http://www.syahokyo-akita.jp http://www.nenkin.go.jp/http://www.e-gov.go.jp/ http://www.kyoukaikenpo.or.jp/
日本年金機構からのお知らせ 知っていますか 国民年金保険料の免除 猶予制度 保険料免除 納付猶予制度とは ƕ ݲ ƳƍƳƲŴ ᨖ ǛኛNJǔƜƱƕኺฎႎƴ ᩊƳ ئ ӳƴƹŵ ᨖ Ʒኛ ƕžβᨊſljƨƹž ʖſƞǕ ǔсࡇƕƌǔljƣŵ è本人の申請ƕ ᙲưƢ Ĭ免除 全額免除 一部免除 申請 ஜʴŴɭ ɼŴᣐ ᎍƷЭ ƕɟ ܭ ˌɦƷ ئ ӳƴŵ ᨖ Ʒኛ ƕμ βᨊljƨƹɟᢿβᨊ ƱƳǓLJƢŵ ƳƓŴɟᢿβᨊƸŴɟᢿኛ ᨖ Ǜኛ ƠƳƍ Ʊசኛ ᧓ƱƳǓLJƢƷưŴ ƣኛ ƠƯƘƩƞ ƍŵ ĭ 若年者納付猶予申請 免除を受けるための 所得 の目安 Ƃҥˮ ɢόƃ βᨊʒᆔ ʴɭ Ɲ پ ŴƓ ƞǜ ʴƷ ئ ӳ ʴɭ Ɲ پ ƷLjƷ ئ ӳ ബச Ʒ ưŵஜʴŵᣐ ᎍƷЭ ƕɟ ܭ ˌɦƷ ئ ӳƴŵဎᛪ ዓƖǛƢǔƜƱƴǑǓ ᨖ Ʒኛ ƕ ʖƞǕLJƢŵ è学生の方は ܖ ဃƷ ưஜʴʒ ƕɟ ܭ ˌɦƷ ئ ӳƴƹŵ ဎᛪ ዓƖǛƢǔƜƱƴǑǓŴ ᨖ Ʒኛ ƕ ʖƞǕǔ ܖ ဃኛ ཎ СࡇǛМဇƢǔƜƱƕưƖ LJƢŵ ɥᚡĭŵĭƹဎᛪưɩljƥǜ ҥ៲ɭ ɟᢿβᨊ μ βᨊ ᒉ ᎍኛ ʖ ɭ ನ βᨊ Ҟ βᨊ βᨊ ϋƹӓλ è ɥᚡƹ แႎƳȢȇȫǛNjƱƴᚘምƠƯƍLJƢŵ Ʒᆔ Ǎ ᨊ ƳƲƴǑƬƯŴႸ ܤ Ʒ ር ϋưNjβ ᨊƴᛆ ƠƳƍ ئ ӳNjɲɵƍljƣʒưŵɲʕ১ƙʃƞƍŵ 将来の年金額は βᨊƕ১ᛐƞǖƨ ᧓ƴƭƍƯƸŴμ ኛ Ơƨ ئ ӳ Ʊ ǂŴᎊᱫ ᄽ Ƹӫ ƷƱƓǓƴƳǓLJƢŵ Ŧ உˌЭƷβᨊ ᧓ƸŴˌɦƷƱƓǓ ӫ ƷлӳƱƸ ƳǓLJƢŵ μ ኛ μ βᨊ βᨊ Ҟ βᨊää ЎƷ βᨊää μ βᨊää ЎƷ βᨊää 受 け 取 る 年 金 額 の 割 合 Ҟ βᨊ βᨊ 免除期間の保険料は あとから納めることができます ݩ ஹӖƚӕǔ ǛᙀƏƨNJƴŴ10 年以内ưƋǕƹŴƋƱƔǒ ᨖ ǛኛNJǔƜƱ ᡙኛ ƕưɩlj ƢŵᡙኛǛƢǔƱŴ年金額の減少が解消ƞǕLJƢŵ Ŧ βᨊሁʒ১ᛐǜӗƚƨ ᧓Ʒ፻ ࡇƔǒૠƑƯ ࡇႸˌᨀƴᡙኛǛƢǔ ئ ӳƹŵ Ʒ ᨖ ƴɟ ܭ Ʒьም ƕɥʈƥƞǖljƣŵ Ŧ ᎊᱫ ᄽ ǛӖƚӕƬƯƍǔ ƸᡙኛƢǔƜƱƕưƖLJƤǜŵ 過去2 年までさかのぼって免除申請ができます உǑǓŴᢅӊ ဎᛪஉƷ ǫஉэʒஉў LJưβᨊǛဎᛪưƖǔǑƏƴƳǓLJƠƨŵ ᢅӊ ᧓ƴ ᨖ Ʒசኛ ᧓ƕƋǔ ƸŴƓᡈƘƷ ʙѦ ǁƓբƍӳǘƤƘƩƞƍŵ 詳細につきましては管轄の年金事務所( 国民年金担当 までお問い合わせください ᅸဋ ʙѦ ᰛߺ ʙѦ ٻ ʙѦ ஜᒱ ʙѦ 2 社会保険あきた 26年8 9月
3 それは一通の封書から始まった 今から五年前のことである 一人暮らしをしている母に手紙が届いた 八十六歳だった母は 見慣れぬ茶封筒を差し出しながら言った コレ 今 はやりのオレオレ詐欺だと思うんやけど え!とうとうお母さんのところにまで来たの? どれどれと手に取ってみると 表書きに赤い印刷文字で 年金加入記録のお知らせです とある 何らかの書類を出したら 貰い損ねていた年金をくれるらしい 差出人は社会保険庁 ねんきん特別便専用ダイヤル なる電話番号も記載され これが オレオレ詐欺 というのなら入念な仕上がりである よくよく読んでみると 社会保険業務センターが所持する古い年金加入記録に母の名前が見つかったと書かれている 雇い主は 県食糧営團 である お母さんが若い頃に勤めていたところが 厚生年金をかけてくれてたみたいよ と言うと 母は そんなん覚えがない と笑っている 若かりし頃の母が勤務していた 営團 は 第二次世界大戦中に国家統制の必要性から設立されただけに年金等の事務管理もきちんとなされていたようだ 取りあえずは回答葉書を出してみようよと軽い気持ちで投函した 一か月前後で返事が貰えるということだったが それから実際に母が年金を手にするには まだまだ長い日々が掛かることになった 確認をとるために年金事務所へ電話をかけても 殆ど一日中 電話は繋がらなかった 業を煮やした私が直接 年金事務所へ出かけてみると 事務所には椅子に座れないほどの人があふれ ここでも待ち時間の長さにうんざりした これでは母が生きているうちに 年金が貰えるのだろうかと心配になってくる 一方で この思いがけない通知は 私たち親子にちょっと楽しみをもたらした 当の本人さえ忘れていた昔の記憶を辿ることで 母と会話する時間が増えていったのである 父母は 昭和十九年に結婚した たった一枚残る写真には 角隠しに自分で縫い上げた黒留袖を着た花嫁と その傍らに軍服姿の父が写っている 父二十九歳 母二十三歳の時のことである 父が遺した自分史をひもとくと 戦地部隊に結婚願を出した父は 御用船で一時帰国している この船は兵隊を降ろした後 引き返す途中で潜水艦攻撃を受けて沈没 危うく難を逃れた父は 十一日間だけ母と暮らし また戦地へと旅立った 自分史の中で父は それは家内にとっても私にとっても大きな賭けであった と記している 夫婦が生きて再会できるのかどうか 母が戦争未亡人になる可能性は大きかったのである 実際にその後 終戦を迎えても父の生死はわからなかった 終戦の翌年になって 突然 父が故郷の家の前に立つまでの二年余り 母はどんな思いで父の帰りを待っていたのだろう その頃に薦めてくれる人があって 食糧営團 へ勤め始めたのである 当時の配給制度は複雑多岐に渡り 米麦のほか雑穀 馬鈴薯 麺類にパン等々と細かく分かれている 家族数や年齢によっても違ってくる 早朝から帳簿と首っ引きで調べ算盤をはじいても 暗くなるまで村民の列が途切れることはなかった 誰にでも出来る仕事ではない 川向こうの町から嫁に来た身では ずいぶんと気を遣う仕事だったはずだ 若く美しい母の写真を眺めながら昔語りに耳を傾けていると そういえば祖父ちゃんも営團に勤めていた と言い出した 出産を期に 母の代わりに父が雇われ営團の仕事をひき継いだという話は聞いたことがある しかし 既に父は他界している 年金のイロハも知らない私の質問に 年金事務所の職員さんは実に丁寧に応えてくれた このときの対応がなければ 役場や法務局へ出かけて書類集めをする気力は続かなかっただろうと今も感謝している 書類を揃え 手順を踏んで調べて貰うと確かに父の厚生年金は存在していた 生前に貰えなかった父の年金を遺族年金として貰うこともできるらしい その場合 母の年金は半額支給となる 金額は僅かの違いであったが 母は遺族年金を貰う方を選んだ 母にとって この年金には 亡き夫との苦しかったけれど 充実していた頃の想い出が添えられているに違いない 後年 戦場では一瞬の差で生死が別れることも多かった と話していた父の口癖は 最高です! と 私は運が良かった だった 遺族年金を遺した父は 確かに運が良かったのだ 祖父ちゃんのお陰じゃ と喜んだ母は いただいた年金を娘二人と孫達にまで分け与えてくれた 長い時間が掛かったが 地道な作業で老父母の年金を捜し出してくれた日本年金機構は 私たち家族に父の笑顔を思い出させてくれた 父の遺した遺族年金は ともに生き共に苦労した母への 最高の贈り物 になったのである 現在 母は九十一歳 今も元気で晴耕雨読の日々である
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0% 20% 40% 60% 80% 100% 58.2 35.3 5.0 1.4 0% 20% 40% 60% 80% 100% 24.0 45.4 9.0 9.3 7.4 1.8 3.1 018-883-1841 5
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