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一行アキ 百四十五行之内一行 那古寺寄進之 一行アキ 別筆 自那古寺宥範法印総持院住頼覚御附属云々 永禄八年軋三月上旬 家国 花押 右の記述は 古文書としての 寄進状 の形式には適っ ておらず 本来は 寄進状 として存在したものではな く 本経の末尾に付されたものと考えることが妥当と思わ れる 実際に経典の末尾に寄進者や伝持者が一紙を貼付し てその記事 識語 を書き留める例は多々存する この記述によれば 本経は 本来 極楽寺第六世であっ た日公大徳が大覚寺住持であった折に伝領していたもの を 永禄八年 一五六五 三月上旬に足利家国が那古寺に 寄進したものであることが知られる 前述の如く 極楽寺第六世 大覚寺 については未 だこの確証を得ていな いが 足利家国については その花 9 押からも人物を確定することが可能である 足利家国は 次の系図の如く 古河公方足利氏の一族である 12