医学部百五十年史のための覚え書 図1 この記念の碑碣は 昭和四十四年 一九六九 に石川県医師会館が新築落成 したとき 会館前の道路側西庭地に 平成 十七年 二〇〇五 に金沢市が健康プラザ 大 手町 東 館 を開 館したとき さらに会 館 前敷地の東端に移築された 図2 今回改めて 現存の御臨幸記念石碑の 碑銘文 図3 について再調査したので 報告する 明治天皇 臨幸記念碑 大正天皇 が 次のような 書下し文 がかつて市 医師会に保存されていたので そのまま 紹介する 城北門 河北門 の外に数株の松が立 ち 並んでいる この地が金 沢 市における 医薬学の発祥の地である 考えてみると 明治十一年明治天皇北陸行幸のおり 金沢 医学所を見学し 大正天皇行幸のおり休 まれた跡が 即 ちこの地である 医 学 所 は 明治三年藩主慶寧 十四代前田慶寧 が創設したものである 始め医学館と称 し 後改め金沢医学専門学校となり城東 小立野 に移る 大正十二年金沢医科大 学 金沢医学専門学校が昇格 及び附属 の薬学専門部を置き 以来あおぎみ考 え るに 今 日にいたるまで栄 え 隆 昌 した のは 天 皇及び 藩 主の大 き な 恵みがあっ たからである 昭和三年昭和天皇即 位の 時医師会堂を建て 松下に碑を建て聖蹟 を表し記す 会員に知らしめ 理解して も ら う ため この言 葉 を 挙 げ そのあ ら ましを後人に伝えるため示しておく 20 以前この金沢市医師会の旧敷地には 明 治大正両陛下が北陸巡幸のときに大手町 にあった医学校 金沢大学医学部の前身 に御来駕されたことを記念して 昭和五年 一九三〇 に五段の階段状台石を有する 大きな円柱状の石碑 碑碣 が建てられた 城北門外有松數株儼立 蓋地是爲本市䗭藥發祥 之地按明治十一年 天 皇北巡枉鸞輿於金澤䗭 學所 大正天皇在 行 啓亦駐駕扵 兹其趾即此 地也抑䗭學所明治三年 藩主慶寧公所創設初稱 䗭學館後改金澤䗭學專 門學校尋移於城東大正 十二年陞爲䗭科大學并 置藥學專門部嗟乎剏建 以來多士濟濟松風謖謖 住來膽仰共承共榮終致 今日之 昌其萠實癸扵 兩 天皇及藩主之洪澤 矣昭和三年 今上即位 乃建䗭師會堂扵 松下立 之 石以表 聖蹟 余 余亦爲會員不得以名文 辭乃擧其 使後人更起 夙夜報効之念云 昭和五年庚午冬十一月 䗭學博士 高安右人謹撰 右のように銘は漢文で記されている 図3 記念碑の碑銘文 34 明治大正両天皇臨幸記念碑文について 赤祖父 一知 平成二十三年 二〇一一 十一月六日 に 金沢医学館跡地 の石碑が金沢大学 医学部創立百五十周年の記念事業とし て 大手町金沢総合健康センター東館 二 階 金沢市医師会 の西前庭道路側に建 立された 平成二十四年現在 図1 円形基礎台座石の上に建つ 明治大正両天皇臨幸記念碑 昭和五年建立 金沢市医師会医政史 昭和十八年より 図2 平成十七年現在地に移転された碑碣 第151号 平成24.5.22