Ⅱ 地 域 再 生 等 担 い 手 育 成 支 援 セミナー
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13:00 受 付 13:30 開 会 の 挨 拶 地 域 再 生 と 協 議 会 等 による 取 組 の 課 題 都 市 地 域 レポート 2007 の 趣 旨 と 人 材 育 成 の 今 後 の 課 題 国 土 交 通 省 都 市 地 域 整 備 局 企 画 課 14:00 地 域 の 取 組 の 現 状 と 課 題 16:00 持 続 性 ある 地 域 再 生 組 織 づくりに 向 けて ( 講 義 と 討 論 ) [ 講 師 ] 塚 本 一 郎 氏 ( 明 治 大 学 経 営 学 部 教 授 ) 17:30 終 了 18:30 懇 親 会 9:30 現 地 見 学 神 楽 坂 のコンシェルジュの 取 組 [ 講 師 ] 山 下 馨 氏 (NPO 法 人 粋 なまちづくり 倶 楽 部 ) 12:00 昼 食 13:30 地 域 振 興 と 効 果 的 な 地 域 からの 情 報 発 信 ( 講 義 と 討 論 ) [ 講 師 ] 小 柳 英 雄 氏 ( JTBパブリッシング 広 告 部 顧 問 地 域 情 報 総 研 顧 問 ) 栗 林 幸 生 氏 ( JTBパブリッシング 広 告 部 広 告 企 画 課 長 ) 15:30 終 了 - 12 -
栗 島 明 康 : 国 土 交 通 省 都 市 地 域 整 備 局 企 画 課 長 - 13 -
近 藤 共 子 : 国 土 交 通 省 都 市 地 域 整 備 局 企 画 課 地 域 整 備 企 画 官 - 14 -
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1 九 十 九 里 サロン( 千 葉 県 大 網 白 里 町 他 12 市 町 村 ) 小 川 氏 - 16 -
2 こらっしぇ 稲 取 協 議 会 ( 静 岡 県 東 伊 豆 町 ) 渡 邊 氏 - 17 -
3 熊 野 市 地 域 再 生 等 担 い 手 育 成 支 援 事 業 運 営 協 議 会 ( 三 重 県 熊 野 市 ) 雑 賀 氏 - 18 -
4 宇 和 島 地 域 ブランド 化 推 進 事 業 実 行 委 員 会 ( 愛 媛 県 宇 和 島 市 ) 谷 口 氏 - 19 -
5 三 宅 島 人 材 受 け 入 れ 連 携 協 議 会 ( 東 京 都 三 宅 村 ) 五 辻 氏 - 20 -
6 田 舎 暮 らし 楽 園 信 州 推 進 協 議 会 ( 長 野 県 県 及 び 県 内 29 市 町 村 ) 西 沢 氏 - 21 -
7 山 村 資 源 活 用 協 議 会 ( 愛 知 県 東 栄 町 ) 伊 藤 氏 - 22 -
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8 海 士 町 人 材 受 入 協 議 会 ( 島 根 県 海 士 町 ) 青 山 氏 - 24 -
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講 師 塚 本 一 郎 氏 : 明 治 大 学 経 営 学 部 教 授 - 26 -
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意 見 交 換 - 33 -
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山 下 馨 氏 :NPO 法 人 粋 なまちづくり 倶 楽 部 - 37 -
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資 料 - 48 -
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神 楽 坂 の 由 来 旅 所 があるため 神 輿 が 通 るときに 神 楽 の 音 が 聞 こえたという 説 と 神 社 の 神 楽 の 音 が 聞 こえたから という 説 がある 地 蔵 坂 ( 藁 坂 ) 地 蔵 坂 は 藁 を 売 る 店 があったことから 藁 坂 とも 呼 ばれている 光 照 寺 ( 牛 込 城 跡 ) 徳 川 家 康 が 江 戸 城 に 入 府 するまで 牛 込 氏 の 居 城 があった その 後 城 は 取 り 壊 され 神 田 にあっ た 光 照 城 が 移 転 してきた 新 暦 調 御 用 所 ( 天 文 屋 敷 ) 跡 宝 暦 歴 のずれを 正 すため 江 戸 で 最 初 の 天 文 台 が 置 かれた - 50 -
袖 摺 坂 道 幅 が 狭 いため 人 と 人 がすれ 違 う 時 に 振 袖 が 当 たったことから 袖 摺 坂 と 呼 ばれるようになっ たと 言 われている 料 亭 神 楽 坂 には 老 舗 の 料 亭 が 多 いが 料 亭 が 潰 れた 跡 地 にマンションが 建 設 されている 赤 城 神 社 群 馬 県 の 赤 城 山 麓 出 身 の 牛 込 氏 や 太 田 道 潅 とゆかりのある 神 社 である 料 亭 神 楽 坂 には 老 舗 の 料 亭 や 袋 小 路 が 多 く 残 って いる その 他 近 年 では 老 舗 の 料 亭 が 潰 れ その 跡 地 にマンショ ンなどの 高 層 建 築 物 が 建 設 されている - 51 -
相 馬 屋 明 治 中 期 に 和 半 紙 だった 原 稿 用 紙 を 尾 崎 紅 葉 の 助 言 で 洋 紙 にして 日 本 で 初 めて 売 り 出 した 漱 石 白 秋 啄 木 逍 遥 といった 明 治 の 文 豪 が 愛 用 作 家 自 筆 の 原 稿 を 展 示 している 北 原 白 秋 の 原 稿 尾 崎 紅 葉 旧 居 跡 尾 崎 紅 葉 がこの 地 に 住 んだのは 明 治 二 十 四 年 二 十 五 歳 の 二 月 からである 金 色 夜 叉 の 完 結 をみず 同 三 十 六 年 十 月 三 十 日 この 地 に 没 した 野 坂 昭 如 の 原 稿 芸 術 倶 楽 部 跡 島 村 抱 月 終 焉 の 地 島 村 抱 月 が 松 井 須 磨 子 と 共 に 芸 術 倶 楽 部 を 創 立 して 新 劇 運 動 をすすめたのがこの 地 であり 新 劇 発 祥 の 地 といえる 抱 月 は 大 正 7 年 11 月 流 行 性 感 冒 から 肺 炎 を 併 発 し 死 去 須 磨 子 は 翌 年 1 月 にこの 倶 楽 部 で 抱 月 の 後 を 追 った - 52 -
路 地 裏 の 飲 食 店 1 会 場 前 で 路 地 裏 の 飲 食 店 の 歴 史 や 特 徴 についての 説 明 を 受 ける 案 内 人 も 商 業 者 であり 和 装 で 案 内 路 地 裏 の 飲 食 店 2 左 手 前 の 店 は 伊 勢 藤 夏 でもクー ラーがなく ビールと 日 本 酒 しかおいていない 昔 ながらの 頑 固 な 経 営 で 有 名 路 地 裏 の 飲 食 店 3 路 地 裏 には 昔 からの 飲 食 店 が 多 い が 最 近 では 住 宅 を 改 装 して 飲 食 店 に 変 わっているものも 増 えている 路 地 裏 の 飲 食 店 4 女 優 木 暮 美 千 代 さんの 妹 が 経 営 する 割 烹 旅 館 有 名 な 監 督 などが 連 泊 して シナリオなどを 書 き 上 げる 左 : 正 面 の 建 物 は 昨 年 TVドラマ 拝 啓 父 上 様 の 舞 台 となった 割 烹 TVの 視 聴 率 も 高 く 新 しい 町 歩 きの ポイントとなる 右 : 新 築 された 路 地 裏 の 飲 食 店 1 階 は 景 観 の 協 定 として 黒 塀 が 指 定 されており そのデザインを 導 入 して いる - 53 -
金 沢 の 金 箔 を 扱 う 老 舗 が 神 楽 坂 に 進 出 こんにゃくで 作 ったタオルなど 健 康 に 優 しいグッズを 開 発 している 店 員 は 女 性 で 女 性 の 視 点 からの 商 品 開 発 やレイアウトを 心 がけている 若 い 女 性 に 評 判 がよい 昔 からの 老 舗 助 六 草 履 が 元 々の 扱 い 品 中 央 の 写 真 は 昔 ながらの 帳 場 で 骨 董 のレジスターを 使 っている 右 端 は 長 年 の 功 労 をたたえた 賞 状 額 の 中 央 は 初 代 コロンビアローズが 客 として 来 店 したときのもの 神 楽 坂 商 店 街 にある 中 華 料 理 店 ここの 肉 まん は 有 名 で 土 曜 日 や 日 曜 日 には 列 が 並 ぶ 遠 くからも 買 い 物 にくる 店 頭 での 販 売 もしている 神 楽 坂 上 の 大 久 保 通 りの 北 部 神 楽 坂 通 り 商 店 会 からも 離 れているが 賃 料 などが 比 較 的 安 く 新 しいお 店 が 少 しずつ 増 えている このお 店 は 世 界 のチーズを 扱 っており 最 近 人 気 が 増 えてきている - 54 -
毘 沙 門 天 ( 善 国 寺 ) 山 ノ 手 七 福 神 のひとつ 神 楽 坂 毘 沙 門 天 階 段 脇 には 虎 の 像 がたってい る 毘 沙 門 天 前 の 案 内 板 まちの 人 で 案 内 板 を 作 成 目 の 前 の 神 楽 坂 は 意 識 的 に 車 道 を 狭 く 歩 道 を 広 くしている 商 店 街 の 近 代 化 に 伴 い ハー ド 面 だけでなく ソフトの 仕 掛 けをしていきたい 旅 館 和 可 菜 多 くの 著 名 作 家 たちが 逗 留 し 執 筆 活 動 を 行 った 和 可 菜 前 の 石 畳 の 通 り 神 楽 坂 でも 有 名 な 撮 影 スポット スケッチの 名 所 寺 内 公 園 この 一 帯 は 行 元 寺 という 寺 があっ た 江 戸 時 代 境 内 の 細 い 路 地 の 一 部 が 遊 行 の 地 となり 神 楽 坂 の 花 柳 界 が 発 祥 したと 伝 えられ ている 筑 土 八 幡 神 社 神 社 は 高 台 にある 階 段 途 中 に 石 造 の 鳥 居 があり 境 内 には 金 太 郎 を 作 曲 し た 田 村 虎 蔵 の 顕 彰 碑 がある - 55 -
神 楽 坂 若 宮 八 幡 神 社 源 頼 朝 が 藤 原 氏 と 義 経 討 伐 の 際 当 地 で 下 馬 し 戦 勝 祈 願 したとされ 奥 州 平 定 後 この 地 に 鶴 岡 八 幡 宮 ( 鎌 倉 )の 御 神 体 を 勧 請 したと 伝 えられている 若 宮 公 園 武 家 地 だった 歴 史 を 生 かし 門 柱 や 塀 で 囲 まれた 武 家 屋 敷 をイメージして 造 られた 公 園 大 手 門 通 り 牛 込 城 の 大 手 門 に 通 じていた 通 り 現 在 はマンションになっているが 明 治 時 代 には 神 楽 坂 で 一 番 大 きな 料 亭 松 が 枝 ができ 昭 和 時 代 には 大 物 政 治 家 の 出 入 りも 頻 繁 にあった 東 京 神 楽 坂 組 合 ( 見 番 ) 神 楽 坂 地 区 の 料 亭 と 芸 妓 からなる 団 体 芸 者 の 手 配 玉 代 の 計 算 な どを 行 う 事 務 所 神 楽 坂 花 柳 界 の 最 盛 期 には 700 人 近 い 芸 者 衆 がいたが 現 在 は 芸 妓 が30 名 ほどである 熱 海 湯 階 段 趣 きある 階 段 写 真 やスケッチの 名 所 でもある 神 楽 坂 には このような 細 い 路 地 が 多 く 存 在 する - 56 -
講 師 小 柳 英 雄 氏 : JTB パブリッシング 広 告 部 顧 問 地 域 情 報 総 研 顧 問 栗 林 幸 生 氏 : JTB パブリッシング 広 告 部 広 告 企 画 課 長 小 柳 氏 - 57 -
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栗 林 氏 - 66 -
意 見 交 換 - 67 -
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木 庭 克 典 : 国 土 交 通 省 都 市 地 域 整 備 局 企 画 課 課 長 補 佐 1-75 -
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1. 講 座 1 1 票 2. 講 座 2 2 票 3. 講 座 3( 現 地 見 学 ) 7 票 4. 講 座 4 4 票 - 77 -