連 載 = 四 国 八 十 八 ヵ 所 めぐり 歩 き 遍 路 の 旅 4 日 本 先 史 古 代 研 究 会 会 員 樋 口 俊 介 発 心 の 道 場 ( 阿 波 の 国 ) その 4 1 番 ( 霊 山 寺 )~23 番 ( 薬 王 寺 ) 合 計 23ヶ 寺 ( 徳 島 県 ) 発 心 (ほっしん)とは 四 国 霊 場 巡 拝 を 志 すこと はるか 彼 方 に 向 かって 1200Km あまりの 辺 路 (へち)の 旅 へ 皆 様 をご 案 内 いたします 当 日 に 歩 くお 寺 に 関 する 由 来 とか 伝 説 等 の 内 容 を 分 かる 範 囲 で 説 明 をします これからが 修 行 のスタートです 必 ず 最 後 まで 歩 き 通 します 第 7 回 目 = 平 成 20 年 11 月 08 日 ( 土 ) 眉 山 の 麓 徳 島 の 町 を 歩 く 歩 き(ウォーキング) 遍 路 札 所 1 ヵ 所 約 22Km 18 番 ( 母 養 山 ) 恩 山 寺 所 在 地 = 徳 島 県 小 松 島 市 田 野 町 恩 山 寺 谷 40 電 話 =(0885)33-1218 行 基 が 厄 除 けのために 薬 師 如 来 を 本 尊 として 刻 み 災 厄 を 除 く 道 場 として いた 境 内 にある 地 蔵 堂 には 等 身 大 の 地 蔵 像 と 小 さな 地 蔵 像 が 数 多 く 並 開 基 = 行 基 んでいる 大 師 堂 には 大 師 から 自 らが 刻 まれた 自 像 が 安 置 されている 聖 武 天 皇 の 勅 願 寺 で 行 基 が 開 山 した 古 刹 薬 師 如 来 について 人 間 の 病 苦 を 癒 し 心 の 苦 悩 厄 を 取 り 除 くなど12の 誓 願 を 表 わす 如 来 で 四 国 霊 場 にはいちばん 多 くまつられてtる 17 番 から 歩 いて20Km を6 時 間 20 分 ( 途 中 に4 回 休 憩 を 含 む)で 到 着 する 徳 島 県 では 午 前 中 は 雨 が 降 っ たので 歩 き 遍 路 には 大 変 でした 雨 は 夕 方 も 降 りました 丘 陵 を 上 り 豊 かな 緑 の 札 所 にたどり 着 く 弘 法 大 師 が 自 ら 植 えたと 伝 わる 見 事 なびらん 樹 が 仁 王 門 の 少 しおくにある このお 寺 はもともとは 女 人 禁 制 で 人 々の 災 厄 を 除 く 道 場 だった そのため 昔 このお 寺 で 修 行 をしていた 弘 法 大 師 のもとへ 大 師 の 母 君 が 訪 ねてきたが 女 人 禁 制 のため 会 えなかった しかい 大 師 は 母 のために 女 人 解 禁 の 修 行 をおこない やがて 母 君 は 剃 髪 してその 髪 を 納 められたので 大 師 は 寺 号 を 母 養 山 と 改 めたそうだ なんと 母 親 思 いのお 大 師 なのだろうと 感 激 し 感 動 します 今 日 はとにかく 約 20Km を7 時 間 ( 昼 食 休 憩 を 含 む)くらい 歩 き 両 足 には 豆 ができ 膝 が 痛 く 大 変 に 疲 れました しかしその 日 その 日 に 目 的 地 へ 着 くために は 目 の 前 の 一 歩 の 歩 みを 進 めることだけが 唯 一 の 方 法 です そうして 辿 りつく 一 日 のゴールです お 遍 路 の 旅 は そんな 小 さな 達 成 感 の 積 み 重 ねで 疲 れも 痛 さも 吹 っ 飛 び 爽 やかな 気 分 に 成 れます 16 時 20 分 に 終 わり16 時 30 分 にバスに 乗 り 岡 山 へ 林 原 駐 車 場 20 時 20 分 着 く なお 本 日 の 歩 数 31003 歩 第 8 回 目 = 平 成 20 年 12 月 06 日 ( 土 ) 小 松 島 から 山 へ 向 かう 歩 き(ウォーキング) 遍 路 札 所 1ヵ 所 約 14Km 1
19 番 ( 橋 池 山 ) 立 江 寺 所 在 地 = 徳 島 県 小 松 島 市 立 江 町 若 松 13 電 話 =(0885)37-1019 四 国 霊 場 には 四 つの 関 所 寺 があり そのひとつが 立 江 寺 心 がけの 悪 い 者 は 山 門 から 先 には 進 めないどころか 天 罰 が 下 るという 本 尊 は 安 産 の 地 蔵 尊 として 広 く 信 仰 を 集 めている 子 安 の 地 蔵 や 立 江 の 地 蔵 さん と 呼 本 尊 = 延 命 地 蔵 菩 薩 ばれ 安 産 祈 願 の 寺 として 信 仰 を 集 める 境 内 には 多 くの 桜 が 植 えられ 花 見 時 には 花 見 客 でもにぎわうそうです ( 延 命 ) 地 蔵 菩 薩 について 弥 勒 菩 薩 が 出 現 するまでの 間 生 前 の 因 業 に 寄 って 天 上 から 地 獄 まで 六 っ の 世 界 に 分 けられる 衆 正 を 救 済 するという 18 番 から 歩 いて4.8Km を 約 1 時 間 10 分 ( 途 中 休 憩 含 む)で 到 着 する 国 道 55 号 をそれて 山 間 の 県 道 を 歩 く 釈 迦 庵 が 途 中 にある ゆるやかな 峠 を 越 えてしばらくするとお 京 塚 を 見 つける 事 ができる これは 立 江 寺 と 関 係 の 深 い 塚 だ しばらく 歩 くと 白 鷺 橋 という 赤 い 橋 があった この 橋 も 立 江 寺 の 伝 説 と 関 係 の 深 い 橋 な のだ 立 江 寺 はお 堂 建 立 の 際 どこからか 飛 んできた 白 鷺 が 橋 の 上 に 止 まり 建 立 の 場 所 を 示 したといわれ ている なお 関 所 寺 については 立 江 寺 の 外 に 27 番 ( 神 峰 寺 ) 60 番 ( 横 峰 寺 ) 66 番 ( 雲 辺 寺 )です さあ 20 番 ( 鶴 林 寺 )へは13.8Km で 厳 しい 山 道 道 中 はかっては 遍 路 ころがしと 呼 ばれる 難 所 に 向 け 歩 き 出 すが さすがに 不 安 であるが 同 時 に 新 たに 気 持 ちを 引 き 締 めて 楽 しく 行 くぞ! 生 名 まで 歩 く 17 時 10 分 に 終 わり17 時 20 分 にバスに 乗 り 一 路 岡 山 へ 林 原 駐 車 場 に20 時 20 分 到 着 した なお この 日 は 特 に 寒 く 山 間 部 で 歩 きの 途 中 では 綿 雪 が 舞 いました 本 日 の 歩 数 28.055 歩 でした 第 9 回 目 = 平 成 21 年 01 月 24 日 ( 土 ) 鶴 と 龍 を 目 指 して 深 山 幽 山 の 道 を 行 く 歩 き(ウォーキング) 遍 路 札 所 2ヵ 所 約 15Km 20 番 ( 霊 鷲 山 ) 鶴 林 寺 所 在 地 = 徳 島 県 勝 浦 郡 勝 浦 町 生 名 鷲 ヶ 尾 14 電 話 =(0885)42-3020 弘 法 大 師 がこの 寺 をおとずれ 修 行 していると 2 羽 の 鶴 が 黄 金 の 地 蔵 菩 薩 を 互 いに 守 っていた ただちに 高 さ1m 程 の 地 蔵 菩 薩 を 刻 んで 金 の 尊 像 を その 胎 内 に 納 めて 本 尊 とした いろいろな 場 所 に 鶴 の 意 匠 が 施 されている 本 尊 = 地 蔵 菩 薩 深 山 にたたずむ 古 刹 難 所 ゆえに 兵 火 を 逃 れ 文 化 財 が 多 く 残 る 老 樹 に 包 まれる 山 門 の 仁 王 像 は 運 慶 作 と 伝 えられる 地 蔵 菩 薩 について 前 記 に 説 明 の 通 り 本 日 は 前 回 に 歩 き 終 えた 生 名 から20 番 ( 鶴 林 寺 ) 21 番 ( 太 龍 寺 )をお 参 りして 黒 河 までの15Km を 歩 く 予 定 です 参 加 者 は33 名 (スタッフ 等 を 含 む)バスで 林 原 駐 車 場 を6.25 分 に 出 て 生 名 に10.10 分 に 着 き 10. 20 分 から 歩 き 出 す 地 元 の 人 やお 遍 路 さんには お 鶴 お 鶴 さん などと 可 愛 い 名 前 で 呼 ばれているお 寺 だが 可 愛 いのは 名 前 だけ 四 国 八 十 八 ヵ 所 札 所 めぐりの3 難 所 寺 のひとつで 急 な 山 道 を 登 り 標 高 570m の 山 頂 にお 寺 があるのです とにかく 大 変 ですが 登 ってみての 爽 快 感 はたまりません 2
鶴 林 寺 には 千 枚 通 し という 水 に 溶 ける 紙 のお 札 が1000 円 で 売 られている 修 行 を 積 んでいる 人 が 1000 日 間 欠 かさず 千 枚 通 しの 紙 を 水 に 溶 かして 飲 むと 願 いが 叶 うのだそうです お 寺 の 方 いわく 修 行 をして いない 普 通 の 人 が 飲 んでも 効 果 がありません とのこと 鶴 林 寺 でお 参 りを 済 ませ 次 は 難 所 で 険 しい 山 道 の 上 りあり 下 りありの 太 龍 寺 に 向 かう!! さあ 気 を 引 き 締 めて 頑 張 ります 14 時 10 分 に 出 発 する 21 番 ( 舎 心 山 ) 太 龍 寺 所 在 地 = 徳 島 県 阿 南 市 加 茂 町 龍 山 2 電 話 =(0884)62-2021 垣 武 天 皇 の 勅 願 により 開 かれた 寺 若 き 日 の 大 師 が100 日 間 に 渡 り 修 行 をし 虚 空 蔵 求 聞 持 法 を 修 めたといわれている 西 の 高 野 山 と 呼 ば れる 阿 波 屈 指 の 名 刹 で 広 大 な 伽 藍 のなかには 本 堂 大 師 堂 多 宝 塔 本 尊 = 虚 空 菩 薩 などが 立 ち 並 ぶ 求 聞 持 堂 では 虚 空 蔵 菩 薩 の 真 言 を 一 日 1 万 回 以 上 唱 える 荒 行 が 現 在 も 行 われるという 虚 空 菩 薩 について 大 地 と 慈 悲 の 地 蔵 菩 薩 と 並 んで 信 仰 があつい 福 と 地 を 無 限 に 持 ち 空 と 智 慧 を 象 徴 する 菩 薩 として 信 仰 される 21 番 札 所 太 龍 寺 への 巡 拝 はさらに 厳 しい 山 道 が 続 く 那 賀 川 を 渡 り 小 川 に 沿 ったゆるやかな 坂 道 が 続 くが 後 半 は 厳 しい 上 り 坂 だ 標 高 600mの 太 龍 寺 山 の 山 頂 にあり 鶴 林 寺 から 歩 くと6.5Km なのだが 非 常 に 険 しい 山 道 なので 休 み 休 み 行 くので 時 間 がかかります 鶴 林 寺 までせっかく 山 を 登 ったのに 今 度 は 下 がってまた 上 らなければいけない しかし 行 けどもまったく 到 着 する 様 子 がない 上 がっても 上 がっても 石 段 がある 感 じで 太 龍 寺 はお 遍 路 さんにとって12 番 ( 焼 山 寺 ) 20 番 ( 鶴 林 寺 )に 続 く 阿 波 の 三 大 難 所 だとい うのを 実 感 する したがって 今 日 は 登 って 下 って 山 を2つ 越 えたという 事 です そのため 足 には 豆 ができ 膝 が がくがく 大 変 に 疲 れました しかし 達 成 感 があり 気 分 が 爽 やかです 有 り 難 うございました 17 時 10 分 に 終 わりバスで 岡 山 へ 林 原 駐 車 場 に21 時 20 分 に 到 着 本 日 の 歩 数 は22937 歩 でした 第 10 回 目 = 平 成 21 年 02 月 14 日 ( 土 ) 厳 冬 の 阿 南 市 郊 外 を 歩 く 歩 き(ウォーキング) 遍 路 札 所 1ヵ 所 約 15Km 3
22 番 ( 白 水 山 ) 平 等 寺 所 在 地 = 徳 島 県 阿 南 市 新 野 町 秋 山 177 電 話 =(0884)36-3522 修 行 する 弘 法 大 師 の 前 に 五 色 の 霊 雲 がたなびき その 中 に 金 色 の 梵 字 があらわれ 薬 師 如 来 に 姿 を 変 えた そこで 大 師 が 加 持 水 を 求 め 杖 で 掘 る と 乳 白 色 の 水 が 湧 き 出 したことから 山 号 を 白 水 山 とつけたとか 薬 師 如 来 について 前 記 に 説 明 の 通 り 本 日 もバスで 林 原 駐 車 場 を6.40 分 に 出 発 し 途 中 で 津 田 の 松 原 SA で 休 憩 し 前 回 歩 き 終 えた 太 龍 寺 の 近 くに 行 くために バスで 行 けないのでロープウェイに 乗 り 下 車 してそこから 歩 き 始 める 前 日 の 雨 で 濡 れてい たので 太 龍 寺 から 平 等 寺 への 下 りはすべりやすく 力 が 入 り 疲 れました ずっと 街 中 や 山 の 中 を 歩 いてきた 徳 島 の 遍 路 道 でしたが 由 岐 という 町 に 来 て 初 めて 海 に 出 会 いました 次 のステージ 高 知 が 近 づいています アップダウンが 激 しくてきつい 道 も 多 かった 徳 島 ですが 人 の 温 かさに 支 えられて 歩 くことが 出 来 ました 阿 瀬 比 を 通 過 し 大 根 峠 を 登 り 下 って 竹 薮 を 通 り どっしりとした 仁 王 門 の 前 に 立 つと 本 堂 に 続 く 石 段 が 見 える 無 事 平 等 寺 に 到 着 平 等 寺 には 井 戸 があり 今 も 水 が 湧 き 出 ている なんでもこの 水 は 万 病 に 効 く 弘 法 の 霊 水 だそうで さっそく 飲 んでみる なんか 元 気 になってきた 気 がする 納 経 を 済 ませて 平 等 寺 をあとにして 月 夜 橋 の 付 近 まで 歩 く 17 時 10 分 に 終 わりバスで 岡 山 へ 林 原 駐 車 場 に21 時 30 分 に 着 く あと 我 が 家 へ なお 今 日 の 歩 数 は29.469 歩 でした 第 11 回 目 = 平 成 21 年 03 月 07 日 ( 土 ) 山 中 の 庵 から 紺 碧 の 海 へ 向 かう 歩 き(ウォーキング) 遍 路 札 所 1ヵ 所 約 14Km 23 番 ( 医 王 山 ) 薬 王 寺 所 在 地 = 徳 島 県 海 部 郡 日 和 佐 町 奥 河 内 寺 前 285-1 電 話 =(0864)77-0023 文 治 4 年 に 火 災 が 起 きた 際 本 尊 の 薬 師 如 来 が 飛 び 去 って 火 災 をまぬ がれたという その 後 伽 藍 を 再 建 して 新 しい 薬 師 如 来 を 安 置 すると 飛 開 基 = 行 基 んでいった 薬 師 如 来 が 新 しい 像 の 後 ろに 背 中 合 わせに 戻 ってきたという 伝 説 がある 日 和 佐 の 海 を 望 む 山 の 中 腹 にある 厄 除 けに 霊 験 あらたか な 寺 として 有 名 で 境 内 には33 段 の 女 厄 坂 42 段 の 男 厄 坂 がある 一 つ ひとつの 石 段 には 厄 除 け 祈 願 の1 円 玉 が 置 かれている 薬 師 如 来 について 前 記 に 説 明 の 通 り 阿 波 の 国 では 最 後 の23 番 に バス( 参 加 者 36 名 先 達 さん 等 を 含 む )にて 岡 山 林 原 駐 車 場 を6.45 分 に 出 発 する 途 中 で 今 日 も 津 田 松 原 S A でトイレ 休 憩 をして 前 回 歩 き 終 えた 月 夜 御 水 庵 まで 行 き 下 車 して 準 備 を 済 ませ10 時 50 分 から 歩 き 出 す 釘 打 トンネルを 抜 け 福 井 ダムで 弁 当 ( 昼 食 )を 食 べる この 近 くには 番 外 の 霊 場 で 弥 谷 観 音 がある 星 越 峠 を 歩 き 薬 王 寺 へ 向 かう 山 の 中 腹 にそびえる 印 象 的 な 塔 が 迎 えてくれる 4
阿 波 発 心 の 道 場 最 後 の 札 所 だ 大 きなわらじが 奉 納 された 山 門 をくぐり 階 段 を 上 りきったところに 本 堂 が あり 本 尊 は2 体 あったが 秘 仏 ゆえ 見 ることは 出 来 ず 残 念!!ここは 厄 除 けの 寺 としても 有 名 境 内 には 自 分 の 歳 の 数 だけ 打 って 厄 よけ 祈 願 する 厄 災 消 除 の 鐘 もあった この 薬 王 寺 で 徳 島 県 23カ 所 発 心 の 道 場 を 巡 り 終 えることになる 17 時 30 分 に 終 わりバスで 岡 山 へ 林 原 駐 車 場 に21 時 40 分 に 到 着 なお 本 日 の 歩 数 は31.957 歩 でした 徳 島 県 23カ 所 発 心 の 道 場 の 歩 き 総 距 離 は 約 163Km さあ 次 は 修 行 の 道 場 ( 土 佐 の 国 ) 24 番 ( 最 御 崎 寺 )~39 番 ( 延 光 寺 ) 合 計 16ヶ 寺 ( 高 知 県 )へ [ 参 考 文 献 ] 四 国 八 十 八 ヶ 所 めぐり お 大 師 さんと 行 く 遍 路 18コース( 昭 文 社 ) ふらりおへんろ 旅 空 海 と 仏 像 に 会 いに 行 く!-(KK 西 日 本 出 版 社 ) 四 国 遍 路 に 行 ってきマッシュ!(KK PHP 研 究 所 ) 2 回 目 に 修 行 の 道 場 ( 土 佐 の 国 ) 24 番 ( 最 御 崎 寺 )~39 番 ( 延 光 寺 ) 合 計 16ヶ 寺 ( 高 知 県 ) 海 を 眺 め 空 を 仰 ぎ ひたすら 前 へ 室 戸 足 摺 の2つの 岬 を 廻 り 16 札 所 を 巡 拝 の 旅 へ 歩 き 遍 路 には 遙 かな 道 のりの 修 行 の 道 場 だ!! 23 番 ( 薬 王 寺 )に 参 拝 したあとは およそ80Km かなたの 室 戸 岬 へと 遍 路 の 道 をたどることになる 3 回 目 に 菩 提 の 道 場 ( 伊 予 の 国 ) 40 番 ( 観 自 在 寺 )~65 番 ( 三 角 寺 ) 合 計 26ヶ 寺 ( 愛 媛 県 ) 旅 も 半 ばを 迎 え 菩 提 の 道 場 伊 予 の 国 へ 札 所 間 の 距 離 が2 番 目 に 長 い 第 43 番 明 石 寺 から 第 44 番 大 宝 寺 を 打 ち 第 45 番 岩 屋 寺 を 終 えると いで 湯 の 里 道 後 も 近 い!! 4 回 目 に 涅 槃 の 道 場 ( 讃 岐 の 国 ) 66 番 ( 雲 辺 寺 )~88 番 ( 大 窪 寺 ) 合 計 23ヶ 寺 ( 香 川 県 ) 遍 路 ころがしの 第 66 番 札 所 雲 辺 寺 を 打 てば 大 師 の 誕 生 の 地 善 通 寺 をはじめ 町 の 中 の 札 所 が 続 く 讃 岐 の 平 野 にたたずむ 霊 場 を 巡 れば 結 願 も 近 い 5