ちようてい朝廷では とらいじん渡来人を重く用いて進んだ技術をとり入れ, 勢力を増しそがごうぞくた蘇我氏が, 他の豪族をけんりよくおさえて権力をにぎった 地方では ごうぞく豪族たちが自分の土地を自由に治め, さらに勢力をのばそうとして, たがいにあらそつ争っていた せいとく聖徳太子は ごうぞくそが豪族たちの争いをおさえて, 蘇我てんのう氏と協力しながら 天皇中心の国家をつくろうと考えた しょうとくそがこうしつ しかし, 聖徳太子が死ぬと, 再び蘇我氏が政治にぎり, 皇室と 対立するようになった そして大化の改新が起きた - 1/19 -
けんぽう十七条の憲法の, 初めの条文は以下の通りである とうと 第一に, たがいに親しくすることが貴いことである 争いは起こさないようにしなさい たからうやまたから 第二に,3つの宝を心から敬いなさい 3つの宝とは仏, そう仏の教えと, 仏につかえる僧のことである 第三に, 天皇の命令は必ず守りなさい てんのう - 2/19 -
仏教は, 新しい大陸文化として日本人の心をとらえた なにが新しかったのか? ごくらく死後の世界 ( 極楽 ) の教え 仏をおがめば, 今は苦しくても 死後は幸せになれる ごくらく 仏や極楽を表すきらびやかな絵 どきよう はなやかな音楽のような読経 仏教は, 当時の人々にとって目新しいものばかりだった - 3/19 -
てんのう 天皇中心の国家づくりを目指し, 大化の改新のもとをつくった 仏教を重く用いて, 日本で仏教 文化がさかんになる道を開いた ずい 随に使いを送って大陸との新しい 外交関係を開くとともに, 大陸の 制度や文化を学ぶ機会をつくった - 4/19 -
ならなら 奈良に都がおかれていた時代 奈良時代 とう 710 年中国 唐 の都長安にならって, ならへいじようきよう奈良の都 = 平城京がつくられた へいじようきようきぞく平城京で, 貴族やそう僧はぜいたくにくらした なら奈良時代の中ごろは, ききんが続き悪い病気も流行した きぞくそうみだれてまた, 貴族や僧のあいだで争いがおこり, 世の中が乱れてきた このころ, 仏教には国を治め安らかにする力があると信てんのうじられ, 天皇は仏教によって世の中を平和にしようとした しかし農民は この考えから, 全国に国分寺, 東大寺が建てられた へいじようきよう 平城京や国分寺づくりの費用としてたくさんの税をはらわされた へいじようきよう 平城京や国分寺づくりのため重い労働をさせられた つらく貧しい生活をしていた - 5/19 -
りつりようりつ 律令政治とは, 律と令にもとづいた政治のこと りつけいばつしよ律 犯罪や刑罰に処する法 国家や目上の人への犯罪は, ばつ特にきびしく罰した 令 政治を行うための基本となる法 役人の制度や土地の制度など 645 年大化の改新 とうりつりようりつりよう唐のしくみにならってさまざまな律令がつくられ, 律令政治が始まる 公地公民制 国郡里制 はんでんしゆうじゆ 班田収授の法 そようちよう 租庸調の税制 政治に仕組みが整い, りつりようもとてんのう律令に基づいた天皇中心の政治が進められた たいほうりつりよう 710 年大宝律令 りつこれまでに定められた律や令をまとめてつくられた - 6/19 -
あすかてんぴよう飛鳥文化 天平文化 時代 6 世紀末 ~7 世紀中ごろ 8 世紀 しょうとくしょうむてんのう 聖徳太子が飛鳥地方で政治 を行っていたころ 聖武天皇が在位していた天平年間 が中心 特色中国 インド ギリシアな中国 ( 唐とう ) の影響を強く受けたえいきよう, 有名な えいきようきぞくそうど, 遠い大陸の影響を受け貴族 僧を中心とする仏教文化 た仏教文化 ほうりゆうじ法隆寺 ( 世界最古の, 木造 東大寺 もの建築 ) 正倉院 ( 東大寺の宝庫 ) 古事記 ほう こ - 7/19 -
何年で完成? 9 年 てんのうだ天皇が大仏をつくるように命令を出したのは,743 年 こうはい大仏の完成式を行ったのは752 年 光背 ( 像の後ろにあ る円形のかぎり ) ができたのは,771 年になってからだ った 使われた銅の量は? 500t 10t トラックで 50 台分 使われた金の量は? 440kg 金はとてもよくのびる金属で, 大仏に ぬられている だしょうむてんのう命令を出した聖武天皇は, 大仏が完成する前に なくなった - 8/19 -
るしい生 天候不順でききんが起こる く岩倉市日本語 ポルトガル語適応指導教室 農民のふだんのくらしは きびしく税をとり立てられる 農作業以外の労働にかり出される でんせんびよう 伝染病がはやる 活 国分寺や大仏づくりのために っ 国分寺や大仏づくりの労働にかり出される とく 大仏づくりの資金のために, 税もが重くなった るし大仏で救われない!! い生活がますます苦しくなる - 9/19 -
だ農民が土地をにげ出し, あれ地がふえる 人口が増え, 口分田が不足する 土地を開こんする必要性 ちようていしゆうみと朝廷は開こん地の私有を期限つきで認めた (= 三世一身の法 ) 公地公民制は, 土地と人民をすべて国のものにしたところからかいかく行われた改革 しゆうち私有地を認めるということは, この基本がくずれてきたということ しゆうみとこんでんしざいほう開こん地の私有を永久に認めた (= 墾田永年私財法 ) ふつうの農民は重税に苦しんでいたから, 土地を開こんする力は なかった しゆうちごうぞくだから私有地を増やしていったのは, 豪族や寺院など, もともと 力のあった人たちだった - 10/19 -
794 年, 桓武天皇が都を京都にかえた その後, 源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約 400 年間を, 平安時代という 平安時代には, 奈良時代と同じく天皇を中心とした貴族の政治が行われた 貴族の中でも, もともと力のあった藤原氏は天皇家と親せき関係を結ぶことによってさらに力をつけ, 政治を自由に動かすようになった - 11/19 -
せつかんふじわらせつしよう摂関政治とは 藤原氏が摂政 関白となって行った政治 せつしようてんのうおさないてんのう摂政 天皇が幼いときに, 天皇に代わって政治を行う てんのう関白 成人した天皇をたすけて, 政治を行う ふじわら藤原氏の政治 むすめを天皇のきさき后にし天皇家と親せき関係を結ぶ むすめが生んだ子の摂政 関白となり, 政治の実権をにぎる きぞくぎしき都の貴族を中心とした政治で, 行事や儀式を重んじた 地方の政治は国司にまかせっぱなしで, 自分たちは関心を もたなかった - 12/19 -
てんのうけちようてい 1 天皇家と親せき関係を結び, 朝廷の高官 のほとんどを一族でかためて, 政治をほし いままにした ぎしき 2 大きなやしき ( 家 ) に住み, 儀式や行事 を大切にしたぜいたくなくらしをした ごうぞくしようえん 3 地方の豪族たちから多くの荘園をもらい, てんのうけ天皇家にまけない財力 ( お金 ) があった - 13/19 -
藤原氏が栄えたころの文化は国風文化とよばれている 特色 日本の風土に合った文化で, かな文字が発明され, 文学が さかんになった ふじわらのみちながよりみちさいせいき藤原道長 頼通のころが最盛期 まくらのそうしせいしようなごん文学 枕草子 清少納言が書いたずい筆 げんじむらさきしきぶ紫式部 源氏物語 が書いた小説 古今和歌集 とさ 土佐日記 やまとええまきもの絵画大和絵でえがれた絵巻物 しんでんづくりきぞくじゆうたく建築寝殿造 貴族の住宅の様式 ほうおうどうふじわらのよりみちあみだどう平等院鳳凰堂 藤原頼通が建てた阿弥陀堂 - 14/19 -
かな文字はだれかが発明したものでもなく, 漢字をくずしたり, 省略したりして書くうちに, 自然にできたものである ひらがなは漢字をくずしたもの かたかなは漢字の一部 - 15/19 -
ふじわらのみちながむすめてんのうふじわらぜんせい藤原道長は,4 人の娘を天皇のきさきとし, 藤原氏の全盛時代を 築いた げんじひかるげんじ光源氏 源氏物語 の主人公 のモデルになったといわれている あさ農民 ぼろぼろの麻の布をまきつけただけ ちがい大きな違い!! きぞくきぬ貴族 美しい色合いの絹の着物 しかし, とくに美しい とされた じゆうにひとえ十二単 は, 重く てほとんど体が動かせな かったらしい - 16/19 -
建物がなんむねもならび, その前には小川や池のある庭園, 金銀 のもようのついた美しい家具 ふじわらのみちなが藤原道長の家のしき地は, 南北が240m, 東西が120mもあった しようじ障子やふすまがなく, すだれなどでしきっただけだから, 冬は かなり寒かったらしい 日光もあまりさしこまなかった ようだ - 17/19 -
しゆうにゆう国司が自分の収入をふやそうと, 国内の農民に重税をかけたり, 地主 らの土地をとりあげたりした ごうぞく地方の豪族は, 自分の土地を守るため武芸にはげみ, 島民に武器をも たせた こうして, 武士になるものがあらわれた げんじ強い武士のもとに多くの武士が集まって, 武士団ができ, 源氏や平氏 が有力なかしらとなった じようこうけいび白河上皇の院政のときに警備についたことから, 武士が中央に進出し, ほうげんらん後三年の役や保元の乱などの戦いを通して, 武士はさらに力をつけてい った - 18/19 -
反乱をしずめたのは武士で, 貴族は全く無力だった 関東地方でたいらのまさかどせとないかい平将門, 瀬戸内海でふじわらのすみとも藤原純友がそれぞれらん乱をおこし, 地方武士のカを示した きぞく貴族のようなはなやかなくらしをしげんじた平氏は, 源氏にほろぼされた 前九年の役と後三年の役は東北地方でおこり, どちらもげんじ源氏が平定して勢力を広げた 保元の乱で最有力となった源氏と平氏は, たがいに争い ( 平治の乱 ) 平氏が勝利して政権をにぎった - 19/19 -