( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 人間 環境学 ) 氏名中野研一郎 論文題目 言語における 主体化 と 客体化 の認知メカニズム 日本語 の事態把握とその創発 拡張 変容に関わる認知言語類型論的研究 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 日本語が 主体化 の認知メカニズムに基づく やまとことば の論理

Similar documents
甲37号

( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名小山内秀和 論文題目 物語世界への没入体験 - 測定ツールの開発と読解における役割 - ( 論文内容の要旨 ) 本論文は, 読者が物語世界に没入する体験を明らかにする測定ツールを開発し, 読解における役割を実証的に解明した認知心理学的研究である 8

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 経済学 ) 氏名衣笠陽子 論文題目 医療経営と医療管理会計 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 医療機関経営における管理会計システムの役割について 制度的環境の変化の影響と組織構造上の特徴の両面から考察している 医療領域における管理会計の既存研究の多くが 活動基準原


Title ベトナム語南部方言の形成過程に関する一考察 ( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 近藤, 美佳 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date URL

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 法学 ) 氏名小塚真啓 論文題目 税法上の配当概念の意義と課題 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 法人から株主が受け取る配当が 株主においてなぜ所得として課税を受けるのかという疑問を出発点に 所得税法および法人税法上の配当概念について検討を加え 配当課税の課題を明


( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名田村綾菜 論文題目 児童の謝罪と罪悪感の認知に関する発達的研究 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 児童 ( 小学生 ) の対人葛藤場面における謝罪の認知について 罪悪感との関連を中心に 加害者と被害者という2つの立場から発達的変化を検討した 本論文は



( 続紙 1 ) 京都大学 博士 ( 経済学 ) 氏名 蔡美芳 論文題目 観光開発のあり方と地域の持続可能性に関する研究 台湾を中心に ( 論文内容の要旨 ) 本論文の目的は 著者によれば (1) 観光開発を行なう際に 地域における持続可能性を実現するための基本的支柱である 観光開発 社会開発 及び

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 農学 ) 氏名 山本祥平 論文題目 食品事業者の危機管理と法令遵守に関する研究 ( 論文内容の要旨 ) 食品由来ハザードによる健康被害を抑制するには 食品汚染事故を未然に防ぎ ( 予防措置 ) 事故が起きたときには 迅速に被害の拡大を抑えること ( 危機管理 )

( 続紙 1 ) 京都大学 博士 ( 薬学 ) 氏名 大西正俊 論文題目 出血性脳障害におけるミクログリアおよびMAPキナーゼ経路の役割に関する研究 ( 論文内容の要旨 ) 脳内出血は 高血圧などの原因により脳血管が破綻し 脳実質へ出血した病態をいう 漏出する血液中の種々の因子の中でも 血液凝固に関

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 法学 ) 氏名坂下陽輔 論文題目 正当防衛権の制限に対する批判的考察 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 正当化される防衛行為の範囲を制限しようとする近時のわが国の学説を こうした見解に強い影響を与えたドイツにおける通説的見解とそれに対抗する近時のドイツにおける有力




京都大学博士 ( 文学 ) 氏名藏口佳奈 論文題目顔魅力評価の多面性とその認知構造 ( 論文内容の要旨 ) 人の魅力は多くの要因によって成り立つ これまで, 配偶者選択という生態学的な利益が, 魅力の意義を最も説明するものと考えられ, 検討されてきた しかし, それだけでは同性の魅力には利益がなく

( 続紙 1 ) 京都大学 博士 ( 地域研究 ) 氏名 佐藤麻理絵 現代中東における難民問題とイスラーム的 NGO 論文題目 - 難民ホスト国ヨルダンの研究 - ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 中東地域研究における重要な研究課題である難民問題について 難民研究 持続型生存基盤論 臨地研究などを総





~ ご 再 ~


( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名伊達平和 論文題目 現代アジアにおける家族意識の計量社会学的研究 東アジアならびに東南アジア 7 地域を対象として ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 東アジア 4 地域 ( 日本 韓国 中国 台湾 ) ならびに東南アジア 3 地域 ( ベトナム北部




京都大学博士 ( 工学 ) 氏名宮口克一 論文題目 塩素固定化材を用いた断面修復材と犠牲陽極材を併用した断面修復工法の鉄筋防食性能に関する研究 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は, 塩害を受けたコンクリート構造物の対策として一般的な対策のひとつである, 断面修復工法を検討の対象とし, その耐久性をより


( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名奥村好美 論文題目 現代オランダにおける学校評価の展開と模索 ( 論文内容の要旨 ) オランダにおける学校評価は オランダの国是とされる 教育の自由 ( 学校設立の自由 各学校の教育理念の自由 各学校におけるカリキュラムの自由 ) のもとで 公立 私

























Title 精神分析的心理療法と象徴化 自閉症現象と早期の心の発達の解明の試み ( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 平井, 正三 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date URL






脳組織傷害時におけるミクログリア形態変化および機能 Title変化に関する培養脳組織切片を用いた研究 ( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 岡村, 敏行 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date URL http










Microsoft Word - 概要3.doc

博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文




( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名井藤 ( 小木曽 ) 由佳 論文題目 ユング心理学における個別性の問題 ジェイムズの多元論哲学とブーバーの関係論からの照射 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 分析心理学の創始者カール グスタフ ユング (Jung, Carl Gustav 18 75

博士論文概要 タイトル : 物語談話における文法と談話構造 氏名 : 奥川育子 本論文の目的は自然な日本語の物語談話 (Narrative) とはどのようなものなのかを明らかにすること また 日本語学習者の誤用 中間言語分析を通じて 日本語上級者であっても習得が難しい 一つの構造体としてのまとまりを





c,-~.=ー










( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 地域研究 ) 氏名日向伸介 論文題目 近代タイにおける王国像の創出 ダムロン親王によるバンコク国立博物館の再編過程に着目して ( 論文内容の要旨 ) タイの近代国家は 現王朝の5 世王治世 ( 年 ) に 中央集権化と国王への権力集中を進めること



早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士論文概要書 論文題目 ネパール人日本語学習者による日本語のリズム生成 大熊伊宗 2018 年 3 月

~:J:.



Transcription:

言語における 主体化 と 客体化 の認知メカニズム Title 日本語 の事態把握とその創発 拡張 変容に関わる認知言語類型論的研究 ( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 中野, 研一郎 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date 2015-03-23 URL https://doi.org/10.14989/doctor.k19 Right 学位規則第 9 条第 2 項により要約公開 Type Thesis or Dissertation Textversion none Kyoto University

( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 人間 環境学 ) 氏名中野研一郎 論文題目 言語における 主体化 と 客体化 の認知メカニズム 日本語 の事態把握とその創発 拡張 変容に関わる認知言語類型論的研究 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 日本語が 主体化 の認知メカニズムに基づく やまとことば の論理を深層に持つため 客体化 の認知メカニズムによる近代ヨーロッパ標準諸語の文法カテゴリが日本語の文法カテゴリと互換性をもたないことを実証し 認知言語類型論という研究分野が立脚すべきパラダイムとその妥当性を論証したものである 全体は9 章から成る 第 1 章は本論文の目的と理論的背景である 近代ヨーロッパ標準諸語を規範とした従来の言語研究は 事象が認識論的に主体から離れて 客観的 に成立することを前提とし 事象を叙述する言語形式 文法も客観的に取り扱えることを前提としたものであるが このパラダイムによる文法記述で使用されてきた 客体化された文法カテゴリ が日本語を含む世界の種々の言語には適合しないことを指摘し 客観 のパラダイムによる言語研究の限界が論述されている 第 2 章では 認知文法における 主体化 の提唱者であるLangackerの 主体化 のモデルも 客観 のパラダイムに依拠しており 英語での主語性と他動詞性の消失事例を含め 主体化の言語現象を完全には説明できないことを指摘する また 客観 のパラダイムによって 時 が 時制化 され 話し手 聞き手が 主語 目的語 に対応づけられることを Langackerの認知図式の理論的限界を介して示唆する 第 3 章は 日本語の文法カテゴリが近代ヨーロッパ標準諸語での文法カテゴリと互換性を持たないことを 形容詞 と 格 を中心に示す 日本語で 形容詞 と規定されてきた文法カテゴリは 言語使用主体によって主体化されたカテゴリであり 事物の客観的性質 状態ではなく 事態把握に際しての主体の認知様態を表す言語表現であることを例証する また 日本語の認知様態詞と共起する が は主体がその事態把握に至った 由来 契機 を示す認知標識辞であり 近代ヨーロッパ標準諸語での 主格 という文法カテゴリに完全には対応しないことを示す 第 4 章では 英語で生じる主体化現象の具体事例として 中間構文 構文イディオム 場所主語構文 再帰構文 を取り上げ それらの構文現象が 認知 Dモード (Displaced Mode of Cognition) による客体化された事象という世界解釈から 認知 PAモード (Primordial and Assimilative Mode of Cognition ) による

主体化された事象という世界解釈への認識論的なシフトを導入しなければ説明できない事例であることを示す 第 5 章では 格や文法関係といった文法カテゴリの非普遍性 局所性について 松本克己氏の歴史言語学の成果を踏まえ論じる 英語における 主語 の文法カテゴリは 談話機能的な 主題 名詞の格標示としての 主格 動詞を介在した意味役割としての 動作主 と それぞれ異なるレベルの文法概念であったものが 英語の歴史的変遷の中で 語順 が統語規則の第一位に定位することで融合し 創発してきたものであることを論証する 第 6 章では 英語をはじめとする近代ヨーロッパ標準諸語において客体化された言語表現がどのような認知メカニズム 認知モードによって創発しているか 類像性 (iconicity) によって説明を試み これらの言語では 認知 Dモード による世界解釈が客体的な言語形式 カテゴリを創発させている認識論的母体であることを主張する 第 7 章では 従来 係助詞 格助詞 として分類されていた日本語の は が で を に を取り上げ 事態把握を行う際の主体的な認知要因を標示するものであることを示す は はコミュニケーションの状況における対象への 共同注視 が はコミュニケーションの状況における対象への 単独注視 で は主体が事象の生起に感知した 様態特性 をそれぞれ標示することを例証する 第 8 章では 態 及び 時制 として扱われてきた日本語の現象を考察する 日本語の -れる -られる は 事象生起の 不可避性 (unavoidability) という認識論的解釈を創発させたものであり それ故に 自発 受け身 可能 尊敬 と拡張が生じていることを事例観察に基づき示し 態 という文法カテゴリに還元不可能であることを論証する また 日本語の -た は客観的な 時制化された過去 ではなく 主体が経験した事象を 心的確信 としてイマ ココに 蘇発 現前化 させる 主体化 のメカニズムにより創発した言語標識であることを 通時的 共時的なデータに基づき検証する 第 9 章では 膠着語である日本語の根本構成原理が 音象徴 であることを提唱し 日本語の豊かなオノマトペに見られる 音 = 意味 の原理が日本語の語彙を形成する根本原理であることを提案する また 日本語の原母音が /a/ /i/ /u/ である可能性を指摘し -を -に が本来は格を標示するものではないことを示唆する 以上の論証結果を踏まえて やまとことば の論理を深層に持つ日本語が通時的にどのように拡張 変容されてきたかを概観すると共に 認知言語類型論という新しい研究領域において 特定言語の認知モードの解明 特定言語内に生じる言語現象の共時的分析と通時的分析の重要性を指摘し 本論文全体のまとめとしている

( 続紙 2 ) ( 論文審査の結果の要旨 ) 本論文は 個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式 文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり 認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる 本論文の理論的貢献は 言語が認知的作用を反映したものであるという認知言語学の観点を具象化した類型論のあり方を提示していることにある これまでにも認知類型論と呼ばれる研究は見受けられるものの それらは機能言語学的類型論の流れを汲むものである 本論文のように 事態把握に関わる主体 客体の認知モードという認知的次元から言語の多様性を捉える研究こそが真に認知言語類型論であると言え 特筆に値する さらに本論文は 認知言語学で Langacker らにより提唱されている 主体化 のモデルの諸側面を詳細に考察し その妥当性を批判的に検討している点で 理論的に一石を投じている 主体化 の認知メカニズムにより言語形式 文法カテゴリを創発させる日本語の観点からすると Langacker の主体化のモデル自体も客観的パラダイムの域を脱してはいないとする指摘は興味深く 主体化に関わる研究全般に重大な問題提起を行うものである 本論文は日本語の文法事象を中心に扱っており その記述 分析の面においても 射程の広さと事例観察の綿密さが評価される 分析対象として 格 時制 主語 目的語 自動詞 他動詞 態 形容詞といった広範な現象を横断的に扱い 本論文の主張する日本語の 主体化による認知モード によって一貫した説明が試みられており それらがいずれも西欧的パラダイムによる言語研究で標準的に使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが 説得力をもって示されている このように本論文で提示された研究内容は 従来の日本語学での記述を中心とする伝統から見ると少なからず斬新さを呈したものであると言える 日本語学で所与のものとして適用されてきた 動詞の自他 や 態 といった文法概念そのものの再検討を迫るという点で 本論文は日本語学研究にも一定の貢献をなすものである また 本論文は日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが その主張は単なる理論的憶測ではなく 万葉集や源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり 言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる 本論文の最大の特徴は 日本語に存在する文法カテゴリや語彙の創発という 言語起源に関わる根源的な問題に果敢に挑んでいる点であると言える それらの創発の原理として 認知モード 事態把握との類像性を想定するという分析の方向性は独創的である また 日本語は膠着言語であることから オノマトペをはじめとする語彙の構成に 音象徴 の原理が用いられ 特定の意味が結合した特定の音の重層化により語彙が形成されているという第 9 章での主張も興味深い これらの主張の妥当性をさらに具体的に論証していくことが今後の課題である 加えて本論文では 日本語が歴史的に 文字を持たない言 語 であったために 主体化の認知モード が保持され 談話の イマ ココ に

制約された事態把握の結果として言語形式 文法カテゴリが創発したという見方が示されているが 歴史的に文字を持たなかった言語が日本語に限らないにも関わらず日本語が主体化の認知モードを保持したのはなぜか 文字を含めた言語の発展や他言語との接触の有無などの要因を十分に考慮し 議論を尽くすことが今後さらに求められる 以上の課題が指摘されるものの 本論文は共時的な言語事例と通時的な言語事例とを並行的に分析し 日本語の言語現象全般と個別現象の解明を目指した統合的研究であり 認知言語類型論という新たな研究視点を提供している点で 学術的価値は高いと判断される 本論文によって示された知見が及ぼす影響は多岐にわたる 言語学においては 種々の言語現象の統一的な解明を目指す類型論のデザインが提示されたことにより 日本語において未解明の言語現象に対し論理的説明が可能となることが見込まれる このような取り組みを他の諸言語に適用し 主体化 と 客体化 を両極とするスケール上で事態把握の認知モードを適切に位置づけることにより 言語形式や文法カテゴリの創発理由を包括的に分析することが可能となる また 事象が認知主体を離れて 客体的 に成立しているというパラダイムに対し 認知の主体と対象とが認識論的に一体化するという 主体化 のパラダイムは 言語哲学の分野にも関連性を有するものであり 今後の発展性が見込まれる さらに 高等学校の英語教員である執筆者の教育経験も本論文に寄与しており これからの第二言語教育にも成果を還元することができる 外国語を習得する際に障壁となるのは母語との相違であり 特に本論文で指摘されたように 説明の道具立てとして使用される文法用語に言語間で互換性がない場合 理解は極めて困難となる 母語および当該第二言語において なぜ特定の言語形式や文法カテゴリを創発させているかを論理的に説明することで 有効な指導と学習が促進されることが期待される よって 本論文は博士 ( 人間 環境学 ) の学位論文として価値あるものと認める また 平成 26 年 11 月 26 日 論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果 合格と認めた なお 本論文は 京都大学学位規程第 14 条第 2 項に該当するものと判断し 公表に際しては当該論文の全文に代えてその内容を要約したものとすることを認める 要旨公表可能日 : 2015 年 3 月 24 日以降