文 化 財 庭 園 保 存 技 術 者 協 議 会 会 報 2013.7 第 22 号 編 集 発 行 : 文 化 財 庭 園 保 存 技 術 者 協 議 会 ( 代 表 : 廣 瀬 慶 寛 ) 600-8361 京 都 市 下 京 区 大 宮 通 花 屋 町 上 ル NPOみどりのまちづくり 研 究 所 内 TEL:075-341-2600 FAX:075-361-0961 評 議 会 連 絡 所 : 606-8371 京 都 市 左 京 区 北 白 川 瓜 生 山 2-116 京 都 造 形 芸 術 大 学 日 本 庭 園 歴 史 遺 産 研 究 センター TEL:075-791-9018 FAX:075-791-9342 東 京 連 絡 所 : 169-0051 東 京 都 新 宿 区 西 早 稲 田 1-6-3 福 田 ビル3F 文 化 財 庭 園 保 存 技 術 研 究 センター TEL:03-3202-5233 FAX:03-3202-5394 平 成 25 年 度 総 会 研 修 会 のご 案 内 平 成 25 年 度 総 会 研 修 会 を 下 記 の 通 り 開 催 いたします 今 回 の 教 養 研 修 では 文 化 庁 より 講 師 をお 招 きし 具 体 的 な 事 例 を 交 えご 講 演 頂 いた 後 国 指 定 史 跡 の 旧 二 条 離 宮 ( 二 条 城 )など の 見 学 を 行 います 実 技 技 能 研 修 では 京 都 市 内 の 国 指 定 名 勝 円 山 公 園 にて 庭 園 についてのご 解 説 を 頂 き 空 間 構 成 管 理 方 針 について 会 員 諸 氏 と 討 議 しつつ 実 際 の 庭 園 において 技 術 研 修 会 を 行 います 庭 園 の 様 々な 事 柄 について 率 直 な 意 見 交 換 が 期 待 できます ふるってご 参 加 ください 平 成 25 年 7 月 26 日 ( 金 ) 会 場 : 京 都 社 会 福 祉 会 館 ( 京 都 府 京 都 市 上 京 区 猪 熊 丸 太 町 下 る 中 之 町 ) 12:45 受 付 開 始 ( 京 都 社 会 福 祉 会 館 1 階 第 1 会 議 室 ) 13:00 総 会 開 会 14:00 教 養 研 修 ( 講 演 会 ) 本 中 眞 氏 ( 文 化 庁 記 念 物 課 主 任 文 化 財 調 査 官 ) 名 勝 の 保 護 について 尼 崎 博 正 氏 ( 京 都 造 形 芸 術 大 学 教 授 評 議 会 員 ) 二 条 城 二 之 丸 庭 園 について 15:25 実 地 技 能 研 修 史 跡 旧 二 条 離 宮 ( 二 条 城 ) 特 別 名 勝 二 条 城 二 之 丸 庭 園 17:00 閉 会 現 地 指 導 : 尼 﨑 博 正 氏 ほか 平 成 25 年 7 月 27 日 ( 土 ) 会 場 : 名 勝 円 山 公 園 ( 京 都 府 京 都 市 東 山 区 円 山 町 ) 9:00 ~ 17:00 実 技 技 能 研 修 平 成 25 年 7 月 28 日 ( 日 ) 会 場 : 名 勝 円 山 公 園 ( 京 都 府 京 都 市 東 山 区 円 山 町 ) 9:00 ~ 15:00 実 技 技 能 研 修 15:00 ~ 15:30 講 評 15:30 閉 会 総 会 会 場 場 所 京 都 社 会 福 祉 会 館 ( 京 都 府 京 都 市 上 京 区 猪 熊 丸 太 町 下 る 中 之 町 519 右 図 ) 交 通 機 関 JR 京 都 駅 より 市 バス 二 条 城 前 または 堀 川 丸 太 町 下 車 徒 歩 5 分 もしくは 地 下 鉄 二 条 城 前 下 車 徒 歩 8 分 ( 公 共 交 通 機 関 をご 利 用 下 さい)
平 成 24 年 度 実 地 技 能 研 修 会 京 都 府 内 で 開 催 される 平 成 25 年 1 月 20 日 ( 日 ) 京 都 府 八 幡 市 内 会 場 として 石 清 水 八 幡 宮 境 内 ならびに 松 花 堂 美 術 館 庭 園 にて 実 地 技 能 研 修 を 開 催 しました その 概 要 をご 報 告 致 します 当 日 はケーブルで 山 上 にあがり 徒 歩 で 石 清 水 神 社 の 社 殿 にむかい まず 本 殿 前 で 石 清 水 八 幡 宮 の 神 道 権 禰 宜 より 八 幡 宮 の 由 緒 などについてご 説 明 いただきました その 後 社 務 所 前 の 重 森 三 玲 作 庭 の 枯 山 水 の 庭 を 見 学 し 庭 園 内 の 石 燈 籠 について 尼 崎 博 正 評 議 会 員 よりご 説 明 いただき 続 いて 境 内 の 松 花 堂 跡 では 八 幡 市 教 育 委 員 会 文 化 財 保 護 課 の 大 同 真 白 係 長 と 小 森 俊 寛 主 幹 に 昭 和 59(1984) 年 度 に 行 われた 発 掘 調 査 と 復 元 整 備 事 業 についての 概 要 をご 説 明 いただきました また 当 時 松 花 堂 跡 の 発 掘 調 査 を 担 当 されていた 田 中 哲 雄 評 議 会 員 からは 発 掘 調 査 当 時 の 様 子 をより 詳 しくご 解 説 いただきました さらに 江 戸 時 代 初 頭 に 松 花 堂 昭 乗 が 住 職 を 務 めた 滝 本 坊 跡 に 移 動 し 小 森 主 幹 より 平 成 22(2010) 年 度 の 発 掘 調 査 の 成 果 や 往 時 の 滝 本 坊 の 様 相 について 解 説 いただきました 昼 食 をはさんで 午 後 は 再 びケーブルで 下 山 し 松 花 堂 美 術 館 庭 園 へ 向 かいました まず 美 術 館 会 議 室 で 大 洞 係 長 より 造 営 の 経 緯 や 平 成 24(2012) 年 度 からの 修 復 整 備 な どの 概 況 をご 説 明 いただき 本 協 議 会 の 監 事 で もある( 株 ) 空 間 文 化 開 発 機 構 の 真 鍋 建 男 所 長 に よる 補 足 説 明 の 後 庭 園 内 を 見 学 しました 園 内 では 石 清 水 八 幡 宮 境 内 より 明 治 年 間 に 移 された 泉 坊 書 院 の 凝 った 造 りや 実 物 の 古 墳 の 墳 丘 を 断 ち 割 るようにして 築 かれた 築 山 のあ 研 修 の 様 子 ( 石 清 水 八 幡 宮 ) る 庭 園 の 由 緒 や 作 庭 の 時 期 などについて 評 議 会 員 や 参 加 の 会 員 からの 様 々な 指 摘 や 質 問 が 出 されました そして 大 洞 係 長 小 森 主 幹 にお 答 えいただく 中 で さらに 議 論 を 進 めながら 見 学 を 行 いました 最 後 に 中 村 一 評 議 会 員 から 先 生 が 八 幡 市 にお 住 まいになる 前 後 の 八 幡 市 の 文 化 財 保 護 行 政 の 様 子 などもご 披 露 いただき 最 後 に 講 評 をいただき 閉 会 となりました 平 成 24 年 度 実 地 技 能 研 修 会 岩 手 県 内 で 開 催 される 平 成 24 年 度 は 1 月 の 京 都 府 内 での 研 修 に 続 き 3 月 19 日 ( 火 ) 20 日 ( 水 )にも 岩 手 県 内 にて 実 地 技 能 研 修 を 開 催 しました その 概 要 をご 報 告 致 します 19 日 ( 火 )は 世 界 遺 産 ともなった 平 泉 の 文 化 財 庭 園 を 中 心 に 見 学 を 行 いました 一 関 駅 前 に 集 合 の 後 バスで 向 かった 最 初 の 会 場 は 特 別 名 勝 毛 越 寺 庭 園 でした 毛 越 寺 では 本 協 議 会 の 設 立 発 起 人 でもある 毛 越 寺 藤 里 明 久 執 事 長 より ご 挨 拶 と 毛 越 寺 の 沿 革 や 近 年 の 動 向 などのご 説 明 をいただきました その 後 庭 園 を 一 巡 し 過 去 の 発 掘 調 査 や 整 備 の 経 緯 については 平 泉 町 平 泉 文 化 遺 産 センター 菅 原 計 二 文 化 財 調 査 員 から 東 日 本 大 震 災 により 傾 いた 中 島 の 立 石 を 据 え 直 した 災 害 復 旧 事 業 に 際 しての 洲 浜 や 立 石 の 状 況 復 旧 事 業 の 成 果 などについては 支 援 会 員 でもある( 株 ) 環 境 事 業 計 画 研 究 所 の 吉 村 龍 二 所 長 からご 説 明 いただきました 特 に 周 囲 を 土 嚢 で 仕 切 られ 全 体 を 観 察 できるようになっていた 中 島 につ いては 参 加 者 の 興 味 もひとしおで 多 くの 質 問 が 飛 び 交 いました また この 災 害 復 旧 事 業 の 施 工 を 担 当 した 本 協 議 会 の 副 代 表 でもある 庭 匠 植 清 の 徳 村 盛 市 代 表 や 同 じく 研 修 会 員 の 徳 村
高 秀 氏 からも 施 工 の 様 子 などに ついて ご 説 明 いただきました 続 いて 徒 歩 で 毛 越 寺 に 隣 接 す る 名 勝 旧 観 自 在 王 院 庭 園 に 移 動 し 昼 食 をはさんで 特 別 史 跡 無 量 光 院 跡 と 史 跡 柳 之 御 所 ( 平 泉 遺 跡 ) 跡 を 見 学 しましたが 発 掘 調 査 や 整 備 の 経 緯 については 引 き 続 き 菅 原 文 化 財 調 査 員 にご 説 明 いただき ました 平 泉 での 研 修 後 バスで 宮 古 市 内 へ 移 動 しました 夕 刻 には 夕 食 もかねた 懇 親 会 が 開 催 され 新 入 研 修 の 様 子 ( 毛 越 寺 ) 会 員 も 含 めた 会 員 間 の 親 睦 を 深 め ると 共 に 翌 日 の 研 修 への 英 気 を 養 っていただきました 翌 20 日 ( 水 )は 当 初 の 予 定 を 変 更 し 平 安 時 代 から 名 所 として 知 られた 名 勝 浄 土 ケ 浜 をまず 見 学 して 後 登 録 記 念 物 の 盛 合 氏 庭 園 を 見 学 しました 当 主 の 盛 合 光 徳 氏 にお 出 迎 えいただ ご 挨 拶 を 頂 戴 して 後 宮 古 市 教 育 委 員 会 文 化 課 市 史 編 纂 室 の 假 屋 雄 一 郎 氏 を 中 心 に 岩 手 県 教 育 委 員 会 生 涯 学 習 文 化 課 の 川 戸 均 氏 宮 古 市 教 育 委 員 会 文 化 課 の 高 橋 憲 太 郎 氏 から 盛 合 氏 庭 園 についてご 説 明 いただきながら 見 学 を 行 いました 盛 合 氏 庭 園 は 江 戸 時 代 中 頃 から 漁 業 などで 財 を 成 した 盛 合 氏 が18 世 紀 末 に 南 部 藩 主 南 部 利 敬 を 迎 えるために 整 備 した 邸 宅 と 庭 園 を 残 し 主 屋 の 前 に 水 を 湛 えた 庭 園 が 展 開 していましたが 東 日 本 大 震 災 で 敷 地 が 浸 水 建 物 が 水 につかる 被 害 を 受 けたのみならず 水 系 が 途 絶 え 池 が 枯 れてしまう 事 態 となりました また 池 の 護 岸 石 組 に 緩 みが 見 られるなど 修 理 が 必 要 な 箇 所 も 見 受 けられたことから 見 学 と 合 わせて 6 月 に 行 う 実 技 研 修 による 修 復 の 基 本 方 針 についても 議 論 が 重 ねられました 盛 合 氏 の 見 学 後 バスで 次 の 見 学 地 である 盛 岡 市 中 央 公 民 館 ( 旧 南 部 氏 別 邸 ) 庭 園 に 移 動 しま した 同 庭 園 では 盛 岡 市 中 央 公 民 館 学 芸 員 の 佐 藤 教 行 氏 をはじめとした 盛 岡 市 教 育 委 員 会 の 方 々にご 説 明 いただきながら 見 学 を 行 いました 当 地 はもともと 南 部 藩 の 御 薬 園 として 造 営 されたものを 藩 主 の 別 邸 に 改 めたものが 原 形 で 明 治 に 現 存 する 主 屋 が 建 築 されるとともに 庭 園 も 整 備 されました 主 屋 の 前 に 橋 の 架 かっ た 中 島 のある 大 池 が 展 開 し 大 池 の 背 後 には 山 が 控 えていることから 大 名 庭 園 ともいわれる 回 遊 式 庭 園 と 近 代 になってからの 庭 園 様 式 を 合 わせたように 感 じられる 庭 園 ですが 残 され た 絵 図 などから 特 に 中 低 木 の 成 長 が 著 しく 中 島 や 大 池 の 護 岸 石 組 など 庭 園 全 体 を 見 渡 す ことができなくなっていることが 問 題 であることが 確 認 されたため 盛 合 氏 庭 園 と 同 じく 6 月 の 研 修 を 目 指 して 研 修 方 針 をまとめていくこととなりました そして 最 後 に 尼 崎 評 議 会 員 より 6 月 の 研 修 を 目 指 して 庭 園 の 作 られた 環 境 や 雰 囲 気 を 現 地 で 肌 で 感 じ 取 り 護 岸 石 組 などの 技 術 的 な 側 面 だけではなく 作 庭 に 当 たっての 美 意 識 な ども 感 じ 取 った 上 で どう 保 存 整 備 していくのかを 考 えていく 必 要 があるとの 講 評 をいただ き 2 日 間 の 日 程 を 終 了 しました
平 成 25 年 度 新 進 芸 術 家 育 成 事 業 ならびに 第 10 回 文 化 財 庭 園 フォーラムを 岩 手 県 宮 古 市 盛 岡 市 にて 開 催 しました 文 化 庁 の 次 代 の 文 化 を 創 造 する 新 進 芸 術 家 育 成 事 業 受 託 による 文 化 財 庭 園 の 保 存 管 理 技 術 全 般 にわたる 長 期 研 修 も 今 回 で3 回 目 となりました この 平 成 25 年 度 は 6 月 11 日 ( 火 )~22 日 ( 土 )に 岩 手 県 宮 古 市 の 登 録 記 念 物 盛 合 氏 庭 園 と 同 県 盛 岡 市 の 盛 岡 市 中 央 公 民 館 ( 旧 南 部 氏 別 邸 ) 庭 園 にて 開 催 しまし 続 く6 月 23 日 ( 日 )には 研 修 成 果 を 発 表 するための 第 10 回 文 化 財 庭 園 フォーラムを 盛 岡 市 中 央 公 民 館 で 開 催 いたしました ここに 一 連 の 研 修 内 容 をご 報 告 させて いただきます ( 両 庭 園 の 沿 革 については 前 述 の3 月 の 実 地 技 能 研 修 の 頄 をご 覧 下 さい ) 11 日 初 日 は 副 代 表 の 水 本 隆 信 正 会 員 や 実 技 技 能 研 修 委 員 の 加 藤 末 男 正 会 員 が 中 心 となって 研 修 方 針 を 確 認 しました 今 回 の 研 修 では 流 れと 池 に 関 しては 導 水 経 路 の 確 保 と 通 水 護 岸 石 組 の 修 復 堆 積 土 などの 除 去 を また 庭 園 全 体 と しては 中 低 木 の 植 栽 管 理 や 倒 壊 した 石 造 品 の 復 旧 を 中 心 に 行 うこととしていま したが まず 池 や 流 れの 状 況 を 確 認 す るため 堆 積 土 などの 除 去 の 作 業 を 中 心 に 始 めることとなりました また 宮 古 市 教 育 委 員 会 文 化 課 の 竹 下 將 男 課 長 をは じめ 同 課 市 史 編 纂 室 の 假 屋 雄 一 郎 氏 など 宮 古 市 教 育 委 員 会 の 方 々におこしいただき 盛 合 氏 庭 園 の 沿 革 をご 説 明 いただくと 共 に 池 底 の 築 造 状 況 などを 確 認 するためのトレンチ 調 査 も 進 めていただきました 盛 合 氏 庭 園 の 当 初 の 状 況 流 れに 堆 積 していた 土 を 取 っていくと 石 敷 きが 現 れてきました その 過 程 で 池 底 への 堆 積 はほとんど 無 く むしろ 流 れの 部 分 に 多 くの 土 砂 が 堆 積 している ことが 判 明 し 堆 積 土 の 除 去 の 作 業 も 流 れを 中 心 にシフトしていった 結 果 流 れは 当 初 見 えて いた 倍 以 上 の 幅 を 有 したことが 明 らかになりました 流 れの 底 には15~20cm 程 度 の 石 が 撒 かれ ていることや 流 れの 上 流 部 は 枯 滝 状 の 石 組 があり そこにも 流 れの 底 と 同 程 度 の 石 が 敷 かれ ており 水 が 流 れていればさぞかしと 思 える 見 事 な 流 れが 作 られていました 石 の 形 状 や 流 れ の 状 態 から 水 量 などに 応 じて 何 回 か 改 修 が 行 われたことも 推 測 されましたが 日 数 も 限 られ ていることから 今 回 は 庭 園 の 遺 構 にまで 影 響 を 及 ぼさない 範 囲 でとどめることとしましたが
これ 程 のものが 出 てくるとは 誰 も 予 想 しておらず 会 員 の 方 からも この 時 が 一 番 面 白 かっ た との 声 もしきりでした 14 日 ( 金 ) 15 日 ( 土 )に は 尼 崎 博 正 田 中 哲 雄 中 村 一 丸 山 宏 の 各 評 議 会 員 も 到 着 され そ れまでの 成 果 を 確 認 する とともに その 後 の 研 修 方 針 についてご 指 導 いた だきました また 15 日 ( 土 )は 文 化 庁 記 念 物 課 の 本 中 眞 主 任 文 化 財 調 査 官 も 加 わり 盛 合 氏 庭 園 にて 見 学 会 と シンポジウムを 開 催 しま した 本 中 主 任 文 化 財 調 査 官 あらわになった 流 れの 様 子 からは 震 災 復 興 と 名 勝 の 保 護 と 題 して 盛 合 氏 の 建 築 の 調 査 などにも 携 わられた( 有 ) 盛 岡 設 計 同 人 の 渡 辺 敏 男 代 表 取 締 役 からは 盛 合 家 住 宅 調 査 成 果 について と 題 して また 岩 手 県 立 博 物 館 学 芸 第 三 課 の 鎌 田 勉 課 長 からは 文 化 財 レスキューについて と 題 してご 講 演 いただきました 盛 合 氏 庭 園 のみならず 文 化 財 は 災 害 とどう 向 き 合 っていくのか またどうやって 文 化 財 を 今 後 も 保 存 継 承 していくかについて 研 修 に 参 加 している 会 員 のみならず シンポジウムの 参 加 者 の 方 々 も 熱 心 に 庭 園 を 見 てまわり 講 師 の 方 々の 説 明 に 耳 を 傾 けていました 石 の 間 に 土 嚢 袋 を 詰 め シートで 覆 い さらに 泥 をかぶせて 目 立 たないようにしました シンポジウムを 終 え 盛 合 氏 庭 園 での 研 修 も 後 半 に 入 ると 植 栽 管 理 や 石 造 品 の 修 理 などと 並 行 して 護 岸 の 取 り 扱 いについても 議 論 がなされました 護 岸 石 組 は 場 所 によって 積 み 方 も 異 なり 石 が 抜 けていると 思 われる 場 所 もあり 護 岸 石 組 自 体 が 改 修 されていたと 考 えられま したが 石 をはずして 元 の 状 況 を 確 認 し 石 を 据 え 直 すのは 日 程 的 にも 無 理 であることから 石 そのものには 手 を 加 えず 石 が 抜 けたり 土 が 流 失 している 部 分 に 土 や 土 嚢 袋 を 補 填 し 土 嚢 袋 が 見 えないよう 吸 出 し 防 止 用 のシートで 覆 うこととしました
また 導 水 の 問 題 については 盛 合 氏 に 出 入 りされ 今 回 の 研 修 でも 道 具 や 資 材 の 調 達 でお 世 話 になった( 有 )タテシタに 手 配 をお 願 いし 埋 設 管 部 分 に 高 圧 洗 浄 をかけていただいた 結 果 詰 まりが 取 れて 水 が 流 れるよう になりました 通 水 したのは 盛 合 氏 庭 園 での 研 修 の 最 終 日 20 日 ( 木 )ということもあり 池 に 水 を 湛 えた 状 態 を 見 ることはか ないませんでしたが 計 画 して いた 修 復 などを 終 え 当 主 の 盛 待 望 の 水 も 流 れてきました 合 光 徳 氏 をはじめ 関 係 者 の 方 々 からお 礼 のお 言 葉 をいただきながら 盛 合 氏 庭 園 を 離 れ 盛 岡 市 内 へ 向 かいました 21 日 ( 金 ) 22 日 ( 土 )は 盛 岡 市 中 央 公 民 館 ( 旧 南 部 氏 別 邸 ) 庭 園 に 会 場 を 移 しての 研 修 となりま した 尼 崎 博 正 龍 居 竹 之 介 田 中 哲 雄 丸 山 宏 の 各 評 議 会 員 に 加 え 文 化 財 指 定 庭 園 保 護 協 議 会 の 亀 山 章 会 長 文 化 庁 記 念 物 課 の 青 木 達 司 調 査 官 ( 独 ) 国 立 文 化 財 機 構 奈 良 文 化 財 研 究 所 景 観 研 究 室 の 平 澤 毅 室 長 など 23 日 ( 日 )のシンポジウムでご 講 演 いただく 先 生 方 にもご 覧 いた だきながらの 研 修 となりました 盛 岡 市 中 央 公 民 館 ( 旧 南 部 氏 別 邸 ) 庭 園 での 研 修 風 景 盛 岡 市 中 央 公 民 館 ( 旧 南 部 氏 別 邸 ) 庭 園 では 池 岸 に 生 える 松 や 低 木 のツツジ 類 を 対 象 とした 植 栽 管 理 を 行 いました 盛 岡 市 中 央 公 民 館 学 芸 員 の 佐 藤 教 行 氏 をはじめとした 中 央 公 民 館 や 同 市 教 育 委 員 会 の 歴 史 文 化 課 の 方 々より 庭 園 についてご 説 明 いただいて 後 盛 岡 市 の 公 園 みど り 課 の 技 術 職 の 方 々も 加 わっての 研 修 となりました 盛 岡 での 研 修 中 は 正 会 員 を 中 心 に3 班 に 分 かれての 作 業 を 行 いましたが 22 日 ( 土 )は 文 化 財 庭 園 保 存 管 理 技 術 の 見 学 会 を 開 催 多 くの 市 民 の 方 にご 見 学 いただきました 樹 木 の 枝 を 切 っていき 樹 木 の 形 が 変 化 していく 様 子 や 込 み 合 った 枝 を 抜 いたり 伸 びた 枝 を 剪 定 していくことで 池 の 対 岸 の 様 子 が 徐 々に 見 えてくる 様 子 にカメラを 構 える 方 も 多 く 作 業 している 会 員 の 皆 さんに 使 っている 道 具 や 薬 剤 のことなど あれこれと 質 問 する 見 学 者 の 方 も 多 くおられました
そして 最 後 に 尼 崎 評 議 会 員 から 技 能 会 員 に 向 けて 庭 園 を 保 存 していくためには 庭 園 のもつ 空 間 性 を 常 に 意 識 しなければ 木 を 見 て 森 を 見 ずの 結 果 に 陥 ってしまうことを 肝 に 銘 じ て 今 後 も 研 鑽 に 励 んで 欲 しいとの 激 励 の 言 葉 をいただいて 実 技 研 修 の 終 了 となりました 最 終 日 の23 日 ( 日 )は 盛 岡 市 中 央 公 民 館 で 文 化 財 庭 園 フォーラムを 開 催 しました 本 協 議 会 の 廣 瀬 慶 寛 代 表 の 開 会 挨 拶 の 後 文 化 庁 記 念 物 課 の 青 木 達 司 調 査 官 の 庭 園 の 保 存 についてのご 講 演 を 皮 切 りに 今 回 の 研 修 の 成 果 や 盛 岡 市 での 文 化 財 庭 園 保 存 について 講 師 の 方 々にご 報 告 いただきました また 文 化 財 指 定 庭 園 保 護 協 議 会 の 亀 山 会 長 にコーディ ネートしていただきディスカッションを 行 い 災 害 時 の 対 応 も 含 めた 今 後 の 文 化 財 保 護 のあり 方 や 市 民 も 交 えた 文 化 財 保 存 などについて 議 論 とまとめが 行 なわれ シンポジウムも 終 了 し 全 日 程 を 無 事 に 終 了 することとなりました なお 研 修 期 間 中 所 有 者 である 盛 合 光 徳 氏 をはじめ 岩 手 県 教 育 委 員 会 宮 古 市 教 育 委 員 会 盛 岡 市 教 育 委 員 会 ならびに( 有 )タテシタの 舘 下 光 利 代 表 取 締 役 や 盛 岡 市 公 園 みどり 課 の 皆 様 関 係 者 の 皆 様 には 本 当 にお 世 話 になりました この 場 を 借 りて 厚 く 御 礼 申 し 上 げます 庭 園 学 講 座 20の 開 催 について 本 協 議 会 で 特 別 教 養 研 修 に 位 置 づけている 京 都 造 形 芸 術 大 学 主 催 の 庭 園 学 講 座 20が 日 本 庭 園 のモダンとポストモダン をテーマに8 月 30 日 ( 金 )から9 月 1 日 ( 日 )の3 日 間 開 催 されます なお 本 講 座 は 昨 年 度 より 会 員 の 皆 様 に 各 自 で 申 し 込 みいただくこととなりました 講 座 の 詳 細 については 同 大 学 の 瓜 生 山 エクステンションセンター ( 電 話 :075-791-9124)へ お 尋 ねいただくか ホームページをご 覧 下 さい なお 本 講 座 の 受 講 に 関 して 研 修 会 員 の 方 については 協 議 会 から 受 講 料 の 一 部 を 補 助 す る 予 定 です 受 講 後 に 受 講 料 の 領 収 書 と 講 座 の 修 了 証 書 の 写 しを 事 務 局 までお 送 り 下 さい 新 規 加 入 会 員 の 紹 介 平 成 25 年 6 月 末 日 で 技 能 会 員 は176 名 支 援 会 員 賛 助 会 員 は21 団 体 4 名 となりました こ こに 新 規 に 入 会 された 方 をご 紹 介 いたします 会 員 区 分 氏 名 所 属 会 員 区 分 氏 名 所 属 準 会 員 補 横 山 至 横 山 造 園 研 修 会 員 齋 藤 絢 子 植 彌 加 藤 造 園 ( 株 ) 準 会 員 補 阪 上 富 男 植 彌 加 藤 造 園 ( 株 ) 研 修 会 員 杉 浦 康 治 ( 株 ) 岩 間 造 園 準 会 員 補 金 光 伸 勇 ( 株 ) 岩 間 造 園 研 修 会 員 内 山 幸 雄 ( 株 ) 三 五 郎 園 準 会 員 補 伊 藤 忠 ( 株 ) 岩 間 造 園 研 修 会 員 上 村 光 裕 ( 株 ) 三 五 郎 園 準 会 員 補 飛 田 幸 男 ( 株 ) 植 幸 研 修 会 員 栗 尾 荘 司 ( 株 )エー エス エー 準 会 員 補 畠 山 勝 敏 ( 株 ) 畠 山 造 園 土 木 研 修 会 員 羽 野 文 貴 花 豊 造 園 ( 株 ) 研 修 会 員 山 本 善 丈 植 彌 加 藤 造 園 ( 株 ) 支 援 会 員 植 彌 加 藤 造 園 ( 株 ) ( 編 ) 岩 手 研 修 総 会 庭 園 学 講 座 と 毎 月 行 事 が 続 きますが 皆 様 奮 ってご 参 加 下 さい 今 回 の 岩 手 研 修 はお 天 気 に 恵 まれ 雨 は2 日 間 ほどで 台 風 の 影 響 もなく 項 調 に 終 え ることができました 今 回 は 全 日 程 参 加 の 方 が7 名 休 みもなく2 週 間 本 当 にお 疲 れ 様 でした 次 回 も 懲 りずによろしくお 願 い 致 します 現 在 ( 株 ) 環 境 事 業 計 画 研 究 所 で 報 告 書 を 作 成 していただておりますので 完 成 次 第 お 届 けします しばしお 待 ち 下 さい それでは 総 会 でお 待 ちしております