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シリーズ人権 しあわせ 形見の万年筆 た 最近 当時の本に目を通しており に読んだ文学の作者の 私が少年時の代 ぶまさ 中に 池田宣政という方がおられまし と頼みました これにサインをして下さい がいゆう けないと思い あきらめました 遊から帰国して三年が 私が この外 たったある日 小さな包みに手紙が添 えられて送られてきました 小包を開けてみますと 無残にもキ こわ ャップが壊れ ペン先もゆがんだ万年 筆が出てまいりました 何 故 こ ん な 形 で と 残 念 と 不安な気持ちで 急ぎ添えられた手紙 ふみ つづ を開いてみました そこにはドイツ語 で あの日の少年の母からの文が綴ら れてありました そして 次のように カールの喜びの顔 今も 私は忘れる いっしょ ことができません 早 速 カ ー ル と 一 緒 に 小 包 に し て カールは郵便局にと 玄関をとび出し いっしゅん たのです それは一 し っ そ う 瞬の出来事でした カール は疾走してきた自動車にはねられたの です カールは血にまみれた姿で 我 が家に移されてきました って と 申しました その時 カールは苦しい息のもとで お 母 さ ん す み ま せ ん 万 年 筆 を 送 あなたにお願いがございます もし よろしければ同封したカールの写真に ひととおり終わって 万年筆と手帳 が少年の手に渡された時 既にバスは きました 街で 日本人らしい人に出 いろいろ苦心しました 大使館へも行 な た に 万 年 筆 を お 返 し し な け れ ば と パに視察旅行に出かけました よ とだけでは分からないという返事しか ねてまわったのですが とうとう見つ その時 飛ぶようにして帰ってきた の う り 岡本 次男 元四天王寺国際仏教大学講師 講談社刊 修養全集第二巻 引用文献 が深く刻みこまれています きざ 今も 私の脳裏には 万年筆をかざ して バスを追いかけてきた少年の姿 た の 母 親 の 願 い に こ た え て 私 は こ あいとう 私も深い哀悼の文を書いて返送しまし ました と 書かれて この手紙は終わってい せっぷん それが最後の言葉でした で私は 万年筆を取り出して 池 そのこ ぶ まさ 田 宣 政 日 本 東 京 と 書 き ま し た カールが この世の 私の最愛の息ま子 ぎ わ 息を引きとる間際まで 気にかけてい 接吻していただいて あなたの写真と 書かれてありました があるのを見つけました 改めて読み その時 隣席のカナダから来たという たあなたの万年筆について申し上げね 共に送り返していただきたいのです ますと 氏の実体験された標題の作品 進 め る う ち に 当 時 読 ん で 強 い 老夫婦が 私も書いてあげましょう ばなりません かんめい 感銘を受けた記憶が伻ってまいりまし と言って書きました すると 私も 動き出しており 後を追う少年を置き カールは良い子でした 親切で孝行 な子でした 勉強も好きでした その 去 り に し て 速 度 を 速 め て お り ま し た 会うと あなたのサインを見せて 住 外国人客の間に回っていきました 私 も と 次 つ ぎ と 万 年 筆 と 手 帳 が た 今回は このお話を要約して紹介し たいと思います お話は氏の語りの形 見る見る少年との距離は隔てられ つ 所を尋ねました しかし 日本 東京 か カールが死んだのです カールは あ いに少年の姿は見えなくなりました 返ってきませんでした それからも尋 つづ 最初に着いたのはドイツのベルリン でした 私は もうこの万年筆は戻らないだ ろうと あきらめました け た の で す そ れ は 海 外 友 の 会 で綴ってみます 早速 オープンカーの乗合バスに乗 って市内見物に出かけました この万年筆は高級品で 特に優れた 書き味で 私にとっては かけがいの 協会の名簿の中にあなたの住所が記さ 時は第一次世界大戦が終り しばし の平和が訪れた頃です 私はヨーロッ ガイド やがて 公園の傍に停車しこ か げ さんの説明が終わった時 木陰で遊ん ない品でありました それだけに愛惜 れてあるのが分かったのです へだ でいた子ども達が駆け寄ってきて そ の情は深かったのですが 訴えて 旅 すぐ の中の一人の少年が私に向かって手帳 の途にある人びとに迷惑をかけてはい あいせき を差し出し 2016.6 3
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