Taro-柑橘と栽培年表

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1 柑橘品種群と栽培年代史 2016 年 12 月 27 日編集中山下重良編 項目 年紀 ( 注 ) 本文の出典は [ ] 内に示し 幾つかの出典 史料を併記しているのは 人名や地名 文意を考証したものである また 古文書の原典は殆 時代 ど漢文や万葉仮名であるが文意を意訳している 引用文献 参考資料は別ページに一括して示しました [ 編者 ] 柑橘類の属 種 柑橘類は芸香科(Rutaceae) の柑橘亜科に属す植物群で 柑橘亜科に属すものを 8 群に類別す その中の 1 つに柑橘群があり 柑橘群を分類 品種 すると 1ヘスペリチューザ属 2シトロプセス属 3 枳穀属 4 柑橘属 5 金柑属の 4 種 5 属となる 園芸學上 柑橘類と称すのは枳穀属 枳穀属 (Poncirus) 柑橘属(Citrus) 金柑属(Fortunella) の 3 属である [ 果樹園芸學上巻 33] 柑橘属 (A) 枳穀属 葉は三出の羽状複葉 樹は落葉性 花は白色単生 子房は多毛にして果汁は有脂 [33] 枳穀の落葉性は遺伝子による先天性で 金柑属 亜熱帯以南の地でも必ず落葉し一定期間休眠するを常とする この性質は枳穀と他の常緑柑橘の雑種である Citrange( シトレンジ ) 柚殻等でも 同じでである 然し Citrangequat( シトレンジカット ) は通常は常緑性であり 寒気厳しい場合に限り落葉する [ 果樹園芸学下巻 104] (B) 柑橘属 田中長三郎は 2 亜属 8 区 2 亜区に分類した 第 1 亜属 ( 初生柑橘 ) 第 1 区 ( バベダ区 )= 最も熱帯性 スワンギ ( 印度の馬来 ) カ ブヤオ ( 印度の馬来 ) 第 2 区 ( ライム区 )= 熱帯性 ライム 第 3 区 ( シトロン区 )= 果実に乳頭あり肉は黄色 酸又は淡味 砂じょう頗る長し 葉翼なき は特長なるも稀に有り シトロン ( 印度 ) レモン( 印度 ) 広東レモン( 印度 ) 甘果レモン( 印度 ) ルミー( 欧州栽培 ) ベルガモット( 欧州栽培 ) 第 4 区 ( 文旦区 )= 果実に乳頭なく肉は黄白色 時に紫紅色 葉翼一般に大 亜熱帯性 文旦 ( 台湾栽 ) 山蜜柑( 日本栽 ) 虎頭柑( 台湾栽 ) 絹皮蜜柑( 日 本栽 ) グレープフルーツ( 西印度栽 ) 第 5 区 ( 代々区 )= 果実に乳頭なく肉は橙色 多酸のものあるも 多甘微酸のもの多し 葉翼大小の差あり亜 熱帯性 代々 ( 印度 ) 甘代々( 印度 ) 桶柑( 台湾栽 ) 南庄橙( 台湾 ) 夏橙( 日本栽 ) 鳴門蜜柑( 日本栽 ) 第 2 亜属 ( 後生柑橘 ) 第 1 区 ( 柚区 )= 葉翼 発達し 時には葉面と略同大 温帯性にして耐寒性強し ユズ ( 華中 ) 宣昌橘( 華中 ) 宣昌レモン( 華中 ) 第 2 区 ( 蜜柑区 )= 果実一般に扁円形に して濃色 外皮緩く剥皮容易 温帯性又は亜熱帯性 これを 3 亜区に類別す [ 第 1 亜区 : 眞正蜜柑亜区 ]= 果実概して大 両端部凹入 外皮に 放射状溝なし 果肉多甘微酸 九年母 ( 印度支那 ) 温州蜜柑 ( 日本栽 ) 八代蜜柑 ( 日本栽 ) [ 第 2 亜区 : 紀州蜜柑亜区 ]= 果実圓形乃至扁円形 放射條溝有るを普通 橙色 時には淡色 甘味強きは風通性 (a) 大果品 : 椪柑 ( 印度栽 ( 栽培 以下同 ) 地中海マンダリン ( 欧州栽 ) 元霄柑 ( 台湾 栽 ) 赤蜜柑( 印度 ) 小紅蜜柑( 華中栽 ) 天臺山橘( 中国栽 ) 槾橘( 中国栽 ) (b) 小果品 : 紀州蜜柑 ( 中国 日本栽 ) 椪橘( 中国栽 ) 酸橘( 中国栽 ) シークワーシャ ( 琉球 台湾 ) [ 第 3 亜区 : 唐金柑亜属 ]= 花は小 新梢の頂部に生じること多し 小果圓形 両端部凹入 放射條溝なし 外皮に甘味あり 肉は強酸 金柑類似の風味あり 葉は小 葉翼狭小 唐金柑一名四季橘 又は月桔 ( 中国栽 ) (C) 金柑属 スイングル氏は金柑属を 2 亜属に分類した 第 1 亜属 ( 眞正金柑亜属 ) 果樹園芸上 金柑と称するものを一括したもので 中国原産に属す 花は小 白色 単生または叢生 果実は圓 楕円 又は卵形 果皮に甘味あり 肉に酸味あり 葉は小で厚く先端尖り 葉翼狭小 丸金柑 長金柑 寧波金柑 又は明和金柑 長寿金柑 一名福州金柑 長葉金柑 ( 中国栽 ) 第 2 亜属 ( 金豆亜属 ) 花は小 単生又は叢生 果実は柑橘中の最小 葉に翼あり矮性灌木 我が 国では盆栽にして鑑賞す 金豆 一名金豆柑とも [ 果樹園芸學上巻,33] 原生及び原生分 柑橘類の原産 または原生的分布は 殆どアジア大陸の南東部に集中し 僅かに太平洋東南部の島嶼にみられ アフリカ 欧州 西部アジア 布南北米大陸には原生地を認めぬ ( 中略 ) 我が国の原生種として橘( タチバナ ) があり 台湾にも原生がある 中井猛之進博士は最近 我が国に於けるユズの原生地を発見された [ 天然記念物調査報告 / 植物之部第十九輯 ( 昭和 17 年 )] 山口県阿武郡川上村字遠谷金山の森林地帯 及び同村字大谷の絶壁上に群生していると云う 昭和十六 (1941) 年十二月 天然記念物に指定された 南欧一帯の地中海沿岸地方は柑橘の古い歴 とうしよ ゲンシヨウ - 1 -

2 重要種類と品種 史を有するが 柑橘の原生品が全然ない 柑橘栽培の沿革は 渡来伝搬に始まっている アレキサンダー大王の東征によって始めて欧州人に知られた栽培植物は少なく 柑橘もその一つである THEOPHRASTUS(?-BC278) がこの方面の記録を残している ペルシャ國 ( イランの旧称 ) の Media 地方で栽培されている柑橘に Malus media 即ちメディアのリンゴと命名している 紀元前にはギリシャでは柑橘栽培はみられない A.DE CANDOLLE によれば 伊太利 ( イタリア ) にシトロンが栽培されたのは 4-5 世紀の頃と云う 印度原産で温帯南部より亜熱帯及び熱帯に亙って栽 ぶつしゆかん 培される 我が国 及び中国にて古くから栽培されている佛手柑はシトロンの一変種で挿木によって容易に発根する シトロンに次いで欧州に渡 来した柑橘はレモンで G.Gallesio によれば アラビア人によってパレスチナ及びエジプトにレモンが渡来したのは 10 世紀頃と云う 印度原産でシトロン同様 耐寒性の最も弱き柑橘である 欧州にては伊太利 ( イタリア ) のシシリー島 コルシカ島は有名産地である レモンの代表的品種にユーレカ リスボン ジェノア ビラフランカがあり ビラフランカは最も耐寒性強く かつ豊産である 従来 レモンと混同されていた広東レモンも印度原産で 広東 海南地方にて栽培されている 乳頭なく尖端微尖で米国のオタハイトオレンジも該種に属す ライムは 印度原産で専ら熱帯及び亜熱帯地方に栽培され 耐寒性最も弱い品種で明治時代に小笠原島に栽培され 相当長い間 疑問の柑橘とされていた ベルガモットは 南 欧地方で栽培され 果実は圓形 尖端微尖 油の原料として果実が利用される レモン 代々 甘代々の順に欧州に渡来した 文旦は一般に文 ラン 旦類又は欒類と呼ばれ 中国で古来 柚と称するものは該種である 我が国には徳川時代初期に既に栽培され 四国 九州南部 特に長崎 熊 本 鹿児島の 3 県に多く栽培される 大正六 (1917) 年 黒上泰治博士は長崎県に於ける欒類を調査し 卵円形品種 11 円形品種 15 扁円形品 種 8 合計 34 品種を記載する [ 果樹園芸學上巻 33] さんしよう ミカン科サンショウ属の山椒 ( 学名 : Zanthoxylum ラン piperitum ) は落葉低木 別名はハジカミ 日本列島の北海道から屋久島までと 朝鮮半島の 南部に分布する [ 佐竹義輔 / 原寛ら編 日本の野生植物: 木本 I 平凡社.1989 年 ] ヘンルーダ( オランダ語 : wijnruit [ˈʋɛ inrœyt]) はミカン科の常緑小低木 日本語の ヘンルーダ はオランダ語に由来する ルー (rue) あるいは コモンルー (common rue) とも呼ばれる 学名は Ruta graveolens 地中海沿岸地方の原産 樹高は 50cm から 1m 位 葉は 青灰色を帯びたものと黄色みの強いもの 斑入り葉のものなどがあるが 対生し 二回羽状複葉でサンショウを少し甘くしたような香りがある 丸みを帯びたなめらかな葉がレース状に茂り 優雅なハーブ と呼ばれる [Wikipedia/ ヘンルーダ ] シトロン 印度原産 温帯南部より亜熱帯 及び熱帯に亙って栽培される 欧州ではギリシャ ローマ時代から栽培され 最も古い沿革を有する 我が国及び中国で古くより栽培している佛手柑は シトロンの一変種である レモン 印度原産で シトロン同様に耐寒性の最も弱い柑橘であ る ライム 印度原産で 熱帯 亜熱帯途方で栽培され 耐寒性最も弱い種類である 明治時代に小笠原島にて栽培されていた ベルガモット 南欧地方で栽培され 果実は圓形 先端微尖 ベルガモッット油の原料として利用されている 文旦 一般に文旦類 又は欒類と呼ばれ 中国 にては古来柚と称したものは該種である 我が国ではザボン ボンタン ブンタン ウチムラサキ等の呼び名がある 印度 馬来地方の原産で 樹性喬木 葉も大にして葉翼の発育著しく 果実は柑橘中最大の部類に属す 渡来品種もあるが 大部分は在来品で 優良品種に白肉の平戸文旦 ( 長崎 ) 紅肉系の江上文旦 八代文旦( 熊本 ) 等である 我が国では徳川時代初期に既に栽培され 四国 九州の南方温帯地方 特に長崎 熊本 鹿児島に多く栽培された [ 果樹園芸學上巻,33] 田中諭一郎は その著作 日本柑橘図譜 で 文旦類 27 品種を記載し優良品種として 白肉系では麻荳文旦 ( 台湾 ) 麻荳白柚( 台湾 ) 晩白柚( 台湾 ) カオパン文旦( シャム ) 紅肉系では斗柚 石頭柚( 台湾 ) 麻荳紅柚( 台湾 ) 蜜柚( 台 湾 ) 等とし カオパンは 盤谷文旦 盤谷無核文旦の異名があり 品質は文旦類の首位を占めるとしている [111] グレープフルーツ 西印度諸 島で栽培されていたもので 起原は不明である 樹は発育旺盛で半喬木性 新梢及び嫩葉 ( 若葉 ) は無毛である点は文旦と異なる 代々類 ( 酸 どんよう らん - 2 -

3 橙類 ) 印度原産で東亜諸国 及び欧州で古くから栽培され 柑橘類ではユズに次いで耐寒性がある 日本では代々の果実は新年の飾りにする程度であるが 従来はカナダに大量輸出があり 彼の地では専らマーマレードの原料として利用されていた 中国や欧州では古来薬用として重要視されていた 甘代々類 ( 甜橙類 ) 印度原産で華南地方に古くから栽培され 優良品種は少なくない 欧米諸国では現在柑橘産業の主体をなす 欧州に導入されたのは 15 世紀以降であるが 南欧地方に急激に広まり 米国には 17 世紀になって初めて導入され 加州 フロリダ州で一大産業を形成している ヒュームは 甘代々の品種を便宜上次の 4 群に分類している [ スペイン系 ] 肉質稍粗硬なるも大果で品質一般に優良 で中熟性のものが多い [ 地中海系 ] 果実は圓 扁圓 又は卵形で果肉緻密で品質優良 成熟期は晩生又は中生 大果豊産で Jaffa Paper けつじよう Rind Valencia 等がある [ 血瓤系 Blood Oranges] 南欧原産の品種群で 果実は概して小または中である 完熟したものは 果肉に濃紅色の色 素を斑出 果皮に於いても同様 比較的早熟で品質優良 枳穀砧の樹は特に色素の出現が完全と云う [ 重嚢系 ( ネーブル系 )] 重嚢とは 心皮 へそ 形成が二重又は三重になるものを云い 外見上ネーブル ( 臍 ) オレンジと云う 主な品種は Australian Bahia(Washinton じゆうのう Navel Riverside Navele) Double(Imperial) Egyptian Melitensis Parson Surprise Sustain この中でワシントンネーブルは品質 経済的価値においても代表的品種である 欧州にはフランスのニース産のオレンジ Double その実生品種として Navel Algerine が代表的で ワシントンネーブルは普及 していない ワシントンネーブルは 南米ブラジルのバイア原産で バイア地方のポルトガル移民によって甜橙類が本国から輸入され その中の Laranja Selecta が在った 1820( 文政 3 年 ) 年 この品種の枝変わりとして現れた重嚢品種を芽接ぎで繁殖し Laranja Selecta de Umbigo(navel) と 命名して増殖 1835( 天保 6) 年 米国に輸入されたが普及せず 1870( 明治 3) 年に米国農務省によって輸入され 1874( 明治 7) 年 加州リバーサイドに栽植 1879( 明治 12) 年 リバーサイド ( カリフォルニア州 ) 柑橘品評会に出品して価値を認められて以来 急激に増殖され加州柑橘業のワシントンネーブ主要品種となった ワシントンネーブルが日本に輸入された沿革は 明治 年頃 玉利喜造博士によって米国から輸入され [ 福羽逸人著, 果ル樹栽培全書 /33] 明治 21(1888) 年 静岡県小笠郡大池村の高島甚三郎氏は 義弟 / 安田七郎氏の斡旋で苗木 10 本を取り寄せたが到着の際に既に枯死していた 翌年更に 5 本を輸入し 明治 年に静岡 和歌山 兵庫 愛知の諸県に配布したと云う また 明治 24(1891) 年 3 月 和歌山県那賀郡 開進組 の千田三次郎氏は 在米の和歌山県人 / 堂本譽之進より苗木 2 本を譲り受けて持ち帰り 1 本を同郡の堀内仙右衛門氏に 他の 1 本を同郡の堂本秀之進氏に分かちたり 堀内氏は翌年 20 本を嫁接ぎして 11 本活着 明治 26 (1893) 年には堂本氏の苗木が枯死したので 堀内氏は 2 本を分譲 追年繁殖して増殖を計れり [ 北神貢著 / 最新柑橘栽培書, 明治 36 年刊 /33] なつだいだい 夏橙及び類縁種 [ 夏橙 ] 別名 / 夏蜜柑 ( 夏代 ) は山口県原産であるが北神貢氏によると 寛政 4(1792) 年に山口県青海島の三輪吉五郎氏が初 めて栽培したと云う 三輪吉五郎氏が青海島の海岸で一種の蜜柑を拾い 種子を蒔いたと云い もう一つは文化年 ( ) 間の初め頃 山口県萩江村の樽崎十郎兵衛氏が大津郡大日比郷の知人より一種の蜜柑を得て種を播いたのが夏橙になったと云う 大日比郷には夏橙の親と云うものは古くから在ったとされ 何れにしても 19 世紀初頭に山口県に現れたとみられる [ 果樹園芸学上巻 33] じゆうのう 年代 年紀 BC67 年 甲寅 さ ぬ 柑橘品種と栽培を巡る我が国内外の記録 伝承 神武天皇 ( 狭野命 ) 大分県 ( 当時は豊国 ) の皇登山 ( 水晶山 ) に登らせたまひ 土民がみかんを献上する [ 大分みかんの歴史 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) この年 磐余彦尊 ( 幼名 / 狭野命 / 後の初代 / 神武天皇 ) 冬十月丁巳の朔辛酉(5 日 ) に親ら諸皇子を率いて西の宮 ( 筑紫日向 ) より発ちて船師東を征たまふ 是年 太歳甲寅 十一月五日 筑紫國の岡水門 ( 遠賀川下流 現 / 北九州の八幡 ~ 遠賀郡の周辺 ) に至りたまふ 十二月二 - 3 -

4 崇神 - 垂仁天皇 さぬにぎはやひおおとしいすけよ十七日に安藝國に至り埃宮に居ます [ 旧事本紀 神武即位前紀 ] 神武天皇( 狭野命 ) は 大和朝廷の開祖 / 饒速日 ( 大歳 ) 尊の末子 / 伊須氣余 りひめ 理比賣命に聟入のため 筑紫 ( 現 / 九州 ) の日向から遠路 大和に向かった [ 古代日本原記 121] みやけのむらじたじまもりときじくのかぐのこのみ 垂仁天皇九十年の春二月 三宅連等の祖 名は多遅摩毛理を以て常世国に遣わして非時香菓を求めしたまひき 天皇崩りまして明年 やまたいこくひたじまもりかげやかげほこやほこ 邪馬台国女王卑 (251 年 ) 春三月十二日 多遅摩毛理 遂にその国に到りて その木の実を採り縵八縵 矛八矛を以て将ち来たりし間に 天皇すでに崩りましき こ みこかげよかげほこよほことこよときじくのかぐのこのみ 弥呼の時代 こに多遅摩毛理 縵四縵 矛四矛を天皇の御陵の戸に献り置きて その木の実を捧げて叫び哭びて曰さく 常世の国の非時香菓を持ちて参 (2-3 世紀 ) 上りて侍ふ とまおして 遂に叫び哭び ( 泣い ) て死にき その非時香菓は これ今の橘なり [ 垂仁天皇記 1] ( 注 ) 三宅連は 新羅国王子 / 天日 ぼこ さぶらしらぎのくにあめのぴ 杵命の後也 [ 新選姓氏録 50] 倭国 ( 古代 / 中国は和国を見下げて呼んだ国名 当時の日本はヤマトと訓じた ) には薑 ( ショウガ ) 橘 山椒 茗荷があるが ( 住民は ) 滋味を知ら さる くろきじ ず 猿 黒雉がある [ 三国志 / 魏志 / 倭人条 28 68] [ 国語大事典 21] [ 古代日本原記 121] はじかみたちばなさんしようみようがじみ AD250 年 ( 庚午 ) 七月一日 垂仁天皇 崩 71 歳 墓誌 伊久米入日子命庚午七月一日年七十一 [ 宝来山古墳陵前, 柳本 / 伊佐知命宮,61,67] まきむくのみや 垂仁天皇 39 年 ( 垂仁天皇 ) 九十九年秋七月一日 天皇 纏向宮に崩りましぬ 時に年百四十歳 冬十二月十日 菅原伏見陵に葬りまつる [ 垂仁紀,2] あかえりいたもてまうでいたときじくのかくのみやほこやかげ ( 纏向時代 ) 田道間守伝説 明くる (251) 年 春三月十二日 田道間守 常世國より至れり 即ち 齎る物は非時香菓 八竿八縵なり 田道間守 是 いさなげまうおほみことみかどうけたまははるかなるくにまかとほくなみほよはのみずひじりかくれたるくにいた 田道間守伝説に泣ち悲嘆きて曰さく 命を天朝に受りて絶域に往る 萬里浪を蹈みて遙に弱水を渡る 是の常世國は神仙の秘區 俗の臻らむ所に あにおも 非ず 是を以て往来ふ間に 自ずからに十年に経りぬ 豈期ひきや 独峻き瀾を凌ぎて更本土に向むといふことを 然るに聖帝の神霊に頼りて まうみささぎまゐ 僅かに還り来たること得たり 今天皇 既に崩りましぬ 復命すること得ず 臣 生けりと雖も 亦何の益あらむ と曰す 乃ち天皇の陵に向りて叫 なまかこれしらぎのくにあめのひぼこ び哭きて自ら死れり 群臣聞きて皆涙を流す 田道間守は 是三宅連の始祖なり [ 垂仁紀 2] 三宅連は新羅国王子 / 天日杵命の後也 [ 新撰姓 ときじくのかくのみ 氏録,50] ( 注 ) 田道間守の持ち帰った非時香菓は 田中長三郎氏の考証によれば これを ダイダイ ( 橙 ) とする [ 柑橘の研究 87,1933/ 田中長三 たちばな 郎著 ] 橘は 今の茨城県以南の太平洋沿岸から紀伊半島南部 四国 九州に亘る南岸地帯に自生する 今の三重県御浜町尾呂志 熊野市 大泊地帯に原生しているのを筆者 ( 本多舜二氏 ) は発見している [ 和歌山のかんきつ 122] ( 紀伊国海部郡の柑橘起原は更に古く ) 殆ど縣下に於ける柑橘の始祖にして 垂仁天皇九十年 (39 年 [ 古墳墓碑 61/67]) 田道間守が常世の國 ときじくのかくのみ に渡り 齎し帰りし非時香菓 植えたるものにして 賀茂村の橘本の名は之に因せしものなりと称せり [ 前山虎之助著 / 蜜柑帳 / 和歌山縣誌第二巻 42] 其の真偽 俄に判すへからされと 徳川時代に於いて盛んに栽植せられたるは [ 蜜柑傳来記 ] 始め 諸書に見ゆる處なり 持ち帰った橘の きつもと 苗木八本のうち六本を 紀州海草 ( 当時は紀伊国海部 ) 郡加茂村橘本に植えられ六本木の地名あり ここに橘本神社がある [ 同社伝 / 和歌山縣の 果樹 27] ( 注 ) 田道間守が持ち帰ったのは非時香菓の着いた枝八本とあり苗木ではない [ 編者 ] 熊本県八代市にも 田道間守伝説 がある 経緯は和歌山と同じであるが 田道間守は垂仁天皇の崩御を聞き その皇子 / 景行天皇に 苦労し て手に入れた橘を献上しようと 当時 都から御征西中の天皇を はるばる肥後国 ( 現 / 熊本県 ) まで訪ね 高田 ( 八代市こうだ ) 付近でようやく巡り会 って 橘を献上後自決した 景行天皇はこれを哀れに思い 高田の地に田道間守が苦労の末に手に入れた橘を植えられた この橘が後年 紀 伊国在田郡糸我荘 ( 現 / 有田市糸我町 ) の伊藤孫右衛門が手にする 八代高田みかん ( 小ミカン ) である [ 熊本県八代蜜柑伝来伝説 / 熊本県庁 ]/ [ 紀州有田柑橘発達史 / 大正十五年十二月刊 / 有田郡田殿村 / 中西英雄著 ] と云う ( 注 ) 垂仁天皇の崩御は 墓誌によれば 伊久米入日子命庚 うま かのえうま 柑橘栽培の歴史 午七月一日年七十一 とある 庚午年は AD250 年と比定されている [ 古墳墓碑 61/ 宝来山古墳陵前 柳本 / 伊佐知命宮 ] [ 書紀 ] によれば 景 行天皇の筑紫征討は 同天皇十二 (262) 年とする 田道間守が帰国して 12 年後には橘の木が生きて居たとすれば成木になっている この説話 かのえ

5 は怪しい [ 編者 ] 果物と菓子の神として田道間守を祀る神社は全国に十余ヵ所あるといわれ 代表的な神社は兵庫県豊岡市の中島神社 紀伊 きつもと 国屋文左衛船出の伝説の地でもある和歌山県下津町の橘本神社 佐賀県の伊萬里神社など 佐賀県伊万里市立花町の伊萬里神社 ( もと香橘 神社 ) には 田道間守がタチバナを携えて伊万里浦に上陸し これを植えたという伝説があり タチバナの古木があったが既に枯死した 橘嶋田 たちばなのもろえ 麿がこの地に橘諸兄の霊を祀り香橘宮と称し 古来から蜜柑 菓子の神として崇敬されている [ 社伝 / 日本の果物受容史 110] 神功皇后摂政元 神功皇后が三韓( 朝鮮三韓の国 ) 征伐の帰途 朝鮮より橘を持ち帰り これを肥後八代に植えたのが 高田みかん の始めである その後 繁茂 (321) 年辛巳し 三韓より来たので みかん と名付け 肥後国司より年々朝廷に献上したとの説 [ 和歌山県柑橘業の概要 昭和 14 年 5 月 紀州柑橘同業組合連合会発行 ] もある 日本の柑橘は自生説あり 伝来説あり 諸説紛々である [ 御前明良 : 紀州有田みかんの起源と発達史 124] ( 注 ) 朝鮮の [ 三国史記 ] 新羅本紀 / 百済本紀 / 高句麗本紀には何の記載もなく [ 日本書紀 ] の神功皇后三韓征伐の記述は造作説話である [ 編者 ] せいみんようじゆつ 386~439 年 ( 中 斉民要術 に 果樹の実生繁殖は品種の特性維持の可能性なために接木を用いること 梨の砧木にマメナシ類を 柿の砧木にマメガキを使 いつぎ あげつぎ 国の後魏時代 / うこと 接木には居接及び高接を主体とするが 揚接が活着不確実なること と説明している この如き点から考えると 中国では 5 世紀の頃には 日本は神功皇后果樹の接木繁殖は十分に普及していたことが分かるのみならず 相当古い時代から果樹の繁殖法が研究されていたことが想像できる [ 果樹園芸 いん 摂政 66 年 ~ 允学上巻 33] ( 注 ) 斉民要術 は中国の農書 後魏の賈思售 / 撰 現存する農書中最古の完本 粟を中心にした穀物類の栽培法から野菜 果樹 ぎよう 恭天皇 28 年 ) 桑 麻の栽培 さらに家畜の飼育法 酒 味噌の醸造法 中国物産論などを体系的に述べた書 [ 国語大事典 21] 神亀 3(726) 年 てんじゆ 十一月十日 中務省丞従六位上 / 佐味朝臣虫麻呂 典鋳 ( 大蔵省典鋳司の長官 ) 正六位上 / 播磨直弟兄に従五位下を授く 弟兄は初めて甘子 ( 聖武天皇 3 年 ) ( 柑子 ) をもちて唐国より来れり 虫麻呂 先ずその種を殖えて子 ( 實 ) を結べり 故にこの綬あり [ 續日本紀 70] ( 注 ) 佐味朝臣は 崇神天皇の皇子 / おおたらしひこをしろわけ ( 奈良時代 ) 豊城入彦命の後裔 上毛野朝臣同祖なり [ 新選姓氏録 50] 大足彦忍代別 ( 景行 ) 天皇 五十河媛を妃として神櫛皇子 稲背入彦皇子を生め 天平 8(736) 年 り 弟 / 稲背入彦皇子は是播磨別の始祖なり [ 景行紀,2] [ 先代旧事本紀 4] に 妃 / 五十河媛 神櫛皇子 次に稲背入彦皇子を生めり とみえ おみもろわけあそたける 播磨直は景行天皇皇子 / 稲背入彦命の後裔 兄弟に男御諸別命 阿曽武命 ( 針間国造の祖 ) 是 佐伯直 播磨直の祖也 [ 新選姓氏録 50] おとえ 弘法大師空海も同祖 播磨直 / 弟兄は柑子導入の祖 佐味朝臣虫麻呂は柑子栽培の開祖 ( 注 ) 甘子は今の九年母とする [ 貝原益軒著 / 大和本 草 ] この年 冬十一月 左大辨 / 葛城王等賜姓 橘氏之時 ( 聖武天皇 ) 御製歌一首 [ 万葉集巻第六 1009] に 橘は実さへ花さへその葉さへ枝 とこは 橘に霜降れどいや常葉の樹 と詠まれている ( 注 ) 天平 8(736) 年当時 橘 が在ったことを裏付けている [ 編者 ] 天平 12(740) 年 とよのくに 大分県 ( 当時は豊國 ) における蜜柑栽培発祥の地は 北海部郡津久見大字上青江字尾崎 ( 現 / 津久見市 ) である [ 大分県流通園芸課 ] [ 津久見 小蜜柑柑橘史 ] によると 神武天皇 ( 在世 BC107 ~ 45 年 ) が津久見にて泊されしおりに ミカンを献上したと伝えられ 天平十二 (720) 年に青江の松川にて柑橘の研究栽培を行う その後 又四郎なる者が保元二 (1157) 年に松川より青江の尾崎にミカンを移植する このミカンは 小ミカン であり ここのミカンはその後 800 年余り生育 年々大量に実を付け 後世 小蜜柑の元祖木 とされた 昭和十二年六月十五日に文部大臣 / 安井英二より 史跡名勝天然記念物保存法による 天然記念物 に指定された 温州みかん の創始については 享保十 (1725) 年に青江の大庄屋 / 西郷六左衛門が村人に栽培を奨励したのが始まりとされる その温州みかんは肥後八代よりの移入であり 津久見では温州みかんを 八代みかん と呼んだ 文化元 (1804) 年には津久見村の蜜柑畑十四町歩との記録あり [ 津久見柑橘史 ] ( 注 ) 明治十三 (1880) 年には大阪に販売 明治十八年に津久見青江に蜜柑問屋が開業されており 明治初期には小蜜柑に加えて温州みかんが広く栽培されだしたようである なお 明治二十五年頃 青江地区において 従来木の枝変わりの早生品種が発見された これは普通温州より1ヶ月早熟で 我が国初の早生品種の発生 である おとえ こうきつ

6 これは 青江早生 として全国に広まっていく [ 同史 / 有田みかんデータベース 106] とうせん みぎりきのえとら 神武東征 ( 史実は東遷 ) の砌 ( 甲寅 BC67 年 ) 津久見浜 ( 現 / 大分県津久見市の浜 ) に於いて蜜柑を献上したと伝えられる 天平十二 (740) 年 仁 藤仁左エ門が青江の松川 ( 現 / 津久見市上青江松川 ) にて柑橘の栽培を研究し その後保元二 (1157) 年 又四郎が当地に松川より移植したのが現在の ( 小蜜柑 ) 元祖木で樹齢八百年 面積百三十五坪 ( 約 45 m2 ) に伸び 平年作で七百五十貫 ( 約 2.8 トン ) を生産す 昭和十二 (1937) 年六月 文部大臣から天然記念樹に指定せられ 現在 ( 昭和 41(1966) 年 ) 川野覚氏が管理している[ 東京青果株式会社所蔵文書 / 和歌山の柑橘 / 古代日 本原記 121] ( 注 ) 元祖木の樹齢 800 年は ほぼ整合しているが 小蜜柑は 800 年も生存するかは疑問である [ 編者 ] うるう 天平感宝元 閏五月二十三日 大伴家持の詠 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し [ 万葉集巻第十八 ] また日付がないが 忌部 おびとえい ぼうしつ (749) 年首詠 ( 詠む ) 數種物歌一首 [ 名忘失也 ] 枳蕀原苅除曽氣倉将立屎遠麻礼櫛造刀自 現在仮名に直すと からたちうばらかりのそけくら うばらくらくそとほくしつくるとじとじ たてむくそとほくまれくしつくるとじ となる これを現在文に直すと からたちと茨を刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自 刀自は主婦と からたち みられる ( 注 ) 枳殻は万葉時代からあったことが知れる [ 編者 ] うるういつとうししよう 天平宝字 6(762) 閏十二月十一日 収納小樀子壹蚪 ( 蚪は豆篇に斗 ) 肆升 (4 升 ) 干柿子拾弐貫各長四尺 [ 正倉院文書 / 大日本古文書 ] とみえる ( 注 ) 樀 年 ( 奈良時代 ) 宝亀 3(772) 年弘仁 2(811) 年 み は 橘 と同字であり 小 は小さい意 子 は実を指す つまり小さい樀 ( 橘 ) の実を一斗四升収納したと読める どこから送られ何に用いたかは 不明である [ 編者 ] 十九日しきりにけいしふいんせきゆのみ 六月戊辰 往々京師 ( みやこ ) に隕る石 ( 隕石 ) あり 其の大きさ柚子の如し 数日にして止む [ 続日本紀 / 宝亀三年条 ] ( 注 ) 柚子 と 柚 は同一 とすれば この時代には 柚 があったとみられる [ 編者 ] くうかい おとくにでら この年十一月九日 僧 / 空海 乙訓寺 ( 現 / 京都府長岡京市 ) の別当となる [ 同寺縁起 ] その後 同寺境内から採った柑子を嵯峨天皇に献上す 空海 柑子を天る 柑子を献ずる表 沙門 / 空海 言上する 小住の山城乙訓寺に数株の柑橘の樹がある 献上の恒例に従い よい実をいろいろ撰び取って 皇に献上 へうやましろのおとくにでらき み 来させた 数を申し上げれば千以上となる その色を看ると黄金のようである 黄金は変わることのないものである 千と千年に一人現れる聖天子 のことである また この果物は もともと西域から出たものである ちらと見ただけでも興趣がある そこで 私の拙い詞をそえて あえて奉献す じんじ きようしゆつたなことば る次第である 伏して願うところは 陛下の仁慈をもって まげてご一覧あらんことを 軽々しく奉献して陛下の御眼を黷すことを ひれ伏して深く おそしやもんおそ 悚れお詫び申し上げるところである 沙門 / 空海 心から惶れ 心から恐れて謹んで申し上げる 詩 桃李は珍しいけれども寒さに弱く蜜柑が 霜にあっていよいよ美しいのに及ばない 星や玉に似て そのもちまえは黄金である そのかぐわしい味は供え物の籠一ぱいに充ちてる このよ うな例えようもない珍味は いずこよりもたらされたのか きっと天女 西王母の故 ( 故郷 ) であろう 千年に一度 聖人が世に出ること表わし この木 のぼ と せいおうぼ に攀って実を摘り わが聖上陛下に献上する 小さな蜜柑を小箱六つ 大きな蜜柑を小箱四つ 以上 乙訓寺から採れたものを恒例にしたがっ がんえん て献上し奉る 謹んで乙訓寺の寺主である願演を遣わして この状とともに奉納いたさせる 謹んで進上する [ 弘法大師空海全集第六巻 遍照 発揮性霊集 / 巻第四 ]/[ たしまもり研究所森本純平訓読 ] しようたいからなししいくぬぎかむし 昌泰 ( ) 昌泰年間に成立の 新撰字鏡 の木部五十七に 榛 李 唐梨 ( カリンの古名 ) 梨 椎 ( ナラノキ ) 枇杷 櫟 科木 ( シナノキ ) 加牟志 ( 柑橘 ) が記載あ 年間 かむし り [ 日本果物史年表 123] ( 注 ) 新撰字鏡は 漢字約二万一千三百を偏 旁などによって分類 配列し 字音 意義 和訓を記したもの 現存する 加牟志日本最古の漢和辞書 [ 国語大事典 ] 延喜 5 年 - 延長 5 延喜式三十二巻 大膳下 諸国献進菓子 ( 果物 ) 山城國 : 郁子 ( ムベ ) 通草 ( アケビ ) 覆盆子 ( イチゴ ) 楊梅 ( ヤマモモ ) 平栗 大和國 : 通草 あけび もと けが いむべ - 6 -

7 年 ( 年 ) ( アケビ ) 楊梅 榛 ( ハシバミ ) 河内國 : 通草 覆盆子 ( イチゴ ) 椎 花橘子 木蓮子 ( イタビカズラの古名 ) 攝津國 : 通草 ( アケビ ) 覆盆子 ( 木 ようばい ( 平安時代 ) イチゴ ) 楊梅 ( ヤマモモ ) 花橘子 ( マンリョウの実か ) 河内國 : 通草 ( アケビ ) 覆盆子 ( 木イチゴ ) 楊梅 椎 花橘子 柑子 木蓮子 ( イタビ ) 遠 花橘子橘柑子江國 : 甘蔓 柑子 駿河國 : 甘蔓 柑子 相模國 : 橘 柑子 近江國 : 郁子 遠江國 : 甘蔓 柑子 越前國 : 甘蔓 薯蕷 ( ヤマノイモ ) 零 接木永観 2(984) 年 しい 余子 ( ムカゴ ) 椎 丹波國 : 甘蔓 甘栗 搗栗 ( カチグリ ) 椎 菱 但馬國 : 搗栗 甘蔓 美作國 : 搗栗 甘蔓 因幡國 : 甘蔓 平栗 椎 ( 平安時代 ) て乾かす ( 中略 ) 棗無き時は串柿を盛る 五つ目に勝栗( 搗栗 ) を加える時あり 或いは時菓子 ( 季節の菓子 ) を用ゐる 木蓮子 ( イタビカズラの古名 ) 栗 橘 杏 李 椎子 桃 せんこう桃( 不明 ) 柿 [ 櫻井秀 / 足立勇著 : 日本食物史 ( 上 )/ 日本果物史年表 123] ( 注 ) 平安時代末期には 菓子 ( 果物 ) の種類が豊富になってきたようにみえる [ 編者 ] 12 ~ 13 世紀 熊本県のみかんの起源/ 八代小ミカン の発祥の地 我が国のみかん栽培史では 一つの地域で ある規模で栽培 され始めたのは熊本県八八代小ミカン代郡高田村 ( 現 / 八代市高田 ) であり その品種は中国漸江省から伝来した 小ミカン である 起源は 12 ~ 13 世紀頃と推測されているが ある程度の量産体制にあった様子にもかかわらず 小ミカン を特産品として ( 江戸時代に ) 藩外まで販売した形跡は見当たらない 温州みかん の栽培は 発祥地の鹿児島県東町が近いため 速やかな伝来があったと思うが やはり 小ミカンと違う 種無し が敬遠され 商業的栽培は明治二 ひし 梨子 柑子 干棗 播磨國 : 椎 搗栗 美作國 : 搗栗 阿波國 : 柑子 甘蔓 太宰府 : 甘蔓 木蓮子 相模國 : 橘子 甘子 延 喜式 / 巻三十三大膳下諸国貢進菓子 甲斐國 : 青梨子 同式巻三十七 典薬寮の諸国貢進年料雑薬 : 桃仁 / 十一カ国 橘皮 ( 橘の実の皮 ) 枳 ちのみきようにんゆず む べ とうにんきがわからた 殻実 杏仁 / 四十カ国 同式巻三十九 正親 内膳供奉雑菜 栗子三升 桃子四升 柚子十顆 柿子二升 枇杷十房 覆盆子二升 園地三十九 町五反二百歩 雑菓樹四百六十株 続梨百株 柑四十株 柿百株 橘二十株 大棗三十株 郁三十株 覆盆子 ( 木イチゴ ) 園二反 また 接 木 当時接木が行われていたとみられる [ 大野史朗著 / 農業事物起原集成 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 続梨とは接木した梨樹 [ 編者 ] いしんぼうほしなつめなまなつめ この年 我が国最古の医書 医心方 が撰上され 巻第十三 / 五菓部に 橘 柑子 柚 乾棗 生棗 李 杏実 桃実 梅実 栗子 ない ( 赤林檎 ざくろむべあけびかや ( 平安時代 ) の古名 ) 石榴 枇杷 こくわ ( 猿梨の古名 ) 郁子 通草 山桜桃 ( ヤマモモ = 楊梅に同じ ) 木蓮子 ( イタビ蔓の古名 ) 椎子 櫟実 ( クヌギの実 ) 榧実 覆 永久 4(1116) 年元永元 (1118) 年 ぐ み 盆子 ( 木いちご ) 茱萸 海老蔓 ( エビヅル ) 桑実 が記載されている [ 菊池秋雄著 : 明治前日本農業技術史 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 医心方 は 丹波康頼撰述 永観二年完成 外台秘要 病源候論 など 隋 唐の医書八十余種から引用 編纂したもの 長らく朝廷の秘書となってい たが 万延元 (1860) 年 江戸幕府の手で刊行された [ 国語大事典 21] こうらい えいそう ( 朝鮮半島 ) 高麗国王 / 睿宗十一 (1116) 年二月二日 日本国 柑子を進む [ 武田幸男編訳 / 高麗史日本伝 ] ( 注 ) 日本から高麗国王に柑子を贈っ たか 日本の朝廷は 幼少の鳥羽天皇 (14 歳 ) 十年 ( 摂政 / 藤原忠実 ) 白河法皇の院政時代 [ 古代日本原記 ] 九月七日 白河法皇 ( 紀伊国牟婁郡 ) 熊野に詣る 供奉の人八百十四人 伝馬百八十五匹 一日の粮料十六石二斗八升 熊野三山領は紀 伊 阿波 讃岐 伊予 土佐五カ国に各十烟 ( 世帯 ) の封戸五十烟ある [ 中右記 百錬抄 紀伊續風土記三 ] 白河法皇 詠 橘の本に / 一夜の旅寝 して / 入佐の山の / 月を見るかな と ( 注 ) 熊野詣で途上には当時に橘が自生していたとみられる [ 編者 ] こうじたいらのさねつな 康治元 (1142) 年 十二月十二日 藤原摂関家 ( 京都法成寺 ) 領 / 紀伊国那賀郡吉仲荘の下司 / 平實綱が藤原氏の熊野参詣にあたり菓子 ( 果物 ) 等を送り届ける ( 平安時代 ) [ 兵範記 / 平安遺文 2490 号 ] ( 注 ) この季節からみて菓子はミカン類や柿とみられ ミカン類は柑子だった可能性が高い 平實綱は平安末期に京 菓子承安 2(1172) 年 都から吉仲荘の荘官として派遣され 吉仲荘調月村 ( 現 / 桃山町調月字山人平の一角に ) に豪邸を構え 土居の殿様 と呼ばれてていた 今も土 いやぶ 居薮と呼ばれる大きな薮が著者宅の上にある [ 桃山町史 8 伝承 伝聞 ] むべ かやのみざくろほしなつめ もと どいど 一月 摂政家臨時客献立 干菓子 : 松の実を煎りて皮を剥きて盛る 柏実 : 煎りて盛る 石榴 : 皮剥きて盛る 干棗 : 熟したる棗を皮剥きて蒸し

8 (1869) 年に高田 宮地区で始まっている [ 果物百年史 / 果樹王国熊本 有田みかんデータベース 106] ていきんおうらいようばいりんごのみなしのみしいはしばみのみざくろ 応永 8(1401) 年 室町前期成立という僧 / 玄恵法印の作 庭訓往来 に主な菓樹 菓子 梅 桃 李 楊梅 ( ヤマモモ ) 林檎子 枇杷 杏 栗 梨子 椎 榛子 石榴 頃菓子と食合わせ なつめきざわしこねりゆこうこうじたちばなうじゆきつがしよくきん 棗 木淡 ( 甘柿 ) 木練 ( 甘柿 ) 柚柑 柑子 橘 雲州橘 金柑 柚 また 合食禁 ( 食い合わせ ) の菓子として 緬と枇杷 酒と柿 雀と銀杏 李と き じ 雀肉 雉子 蜜 白求 ( 不明 ) 牛肝 ( 牛の肝臓 ) [ 菊池秋雄 : 明治前日本農業技術史第三果樹園芸 樋口清之 : 日本食物史 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 林檎子は初出という [ 小林章 : 文化と果物 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 柚柑はミカン科の常緑小高木 本州中国地方と四国で栽植さ れ 果実はユズに似て大きく香りが高い クエン酸製造の材料 ゆかん ともいう [ 国語大事典 ] れんちゆうしようさもも この頃の 簾中抄 に 多く食ふまじきもの 棗 柑子 李 柚 生梅 杏など 月々食わぬもの 五月桃 李など核ならぬ菓子 [ 櫻井秀 / 足立勇著 : 日本食物史上 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 核ならぬ菓子とは未熟なものを云うか [ 編者 ] 永享年中 永享年中 ( 紀州 ) 有田郡糸我荘中番村 ( 現 / 有田市糸我町中番 ) 楯岩の麓 神田の峰に柑一樹自然に生じ 年々實を結ぶ 天正年中 (1466 年 ) ( 年 ) に此の種を山田に植え 大永年中 ( 年 ) に接木して近郷に植え 天正年中 ( 年 ) に糸我 宮原の二庄 ( 現 / 有田市糸我町 宮原 ( 室町時代 ) 町 ) に分かち植えしより 漸々諸荘に栽植すると云う ( 後略 )[ 紀伊続風土記第三輯六 ] ( 注 ) 紀伊続風土記及び紀州蜜柑傳来記の記録から 紀州の柑橘栽培は安土桃山時代 ( 年 ) の終わり頃 僅かに産業の端緒を現したことが分かる 然し ( この頃は ) 肥後八代 山城 駿河 遠江 相 模地方が先進地であったことが以上の記録で分かる 紀州に於ける蜜柑は [ 紀伊続風土記 ] には乳柑 一名眞柑となっているが これは本草学 の品物名に捉はれた名称 ( 呼び方 ) である 最初は単に蜜柑と呼び 紀州は有名産地になってから 紀州蜜柑 の名を得たもので 八代地方から 移入したのは小蜜柑 (C.kinokuni) である それ以前に栽培されたものは 九年母 ( 香橙 ) 柑子蜜柑が主なものであったと云う [ 果樹園芸學上巻 33] せきそおうらい 文明 13(1481) 年 文明十三年以前の成立とみられる に 庭に植えるべき花木花草として 庭梅 海棠 蜜柑 とあり これらは この頃までに渡来して 以前 いたとみられる 菓子に 青梅 黄梅 枇杷 楊梅 瓜 茄 木苺 岩梨 桃 杏 棗 李 林檎 石榴 梨 唐梨 柿 干柿 栗 椎 金柑 蜜柑 橙橘 が紀州から 紀州みかん を取り寄せ増殖を勧めている このことは 紀州有田への小ミカン導入が安芸より遅かったにしろ 元 / 紀州藩主の浅野公が安芸藩の農家の活性化のために 紀州みかんを導入したことは その時代には 紀州蜜柑 が大変優れていたことの証明となろう つまり 伊藤孫右衛門や有田の人たちの品種改良が九州や四国より進んでいたことの証でもある 広島県における温州みかんの本格的栽培は 明治二 ゆこう なすいちごいわなしなつめりんごからなし らいちくるみはしばみごどうかちぐり 鬼橘 ( 柚の異名 ) 柑子 鬼柑子 雲州橘 茶子の料 ( 茶請け ) に 茘枝 竜眼 胡桃 椎実 榛 栗 梧桐 ( 青桐の実 ) 串柿 搗栗 [ 上野益三 : 日 せきそおうらい 本博物学史 菊池秋雄 : 明治前日本農業技術史 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) は 一条兼良の著 文明十三年以前の成立 往復書簡 の形式の中に 年中行事 各種事物の話題を盛り 消息文の書き方や百科的教養を習得するのに便利にしたもの [ 国語大事典 ] あしかがよしたね 文明 ( 美濃國の瑞林寺 ( 現 / 岐阜県美濃加茂市蜂屋町 ) の住職が 蜂屋 の枝柿を足利義稙公 ( 室町幕府第 10 代将軍 ) に献じ 後に太閤秀吉にも献じ そまい 1487) 年間課役を免じられた 柿百個を以て租米 ( 年貢米 ) 一石二斗に代する [ 長野県果樹発達史 / 日本果物史年表 123] 天文 6(1537) 年 あきのくに 広島県みかんの発祥は 天文年間 (1532 年 ) に安芸国の住人 / 木村道禎が讃州 ( 現 / 香川県 ) から小ミカンの苗木を求め 安芸郡蒲刈島の向村 ( 戦国時代 ) に殖栽 その後 永禄年間 (1558~1569 年 ) に安芸郡下蒲刈村 ( 現 / 下蒲刈町 ) へ増殖したのが始まりとされる 香川県から小ミカンを入手となって 広島県みかん いるが 香川県では小ミカン伝来の歴史に関する記録なく 入手の検証は出来ない また 安芸と ( 紀州 ) 有田を比較すると 小ミカンの安芸への 伝来が事実とすれば 八代から有田への伊藤孫右衛門による小ミカン伝来は天正二 (1574) 年とされ 広島県への小ミカン伝来は有田より 37 年 ばかり早いといえる しかし 安芸の国にては 天文年間以降の小ミカン栽培の広がりはなく 元和五 (1619) 年に紀州藩から移封された浅野長晟 げんな やつしろ あさのおさあきら

9 十七 (1894) 年頃からである 導入の最初は文政元 (1818) 年 豊田郡大長村の秋光彦左衛門が栽培したとなっている 広島においては 小ミカンの伝来が有田とあまり時間ズレがなく また 九州に近い地の利から 温州みかんも江戸時代末期には伝来があったと思われるが 江戸時代には産地的生産にまで至らず 自家用としての栽培に留まっている 広島でのみかん栽培が盛んになるのは 明治三十六年の 青江早生 ( 大分県北海部郡青江で発見された普通温州の枝変わりで わが国最初の早熟みかん ) の導入からである [ 広島県農業発達史第二巻 / 有田みかんデータベース 106] 天文 15(1546) 年 十二月付け高野山検校納分支出雑記 ( 紀伊国 ) 高野寺領那賀郡神野荘 ( 美里町 ) から季節の納め物として蜜柑 [ 高野山文書六 ] が記されてい ( 戦国時代 ) る 江戸時代初期の元和二 (1616) 年三月付け天野丹生明神社 / 山王院長床衆州雑記 十月の斉食 ( 仏家で午前中にとる食事 午後は食事しな ときじき ながとこしゆう いと戒律で定めている = 斉食 ) の蜜柑を高野寺領那賀郡細野荘から上納があった [ 高野山勧学院文書 金剛峯寺文書一 ] また 明暦二 (1656) 年 の高野寺領那賀郡杉原村に於ける蜜柑の価格は 上々蜜柑百個で大豆三升四才余 ( 銭 ) 一匁一分 [ 粉河町杉原 / 山本家文書 ] で 明暦元 (1655) 年の米価は 米一升 0 三八匁 ~0 四匁であった [ 山川日本史小事典 ] 天文 21(1552) 年 天文二十一年 紀伊国有田郡で柑橘の初穂 ( 初収穫の産物 ) を ( 糸我荘の ) 糸鹿社 ( 糸我社 ) に供えた記録がある 橘か柑子かは定かでない ( 戦国時代 ) 糸我社由緒書に云う 糸我社御供え蜜柑出所の地 今此処 ( が ) 池となり 俗に神田池 また宮田池とも申し候 永享 ( ) 年中 楯岩の さいじき ここえいきようたていわ みつ 麓 神田の峯に橘一本 自然に生じ年々実を結ぶ 其の味蜜の如し 依りて蜜柑と号す 文正 ( 年 ) の頃 山田に植え 近郷へも移す 蜜柑接木と申し候 大永 ( ) 年中に接木始まり 天文二十一 (1552) 年 糸我社に供う と ( 注 ) この頃 自然の橘が数多く存在したことが立証されているので特に美味しい橘を見付け 蜜柑と称し 他へも移し行ったと解すべきか [ 和歌山縣の果樹 27] 糸我社由緒書は文化七(1810) 年 ) 当時の神官 / 林周防が 寺社奉行に報告したものと云う [ 有田市産業振興課史料 ] 弘治元 (1555) 年 弘治元年 紀伊国有田郡で柑橘の初穂( 初収穫した産物を感謝の意をこめて まず神に供える習わしがあった ) を伊勢神宮に供えた記録があ 天正 2(1574) 年 る 橘か柑子かは定かでない [ 和歌山縣の果樹,27] きのえいぬいとがのしようひごのくにやつしろ 天正二年甲戌年中 有田郡宮原組糸我庄中番村 ( 現 / 有田市糸我町中番 ) の伊藤孫右衛門と申す者 肥後國八代 ( 現 / 熊本県八代市 ) と申す こぎうえつぎ ( 安土 / 桃山時代 ) 所より蜜柑小木 ( 苗木 ) を求め来たり 初めて宮原 / 糸我の庄内 ( 現 / 有田郡有田市宮原町 / 糸我町 ) に植継候所 蜜柑土地に応じ ( 適応 ) 風味 ひるいなくうえひろもうしそうろう 紀州蜜柑傳来記無比類 色香 菓の形 他国に勝れ候に付 次第に村々へ植廣げ申候 百三十年以前 慶長の始め (1596 年 ) には保田の庄 ( 現 / 有田市保田 ) いのくちおいたちそれかごすうそのころ 田殿の庄 ( 現 / 有田川町井口 ) へも 一か村に五十本 七十本程つつと生立候由 夫より年々相増え 籠数も出候に付 其比 大阪 堺 伏見等へ つみおくそうらえどもかくべつたかね 小船にて積送り申候 右の所へも山城の國より蜜柑出候得共 有田の蜜柑格別勝れ申候に付 値段高値に売れ申し候由 其後百年以前 寛 たきはらかごすうあいしたため 永十一戌 (1634) 年 初めて瀧が原村 ( 現 / 有田市宮原町滝ヶ原 ) 藤兵衛と申す者 蜜柑籠數四百籠ばかり荷物に相認 江戸廻しの船を頼み ほかのにもつうけあいおみずがしや 外荷物と積合いに致し 始めて江戸廻し ( 送り ) 致し 右 藤兵衛 江戸表へ到着致し 所々承合 京橋 ( の ) 新山屋仁左衛門と申す御水菓子屋を きつるいなかがいどもうりいずするがみかわかずさそうらえども 問屋に頼み 橘類取扱致し候仲買共を集め 蜜柑賣候所 江戸表へは伊豆 駿河 三河 上総の国々より蜜柑出候得共 有田の蜜柑にくらべ によりもうさずるふすかね 候ては 中々似寄不申候に付 江戸にて流布致候はば 紀州蜜柑の風味は甘露 ( 甘く美味しい味 ) に酸き味 ( 酸味 ) を兼 黄金の色に紅を交へ くぁあるべからずきせんしようがんきんす 菓の形は地方圓の圖を備へ 異国に越したる和國の珍菓不可有 此上と貴賤挙げて ( 身分に別なく ) 賞翫 ( 褒め称え ) 致し 金子一両を以て蜜柑 うりはらいもちともいたし 一籠半の値段に賣拂 帰国致候由 右の様子 蜜柑持 ( 作り ) の百姓共承り 其翌年は右の藤兵衛を ( に ) 頼み 一所 ( 一緒 ) に江戸廻し ( 送り ) 致 くれそうろうもうすおよそかごうりはらいまかりのぼそれ 呉候様にと申に付 自他の蜜柑凡二千籠ばかり集め積送り 前年通りの場所にて一籠に付金子二分程づつに賣拂罷登り候由 夫より次第に きうえひろあまかごすうでもう 蜜柑の木多く植廣け 有田郡川筋の村々 海士郡 ( 現 / 海草郡 ) へも行渡り 慶長の末 (1614 年 ) には籠数も餘程出申し候由 ( 後略 ) [ 紀州蜜柑傳来

10 じきつ記 / 中井甚兵衛著 / 享保 19(1734) 年刊 / 果樹園芸学上巻 33] ( 注 ) 紀州蜜柑 ( 小蜜柑 ) は 中国浙江省黄巌縣の蒔橘 一名 / 金銭橘と同物なりと云 う 古い時代に華中 華南地方より 渡来したとみられている 学名は Citrus Kinokuni HORT. 英名は Kinokuni Orange である [ 果樹園芸学上巻 33] ( 注 ) 紀州蜜柑に付けられた英名 /Kinokuni Orange は間違いで Orange ではなく Mandarin だから Kinokuni mandarin とすべきだった なお [ 和歌山の柑橘 120] は 天正二 (1574) 年 伊藤孫右衛門が紀州公 ( 徳川頼宣 ) の命を受けて八代に使いし 蜜柑小木を持ち還り云々 とし ているが 紀州公 / 徳川頼宣の紀州入国は 元和五 (1619) 年 [ 和歌山県誌上 同県史近世史料一 ] 生誕は天正七 (1579) 年 天正二 (1574) 年には じゆんしよく げんな まだ生まれて居ないから後世の潤色である [ 編者 ] 串柿 紀州蜜柑 豊臣 ( 安土桃山 ) 時代に ( 紀州 ) 伊都郡の串柿 有田のみかんが 上方 ( 大坂 堺 伏見 ) に積み出され 県 ( 国 ) 外出荷の始まりとみられる [ 和歌山の の国外出荷柑橘 120] 天正 3(1575) 年 かみかた 伊藤孫右衛門は ( 紀州 ) 有田郡糸我村 ( 荘 ) 字番村の人 家世々農を業とす 天正三年 肥後國八代より蜜柑樹を郷里に移植し 苦心惨憺其 ( 安土 / 桃山時代 ) の繁殖を謀り 遂に國中第一の産物たらしむるの本を開けり 當時 孫右衛門は其の村の里正 ( 里の長 ) を勤め 役務に依りて時々若山 ( 和歌山 ) 蜜柑接木 永禄 7(1564) 年 はかもとりせい たまたま の上司に勤任せるが 偶々肥後國八代に使いするの命を受けしかは 予て同地に蜜柑といへる果樹ありて 其の収益甚だ多きに彼の國制 他 そのきうりわたまさなにがしそのきほうべん 國人に該樹を賣渡すを禁じ 以て他の地に繁殖するを防ぐと聞き 将に途に上らんとし 上司某に懇請して該樹を求め来るべき方便を得たり かくて盆栽の料なりと称して僅か二株を得て帰国し 一株は和歌山の上司某の庭園に植ゑ 他の一株は自ら其の村地に植ゑしに 遠路を持ち すいいあいごぶいくそせい 来たりし事とて樹勢衰萎 ( 衰弱 ) して殆ど枯死しかと 寝食を忘れて愛護撫育したる結果 漸く蘇生するに至れり 上司に贈りし一株は遂に枯死せ はか りと云ふ 依って之れが繁殖を謀り 先ず接木を試みしに好成績を得しかは 是より次第に蔓延するに至れり 幸いに此の地は蜜柑の培養に適 たちまおおぎまちぼつ せし爲 忽ちにして有数の國産となるに至れり 移植の年代は 或いは単に正親町天皇の御代 ( 年 ) ともあり 寛永五 (1628) 年歿す 年八十六 ( 過去帳 ) 天正二年は其の ( 孫右衛門 ) 三十二歳の時に當る [ 和歌山縣誌第三巻 / 人物誌 42] 伊予国宇和島の松浦宗案 我が国最古の農書 親民鑑月集 を出し 菓樹栽培法を記載 種子採り物 : 栗 柿 梨 椎 榧 棗 櫟 柚 蔓類 : 茘 あけび ( 安土 / 桃山時代 ) 枝 葡萄 通草 木類の栽培 : 胡桃 栗 柿 栃 榧 種採り時期 : 杏 梅 桃 楊梅 李 枇杷 青梨 秋梨 柑橘類 : 柑子 九年母 蜜柑 柚子 橙 か ぶす 花柚 実柚 此の外種類多し と ( 注 ) これらより 梅 桃 梨 柑橘等は実生繁殖し接木も行われていたとみられる 柑橘は多数あり 実生 によって地方品種が増えている [ 菊池秋雄 : 明治前日本農業技術史第三編果樹園芸 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 親民鑑月集は 永禄七年とし て書かれるには記載内容に矛盾があると指摘され 江戸時代に入ってから書かれた物と推測されている [Wikipedia/ 親民鑑月集 ] 天正時代 (1573) 西洋 (?) から九年母が来伝する [ 日本園芸中央会編 : 日本園芸発達史 / 日本果物史年表 123] ( 注 ) 九年母はインドシナ原産で 古く中国を経て -(1592 年 ) 渡来し 日本でも栽培される [ 国語大事典 ] 九年母はインドシナ半島原産で中国南部 沖縄を経て日本本土に伝わり広まったものと考えられて 九年母 紀州蜜柑 いる 現在は ほとんど消失しているが九州南部から沖縄にかけては今なお点在する [ 宮崎安貞著 : 農業全書 /1697 年 ] [ 大和本草 ] はこれを柑と 記し 和漢三才図絵 は乳柑として記している クネンボ という名称は ヒンドスタット語の柑橘を示す ニブ が 沖縄 ( 琉球 ) で クニブ フ ニブ となり 薩摩 ( 鹿児島 ) で クネブ となり 転じて クネンボ となったものという ウンシュウミカンとよく似た 180 g 内外の橙色の果実で 果皮 にテルピン油に似た独特の香りがあり 成熟期は 1 月以降 自家不和合性である [ 田中長三郎氏考証 / 日本果物史年表 123] 紀州蜜柑 はわが国には約 700 年前に中国から伝来したとも云われ 熊本県 ( 肥後国 ) には古くから有ったが天正年間 (1574 年 ) に紀州有田に 伝えられて ( その後 ) 一大産業となり 寛永年間 (1634 年 ) に江戸に出荷され その名が広まった 紀伊国屋文左衛門が荒天を冒して海路江戸に 運び 沖の暗いのに白帆が見える 柑橘栽培の歴史 まんえん あれは紀伊国蜜柑船 と歌われた江戸時代が全盛期で 明治時代の中頃まで わが国を代表するみかん やつしろ

11 であった しかし現在では鹿児島県の 桜島小みかん として地域特産品が出荷されている みかん主産地では 葉をつけて出荷するので 葉付きみかん ともいわれ 鏡餅に添える橙の代わりに出荷されるにすぎない 紀州では熊本 ( 肥後国 ) 八代から伊藤孫右衛門による導入が紀州みかんの栽培の初めではなく それ以前に 紀州みかん の栽培が既にあり 改良種を導入したとするのが定説となっている 紀州みかんは単胚であり 中国伝来説は当たらないと云う [ 岩政正男氏 ] 田道間守公が本種を持ち帰ったとも 中国に同一種があるとの説もあり その起源は明らかではない 果実は小さく扁球形で果皮は薄く 橙黄色で光沢があり 香りがあるが浮皮になりやすい 果肉は柔軟多汁で酸は少なく 甘みが強い [ 農林水産食品産業技術振興協会 / 読み物コーナ, 森本純平 : みかんとその仲間たち / 紀州みかん ] このわたなまこ 天正 19(1591) 年 冬 徳川家康が会津の大名 / 蒲生氏郷 ( 会津若松城主 ) に特産品の海鼠腸 ( 海鼠のはらわたの塩辛 ) と蜜柑を贈り物とする 特産物の贈答品利 用 [ 荒井魏 : 英雄たちの自由時間 / 日本果物史年表 123] やすだのしようたどののしよういつかそんよし 慶長の初め 紀州蜜柑伝来記に 慶長の初め ( 紀州有田郡 ) 保田荘 田殿荘内へも ( 蜜柑 ) 一箇村五十本 七十本づつ生い立ちの由 夫れより年々相増 かごすうところやましろ (1596 年 ) し籠數も出候に付き 其の頃 大坂 堺 伏見へ小船にて積み送り申し候 右の處へも山城の國 ( 現 / 京都府中南部 ) より蜜柑出て候え供 ( 紀州 ) ( 安土桃山時代 ) 有田の蜜柑 格別勝れ申すに付き値段高値に売れ申し候由 とあり 之によれば上方 ( 京阪地方 ) への出荷の創始は慶長年間である [ 和歌山縣の果樹 27] ( 注 ) この頃の有田蜜柑の品種は 紀州蜜柑 とみられる [ 編者 ] 慶長 8(1603) 年 慶長八年 徳川家康が江戸幕府を開幕 江戸時代となる 慶応三(1867) 年 徳川慶喜の大政奉還 ( 慶応 3 年 10 月 ) までの約 260 年間をいう ( 江戸時代 ) 徳川時代とも [ 国語大事典 21] ひぜんのくにひご 佐賀県のみかん 佐賀県 ( 肥前国の東半部 ) のみかんの起源は江戸初期に肥後 ( 国 ) 天草郡西仲島 ( 現 / 鹿児島県出水郡東町 ) から ナカシマ蜜柑 が伝わり 旧 玉島村 ( 現 / 東松浦郡浜玉町 ) で最初に栽培したという その後 同地から近隣に広まった模様である しかし 江戸時代においては商業化されず 本格的に栽培されだしたのは明治の中頃からであり その後急速に広まってゆく [ 佐賀の園芸 ] 慶長年間 (1596- 紀州蜜柑 ( 紀州有田郡 ) 糸我 宮原 保田 藤並 ( 各 ) 荘から 大坂 ( 摂州 ) 堺( 泉州 ) 伏見( 京都の城下町 ) へ小船にて初めて積み出す [ 和歌山縣 1615 年 ) の果樹 27] 元和 2(1616) 年 十月 高野山学侶方領( 紀州那賀郡高野山領 ) 細野荘 ( 現 / 紀の川市桃山町細野 ) から伊都郡天野村丹生神社へ蜜柑 芋 栗 柿を納める [ 勧学 院文書 / 金剛峯寺文書一 ] 寛永 11(1634) 年 徳川時代における紀州 ( 有田 ) 蜜柑の江戸出荷の ( 年当り ) 数量 寛永十一 (1634) 年四百籠 ( 籠は三ツ籠 或いは四 4 ツ籠と称し三貫から四貫入 ( 江戸時代 ) り ) 同十二 (1635) 年二千籠 明暦二 (1656) 年五万籠 貞享四 (1687) 年約十万籠 元禄十一 (1698) 年約二十五万籠 爾来十年間 年々約二十 かんえい めいれきじようきようげんろくじらい しようとくじごきようほう 紀州蜜柑江戸出五万 乃至三十二 三万籠 正徳二 (1712) 年約三十五万籠 爾後数年間約三十四 五万 乃至五十万籠 享保十九 (1734) 年約十六 七万 乃 荷 竹籠 これかんほうてんぽう 至二十七 八万籠 ( 之は他方への出荷が増加したため減少の由 ) 寛保二 (1742) 年十三万籠 ( この年は大凶作のための由 ) 天保三 (1832) 年約三 十四 五万籠 ( 後略 ) [ 和歌山縣の果樹 27] たけかごたけかごふた たけくぎ 木箱 / 竹釘 江戸時代から明治の初期までミカン容器に使われた竹籠は 江戸向けは四貫 (15 kg ) 関西 ( 上方 ) 向けは二貫 (7.5 kg ) で 荷造りは蓋の部分は せきしよう 石菖という草で覆い荒縄で括った 石菖はミカンを冷やして腐敗を防ぐ役をしたと言われている [ 有田郡誌 } 江戸末期から明治にかけて木箱が 輸送に使われるようになる 木箱は竹籠に比べて輸送に便利 かつミカンを傷つけない 腐敗を防ぐ 抜荷 ( 盗難 ) を防ぐという長所をもち 加えて 製材業の発達によって 急速に木箱に切り替わっていった 木箱は明治 20 年頃まで竹釘が使用されていた それ以降は鉄釘が使われるように なる 木箱の大きさは地域によって多少の違いはあったが 大きく分けると 石油箱七貫 ( 約 26 kg ) 半石( 半石油箱四貫 ( 約 14.3 kg ) 中化粧箱 かご たけくぎ ぬきに

12 二貫 (7.5 kg ) 平化粧箱一貫三百匁 ( 約 4.9 kg ) 小箱一貫三百匁 ( 約 4.9 kg ) となる [ 紀州有田みかんの起源と発達史 124] みかんかた 寛永 12(1635) 年 ( 紀州に於ける蜜柑共同出荷組織 ) 蜜柑方 組織の起原については諸説あって定かでないが 彼の 蜜柑藤 ( 滝ヶ原村の藤兵衛を云う ) が江 蜜柑方組織正保 4(1647) 年 戸送りを寛永十一年に創始して翌年 ( 寛永十二年 ) 一所 ( 一緒 ) に江戸廻し致し呉れ候様申すによって二千籠をまとめた のが蜜柑方とは云え ないまでも 共同出荷の創始と断ずべきで ( ある ) また江戸出荷の創始から短日月の間に組織化されたであろうことは ( 中略 ) 明暦二 (1656) 申 くみかぶあいたちかごすうおおよそ ( 丙申 ) 年 組株 十組相立 蜜柑籠數凡五万籠ほど年内 云々 とあるよころからみて ( 江戸送り ) 創始から二十二年目には明らかに十組合を みている ( 後略 )[ 和歌山縣の果樹 27] ( 注 ) 蜜柑方は今で云うミカン出荷組合である [ 編者 ] かきおきひとつそうらえども 三月二日付け 書置の事 ( 前略 ) 一 山林半分 ( と ) 蜜柑畑は与兵衛へ渡し申すべく旨に候得共 其の方 家を継ぎ候間 少しも残らず永代 そなた なり 麻生津村に蜜柑共に其方へ譲り申し候事 実正也 ( 中略 ) 正保四年三月二日 西宗西 西庄左衛門へ [( 和歌山県 ) 那賀郡麻生津村 / 西家文書 / 和歌山の柑 畑橘 ( 注 ) 紀州那賀郡麻生津村では すでに江戸時代初頭から蜜柑が作られていたことを証す史料であるが栽培品種は不詳 [ 編者 ] 正保 5(1648) 年 現/ 長崎県西彼杵郡大原村 ( 元 / 釜本村 ) の萬助園に 今 (1948 年 ) より約 300 年前 ( 正保 5(1648) 年 ) に温州蜜柑が在ったと云う また 現 / 鹿児島 ( 江戸時代 ) 県出水郡東長島村鷹巣の山崎司氏の園に約 300 年と推定される老木ありと云う この他 福岡県 大分県にも樹齢 200 年以上の温州蜜柑ありと温州蜜柑原生地云う [ 田中長三郎氏記 / 果樹園芸学上巻 33] したがって 温州蜜柑は少なくとも 300 年以前に九州地方にて栽培されたものである [ 果樹園芸学上巻 33] ( 注 ) 後出のように 昭和十一 (1936) 年に鹿児島県果樹試験場技師 / 岡田康雄氏が ( 鹿児島県 ) 出水郡東長島村鷹巣 ( 現 / 長島町 ) の山崎司氏の畑地で 樹齢 300 年以上と推定される温州みかんの古木を発見した [ 果樹農業発達史 14] この発見で 温州みかん は今( 平成 28 年 ) を去ること 368 年前にすでに実在したことがわかる [ 編者 ] 柑橘栽培の創始について 紀州那賀郡にては麻生津 / 龍門村最も古くして 正保五 ( 四 ) 年の奮記に 蜜柑畑云々の文字 ( 文書 ) あり 其の他郡 内至る所に古木多し 伊都郡も徳川時代より盛んに栽培せり 其の傳来明らかならず 一つに弘法大師の天竺 ( 唐国 ) より傳ふる處と 或いはい ふ大師以前にありと 郡内最も古くより栽培せる見好村大字三谷の森岡甚右衛門の栽培しつつある柑子は 元禄年間 同家の祖先の栽培せしものなりと 樹幹の太さ五尺三寸 ( 約 1.6 メートル ) 高さ一丈七尺(5.15 メートル ) 餘 ( 一本の樹で ) 年々百五十貫 (563 kg ) 餘の収穫あり [ 和歌山縣誌第二巻 42] するがのくに 明暦 ( 1655 ~ 静岡 ( 駿河國 ) のみかん産地は引佐郡三ヶ日町 ( 元 / 西浜名村 ) である みかん栽培の歴史は 明暦年間 ( 年 ) から万治年間 ( ) 年間年 ) にかけて庵原郡 ( 現 ) 富士川町岩淵の常盤小左衛門が 紀州よりみかん ( 紀州小ミカン ) の苗木を持ち帰ったのが静岡における蜜柑栽培の発静岡のみかん祥とされている このことは明治四十五年四月 和歌山県農曾発行の [ 蜜柑の紀州 ] にも紹介されている また 寛政年間 ( 年 ) 以前に引佐郡三ヶ日町の鈴木忠八が 紀州みかん の苗木を持ち帰るとも言われているが これは口伝で確証はない [ 静岡県柑橘史 三ヶ日町史 ] によると 三ヶ日町平山の人 山田弥右衛門 ( 通称 / 弥太夫 ) が享保 ( 年 ) の頃に 紀州那智 ( 山 ) に参詣の折り 紀州みかん の苗木を持ち帰ったのが三ヶ日みかんの最初とある また 弥太夫については 大正十 (1921) 年刊行の [ 引佐郡誌 ] にも 産業の振興に力を入れた人であり 蜜柑栽培による収益拡大を進め 紀州みかん の苗木を広く頒布した とある 同氏によって永い年月にわたって穂木が分与され 三ヶ日みかんの礎が築かれた 文政 天保 ( 年 ) の頃には三ヶ日平山村を中心に大福寺村まで栽培が広まる ( 注 ) 平山町には三ヶ日蜜柑の祖 / 山田弥太夫の墓が残っている 三ヶ日町の 温州みかん 伝来は 寛政 ( ) 年間に紀州から藤枝市に導入された [ 和歌山のかんきつ ] とある [ 静岡県引佐郡誌 ] には 山田弥右衛門 ( 通称 / 弥太夫 ) が西浜名村 ( 現 / 三ヶ日町 ) における 紀州みかん 栽培の始祖であり 加藤権兵衛が 温州みかん の元祖である と記している 加藤は天保 ( ) 年間に三河国吉良地方 ( 現 / 愛知県幡豆郡吉良町 三河湾に面している ) てんじく めいれき

13 より苗木を購入し栽培する これが 温州みかん の最初とされている 三ヶ日町平山の加藤家には 温州みかん発祥地 としての標示板があり 三ヶ日稲葉山には 紀州みかん 導入の山田弥右衛門 温州みかん 導入の加藤権兵衛 また 大正時代に現 / 三ヶ日みかんの栽培技術を普及した中川宗太郎ら三人の 謝恩柑橘頒徳碑 が建立されている 藤枝市 ( 江戸時代は東海道五十三次の宿場町 ) へのみかん伝来は 藤枝市役所農林課によれば 寛政 ( ) 年間に 温州みかん 苗木が紀州から伝来 導入したのは現 / 藤枝市東北部に領地を持つ旗本 / 石川又四郎であり また続いて 同地方の田中城主 / 本多氏が紀州から苗木を取り寄せ 領民に奨励した模様であるが栽培技術が伴わず 同地方においては江戸時代には販売体制には至らず 農作物は米 茶が主産品であった 藤枝市のみかん栽培が本格化するのは 明治十五 (1882) 年前後からで 先進地の紀州から 温州みかん の改良種を適宜購入しながら増殖している この時期 熱心だったのは子持坂村の杉山力蔵氏であった 同氏はみかん増殖につとめるとともに 夏みかん を取り寄せる また明治二十五 (1892) 年には 和歌山県那賀郡から ネーブルオレンジ を導入し 藤枝市のネーブル栽培の端緒を開いた [ 静岡県柑橘史 ] 明治二十(1887) 年代に入ると 温州みかん の栽培が全市に広がり 焼津港から東京方面に出荷され 明治中期には同地方は 静岡みかん の先進地となる [ 有田みかんデータベース 106] 明暦 2(1656) 年 明暦二年 ( 紀州那賀郡安楽川荘 ) 杉原村に於ける上々蜜柑百個で大豆三升四才余一匁一分 [ 粉河町杉原 / 山本家文書 / 金剛峯寺文書 ] ( 注 ) 天和 4(1684) 年 当時の安楽川荘杉原村で栽培した蜜柑の品種は 紀州蜜柑 とみられる [ 著者 ] ようしゆう この年 発刊の雍州府志 ( 黒川道祐著 ) に 京都に柚及び橘を古い時代から栽培した とあり 橘については 倭俗総て柑類と称す 蜜柑 柑子 ( 江戸時代 ) 白柑子 雲州橘 九年母 橙 等の雑品 悉く京師に在り と述べている この頃には俗間で 柑は柑橘類の代表語 学問上では橘は柑橘類の ( ) 年例があって 三方が三宝となったと云う [ 和歌山の果樹 27] ことごと ようしゆう 代表名であったと思われる [ 果樹園芸學上巻,33] ( 注 ) 雍州府志は 山城国 ( 現 / 京都府南部 ) に関する初の総合的 体系的な地誌 全 10 巻 歴史家の黒川道祐によって天和 2(1682) 年から貞享 3(1686) に記されたもの [ 雍州府志 /Wikipedia] 貞享 2(1685) 年貞享 2 年 ( 1685 年 ) 11 月に有田生まれの快男児 紀伊国屋文左衛門が嵐の中の熊野灘 / 遠州灘を不眠不休で乗り切って江戸に行き ミカンで紀伊国屋文左衛万両の大金を儲けたと伝承されている 当時の廻船は精々 200 から 300 石であり 江戸ではミカン不足で高値に売れ 当時の相場ミカン2 籠 (30 門kg ) 約 1 両にプレミアがついた云うから 1500 から 2000 両の売り上げが妥当である そこから 船賃 乗組員 仕入れ代を差し引いても 一般庶民には縁遠い大金が紀文の手元に残ったことは間違いない 紀文はそれを元手に 江戸深川で材木商を開業し 紀文大尽 と称せられる一大豪商になった その活躍ぶりは講談 芝居 書本で語り継がれている [ 紀州有田みかんの起源と発達史 124] 元禄 8(1695) 年 この年発刊の 本朝食鑑( 人見元徳 / 著 ) に 橘を蜜柑 宇樹橘は臭橙なり 柑子はカムシと訓じ 現在のコウジ蜜柑である その大果品として ( 江戸時代 ) 遠州白和村の 白和柑子 をあげ 京師にて橘と称すものは柑子に似て金柑大の果実なり と これは現在の タチバナ を指したものである 九年母は現在品と同じ 柚はユズ 橙はダイダイ 或いはカムスと訓じている この頃から 橙 に 代々 を充てることが一般に普及し 正月の装飾 用に使用するようになった としている [ 果樹園芸學上巻 33] ホウキツくえん 元禄 10(1697) 年 元禄 10 年 宮崎安貞が 農業全書 を著わし [ 国語大事典 21] 柑類として柑 ( クネンボ = 九年母 ) 柚 ( ユ ) 包橘 ( コウジ = 柑子 ) 枸櫞 ( ブッシュカン ) ( 江戸時代 ) 金橘( キンカン = 金柑 ) ジャガタラ ジャンボ スイ柑子( スイコウジ ) 夏橘( ナツミカン ) 蜜橘( ミカン ) の名をあげているが 夏橘は現在の夏橙 ( ナツミカン ) ではない また 橘にミカンと仮名付し 柑橘にもミカンと仮名を付している 砧木には枳穀を使用すべしとしている また 果樹を修理する 果樹のせん定こと について記述あり 当時すでに果樹のせん定が行われていたことがみられる [ 果樹園芸學上巻,33/ 園芸学全編 128] げんろく 元禄年間 和歌山特産の三宝柑は 徳川時代の元禄年間から和歌山城内に只 1 本あり 門外不出とされていた 例年 三方に載せて城主に献上した慣

14 宝永 3(1706) 年 この年 本草学者/ 井田昌胖 柑橘伝 を著わし 初めて柑と橘を結合した 柑橘 という言葉を使用し ミカン類 20 種について名称 味 産地な 柑橘 どを記す [ 国立国会図書館白井文庫所蔵 / 写本 ] 宝永 5(1708) 年 この年 貝原益軒 ( 寛永 7(1630)- 正徳 4(1714) 年 ) 大和本草 を著わし 和 漢 蛮産 1,362 種の形状 効用などを記述した 巻之十 木之上 まるめろ ( 江戸時代 ) の 菓木類 に 橘 金橘 柑 柚 橙 佛手柑 柿 梨 榲桲 桃など 44 種をあげる 林檎については記述なし また 巻之八, 艸之四 の? 類 に 覆盆子 ( くさいちご ) 苺 甜瓜など 9 種をあげる 橘について タチハナト訓ス ミカンナリ 甘花ヲ花タチハナト古歌ニヨメリ と 御所柿に こねり ついて 大和ノ御所ノ邑ヨリ多出ツ 故ニ御処柿ト云ウ 是亦木練ノ佳品也 と記す 橘はタチバナと訓ず ミカンなり その花を花タチバナと古 歌に読めり タチバナと云う物 カウシに似て小也 金橘より微か大也 是本草所謂油橘か未詳 皮薄く味ス ( 酸 ) し 上少くくぼめり 橘類の最下 品なり タチバナは橘の本名なるを 此の果に名付けるは あやまりなり 橘は本邦原産のタチバナにあらず 又 田道間守の橘はミカンなり はりまのあたひおとえさみのむしまろ 柑 俗に九年母と云う 播磨直弟兄が唐より持ち還り 佐味虫麻呂の栽培した ( 続日本紀 / 神亀 3(726) 年 11 月 10 日条 ) ものは九年母なり 橙を 代々 柚をユズ 朱欒はザボン 佛手柑は枸櫞 又は香櫞 としている [ 果樹園芸學上巻,33] ( 注 ) 大和本草 は 江戸中期の本草書 一六巻 いうところ シユランクエンコウエンやまとほんざう 付録二巻 諸品図一巻 貝原益軒著 宝永五年成立 本草綱目 所載のものを基礎に 中国 日本 西洋産を加え 計千三百六十二種の本草を集成 分類し各品種の名称 特質などを解説する [ 国語大事典 21] 宝永 7(1710) 年 大和絵師/ 土佐光成 ( 年 ) が描いたと伝えられる紙本著色 和歌の橘図巻 二巻 ( 紀伊国屋文左衛門の一代記を描いたと思われる絵 ( 江戸時代 ) 巻 上巻 : 縦 28.5 cm 横 cm, 下巻 : 23.5 cm cm ) あり ( 制作年不明 ) ミカンの収穫風景 荷積み 輸送 店頭風景などが緑青 金泥 金砂子を多用し あざやかに描かれており 当時の紀州ミカン事情を知る上で貴重な文化財 [ サントリー美術館所蔵 ] 平成 5(1993) 年 8 月 31 日 -10 月 3 日 三百年祭記念西鶴展 に部分展示された [ 塚本学 : 日本の果物受容史 110] 正徳 2(1712) 年 紀州有田郡内の蜜柑組 新たに3 組の結成が認められる 有田ミカンの江戸送りの籠数はおよそ 35 万籠から 50 万籠に及ぶ ( 江戸時代 ) 寺島良安 わが国最初の図説百科事典 [ 和漢三才図会 百五巻 ( 全文漢文 ) を著わし 八十六 - 九十一巻で果物を六つに分類して紹介 五果 正徳 5(1715) 年 なつめ 類 : 李 杏 桃 栗 棗を五果という 桃の産地として 山城伏見 備前岡山 備後 紀州 を紹介 山果類 : 梨 まるめろ 林檎 柿 石榴 橘 橙 柚 仏柑 枇杷 桜桃 くるみ等 夷果類 :( 茘枝 竜眼肉 ) 味果類 : 山椒?( ら ) 果類 : 甜瓜 西瓜 葡萄 水果類 : 柿の項では五所柿 似柿 すきとおりきねりつるしがきころがきあわせがき 伽羅柿一名透徹柿 円座柿 樹練柿 田舎柿 つつみ柿 白柿 胡盧柿一名豆柿 串柿, 醂柿 柿の蒂 ( しゃっくりを治す ) 柿の皮等 を取り上げ みんおうき る ( 注 ) 和漢三才図会 は図入り事典 全一〇五部 江戸中期の漢方医 / 寺島良安著 正徳二年成立 明 ( 中国 ) の王圻撰 三才図会 にならう 図鑑で 和漢古今の万物を 天 地 人の三才に分け 絵図を付し漢文で解説したもの [ 国語大事典 21] もりかわきよりく この年亡くなった俳人 / 森川許六 ( 年 ) が紀陽柑園の景勝を憧憬して詠んだ句に 紀の国の / 蜜柑に鳴くや / 時鳥 とある 紀州ミカン ( 江戸時代 ) は正徳年間に領内から江戸へ三十五 - 五十万篭が移出されるまでに成長 ミカン畑の開墾進み 畑の石垣積みに尾張 ( 現 / 愛知県西部 ) から工人 紀州の階段畑 ( 石垣職人 ) が來藩し 彼らは オワリ と呼ばれた [ 塚本学 : 日本の果物受容史 110] 正徳 6(1716) 年 八月十三日 紀州藩主/ 徳川吉宗 ( 年 ) が 江戸幕府八代将軍に就任 [ 国語大事典 ] この頃 将軍や大奥の貴人が口にする果物 ( 江戸時代 ) は ナシ カキ ミカンの類で スイカ ウリ モモ リンゴ スモモの類は見るだけとされ 食べることはタブー ( 忌事 ) となっていたという しかし 吉宗 の生母 / 浄円寺は これを無視し自分の好きなものを食し 特に熟した真桑瓜を好んだという [ 塚本学 : 日本の果物受容史 110] 享保 4(1719) 年 徳川吉宗の将軍職襲位を賀す朝鮮通信使の製述官として随行した申維翰の 海游録 に 日本のミカンを称賛しており この頃 相模( 現 / 神奈 ( 江戸時代 ) 川県 ) 尾張( 愛知県の西半分 ) 備後( 広島県の東部 ) にミカンが栽培され 一般庶民の果物としてかなり出回っていたことが伺える 十月十七日 ほととぎす くさ にたりかき

15 朝鮮通信使 るいるい藤沢から小田原への道 村里の左右に見る橘 柚 柑の諸樹は 江戸に向けて行った時は実が枝いっぱいに累々として青く 食うに堪えなかっ いきよういくいくさわわみかん た 今は色が黄色い真っ盛りで 異香郁々として人の裾を侵す その味の爽やかにして甘い物は 倭では蜜柑と号す 樹陰を過ぎるごとに倭人 かきようちゆうかかつのど が数十顆がつらなる枝を折って轎中に投じてくれた ただちに皮を披いて嚼むと 香ぐわしい果汁が 渇した喉をうるおし とみに五官がやわら ぎ 安期生 ( 昔 長生した仙人 ) の火棗もまた羨ましくないほどである 十月二十四日 赤坂 ( 現 / 愛知県東部 音羽町の地名 東海道五十三次の やはぎしし 宿駅 ) で昼食をとり 夕刻に岡崎 ( 現 / 愛知県中央部 矢作川に沿う地名 旧城下町 東海道の宿駅 ) に着いた 路傍や市肆 ( まちの店 ) で蜜柑を売 る者 山丘の如し 文人や詩僧も来たりて歓を接する者は 必ず蜜柑を貯えた ( 入れた ) 竹籠をもって坐上に置く そして飲を佐 ( 助 ) ける具となす こうさく かんたけかごたすぐ 青葉を交錯 ( 蜜柑の青葉を入り交え ) したのは 愛すべきである 余はこれを食べると あるときは一筐を尽くしてしまう いわば詩が蜜柑を多く食 べさせるのかも知れない 十月二十五日 名護屋 ( 名古屋 ) にて 余もまた ときに渇きを覚え 蜜柑をむいては酒盃を佐けた 十一月十八日 鞆浦 ( 現 / 広島県福山市鞆の浦 ) にいたる 過ぐるところの風物は以前と変らぬが 橘 柚 柑がところどころに爛熟 ( よく熟れ ) し 香気はなはだ美し い 蜜柑は季節が遅れているとのことで やや稀である 大柑で九年母と名づくるもの またもっとも奇 ( 珍しい ) 皮を剥いで口に入れると芳鮮なる こと 歯に溢れる 日供 ( 毎日神前に捧げるそなえ物 ) として給せられるほかに 倭人が余が柑をはなはだ嗜むのを知って しばしば筐を携えてき せん につく てこれを饋して ( 贈って ) くれるものものがある [ 海游録 : 姜在彦訳 / 塚本学 : 日本の果物受容史 110] 享保 19(1734) 年 ( 四月二十四日 元禄期の商人 )/ 紀国屋文左衛門死す [ 和歌山縣の果樹 27 和歌山縣誌第三巻 ] ( 注 ) 文左衛門は 元姓は五十嵐氏 名は きぶん ( 江戸時代 ) 文吉 俳号は千山 略して 紀文 と呼ばれ 紀文大尽 とも言われ 紀州蜜柑を江戸送りした紀州湯浅 ( 現 / 和歌山県有田郡湯浅町 ) の出身 文 紀国屋文左衛門左衛門二十代の頃 紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が伝えられる 元禄年間には江戸八丁堀に住み 幕府の側用人 / 柳沢吉保や勘定奉行 没 しおざけ の荻原重秀 老中の阿部正武らに賄賂を贈り接近したと言われる 上野寛永寺根本中堂の造営で巨利を得て 幕府御用達の材木商人となる も 深川木場を火災で焼失 材木屋は廃業したとされる 晩年は浅草寺内で過ごしたのちに深川八幡に移り 宝井其角らの文化人とも交友 千 山 の俳号を名乗った 享保十九年に死去したとされ 享年六十六 紀伊國屋は二代目 / 文左衛門が継いだが 凡庸であったために衰退してし まった 和歌山県有田郡湯浅町には 松下幸之助が建てた 紀伊國屋文左衛門生誕の碑 がある [Wikipedia 紀国屋文左衛門 ] 和歌山県海南 市下津町の国道の傍に みかんを積んだ船出の港として 紀伊国屋文左衛門船出の碑 が建っている [ 編者 ] 紀州蜜柑伝来記 十月 紀州有田郡中井原村 ( 現 / 和歌山県有田郡有田川町中井原 ) の中井甚兵衛 紀州蜜柑伝来記 を著わし 紀州蜜柑は天正年間に肥後 元文 3(1738) 年 国八代から導入した と記す 紀州蜜柑の由記 蜜柑組株と問屋株 蜜柑税の税率 蜜柑組株と問屋株の増減 蜜柑の荷送などについて 蜜柑 問屋の変遷については 天明八 (1788) 年 西村屋小市が書き足したものとされる 本書は江戸紀州藩御会所への報告書となっている [ 原文及び 解説 / 現代語訳原田政美校注 / 執筆 : 日本農書全集 46 巻所収, 底本 / 和歌山県立図書館所蔵, 写本 ]/[ 紀州蜜柑組由記 / 天理大学付属天理図書 館所蔵文書 ] この年 幕令をうけて丹羽正伯を中心に諸国物産調査が開始される 安田健氏の調査によると 諸国産物帳 ( 四十二ヵ所 ) のうち 柑橘類の記載 みちのく がないのは陸奥南部藩 / 出羽庄内領 出羽米沢領 信州高遠領 飛騨など十例 残り三十二例のうち二十六ヵ所で蜜柑 みかん みつかん の産 ひたち が報じられている この中には常陸水戸藩 ( 茨城県 ) 越中 ( 富山県 ) 能登 加賀 越前福井領も含まれ 加賀では たねなしみつかん をはじめ 五品種が記録されている 以下 伊豆 遠江懸河領 ( 静岡県掛川市 ) 美濃 尾張 和泉岸和田 紀伊 隠岐 出雲 備前 備中 周防 長門 伊予越 かわ いつきよう いきもろあがた 智島 対馬 壱岐 筑前福岡領 肥前基 養父両郡 豊後と肥後の熊本領 肥後米良山領 日向諸県郡である [ 塚本学 / 日本の果物受容史 110] ぶんじ 柑橘栽培の歴史 この年 文字金銀 に改鋳されて通用することになったので 有田蜜柑について下記の通り 毎年上納することとなる 江戸送り一籠につき七 き お き らんじゆく む におくり はこ いがらし

16 ( 江戸時代 ) 厘五毛ずつ 近国送り一籠につき六厘ずつ [ 日本の果物受容史 110] 寛保 2(1742) 年 幕府は 魚 鳥 野菜 果物の初物の売出時期を制限 ビワ五月から リンゴ七月から ナシ八月から ミカン九月からとなる[110] 宝暦 4(1754) 年 この年刊行の平瀬徹齋作 日本山海名物図会 に 大和御所柿 京木練柿 大和? 渋柿 美濃釣柿 紀伊国蜜柑 江戸四日市( 現 / 東京都中央 ( 江戸時代 ) 区日本橋に近い旧魚河岸卸売市場の一部 ) の蜜柑市を挿絵 ( 長谷川光信画 ) で紹介 本書は大坂で版行され 近畿周辺にくわしく 江戸での販 売の情景を得がたいので江戸四日市の蜜柑市の挿絵のみ 大和御所柿 和州御所村より出す柿の極品なり 余国にも此種ひろまりて多し 御 所より出る物名物なる故に御所柿という 京木練柿 山城の国より出 これ柿の上品なり 其外諸国にも木練 近江 美濃 甲斐 信濃等におお し 九州の地柿の熟すること上方よりも早し 澁柿に上品あり さわし柿となして甚だよき風味なり 大和? 渋柿 小柿なり 臼にてつきて柿澁を 取て紙ざいくに用ゆ 美濃釣柿 しぶ柿のいまだ熟せぬうちに取って 皮をむき糸を附て竿にかけ 日にほす也 ( 中略 ) ほし上げて三寸ばかり の長さなる柿あり 其生 ( なま ) の時の大さ思いやるべし くし柿 ころ柿も皆しぶ柿を以て拵ゆる也 串柿は丹波よりおおく出 ころ柿は山城宇治 ( 現 / 京都府宇治市 ) 名物也 紀伊国蜜柑 紀州 駿河 肥後八代よりでるみかん皆名物なり 中にも紀州はすぐれたり 皮あつくして其味よし 京 かご / 大坂の市中に売るもの多くは紀州 ( 産 ) なり 山より出すに籠に入て風のあたらぬように認 ( したた ) めて来る也 一籠百入 二百 三百あり 籠の大 きさは何れも同じこと也 みかんの大きなるは数すくなし 其外 余国にも少々は有 加賀 越前等の雪国にはみかんの木なし 江戸四日市の うるでるかごいり 蜜柑市 江戸の市中に売はおおく駿河より出 紀州みかんも大坂より舟廻しにて下る也 江戸四日市の広小路に籠入のみかん山のごとくに高く うりかい あきんど つみて毎日毎日売買の商人群集す 江戸は日本第一の都会にて繁昌の津なれば 京 ( 京都 ) 大坂にまさりて賑わえり [ 日本山海名産名物図会 / 国会図書館デジタルコレクション /110] なます 宝暦 14(1764) 年 博望子著 料理珍味集 に 蜜柑鱠 ( 蜜柑の袋を裏返しにして 15, 6 個を皿に盛り砂糖をふりかける ) 源氏柿 ( こねり柿を 2 つに切り うどん粉の ( 江戸時代 ) 衣をつけ油で揚げた柿のてんぷら ) 琉球蜜柑( ゆでたサツマイモを摺りつぶしミカンの形に丸め 青ノリをまぶし軸にはミカンの葉をつける ) を集 録 [ 日本の果物受容史 110] 明和 2(1765) 年 七月三日 畿内及び諸国に大風雨 本国( 紀州 ) の被害多 七月三日 畿内 近江 伊勢 紀伊 播磨 其余諸国に大風雨 [ 続年代皇略記 / 和歌 諸国に大風雨 山河川国道事務所資料 ] 宝暦 - 明和の頃 鳴門蜜柑は 宝暦- 明和の頃 淡路島洲本に 陶山興一右衛門長之と云う人で蜂須賀家の家臣として現 / 洲本町に住み 唐柑 ( 九年母と云う ) の ( 年 ) 種子を蒔いて得た実生が起原である 陶山長之の母は備中の士 / 水谷太郞左衛門の娘で 水谷氏は陶山氏の実生の一枝を得て自己の庭前に 鳴門蜜柑 在った回青橙に高接ぎしたのは第 2 世原木と云う 鳴門蜜柑は 備中より渡来せりとの誤解は この事に起因する 鳴門蜜柑の名称は 文政 明和 9(1772) 年 ( 年 ) の末頃 蜂須賀家 14 代 / 齋昌侯によって命名された [ 淡路, 鳴門蜜柑栽培録 / 果樹園芸学上巻 33] しや 中国福建の人 / 謝文旦 鹿児島の阿久根に 文旦 をもたらす この年の晩秋 1 隻の清国の船が暴風雨を避けて薩摩藩の阿久津港に入港し ( 江戸時代 ) た この時 番所の通詞 ( 通訳 ) が親切に対応した これに感謝して船長の謝文旦が南国の果物を贈った 贈られた果物の名前が分からなかったザボンので船長の名をとって ぶんたん と名付けた 実はこれは ザボン であった [ 日本の果物受容史 110] 11 月 16 日 安永 に改元 [ 国語大事典 21] 安永初 (1772) 年 安永の初年(1772 年頃 ) 現/ 山口県長門市仙崎大日比において西本チョウが 海岸に漂着した果実の種を蒔き これが 夏ミカン の発祥であ夏ミカンの発祥る [ 山口県の柑橘, 中柴憲 / 果樹農業発達史 14] 安永元年 中国の朱印船が難破し ( 現 / 鹿児島県北西部 東シナ海に面する ) 阿久根倉津港に ( 寄港 ) において 手厚いもてなしに報いるため ある こしら でる かきしぶ

17 阿久根市の文旦番所 ( の ) 通嗣 ( 通訳 )/ 原田喜左エ衛門に 朱楽白楽の珍果を贈った その種を蒔いた中から品質の良い枝変わり ( 実生変異 ) が出来て 市内のあ本田文旦ちこちに植えられた 昭和 28 年 阿久根市が観光特産品として文旦を取上げ増殖 5 ヶ年計画をたて 県かんきつ育苗組合に育苗を依頼し 優 ( 江戸時代 ) 良苗木 17,000 本を市内一円に植栽させ 今日の生産量 1,000 トンの阿久根文旦の基礎をつくった [ 鹿児島県阿久根市明治百年史 ( 昭和 43 年 こつたぶんたん 刊 ), 阿久根市 / 果樹農業発達史 14] ( 阿久根市の文旦 品種名 / 本田文旦 ) ( 注 ) 別名 阿久根文旦 小藤太文旦 とも呼ばれる 本田文旦 の 来歴 : 1772 年 ( 安永元年 ) 3 月 春一番の強風が吹く日 広東と長崎の間を往復する貿易船が 帆柱等を損傷して倉津に標着しようとした 番所の役人は入港を拒否しようとしたが 中国船の懇願により 番所頭の田中右門は一時の避難として黙認した 10 日足らずの内に 船の修理 食料等の調達も行われ 再び長崎に向け出港した 出港に際し 船長の謝文旦は 台湾南部に立寄った際に買い求めていた珍果 2 個を唐通詞 ( 通訳 ) の原田喜右衛門に渡した 番所でその果実を試食し 各人が種子を持ち帰り播種した 番所頭の波留の田中右門の庭先にも 1 本が残り結実した 波留の百姓 迫門の名頭助八の庭先にも田中右門から伝えられたと思われる 1 本の文旦があり 一人息子の次郎八の自慢であった この次郎八の友達に 近所の郷士 本田孫之丞がいた 孫之丞は自分の家にも文旦が欲しいと思い 次郎八のところで食べた文旦の種子を持ち帰ろうとした それを見た次郎八が 父の育てた苗の方がよいといって 父に相談し苗木を譲った ( これも実生と思われる ) 10 年余り後 ( 明治初年 ) 開花 結実し 付近の評判になった これが 本田文旦 の原木である 西南の役後 接ぎ木繁植されるようになり 本田文旦 は栄養 系で増えていった [( 公財 ) 中央果実協会ホームページ / 文旦 ] すみしげ にしそのぎ 安永 10(1781) 年 大村藩主 / 大村純鎮が 西彼杵郡伊木力村 ( 現 / 長崎県諌早市 旧多良見町 ) の田中右衛門 田中村右衛門 中道継右衛門に温州ミカンの苗木 ( 江戸時代 ) を与え 自家用として栽培させる 伊木力ミカンの始まりと伝えられる その後 安政年間 ( 年 ) から本格的に栽培される [ 日本の果物受 容史 110] おあま 天明 2(1782) 年 この頃 小天ミカン産地 / 現熊本県玉名市 ( 旧 / 天水町小天 ) に 温州ミカンが植えられたと伝えられる [ 日本の果物受容史 110] ( 江戸時代 ) 天明 6(1786) 年 林香寺( 東光寺 ) の住職 / 厳城 ( 紀州出身 ) が 駿河國庵原郡由比 ( 現 / 静岡県庵原郡由比町 ) に紀州ミカンの苗木 500 本を導入 当産地の始まりと ( 江戸時代 ) 伝えられる 厳城は 徳川家康にサンショウを献上したことでも知られる 慶長 14(1609) 年 駿府に隠居していた家康公が 由比山での鷹狩の帰途 この林香寺に立ち寄り冷水を所望したところ 当時の住職 / 天倫和尚が湯呑の冷水に山椒を浮かべて出したという その香りに喜んだ家康公は 和尚に山椒の献上を命じ 十三石余の知行と寺中山林 竹林の諸役御免の朱印状を与えたといわれている それ以降 明治三 (1870) 年まで山椒の実は駿府と江戸に献上され続け 林香寺は大いに栄えて近隣の名刹となったという [ 同寺伝 ] 天明 9(1789) 年 この年 三百諸候がその采地の名品を選んで将軍に献上した物に カキ ミカン ナシなどがみられる 名古屋藩 甘干柿 美濃柿(9.10 月 3 ( 江戸時代 ) 度 ) 水菓子 (10 月 ) 枝柿 (12 月 ) 和歌山藩 大和柿 水菓子 蜜柑 (10 月 ) 水戸藩 水菓子 (10 月 ) 松江藩 眞梨子, 大庭梨子 (8 月 ) 川越 文字不明 藩 熟瓜 ( マクワウリ,7 月 ) 梨子 (8 月 ) 栗 (9 月 ) 枝柿 (12 月 ) 会津藩 松尾梨子 胡桃 (10 月 ) 鹿児島藩 櫻島蜜柑 ( 寒中 ) 熊本藩 銀杏 (2 月 ) 八代蜜柑(11 月 ) 広島藩 串柿(12 月 ) 久留米藩 筑後蜜柑 九年母( 寒中 ) 豊後臼杵藩 蜜柑( 寒中 ) 浜松藩 枝柿(2 月 ) 白輪柑子 (11 月 )[ 寛政元年版 大成武鑑 ] ( 注 ) 水菓子が柿 蜜柑と並んで出ているのは梨をさしているのかもしれない [ 日本の果物受容史 110] 徳島県のみかんの起源は [ 徳島の園芸 / 昭和 41 年 11 月発行 ] によると 現 / 徳島県勝浦郡勝浦町坂本字岩本の宮田辰次が寛政年間 (1789 年 ~ 1800 年 ) に柑子の苗木を植え付けたのに始まり その後同氏は 文政十一 (1828) 年 紀州より温州みかんの接ぎ穂を取得し 自家の柑子に接木して繁殖す 村人これを倣って漸次普及したのが徳島県のみかん栽培のはじまりとなる 徳島産温州みかんが 市場流通目指して本格的に

18 栽培されるようになったのは明治二十八年頃から大正十年頃にかけてである 勝浦 園瀬 阿南 徳島 小松島 那賀 諸川沿岸地域が産地である [ 徳島の果樹 ] 天明 9 年 1 月 25 日 寛政元 (1789) 年に改元 [ 国語大事典 21] 長崎県のみかん起源 伊木力温州の発祥地 八代小ミカン の商業的栽培記録は見当たらない 温州ミカン については 天明年間 (1780 年 頃 ) に大村藩主 / 大村純鎮が 薩摩の長島ミカン ( 東町の温州みかん ) を彼杵郡伊木力村 ( 現 / 彼杵郡多良見町 ) の田中唯右衛門 田中林衛門 中道継衛門の三氏に栽培させたのが始まりとなっている この伊木力地方から良質の温州みかんが育成されたことにより 苗木が全国に出荷さ伊木力系温州れるようになり これが 伊木力系温州 と言われている 明治九 (1876) 年には城下町ではミカンが売られていた また 明治二十 (1887) 年頃には伊木力村ではミカンを植えていない農家はないと言う程に産地が拡大し 現在も同地方は長崎県における主産地である [ 長崎県農林部農産園 寛政 4(1792) 年 芸課, 長崎の柑橘 ] 語大事典 21] 寛政 13(1801) 年 紀州藩伊勢松坂の国学者/ 本居宣長 ( 年 = 享保 15- 享和 1) が寛政 5(1793) 年に起稿し 享和元 (1801) 年に没するまで書き続けた 玉 ( 江戸時代 ) 勝間 ( 知的な随筆 ) に 古よりも後世のまされること 万の物にも事にもおほ ( 多 ) し 其一つをいはむに いにしへは橘をならびなき物にしてめで かのぎぐん 現 / 山口県青海島の三輪吉五郎氏が海岸で一種の蜜柑を拾い その種子を蒔いて栽植したのが夏橙 ( 夏蜜柑 夏代 ) と云われる [ 北神貢著, 最 ( 江戸時代 ) 新柑橘栽培書, 明治 36 年刊 ] もう一つは文化年 ( ) 間の初め頃 山口県萩江村の樽崎十郎兵衛氏が大津郡大日比郷の知人より一種 なつだいだい の蜜柑を得て種を播いたのが夏橙になったと云う 大日比郷には夏橙の親と云うものは古くから在ったとされ 何れにしても 19 世紀初頭に山 口県に現れたとみられる [ 果樹園芸学上巻 33] 寛政 5(1793) 年 温州ミカンが土佐( 高知 ) から伊予国宇和郡立間村 ( 現 / 宇和島市, 旧吉田町 ) に導入される 愛媛ミカン栽培の発祥地 [ 愛媛県果樹園芸史 ] ( 江戸時代 ) ( 注 ) 吉田町の ( 平成 5 年の ) ミカン生産量は 3 万 3,800 トン ( 全国の 3.3 %) で 同県八幡浜市 静岡県三ヶ日町に次いで全国第 3 位を誇る 平成 寛政 8(1796) 年 六 (1994) 年の愛媛県の生産量は 19 万トン ( 全国の 15.2 %) で 府県では日本一 [ 農林統計 ] きたまえぶね ( 前略 ) 寛政八年 北前船 ( 江戸時代後期に大阪と北海道を結ぶ商船 紀州ミカンの江戸送りにも使われた ) として 高田屋嘉兵衛 ( 現 / 兵庫県津 ( 江戸時代 ) 名郡五色町出身 ) が千五百石船 (225 屯 ) を建造している その建造費は 当時で二千両 ( 現在で 2 億 ~ 2 億 5 千万円?) と ( 推定 ) されている [ 和 寛政 9(1797) 年 べんざいぶね ひがきかいせん 歌山のかんきつ 122] ( 注 ) 現在 弁財船と呼ばれる形式の 菱垣廻船 は一隻も残っていないことから 大阪市港湾局と ( 社 ) 大阪振興協会が当 時の材料 工法により 実物大の千石船の復元を全国から部材と船大工を集めて ( 平成 11 年 3 月に ) 約 10 億円をかけて復元し ( 中略 ) 現在は大阪市住之江区南港北二丁目の なにわの海の時空間 に展示されている この千石船 ( 全長約 30 m 幅 7.4 m 積載 150 屯 ) は 国立国会図書館所蔵の文化 ( ) 年間の千石船の図面を忠実に復元したもの ( という )[ 紀州有田みかんの起源と発達史 124] [ 有田市みかん資料館所蔵 ] 寛政九年 木村桂庵が 橘品種考 を著わす 同年夏 橘品 冬 素封論 寛政十年正月には 橘品類考後論 と相次いで京大坂で出版さ するがきみきつ ( 江戸時代 ) れるに至ってその極に達し 当時の事情をよく今日に伝えている 橘品類考 の駿河黄實橘の説明に スルガハ葉至テウスク 葉色モウスクシ ちりめんはべにみちりめんきつみ なつだいだい テウス茶色ナリ 又紅實アリ 縮緬葉アリ と 紅實縮緬橘 は 實ハ紅ニシテ葉チヂミタリ 又数品アリ 白生入テリ と記す [ 同品種考 /110] 寛政 10(1798) 年 この年完成した本居宣長の著作 古事記伝 二十五に 昔の橘は今の蜜柑説と 昔の橘 即今の橘で 蜜柑は後来説との二説について考察を ( 江戸時代 ) 加え いずれとも決めがたいとしている [ 同古事記伝 ] ( 注 ) 古事記伝は 古事記の注釈書 四八巻 本居宣長著 寛政 10 年完成 寛政 2- 文政 なおびのみたま 5 年刊 巻一に古道を述べた 直毘霊 などの総論 巻二に序文の注釈と系図 巻三 ~ 四十四に本文の注釈 巻四十五以下に索引を収める [ 国

19 享和 3(1803) 年 つるを 近き世には みかん といふ物ありて此の みかん にくらぶれば橘は数にもあらずけおされた その外 かうじ ( 柑子 ) ゆ( 柚 ) くねんぼ( 九年母 ) だいだい( 橙 ) などのたぐひおほき中に 蜜柑ぞ味ことにすぐれて 中にも橘よく似てことなくまされる物なり 此一つにておしはかるべし 徳島の特産スダチについて 阿波国 ( 徳島 ) 大麻比古神社社家の古文書に 大麻山の見える処でないと生育しない と 一 すだち 柚に似て 柚よりちいさき者にて御座候, 大麻山の見ゆる処ならでハ生ヒ立不申趣古老申伝御座候 [ 本居宣長著 / 玉勝間 14 巻 59] ( 紀州より ) 寛政年間に温州みかん苗木を静岡 ( 駿河 ) 藤枝に移出する [ 和歌山縣の果樹 27] たたず 本草学者 / 小野蘭山 ( ) は 日本本草学の集大成たる 本草綱目啓蒙 四十八巻を著わし [ 享和 3 年刊 ] 二十五 - 三十巻で果物をとりあ ( 江戸時代 ) げる 当時 最も多く食べられていたカキについて 品類多シ 和産二百余種アリ と記し 大和ガキ 蜂谷ガキ 祇園坊など主要な品種につい 本草綱目啓蒙文化年間 ごめん て解説 また ナシの項で 越後新潟産の牛面ナシ ( 形が大きいため名付ける ) 丹後田辺の一升ナシ ( 一顆に水一升あり ) 斤九ナシ ( 顆の重さ一 斤九両 ) など 珍しいナシも紹介 橘に カクハ ( 書紀 ) ムカシグサ( 和名抄 ) にカウジの和名を付し 今タチバナと呼て庭際に栽え 或いは春盤に用いるものは 別に一種にして 古呼ぶ所のタチバナに非ず 当時 タチバナと呼んで観賞用に栽培したのは金柑より少し大果なり としているから原生品のタチバナである [ 果樹園芸学上巻 33] 柑ミカン一名 / 洞庭長者 平蔕 穣侯 金嚢 瑞金奴 瑞聖奴 金輪藏 洞庭霜 甘心氏 木密 水晶毬 金苞青華 朱実 楚梅 柑ハミカン類ノ総 名ナリ 品類多シ ミナ暖地ノ産ニシテ寒国ニハ育シガタシ 紀州ノ産ヲ上品トス ソノ献上ノ柑ハ有田ノ産ナリ 京師ニテハ好柑ヲ何レニテモ皆 紀伊国ミカント偽ヨベドモ 真ノ紀伊国ミカンハ有田ノ産ノミニシテ 即 集解ノ乳柑ナリ ( 中略 ) 味甘シテ酸味少シ 核少ク全ク核ナキモノモア [ 山金柑 ] 一名 / 山金橘 金豆 羊矢橘 俗称 / 金豆柑 又は粒金柑 [ 生枝柑 ] 俗称 / 唐柚 [ 海紅柑 ] 俗称 / 獅頭柚 ] 俗称 / 唐九年甫 [ 佛手柑 ] 一名 / 佛指香櫞 佛爪香圓 佛手香櫞 [ 枸櫞 ] 一名 / 香櫞 鉤櫞子 香圓 香圓橘 圓佛手柑 [ 柚柑 ]( ユコウ ) 漢名不詳 [ 交跡蜜 はちや ぎおんぼう いつはりまことあじあまくたね リ 凡ソ上品ノ柑橘ハ核ナシ 核多キモノハ下品ナリ 紀州ミカンの評価は定着していたようである 本書は約 1 万語にのぼる方言を収集しており方言研究の上でも貴重な資料となっている [ 日本の果物受容史 110] 橙にはクネンボの和名と香橙の漢名を付し 橙に香橙 臭橙 回青橙の分あり 本條は香橙をさす とし 現在の臭橙 回青橙を一括してダイダイとする 柚には ユ ( 和名抄 ) ユ ユズ( 筑前 = 福岡 雲州 = 出雲 ) イズ( 雲州 = 出雲 ) ホンユ( 阿州 = 徳島 ) モイユ( 阿州 = 徳島 ) カウトウ( 清 = 中国 ) と それぞれの地方での呼び名をあげている [ 塚本学 : 日本の果物受容史 110] 長州 ( 現 / 山口県 ) 萩江村の樽崎十郎兵衛氏が 大津郡大日比郷 ( 現 / 長門市仙崎町大日比 ) の知人から一種の蜜柑を得て その種を蒔いたのが なつだいだい ( 年 ) 夏橙になったと云う 大日比郷には夏橙の親とも云われる木が古くから在ったと云う [ 北神貢著, 最新柑橘栽培書, 明治 36 年刊 / 果樹園芸学上 ( 江戸時代 ) 巻 33] はじかみ 和歌山県に於ける 金柑 は 文化年間に海部郡椒村 ( 現 / 有田市初島町 ) の仲国某が 攝津國池田 ( 荘 )( 現 / 大阪府池田市 ) から苗木を導入し たのが最初で これから森本金蔵によって日高郡印南町に苗木四十本伝えられ この地方の金柑は明治十 (1877) 年頃一万三千本 栽培者三百余名に達したという [ 和歌山の柑橘 120] 文化 15(1818) 年 紀州の人 / 小原桃洞の門下生らが 紀州産の柑橘類五十餘種を集めて その名称を和漢対照して門人に示したものを 村瀬敬之が これを圖 カムシあまづみいまのな ( 江戸時代 ) 説して 南海包譜 ( 文化 15 年編 ) として 3 巻に纏めた 上巻に [ 柑 ] 和名 / 加牟之 阿萬豆実 今名 / 蜜柑 [ 乳柑 ] 一名 / 眞柑 御柑 俗称 / 左田蜜 柑 又 / 紀州蜜柑 [ 無核柑 ] 俗称 / 無核蜜柑 [ 朱柑 ] 一名 / 支柑 猪柑 俗称 / 紅蜜柑 [ 木柑 ] 一名 / 乾柑 俗称 / 量蜜柑 ( ハカリミカン ) [ 饅頭柑 ] 俗称 / ゴダイカン 朝鮮蜜柑 又は徳利蜜柑 [ 金柑 ] 一名 / 金橘 [ 山橘 ] 俗称 / 亦云う金柑 [ 牛奶柑 ] 一名 / 牛奶金柑 金棗 俗称 / 長金柑 又は棗金柑 又は唐金柑 か

20 文化 8(1811) 年 柑 ]( カウチミカン ) 疑是臺湾府志所載番柑 直云う此の説非ず 中巻に [ 橘 ] 和名 / 太知波奈 ( タチハナ ) 俗称 / 加宇之 [ 黄橘 ] 俗称 / 白輸柑子 又 は白柑子 [ 早黄橘 ] 一名 / 早紅橘 俗称 / 早生柑子 又は金柑子 [ 凍橘 ] 俗称 / 晩柑子 [ 穿心橘 ] 一名 / 歓條穿橘 女児橘 穿橘 匾橘 俗称 / 太平柑 子 [ 沙橘 ] 一名 / 塗橘 俗称 / 闋 [ 饅頭橘 ] 本無比名用饅頭橘之例 仮名 [ 朱橘 ] 一名染血 鱔血塘南 俗称 / 紅柑子 又は赤柑子 [ 大柑子 ] 朱橘 の一種 漢名未考 [ 廬橘 ] 一名 / 櫨橘 壺橘 夏橘 給客橘 俗称 / 夏蜜柑 又は春蜜柑 雲州橘 [ 包橘 ] 今春盤所備之柑子 ( コウジ ) [ 茘枝橘 ] 俗称 / 痂柑子 ( カサコウジ ) [ 猴橘 ] 一名 / 橘花 和名 / 太知波奈 多知孛 [ 枸橘 ] 一名 / 臭橘 和名 / 加良多知 ( カラタチ ) 加良立花 [ 唐蜜柑 ] 一名 / 高麗橘 漢名未考 王世懋果疏朱橘の一種 紅有りて大者恐是也 [ 李夫人橘 ] 一名 / 雲州蜜柑 實不恵蜜柑 金九年母 漢名未考 [ 温州橘 ] 漢名未考 [ 宇樹橘 ] 漢名未考 下巻 [ 香橙 ] 一名 / 金橙 橙子 和名 / 阿部多知波奈 俗称 / 九年母 [ 回青橙 ] 俗称 / 代々 [ 臭橙 ] 一名 / 蠏橙 和名 / 加布知 俗称 / 加布須 [ 水橙 ] 俗称 / 長九年甫 [ 柚 ] 一名 / 香柑 和名 / 柚 [ 雷柚 ] 一名 / 鐳柚 俗称 / 邏柚 ] 俗称 / 花柚 [ 饅頭柚 ] 此亦用饅 頭柑之例仮名 俗称 / 巾着柚 [ 朝鮮柚 ] 漢名未考 本草圖経書所謂襄唐問柚 色青黄而小實者恐是也 [ 大福 ] 一名 / 大福柚 漢名未考 [ 朱欒 ] 一名 / 櫰椵 臭柚 和名 / 柚橘 俗称 / 左無須 ( サムス ) 又は赤座凡無 ( アカザボン ) [ 紅欒 ] 俗称 / 座孛無 ( ザボン ) 又は座無孛 ( ザンボ ) 座無孛宇 ( ザ ンボウ ) [ 文旦 ] 一名 / 文弾 文蚤 京橘 俗称 / 唐九年甫 内紫 [ 蜜禫 ] 一名 / 蜜禫 俗称 / 琉球九年甫 又は阿蘭陀九年母 [ 宣母子 ] 一名 / 黎檬子 宣檬子 里木子 宣母果 薬果 宣濛子 俗称 / 里萬牟 ( リマン ) 須陀知 ( スダチ ) [ 黄淡子 ] 俗称 / 唐枳穀 [ 枳實 ] 和漢通名 [ 直云 ] 以上の外 南海 包譜の後に本州より出るもの [ 緣橘 ] 俗称 / 青蜜柑 [ 福橘 ] 一名 / 貢橘 漢蜜柑 福州蜜柑 [ 無核橘 ] 俗称 / 核無柑子 [ 小懼橘 ] 一名 / 黄塘南 俗称 / 鈴生 ( スズナリ ) [ 匾柑 ] 俗称 / 大平蜜柑 [ 琉球琳 ] 漢名未考 [ 菊蜜柑 ] 漢名未考 無核香橙等あり 詳に予が南海包譜補遺に辨す 此餘暖地の なお 諸州を探索せば猶多かるべし [ 南海包譜,33] ( 注 ) 紀州にはこの時代に これだけの柑橘が在ったことを物語る この年発刊の 紀伊国名所図絵 に 蜜柑山畑之図 あり この絵をもとに 三代目広重が ( 明治 ) 発刊の 大日本物産図会 に 蜜柑山 ( 江戸時代 ) 畑之図 を描いている [ 日本の果物受容史 110] 文化 13(1816) 年 文化十三 - 明治五年成立の地誌 [ 阿淡産志 ] に スダチのことが 宜母子 の名で紹介される [ 日本の果物受容史 110] ( 江戸時代 ) つねまさ そうもくそだてぐさ 文化 15(1818) 年 岩崎灌園 ( 本名 / 常正 )( , 天明 6 ~ 天保 13 ) この年発刊の 草木育種 に 現在の接ぎ木法とほとんど変わらない技術が挿絵つきで 文政元 (1818) 年紹介 また ナシについて 甲斐 相模 下総等 にて多作 砂まぢりたる真土よし と 記述するなど産地状況を紹介 [ 日本の果物受容史 110] 温州蜜柑 文政元年 村瀬敬之 南海包譜 撰述 この頃 温州蜜柑が初めてあらわれる [ 南海包譜 / 和歌山のかんきつ ] 文政 3(1820) 年 日向夏 日向夏 は文政三 (1820) 年に現 / 宮崎市の真方安太郎の邸内で偶発実生として自生しているのが発見された 発見時には酸味が強く 食べら れることはなかったが その後に広く栽培され始めた [Wikipedia] 日向夏蜜柑は 文政年間に現 / 宮崎県宮崎郡赤江町字曾井の眞方安太郎氏 の宅地で偶発実生として発見された この原木は枯死したが 同村の高妻仙平氏が原木の枝を接木したものが九十年以上の樹齢を保ち 第二 世原木として昭和十一 (1936) 年に天然記念物に指定された 現在普及している日向夏蜜柑は 第二世原木から分かれたものである [ 果樹園芸学 上巻 33] 文政 5(1822) 年 この年 中国の商船が 駿府 ( 現 / 静岡県 ) 海岸に漂着し 寧波金柑 を伝える [ 日本の果物受容史 110] ( 江戸時代 ) 文政 6(1823) 年 ねいは いえもち 一月十三日付け幕府( 将軍徳川家茂 ) 蝕達 神奈川 長崎 箱館の三港を近々に開港するに付き この場所へ出稼ぎ または移住して勝手に商 ( 江戸時代 ) 売致してよいから 希望する者はその港の役人へ引き合わすように致すこと [ 幕府法令下 ] ひろしげ このよ

21 文政 9(1826) 年 シーボルト再度来日 安政 6(1859) 年にはオランダ商事会社の顧問として再度来日 鳴滝塾を開いて診療と医学の教授にあたり 伊東玄朴 高 良斎 高野長英らを育てた また 日本の動植物を研究 著に 日本 日本動物志 日本植物志 がある ( 年 )[ 国語大事典 21 とおとうみのくに 遠江国 ( 静岡県西部 = 遠州 ) 三保村の名主 / 柴田権左衛門が 漂着した清国寧波の船 / 得泰号の船長 / 楊嗣元から 数粒の珍しいキンカンの実を ( 江戸時代 ) もらう この種をまいて育成したのがネイハキンカン ( 寧波金柑 ) と云う 現在 日本で主に栽培されているのは このネイハキンカンとナガキンカン ( 長金柑 ) の 2 品種である [ 日本の果物受容史 110] 文政 10(1827) 年 この年亡くなった小林一茶( 年 ) の ミカンの句に 上々の / みかん一山 / 五文かな [ 日本の果物受容史 110] ( 注 ) 一文は 一山 5 文は今の何円かは知らず [ 編者 ] 天保 5(1834) 年 武蔵国埼玉郡千疋の郷( 現 / 埼玉県越谷市千疋 ) で 槍術の指南をしていたという侍が江戸日本橋近くの葺屋町 ( 現 / 中央区日本橋人形町 3 丁 ( 江戸時代 ) 目 ) に 水菓子安うり処 の看板を掲げ 果物と蔬菜類を商う店舗を構える 出身地の名前をとって千疋屋弁蔵と名乗る 高級果物専門店 千疋 天保 6(1835) 年 しんこく 屋 の始まり 元治元 (1864) 年 2 代目 / 文三が店を継ぐ [ 日本の果物受容史 110] あわのくにけんぶんき このくに 国学者で神官の永井精古による 阿波国見聞記 に 此国に 酢だちという果あり 他の国にあるなし 吾大麻神の山見ゆる所ならではおいざ ( 江戸時代 ) るよしいひ伝えたり されど讃岐などにも希にあるなり と ( 注 ) 永井精古は 代々大麻比古神社 ( 現 / 徳島県鳴門市大麻町 ) に奉仕する神官の家に 天保 8(1837) 年 生まれ 京都 伊勢内宮等で学び 長じて家業を継ぐ [ 日本の果物受容史 110] みかんぎんねひかえねくにもと 十月 蜜柑銀直扣 ( 控 ) 書き付けを以てお願い申し上げ候 一 当年 上方表 ( 京阪地方 ) の金相場 下げ直にて御迷惑なされ候趣き 御国許 じようぎんそうね ( 江戸時代 ) より申し来たり候に付き 当地蜜柑代 定銀相直候よう 度々御談これあり 依りて私共仲間一同が寄り合い 談合仕り候ところ 去年中より諸国 銭相場下落 かな の米価が高値 殊に新銭が出来候故哉 銭相場は追々下落仕り 売り先は棒手振 ( 行商 ) に至るまで必至と難渋仕り居候間 何分 行き届き兼ね 候に付き この段貴殿方の御執成を以て荷主代 / 御肝煎中様え再応 ( 再度 ) お願い下され候ところ お聞き済み無く御座候に付き 尚亦 私共ま くたつ ぼうてぶり おとりなしきもいりなおまた おきもいり かり出で その段 口達 ( 口頭 ) を以てお願い申し上げ候得ば 御肝煎中様方 聞き仰せなされば 先だってより申す談通り 当年 上方表の金相 ねさが さげふだ 場は只今までに思わぬ値下りにて 国元より申し来たり候下札 当時六十匁乃至に罷り在り候 差候ては国元の難渋は如何ばかりに候哉の旨 しようふくつかまつ 種々ご理解の趣き御尤もと承知候えども 兎に角 昨年より疲労故 一同承伏仕らず候 尤も 当地の銭相場は当時の安値にても御座無く とてすえおとりなし 上方の金相場迚も御同様の義に御座候間 各別の思し召しを以て当年のところ これまで通り居置き下され候よう御執成願い上げ奉り候 尚亦 来たる年秋に至り 引き続き金相場下げ値に御座候はば その節 違背無く定銀相値に申し候べく 何分この段 お聞き済みなさり下され候よう ひとえ とりな 偏にお執成し願い上げ候 以上 天保八年酉十月 ( 上方 ) 蜜柑仲買年番 / 鈴屋組 [ 金屋町吉原 / 高垣八三氏所蔵文書 / 県史近世史料三 ] おおすもう 天保 11(1840) 年 天保十一年の 諸国産物大数望 の果物と産地に 駿河のミカン 飛騨の搗栗 安芸の西条柿 紀伊のミカン 美濃つるし柿 丹波のクリ 山城宇 ( 江戸時代 ) 治のころ柿 豊後のウメ など全国に銘産品として知られる [ 同書 /110] 早生温州の青江早生は 大分県北海郡青江村に在った 同村の川野氏の所有で 明治二十六- 二十七年頃から枝を分譲して繁殖を計った 田中長三郎博士の調査発表 (1932 年 ) によれば 同村にはこの他に 90 年以上の樹齢 ( 天保 11 年以前 ) の早生温州がありと云う 青江早生の原 木は 大分県北海郡青江町倉冨にあり 俗称 / 導師早生と云う 即ち青江早生なり [ 果樹園芸学上巻 33] はつもの 天保 12(1841) 年 この年出た幕府通達 初物その他無益の売物 相仕込みの儀 相ならず と禁令出す [ 幕府法令集 ] ( 江戸時代 ) てらす 天保 13(1842) 年 平戸藩主 / 松浦曜が 長崎に赴いた折 ブンタンを献上される この種子から生じた偶発実生が 平戸文旦 といわれる [ 日本の果物受容史

22 ( 江戸時代 ) 110] 天保十三年に発行された [ 南海包譜 ] は 紀州の本草学者 / 小原桃泂の門生 / 山中謙斉等が紀州に関する柑橘五十余種を集めて南龍公 ( 初代 とうけい 紀州藩主 / 徳川頼宣 ) に仕えた医師 / 板坂十斉の堂に陳列 観覧に供したものを村背敬三が図解して説明を加えたものである 原書は和中金助氏が所蔵している [ 和歌山の柑橘 ] ( 注 ) その中に 温州蜜柑 の名が記され 弘化五 (1848) 年の岡村尚兼氏の 桂園橘譜 に紹介されている [ 弘化五年 / 桂園橘譜参照 ] ていじようざつき 天保 14(1843) 年 この年刊行された伊勢貞丈 ( ) 著 貞丈雑記 に 菓子の事は いにしへ菓子といふは 今のむし菓子 干菓子の類をいふにあらず 多く ( 江戸時代 ) は くだ物を菓子と云也 栗 柿 梨子 橘 柑子 じゆくし ( 熟柿 ) 木練柿などの類 と記す ( 注 ) 本書は 貞丈が子孫のために 宝暦十三 (1763) コネリガキ 年から死に至る天明四 (1784) 年まで書き続けた雑記を編集したもので 没後 60 年を経て刊行された [ 日本の果物受容史 110] 天保 15(1844) 年 この年初春 大蔵永常 広益国産論 を著わし 国の特産品になりうる品々として果物ではミカン ブドウ カキ ナシをあげ 台木や接木方法を ( 江戸時代 ) 図解して解説 みかんハ紀州ニて多く作りて三都 ( 江戸 京都 大坂 ) に出して商ふ事一ヶ年ニ百五十万籠といへり 是は暖国の産物也 ぶど うハ甲州より作りて多く江戸へ出して商ふ事おびたゞし わづかの屋敷内ニつくりても相応に益となるものなり かきハよく作り出せバ其所の名 産ともなる也 烏柿 ( ひかき = 渋柿の皮をむいて干したもの = 干し柿 ) にあらざれバ利を得るには至らず ナシは美濃の国にて作り出して諸国に ひさぐ事おびたゞし 多く作れバ所の名産ともなる也 近来江戸在にて作りいだし利を得る事少なからず いつの頃よりか此苗を下総国 ( 千葉 あきな しもうさのくに 県と一部茨城県南部 ) 古河 ( 現 / 茨城県古河市 ) に植広め 作りて江戸へ出せしより古河梨とて賞翫 ( 珍重 ) せしを 寛政前後に品川河崎の在に植 ミズクァシ 広め 所の益となる事又夥し かやうなる水菓子ハ 都会に近き所にあらざれハ売口すくなくして 大益とハなるべからず と [ 日本の果物受容史 110] 弘化 3(1846) 年 九月二十二日 紀州家は紀州藩産のミカン荷揚場として 江戸神田川稲荷河岸に八十四坪の地所を拝借[ 東京都中央区年表 /110] ( 江戸時代 ) 現 / 愛知県知多郡南知多町内海の大岩金十郎 紀州から温州ミカンの苗木を導入 内海ミカンの基礎を築く 庄屋を務める金十郎は 貧しい農 みかんくるい 村を救うべくミカン栽培に取り組むが 村人からは蜜柑狂庄屋と嘲笑され 迫害を受けながら栽培に専念 金十郎の苦闘の取り組みは澤田ふじ 子によって小説化された [ 蜜柑庄屋 金十郎 / 日本の果物受容史 110] 弘化 5(1848) 年 この年 岡村尚兼の著作[ 挂園橘譜 ] は二巻で着色圖譜 上巻に [ 橘 ] カウシ ( 早黄橘 一名 / 早紅橘 ) 白輸柑子( 黄橘 ) 一種カウシ ( 包橘 ) 紅カウ 嘉永元年 シ一名 / アカカウシ テルコウ ( 紅蜜柑 ) 唐蜜柑( 朱橘の一種 和名 / ベニミカン ) 夏蜜柑( 廬橙 一名 / 夏橘 ) 茘枝橘 青蜜柑( 青橘 一名 / 緑橘 ) 温 ( 江戸時代 ) 州橘 紀伊国蜜柑 ( 大柑子 乳柑の一種 ) 八代蜜柑( 沙橘 ) 一種蜜柑( 饅頭橘 ) 一種蜜柑( 木柑の類 ) アヘタチバナ( 橙 九年母 ) ダイダイ( 一種 の橙子 ) ユ ( 柚 柚子 ) ユの中に花ユ及びトコユ 冒頭の橘は圖及び説明からみると 我が国原生のタチバナで 雲州橘は今の温州蜜柑であ る 筑後柳川 ( 現 / 福岡市柳川 ) に温州橘のあること 土地の人は之を李夫人と呼ぶとしている 下巻に り ふじん しようがん ( 一名 / ザボン ザンボ 即ち柚 の別種 ) 唐九年母カフチ ( 枸櫞 圓佛手柑 ) 佛手柑( 一名 / 佛指香櫞 佛爪香櫞 ) 柚柑 金柑( ヒメタチバナ ) カラタチ( 枳實 ) 一種カラタチ とある 唐九年母は文旦の一種で 当時九州地方には文旦の実生多く 果肉に紫 白の別あることを記している 4 種の金柑を図説しているが 単に金柑とするものは 丸金柑で 金橘は金豆 牛奶金柑は長金柑 大實金柑としているのは金柑とは異なる雑柑で 黄色の 夏橙大の大果品である [ 岡村尚兼著 / 挂園橘譜 / 果樹園芸学上巻 33] けいえんきつふりふじんきつ この年刊行の岡本尚謙 ( 遜桂園 ) 著 桂園橘譜 に 温州ミカンが温州橘 ( 一名 / 李夫人橘 ) の名で図解される これまでは正確な記録がなかった ちようせんのじん 温州蜜柑の条に 筑後柳川に橘あり 即ち温州橘 伝えて往昔 / 豊太閤 ( 秀吉 ) 朝鮮陣の時 持帰りし種の由云えり 実に然るか否かを知らずと

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»°ËÞ½ŸA“⁄†QŸA“⁄Æ�°½No9 NO 2003.11.4 9 101-0061 東京都千代田区三崎町3-5-6 造船会館4F TEL 03-3230-0465 FAX 03-3239-1553 E-mail stu stu.jtuc-rengo.jp 発 行 人 数 村 滋 全国8地連の新体制が始動 中四国地連 中部地連 九州地連 沖縄地連 北海道地連 東北地連 関西地連 関東地連 組織拡大と加盟組合支援を柱に 2 期目がスタート

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