最近 筆者は海外担当としてASEAN諸国への出張が多くなりました どの国もGDPの成長率が高く 今日よりも明日が絶対に良くなる ことを信じて 未来へ向かって行こうとする熱意とバイタリティーを感じます さらに言えるのはITを利用した新たなサービスの充実です 例えばタクシーと乗客をスマホでマッチングするウーバー(Uber )の普及です 某国の国際空港のタクシー乗り場は 昔は出口からすぐのところにありましたが 今は一番端の辺鄙なところにあります つまり ウーバーでのマッチング乗り場がメインとなり 旧来型の順番待ちをするタクシー乗り場は隅に追いやられてしまったというわけです 同じような波が戦史研究の分野でも押し寄せています 現在ではデジタル化されている文献も多く グーグル検索すれば容易に情報が得られるようになりました また 画像検索で多種多様な写真を確認し クロスチェックもできるようになりました 逆に言うと いい加減な写真解説はすぐに化けの皮が剥がれるというわけです さらにそういうことを契機に知り合った最近の海外の研究者は20 歳台が多く ASEAN諸国の人々も少なくありませんし その情熱と探求心には驚かされるばかりです 翻って日本の状況を考えるとお寒い風景が広がります もはやドイツ軍の戦史研究家は50 歳以上しかいなくなって絶滅寸前です 元々これらの人たちは年少の頃にタミヤの模型に魅入られて人生を方向付けられた(笑)人が少なくないのですが 今後は是非 ガルパン で人生を取り乱す(?)であろう人たちが後継者となってもらいたいと筆者は切に願う次第です ともかく加齢による能力の衰えは ITでなんとかカバーしながら 高いクオリティーの ラスカン を目指して今後も頑張っていきたいと思いますので 応援をよろしくお願いいたします 2018年1月12 日高橋慶史はじめに
目次 CONTENTS 第 Ⅰ 部 3 第 1 章第 2 章第 3 章第 4 章 すべてはアラーの思し召し [ 第 287( アラブ ) 特別連隊 ] 5 チャンドラ ボースの夢 [ 第 950( インド ) 歩兵連隊 ] 49 自由をわが手に [SS 第 14 武装擲弾兵師団 ( ガリツィア第 1)] 91 民族独立のために [SS 第 20 武装擲弾兵師団 ( エストニア第 1)] 133 第 Ⅱ 部 185 第 5 章第 6 章第 7 章第 8 章 空軍地上師団ついに戦わず [ 第 14 空軍地上師団 ] 187 ノルウェーの森 [ 第 25 戦車師団 / 戦車師団 ノルヴェーゲン ] 229 千年帝国の落日 [ オストプロイセンの戦い序曲 ] 277 ( 狩りをする ) 豹たちに明日はない [ 戦闘団 ヴィーキング ] 321
Ⅰ 第 3 部 partⅠ
第 Ⅰ 部 第 1 章 すべてはアラーの思し召し 第 287( アラブ ) 特別連隊 ドイツ軍における外国人義勇兵部隊は筆者の大好きな分野なのですが どうしてもテーマとしては武装 SSの部隊に偏ってしまうきらいがあります 武装 SSの外国人義勇兵部隊については SS 第 11 義勇機甲擲弾兵師団 ノルトラント などはパンターまで装備していてそれなりの活躍をしていますし その他についても独特の徽章やSS 迷彩服などのウリとなる話題があります 確かにコサック義勇兵なんかは 派手な民族衣装や騎兵の兵装など絵になる写真があり それなりにネームバリューもあり ストーリー性にも富んでいるので読み物にもなります でも よく考えたらコサックも武装 SSの一員なんですね 武装 SS 以外の義勇兵部隊は顔つき ( 笑 ) ぐらいが変わっている程度で あとはほかのドイ ツ軍歩兵と同じ装備で まったく話題性には欠けるので プラモデルやダイオラマのネタにはならないという悩みがあります しかも 戦闘記録もろくに残されていないので 血湧き肉躍るお話もできません ( 笑 ) 特に非ヨーロッパ系外国人義勇兵部隊については 淡々と戦ってあっさり降伏するか 全滅するか はたまたひたすら逃げるかのどれかです 従って 戦史的には非常に地味なのですが 彼らに対して倒錯的変質的愛情を見いだしている筆者としては 少しでも彼らにスポットを当てて 彼らの苦労に報いるのが使命だと思うわけです ということで ネタとしては無理筋を承知の上で 非ヨーロッパ系外国人義勇兵の代表格として 本書の輝かしい第 1 章では知られざるアラブ義勇兵のお話をご紹介しましょう part Ⅰ The Last of the Kampfgruppe VI chapter 1
6 1特別本部F(Sonderstab F )1941年4月3日 イラクでは政変が起こり 親英派のヌーリー アッ=サイード首相が失脚し 親独派のラシード アリー アル=ガイラーニーが首相となった これに対して イギリス軍はバスラに1個旅団を上陸させたほか 中東から部隊を進撃させて軍事介入し 5月2日にはアッバニーヤ付近でイラク陸軍との間で戦闘が行なわれた ドイツ軍はヴィシーフランス領シリアから航空支援などを行なったが 結局 5月30 日にはイギリス軍がバクダードへ入城し イラクはイギリスと休戦条約を結び ラシード アリー アル=ガイラーニーはドイツへと亡命した このイギリス イラク戦争の最中の5月末 ドイツ軍はOKW内部にイラク支援のための組織 すなわち 特別本部F(Sonderstab F ) を設置し ヘルムート フェルミ空軍大将を司令官に任命した 特別本部Fの任務は 当初は航空機によるイラク軍に対する補給支援 工作員や諜報員の潜入などであったが 次第にアラブ世界全体に対するプロパガンダ 政治活動や義勇部隊の設立など多目的任務を遂行することとなった なお 言わずもがなであるが F はフェルミの頭文字である 義勇部隊については 新独派のエルサレムのイスラム教最高指導者ハジ アミン エル フセイン師と亡命したアル=1941 年 5 月 イギリス イラク戦争においてバクダード郊外で反撃のために待機するイギリス空軍所属の第 2 装甲中隊のロールス ロイス ( フォードソン ) 装甲車 同車両はボーイズ対戦車ライフル ヴィッカース機関銃とブローニング M1917 機関銃を各 1 挺装備していた 写真の車両は 砲塔上の銃架に 97 発入り円盤形弾倉を付けたルイス軽機関銃を装備している (IWM CM923)
7 第 Ⅰ 部第 1 章ガイラーニー元イラク首相の尽力もあり 1941年7月にギリシャ/アッティカ地方のスニオンにおいて ドイツ アラブ教導大隊が設立された (*1 )さらに特別本部Fは 1941年7月24 日付で第288特別戦隊(Sonderverband )の編成をポツダムで開始した この部隊は純然たるドイツ人部隊であったが 砂漠や熱帯地方の経験者が集められ 多くはフランス外人部隊の兵士であった 戦隊指揮官にはオットー メントン大佐が任命され 兵力は約2000名 装備車両数は500台というもので 実質的には高度に自動車化された快速部隊であり いわゆるイギリス軍のLRDG(長距離砂漠偵察グループ)に対抗するものであった 従って 主要任務は長距離偵察 戦線後方の破壊 欺瞞工作などであった (*2 )なお ドイツアフリカ機甲軍がエジプトから中近東へ進撃するさいには 先鋒部隊として投入される計画であり このために第800zbV建設教導連隊 ブランデンブルク /第11 中隊が配属されていた ヒマラヤ登山の経験を有するヴィルヘルム フェント中尉率いるこの中隊の兵力は164名であり 会話のさいには26 ヶ国語が飛び交っていたという 若い兵士の大半はドイツ系パレスチナ人であり アラビア語 ペルシャ語が堪能でシリアやイラクでの砂漠戦を想定していた (*3 )ちなみに 第288特別戦隊や後述する第287特別戦隊ポツダムで集結中の第 288 特別戦隊の車両群 おそらくは 1942 年春から夏にかけて ギリシャへ輸送される直前に撮影されたと思われるスナップ写真で ご覧のとおり当時としては完全に自動車化された有力な部隊であった
8 に用いられた腕章や車両マーキングは ヤシの葉で囲まれた楕円形の中に椰子の木と日の出が描かれ ベースにスワチカが配置されたエキゾチックなものであった 1941年11 月現在の部隊編成の定数は編成図1-1のとおりである (*4 )第288特別戦隊は 1941年11 月22 日に高射砲分隊 装甲車小隊 3個通信分隊 衛生中隊の一部とその他2個中隊 合計189名の部隊がベンガジへ空輸されて防衛部隊に組み込まれたのを皮切りに 1943年3月までに逐次ギリシャから北アフリカへと輸送された 部隊は当初 第90 アフリカ軽師団に配属されたが 独立部隊として臨機応変に運用された 部隊が一躍有名になったのは ビル アケムの戦闘であり ヘッカー工兵戦闘団の一翼を担って山岳中隊 狙撃兵中隊と偵察小隊が奮戦 1942年6月11 日のビル アケム攻略に アテネの南東 20 kmマルコプロ メソギアスへ進駐した第 288 特別戦隊の車両パーク 中型統制車両 40 型シャーシの Sd.Kfz.15( 無線車両 ) はまだ真新しく 各々の右フェンダーには車両ナンバーと 椰子の木と日の出 をあしらった独特のマーキングが鮮やかに描かれている 1942 年夏の撮影である 第 287 および第 288 特別戦隊で用いられたエキゾチックな部隊マーク なお 特別本部 F で 1942 年 9 月に制定されたとする説もある
編成図 1-1 1941 年 11 月第 288 特別戦隊の編成 第 288 特別戦隊指揮官 : オットー メントン大佐 戦隊本部 Stab. 第 1z.b.V.( 特別任務 ) 中隊 ( 旧第 800z.b.V. 建設教導連隊 ブランデンブルク / 第 11 中隊 ) 第 1 小隊 第 2 装甲車小隊 軽機関銃 7 対戦車ライフル 1 Sd.Kfz.221 2 Sd.Kfz.223 2 第 2 山岳兵中隊 第 1 対戦車砲小隊第 2 迫撃砲小隊第 3~ 第 5 狙撃兵小隊 28 mmゲルリヒ砲 1 対戦車ライフル 3 81 mm迫撃砲 2 軽機関銃 各 4 50 mm迫撃砲 各 1 第 3 狙撃兵中隊 第 1 対戦車砲小隊第 2 迫撃砲小隊第 3~ 第 5 狙撃兵小隊 28 mmゲルリヒ砲 3 対戦車ライフル 3 81 mm迫撃砲 2 軽機関銃 各 4 50 mm迫撃砲 各 1 第 4 機関銃中隊 第 1~ 第 2 機関銃小隊 第 3 迫撃砲小隊 重軽機関銃 各 6 81 mm迫撃砲 6 第 5 戦車猟兵中隊 第 1~ 第 2 対戦車砲小隊 第 3 対戦車砲小隊 第 4 突撃砲小隊 軽機関銃 1 37 mm対戦車砲 3 軽機関銃 1 50 mm対戦車砲 2 Ⅲ 号突撃砲 D 型 3 le. 第 6 高射砲中隊 St. le. 第 1~ 第 3 小隊 第 7 工兵中隊 中隊本部 第 1~ 第 2 工兵小隊 軽機関銃 1 20 mm高射砲 各 4 軽機関銃 各 3 第 8 通信中隊 St. 第 1 電話小隊 第 2 無線小隊 軽機関銃 4 軽機関銃 1 ケッテンクラート無線車両 le. 1 個軽歩兵段列 1 個衛生班 輸送トラック 搬送用車両 1 個整備小隊 1 個燃料調査班 整備器材 9 第 Ⅰ 部第 1 章
10 大きな役割を果たした (*5 )その後 第288特別戦隊は 1942年夏までには増強されて連隊規模となり 1942年10 月31 日付で機甲擲弾兵連隊 アフリカ へ増強 改編され 1943年2月に第164アフリカ軽師団に配属された その後は最後まで北アフリカに留まり チュニジア橋頭堡戦を戦い抜いて 1943年5月6日にアフリカ戦車軍とともに連合軍に降伏している (*6 )なお 機甲擲弾兵連隊 アフリカ へ増強 改編の直前である1942年8月26 日付の第288特別戦隊は 2個大隊編成で 編成図1-2のような編成定数であった これを見るとわかるとおり 牽引式とはいえ28 mmゲルリヒ対戦車砲24 門 50 mm対戦車砲48 門を装備する強力な攻撃力を有する自動車化部隊であったが どこまで人員 装備が充足していたか気になるところである (*7 )アフリカのベンガジ近郊で撮影された第 288 特別戦隊の無線車両 折り畳み式アンテナを装備する屋根にはジェリ缶が積まれている 部隊マーキングがないが フロントガラスの K1 という記号で同戦隊のそれとわかる 1942 年夏から秋にかけての撮影と思われる
第 288 特別戦隊 / 第 5 戦車猟兵中隊の Ⅲ 号突撃砲 D 型を捉えた貴重なスナップ写真 北アフリカでは各部隊を転々としたが どうやらイタリアのアリエテ機甲師団に配属時の撮影らしい 残念ながら場所と時期は不明 後方で焼け焦げているのは Ⅲ 号戦車 ( おそらく G 型 ) で その背後には M3 軽戦車の隊列が写っている 編成図 1-2 1942 年 8 月 26 日付第 288 特別戦隊の編成第 288 特別戦隊指揮官 : オットー メントン大佐 戦隊本部 旧第 1z.b.V.( 特別任務 ) 中隊 Stab. St. 通信中隊 軽機関銃 4 偵察中隊 装甲車小隊 工兵小隊 オートバイ小隊 Sd.Kfz.221/Sd.Kfz.223 3 軽機関銃 7 第 Ⅰ~ 第 Ⅱ 大隊第 1~ 第 4 中隊 ( 第 5~ 第 8 中隊 ) ( 自動車化 ) 大隊本部軽機関銃 各 18 重軽機関銃 各 2 81 mm迫撃砲 各 2 28 mmゲルリヒ砲 各 3 50 mm対戦車砲 各 6 Stab. 第 9 歩兵砲中隊 第 10 工兵中隊 75 mm軽歩兵砲 4 150 mm重歩兵砲 2 軽機関銃 10 重軽機関銃 2 81 mm迫撃砲 3 28 mmゲルリヒ砲 3 50 mm対戦車砲 3 le. 第 11 軽高射砲中隊 第 288 補給段列 第 288 野戦主包帯所 20 mm軽高射砲 12 11 第 Ⅰ 部第 1 章