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1 ヘブル語動詞の瞑想 詩篇の礼拝用語 (1~150 篇 ) 日毎の詩篇の中から 一つの礼拝用語を取り出し それについて瞑想します ー

2 1 2 口ずさむ ה ג ה hagah ハーガー思う思う 2 12 身を避ける ח ס ה chasah ハーサー避け所とする寄り頼む 3 5 身を横たえる שׁ כ ב shakhav シャーハヴ 伏す 身を横たえる 3 5 眠る י שׁ ן yashen ヤーシェン 眠る 眠る 4 1, 3 呼ぶ ק ר א qara カーラー 呼び求める 呼ばわる 5 7 ひれ伏す ח ו ה chawah ハーヴァー ひれ伏す 伏し拝む 6 5 ほめたたえる י ד ה yadah ヤーダー ほめたたえる 感謝する 7 17 ほめ歌う ז מ ר zamar ザーマル ほめ歌う ほめ歌う 8 1,8 なんと מ ה mach マー いかに いかに 9 1 語り告げる ס פ ר saphar サーファル 宣べ伝える 語り伝える 10 1, 13 なぜ ל מ ה lamah ラーマー なにゆえ なぜ 11 7 仰ぎ見る ח ז ה chazah ハーザー 仰ぎ見る 12 1 ( 形容詞 ) 聖徒 ח ס יד chasid ハーシッド 神を敬う人 信仰のある人 13 6 歌う שׁ יר shir シール 歌う 歌う 14 7 喜ぶ שׂ מ ח samach サーマフ 楽しむ 喜び祝う 15 1 住む שׁ כ ן shakhan シャーハン 住む 住む 15 1 宿る גּוּר gul グール 宿る 宿る 16 7 ほめたたえる בּ ר ךּ barak バーラク ほめまつる たたえる 満ち足りる שׂ ב ע sava` サーヴァー 満ち足りる 満ち足りる 18 1 慕う ר ח ם racham ラーハム 愛する 慕う 悟る בּ ין biyn ビーン 知る 熟慮する 20 7 誇る ז כ ר zakhar ザーハル 誇る 唱える まっすぐに立つ עוּד `ud ウード まっすぐに立つ 力に満ちて立つ 21 7 信頼する בּ ט ח batach バータフ 寄り頼む 拠り頼む 賛美する ה ל ל halal ハーラル ほめたたえる 賛美する 23 6 住まう י שׁ ב yashab ヤーシャヴ 住む とどまる 24 6 求める ד ר שׁ darash ダーラシュ 慕う 求める 24 6 慕い求める בּ ק שׁ baqash バーカシュ 求める 尋ね求める 25 3, 5 待ち望む ק ו ה qawah カーヴァー 待ち望む 望みをおく 26 1, 3 歩む ה ל ךּ halak ハーラク 歩む 歩き続ける 信じる אָמ ן `aman アーマン 信じる 信る 28 2 上げる נ שׂ א nasa ナーサー 上げる 上げる 29 1 帰す י ה ב yahav ヤーハヴ帰す帰す 1

3 30 1 あがめる רוּם rum ルーム あがめる あがめる 31 5 ゆだねる פּ ק ד paqad パーカド ゆだねる ゆだねる 32 6 祈る פּ ל ל palal パーラル 祈る 祈る 33 8 恐れる י ר א yare` ヤーレー 恐れかしこむ 畏れます 34 8 味わう ט ע ם ta`am ターアム 味わい 味わう見る 34 8 見る ר אָה ra ah ラーアー 知る 見る 35 9 楽しむ שׂוּשׂ sus スース 楽しむ 楽しむ 36 8 心ゆくまで飲む ר ו ה rawah ラーヴァー飽き足りる潤う 37 7 待つ חוּל chul フール 待ち望む 待ち焦がれる 37 9, 11 受け継ぐ י ר שׁ yarash ヤーラシュ 継ぐ 継ぐ 言い表わす נ ג ד nagad ナーガド 言いあらわす 言い表す 39 2, 9 沈黙を守る אָל ם alam アーラム 黙する 沈黙する 40 9 告げる בּ שׂ ר basar バーサル 告げ示す 伝える わかる י ד ע yada` ヤーダー 知る 知る 42 1 慕いあえぐ ע ר ג `arag アーラグ 慕いあえぐ 求める 42 2 渇く צ מ א tsame ツァーメー かわく 渇く 43 5 待ち望む י ח ל yachal ヤーハル 待ち望む 待ち望む ~しない א lo ロー 45 1 わき立つ ר ח שׁ rachash ラーハシュ あふれる 湧き出る やめる ר פ ה raphah ラーファー 静まる 力を捨てる 47 1 叫ぶ רוּע rua` ルーア 叫ぶ 叫びを上げる 48 9 思い巡らす דּ מ ה damah ダーマー 思います 思い描く 49 1 聞く שׁ מ ע shama` シャーマー 聞く 聞く 49 1 耳を傾ける אָז ן azan アーザン 耳を傾ける 耳を傾ける ささげる ז ב ח zavach ザーヴァフ ささげる ささげる 高らかに歌う ר נ ן ranan ラーナン 歌う 喜び歌いう 告げます נ ג ד nagad ナーガド あらわす 歌う 52 8 拠り頼む בּ ט ח batach バータフ 頼む 依り頼む 54 6 進んでささげる נ ד ב nadav ナダーヴ 喜んで 自ら進んで うめく שׂיח siach シアーフ うめく 呻く ゆだねる שׁ ל ךּ shalak シャーラク ゆだねる ゆだねる ( 誓いを ) 立てた誓いを誓ったとおり shalem シャーレム שׁ ל ם 果たす 2 果たす ささげる 57 7 ゆるがない כּוּן kun クーン 定まる 確かにする 59 9 見守る שׁ מ ר shamar シャーマル ほめ歌う 見張って待つ 働く ע שׂ ה `asah アーサー 働きます 力を振う 61 4 いつまでも עו ל ם `olam オーラーム とこしえに とこしえに

4 62 5 黙って待ち望む דּ מ ם damam ダーマン もだして待つ 沈黙して向う 63 1 切に求める שׁ ח ר shachar シャーハル 尋ね求める 捜し求める 63 8 すがる דּ ב ק davaq ダーヴァク すがりつく 付き従う 64 9 悟ります שׂ כ ל sakhal サーハル 考える 目覚める 65 8 高らかに歌う ר נ ן ranan ラーナン 喜び歌う 喜び歌う 喜び叫ぶ רוּע rua` ルーア喜び呼ばわる 3 喜びの叫びを上げる 66 4 伏し拝む שׁ ח ה shachah シャーハー拝むひれ伏す 66 4 伏し拝む ח ו ה chawah ハーヴァー 拝む ひれ伏す 知るほめたたえる恐れる י ד ע י ד ה yada` yadah yare ヤーダーヤーダーヤーレー 知るほめたたえる恐れる 知る畏れ敬う 感謝をささげる י ר א ともにいます ע מ `im イム ともにあり とどまる 望む ח פ ץ chaphets ハーペツ 慕う 愛する ほめたたえる ה ל ל halal ハーラル ほめたたえる 賛美する 誓いを立てる נ ד ר nadar ナーダル 誓いを立てる 誓いを立てる 77 1 声を上げて叫ぶ צ ע ק ts`aq ツァーアク 叫ぶ 叫ぶ 77 2 手を差し伸ばす נ ג ר nagar ナーガル 手を伸べる 手を差し出す 77 3 思い起こす ז כ ר zakhar ザーハル 思う 思い続ける 77 3 思いを潜める שׂ יח siach シーアッハ 深く思う 悩む 77 5 思い返す ח שׁ ב chashav ハーシャヴ 思う 思います 思い巡らす ה ג ה hagah ハーガー 思う 口ずさむ 78 7 守る נ צ ר natsar ナーツァル 守らせる 守る とこしえまで עו ל ם `olam オーラーム とこしえに とこしえに 80 3 そうすれば ו we ヴェ そうすれば 口を大きく開ける ר ח ב rachav ラーハヴ 広くあける 広く開ける 84 2 恋い慕う כּ ס ף kasaph カーサフ 慕う 慕う 84 2 絶え入るばかり כּ ל ה kalah カーラー 絶え入る 絶え入る 85 8 聞く שׁ מ ע shama` シャーマー 聞く 聞く 86 5 まことに כּי ki キー 叫ぶ שׁ ו ע shawa` シャーワー 呼ばわります 叫びます 89 1 知らせる י ד ע yada` ヤーダー 告げ知らせる 告げ知らせる 91 1 宿る לין lin リーン やどる 宿る 栄える פּ ר ח parach パーラフ あらわす 述べ伝える שׁ ק ט shaqat シャーカト 静かに待つ 95 2 進み行く ק ד ם qadam カーダム 御前に行く ( 御前に ) 進む 95 6 ひざまずく בּ ר ך barak バーラク ひざまずく ひざまずく

5 96 9 おののく ח יל chil ヒール おののく おののく 97 1 こおどりする גּ יל gil ギール 楽しむ 喜び躍る 97 1 喜ぶ שׂ מ ח samach サーマフ 喜ぶ 喜び祝う 98 8 手を打ち鳴らす מ ח א macha マーハー 手を打つ 手を打ち鳴らす 99 7 守る שׁ מ ר shamar シャーマル 守る 守る 100 2, 4 行く ( 入る ) בּו א bo ボー 行く 進み出る 心を留める שׂ כ ל sakhal サーハル 心をとめる 解き明かす 102 T 注ぎ出す שׁ פך shapak シャーパク 注ぎ出す 注ぎ出す 忘れない אַל- שׁ כ ח alshakhach アルシャーハフ 心にとめる 忘れない 待ち望む שׂ ב ר sabar サーヴァル 期待する 望みをおき待つ 守る שׁ מ ר shamar シャーマル 守る 守る 守る נ צ ר natsar ナーツァル 行う 従う ( 破れに ) 立つ ע מ ד `amad アーマド 立つ 立つ 叫ぶ ז ע ק zaa`k ザーアク 呼ばわる 叫ぶ 呼びさます עוּר `ur ウール 呼びさます 呼び覚ます 貧しい א ב יו ן evyon エヴィヨン 貧しい 乏しい 感謝する י ד ה yadah ヤーダー 感謝する 感謝をささげる ( 主を ) 恐れる י ר א yare ヤーレー おそれる 畏れる ( 救いの杯を ) かかげる nasa ナーサーあげる上げる נ שׂ א ほめ歌う שׁ בּ ח shabach シャーバフ たたえまつる ほめたたえる 断ち切る מול mul ムール 滅ぼす 滅ぼす たくわえる צ פ ן tsaphen ツァーファン たくわえる 心に納める 2 18 目を留める נ ב ט navat ナーヴァト目をとめる目を注ぐ 3 32 走る רוּץ ruts ルーツ走る走る 4 52 思い出す ז כ ר zakhar ザーハル思い出す思い起こす 5 59 (~ に ) 向ける שׁוּב shuv シューヴ向ける立ち返って 6 70 喜ぶ שׁ ע ע sha`a シャーアー喜ぶ楽しむ 7 71 学ぶ ל מ ד lamad ラーマド学ぶ学ぶ 8 81 慕って絶え入る כּ ל ה kalah カーラー慕って絶え入る絶え入る 9 97 愛する אָה ב ahav アーハヴ愛する愛する 甘い מ ל ץ malats マーラツ甘い甘い 誓う שׁ ב ע shava` シャーヴアー誓う誓う ( 心を ) 傾ける נ ט ה natah ナーター ( 心を ) 傾ける ( 心を ) 傾ける あえぐ י אַב ya av ヤーアヴあえぎ求める渇望する 選ぶ בּ ח ר bachar バーハル選ぶ選び取った 4

6 131 2 ( 魂を ) 和らげる שׁ ו ה shawah シャーワー 静める 沈黙させる 共に י ח ד yachad ヤーハド 和合して共に 共に 住む י שׁ ב yashav ヤーシャヴ 住む 座る ほめたたえる בּ ר ך barak バーラク ほめる たたえる まことに כּ י kiy キー 感謝する י ד ה yadah ヤーダー 感謝する 感謝する たたえる ע ל ה `alah アーラー ~とする ~とする 身を避ける ח ס ה chasah ハーサー 寄り頼む 避け所とする 言う אָמ ר amar アーマル 言う 申す 身を隠す כּ ס ה kasah カーサー 避け所を得る 隠れる ヘブル語は動詞中心の言語 ヘブル語は動詞が中心となっている言語です ヘブル語の動詞は三つの文字 ( 子音 ) からなる語根からなっており 語根はそれぞれ基本的な意味を持っています それは漢字の形そのものが意味を伝えるのと同様です ヘブル語ではひとつの単語を形成するために 語幹のまわりを補う文字が他の語を構成するため さまざまな形に変化します しかし 基本的な意味は 何らかの形で必ずすべての単語の中に残ります (שׁ) の語根は シェン (שׁלום) たとえば ヘブル語のあいさつ用語であるシャローム (ל) ラメド (ם) メム からなり 英語の表記では Sh-L-M となりますが その基本概念は 健全さ 完全さ 繁栄 平和 の意味です この語幹から多くのことばが組み立て られます シャーレム שׁ ל מ (shalem) という動詞は 終る 完成する 繁栄する ささ げる 誓いや義務を果たす 支払う 償う といった意味があります これがさまざまにל ם変形します セレム ( shelem )שׁ という 神との壊れた関係の修復を表わす名詞としての 交わり (fellowship) 和解のいけにえ (fellowship offer) としての意味 メルキゼデל מクのいた地名としてのサレム ( shalem )שׁ というふうに 他にも 真理 ( アーメン ן (אָמ は 動詞のアーマン אָמ ן から派生した語であり 王 מ ל ך も 支配する という動詞マーラク (מ מ ל כ ה や 王国 ( マムラーカー (מ ל ך ( メレク から派生した語です このように ヘブル語ではほとんどの語は動詞から派生しています ヘブル語の単語数は 英語に比べると その約 1/10 ほどしかないと言われますが 以上のように ヘブル語は語幹の 3 文字の読みを変化させ 前後にいろいろなもの付け足すことで 動詞を変化させ 分詞や派生語をつくったりする動詞中心の言語です 5

7 詩篇の礼拝用語の瞑想のプロセス 1. 私が日常的に使用している聖書は 新改訳聖書 - 第三版 ( 日本聖書刊行会 ) です 聖書の詩篇から その日に瞑想しようとする 礼拝用語 ( 人が神に対する礼拝行為 動作 態度 意志など表わす動詞 ) を一つ ( 場合によっては二つ ) 選択します 2. その 礼拝用語 の原語 ( ヘブライ語 ) が何かを知るために 私はミルトス ヘブライ文化研究所編の ヘブライ語聖書対訳シリーズ ( 詩篇 ) J-ばいぶる Hebrew(3 rd ) ( 日本コンピューター聖書研究会 ) を使用します Hebrew-Greek KEY WORD STUDY BIBLE (New International Version, AMG publishers) も便利です 3. 原語が分かれば 選択した用語 ( 動詞 ) が旧約聖書でどのように用いられているか どのように訳されているかをコンコルダンスで調べることができます 私の場合は The Hebrew-English Concordance To The Old Testament by John R. Kohlenberger Ⅲ (Zondervan) を使用しています このコンコルダンスを入手してから調べることが容易になりました ただし このコンコルダンスの聖書は New International Version(NIV) です 原語の意味を知るには Theological Wordbook of the Old Testamet (R.L.Haris, G..L.Archer, Jr., B.K.Waltke/ Moodey Publishers) が役立ちます 4. それから 日本語で出版されている聖書によってどのようなことばで訳されているかをチェックします 私が使っている聖書は以下の訳です (1) 口語訳 (2) 新共同訳 (3) フランシスコ会訳 (4) 関根正雄訳 (5) 文語訳 (6) 岩波書店訳 ( 松田伊作訳 ) (7) 現代訳 ( 尾山令二訳 ) (8) リビングバイブル (LB 訳 ) (9) カトリック典礼委員会詩篇小委員会の詩篇現代訳 ( あかし書房 ) (10) バルバロ訳 これらはすべて現在入手できます なお 英語のさまざまな訳も調べるならば 原語のもっている意味合いがより明確にイメージすることができます 5. 選択したある礼拝用語のイメージを描くことができたならば そのことばを その詩篇全体から あるいは聖書全体から瞑想し 味わいます このようにして ヘブライ語の礼拝用語の一つからでも 神とのかかわりのすばらしさを味わうだけでなく 神の民の一人として旧約の人々と共感する楽しみができます そして それを日々の信仰生活の中でどのように生活化するかによって霊性が形成されていきます 6. 詩篇瞑想の目的はあくまでも神と自分とかかわりを豊かにするためのものです 絃学的になることを自ら戒めつつ 礼拝者としての在り方を学ぶことを目指します 6

8 詩 1 篇 口ずさむ ( カテゴリー : 祈り 瞑想 ) ーハーガ ה ג ה 2 節 まことに その人は主のおしえを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ Keyword; 口ずさむ 思い巡らす 1:2/35:28/63:6/77:12/143:5/ meditate, 口ずさむ ( あるいは 思い巡らす 新改訳 / 新共同訳 / 岩波訳 ) 思う ( 口語訳 ) meditate と訳されているハーガー ג ה ( hagah )ה は 旧約で 25 回 詩篇では 10 回使われ ています その意味は うめく つぶやく 声を出す ささやく 親しく語る 考える 思う です 旧約の詩人にとって 神とそのみことば あるいは御業は口を用いて言い表すことに直結されていたようです 口語訳では 思う と訳されていたハーガー ( hagah )ה が 新改訳 新共同訳で 口ずさむ と訳されているのは 原意に近づけた ג ה ものと思われます ちなみにバルバロ訳では 瞑想し 典礼訳では 心に留める と訳されています 主の教えを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ 者こそ 幸いなことだとするこの詩篇第 1 篇は 詩篇全体を読み解く大切な鍵とも言える詩篇だと言えます というのも 詩篇はもともと神の御前での瞑想によって生まれたものであり それが書き記され編纂された目的は神の民が瞑想に用いることができるためでした それゆえ 詩篇は今日に至るまで瞑想の祈りの源泉となっています イスラエルの歴史において 神の民が 昼も夜もそのおしえを口ずさむ ようになったのはバビロン捕囚の経験を通してです この辛い悲しむべき経験を通して 神の民ははじめて神を深く思い巡らし 神を知るようになったようです その結晶は 神と親しくかかわる者にとって いついかなる時代においても 共感し得るものとなっています ג ה口ずさむ 思い巡らす と訳されたハーガー ( hagah )ה は 祈りにおける 瞑想 の用語です ( 瞑想の他に 黙想 観想という祈りもあります ) 瞑想とは 神を全人格的に愛し 神が私たちに望まれる生き方をするために いわば 神のことばを知性によって熟考することを意味します 瞑想の祈りとは神のことばを手掛かりとした神とのコミュニケーションです それゆえ 瞑想は思考を停止することではなく むしろ心の目を開いて神の心を知ること 神のわざを見ること しかも個別に見て数えること それをよく考えること その上で思ったことを語り出すこと 歌い出すこと そのすべてを含んでいます ג ה瞑想用語であるガー ( hagah )ה の類義語としては以下のものがあります / zakhar )ז כ ר ザーカル ) 思い出す 思い起こす 思い続ける remember あのとき このときの恵みを一つ一つ思い起こしてその重みを確かめる 77:3, 5/106:7/109:16 思い返す 思う 原意は 計算する 77:5/119:59 / chashav )ח ハーシャヴ ) שׁ ב 語り合う 静かに考える / siach )שׂ シーアハ ) 思いを潜める ( 自分の心と ) יח 思い巡らす 深く思う 77:3/119:15,23/145:5/143:5 7

9 詩 2 篇 身を避ける ( カテゴリー : 信頼 ) ハーサー ח ס ה 12 節 幸いなことよ すべて主に身を避ける人は Keyword; 身を避ける 寄り頼む 2:12/5:11/7:1/11:1/16:1/17:7/18:2,30/25:20/31:1,19/34:8,22/36:7/37:40/ 57:1, 1/61:4/64:10/71:1/91:4/118:8, 9/141:8/144:2 いかいに幸いなことか 主を避け所とする人はすべて ( 新共同訳 ) すべて主に寄り頼む者は幸いである ( 口語訳 ) すべて彼に依り頼む者に幸あれ ( 関根訳 ) 幸いだ かれのもとに逃れる者たちはみな ( 岩波訳 ) しかし 主に信頼する者は なんと幸いでしょう (L.B 訳 ) put trust in Him / take refuse in Him / seek refuge in Him / find their refuge in Him / 以上のようにさまざまな表現で訳されていますが 大切な点は 身を避ける ことが単なる逃避ではなく 最も頼りになる方を求めて得ること あるいは その方の保護を見出すということです 旧約 37 回 そのうち詩篇が 25 回と最も多く 信頼を表わす詩篇特愛の動詞と言えます 身を避ける と訳されたハーサー ס ה ( chasah )ח は 他に 声を上げない 静まる 沈黙する 無言 といったことばでも訳されています この詩 2 篇は まさに神に対する勢力が 騒ぎ立ち 空しくつぶやき 立ち構える 状況に対して 神がご自身の御子によって 彼らを打ち破るという神の救いの計画の全貌が預言的に語られている詩篇です そうした文脈の中での 身を避ける とは いかなる環境や状況に置かれることがあっても 主の信頼によるゆるぐことのない平安 落ち着き 沈黙が与えられることです イエスの弟子たちが舟で向こう岸に渡ろうとしたときに 突然襲った突風で 今にも舟が沈みそうな恐れの中で弟子たちは 主イエスに なんとも思わないのですか とその恐れをぶちまけています しかしそのときイエスはなんと眠っておられました これは御子イエスが御父に 身を避けて おられたからです 神の子とされた私たちのこの世の務めは 何よりも主を信頼することです イエスが わたしを離れては あなたがたは何もすることができない ( ヨハネ 15 章 5 節 ) と言われたように 主に身を避ける ことを学ぶことなしに 私たちがなし得るものは何一つないことを心に深く刻みつけたいと思います ちなみに 詩 1 篇 2 節の 喜ぶ と詩 2 篇 12 節の 身を避ける ことが 詩 5 篇 11 節においては あなたに身を避ける者がみな喜び と密接に結び合わされています 8

10 詩 3 篇 身を横たえて 眠る ( カテゴリー : 信頼 ) シャーハヴ שׁ כ ב 9 ヤーシェン י שׁ ן 5 כ ב節 私は身を横たえて שׁ י שׁ ן眠る 私はまた目をさます ( 新改訳 ) わたしはふして眠り また目をさます ( 口語訳 ) それで 安心して横になり ぐっすり眠りました (L.B) I lie(lied) down and sleep(slept) Keyword; שׁ כ ב1 身を横たえる 伏す 3:5/4:8/41:8/57:4/68:13 眠る 3:5/4:8/13:3/44:23/121:4 י שׁ ן2 5 節の 身を横たえて 眠る には二つのヘブル語が使われています ひとつは 身を כ ב横たえる のシャーハヴ ( shakhav )שׁ 憩う 座す 住む とどまる 泊まる 眠る 寝る 伏す 休む 横になる といった意味があります もうひとつは 眠る のヤーシןェン,( yashen )י שׁ sleep です 前者は旧約で 207 回 うち詩篇は 5 回 後者は旧約で 18 回 うち詩篇では 5 回です ちなみに 詩 121 篇 4 節では イスラエルを守る方は まどろむこともなく 眠ることもない とあります 私たちを守る方は まどろむことなく 眠ることなく 私たちを支え守っていて下さるので 私たちは安心して 眠る ことができるのです この詩 3 篇では 表題にもあるように ダビデが有能な息子の一人アブシャロムによる謀反によって都落ちした状況が背景にあります あらゆる危険がダビデを取り囲んでいるにもかかわらず ダビデは安らかに眠ることができました そして再び 朝の陽の光を見ることができたのです これは神の守りに支えられているという明らかな証拠です この眠りは 決して 怠け者の怠惰な眠りではありません 神の懐にとどまり そこに匿われていることの確信が安眠をもたらします この祝福は 御子イエスにも そして使徒ペテロにも見られました ( 参照 マタイ 8 章 23~27 節 使徒 12 章 6 節 ) 安眠の祝福は 次篇の詩 4 篇の主題でもあります その 8 節には 平安のうちに 私は身を横たえ すぐ眠りにつきます 主よ あなただけが 私を安らかに住まわせて下さいます とあります 安心して眠ることかできる幸いが 告白されています 箴言 3 章 24 節 あなたが横たわるとき あなたに恐れはない 休むとき 眠りは心地よい にわかに起こる恐怖におびえるな 悪者どもが襲いかかってもおびえるな 主があなたの足がわなにかからないように 守ってくださるからだ ちなみに セラー ל ה ( selah )ס ということばがこの詩篇で初めて登場していることにも留意しておきたいところです セラー は 休息 安息 を意味する音楽用語と言われています 主にある セラー の祝福を日々過ごせる者となりたいものです また 主にある親しい同労者同士で セラー トーヴ ( ס ל ה טוב ) 良い休息を と挨拶して別れるのも良いかもしれません

11 詩 4 篇 呼ぶ 呼ばわる ( カテゴリー : 祈り ) カーラー ק ר א 1 節 私が呼ぶとき 答えてください 3 節 私が呼ぶとき 主は聞いてくださる Keyword; 呼びます 呼ばわります 叫び求めます call, cry, cry out, call for help, 3:4/4:1, 3/17:6/18:3, 6/20:9/22:2, 7/28:1/30:8/31:17/34:6/50:15/55:16/56:9/57:2/61:2/ 66:17/69:3/80:18/81:7/86:3, 5, 7/88:9/89:26/91:15/99:6/102:2/119:145,146/120:1/141:1 カーラー ר א ( qara )ק は 呼ぶ 呼び求める 呼びかけるだけでなく 訴える 叫ぶ 会う 向き合う 告げる 出会う 出迎える となえる 名づける 招く 召す 召し集める 召し寄せる などの意味があります 誰に向って訴えるのか 誰に向って叫ぶのか 誰に向って呼び求めるのか そこが重要なポイントです 私が呼ぶとき 主は聞いてくださる この 主 との呼応関係こそ 永遠のいのちと言われるものです このカーラー ר א (' qara )ק は 旧約で 733 回 そのうち詩篇では 57 回使われています 4 節には 恐れおののけ そして罪を犯すな 床の上で自分の心に語り 静まれ とあります ここでの 罪 とは 文脈から見るならば だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか (6 節 ) と多くの者たちが言っているように だれでもいいから というその場限りの呼びかけです つまり 自分に良い目をみせてくれるならだれであってもいいという心こそが 神に対する大きな罪です こうした罪が聖徒とされた者 ( 神の子どもとされた者 ) にも潜んでいるかもしれません 4 節は そうした心が自分のうちにないかどうか 点検する必要が訴えられています (4 節 ) 御子イエスはしばしば一人になり御父に向って呼ばわりました そしてそれに答えて御父はみこころを示されました このみこころに御子イエスは従われたのです この関係こそ神の子とされた者の在るべきかかわりです 御父は御子に対してそうであられたように ご自身の子どもである私たちに対しても いつも良いものを与えてくださり いつも良い目を見させてくださる方です ですから このことを詩 4 篇では 知れ 主は ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ ( 詩 4 篇 3 節 ) と表現しているのです 詩人の八木重吉は 赤子が泣くのは必死に神を呼んでいるのだ言いました 私たちも赤子が母親を呼び求めて泣くように 神を呼び求めたいと思います 御父は呼び求める私たちの声にーそれがどんなに弱々しい声であったとしてもー必ず 耳を傾けて聞いてくださ る方です そして そのことを信じることが最も大切なことです ר אカーラー ( qara )ק שׁ ו עの類義語としては シャーワー (shawa`) があります 新改訳 では 叫び求めます 口語訳では 呼ばわります 新共同訳では 求め叫びます と訳されます 詩篇 28:2/72:12/88:13/119:147 参照 大きな声を出して助けを叫び求めることを意味します 主は 私たちのなりふりかまわない叫びを 体裁を繕わない心の叫びを聞いて下さる方です 10

12 詩 5 篇 ひれ伏す 伏し拝む ( カテゴリー : 従順 ) ハーヴァー ח ו ה 7 節 あなたの聖なる宮に向ってひれ伏します I will worship / I bow down Keyword; ひれ伏す 伏し拝む worship, bow down, 5:7/22:27, 29/29:2/45:11/66:4/72:11/81:9/86:9/95:6/96:9/97:7/99:5, 9/106:19/132:2/ 138:2 ו הひれ伏す と訳されたハーヴァー ( chawah )ח は かがむ 拝む 敬意を表する 拝する ひざまずく ひれ伏す 伏し拝む 伏す 身をかがめる 礼拝する といった意味があります 旧約では170 回 詩篇では17 回使われています 神に対する最高のささげものは礼拝です その礼拝の態度は王の前に身をかがめている家来のそれであり その根本的な思想は 伏し拝み 屈伏することです 英語で礼拝することを worship と言います 元々はアングロサクソン語の worthscipe ということばで ある対象に価値を帰する という意味のようです 礼拝とは礼拝している方に価値を帰することだと言えます ヨハネの黙示録にも礼拝の風景が描かれています 4:10 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して 永遠に生きておられる方を拝み 自分の冠を御座の前に投げ出して言った 4:11 主よ われらの神よ あなたは 栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です あなたは万物を創造し あなたのみこころゆえに 万物は存在し また創造されたのですから ここに真の礼拝があります 順序が大切です まず最初に彼らは ひれ伏して いまו הす ハーヴァー ( chawah )ח ひれ伏す とは礼拝している方に対する服従です そしてそのあとに 彼らは自分の冠を御座の前に投げ出しています ヨハネの黙示録が書かれた時代には 王がローマの軍隊に征服されると 彼は皇帝の巨大な像の前にひれ伏し 自分の冠をその足下に投げ出すことが要求されました これが 彼の皇帝に対する完全な服従と自分の王位の放棄の行為でした そのように 礼拝における二つの行為 一つは ひれ伏す こと もう一つは礼拝する方の足下に冠を投げ出すことです この冠を投げ出すことの要求は キリストの そしてキリストだけの栄光のために生きようと願うことです 換言すれば 真の礼拝のために欠くことのできない第一の条件は 完全な服従 第二の条件は キリストにのみ栄光が帰されること です 黙示録 4 章 11 節では 礼拝者たちが御座に着いておられる方に あなたはそれがふさわしい と言って価値を帰している姿を見ることができます 最もふさわしい方に 価値を帰する (worth-ship) こと これが礼拝なのです 11

13 詩 6 篇 ほめたたえる 感謝する ( カテゴリー : 賛美 ) ヤーダー י ד ה 5 節 よみにあっては だれが あなたをほめたたえるでしょう Keyword; ほめたたえる 感謝をささげる praise, give thanks, 6:5/7:17/9:1/18:49/28:7/30:4, 9, 12/32:5/33:2/35:18/42:5, 11/43:4, 5/44:8/45:17/49:18/ 52:9/54:6/57:9/67:3, 5/71:22/75:1/76:10/79:13/86:12/88:10/89:5/92:1/97:12/99:3/ 100:4/105:1/106:1, 47/107:1, 8, 15, 21, 31/108:3/109:30/111:1/118:1, 19, 21, 28, 29/ 119:7, 62/122:4/136:1, 2, 3, 26/138:1, 2, 4/139:14/140:13/142:7/145:10/ ה詩篇ではじめて登場するヤーダー ( yadah )י ד というヘブル語は 本来 投げる という意味があり そこから 神に視線を向け 神に向って投げるものは 賛美であり 感謝 הそして信仰告白ということになります ヤーダー ( yadah )י ד は ほめたたえる 感謝する 告白する あかしする 言い表す 称賛する たたえる 等 と訳されています 旧約では111 回 そのうちの67 回が詩篇で用いられています まさにこの動詞は詩篇特愛 הのものと言えます ヤーダー י ד חの名詞はトーダー ( todah )תּו ד です 類義語としては ל ל )ח ハーラル ) ר ך )בּ バーラク ) )רוּם ルーム ) ז מ ר ( ザーマル ) (yadah,) の特徴は手を神に投げ出すように高く י ד הがありますが ヤーダー シール ) )שׁיר 上げて感謝するという意味合いの強い用語です ルカの福音書 1 章に御使いガブリエルが祭司ザカリヤのもとを訪れ あなたの妻エリザベツは男の子を産みます 名をヨハネとつけなさい その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり 主の御前にすぐれた者となるからです 彼は イスラエルの多くの子らを 彼らの神である主に立ち返らせます と言いました しかし ザカリヤはガブリエルの言ったことを信じることができず その不信仰のゆえに おしになってしまいました やがてエリザベツが子を生んだとき ザカリヤはこの子の名を御使いガブリエルの言う通りに ヨハネ と名づけたとき たちどころに口が開け 舌は解け ものが言えるようになり 神をほめたたえました それが ザカリヤの歌 です 神をほめたたえることは 神への信仰なしには口から出てくることはありません 神への賛美 神への感謝は 信仰の大いなる神のみわざの証と言えます 詩 6 篇の作者が よみにあっては だれが あなたをほめたたえるでしょう (5 節 ) と言いましたが 私たちはまさによみから 泥沼から救い出された者です 神をほめたたえることなど無縁の世界にいた者が 今や キリストにあって救い出され 口が開かれ 舌は解かされて神をほめたたえる者とされたのです 詩 40 篇 3 節に 主は 私の口に 新しい歌 われらの神への賛美を授けられた とあるように 賛美は神が私に授けられたものです それゆえ 私たちは手を高く上げて神に感謝し ほめたたえるべきなのです 12

14 詩 7 篇 ほめ歌う ( カテゴリー : 賛美 ) ザーマル ז מ ר 17 節 主を 私はほめたたえよう いと高き方 主の御名をほめ歌おう ) ザーマル )ז מ ר ) ヤーダー )י ד ה Keyword; ほめ歌う sing praise, make music, 7:17/9:2, 11/18:49/21:13/27:6/30:4, 12/33:2/47:6(4 回 ), 7/57:7, 9/59:17/ 61:8/66:2, 4/68:4, 32/71:22, 23/75:9/92:1/98:4, 5/101:1/104:33/105:2/ 108:1, 3/135:3/138:1/144:9/146:2/147:1, 7/149:3 ז מ רほとんどの聖書がザーマル (zamar) を ほめ歌おう ほめ歌います ほめ歌を歌います と訳しています 英語では I will sing praises to / singing praises と訳しています רザーマル ( zamar )ז מ は 旧約では45 回 詩篇では42 回ですから ほとんど詩篇特愛の動詞だということが分かります 特に このことばは 様々な楽器をもって主に歌い 賛美するという意味です 楽器を伴った音楽は しばしば戦いのために あるいは戦勝の祝い ( 凱旋 ) のために用いられましたが ダビデの時代になってからは 神を礼拝するためにさまざまな楽器を用いて賛美するようになりました イスラエルの歴史の中で賛美を全盛期に至らしめたのはダビデ王です ダビデは主を賛美するための楽器を自らも奏でることができましたし やがてダビデは神殿において昼も夜も24 時間の賛美をささげるヴィションをもっていました そこでは祭司たち および四千のレビ人たちが ダビデが賛美するために作った楽器を手にして 主を賛美する者 として登用されました ( 但し 実際にそれをしたのはソロモン王でした ) 神殿で仕えるレビ人は20 歳以上でしたが 音楽に携わるレビ人は30 歳以上でなければなりませんでした それだけ霊的にも技術的にも高度なものが要求されたと考えられます なかでも 特別に歌の訓練を受けた288 人の賛美奉仕者 ( 音楽の達人 ) がいたようです Ⅰ 歴代誌 25 章 7 節参照 しかも彼らは各 12 人ずつ24 組に分けて順番に奉仕に当たったようです ラッパを吹く祭司たちも24 組に分けて奉仕しています Ⅰ 歴代誌 15 章 17~28 節をみるならば さまざまな楽器と熟練した器たちによる賛美があったことを知ることができます 詩篇 150 篇には 角笛 十弦の琴 立琴 緒琴 笛 シンバルの楽器で神をほめたたえるべきことが命じられています これは現代の楽器でいえば 金管楽器 弦楽器 木管楽器 打楽器に相当します 長い間 プロテスタント教会は宗教改革時代からオルガンだけが神を賛美するための楽器であると考えてきました しかし ダビデの時代にはフル オーケストラで神を賛美していたのです 現代の教会はもっと多くの賛美を担う器たちが起こされるように祈らなければなりません ダビデがしたように 神をほめ歌う音楽をサタンの手から 奪還 しなければなりません 13

15 詩 8 篇 なんと いかに ( カテゴリー : その他 ) マー מ ה 1&8 節 私たちの主 あなたの御名は全地にわたり なんと力強いことでしょう Keyword; なんと ( 驚きを表わす感嘆詞 ) 14 how なんと力強いことでしょう ( 新改訳 新共同訳 ) いかに尊いことでしょう ( 口語訳 関根訳 ) なんと偉大なことか ( 岩波訳 ) How excellent, how glorious, how majestic, 詩篇ではじめて登場する感嘆詞の なんと という語は 詩篇の中では神のみわざ 神の属性に対する驚きの反応です 信仰者にとって このような神への驚きは その信仰のきずなを深めるうえで重要な要素だと信じます この詩 8 篇では 二つの< 驚き>が記されています ひとつは 主の力強さが 幼子や乳飲み子たち に代表されるこの世で最も弱い存在 これは弟子たちを表わしています マタイ11 章 25 節参照 -によって打ち建てられるという驚きであり もうひとつは 天体と比較するときわめて小さな存在である人の子に 主が顧みられる 心を留められるということの驚きです 双方とも 常識ではありえないことだからです このような驚きに 私たちひとりひとりが共感できるかどうかが詩篇瞑想の醍醐味の一つです 私たちのすべての営みは 何らかの感動によって動機づけられ 行為を誘発させられます ですから 神に対する無感動は神への無気力を産みます 神への感動なくして神を深く知っていくことはできません 驚きなくして 何も伝えるものはありません 驚き 感動は いのち そのものです 学問の世界においても 事実に対する驚きがあり 疑問が起こって探究がはじまり 真理を発見します ただ 信仰の世界の驚きが学問の世界の驚きと異なる点は 上から つまり聖霊によって賦与されるものだということです マルタとマリアの二人の違いはここにあります マルタは主をもてなすために あれこれと心配して心を騒がせましたが マリアは主の足下に座り 主の語ることばに耳を傾けました この姿勢から霊的な 驚き と 感動 が生まれるものと信じます 詩篇におけるこうした驚きをみることができます あなたのいつくしみはなんと大きいことでしょう ( 詩 31 篇 19 節 ) 神よ あなたの恵みはなんと尊いことでしょう ( 詩 36 篇 7 節 ) 万軍の主よ あなたのお住まいはなんと慕わしいことでしょう ( 詩 84 篇 1 節 ) なんと幸いなことでしょう あなたの家に住む人 シオンへの大路のある人は ( 詩 84 篇 4,5 節 ) あなたのみことばは 私の上あごになんと甘いことでしょう ( 詩 119 篇 103 節 ) 見よ 兄弟たちが一つになって共に住むことは なんという幸せ なんという楽しさであろう 他にも 84:5,12/92:5/94:12/104:24/119:138/139:4,17 参照 ( 詩 133 篇 1 節 )

16 詩 9 篇 語り告げる ( カテゴリー : 宣教 ) サーファル ס פ ר 1 節 私は あなたの奇しいわざを余すところなく語り告げます ( 新改訳 ) わたしは あなたのくすしきみわざをことごとく宣べ伝えます ( 口語訳 ) Keyword; 語り告げる 告げる tell, talk, proclaim, declare speak, count 2:7/9:1, 14/19:1/22:22/26:7/40:5/48:12/6616/71:15/73:28/75:1/78:4/79:13/119:13/145:6 サーファル פ ר ( saphar )ס の本来の意味は 数える 数を調べる 記す の意味 そのピ エル動詞が 言い表す 語り伝える 語る 告白する 告げる 伝える 宣べ伝える 物 ( sopher )ס פ ר語る です 同じ語幹を持つ名詞ソフェル は学者 書記官を意味します したがってニュアンスとしては 学者が事実を調べて それを正確に把握し 整理して伝えるということの意味合いが強い言葉です だれが だれに なにを どのように 語り告げるのかに注目する必要があります ( nagad )נ גד類義語としてはナーガド があります 新改訳では 告げ知らせる 言いפ ר表わす 口語訳では ( sapher )ם と同様 宣べ伝える 新共同訳では 語り伝える と訳されています 英語では tell, show, proclaim, declare です 情報を伝える 説明する 報告するといったニュアンスです 9:11/19:1/22:31/64:9/71:17/145:4 ס פ רどうやらサーファル (saphar) ( nagad )נ ג דが使われているところにナーガド も置か ב רれているようです 他に ダーバル dabar)2:5/49:3/85:8/115:11/145:11,21 )דּ ハーガーがあります hagah)35:28/37:30/71:24 )ה ג ה ルカも福音書を書くときに 次のように述べています 私たちの間ですでに確信されている出来事については 多くの人が記事にまとめて書き上げようと すでに試みておりますので 初めからの目撃者で みことばに仕える者となった人々が 私たちに伝えたそのとおりを 私も すべてのことを初めから綿密に調べておりますから あなたのために 順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います 尊敬するテオピロ殿 それによって すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを よくわかっていただきたいと存じます ( ルカ 1 章 1~4 節 ) 確かな神の事実を 驚くべき事実を ことごとく 余すところなく すべて きちんと整理し 順序立てて 語り告げる ことが 神の祝福にあずかった私たちの責任です なぜなら 神は私たちを通してご自身をあかしするために選ばれたからです ルカが初代教会において神が主イエス キリストを通してなされた驚くべき御業を書き記したように 私たちは自分の歴史において あるいは教会において ことごとく語り告げることを神に約束する必要があります こうした約束 ( 誓約 ) があるところに 神の御業はよりはっきりと見えるようになると信じます 15

17 詩 10 篇 なぜ なにゆえ どうして ( カテゴリー : その他 ) ラーマー ל מ ה 1 節 主よ なぜ あなたは遠く離れてお立ちなのですか 苦しみのとき なぜ 身を隠されるのですか なぜ 悪者は 神を侮るのでしょうか (13 節 ) Keyword; - 信仰を深化させる問いとしての なぜ なにゆえ どうして why, 2:1/10:1(2 度 ),13/22:1/44:24,25/74:1,11 詩 10 篇には3 度 (1 節 13 節 ) הも なぜ ラーマー ( lamah )ל מ という理由を神に問うことばがあります しかも 作者は神の不在を感じています その発端は悪者の道が いつも栄え (5 節 ) 成功しているように見えるからでした 勝手気ままにしながら栄えている現実に 神は沈黙し 遠くにおられるように作者には思えたのです 詩 2 篇においても 天の御座に着いておられる方は笑う 主はその者どもをあざけられる (1 節 ) という天的現実があるにもかかわらず なぜ国々は騒ぎ立ち 国民はむなしくつぶやくのか との地的現実があります 沈黙を続ける神に向って 耐え切れぬ叫びが どうして なぜ なにゆえ という理由を問う言葉となって投げかけられます この叫びは 嘆きの詩篇の特長ですが その叫びの根底には信頼があります もし 信頼がなければ理由を問うことすらしないはずだからです ダビデは若くして 預言者サムエルを通してイスラエルの王となるべく任職の油を注がれました しかし それからダビデの苦悩は始まりました 自分の罪のゆえではなく サウル王の嫉妬による執拗な殺意によってダビデは10 余年の間 放浪を余儀なくされました どうして なぜ なにゆえ という昼も夜も重くのしかかる問い それは 長引く苦難の中で 神が遠くに感じられるような日々の中で いかなる状況の中においても神を信頼するかどうかのテストでした ダビデの思いとは裏腹に 神の沈黙 神の不在の経験を通して ダビデはいつしか 貧しい者 みなしご しいたげられた者 と連帯していきます ダビデが荒野の放浪を余儀なくされたとき 当時の社会では生きられなくなった者たちがダビデのもとに集まってきました (Ⅰサムエル22 章 2 節 ) ダビデは彼らと寝食を共にしながら 不条理と思える逃亡生活を10 年余り続けました ところが やがてダビデがイスラエルの王として立てられたとき 彼らはダビデの身辺を守る命知らずの親衛隊となったのです だれがこんなことを考えることができたでしょうか 信頼の絆は私たちの思いを越えたところで培われていきます 神の不在経験を多く通ることで 私たちの信仰の幻想は打ち砕かれて より確かな神の臨在を感じるようになるのです これこそ神の不在経験の隠された意義です つまり 神の不在経験は神とのかかわりをより深化させるための神の配剤なのです 16

18 詩 11 篇 仰ぎ見る 目を注ぐ ( カテゴリー : 渇望 ) 7 節 直ぐな人は 御顔を仰ぎ見る ハーザー ח ז ה Keyword; 仰ぎ見る see, look upon, behold, gaze 11:7/17:15/27:4/63:2 ז ה仰ぎ見る と訳されたハーザー ( chazah )ח は 見る 目を注ぐ 注視する 預言する 仰ぎ見る という意味です 11 篇 7 節 17 篇 15 節では 御顔 を 27 篇 4 節では 主の麗しさ を 63 篇 2 節では あなた を仰ぎ見るとあります 動詞のハーザー ז ה ( chazah )ח が名詞になると ハーゾーン זו ן ( chazon )ח 幻 黙示 預言 となります 箴言 29 章 18 節 幻がなければ 民はほしいままにふるまう にある 幻 זו ןがハーゾーン ( chazon )ח 口語訳では 預言 と訳されていますー この言葉は このままでは本当の意味は伝わりません なぜなら ここで 幻 と訳されている言葉の原語の意味は 日本語とは異なっているからです 幻 という言葉は 例えば広辞苑では 実在しないのに その姿が実在するように見えるもの と説明されています それゆえ この訳語のままであれば 本来は実在しないものだが 実在するように見えるものがなかったら 民は堕落する という奇妙な意味になってしまいます この箴言 29 章 18 節の意味は 神の国という確固たる実在を見つめていない民は滅びる ということです この 幻 と訳された原語ハーゾーンは ハーザー ( 見る ) という動詞から作られた言葉ですが 実際に霊的な目で見たことを意味します しかし 本当は存在するが大多数の人たちには隠されているのです 特別に神に引き上げられた人はそれを見ることを得させていただくのです 英語訳では この言葉は多くが vision( 見ること ) と訳しているのもそのような意味を原語が持っているからです 預言者を指す呼称の一つ 先見者 ホーゼーとも関連のある語です (Ⅰサム24:11) ח ז ה 神に選ばれた人が 神によって特別に霊的なものを見せられたことを言うのであって 単に神秘的なことを見るだけでなく 霊的に引き上げられて与えられた神の言葉をも指す言葉なのです 前方に見つめるものを持たないとき 人間は混乱し 精神に確固たる秩序を失い 荒廃するということです この世がまさにその通りです 神の国を見つめることをせず 金や快楽 地位 名声などを見つめていくときには 人間は手綱を失った馬のようにめいめいが勝手な方向にいき 互いに争い 憎んだり 戦ったりするようになります そして そのあげくには滅びということになるのです ז הハーザー ( chazah )ח の類義語としては以下のものがあります nasa )25:1/86:4/143:8 )נ ש אナーサー 仰いでいます ( 新改訳 ) 仰ぎ望みます ( 口語訳 ) נ ב טナーバト (nabat) 34:5 仰ぎ見る 17

19 詩 12 篇 聖徒 神を敬う人 ( カテゴリー : その他 ) ードハーシ ח ס יד 1 節 主よ お救いください 聖徒はあとを絶ち 誠実な人は人の子らの中から消え去りました Keyword; 聖徒 ( 新改訳 ) 神を敬う人 ( 口語訳 ) 信仰深い者 ( 尾山訳 ) 主の慈しみに生きる人 ( 新共同訳 ) the godly man(nkjv) 4:3/12:1/16:10/30:4/31:23/32:6/50:5/52:9 詩 12 篇にはめずらしく礼拝用語なるものが一つもありません しかし 礼拝者に関する ס יד重要なことばがあります それは 聖徒 と訳されているハーシード ( chasid )ח 複 ס ידים数形はハシディーム ( chasidim )ח 口語訳では 神を敬う人 新共同訳では 主 の慈しみに生きる人 と訳されています 旧約では32 回 詩篇は26 回 まさに詩篇特有の語彙と言えます 詩 12 篇の作者は こうした人が消え失せてしまった 絶えてしまったという深刻な事態を主に訴えています ヘブル語のハーシード ס יד ( chasid )ח は 敬虔な という意味ですが ハシディームの形で 聖徒たち と訳され 主として詩篇に用いられています (chasidim) ח ס ידים (ח ס ד またこの語は 恵み深い者 ( 詩 18:25) とも訳されることばで 神のあわれみ ( ヘセド の概念に基づく敬虔に強調点があるようです すなわち それは人格の優秀さにではなく 神の選びと恵みを賜わった者という点に強調がおかれているようです 神はいつの時代にも 霊とまことをもって神を礼拝する者たちを求めておられます しかし今や 真の礼拝者たちが消え去り 見当たらなくなったというのです こうした事態に 神は 今 わたしは立ち上がる (12:5) という答えがこの詩篇の鍵のことばとなっています ところで ס יד ( chasid )ח ס ידים ( chasidim )ח は 18 世紀に東ヨーロッパで勃興した ハシディズム運動があります この運動はユダヤ教の信仰復興運動として注目すべき出来事です そもそも この運動は正統派ユダヤ教の知的偏重主義に対する反発として始まりました この運動の創始者パールシェム トーブ 通称 ベシュトはカリスマ的魅力をもっており 大勢の信奉者を集めました その教えの強調点は 生き生きとした信仰 情熱的な礼拝 同胞意識の喚起 共同体生活の重視などにあります ハシディズムのユダヤ教とは 教えの体系 というよりも 生きる道 を重視し 歌や踊りを取り入れながら 神と人との親しい交わりを追求しました また この運動を通して多くの新しいメロディーが生まれ それは後のイスラエルのフォークソングとなりました 詩 4 篇 3 節には 知れ 主は ご自分の聖徒 ס יד) (ח を特別に扱われるのだ とありま す 聖徒があとを絶ち 人の子らの中から消え去ることを 神が決して良しとはされないということを知ることができます 18

20 詩 13 篇 歌う ( カテゴリー : 賛美 ) シール שׁ יר 6 節 私は主に歌います 主が私を豊かにあしらわれたゆえ Keyword; 歌います sing 21:13/27:6/33:3/57:7/59:16//65:13/68:4,32/96:2/98:1/149:1 ירシール ( shir )שׁ は 主に向かって賛美や感謝の歌を 歌う こと これこそ神の民の特異な面です ダビデの時代の以前において 神の民が主に対して歌った 新しい歌 があります その歌の記述は出エジプトの出来事の後です モーセとイスラエル人は以下のような勝利の歌を歌いました 主に向かって私は歌おう 主は輝かしくも勝利を収められ 馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた ( 出エジプト 15 章 1 節 ) モーセの姉ミリアムもダンバリンを手に取り 女たちの踊りの先頭に立ちながら 同じく 主に向かって歌え 主は輝かしくも勝利を収められ 馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた ( 同 21 節 ) と歌いました この時代の歌はリズム楽器によって伴奏されたようです 以後 神の偉大な御業を経験した民たちは神の御業のストーリーを語り 歌をもって主に賛美することとなるのです 士師記 5 章のデボラも同様 勝利の歌を歌いました その日 デボラとアビノアムの子バラクはこう歌った イスラエルで髪の毛を乱すとき 民が進んで身をささげるとき 主をほめたたえよ 聞け 王たちよ 耳を傾けよ 君主たちよ 私は主に向かって歌う イスラエルの神 主にほめ歌を歌う キション川は彼らを押し流した (1~3 節 21 節 ) シール יר ( shir )שׁ の類義語としては 賛美します ほめたたえます の ל ל ( halal )ח があります ( zamar )ז מ ר ( rum )רום ( barak )ב ר ך ( shebach )שׁ ב ח ( yadah )י ד ה ל לハーラル ( halal )ח はもともと 輝く 誇る という意味で 派手に にぎやかに 主を賛美し ほめたたえるという意味があります シェヴァフ ב ח ( shebach )שׁ もどちらかというと 大きな声を上げて 叫ぶように賛美す る言葉です バーラク ר ך ( barak )ב は神の前にひざまずき 静まって賛美する意味合いのことばです とは異なり 声を出さないということが特長です ( shebach )שׁ ב ח ( halal )ח や ל ל הヤーダー ( yadah )י ד は 感謝をこめて 手を高くかかげて賛美するという意味の言葉です 手を挙げるという行為は 神から来るものを受け取るという信仰の告白的行為であり 神への降伏 あるいは神にささげるという意味合いがあります 詩 13 篇の作者が 主に歌う (I will sing) のは 主が私を豊かにあしらわれたゆえ לとしています 豊かにあしらわれた というガーマル ( gamal )ג מ は 乳離れする 実を結ぶ 熟す 報いを与える という意味で treat, receive, reward と訳されます 19

21 詩 14 篇 喜ぶ 喜び楽しむ ( カテゴリー : 賛美 ) サーマフ שׂ מ ח 7 節 主が とりこになった御民を返されるとき ヤコブは楽しめ イスラエルは喜べ Keyword; 喜ぶ rejoice, be glad 5:11/9:2/14:7/16:9/21:1/31:7/33:21/34:2/38:16/53:6/63:11/64:10/66:6/67:4/69:32/70:4/ 96:11/97:1, 8, 12/104:15, 31, 34/105:3, 38/106:5/107:42/109:28/118:24/ 119:74/122:1/ 149:2 喜ぶ と訳されたサーマフ שׂ מ ח (samach) いう動詞は旧約で 154 回 そのうち詩篇 が 52 回と最も多く使われています 喜ぶ ということは 自発的な心であり 何者によっても強制されたりするものではありません それゆえ 新共同訳は 愛する と訳しています 愛 とは自発的なものであり 自分の内側からの促しであり 決して曲げることのできない信念 志 生きがいであり 自分のすべての行動を根底から支えているところのものです それゆえ 喜び とは単なる感情的なものではなく 存在論的 人格的交わりによるものといえます つまり 愛に支えられた喜びです イエス キリストは常にこの 喜び をもっており 弟子たちにも分かち与えようとされました ヨハネの福音書 15 章 11 節 わたしがこれらのことを話したのは わたしの喜びがあなたがたのうちにあり あなたがたの喜びが満たされるためです とあるとおりです שׂ מ ח喜び サーマフ (samach) ילと 楽しみ ギール ( gil )ג は しばしば 14:7 のようにワンセットとして用いられ 喜び楽しみます となります 31:7/32:11/118:24 (samach) 9:2/14:7/16:9/21:1/31:7/33:21/34:2/53:6/63:11/64:10/67:4/70:4/104:34 שׂ מ ח 祝う 輝く 喜び楽しむ 喜びを得る 喜び踊る 楽しむ 喜び迎える ( gil )ג 21:1/35:9/89:16 喜ぶ 楽しむ 喜び楽しむ 喜びをもつ joyful יל 類義語としては ラーナン נ ן ( ranan )ר 5:11/20:5/33:1/63:7/67:4/81:1/90:14/92:4/95:1 喜び歌う 喜び楽しむ の他に ハーペツ פ ץ ( chaphets )ח があります ハーペツ ( chaphets )ח は 愛する 動かす おのずから 気に入る 好む 慕う 楽し פ ץ む 良しとする といった意味合いがあります 主の愛に促された自発性の意味合いの ( sus )שׂוּש強い言葉です 他に スース ישׂあるいはシス ( sis )שׂ がありますが 喜び楽しむ (35:9) の意味です 幸いなことよ まことに その人は主の教えを喜びとし 昼も夜もそのおしえを口ずさむ ( 詩 1 篇 2 節新改訳 ) פ ץの 喜び は ヘペツ ( chephets )ח という名詞が使われています 作り笑いはできても 喜び はパフォーマンスすることのできない存在論的源泉です 自分が神から愛されているという自覚がなければ あり得ない喜びです 御子にとっての喜びは 御父の わたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ という永遠の愛のかかわりにあったことを忘れてはならないと思います 20

22 詩 15 篇 住む 住まう ( カテゴリー : 信頼 ) シャーハン שׁ כ ן グール גּוּר 1 節 (גּוּר) 主よ だれが あなたの幕屋に宿る のでしょうか כ ן) だれが あなたの聖なる山に住む (שׁ のでしょうか Keyword; 住む 37:3,27,29/65:4/69:36/102:28/104:12/120:5,6/139:9 כ ןシャーハン ( shakhan )שׁ は ある います 宿営する 住まう 住む とどまる 安きを得る 宿る といった意味があります このことばは 神と人との交わりにおいてとても重要なことばです なぜなら 聖書の神はインマヌエルの神であり 神が人ともにおられるということを 最も良しとされる神だからです 本来 幕屋建造の目的は 彼らが わたしのために聖所を造るなら わたしは彼らの中に住む ( 出エジプト 25 章 8 節 ) とあるように 神がご自身の民の中に住まうことでした 幕屋も 神殿も その目的は神と人とが共に住むというかかわりの場です そのかかわりは 単に同居という意味ではなく より親しいいのちに満ちた交わりを表現しています 共に住むとは すべてを共有することなのです シオンの聖所が破壊され バビロン捕囚となった神の民に 神は回復のメッセージを告げました シオンの娘よ 喜び歌え 楽しめ 見よ わたしは来て あなたのただ中に住む - 主の御告げーその日 多くの国々が主につき 彼らはわたしの民となり わたしはあなたのただ中に住む ( ゼカリヤ 2 章 10 節 ) この預言はイスラエルの捕囚からの回復とキリスト再臨によってもたらされる祝福が語られていますが いずれにしても 神がご自身の民のただ中に 住む ということが強調されています イザヤ書 57 章 15 節にも いと高くあがめられ 永遠の住まいに住む その名を聖ととなえられる方が こう仰せられる わたしは高く聖なる所に住み 心砕かれて へりくだった人とともに住む へりくだった人の霊を生かし 砕かれた人の心を生かすためである とあります ここにも ともに住む という言葉が強調されています 新約聖書では神と人が共に 住む ことを とどまる ということばで表わされます 主イエスは弟子たちに わたしにとどまりなさい わたしも あなたがたの中にとどまります 人がわたしにとどまり わたしもその人の中にとどまっているなら そういう人は多くの実を結びます わたしを離れては あなたがたは何もすることができないからです ( ヨハネの福音書 15 章 4, 5 節 ) と語られました 御子イエスが 御父の中に 御父のことばの中に 御父の愛の中にとどまっておられたという事実を 私たちは決して忘れてはならないと思います ( gur )גּוּר類義語は同節にあるグール 移住する 寄留する 住まう 滞在する とどまる 宿る を意味します 21

23 詩 16 篇 ほめたたえる ほめまつる ( カテゴリー : 賛美 ) バーラク בּ ר ךּ 7 節 私は助言を下さった主をほめたたえる まことに 夜になると 私の心が私に教える Keyword; ほめたたえる praise, I will bless, 16:7/18:46/26:12/28:6/31:21/34:1/41:13/63:4/66:8/68:19, 26, 35/72:18, 19/89:52/96:2/ 100:4/103:1, 2, 20, 21, 22/104:1, 35/106:48/115:18/118:26/124:6/134:1, 2/135:19, 20, 21/144:1/145:1, 2, 10, 21/ バーラク ר ךּ ( barak )בּ は 旧約で 327 回 詩篇では 74 回 あがめる かがめる 祝福 する ひざまずく 賛美する ほめたたえる ほめまつる たたえます という意味があります 賛美を表す用語ですが バーラクの特長は 声を出さずに 静まって ひざまずいて主を礼拝し 賛美するという意味合いの強い言葉のようです 詩 95 篇 6 節 来たれ 私たちは伏し拝み ひれ伏そう 私たちを造られた方 主の御前に ひざまずこう の ר ךּひざまずく はバーラク בּ ו ה伏し拝む ハーヴァー ( chawah )ח ひれ伏す カ כּ ר עーラー (kara`) ר ךּもみな類義語と言えます ひざまずく バーラク ( barak )ב の名詞 ר כ הは )בּ ベラカー ) です 詩 16 篇の作者がなぜ主をほめたたえているのかを瞑想すること これがこの詩 16 篇の鍵です 私の心が私に教える とは不思議な表現です 助言を下さる主 と 夜 と 私の心が私に教える とがどのように結びつくのでしょうか 新共同訳では次のように訳しています 主は 私を励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます と 新約では 助言者なる主 を 助け主 と表現しています 聖霊のことです 新約時代においては この 助け主 はキリストを信じるすべての者に例外なく与えられますが 旧約時代にはごく限られた人たちにだけ与えられました この詩篇の作者 ( ダビデ ) もその一人です 聖霊の働きの大切な役割は 私たちが人から言われたことばを思い起こすのではなく 御子イエスの語ったことを思い起こさせて下さることです ダビデはしばしば 夜 - 孤独のとき ひとりになるとき 静けさの中にあるとき あるいは 人生の特別な夜 つまり行き詰まりのとき 思案投げ首のときを意味しますーに聖霊の語りかけを聞き 自分の心が諭され いのちの道を教えられたようです この 助言者なる方 をダビデがいつも自分の前に置いたとき ( 新共同訳 相対したとき ) ゆるがされる ことがなく 私のたましは楽しみ 私の身もまた安らかに住まう ことができたのです 私たちも御霊の静かな小さな声を 夜 に聞くべきです 神と人とのかかわりのすべての領域において 私たちの 助け主 となってくださる 聖霊を悲しませてはならない ( エペソ 4 章 30 節 ) のです 主の前に ひさまずく ことと 助言者 の声に聞き従うこととは 密接な関係があるようです 22

24 詩 17 篇 満ち足りる ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) サーヴァー שׂ ב ע 15 節 しかし 私は 目ざめるとき あなたの御姿に満ち足りるでしょう しかし 私はそのようなこと(= 神に敵対する者たちが地上の宝を大事にし すべてがうまくいっていること ) に関心はなく あなたを仰ぎ見ることで心は満足します ( 尾山訳 ) Keyword; 満ち足りる 17:14/22:26/37:19/59:15/63:5/65:4/78:29 satisfy, 神の御姿に 満ち足りる ( 新改訳 口語訳 新共同訳 ) と訳されたサーヴァー ב ע (` sava )שׂ は 詩篇ではこの箇所だけです 多くは 食べることで満ち足りるという意味で使われています 91 篇 16 節 107 篇 9 節では 主が 満ち足らせる 方として使われています 主がすべてのことにおいて満ち足らせて下さる方であるゆえに 私は 満ち足りる ことができるのです バプテスマのヨハネがイエスについてこう言いました 花嫁を迎える者は花婿です そこにいて 花婿のことばに耳を傾けているその友人は 花婿の声を聞いて大いに喜びます それで 私もその喜びで満たされているのです ( ヨハネの福音書 3 章 29 節 ) と イエス キリストが最後の晩餐の時に 弟子たちに語った言葉 ( 訣別説教 ) の中で わたしに わたしのことばに わたしの愛の中にとどまりなさい と語られました それは わたしの喜びがあなたがたのうちにあり あなたがたの喜びが満たされるためです ( ヨハネ15 章 11 節 ) と イエスの喜びとは御父に愛されていることでした その同じ喜びが満たされる秘訣を弟子たちに語られました 弟子たちに待ち受けていることは 自分たちの師であるイエスが捕えられることで イエスを裏切り イエス自身も十字架につけられてしまうという事態が待ちうけていました しかし イエス まことに まことに あなたがたに告げます あなたがたは泣き 嘆き悲しむが 世は喜ぶのです あなたがたは悲しむが しかし あなたがたの悲しみは喜びに変わります ( 同 16 章 20 節 ) と言われました 使徒パウロも 満ち足りる ことを学んだと述べています ピリピ4 章 11 節の 学んだ ということは さまざまな苦しみの環境の中で なにものにも代えがたい主から来る喜び 平安 また 必要なものはすべて神が備えて下さるという経験をしたという意味です それゆえ 愛弟子テモテに対しても 満ち足りる心を伴う敬虔こそ 大きな利益を受ける道です ( テモテ第一 6 章 6 節 ) と書き送ることができたのだと思います 私たちにとっても 満ち足りる ことを学ぶ必要があります もう一度 主イエスのことばを思い起こすべきです わたしにとどまりなさい 日毎に そうするならば 詩 17 篇の作者と同じように 私が 目ざめるとき あなたの御姿に満ち足りるでしょう と言える者になると信じます 23

25 詩 18 篇 慕う 愛する ( カテゴリー : 渇望 ) ラーハム ר ח ם 1 節 主 わが力 私は あなたを慕います 口語訳 わたしはあなたを愛します Keyword; 慕います 愛します 愛しむ love, have compassion, mercy 1 節のラーハム ח ם ( racham )ר は 新改訳 新共同訳では 慕います と訳されていま すが 口語訳では 愛します 文語訳では 愛 ( いつく ) しむ と訳されています 詩篇の 中で 慕います と訳されたラーハム ח ם ( racham )ר は決して多くありません 慕います と訳されているのはこの詩篇のみ このことばは 本来 父が子を あるいは 神が人に対して かわいそうに思う と か 深くあわれむ という親愛を意味する言葉です 名詞はラハミーム ר ח מ ים で 腸 が痛むほどにかわいそうに思う 愛しむ あわれみを意味することばです この名詞は旧約では 39 回 詩篇では 11 回使われています 25:6/40:11/51:1/69:16/77:9/79:8/103:4/ 106:46/119:77,156/145:9 参照 本来 神が人に対して用いられることばであり 人が神に対して用いることばとしては異例です それほどにダビデは 神に対して深い親愛の情をもっていたことを伺わせます それは過去の様々な危険から救い出し 守ってくださった主の恵み ( あわれみ ) に基づくものです ダビデの主に対する愛は 19 節の 主は私を広い所に連れ出し 私を助け出された 主が私を喜びとされたから 50 節の 主は 油注がれた者 ダビデとそのすえに とこしえに恵みを施されます ( 文語訳では 世々かぎりなくあわれみをたれたまふ ) とあるように 神のダビデに注ぐ深い愛によって育まれたものといえます ラーハム ח ם ( racham )ר は ギリシア語では かわいそうに思う というスプランクニ ゾマイに近いことばです これは 神が人にしても心の最も深い所からわき起こってくる親愛の情であり 必ずなんらかの行為を伴います I will praise/i will sing/ I will worship/ I will seek といった表現はあっても I will love という表現は滅多にありません なぜなら love は will を当然ながら含んでいるからです Jesus loves me / I love Jesus の love は自発的 主体的なかかわりを表わす表現 ですが にもかかわらず I will love You(NKJV) とあるのは ラーハム ח ם ( racham )ר が単 なる love では表せない内容をもっているからだと思います 使徒ヨハネは 神はそのひとり子を世に遣わし その方によって私たちに いのちを得させてくださいました ここに神の愛が私たちに示されたのです 私たちが愛したのではなく 神が私たちを愛し 私たちの罪のために なだめの供え物としての御子を遣わされ ました ここに愛があるのです と ( ヨハネの手紙第一 4 章 9~10 節 ) ח שׁ ק ハーシャク ע ר ג アーラグ תּ אַב ターアヴ בּ ק ש 類義語としてはバーカシュ があります 24

26 詩 19 篇 悟る 知る ( カテゴリー : 従順 ) ビーン בּ ין 12 節 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう ( 新改訳 ) だれが自分のあやまちを知ることができましょうか ( 口語訳 ) Keyword; 悟る 知る 知恵を得る ין悟る と訳されたビーン ( bin )בּ は 知る 明らかにす 発見する わきまえる 心に留める 熟練する 知恵を得る 理解する 説き明かす 解く 調べる 考える といった意味合いがあります 英語では understand ינ הです 名詞の 悟り ビナー ( binah )בּ は 知恵 知識 理解 意味 賢者 とも訳され 主に知恵文学 ( ヨブ記 箴言 詩篇 ) に顕著に見られます あるもの ( 事柄 ) を見る (look) ことと そこになんらかの意味や知恵を見出す (find) こととは全く別のことです 詩 119 篇 30 節に みことばの戸が開くと 光が差し込み わきまえのない者に悟りを与えます とあるように みことばの戸がうち開かれるとき わきまえのない者 ( 新改訳 ) 無学な者 ( 口語訳 ) 無知な者 ( 新共同訳 ) 愚かなるもの ( 文語訳 ) 単純な者 ( 尾山訳 ) に 悟り が与えられます このことは実に驚くべきことです みことばが開示されることーこれを 啓示 といいますがーと 悟り が与えられることとは密接な関係があるようです 悟りがなれば 滅び失せる獣に等しい ( 詩 49 篇 20 節 ) というのが聖書の立場です ע類義語としてはヤーダー (` yada )י ד があります 詩 1:6/9:10/20:6/36:10/46:10/73:11,16/ 82:5/90:11 これらはいわば事柄を知るというよりも 人格的に 知る という意味で 神が人を知る こと 人が神を知る ことの双方に用いられます 悟りの与えられた者 のイメージは初代教会の使徒たちに見ることができます 彼らは当時においては無学のただ人と言われた者たちでしたが 天下を揺るがすほどの人物に変えられている姿をみることができます 特にペテロとヨハネがユダヤ当局の脅しにひるむことなく この方以外に救いはありません と断言するその大胆な姿に 彼ら ( ユダヤ当局 ) は驚いたと記されています 私たちにとって イエス キリストの十字架の死と復活の出来事がなんであったかを悟ることがいのちを得ることです もしそれを悟ることができなければ 永遠の滅びに定められているのです 自分の罪 あやまち 無知を知り 神の愛と救いを 助け主 なる聖霊によって悟りを与えられることが大切です 自分の力では悟り得ないからです いみじくも 使徒パウロは 事実 この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは 神の知恵によるのです ( コリント第一 1 章 21 節 ) と述べているのはそのためです 25

27 詩 20 篇 (1) 誇る ( カテゴリー : 信頼 ) ザーハル ז כ ר 7 節 ある者はいくさ車を誇り ある者は馬を誇る しかし 私たちは私たちの神を誇ろう ( 前半の二つの 誇る と後半の 誇る とは異なる動詞が使われています 今回扱うのは後半の 誇る です ) Keyword; 誇る ( 新改訳 口語訳 ) 唱える ( 新共同訳 文語訳 ) remember, boast, prevail, invoke, ( zakhar )ז כ רザーハル が 誇る と訳されているのは詩篇 20 篇 7 節のみです ザーハ ( zakhar )ז כ רル は 本来 瞑想用語の一つであり 思い起す 思い出す 心に覚える 記念する というように これまで神がなされたことを静かに思い起こすといった意味合いのことばです この詩 20 篇は 油注がれた王 のためのとりなしです 苦難の中にある王のために 神が助けてくださるようにとのとりなしです ここにはリーダーシップとフォロアーシップの麗しい関係が見られます 民のとりなしに答えて 王が自ら宣言しているのが 6~8 節のことばです 今こそ 私は知る とは 今はじめて知ったということではなく 今 あらためて思い起こしたということではないかと考えます ダビデはかつて王になる前に ペリシテ人の巨人 3m 近い身長を持ち 60 キロの鎧をつけた巨人 ゴリアテと戦いました その戦いでダビデはゴリアテにこう言いました おまえは剣と槍と投げ槍をもって私に向って来るが 私はおまえがなぶったイスラエルの戦陣の神 万軍の主の御名によって おまえに立ち向かうのだ きょう 主はおまえを私の手に渡される すべての国は イスラエルに神がおられることを知るであろう この全集団も 主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう この戦いは主の戦いだ と宣言し ダビデは投石袋の中に石を一つ入れて それを放ち ペリシテ人の額を打ちました 石はゴリアテの額に食い込み 彼はうつぶせに倒れました イスラエルに勝利がもたらされたのです まさに この戦いはダビデが主の御名を唱えて勝利した象徴的な出来事でした ダビデの治世はイスラエルを強国にしましたが 後継者のソロモンはさらにその領土を拡大した結果 それを防御するために 次第に 主の御名ではなく 人間的な画策に頼るようになります 主によって禁じられている戦車を持つようになり さらには 隣国との平和を保つために 700 人の妻と 300 人のそばめを持ちました それらは政略のための結婚です こうしたことを考えると しかし 私たちは私たちの神を誇ろう との告白は いかにイスラエルが隣国とは異なる 聖なる国民 であるという強い自己認識に立っているかを思い知らされます 26

28 詩 20 篇 (2) まっすぐに立つ ( カテゴリー : 信頼 ) ウード עוּד 8 節 彼らは ひざをつき そして倒れた しかし 私たちは 立ち上がり まっすぐに立った ( 新改訳 ) 8 節 国々はやがて衰え 滅びます しかし 私たちは立ち上がり 大地に根を下ろしてびくともしません (L.B) Keyword; まっすぐに立つ 奮い立つ しっかりと立つ stand firm, 8 節後半には同義的な二つの動詞 立ち上がる と まっすぐに立つ という語彙 ( qum )קוּםが並んでいます 前者はクーム ( ud `)עוּד後者はウード で どちらも本来的には神の恩寵用語として用いられることが多いのですが ここでは礼拝用語として用いられている数少ない用例です 両者とも同義的な意味合いをもっているので フランシスコ会訳 典礼訳では 堅く立っている と一語のように訳しています ちなみに まっすぐに立つ と訳されたウード עוּד は 旧約で 44 回 詩篇では 6 回で す まっすぐに立つ の他に しっかりと立つ ( バルバロ訳 ) もちこたえる ( 関根訳 ) 励まし合う ( 岩波訳 ) で 奮い立つ という訳もあります 20:8 を除く他の 4 箇所の詩篇では 戒める (50:7) たしなめる (81:8) 支える (146:9/147:6) と訳されています は 戒める たしなめる 注意する 警告する といった神の教育עוּדウード 的訓練を通して ご自身の民を まっすぐに立たせる という恩寵的性格の強い動詞です ですから しかし 私たちは 立ち上がり まっすぐに立った ( 新改訳 ) と云えども それは神の教育的訓練によるものであり 人間の本来的な力によるものではありません それゆえ 7 節後半にあるように 私たちは 私たちの主の御名を誇ろう ということになるのです 使徒パウロは旧約聖書に記されている多くのさばきの出来事を例に上げながら これらのことが起こったのは 戒めのためであり それが起こったのは 世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです ですから 立っていると思う者は 倒れないように気をつけなさい ( コリント第一 10:11~12) と述べています 詩 20 篇は王ダビデのために民がとりなしている祈りであるとともに ダビデ自身が 神が聖なる天から答えて 油注がれた者に大勝利をもたらしてくださることを 今こそ 私は知る (20:6) と告白しています 今こそ 知る とは 今あらためて知らしめられたということです 戦いを余儀なくされれば 戦車や馬に頼ろうとします 私たちは目に見えるモノに頼ろうとします しかし そうしたものに頼るならば 必ず 敗北し 滅びます 神はご自身の御名に頼るものを支えられます そして その者に勝利をもたらしてくださるのです 27

29 詩 21 篇 信頼する 拠り頼む ( カテゴリー : 信頼 ) 7 節 まことに 王は主に信頼し バータフ בּ ט ח Keyword; 信頼します 拠り頼む trust in 4:5/9:10/13:5/21:7/22:4, 5, 9/25:2/26:1/ 27:3/28:7/31:6, 14/32:10/33:21/37:3, 5/40:3/41:9/44:6/49:6/52:7, 8/55:23/56:3, 4, 11/ 62:8, 10/78:22/84:12/86:2/91:2/112:7/115:8, 9, 10, 11/118:8, 9/119:42/125:1/135:18/ 143:8/146:3 バータフ ט ח ( batach )בּ の多くは 信頼する と訳されています 旧約で 119 回 詩篇 では 47 回使われており 詩篇では重要な礼拝用語です 新改訳では 拠り頼みます 口語訳では 寄り頼む 新共同訳では 依り頼みます と訳されています 何に拠り頼むのかが大切です 詩 13 篇 5 節では あなたの恵みに 詩 28 篇 7 節では 主に 詩 55 篇 23 節では あなたに となっています しかし 他の書簡 たとえば イザヤ書 エゼキエル書 -では拠り頼む対象が 悪巧み 軍隊 彫像( 偶像 ) 自分の悪 自分の美しさ 自分の正しさ 自分の剣 とあり 神から叱責されています ユダ王国のアサ王がクシュ人 ( エジプト ) との戦いを余儀なくされたとき 彼が神に祈った言葉があります 主よ 力の強い者を助けるのも 力のない者を助けるのも あなたにあっては変わりはありません 私たちの神 主よ 私たちを助けてください 私たちはあなたに拠り頼み 御名によってこの大軍に当たります 主よ あなたは私たちの神です 人間にすぎない者に あなたに並ぶようなことはできないようにしてください (Ⅱ 歴代誌 14 章 11 節 ) がそうです この祈りを神は聞かれ 主はクシュ人を打ち破られたので クシュ人は逃げ去りました 信頼します 拠り頼む というヘブル語のバータフ בּ ט ח (batach) は 安心する 安全である 思い煩わない 信頼する 信用する 頼みとする 安んじる といった意味合いがあります 私が学んだ神学校の教授は このバータフを 大地の上に 大の字になって身を横たえるイメージ だと教えてくれました これは完全な依存 完全な信頼を意味します そのような模範者は神の御子イエスです 御子は御父に対して完全に拠り頼んで生存と防衛の保障を得ていたばかりか 偉大な使命を成し遂げるすべての力と知恵 導きの中に身を置かれました 御子は 拠り頼む ことによってもたらされる平安の中に常におられました その主が私たちを招いておられます すべて 疲れた人 重荷を負っている人は わたしのところに来なさい わたしがあなたがたを休ませてあげます わたしは心優しく へりくだっているから あなたがたもわたしのくびきを負って わたしから学びなさい そうすればたましいに安らぎが来ます ( マタイ11 章 29 節 ) 私たちが神に 拠り頼む 祝福を身につけるためには わたしのくびきを負って とあるように 御子のうちにとどまり 御子から学ぶ必要があるようです 名詞のベタフ ט ח ( betach )בּ は 安らか 安全 safety, secure, safely (Ps 4:8/16:9/78:53) 28

30 詩 22 篇 賛美する ほめたたえる ( カテゴリー : 賛美 ) ハーラル ה ל ל 22 節 私は 会衆の中で あなたを賛美しましょう ( 新改訳 ) Keyword; 賛美する ( 新改訳 新共同訳 ) ほめたたえる ( 口語訳 ) 10:3/18:3 22:22, 23, 26/35:18/56:4, 10/63:5, 6/69:30, 34/74:21/84:4/102:18/104:35/105:45/ 106:1, 48/107:32/109:30/111:1/112:1/113:1, 9/115:17,18/116:1,2/117:1,2/119:164,175/ 135:1,3/145:2/146:1,2,10/147:1,12,20/148:1, 2, 3, 4, 5, 7, 13, 14/149:1, 3, 9/150: ל ל賛美する ほめたたえる と訳されるハーラル ( halal )ה のもともとの意味は 輝く 光を放つ です いわば 爆発的な喜びをもって 感謝をもって 声を張り上げて 叫ぶようにして神をたたえる という意味合いをもつことばです 聖書の中には バーラ ク ר ך ( barak )בּ のように 声を出さずに静かに神と交わる中で賛美する形態もあれば ハ ל לーラル ( halal )ה のように 自分のことも忘れて なりふり構わず アクティブに しל לかも 会衆とともに神を賛美する形態がこのハーラル ( halal )ה です その雰囲気は喜びと楽しみにあふれています 楽器も歌も そして踊りも加わります 神の民が神の救いを楽しみ 勝利にあふれています 神からの新しい力で満たされ 恐れや不安の霊は消え去ります そして 賛美の後には礼拝者の顔が輝いている そのようなイメージです ל לハーラル ( halal )ה ה לּ הの名詞形 賛美 はテヒッラー ( tehillah )תּ 詩篇のヘブル語名称はテヒラーの複数形 テヒリーム と呼ばれます 旧約では神を表わす用語として五 יהוהヤーウェ 4 אַד נ יアドナイ 3 א היםエロヒーム 2 אל つあります 1エル יהּ ハレル ヤ の省略形יהוה)יהּヤー 5 ) ( ただしユダヤ人はこれをアドナイと読む ) を合わせて 主をほめたたえよ と訳されますיהּとヤー ה ל לは ハーラル ה ל לו ハーラル ל ל ( halal )ה が使われている詩 22 篇 22 節は 詩 22 篇においてきわめて重要な 箇所で < 嘆き>が< 賛美 >に変わる転換点となる箇所です この詩篇は<メシア詩篇 > とも呼ばれ キリストの十字架の苦しみと復活の喜びを預言している詩篇でもあります ヘブル人への手紙 2 章 12 節には詩 22 篇 22 節の 私は 御名を私の兄弟たちに語り告げ 会衆の中で あなたを賛美しましょう が引用されています 兄弟たちに語り告げるべき御名とは 詩 22 篇 24 節に記されているように まことに 主は悩む者の悩みをさげすむことなく いとうことなく 御顔を隠されもしなかった むしろ 彼が助けを叫び求ל לめたとき 聞いてくださった 御名です このことを大会衆の中でたたえる ( halal )ה というのです イエス キリストの来臨の目的は まさに この御名を告げ知らせることでした 聖書で ハレルヤ とあるのは旧約で 24 回 ( すべて詩篇 ) 新約ではヨハネの黙示録の 19 章の 4 回です その箇所は 小羊の婚宴 といわれる場面です 婚宴 の基調は喜びです まさに ハレル ヤ は神の大いなる婚宴にふさわしいことばです ה ל לו יהּ 29

31 詩 23 篇 住う ( カテゴリー : 誓約 ) ヤーシャヴ י שׁ ב 6 節 私は いつでも 主の家に住まいましょう Keyword; 住む とどまる dwell 27:4/65:8/84:4/91:1/98:7/132:14/140:13 בヤーシャヴ ( yashab )י שׁ は旧約全体で 1,084 回 詩篇では 61 回 その原意は 座る で それから多くの意味が派生します 暮らす こもっている 住まう 住む とどまる 休む 御座に座す といったふうにです 詩 15 篇 1 כ ן節にある 住む シャーカン ( shakhan )ש ( gur )גּוּר宿る グール は 類義語として考えることができますが 詩 23 ב篇のヤーシャヴ ( yashab )י שׁ は 主との親密度がよりいっそう深いように思われます ダビデが 一つのことを主に願った ( 詩 27 篇 6 節 ) というその 一つ とは いのちの日の限り主の家に住むこと 主の麗しさを仰ぎその宮で思いにふける ことでした 詩 84 篇 4 節にも なんと幸いなことでしょう あなたの家に住む人たちは 彼らは いつも あなたをほめたたえています とあります 詩 91 篇 1 節では いと高き方の隠れ場に住む者は 全能者の陰に宿る とあり 神とのかかわりのゆるぎなさが表されています 詩 23 篇 6 節では この詩篇における二つの結論が記されています ひとつは まことに 私の日の限り いつくしみと 恵とが 私を追ってくる という 主の私に対するかかわりの結論 もうひとつは 私は いつまでも 主の家に住まいましょう という 私の主に対するかかわりの結論です この二つの結論の順序が重要です なぜなら 神の豊かな祝福が惜しみなく自分の生涯に注がれていることに気づかされた者だけが 真の意味で 私は いつまでも ( とこしえに ) 主の家に住まいましょう と誓うことができるからです この誓いこそ ダビデをしてその生涯を動かした情熱といえます 主の家に住む とは 神を親しく知り 神のいつくしみと恵みがいつも追いかけてくるようなかかわりを持つことです 主の家とは あなたはわたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ ( わたしの心に適う者 ) という天の父の声をいつも心の中に聞くことのできる家です この天の父の声こそ 闇のただ中にあっても 光の中にとどまりづけることができ 自由に生きることを可能にしてくれる声です それは途切れることのない永遠の愛の声であり その声を聞く者にいのちを与え続けてくれる声です この愛の声を聞くことのできる者は なにも恐れることはないことをダビデは知ったのです このダビデの誓い (23:6) はイエスのライフスタイルを指し示しています どうしてわたしをお捜しになったのですか わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか ( ルカ 2 章 49 節 ) という言葉はイエスが 12 歳の時にエルサレムで両親に向って言った言葉ですが イエスが常に御父の家に住んでおられたということを教えています 30

32 詩 24 篇 求める 慕い求める ( カテゴリー : 渇望 ) ダーラシュ ד ר שׁ バーカシュ בּ ק שׁ 6 節 神を求める ר שׁ) (ד 者の一族 あなたの御顔を慕い求める ק שׁ) (בּ 人々 Keyword; 求める 慕い求めます seek, 24:6/27:4,8/40:14,16/70:4/84:16/105:3,4/122:9 ( baqash )בּ ק שׁ (darash) 9:10/14:2/34:4,10/53:2/22:26/69:32/77:2/119:2,10,45,94,155 ד ר שׁ (בּ ק שׁ) 者の一族 あなたの御顔を慕い求める (ד ר שׁ) 詩 24 篇 6 節には 神を求める 人々 という二つの渇望用語が使われています 前半の 求める と訳された原語は ר שׁダーラシュ ( darash )ד 捜し求める 捜す 探り出す 探る 慕う 調べる 問う 問い尋ねる 尋ね求める といった意味があります 後半の 慕い求める 尋ね求める ( 口語訳 ) בּ ק שׁと訳されるバーカシュ (baqash) ר שׁは ダーラシュ ( darash )ד が理性的 意味合いが強いのに対して 慕い求める は感情的 心情的な意味合いが強いように思います 求める ダーラシュ ר שׁ ( darash )ד とは 苦しみや不在経験を通りながらも 私たちが 心と思い ( 精神 ) を尽くして神を求めることを意味します その祝福は 1 決して見捨てられることがなく 必ず主が答えて下さること 2 良いものに何一つ欠けることがないこと 3ひろやかに ( 自由に 柔軟に ) 歩くことができること などです 類義語としては シャーハル שׁ ה ר (shachar) があります 私はあなたを切に求めます あなたを慕って (63:1) 彼らは 神を尋ね求め 立ち返って 神を切に求めた (78:34) イエスがサマリヤの女との会話の中で礼拝についての話題に触れたとき ( ヨハネ4 章 ) 父は霊とまことをもって礼拝する者たちを求めておられると話されました 神はいつの時代でも真の礼拝者たちを求めておられるのです 旧約時代では その神の求めに応える者たちこそヤコブの一族でした しかし今や その枠 - 民族や場所 を超えて 神を求め 神を慕い求める真の礼拝者たちが備えられています また 聖書は 神の国とその義とを まず第一に求めなさい ( マタイ6 章 33 節 ) 求めなさい そうすれば与えられます 捜しなさい そうすれば見つかります たたきなさい そうすれば開かれます ( マタイ7 章 7 節 ) また 上にあるものを求めなさい ( コロサイ3 章 1 節 ) とも記しています なぜなら 天の父は与えることにおいて ご自身を表わされるからです しかも 最上の良いものを求める者たちに与えたいと常に願っておられるからです 与えることこそ父の本分 父なる神の本質だからです 31

33 詩 25 篇 待ち望む ( カテゴリー : 渇望 ) カーヴァー ק ו ה 3 節 まことに あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません 5 節 あなたこそ 私の救いの神 私は あなたを一日中待ち望んでいるのです 21 節 私はあなたを待ち望んでいます Keyword; 待ち望む wait, trust in, put my hope, look eagerly( 熱望する ) 25:3/27:14/37:9, 34/39:7/40:1/69:6/130:5 詩 25 ו ה篇で初めて登場するカーヴァー ( qawah )ק 待ち望む を取り上げます 旧約では47 回 詩篇では17 回使われています 詩 25 篇では三度このことばが使われています (3, 5, 21 節 ) また この詩 25 篇には 恥 ということばが三度登場します 恥をみないようにしてください 恥をみません 恥を見ます という表現ですが 恥を見る とは ずっと期待し 信頼してきたことが崩れて失望落胆することを意味します たとえば ルカの福音書 24 章に出てくるエマオの途上にある二人の弟子は ナザレ人イエスがイスラエルを贖ってくれるものと期待していました しかしイエスが十字架に架けられて死んだことで失望落胆していました そこにイエスが現われて 聖書にはメシアが 苦しみを通って栄光に入られること が記されていることを説明しました 詩 25 篇 3 節の まことに あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません とはすばらしい告白です なぜなら 主を待ち望む者はだれも例外なく失望することはないからです 詩 25 篇では 恥を見ない ということばが 主を 待ち望む ו ה ( qawah )ק 信頼する ( nasa )נ ש א ということばと密接な関連をもっています カーヴァ 仰ぐ ( batah )ב ט ה ו הー ( qawah )ק は 信頼しながら 期待しながら 主を仰ぎ望みながら 沈黙の中で待ち望むという意味です 詩篇 25:3/27:14/37:9, 34/40:1/69:6/130:5 を参照 若者も疲れ たゆみ 若い男もつまずき倒れる しかし 主を待ち望む者は新しく力を得 鷲のように翼をかって上ることができる 走ってもたゆまず 歩いても疲れない というイザヤ書の有名なみことば (40:30~31) ו הにも このカーワー ( qawah )ק が使われています 鷲が風によって高く舞うように 人生における様々な向かい風 ( 逆風 ) を むしろ揚力として高く空に駆け上がる力とするのは 主を待ち望む者に約束された恵みです 詩篇で 待ち望む と訳されていることばは他にもあります 類義語としては לヤーハル 1 ( yachal )י ח 期待する 望みを抱く 望む 待ち望む 待ちわびる 待つ 27:14/31:24/33:18, 22/38:15/42:5/69:3/71:14/119:43, 49, 147/130:5, 7/147:11 2 ハーカー כ ה ( chakhah )ח 待ち望む 望む 待つ 33:20 イザヤ 30:18 3 サーヴァル ב ר ( savar )שׂ 期待する 望む 待ち望む 104:27/119:165/145:15 4 ツァーファー פ ה ( tsaphah )צ 仰ぎ見る うかがう 望み見る 待ち構える 見張る 5:3 5 フゥール ( chul )חוּל 忍耐しながら 耐え忍びながら 待ち焦がれながら主を待つ 37:7 32

34 詩 26 篇 歩む ( カテゴリー : 信頼 ) ハーラク ה ל ךּ 1 節 弁護して下さい 主よ 私が誠実に歩み よろめくことなく( 完全に ) 主に信頼したことを ) ל ךּ ( halak )ה 新共同訳では 誠実 を 完全な道 と訳している 3 節 私はあなたの真理のうちを歩み続けました ל ךּ ( halak )ה 11 節 しかし 私は 誠実に歩みます י ל ך (yalak) ל ךּ ( halak )ה の未完了 Keyword; 歩む walk, live, 1:1/15:2/26:1,3/56:13/81:13/84:11/86:11/89:15/101:2,6/119:1,3,45/128:1 ה ל ךּ (23:4/26:11/78:10/89:30/138:7/143:8 י ל ךּ) 1 節の 歩み は完了形でずっと 歩んできた という意味です 3 節の 歩み続けまし た とは完了形のヒッパエル態で 繰り返し 自発的に 歩んできた という意味 そして11 節は未完了形が使われており 歩みます という作者の強い意志を表しています 歩む とは 生き方や神と人とに対する心の態度を指し示す言葉です それは 神がアブラハムに語ったように あなたはわたしの前に全き者であれ ( 創 17:1) と言われたように 神にのみ信頼する生き方 および態度です しかも 自らの意思でそれを選択して生きることです それゆえ 英語ではしばしば I will walk と訳されています 詩篇の作者たちは どのような歩みをしたのでしょうか 上に掲載した聖書箇所を見てみると 次のような人生の姿勢が見えてきます 悪者のはかりごとに歩まず (1:3) 正しく (15:2/84:11) 真理のうちを 誠実に (26:1, 11) 神の御前を (15:2) 神の道を (81:11) 御顔の光の中を (89:15) 自分の家の中を (101:2) 全き道を (101:6/119:1) 主の道を (119:3/128:1) 神の教えに従って (78:10) 行くべき道を (143:8) 歩み たとい死の陰の谷を歩くことがあっても 恐れず (23:4) 広やかに (119:45) 歩み 苦しみの中を歩いても あなたは私を生かしてくださる (138:7) と告白されています 新約聖書では 使徒パウロがエペソ人への手紙の中で次のように勧めています 召されたあなたがたは その召しにふさわしく歩みなさい (4:1) 愛されている子どもらしく 愛のうちに歩みなさい (5:1, 2) 光の子どもらしく歩みなさい (5:8) 賢い人のように歩んでいるかどうか よくよく注意し (5:15) なさい と語って キリスト者生活の実践的指針を勧めています ここには 神が私たちのためになして下さった恵みに対して それに釣り合うほどの歩みが期待されているのです また 御霊によって歩みなさい ( ガラテヤ5:16) キリストに会って歩みなさい ( コロサイ2:6) という勧めも 究極的には このような歩みができるのは私たちを召して下さった神ご自身以外にないことを教えています 人の歩みは 主によって確かにされる ( 詩篇 37:23) とあるとおりです そのような人を主は喜ばれ 主が支えて下さいます 33

35 詩 27 篇 信じる ( カテゴリー : 信頼 ) アーマン אָמ ן 13 節 わたしは信じます 命あるものの地で主の恵みを見ることを ( 新共同訳 ) ああ 私に 生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら ( 新改訳 ) Keyword; 信じる believe, 27:13/78:22,32/106:12,24/116:10/119:66 ן信じます と訳されたアーマン ( aman `)אָמ は聖書においてはとても重要なことばでןす しかし詩篇にはこのことばはそれほど多くはありません アーマン ( aman `)אָמ が聖書で最初に出てくるのは創世記 15 章 6 節です アブラムは主を信じた 主はこれを彼の義と認められた という箇所です アブラムは 主には約束されたことを成就する力があることを信じたのです だからこそ それが彼の義とみなされたのです ( ローマ4 章 21~22 節 ) ここは救いにおける信仰義認の教理を教えている大切な箇所です 神は 信じること を喜ばれます また 信じること と 愛すること には自発性が伴います それゆえ I will believe とか I will love という言い方はしません I believe, I love という表現が一般的です 詩篇 27 篇 15 節は 口語訳も 新共同訳も 共に わたしは信じます と訳していますが 新改訳では反語的に訳されています また わたしは信じる ゆえに16 節の 主を待ち望む ことが成立します アーマン ן ( aman `)אָמ の類義語としては 信頼します のバータフ ט ה ( batach )ב があ ります 前者は 何を 信じるのか その信じる内容が問題であるのに対し 後者は 誰を 信頼するのかが問われます ちなみに 詩篇 27 篇 13 節では 命あるものの地で主の恵みを見ることを 信じる内容としています それゆえ自分に 主を待ち望め と呼びかけているのです お祈りのあとに アーメン ( ヘブル語では אָמ ן ギリシア語では αμην) といいますが その語源が 確固とした しっかりした 信頼できる という意味を持ったアーマン まこと という意 א מוּנ הです 忠実 真実 という意味のエムナー ( aman `)אָמ ן א מ ת味のエメス もみな同じ語根です キリストが まことに ( アーメン ) あなたがたに告げます ( マタイ19:9, 23) まことに, まことに ( アーメン, アーメン ) あなたに告げます ( ヨハネ3:3,5,11) と言う時 これは主のみの独自な表現であり イエス キリストの語ったことばに対して 明らかにメシア的権威を与えていることばです 私たちが信じると言っても その信仰を支えているのは主イエス キリストの真実です でなければ 私たちの信仰は信心となんら変わりません 主の確かな真実によって与えられ 支えられている信仰であるゆえに 主に心からの賛美と感謝をささげます 34

36 詩 28 篇 上げる ( カテゴリー : 信頼 ) ナーサー נ שׂ א 2 節 私の願いの声を聞いてください 私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき Keyword; 上げる lift up 28:2/63:4/134:2 手を上げる 121:1/123:1 目を上げる 24:7- 頭を上げる אナーサー ( nasa )נ שׂ は 仰ぎ見る 仰ぐ 上げる 抱く 思い浮かべる など 実に多くの意味を持つ言葉です 目を上げる 手を上げる 声を上げる 心を上げる 頭を上げる -すべて連動しています これらはみな意識的な信仰行為を表しています 頭( こうべ ) を上げる とは 心を開いて主を迎え入れることです 心を上げる とは祈りをささげることを意味します 旧約聖書では 祈る ということを 呼ばわります 呼びます 目を上げます 心やこうべを上げます と表現します これは赤子が母親を求めてなりふりかまわずに 泣き叫でいるようなものです 赤子は 祈りという務め をしているのではなく 助けが必要なときに 泣いて母親を 呼んでいる のです これが旧約の祈りと言えます ז ה類義語にハーザー ( chazah )ח があります 主の麗しさを仰ぎ見る 目を注ぐ 注視するという意味で より深い隠された霊的な事柄を継続的に探るというようなイメージאがあります しかし ナーサー ( nasa )נ שׂ は人生において助けを必要とする様々な局面において あるいは八塞りの状況の中で 意識的に思いを 上に向ける というようなイメージです 英語で lift up と訳されているのはそうした意識的行為の強い言葉のようです 私は山に向って目を上げる 私の助けはどこから来るのか ( 詩 121 篇 1 節 ) あなたに向って私は目を上げます わたしをあわれんでください ( 詩 123 篇 1 節 ) 主である神にむかって そのとき必要な助けを求めているのです אナーサー ( nasa )נ שׂ が最初に聖書に出てくるのは アブラハムとロトの間に争いが絶えないのを知ったアブラハムが 互いに別れて住もうと提案した後です アブラハムは選択の先取権をロトに与えました かつての失敗の経験を通して 神によって自分の進むべき場所を選んでもらうという思いがあったのかもしれません 案の定 ロトは自分のこれからの歩みを決めるために 目を上げて 見ました すると良く潤った低地があり 彼はその地を選びました 一方のアブラハムは一見 貧乏くじを引いたように思いましたが ロトと別れた後で 主がアブラハムに仰せられました さあ 目を上げて あなたがいるところから来たと南 東と西とを見渡しなさい わたしは あなたが見渡しているこの地全部を永久にあなたとあなたの子孫に与えよう と ( 創世記 13 章 ) 私たちも 神の導きと助けを期待して 信仰をもって 目や手や心やこうべを上げて 祈ることが大切です 私たちには必ず答えて下さる方がおられるからです 35

37 詩 29 篇 ( 栄光を主に ) 帰す ささげる ( カテゴリー : 賛美 ) ヤーハヴ י ה ב 1 節 力ある者の子らよ 主に帰せよ 栄光と力とを主に帰せよ 御名の栄光を 主に帰せよ Keyword; ( 栄光を主に ) 帰す give, ascribe 29:1, 2/60:11/96:7, 8/108:12 帰せよ と訳されたヤーハヴ ב ( yahav )י ה は 与える ささげる 帰する 起因する と言う意味で ここでは主に栄光を 帰する こと つまり すべてのことが主に起因するということ すべては主のおかげだとするという意味ですが 用法としては命令形だけןでもちいられます 類義語としては ナータン ( nathan )נ ת がありますが 詩 115 篇 1 節にのみ使われています ヤーハヴ ב ( yahav )י ה は 旧約で 33 回 詩篇では 8 回使われています 内容的にはきわめ て重要な礼拝用語だと考えます 使徒の働き12 章 20~23 節には次のようなことが記されています ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた そこで彼らはみなでそろって彼をたずね 王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた その地方は王の国から食糧を得ていたからである 定められた日に ヘロデは王服を着けて 王座に着き 彼らに向かって演説を始めた そこで民衆は 神の声だ 人間の声ではない と叫び続けた するとたちまち 主の使いがヘロデを打った ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである 彼は虫にかまれて息が絶えた この記事は神に栄光を帰さなかったヘロデが御使いによって死んだことが記されています イエスが弟子たちに教え かつ自らも祈っていた 主の祈り の最初の部分は 御名をあがめさせたまえ でした この祈りは 本来 人間にとって最も難しい祈りです なぜなら 私たち人間は自分に対する人からの称賛を求め 自分に栄光を帰そうとする傾向の強い存在だからです 日本の挨拶のことばの中に お元気ですか はい おかげさまで というのがあります 仏教から来た教えのようですが 残念ながら 今日の若者の間では死語の一つとなっている感があります しかし この おかげさまで ということばは 自分という存在が 自分だけで存在できるのではなく 様々な人たちの支えによってはじめて存在できるという意味です 必ずしも 直接的に あなたのおかげで を意味しません 海は森によって生かされています それゆえ 海で働く漁師たちが山や森に木を植える時代です 今日 地球の温暖化によって自然の大災害 台風 大雨洪水 干ばつ 異常気象 が猛威をふるっています その要因は 人間が おかげさま という有機的なかかわりを無視した結果であるとも言えます すべてのかかわりの源泉は主ご自身です それゆえ 栄光は主に 帰す べきです 36

38 詩 30 篇 あがめる ( カテゴリー : 賛美 ) ルーム רוּם 1 節 主よ 私はあなたをあがめます Keyword; あがめる exalt, extol, praise, 21:13/30:1/34:3/40:10/57:5,11/66:17/99:5,9/107:32/10851/118:28/145:1 詩 30 篇 1 節は 新改訳 口語訳 新共同訳 関根訳 岩波訳 こぞって あなたをあが ( rum )רוּםめます と訳しています あがめます と訳されたルーム は 本来 高く上げる 高くする ほめたたえる 引き上げる 称賛する 称揚する といった意味があります 主をあがめる 理由としては 30:1では 主が私を引き上げて下さった からであり 99:5, 9では 主が聖である ゆえに 145:1では 主が大いなる方 賛美されるべき方 情け深く あわれみ深い ゆえにとあります このように神の本性と属性のゆえにあがめられています ちなみに あがめる と訳されているギリシア語は二つあります ひとつはハギアゾー αγιάζω(hagiazo) もうひとつはドクサゾー δοξαζω(doxazo) です 前者は 聖なるものとする 区別する という意味であり 後者は 栄光を主に帰す という意味です 主をあがめます (I will exalt, I will extol) という告白は 神が世界 ( 宇宙 ) のすべての中心におられるということを認めることです 北極星 ( ポラリス ) は 星の中で最も肉眼で確認しやすい星です 私たちがどこにいても変わらない位置方向にある星です それゆえ 船が航行するときも 砂獏を旅するときにも 人々は北極星を 道しるべ としてきました このように 私たちの人生における 道しるべ として すべての中心に神がおられることを認めていく姿勢こそ 主をあがめる という意味です 主をあがめる 生き方をするならば 私たちが道を失うことは決してありません この詩 30 篇にあるように 人生は山もあれば谷もあります 人によってその波長が大きいか 小さいかの違いはあっても 必ず 山と谷があります ところが 私たちの心は山にいるときは傲慢になり 私は決してゆるがされない 大丈夫だ と思ってしまいます また谷底にいるときは 私は神から見離されてしまったしまった どうしよう とおじまどいます この繰り返しの中で生きているのが私たち信仰者の現実です 山にいる時も 谷底にいる時も 神の恩寵は注がれ続けています 主をあがめるとは 自分の信仰の基準を越えた神の支配を受け入れ 恐れることであると信じます 私たちの弱さのゆえに 揺るぎながらもらせん階段的に成長して 神をより深く知る者とさせられるのだと思います ( rum )רוּםルーム גּ ד לの類義語としては ガーダル (gadal) magnify( 大きくする あがめる ד 34:3/69:30 カーヴェド (, kaved)15:4/22:23/50:15 )כּ ב 23/86:9,12/91:15 アーラー があります ( alah ')ע ל ה 47:10/97:9 37

39 詩 31 篇 ゆだねる ( カテゴリー : 信頼 ) パーカド פּ ק ד 5 節 私のたましいを御手にゆだねます 真実の神 主よ Keyword; ゆだねる commit 31:5 ד新改訳 口語訳 新共同訳も共に ゆだねます と訳したパーカド ( paqad )פּ ק は 本来 神が人に対する動詞で 罰するpurnish 数えるmunber, count 顧みる 訪れるcare for 育てるwatch over 問いただすexamine といった意味ですが 詩 31 篇 5 節のそれは 人が神に対して 自分に与えられた権限を明け渡してしまう 預けてしまうという意味での ゆだねる です ちなみに この詩 31 篇では自分のたましい ( 新共同訳では 霊 ) をゆだねて 明け渡しています דパーカド ( paqad )פּ ק は 俗なことばでいうならば まな板の上の鯉 のように 窮地に立たされても慌てることなく 自分の身を相手のなすがままにさせて 泰然としている状態です イエス キリストの十字架上での七つのことばがありますが 一番最後のことばはこうでした イエスは大声で叫んで言われた 父よ わが霊を御手にゆだねます こう言って 息を引き取られた ( ルカ福音書 23 章 46 節 ) のでした דパーカド ( paqad )פּ ק が ゆだねる commit と訳されている箇所は詩 31 篇 5 節のみですが 礼拝者にとっては重要なことばです 詩篇では ゆだねる という訳されたことばが 他にも四つほどあります ( azav `)ע ז ב第一は アーザヴ です 見捨てる 置き去りにする 後に残す 立ち去る 離れる かまわずに放っておく 成り行きに任せる という意味です 詩篇 10:14/37:33 参照 神がご自身の民を敵に渡されるときに使われます ל ךּ第二は シャーラク ( shalak )שׁ です 22:10 特に 55:22では あなたの重荷を主にゆだねよ とありますが 放り投げる 投げ与える 渡す あずける といった意味で 自分の問題を神の御手に任せることです ( galal )גּ ל ל第三は ガーラル です 37:5 では あなたの道を主にゆだねよ とあります 本来は 石などを転がす という意味で どのように転がっていくのか全く予想のつかない状況で身を任せるという意味です ן第四は ナータン ( nathan )נ ת です 詩篇にはないことばですが ポティファルがヨセフに自分の財産の管理を一切任せたというところに使われていることばです 創世記 39:8 神は私たちを信頼して多くのものをゆだねられました 同時に 私たちも神とその支配にゆだねることを学ぶことはきわめて重要です 御父と御子はそれぞれゆだね合っていました 御父は御子にすべてのさばきの権能をゆだねましたし 御子は十字架においてご自身の霊を御父におゆだねになりました ゆだねる ということは 相手に対する最も深い信頼を意味します 38

40 詩 32 篇 祈る ( カテゴリー : 祈り ) パーラル פּ ל ל 6 節 それゆえ 聖徒は みな あなたに祈ります Keyword; 祈る pray 5:2/32:6 祈ります と訳されたパーラル ( palal )פּ ל ל は一般的な 祈る という動詞ですが 祈りの名詞はテヒラー פ לּ ה ( tephillah )תּ です 詩篇でのパーラル ( palal )פּ ל ל の使用数は決 して多くはありませんが アブラハム モーセ アロン ハンナ サムエル エズラたちל לが主に祈った祈りの動詞はこのパーラル ( palal )פּ が使われています 主の名を 呼ぶ 尋ね求める 叫ぶ 申し上げる 心を注ぎだす とも訳されます また とりなしをする ( 仲裁する ) と言う意味もあります 聖書には歴史を動かした多くのすばらしい祈りがあります その中でも ハンナの祈り は歴史を変えた祈りのひとつです その祈りは エルカナという人の家庭内で起こった一つのトラブルがもたらした いわば 追い込まれた祈り でした エルカナの第一夫人ハンナは子どもがありませんでしたが 夫に愛されていました 子どものいる第二夫人のベニンナはそのことを妬み ハンナをひどく苦しめました ハンナはこの苦しみをただ主に訴え 心を注ぎ出して祈りました 心を注ぎ出す とは 自分の苦しみのすべてを注ぎ出す という意味で それを受け止めてくれる方の前でしかできないことです どこにも向けることのできなかったハンナの心の苦しみは ハンナをして主の前に向かわせました その結果として ハンナの祈りは預言者サムエルを産み出したのです このハンナの祈りがなければ サムエルは生まれなかったと言っても過言ではありません このような祈りに追い込んだのは 他ならぬ神ご自身です 追い込まれた祈りの中でハンナは一つの誓願を立てました その誓願とは もし 子を与えて下さるなら その子の生涯を 主に明け渡します というものでした その誓願は 単に ベニンナへの対抗意識を越えて 祈りに答えて下さるなら 神に自分の最も大切とするものを神にささげたいとする意志でした 母親にとって自分の子は宝のような存在です しかしそれを神に明け渡すことによって 彼女は 結果的に 歴史を動かす人物をこの世に送るという使命を果たしました ちなみに サムエル とは 神は聞きたもう という意味です 追い込まれて祈った祈りでしたが そこに至るまでのすべての上に 神の隠された不思議な計画と導きがあったことを聖書は記しています 私たちもある種の行き詰まり 苦しみや悩み トラブル 思うように行かないこと などを経験することがあります それは神が私たちをして 祈るようにと導いておられる神のサインなのかもしれません 類義語としては シャーアル אַל ( sha al )שׁ があります これは詩 122 篇 6 節 エルサレム の平和のために祈れ というところに使われています 請い求める 願う 求める 尋ねる 欲する 要求する という意味です 39

41 詩 33 篇 恐れる ( カテゴリー : 服従 ) ヤーレー י ר א 8 節 全地よ 主を恐れよ 世界に住む者よ みな 主の前におののけ ( 新改訳 ) 全地は主を畏れ 世界に住むものは皆 主におののく ( 新共同訳 ) Keyword; 恐れる fear, worship, 2:11/3:6/23:4/27:1, 3/33:8/34:9/40:3/46:2/49:5, 16/52:6/56:3,4,11/64:9/65:8/67:7 91:5/111:9/112:1/119:63,120 א恐れる と訳されたヤーレー ( yare )י ר は 恐れかしこむ 拝む 畏れ敬う 重んじる おそれおおい おそれおののく といった意味であり 旧約の人々は 主を信じる ことと 主を恐れる ことは同義と考えていたようです 新共同訳では 畏れる という文字を使っています 恐れる は 敵や死 危険や失敗 あるいは秘密の発覚を心配してこわがるという面があると同時に 畏れる という面を合わせ持っています 畏れる ( 畏敬 畏怖 ) とは かしこむ 恐縮する おそれおおい 自然やいのちの神秘に触れたときの驚きの感覚です 旧約聖書ヘブル語大辞典 を編集した名尾耕作氏は 主を恐れる というヤーレー ) 頁 ( yare )י ר を次のように説明しています ( 旧約聖書名言集 講談社学術文庫 244 א 主を恐れるということは たんに主を畏敬する意味ではありません 神を恐れた人物として ヨブとアブラハムが聖書にしるされています 創世記 (22:12) によりますと アブラハムが 神の命令に従って愛する子イサクをモリヤの山でささげたことを主の使いは アブラハムが神を恐れていたからだと言っています アブラハムのこの行為を新約聖書のヘブル書 (11:17~19) では 神には人を死者の中からよみがえらせることもできる という信仰によって アブラハムはイサクを神にささげたのだと言っています ですから 神を恐れるということは 人にはまったく不条理に思える真理を信じるということです すなわち 神への全幅的信仰であります これが人生の知識 知恵の初めであり 基本であるのです 箴言に 主を恐れることは知識の初めである (1:7 詩 111 篇 10 節 ) 主を恐れることはいのちの泉 (14:27) とあるように 主を恐れる ということは神と人と正しいかかわりを表現することばのようです 主の御名は聖であり おそれおおい ( 詩篇 111:9) ことを知ることが 神との良いかかわりを築かせます しかし逆に 主に対する狎れ 神の恵みに狎れることは 神からのさばきを招きます たとえば 祭司エリの二人の息子たち ( ホフニとピネハス ) がその例といえます サムエル記第一 2 章参照 愚かな子とは 主を恐れる知恵のない子です 40

42 詩 34 篇 味わう知る ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) ラーアー ר אָה ターァム ט ע ם 8 節 主のすばらしさを味わい ע ם) (ט これを見つめ אָה) (ר よ ( 新改訳 ) 主の恵み深きことを味わい知れ ( 口語訳 ) Keyword; 味わう taste 34:8 味わう と訳されたターアム ע ם ( ta`am )ט は 詩篇では 34 篇 8 節のみに出てくること ばです しかも この箇所では 見つめよ 知れ と訳されているラーアー אָה ( ra ah )ר とセットです ターアム ע ם ( ta`am )ט は 味わう 口にする なめる という意味です אָהまた ラーアー ( ra ah )ר は 拝見する 見極める 見定める 見つめる 認める 見る 目をとめる 考える 悟る 楽しむ 選ぶ 顧みる 思う と多くの訳語があります ターアム ע ם ( ta`am )ט とラーアー אָה ( ra ah )ר を合わせて考えると 自分のこととして 体験的に味わうことを意味します TEV 訳の find out yourself はまさに あなた自身が自分でそれを見出し 体感せよ との意味です どんなにすばらしいことであっても 自分自身のこととして体感できなければなんら意味がありません 味わう べき事柄( 内容 ) は ここでは 主のすばらしさ です 原語ではトーヴ ア ドナイ טוּ ב יהו ה 主は善い方です という意味です このことを深く味わい 見 極めることこそ信仰者の幸いにつながります 主は善い ( 良い ) 方であり 善いことしかできない方であることを見極めることができるならば 私たちが経験するさまざまな出来事も 意味あるものとして受け取ることができるはずです そうでなければ 主は私に意地悪をしているように思い-たとえ自分では意識していなくてもー 主を赦すことができなくなります その結果 不信仰になり 神とのかかわりや祝福を失ってしまいます ( tob )טוּ ב神の善トーヴ goodnessは 自然界においては 一羽の雀さえも顧みて下さり 一輪の花にも着飾って下さる方として現わされます また人に対しては 恵み ( 気前の良さ ) 忍耐 赦しとして表わされます この地上の父でさえ 自分の子どもに良いものを与えるとすれば 天の父はご自分の子に対してはなおさらのことです たとえ今 喜ばしいこととは思えないことであっても 後で 平安の義の実を結ばせて下さるのです ヘブル12 章参照 神を善い ( 良い ) 方として味わうためには 主にとどまることが必要です 多くの働きを通して その中でそのことを味わおうとすれば やがて失望する運命にあります 自分の心の底から 主は善い方であり 善いことしかおできにならない方なのだという信仰の種を根づかせる必要があると信じます そこから詩 34 篇の作者のように 賛美への誓い 賛美への勧め 主を恐れることの勧めが力を持つこととなるのです 41

43 詩 35 篇 楽しむ ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) スース שׂוּשׂ (ג יל) 9 節 こうして 私のたましいは主にあって喜び 御救いの中にあって楽しむ (שׂישׂ) ことでしょう Keyword; 楽しむ 35:9/40:16/68:3/70:4 42 シス שׂישׂ ( sis )שׂישׂシス ( sus )שׂוּשׂスース いずれも 喜び 楽しみ を表わすことばです 神の救いの基調は 喜び と 楽しみ です joyful, rejoice, 救いを喜び 楽しむ ということはどういうことでしょうか 喜ぶ とは神に愛されていることの存在論的喜びであるとすれば 楽しむ とは それを実際的に 現実的に味わうということかもしれません それはある意味で 遊び の世界です 神の国の祝福は 神の大庭の中で 遊ぶ ことができるということです 様々な規律に縛られ 拘束されているところには 遊び はなく 喜びや楽しみといった解放感や自由さが見られません 詩篇の中には 喜びと楽しみ ということばがあふれています たとえば 私は いつも 私の前に主を置いた 主が私の右におられるので 私はゆるぐことがない それゆえ 私の心は喜び 私のたましいは楽しんでいる 私の身もまた安らかに住まおう ( 詩篇 16:9) あなたは私に いのちの道を知らせてくださいます あなたの御前には喜びが満ち あなたの右には 楽しみがとこしえにあります ( 詩篇 16:11) あなたの恵みを私は楽しみ 喜びます ( 詩篇 31:7) 正しい者たち 主にあって 喜び 楽しめ ( 詩篇 32:11) 私のたましいは 主にあって喜び 御救いの中にあって楽しむことでしょう ( 詩篇 35:9) あなたを慕い求める人がみな あなたにあって楽しみ 喜びますように ( 詩篇 40:16 /70:4) 喜びと楽しみ の極めつけは小羊と教会との婚姻です 私たちは喜び楽しみ 神をほめたたえよう 小羊の婚姻の時が来て 花嫁はその用意ができたのだから ( 黙示録 19:7) 与えられた時間 与えられた賜物 与えられたチャンス 与えられた立場などを 楽しむ ということは一つの能力ではないかと思います 礼拝や 賛美 主に仕えること 人に仕えることの中に 聖なる遊び が必要です 生きた礼拝や賛美にもそれが必要です 聖なる遊び の中で より創造的なものが生み出されてくるからです 新約時代の 聖霊に満たされた人 という表現は 神の大庭で遊ぶ 遊び人 と言い換えても過言ではありません 神との親しいかかわりに支えられながら そのかかわりを楽しむことができる人です さまざまな既存の枠にとらわれることなく いのちに満ち溢れた発想をすることができる人だと信じます

44 ところで 詩 35 篇には 喜びを表す動詞 歓喜用語が数多くみられます 9 節 私のたましいは 主にあって喜び יל) (ג 御救いの中にあって喜ぶ (שׂוּשׂ) こと でしょう 18 ה) 節 私は大きな会衆の中であなたに感謝し (י ד 強い人々の間であなたを賛美しま (ח ל ל) す 27 節 私の義を喜びとする פ ץ) (ח 者は 喜びの声を上げ נ ן) (ר 楽しむ מ ח) (שׂ ようにし (ח פ ץ) てください 彼らに言わせてください ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる 主は 大いなるかな 28 節 私の舌は あなたの義とあなたの誉れを 日夜 口ずさむ ג ה) (ה ことでしょう 1 ギール ג יל (gil) מ חしばしばサーマフ ( samach )שׂ とセットで用いられ 喜び楽しむ という意味 Joyful 21:1/35:9/89:16 2 スース שׂוּשׂ (sus) ( sis )שׂישׂ喜び 楽しみ を表わすことばです シス も同義 3 ヤーダー ה ( yadah )י ד 本来 投げる という意味があり そこから 神に視線を向け 神に向って投げるものは 賛美であり 感謝 そして信仰告白ということになります ほめたたえる 感謝する 告白する あかしする 言い表す 称賛する たたえる と訳されます 4 ハーラル ל ל ( halal )ח もとの意味は 輝く 光を放つ です いわば爆発的な喜びをもって 感謝をもって 声を張り上げて 叫ぶようにして神をたたえるという意味合いをもつことばです 5 ハーペツ פ ץ ( chaphets )ח おのずから 愛する きにいる 慕う 楽しむ 良しとするという意味があります 主の愛に促された自発性の意味合いの強い言葉 6 ラーナン נ ן ( ranan )ר 声高らかに歌う 喜び歌う 声高く歌う 喜びの歌を高く上げる 喜びの声を上げるなど 喜び が基調にある歌を意味します 7 サーマフ מ ח ( samach )שׂ 単なる感情的な 喜び ではなく 神に愛されているという存在論的 人格的交わりによる喜びを意味します 8 ハーガー ג ה ( hagah )ה 本来の意味は うめく つぶやく 声を出す ささやく 親しく語る 考える 思う です 旧約の詩人にとって 神とそのみことば あるいは 御業は口を用いて言い表すことに直結されていたようです 43

45 詩 36 篇 満ち足りる ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) ラーヴァー ר ו ה 8 節 彼らは あなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう ( 新改訳 ) あなたの家に滴る恵みに潤い ( 新共同訳 ) あなたの家の豊かなのによって飽き足りる ( 口語訳 ) 彼は満喫する あなたの家の脂を ( 岩波訳 ) 彼はあなたの家の豊かさに飽き足り ( 関根訳 ) Keyword; 満ち足りる 飽き足りる satisfy, feast, 36:8のみ ו ה心ゆくまで飲む と訳されたラーヴァー ( rawah )ר は 飽き足りる 満足する 満ち足りる 豊かに潤す 尽くす 酔う 祝宴でごちそうになる といった意味です 心ゆくまで何を飲むのかといえば それは 主の家の豊かさ 主の家に滴る恵みです ちなみו הに ラーヴァー ( rawah )ר は旧約で14 回使われていますが 詩篇の礼拝用語としては36:8 のみです 多くの人々が自分の人生に何らかの不平や不満を持って生きています であればいいのに こうなればいいのに なぜ思うようにならないのか と言っています しかし 詩篇 23 篇の作者が 私は乏しいことがない (1 節 ) と告白しているように 詩篇 34 篇でも 主を恐れる者には乏しいことはない 若い獅子もとぼしくなって飢える しかし 主を尋ね求める者には良いものに何一つ欠けることはない (9~10 節 ) と告白しています 使徒パウロは 私は どんな境遇にあっても 満ち足りることを学んだ ( ピリピ4 章 11 節 ) と述べています このパウロの告白は 私は乏しいことがありません との新約版と言えます そして愛弟子のテモテに対して 満ち足りる心を伴う敬虔こそ大きな利益を受ける道です ( テモテ第一 6 章 6 節 ) とも勧告しています 満ち足りる心 は自分の環境や状況に左右されません どんな境遇にあっても満ち足りる 充足感です それは自分の内にある充足感です それを与えてくれるのが主イエス キリストであることをパウロはあかししています 私の神は キリスト イエスにあるご自身の栄光の富をもって あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます ( ピリピ4 章 19 節 ) と このような恵みを経験した者が さらに 注いでください あなたの恵みを あなたを知る者に ( 詩 36 篇 10 節 ) と祈っていることに感動します 類義語としては サーヴァー ב ע (` saba )שׂ あるいは サーヴェア ב ע (` sabea )שׂ があり ます 飽き足りる 満ち足りる という意味です 17:14/22:26/37:19/59:15/63:5/65:4/78:29 私の魂が脂肪と髄に満ち足りるかのように 喜びにあふれて賛美します (63:5) 幸いなことよ あなたが選び 近寄せられた人 あなたの大庭に住むその人は 私たちは あなたの家 あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう (65:4) 44

46 詩 37 篇 (1) ( 耐え忍んで ) 待つ ( カテゴリー : 渇望 待望 ) フール חוּל 7 節 主の前に静まり 耐え忍んで主を待て ( 新改訳 ) 主の前にもだし 耐え忍びて主を待ち望め ( 口語訳 ) 沈黙して主に向かい 主を待ち焦がれる ( 新共同訳 ) Keyword; 待ちます wait patiently, 37:7のみ 待て ( 待つ ) ( chul )חוּלと訳されたことばフール は 旧約では10 回 詩篇では37:7の1 回にしか使われていない動詞です 荒れ狂う いたく苦しむ 痛みを覚える 産みの苦しみ 苦しみもだえる もだえ苦しむ 傷を負う 待つ 待ち望む を意味する言葉です ワクワク ドキドキしながら待っているというのではなく じっと耐え忍びつつ 苦しみもだえつつ 主を待つことを意味しているようです いつ出口があるのか分からない う ( chul )חוּלめきながらの苦しみとも言えます そのような待ち望みがフール の意味するところです 37 篇 7 節にあるように おのれの道の栄える者に対して 悪意を遂げようとする人に対して 腹を立てず に 沈黙して 主を待つということは痛みと苦しみを覚えるはずです 悪人の繁栄が大きく 成功が魅力的なものとして目に映るとき 腹を立てたり ねたみを引き起こしたりする誘惑にかられます 詩篇 73 篇の作者も霊的な指導者でありながら 同じような誘惑にかられ 足がたわみそうで 私の歩みはすべるばかりであった (2 節 ) と正直に告白しています 新約に生きる私たちにも そのようなうめきをもたらすような待ち望みがあることをパウロはローマ書の中で以下のように述べています 19 被造物も 切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです 20 それは 被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく 服従させた方によるのであって 望みがあるからです 21 被造物自体も 滅びの束縛から解放され 神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます 22 私たちは 被造物全体が今に至るまで ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています 23 そればかりでなく 御霊の初穂をいただいている私たち自身も 心の中でうめきながら 子にしていただくこと すなわち 私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます 24 私たちは この望みによって救われているのです 目に見える望みは 望みではありません だれでも目で見ていることを どうしてさらに望むでしょう 25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら 私たちは 忍耐をもって熱心に待ちます ( ローマ8 章 19~25 節 ) 類義語としては詩篇 25 篇を参照 ちなみに 37 篇 9 節 34 節で使われている 待ち望む ו הは カーワー ( qawah )ק です 45

47 詩 37 篇 (2) 受け継ぐ ( カテゴリー : 感謝 賛美 ) ヤーラシュ י ר שׁ 9 節 しかし 主を待ち望む者 彼らは地を受け継ごう Keyword; 受け継ぐ inherit, possess, 25:13/37:9, 11, 22, 29, 34/44:2, 3/69:35/83:12/105:44 受け継ぐ ( 新改訳 ) 継ぐ ( 口語訳 新共同訳 ) שׁと訳されたヤーラシュ ( yarash )י ר は 受け継ぐ 自分のものとする 所有する 征服する 占領する 保つ 継ぐ 取る 守る 領有する といった意味です 旧約では231 回 詩篇では11 回と多くはありませんが 旧約聖書ではきわめて重要な神の祝福の概念の一つです 神の民イスラエルにとって 地を受け継ぐ とは 約束された地カナンを意味し それが彼らの永遠の相続地として与えられます カナンの地で相続地を与えられなかったレビ人たちには神が彼らの相続財産でした 詩 16 篇の作者は 主は 私のゆずりの地所 また私の ( 祝福の ) 杯です 私の受ける分を堅く保っていてくださる と告白しています ユダヤ人にとっての ゆずりの地 ( 相続地 相続財産 分け前 賜物 ) は 実際的には 約束されたカナンの地です やがて彼らは キリスト再臨後に その地において 全世界の支配国となることが約束されています ユダヤ人にとってはそうした約束の地を相続地として受け継ぐだけでなく キリストにある者たちは 天に備えられている資産を受け継ぐ ことが約束されています それは天にある宝です 資産 宝と言ってもそれは不動産のことではありません ヨハネはそれを 永遠のいのち と言っています ペテロは 生ける望み とも 終わりのときに現わされるように用意されているたましいの救い とも言っています イエス キリストが 天にあなたがたの宝を積みなさい と言われましたが このことばは善行をして天に宝を積み上げるということではなく 宝 のあるところに心があるわけですから あなたがたの心がいつも賜物として天に備えられている 朽ちることも 汚れることも 消えることもない資産 ( 宝 ) に心を留めながら そこに望みを積み上げながら生きなさいという意味です 詩 37 篇では 主を待ち望む者 貧しい人 主に祝福された者 正しい者 ( 主に従う者 ) は 地を受け継ぐ ということが たたみかけるように約束されています ל類義語としては ナーハル ( nachal )נ ה 63:36 があります 新約聖書では 神と神の国を相続することを最大の祝福としています ギリシア語はクレーロノミアです 私たちは 祝福を受け継ぐために召されました ですから 悪を持って悪に報いず かえって祝福を与えなければなりません ( ペテロ第一 3 章 9 節 ) 46

48 詩 38 篇 言い表わす ( カテゴリー : 祈り ) ナーガド נ ג ד 18 節 私は自分の咎を言い表わし 私の罪で私は不安になっています ( 新改訳 ) Keyword; 言い表す 告白する tell, sperk, declare, proclaim, confess 9:11/19:1/22:31/30:9/ 38:18/40:5/50:6/51:15/52:T/64:9/71:17, 18/75:9/92:2, 15/97:6/ 111:6/142:2/145:4/147:19/ ( nagad )נ ג ד言い表す と訳されたナーガド は 明かす 明らかにする 表わす 言い表す 言う 打ち明ける 語り告げる 語り伝える 語る 語り告げる 説明する 情報を伝える という意味です 旧約では370 回 詩篇では20 回使われています 言い表す ことの反対は 沈黙する ことです 詩 38 篇の作者は敵のさまざまな脅しの声には一切反応せずに沈黙していますが 神に対しては 自分の心の鬱積した感情を訴えています そして 18 節では 自分の咎を言い表し ています 自分の心の鬱積した感情を吐き出すことのできる存在がいるということはすばらしいことです しかし人にそれが期待されるとき 必ずしもそれが受け止められるとは限りません むしろそのことでかえって傷つくことがあるかもしれないからです だれにも言えない苦しみ 孤独の苦悩 そして自分の咎 これらを受け止めてくれる存在が神であることを述べているのが 9 節の 主よ 私の願いはすべてあなたの御前にあり 私の嘆きはあなたから隠されてはいません です 自分の罪を言い表すということは決してたやすいことではありませんが もし 私たちが自分の罪を言い表すなら 神は真実で正しい方ですから その罪を赦し すべての悪から私たちをきよめてくださいます ( ヨハネの手紙第一 1 章 9 節 ) との約束があります 言い表すことによって 赦しの確信が与えられ 罪に支配されずに生きる道を神は与えてくださいます 詩 32 篇でもダビデはこう言っています 私は 自分の罪を あなたに知らせ 私の咎を隠しませんでした 私は申しました 私のそむきの罪を主に告白しよう すると あなたは私の罪のとがめを赦されました (5 節 ) しかし 私が黙っていたときには 一日中 うめいて 私の骨々は疲れ果てました とも言っています 神と私たちのかかわりを健全にし強固なものにするためには 自分の罪を言い表し 告白することがとても重要です 自ら妨げとなっているものを取り除くことを神は喜ばれます しかも どんな罪をも赦していただくことができるのです 神は 東が西から遠く離れているように 私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される ( 詩 103 篇 12 節 ) 方です 類義語としては ヤーダー ה ( yadah )י ד があります ヤーダー י ד ה は 本来 神に感謝 する 神をほめたたえる という意味ですが 自分の犯した罪を告白するという意味もあります 詩篇 32:5 にこのことばが使われています レビ5:5/1621/26:40 民 5:7も参照 47

49 詩 39 篇 沈黙を守る 黙する ( カテゴリー : 祈り ) アーラム אָל ם 2 節 私はひたすら沈黙を守った I became dumb 9 節 私は黙し 口を開きません あなたがそうなさったからです I was dumb Keyword; 沈黙する 黙する silenct, be silenced 31:18/39:2, 9 詩 39 篇 2, 9 節には 神 あるいは人の前で沈黙すること 黙すること 口をつぐんで ( alam ')אָל ם物言わないという動詞アーラム が使われています 旧約では 8 回 詩篇では 3 回使われています 英語の alarm( アーラム ) は驚かせて目覚めさせることばですが ヘブル語のアーラム ( alam ')אָל ם は 静かに沈黙することです また 沈黙は金 雄弁は銀 という格言があります それは沈黙の方が雄弁よりも 説得力 があるという意味ですが ここではそうした意味で使われてはいません 詩 39 篇の作者は 自分が舌で罪を犯さないように 口に口輪をはめようと決心しました つまり 不平不満 つぶやき 思い煩い 神への不信を口から出さないようにと決心したのです 特に 神にさからう者たちの前では 恰好の非難の種を与えないためにそうしました しかし 作者はその沈黙に耐えることができなかったようです 作者をして沈黙に耐えさせなかったものはいったい何なのか それがこの詩篇のテーマです それは一言でいうならば 虚無感 です それを表わす はかない (4 節 ) むなしい むなしく (5, 6, 11 節 ) という言葉が目につきます 自分の存在が束の間の存在 無に等しい存在 自分のしてきたことが空しく感じられる時 人は虚無というブラックホールに引き込まれます 神を信頼している者であっても例外ではありません 神を信頼しながらも襲ってくる虚無感 焦燥感の中に不安と怒りの感情が現われることがあります 心と頭が同時進行できない現実感が 空しさにさらなる拍車をかけます そうした中にある告白 主よ 今 私は何を待ち望みましょう 私の望み それはあなたです 深い虚無感との戦いの中で告白されたこのことばは数段の重みがあります 人生における虚無を経験しながらも より深められていく神への信頼の旅 それが 私はあなたとともにいる旅人 寄留の者 (12 節 ) という告白です שׁ ה類義語としてはハーシャー chashah)39:2 )ח よいことにさえ 黙っていた で使われています 穏やかになる 黙る 黙す 声を出さない じっとしている 沈黙を守る ה ס הハーサー といった意味があります もうひとつ ( 詩篇には使われていませんが ) (hasah) があります 声を出さない 静まる 沈黙する 無言 泣くことをやめる という意味です ハバクク 2:4 ゼパニヤ 1:7 参照 48

50 詩 40 篇 告げる ( カテゴリー : 宣教 ) バーサル בּ שׂ ר 9 節 私は大きな会衆の中で 義の良い知らせを告げました Keyword; 告げる 告知する 語り告げる speak, preach, proclaim, declare, say 詩 40 篇のキーワードは 神の喜ばしいおとずれを 告げる ということです この詩篇には四つの節に 語る ことに関連することばが五つあります 1 5 節 私が告げ ב ר ( dabar )דּ ても また語っ ( nagad )נ ג ד ても それは多くて述べ 尽くせません ( saphar )ם פ ר 2 9 節 私は大きな会衆の中で 義の良い知らせを告げ 49 ました (basar) ב שׂ ר ご覧ください 私は私のくちびるを押さえません 310 節 私は あなたの義を心の中に隠しませんでした あなたの真実とあなたの救いרを告げ ( amar `)אָמ ました 私は 大いなる会衆に隠しませんでした 416 節 あなたの救いを愛する人たちが 主をあがめよう と רいつも言います ( amar `)אָמ ように 英語で言うならば speak, preach, declare, proclaim, say は 口で語ることに関する語彙ですが そのニュアンスは微妙に異なります たとえば speak ということばは 話すという意味ですが preach は ことばを話すにしても説教のようにある程度 整理して順序立てて語る用語です declareと proclaimは はっきりと宣言する 告白する 告知する 公言するという言葉で 教会では賛美の中で神がどのような方であり なにをなされたかをはっきりと告白するといったニュアンスです いずれにしても この詩篇は神がなしてくださったすばらしい救いを語ること 語り告げることを強調しています この詩篇をワンセンテンスで言い表すならば (A) 滅びの穴から救い出された者 あるいは 主から新しい歌を授けられた者は (Who) (B) いつも (When) (C) 会衆に 会う人ごとに (Whom) (D) 救いについての良い知らせ 喜ばしいおとずれを (What) (E) 喜んで ( 自発的に ) (How) (F) 語り告げる という責任があります 自分の心の中に隠してはならいのです 礼拝における賛美というかたちで 説教というかたちで あるいは日常的なかかわりの場でなされるあかし ( 話し ) というかたちで とその形式は様々ですが 神の驚くべき救いの御業は どんなに語り告げても 語り尽くすということはないことを詩 40 篇の作者は告白しています もう一度 主にある一人ひとりが 救いの原点に立ち返って 神の驚くべき救いの事実を語る ( あかしする ) ことの重要性を認識しなければならないと思います たとえ 数え切れないほどのわざわいが私を取り囲 (12 節 ) んだとしてもです

51 詩 41 篇 知る 分かる ( カテゴリー : 信頼 ) ヤーダー י ד ע 11 節 このことによって あなたは私を喜んでおられるのが わかります ( 新改訳 ) そしてわたしは知るでしょう わたしはあなたの御旨にかなうのだと ( 新共同訳 ) Keyword; 知る know, 4:3/9:10/20:6/36:10/51:3/56:9/59:13/73:16/83:18/87:4/89:15/91:14/100:3/109:27 119:75, 79, 125, 152/135:5/139:14/140:12 ע知る と訳されるヤーダー (` yada )י ד は 神とのかかわりにおいて きわめて重要な礼拝用語です 旧約では 947 回 詩篇では 92 回使われています 神がどのようなお方であるかということを知るということは 単なる知的理解にとどまることではなく 人格的 体験的な愛の交わりを意味するからです 知り 知られる という関係をしるした詩 139 篇はその意味ではすばらしい傑作です また 創世記 4 章 1 節の 人はその妻を知った は 霊的 精神的 肉体的なものすべてを含んだ交わりを意味します 詩 41 篇 11 節のように 自分の存在が神によって喜ばれていることが わかる 神に受け入れられていることを 知る ことは 生きる力を生み出し 存在の輝きを放ちます 御子イエスも御父から わたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ と言われました この御父の内なる愛の声こそ すべての子どもたちが日々聞く必要があります かつて NHK でマザーテレサの働きを紹介するドキュメンタリーが放映されました その中で 孤児を抱くマザーテレサの姿がありました 顔に輝きを失った幼児が マザーに抱かれ 頬ずりされ 語りかけられているうちに 孤児の顔は次第に輝きはじめました これが人間と言う存在なのだ と思いました 自分の存在が認められ 受け入れられ 理解され 大切にされてはじめて輝くかかわり これこそ人格的な交わりです ちなみに ヨハネの福音書における大切なキーワードは 信じる (πιστενειν) ですが 知る (γνωσκειν) という動詞もそれと密接な関係にあります 詩 41 篇は詩篇第一巻の最後の詩篇です A バイザーという人は 第一巻の主要テーマは 悟り だとしています つまり 何が 幸いなことか を悟ること 最も大切なことは何かを悟ること しかし その悟りは知識によって得ることはできません 神と共に歩む経験を通して開かれる悟りです 人間の知恵によってもたらされるものではありません 神の知恵に基づく 気づき といえます 預言者ホセアは 私たちは 知ろう 主を知ることを切に追い求めよう 主は暁の光のように 確かに現われ 大雨のように 私たちのところに来 後の雨理ように 地を潤される ( ホセア 6 章 3 節 ) と 主を知ることの大切さとその祝福を語りました 神を知ることを 神ご自身がなによりも喜ばれるからです 50

52 詩 42 篇 渇く ( カテゴリー : 渇望 ) ツァーメー צ מ א アーラグ ע ר ג 1 ע ר ג節 鹿が谷川の流れを慕いあえぐ ように 私のたましいはあなたを慕いあえぎます צ מ א 節 私のたましいは 神を 生ける神を求めて渇いています 2 42:1, (ע ר ג) 慕いあえぐ Keyword; pant, 渇く (צ מ א) 42:2/63:1 thirsty, thirst, 詩 42 篇には多くの礼拝用語が登場していますが その中でも渇望を表わす動詞 慕いあえぐ 渇く という二つのことばが詩篇ではじめて登場します 慕いあえぐ と訳さ れたアーラグ ג ( arag `)ע ר も 渇く と訳されたツァーメー מ א ( tsame )צ も 単に喉が渇 くだけでなく たましいの強烈な渇き 切羽詰まった渇きを意味することばです 前者は旧約で 3 回 そのうち 2 回が詩篇 後者は旧約で 10 回 詩篇では 2 回用いられています 喉の 渇き ( 名詞はツァーマー מ א ( tsama )צ 69:21/104:11) もさることながら たまし い ( ネフェシュ ) の渇きは 人間のニーズの中でも最も根源的なものであり 切実です 渇き はどうしても満たされなければなりません すべての人はこの 渇き を満たすべく生きていると言っても過言ではありません 詩 42 篇の作者には かつてエルサレムで経験した生ける神との一体感への希求があります その一体感を再び味わいたいとの強い希求があります しかし 現実にはそれがかなわぬことで なおいっそう その渇きが増幅されているのです イエスは 大いなる祭りー仮庵の祭りーの終わりの日に 立って 大声で言われました だれでも渇いているなら わたしのもとに来なさい わたしを信じる者は 聖書が言っているとおりに その人の心の奥底から 生ける水の川が流れ出るようになる ( ヨハネの福音書 7:38) このイエスの叫びは どんな大きな祭りに参加したとしても なお満たされない心があることを見抜いた上での招きでした イエス キリストは 義に飢え渇いている者は幸いです その人は満ち足りるからです ( マタイ 5:6) 義 とは神とのかかわりを意味する関係概念です 神のすべての祝福の原則は 義 すなわち神との親しいかかわりに飢え渇いている者にのみ注がれるということです ヨハネの福音書でも 渇き は大切なキーワードです 真実の愛に渇いていたサマリヤの女はその良い例です 彼女は自分の心の渇きに気づかずに 男性を求めていた女性でした しかし イエスとの出会いによって自分の渇きに気づかされ 渇くことのないいのちの水を与えてくださる方に出会ったのです 私たちもこの方とかかわることなしには たましいの渇きをいやすことはできません ツァーメー מ א ( tsame )צ の類義語としては シャーカク ק ק ( shaqaq )שׁ があります 飢 える 渇きがとまらない 渇く 飢え渇く を意味します 107:9:/143:6 参照 51

53 詩 43 篇 待ち望む ( カテゴリー : 待望 渇望 ) ヤーハル י ח ל 5 節 神を待ち望め 私はなおも神をほめたたえる 御顔の救いを Keyword; 待ち望む hope, put hope, give hope 31:24/33:18, 22/38:15/39:742:5, 11/69:3/71:14/119:43, 49, 147/130:5/147:11 詩 42 篇と詩 43 篇は 同じリフレイン ( 反復句 ) を持つために もともと一つの詩篇だと言われています そのリフレインとは以下の句です わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか なぜ 私の前で ( 岩波訳では 私のことで ) ( ) 思い乱れているのか 神を待ち望め 私はなおも神をほめたたえる 私の顔の救い 私の神を ( 新改訳第二版では なぜ 御前で思い乱れているのか と訳されていますが 第三版ではע ל私の前で と改訳されています アル は upon, on, above, over, beside, near, before, towards, against, within, from, because, by など 前置詞のすべてを含んでいるような意 ) リフレインでは 詩篇の作者がもう一人の自分 うなだれ 思い乱れている 自分 に向って呼びかけています うなだれ とは cast down 頭を垂れ 意気消沈している 失望落胆している状態を表し 思い乱れている とは woam うめき 嘆いている状態です そんなたましいに対して 神を待ち望め 私はなおも主をほめたたえる と告白しהています ほめたたえる と訳された原語ヤーダー ( yadah )י ד は 賛美する 感謝する ( od `)עו ד公に告白するという意味です しかも なおも オド とは 現実の事態に反しても神がすべてのことにおいて いつくしみ深い方 だと信じ続けていく決意の表現です 詩篇瞑想の目的のひとつは 自分が自分に向って励ましと希望を与えることです 私たちは 表と裏 信と不信 興奮している自分と醒めている自分 温かな面と冷ややかな面 熱心さと虚しさ などを合わせ持っている存在です それゆえ 私たちはしばしば自分のたましいに向って 自分を励ますために語りかける必要があるのです 待ち望む と訳される類義語は多くありますが( 例 : 詩 25 篇参照 ) 詩 43 篇 5 節の ヤーハル י ח ל (yachal) は 将来になされる神の善を信じて 今日を生き抜く力をもたら す 待ち望み を意味することばのように思えます 作者は 過去の良かったことを 思い起こし ては 自分を励まそうとするのですが 過去と現実のギャップを知ることで より辛くなっていく自分に気づきはじめているように思います 待ち望み のプロセスとしてそこはだれもが通るところかもしれませんが どんなに良かりし過去を顧みたとて 今 生きる原動力とはなりません 人は将来に希望を持つことによってはじめて今の時を意味あることとして 創造的に生きることのできる存在です つまり 明日を信じて生きることのできる人は 今日を生き抜くことができるということです 神を待ち望め 私はなおも神をほめたたえる との告白は 生きることに新しい喜びと力を与えるます 52

54 詩 44 篇 ~ しない ( カテゴリー : 誓約 ) ロー א 17 節 これらのことすべてが私たちを襲いました しかし私たちはあなたを忘れませんでした またあなたの契約を無にしませんでした Keyword; ~しない ~せず not ( 動詞ではなく 動詞を否定する副詞 ) 消極的表現を用いることで より積極的な意志を表すことは 詩篇の常道です 第 1 篇の冒頭にも 幸いなことよ 悪者のはかりごとに< 歩まず> 罪人の道に< 立たず> あざける者の座に< 着かなかった> その人 ( 詩 1 篇 1 節 ) という消極的表現が登場します それは次に来る 主の教えを喜びとし 昼も夜もその教えを口ずさむ という積極的表現を より強く引き立たせるためです 詩 44 篇 17~18 節にも 忘れない 無にしない たじろがない それない との消極的表現が見られます これまで 詩篇の礼拝用語として むしろ 積極的な表現をピックアップしてきました 詩篇の中では 積極的な礼拝用語に比べるならば その消極的表現は決して多くはありません しかしながら 消極的表現を使いながら神との強いかかわりの絆を結ぼうとする意志を感じさせられます そのことを心に留めたいと思います 詩篇における礼拝用語の消極的表現を探してみましょう ゆるぎません (16:8/57:7/108:1) ゆるがされません (30:6/62:2,6) たじろぎません (44:18) 恐れません わざわいをー (23:4/27:3/46:2/56:4) 動じません (27:3) よろけません (17:5) 忘れません (44:17/119:61,93,109,141,153,176) 無にしません - 契約をー (44:17) 裏切りません - 神をー (80:18) 捨てません - 主の戒めをー (119:87) 離れません - 主の教えからー (119:102,157) それません 主の道から みおしえからー (44:18/119:51) 恥じることがありません - 主の仰せをー (119:6) もし 上記のような消極的表現を裏に返すならば ゆらぐ ゆるがされる たじろぐ 恐れる 動じる よろける 忘れる 無にする 裏切る 捨てる 離れる それる 恥じる となり 神との関係はきわめて罪深いものとなります しかし 多くの詩篇の作者たちは それらをはっきりと否定することによって 神とのゆるぎない関係を築こうとしたのです 53

55 詩 45 篇 わき立つ ( カテゴリー : 感謝 賛美 ) ラーハシュ ר ח שׁ 1 節 私の心はすばらしいことばでわき立っている ( 新改訳 ) わたしの心はうるわしい言葉であふれる ( 口語訳 ) 心に湧き出る美しい言葉 ( 新共同訳 ) 私の心は 美しいことを思って 燃え立っている My heart is overflowing with a good theme. (NKJV) Keyword; わき立つ あふれる be stirred by 旧約聖書では詩篇 45:1のみ ラーハシュ ח שׁ ( rachash )ר は わき立つ あふれ出る わき出る 燃え立つ 動きが止 まらない 沸騰している という意味です 旧約では詩篇 45:1 節のみの動詞にもかかわらず 神を礼拝する者にとってきわめて重要な動詞だと信じます というのも 私たちの心にあるものが口から必ず出でくるからです この詩篇の作者の心は 神とのかかわりにおいて すばらしい言葉で あるいは 美しい麗しいことで燃え立っています その心からあふれ出たものがこの詩篇です そして この詩篇の すばらしい 美しいこと とは 王であり かつ 神であられる方とその花嫁となる王妃との婚姻の喜びです それを作者は預言的に語っているのです あなた という人称代名詞で表わされるのは 王であり 神である方です この方は御子キリストであることが この詩篇を引用しているヘブル書 1 章で明らかにしています 注目したいことは すばらしいことば が原文では 54 ) ダーバール トーヴ ( דּ ב ר טוב となっていて 良い ( トーヴ ) と ことば 出来事 事柄 ( ダーバール ) とが結びついています NKJV 訳では with a good theme NIV 訳では by a noble theme と訳しています つまり 心にわき立つことばが 一つの良い主題をもって 気品ある主題をもって 語られるということです もし作者が ある思いを あふれ出る思いやことばを脈絡なく混沌としたまま口から出すならば だれも理解することができません 他者にも理解でき 他者の徳を高めるためには 知性によって整理し ことばを選択することが必要です そのためには訓練が必要です 即興的に詩を作ったり 曲を演奏したり 作ったりすることができるその陰には 常日頃からの多くの備えがあると言われます そうした備えがあってはじめて その場限りの即興的なものであっても すばらしい統一をもった独創的な作品を 直観的に インスピレーションを与えられて造ることができるのです このことはキリスト者である私たちにも学ぶべきところが多いと信じます 私たちが神の前に祈る祈りや賛美 あるいは告白 説教が ある一つの主題を持って美しく語られるとき それは自分だけでなく それを聞く者の徳を高めます 互いに徳を高め合うために 私たちは キリストのことば を心のうちに いつも豊かに宿るようにしていなければなりません それは日々の みことばの瞑想 によってもたらされると信じます

56 詩 46 篇 やめる 静まる ( カテゴリー : 信頼 ) ラーファー ר פ ה 10 節 やめよ 私が神であることを知れ ( 新改訳 ) 静まって わたしこそ神であることを知れ ( 口語訳 ) 力を捨てよ 知れ わたしは神 ( 新共同訳 ) 心を静めて 知れ ( 関根訳 ) Be still, and know that I am God (NKJV) "Stop fighting," he says, "and know that I am God, (TEV) Keyword; やめる 静まる be still, stop, 37:8/46:10/138:8 詩 46 篇には二つの命令があります この命令は神の招きと言っても良いかもしれません いつの時代においても 神の子どもに対する重要な神の招きです 一つは 8 節の 来て 見よ もう一つは 10 節の やめよ 知れ です この二つは密接なつながりを持ז הっています まず 来て 見る こと 見る はハーザー ( chazah )ח という言葉です 多くの人々には隠されていることを霊の目で見ることを意味します そのための内実 は 静まって פ ה ( raphah )ר 神を知る ע (` yada )י ד こと です פ הやめよ と訳されたラーファー ( raphah )ר は 失う 消え失せる なえる 弱くする 静まる 捨てる 手を引く 手放す 猶予を与える 降伏する 抵抗するのをやめる といった意味があります 忙しく 落ち着きがなく 止まることを知らない 活動に満ちた現代社会においては 静まる ことは決して容易ではありません ひとたび 忙しさというブラックホール の中に吸い込まれるならば そこから脱出することは容易ではありません 神を信じる者にとって 静まる ことは 決して消極的なことではなく むしろ神とより親密なかかわり より深いかかわりを持つこと積極的信頼を意味します ゆっくりとした時間の中で過ごす沈黙は 私たちのたましいの刃を研ぎ澄ませ 神から来るかすかな合図に対しても敏感にしてくれます ゆっくり ゆったり ゆたかに という 三ゆ の心の構えが必要です それは 神の召しを実現させる心の構えです しかもそれは訓練なしには育ちません 静まること 沈黙すること 止まること 頑張ることをやめること 力を捨てること によって神とのより深い交わりが保証されます その意味で 静まり は 深まり と同義です 預言者イザヤは警告しています 神である主 イスラエルの聖なる方は こう仰せられる 立ち返って静かにすれば あなたがたは救われ 落ち着いて 信頼すれば あなたがたは力を得る しかし あなたがたは これを望まなかった (30 章 15 節 ) と それゆえ 自らの生活をシンプルなものとし 静まって わたしこそ神であることを知れ ( 口語訳 ) という神の招き ( 命令 ) を新たな思いで見直したいものです 55

57 詩 47 篇 叫ぶ ( カテゴリー : 感謝 賛美 ) ルーア רוּע 1 節 すべての国々の民よ 喜びの声をあげて神に叫べ ( 新改訳 ) すべての民よ 神に向かって喜び歌い 叫びをあげよ ( 新共同訳 ) Keyword; 叫ぶ 喜び叫ぶ shout, shout of joy, shout joyfully, call together, rejoice 41:11/47:1/ 60:8/66:1/81:1/95:2/98:4, 6/100:1/108:9 詩 46 篇では 神の前に静まることが強調されましたが 詩 47 篇では一変して 喜びの声をあげて叫べ と呼びかけています この 叫び は嘆きの叫びでなく 勝利の叫びです 喜びの声を上げて 神に 叫べ と訳されたルーア (` rua )רוּע は 旧約では45 回 詩篇 では 12 回使われています 喜び あるいは 喜びの声 を意味する名詞のリンナー ( rinnah )ר を伴って 大声を上げる ときの声を上げる 喜びの叫びを上げる 喜び叫 נּ ה ぶ という意味があります 勝利の喜びの叫びです しかも 神の民が共に叫ぶところに特徴があります נּ הちなみに 名詞のリンナー ( rinnah )ר は詩篇の17:1/30:5/42:4/47:1/61:1/88:2/105:43/ 106:44/107:22/118:15/119:169/126:2, 5, 6/142:6でも使われています 詩 47 篇は 終末における主の再臨による勝利 ( 千年王国の到来 ) を預言的に歌っています この時には イスラエルは全世界の支配国となり (3 節 ) 神から約束されたカナンの地を完全に受け継ぎます しかも 神によって立てられた世界中の 地の盾 と言われる国々の指導者たちが アブラハムの神の民として神を礼拝するためにエルサレムに集められます まことに いと高き主は 全地の王となるのです ここ近年 1990 年代以降 聖霊の導きによってこうした 預言的賛美 が教会の中で多く作られ歌われるようになりました それゆえ 私たちは正しい理解をもって スケールの大きな 預言的賛美 を歌う必要があります でなければ 神に向ってのすべてのシャウトの内実は蛻 ( もぬけ ) のからです 旧約聖書における喜びの叫び ( シャウト ) (` rua )רוּעルーア は歴史の終末におけるキリストの再臨による主の勝利と深く結び付いていることを知ることは有益です 天よ 喜び歌え 主がこれを成し遂げられたから 地のどん底よ 喜び叫べ 山々よ 喜びの歌声をあげよ 林とそのすべての木も 主がヤコブを贖い イスラエルのうちに その栄光を現わされるからだ ( イザヤ44:23) シオンの娘よ 喜び歌え イスラエルよ 喜び叫べ エルサレムの娘よ 心の底から 喜び勝ち誇れ ( ゼパニヤ3:14) シオンの娘よ 大いに喜べ エルサレムの娘よ 喜び叫べ 見よ あなたの王があなたのところに来られる この方は正しい方で救いを賜わり 柔和でろばに乗られる それも 雌ろばの子の子ろばに ( ゼカリヤ9:9) 56

58 詩 48 篇 思い巡らす ( カテゴリー : 祈り 瞑想 ) ダーマー דּ מ ה 9 節 あなたの恵みを思い巡らしました ( 新改訳 ) あなたの慈しみを思い描く ( 新共同訳 ) Keyword; 思う 思い巡らす think 思い巡らす 思う と訳されたダーマー מ ה ( damah )דּ は 考える 比べる なぞら える たとえを語る といった意味をもつ言葉です 新共同訳の 思い描く という訳は このことばの本意を突いているように思います 味を描く という表現を聞いたことがあります ある味とある味とを合わせると こういう味になるということを あらかじめ頭の中で想像する能力のようです 音楽の世界でも偉大音楽家はみな 音を描ける 人たちであったと考えられます 彼らは楽器と楽器との組み合わせるとこんな響き こんな感じなるという能力 つまり 音を描くことができたのです 詩 48 篇の作者は 神の恵み 神の慈しみー loving-kindness/ steadfast love/ constant love を 思い描く 能力を持っていたようです この能力とはどんな能力なのでしょうか 主イエス キリストこそ 神の恵み 神の確かな愛 変わることのない愛を思い描き 多くのたとえで語りました 使徒パウロも 神の愛の 広さ 長さ 高さ 深さ を描くことのできた人です そのパウロが 神の恵みによって 私は今の私になりました そして 私に対するこの神の恵みは むだにはならず 私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました しかし それは私ではなく 私にある神の恵みです ( コリント第一 15 章 10 節 ) と述べています 神の恵みがいかなるものかということだけでなく それがあらゆる領域にどのような形で現わされるかを描くことのできた人です そしていつも人々に神の恵みを説くことのできた人です 神の恵みこそ人を変える力があることを 彼自身が経験したからです 熱心に律法を学び 律法に厳格に生きてきた彼は 律法には人を新しくする力がないことを知らされたのです (1) 一人の例外もなく すべての人を救う神の恵み (2) 高価な神の恵み しかも 無代価 (3) あふれ出す神の恵みー惜しみなく施す (4) 人々の間に愛のかかわりをもたらす神の恵み そんな神の恵み いつくしみを 作者のように思い描ける者とされたいものです 瞑想用語の類義語としては ין ( bin )בּ /50:22 ג ה, hagah)1:2 )ה 63:5,6/ /77:12/ ( zakar )ז כ ר,6, siach)77:3 )שׂ יח chashab)21:11/41:7/73:16/77:/119:59 )ח שׁ ב /12/106:7/109:16,77:3,6 12/119:15, 23/143:5/145:5 があります 特に 詩 77 篇は瞑想用語の宝庫です 57

59 詩 49 篇 聞く ( カテゴリー : 従順 ) アーザン אָז ן シャーマー שׁ מ ע 1 節 すべての国々の民よ これを聞け 世界に住むすべての者よ 耳を傾けよ (` shama )שׁ מ ע ( azan )אָז ן Keyword; 聞く 耳を傾ける heard, attended, listen שׁ מ ע /81:8/85:8/95:7/103:20//48:8/50:7/66:16,34:2 /11 אָז ן 5:1/17:1, 6/31:2/39:12/45:10/40:1/49:4/54:2/71:2/80:1/84:8/88:2/102:2/116:2 詩 49 篇 1 節は 最初の行で述べられたことが 次の行では他のことばで繰り返される 同義的並行法 ( パラレリズム ) です 従って 聞く シャーマー מ ע (` shama )שׁ と 耳 ( azan )אָז ןを傾ける アーザン とは同義語です 聖書において 聞く ことは 信じる こと 従う ことでもあります 聞き従う こと これがシャーマー מ ע (` shama )שׁ です アーザン ( azan )אָז ן は 注意深く聞く 傾聴する 吟味する という意味です ちなみに 預言者サムエルという名前は 聞 く מ ע ש ということばと 神を表す エル א ל ということばの合成語がサムエルです つまり サムエルとは 神が聞かれた という意味になります שׁ מוּא ל 私たちが神の御声を聞く場合も また 神が私たちの祈りの声を聞かれる場に合も 同 じくシャーマー מ ע (` shama )שׁ が使われます 詩篇の中では後者の方が多いようです この詩 49 篇において 作者が 聞け 耳を傾けよ と呼びかけているのは 知恵を語り 英知を告げ 格言 ( たとえ ) に耳を傾け 謎を解き明かそうとしているからです それは人間の普遍的問題である 死 という現実に対するものです 作者はその現実に対して いわば 悟りを得よ と呼びかけているのです そして その悟るべき内実とは 私たちは よみ ( 死者が終末のさばきを待つ場所 ) に行くことが定められていること よみからたましいを買い戻すことは不可能であること しかし 神だけがたましいをよみから買い戻して下さる唯一の方であるということです (15 節 ) それゆえ 神の知恵に耳を傾け 聞いて悟りを得なければ 人がたとえ栄華の中にあっても 滅び失せる獣に等しいのです 私たちが 常日頃 何を聞くべきか 何に注意を向けているべきか問われます イエス キリストは神の国の真理をたとえ話で語りましたが そのとき 耳のある者は聞きなさい と言われました ヨハネ黙示録でも 七つの教会に対してそれぞれ 耳のある者は御霊が言われることを聞きなさい と記しています いずれも 聞く とは よく注意して 真理を悟ることを意味しています 神が私たちの声に耳を傾けて 聞いて下さいます と同時に 私たちも神の知恵 神の英知 格言と謎に 注意深く耳を傾け 吟味する必要があるのはないかと思います 58

60 詩 50 篇 ささげる ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) ザーヴァフ ז ב ח 14 節 感謝のいけにえを神にささげよ あなたの誓いをいと高き方に果たせ 23 節 感謝のいけにえをささげる人は わたしをあがめよう Keyword; ささげる offer, sacrifice, 4:5/27:6/50:14, 23/54:6/107:22/116:17 חささげる と訳されたザーヴァフ ( zabach )ז ב は 神へのささげものとして 奉納する 供える ことを意味します 旧約においては 神へのいけにえをささげることなしに神に近づくことはできませんでした そのために 神は礼拝における五つのいけにえの規定を定められました モーセの幕屋においては 強制的ないけにえとして 罪過のいけにえ 罪のいけにえ をささげることで神に近づくことができます 他に 自発的なささげものとして 和解のいけにえ 穀物のささげもの 全焼のいけにえ があります ダビデの幕屋では 動物のいけにえに代わって 義のいけにえ 喜びのいけにえ 感謝のいけにえ 従順のいけにえ 砕かれた悔いた心のいけにえ という精神的 霊的ないけにえが重視されたました 詩篇では後者のいけにえが目立ちます 詩 50 篇では 神がご自分の民を全地から呼び寄せ 天の法廷で訴えています それは 感謝のいけにえを神にささげよ というものです 詩篇においては しばしば 感謝と賛美を携え 主の御前に来たれ と呼びかけていますが 神の尽きることのない恵み 変わることのない神の愛に対して 私たちが最初にしなければならないことは感謝することです 礼拝することも 賛美することも 献金することも 神と人とに奉仕することも さまざまな訓練を受けることも すべては 感謝のわざの現われ と言えるからです 私たちは往々にして のど元過ぎれば熱さ忘れる で 苦しい時に神の助けを受けた恩も 楽になれば忘れてしまうのが常です なんと身勝手かと思ってしまいます イエス キリストがある村で ツァラートで悩む 10 人の者に出会ったとき 彼らは声を張り上げて イエスさま どうぞあわれんでください と嘆願しました ( ルカの福音書 17 章 11~ 19 節 ) 彼らは祭司に自分を見せるように言われて そこに行く途中で全員癒されました ところが 自分がいやされたことが分かって 引き返してイエスの足もとにひれ伏して感謝した人はなんとたった一人でした しかもその人はサマリヤ人 このことを考えても 感謝することが決して容易ではないことが分かります それは人事ではなく 自分自身にも言い聞かせなければならないことです それゆえに 23 節の 感謝のいけにえをささげる人は わたしをあがめよう という勧告はとても重要です イエスが弟子たちに教えられた 主の祈り の中で最初に来る嘆願は 御名をあがめさせたまえ ですが その嘆願の内実は神に感謝をささげることです 59

61 詩 51 篇 高らかに歌う 誉れを告げる ( カテゴリー : 賛美 感謝 ) ナーガド נ ג ד ラーナン ר נ ן 14 節 そうすれば 私の舌は あなたの義を 高らかに歌う נ ן ( ranan )ר でしょう 15 節 そうすれば 私の口は あなたの誉れを告げる ( nagad )נ ג ד でしょう Keyword; 高らかに歌う 喜び歌う sing, praise, acclaim, exult, 5:11/20:5/ 32:11/33:1/35:27/59:16/63:7/67:4/71:23/81:1/84:2/89:12/90:14/92:4/95:1/96:12/132:16/ 詩 51 篇の 14, 15 節は嘆願と結びついた 賛美の誓い のことばです その特徴は ~ してください そうすれば ~します (I will) という構文です この 賛美の誓い は詩篇の中で多く見られます ちなみに 詩 51 篇の 14 節 15 節では 神よ 救いの神よ 血の罪から私を救い出してください そうすれば 私の舌は あなたの義を 高らかに歌うでしょう (14 節 ) 主よ わたしのくちびるを開いてください そうすれば 私の口は あなたの誉れを告げるでしょう (15 節 ) ダビデは自分の罪が赦されるならば 声高らかに主の義 ( 救い ) を歌いますと誓っています ダビデの賛美は彼が歌うことが好きだったから 賛美しているのではありません 賛美の誓い ( 決意 ) をしたゆえに どんなときにも主を賛美する者となったのです この点が重要です 歌の好きな人は多くいます しかし ダビデのように自分の生き方と抵触した歌 つまり 自分の歌がそのまま自分の生き方とかかわるような歌 を歌う者は多くいません ダビデのように 舌は主にささげられ 口を開けば主の誉れを告げる者となることこそ 主が喜ばれることです 14 נ ן節の 歌う と訳されたラーナン ( ranan )ר は 声高らかに歌う 喜び歌う 声高く歌う 喜びの歌を高く上げる 喜びの声を上げる など 喜び が基調にある歌を意味します 8 節と 12 節では 喜び ( 名詞 ) שׂו ןサーソン ( sason )שׂ で満たし 救いの 喜び ( 同 ) を返して下さいとも祈っています 歌う という動詞の類義語は多くあります 1 一般的な 歌う という意味のシール ( halal )ה 3 静まっל ל派手に にぎやかな なりふりかまわぬハーラル ( shir )שׁ 2 יר て賛美するバーラク רך ( barak )ב 4 ב ח大きな声を上げて歌うシェヴァフ ( shabach )שׁ 5 ר楽器を伴うザーマル ( zamar )ז מ 6 感謝をこめて手を上げて賛美するヤーダーなどがあります ( rum )רוּם主の名を高く上げ 称賛しあがめるルーム ( yadah )י ד 7 ה ( nagad )נ ג דナーガド 8 はすでに詩篇 38 篇 18 節で取り上げました そこでは自分の咎を 言い表す という意味で使われていましたが 詩 51 篇では神の誉れを 告げる という意味で使われています 目が開かれることも 耳が開かれることも くちびるが開かれることも 心が開かれることも すべては神のみわざです 詩 40 篇の作者は 主は 私の口に 新しい歌 われらの神への賛美を授けられた (3 節 ) と告白しています 60

62 詩 52 篇 拠り頼む ( カテゴリー : 信頼 ) バータフ בּ ט ח 7 節 神を力とせず おのれの豊かな富にたより 8 節 しかし この私は 世々限りなく 神の恵みに拠り頼む Keyword; 拠り頼む trust すでに詩 21 篇において 信頼します ということばでバータフ בּ ט ח (batach) を取り 上げましたが 詩 52 篇でも取り上げたいと思います ここでは 神を力とせず おのれの豊かな富に拠り頼む者 と 神の恵みに拠り頼む者 とが対象的に記されています 人には何を頼みとして生きているのか それが明白になるときが必ず来ます אַה ב ה ( chesed )ח とアハヴァー ס ד ヘブル語には神の愛を表す言葉 ( 名詞 ) としてヘセド ( ahabah) があります ヘセドはイスラエルへの神の契約の愛を意味し アハヴァーはイス ラエルへの神の選びの愛を表します 前者のヘセド ס ד ( chesed )ח は 詩篇では 恵み ( 新 改訳 ) 慈しみ ( 新共同訳 ) 慈しみ ( 口語訳 ) と訳され 英語では loving-kindness, mercy, steadfast love, constans love とも訳されます それは 神の確かな愛であり 不動 堅固 不変 執拗さを含んだ愛です ちなみに 一方のアハヴァー ב ה ( ahabah )אַה は 神のイ スラエルに対する無条件的な愛を意味しています この詩 52 篇はダビデの生涯において最も孤独と弱さを感じた時ではないかと思います アヒメレクに対しても自分の生存と保障のために 嘘 を言わなければならないほど 自分のみじめな姿をさらけ出しています だれも共感する者もなく 人生の落ち目にあるダビデ しかし そうした状況の中でダビデが 神の恵みはいつもあるのだ (1 節後半 ) 私は 世々限りなく 神の恵みに拠り頼む (8 節後半 ) と告白した姿に感動を覚えます 興味深いことに 1 節 なぜ おまえは悪を誇るのか 勇士よ 神の恵みはいつもあるのだ を 関根訳では 強き者よ 何故君は悪を誇るのか 神の聖徒に向かって 何故いつも と訳されています 神の恵み が 神の聖徒 となっていますが 聖徒 とは ハーシード ס יד ( chasid )ח つまり神の恵みに生きる敬虔な者という意味です なぜか 神の恵みに生きる聖徒たちの周りには 彼らを脅かす者たちが存在するのが世の常のよう です そのような中で徹底した神の 恵み であるヘセド ס ד chesed) loving-kindness )ח それは神が goodness であるがゆえに注がれる神の不変の愛 に いつも (all the day) たえず (continually) どんなときにも (all the time) 注がれていることを信じて それに 拠り頼む ט ח ( batach )ב ことはすばらしいことです また 神の恵みに拠り頼 む ( 新改訳 8 節 ) ことは 神の家にとどまる ( 新共同訳 10 節 ) ことと同義です 人を変えていく力は神の恵み ס ד ( chesed )ח です 律法やがんばりの世界ではなく 変 わることのない神の一方的な愛に基づく守りと祝福である 恵み を 信じ 感謝して そのことを人に語り あかしして行きたいと思わされます 61

63 詩 54 篇 進んでささげる ( カテゴリー : 感謝 ) ナーダヴ נ ד ב ז ב ח ささげ物をもって あなたにいけにえをささげます נ ד ב 6 節 私は進んでささげる ( 口語訳 喜んで 新共同訳 自ら進んで ) Keyword; 自ら進んでささげる 喜んでささげる freely sacrifice, a free-will offering 進んでささげ物をする と訳されたナーダヴ נ ד ב (nadav) は 喜んでする 惜しげな くささげる 真心よりの供え物をささげる 自ら進んでささげる 喜んでささげる といった自由意志を表す動詞です つまり 一切の義務や強制からではなく あくまでも自発性が重んじられた自由な意思に基づく行為を表すことばです 詩 54 篇ではダビデがそうした自発的なささげものをする理由について記しています 7 節がそうです 神は すべての苦難から私を救い出し 私の目が私の敵をながめるようにしてくださったからです 私の目が敵をながめるようにしてくださった とは 理不尽な敵 不条理な敵さえも 自分の成長にとって愛すべき敵となった意味です ダビデは王となるべきサムエルから聞かされた時から 彼の王となるべく資質を整えるための神の訓練が始まりした タビデは 10 余年の荒野での逃亡生活の中で 恩を仇で返されたり 裏切られたりといった経験を何度もしましたが それは神が いつくしみ をもって彼を成長させるためでした そうした訓練はそのときには決して喜ばしいものではなく かえって悲しく思われるものですが 後になると平安の義の実を結ばせてくれます 特に 神との信頼の絆を強めることになります The Power of Your Love という賛美があります その歌には わが心 造り変えたまえ わがうちにおられる主よ わが弱さ 取り去りたまえ とありますが わが弱さ とは神をどこまでも信頼することのできない弱さを意味しています 神に信頼し切れない自分の 弱さ を取り去って どこまでも神を信頼する心に造り変えて下さいという祈りの歌です ダビデに対する荒野の放浪経験は神への信頼の絆を強めると共に 自分と運命を共にする同胞たちとの信頼関係を築くためのものでした そのために神は敵さえも用いられることをダビデは知るようになりました それが 私の目が敵をながめるようにしてくださった という意味です ダビデは主がどういうお方かを知りました それは いつくしみ深い ということです ( tov )טו בトーヴ な方 良い方 good な方 良いことしかできない方 私にとって良いことしかなさらない方だという告白です このことを知ってダビデはますます自ら進んで神によいものをささげる者となったのです これは全面的信頼を表すささげものなのです בちなみに 大祭司アロンの長子の名は ナーダヴ ( nadav )נ ד です アロンはその子を心から喜んで神に感謝してささげたに違いありません しかし 彼は弟のアビブと共に規定とは異なる火をささげたことにより 神の怒りにふれて死にました 62

64 詩 55 篇 (1) うめく ( カテゴリー : 渇望 ) シアッハ שׂיח 17 節 夕 朝 真昼 私は嘆き うめく すると 主は私の声を聞いてくださる Keyword; 呻く in distress, mock, muse, 他に meditate, consider 55:17/69:12/77:3, 6, 12/105:2/119:15, 23, 27, 48, 78, 148/143:5/145:5 うめく( 呻く ) と訳されたシアッハ ( siach )שׂיח ( zakar )ז כ רは ザーハル ハーシャヴ などと共に詩篇における瞑想用語の一つです ( hagah )ה ג הchashab) ハーガー ) ח שׁב シアツハ ( siach )שׂיח は本来 歌う という意味ですが 思いを潜めて 自分と語り合い 静かに考える 神を深く思う の他に 問う 嘆きうめく という意味もあります うめき は祈りの中でも 最も雄弁な祈り として神に届き 神を動かす祈りです たとえば 預言者サムエルを産んだ母ハンナがそうです 彼女は心の苦悩を主の前に注ぎ出しました その悩みは余りにも切実で 言葉にならず うめきでした しかしこのハンナのうめきの祈りが預言者サムエルを生み出したのです サムエル第一 1 章参照 詩 55 篇の作者 ( ダビデ ) は 夕 朝 真昼 私は嘆き うめく と言っています 夕 朝 真昼 とは一日中という意味です 押しつぶされるような状況の中で ( おそらく アブシャロムのクーデターによる都落ちの出来事 ) ダビデは嘆き うめくことしかできませんでした あまりの辛さに ああ 私に鳩の翼があったなら そうしたら飛び去って休むものを ああ 私は遠くの方へのがれ去り 荒野の中に宿りたい あらしとはやてを避けて 私の逃れ場に急ぎたい (6~8 節 ) との現実逃避の希求もみられるほどです 私たちもしばしば あまりの辛さに 神を賛美することも 神に祈ることもできない いっそ 神からも離れてしまいたいと思うような時があります しかし この詩篇に教訓 ( マスキール ) があるとすれば それは たとえ 呻くことしかできなくても 神はその呻きを聞いて下さる方だということ です ローマ人への手紙 8 章で使徒パウロは次のようなことを書いています 御霊も同じようにして 弱い私たちを助けてくださいます 私たちは どのように祈ったらよいのかわからないのですが 御霊ご自身が 言いようもない深いうめきによって 私たちのためにとりなしてくださいます 人間の心を探り窮める方は 御霊の思いが何かをよく知っておられます なぜなら 御霊は 神のみこころに従って 聖徒のためにとりなしをしてくださるからです (26~27 節 ) と述べています 使徒パウロはかつて厳格なパリサイ人であり すばらしい祈りをすることのできる人でした また 日々怠ることなく祈っていた人です そのパウロが 私たちは どのように祈ったらよいのかわからないのです と言っているのです しかし 御霊のとりなしにより 結果として 神がすべてのことを働かせて益として下さること を経験したのです 私たちの内におられる御霊自身がうめきをもって私たちのために祈っておられることを感謝したいと思います 63

65 詩 55 篇 (2) ゆだねる ( カテゴリー : 信頼 ) シャーラク שׁ ל ךּ 22 節 あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたのことを心配してくださる ( 新改訳 ) あなたの重荷を主にゆだねよ主はあなたを支えて下さる ( 新共同訳 ) Keyword; ゆだねます cast, commit, unload 詩 31 篇 5 ד節でも ゆだねる を取り上げましたが そこではパーカド ( paqad )פּ ק が使われていました しかし 詩 54 篇 22 ל ךּ節の ゆだねる はシャーラク ( shalak )שׁ が使われています ל ךּシャーラク ( shalak )שׁ は 投げる 投げ与える 渡す 見離す あずける と言った意味合いがあります 受動態では 渡される あずけられる ゆだねられる という表現となります 詩 22 篇 9, 10 節では あなたは私を母の胎から取り出した方 母の乳房に拠り頼ませた方 生まれる前から 私はあなたに ゆだねられました とあります つまり 神に依存するようにされたという意味です 自分自身を神に 投げ与える 明け渡す 自分に見切りをつけて 神に自分の身をあずל ךּけて 任せる ーこれがシャーラク ( shalak )שׁ ゆだねる ということばの意味です 神の御子イエス キリストは御父に自分の一切をゆだねておられました ののしられても ののしり返さず 苦しめられても おどすことをせず 正しくさばかれる方にお任せになりました ( ペテロ第一 2 章 23 節 ) とあるとおりです 私たちも 主イエスと同様に 神にゆだねること 神に任せることを学ばなければならないと思います 自分の重荷をー使命 働き 責任 思い煩いなどーすべて主にゆだねなければなりません 主イエス キリストは言われました すべて 疲れた人 重荷を負っている人は わたしのところに来なさい わたしがあなたがたを休ませてあげます わたしは心優しく へりくだっているから あなたがたもわたしのくびきを負って わたしから学びなさい そうすればたましいに安らぎが来ます わたしのくびきは負いやすく わたしの荷は軽いからです ( マタイの福音書 11 章 28~30 節 ) このイエスの招きの背景には神の御国の福音を宣べ伝えたとしても 聞く者は少ないという現実があります 実は その現実の中で疲れ切ってしまう働き人に対する招きのことばなのです 信頼がなければ 自分自身を明け渡すことなどできません ある老婦人くびきを負う牛が将来の不安を抱えていましたが 浪費癖があり 自分では金銭の管理ができずに いつも年金の振り込まれる二週間前にはお金がなくなってしまいました しかし あることを契機に その管理をゆだねるようになりました そのことにより お金がなくなる心配がなくなり その婦人は 以前よりも 安心して暮らすことができるようになった と言うようになりました ゆだねる というのは このように安心につながるのです 64

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