第 1 回 熱 海 検 定 問 題 あたみおんせん れきし じゅうよう い ち げんせん なな ゆ じょうき 1 熱 海 温 泉 の 歴 史 に 重 要 な 位 置 をしめてきた7つの 源 泉 熱 海 七 湯 のなかで 温 泉 の 蒸 気 で 卵 む お かんこうきゃく にんき を 蒸 すザルが 置 かれている 観 光 客 に 人 気 のスポット たまご おおゆ 1 大 湯 こさわ ゆ 2 小 沢 の 湯 かわら ゆ 3 河 原 湯 のなか ゆ 4 野 中 の 湯 おおゆ てんぴょうしょうほうがんねん あたみ かいちゅう ねっとう ふ だ ひとびと こま 2 大 湯 天 平 勝 宝 元 年 (749) 熱 海 の 海 中 で 熱 湯 が 噴 き 出 して 人 々 が 困 っていることを 聞 こね こんごういん しょうにん きとう ちじょう うつ かんけつせん い た 箱 根 の 金 剛 院 の 上 人 が 祈 祷 によって 海 中 の 熱 湯 を 地 上 に 移 してできた 間 欠 泉 だと 言 われて います その 上 人 き い まんがん 1 万 巻 上 人 とくもと 2 德 本 上 人 ゆいねん 3 唯 念 上 人 まつだい 4 末 代 上 人 けいちょう いえやす とうじ おとず いこう とくがわけ ふか 3 慶 長 9 年 (1604)に 家 康 が 湯 治 に 訪 れて 以 降 徳 川 家 と 熱 海 とのかかわり 深 くなりました だいしょうぐんいえつな え ど じょう ゆ こ ごようくみ ゆ お く じ ねんかん 4 代 将 軍 家 綱 から 江 戸 城 に 熱 海 の 湯 を 運 ぶ 御 用 汲 湯 ( 御 汲 み 湯 ) が 始 まりましたが 8 年 間 たる にわたって 3643 樽 もの 湯 を 運 ばせた 将 軍 14 代 徳 川 家 綱 つなよし 25 代 徳 川 綱 吉 よしむね 38 代 徳 川 吉 宗 いえる 410 代 徳 川 家 治 ふる しゅげんどうじょう し えん ぎょうじゃ たき う しゅぎょう つた いわや ちか 4 古 くから 修 験 道 場 として 知 られ 役 の 行 者 が 滝 に 打 たれて 修 行 したと 伝 わる 窟 の 近 くに くに めずら よこあなしきげんせん げんざい ふくげん わが 国 でも 珍 しい 横 穴 式 源 泉 ( 現 在 復 元 ) があります その 源 泉 せい 1 清 ざ えもん ゆ の 湯 左 衛 門 し ゆ 2 走 り 湯 ふ ろ ゆ 3 風 呂 の 湯 さ じろう ゆ 4 佐 治 郎 の 湯 あたみ な ぜんこく ひろ おざきこうよう こんじき やしゃ 5 熱 海 の 名 を 全 国 に 広 めるきっかけとなったの 尾 崎 紅 葉 の 金 色 夜 叉 です 熱 海 の 海 岸 し わす さけ しゅじんこう かんいち みょうじ 月 17 日 ぼくこの 日 を 死 ぬまで 忘 れない と 叫 んだ 主 人 公 貫 一 の 苗 字 かいがん で 1 しぎさわ 1 鴫 沢 とみざわ 2 富 沢 ざま 3 間 みやじま 4 宮 島 うんこう じ めいしょ の ほうだい 6 平 成 10 年 に 運 行 が 始 まった 熱 海 の 名 所 をめぐるバス 800 円 で 一 日 乗 り 放 題 ボランティア しゃない あんない ガイドが 車 内 で 案 内 をしています このバス 1 湯 ~ 湯 ~バス 2 遊 ~ 湯 ~バス 3 遊 ~ 遊 ~バス 4 湯 ~ 遊 ~バス
ちゅうしんぶ とうげ む とちゅう ひめ さわこうえん し き つう うつく 7 熱 海 市 中 心 部 から 熱 海 峠 へ 向 かう 途 中 に 姫 の 沢 公 園 があります 四 季 を 通 じて 美 しい 草 花 たの 楽 しむことができますが ここにない 園 くさばな を えん 1サボテン 園 2ツツジ 園 3アジサイ 園 4シャクナゲ 園 かいじょう なびたいかい まいかいおお けんぶつきゃく にぎ 8 海 上 花 火 大 会 熱 海 の 大 きなイベントとして 毎 回 多 くの 見 物 客 で 賑 わい 平 成 22 年 に 熱 わん かいさい よてい たいふう たいか ふっこう しせい きねん 海 湾 で12 回 の 開 催 が 予 定 されています 台 風 や 大 火 からの 復 興 と 市 制 15 周 年 の 記 念 として 第 1 じ 回 が 行 われたこの 花 火 大 会 始 まった 年 しょうわ 1 昭 和 17 年 2 昭 和 27 年 3 昭 和 37 年 4 昭 和 47 年 あじろちいき ふる した じもと そざい かていりょうり きゅう 9 網 代 地 域 で 古 くから 親 しまれてきた 地 元 の 素 材 を 使 った 家 庭 料 理 が このほどB 級 グルメとし きゃっこう て 脚 光 を 浴 びています その 料 理 1イカメンチ 2タコメンチ 3キンメメンチ 4カニメンチ こくさい しまい ゆうこう と し ていけい し 10 熱 海 市 が 国 際 姉 妹 ( 友 好 ) 都 市 提 携 をしているの サンレモ 市 (イタリア) カスカイス 市 (ポ じゅかい ちゅうごく こくない ルトガル) 珠 海 市 ( 中 国 )です 国 内 の 姉 妹 都 市 まつやま し 1 松 山 市 べっぷ し 2 別 府 市 かるいざわまち 3 軽 井 沢 町 あしや し 4 芦 屋 市 おんせん まち ぜんこく な じ あたみまち た が むら がっぺい しせいしこう 11 温 泉 の 町 として 全 国 にその 名 を 知 られ 始 めた 熱 海 町 多 賀 村 との 合 併 による 市 制 施 行 を 考 かんが え ごぜん き ちょうみん りょかん べっそうたいざいしゃ にんずう ちょうさ ある 年 の 1 月 3 日 の 午 前 0 時 を 期 して 町 民 旅 館 別 荘 滞 在 者 の 人 数 を 調 査 し 31,156 人 の 人 かくにん たんじょう 数 を 確 認 して 熱 海 市 が 誕 生 しました その 年 たいしょう 1 大 正 12 年 しょうわ 2 昭 和 2 年 3 昭 和 12 年 4 昭 和 22 年 き とり いろ 12 熱 海 市 の 木 アタミザクラ 熱 海 市 の 鳥 カモメ 熱 海 市 の 色 スカイブルー です な 熱 海 市 の 花 1ウメ 2ツツジ 3ジャカランタ 4ブーゲンビリア
ゆいいつ りとう つしましょう ちゅうがっこう へいせい ねんどじどう にん せいと 13 静 岡 県 唯 一 の 離 島 にある 初 島 小 中 学 校 平 成 21 年 度 児 童 13 人 生 徒 10 人 の 小 さな 学 校 で み き さっきょく ちきゅう まる し こども こうか さくししゃ 三 木 たかし 作 曲 の 地 球 の 丸 さを 知 る 子 供 たち という 校 歌 があります その 作 詞 者 なかやましんぺい 1 中 山 晋 平 あ く 2 阿 久 ゆう 悠 きたらくしゅう 3 北 原 白 秋 やしふ み こ 4 林 芙 美 子 んにゃいん 14 般 若 院 の 縁 起 えんぎ へいあん 平 安 時 代 じだい ご にさかのぼり その 後 そうとうさん せっち 走 湯 山 般 若 院 として 設 置 されました ここに 重 要 な 文 化 財 がありますが ここにないもの さまざま へんせん めいじ じだい 様 々 な 変 遷 をたどって 明 治 時 代 に 現 在 地 じゅうよう げんざいち に ぶんかざい いずさんごんげんりゅうぞう きちょう 文 化 財 である 伊 豆 山 権 現 立 像 などの 貴 重 かんのんぞう 1 観 音 像 こうぼうだいしぞう 2 弘 法 大 師 像 ほんちぼうじぞう 3 本 地 坊 地 蔵 しちふくじん 4 七 福 神 ほ ぜんいん にほん が か 15 保 善 院 に 日 本 画 家 たけうちせいほう ふでづか つ め つめ ときわず いえもと 竹 内 栖 鳳 の 筆 塚 や 徒 免 ( 爪 ) 塚 常 磐 津 の 家 元 さんぞう ついとう しゃみせん 三 蔵 を 追 悼 する 三 味 線 きんせいしょ つた てんしょう おだわら せ 塚 などがありますが 禁 制 書 も 伝 えられています この 禁 制 書 天 正 の 小 田 原 攻 めの さい むしゃ らんぼう ほうか きん か じんぶつ 際 武 者 による 乱 暴 や 放 火 を 禁 じたものです この 禁 制 書 を 書 いた 人 物 とよとみひでよし 1 豊 臣 秀 吉 ほうじょううじまさ 2 北 条 氏 政 だ て まさむね 3 伊 達 政 宗 ほりひでまさ 4 堀 秀 政 たいしょう しょうわ しょき べっそう こうきゅうりょかん ふ じもと とくさんぶつ りよう か ぐ み 16 大 正 昭 和 初 期 別 荘 や 高 級 旅 館 が 増 えた 熱 海 で 地 元 の 特 産 物 を 利 用 して 家 具 や 身 の 回 しなじな せいさく しょくにん おお でんとうこうげいひん げんざい みゃくみゃく u つ の 品 々 を 製 作 する 職 人 が 多 くいました 熱 海 の 伝 統 工 芸 品 として 現 在 でも 脈 々 と 受 け 継 がれ ているもの まわ り よせぎざいく 1 寄 木 細 工 くすのき ざいく 2 楠 細 工 らでんざいく 3 螺 鈿 細 工 たけざいく 4 竹 細 工 たいしょう ちゃっこう たんな こんなん こうじ へ しょうわ かいつう 17 大 正 7 年 (1918)に 着 工 した 丹 那 トンネル 困 難 な 工 事 を 経 て 昭 和 9 年 (1934)に 開 通 しま じゅんしょくしゃ めい さいじん じんじゃ ふか した その 工 事 殉 職 者 67 名 を 祭 神 とする 丹 那 神 社 にある トンネルとかかわりの 深 い 石 きゅうめいせき 1 救 命 石 えんめいせき 2 延 命 石 せんごくいし 3 千 石 石 ちょうじゅ いし 4 長 寿 石 ゆぜんじんじゃ かん きじゅつ まちが 18 湯 前 神 社 に 関 する 記 述 で 間 違 っているもの おんせん まも がみ すくなびこなのみこと まつ 1 熱 海 温 泉 の 守 り 神 として 少 彦 名 命 を 祀 っている かんとうだいしんさい たお いし 2 関 東 大 震 災 でも 倒 れなかった 石 の 鳥 居 とりい がある くに していてんねんきねんぶつ 3 国 指 定 天 然 記 念 物 になっているクスノキがある あき けんとうさい ゆ く どうちゅう 4 秋 の 献 湯 祭 で 湯 汲 み 道 中 も 再 現 さいげん される
せいれき にんとくてんのう じだい そうけん みなもとのよりとも しゅうふく いまみやじんじゃ 19 西 暦 420 年 ( 仁 徳 天 皇 の 時 代 )の 創 建 といわれ 西 暦 1200 年 に 源 頼 朝 が 修 復 した 今 宮 神 社 さま さいじん しんぽう えびす 様 を 祭 神 としていますが その 神 宝 つちみかどてんのう 1 土 御 門 天 皇 の 剣 つるぎ よりともほうのう 2 頼 朝 奉 納 の 剣 まんがんしょうにん 3 万 巻 上 人 の 方 丈 ほうじょう いえやすほうのう 4 家 康 奉 納 の 剣 かりゅうかい し そ ししょう ぼ ち だいじょうじ めいにち 20 熱 海 花 柳 界 の 始 祖 といわれた 師 匠 の 墓 地 のある 大 乗 寺 で その 命 日 である 4 月 20 日 に 熱 海 の げいぎ あつ きび けいこ いた おうぎ しゃみせん げん ばち た あ くようさい 芸 妓 さんが 集 まって 厳 しい 稽 古 で 傷 んだ 扇 や 三 味 線 の 弦 や 撥 を 焚 き 上 げる 供 養 祭 が 行 す その 師 匠 おこな われま わかすぎ な 1 若 椙 おのえおとすけ 2 尾 上 音 助 よろずや きく 3 万 屋 お 菊 ばんどう みよきち 4 坂 東 三 代 吉 いずさんじんじゃ げんじさいこう ねが よりとも そうとうごんげん あじゃ り かくえん し じ ばくふ 21 伊 豆 山 神 社 源 氏 再 興 を 願 った 頼 朝 が 走 湯 権 現 の 阿 闍 梨 覚 淵 に 師 事 していたことから 幕 府 せいていご ただい ひ ご う つづ じんじゃ ひほう げんそん にほん 制 定 後 多 大 な 庇 護 を 受 け 続 けました 神 社 の 秘 宝 とされる 重 要 文 化 財 で 現 存 するなかで 日 本 さいだい たか しんぞう 最 大 の 高 さ(212.2 cm)といわれる 神 像 だんしん にょ しんぞう 1 男 神 女 神 像 そうとうごんげんりゅうぞう 2 走 湯 権 現 立 像 だんしんりゅうぞう 3 男 神 立 像 こまいぬ 4 狛 犬 めいじいしんご じつぎょうか せいこう こうたいし のち たいしょうてんのう ごようてい 22 明 治 維 新 後 実 業 家 として 成 功 し 皇 太 子 ( 後 の 大 正 天 皇 )のために 熱 海 御 用 邸 を 建 築 じぶん しょゆうち くないしょう ていきょう じんぶつ あたり 自 分 の 所 有 地 を 宮 内 省 に 提 供 した 人 物 けんちく するに いわさき やたろう 1 岩 崎 弥 太 郎 さんじょうさねとみ 2 三 条 實 美 くろだきよたか 3 黒 田 清 隆 おおくぼとしみち 4 大 久 保 利 通 きうんかくべっかん たいざい にんげんしっかく だいに しゅき しっぴつ だん かずお さくひん しょうかい 23 起 雲 閣 別 館 に 滞 在 し 人 間 失 格 の 第 二 の 手 記 までを 執 筆 壇 一 雄 の 作 品 で 紹 介 された 熱 つ うま じけん し か 海 付 け 馬 事 件 をもとにして 走 れメロス を 書 いた 人 物 じんぶつ なるしまりゅうほく 1 成 島 柳 北 ながいかふう 2 永 井 荷 風 だざいおさむ 3 太 宰 治 ふなしせいいち 4 舟 橋 聖 一 やまい とうきょう にしやまちょう べっそう りょうかんそう うつ す な まんようしゅう けんきゅうしゃ 24 病 のため 東 京 から 西 山 町 の 別 荘 ( 凌 寒 荘 )に 移 り 住 み 亡 くなるまで 万 葉 集 の 研 究 者 と ぎょうせき のこ あたみちゅうがっこう こうか さくし めいげつうたかい してすぐれた 業 績 を 残 すとともに 熱 海 中 学 校 の 校 歌 の 作 詞 や 名 月 歌 会 の 選 者 こうけん 熱 海 に 貢 献 した 人 物 せんじゃ としても さ さ き のぶつな 1 佐 佐 木 信 綱 あいづやいち 2 会 津 八 一 とくとみ そほう 3 徳 富 蘇 峰 よ さ の あきこ 4 与 謝 野 晶 子
い ず ぶたい ちょさく きんだい にほん だいひょう さっか い ず じょせつ 25 伊 豆 を 舞 台 とした 著 作 もある 近 代 日 本 を 代 表 する 作 家 ですが そのエッセイ 伊 豆 序 説 の 中 ゆ き しゃ よ とうじ しんこんりょこうきゃく 熱 海 行 きの 汽 車 をシャレてロマンスカアと 呼 ぶ と 当 時 の 熱 海 への 新 婚 旅 行 客 の 多 しょうかい じんぶつ 紹 介 した 人 物 なか で おお さを しまざきとうそん 1 島 崎 藤 村 かわばたやすなり 2 川 端 康 成 おさらぎ じろう 3 大 佛 次 郎 みしま ゆ き お 4 三 島 由 紀 夫 たかむらこううん こうてい やまもとずいうん し じ ぶんかくんしょう じゅしょう あと さい ぼっ 26 高 村 光 雲 の 高 弟 である 山 本 瑞 雲 に 師 事 し 1979 年 に 文 化 勲 章 を 受 章 した 後 も93 歳 で 没 するま おお ぼくちょうさくひん かいが とうげい んが しょ げいじゅつりょういき そうさく で 多 くの 木 彫 作 品 をじめ 絵 画 陶 芸 版 画 書 など さまざまな 芸 術 領 域 にわたり 創 作 う めいよしみん しました 熱 海 生 まれで 熱 海 市 の 名 誉 市 民 でもあるこの 人 物 じんぶつ よこやまたいかん 1 横 山 大 観 たけうちせいほう 2 竹 内 栖 鳳 さわだせいこう 3 澤 田 政 廣 うめらりゅうざぶろう 4 梅 原 龍 三 郎 だいじょうかん せいどさいご だじょうだいじん めいじ き とき とうじごてんちあと げんざい 27 太 政 官 制 度 最 後 の 太 政 大 臣 で 明 治 11 年 熱 海 に 来 た 時 当 時 御 殿 地 跡 ( 現 在 の 中 央 町 ちゅうおうちょう )に がっこう あたみがっこう きごう へんがく げんざい だいいちしょうがっこう のこ あった 学 校 に 熱 海 学 校 と 揮 毫 し その 扁 額 現 在 も 熱 海 市 立 第 一 小 学 校 に 残 されています この 人 物 いとうひろぶみ 1 伊 藤 博 文 さんじょうさねとみ 2 三 条 實 美 くろだきよたか 3 黒 田 清 隆 おおくぼとしみち 4 大 久 保 利 通 めいじ ふ じ や りょかん かいじょう おこな よんしゃ かいだん き にほん かた 28 明 治 14 年 (1881)1 月 富 士 屋 旅 館 を 会 場 にして 行 われた 四 者 会 談 明 治 期 の 日 本 のあり 方 な あ けんせいしじょう し さんかしゃ いぶみひろぶみ くろだきよたか を 話 し 合 ったもので 憲 政 史 上 熱 海 会 談 として 知 られています 参 加 者 伊 藤 博 文 黒 田 清 隆 いのうえかおる のこ 井 上 馨 そして 残 りの 人 物 じんぶつ ふくざわ 1 福 沢 ゆ 諭 きち 吉 ごとうしんぺい 2 後 藤 新 平 おおくましげのぶ 3 大 隈 重 信 いわくら ともみ 4 岩 倉 具 視 おざきこうよう ふでづか ゆうじん いわやさざなみ ひ だいじ きごう いらい 29 尾 崎 紅 葉 の 筆 塚 紅 葉 の 友 人 であった 巌 谷 小 波 に 碑 の 題 字 筆 塚 の 揮 毫 を 依 頼 し 昭 和 しょうわ 7 せっち となり く ひ へいち きざ 年 (1932)に 設 置 されました その 隣 に 紅 葉 の 句 碑 も 併 置 されています その 句 碑 に 刻 まれた い み つぎ ことば 句 の 意 味 次 のどの 言 葉 から かめいりゅうあん 1 花 明 柳 暗 おんしんびょうどう 2 怨 親 平 等 おんこちしん 3 温 故 知 新 いっせきにちょう 4 一 石 二 鳥
かまなりやへいしち かん きじゅつ まちが 30 釜 鳴 屋 平 七 に 関 する 記 述 で 間 違 っているの ばくまつ ききん さい あみもと りょうし がわ だいかん ごうそ 1 幕 末 の 飢 饉 に 際 し 網 元 でありながら 漁 師 の 側 にたって 代 官 に 強 訴 した ちじょうじま るけい とちゅう おおしま びょうし 2 八 丈 島 に 流 刑 となり 途 中 の 大 島 で 病 死 した さいばん めいじいしんご いそ 3 漁 師 と 網 元 との 裁 判 明 治 維 新 後 に 漁 師 の 敗 訴 になった めいよしみんさわだせいこう ぞう むしゃのこうじさねあつ 4ムーンテラスに 名 誉 市 民 澤 田 政 廣 による 像 と 武 者 小 路 実 篤 による 碑 文 ひぶん がある かん きじゅつ まちが 31 オールコックに 関 する 記 述 で 間 違 っているの しょだい ちゅうにち 1 初 代 のイギリス 駐 日 公 使 こうし である きこくご たいくん みやこ あらわ こうかん にほん しょう 2 帰 国 後 大 君 の 都 を 著 し 好 感 をもって 日 本 を 紹 介 かい した ちょうしゅうん かんもんかいきょう よんかこくれんごう ほうふく 3 長 州 藩 が 関 門 海 峡 を 封 鎖 した 際 四 カ 国 連 合 の 長 州 藩 報 復 に 反 対 4ムーンテラスにレリーフがある んたい した おんせん うみやま けしき しきおりおり くさばな たの あい かれ ちょうか げん 32 温 泉 や 海 山 の 景 色 四 季 折 々 の 草 花 を 楽 しみ 熱 海 をこよなく 愛 した 彼 熱 海 町 歌 ( 現 さくし ぞうしょ としょかん じんぶつ )を 作 詞 しました また 彼 の 蔵 書 がもとになって 現 在 の 熱 海 市 立 図 書 館 ができました この 人 物 し か 市 歌 さ さ き のぶつな 1 佐 佐 木 信 綱 つぼうちしょうよう 2 坪 内 逍 遙 ゆかわひでき 3 湯 川 秀 樹 し が なおや 4 志 賀 直 哉 ぶんかくんしょうじゅしょうしゃ めいよしみん すぎもと そのこ れきしさっか かつやく こしゅう 33 文 化 勲 章 受 章 者 で 熱 海 市 名 誉 市 民 である 杉 本 苑 子 歴 史 作 家 として 活 躍 し 孤 愁 の 岸 きし で なおきしょう じゅしょう おお さくひん あらわ かつどう ば じたく 直 木 賞 を 受 賞 するなど 多 くの 作 品 を 著 しています そうした 活 動 の 場 であった 自 宅 文 化 しせつ かんり こうかい めいしょう 施 設 として 熱 海 市 が 管 理 し 公 開 しています その 名 称 きねんかん 1 杉 本 苑 子 記 念 館 ぶんがくかん 2 杉 本 苑 子 文 学 館 さいえん 3 彩 苑 そうさく いえ 4 創 作 の 家 つしま なが あいだ けん いえ てら とうみょうじ んのうんぎょ せいかつ いとな 34 初 島 長 い 間 41 軒 の 家 と 一 つのお 寺 ( 東 明 寺 )によって 半 農 半 漁 の 生 活 が 営 まれてきまし げんざい おおて しんしゅつ ぎょぎょう かんこう みんしゅく しょくどう しま ほんど たが 現 在 大 手 ホテルも 進 出 し 漁 業 と 観 光 ( 民 宿 と 食 堂 )の 島 となりました 本 土 か きょり らのおよその 距 離 12キロメートル 212キロメートル 322キロメートル 432キロメートル
めいじ やまもとこういち か あたみっけい とうばん ふうけい なか 35 明 治 21 年 (1888)に 山 本 光 一 が 描 いた 熱 海 八 景 の 陶 板 がサンデッキにあります その 風 景 の 中 いちばんちか でサンデッキに 一 番 近 いところにあるもの よこいそ ばんりょう 1 横 磯 の 晩 涼 きのみや ほととぎす 2 来 宮 の 杜 鵑 うおみさき きん 3 魚 見 﨑 の 帰 帆 おんせんじ こしょう 4 温 泉 寺 の 古 松 おお げいぎ うた おど れんしゅう げ にほんぶんか けいしょう つと 36 熱 海 で 多 くの 芸 妓 さんが 唄 や 踊 りの 練 習 に 励 み 日 本 文 化 の 継 承 に 努 めています その 芸 な まい 妓 さんたちによる 華 の 舞 や 熱 海 を お つかわ ぞ どり の 会 場 にもなっている 初 川 沿 いにある 施 設 しせつ げいぎおきや 1 芸 妓 置 屋 げいぎけいこば 2 芸 妓 稽 古 場 げいぎけんばん 3 芸 妓 見 番 げいぎえんぶじょう 4 芸 妓 演 舞 場 ゆいいつ けんちくぶつ 37 熱 海 で 唯 一 の 建 築 物 の 重 要 じゅうよう ぶんかざい きゅうひゅうがべってい ちかしつ しぜん ゆうごう にほんけんちく 文 化 財 旧 日 向 別 邸 の 地 下 室 自 然 と 融 合 した 日 本 建 築 の 美 でんとう ぶんか す ば あい けんちくか せっけい しさや 伝 統 文 化 の 素 晴 らしさを 愛 した 建 築 家 の 設 計 によるものです その 建 築 家 うつく 1ブルーノ タウト たんげけんぞう 2 丹 下 健 三 よしだ い そ や 3 吉 田 五 十 八 4フランク ロイド ライト ゆうけいぶんかざい きうんかく さいしょ けんちくぬし かいうんおう い うちだしんや でんとうてき 38 熱 海 市 の 有 形 文 化 財 起 雲 閣 の 最 初 の 建 築 主 海 運 王 と 言 われた 内 田 信 也 で 伝 統 的 な 建 び にほんかおく とくちょう ご どくそうてき せいようしき ぶつ くわ げんざい 築 美 を 伝 える 日 本 家 屋 が 特 徴 ですが その 後 独 創 的 な 西 洋 式 建 築 物 を 加 えて 現 在 の 姿 じんぶつ た 人 物 すがた にし らさんけい 1 原 三 渓 たなかいとへい 2 田 中 糸 平 ね づ かいちろう 3 根 津 嘉 一 郎 ふじわらぎんじろう 4 藤 原 銀 次 郎 れっしゃ うんこう じ たんな かんせい ごてんば けいゆ 39 昭 和 9 年 (1934)12 月 1 日 から 列 車 の 運 行 が 始 まった 丹 那 トンネルの 完 成 御 殿 場 を 経 由 して とうかいどうせん けいゆ ってん おお やくわり さいしょ でんしゃ つうか いた 東 海 道 線 が 熱 海 経 由 となり 熱 海 の 発 展 に 大 きな 役 割 を 果 たしました 最 初 の 電 車 の 通 過 じかん なが 時 間 9 分 20 秒 でしたが トンネルの 長 さ 15804メートル 26804メートル 37804メートル 48804メートル びじゅつかん にほんどくじ しそうぶんか び せかいじんるい たの こうじょう し 40 MOA 美 術 館 日 本 独 自 の 思 想 文 化 美 によって 世 界 人 類 を 楽 しませながら 文 化 の 向 上 に 資 しんねん さまざま びじゅつひん こうかい しょぞうひん こくほう してい すること という 信 念 のもとに 様 々 な 美 術 品 を 公 開 しています 所 蔵 品 のうち 国 宝 に 指 定 され ているもの こうく ばいずびょうぶ 1 紅 白 梅 図 屏 風 ゆ な ず 2 湯 女 図 じゅかびじんず 3 樹 下 美 人 図 まきえすずりばこ 4 蒔 絵 硯 箱
きのみやじんじゃ くに していてんねんきねんぶつ たか やく みきまわ やく 41 来 宮 神 社 にある 国 指 定 天 然 記 念 物 のクスノキ 高 さ 約 26 メートル 幹 回 り 約 24 メートルあり ぜんこくだい い きょ じゅ 全 国 第 2 位 の 巨 樹 です およその 樹 齢 じゅれい 1500 年 21000 年 32000 年 43000 年 きのみやじんじゃ れいたいさい てんぐ むぎ ある まつ よ 42 来 宮 神 社 の 例 大 祭 で 天 狗 が 麦 こがし をまきながら 歩 くため こがし 祭 り とも 呼 ばれ けん していむけいみんぞく ぶんかざい かしまおど ほうのう しない ほか 県 指 定 無 形 民 俗 文 化 財 鹿 島 踊 り を 奉 納 しています 鹿 島 踊 り 市 内 の 他 の 神 社 でも 奉 納 して まい いますが 鹿 島 踊 り 以 外 の 舞 を 奉 納 している 神 社 つきじんじゃ 1 初 木 神 社 わ だ き じんじゃ 2 和 田 木 神 社 た が じんじゃ 3 多 賀 神 社 あじこ じんじゃ 4 阿 冶 古 神 社 しょうがつ ぜんねん けっこん なむこ きよ みず たば くまざさ かいすい ふ しゅくふく ぎょうじ 43 正 月 2 日 前 年 に 結 婚 した 花 婿 に 清 め 水 として 束 ねた 熊 笹 で 海 水 を 振 りかけ 祝 福 する 行 事 みず あ しき していむけいみんぞくぶんかざい おこな 水 浴 びせ 式 熱 海 市 指 定 無 形 民 俗 文 化 財 です これを 行 っている 神 社 じんじゃ いずさんじんじゃ 1 伊 豆 山 神 社 しもたがじんじゃ 2 下 多 賀 神 社 つしまじんじゃ 3 津 島 神 社 いまみやじんじゃ 4 今 宮 神 社 こいびと せいち かん きじゅつ まちが 44 熱 海 にある 恋 人 の 聖 地 に 関 する 記 述 で 間 違 っているの せんてい 1 恋 人 の 聖 地 プロジェクトが 選 定 した だんじょ てがた の ねが 2 男 女 が 手 形 に 手 を 乗 せ 願 う せっち 3ムーンテラスに 設 置 されている げんざい ぜんこく かしょ 4 現 在 全 国 に50カ 所 程 ほど ある めいじ おだわら やく じかんいじょう ひと お 45 明 治 29 年 (1896)3 月 小 田 原 から 熱 海 までの 約 25 キロメートルを 4 時 間 以 上 もかかって 人 が 押 し じんしゃ てつどう かいつう とうじ えき して 走 ったトロッコのような 人 車 鉄 道 が 開 通 しました その 当 時 の 熱 海 駅 があった 場 所 ばしょ きのみやえき 1 来 宮 駅 2 熱 海 駅 さきみちょう なんめい 3 咲 見 町 ( 南 明 ホテル 付 近 ふきん ) ひがしかいがんちょう ふるやりょかん 4 東 海 岸 町 ( 古 屋 旅 館 付 近 ふきん ) かまくら じだい さまざま できごと きろく あづまかがみ ほうじょう まさこ 46 鎌 倉 時 代 の 様 々 な 出 来 事 が 記 録 してある 吾 妻 鏡 に 北 条 政 子 が 源 みなもとの よりとも 頼 朝 の 一 周 忌 いっしゅうき に いずさんごんげん まんだら ほうのう しる げんざい いずさんじんじゃ たからもの 伊 豆 山 権 現 に 曼 荼 羅 を 奉 納 したと 記 されており 現 在 伊 豆 山 神 社 の 宝 物 となっています めいしょう その 名 称 きものまんだら 1 着 物 曼 荼 羅 とうつ まんだら 2 頭 髪 曼 荼 羅 おび まんだら 3 帯 曼 荼 羅 ふで まんだら 4 筆 曼 荼 羅
うおみさきふきん づ ずいどう めいじ じんりき 47 魚 見 崎 附 近 に 総 切 石 積 みの 隧 道 (トンネル)があります 明 治 43 年 (1910)に 人 力 で 完 成 ぜんちょう くに とうろくゆうけいぶんかざい もので 全 長 113m 平 成 14 年 に 国 の 登 録 有 形 文 化 財 になりました その 名 称 めいしょう かんせい した 1 熱 海 隧 道 かんぎょどう にしきがうら 2 観 魚 洞 隧 道 3 魚 見 崎 隧 道 4 錦 ヶ 浦 隧 道 めいじ じん じゅれい いじょう しずおかけん していてんねん 48 明 治 4 年 (1871)にイタリア 人 によって 熱 海 にもたらされた 樹 齢 100 年 以 上 の 静 岡 県 指 定 天 然 きねんぶつ まえ しょくぶつ 記 念 物 がニューフジヤホテル 前 にあります その 植 物 1ワシントンヤシ 2ナツメヤシ 3カナリーヤシ 4ココヤシ え ど じだい ぎょぎょう かいせんぎょう あじろ ち く きょう おおさか あじろ い 49 江 戸 時 代 から 漁 業 や 廻 船 業 で 栄 えた 網 代 地 区 京 大 阪 に 江 戸 網 代 とも 言 われ 賑 めいじ たいしょうき ぎょほう かいぜん つと ってん き よ あみもと っていました 明 治 大 正 期 に 漁 法 の 改 善 に 努 め 網 代 の 漁 業 の 発 展 に 寄 与 した 網 元 の 建 物 くに とうろくゆうけいぶんかざい 平 成 16 年 に 国 の 登 録 有 形 文 化 財 に 指 定 されました その 名 称 めいしょう にぎ わ たてもの が きくまけじゅうたく 1 菊 間 家 住 宅 おかもとけじゅうたく 2 岡 本 家 住 宅 ひよしけじゅうたく 3 日 吉 家 住 宅 ひらいけじゅうたく 4 平 井 家 住 宅 なが あいだ しょせつ いずさんじんじゃ さんどういしだん かず ちょうさ せいしき 50 長 い 間 諸 説 があった 伊 豆 山 神 社 の 参 道 石 段 の 数 が 平 成 22 年 2 月 14 日 の 調 査 によって 正 式 いしだんすう じもとかんこうきょうかい にんてい に 伊 豆 山 神 社 石 段 数 として 神 社 と 地 元 観 光 協 会 に 認 定 されました その 段 数 1873 2738 3783 4837