73 史 料 紹 介 宮 城 県 で 発 見 された 尼 港 事 件 の 記 録 平 間 儀 佐 久 尼 港 惨 劇 史 平 間 義 春 * 荒 武 賢 一 朗 ** Historical materials of Nikolayevsk Incident found in Miyagi Japan: Hirama Gisaku History of tragedy of Nikolayevsk HIRAMA Yoshiharu and ARATAKE Kenichiro 目 次 1. 2. 3. 4. 1. 平 間 儀 佐 久 と 本 稿 執 筆 の 経 緯 9 1920 6 1 32 1899 5 2 20 29 8 13 1924 1 50 3 40 1965 * ** 白 石 歴 史 資 料 調 査 会 会 員 東 北 大 学 東 北 アジア 研 究 センター 准 教 授
74 5 24 12 7 1995 10 25 2013 5 7 25 10 18 50 50 2. 尼 港 事 件 について 7 1918 9 1 5 19 8 5 19 20
東北アジア研究 20 号 2016 75 全人口と そのうち清国人 朝鮮人 日本人の割合を表 1 に掲げているが 大正 8 年の尼港には 人口約 12,000 人があり そのうちロシア人 8,700 人 中国人 2,300 人 朝鮮人 900 人 そして日 本人は 300 人だったと言われる 表 1 1880 1926 年 極東ロシアの人口構成 年次 1880 1897 1911 1912 1916 1926 全人口 単位 人 140,000 430,000 855,000 937,000 1,509,200 1,281,000 清国人 17,128 42,823 94,124 91,300 78,100 20,000 朝鮮人 8,768 26,100 38,293 60,800 60,300 132,997 日本人 271 2,291 4,500 4,200 4,900 657 出典 イゴリ R サヴェリエフ 移民と国家 極東ロシアにおける中国人 朝鮮人 日本人移民 御茶の水書房 2005 年 大正 9 年初頭からシベリア各地の革命勢力は急速に増強され 尼港の日本守備隊もパルチザン 約 4,000 人 隊長はトリャピーツィン に包囲攻撃されたあとに講和 パルチザンは 2 月末に 尼港入りを果たす 日本軍は 3 月 12 日深夜にパルチザン司令部を奇襲し 加えて在留邦人の義 勇隊も組織されたが惨敗し 同 18 日に降伏した さらなる日本軍の来襲を知ったトリャピーツィ ンは 5 月下旬に尼港を撤退する際に獄中の日本人捕虜を殺害し 市街地の大部分に放火させて 逃亡した 3. 尼港惨劇史 の概要 先述の通り 大正 9 年の前半に現在のロシア ニコラエフスク市 尼港 で起きた日本軍将兵 日本人居留民 反革命地元民などが大虐殺された事件について 平間儀佐久は調査のため派遣さ れた 詳しい内容は後段の史料翻刻をご参照いただければと思うが 派遣期間は大正 10 年 6 月 から翌年 6 月までの約 1 年間と思われる このとき儀佐久の書き留めた内容は 第 7 師団 25 聯 隊が編集したものを筆写したのではないかと推測している 写真 1 尼港惨劇史 の表紙
76 平間 義春 荒武 賢一朗 宮城県で発見された尼港事件の記録 この文書に関して いくつかの注目点を紹介しておきたい まず 内容の特徴をみておくと 冒頭には当時の位置関係がわかるように 尼港事件戦跡案内 と題した概略図を収載している 写真 2 尼港事件戦跡案内の略図 その後には尼港の状況と 今回の事件における派遣隊の行動などについて記述が重ねられてい く 見出しとしては 以下のような形になる 大正 9 年 3 月以降に於ける尼港の状況 第 1 赤衛軍横暴及び我軍の武装解除問題 我軍の夜襲とその戦況概要 兵営の苦戦及悲痛なる武装解除 武装解除後の状況 今回の事件に関し派遣隊の行動概要 萩原福寿の傳写 河本中尉在獄同胞に示す書 尼港の唄 監獄壁遺書 写真 3 本 文 今回の事件に関し派遣 隊の行動概要 写真 4 大 正 9 年 1920 2 月の講和 に関する記述
東北アジア研究 20 号 2016 77 原文書の体裁は次の箇条書きに特徴をまとめている 表紙 裏表紙は和紙が使用され真綿で綴じられている 記載用紙は陸軍の文字が赤で印刷されている罫紙を使用している 記載事項はカーボン紙を用いて書かれているので 他に同様の筆写が存在した可能性がある 写真 5 平間儀佐久 紀念紀事 裏表紙 史料紹介において最も注目されるのは 内容の信憑性であろうと思う 正直なところ 各種刊 行物やこれまでの秀逸な諸研究との突き合わせが十分ではないので 今後の課題としておきたい しかしながら たとえば記載されている日本軍の守備兵力 一方の赤衛軍の兵力などの数字は 他の記録 高島二〇〇四など と符合しているので おおよそ信用できるだろう 解説の最後として 改めて平間儀佐久と今後の課題について付言しておきたい この大叔父 儀佐久のことは筆者平間義春の父 平成 20 2008 年死去 からも聞いていなかった 父が詳し い事情を知っていたのかどうかも現在では確認することもできないが 本稿の発表を契機として 儀佐久のその後についてできる限り探索し できればその墓前にも報告したい 今回は史料紹介 として研究者各位に情報を提供すること 尼港事件について詳しく内容を把握することに努めた 今後はこの基礎史料から たとえば荻原福寿の日誌などを参考に 尼港事件に関する検討を深め 執筆したいという夢を持っている 繰り返しになるが尼港事件については これまで多くの研究者が注目し 史実の内容も極めて 克明にされてきた しかし当時の刊行物の多くは現在稀少本となって入手困難になっているもの も多く 今回の史料紹介は改めて 20 世紀前半に東北アジア地域で起こった事件を振り返るため に 大きな意義があるだろうと考えている また 事件から 100 年余り経過した現在 宮城県下 の民家に伝来 保存が確認できたことは重要である 自分は専門家でもないのでコメントはでき ないが 96 年前に実際にあった日本兵と日本人居留民たちが大虐殺された事件に関わる資料を 東北アジア研究を推進する東北大学東北アジア研究センターの刊行物で 世の中に紹介すること ができた喜びは私だけでなく 大叔父も嬉しいはずである 読者各位にぜひとも本史料をご活用 いただきたい
78 4. 尼 港 惨 劇 史 の 翻 刻 凡 例 2 表 2 尼 港 惨 劇 史 に 登 場 する 固 有 名 詞
20 2016 79
80.......
20 2016 81
82
20 2016 83..
84 齎 毉 毉
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88 1 2 3 4
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98 大 正 拾 年 薩 哈 嗹 洲 尼 港 ニ 派 遣 セラル 調 査 紀 念 紀 事 平 間 儀 佐 久 参 考 文 献 2 2009 1923 2009 R 2005 2004 23 : 2-17 1975 1920 7 10 1920 6 23 1 3 4 2