November 2013 Vol.882 11 CONTENTS TOPICS 2 TOPICS 3 SPECIAL 4 5 AREA NEWS 6 WORLD 8 7 PR0FILE
5 赤 十字 N NE WS 平成 25年11月1日 毎月1日発行 東日本大震災から2年半 第 882号 第三種郵便物認可 SPECIAL 4 岩手県 心の復興には時間が必要です 陸前高田市 山田 被災地は いま 見えてきた復興への長い道のり 東日本大震災から2年半余りが経過 テレビや新聞で被災地が取り上げられる機会は少なくなりました 復興は順調 に進み 震災の記憶は過去のものになりつつあるのでしょうか 日本赤十字社企画広報室は9月下旬 岩手 宮城 福島の3県を訪問し 被災各地を取材しました そこから見えてきたのは 復興の現状に不安を抱えながらも 懸命に 前に進もうとしている被災者の姿です 震災直後 公枝さん 今年7月 2年3カ月余り生活した仮設住宅を ももっとたくさんの家族や大切なものを失ってい 出て 民間の賃貸住宅に移りました 狭い仮設の る方が大勢います そうした皆さんの心の復興に 中には学習机も置けず 床にノートを広げて勉強 はもっと時間が必要なはずです する子どもの姿を見て 何とかしなければと決断 市街地の復興も進んでいません ガレキが撤 しました でも 市内には民間の賃貸物件がほと 去されただけで 震災直後と同じ状況です そう んどなく 家賃も非常に高いので大変です した中 被災地には支援に来てくれるボランティ 震災後 父を亡くしました 震災によるストレス アの方が今も大勢います 本当にありがたい 日 がなければこんなに早く逝くことはなかったかも 赤さんのように 被災地に直接足を運び 私たち しれません そうしたことも含め 私の心の復興 の声を拾ってくれる人たちにも感謝しています こ はまだ先 元の暮しを取り戻すのがいつになるの れからも被災地の声を伝え続けていただきたい か 焦ることもあります 被災者の中には 私より と思います 現 在 岩手 手県 福島県 震災に負けず充実した教育を 飯舘村立飯樋小学校 加藤 裕紀 教頭 宮城県 高台から望む陸前高田市の市街地 ガレキは撤去されたものの そこには何も建っていません 上 シートで覆ったガレキの山が並ぶ釜石市内の仮 置き場 下 今なおガレキの処理と整備が続く大槌町 福島県 宮城県 復興は進んじゃいないね 石巻市 石巻焼きそば 味平 店主 尾形 Column 津波から逃げる時 ろっ骨を折る大けがをして ね 妻のきみ子は未だ行方不明 40年続けてきた 放射能の恐怖 放置される地震の爪痕 ラーメン店も全壊しましたが 今は移動販売用のト とで 生徒 206人に対し教員は 40人と定数の が合同で入る仮設新校舎 川俣町 に移って 倍 他校に負けない充実した指導をしていこ きたのは昨年4月 スクールバスでの通学に うと教員たちは一丸となっています 1時間かかる児童がいるなど不便はあります これまで頂いた多くの支援を最大限に活か が 以前の中学校での間借り授業と比べ 子 しながら 震災で経験したことを次の世代に どもたちは伸び伸び生活できています 運動 伝え 飯舘村の歴史を途絶えさせることのな 場や体育館も自由に使え 体力も回復してき いよう 大人も子どもも頑張っていきたいと ました 思っています しかし飯舘村に戻れるのは最短でも平成 27年 あと1年半はここで授業を続けなけ ればなりません 仮設校舎は2年間の使用を めどに造られたそうなので 今後の老朽化が 飯舘村は原発事故の影響により 一部が帰宅困難地域とな り その他の地区も居住制限 避難指示解除準備区域に 多くの住民が避難生活を余儀なくされています 日赤は海外救援金による復興支援事業とし 心配です て 3校が合同で使う仮設体育館の建設を 一方 プラス面に目を向けることも大切だと 支援 体育館は村のスポーツ大会などで活 思っています 3つの学校が合同になったこ 用されています 川内村には除染土などの仮置き場が2カ所設置されて います 村役場の復興対策課除染係長の横田正義さ んは これからの課題は 第3の仮置き場の確保と山 の除染 村外に避難した方たちが いつでも戻って来ら れる環境づくりが私たちの使命です 浪江町から避難し 矢吹町の仮設住宅で暮らす山田 テルさんと娘の綾子さん 年内には戸建てに越す予定 ですが 綾子さんは 先の見通しの立たない人が大勢 いることを思うと 喜べません みんなが安定した生活 ができるようにしてほしい と訴えます 22 再起できたきっかけは 店舗跡から出てきた焼きそ 浪 福島第一原発から約 ば用の金属ヘラ 妻が使っていたものでした それ 20キロの 富 岡町 あたりか ら町の人影が消えた たま に行き交うのは関係者の車 だけ 場所によっては放射 線計測機 の 数値 が 一気に 跳ね上がる 33人の職員が 帰町準備 室 など一部の業務を行っ ている浪江町役場で 副町 長の渡邉文 星さんに会 っ 無人のメインストリート 今も地震直後の状態のままだ た 渡邉さんは 放射能の 何も 恐怖にさらされ 自分たちの町に戻れない 点まで津波にさらわれ 見渡す限り何 のま ない 海岸には難破した船が横倒しの 人々の思いを考えてほしい と訴えた 同氏の案内で同町の立ち入り制限区域 ま残されていた 目指 帰町の第一段階は 平成 29年を目 を回った 住民が避難した後 残された豚 がそ などの家畜によって荒らされた家屋が少 している と渡邉さんは説明する だが 戻れ なくない 家の中の惨状は言葉を失うば の言葉の後に でも子どもたちはまだ戻 かりだ 沿岸部は 海岸から数キロの地 ない とつぶやいた言葉が胸に残った う妻との約束を思い出して 大会にはそのヘラを 江町 へ と向 か う道 強い海風の中にかすんで見える原発の排気筒 その姿 が不気味だ 女川町役場 木村直人さん 阿部直子さん ラックで 石巻焼きそば 味平 を再開しています 日本赤十字社 企画広報室広報主幹 畑 厚彦 厚 飯舘村の草野小 臼 石小 飯樋小の3校 まずは自分自身が元気に 9 月 日 に 開催 さ れ た お な が わ 秋刀魚収 穫祭を訪れた木村さんと阿部さん 浪江町立ち入り制限区域 勝壽さん を手にしたら B 1グランプリ に参戦しよう とい 持って参加し 6位に入賞できました 妻は見つか りませんでしたが 葬儀を行いました この間もテレビ局の取材を受けました 復興が進 んでいない と話したんですが 放送では復興は進 んでいるという話題ばかりでしたね この辺りは盛り 土をするので もう一度住めるようになるという話で すが 多くの人は高齢だし もう戻ってこないんじゃ 復興は始まったばかり 仮設住宅に暮らしている皆さん ないかな 後世に伝えるために残してほしい震災被 への環境整備も追いついていません 子どもたちはスクー 害の跡が 開発で失われてしまうことも心配です ルバスで通学しているので 地域に子どもたちの姿がな ご当地グルメを通してまちおこし活動の日本一を競うイベント く 町の雰囲気も生き生きしていない気がします 石巻焼きそば 味平は 石巻市門脇町5丁目にほぼ 自治体の職員としてだけでなく 私たちも個人として復興 常駐 営業時間は午前10時 午後5時 月曜定休 に貢献したいと NPOのミュージカル プログラムに参加し ています 住民の皆さんが自ら舞台に立ち 大きな声を出 震災直後 現 在 す そうして笑顔をつくる活動です まずは自分自身が元 気になり できることをやっていきたいですね 津波被害がそのまま残された沿岸部 原発事故によ よる放 射能汚染だけでなく 地震と津波による被害も甚大だ だ 石巻市の日和山 ひよりやま 公園から望む旧北上川近辺の市街地 震災直後に比べ建物が減ってしまっています 東松島市内の東矢本駅北地区 住宅移転先として整備工事が進め られています
2013 World Disasters Report Focus on technology and the future of humanitarian action www.ifrc.org Saving lives, changing minds.