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興福寺に現存する仏頭がその釈迦如来像のものではないか というのである 同年 5 月から静岡 願成就院の造仏を始めており この釈迦如来像に運慶がどこまで 関わったかは 意見の分かれるところです 願成就院は 源頼朝の妻 政子の父である北条時政により建立された寺 本尊阿弥陀如来坐像は 目元が彫り直されてい

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25~34歳の結婚についての意識と実態

Transcription:

長泉わくわく塾 伊豆八十八霊場巡礼報告書 報告者後藤隆徳 年月日平日 =2011 年 07 月 07 日 ( 木 晴 ) 休日 =2011 年 08 月 28 日 ( 日 晴 ) 回数 2010 期 = 第 15 回巡礼 2011 期 第 3 回巡礼 参加者 7 月 7 日 =19 名 8 月 28 日 =15 名 巡礼寺 順 八番札所益山寺 ( ましやまでら ) * 本尊 千手観世音 * 山号 養加山 * 真言宗 ( 京都清水寺 末 ) * 草創 弘法大師 期不明 * 約千体の石仏像が有ります書によると 僧空海ノ草創ニシテ本尊 千手観音ハ其自作ナリ すなわち弘法大師の開創であり本尊の千手観音は大師の制作である と言われてますが真偽は不明 右に採石場を見ながらただただ登るのみ途中には西国三十三観音の石像が点在し最後の観音様がこの寺の観音様です 樹齢? 百年といわれる大銀杏 ( おおいちょう ) と大楓 ( おおかえで ) 紅葉の時は最高です 九番札所澄楽寺 ( ちょうらくじ ) * 本尊 不動明王 * 山号 引摂山 * 真言宗 ( 高野山金剛峰寺末 ) * 草創 791( 延暦十年 ) * 弘法大師 開創豆州志稿に 延暦十年僧空海創建す とあります この年には弘法大師はまだ出家していないが修禅寺 奥の院で修業中 出家前であったが何かの縁で開創されたと考えられる 十番札所 蔵春院 * 本尊 釈迦牟尼仏 ( しゃかむにぶつ ) * 山号 長谷山 * 宗派 曹洞宗 * 草創 1439( 永享十一年 ) * 杉木立の中 参道を登って行くと両側に西国三十三観音がお出迎え お参りしながら山門を通り抜けると正面に仁王像を両側にした鐘楼山門 その先に本堂が見えてきます その威容に戸惑いを感じます本堂の右には長谷観音堂 どの建物も 1977( 昭和 52 年 ) 以後に建築されました 仁王像及び長谷観音堂も有ります

十一番札所長源寺 ( ちょうげんじ ) * 本尊 釈迦如来 * 山号 天与山 * 宗派 曹洞宗 ( 修禅寺 末 ) * 草創 不明 * 烏蒭沙摩 ( うずさま ) 明王を祭祀 * 祭祀されている烏蒭沙摩 ( うずさま ) 明王とは トイレの神様 です 田方平野 ( 伊豆で唯一の平野 ) を一望に見渡す高台にあります ここから田方平野越しに見る富士山の眺めは素晴しいです 十二番札所長温寺 ( ちょうおんじ ) * 本尊 薬師如来 * 山号 薬王山 * 宗派 曹洞宗 ( 真珠院 末 ) * 草創 1562( 永禄五年 ) * 仏様の足紋石像が有ります開創以前の 1167( 仁安二年 ) この地の武将 古奈治郎義光が討死 守護仏であった 薬師如来 をここに祭祀した 後に寺として開創した その後衰微したが 1620( 元和六年 ) 再興 その後 1828( 文政十一年 ) 火災による類焼で再度衰微したが 真珠院三十世により再興されました 十三番札所北條寺 ( ほうじょうじ ) * 本尊 観世音菩薩 * 山号 巨徳山 * 宗派 臨済宗 ( 建長寺 末 ) * 草創 1177-83( 治承年間 ) * 阿弥陀如来は運慶作で重要文化財 本尊 観世音菩薩は静岡県指定の文化財 草創当時は観音堂があって そこを満徳山北條寺と改め寺領を下付された 1200( 正治 建仁年間 ) 北條義時が仏殿の本尊 阿弥陀如来を運慶に作らせて北條寺を創建した 1499( 明応九年 ) 鎌倉 建長寺により開山 以来 臨済宗の寺となる その後幾多の災害を受け再建を繰り返した 現在の本堂は 1978( 昭和 53 年 ) 築です * 開基である北條義時夫妻 ( 源頼朝の妻 政子の弟 ) の墓が境内の高台にあります * 伊豆の遍路が江戸時代から行われていた事を現す木製額があります 距離 7.5Km+3Km+5.5Km+3Km+2Km= 約 21Km タイム下土狩 5:30- 益山寺入口 6:20- 益山寺 6:40~7:10- 澄楽寺 8: 00~8:20- 蔵春院 9:40~10:00- 長源寺 11:20~12:5 0( 昼食 休憩 )- 長温寺 13:50~14:10- 北條寺 15:00~15:

20- 函南 湯 ~ トピア 温泉 湯 ~ トピア函南 =700 経費 長源寺 =1000- 北條寺 =2000- 参考資料 伊豆霊場振興会 HP 平日は益山寺駐車場から寺に上る 休日は駐車場から九番札所 澄楽寺目指す 平日は朝方パラパラしたが 寺に上った頃止んだ 休日は好天気で朝から暑かった 正面に城山 ( じょうやま ) を仰ぎ 狩野川の堤防を進む 途中に大きな 子育て地蔵尊 があった 優しく温かい いいお顔の地蔵さまだった 訪ねる人が多いのか 運ばれた小さな地蔵が沢山並んでいた 一つひとつに多くの方の願いがこもっているのだろう 誰かが もう 私たちに関係ないけどね の言葉に一同ドッと沸いた 狩野川に掛かる神島橋手前の公民館広場で休憩 トイレが欲しかったが 公民館の外には無かった 神島橋を渡ると 眼下に狩野川がゆるゆると流れていた 早朝だが もう釣り人が竿を伸ばしていた 大仁に入り旭化成 ( 元東洋醸造 ) 前を通過し 程なく九番札所 澄楽寺に到着 狩野川道 同行二人 この寺は大きな寺でないが 宗派は真言宗で高野山 金剛峯寺直系である 仏様には

高野山直送の 高野槇 が飾られていた 年に二回送ってくるという 庭には大きな高野槇が二本植えられていた この植物は 葉がなかなか美しい また この寺の屋根には梵鐘塔みたいのが乗っている変わった建物だった ただ 言われは聞きそびれてしまった 澄楽院とご本尊 ここから田京を通過し 十番札所 蔵春院に向かう だらだらの坂道が長く暑いと苦しい所だ 山門から苔むした階段を辿ると 左右に西国三十三観音像が出迎えてくれる 更に上ると 今度は左右に仁王像が阿吽の姿で睨みを利かせていた

住職の奥様 山田久美子さま 会員のご親戚だそうです 住職の奥さまと談笑 この寺は三島広小路の常林寺と親戚関係で 住職は常林寺の三男だそうです 常林寺は 伊豆八十八札所ではありませんが 現在の若い住職と交流があります 春 夏 秋には寺で音楽会などイベントがあり よく出掛けます また 住職は独身で 巡礼には若い女性もいます どうですか? などと盛り上がった ここから長源寺に向かう この寺までは 標高約 100mほどの立花台の峠を越える 時間にすれば20 分ほどだが やはり皆さん上りは好きでないようだ 休日時はかなり暑かったが 何とか越えた 平日時 道を間違ったりしながら長源寺着 お勤め後 平日はここで昼食 休憩 昼食後は昼寝 ここの本堂は高台なので風通しがよく 気持ちが良い 休日時は 時間が早く法事を行っていたので昼食は 狩野川桜公園 (?) で摂った 退寺時 住職とお母さんとお話 前回 2 年前来た時 その年の春にお父さんの前住職が亡くなって境内にそのお知らせがあった そんな話を長々としてしまった 本堂で昼寝 住職とお母さん

二年前の 山門不幸 のお知らせ 3 月 4 日 示寂 ( じじゃく ) = 高僧などが亡くなることとある 寺を辞し 狩野川を渡って長温寺着 途中 平日は 足湯 に入った ここは長岡温泉の真ん中にあるが 巡礼をやっていないと分からない場所 境内に仏さまの大きな足形がある また 境内の奥には 震災暴風紀念 ( 紀が違う文字 ) の大きな石像がある 伊豆大地震 狩野川台風のものだろうか? 今日最後の北條寺に向かう 平日時は渡辺住職が一緒にお勤めをしてくれた 住職とは二年振りだが お元気でした 住職から お経は 阿吽の呼吸 で合わさなければいけないの言葉を頂きました 今回はこれにて終了 ご苦労様でした 合掌 補足 北條寺と巡礼の歴史 ご住職の話によると このあたりは鎌倉北条氏 2 代目の義時が若き日に屋敷を構えたところという 義時の父時政の屋敷は願成就院の近くで 現在では狩野川を隔て対岸であるが 当時の川はもっと東を流れていたため 2つの屋敷は近かったようです 大蛇に飲まれて命を落とした我が子を弔うために義時が建立したのがこの北條寺であると伝えるが 実際には南北朝期の創建らしい かつては宝城寺と称した 戦国時代には後北条氏によって保護されたが 秀吉によって焼かれ その後 江戸時代に再 建されるも 火事や台風によって古い建物は残っていない しかし江戸時代の絵馬が多く残り かつては盛んに巡礼されていたらしい 伊豆中道三十三観音常林寺 ~ 修禅寺の十六番札所

駿河 伊豆両国横道巡礼 常林寺 ~ 霊山寺の八番札所 伊豆八十八ヶ所霊場嶺松院 ~ 修禅寺の十三番札所 伊豆八十八ヶ所巡礼は 今から 800 年前頃からだと思われますが 定かではありません 確実なのは約 120 年前の明治 22 年の銘がある六番札所金剛寺の版木 二十八番札所大江院の納経帳 番外札所 ( 豆国八番 ) 称念寺の御詠歌道中記です これを基に判断すると 120 年以上も前から また二十一番札所龍沢寺の参道の途中にある巡拝記念の石碑に天保 15 年の年号が刻まれています それによると約百七十年以前から巡礼が行われ 北條寺には文化 12 年 (190 年以前 ) 年号の遍路絵馬額が有りますが 何処の遍路か不明です もしこれが伊豆八十八ヶ所ならば 百九十年以前から伊豆の遍路 伊豆八十八ヶ所霊場 が行われていた事になります 最後に八十八 (88) という数の意味は 厄年にあたる男性 ( 四十二 ) 女性 ( 三十三 ) と子供 ( 十三 ) の数字を合計した数のことである ということを教えて頂きましたが 厄年の合計数以外にも下記のような説もあるようです 人間の持つ煩悩の数 八十八の煩悩を消滅させて 八十八の功徳を成就する ありがたい コメ から 漢字の 米 という字を分解して それを八十八にしたもの 平日 長源寺 休日 北條寺