平 成 25 年 12 月 1 日 員 各 位 JCRA(Japan Catalyst Recovering Association) 触 媒 資 源 化 協 トピックス 2013 年 (1 月 ~12 月 )の 触 媒 資 源 化 実 績 報 告 要 請 書 を 員 社 様 へ 12 月 下 旬 に 発 送 いた します ご 協 力 ください 御 岳 渓 谷 の 紅 葉 CTakashi Matsuda 1 協 よりのお 知 らせ [ 実 施 済 事 項 ] 1 協 だよりー251(11 月 号 )をメール& 郵 便 で 送 信 (11/1) 2 第 28 回 JSCRA 日 時 :11 月 1 日 ( 金 ) 場 所 : 相 模 原 ゴルフクラブ 神 奈 川 県 相 模 原 市 南 区 大 野 台 4-30-1 3 第 四 回 運 営 委 員 日 時 : 平 成 25 年 11 月 21 日 ( 木 )16;00~17;00 場 所 : 堺 化 学 工 業 議 室 出 席 : 運 営 委 員 第 219 回 月 例 幹 事 第 220 回 月 例 幹 事 事 務 局 議 題 : 一 泊 研 修 の 反 省 新 春 懇 談 の 題 目 講 師 選 定 [ 予 定 事 項 ] 1 第 220 回 月 例 幹 事 ( 日 時 :12 月 3 日 ( 火 )10;30~ 場 所 : 協 事 務 局 ) 安 田 薬 品 横 浜 金 属 石 福 金 属 興 業 日 本 無 機 化 学 工 業 の 4 社 です 2 第 220 回 月 例 ( 新 春 懇 談 講 演 のご 案 内 )12 月 中 旬 頃 3 2013 年 (1 月 ~12 月 )の 触 媒 資 源 化 実 績 報 告 要 請 12 月 下 旬 1/6 五 雑 学 幕 末 歴 史 探 訪 1 ( 高 輪 芝 を 散 歩 す る ) 四 事 務 局 よ り ( 十 二 月 度 の 予 定 ) 三 員 社 担 当 者 の 交 代 二 第 2 8 回 J S C R A 報 告 予 実 [ [ 定 事 項 施 済 事 項 ] 一 協 よ り の お 知 ら せ
2 第 28 回 JSCRA 報 告 11 月 1 日 ( 金 ) 神 奈 川 県 相 模 原 市 の 相 模 原 ゴルフクラブにて 現 役 7 名 OB1 名 の 計 8 名 の 参 加 で 大 が 行 われました 優 勝 は 日 本 無 機 化 学 工 業 OBの 小 林 尚 道 準 優 勝 はJX 日 鉱 日 石 金 属 の 三 浦 章 さん( 協 長 ) 三 位 には 安 田 薬 品 の 田 原 新 也 さんとなりました ベストグロスは 堺 化 学 工 業 の 新 﨑 俊 光 氏 が 師 匠 である 同 社 の 大 隅 崇 靖 さんが 若 さで 獲 得 いたしました 10 月 初 旬 に 行 わ れた 日 本 女 子 オープン 名 残 りの 高 速 グリーンとなり 皆 様 スコアが 伸 びず ハンディの 多 い 小 林 有 利 の 優 勝 となりました ご 参 加 の 皆 様 ご 苦 労 様 でした 次 回 第 29 回 JSCRA の 幹 事 は 優 勝 の 小 林 と BBの 鶴 岡 さんが 担 当 いたします また 各 人 の 名 誉 のため 成 績 は 表 示 いたしません 第 28 回 JSCRA 出 席 の 皆 様 ( 相 模 原 GC) 次 回 幹 事 の 小 林 と 鶴 岡 さん 3 員 社 担 当 者 の 交 代 クラリアント 触 媒 株 式 社 藤 井 義 一 さんは 今 期 運 営 委 員 長 を 務 められ 協 の 運 営 に 貢 献 されてまいりました この 度 社 退 職 による 協 担 当 の 交 代 で 重 村 さんに 代 わることになりましたのでお 知 らせいたします な お 重 村 さんは 運 営 委 員 として 協 力 頂 き 佐 藤 邦 彦 運 営 委 員 ( 日 誠 金 属 )が 運 営 委 員 長 代 行 とし て 今 期 の 委 員 を 運 営 いたします 藤 井 義 一 氏 ( 前 ) 重 村 好 則 氏 ( 新 )スペシャルティ 触 媒 グループ 環 境 触 媒 チーム チーム リーダー エヌ イーケムキャット 株 式 社 社 内 人 事 異 動 で 藤 井 利 通 さんが 転 勤 され 後 任 に 野 口 綱 夫 さんが 就 任 いたしました 藤 井 利 通 氏 ( 前 ) 野 口 綱 夫 氏 ( 新 ) 化 学 触 媒 営 業 部 主 査 なお 野 口 さんは 調 査 技 術 委 員 貴 金 属 部 長 も 引 継 ぎいたします 4 事 務 局 より(12 月 度 の 予 定 ) 月 火 水 木 金 土 2 3 4 5 6 7 9 10 11 12 13 14 野 ざらし 紀 行 2 16 17 18 19 20 21 23 24 25 26 27 28 天 皇 誕 生 日 30 31 1/1 1/2 1/3 1/4 冬 季 休 暇 (12/28~1/5) 2/6
5 雑 学 幕 末 歴 史 探 訪 1( 高 輪 芝 を 散 歩 する) 港 区 には 寺 院 や 大 名 屋 敷 跡 が 多 く 幕 末 明 治 維 新 に 至 る 前 に 江 戸 で 起 こった 事 件 水 戸 浪 士 に よる 東 禅 寺 事 件 庄 内 藩 を 中 心 とした 薩 摩 邸 焼 討 ち 等 の 歴 史 を 振 り 返 って JR 品 川 駅 より 田 町 まで 東 禅 寺 から 薩 摩 屋 敷 跡 ( 現 NEC 本 社 敷 地 )まで 散 歩 見 学 をした 記 録 を 紹 介 いたします 東 禅 寺 東 京 都 港 区 高 輪 3-16-16 東 禅 寺 事 件 は 文 久 元 年 (1861) 攘 夷 派 水 戸 浪 士 が 襲 撃 した 事 件 文 久 2 年 (1862) 警 護 の 松 本 藩 士 がイギリス 兵 2 名 を 斬 殺 した 事 件 の 2 件 です JR 品 川 駅 高 輪 口 を 出 ると 第 一 京 浜 国 道 (15 号 線 )に 面 して います 国 道 を 芝 方 面 へ 400m ほど 歩 くと 歩 道 橋 がありタカナ ワ 小 型 モーターのビルが 見 えま すので 信 号 を 左 折 します そこ はもうすでに 東 禅 寺 の 参 道 の 風 情 です 車 の 多 い 国 道 より 100 mほど 入 っただけでこの 静 けさ かと 思 うほど 静 かです 東 禅 寺 山 門 の 右 脇 には 都 旧 跡 最 初 のイギ リス 公 使 宿 館 跡 の 石 碑 が 建 てられています 海 上 禅 林 東 禅 寺 の 山 門 公 使 宿 館 跡 の 碑 参 道 梵 鐘 三 重 塔 3/6
とうぜんじ 山 門 脇 に 国 指 定 史 跡 東 禅 寺 所 在 地 港 区 高 輪 三 丁 目 指 定 平 成 二 二 年 二 月 二 二 日 と 有 り 3 年 ほど 前 に 指 定 された 新 しい 史 跡 であることが 分 かります その 説 明 板 には 次 のように 記 載 されています 東 禅 寺 本 堂 東 禅 寺 は 幕 末 の 安 政 6 年 (1859) 最 初 の 英 国 公 使 館 が 置 かれた 場 所 です 東 禅 寺 は 臨 済 宗 妙 心 寺 派 に 属 し 開 基 の 飫 肥 藩 主 伊 東 家 の 他 仙 台 藩 主 伊 達 家 岡 山 藩 主 池 田 家 等 の 菩 提 寺 となりました また 臨 済 宗 妙 心 寺 派 の 江 戸 触 頭 でもありました 幕 末 の 開 国 に 伴 い 安 政 6 年 6 月 初 代 英 国 公 使 ( 着 任 時 は 総 領 事 )ラザフォード オールコックが 着 任 すると 東 禅 寺 はその 宿 所 として 提 供 され 慶 応 元 年 (1865)6 月 まで 7 年 間 英 国 公 使 館 として 使 用 されまし た その 間 文 久 元 年 (1861)5 月 には 尊 皇 攘 夷 派 の 水 戸 藩 浪 士 に 翌 2 年 5 月 に 松 本 藩 士 により 東 禅 寺 襲 撃 事 件 が 発 生 し オールコックが 著 した 大 君 の 都 には 東 禅 寺 の 様 子 や 東 禅 寺 襲 撃 事 件 が 詳 述 されていま す 現 在 の 東 禅 寺 の 寺 域 は 往 時 に 比 べ 縮 小 し 建 物 の 多 くも 失 われていますが 公 使 館 員 の 宿 所 となっていた せんげんてい せんげんてい 僊 源 亭 やその 前 の 庭 園 などは 良 好 に 残 っています 庭 園 と 僊 源 亭 を 含 めた 景 観 は 公 使 館 時 代 にベア ドが 撮 影 した 古 写 真 の 風 景 を 今 に 伝 えています 幕 末 期 の 米 仏 蘭 などの 各 国 公 使 館 に 当 てられた 寺 院 は 大 きく 改 変 され 東 禅 寺 が 公 使 館 の 姿 を 伝 える ほぼ 唯 一 の 寺 院 であることから 国 史 跡 に 指 定 されました 平 成 24 年 3 月 建 設 東 京 都 教 育 委 員 東 禅 寺 を 後 にして 第 一 京 浜 を 北 へ 300mほど 進 んだ 交 差 点 に 高 輪 海 岸 の 石 垣 石 があります 江 戸 時 代 は 現 在 の 第 一 京 浜 国 道 は 海 岸 で 有 ったようです あるいは 海 の 中 かも 知 れません?この 後 訪 れる 西 郷 隆 盛 勝 海 舟 の 談 が 行 われた 薩 摩 蔵 屋 敷 跡 にある 三 菱 自 動 車 本 社 ビルの 側 もすぐ 海 岸 で この 蔵 屋 敷 から 舟 で 出 入 りした 様 子 が 偲 ばれます 4/6
さらに 500mほど 進 むと 都 営 地 下 鉄 泉 岳 寺 前 に 達 します 幕 末 の 事 件 ではありませんが せっ かくですので 寄 り 道 して 泉 岳 寺 と 忠 臣 蔵 の 赤 穂 義 士 大 石 内 蔵 助 にご 挨 拶 を 泉 岳 寺 の 山 門 と 大 石 内 蔵 助 の 銅 像 この 日 は 好 天 で 暑 く 田 町 まで 完 全 に 歩 く 予 定 でしたが バテバテで 泉 岳 寺 前 駅 より 三 田 駅 まで 一 駅 都 営 地 下 鉄 を 利 用 してしまいました 三 田 で 降 りると もうそこは 慶 応 義 塾 ワールドといっても 良 い 場 所 学 生 を 中 心 とした 食 堂 街 が 続 きます ぐっと 空 腹 を 我 慢 して この 食 堂 街 を 通 過 NEC ビル 敷 地 を 目 指 します 薩 摩 屋 敷 跡 港 区 芝 5 丁 目 7(NEC 本 社 敷 地 ) 薩 摩 屋 敷 跡 の 一 部 は 今 のNEC 本 社 ビルの 敷 地 です ビルの 外 周 が 四 方 とも 植 え 込 みになっており 西 側 の 植 え 込 みの 一 角 に 薩 摩 屋 敷 跡 の 石 碑 がひっそりと 隠 れています NEC 本 社 ビル ここが 庄 内 藩 による 薩 摩 邸 焼 討 ち 事 件 本 邸 ( 上 屋 敷 )の 有 った 場 所 とされています さらに 第 一 京 浜 沿 いにある 三 菱 自 動 車 ビルの 場 所 が 海 岸 に 面 した 薩 摩 蔵 屋 敷 の 場 所 とされていま す ビルの 角 に 西 郷 隆 盛 と 勝 海 舟 が 見 し 官 軍 の 江 戸 総 攻 撃 を 中 止 と 江 戸 城 開 場 を 行 った 見 の 場 所 碑 が 建 立 されています 専 用 の 船 着 場 を 有 する 海 岸 沿 いの 屋 敷 でした 5/6
三 菱 自 動 車 のビルの 角 には 見 の 石 碑 が あります ここが 焼 討 ちで 焼 け 残 った 蔵 屋 敷 跡 のようです 西 郷 隆 盛 勝 海 舟 見 図 薩 摩 藩 の 屋 敷 は 最 初 桜 田 に 上 屋 敷 がありましたが 手 狭 になったため 三 田 に 上 屋 敷 を 構 えること になりました その 他 に 高 輪 に 下 屋 敷 白 金 に 抱 屋 敷 がありました また 三 田 の 海 岸 沿 いには 蔵 屋 敷 もありました この 蔵 屋 敷 で 西 郷 さんと 勝 さんの 見 が 行 われました 京 都 守 護 職 の 津 藩 と 共 に 暮 れも 押 しせまる 慶 応 3 年 12 月 25 日 ( 翌 慶 応 4 年 1 月 3 日 には 鳥 羽 伏 見 の 戦 いとなる) 西 郷 隆 盛 の 謀 略 ( 益 満 休 之 助 相 楽 総 三 等 を 江 戸 に 派 遣 し 不 逞 な 輩 を 使 っ た 江 戸 市 中 押 込 み 強 盗 火 付 けなど 攪 乱 )により 江 戸 警 護 役 として 薩 摩 屋 敷 を 焼 き 討 ちした 庄 内 藩 は この 薩 摩 屋 敷 焼 き 討 ちが 薩 摩 藩 に 参 戦 の 理 由 を 与 えるきっかけとなりました この 両 藩 には 清 川 八 郎 が 率 いた 浪 士 隊 から 分 離 した 新 撰 組 が 京 都 に 残 り 津 藩 の 配 下 に 江 戸 に 戻 った 面 々は 新 たに 新 徴 組 として 庄 内 藩 の 指 揮 下 に 入 り 江 戸 市 中 の 取 締 を 行 いました 今 年 12 月 まで 放 映 の NHK 大 河 ドラマ 八 重 の 桜 でも 西 郷 隆 盛 勝 海 舟 見 場 の 碑 が 紹 介 され ました この 西 郷 隆 盛 勝 海 舟 の 見 で 幸 いにも 江 戸 は 火 の 海 から 免 れましたが 東 北 諸 藩 は 新 政 府 による 軋 轢 により 結 果 仙 台 藩 を 盟 主 とする 奥 羽 越 列 藩 同 盟 を 結 び 官 軍 ( 新 政 府 軍 )と 戊 辰 戦 争 ( 東 北 戦 争 )を 戦 うことになりました のち 奥 羽 越 列 藩 同 盟 の 綻 び( 仙 台 藩 米 沢 藩 の 恭 順 )により 津 藩 庄 内 藩 が 集 中 的 に 攻 撃 され 最 後 まで 戦 った 津 庄 内 の 降 伏 で 悲 惨 な 東 北 戦 争 は 終 わりまし た ここで 今 回 の 散 歩 を 終 了 して 都 営 地 下 鉄 浅 草 線 で 三 田 から 新 橋 に 向 かい 協 に 出 勤 です 東 京 都 区 内 都 下 を 走 る 都 営 地 下 鉄 都 営 バス 私 営 バスは 70 歳 以 上 適 用 のシルバーパスが 使 え るので 散 歩 のためには 有 り 難 いと 思 います これで 幕 末 歴 史 探 訪 1( 高 輪 芝 の 散 歩 )は 終 りとしま す 文 責 専 務 理 事 6/6