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M 田 村 博 37 ( 宝 達 志 水 陸 協 ) 2 位 13"58 M 西 村 隆 則 39 ( 福 井 北 ) 1 位 12"30 ( 女 子 ) W 福 田 外 枝 75 ( 石 川 マスターズ) 1 位 21"65 W 北 田 聡 子 42

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25巻(PDFカラー)/表紙・背_三校

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2 真 田 丸 の 時 代 の 領 主 国 衆 から 徳 川 大 名 へ 箕 輪 城 内 藤 昌 月 直 矩 武 田 氏 織 田 氏 北 条 氏 (1575~90) 内 藤 氏 は 甲 斐 国 の 国 衆 武 田 信 虎 ( 信 玄 の 父 )に 滅 ぼされるが 昌 秀 の 時 に 晴 信 の 重

せ ず 素 稿 以 外 訓 み を す べ て カ ラ 見 出 シ と し た 一 二 頚 印 を 必 ず 連 用 す る 場 合 不 期 身 後 京 山 蔵 よ う に し て 掲 出 し 三 思 山 蔵 を も 別 に 立 て カ ラ 見 出 シ と し た 一 所 蔵 者 名 は 通 称 雅

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小 学 女 子 (1~4 年 ) 12/02/2012 白 峰 TD x Page 2/2


Transcription:

中川家旧蔵津田文書展 秀吉文書を中心に 豊臣秀吉判物 播州揖東郡 摂州矢田部郡内所々知行目録事 090-1349-3 豊臣秀吉朱印状 信雄 家康人質差出につき 090-1349-9 平成 25 年 4 月 27 日 土 ~6 月 30 日 日 金沢市立玉川図書館近世史料館

はじめに 近世史料館では 平成 24 年度に豊臣秀吉の書状を含めた約 40 件の史料をご寄贈いただきました 史料目録は最終頁 豊臣秀吉に仕えた後 加賀藩に出仕した津田家に伝存していた史料群となりますが とくに秀吉関係の文書は全国的にみても貴重であり 秀吉が所領を安堵する書状や 贈答品に対する礼状 天正 12 年 1584 の小牧 長久手の戦における講和関係とおもわれる書状などがあります また 加賀藩関係としては 3 代藩主前田利常をはじめ 4 代光高 5 代綱紀 11 代治脩 13 代斉泰といった歴代藩主が津田家当主に出した知行宛行状がみられます 平成 25 年度春季展では 今回ご寄贈いただいた史料のなかから秀吉文書を中心に展示いたします 津田家について 諸士系譜 16.31-49 によれば この津田家は大炊 小八郎 を祖とし その子である右京が3 代藩主前田利常に出仕して以降 代々加賀藩に仕えています 諸士系譜 には 祖大炊 仕秀吉公 外孫堀対馬守子右京為養子 とあります 津田小八郎の詳細はわかっていませんが 小八郎宛の豊臣秀吉の書状が多く現存していることから 秀吉と近い関係にあった人物といえ 天正 13 年 1585 には従五位下大炊頭に变 任されています 090 ー 1349 ー 5 090 ー 1349 ー 6 ながあきら その子である右京は 後に広島藩主となる浅野長晟の元に一時期身を寄せていましたが 長晟の弟である杉原長房を介して前田利常に700 石で仕えたとおもわれます 090-1349-25 090-1349-28 延宝年間金沢城下図 090-598 では 味噌蔵町に津田右京の名が記されています 下図参照 その後 右京の孫の代で二家に分かれますが 本家筋 太左衛門家 400 石 はそのまま味噌蔵町に居住していたようであり 幕末期の 加賀藩組分侍帳 では津田平之丞が400 石で味噌蔵町に居住していたことが確認できます また 分家筋 平次右衛門家 300 石 は馬場一番丁に居住しています 津田右京 700 石 延宝年間金沢城下図 味噌蔵町周辺 090-598

豊臣秀吉関係 豊臣秀吉と津田大炊の主従関係については いくつかの知行所目録があります 090-1349-3 090-1349-11 090-1349-12 090-1349-16 また 端午祝い090-1349-7 や歳暮 090-1349-10 090-1349-19 見舞090-1349-17 といった大炊からの献上品に対する秀吉の礼状などもみられ 近い関係がうかがえます 軍事関係としては 天正 13 年 15855 月に出された陣中定書 090-1349-4 や 小牧 長久手関係とおもわれる書状 090-1349-8 090-1349-9 朝鮮出兵の際に名護屋見舞として津田が火薬を献上したことが記されている書状があります 090-1349-15 さらに 秀吉は賤ヶ岳の戦い直前に滝川一益の長島城を包囲していますが そのときに出したとおもわれる書状もあります 090-1349-21 そのほか 豊臣秀頼 090-1349-24 や五奉行の一人であった増田長盛 090-1349-13 の書状など 秀吉関係の史料は20 点余りにもおよびます 豊臣秀吉判物 滝川義大夫差遣につき 090-1349-22 天正 11 年 1583 織田勢力を二分するかたちで羽柴秀吉と柴田勝家によって賤ヶ岳の戦いが発生するが その直前に伊勢において滝川一益が挙兵した 秀吉は勝家の動きを注視しながら長島城を包囲して滝川一益を攻めたが そのさなかに出されたと推定される書状もある 090-1349-21 上の書状にみられる 瀧川義大夫 は 滝川一益の甥である滝川益重である 益重は勇猛で知られ この挙兵においては峯城に籠もり 徹底抗戦した 叔父である一益が降伏した後 その勇猛ぶりにより秀吉に召し抱えられ 小牧 長久手の戦いなどに参戦した

平重長従五位下宣叙口宣案 090-1349-5 平重長大炊頭宣任口宣案 090-1349-6 天正 13 年 15857 月 13 日 津田 小八郎 重長は従五位下大炊頭に变任されている 豊臣秀頼黒印状 090-1349-24 大坂の陣前の慶長 17 年 16129 月 豊臣秀頼が津田右京の実父である堀対馬守に対して摂津国兎原郡岡本村 329 石を与えた書状である 増田長盛判物 知行所目録書違につき 090-1349-13 天正 15 年 158710 月 津田大炊は丹波国船井郡にて 310 石の知行を拝領しているが 知行所目録に書かれていた おばた 小畑 の地は誤りで ごま 胡麻 の畑 を受け取るようにと書き記されている 増田長盛は秀吉恩顧の武将であり 五奉行の一人として多くの戦に参加し 太閤検地にも関わった人物である

加賀藩関係の史料としては 歴代の加賀藩主が発給した知行宛行状があり 利常 090-1349-28 光高 090-1349-29 綱紀 090-1349-31 吉徳 090-1349-32 重教 090-1349-33 治脩 090-1349- 34 090-1349-36 斉泰 090-1349-37 のものが現存しています そのほか 男子がいなかった津田右京が養子を願い出ており 藩がそれを許可した申渡書などがあります 090-1349-30 加賀藩関係 杉原伯耆守判物 津田右京引合せにつき 090-1349-25 裏書 浅野将監様御中杉伯耆守長房 猶々掛御目万々可得御意候 以上 前田利常 一 昨日者中納言様へ御見廻申上候 浅野将監 得共 貴殿ヘハ丌掛御目候 然者 長晟 津田右京 兄浅野但馬守方ニ居申候 近日国本へ罷下候間 我等方ニ而あわせ申度候間 以御心得是まて右京参候様ニ頼申候 猶期面上之時候 恐惶謹言 杉原伯耆守 八月九日長房 花押 浅野但馬守 浅野長晟 浅野長政二男 長男幸長が嗣子なく死去したため 家督を相続した 元和五年 一六一九 の福島正則改易後 安芸広島四十二万石に加増転封された 嫡子光晟の室は前田利常娘の満 杉原長房 伯耆守 浅野長政娘と婚姻し 浅野長晟とは兄弟関係にあった 秀吉配下の武将で 朝鮮出兵では名護屋城に在陣した 関ヶ原では西軍に不したが 所領 但馬豊岡藩 は安堵された 浅野将監 加賀藩士 信長に仕えた後 流浪していたが 利家 利長存知の者として文禄年中に加賀藩に仕えた 寛永三年 一六二六 の加増により二千石 分藩後 子孫は富山藩士

前田光高知行宛行状 700 石 090-1349-29 寛永 17 年 1640 に 4 代藩主前田光高から津田右京に出された知行宛行状 津田右京養子願許可申渡書 090-1349-30 馬廻であった津田右京に男子がいなかったため 堀家のせがれ太郎右衛門を娘の婿養子にしたいと藩に願い出ており それに対する許可状である 前田対馬 奥村因幡 奥村河内 および今枝民部の名や 右京の所属組頭である村兵助 前田主水の名がみえる 御朱印物御書等之目録 090-1349-35 津田家に代々伝わる朱印物や書状などの目録を津田猪 伊 兵衛成房が寛政 5 年 17935 月に書き改めたもの 当時 既に見当たらなくなったものがあったことがわかる

090-1349 中川家旧蔵津田文書目録 印は展示中の史料 標題 年月日 差出 宛名 作成者等 形態 1 豊臣秀吉判物 益田太郎右衛門尉へ米十石遣不につき 天正 11 年 7 月 24 日 秀吉 判 三郎四郎 切紙 2 豊臣秀吉判物 野呂孫左衛門尉へ米十石遣不につき 天正 11 年 7 月 24 日 秀吉 判 三郎四郎 切紙 3 豊臣秀吉判物 播州揖東郡 摂州矢田部郡内所々知行目録事 天正 11 年 8 月 1 日 秀吉 判 津田小八郎 4 豊臣秀吉朱印状 陣中定書 天正 13 年 5 月日 印 秀吉 津田小八郎 5 平重長従五位下宣叙口宣案 天正 13 年 7 月 13 日 蔵人左少弁藤原宣光 6 平重長大炊頭宣任口宣案 天正 13 年 7 月 13 日 蔵人左少弁藤原宣光 7 豊臣秀吉朱印状 端午祝儀帷子到来につき 5 月 3 日 印 秀吉 津田小八郎 8 豊臣秀吉朱印状 信雄種々望につき 天正 12 年 11 月 11 日 秀吉 印 津田小八郎 9 豊臣秀吉朱印状 信雄 家康人質差出につき 天正 12 年 11 月 15 日 秀吉 印 津田小八郎 10 豊臣秀吉朱印状 歳暮として呉服到来につき 12 月 28 日 印 秀吉 津田小八郎 11 豊臣秀吉朱印状 知行所目録 天正 15 年 10 月 2 日 印 秀吉 津田大炊 12 豊臣秀吉朱印状 替地知行宛行状 天正 15 年 10 月 2 日 印 秀吉 津田大炊 13 増田長盛判物 知行所目録書違につき 天正 15 年 10 月 8 日 増長長盛 判 津田大炊 14 知行宛行状 堪忍分として 天正 19 年 7 月 29 日 津田大炊 15 豊臣秀吉朱印状 名護屋見舞として火薬到来につき 文禄 2 年 2 月 18 日 印 秀吉 津田大炊頭 16 知行宛行状 検地の上 文禄 3 年 10 月 11 日 津田大炊 17 豊臣秀吉朱印状 見舞として小袖到来につき 11 月 8 日 印 秀吉 津田大炊頭 18 豊臣秀吉朱印状 音信として帷 子 到来につき 7 月晦日 印 秀吉 津田大炊入道 19 豊臣秀吉朱印状 歳暮として小袖到来につき 12 月 27 日 印 秀吉 津田大炊助 20 片桐主膳正判物 小袖長袴進上等につき 正月 25 日 片桐主膳正貞隆 判 津田右京 折紙 21 筑前守秀吉 判 木下勘解由 山内豊臣秀吉判物 土岐 多良越にて濃州出向につ寅年 3 月 17 日伊右衛門 古田彦三郎 早川喜八郎 き 津田小八郎 か須屋助右衛門 筑前守秀吉 判 津田四郞左衛門 22 豊臣秀吉判物 瀧川義大夫差遣につき 7 月 7 日 尉 富田 [ ] 津田小八郎 大[ ] 小野木清次 23 豊臣秀吉朱印状 普請番につき 10 月 7 日 秀吉 印 勢田左馬允 氏家源六 氏家久左衛門尉 24 豊臣秀頼黒印状 知行宛行状 慶長 17 年 9 月 28 日 印 秀頼 堀対馬守 25 杉原伯耆守判物 津田右京引合せにつき 8 月 9 日 長房 判 裏書 杉伯耆守 浅野将監 26 秀吉公墨付 朱印 判物員数覚書 11 月 13 日 津田太郎右衛門 切紙 27 28 書状包紙前田利常知行所目録 知行宛行状 年未詳寛永 2 年 12 月 16 日 利 印 仮 700 石津田右京 300 石沢田少二郎 続紙 29 前田光高知行宛行状 700 石 寛永 17 年 8 月 13 日 光高 判 津田右京 30 津田右京養子願許可申渡書 寛文 7 年 未 3 月 17 日 前田対馬 判 奥村因幡 判 奥村河内 栄清判 今枝民部 村兵助 前 田主水 馬廻頭 31 前田綱紀知行宛行状 700 石 延宝 8 年 12 月 13 日 綱利 綱紀 判 津田太郎右衛門 32 宝永四年津田作之進宛知行宛行状 400 石 享保 9 年 8 月朔日 印 吉治 吉徳 津田太左衛門 作之進 33 宝暦三年津田浅右衛門宛知行宛行状 400 石 宝暦 7 年 9 月朔日 印 重基 重教 津田浅右衛門 34 前田治脩知行宛行状 400 石 天明 3 年 10 月 28 日 印 治脩 津田猪兵衛 35 御朱印物御書等之目録 寛政 5 年 5 月改 六代津田猪兵衛成房 袋綴 4 丁 36 前田治脩知行宛行状 400 石 寛政 6 年 12 月 16 日 印 治脩 津田猪藤太 札 津田采女 竪紙 37 前田斉泰知行宛行状 400 石 嘉永 5 年 7 月 11 日 印 斉泰 津田平之丞 38 御判物御印物写 近世 津田采女 袋綴 5 丁 39 懐中獣面神像 年未詳 白印 朱印 彩色 掲載史料と展示史料は一致しないことがあります