)189 普通科(第一学年 一期 二期)論理学 心理学 社会学 倫理学 教育学 純正哲学注 毎週の授業時間は二十四時間 高等科下級(第一学年 一期 二期)物理および化学 天文および地質学 動物および植物学の各大意 生理学 人類学 言語哲学 歴史哲学 経済哲学 東洋哲学史 ギリシャ哲学史 高等科上級(第二学年 一期 二期)論理学 東洋哲学史 近世哲学史 心理学 審美学 倫理学 政理および法理学 宗教哲学 設題論文(35 )注 毎週の授業時間は 下級 上級ともに二十四時間 哲学館は 明治二十年(一八八七)九月から 本郷区竜岡町三十一番地の麟祥院内に仮教場を設け授業をはじめた 初年度の入学定員は五 名としたが 予想外に入学志願者が多く 新聞広告を出して謝絶するほどであった 入学者は高等小学校卒業の者もしくはこれに準ずる学力を有する者とし 年齢は定限を設けず 男子満十六歳以上のものとした 入学金は一円五 銭 月謝は一円とした 授業は午後一時から同五時までおこない 毎学期のおわりに試験をし 一科目六 点以上とったものを合格者とした 専任教員は四人であるが 当分は二名(井上円了と徳永 清沢 満まん之し)がこれにあたった 麟祥院内の教場の見取り図は 左記のようなものである

27 188(27) 西洋哲学伝来小史 所かくして哲学館における授業ははじまるのだが 以後そこで教鞭をとった講師の大半は 東京大学の出身者であり いずれも当代一流の教師たちであった 論理学 清きよ野の勉つとむ(一八五三~一九 四 独学で哲学を研究し のち哲学館の教授となる)坂倉銀之助井上円了心理学 沢柳政太郎(一八六五~一九二七 明治 大正期の教育家 のち東北帝大初代総長)元良勇次郎(一八五八~一九一二 明治期の心理学者 東京帝大教授)社会学 辰己小次郎(一八五九? 明治 大正期の教育家 のち専修学校[現 専修大学]で社会学 政治学などを講じた)倫理学 棚橋一郎(一八六三~一九四二 漢学者 倫理学者)加納治五郎(一八六 ~一九三八 明治期の教育家)教育学 国府寺新作純正哲学 井上哲次郎(一八五五~一九四四 明治 大正期の哲学者)坂倉銀之助(一八六三~九一 明治期の哲学者 のち鹿児島高等中学造士館教授)物理学 森山益夫化学地質学 志賀重しげ昂たか(一八六三~一九二七 明治 大正期の地理学者)

28 動物学 白井光太郎 一八五九 一九二四 明治 大正期の植物学者 一八六一 一九三二 明治から昭和期にかけての動物学者 さい だ くれ 呉秀三 瀬脇寿雄 東洋哲学史 島 田 重 礼 一八三八 九八 明治期の漢学者 東京帝大教授 生物進化論 石井千代松 他に各科目を担当したのは 左記のような講師であった 近世哲学史 三宅雄二郎 雪嶺 一八六 一九四五 明治から昭和期の評論家 一八五四 一九四四 明治から昭和期の中国哲学者 一八六三 一九一三 明治 大正期の人類学者 一八六五 一九三二 明治から昭和期にかけての精神病学者 植物学 斎田功太郎 井上哲次郎 審美学 内 田 周 平 論理学 清 野 勉 人類学 坪井正五郎 生理学 加藤弘之

29 186(29) 西洋哲学伝来小史経済学 浜田健次郎(一八六 ~一九一八 明治期の実業家)西洋史学史 下山寛一郎(一八六三~九二 明治期の教育家 陸軍幼年学校 東京法学院をへて哲学館教授)神道哲学 松本愛たか重しげ(一八五七~一九三五 明治から昭和期にかけての歴史家 のち国学院大学教授)神道史西洋倫理史 棚橋一郎(一八六三~一九四二 明治から昭和期の教育家 のち郁文館を創立)法理学 穂積陳のぶ重しげ(一八五六~一九二六 明治 大正期の法学者)講義 強者の権利 加藤弘之(一八三六~一九一六 明治期の敬蒙的官僚学者)岡本監かん輔すけ(一八三九~一九 四 幕末 明治期の漢学者)漢学 内田周平(一八五四~一九四四 中国哲学者 のち哲学館教授 学習院講師)内田周平美学 大(小屋)塚保やす治じ(一八六九~一九三一 明治から昭和期にかけての美学者)インド哲学 村上専せん精じょう(一八五一~一九二九 真宗大谷派の学僧)梵語 南条文ぶん雄ゆう(一八四九~一九二七 明治 大正期のサンスクリット学者)仏教大意 内藤耻ち叟そう(一八二六~一九 二 明治期の歴史家)儒教論 重野安やす繹つぐ(一八二七~一九一 幕末 明治期の歴史家 漢学者)令義解 小こ中なか村むら清きよ矩のり(一八二二~九五 幕末から明治期にかけての国学者 東京帝大教授)美術談 黒川真ま頼より(一八二九~一九 六 幕末 明治期の国学者 美術史家)課外講義 高島嘉か右え衛も門ん(一八三二~一九一四 幕末 明治期の実業家 易学家)講義の中味と評判はどうであったのか まず館主 井上円了の講義であるが ソクラテスもカントもすっかりじぶんのものにし じぶんの言葉で学生に語った それは翻訳調的でない ひじょうに平易でわかりよい講義であった それは茶談的でさえあったという 徳永 清沢 満まん之し(一八六三~一九 三 明治期の真宗大谷派の僧 清沢氏の養子となる 一高 哲学館の講師をへて真宗大学学長となる)は 東京大学の哲学科でフェノロサの説くヘーゲル哲学の講義を聴き 大学院においては宗教哲学を専攻した 哲学館において どのような科目を担

30 (30)185 当したものか詳らかにしない が ルドルフ ハーマン ロッツェ(一八一七~八一 ドイツの哲学者)について講義した 当時は国漢の購読をのぞくと 教科書や参考書がなかったので 学生は講義をみな筆記せざるをえなかった 加藤弘之 井上哲次郎 三宅雄二郎ら大家の講義は 原書を翻訳しながら講義をするため 教師は日本語の適訳に苦しむことがあり 学生からすればさっぱり要領をえぬこともあったようである 加藤はドイツ語の原稿を教場に持ってきて 強者の権利 を講じた 三宅は哲学史を講じたが 学生はかれの咄弁的雄弁に敬服感嘆した 学生をよく愛したが 休講が多く たまに学校に来ても 二 三十分はちこくした けれど学生は四十分以上すぎても解散しなかった 井上は 大風のように ドーツと哲学をおっかぶせるような講義をし カントやショーペンハウアーなどを講じた 宗教学の名のもとにおこなった講義では キリスト教を罵倒した 清野勉の論理学は 多少ベランメー調であった 漢学の岡本監輔は志士の面影のある教師であり 酒気をおびて講義し 内田周平は漢学のほか ハルトマンの美学を訳してきて 学生に筆記させた なんといっても講師のなかでいちばん異色であったのは 高島嘉か右え衛も門ん(一八三二~一九一四 幕末 明治期の実業家 易学家)である 出講日はきまっておらず ときどき気まぐれに馬車でやってきては 易0の大気焔を吐いた かれは椅子のうえに馬車から持ってきた毛布を敷き その上にあぐらをかき 悠然と葉巻を取りだすと それに火をつけた マッチをすって一服吸い込むと どうもタバコを喫まんといけません 皆さんもおやんなさい といって 大笑一番 それから思いつくまま 講談風の話を二時間も三時間も立てつづけにやった(36 ) 井上円了 井上哲次郎 有賀長雄 三宅雄二郎らが発起して明治十七年(一八八四)一月に創設されたのが 哲学会 である これは一般にも門戸を開放して活発な啓蒙運動を開始し 講演などもさかんにやった この学会には変わったところでは くだんの高島嘉衛門や大倉喜八郎(一八三七~一九二八 明治 大正期の実業家 大倉財閥の創設者)が会員として名を連ねていた 高島は哲学会の講演で易断をやった その結果 哲学会は加藤弘之のいう 八百屋哲学 (よろず屋)的になったが のちに両人が退会してから大学の哲学会となった(斯し波ば義ぎ慧えい 哲学会の想出 ( 哲学雑誌 第六三巻第七 号所収 白日書院 昭和二十三年九月) 哲学館が将来の目的としたものは何か それは東洋哲学 とりわけ仏教を土台として これに西洋哲学を加えて 日本固有の哲学を起すことにあった(37 ) 将来 日本主義の大学を設立し 日本学の独立を期すことであった( 哲学館将来の目的 明治二十二年八月) 伝でん通ずう院いん(現 東京都文京区小石川三 十四 六)は いまから約六 年まえの応永二十二年(一四一五)に了りょう誉よ聖しょう冏げい上しょう人にんによって開山した

31 184(31) 西洋哲学伝来小史寺である 正式には 無むりょうざん量山伝通院壽じゅぎょうじ経寺 という( 伝通院誌 非売品 伝通院 大正八年五月) いまの伝通院は 火災などにより むかしの盛観をとどめていない この寺院は 徳川家の庇護のもと 学僧の修行勉学の場でもあったが ここで明治期に哲学が講じられたという が 仏教哲学のことであろうか 資料がないので何ともいえない 哲学者 桑木厳翼(一八七四~一九四六)は 大学卒業後一年志願兵となった 十二月除隊後 友人にたのまれて護国寺(現 東京都文京区大塚五 四 一)内にあった真言宗の大学寮とでもいう所で 哲学概論論理学を講義した 学生は十数名 みな黒染の衣を着ていた 学生は 畳を敷いた一室に 長いベンチ風の机のまえにすわっているのだが 教師は立って講義をした 学生の注文は ゆっくり話をしてくれということであった ここは学校というより講習会という形だったという おそらく伝通院のばあいも これと似たような形で講義がおこなわれたのではなかろうか 桑木が護国寺で教えたのは わずか二 三ヵ月であった その後大西祝博士の後任として東京専門学校(現 早稲田大学)に出講した(桑木厳翼 哲学四十年 英研社 昭和二十二年十月) 後年 東京大学 哲学館 伝通院 護国寺以外にも哲学を教授する学校が数多誕生した 東京専門学校(明治十五年 一八八二 創立)においては 大西祝(一八六四~一九 明治後期の哲学者)が新カント派の哲学を講じ 京都帝国大学(明治三十年 一八九八 創立)の文科をはじめ 慶応義塾 東洋大学(哲学館の後身) 真宗本派仏教大学 真宗東派真宗大学 宗教大学 曹洞宗大学などにおいて 仏教哲学や一般哲学などを教えた(38 ) 哲学的思想の研究と伝播の中心は何んといっても東京大学であったが これ以外に私立の幾多の学舎があって各文化の発展に貢献した 明治初期の 四大学がく淵えん と呼ばれた四つの学校のうち 官学の東京大学をのぞくと つぎの三校も思想界に貢献するところが大であった(39 )

32 (32)183 慶応義塾 安政五年(一八五八)福沢諭吉が江戸において開いた洋学塾 同志社 明治八年(一八七五)新島襄が京都市上京区に開いた英学校 同人社 明治六年(一八七三)中村敬けい宇うが府下小石川江戸川町に開いた洋学塾 ドイツ哲学の移入 明治初期は 英仏の哲学思想が輸入された一方 他方においてはドイツ哲学の輸入がはじまった この思想の輸入には政治が先行した(40 ) ドイツ哲学が発芽するようになったのは 明治十三年(一八八 )イギリス人クーパーが東京大学に来てからのようである クーパーはカントの批評哲学を講じた(41 ) 幕末 維新期から明治二十年ごろまで わが国において支配的(42 )であったのはおもに十九世紀の英仏系の哲学であった が これらの哲学思想は為政者からみれば革命思想の温床 反体制的なものであった 明治政府は 維新後 三職制(総裁 議定 参与)をとり ついで三大臣(太政大臣 左大臣 右大臣)を中心とする太政官制を採用した が 明治十六年(一八八三)岩倉具視が病死してからは ヨーロッパ型の内閣制を導入した 明治政権の官僚は イギリス式の憲法政治よりもドイツ式の君権政治 君主の大幅な権力をみとめた絶対主義的政治形態 のほうがわが国にふさわしい(43 )と考えた ドイツの政治論や法律論は 英仏哲学を制するための防波堤の役割をはたすものであり これらとともにドイツ哲学の積極的な導入を勧かん奨しょうした(44 ) 明治二十年(一八八七)を境として それまでわが国の思想界の主流であった英仏系の哲学は 大正の一時期をのぞき 第二次世界大戦が終結するまで ドイツ哲学にその地位を取って代わられ ふたたび思想界の表面にあらわれることはなかった(45 ) 自由民権運動は 人民の自由と権利の伸長を鼓吹した下からの民主主義運動であるが 明治十四年(一八八一) 十年後に国会を開設する旨の詔勅が渙発されてからしだいに下火になり さいごは消滅した 政府の弾圧と各運動団体の切くずしにより この政治運動はついえ去ったのであるが 民権家の私擬憲法案を無視してなったのが 君主権のつよいプロシア(ドイツ)憲法を範とした 大日本帝国憲法 であった 絶対主義色の濃い欽定憲法が発布されたことは 天皇制国家の基盤の構築作業が一応完了したことを意味した 多年 フランス風の民約憲法を

33 182(33) 西洋哲学伝来小史望んだ自由主義者は 憲法の中味が 空想していたものとだいぶちがうことに大いに驚いた たとえば 中江兆民は憲法の全文を一読すると あざわらっただけで投げすてた(46 ) ドイツ的国家学を抱ほう合ごうしている大日本帝国憲法は 国民の政治思想を統一しようとするものであった ドイツ哲学受容の社会的背景は このようなものであった ドイツ哲学の移入は 東京大学がアメリカ人フェノロサ イギリス人クーパーに代って ブッセ ケーベルなどが哲学教師として来日するようになってから逐次わが国に伝わった 明治十七年(一八八四)東京大学に 哲学会 が創設され 同二十年(一八八七)より機関誌 哲学会雑誌 (のちに 哲学雑誌 と改名)を刊行するようになった 明治十九年(一八八六)にノックスが傭われ ついでルートヴィヒ ブッセ(一八六二~一九 七 ドイツの哲学者 のちハレ大学教授)が来日した この二人は ルドルフ ヘルマン ロッツェ(一八一七~八一 ドイツの哲学者 新形而上学を提唱 のちベルリン大学教授)の哲学を祖述した(47 ) ブッセの説くところは ロッツェの学説が中心(48 )であり 哲学概論といっても ロッツェ哲学の梗概にすぎなかった(49 ) ほかにカントの 純粋理性批判 をテキストに用いた ブッセは 哲学史的研究が真の哲学の研究方法であること を教授し わが国哲学界の学風の形成に貢献した(宮川透 第一節体制思想としてのドイツ哲学 近代日本の哲学 増補版 所収 勁草書房 昭和四十六年五月) 明治二十六年(一八九三)カルル ロベルト エドゥアルト フォン ハルトマン(一八四二~一九 六 ドイツの哲学者)の紹介によって ブッセの後任としてラファエル ケーベル(一八四八~一九二三 ロシアの哲学者)が来日し 大正三年(一九一四)まで二十一年間東大で西洋哲学と西洋古典学を教えた ケーベルはショーペンハウアーやハルトマンといった哲学の領域だけに限らず 詩学やゲーテやダンテの文学なども教授し また上野の音楽学校でピアノの教師をつとめた(50 ) ケーベルは博学にして見識が高かったから 学生を教育するにはもっとも適当の人であったという(井上哲次郎談) ケーベルは哲学のお雇い外国人教師として最もながく日本に滞在し 死没した が 生前 日本が置いてくれるなら 死ぬまでいる といっていた ケーベルは人を愛し 真と美とをたのしみながら生きた 語学は英 独 仏 露のほかに ギリシャ語とラテン語に通じていた 大学における講義は わかりのよい英語でおこなったが 講義のなかにギリシャ語やラテン語がたくさん這入ってくるので よくわからないというのが

34 られた 高橋里美 ケーベル先生の想い出 イン レ 定評であった ケーベルの講義がわからないという学生がいたら それはその学生の語学力が不足し ていたのであろう かれの担当科目は 哲学概論と哲学であった 哲学概論は哲学史の 概要であり 哲学とは哲学史であるといっていた 哲学概論は第一学期で終了し 第二 学期から哲学史ということになっていた ケーベルは試験勉強を 勉強の堕落とよんで 排斥した 白紙の答案にたいしても 哲学はそう簡単にわかるものではない 白紙の 答案はよい答案である といって 八十点をあたえたり 試験を受けなかったものでも 事情により及第点をあたえた 紀平正美 ケーベル先生を介して 思想ケーベル先生 追悼号 所収 岩波書店 大正十二年八月 レ 頭髪 ひ ときどき銀座へ買物に出かける またときには丸善に行ったり 公使館の晩さん会に招かれることもある ケーベルには人情家の側面もあり ずしてすごしたことはなかった 和辻哲郎 ケーベル先生の生涯 吟味した シガレットはエジプトタバコを好んだ 毎日 読書と講義の準備で日を送った 本をよむときは 覚書をつくり 一日として筆を執ら げの手入れ 衣服などにまったく無頓着であった が 酒とタバコ ブランデー ビール ワイン類 葉巻 紙巻きタバコについては なかなか ケーベルは哲学者であり 音楽家でもあった その日常は読書と執筆と講義とピアノの生活であった なりふりにほとんど構わず の語源を聞かれ 答えられないでいると 眼を閉じること だと教え させられ それができたら大層よろこんだ様子であった そして mysticism ついで偶因論 アリストテレス哲学のリアリズムの説明をラテン語で説明させられ Universalia i n と r e 答 え た ら こ ん ど は i n を re 複 数 に 変 化 ウ ニ フ ェ ル サ リ ア イン と同席の某教師が見かねて部屋から出て行ってくれたので 妙に気がらくになり 質問にもボツボツ答えられるようになった 授 同学長 は ケーベルから モナド 単子 とは何ぞや と第一問を発せられたが その答が容易にできないので もじもじしていた する 四六 一七一六 ドイツの哲学者 数学者 政治家 を卒論に取りあげた高橋里美 一八八六 一九六四 新潟高校教授をへて のち東北大学教 さと み 卒論には口述試験が付きものであるが 英語でやり取りせねばならぬから 英会話に自信がない者にとって一大恐怖である ライプニツ 一六 ラファエル ケーベル

35 180(35) 西洋哲学伝来小史窮している学生には しばしば金品をあたえた(長谷川誠也 来朝当時のケーベル先生 ) ケーベルは 生前 片言の日本語をも覚えようとはせず 女性も近づけず ふだん 眠るほどらくのことはない といって横浜のロシア領事館の一室において 大正十二年(一九二三)六月十四日永遠の眠りについた 享年七十四歳であった なきがらは雑司ヶ谷墓地に葬られた *第一期の西洋哲学創業時代 明治初年から同二十年ごろまで のわが国の哲学界の状況はどうであったのか 数多の緇し流りゅう(黒衣を着る仏僧)や儒者をのぞき 当時の様相を数字的にしめすとつぎのようになる 明治二十二年(一八八九)の時点で もっぱら哲学を教えた機関は 文科大学(東大文学部) 哲学科学生の総数十四 五名 哲学館 生徒総数百五十名ほど などであり また哲学を考究する学会 哲学会 (明治十七年[一八八四]創設)の会員は およそ九十名 同会が毎回発売する 哲学雑誌 の発行高は 千数百部であった( 日本哲学の現況 哲学会雑誌 第三冊第二十七号所収 明治二十二年五月) これが当時のわが国の哲学界の状況であった スペンサーやミルの著述などは 教科書として英学校で教えられることが多かった 有名な学者のなかには 哲学とはどのようなものか語らず 西洋の哲学書の翻訳に手を染めるものがいたが かれらはじぶんで十分に内容を理解せずにただ字訳しているだけであったから 誤訳でないにしても 文章がむずかしい上に読みにくかった そのような訳本を読まされる読者の口から出るのはため息ばかりであった( 日本哲学の現況 ) ドイツ哲学の受容創始期 明治二十年代(一八八七~一八九六) 外国人教ラファエル ケーベルの墓 ( 雑司ヶ谷墓地 ) 筆者撮影

36 (36)179 師らは本格的な哲学研究法の確立にすくなからず貢献したのであるが 邦人教師の活躍にも無視できないものがあった 井上哲次郎(一八五五~一九四四 明治 大正期の哲学者)は 東大に三十五年間在職し その間に哲学 宗教 倫理 教育などに関する研鑽と講義に従事し とくにドイツの観念論哲学(ショウペンハウアー ハルトマン)の移入につくした 西洋哲学にたいする東洋哲学の創始者として知られている 元もと良ら勇次郎(一八五八~一九一二 明治期の心理学者)は 東京帝国大学で心理学講座を担当し ヴィルへルム ヴント(一八三二~一九二 ドイツの心理学者 のちライプチヒ大学哲学科教授)の心理学を紹介した 中島力造(一八五七~一九一八 明治 大正期の倫理学者)は 欧米に留学後 東大で心理学 倫理学講座を担当し 新カント派の哲学を紹介した 大西祝はじめ(一八六四~一九 明治後期の哲学者)は ドイツ的 純正哲学 の移植と東西文化の綜合を志向(51 )し 東京専門学校(のちの早大)や東京高師で教鞭をとった 西洋哲学移入の第二期は 明治二十年代から同三十年代を指すが この間のわが国の主流哲学は近代ドイツ哲学であり ドイツ本国の哲学書をタネとし その翻案ともいうべき 哲学史概説 哲学概論 がたくさん刊行された(宮川透 近代日本の哲学 七四頁) その主なものをあげると 左記のようになる 青江俊蔵編 批評哲学論評 其中書屋三浦兼助板明治二十一年大僧都蘆原実全著 日本宗教末来記 船井弘文堂発行明治二十二年三宅雄二郎著 哲学涓けん滴てき 文海堂石塚徳次郎発行明治二十二年渋江保編 哲学大意全 博文館明治二十七年大西祝著 西洋哲学史 (草稿 早稲田大学貴重書)明治二十八年井上円了著 西洋哲学史 哲学書院明治二十八年元良勇次郎

37 178(37) 西洋哲学伝来小史金子馬治著 哲学鋼要 明治二十八年松本文三郎著 哲学概論 明治三十年 新撰百種哲学問答全第一編 普及会明治三十年中島力造著 列伝体西洋哲学小史 富山房明治三十一年渡辺国武著 禅機ト哲学 鴻盟社明治三十一年キルヒマン著藤井健治郎訳 哲学汎論 博文館明治三十二年井上円了講述 通俗講談言文一致哲学早わかり 開発社明治三十二年蟹江義丸著 西洋哲学史 博文館明治三十三年桑木厳翼著 哲学概論 東京専門学校出版部明治三十三年波多野精一著 西洋哲学史要 大日本図書明治三十四年ヴィンデルバンド著桑木厳翼抄訳 哲学史要 早稲田大学出版部明治三十五年朝永三十郎著 哲学綱要 宝文館明治三十五年わが国は日清戦争(明治二十七 八年[一八九四 一八九五]に勝利したことにより 一躍して東洋における最大強国(52 )になった この戦争は国命を賭して闘う国家生存上の一大危機であり また明治思想史の局面を一変する契機となる大事件であった この戦争は 国民に死活とは何か 興亡とはなにかの意義を教えたばかりか 国民の目は外にむけられ わが国が世界の一国としてみずからを観察するきっかけをあたえた 国民の自覚は それまで十分合理的 組織的でなかった国粋保存主義から一歩進んで哲学的思索的(53 )になって行った 日清戦争前後において 社会に勢力(54 )があった思想家はトーマス カーライル(一七九五~一八八一 イギリスの歴史家 思想家)やラルフ ウォルド エマソン(一八 三~八二 アメリカの詩人 思想家) フリードリヒ ヴィルヘルム ニーチェ(一八四四~一九 ドイツの哲学者)である その根底において国民道徳を基礎としている日本主義は 当然の結果として倫理や道徳の研究を必要とした 日本主義は わが国の伝統的思想とヨーロッパの近代哲学思想を折衷し 君民一体 忠君愛国 キリスト教排撃などを主旨とした思想上の立場をいう 新しい人生観に安住しようとする倫理的宗教的傾向(55 )は 第三期(明治三十年代から明治の末期)の風潮である 第三期は ヨーロッパにおいては十九世紀がおわる時代である ヨーロッパにおいては 哲学的には実証主義(認識を事実的なものだけに限

38 (38)177 定)が極まり 二十世紀の新しい理想主義哲学の発生にむかいつつあった時代(56 )である この風潮を代表するのは 左記のひとびとである 高山林(樗牛)次郎(一八七一~一九 二 明治期の評論家)井上哲次郎(一八五五~一九四四 明治 大正期の哲学者)元良勇次郎(一八五八~一九一二 明治期の心理学者)綱島梁りょう川せん(一八七三~一九 七 明治期の文芸 思想評論家)桑木厳翼(一八七四~一九四六 明治から昭和期の哲学者)姉崎正治(一八七三~一九四九 明治から昭和期の宗教学者)高山樗ちょ牛ぎゅうは はじめ日本主義を標榜し のちにニーチェや日蓮主義をかかげてわが国の思想界を風靡せんとした(57 ) 井上哲次郎の持論は 東洋哲学研究の道を興すことにあった 井上の哲学の特徴は経験派であり コントの実証哲学に近かったが 中国哲学を攻究し 日本哲学の新機軸を開くことにあった(58 ) 明治三十年代以来 日本の思想界の一般的傾向は じっさい的な人生観を追求することであった 倫理学説や宗教論を戦はすことが第三期のおもな傾向であり 同時に当時の哲学のすべてであった 井上哲次郎 元良勇次郎 綱島梁川 桑木厳翼 姉崎正治なども倫理学説の主張や提唱に傾いた(59 ) 明治二十年代の後半から同三十年代の中ごろにかけて 哲学史概説や哲学概論などの移植作業がおわると 原典研究( 認識論 存在論 )といった専門的な哲学研究の段階がおとずれる 専門的な哲学研究の分野での先駆的な業績としては カントとヘーゲルのつぎのような著訳書をあげることができる 清野勉著 標註韓(カント)図純理批判解説 (東京書院 明治二十九年)紀平正美小田切良太郎共訳 ヘーゲル氏哲学体系 ( 哲学雑誌 第二 巻 二一八~二二六号所収 明治三十八年)

39 176(39) 西洋哲学伝来小史清きよ野の勉つとむ(一八五三~一九 四 明治期の哲学者 創成期の哲学館で哲学 論理学をおしえた)のカント研究は 直接原典からおこなった研究であり 紀平と小田切によるヘーゲルの翻訳は 苦心を払ってなしとげた先駆的な訳業であった(宮川透 近代日本の哲学 七七~七八頁) 東京帝国大学以外に 哲学を教授する学校として 京都帝国大学文科大学(文学部)が 明治三十九年(一九 六)六月京都市上京区吉田町に設置された 後年 京都学派 なる学統を育成する京都大学の哲学科は 同年九月から講義を開始するのだが まだ独立の建物や教室をもたず 旧本館の二階中央に位する化学教室の三室を借りてスタートした 翌四十年(一九 七)七月にいたって木造建物一棟が竣工し その東半分を文科大学が用いるようになった( 京都帝国大学史 ) 授業をはじめたときの学生数は 本科十六名 選科(本科に準ずる課程)十七名であった 哲学科が開設されてからの教師の陣容と変遷は 左記のとおりである 明治三十九年(一九 六)哲学概論および西洋哲学史 教授桑木厳翼倫理学 教授狩野亨吉インド哲学史 教授松本文三郎 講師熱田霊知シナ哲学史 教授狩野直喜心理学 教授松本亦太郎教育学教授法 教授谷本富文学概論 助教授島文次郎哲学 講師ピエール オリアンチス 講師エミール シルレル

40 (40)175 宗教学 講師シドニー ギュリック英語 講師フランク ロムバード明治四十年(一九 七)これらの教師に つぎの面々が新たに加わった 宗教学(兼担) 教授松本文西洋哲学史 助教授朝永三十郎シナ哲学史 助教授高瀬武次郎社会学 講師米田庄太郎宗教学 日本およびシナ仏教史 講師薗田宗恵美術史 講師武田五一精神病学 講師今村新吉キリスト教教理史 講師シドニー ギュリックフランス語 講師ピエール オリアンチスドイツ語 講師エミール シルレルこの年の哲学科の入学者数は 本科二十九名 選科十六名であった ちなみに翌明治四十一年(一九 八)の哲学科の時間表をしめすと つぎのようになる 朝永三十郎

41 174(41) 西洋哲学伝来小史曜日学年(時間)8 ~9 9 ~10 10 ~11 11 ~12 1 ~2 月ⅠⅠ美学(普)藤代教授Ⅰインド哲学(普)松本文教授Ⅰインド哲学(普)松本文教授Ⅰ社会学(普)米田講師ⅡⅡⅡⅡⅡⅢシナ哲学(特)狩野直教授Ⅲ宗教学(特)薗田講師Ⅲ宗教学(特)薗田講師Ⅲ宗教学(特)薗田講師Ⅲ中等教育論(特)谷本教授火Ⅰ哲学概論 西洋哲学史(普)朝永助教授Ⅰ倫理学(普)友枝講師Ⅰ倫理学史(普)友枝講師Ⅰ心理学(普)松本亦教授Ⅰシナ哲学(普)高瀬助教授ⅡⅡⅡⅡⅡⅢⅢシナ哲学(特)高瀬助教授Ⅲ心理学(特)松本亦教授Ⅲシナ哲学(特)狩野教授Ⅲインド哲学(特)松本文教授水Ⅰシナ哲学(普)高瀬助教授Ⅰ仏教講義(副)熱田講師Ⅰ倫理学史(普)友枝講師Ⅰ美学(普)藤代教授Ⅰ社会学(普)米田講師ⅡⅡⅡⅡ仏教講義(副)熱田講師ⅡⅢ倫理学史(特)友枝講師Ⅲ倫理学講読(副)友枝講師Ⅲ仏教講義(副)熱田講師Ⅲ心理学演習(演)松本亦教授Ⅲ心理学演習(演)松本亦教授木Ⅰ哲学概論 西洋哲学史(普)朝永助教授Ⅰ哲学概論 西洋哲学史(普)朝永助教授Ⅰシナ哲学(普)高瀬助教授Ⅰ心理学(普)松本亦教授Ⅰ欧州近世教育史(普)谷本教授Ⅱ哲学研究(特)松本文教授Ⅱ哲学研究(特)松本文教授Ⅱ心理学(特)松本亦教授Ⅱシナ哲学(特)高瀬助教授Ⅱ社会学(特)米田講師ⅢⅢⅢⅢ教育演習(演)谷本教授Ⅲ金ⅠⅠⅠ仏教講義(副)熱田講師ⅠⅠⅡ倫理学史(特)友枝講師ⅡⅡシナ哲学高瀬助教授Ⅱシナ哲学史(普)高瀬助教授Ⅱ精神病学(副)今村講師ⅢⅢ倫理購読(副)友枝講師Ⅲインド哲学演習(演)松本文教授Ⅲインド哲学演習松本文教授Ⅲ哲学演習(演)朝永助教授土ⅠⅠ心理学(普)松本亦教授Ⅰ教育講義(副)谷本教授Ⅰ欧州近世教育史(普)谷本教授Ⅰ

42 (42)173Ⅱシナ哲学史(普)高瀬助教授ⅡⅡⅡⅡⅢⅢⅢ心理学実験(演)松本亦教授ⅢⅢ注 (特)は特殊講義 (普)は普通講義 (副)は副科目 (演)は演習をいみする この時間表は 京都文科大学哲学科時間表 (明治41 10 )を筆者がわかりやすくまとめたもの 東亜の光 第十号の 彙報 所収 やがて大正時代(一九一二)に入ると 哲学科はさらに充実し 面目を一新した 哲学 哲学史 宗教学 教授西田幾多郎西洋哲学史 教授朝永三十郎倫理学 教授藤井健治朗インド哲学史 教授松本文三郎シナ哲学史 教授高瀬武次郎宗教学 教授波多野精一教育学教授法 教授小西重直美学 美術史 教授深田康算心理学 教授野上俊夫社会学 教授米田庄太郎その後 さらに田辺元(哲学) 和辻哲郎(倫理学) 天野貞祐(西洋哲学史) 小島祐馬(シナ哲学史) 羽渓了諦(宗教学) 沢村専太郎(東洋美術史) 植田壽蔵(西洋美術史) 岩井勝二郎(心理学)などの助教授 講師らを迎えた 西田哲学 (この名称は 左そ右う田だ喜一郎[一八八一~一九二七]明治 大正期の経済学者 哲学者がは西田幾太郎

43 西洋哲学伝来小史 き た ろう じめて使用した の名で知られ また独自の哲学体系をつくることに努めた西田幾太郎 一八七 一九四五 明治から昭和期にかけての哲学 者 は 明治四十三年 一九一 八月倫理学の助教授として来任し 大正二年 一九一三 教授となり宗教学を担当し 翌三年七月桑木厳翼が 東京帝国大学に転任したので その後任として第一講座を担当することになり 哲学 哲学史などを講じた ルドルフ オイケン 義とは 実証主義 自然主義 唯物論的傾向に対抗しようとした新しい理想主義であり 新カント派 新ヘーゲル派などをふくむ思想的傾向をし ヨーロッパにおいては 極端な実証論的な思想に反対して ようやく新理想主義精神が急に勢力をえて盛んになりかけた時代である 新理想主 の中間的または媒介的時代であった 第四期は 明治四十年前後からその末期を指す時代である これは 実際主義または実証論的思想が頂点に達した時代であり 大正期への転歩 新風景 天人社 昭和五年四月 者として引っぱった そして大学に問い合わせていった もしもし あなたの学校に 西田という小使がおりますか と 大塚虎雄著 学界 帽子をかぶらず そまつな木綿の着物を着たすがたで 影のごとく静かに考えごとをしながら歩いた あるとき巡査が この偉大な哲学者を不審 があった 西田の眼はいつも内にむいていた キューピーのようにとんがった いがぐり頭を三十度に傾斜して京の街を歩いた かれはけっして 西田は 西洋哲学がわが国に移植されて以来はじめて 日本思想史に独自の発足点をあたえ 独創的な日本哲学を確立することに大いなる貢績 の思想界 哲学界は 単純な自然主義思想に満足できなかった 明治末期から大 この自然主義運動にはじまる しかし自然主義運動は長つづきしなかった 一般 真に活きた思想感情として深く人間の内面生活まで影響をおよぼすに至ったのは 明治の初年以来 わが国はたえず西洋思想を輸入してきたのであるが それが で波及した とする が伝わり その運動は文学界だけにとどまらず その精神は思想界にま 明治後期にわが国の文壇に自然主義 ありのままの現実を描写することを本旨 めす語である 62 正の新時代に移るまでの期間をつなぐ仮橋的な役割を果たしたのは オイケン哲

44 (44)171 学とベルグソン哲学の流行であった ルドルフ オイケン(一八四六~一九二六 ドイツの哲学者 イエナ大学教授)は 自然主義哲学(精神現象をふくめ 一切の現象を自然の産物と考え 自然科学の方法で説明しようとする立場)に反対し 道徳的 宗教的人生観のもとに精神生活の実現を説いた アンリ ベルグソン(一八五九~一九四一 フランスの哲学者 のちコレージュ ド フランス教授)は 生の哲学 の樹立者である かれはその理論の根拠を生物学におき 進化論から哲学上の問題の解明につとめた スペンサーの進化論の影響をうけて 生の創造的進化を唱えた オイケンやベルグソンの哲学が流行した理由は 両者の著書をよめば 新しい人生観がえられるものと考えられ その述作が続々とわが国に翻訳された(64 ) オイケンについていえば 大正三年(一九一四)秋までの間に邦訳されたものは 左記のような著書である 安倍能成訳 大思想家之人生観 東亜堂大正元年額賀鹿之助訳 吾人は尚ほ基督教徒たり得る乎 警醒社書店大正元年波多野精一宮本和吉共訳 新理想主義の哲学 内田老鶴圃大正二年オイケン著得能文訳 精神生活の哲学 弘道館大正二年ルドルフ オイケン著加藤直士訳 現代宗教哲学の主要問題 警醒社大正二年ルドルフ オイケン著三並良訳 宗教の真諦(上)(下) 大日本文明協会大正三年またベルグソン哲学の流行について 桑木厳翼は 序 を寄せているが ベルグソンは今いまの流行である 数年前までは英米でもさほど注意する者がなかったのに比して 何たる変化であらうか(中略)今は日本でも一つの流行となって居いる と語っている(ベルグソン著錦田義富訳 直観の哲学上 (警醒社書店 大正二年三月) 明治三十年(一八九七)から四十年代にかけて 京都大学の哲学科を中心にドイツのカント研究がようやくわが国にも発達してきたが(65 ) この風

45 170(45) 西洋哲学伝来小史潮はやがて大正の新哲学を産みだす端緒をひらいた 桑木厳げん翼よく(一八七四~一九四六 明治から昭和期の哲学者 京大 東大教授 カント哲学の移植と普及に貢献した)は 大正三年(一九一四)七月東京帝国大学に転任するまで おもにカントの批判哲学を祖述発展させたことに大きな貢績があり(66 ) わが国の新カント派哲学の源流は京都大学の哲学科にあった わが国においてカントに逸早く着目したのは西周であり かれはすでにオランダ留学中にカントの 永久平和論 などに関心を寄せていた(森林太郎筆 西周伝 明治三十一年の 序 西の 人世三宝説 を参照) ついでカントの名が紙上に現れたのは 竹越興三郎講述 独逸哲学英華完 (報告堂 明治十七年十二月)であろう 圓インマニウルカント蟆郵留韓図曾かつテ聞ク古いにしえヲ是(不明)シテ今ヲ非ひとスルヲ今マ見ル今こんじん人ノ古人ニ勝すぐれルヲ蓋けだシ天ノ構造ハ時ノ後あと先さきヲ以テ斯し民みんヲ棄すテサルナリ嗚あ呼あ古今何いずれノ時カ聖人ナカラン吾ご人じんハ十八世紀布プラトー刺多ノ聖ヲ以テ之ヲ古いにしえニ誇ラントス是レ誰ソヤ性ハ韓カン図ト名ハ圓インマニウル蟆郵留ナルモノ即すなわチ是これナリ (一頁)明治二十年代から三十年代にかけて 哲学者としてのカントを本格的に研究し 著書や論文を著わしたのは つぎの学者らであった 清野勉 標註韓圖純理批判解説 哲学書院明治二十九年三宅雄二郎著 哲学涓滴 文海堂明治二十二年清沢満之 西洋哲学史講義 (京都高倉の真宗大学寮でおこなった講義明治二十二年十月~二十七年十月)中島力造 カント 氏批評哲学 ([未完]明治二十四年三月 二十五年一月)蟹江義丸 韓圖の 道徳純理学の基礎 梗こうがい( 哲学雑誌 第二 巻第一二三号所収 明治三十年五月) 韓圖の哲学 ( 哲学雑誌 第一三巻第一三七号~一四 号所収 明治三十一年七月~明治三十一年十月)これらの著述のうち もっとも深い理解とするどい分析をしめしたものは 清野勉の 標註韓圖純理批判解説 (明治二十九年)であるという

46 (46)169 から成っている(五一七~五三七頁) ヘーゲル(一七七 ~一八三一 ドイツの哲学者 のちベルリン大学教授 ドイツ観念論哲学を完結した)についていえば その人と学説を日本人にはじめて伝えたのはフェノロサ(一八五三~一九 八 アメリカの哲学者 日本美術研究家 東大で明治十一年[一八七八]八月から同一九年[一八八六]七月まで教鞭をとった)であった かれはスペンサーばかりかドイツ流の哲学をも講じ カント フィヒテ シェリング ヘーゲルらの学説について講述した(雑録 元大学教授フェノロサ氏逝く 哲学雑誌 第二六 号所収 明治四十一年十月)フェノロサはカントをはじめとするドイツの哲学者の学説の概略を語ったにすぎなかったが それまでイギリス哲学をききなれた学生にとって(67 ) 驚異であり魅力でもあった フェノロサにおいて ことにヘーゲルの弁証法(一つの物の考え方 概念の正から反へ さいごに合にいたる内的法則性による発展をいみする)は スペンサーの進化論と基本的には違わないものであった(68 ) 明治二十年代の半なかばになると カントについての研究が盛んになるようなきざしがみえたが ヘーゲル研究となるとまだ不活発であった 雑録 日本哲学ノ現況 哲学雑誌 (第二七号所収 明治二十二年五月)に 左記のような記事がみられる (船一信一 明治哲学史研究 二七頁) 蟹かに江え義よし丸まる(一八七二~一九 四 明治時代の哲学者 真宗大学講師をへて のち東京高師教授)も日本におけるカント研究のパイオニアの一人であることに間違いはないが ほかに 韓カン圖トの哲学 と題する論文がある( 哲学雑誌 第一三巻第一三七号所収 明治三十一年七月) この一遍は 文科大学在学ちゅうに試験用に作成した論文が基になっているようで 第一篇韓圖の哲学の淵源第二篇韓圖の哲学の梗概第三篇韓圖の哲学の批評蟹江義丸の 韓カン圖トの哲学

47 168(47) 西洋哲学伝来小史独ドイツ逸の学風も近ちか頃ごろは大おおいに輸入伝来せり 然しかれども理学上を措き暫しばらくこれを見るときは是これ亦また政治的なり (中略)独逸哲学の得意なる純正哲学は未いまだ嘗かつて我国に於おいて門弟を得ざるなり 但ただし今いま文科大学哲学専任教授ブッセ氏はロッチ(ツェ)ェ学派の人にして 兼かねてカント哲学に通暁せる様なれば 他日独逸哲学勃興の気運に向うべきか 因ちなみに曰く前大学教授米人フェノロサ氏はヘーゲル派の学風を帯べり (一六四頁)ヘーゲルについての研究は 明治二十年においてあまり現われず それが緒ちょにつくのは明治三十年代以降のことである ヘーゲル紹介の初期の文献には つぎのようなものがある 中島力造 ヘーゲル氏 弁証法 ( 哲学雑誌 第四冊第四八号所収 明治二十三年十二月)園田宗恵 ヘーゲル ノ弁証法(Dialektik )ト東洋哲学 ( 哲学雑誌 第七冊第六九号所収 明治二十五年十一月)中村力造 編年体西洋哲学史下巻 出版社未詳( ヘーゲル の章 明治三十一年六月)注 これは菊判(A5 判よりすこし大きい)で三十二頁もあり ヘーゲル全体に関する叙述の最初のものでないかという( ヘーゲル文献 哲学雑誌 第四六巻第五三八号所収 昭和六年十二月) 未見 明治期においては ヘーゲル哲学の立場とか体系はかなり問題にされはしたが 方法や弁証法の理論的研究はひじょうに少くなかった(69 ) 六大正時代の哲学 専門的 学術的研究の深化 わが国において哲学研究がいっそう活発化したのは大正時代(一九一二~一九二六)に入ってからのことである(70 ) 哲学研究は大学教師らを中心におこなわれ かれらは研究室や自宅の書斎にこもると 外国から輸入した専門書をよみ その中味について理解しようとした しかし 西洋哲学の中味たるやいったいに難解であり 現実から遊離したものであった 世間において哲学に関心をよせる者は大学教師や一部の知識人だけであった

48 (48)167 一般人は 哲学 をどのように考えていたのか かれらは哲学とはわからないもの むつかしい理屈をつけるもの程度に考えていた じっさい日本の哲学は そのようなものであった(小松摂郎 ドイツ観念論の移植と発展 別冊哲学評論 所収 昭和二十四年一月) 一般大衆によるこのような受け取り方は むかしもいまも変わらぬであろう 明治時代の 概論 や 概説 から脱皮して 進んで 特殊研究 がすがたをみせるようになるのが大正時代である またこの時代 高等学校の新設にともない 哲学の専門家 哲学に関心をいだくものも多くなった(71 ) 哲学書の出版がふえ 哲学会もいくつか成立した 京都哲学会 は 大正五年(一九一六)に発足した 新しい哲学の移植もおこなわれたが プラトン アリストテレス デカルト スピノザ カント ヘーゲルらを中心とする古典研究も進められた(小松摂郎の前掲論文) 大正期は 大衆社会 の時代に入り 日本社会も数多のはげしい変動を体験した 日本の資本主義は帝国主義の段階に入り 第一次世界大戦によって金融資本が確立した 大正期も昭和期とおなじように激動の時代 物情騒然たる時代であった おもな出来事としてつぎのようなものがある 第一次護憲運動(憲政擁護 門閥打破を唱えた国民的運動)(大正元年 一九一二)第一次世界大戦への参戦(大正三年 一九一四)対華二十一ヵ条要求(大正四年 一九一五)大正デモクラシーの風潮(大正五年 一九一六)シベリア出兵 米騒動(大正七年 一九一八)第一次大戦の戦後恐慌(大正九年 一九二 )ストライキ 小作争議の多発(大正十年 一九二一)関東大震災(大正十二年 一九二三)治安維持法の公布(大正十四年 一九二五)哲学も世のうごき 社会状勢と無関係ではなかったが 哲学研究はだいたい大学を中心としておこなわれた 明治時代の哲学は 大正哲学のた

49 166(49) 西洋哲学伝来小史めの準備に外ならなかった 大正時代の哲学は 明らかに明治時代の哲学と異なり ひじょうにドイツ的な新理想主義的な特徴を採って発達した(72 ) このドイツ理想派の哲学は認識論的であり 批判主義的であり 大正初期の風潮となった こういった風潮のおおもとは 京都大学の哲学科であった わが国がドイツ哲学の理想主義的哲学に接したのは明治二十年代であった それが大学という社会環境に受け入れられはしたが 批評的 歴史的理解にいたらず 概説的 概括的な取りあつかいに(73 )とどまった 西洋哲学が学説研究の域を脱して 問題 にたいする思想的姿勢が内面化するのは 明治の末期であった 原典に忠実かつ綿密な研究を通じて 西洋哲学の理解が深化してきた 大正時代に入って ドイツ哲学の研究を中心とする専門的 学術的研究が深まった わが国の哲学は 歴史的研究と同時に体系的研究の域に入り(74 ) さらに進んで西田幾太郎のように 積極的な 自己思索 によって独自の哲学体系を構築するものまで現われた 明治末期から大正の初頭にかけて刊行された代表的な哲学的研究に 左記のようなものがある 大西祝はじめ著 大西博士全集 全七巻 博文館 明治三十三年~昭和二年波多野精一著 基督教の起源 警醒社書店明治四十一年 スピノザ研究 警醒社書店明治四十三年藤井健治朗著 主観道徳要旨 弘学館明治四十三年西田幾太郎著 善の研究 弘道館明治四十四年田中玉堂著 哲人主義 廣文堂書店大正元年西田幾太郎著 思索と体験 千章館大正四年西普一郎著 倫理哲学講話 育英書院大正四年朝永三十郎著 近代に於ける我の自覚史 宝文館大正五年紀平正美著 哲学概論 岩波書店大正五年桑木厳翼著 カントと現代の哲学 岩波書店大正六年西田幾太郎著 自覚に於ける直観と反省 岩波書店大正六年

50 (50)165 左右田喜一郎著 経済哲学の諸問題 佐藤出版部大正六年田辺元はじめ著 科学概論 岩波書店大正七年大西祝(一八六四 一九 明治後期の哲学者)は 岡山のひとである 同志社英学校 東京帝国大学予備門をへて 明治二十四年(一八九一)東京専門学校に勤め 論理学 倫理学 西洋哲学史などを講じた かれは明治二十年代に世代の先駆をなして活躍した 明治三十一年(一八九八)ドイツに留学したが 翌年病をえて帰国 同三十三年(一九 )郷里において亡くなった 享年三十九歳 穎えいさい才にめぐまれながら 不幸にして夭折した 全集七巻が遺書となった 波は多た野の精一(一八七七 一九五 明治から昭和期の哲学者)は 東京専門学校講師をへて 後年京大教授になるのだが 哲学史および宗教哲学を専門とした 藤井健治郎(一八七二 一九三一 明治 大正期の倫理学者)は 早大教授をへて 大正二年(一九一三)以後 京大教授となり 倫理学を講じた のち観念論的立場からマルクス主義を批判した 西田幾太郎(一八七 一九四五 明治期から昭和期にかけての哲学者)は 石川県のひとである 第四高等中学(のちの四高)に入学するが のち同校を退学した その後 東京帝大の哲学科選科に入学し 同校を卒業した 能登尋常中学校七尾分校の教師 山口高等学校 第四高等学校教授 学習院教授をへて 明治四十三年(一九一 )京都大学に倫理学の助教授として来任し 大正二年(一九一三)教授に任じられ 翌年桑木厳翼教授の後任として本講座(哲学 哲学史第一講座)を担当した(75 ) 西田はギリシャ スコラ哲学 ベルグソン ドイツ新理想主義哲学 新カント派の哲学(ウィンデルバント リッカート コーヘンなど)なども自主的に取り込み 独自の哲学体系を確立した 西田の哲学思索の方法は どこまでも直接な もっとも根本的な立場から物を見 物を考える どこまでも徹底的に考へよう(76 ) といったものであった 西田の処女作 善の研究 (弘道館 明治四十四年)は 金沢の第四高等学校の教師時代の著述であるが その中心思想は純粋経験といったこ

51 164(51) 西洋哲学伝来小史の発展段階を研究する学問 純粋意識の体験である現象の本質を研究する学問) 新実在論哲学 ディルタイ学派の精神科学派の新研究(78 )などが ますます勢力をもってきた 一方 一般の思想界に目をむけると 第一次世界大戦ちゅうから大戦後にかけて国内を風靡していたのは民デモクラシー主主義の思想であり もう一つはマルクス主義(唯物史観的思想)であった この思想が流行する原因となったのは 労働者と労働組合が激増したこと 不況により失業者がふえ 就職や生活が困難になったこと 政治の腐敗や財閥が強大化したことによる(79 ) マルクス主義は 天皇制のもとでは 反国家的性格をもつものであり 国体を変革し 労農階級によって共産主義社会をつくろうとするものであった 大正期 多数の官立 私立大学や高等師範学校等において おおぜいの学徒がまじめに哲学の研究に取り組んでいる観があったが マルクス主義者からみれば 新理想主義の哲学は過去とばに集約されているという 桑木厳翼(一八七四 一九四六 明治から昭和期の哲学者)は 六人の仲間と京都大学の哲学科の創設に参画したひとりだが 八年後東京大学に転任した 桑木は西田のような体系家というより 哲学史家の傾向がつよく 認識論的合理主義のたちばをとり カントの批判哲学を祖述発展させ 幾多の業績を発表した 代表作としては カントと現代の哲学 (岩波書店 大正六年) 哲学及哲学史研究 (岩波書店 昭和十一年) 倫理学の根本問題 (理想社 昭和十一年)などがある 田辺元(一八八五 一九六二 大正 昭和期の哲学者)は 東北大学講師をへて 大正八年(一九一九)八月助教授として京都大学に赴任し 昭和二年(一九二七)十一月教授に任じられた 田辺が意図したものは 現実の倫理と実践の倫理とを綜合する哲学の樹立であった(77 ) 主なる著述に 科学概論 (大正七年) ヘーゲル哲学と弁証法 (昭和七年) 哲学通論 (昭和八年) 哲学入門 (全四巻 昭和二十四年 同二十七年)などがある 大正時代のわが国の哲学は 前半期と後半期に二分できそうに見えるが 前者の特徴は ひじょうに新カント学派的であり 後者のそれは各種の新理想主義の哲学の研究の途にのぼったことである たとえば現象学(経験されない物自体と区別される経験された現象をあつかう学問 意識桑木厳翼とその筆跡

52 (52)163 の亡霊 資本家階級の文化的遺物にすぎなかった また各大学の哲学科は 過去の遺物を夢みているにすぎなかった(80 ) マルクス=レーニンの社会主義思想は 労働者階級 知識階級(学生や教師ら)によって信奉されたのであるが かれらは必ずしもマルクス主義理論をじゅうぶん深く理解せず ただ流行の波に流され わけもわからず信じ込んでいるにすぎなかった とくに社会主義思想に関心をもつ全国の大学 高等学校 専門学校などの学生らは 実践的運動(過激思想取締法案や軍事教練にたいする反対運動 同シンパ調者の組織 労働闘争 小作争議の煽動 党勢の拡張 主義の宣伝 メーデーの暴動化など)に加わったり さまざまの研究団体を結成した 新人会 東京帝国大学(大正七年十二月)建設者同盟 早稲田大学(大正八年九月)社会思想研究会 第一高等学校(大正八年?月)暁ぎょうみん民会 早稲田大学(大正九年五月)学生連合会 全国の大学 高等 専門学校二十六校の連合(大正十一年十一月) 学生連合会 は のち 全国軍事教育反対同盟 (大正十二年) 社会科学連合会 (大正十三年) 全日本学生社会科学連合会 (大正十四年)と改称 他方において社会主義者の団体 日本社会主義同盟 が大正九年(一九二 )に結成され 同十一年(一九二二)には 日本共産党 が成立し 活発な運動を展開したが いずれも当局によって弾圧された 大正期のはじめごろより 社会問題 が顕著になってきたが それを哲学の立場から問題にされることはなかった(81 ) しかしながら 社会問 哲学研究 創刊号

53 西洋哲学伝来小史 学苑 創刊号 思想 創刊号 題は 大正末期から昭和にかけてマルクス主義として先鋭化していった 大正以降 日本の哲学界は 各地の大学を中心として純粋に学問的に なってきたが そこを覆っていたのはドイツ哲学であり またドイツの 学界の動向を反映していた 哲学が一般の知識人に普及する機縁となっ た も の は 大 正 四 年 一 九 一 五 に は じ ま っ た 哲 学 叢 書 岩 波 書 店 であるが 若干の例をのぞくと 内容のほとんどはドイツ人の論文 を反訳したものであり 日本人としての独創性がみられなかった しか し 同叢書の刊行は異常な反響をよび 何度も版をかさねた 要するに この叢書は 哲学 というものの普及化に貢献したということである その他 哲学を広めるのに寄与したものは 専門誌である 従来 哲 学研究の主要な発表誌として 哲学会雑誌 明治二十年二月に創刊 があったが 大正から昭和初頭にかけて つぎのような雑誌が創刊され た 学苑 講座 思想 昭和二年四月創刊 大正十五年七月創刊 大正十二年一月創刊 大正十年十月創刊 哲学研究 大正五年四月創刊 京都帝国大学哲学会の機関誌 理想 大正初期以後 これらの雑誌にのせられた大多数の論文は 新カント

54 (54)161 学派の哲学を紹介したり 批判したり あるいは考察したりしたものである(83 ) 新カント学派の哲学の移植と関連して カント哲学の研究が盛んになり 大正元年(一九一二)以降 桑木厳翼その他の東京帝大哲学会の会員を中心に カントの夕べ が催され カント哲学の普及につとめた 大正十三年(一九二四)はカントが生まれて二百年にあたるところから 哲学会雑誌 思想 講座 などは記念号を出し カントおよび新カント派の研究が学界の流行となった 大正末期から昭和にかけて わが国の哲学界はカント主義からヘーゲル主義へとむかった わが国のヘーゲル研究は 大正十三年(一九二四)以後 紀平正美を中心とする研究会が開かれていたが ヘーゲル哲学復興のきざしが現われるようになったのは ヘーゲル百年記念 がおこなわれる数年前からである(84 ) 七昭和期(戦前 戦中)の哲学 昭和期の哲学を前半期(戦前)と後半期(戦後)にわけて叙述したほうがよさそうである 昭和期においても わが国の哲学のすう勢はドイツ哲学であった が 哲学界の情勢は単純ではなく こみいっていた それは当時の社会情勢とからみあっていた わが国のファシズムは ますます強力になり 国内においては権力によって反対勢力を押さえ 外国にたいしては侵略政策をとるようになった 太平洋(大東亜)戦争勃発までのおもな出来事は 左記のとおりである 三 一五事件 昭和三年(一九二八)(共産党の大検挙)や思想犯弾圧の強化四 一六事件(共産党の大検挙) 昭和四年(一九二九)満州事変(軍部の進出が決定的となり 昭和六年(一九三一)侵略戦争に突入した)五 一五事件 昭和七年(一九三二)(海軍青年将校によるクーデター)滝川事件(思想弾圧) 昭和六年(一九三三)天皇機関説問題 昭和十年(一九三五)

55 160(55) 西洋哲学伝来小史二 二六事件 昭和十一年(一九三六)(皇道派青年将校によるクーデター)日中戦争おこる 昭和十二年(一九三七)大政翼賛会の成立 昭和十五年(一九四 )南部仏印進駐の開始 昭和十六年(一九四一)太平洋戦争の開始わが国の思想界も複雑な形勢にあり 左翼的な思想や運動に対抗して国家主義的の運動がおこった とくに左翼の史的唯物論に対決することが哲学界の中心問題となった(85 ) 終戦まで観念論(世界の根源を精神的なもの 非物質的なものとして捉えたとき 物質的なものを第二次的とする見解)と弁証法的唯物論(マルクス主義哲学)との対抗があり 昭和十五年(一九四 )には 唯物論の徹底的弾圧がおこなわれた(86 ) 昭和六年(一九三一)の満州事変以来 国家意識や国家主義思想(日本精神哲学)が興起し それがはびこった 大正の末期から昭和初期にかけて 経済理論を基礎にした弁証法的唯物論が宣伝され 民衆の要求もこれによって満たされると一般に信じられた 新カント学徒も この弁証法的唯物論に好意をしめすといった奇妙な状態が生じた 各大学の哲学教授や研究室から敢然としてこの弁証法的唯物論者と論戦できる者はひとりもいなかった(大島豊 新日本の哲学の指針 理想 第一二 号所収 昭和十六年五月) 昭和期に入っても わが国の哲学界はドイツ哲学から強い影響をうけ その羈き絆はんから脱することができなかった 日本の哲学界のうごきは ドイツ本国の思想動向と連動していて かの地の思潮の発展は すぐ日本の哲学界に影響をあたえた たとえば ドイツ哲学がカントからヘーゲルへ ヘーゲルからディルタイへ ディルタイからフッセールへ フッセールからハイデッガーへ ハイデッガーからヤスパースへと発展して行くのに対応して わが国の哲学学徒がそれらの研究へと移って行った 日本の哲学学徒は なるべく新しいドイツ哲学について研究さえしておれば歓迎された カント ヘーゲル フッセールについていえば 著述の翻訳紹介の域を脱し 原典の文献的研究へ進み さらにそこから一歩進んで解釈的研究へとむかい 独自の批評をするようになった この三人に関する代表的特殊研究には つぎのようなものがある

56 (56)159 [カント]左右田喜一郎著 文化価値と極限概念 岩波書店大正十一年 テレオロギー考察 ( 思想 一六号所収)大正十二年大西克礼著 カント判断力批判の研究 岩波書店昭和六年天野貞祐著 カント純粋理性批判 岩波書店昭和十年和辻哲郎著 カント実践理性批判 岩波書店昭和十年高坂正顕著 カント 弘文堂書房昭和十四年 カント解釈の問題 弘文堂書房昭和十四年 カント学派 弘文堂書房昭和十五年[ヘーゲル]三木清著 史的観念論の諸問題 岩波書店昭和六年 観念形態論 鐵塔書院昭和六年田辺元著 ヘーゲル哲学と弁証法 岩波書店昭和七年三木清著 歴史哲学 岩波書店昭和七年務台理作著 ヘーゲル研究 弘文堂書房昭和十年高橋里美著 体験と存在 岩波書店昭和十一年高坂正顕著 歴史的世界 岩波書店昭和十二年高山岩男著 哲学的人間学 岩波書店昭和十三年 歴史と弁証法 岩波書店昭和十四年西谷啓治著 根源的主体性の哲学 弘文堂昭和十五年

57 西洋哲学伝来小史 場所の論理学 弘文堂書房 包弁証法 理想社 世界史の哲学 岩波書店 昭和十九年 昭和十九年 昭和十七年 昭和十七年 高山岩男著 ヘーゲルの国家観 岩波書店 昭和二十二年 金子武蔵著 種の論理と弁証法 秋田屋 唯物史観と現代の意識 岩波書店 昭和四年 昭和三年 フッセールの現象学または現象学的傾向をもつ研究 三木清著 現象学叙説 岩波書店 山内得立著 理想 ヘーゲル死後百年記念特輯 昭和五年 フランツ クグラーが描いた学生に講義するヘーゲル 存在の現象形態 岩波書店 イマヌエル カント

58 (58)157 九鬼周造著 いきの構造 岩波書店昭和五年高橋里美著 全体の立場 岩波書店昭和七年和辻哲郎著 風土 岩波書店昭和十年 偶然性の問題 岩波書店昭和十年 倫理学 岩波書店昭和十二年九鬼周造著 人間と実存 岩波書店昭和十四年務台理作著 表現と論理 弘文堂書房昭和十五年 現象学研究 弘文堂書房昭和十五年わが国におけるカント哲学の翻訳紹介がはじまったのは明治時代であり その精緻な研究は大正期に入っておこなわれるようになるが 当時哲学学徒なら いちどはカントをかじるのが一般的であった(87 ) そのころカント研究の先駆的な論著といえば 桑木厳翼の カントと現代の哲学 (大正六年)であった 大正末から昭和にかけて わが国の哲学界はカント主義的からヘーゲル主義的へとむかい ヘーゲル哲学的思惟方法が支配的になってゆく(88 ) ヘーゲル哲学の移植に努めた主な哲学者は 三木清 田辺元 高橋里美 小山靹とも絵え 三枝博音などである ことに雑誌 思想 と 理想 は 大正四年(一九一五)と六年(一九一七)にヘーゲル特輯号を出し また昭和四年(一九二九)以降 三枝博音編 ヘーゲル及弁証法研究 (専門雑誌)が刊行された(89 ) 昭和の初頭から哲学の方面において マルクス主義を紹介したのは三木清であり わが国の哲学界に及ぼせるその影響力はすくなくなかった フッセールの移入に貢献した者は 第一次世界大戦後 ヨーロッパに留学した学徒であり かれらはフッセールの門をたたき そこからさらに同じ現象学徒に属するハイデッカーの研究にむかった(90 ) 日本哲学(皇道哲学)の勃興 わが国は昭和六年(一九三一)に満州事変がおこるや 非常時に入った 昭和初期以来 日本の資本主義は行きづまり 危機に瀕していたが

59 156(59) 西洋哲学伝来小史それを打開する方法として選んだのは満州への進出であり 現地の軍部(関東軍)は鉄道爆破により満州事変をひきおこした わが国の軍国主義は段階的に拡大し 上海事変(昭和七年) 日中戦争(昭和十二年)へと進み ついに太平洋戦争(昭和十六年)に突入した わが国の哲学界は ほとんど社会状勢の変化に左右されることはなかったが 日本が太平洋戦争の緒戦において目覚しい戦果をあげ 大東亜共栄圏の輪郭が定まってくるにつれて 日本人の精神生活や哲学思想がその影響をうけ 特異の相貌をしめすようになった すなわち それまでの外国依存一点ばりの傾向を清算して 日本精神を発揚した哲学 新しい日本独自の哲学を生みだそうとする国民的自覚が芽生えてきた わが国の哲学界は 満州事変以後 思索のなかに日本および東洋にたいする反省を加えるようになり それまでの伝統的傾向をはなれて現実哲学 歴史哲学的な性格を帯びてきた とくに昭和十七年(一九四二)になると 日本を世界の指導者とする国民的感情から 日本精神の回顧日本的世界観の確立日本哲学(皇道哲学)の樹立などの傾向が顕著になり 神道思想 尊皇精神 国体に関する論文や著述がたくさん生まれた この種の業績は 必ずしも神道や国学系の人びとが創りだしたものではなく かつて西洋哲学畑であった者が急に方向転換した結果の産物であった 太平洋戦争がはじまる前後から 日本の哲学者のなかから 国家哲学 への新たな基礎づけを試みたり(91 ) 日本哲学 の建設に取りくむ者も出てきた 日本哲学とは 日本の本質すなわち国体を明らかにしようとする哲学であり 日本のための哲学 皇国の道を実現するのに役にたつ哲学の意である(92 ) 日本哲学が日本のための哲学であるかぎり 歴史的社会的現実をテーマとするのは当然であり わが国の歴史 文化 社会 国家 皇道などについての研究がはなばなしく行なわれた(93 ) こういった独善的な国粋主義のたちばからの研究は 皇室 日本精神 古典文学 神道に関するものが大半であった 列強を相手とする太平洋戦争は わが国にとって総力戦であり かつ古今みぞうの大戦争であったが 戦況は日がたつにつれて劣勢へとむかい 開戦以来三年八カ月経過した昭和二十年(一九四五)八月十五日 ついに連合国側に無条件降伏し終結した 明治以来 世界の強国のあいだに じぶんの位置を見い

60 (60)155 だそうとした(94 )帝国主義国家日本の敗北であった 京都学派の戦争賛美 戦争ちゅう雨う後ごの竹の子のようにむらがり生えた日本哲学(皇道哲学)も 終戦と同時に火の消えたように ひそまってしまった(務台理作 日本今後の哲学 展望一月号 所収 筑摩書房 昭和二十一年一月) かつて 日本精神 とか 日本哲学 をさかんに唱えた者のほとんどは 一部の狂信者をのぞくと 時局便乗者であった かれらは天皇の終戦の玉音放送を聴いたとたん 呆然としてかつての主張を放りだした 時局に迎合したのは こういった国粋的傾向をもつ皇道哲学者だけではなかった じつはアカデミズム哲学の本山にも 侵略戦争の目的を合理化するためのしごとに片棒をかついだ者がいた かれらこそ京都学派の一部の人びとであった かれらは人間観や世界観を民族や国家との連関でとらえようとした 西田幾太郎 田辺元 三木清らの哲学者にしても 軍国主義の台頭とともに国策に迎合し あたかも超国家主義や侵略戦争の世界史的意義を唱導するかのような論文を 太平洋戦争開始まえ もしくは戦争ちゅうに雑誌に発表した 西田は 国家理由の問題 (岩波講座 倫理学 の第八冊所収 昭和十六年九月)において 国家哲学の新たな基礎づけを試みている(95 ) 西田によると こんにちの時代(昭和十六年当時)は 歴史的世界自覚の時代なのである そしてこんにちの国家主義は 世界の自覚だという 西田は歴史的世界創造ということが国体の本義(根本)である といい このような国体を基礎に 世界形成に乗りだすのが日本国民の使命であらねばならぬ と語っている ここで西田がいっている 世界形成 とは 海外進出のスローガンとなった八はっ紘こう一いち宇う(全世界を一つの家のように統一して支配する)の思想 いい換えると 東亜新秩序建設 のことであろう 田辺元は太平洋戦争がおこるまえの切迫した状況下に 国家の道義性 ( 中央公論 昭和十六年十月)と 思想報国の道 ( 改造 昭和十六年十月)の論文を二つ同時期に発表し 時局にたいする考えを明らかにした 前者において 田辺はこんにちほど国家の危急(危難)が切迫していることはないという この危機を乗りこえるためには国民の強力なる一致団結が緊要だという 道義 とは 人がおこなう正しい道 道徳の筋道の意であるが 田辺によると 国策のおおもとである肇ちょう国こくの理想は 道義の内容にほかならないのである 国家の道義性は 国民の道徳的自覚を媒介として成立しているという 国家とは絶対的存在であるのだが そ

61 西洋哲学伝来小史 げんじょう の絶対の現成 あるがまま に身をゆだね 信ずるところに従って行動するのが 国民のつとめだというのであろう 思想報国の道 は 前論文の続編もしくは補足のようなものである 田辺の考えを要約すると つぎのようになる わが国は国難に直面し 国民の緊張も極度に達している このときにあたり 思想に携わるものも その立場において 国のために尽すことはもとより当然のことである 思想家も国民として進んで国家に貢献する覚悟が必要である 否 国策に順応して 報国の実践にまで進んでいなければならない すなわち東亜の民族開放と 要するに田辺の主張は 国難にさいして 国民全体が一つになって 国策に協力し 八紘一宇の理想の実現 新秩序の創建につくさねばならぬというのであろう それはまた国恩 こう き に報いることでもあった 皇 紀 は 日 本 の 紀 元 を 日 本 書 紀 に あ る よ う に 神 武 天 皇 即 位 の 年 昭和十六年 一九四一 十二月八日 ついにわが国は米英 西 暦 紀 元 前 六 六 年 を 元 年 と し て 起 算 し た も の だ が 皇 紀 二 六 一年 を敵として戦争状態に入った 太平洋戦争の勃発 翌昭和十七年 一九四二 一月 マルクス主義哲学者として哲学ジ 米英にたいして 日本はついに戦争を決意するに至った と 皇軍 天皇が統率する軍隊 の威力は発揮され 全世界が目をみはる 太平洋戦争を肯定し 戦争への協力を唱導している 三木はかたる 時認識の基調 中央公論 昭和十七年一月 という論文において 大正 昭和期の哲学者 のち法政大学教授 終戦の年獄死 は 戦 ャーナリズムの世界でもてはやされた三木清 一八九七 一九四五 田辺元 国家の道義性 ほどの驚異的戦果をあげている 絶対に信頼しうる陸海軍を有するこ あくまで国家と自己とを分離せず 相互の疎外をしりぞけて 内的協和すなわち自主自立の道により 国恩に報じなければならない 田辺元

62 田辺元 思想報國の道 三木清 戦時認識の基調 とを誇りとする国民は 不敗必勝の信念をかため 国内の諸般の整備 まい しん の感性に邁進し 皇軍のめざましい活躍に呼応しなければならない と 三木によれば 東亜新秩序建設のための戦争は 道義戦争なのであ る 東亜新秩序の建設は 世界史的意義をもっており われわれはあ らゆるものをこれとの関連で 世界史的たちばから考える必要がある という 戦時下の生活でいちばん大切なものは秩序であり また警戒 を要するものは 流言だという 新秩序戦はその性質上 長期化する ことを覚悟し 国民の任務にさいごまで忠実であれば勝利がえられる と説いている このように太平洋戦争の前後に 西田や田辺や三木といった京都学 派の人びとは 何らかの形で国家哲学に染まり 戦争を称揚したり 戦争を合理化するために 筆を曲げてまで その世界史的意義を説い たりした 寺沢恒信 哲学界の回顧と展望 青年文化 三月 二月 合併 号所収 創生社 昭二十二年三月 戦時下における各大学の哲学講義題目 講義評判記 日本政府は 対米 英との戦争が避けがたいと判断し 昭和十六年 一九四一 十二月初旬を期して 開戦を準備した 日本政府はアメ リカ側から強硬な ハル ノート をしめされたことによって つい に開戦にふみ切った 日本軍は 翌十七年 一九四二 一月のマニラ

63 152(63) 西洋哲学伝来小史中世哲学史概説(連続講義)石原謙近世哲学史概説小山鞆絵近世哲学史特殊講義同近世哲学史演習用書Hegel: Phänomenologie des Geistes. 倫理学概論高橋讓倫理学演習用書Hegel: Grundlinien der Philosophie 同des Rechts. 倫理学史同占領 二月のシンガポール占領あたりまで 連戦連勝をつづけ 国民もそのニュースに酔った が 日本海軍は同年六月五日から七日にかけてのミッドウェーの海戦に大敗を喫し 空母四 重巡洋艦一 航飛機三二二 兵員三五 人をいちどに失った 九月にはガダルカナル島から敗退し その後はわが軍の敗北がつづいた 大東亜共栄圏の構想実現は だんだん怪しくなってきた 昭和十六年十二月八日に 対英米宣戦の詔勅が発せられてから各大学において 戦争目的の遂行に協力するために 総長 学長を先頭に決戦態勢の覚悟が表明され また戦時下における学生のあり方が決定した 学生は独善に陥り いたずらに空論をもてあそぶことなく 無窮の皇恩にこたえねばならぬというものであった 国民は 日本の運命をじぶんの生いのち命として捉え 思想的自覚をもつことが求められた 戦況の悪化にともない 各大学における哲学教育と研究は円滑にいかなくなるのだが 以下に記すものは 戦時下 昭和十六年(一九四一)と同十七年(一九四二)の各官立 私立大学における哲学講義の題目についてである これによりだれがどのようなテーマでどんな講義や演習をやっていたかわかるが その内容までは不明である 昭和十六年(一九四一)度講義一覧[大学名および講義題目][担当者]東北帝国大学哲学概論高橋里美哲学特殊講義(現実性の構成)同哲学演習用書M. Heidegger: Sein und Zeit. 同哲学講読用書Hegel: Philosophie der W eltgeschichte. 鈴木権三郎古代哲学史概説久保勉古代哲学史演習用書Platon: Menon;phaidon.

64 (64)151 東京帝国大学哲学概論伊藤吉之助現実と現存同哲学演習Hegel: Wissenschaft der Logik. 同西洋哲学史概説(第一部)出隆同(第二部)池上鎌三コスモポリテスの哲学出隆哲学演習Aristoteles: De Anima. 知識構造論池上鎌三哲学演習Kant: kritik der reinen Vernunft. 同デカルト哲学の発展桂壽一アウグスティヌスと其の思想石原謙注 支那哲学 印度哲学は省略する 東京文理科大学哲学概論務台理作歴史哲学の諸問題同演習Kant: Kritik der reinen V ernunft. 同哲学概論坂崎侃かん論理学及び認識論同演習Hegel: V ernunft in der Geschichte. 西洋哲学史下村寅太郎講読Leibnitz: Hauptschriften zur Grundlegung der 同Philosophie II. 全体主義の基礎的考察由良哲次西洋古代哲学田中美知太郎講読Decartes: Meditationes. 同美学概論大西克礼支那仏教史宇井伯壽京都帝国大学[普通]哲学概論田辺元[特殊]実在の超越性と内在性同[ ]歴史主義の問題と世界史高山岩男演習Hegel: Phänomenologie des Geistes. Die Religion. (前学年のつづき)田辺元西洋哲学史[普通]西洋古代哲学史山内得立[ ]西洋近世哲学史九鬼周造[特殊]テオポリスの哲学山内得立[ ]独逸の新カント学派と仏蘭西の科学の哲学九鬼周造演習Platon: Charmides. 山内得立演習Bergson: L Evolution Créatrice. (第四章)九鬼周造倫理学概説天野貞祐演習Hegel: Grundlinien der Philosophie des Rechts. 同副科目西洋哲学史講読Augustinus: Soliloquia. Bonaventura: 服部英次郎

65 150(65) 西洋哲学伝来小史 Itinerarium mentis in Deum. Decartes: Meditationen über die Grundlagen der Philosophie. 野田又夫広島文理科大学哲学概論勝部謙造実存哲学の主要問題同カント以後現代に至る西洋哲学同西洋近世哲学史河瀬憲次哲学史演習同論理学の根本問題同古代中世哲学史高田三郎ギリシャ哲学に於ける正義論同哲学史講読同支那哲学史演習加藤常賢支那哲学史概説手塚良道日本思想史(元禄享保間の思想界)清原貞雄日本思想史演習白井成允九州帝国大学哲学概論四宮兼之演習用書Kant: Kritik der reinen V ernunft. 同生の哲学田中昇ギリシャ語初歩同演習(アリストテレス形而上学)用書Aristotales: Metaphysica. 同西洋近世哲学史概説(第一部)中島慎一同(第二部)同倫理学概論(倫理学の主要問題)四宮兼之倫理学演習新開長英西洋近世倫理学史(フィヒテ以後)同倫理学演習用書Kant: Kritik der praktischen 四宮兼之V ernunft. 倫理学演習(アリストテレス ニコマコスの倫理学)中島慎一フランス哲学思潮に於ける意志学説矢田辺達郎京城帝国大学哲学概論宮本和吉論理学田辺重三哲学特殊講義(独逸観念論の哲学 カントよりヘーゲルまで)宮本和吉哲学特殊講義(アウグスティーヌスの哲学)田辺重三演習Kant: Kritik der reinen V ernunft. (前学年のつづき)宮本和吉演習Brentano: V ersuch über der Erkenntnis. 田辺重三西洋倫理学史概説小島軍造倫理学特殊講義(共同体倫理の問題)同日本道徳史宮島克一

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