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5 千光寺展実行委員会 委 委 員 髙原 員 安念 員 白江 秋広 徹 道雄 名越 仁功 となみ散居村ミュージアム館長 砺波郷土資料館館長 芹谷山千光寺第七十六世住職 千光寺奉賛会会長 千光寺の文化財を守る会会長 砺波市文化財保護審議会委員 委 員 砺波市美術館館長 武雄 委 員 小野田裕司 委員長 尾田 委 3

6 千光寺地蔵堂中央に延命地蔵が安置され お堂は総欅けやき造りで各所に獅子やバクの木鼻など見事な彫刻が施されている Photo. C Koji Kazama 4

7 ごあいさつ 展は 砺波市合併一〇周年記念事業として 砺波市の公共施設である砺波市美術館 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアムの三館が連携して開催するものです 三館連携展は これまで二〇一〇年の企画展示 砺波の真宗風土 展があり 今回が二回目となります 飛鳥時代に開基し この地に一三〇〇年の寺史をもつ高野山真言宗 芹谷山千光寺の文化財 密教美術品 を中心に紹介する展示です 千光寺は古代には皇室の勅願所とされたといわれ 昭和四十四年に県民公園 りゅう ちゃく 頼成の森で開催された 第二〇回全国植樹祭の折には 昭和天皇皇后両陛下がお立ち寄りになられた大変 み ゆき 由 緒 あ る お 寺 で す 尊である銅造観世音菩薩立像 絹著色 大威徳 明 王 図 や絹 著色 両 界 曼 荼羅 図は いや じめ 観音堂 御幸門 山門 書院 土蔵といった県や市の指定文化財も多く 県内有数の文化財を誇る 古刹であります この寺のたたずまいそのものから感受される癒しの趣は この寺を訪れた人誰もが抱かれるのではない でしょうか 各館の研究蓄積を集約して 文化財 美術 学術 考古 歴史など様々な角度からの検討が反映された 図録を多くの方に手にとっていただき 身近にある砺波市の文化財への認識を深めていただければと思い ます 夏野 修 終わりに 貴重な文化財をお貸しくださいました千光寺様はじめ ご支援ご協力を賜りました関係各位 に対し 深く感謝申し上げます 平成二十六年十一月 砺波市長 5

8 千光寺山門 ぎょうへん 寛政九年 一七九七 第六四世行遍の代に井波大工柴田清右衛門によって建立 砺波市指定文化財 Photo. Koji Kazama 6

9 千光寺展の至宝の公開を祝して 千光寺展実行委員長 尾田 武雄 越中真言の古刹芹谷山千光寺の至宝が 砺波市美術館に一堂に会し市民に開放されましたことは大変有 意 義 で 素 晴 ら し い ことと思います 砺波市には仏教系寺院が 現 在八九 ケ 寺 あ りま す その 内 真 宗寺 院 が 六七ケ寺もあり 真宗王国であります そんな中にあって真言宗寺院が四ケ寺ありますが その中で特に たいほう てんじく 古い伝承と寺宝を保持されるのが千光寺であります あ ん ご じ 寺伝によりますと 当寺は大宝三年 七〇三 天竺 インド の僧法道上人が開いたとされています はりまのくに 砺波地方では 南砺市の安居寺とともに最も古いお寺であります 法道上人は金剛摩尼の術を体した仙人 おい で 中国を経て来日され播磨国で多くの寺院を開かれています 諸方を遍歴され越中国般若野の東方の深 けちえん 山で 上人はご休憩されましたが 笈を担ごうとすると鉄山のように重くなり 瀧のたもとに不動尊が現 れ谷一杯に金の蓮が生え この地が結縁の仏地とされ 観音様をまつるお寺を開かれたとされています その観音様が富山県指定文化財の銅造観世音菩薩立像であります また上人が芹を常食されたことにより 山号を 芹谷山 とされました この他県指定文化財は 絹著色大威徳明王図と絹著色両界曼荼羅図があり 砺波市指定文化財では 五点 砺波市ふるさと文化財一点の建造物等があります 指定文化財以外にもそれらに匹敵するものも多 くあります それらが今回 千光寺住職様 千光寺の文化財を守る会様 檀家の皆さま等々の絶大な御協 芹谷山千光寺展 となりますよう祈念しています 7 力で公開されましたことは 誠にうれしいことであります 市民の皆様にとりましても 地域の文化的財 産を知り理解し誇りを持てる 越中真言の古刹

10 千光寺観音堂井波大工の名工松井角平の手になる 優美な曲線美を描いた建築 砺波市指定文化財 Photo. C Koji Kazama 8

11 千光寺展によせて 千光寺住職 さんろん 安念 道雄 芹谷山千光寺は大宝三年 七〇三年 に天竺 インド 僧の法道上人が持参された御尊である聖観世 音菩薩像を奉り開かれたと伝えられております 以来 千三百十余年 三論宗から真言宗への改宗や三度 の火災など様々な事例を経て現在まで仏の教えの灯を絶えることなく照らし続けております 今回の展示にお貸出しいたしました仏像 仏画 仏具は尊である観世音菩薩の廻りをお飾りしおもて なしする為 または 法要の際に尊として拝む為に長い歴史の中で先人が少しずつ揃えてこられたもの であります 現在において仏像などが評価されるのは単純に美術品としての意味合いが多いように感じます 仏様は お誓いや願いがお姿やお名前に表れておいでで 曼荼羅に見られるように多種多様なお姿をしておいでで す これは勝手にお姿を描いてよい訳ではなく 造形や体勢 指の形のちょっとした違いにも意味があり 当時の仏師の方々もその教えに沿ってお姿を造られました そして私達僧侶はその多様な仏様のお姿より 現れ出る様々なお心を学ぶ事を日頃の修行としているのです この展示をご覧になった皆様方には美術としてだけではない多様性を包容する仏教の寛大さ また そ れを学ぼうと努力してこられた偉大な先人の歴史と文化の息遣いを肌で感じとっていただければ幸いであ ります 最後に今回の展示におきまして非常に早い時期より丁寧で熱心に文化としての展示に拘り準備を進めら れた関係の方々に感謝の意を表します 9

12 千光寺土蔵 こて 和洋折衷の斬新な意匠と大胆な鏝絵が特徴である 鏝絵は壁職人 竹内源造の作と云われている 砺波市指定文化財 Photo. Koji Kazama 10

13 千光寺の至宝 企画展について 千光寺奉賛会 千光寺の文化財を守る会 会長 名越 仁功 このたび 砺波市美術館 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアムの共同で 千光寺の至宝 展 が開催されることになり 公開される寺宝の解説図録も発刊されることになりましたことは 千光寺の檀 家や 千光寺の文化財を守る会にとりまして たいへん嬉しく欣快とするところであります 大 宝 三 年 七 〇 三 年 に 天 竺 の 僧 法 道 上 人 に よ っ て 開 基 さ れ た と 伝 え ら れ て い ま す 千 光 寺 は 爾 後 一三〇〇余年にわたり数々の経緯を重ねながらも 法灯を絶やすことなく 今日に伝えております真言宗 の古刹であります この間 幾多の戦乱 災害により 仏閣やあまたの貴重なる資料の喪失もありましたが その都度 寺院 檀信徒のあつい帰依心により 復興 再建 整備してまいりました だからこそ 多くの寺宝も 今日に 伝えられてきているのでありましょう 今 この展示を開催出来ますのも これら先人の努力の賜物であると 感謝せねばなりませんし また 私たちとしては 後世に立派に伝えてゆく責任もあると思います それだけに今回の企画展が 千光寺の 文化財の大切さの理解に 役立っていただけたらと 強い期待をいだいております さらに 日中どこに行ってもお寺があります 都会の真ん中にもお寺がありますし 辺鄙な田舎でも お寺に出会います 歩けば道端には地蔵さんがまつられていますし あちらこちらに観音様の御堂がたく さんあります またすばらしい仏像もたくさんあります このことは日では昔から たくさんの人々が 仏教を信仰し崇めてきたからに違いありません 仏像や寺宝は 日人にとって語らずとも琴線に触れる ことの出来る 心の共通語のようなものだと思われるのです ですから 今回の企画展も 宗派を問わず ひろく仏教に近づく一助にもなれば 更に幸いと存じます 今回の至宝展に 大切な宝物を展示していただきました千光寺様と 企画 準備 施行されました方々に 厚くお礼を申し上げ 成功を祈念いたします 11

14 目 次 ごあいさつ 千光寺の至宝展の公開を祝して 千光寺展によせて 夏野 砺波市長 修 尾田武雄 千光寺展実行委員長 千光寺の建築について 職藝学院教授 千光寺の至宝企画展について 千光寺の寺宝 絹著色大威徳明王図 絹著色両界曼荼羅図 - 銅造聖観世音菩薩立像 帝塚山大学文学部日文化学科准教授 風間耕司 千光寺秘仏尊について 地獄図 杉﨑貴英 千光寺の絵画 金剛界大日如来坐像 薬師三尊像 - 仏涅槃図 - 五大明王像 波切不動明王立像 三宝大荒神像 釈迦十六善神像 十二天像 - 敷曼荼羅図 三千仏名 砺波市美術館学芸員 長田里恵 両界曼荼羅の構成と真言宗用語解説 石造弘法大師坐像 賓頭盧尊者 野原大輔 観世音菩薩立像 前立観音 千光寺仁王像の謎 修復を手がける仏師を訪ねて 砺波市教育委員会生涯学習 スポーツ課主任 五智如来像 閻魔王坐像 愛染明王坐像 千光寺の彫刻 千光寺 観音の光 両界曼荼羅図 阿弥陀三尊来迎図 釈迦三尊像 鉄塔愛染明王像 不動明王坐像 高野四社明神像 弘法大師像 砺波市美術館学芸員 末永忠宏 真言八祖像 撮影 ふるさと開発研究所 10 となみ散居村ミュージアム館長 白江秋広 増長天立像 多聞天立像 コラム 20 千光寺地蔵堂 砺波市文化財保護審議会委員 尾田武雄 千光寺山門 千光寺観音堂 千光寺土蔵 千光寺第七十六代住職 安念道雄 千光寺奉賛会 千光寺の文化財を守る会会長 名越仁功 上野幸夫

15 芹谷山千光寺と法道仙人 砺波郷土資料館主任学芸員 安カ川恵子 千光寺縁起 史料 年代別由緒書による千光寺の開基 法道上人倚像 砺波市教育委員会生涯学習 スポーツ課主任 62 野原大輔 千光寺の書跡 秀吉禁制 前田利長公消息 大般若経 六百巻 63 イラストレーター 吉水友香 千光寺の伽藍配置図 千光寺展ワーキンググループ 経過報告にかえて 砺波市美術館学芸員 砺波市美術館学芸員 末永忠宏 末永忠宏 砺波市文化財保護審議会委員 尾田武雄 末永忠宏 出品目録 砺波市美術館学芸員 吉紀 鈴木 吉紀 野原大輔 中埜貴元 碧 酒井英男 野原大輔 関連年表 歴代住職 泉 酒井英男 泉 例 書は 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアム 砺波市美術館の三館共同企画 千光寺展 のカタログとして出版された ただし 同展の出品作と書の掲載図版の間には若干の異同があり また書に記述されている作品が 必ずしも展覧会に出品されているわけではない これは 書が単に展覧会の出品作品を反映したカタログではなく むしろそれ自身が独立した 千光寺そのものを概観することを目指したためである 図版には 分野 番号 文化財指定 作品名 制作年 材質形状 員数 寸法 センチメートル を付した 図版解説は千光寺展ワーキンググループが担当し 末尾にイニシャルを付した 尾田 武雄 砺波市文化財保護審議会委員 憲 NPO法人砺波土蔵の会理事 松田 徹 砺波郷土資料館館長 髙原 安カ川恵子 砺波郷土資料館主任学芸員 渡辺 礼子 砺波郷土資料館学芸員 白江 秋広 となみ散居村ミュージアム館長 野原 大輔 砺波市教育委員会生涯学習 スポーツ課主任 小野田裕司 砺波市美術館館長 末永 忠宏 砺波市美術館学芸員 長田 里恵 砺波市美術館学芸員 レイアウトは末永忠宏 砺波市美術館学芸員 が担当した 凡 千光寺旧伽藍における地中レーダ探査 レポート 千光寺の方位の研究 癒しと観光 開かれた学習の場 千光寺の四季 ショウジョウバカマと千光寺さん 大壇具 四面器 砺波市美術館学芸員 末永忠宏 華鬘 華籠 芹溪山般若台書籍目録 千光寺の古書 概要と特徴 57 氷見市立図書館 氷見市史資料整理室 森越 博 法華三大部私記 禅客鸞徒破会評決 地蔵菩薩応験新記 砺波市美術館館長 小野田裕司 フォトクラブとなみ野 千光寺の法具 レポート 表紙写真 安念余志子 となみ野 古寺愛歌 二〇〇八 より 落照 表1 表4 昔も今も 表2 刻の流れ 表3 すべて千光寺にて撮影 NrMtOyNd S W Y T MkOt

16 千光寺は砺波市の東南部 庄川右岸の芹谷野段丘の東 渓流和田川の対岸に位置する真言密教の古刹である 現在の伽藍は江戸中期から明治にかけて再興されたものだが それぞれの建物は時代の特徴と優れた意匠や技術を有しており 大変見ごたえがある それでは境内の入口となる国道三五九号線に接した六地蔵から順次見て行く事とする 地蔵堂は切妻造りの平入りで玉石積の基壇上に建ち 製作年代の違う面長や丸顔の地蔵が六体祀られている 建物は間口一間半の奥行四尺程と六地蔵を祀るため横長になり 正面を開放 両側面は格子窓 背面は板壁とする 屋根は桟瓦葺で恵比寿と大黒の鬼瓦になるが 瓦下には当初のこけら葺が残り 今以上に落ちついた堂であった事がわかる 六地蔵に接して参道沿いに石造の三十三ヶ所観音像が連続して並び 立ったり座ったり 立て膝を立てたりと その姿と顔の表情も様々で 心が和みつい合掌したくなってしまう うっそうとした杉木立の中をさらに進むと一際見事な祠が姿を現す 建物は方一間ほどの祠だが格的な総欅造の仏堂で 最上部の石を迫り出して蓮の花状に見せた玉石積の基壇上に建っており 堂の中には大きな御影石の地蔵が祀られている 柱間は正面に桟唐戸を開き 両側面は花狭間の窓 背面は一枚板の板壁とし 軒下の組物は出三斗の詰組で 軒は出の深い二軒になる 建物の各所には 獅子 や 獏 の木鼻や 牡丹唐草 や 瑞鳥 など見事な彫刻が施されている 屋根は入母屋造の平入で軒唐破風を付け銅板葺になるが 当初はやはりこけら葺と考えられる この地蔵堂は規模 意匠 技術すべてに於いて県内屈指の優品と言える 地蔵堂を過ぎて左手の石段を登ると三〇m程のゆるやかな勾配の参道になり 正面に山門二階の屋根だけが見え 進むにつれてだんだんと姿を現す 道の両脇は背丈ほどの高さの石垣積みで 反りを付けた美しいハ積みになり 裾の溝まで自然石としている 山門の手前右手には 不許葷酒入山門 と書かれた戒壇石が立ち 門は堂々とした総欅造りの三間一戸の二階二重門形式で 屋根は北陸では数少ない重厚な瓦葺になる 一階の左右に阿吽の金剛力士像 二階には釈迦三尊を中央に周囲に十六羅漢が祀られており 棟札から寛政九年(一七九七)の建立で棟梁は柴田清右衛門藤原貞国である事が判る 建物は二階組物が三手先詰組で軒を扇垂木とした格的な禅宗様を主体としながらも 一階に蟇股や間斗束 二階に連子窓など和様も用い 頭貫を虹梁形とし 組物の尾垂木に彫刻渦を配すなど 装飾性に富んだ完全な幕末の意匠に移行する過渡期を示している この形式の門は県内では他に瑞龍寺 瑞泉寺 善徳寺があり 現存するものでは当寺が最古で江戸時代後期の代表的遺構と言える 山門を入ると奥には四mほどの高さで二重基壇状になった美しいハ積みの石垣が積まれ その周囲には濠が巡らされている 中央の石段を登ると正面に観音堂があり 右手には朱塗りの鳥居を介して奥に稲荷社が祀られている 観音堂は梁間五間桁行五間の大きな建物で 中に祀られている白鳳期の特徴を示す尊の観世音菩薩像と共に千光寺を代表する建築と千光寺の建築について職藝学院教授上野幸夫14

17 堂 が 建 ち 庫 裡 の 裏 側 に は 中 庭 を 中 央 に 新 座 敷 と 土 蔵 が 建 て ら れ て 門を入ると手前に庫裡 奥に宝暦元年 一七五一 に再建された が高い 一 間 薬 医 門 形 式 で は 北 陸 三 県 で 最 も 古 い も の に 位 置 づ け ら れ 価 値 やかな反りと両端部に箕甲の付いた美しく軽やかなこけら葺である が ら 良 匠 の 冴 え が 感 じ ら れ る 尚 屋 根 は 現 在 桟 瓦 葺 だ が 当 初 は 緩 し を 付 け た 垂 木 や 軒 反 り に は 落 ち つ い た 風 格 が あ り 小 舎 で 簡 素 な の 開 き が 少 な い 八 双 金 具 も 古 い 様 式 を 残 す ま た 緩 や か に 反 り 増 割 り に な る 扉 も 古 式 な 腰 板 張 り の 格 子 扉 で 偏 平 な 饅 頭 金 具 や 先 端 柱 は 小 平 で 正 面 を 幅 広 く 見 せ 全 体 的 に 古 式 で お お ら か な 独 特 の 木 寛 文 年 中 一 六 六 一 一 六 七 二 に 造 ら れ た 一 間 薬 医 門 で あ る この門は高岡の瑞龍寺から明治五年 一八七二 に移築されたもので 山門への参道と平行してもう一庫裏への道があり御幸門が建つ 唐獅子彫刻になる の 欄 間 や 竹 に 虎 の 彫 刻 が 施 さ れ 室 内 の 欄 間 に は 様 々 な 姿 の 見 事 な 建 具 も 桟 唐 戸 や 蔀 戸 及 び 連 子 窓 な ど 意 匠 的 で 向 拝 に は 迫 力 あ る 龍 階を付けた重層の屋根とした複雑で変化に富んだ特異な屋根になる け た 形 式 だ が 奥 の 内 陣 部 に は 入 母 屋 造 り 平 入 り の 屋 根 を 重 ね 裳 る 建物は観音堂らしく入母屋造り妻入りの正面に唐破風の向拝を付 屋根形状を四代目松井角平恒廣により改築され現在の姿になってい に 内 陣 の 須 弥 壇 を 三 代 目 松 井 角 平 恒 久 が 慶 応 二 年 一 八 一 九 に 代目松井角平恒徳を棟梁に再建された その後 文政七年 一八二四 れ た が 文 政 二 年 一 八 一 九 に 規 模 を 拡 大 し た 現 在 の 観 音 堂 が 二 言 え る 観 音 堂 は 宝 暦 十 年 一 七 六 〇 に 間 口 三 間 の 小 堂 で 建 立 さ た時代の県下を代表する傑作と言える 型 と す る な ど 洋 風 意 匠 も 取 り 入 れ て い る 左 官 技 術 の 最 も 花 開 い 鉢巻や隅角および窓枠には黒漆喰を巧みに扱い 家紋 や洋風の 柱 は 松に鷹 や 波に龍 など縁起のよい伝統的な漆喰彫刻が配され また 扉には 恵比寿 と 大黒 や 波に亀 二階の唐破風窓に な 姿 の 九 羽 の 鶴 が ほ ぼ 原 寸 大 で 漆 喰 彫 刻 さ れ 彩 色 さ れ て お り 土 蔵 の 正 面 腰 廻 り に は 黒 漆 喰 で 縁 取 り さ れ た 壁 面 い っ ぱ い に 様 々 て鏝絵と呼ばれる漆喰彫刻を施して現在の姿に改修した事がわかる て 一 棟 に し て 戸 前 を 付 け 小 杉 の 名 工 竹 内 左 官 に よ り 壁 を 塗 り 直 し 年 一 九 〇 九 に 藤 井 助 之 丞 を 棟 梁 に 二 棟 を 一 連 の 置 き 屋 根 を 乗 せ 東蔵は文久二年 一八六二 の建築だが 普請関係帳から明治四十二 けた二戸前形式になる 西蔵は棟札により天明五年 一七八五 で 蔵 を あ い だ 半 間 空 け て 並 立 し て 一 棟 と し 正 面 に 一 間 幅 の 下 屋 を 付 土蔵は梁間二間半 桁行三間の西蔵と 梁間二間半 桁行四間の東 と言える 材料や手間を惜しまず建てられた明治期を代表する上質の和風建築 る 普 請 関 係 帳 に よ れ ば 大 工 は 何 と 延 べ 三 二 三 二 人 を 要 し て お り 釘隠金具や七宝焼や急須形の襖の引手金具なども見るべきものがあ れ 壁 は 朱 塗 り の 壁 で 床 の 間 だ け を 鉄 砂 の 色 壁 と し て い る 銀 製 の た 意 匠 で 多 種 多 様 な 銘 木 を 用 い 木 部 に は 鏡 の よ う に 輝 く 漆 が 塗 ら 玄 関 と 水 屋 を 兼 ね た 鞘 の 間 そ し て 三 畳 の 茶 室 か ら 成 る 洗 練 さ れ 畳 半 の 入 口 の 間 八 畳 の 次 の 間 と 御 座 敷 御 座 敷 に 接 し て 庭 か ら の 波 市 太 田 の 名 工 藤 井 助 之 丞 で あ る 建 物 は 数 寄 屋 風 書 院 造 り で 七 新座敷は設計図書から明治二十九年 一八九六 の建立で棟梁は砺 いる 15

18 千光寺の寺宝 砺波市文化財保護審議会委員 尾田 武雄 大宝三年 七〇三 に開かれた越中真言の古刹芹谷山千光寺は 天竺 インド の僧法道上人を開基と し千三百余年にわたり 営々と法灯を護られてきた 県指定文化財には 白鳳期作の銅造観世音菩薩立像 があり 躍動感に溢れる絵画様式で南北朝末期から室町初期の作と推定される絹著色大威徳明王図 構 成や諸仏の形姿が儀軌に忠実で 鎌倉期作とされる絹著色両界曼荼羅図の三点がある 建造物の山門 観音堂 新座敷 書院 土蔵 御幸門の五件は市指定文化財である 他に地蔵堂 閻魔堂 回廊 堂等の建造物もそれに匹敵するものである 職藝学院の上野幸夫教授によれば その当時最高の 職人と最良の部材で 手間暇をかけて造り上げられた 素晴らしい誇り得る千光寺であると称賛されてい る この言葉は建築物によらず 総ての寺宝に当てはまる 県指定文化財三点もこの地方を代表する仏教 美術の優品である また今回 展示を許された絵画 彫刻 法具 書跡 古書などその時代を代表するも のであり 真言密教美術の奥深さを感じとることが出来る 真言宗には十八派あるとされ 芹谷山千光寺は高野山真言宗に属されている 高野山真言宗は 高野山 奥之院 弘法大師御廟を信仰の源泉とし 壇上伽藍を修学の場所として 真言密教の教えと伝統を今日に 伝えている 今回は弘法大師への篤い信仰と 大事に伝えられたものを当美術館にお招きしたものである 16

19 Photo. Koji Kazama 絹著色大威徳明王図 絹著色 横六七 五 一幅 室町時代 富山県指定文化財 縦一二六 五 大 威 徳 明 王 は 五 大 明 王 の ひ と つ 五 ごうざん ぜ ぐんだ り 大明王とは不動明王を中心として四方 こんごう や し ゃ に降三世明王 東 軍荼利明王 南 大 威 徳 明 王 西 金 剛 夜 叉 明 王 北 きょうりょうりんじん の 各 明 王 を 配 す る 大 威 徳 明 王 は 阿 弥 陀 如 来 の 教 令 輪 身 で 一 般 的 に は 火 焔 を負い六面六臂六足の忿怒相で水牛に ま た が る が 図 で は 疾 駆 す る 水 牛 の 背に立つ躍動的な姿をしていて珍しい 三鈷杵 輪宝をかざし 四隅に獅子 虎 馬に乗った四人の眷属をしたがえ 弓戦を挑む図柄で主尊眷属とも黒雲に 乗 っ て 飛 行 し て い る 躍 動 感 に 溢 れ る 絵画様式と目の粗い室町絹に描かれて 17 い る 点 か ら 南 北 朝 末 期 か ら 室 町 初 期 の作と推定される Nd

20 胎蔵界 Photo. Koji Kazama 絹著色両界曼荼羅図 横七三 五 二幅対 鎌倉時代 富山県指定文化財 絹著色 各 縦八八 五 両 界 曼 荼 羅 は 大 日 経 金 剛 経 の 両 部 大 経 が 説 く 密 教 の 最 高 理 念 を 大 日 如来を中心にあまたの諸尊を画像化す ることによって絵画的に表現したもの で あ る そ の 構 成 は 慈 悲 の 面 か ら 開 示 する胎蔵界と智徳の面から説く金剛界 から成っている ぎ き こ の 曼 荼 羅 図 は 構 成 や 諸 仏 の 姿 形 はく ぐんじょう しゅ ぐんじょう ご ふ ん ろくしょう が 儀 軌 に 忠 実 で 諸 尊 の 輪 郭 を 黒 線 で おうど 描 き 白 群 青 朱 群 青 胡 粉 緑 青 黄 土 な ど の 岩 絵 具 な ど で 濃 く 彩 ら れ 小 仏 像 も 丁 寧 に 描 か れ て お り 技 法 も すぐれている 図 は 各 々 幅 の 狭 い 二 枚 の 絹 布 室 町以前の絹 を継ぎ合わせて描かれて い る 後 年 の 補 筆 も な く 県 内 で 最 も 古 い 鎌 倉 末 期 制 作 の 両 界 曼 荼 羅 と し て 昭和五十六年に富山県指定文化財と なっている Nd 18

21 金剛界 Photo. Koji Kazama 19

22 像高 三九 〇 三三 二 される秘仏 富山県指定文化財 千 光 寺 尊 三 十 三 年 に 一 度 ご 開 帳 総高 銅造 飛鳥時代 銅造観世音菩薩立像 Photo. Koji Kazama 20

23 准教授 杉﨑 貴英 は 寺 に 戻 っ て き た 仏 像 こ の 秘 仏 は そ う し た 霊 験 の 伝 承 と と も 帝塚山大学文学部日文化学科 富 山 県 下 に は 都 か ら 離 れ た 地 に は 珍 し く 奈 良 時 代 以 前 に さ か に 大 切 に さ れ て き た 痛 ま し い 損 傷 と 修 復 は 千 光 寺 尊 の 信 仰 の 千光寺秘仏尊について の ぼ り う る 金 銅 仏 が 四 体 も 伝 わ っ て き た 富 山 市 旧 婦 中 町 の 玉 こ の く ら い の 大 き さ の 金 銅 仏 は 日 で は 飛 鳥 か ら 奈 良 時 代 に か 歴史を物語る痕跡でもあるのだ 要美術品 県外の個人が所蔵する伝氷見市出土の如来立像 重要美 け て 数 多 く つ く ら れ た 頭 部 が 大 き く 寸 胴 の プ ロ ポ ー シ ョ ン も 古 泉 寺 観 音 菩 薩 立 像 富 山 市 指 定 文 化 財 と 覚 寺 観 音 菩 薩 立 像 重 術品 そしてここ千光寺の秘仏尊 銅造観世音菩薩立像 富山県 代 の 小 金 銅 仏 に は よ く み ら れ る と く に 類 似 す る 像 は 他 に は に わ か 所には 銅の部分に合わせた褐色が塗られている ほがらかな童子 正 面 で は 腰 の 下 あ た り に も 修 復 の 手 が 加 わ っ て い る 以 上 の 後 補 箇 台座に垂れ下がる天衣 ショール ともども木で作り直されている か ら 先 右 腕 は 前 膊 の 半 ば か ら 先 は 当 初 の も の が 失 わ れ 両 腕 か ら 傷 み が 手 当 て さ れ た 部 分 も 少 な く な い 宝 冠 の 正 面 上 部 左 腕 の 肘 鍍金 金メッキ が残り 制作当初の輝きをかすかに伝えているが 形 を し て い る 頭 上 に 髻 ま げ を 結 い 両 耳 の 後 ろ か ら 垂 ら す 髪 が 目 だ つ 耳 は 大 き く す ぐ に は 耳 と は 判 別 で き な い ほ ど 抽 象 的 な 尊では耳の外側全体を縁どるように大きくあらわされており違い 見 ら れ る も の の そ れ ら は 小 さ く 耳 の 上 に 付 く の に 対 し て 千 光 寺 る 両 側 面 の 飾 り が 鳥 の 翼 の よ う な 形 を な す 点 は 白 鳳 期 に し ば し ば 接 続 す る ほ ど 幅 が 広 い 点 は 一 般 的 で は な く よ り 古 い 要 素 と も い え ら れ る た だ し 正 面 の 飾 り が 山 形 を な し そ の 両 端 が 側 面 の 飾 り に 宝 冠 の 正 面 と 両 側 面 に 飾 り を 着 け る 三 面 頭 飾 は 白 鳳 期 に 多 く み 紀後半 八世紀初頭 の作例との脈絡が見えてくる に 思 い 浮 か ば な い が つ ぶ さ に う か が え ば い わ ゆ る白 鳳 期 七 世 はくほう 指定文化財 である 総高 台座底面から宝冠の頂部までの高さ は三九 〇センチ 蓮 華 座 を 含 め て 全 体 を 一 度 に 鋳 造 し て お り 内 部 は 胸 辺 り の 高 さ ま で 空 洞 で そ の 頂 部 中 央 に は 鉄 心 が 残 存 す る 表 面 の と こ ろ ど こ ろ に の姿を思わせる尊だが 子細に見ればなかなかに痛ましい は 両 肩 の 上 で 幾 筋 か に 分 か れ 肩 の 丸 み に 沿 っ て 広 が る こ れ も ときん 千光寺尊神験記 は この秘仏が 勝金鋳像 真金尊像 金 白 鳳 期 に 散 見 さ れ る も の の た と え ば 六 九 二 年 に 出 雲 の 豪 族 が つ く てんね 無 垢 で で き た 仏 像 と 信 じ ら れ て い た こ と そ れ 故 に 三 度 も 盗 ま れ ら せ た 島 根 鰐 淵 寺 の 観 音 菩 薩 立 像 に 比 べ て も そ の 表 現 は 素 朴 に 映 きょうしょく もとどり た こ と を 伝 え て い る 三 度 目 に は 鉄 槌 で 打 た れ た と い う が よ く 見 る ま た 胸 飾 首 飾 り の デ ザ イ ン は 古 代 小 金 銅 仏 の な か で も 簡 がくえんじ れ ば 正 面 腰 下 あ た り の 天 衣 に 三 つ 短 い 筋 状 の 傷 が あ る の に も 気 づ 素 な 部 類 に 属 す る 大 阪 観 心 寺 の 菩 薩 半 跏 像 な ど と 基 的 な 構 成 は 21 か さ れ る 何 度 も 盗 難 に 遭 い な が ら そ の た び に 神 験 を 発 し て

24 共 通 す る も の の ず っ と 大 ぶ り に 造 形 さ れ 背 面 で は ゆ っ た り と た 集 地 域 か ら 遠 く 離 れ た 北 陸 に 千 光 寺 の ほ か 能 登 の 石 動 山 や 氷 見 の 大 栄 寺 小 矢 部 の 観 音 寺 に 開 基 伝 承 が み ら れ る の で あ る た だ し 貞 くん わ ん で あ ら わ さ れ て い る 裙 巻 ス カ ー ト の 上 部 に は 二 筋 の 紐 状 享二年 一六八五 に加賀藩に提出された由緒書上には 大宝三年 ようらく の も の を あ ら わ し そ の 背 面 中 央 か ら は 先 端 に 水 滴 状 の 玉 飾 り が 唐僧円徳上人之建立 と記され 縁起 由来 などは 先年乱世之 収 録 の 法 道 伝 や 石 動 山 の 縁 起 を 参 照 し つ つ 編 み な さ れ た の が 法 道 げんこうしゃくしょ 付 い た 瓔 珞 が 長 く 垂 れ る こ れ も 白 鳳 仏 の 背 面 に と き ど き 見 ら れ る 一三二二年 砌 に失われたと記されている これ以降 元亨釈書 以 上 の よ う な 特 色 は 飛 鳥 白 鳳 期 の 作 品 に な ら い つ つ 少 し 下 仙 人 が 登 場 す る 千 光 寺 縁 起 で あ る ら し い そ の 文 中 で は 仙 人 あ る みぎり のだが それらは二が普通である る時期に地方で造られたことを示しているのではないか 石丸 正 運 いは円徳上人と称し として整合性がはかられている が少年のように初々しく 白鳳時代の雰囲気をたたえながらも がっ い し か し 法 道 伝 承 の 源 で あ る 一 乗 寺 堂 に 白 鳳 期 奈 良 時 代 の こ う し た 由 緒 の 内 容 を 虚 構 と し て 片 づ け る の は 簡 単 か も し れ な しょううん 氏 元砺波市美術館館長 が新聞取材に答えて ふっくらとしたほお し り と し た 肩 の 盛 り 上 が り か ら は 次 の 奈 良 時 代 へ の 流 れ が 感 じ 個 性 豊 か な 金 銅 仏 七 躯 が 安 置 さ れ て き た こ と は 無 視 で き な い 後 藤 銅 仏 が 伝 説 的 な 僧 侶 の 開 基 伝 承 と と も に 伝 わ っ て い る 例 が 各 地 に ら れ ま す と 説 か れ た よ う に 八 世 紀 に な っ て か ら の 制 作 と み る の し か し ま た か つ て こ ん な 見 方 も な さ れ た こ と が あ る 千 光 寺 み ら れ る の で あ る 一 乗 寺 で も そ し て 千 光 寺 で も 古 代 の 小 金 銅 道 雄 氏 が 千 光 寺 尊 を 含 め て 注 目 し た よ う に 異 風 あ る 古 代 の 小 金 尊は 日海沿岸に点在する 渡来仏 の一つで 渡来人ないしそ 仏 を 奉 じ た 遠 来 の 山 林 修 行 者 が 実 在 し そ の 記 憶 が 霞 ん で い っ た 後 がふさわしく思われてくるのである の 子 孫 た ち が こ の 地 で 制 作 し た と 考 え ら れ る の で は な い か 代 に 至 っ て 天 竺 の 法 道 仙 人 あ る い は 唐 僧 円 徳 上 人 と い っ た 名 の も とらいぶつ 古 代 小 金 銅 仏 に 詳 し い 久 野 健 氏 が 第 三 回 日 海 文 化 を 考 え る 富 と に 寺 の 開 創 者 と し て 語 り 直 さ れ た の で は な い か と 考 え て み た く たけし 山シンポジウム 一九八四年 の席上 会場からの質問に答えてコ なるのである げん と こ ろ で 千 光 寺 と い う 名 の 寺 院 は 日 各 地 に い く つ も あ り メントしたものだ その後この見解は深められていないようだが 渡 来 仏 と い う 視 点 か ら お の ず と 想 起 さ れ る の は 千 光 寺 で 語 ら れ て 天竺から閻浮檀金の観音像を携えて日に飛来した法道仙人がこの 享保十一年 一七二六 の 越之中州般若野芹谷山千光寺縁起 は て そ の 尊 も 銅 造 千 手 観 音 立 像 県 指 定 文 化 財 鎌 倉 時 代 で あ 法経 にもとづく寺号だろう 富山県内には魚津市にも千光寺があっ と し て い る 千 手 観 音 に 関 す る 経 典 の 一 つ 千 光 眼 観 自 在 菩 薩 秘 密 そ の ほ と ん ど は 変 化 観 音 の ひ と つ 千 手 観 音 千 手 千 眼 観 音 を 尊 寺 を 開 創 し た と 綴 っ て い る こ の 人 物 は 実 在 が 確 か め ら れ ず 平 安 る こ こ 砺 波 の 千 光 寺 尊 は 千 手 で は な く 基 的 な 姿 聖 観 音 だ きた尊の由来である 末 期 に 法 華 山 一 乗 寺 兵 庫 県 加 西 市 あ た り で 創 出 さ れ た と 考 え ら か ら ひ と ま ず 例 外 と み る こ と が 可 能 で は あ る た だ 気 に か か る の え ん ぶ だ ご ん れ て お り 播 磨 周 辺 に は 開 基 に 仰 ぐ 寺 院 が 多 い そ し て 法 道 伝 承 密 22

25 せんこうげんじ は 右 に あ げ た 経 典 と の 関 連 を よ り 強 く 感 じ さ せ る 千 光 眼 寺 と い う 寺 号 も 使 わ れ て い た こ と で あ る 六 十 四 世 の 行 遍 師 が 寛 政 四 ふかんどう 年 一 七 九 二 の 般 若 台 書 籍 目 録 の 表 紙 同 十 一 年 の 岩 黒 の 不吹堂 市指定文化財 の銘文で明記しているのだ こ の 謎 を 解 く ヒ ン ト は 法 道 伝 承 の ひ ろ が り の な か か ら 得 ら れ そ う で あ る そ の 起 点 に あ た る 一 乗 寺 の 尊 は 実 際 に は 千 光 寺 の 秘 仏 と 同 じ く 二 臂 の 銅 造 観 音 菩 薩 立 像 だ が 千 光 寺 縁 起 に 影 響 を 与 え た 元 亨 釈 書 に は 千 手 大 悲 銅 像 と あ り さ か の ぼ っ て 平 安 末 期 の 文 献 に も 千 手 観 音 だ と 記 さ れ て い る の だ こ こ に は 恐 ら く 秘 仏 みむろとじ と い う 事 情 が 関 係 し て い よ う ま た 一 乗 寺 と 同 じ 西 国 観 音 霊 場 の 一 つ 三 室 戸 寺 宇 治 市 の 尊 は 飛 鳥 時 代 に 遡 る か と も さ れ る 二 臂 の 銅 造 観 音 菩 薩 立 像 だ が こ れ も 早 く か ら 秘 仏 で 現 在 に 至 る ま で 千 手 観 音 と し て 信 仰 さ れ て き た 興 味 深 い こ と に 三 室 戸 寺 の 開 基を 宝道聖人 つまり法道仙人と記す平安末期の文献もある あ る い は 千 光 寺 尊 も か つ て 秘 仏 と さ れ た 上 で 千 手 観 音 と し て 信 仰 さ れ た 時 期 が あ り そ の 名 残 が 千 光 寺 千 光 眼 寺 と い う 寺 号 な の か も し れ な い 縁 起 に 織 り な さ れ た 法 道 伝 承 は 一 乗 寺 や 三 室 戸寺の例を顧みる時 やはり似つかわしく感じられてくるのである 田邉三郎助 松原三郎 小金銅仏 飛鳥から鎌倉まで 東京美術 一九七九年 参考文献 後藤道雄 鹿島 神向寺の金銅仏 仏教芸術 第一五一号 一九八三年 森浩一編 東アジアと日海文化 小学館 一九八四年 加西の古代彫刻 加西市史 第四巻 二〇〇三年 中前正志 法道仙人の進出 説話論集 第五巻 清文堂出版 一九九六年 石川知彦 総論 千光寺 砺波 の観世音菩薩立像 北日新聞 二〇〇四年五月十二日朝刊 23

26 千光寺の絵画 砺波市美術館学芸員 千光寺には 真言宗寺院として仏画類の寺宝が多く遺されている 末永 忠宏 先ず富山県指定文化財の絹著色両界曼荼羅図である 縦八十八 五センチ 横七十三 五センチ 制作 は鎌倉時代で胎蔵界曼荼羅図 金剛界曼荼羅図の対幅である 弘法大師空海が中国で真言七祖 恵果から 伝授された現図曼荼羅の図様を小形化して継承したもので 補筆も少なく彩色もよく残っている 同じく県指定となっている絹著色大威徳明王図 大威徳転法輪曼荼羅図 も注目されてよい こちら は室町初期の制作とされ 少し形式化が見られるものの 雲上で前方の輪宝を目指し 弓矢を構えて疾駆 する大威徳明王には十分な躍動感がある 明王には四人の童子がそれぞれ弓矢を構え 馬 獅子 牛の背 中に立って従っている 真言六祖一行訳の 秘術如意法 の曼荼羅法の所説を絵画化したものとされる 密教絵画として珍しい図像である ほかに弘法大師像 真言八祖像 高野四社明神像 五大明王像 波切不動明王立像 十二天像 江戸期 になると思われる大型の両界曼荼羅図 敷曼荼羅図など 灌頂に必要な画像が揃っていることも注目され てよい それ以外にも 大涅槃図 三千仏名 地獄図などがある 古来より寄進されたものであろうか 平成十八 二〇〇六 年に前田常作による清澄なマンダラ版画が同寺より頒布されたことも記憶にあた らしい 24

27 弘法大師像 絹著色 横四〇 〇 一幅 室町時代 縦七九 〇 右手に五鈷杵を逆手で執り 左手に れ る こ れ は 空 海 の入定 に 際 し 高 このような像容は真如親王様と呼ば よう 念珠を持ち 背もたれのある椅子型の 弟の実恵の願いにより 真如親王 平 さかて 牀座に座す 牀座の前には木履 脇に 城天皇の皇子 が描き 高野山御影堂 ご こ し ょ 水瓶を置く 見開いた大きな目や通っ に安置したという伝承のある画像の系 にゅうじょう た鼻筋 端正に引き結ばれた口などに 譜である Y しょうざ 弘法大師空海の意志の強さが見て取れ る 弘法大師 空海 空海は宝亀五年 七七四 讃岐生 まれ 初め大 学で学んだが のちに 仏 門に入り四国で修 行し 延 暦二三 年 八〇四 遣 唐 使 とともに唐へ渡 り 大同元年 八〇六 に帰国した わずか二年という短期留学ではあった けいか あ じ ゃ り が その間 最 新の中 国 文 化 を 学 び 師である恵 果 阿 闍 梨から金 剛 胎 蔵 界 両 部を授けられての帰 国であった 帰 国 後は嵯 峨天皇の外 護のもとに高 雄山寺 神護寺 を中心に密教を広 め 高 野 山 金 剛 峰 寺 を開いて真 言の 道 場 とした さらに京 都の東 寺 も下 賜され 真言密教の高揚につとめた 承和二年 八三五 六十二歳の生涯 を閉じたが その間四国 満 濃 池 ま 間 学 校である綜 藝 種 智 院の開 設 日 しゅげいしゅちいん んのういけ の修築 我が国最初の民 三筆の一人としても有名であり そ の活躍は文学 美術 書道 教育 建築 灌 漑 治 水 医 薬などあり とあらゆる にゅうじょう 文化面に及ぶ 入 定 後 八 六 年 の 延 喜 二 十一年 九二一 に 醍 醐 天 皇 か ら 弘 法 大 師 という 大 師 号 を受 けた 大 師 は何 人 もいるが お 大 師さ ま といえば空海を指している場合が多い Y 25

28 横三八 五 二幅対 真言八祖像 室町時代 絹著色 各 縦九九 五 真 言 密 教 を イ ン ド か ら 中 国 日 へ りゅうみょう と伝えた八人の祖師像である 右図右下は第一祖 龍 猛 右手に三 鈷 杵 を 持 つ 左 下 が 第 二 祖 龍 智 右 手 に 経 文 を 持 つ 上 段 左 は 第 三 祖 金 剛 智 右 手 に 数 珠 を 持 つ 同 右 は 第 四 祖 不 ぜ ん む い 空 外 縛 印 を 結 ぶ 左 図 右 下 が 第 五 祖 いちぎょう 善 無 畏 右 手 人 差 指 を 立 て る 以 上 五 人 は イ ン ド 僧 同 左 は 第 六 祖 一 行 けいか 法 衣 の 中 で 印 を 結 ぶ 上 段 左 は 第 七 祖 で 空 海 の 師 で あ る 恵 果 傍 に 童 子 を 従 え る こ の 二 人 は 中 国 僧 同 右 が ご こ し ょ 第 八 祖 空 海 弘 法 大 師 右 手 に 逆 手 で五鈷杵 左手に念珠を持つ姿である Y 26

29 高野四社明神像 絹著色 横四〇 〇 一幅 室町時代 縦一〇〇 〇 じしゅしん に う 高野山の地主神である四社の神々を かりば 描く 上段右は唐扇を持つ丹生明神 一 け ひ 宮 同左は笏を持つ狩場明神 二宮 いつくしま 下 段 右 は 払 子 を 持 つ 気 比 明 神 三 宮 同 左 は 琵 琶 を 弾 く 厳 島 明 神 四 宮 で あ る 中 央 の 階 段 を 上 が っ た 高 欄 の 内 側 左 右 に 獅 子 と 狛 犬 階 段 下 に 白 黒 の 二 匹 の 犬 を 描 く こ の 犬 は 唐 か ら 帰 国した空海が修行にふさわしい霊地を 探していたところ 犬を連れた狩人 狩 27 場 明 神 が 現 れ 高 野 山 麓 の 天 野 ま で 導いたという伝承に基づく Y

30 紙著色 横五二 一 一幅 金剛界大日如来坐像 縦一二一 〇 密 教 で は 大 日 如 来 を 宇 宙 の す べ て の 諸 仏 諸 尊 の 最 高 位 に 位 置 づ け 大 日如来の持つ 智 の内容を金剛界で 理 の内容を胎蔵界で表わすとされる 一 般 に 悟 り を 開 い た 人 を 表 す 如 来 は 装 身 具 を 一 切 身 に つ け な い 薄 ようらく 衣 の 姿 で 表 現 さ れ る が 大 日 如 来 は 宝 冠 を い た だ き 瓔 珞 な ど の 豪 華 な 装 身具を身につけた姿として表現される ちけんいん わきじ 図 の 金 剛 界 大 日 如 来 は 左 の 人 差 し 指 を 右 手 で 包 む 智 拳 印 を 結 び 脇 侍 と して不動明王と弥勒菩薩を従えている Y 28

31 不動明王坐像 紙著色 横七四 〇 一幅 寛政九年 一七九七 縦一三七 〇 不 動 明 王 は 密 教 特 有 の 尊 格 で あ る 明 王 の 一 尊 で あ り 密 教 の 根 尊 で あ る 大 日 如 来 の 化 身 と さ れ る 強 烈 な 法 力 を 持 ち 煩 悩 を 抱 え る 最 も 救 い 難 い 衆 生 を も 力 ず く で 救 う 為 に 憤 怒 の 姿 を さ れ 密 教 修 法 の 中 で も 最 も 尊 敬 さ れ て い る 災 害 を 取 り 除 き 所 願 成 就 の 功 徳 が あ る と さ れ て い る 像 容 は 左 に索髪を垂らし 両眼を大きく見開き 上 歯 で 下 唇 を か み し め 右 手 に 剣 左 手 に 捕 り 縄 を 持 ち 瑟 々 座 と い う 特 別 29 の盤石上にあり躰から猛焔を放ってい る Mk

32 五大明王像 絹著色 横三八 〇 一幅 室町 桃山時代 縦七三 五 五 大 明 王 は 密 教 特 有 の 尊 格 で あ る 明 王 の う ち 中 心 的 役 割 を 担 う 五 名 の 明 王 を 組 み 合 わ せ た も の 全 て の 明 王 は 大 日 如 来 の 化 身 と さ れ な か で も 不 動明王には東西南北に変身する力があ る 中央に不動明王 東に降三世明王 西 に 大 威 徳 明 王 南 に 軍 荼 利 明 王 北 に は 金 剛 夜 叉 明 王 と 五 明 王 に 変 身 し て 人 々 衆 生 の 心 の 奥 に 潜 む 魔 障 か ら救い守らんと必死に力む憤怒の形相 をしている Mk 30

33 波切不動明王立像 絹著色 横三七 〇 一幅 室町時代 縦九〇 〇 波 切 不 動 尊 は 弘 法 大 師 空 海 が 留 学 恵 果 よ り 風 波 の 難 を を 終 え 唐 よ り 帰 朝 す る 際 に 師 で あ る 長安の青龍寺 避けるための仏を作るよう命ぜられて 出 来 た 不 動 明 王 で あ る 弘 法 大 師 空 海 が 唐 か ら の 帰 国 途 中 嵐 に 遭 遇 し 船 が 難 破 し か か っ た 時 に 木 で 彫 り 上 げ た その不動明王に波が静まる事を祈願さ れて波の中に投げ入れたところ波はお さ ま り そ の 御 蔭 で 弘 法 大 師 は 無 事 に 日 に 帰 国 す る こ と が 出 来 た そ れ 以 降 海 難 除 け 航 海 安 全 の 神 様 と し 31 て 祀 ら れ て い た が 現 在 で は 諸 願 成 就 に変わってきた Mk

34 紙著色 横四二 〇 一幅 鉄塔愛染明王像 縦一〇五 五 愛染明王は大日如来の化身である明 王のなかでも 家庭円満の法力を持ち 無 病 息 災 利 福 の ご 利 益 が あ る と さ れ る 図 容 は 武 勇 に 優 れ て い た 王 子 の 頃 の 釈 尊 を モ デ ル と し て い る 頭 上 に 獅 子冠を戴き 三面六臂で手には 金剛鈴 五鈷杵などの法具の他に弓 矢を持ち 全身は愛情を表現する為に真紅に燃え ま た 後 ろ に は 紅 焔 に 燃 え る 赤 い 日 輪 を 背 負 う 宝 瓶 付 き の 蓮 華 座 に 結 跏 趺 坐 す る 図 は 厨 子 の 愛 染 明 王 を 中 心 に 周 囲 に 諸 尊 諸 仏 が 囲 み 全 体 で 愛 染曼荼羅図を構成している Mk 32

35 絹著色 横三四 六 一幅 三宝大荒神像 縦九一 五 荒神は仏典にも記載がなく不詳であ る が 神 仏 習 合 思 想 の 間 か ら 生 ま れ た と さ れ て い る 人 々 に 極 め て た た り や す く 不 幸 を も た ら す 荒 魂 の 神 と さ れ そらん それからの危害をさけるため信仰の ふんぬ 対 象 と な っ た 如 来 荒 神 麁 乱 荒 神 忿 怒 荒 神 の 三 身 か ら な り 民 家 の 代 表 たた 的 な 屋 内 神 で 火 の 神 か ま ど の 神 と し て 祀 ら れ る 激 し く 祟 り や す い 性 格 を も つ 一 方 火 伏 せ の 霊 験 が あ る と さ れる T 33

36 釈迦三尊像 絹著色 横三九 四 一幅 室町時代 縦九三 〇 尊の釈迦如来とその両脇の二尊で 一組 向かって右側に釈迦の知恵を表わす 文 殊 菩 薩 が 獅 子 の 背 に 乗 る 空 に 立 脚 するその知恵がこの菩薩の特性であり 文殊の知恵 の語が由来する 左側に 釈迦の悟りの内容を表わす普賢菩薩が 白象に乗って守護する 仏教の開祖である釈迦如来はこの二 尊を備え 広く衆生を救済する T 34

37 絹著色 横五二 三 一幅 釈迦十六善神像 縦一〇〇 二 釈迦にはその教えに追従した多くの 弟 子 た ち が い る が 十 六 善 神 は 十 二 神 将 に 四 天 王 を 加 え た も の と も さ れ 仏 教を守護することを誓った仏教以外の 異 教 神 煩 悩 を 打 ち 破 り 悟 り の 境 地 に 達 し た 選 ば れ た 弟 子 た ち で あ る そ の 中 に は 釈 迦 の 子 供 も 含 ま れ 仏 滅 後 も 永 く こ の 世 に 住 み 衆 生 を 救 う 使 命 を も つ お の お の 超 人 間 的 に 描 か れ 侍者や持物にも制約がある T 35

38 絹著色 横三七 九 一幅 薬師三尊像 縦九六 八 薬 師 如 来 を 中 央 に 脇 侍 と し て 向 か っ て 右 に 日 光 菩 薩 左 に 月 光 菩 薩 を 配 す る 仏 教 伝 来 後 の 比 較 的 早 い 時 期 に 登 場 し 諸 種 の 如 来 の 中 で も 最 も 大 衆 の 信 仰 を 集 め た 平 安 時 代 に は 天 台 宗 や 真 言 宗 で 元 来 の 尊 と は 別 に 一時は薬師如来が尊になったほどに 信 仰 さ れ た 病 気 平 癒 を 願 い 右 手 を あ げ 心 配 す る な と 諭 す 脇 侍 の 日 光 菩 薩 月 光 菩 薩 は と も に 薬 師 瑠 璃 光 浄 土 の 代 表 的 な 菩 薩 と し て 各 々 日 輪 月 輪 を持っている T 36

39 阿弥陀三尊来迎図 絹著色 横三九 〇 一幅 桃山時代 縦八九 五 阿弥陀如来が 慈悲を表す観音菩薩 智 慧 を 表 す 勢 至 菩 薩 を 脇 侍 に 従 え て らいごう 信 仰 深 い 衆 生 の 臨 終 に 迎 え に 現 れ 極 楽 浄 土 へ と 導 く 様 子 来 迎 を 描 い た ものである 中 央 の 阿 弥 陀 如 来 は 来 迎 印 を 結 び 向かって右の観音菩薩は往生する人の 魂 を の せ る 蓮 華 台 を 差 し 出 し 左 の 勢 至菩薩は胸前で合掌している 阿弥陀三尊来迎図は平安末期から鎌 倉時代にかけて極楽浄土の思想が普及 したことにともなってさかんに描かれ た W 37

40 火天 地天 羅刹天 閻魔天 絹著色 十二天像 梵天 十二幅対 横三四 〇 地天 下 日天 日 月天 月 東北 梵天 上 毘沙門天 北 伊舎那天 羅刹天 西南 水天 西 風天 西北 帝釈天 東 火天 東南 閻魔天 南 月の二天を加える 西南 の八天に天地 上 下 の二天 日 位 東西南北の四方と東北 東南 西北 十 二 の 神 と し て 信 仰 さ れ て い る 八 方 と な っ た も の 日 で は 世 を 守 護 す る 神などが仏教にとり入れられて護法神 十二天は天部に住む神でインド古代 各 縦九六 〇 帝釈天 38

41 しゅじ 図 の 上 部 に 種 子 一 字 で も っ て 仏 を 表す梵字 を頭上に付けている場合が 多い 千光寺では観音堂内にある W 39 毘沙門天 伊舎那天 日天 風天 水天 月天

42 絹著色 横一五八 〇 一幅 仏涅槃図 縦一八九 七 釈 迦 入 滅 の 場 面 を 描 い た も の で 釈 迦 入 滅 前 後 の 状 況 を 記 し た 涅 槃 経 に基づいて描かれている ばつだいが 二 月 二 十 五 日 イ ン ド の 拘 尸 那 竭 羅 クシナガラ の跋提河のほとりで八 の 沙 羅 双 樹 に 囲 ま れ た 宝 台 に 釈 迦 が 頭 を 北 に 顔 を 西 に 向 け 右 脇 を 下 に し て 横 た わ っ て い る そ の 周 囲 に は 弟 子達をはじめ 諸王 大臣 諸天のほか 阿 修 羅 な ど の 鬼 神 動 物 や 虫 ま で が 釈 迦 の 死 を 嘆 き 悲 し ん で い る 上 空 に は 釈迦の死を聞いて駆けつける母の摩耶 夫人も描かれている W 40

43 地獄図 紙著色 横九六 五 二幅対 各 縦一七八 〇 地獄は 六道輪廻 天 人間 修羅 畜生 餓鬼 地獄 の最下層に位置し 現生で悪行をなした者が死後送られる 因 果 応 報 の 世 界 生 前 の 罪 状 が 十 王 に よ り 審 判 さ れ そ れ ぞ れ の 罪 状 に よ り 鬼 獄 卒 達 が 罪 人 を 呵 責 す る 処 八 大 地獄をはじめ八寒地獄等百三十六の種 類がある 地 蔵 菩 薩 閻 魔 大 王 の 地 仏 は その地獄の猛火に救いの手を差しのべ る霊験力があるとされる また 禅的解釈では 地獄の底には 金 輪際 という際があり そこで跳ね返っ て上昇し始めるとも言う S 41

44 胎蔵界 二幅対 両界曼荼羅図 絹著色 各 縦一五五 五 横一四六 五 一 八 一 九 ペ ー ジ に も 詳 述 し て あ る が 両 界 曼 荼 羅 は 大 日 経 金 剛 経 の 両 部 大 経 が 説 く 密 教 の 最 高 理 念 を 大 日如来を中心にあまたの諸尊を画像化 することによって絵画的に表現したも の で あ る そ の 構 成 は 胎 蔵 界 と 金 剛 界 から成っている 県指定文化財の両界曼荼羅図は鎌倉 時 代 の 作 で あ る こ の 曼 荼 羅 は 江 戸 時 代 に 作 成 さ れ た も の で 大 き さ も あ り 迫力ある曼荼羅図となっている Ot 42

45 金剛界 43

46 胎蔵界 敷曼荼羅図 絹著色 横一三〇 〇 二幅対 各 縦一二七 五 かんじょう 千光寺で行われる灌頂の際に壇上に 敷いて投花の儀を行うのに用いられる 金 剛 界 胎 蔵 界 の 二 幅 対 の 両 界 曼 荼 羅 図 で あ る 大 乗 仏 教 で 仏 の 五 智 を 象 徴 す る 水 を 頭 頂 に 注 ぎ 悟 り の 位 に 達 し た こ と を 証 す る 儀 式 を 灌 頂 と 言 う の ち 師 が 弟 子 に 対 し て 行 い 仏 位 の 継 承 を 示 す 重 要 な 儀 式 で あ る 元 来 は イ ン ド で 国 王 の 即 位 や 立 太 子 に 際 し て 行 われたものである 千 光 寺 で も こ の 敷 曼 荼 羅 で 灌 頂 が 行われたことを物語っている Ot 44

47 金剛界 45

48 す る 法 宗 教 的 に は 聖 な る 火 を も っ て 煩 悩 を 焼 き そくさい ぞうやく 尽 く す 意 味 も あ る 修 法 の 目 的 に よ っ て息 災 増 益 ちょうぶく けいあい こうしょう 調伏 敬愛 鉤召の五種に分類される 金剛界曼荼羅 こんごうかいまんだら 密教の 根 曼 荼 羅 両 界 曼 荼 羅 の ひ と つ 金 剛 頂 経 に 基 だいにちにょらい づき 大日如来の智の内容を表す 胎蔵界曼荼羅と一 とうみつ 対のものとして扱われる 東密 真言密教 では通常 く え 九つのブロックからなる九会の曼荼羅が用いられるの いちえ に対し 台密では一会だけの金剛界八十一尊曼荼羅が 用いられることも多かった 金剛杵 こんごうしょ もと古代インドの武器 密教では 仏の智慧がしっかりしていて堅固なことを 表わし また煩悩を打ち砕く働きを象徴すると解釈し 諸尊の持物としたり 修法の道具として用いたりする とって つか こ 中央部に把手 把 両端に鋭利な刃 鈷 がある形 古いものほど元来の武器の鋭利さを表現する 鈷部が とっこ いくつに分かれるかによって 独鈷 剣のようなひと さんこ ご こ し ょ ほう つの鈷 三鈷 五鈷杵といった分類があり これに宝 じゅしょ とうしょ 珠杵 塔杵を加えて五金剛杵と称する 金剛鈴 こんごうれい 一種の楽器 密教修法 の時 諸尊を驚き覚まし歓喜させるために また衆生 とって の眠れる仏心を呼び覚ます意味で振り鳴らす 把手の 先 端 部 を 金 剛 杵 の 形 に 作 る と こ ろ か ら 金 剛 鈴 と い う とっこ さんこ ご こ 先端が独鈷 三鈷 五鈷 宝珠 塔の形を成すものを 五種鈴といい 大壇の四方と中央とに安置する 金 剛杵の項参照 真言 しんごん マントラの訳 もとは古代 じゅく インドの神聖な呪句をいった 呪句をとなえる習俗が 密教に取り入れられ さらに中国 日に伝わってか ぼんご らは原語 梵語 の呪句がそのまま残され 真言とい わ れ る よ う に な っ た そ の 神 秘 的 な 音 声 に 密 教 の 真 理 が 宿 る と 解 釈 さ れ 空 海 が 開 い た 密 教 に も そ の 名 みつご みつごん だ ら に みょう 称 が 冠 さ れ る こ と に な る 密 語 密 言 陀 羅 尼 明 両界曼荼羅の構成と真言宗用語解説 あ じ ゃ り や 阿闍梨 あじゃり 阿闍梨耶の略 いっぱんに 密教の師 弟子の行いを正しその規範となる高徳の師 いっしん のこと 日では 一身阿闍梨 その人かぎりの地位 でんぽう としての阿闍梨 伝法阿闍梨 密教の大法を伝える 七高山阿闍梨 比叡山 比良山 伊吹山 愛宕山 神 峯寺 金峰山 葛木山に置かれた阿闍梨 などの名称 も生まれた 灌 頂 か ん じ ょ う 灌 頂 と は 水 を 頂 に 注 ぐ 意 古代インドにおいて国王の即位などの式典の際 四海 いっ の水を注ぐ儀式を 仏教が採用したもの 灌頂には一 ぱん けちえん じゅみょう でんぽう 般 に 結 縁 受 明 伝 法 の 三 種 が あ る 結 縁 灌 頂 と は とう 壇上で花を投げて曼荼羅の仏菩薩と縁を結ぶこと 投 げとくぶつ 花得仏という 受明灌頂とは弟子になるのを許される こと 伝法灌頂はもっとも重要なもので 修行を終え 師位を得ることを意味する灌頂である さ 結縁 けちえん 仏と縁を結ぶこと 仏事や作 ぜん 善のいとなみに参加し 仏縁にあやかること 密教で は結縁灌頂が有名で 曼荼羅に向かって花を投げ 諸 尊の中から自分の守り尊を選び出した 結跏趺坐 けっかふざ 坐法のひとつ 両足を 両股の上で交差させて組む 二種類あり 左足を右腿 の上につけ 次に右足を左腿の上につけ 両足裏を両 きっしょうざ 股上に仰向けにしたものを吉祥坐という 右上左下 ご う ま ざ 反対に左上右下で組んだものを降魔坐という 結跏趺 にょらいざ 坐は如来の坐法であるので如来坐ともいう せいか 華鬘 けまん もとインドの風習で生花を糸で 綴って装身具としたが 転じて仏 菩薩の供養具とな り さらに堂塔内陣の荘厳具ともなった この場合と けまんだい く に 華 鬘 代 と い う 華 鬘 代 は お お む ね 団 扇 形 を な し 唐草文や蓮華文を切り透かしたものが多い 護摩 ごま もとインド婆羅門教などで重んじ く ぎ られた供犠の形式で のち密教修法に取り入れられた も の 炉 中 に 火 を 燃 や し 供 物 を 焼 い て 諸 尊 に 供 養 しんじゅ 砺波市美術館学芸員 しゅ 長田 里恵 神咒 咒などの異名がある 胎蔵界曼荼羅 たいぞうかいまんだら 密教 だいひたいぞうしょうまんだ の根曼荼羅 両界曼荼羅のひとつ 大悲胎蔵生曼荼 ら だいにちきょう 羅 胎蔵曼荼羅とも 大日経 に基づき 大日如来の 理の内容を表わすとされる 胎蔵とは母体 子宮 の ぼだいしん ことで 衆生が来備えている菩提心 悟りの種子 が ばんぽう 万法に保護され養育されることを意味する 金剛界曼 荼羅と一対をなし 図様は十二のブロック 十二大院 から構成される 台密 たいみつ 天台密教の略 比叡山延暦 寺と園城寺とを中心として広まった密教のこと 最澄 が唐から請来した密教は組織的なものではなかったた あんねん め 円 仁 円 珍 安 然 な ど の 後 継 者 が 整 備 に つ と め とうみつ 東密 真言宗のこと とはちがった体系を築き上げた 東密との教学上の大きな相違点は 金剛界 胎蔵界の そ し つ じ 両部に蘇悉地部を加えて三部の構成をとなえる点にあ る 陀羅尼 だらに 真言 しんごん きれ さっし かん 断簡 だんかん 切ともいう もと冊子や巻 す 子に書かれていたものの一部が切断されて残ったも の 天衣 てんね 菩薩や天部像が上半身にまと じゅたい う細い帯状の布のこと 綬帯ともいう 伝法灌頂 でんぽうかんじょう 灌頂 かんじょう 東密 とうみつ 東寺の密教の略 東寺を根 道場として広められた密教のこと すなわち空海が 開いた真言宗をいう 天台宗側が 最澄の後継者たち によって密教が整備され 真言宗に対抗する密教勢力 たいみつ となるにいたり 台密 天台密教の略 に対し東密と 呼ばれるようになった 台密の項参照 しょうもん 比丘 びく 声聞ともいう 仏門に帰依して ぐそくかい 戒 具足戒 を受けた者 修行僧 密教を含む大乗仏 教では 菩薩よりも一段低い階位に置かれ 菩薩が衆 46

49 生の救済を優先させるのと違って 自分の悟りを優先 させる部類を指すことが多い 梵字 ぼんじ インドの言語である梵語を記 しったんもじ 載 す る 時 に 用 い る 文 字 を い う 悉 曇 文 字 と も 称 す る その字体は時代と地方によって変遷がある 尊像を梵 しゅじ 字で象徴させる場合 これを種子という 密教徒にとっ ては必須の学習項目だった 地垂迹 ほんじすいじゃく 日の神々は ひとびと 来は仏であり 仏教の諸尊が日の人々を救済する あと た ために神という姿で現われた 迹を垂れる という考 え方 密教の変化身 へんげしん の考え方とも近く 中世には完全に一般化する その思想の普及にともな い垂迹画像が盛んに制作された 瓔珞 ようらく 貴金属と珠玉を連ねた装身 具 で も と イ ン ド 貴 族 の 飾 り の 風 習 に よ る も の 仏 ひじ 菩薩に用いる 首に掛けるだけでなく 臂 手 足瓔 どくろ 珞などの用例もある 明王などでは蛇または髑髏を瓔 珞とするものもある また仏堂の荘厳具や供養物など にも瓔珞を用いる 寄 木 よ せ ぎ 仏 像 の 造 像 技 法 の ひ と つ じょうちょう 十一世紀の仏師定朝によって大成された 複数の部材 を規則的に組み合わせ そこから頭部を含む像の根幹 部を彫り出す方法 大きな材木がなくても巨像の造像 が容易となり また分業製作が可能になった 来迎 らいごう 臨終に際して仏 菩薩が浄 土から迎えに来ること 日では 平安時代に阿弥陀 おうじょう まっぽうとうらい 仏と極楽浄土往生の信仰が隆盛し 末法到来の思想と ふうび も重なって阿弥陀や諸尊の来迎への期待が一世を風靡 らい した 阿弥陀ないし諸尊の来迎の様を描いたものを来 ごうず 迎図という 螺髪 らほつ 多数のほら貝 巻貝 型を並 べたような仏像の髪形 木彫の小像では格子目状の直 線に彫り込むだけの場合もあるが 巨像では一個ずつ 別に造り植えつけることがよく行われる だいにちにょらい 両界曼荼羅 りょうかいまんだら 大日如来 こんごうかいまんだら たいぞう かい を主尊とし 密教諸尊を金剛界曼荼羅と胎蔵 界 曼 荼羅の二種の体系に統合して構成された最も大規模な 曼荼羅 この二種の曼荼羅は元来インドにおいて別々 の起源を持ち 中国への伝来も別であるが 空海の師 けいか 恵果によって一対のものとされた 金剛界曼荼羅 胎蔵界曼荼羅の項及び上図参照 輪宝 りんぽう 古代インドの武器 密教で ぼんのう は回転すると万物を打ち砕き煩悩を破ると考えられ た 形は刃をつけた車輪にかたどる 密教法具として 使用されたほか 文様にもしばしば応用された あ か す い 六器 ろっき 修法壇に供える閼伽水 清浄 ずこう けまん な水 塗香 華鬘を盛る器 各二個あり六個を一具と して用いるため六器と呼ばれる 通常 高台のついた 金属製の小碗に台皿を備える 脇侍 わきじ 中尊の左右あるいは前後に随 侍するもの 中尊の種類によって脇侍になる尊像も変 化する たとえば 釈迦如来には文殊 普賢菩薩 薬 にっこう がっこう かんのん せい 師如来には日光 月光菩薩 阿弥陀如来には観音 勢 し 至菩薩などと おおよその構成が決まっている 割矧 わりはぎ 木彫像の造像技法のひとつ 頭部を含む像の根幹部を一材から彫り出し 木の縦目 うちぐり は にそって割り離し 内刳した上でもとどおりに矧ぎつ ひ わ けて仕上げること 干割れを防ぐために施された 47

50 千光寺の彫刻 となみ散居村ミュージアム館長 白江 秋広 千光寺には 古代から連綿と信仰が息づいていた 戦国時代には争乱により数度にわたり戦禍に遭い多 くを焼失したとされている 元和四 一六一八 年の火災 しかし白鳳期の様式を示す銅造観世音菩薩 立像を始めとして 仏像彫刻の優品が多く残されている これは歴代住職や檀信徒の 篤い信仰心の賜物 である 不許葷酒入山門 の結界石を過ぎると 山門には阿吽の仁王像 観音堂の須弥壇上にある厨子には秘 仏の観音像が安置され その前にはお前立の観音像が置かれている 秘仏を護るように増長天と多聞天が 邪鬼を踏みながら構えている 後部には木造の三十三ケ所観音がずらりと並び 奥の堂には開基法道上人 像が安置されている 回廊の中央部には閻魔王と十王等が鎮座し 殿には五智如来がそれぞれ安置され 脇には弘法大師 地蔵菩薩が安置され それぞれの空間が荘厳されている 参道脇の地蔵堂の中には 笏谷石製の弘法大師像が置かれている 48

51 愛染明王坐像 厨子高三八 〇 木彫彩色 漆塗厨子入 一軀 総高二八 〇 像高一〇 五 愛 染 明 王 は 厨 子 内 に あ り 左 右 の 扉 二面には 金箔地に四金剛 四金剛女 降 三 世 金 剛 夜 叉 明 王 を 表 し 全 体 で 愛染曼荼羅を構成する 小ぶりながら金箔を貼った截金文様 等 緻 密 な 細 工 が 施 さ れ て い る 獅 子 冠 を か ぶ り 手 に は 密 教 法 具 の 五 鈷 杵 五 鈷 鈴 弓 矢 蓮 華 を と り 真 紅 の 蓮 華 座 上 に 結 跏 趺 坐 す る 全 身 真 紅 の 憤 怒 相 で あ る が 内 心 は 大 愛 至 情 の 性 を持つとされる S 49

52 増長天 多聞天 一軀 増長天立像 木造彩色 横幅四二 三 奥行五二 〇 像高一三七 七 一軀 多聞天立像 木造彩色 横幅四三 〇 奥行五二 〇 像高一四三 五 しゅみせん 仏 教 的 世 界 観 で は 世 界 の 中 心 で あ とうしょうしん る須弥山の四方の門を守る四天王があ みなみせんぶ に し ご か る 持 国 天 が 東 勝 身 州 を 増 長 天 が ほ っ く る 南 瞻 部 州 を 広 目 天 が 西 牛 貨 州 を 多 聞天が北倶盧州をそれぞれ守護する 来 像 容 等 は 決 ま っ た 形 が な い と さ れ る が 当 寺 の 増 長 天 と 多 聞 天 は そ れ ぞ れ 手 に 宝 塔 や 宝 棒 を 持 ち 五 穀 豊 穣 や 仏 の 説 法 を 受 け 持 つ と と も に 須弥壇の結界の要となっている S 50

53 一軀 閻魔王坐像 木造彩色 横幅一一〇 〇 奥行七五 〇 像高一三〇 〇 閻魔王と十王 人が死ぬと 三途の川を渡るところに 奪 衣 婆 と 懸 衣 翁 が お り 婆 は 服 を 奪 い 脱 が せ 翁 は 服 を 衣 領 樹 に 懸 け る そ して裸になり冥界の十人の王の裁きを 受けなければならない その裁きによっ て 来 世 が 決 ま り 七 日 ご と に 審 理 が 行 われ 初七日は秦広王 一四日初江王 二 一 日 宋 帝 王 二 八 日 伍 官 王 三 五 日 閻魔王 四二日変成王 四九日太山王 百日平等王 一周忌都市 王 三 回 忌 五 道 転 輪 王 と さ れ る 判 決 は 四 九 日 に 六 道 つ ま り 天 道 人間道 修羅道 畜生道 餓 鬼 道 地 獄 道 に 生 ま れ 変 わ り を 宣 告 さ れ る この閻魔王は地仏が 地 蔵 菩 薩 で あ り 五 道 転輪王は阿弥陀如来で ある 堂の中には 司録 51 鬼卒 業の秤 浄玻璃鏡 檀拏幢などがある Ot

54 千光寺仁王像の謎 うるし 口氏はまったくその逆 弁舌さわやか 西 塔 再 建 の 際 の 千 年 の 釘 で 有 名 な る 新 た に 用 意 さ れ た も の は 薬 師 寺 接合や組立では鉄のかすがいも用い うという 回 の 接 合 に は ニ カ ワ で は な く 漆 を 使 修復を手がける仏師を訪ねて 忠宏氏と二人で修復院を訪れた 仏師と聞くとどうしても孤高で老齢 笑顔が似合う若い仏師だった な 職 人 気 質 の 人 を 思 い 浮 か べ る が 川 ま 寺 は 修 復 を 行 う こ と を 決 め 平 成 しら たか ゆき のり 野原 大輔 また 過去に2回の修復 部分解体 の痕跡がある 時代は近代とそれ以前 修復方法を見れば凡その年代がわかる 仁 王 像 は 寄 木 造 で あ る 川 口 氏 の 第 よせ ぎ づくり 謎その2 なぜ部材が細かいのか 庫県川西市出身で十九歳の時に新聞で 昭 和 五 十 二 年 生 ま れ の 三 十 七 歳 兵 修復というのは単に 直す だけでな 仁王像の謎 うだ べ き は 部 材 の 多 さ 解 体 作 業 を 通 し て ヒ ノ キ と ス ギ を 混 用 し て い る が 驚 く 見事なプロポーション ちなみに像は 一 印 象 は お 姿 が 良 く ま と ま っ て い る の 募 集 が き っ か け で 寺 に 入 り 仏 師 で い でら 代管長と石丸正運氏に親交があったの 市 の 園 城 寺 三 井 寺 に 搬 送 し た 先 あ る 故 高 橋 俊 夫 に 師 事 し た こ れ ま 複 雑 な 木 寄 せ が 明 ら か に な っ た 少 な み で 修 復 先 に 選 ば れ た 平 成 二 十 五 年 九 い 部 材 で 作 る の が 普 通 だ が な ぜ あ え 鍛冶師白鷹幸伯氏が手がけたものだそ 月二十五日には千光寺の文化財を守る く 像を 知る 作業に他ならない し 腕 が 立 ち 柔 軟 な 考 え を 持 つ 仏 師 の かし いくつかの謎が浮かび上がった 仕 事 と 川 口 氏 は 見 る ま た 首 の 根 でに一〇〇体以上の仏像を修復した経 一般的には体内の墨書銘などで造像 元の白木の部分に漆を塗る特徴的な方 験をもつ 年 が わ か る が 見 つ か ら な か っ た も 会一行が石丸氏の案内で修復現場を訪 しや山門の棟札がそれを兼ねていたの 法も見つかった れている わ れ た そ の 工 程 は 気 の 遠 く な る よ か 川 口 氏 の 見 立 て で は 像 が 作 ら れ て だが修復は仁王様と対話する最良の術 て手間の掛かることをしたのか 相当 う な 作 業 の 積 み 重 ね だ 下 の 図 参 照 約 二 〇 〇 年 寛 政 九 年 一 七 九 八 に だと若き仏師から教えてもらった 謎その1 いつ造られたのか こ れ を 二 人 の 仏 師 で 行 う 解 体 ま で 済 山門と一緒に作られたとすると年代は 接着剤の除去 ⑥ 部材の補修 ⑦ 接 合 ⑧ 組 立 ⑨ 麻布の貼付 ⑩ 漆の塗布 5 回 ⑪ 復元彩色 ⑫ 古色の塗布 しつ こん ごう しん ま ず は 阿 形 続 い て 吽 形 の 修 復 が 行 もともとは金剛杵を持ち甲冑で身を めば 八割方終わったようなもの 我々 ピッタリだ 修復の経過 固 め た 一 体 の 執 金 剛 神 だ っ た が 二 体 が 訪 れ た 時 阿 形 は 組 み 上 が り ま さ ⑤ 仁王は金剛力士のこと 仏法を守護し 一 対 で 造 ら れ る よ う に な り 二 つ の 王 に 仁王立ち 漆が塗られ全身が真っ 解 うん ぎょう ④ あ ぎょう 彩色の除去 外敵の進入を防ぐという意味がある の 意 で 仁 王 と 呼 ば れ る よ う に 口 を 開 黒 片 や 吽 形 は 解 体 さ れ バ ラ バ ラ の ③ 謎 は 永 遠 に 解 け な い か も 知 れ な い け る の が 阿 形 口 を 閉 じ る の が 吽 形 状態だった クリーニング ふん ぬ そう 肝 心 の 部 材 は 木 と し て は 健 康 な 状 ② ワ 膠 が 劣 化 し た こ と が 原 因 だ 今 の こ と 腕 が 落 ち た の は 接 着 剤 の ニ カ いう感じ 色 を 落 す の で は な く 色 を 剥 ぐ と 肌 の 上 に 麻 布 を 貼 っ て 彩 色 す る の で 態 なのでほとんど補修は必要ないと 意 外 だ っ た の は 彩 色 の 除 去 木 の 地 上 半 身 裸 で 筋 骨 隆 々 と し 血 管 が 誇 張 川口圭太氏 流である 仏師 二体の仁王像は園城寺佛教尊像修復 院 の 川 口 圭 太 氏 の も と に 運 ば れ た こ こで約二年の歳月をかけて修復が行わ 調 高校野球の熱戦が続く平成二十六年 れる 体 ① 八 月 十 二 日 修 復 の 様 子 を 伺 い に 末 永 修 復 の 工 程 完成 査 さ れ 忿 怒 相 の 躍 動 感 あ ふ れ る 姿 が 主 仁王像とは おんじょうじ 二 十 四 年 十 一 月 六 日 遠 く 滋 賀 県 大 津 像 が 経 年 劣 化 し た の で あ る す ぐ さ る日 その腕がボトリと落ちた 千 光 寺 山 門 の 両 脇 に 立 つ 仁 王 像 あ コラム 52

55 解体された吽形の部材 園城寺の奥にたたずむ修復院 笑顔が素敵な川口仏師 白鷹幸伯氏によって鍛えられたかすがい 漆塗りの段階まで進んだ阿形像 53 血管が浮き出る吽形像の腕

56 芹谷山千光寺と法道仙人 りょうじゅせん ふ せ 砺波郷土資料館主任学芸員 安カ川恵子 ごひゃくじみょうせん ひはつ くうはつせんにん 法道仙人は天竺 インド の霊鷲山 注1 に住む五百持明仙 注2 の一人で 日に渡来したという 伝説上の人物である 鉢を飛ばして布施を乞う 飛鉢の法 をよくし 空鉢仙人ともいわれる この法道 仙人は 鎌倉時代末期に虎関師錬が著した 元亨釈書 の中に紹介されている 元亨釈書 には 仏教 の伝来から元亨二年 一三二二 までの約七百年間にわたる多くの実在の高僧や尼僧 熱心な仏教信者 神仙など四百余名の伝記や 皇室関係の仏教に関する事績などが年代順に記されている 法道仙人は 神仙 の部の中に 皇太神宮や丹生明神などとともに記載されている この法道仙人を開基として伝承している寺院は播磨を中心に丹波 摂津などに多くひろがり その数は 二〇〇にも達するとされる 注3 法道仙人は行基菩薩や弘法大師などとは異なり 地域的に限定された ところで信仰されている仙人であるが 近畿以外でも九州北部の豊前や 北陸の能登から越中 越後など にも若干の伝承寺院がある 北陸では能登の石動山や越後の米山 越中では砺波市千光寺 現真言宗 のほかに 氷見市大栄寺 現 浄土宗 同上日寺 現真言宗 小矢部市観音寺 現真言宗 などがある 1 霊鷲山 りょうじゅせん インドのビハール州のほぼ中央に位置する山 釈迦 しゃか が無量寿経 注 むりょうじゅきょう や法華経 ほけきょう を説いたとされる山として知られる 仏教と説話 清文堂出版 一九九六年 2 持明仙 じみょうせん 呪 まじない をよくし その験力を身に付けた仙人 3 中前正志 法道仙人の進出 説話論集第五集 54

57 法道上人倚像 像高一一六 〇 横幅五五 〇 奥行三六 〇 総高一三〇 〇 像は現在千光寺観音堂内の奥の堂 に 安 置 さ れ て い る 千 光 寺 で 保 存 さ れ け さ ている文書から江戸時代の後期に制作 きょくろく されたものであることがわかる 像 は 曲 彔 に 腰 か け て 法 衣 に 袈 裟 そ し ぞ う を か け 足 元 に 木 履 を 置 く 一 見 禅 宗 の 祖 師 像 の よ う で あ る し か し な が まげ ら 耳が大きく あごひげをたくわえ 頭部後方で髷を結う中国風な翁のよう な 像 容 で あ る 点 に 人 間 で あ る 祖 師 で にょい はない 仙人 の風貌がうかがえる 体の前面に両手で持つものは如意で あ る こ れ を 用 い れ ば 手 の 届 か ぬ 背 中 のかゆい所も意の如くなるところから 名付けられたとされる Y 55

58 千光寺縁起 横五六五 〇 享保十一年 一七二六 紙墨書 縦三二 〇 千光寺では 享保十二年 一 ( 七二七 に ) 九九年ぶりの御開帳が行われているが その御開帳に合わせて作成されたの が縁起である この縁起は 当時の住職である五八世正遍が さまざまな書物から得た知識や漢籍の素養を駆使して こんごう ま に 作った 非常に格調高い文章である 原文は漢字だけの白文であるが 金子容士氏の解読により 以下に概要を紹介する 一 天竺 インド で修業を積み金剛摩尼の法をおさめた法道仙人が仏法を広めるために中国 朝鮮を経て日へやっ てきた 二 法道仙人が般若野まで来ると 山神である童が現れ この地に仏法を広めてほしいと言った 仙人は 背に負って こうきん きた観音像をおろしていたのを再び背負おうとすると急に重くなり動くことができなくなった 時に 白瀧に明王が出 現し 蓮華谷に金蓮が生えた 仙人は これぞ仏縁の地と喜び ここに庵を結んだ 仙人はこの谷に生える香芹を食し たので この地を 芹谷 という かり 三 法道仙人は常に鉢を飛ばして布施を受けていた ある日 海を通る船が見えたので その船に鉢を飛ばして食を乞 うた ところが 船頭は 都へ届ける官米であるから と断った すると鉢だけでなく 鉢に続いて船中の米が雁の列 のように飛び去った 船頭はあわてて米俵を追って仙人の前へ来て非礼をわびた すると米俵はまた前のごとく雁を連 ねるようにして船中へもどった 一つだけ落ちたところが米島 現高岡市米島 である ほうじょうえ このような記述の後 法道仙人のさまざまな徳や放生津八幡 現射水市 での放生会の始まり 越の四傑と呼ばれる 仙人の門生 芹谷山五社 現在の八幡社 や五行説 千光寺歴代 尊の盗難 長尾景虎 前田利長のことなどが記さ れている この縁起は享保十一年に一応まとめられたが その後の享保十二年に実施された御開帳のことを追記して 最終的に は享保十四年の年記銘になっている Y あとは白紙の部分が一メートルほど残されていた このことから未完であると推定されていたが 平成七年から行われてきた 注 この縁起は千光寺五八世正遍の編集であることは明らかであったが 歴代住職の事柄は五三世善遍の代で終わっており 千光寺文書調査の際に 金子容士 宰大 氏によってその後に続けるべき文の草稿が発見され それにより縁起が編纂され た目的や編纂にかかわった人々の名も明らかになった 平成十二年に 金子氏によって 補遺 として縁起に追記された 56

59 開闢は 唐僧円徳上人 開山は 唐僧円徳上人 一 貞享二年 1685 寺社由緒書上 二 宝永元年 1704 由来書控 天竺の沙門円徳上人法道仙人 開山は 法道仙人を消して 唐僧円徳上人 三 享保十二年 1727 千光寺略縁起 木版 四 寛延二年 1749 千光寺由来書控 五 文化三年 1806 千光寺由来書控 法 道 と 上 人 の間に 円 徳 を 入 れる 史料 次のようなご教示をいただいた 大学人文学部教授の鈴木景二氏から い間わからずにいたが このほど富 山 についてどのような人 物であるのか長 貞 享の由 緒 書にある 円 徳 上 人 円徳上人について 年代別由緒書による 千光寺の開基 千光寺には江戸時代の縁起は数種あ る が 法 道 仙 人 が 千 光 寺 の 開 基 と し て 初めて登場するのが享保十一年の前記 越之中州般若野芹谷山千光寺縁起 で あ り そ れ を 最 も 端 的 に ま と め て い る のが享保十二年の木版 略縁起 上記 三の画像 である 縁起の中ではもっとも古い貞享二年 一六八五 に加賀藩に提出された由緒 千光寺の開基とされる 円徳 と 円 徳 と あ る 宝 亀 七年 七 ( 七六 の) 東 大 寺 六 宗未決義 大日仏教全書 に 同一人物であるかどうか全くわからな 小学頭満位僧 上記一 とある それが 享保十二年 略 いが 東大寺の中ぐらいの位の僧円徳 書には 大宝三年唐僧円徳上人之建立 法道 仙人 上 縁起 では 天竺の沙門円徳上人 記 三 と な る そ の 後 の 数 種 の 縁 起 の が荘園のある砺波にやってきて 千光 江 戸 時 代になって加 賀 藩に書 き 上 げ うなら その記憶が長い間伝承され た可能性も全くゼロではない もしそ 寺のもとになるような宗教活動を行っ 中で 法道仙人 となったり 円徳上人 法 道 上 人 法 道 円 徳 上 人 と な っ た りするが 明治年代には 法道円徳上人 に統一されたようである られた千 光 寺の縁 起に痕 跡 を残した という想定もありうる Y( 57 現 在 の 千 光 寺 で は 渡 来 僧 の 円 徳 法 道上人 とされている Y

60 千光寺の書跡 秀吉禁制 紙墨書 横六五 〇 一面 天正十八年 一五九〇 縦四四 五 前田利長公消息 一幅 八月十日 紙墨書 横五二 〇 肥 縦三五 七 見事之松茸 法印 切封 愛宕 一 軍勢甲乙人等乱妨狼藉事 五十給之候 〆 一 放火事 御懇意之段 禁制 一 対地下人百姓非分之儀申懸事 欽悦此事候 利長 印 別而 右条々堅令停止訖 若於違犯之 恐々謹言 八月十日 輩者 忽可被処厳科者也 豊臣秀吉 金沢の愛宕善性院住職を兼ねていた 日 朱印 天 正 十 三 年 一 五 八 五 豊 臣 秀 吉 は 千光寺第五十一世宥遍への松茸五十 天正十八年七月 前田利家を先陣とする十万の大軍を越 に 対 す る 礼 状 善 性 院 は 慶 長 四 年 あたごぜんしょういん 中 に 派 遣 し 佐 々 成 政 を 討 伐 し た そ 一五九九 に利長が金沢城に移った際 に 興 し た 寺 で の ち に 明 王 院 と 改 称 さ の道中 秀吉は芹谷野を越えた こ の 禁 制 は そ の 五 年 後 小 田 原 征 伐 れ 藩 内 の 真 言 宗 の 触 頭 と な っ た 触 取り次ぐ役目 へ 伝 達 し 配 下 寺 社 の 訴 願 等 を 奉 行 に ふれがしら の 最 終 段 階 に 発 給 さ れ た も の で あ り 頭 と は 寺 社 奉 行 の 触 れ を 配 下 の 寺 社 秀吉は全国各地に同様の禁制を多数発 給している Nd Nd 58

61 前田利長公消息 一幅 前田利長公消息 紙墨書 十二月二十四日 一幅 十一月二十八日 紙墨書 横五二 〇 肥前守 縦三五 七 法印 愛宕寺 横五二 〇 切封 〆 縦三五 七 切封 あたこ 法印 肥前守 御報 為歳暮之御祝儀 〆 我ら為虫気被御祈祷 巻数 并樽一荷昆布 恐々謹言 意之段目出令満足候 御懇 御札巻数御三寸給之候 ニ而 三束給之候 気力加験 被入御念之段誠以大慶 至極存候 恐々謹言 極月廿四日 可被心得候 十一月廿八日 寺 か ら の 歳 暮 に 対 す る 礼 状 経 典 や 利長 印 病 気 平 癒 の 祈 祷 に 対 す る 礼 状 利 酒樽 昆布をもらって利長が上機嫌だっ Nd 利長 花押 長は高岡城に入城した慶長十四年 た様子が伝わってくる よう 一六〇九 に癰 悪性の腫れ物 を煩い 翌 年 に は 利 光 の ち の 利 常 が 越 中 の 埴 生 八 幡 宮 安 居 寺 加 賀 の 敷 地 天 神 社 な ど に 病 気 平 癒 の 祈 願 を し て い る 59 その後 利長は慶長十九年 一六一四 に没する Nd

62 千光寺の古書 1 古書とは 概要と特徴 氷見市立図書館 氷見市史資料整理室 森越 博 古 書 を 一 冊 毎 に 封 筒 へ 入 れ 数 一 〇 冊 を 整 理 用 の 段 ボ ー ル 箱 に 収 め ス チ ー ル ラ ッ ク に 配 架 し て い る 一 部 の 古 書 は 封 筒 に 入 っ て お らず 段ボール箱に収めて保管 古書ということばは 一般にかなり混乱した使い方がされている 正 し く 定 義 さ れ た 専 門 用 語 と 日 常 語 と の 間 に や や 隔 た り が あ り ②古書の数量 する お よ そ 六 〇 〇 〇 冊 以 上 の 江 戸 か ら 明 治 時 代 に わ た る 古 書 を 所 蔵 た と え ば 古 と ど う 違 う か 問 わ れ て き ち ん と 答 え ら れ る 人 は ま れ だろう ここでいう古書とは おおむね和紙等を袋とじにし 表紙を付け 旧蔵分 土蔵に保管 段ボール箱約一七〇個 推定 推定五一〇〇冊 糸 で 製 し た 書 籍 を さ す 他 に も 巻 物 や 折 な ど 様 々 な 形 態 の 古 新蔵分 平成一九年に米蔵で発見 段ボール箱約三〇個 段ボール箱一個に 三〇冊ほど収まるものとして推計した 九〇〇冊 書がある 新刊書が使用済になっただけの古とは まったく意味 が異なる 近年になって 近世 近代に刊行された 古書に対する評価が変わっ 全 体 の お よ そ 三 割 が 真 言 宗 三 割 が 仏 教 一 般 で 残 り が 和 書 漢 ③古書の内容 従 来 た い せ つ に 扱 わ れ て き た 中 世 以 前 の 古 書 は 地 方 に わ ず か 籍 と い う 蔵 書 構 成 に な っ て い る 富 山 県 関 係 の 地 域 資 料 も 多 数 含 てきた し か 遺 っ て い な い 身 近 に あ る 古 書 の ほ と ん ど は 江 戸 時 代 以 降 の まれる 一 般 に 寺 院 の 蔵 書 で は 外 典 と さ れ る 和 書 漢 籍 が 少 な い 千 光 ③和書 漢籍も多数伝存 ここで修められるようになっている 著書までが 系統的に揃っている 真言宗に関する基的な学問が 密 教 の 主 要 な 経 典 か ら イ ン ド 中 国 の 論 書 注 釈 書 や 空 海 の ②真言宗関係書を系統的に保存 県内でいまのところ類がない くて三〇〇〇冊程度しかない 千光寺にはその倍以上の蔵書があり 通 常 の 寺 院 で は 古 書 が 遺 っ て い て も 一 〇 〇 〇 冊 未 満 で あ り 多 ①富山県内寺院で有数の蔵書量 3 蔵書の特徴 ものだろう 昭和の中頃から これらがふだん手に取られなくなり ずっと死蔵されたあげく 汚いとして廃棄されてきた そ れ が 最 近 で は 一 部 の 貴 重 書 だ け で な く あ り き た り な 古 書 も 含めすべてが重要な文化遺産である という考え方が浸透してきた 地 域 に 伝 存 し て い る 古 書 も そ の 土 地 の 歴 史 や 文 化 を 物 語 る た い せ つな史料として 認知されつつある こ う し た 古 書 が 千 光 寺 に は お よ そ 六 〇 〇 〇 冊 以 上 所 蔵 さ れ て お り 現時点で富山県内において 他にほとんど例がない 千 光 寺 で 所 蔵 す る 古 書 に つ い て そ の 概 要 と 特 徴 を 紹 介 す る と 次 のようになる 2 蔵書の概要 ①所蔵状況 60

63 書籍目録 寺 で は こ う し た 分 野 の 書 籍 で も 基 的 な も の は 所 蔵 さ れ て お り 般若台書籍目録 金橋山 蔵書構成のバランスが優れている ④行遍編 寛政四年 金 沢 高 巌 寺 臨 済 宗 妙 心 寺 派 の 元 住 職 普 門 元 照 が 晩 年 に 編 纂 し て 宝 永 元 年 に 刊 行 し た 地 蔵 菩 薩 の 霊 験 記 伝 が 稀 少 で 加 賀 を 中 心 に 全 国 の 説 話 が 収 め ら れ て お り 越 中 の 記 事 も 四 話 見 え る 行うのが困難になっている ど の 取 り 扱 い 方 を 身 に つ け て い る 人 も 少 な く 各 地 域 で 古 書 整 理 を 今 日 く ず し 字 や 漢 文 を 読 め る 人 が 少 な く な っ た 同 時 に 古 書 な 5 まとめ 千光寺六四世住職の行遍は 氷見の金橋山 千手寺から入寺した 仏教説話集成 二 叢書江戸文庫四四 国書刊行会1998所収 近 世 中 頃 に お け る 両 寺 の 蔵 書 構 成 が 判 明 す る 貴 重 な 目 録 が 遺 さ れている ⑤孤の空遍著 禅客鸞徒破会評決 4 ①参照 孤とは唯一その文を伝えるのこと 禅客鸞徒破会評決 は 全国でこの一冊しか確認されていない 古 活 字 と は 文 禄 慶 長 か ら 寛 永 頃 の お よ そ 五 〇 年 間 に 木 活 物だから 古文書より整理が容易などということは決してない まっ は 通 用 し な い 古 書 に は 大 別 し て 刊 と 写 が あ る 刊 は 印 刷 古 書 の 整 理 に は か な り 専 門 的 な 技 術 が 必 要 で 古 文 書 と 同 じ 方 法 字などを用いて出版された刊のこと 高参寺の 無量寿経論註記 た く 内 容 も 姿 形 も 同 じ 書 籍 は ま ず 見 あ た ら ず 各 々 ど う 違 う か よ く ⑥古活字の 法華三大部私記 4 ②参照 南砺市指定文化財 以外 ほとんど県内には伝わっていない 注 意 し な が ら 規 則 に 従 い 正 し く 目 録 を 記 述 し な け れ ば な ら な い 完成されていない 平 成 一 三 年 か ら 再 開 さ れ た こ の 間 も 数 年 休 止 し て お り い ま だ に 千 光 寺 の 古 書 整 理 作 業 は 平 成 七 年 に 着 手 さ れ 一 時 中 断 の 後 じた方法を確立して 分かりやすくまとめておく必要がある こ う し た こ と が 一 般 に あ ま り 理 解 さ れ て お ら ず 地 域 の 事 情 に 応 のも多く それはそれで扱いに苦慮する ま た 写 は 形 態 が ま ち ま ち で 古 文 書 と の 境 界 が は っ き り し な い も ⑦稀覯の 地蔵菩薩応験新記 4 ③参照 稀覯とは世間に流布していない珍しいのこと 地蔵菩薩応験 新記 全六冊 の完は いま他に高野山大学図書館のみが所蔵し ている 4 貴重書 ①空遍著 禅客鸞徒破会評決 上巻 下巻は欠か 千 光 寺 五 六 世 住 職 の 空 遍 が 禅 宗 や 真 宗 の 教 義 を 批 判 し た も の し か し な が ら 実 際 の 整 理 作 業 を 通 し 富 山 県 内 の 寺 院 で 古 書 を 整 理 す る ノ ウ ハ ウ が 蓄 積 さ れ た そ の 成 果 も ハ ン ド ブ ッ ク の 形 で 氷見 円満寺住職の義教 浄土真宗願寺派第五代能化 が 浄土 真宗諭客編 を著す発端になった 公 表 さ れ て い る 加 越 能 2012 ゴールはすでに視野へ入り もう一息の段階に来ている 古書整理の手引 氷見市史資料整理室 ② 法華三大部私記 全三〇巻 証 真 撰 法 華 玄 義 私 記 法 華 疏 私 記 止 観 私 記 の 総 称 天 台 今 後 着 実 に 整 理 作 業 を 実 施 し で き る だ け 早 い 時 期 に 完 遂 し て ひ 千 光 寺 の 古 書 は 質 量 と も に 県 内 有 数 の 貴 重 な 文 化 遺 産 で あ り 訶止観 の注釈書 慶長頃に刊行された 古活字と考えられる ろく公開することが望まれる 大師智顗が 法華経 について講義した 法華玄義 法華文句 摩 ③ 地蔵菩薩応験新記 全三巻六冊 61

64 法華三大部私記 禅客鸞徒破会評決 地蔵菩薩応験新記 横一八 二 冊 あ る 北 陸 近 江 を 中 心 と す る 地 蔵 普 門 元 照 著 元 禄 十 五 年 刊 で 全 六 各 縦二五 七 古書 稀覯 横一八 二 空 遍 著 浄 土 真 宗 願 寺 派 第 五 代 縦二五 七 古書 孤 横一八 二 古書 古活字 き 各 縦二五 七 し 私記とは私人の記録 ひそかな記述 能化であった義教が 浄土真宗論客編 菩 薩 に 関 す る 縁 起 が 記 さ れ て い る 氷 のうげ を 著 す 発 端 に な っ た も の で 三 業 惑 乱 見市上日寺地蔵尊霊験の事と餅食い地 自分の著述などを謙遜した言い方 法華三大部私記とは 法華玄義私記 よ り 以 前 の 江 戸 時 代 に 大 論 争 と な っ 蔵 同 市 宇 波 の 地 蔵 尊 富 山 市 寒 江 の さんごうわくらん 法華疏私記 止観私記 の総称である た こ れ は 上 巻 で あ り 続 編 が 編 ま れ て あったものと思われる 記載されている 蔵のことなど越中の地蔵菩薩のことも 自 得 寺 の 石 地 蔵 射 水 市 津 幡 江 の 橋 地 古 活 字 と も 推 定 さ れ る 栗 皮 の 表 紙 で 柿 渋 装 丁 さ れ た 高 級 で き わ めて貴重な書物である Mt 古活字 こかつじぼん 文禄 一五九二 一五九六 から慶安 一六四八 一六五二 年間に刊行された活字 銅活字はきわめて少なく ほとんど木活字 慶長勅版 伏見版 銅活字 嵯峨など Ot Mt 62

65 大般若経を納めた大函 大般若経 六百巻 一式 横八 五 折 大函十二納 各 縦二七 七 紙墨書 横一八 二 一冊 般若台書籍目録 縦二五 七 北 越 東 嶺 芹 渓 山 般 若 台 書 籍 目 録 寛政四年 一七九二 六四世行遍の編 集 に な る 寛 政 四 年 時 の 千 光 寺 が 所 蔵 す る 書 籍 目 録 で あ る 仏 典 二 〇 九 六 儒 書 そ の 他 三 七 一 聞 き 書 き 九 二 の 合 計 二 五 五 九 部 が 掲 載 さ れ て い る 平 成 十 年 三 月 に 般 若 台 書 籍 目 録 が 砺 波市教育委員会 砺波郷土資料館土蔵 友 の 会 よ り 刊 行 さ れ て い る 寺 名 は せんこうげんじ 千光眼寺となっている Mt 大 般 若 経 は 詳 し く は 大 般 若 波 羅 密 多 経 と い い 玄 奘 の 訳 に よ る 六 百 巻 に 及 ぶ 最 大 の 仏 典 で あ る 般 若 波 羅 密 智慧 到彼岸 の義を説く諸経典を集 大成したもの 般若 智慧 の立場から 63 一切の存在はすべて空であるという空 観思想を説く Mt

66 千光寺の伽藍配置図吉水友香64

67 平 成 二 十 四 年 六 月 石 丸 正 運 相 談 役 を 交 え て 学 芸 会 議 を 開 く 中 柄 で し ょ う か と の 川 口 さ ん の 感 想 も 聞 か れ た 汐 美 饅 頭 で 有 名 な 藤 れ 細 か い 部 材 が 棚 に 整 理 さ れ て い た 漆 が 使 わ れ て い る の は 土 地 砺波市美術館館長 小野田裕司 学芸員から一度千光寺を企画展で取り上げてみたいと提案があった 屋内匠の大津画落雁を土産に買った ショウジョウバカマと千光寺さん 末 永 学 芸 員 と 安 念 道 雄 住 職 を 訪 ね た の は 八 月 蝉 し ぐ れ の 中 の 千 光 寺 で あ っ た 住 職 と 末 永 学 芸 員 は 高 校 の 同 級 生 で 二 人 と も 私 が 教 会を重ねようということになった 七月の第一回のワーキンググルー そ の 程 度 の 認 識 で 千 光 寺 展 に 向 か う の は や や 心 も と な い か ら 勉 強 備委員会でそんな話をすると 実行委員長である尾田武雄さんから ど を 見 る こ と が で き る 平 成 二 十 五 年 六 月 の 千 光 寺 展 実 行 委 員 会 準 車 道 が つ い て い る 春 に は シ ョ ウ ジ ョ ウ バ カ マ や キ ク ザ キ イ チ ゲ な 展 望 台 ま で 当 時 は 境 内 か ら の 山 道 を 歩 い て い た が 今 は 近 く ま で デ ー ト ス ポ ッ ト の 一 つ で あ り 交 通 手 段 は バ ス で あ っ た 千 光 寺 の 千光寺さん は 団塊の世代であるわたしたちにとって 砺波の 人 間 は 社 会 的 に 科 学 的 に 理 解 で き る も の だ と い う 傲 慢 さ が 透 け える存在が失われた結果 我々は人間を理解したと錯覚した 日人は その後ろ盾を失った 時代の流れの中で 人知を超 的な存在への信仰を後ろ盾に主張してきた 殺すなかれ と 今や我々 く ら そ う 説 い て も 説 得 力 は な い だ か ら 人 類 は 神 や 仏 な ど 宗 教 ら 脅 か す 行 為 で 当 然 に 許 さ れ な い だ が 人 を 殺 し う る 人 間 が い にこんな論評を載せていた 人を殺すことは 人間の存在を根か なぜ人を殺してはいけないのか 宗教学者の山折哲雄さんは新聞 子生徒が同級生を殺害した容疑で逮捕される事件が起きた 勉 強 会 を 重 ね て い た 今 年 七 月 長 崎 県 佐 世 保 市 で 高 校 一 年 の 女 プ の 勉 強 会 は 尾 田 さ ん の 案 内 で 千 光 寺 探 訪 と な っ た そ の 後 同 寺 て見える しかし 人間はそんな薄っぺらな存在ではない 我々 員をしていたころの生徒さんである の 安 念 道 雄 第 七 十 六 代 住 職 日 照 院 糸 数 寛 宏 住 職 氷 見 市 立 図 書 館 は 内なる闇を抱えた存在なのだ こ の た び は 砺 波 郷 土 資 料 館 と な み 散 居 村 ミ ュ ー ジ ア ム そ し て 氷 見 市 史 資 料 整 理 室 森 越 博 さ ん 帝 塚 山 大 学 准 教 授 杉 﨑 貴 英 先 生 な どを招いて研修を続けてきた 研 修 旅 行 に 合 わ せ て 千 光 寺 仁 王 像 の 修 復 が な さ れ て い る 大 津 市 の な ぜ 人 を 殺 し て は い け な い の か こ の 重 い 問 い を 今 一 度 考 え る 機 寺展 を開催することとなった 多くの皆様に足を運んでいただき 砺 波 市 美 術 館 の 三 館 共 同 企 画 と し て 砺 波 市 合 併 十 周 年 記 念 千 光 園 城 寺 佛 教 尊 像 修 復 院 の 現 場 を 訪 れ た 案 内 は 石 丸 相 談 役 で そ こ 会になればとも思う そ の 間 平 成 二 十 五 年 九 月 に は 千 光 寺 の 文 化 財 を 守 る 会 秋 季 で 川 口 圭 太 仏 師 と の 出 会 い が あ っ た 台 の 上 に は 仁 王 様 の 頭 が お か 65

68 涅槃会 千光寺の四季 三月二十一日 参拝者に涅槃団子をふるまう日照院糸数寛宏住職 早朝より檀家の女性たちが支度のために集う フォトクラブとなみ野 川堰あけみ 3点とも

69 八月十日 四万六千日 せがき法要 風薫る季節 稲荷堂そばに石楠花が咲き誇る 千光寺の年間行事 はつもうで ね はん え しょうみえくよう 三月二十一日 涅槃会 正御影供養 釈尊入滅の陰暦二月 今は三月 十五日 釈尊の遺徳奉讃追慕のために修する 涅槃図を掲げ 遺教経を読誦する 千光寺では三月二十一日に正御影供養とともに行われる しまんろくせんにち せ が き ほうよう ぶつみょうえ 十月二十六日 仏名会 三世の諸仏の仏名を唱えてその年の罪障を懺悔し消滅を祈る法会 松岡達子 上も 川堰あけみ 八月十日 四万六千日 施餓鬼法要 四万六千日はこの日に参詣すれば四万六千日参詣したと同じ功徳があるという縁日 施餓鬼法要 飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す 声明をとなえる安念道雄住職 一月元旦 二日 三日 初詣 新年にはじめて社寺へお参りすること はつまいり 千光寺では正月三が日を初詣としている

70 十月二十六日 流れるようなラインを描く客殿の屋根 仏名会 堂内の緑に映える観音像 鐘楼堂から観音堂を望む 山門をくぐる若者たち 客殿の見事なアーチ 上段左 山秀一 右 山崎裕子 中段左 藤井建二 中 右 山秀一 下段 山秀一 参道にて 七福神めぐりののぼり旗が立つ 昭和天皇 皇后両陛下のお通りになった御幸門

71 一月元旦 二日 三日 初詣 樹間ごしにのぞむ山門 雪とのコントラストが美しい 初詣のようす 早朝のひとこま 雪の降る中 参詣する人の影 川堰あけみ 4点とも

72 癒しと観光の寺院千光寺国道三五九号線から真言宗の古刹芹谷山千光寺に入ると 小さなお堂の六地蔵に迎えられ ずらりと並んだ西国三十三カ所観音に真摯な気持ちになり 心が引き締まる 右手に元千光寺があったとされる蓮華谷を眺め 前方には明治の名工藤井助之丞が作成した地蔵堂がある 山門前の両脇のやはり助之丞が請け負った ハ積 と言われる石垣が綺麗な姿を見せている 山門を抜けようとすると 両脇に立像と坐像の地蔵菩薩が露座のまま居られる 不許葷酒入山門 と彫られた結界石は井波石工善太郎の作である 寛政九年に井波大工の柴田清右衛門により建立された山門からは 屋根が流麗な観音堂が見える 堂々たる石積み 観音堂の後ろには増山杉の寺叢に圧倒される 右脇の現代の名工白井大工の手による鐘楼堂 階段を上がると左に 越中富山住人大石工佐伯伝右衛門 作の宝篋印塔が鎮座している 観音堂は井波宮大工の名工 二代目松井角平による 観音堂と堂を結ぶ回廊の中心部に閻魔堂があり 十王像が安置されているが これは越中高岡の仏師山喜兵衛作である 土蔵の外壁は小杉町の竹内左官によって塗り直され 明治四二年に完成し 全面に鏝絵が描かれ 腰壁や土扉の大柄な鶴亀 恵比須 大黒の招福図や 外壁妻面の和洋折衷の大胆な意匠は 県下を代表する優品である また新座敷と称される書院は銘木を多用し 華美に走らず洗練されたデザインで質の高い造りで 藤井助之丞作である 現在整理中の 古書籍は真言宗などの仏教書 漢籍など六千冊を保管され その量と質は卓越しており貴重である 古文書は総数四〇九四点が砺波郷土資料館で整理され 砺波市歴史資料調査報告書 千光寺文書 (平成一四年発刊)が上梓されている 年中行事の涅槃会や正御影供養 四万六千日 施餓鬼法要 仏名会などが行われている 千光寺の多くの有形無形の文化財が市民に開放され活用されることは有意義なことである 生涯学習の場として 利活用されることが市民に課せられた課題だろうと思われる 千光寺の寺内に入ることによって 心忙しい現代人が癒しと豊かさを感じるのは 大宝三年(七〇三)から続く長い宗教空間が醸し出す世界があるからだろう 二十一世紀はまさに心の時代なのである 今日 日は観光立国を目指しているが 観光は単なる見物や見学ではなく 観光の語源である中国の古典 易経 の 国の光を観る ことである きらきら輝く物を確認することが重要である その点この千光寺は偽りのない文化財に満ちており 市民の宝として誇りにすべきものがある それを知り 愛することが観光である そういえば 武蔵野美術大学名誉教授の日画家故前田常作氏の 芹谷山千光寺 観音の光 の作品がある 千光寺の観光は 観音の光 そのものかもしれない 癒しと観光 開かれた学習の場砺波市文化財保護審議会委員尾田武雄70

73 開かれた密教の古刹千光寺 休 憩 さ れ た 平 成 三 年 に は 両 陛 下 の 通 ら れ た 御 幸 門 が 市 指 定 文 化 植 樹 祭 が 開 催 さ れ 昭 和 天 皇 皇 后 両 陛 下 が ご 臨 席 さ れ 当 寺 で ご じ く 県 指 定 文 化 財 と な っ て い る 四 十 四 年 五 月 に は 頼 成 の 森 で 全 国 図 が 富 山 県 指 定 文 化 財 と な り 四 十 年 に は 銅 造 観 世 音 菩 薩 立 像 が 同 れ て い る 五 十 六 年 に 絹 著 色 大 威 徳 明 王 図 と 絹 著 色 両 界 曼 荼 羅 後 数 点 の 写 真 を 加 え 同 年 四 十 四 年 五 月 に 千 光 寺 誌 と し て 再 版 さ 昭 和 三 十 二 年 八 月 の 名 越 仁 風 著 芹 谷 山 千 光 寺 略 史 で あ る そ の 蔵 と 天 明 五 年 棟 札 を 附 と し て 市 指 定 文 化 財 に な っ て い る 二 十 三 年 が 富 山 の 土 蔵 百 選 に 選 ば れ 四 年 後 の 二 十 一 年 に は 千 光 寺 土 千光寺文化財を守る会 が結成された 平成十七年 千光寺の土蔵 の 方 丈 さ ん た ち の 特 別 展 が 開 催 さ れ た 平 成 十 五 年 四 月 五 日 に は 千 光 寺 文 書 目 録 を 発 刊 し 砺 波 郷 土 資 料 館 で は 芹 谷 山 千 光 寺 で 古 書 籍 調 査 を 充 実 し 十 四 年 三 月 に は 砺 波 郷 土 資 料 館 の 協 力 で 認 定 さ れ 翌 十 三 年 四 月 か ら は 氷 見 市 立 図 書 館 司 書 森 越 博 氏 の 指 導 平 成 十 二 年 十 二 月 に は 千 光 寺 山 門 と 書 院 が 砺 波 市 指 定 文 化 財 に 千光寺調査中間報告 を発刊した 財となる これは高岡瑞龍寺から明治五年に移築されたものである 一 月 に 千 光 寺 道 標 石 塔 が 砺 波 市 ふ る さ と 文 化 財 に 指 定 さ れ る こ の 高 野 山 真 言 宗 の 芹 谷 山 千 光 寺 の 格 的 な 寺 誌 が 発 刊 さ れ た の が 千光寺 平 成 五 年 十 月 に は 高 岡 市 立 博 物 館 で 越 中 古 寺 の 至 宝 会 N P O 法 人 砺 波 土 蔵 の 会 の 前 身 で 始 ま っ た 会 員 で 考 古 学 者 一 点 が 保 持 さ れ て い る ほ か に も 堂 回 廊 地 蔵 堂 古 書 籍 古 県 指 定 文 化 財 が 三 点 市 指 定 文 化 財 が 五 点 市 の ふ る さ と 文 化 財 間 十八年五月四日と五日には 千光寺の尊聖観世音菩薩の御開帳 西 井 龍 儀 氏 を 中 心 に 寺 内 の 測 量 調 査 が 行 な わ れ 千 光 寺 前 の 芹 谷 下 文 書 石 垣 石 造 物 寺 叢 な ど 多 く の 貴 重 な 文 化 財 が あ り 県 民 や の 文 化 財 展 が お こ な わ れ 多 く の 寺 宝 が 世 に 紹 介 さ れ た 期 を 同 大 門 遺 跡 か ら 十 二 世 紀 の 祭 祀 用 品 が 表 採 さ れ 日 宮 跡 か ら は 大 量 の 市民の誇り得る大事な宝物としてこれからも維持していかなければ 七十六世住職道雄師継承法要が厳修されている 古 銭 の 宗 銭 が 確 認 さ れ 金 比 羅 山 で は 八 世 紀 頃 の 須 恵 器 土 師 器 破 ならない じくして同年には 芹谷山千光寺大調査 が砺波郷土資料館土蔵の 片を表採されている 平成六年には植物や野鳥学者故林梅夫氏が植生など自然環境を調 査 さ れ 同 年 に は 日 石 仏 協 会 理 事 平 井 一 雄 氏 や 尾 田 武 雄 に よ る 石 造 物 調 査 が 行 わ れ た 翌 年 七 年 七 月 に は 砺 波 市 文 化 会 館 に て 千 光 寺 調 査 中 間 報 告 会 が 開 か れ 平 成 十 年 三 月 に は 砺 波 市 教 育 委 員 会とともに 般若台書籍目録 寛政四年 が発刊された 同年十一 月 十 一 日 と 十 二 日 に は 金 子 宰 大 先 生 と 公 文 書 館 新 田 二 郎 先 生 等 と 共 に 古 文 書 書 籍 調 査 を 始 め 十 二 月 に は 土 蔵 八 号 で 芹 谷 山 71

74 石造弘法大師坐像笏谷石一軀高さ四一 〇横二七 〇福井県足羽山から採掘される緑色凝灰岩の笏谷石製の弘法大師である 右手に五鈷杵を握り 左手に念珠を持ち そして坐すスタイルの厚肉彫りで貴重な石仏である 左に 高野山三和院慬疏微雲管中現在照覧内院周徧影即真 右に 文政十一戌子大梁於妙聡持擬一千遠忌分布千影 とある つまり弘法大師の一千遠忌の際に 高野山三和院が一千体の像を作成し配布したのであろうと思われる (Ot )千光寺 観音の光前田常作平成十八年(二〇〇六)リトグラフ額一面縦五三 五横三九 五曼荼羅の画家として知られる前田常作(一九二六-二〇〇七)の遺作である 富山県入善町に生まれ 富山師範学校を経て武蔵野美術学校西洋科に学び 一九五七年に第一回アジア青年美術家展で大賞のパリ留学賞 国際美術家賞を受賞されている 一九九二年には紫綬褒章を受けられ その二年後の一九九四年には母校である武蔵野美術大学長に就任されておられる 観音霊場シリーズに挑戦され 百観音の絵画を完成されている 画は 平成十八年五月四日五日の両日 芹谷山千光寺の銅造観世音菩薩が三十三年に一度の開扉法要の慶事を記念して制作された版画作品で 十七版二十八度刷りにより仕上げられている (Ot )72

75 三千仏名 裏書 なかだち 越之中州利波郡芹谷山千光寺常什裏書ニ曰ク 裏書よみ それ あらた りゃく はかりごと まか ここ 厥 滅 罪 生 善 の媒 は 三 宝 帰 依 の 功 に 在 り 脱 苦 与 楽 の謀 は 一 念 発 起 の 力 に任 す 爰 に 信 者 謹 ん みた 満す ざん すなわち いささか 仰 で白善を営んで新に秝画 紺紙金泥三千仏名経尊を此の道場に寄附し奉りて捨悪持善の願意を およ あにしかうそぶ なんぞいはんや しょしゃ りゃく ともがら 凡 そ 此 の 経 の 大 意 は讒 間 一 仏 名 号 則 苦 海 波 浪 を 渡 り 四 徳 楽 岸 に 趣 き聊 渇 を 見 る 一 礼 則 ち の み ちなみ もっ くやく なり 宝殿三世利楽天窓功徳 余薫十方に遍満し横竪に矣伏して永歳有縁善侶の を うれい 一千葉を速登し台上見聞功徳豈爾嘯かんや 何 况 誦持礼拝書写秝画 及び供養輩遊 戯吉祥稱嘆 す ねがう 願 一仏一礼真文を唱え真如を開く 俗名八十歩邑石附氏女 行遍 花押 七十五歳画 花押 八十有一翁利久書 花押 法性の月宮同種仏樹分茎而巳 因に裏書を以て其の功益を讃記する者也 勅許法印藤原豊澄水谷景南 無品親王聖護院宮御近侍難波大和守 画師 御室御所兼住侶大護院室当山六十四世大僧都 仏名経執筆 吹挙 蓮室恵鏡法尼 俗名宮森新邑孫右衛門妻 花押 法名 姿鳳瑩見大姉 順遍代 法名 当山六十三葉求法阿闍梨 時 ときに 寛政二暦星宿庚戊秋九月摩尼日 施財寄主 73 絹著色 一幅 縦一七五 〇 横一五〇 五 三 千 仏 と は 過 去 現 在 未 来 に 出 現 す る 三 千 の 仏 の こ と で あ る 三 千 仏 礼 拝 行 は 尊 な ど に 向 か っ て 己 の 過 ちを告白して懺悔する人々を救済する た め の 悔 過 法 要 で あ る 通 常 歳 末 の 行 事である 僧 が す べ て の 人 の 罪 を 被 り 罪 を 犯 し た 人 々 の か わ り に 懺 悔 す る 苦 行 で 過 去 現 在 未 来 の 三 千 の 仏 様 の お 名 前 を 唱 え て 五 体 投 地 礼 を 行 う そ し て仏名経は諸仏の名前を集めた経典で 五 種 類 が 知 ら れ て い る 千 光 寺 で も こ の行事が今でも行われている 図 の 大 き く 緻 密 に 記 さ れ た 仏 名 な ど 壮 観 で あ る が 裏 に は 施 主 住 職名 書家名 作成年月日等が記され 歴史資料としても貴重である Ot

76 五智如来像木造金箔五軀(各)幅六五 〇~七五 〇奥行五五 〇~七五 〇高さ一二〇 〇~一四五 〇千光寺の現在の堂は宝暦元年(一七五一)に建立されているが そこの中央に安置されているのが五智如来である 密教で大日如来のそなえる五つの智恵を 五つの如来に当てはめたもので 金剛頂経 の説く大日如来(中心) 阿閦如来(東方) 宝生如来(南方) 阿弥陀如来(西方) 不空成就如来(北方) これら金剛界五仏を五智如来と称されている 金胎不離 の思想に基づき 中央に胎蔵界の仏像を安置している 千光寺にとって重要な御尊である (Ot )74

77 観世音菩薩立像 前立観音 族のみなりを基とし 豪華な装身具で 木造金箔 一軀 体一五 〇 一五 〇 四五 〇 台座三〇 〇 三〇 〇 四九 〇 飾りたてる 平安時代以降 諸種の観音 観音像と称するようになった 像は 頭上に宝冠をいただき その正面に阿 千光寺の前立観音で 同寺の秘仏に似せ 弥陀仏をつける 身には条帛 裳をつけ 真言 天台両宗の密教では 諸尊諸天 た立派な仏像である 高い台座を持ち 像に対して一面二臂の観音像を聖 正 が多様化し 特に菩薩部の最高位に立つ 下部に 釈尼妙樹菩提施主栴檀野村永田 瓔珞等で飾り 蓮華座に立つ 観 音 像 は 多 岐 に わ た る す べ て の 衆 生 又郎 の刻字がある を救う現世利益の菩薩であり 釈迦が悟 75 りを開く前の姿 つまり古代インドの王 Mt

78 大だいだんぐ壇具 四しめんき面器一具法具一式(壇具)縦一四七 五横一四七 五密教寺院では 願いごとなどの成就をはかるため 加持祈祷などの儀式をおこない 堂内陣に祭壇を設ける 祭壇には古代インドの生活用具や武器の形から生まれた数々の密教法具が安置され これを大壇具と称する これはまた大曼荼羅供ともいわれ 法具のほとんどを用いる格的な壇具である 他に護ごまだんぐ摩壇供や密壇具などがある 密教法具には 杵の形をして 両端に鋭い刃をつけた 金こんごうしょ剛杵 や 金剛杵の一方の把とって手に鈴をつけた形で 鈴音で仏を喜ばせる 金こんごうれい剛鈴 のほか独特の形の法具がある 空海が中国から請来したものに因っており 平安時代以降に発達した 大壇具上の四つの辺に金剛鈴 金剛盤 五ごこしょ鈷杵などを配置したものが四面器である (Mt )76

79 け まん 華鬘 け こ 華籠 びんづるそんじゃ 賓頭盧尊者 木造漆塗 一軀 横幅七二 〇 二具 金銅透彫 奥行四七 〇 二具 金銅透彫 径二三 五 二六 五 の 関 係 を 知 る こ と が で き る ほ か に 牛 賓頭慮尊者はお釈迦さまの正法を伝える十六羅漢の一人 玉 で神通力が強い人だったと言われている 病人が自分の患 木 つては尼寺にあった賓頭慮尊者が置かれている 今回展示する賓頭慮尊者は観音堂にあるが 客殿にはか 撫仏とも呼ばれている なで 部 と 同 じ と こ ろ を 撫 で る と 病 気 が 治 る と い う 信 仰 が あ り 布などで作られたものも 像高七五 〇 縦三九 七 四七 五 横二一 七 二六 五 室内の荘厳具 仏殿内の装飾 の一つ らんま 欄 間 に か け る 元 来 は 生 皮 なげし 内陣の長押 ある 華 籠 は 散 華 に 用 い ら れ る 花 を 入 れ 花 を 連 ね て 飾 り 仏 を 供 養 し た が の ちに恒久的な装具として作られるよう る 器 散 華 と は 紙 製 の 五 色 の 蓮 華 の 花 弁 を ま き 散 ら す 法 会 の こ と で 古 く は 竹 製 の 籠 の ち 多 く 金 属 製 の 透 彫 を Oy になる 平 安 時 代 以 降 は 団 扇 形 と な り こ れ すかしぼり は 金 銅 板 に 蓮 と 菊 の 模 様 を 透 彫 し て 垂 飾 を さ げ る 中 央 施 し た 皿 形 で 下 に 飾 り 紐 を つ け る 総角形 吊金具 77 に 剣 梅 鉢 紋 が 配 さ れ 加 賀 藩 と 千 光 寺 Mt

80 県内の公立美術館では平成五年(一九九三)に高岡市立博物館で 越中古寺の至宝特別展千光寺の文化財 が開催されてから二十一年ぶりの千光寺展が砺波市の公立施設三館で開催される 二〇一四年のこの秋 県内では砺波市出身の洋画家藤森兼明氏の大々的な展覧会が富山県立近代美術館 西田美術館 富山大和で開催される ささやかながら当館でも金沢美術工芸大学に蔵されるアーカイブより 氏のデッサン十五点を陳列する計画である 密教美術を多数蔵する 開基より一三一一年の歴史を有する古刹千光寺と テーマ性を絵の根幹に 清麗な人物とビザンチン聖者を据えた宗教画を旨とする砺波市出身の洋画家 平成二十六年の秋は砺波ゆかりの美を堪能しうる年として記憶されるのではないか 美術館に勤める者としてそんな期待も抱かせるのである ところで 展 越中真言の古刹芹谷山千光寺展 であるが 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアム 砺波市美術館と三館共同企画展として開催される これは展が最初ではない これら三館で二〇一〇年十一月に 砺波の真宗風土 展で同じ方式で行っている 従来行ったワーキンググループ方式で展覧会を進めた ワーキンググループとは簡単にいえば実働班といえようか それぞれの美術館の得意とする分野や蓄積を効果的にするために小西竹文館長(当時)により考えられた 枠組みの異なる三館ではあるが 千光寺展を成功させようという動機は一つであり ゆえに実現はスムーズだった 砺波市合併一〇周年を記念して開催できたことは時の巡りあわせとはいえ真に喜ばしい 展覧会のきっかけは前述の 真宗風土 展の成果が弾みとなった 二〇一一年四月の反省会で 飯田敏雄実行委員長はじめ大方のメンバーの好評の声にそれは示された またその席上 千光寺展 が開催できたらという要望もあった その後 各施設で人事異動があるなど メンバーに多少の変化があったが 四年後こうして開催の運びとなった ワーキング自体は二〇一二年に検討委員会を立ち上げているので実に二年に亘り 一〇回余りのワーキングを行った 内容としては 小野田館長が言及されているように勉強会で 白状すれば 学の不足している小生のような者に差し伸べられた思いやりだったのだが 千光寺を学ぶための基礎伝授というものだった 尾田武雄千光寺展実行委員長 そしてメンバーからの推薦を受けたさまざまな分野の専門家を招聘してミニ レクチャーを賜った レクチャーは一時間程度 その後 講師とメンバーによるブレインストーミング 砺波土蔵の会で鍛えられた方も多数メンバーに加わっていらして 会話から滲み出るその博識に舌をまき 一言一句を書き留めようと用意してあったレジュメは幾度もメモ書きでまっ黒となった ある時 ICレコーダーで録音すればいいのでは とも考えたが 録音が気になって話の勢いが削がれると感じ敢えてしなかった メモを起こすなどして自主勉強 果たして少しは追い付けたであろうか 講師の方々の話はどの話も興味深く いずれも眼から鱗が落ちる連続であった ほんのささやかな菓子折りのお礼では割に合わぬぐらいで恐縮している それを支えたのはメンバーの熱気であろうか 皆さんの熱気に援たすけられた格好である 千光寺展ワーキンググループ 経過報告にかえて砺波市美術館学芸員末永忠宏78

81 経過報告 平成二十四年 九日 六月二十八日 八月 六日 六日 十一月 五月 六月 八月 一日 三日 七日 六月十四日 七月 五日 九月 九月 九月二十九 三十日 十月 三日 十一月十四日 八月 七日 四日 七月二十五日 八月 八月二十二日 一部敬称略 千光寺展の概要及び図録編集を協議 第八回千光寺展ワーキンググループ開催 第三十八回郷土先人展 芹谷山千光寺と法道仙人展 安カ川恵子氏 第九回千光寺展ワーキンググループ開催 千光寺の古書 概要と特徴 講師 氷見市立図書館 氷見市史資料整理室 森越 博氏 第一回千光寺展実行委員会開催 砺波郷土資料館では 第三十八回 郷土先人展 芹谷山 千光寺と法道仙人展 となみ散居村ミュージアムでは 千光寺の四季写真展 当館では 砺波市合併一〇周年記念 越中真言の古刹 芹谷山 千光寺の至宝 展が提案され 承認 第一〇回千光寺展ワーキンググループ開催 帝塚山大学准教授 杉﨑貴英氏を囲む千光寺調査を行う 安念住職 杉﨑准教授を囲んで千光寺ワーキンググループ 79 砺波市美術館で千光寺展を立案 学芸会議で承認を得る 千光寺を訪問 平成二十六年度企画展として開催を打診 小野田館長 末永 千光寺 仁王像解体修復のため園城寺へ輸送 翌年三月まで修理の見込み 当時 千光寺を訪問 平成二十六年十一月開催希望を伝える 末永 千光寺展実行委員会準備委員会 会場 砺波市美術館 出席 尾田 松田 高原 安カ川 白江 小野田 末永 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアム 当館の三 館共同企画とし 以後 千光寺展ワーキンググループで 定期的に開催を約束 名越仁功さん宅訪問 実行委員の委嘱を願う 小野田 末永 第一回千光寺展ワーキンググループ 千光寺及び千光寺周辺を探訪 尾田武雄氏担当 出席 尾田 松田 渡辺 白江 小野田 末永 第二回千光寺展ワーキンググループを開催 会場 砺波市美術館 第一回ワーキング報告 担当 末永 出席 尾田 渡辺 白江 野原 小野田 末永 フォトクラブとなみ野に 千光寺の四季 の撮影を依頼 第三回千光寺展ワーキンググループを開催 会場 砺波市美術館 千光寺について 講師 芹谷山 千光寺住職 安念道雄師 小野田館長 末永 園城寺 三井寺 にて 修復中の千光寺仁王像を見舞う研修旅行に参加 第四回千光寺展ワーキンググループを開催 会場 砺波市美術館 真言宗について 講師 日照院住職 高野山山布教師 糸数寛宏師 第五回千光寺展ワーキンググループを開催 会場 砺波市美術館 千光寺の縁起とその歴史 尾田武雄氏 平成二十六年 三月二十五日 第六回千光寺展ワーキンググループ開催 今後の進め方について協議 石丸正運氏と面談 第七回千光寺展ワーキンググループ開催 四月十一日 五月三十日

82 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアム 砺波市美術館共同企画展砺波市合併10 周年記念越中真言の古刹芹谷山千光寺展出品目録番号指定分野名称作者時代制作年展示会場材質形状員数寸法(センチメートル)図録掲載頁美資ミ県指絵画絹著色大威徳明王図 絹著色一幅一二六 五 六七 五17 県指絵画絹著色両界曼荼羅図鎌倉時代 絹著色二幅対(各)八八 六 七四 〇18-19 絵画弘法大師像室町時代 絹著色一幅七九 〇 四〇 〇25 絵画真言八祖像室町時代 絹著色二幅対(各)九九 五 三八 五26 絵画高野四社明神像室町時代 絹著色一幅一〇〇 〇 四〇 〇27 絵画金剛界大日如来坐像 紙著色一幅一二一 〇 五二 一28 絵画不動明王坐像 紙著色一幅一三七 〇 七四 〇29 絵画五大明王像室町-桃山時代 絹著色一幅七三 五 三八 〇30 絵画波切不動明王立像室町時代 絹著色一幅九〇 〇 三七 〇31 絵画鉄塔愛染明王像 紙著色一幅一〇五 五 四二 〇32 絵画三宝大荒神像 絹著色一幅九一 五 三四 六33 絵画釈迦三尊像室町時代 絹著色一幅九三 〇 三九 四34 絵画釈迦十六善神像 絹著色一幅一〇〇 二 五二 三35 絵画薬師三尊像 絹著色一幅九六 八 三七 九36 絵画阿弥陀三尊来迎図桃山時代 絹著色一幅八九 五 三九 〇37 絵画十二天像 絹著色十二幅対(各)九六 〇 三四 〇38-39 絵画仏涅槃図 絹著色一幅一八九 七 一五八 〇40 絵画地獄図 紙著色二幅対(各)一七八 〇 九六 五41 絵画両界曼荼羅図 絹著色二幅対(各)一五五 五 一四六 五42-43 絵画敷曼荼羅図江戸時代嘉永六年(一八五三) 絹著色二幅対(各)一二七 五 一三〇 〇44-45 絵画三千仏名 絹著色一幅一七五 〇 一五〇 五73 絵画千光寺 観音の光前田常作現代平成十八年(二〇〇六) リトグラフ額一面五三 五 三九 五72 彫刻愛染明王坐像 木造彩色一軀像高二八 〇厨子二六 〇 二二 〇 四〇 〇49 彫刻増長天立像 木造彩色一軀三〇 〇 五五 〇 八五 〇50 彫刻多聞天立像 木造彩色一軀三〇 〇 五五 〇 九〇 〇50 彫刻閻魔王坐像 木彫彩色一軀一一〇 〇 七五 〇 一三〇 〇51 彫刻法道上人倚像木造彩色一軀三六 〇 五五 〇 一一六 〇総高一三〇 〇55 彫刻弘法大師坐像江戸時代文政十一年(一八二八) 石造一軀三〇 〇 二五 〇 四二 〇72 彫刻五智如来像 木造金箔五軀(各)六五 〇 七五 〇 五五 〇 七五 〇 一二〇 〇 一四五 〇74 彫刻観世音菩薩立像(前立観音) 木造金箔一軀像高一五 〇 一五 〇 四五 〇台座三〇 〇 三〇 〇 四九 〇75 彫刻賓頭盧尊者 木造漆塗一躯七二 〇 四七 〇 七五 〇77 書跡秀吉禁制安土桃山時代天正十八年(一五九〇) 紙墨書一面四四 五 六五 〇58 書跡前田利長公消息 紙墨書三幅(各)三五 七 五二 〇58-59 法具四面器 密教法具一式二三 五 一六 五76 法具華鬘 金銅透彫二具三九 七 四七 五 二一 七 二六 五77 法具華籠江戸時代文政五年(一八二二) 金銅透彫二具径二三 五 二六 五77 文書千光寺縁起江戸時代享保十一年(一七二六) 紙墨書一巻三二 〇 五六五 〇56 古書法華三大部私記 古書(古活字)二冊(各)二五 七 一八 二62 古書禅客鸞徒破会評決空遍 古書(孤)一冊二五 七 一八 二62 古書地蔵菩薩応験新記江戸時代元禄十五年(一七〇二) 古書(稀覯)六冊(各)二五 七 一八 二62 古書般若台書籍目録江戸時代寛政四年(一七九二) 紙墨書一冊二五 七 一八 二63 経典大般若経六百巻 折大函十二納一式(各)二七 七 八 五63 写真千光寺の四季写真川フォトクラブとなみ野堰あけみ現代平成二十六年(二〇一四) カラープリント二十五点四五 七 五六 〇66-69 写真となみ野古寺愛歌より安念余志子現代平成二十年(二〇〇八) カラープリント十点四五 七 五六 〇表紙考古資料芹谷下大門遺跡出土遺物 土師器 珠洲等一式考古資料芹谷出土の古銭 銅銭一式計器伏角計 プラスチック等一点 一部略記した箇所がございます 各会場にて 詳細な目録をご提供いたします80

83 一八七二 一八七三 一八七六 一八八八 一八九六 一九〇八 一九一三 一九一五 一九二五 一九四七 一九五五 一九六五 一九六九 一九七三 一九七五 一九七八 一九八一 一九八八 一九九一 一九九六 二〇〇〇 二〇〇六 二〇〇九 一五九〇 豊臣秀吉の朱印状あり 一六〇九 加賀藩二代藩主利長から祈祷礼状を受ける 一六一七 加賀藩 禁制を下す 一六一八 火災により伽藍什宝焼失 一六二九 御開帳 一六三一 芹谷村肝煎宅火災により 利長の観音山寄進の文書焼失 一六四六 犬千代 のちの綱紀 疱瘡について祈祷礼状あり 一六五〇 寄進山拝領の由来を届ける 一六六三 観音寄進山の新開を願い出る 一六七六 梵鐘鋳造 一六八三 真言宗の奥義 相承奥旨 を空遍が書写する 一六八五 由緒書に寺の開基は円徳とあり 一六八七 芹谷野用水開削にて寄進山の新開を願い出る 一七二七 御開帳 縁起に初めて法道の開基とあり 一七二八 一〇三石余の田地を所持 一七四四 観音道 の石塔建立 一七四六 弘法大師伝記絵作成 一七六〇 観音堂建立 一七六五 六代藩主吉徳妻浄珠院が金燈籠一対寄進 一七八二 弘法大師九五〇回忌法要 一七八六 境内に宝篋印塔建立 一七九二 書籍目録作成 一七九七 山門建立 十六羅漢安置 一七九九 金屋岩黒村に不吹堂造立 一八一〇 十一代藩主治脩妻法梁院が袈裟を寄進 一八一九 観音堂再建 一八二五 拝領山と周辺村の領地を明確にするための絵図を作成 一八四一 弘法大師壱千回忌法要 一八四五 御開帳 一八五三 両界曼荼羅寄進 一八六六 観音堂屋根改修 一八六九 神仏分離により 八幡社 五社権現を 芹谷村産土神として村中へ奉遷 芹谷村 徳万村など五か村で八七石余を所持 拝領山が払い下げになり買い入れる 御開帳 什器帳作成 新座敷建築 御開帳 銅造法道像の寄進 のちに戦時供出 財産引継書作成 山門屋根ふきかえ 御開帳 戦没者大法要 平和観音像建立 銅造観世音菩薩立像 県指定文化財となる 植樹祭に昭和天皇 皇后両陛下御休息 御開帳 梵鐘新鋳 千光寺観音堂 県指定文化財となる 観音堂改修 大威徳明王図 両界曼荼羅図 県指定文化財となる 鐘楼堂建立 千光寺御幸門 市指定文化財となる 客殿屋根落慶法要 千光寺山門 書院 市指定文化財となる 御開帳 千光寺土蔵 市指定文化財となる 千光寺の大祖が法道 第二世が智徳 ともに石動山の開基伝承を持ち 播磨国の陰陽道の祖とされる 関連年表 天正一八年 慶長一四年 元和 三年 元和 四年 寛永 六年 寛永 八年 正保 三年 慶安 三年 寛文 三年 延宝 四年 天和 三年 貞享 二年 貞享 四年 享保一二年 享保一三年 延享 元年 延享 三年 宝暦一〇年 明和 二年 天明 二年 天明 六年 寛政 四年 寛政 九年 寛政一一年 文化 七年 文政 二年 文政 八年 天保一二年 弘化 二年 嘉永 六年 慶応 二年 明治 二年 明治 五年 明治 六年 明治 九年 明治二一年 明治二九年 明治四一年 大正 二年 大正 四年 大正一四年 昭和二二年 昭和三〇年 昭和四〇年 昭和四四年 昭和四八年 昭和五〇年 昭和五三年 昭和五六年 昭和六三年 平成 三年 平成 八年 平成一二年 平成一八年 平成二一年 歴代住職 金 子容士氏作成に一部加筆しました 81

84 図 5. 千光寺と建物の方位実線は真北の方向, 破線は磁北の方向. 地中レーダ探査で 82

85 83

86 84

87 印 85

88 86

89 鈴木 87 碧

90 砺波郷土資料館 となみ散居村ミュージアム 砺波市美術館共同企画展越中真言の古刹芹谷山千光寺展編集千光寺展ワーキンググループ尾田武雄(砺波市文化財保護審議会委員)松田憲(NPO法人砺波土蔵の会理事)髙原徹(砺波郷土資料館館長)安カ川恵子(砺波郷土資料館主任学芸員)渡辺礼子(砺波郷土資料館学芸員)白江秋広(となみ散居村ミュージアム館長)野原大輔(砺波市教育委員会生涯学習 スポーツ課主任)小野田裕司(砺波市美術館館長)末永忠宏(砺波市美術館学芸員)長田里恵(砺波市美術館学芸員) 九三九 一三八三富山県砺波市高道一四五番地一電話〇七六三 三二 一〇〇一製作株式会社トーザワ発行千光寺展実行委員会C二〇一四編集後記恥ずかしいことだが 千光寺を意識したのは 平成九年に砺波市美術館に勤めてからである 学ばせてもらって二十年にも満たない 当時館長でいらした石丸氏のご実家であると伺ってからのことだ マイカー持ちの身としては国道三五九号線からアクセスしやすいこともあって同寺で開かれる文化財展や 初詣で参拝させてもらうなど折にふれ接し 間接的ながら身近に接する幸運に恵まれた そして これら密教美術は代々伝えられている先人の尽力はもちろんだが 近年同寺関係の方々によって精力的に修復がなされていることが大きい その修復も古来の手法を尊重しながら 実に丁寧な処置が行われている 山門の仁王像を修復する院を二度訪れ その仕事を拝見させて頂く機会も得られた 各氏の論考にもあるように 同寺は 山門 堂 書院などの建築においても見るべきものが多い(観音堂と殿をつなぐ回廊は和算を使用 書院は貴重な部材が結集しており 現在では再現が困難とされる) 参道から堂へと至るアプローチは実にすばらしい かけがえのないものであると認識する 芹谷山千光寺に多くの方が訪れ その美に触れて頂きたい (Mt )謝辞展覧会を開催するにあたり 千光寺をはじめ 貴重な法宝物をご貸与くださいました所蔵者の方々 ならびに展覧会実現のためにご協力いただきました関係諸機関および個人の方々に対し 心から御礼申し上げます 安念道雄安念有聲安念余志子石丸正運泉吉紀糸数寛宏上野幸夫風間耕司金子容士川口圭太川堰あけみ酒井英男晒谷和子杉﨑貴英鈴木碧鈴木景二高橋敦中埜貴元鶴巻登志広鶴巻弘文中村晋也名越仁功西井龍儀仁ヶ竹亮介藤井建二藤田慎一松岡達子森越博山秀一吉水友香富山大学金沢学院大学高岡市立博物館(五十音順 敬称略)88

91

92

ごあいさつ

ごあいさつ ( 浅 利 氏 ) 檜 山 安 東 氏 脇 本 湊 戸 沢 氏 角 館 赤 尾 津 氏 岩 屋 氏 本 堂 氏 六 郷 氏 内 越 氏 石 沢 氏 滝 沢 氏 仁 賀 保 氏 祢 々 井 氏 矢 島 氏 下 村 氏 小 野 寺 氏 横 手 ごあいさつ 秋 田 藩 家 蔵 文 書 歴 史 上 の 人 物 と 秋 田 秋 田 藩 家 蔵 文 書 に 見 る 秋 田 の 戦 国 時 代 戦 国 時 代

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