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編小説 晩夏 ~





CiNii) において 2004 年 ~2006 年の















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-~ 斉推進け









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Title Author(s) Kobe University Repository : Kernel 新説鹿之瀬漁業権の成立 (A Thinking About Shikanose Fishery) 鷲尾, 圭司 Citation 海事資料館研究年報,22:1-7 Issue date 1994 Resource Type Resource Version URL Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 publisher http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81005671 Create Date: 2016-10-10

けるわけだ 昼になって漁を終えるころには 床を転がすような乱暴な扱いでは強度不足を生 ちょうど潮が逆になり これも楽々帰り着くこ じたことだろう O 結果として 野焼きでも強度 とができる O 潮時に応じた漁場に 潮を利して が足る小型のものだけが実用に供された ある 行き来できる立地条件 潮流の知識が体系だっ いは 大型のものは流れの弱し 内海でのみ使わ r香川県漁業史 には c 7世 ていなかった昔には 林村には神様のご加護が れたことだろう あると信じられて当然だっただろう O 林村の宝 紀にはマダコ用のタコツボもあったという) 蔵寺に杷られる毘沙門天は 鹿之瀬の海底から 南北朝時代の焼きものには 明石市西部の魚 拾い上げられたものと伝えられ深く信仰されて 住の産といわれる揺り鉢が大量に 発見されてい いることも 村人の心情を表わしているといえ るO 淡路島西浦の室津の瀬の沈船から引き揚げ るだろう O られたもので 四国方面に交易に向かう途上だっ 明石海峡もずいぶん様変わりしたと 言 われる たと推定さ れている O この時代から 味噌やゴ ことも多いが 潮流の基本は現在も昔も変わっ マなどの揺る料理が広まったこととも符号する ていない 複雑な海底地形と航行を悩ませる潮 また この沈船はそれまでの丸木船に毛の生 流の変化 海中に潜む水族の生態などを熟知し えたような小舟ではなく 木材を組み合わせた た海人集団が 明石海峡の中でも絶好の位置に 構造船であった 造船の世界でも 国産の構造 林村を形成させてきたことは想像に難くない 船が出来るようになり 舟の大型化で海上輸送 このことによって 他よりも強い漁業集団が 力も飛躍的に伸びてきた時代といえよう 形成されたことは想像できる O だが これだけ 揺る作業に耐える強度の焼きものが出来るよ では漁場専有の根拠には至らない 鹿之瀬は林 うになったことは 釜焼き によって焼結温 l O k m以上 度が高められるようになったもの O この揺り鉢 も先にまで権利を認めるには力不足といわざる のついでに 大型のタコツボがご当地で焼かれ 村から地続きの磯だからというのも をえない 3. 技術史にみる整合性 鹿之瀬の古典的漁業といえばタコツボ いま だに海底から拾い上げられたり 弥生時代の遺 跡 からも発掘されているタコツボはイイダコ用 の小型のものばかり O 大人のこぶしほどの大き さの 湯飲み状のものや釣鐘型のものもある O 二千年以上前から工夫されてきたのだろうが 明石海峡周辺では明石ダコ(マダコ)用の人の 頭ぐらいの大きさのタコツボは見当たらない 潮の速い鹿之瀬で大型のタコツボが使われるよ うになったのは いつの時代からだろう O 室町時代の前 南北朝時代は技術革新の時代 といわれる O 西洋のルネ y サンス期と同時代と いうより 半世紀前にあった蒙古来襲前後の大 陸の動乱が 多くの技術者を大陸からもたらし た時代とみることができる タコツボのような素焼きの土器は もともと は 野焼き といい 焚き火の中で焼かれてい た これでは焼結温度が低く 大型のタコツボ サイズでは水差 しなどの容器には使えても 海 底に上げ ドろしするばかりか 潮流の速さに石 図2. 素焼きのタコツボづくり ろくろで成形したタコツボを 天日干しにし 窯で焼く O - 3-