問 99について4 択 の 番 号 に 誤 りがあり 受 験 者 全 員 に1 点 を 付 与 します 問 1 昭 和 の 合 併 で 小 吉 村 と 道 上 村 と 燕 市 の 一 部 が 合 併 して 中 之 口 村 が 誕 生 したが そ れはいつか 1. 昭 和 30 年 (1955 年 )4 月 1 日 2. 昭 和 29 年 (1954 年 )7 月 7 日 3. 昭 和 30 年 (1953 年 )7 月 7 日 4. 昭 和 31 年 (1956 年 )4 月 1 日 問 2 中 之 口 村 が 新 潟 市 に 編 入 合 併 したのはいつか 1. 平 成 16 年 (2004 年 )4 月 1 日 2. 平 成 17 年 (2005 年 )4 月 1 日 3. 平 成 17 年 (2005 年 )3 月 21 日 4. 平 成 18 年 (2006 年 )3 月 21 日 問 3 新 潟 市 は 平 成 19 年 (2007 年 ) 本 州 日 本 海 側 初 の 政 令 指 定 都 市 となり 八 つの 行 政 区 ができた そして 各 区 のイメージカラーも 発 表 されたが 中 之 口 地 区 が 属 する 西 蒲 区 のイメージカラーは 何 色 か 1.サンセットオレンジ 3.フローラルグリーン 2.ウォーターフロントブルー 4.ハーベストイエロー 問 4 中 之 口 地 区 は 低 湿 地 のため 床 下 浸 水 や 田 畑 などが 冠 水 することが 以 前 多 々 あったが 今 ではめったに 見 られなくなった そのおもな 理 由 は 何 か 1. 排 水 路 の 整 備 とともに 排 水 機 場 が 各 地 に 設 けられたから 2. 用 水 路 の 整 備 が 行 われてきたから 3. 最 近 大 雨 が 降 らなくなってきたから 4. 大 きな 川 ( 中 ノ 口 川 など)の 水 量 が 少 なくなってきたから 問 5 中 之 口 地 区 は 東 西 6km 南 北 7.7km 面 積 19.7km2の 低 湿 地 帯 である 中 之 口 中 学 校 のあたりの 標 高 はどれくらいか 1. 3.0~4.0m 2. 4.0~4.5m 3. 2.0~3.0m 4. 2.0m 以 下 1
問 6 平 成 26 年 (2014 年 )は 新 潟 地 震 から50 年 中 越 地 震 と7 13 水 害 から10 年 にな る 災 害 に 備 える 防 災 減 災 の 意 識 向 上 が 必 須 である 中 之 口 地 区 でも 過 去 に 第 二 室 戸 台 風 ( 瞬 間 風 速 44.7mを 記 録 )で 壊 滅 的 被 害 を 受 けたことがある それは 何 年 前 か 1. 40 年 前 2. 49 年 前 3. 53 年 前 4. 55 年 前 問 7 中 之 口 地 区 の 難 読 地 名 に 髭 削 がある 読 み 方 はどれか 1.かみそり 2.しさく 3.ひげそり 4.しゅぜん 問 8 昭 和 30 年 (1955 年 )7 月 中 之 口 村 初 の 村 議 会 議 員 選 挙 が 施 行 された 投 票 率 は 何 パーセントであったか 1. 35.5% 2. 42.6% 3. 85.7% 4. 95.1% 問 9 旧 中 之 口 村 は 新 潟 市 へ 編 入 合 併 した それまで 旧 中 之 口 村 に 隣 接 していた 旧 市 町 村 はいくつあったか 1. 5つ 2. 6つ 3. 7つ 4. 8つ 問 10 中 之 口 村 役 場 ( 現 新 潟 市 西 蒲 区 役 所 中 之 口 出 張 所 )の 建 物 は 昭 和 53 年 (1978 年 ) 10 月 に 竣 工 ( 完 成 )した その 時 の 総 工 事 費 はいくらか 1. 4 億 6 千 万 円 2. 6 億 6 千 万 円 3. 8 億 6 千 万 円 4. 10 億 6 千 万 円 問 11 中 之 口 地 区 公 民 館 ( 旧 中 之 口 村 農 村 環 境 改 善 センター)は 竣 工 してから 何 年 経 過 したか 1. 12 年 2. 22 年 3. 32 年 4. 42 年 問 12 中 之 口 地 区 における 商 工 業 者 数 はいくつか ( 平 成 26 年 3 月 31 日 現 在 ) 1. 約 100 2. 約 300 3. 約 500 4. 約 1000 2
問 13 昭 和 42 年 (1967 年 )から 赤 字 解 消 のため 自 主 再 建 団 体 となった 中 之 口 村 は 村 民 一 丸 となって 赤 字 解 消 に 努 めた その 過 程 の 中 で 中 之 口 音 頭 が 発 案 され 村 民 の 士 気 の 高 揚 に 寄 与 したが 作 曲 者 は 誰 か 1. 古 賀 正 男 2. 市 川 昭 介 3. 服 部 良 一 4. 遠 藤 実 問 14 平 成 24 年 (2012 年 )7 月 にオープンした 中 之 口 農 業 体 験 公 園 は 一 部 を 市 民 農 園 として 貸 し 出 しているが 1 区 画 50m2 当 たり1 年 間 の 使 用 料 はいくらか 1. 3,000 円 2. 5,000 円 3. 7,000 円 4. 10,000 円 問 15 中 之 口 村 の 企 業 誘 致 第 1 号 で 進 出 してきた 企 業 は 蒲 原 中 央 自 動 車 学 校 である そ この 土 地 は 以 前 何 があったか たんぼ 1. 保 育 園 2. 田 圃 3. 中 学 校 4. 工 場 問 16 中 之 口 地 区 で 作 られているコシヒカリBLは 農 薬 を 減 らすためにある 病 気 にかかり にくくしてあるが そのある 病 気 とは 何 か 1.いもち 病 2.ベト 病 3.もんがれ 病 4.うどん 粉 病 問 17 果 樹 畑 でミツバチが 少 なくなった 為 に 行 われている 作 業 は 何 か 1. 人 工 授 粉 2. 鳥 による 受 粉 3. 人 工 交 配 4. 人 工 授 精 問 18 昔 から 蒲 原 平 野 は 低 平 な 輪 中 地 帯 で 水 害 に 悩 まされていたが 大 河 津 分 水 路 の 完 成 により 被 害 も 減 少 した その 分 水 路 が 完 成 し 通 水 した 年 はいつか 1. 明 治 31 年 (1898 年 ) 2. 明 治 41 年 (1908 年 ) 3. 大 正 11 年 (1922 年 ) 4. 昭 和 11 年 (1936 年 ) 問 19 平 成 21 年 (2009 年 )3 月 に 竣 工 した 両 郡 橋 の 長 さは 何 メートルか 1. 108m 2. 118m 3. 128m 4. 138m 3
問 20 中 之 口 地 区 の 多 世 代 交 流 や 住 民 同 士 の 親 睦 そして 郷 土 愛 の 醸 成 などを 推 進 す るため 永 年 続 く 事 業 がある 一 番 早 く 始 まったのはどれか 1. 第 1 回 総 合 文 化 祭 2. 第 1 回 村 民 運 動 会 3. 第 1 回 元 旦 マラソン 4. 第 1 回 新 春 書 初 め 大 会 問 21 中 之 口 中 学 校 が 目 指 しているのは どんな 学 校 づくりか 1. 地 域 に 愛 される 学 校 づくり 2. 地 域 に 信 頼 される 学 校 づくり 3. 地 域 とともに 歩 む 学 校 づくり 4. 地 域 の 核 となる 学 校 づくり 問 22 中 之 口 中 学 校 の 教 育 目 標 で 示 している 理 想 の 生 徒 の 姿 は よく 考 え 自 ら 進 んで 学 習 する 生 徒 明 朗 で 心 の 豊 かな 生 徒 の 他 にもう 一 つは 何 か 1. 元 気 にがんばる 生 徒 2.じょうぶでたくましい 生 徒 3. 何 事 にも 挑 戦 していく 生 徒 4. 進 んで 運 動 に 取 り 組 む 生 徒 問 23 中 之 口 中 学 校 が 平 成 25 年 度 から 始 めた 地 域 保 護 者 との 交 流 企 画 は 何 か 1.なか 中 ウォーク 2.なかのくちウォーク 3.なかのくち 健 歩 大 会 4.なかのくちハイキング 問 24 中 之 口 中 学 校 が 新 校 舎 に 改 築 されるにあたり 卒 業 生 同 窓 生 が 旧 校 舎 を 訪 れて 旧 交 を 温 めるイベントを 企 画 した その 名 称 は 何 か 1.さよなら 旧 校 舎 の 集 い 2. 思 い 出 の 校 舎 訪 問 会 3. 懐 かしい 校 舎 での 同 窓 会 4. 我 らの 校 舎 永 遠 に 問 25 中 之 口 東 小 学 校 は 自 分 に 自 信 をもち 地 域 を 誇 れる 子 どもの 育 成 を 目 指 して 合 言 葉 がある その 合 言 葉 は 何 か 1.キラキラ 東 っ 子 3.キラにこ 東 っ 子 2.にこにこ 東 っ 子 4.キラキラにこにこ 東 っ 子 4
問 26 中 之 口 東 小 学 校 が1 年 生 から6 年 生 が 一 緒 になって 作 っている 縦 割 り 班 の 名 称 は 何 か 1.どんぐりコロコロ 隊 3.どんぐり 隊 2.どんコロ 隊 4.どんぐりの 森 隊 問 27 中 之 口 地 区 の 特 産 品 で 中 之 口 東 小 学 校 の 校 歌 に 歌 われているものは 何 と 何 か 1. 梨 と 桃 2.ぶどうと 梨 3. 桃 とぶどう 4. 桃 と 米 問 28 中 之 口 西 小 学 校 は ある 言 葉 を 学 校 だよりの 題 名 や 先 生 方 のチーム 名 として 使 っているが その 言 葉 は 何 か 1.あすなろ 2. 西 風 3.ゆずりは 4. 西 校 問 29 中 之 口 西 小 学 校 は 平 成 27 年 (2015 年 ) 創 立 40 周 年 を 迎 えるが 創 立 20 周 年 の 年 に 記 念 事 業 として 設 置 されたものは 何 か 1.あすなろ 山 2. 土 俵 3. 飼 育 小 屋 4. 丸 太 橋 (アスレチック) 問 30 中 之 口 西 小 学 校 では 子 どもたちがたっぷりと 遊 べるように 週 1 回 昼 休 みと 清 掃 の 時 間 を 合 わせた1 時 間 の 休 み 時 間 を 設 けているが その 休 み 時 間 の 名 前 は 何 か 1.フレッシュタイム 2.あすなろタイム 3. 遊 々タイム 4.のびのびタイム 問 31 中 之 口 幼 稚 園 の 子 どもたちの 昼 食 はどこで 作 られているか 1. 中 之 口 学 校 給 食 センター 2. 幼 稚 園 の 給 食 室 3.お 弁 当 を 持 ってきている 4. 給 食 なしで 午 前 中 に 家 に 帰 っている 問 32 中 之 口 幼 稚 園 には 小 中 学 校 のように 校 歌 はあるか 5
1. 幼 稚 園 の 歌 という 園 歌 がある 2. 校 歌 のようなものは 存 在 しない 3. 幼 稚 園 と 保 育 園 のことを 歌 にした なかよしの 歌 がある 4. 校 歌 ではなく 幼 稚 園 ダンスがある 問 33 中 之 口 幼 稚 園 は 昭 和 58 年 (1983 年 )4 月 に 創 立 した 当 時 の 中 之 口 村 の4 歳 児 5 歳 児 が 入 園 したが 創 立 当 時 の 園 児 数 は 何 人 か 1. 100 名 2. 150 名 3. 200 名 4. 250 名 問 34 国 道 8 号 と 国 道 116 号 を 結 ぶ 県 道 に 約 7 百 メートル 続 く 門 田 ハザ 並 木 がある 平 成 6 年 (1994 年 ) 新 日 本 街 路 樹 百 景 に 選 ばれた しかし このハザ 並 木 もある 事 情 で 伐 採 されるところであった その 事 情 とは 何 か 1.コンバインの 普 及 2.アメリカシロヒトリの 大 量 発 生 3. 県 道 拡 幅 のため 4. 維 持 管 理 費 の 増 大 問 35 中 之 口 総 合 体 育 館 の 前 に スポーツ 振 興 審 議 会 初 代 会 長 原 善 兵 衛 氏 寄 贈 の 像 が 建 立 されている この 像 の 名 前 は 何 か 1. 希 望 の 像 2. 夢 を 叶 える 像 3. 健 康 の 像 4 未 来 を 拓 く 像 問 36 数 年 前 まで 六 分 円 明 寺 の 寺 御 講 (7 月 25 日 )にはたくさんのお 店 が 開 かれ 地 域 の 楽 しみの 市 があった 何 市 か 1.のみの 市 ( 古 物 市 ) 2. 植 木 市 3.おもちゃ 市 4. 瀬 戸 物 市 問 37 江 戸 時 代 打 越 村 の 農 民 が 会 津 ( 福 島 県 )へ 移 住 したが その 村 の 神 社 は 何 神 社 を おまつりしたか 1. 神 明 社 2. 諏 訪 社 3. 弥 彦 社 4. 天 神 社 6
問 38 中 之 口 村 誕 生 まもない 昭 和 32 年 (1957 年 )11 月 総 合 鼠 駆 除 対 策 本 部 が 如 澤 兵 一 村 長 を 本 部 長 に 発 足 した 予 算 が 組 まれ ねずみの 買 い 上 げや 薬 剤 の 補 助 等 が 行 われた また 県 ではねずみ 駆 除 推 進 月 間 を 設 け ねずみ 一 匹 に ねずみ 宝 く じ 1 枚 を 発 行 した 翌 昭 和 33 年 (1958 年 )11 月 の 推 進 月 間 で 中 之 口 村 住 民 が 獲 得 した ねずみ 宝 くじ は 約 何 枚 か 1. 約 5,000 枚 2. 約 10,000 枚 3. 約 12,000 枚 4. 約 15,000 枚 問 39 中 之 口 地 区 を 通 っていた 新 潟 電 鉄 全 盛 期 のラッシュ 時 間 帯 は 押 し 屋 もいるほど 乗 客 が 多 かったが 平 成 11 年 (1999 年 )4 月 全 線 廃 止 となった では 全 線 開 通 した のはいつか 1. 昭 和 4 年 (1929 年 ) 2. 昭 和 6 年 (1931 年 ) 3. 昭 和 8 年 (1933 年 ) 4. 昭 和 12 年 (1937 年 ) 問 40 中 之 口 地 区 も 道 路 綱 の 整 備 が 進 み 砂 利 道 は ほとんど 見 られなくなった 昭 和 39 年 (1964 年 ) 中 之 口 村 では 通 称 県 道 加 茂 巻 線 で 初 めて 道 路 舗 装 に 着 手 した が その 延 長 は 何 メートルか 1. 交 差 点 のみ 2.100メートル 3.180メートル 4.350メートル 問 41 両 郡 橋 はその 昔 六 分 の 山 田 孫 一 平 太 郎 両 氏 が 個 人 で 架 設 したもので 当 時 は 有 料 であった この 両 郡 橋 は 山 田 平 太 郎 氏 の 姉 が 嫁 ぐ 際 駄 々をこねた 事 により 作 られたというエピソードがある その 姉 の 名 前 は 何 か 1.ひさ 2.うめ 3.えみ 4.おてい 問 42 新 潟 県 で 初 めて 電 話 が 入 ったのは 明 治 26 年 (1893 年 )だが 中 之 口 地 区 ではい つか( 山 田 助 作 家 宮 川 富 士 太 郎 家 ) 1. 大 正 13 年 (1924 年 ) 2. 昭 和 5 年 (1930 年 ) 3. 明 治 30 年 (1897 年 ) 4. 昭 和 30 年 (1955 年 ) 7
問 43 新 潟 県 で 最 初 に 電 灯 がついたのは 明 治 31 年 だが 中 之 口 地 区 で 最 初 に 電 灯 がつ いたのいつか 1. 明 治 41 年 (1908 年 ) 2. 大 正 元 年 (1912 年 ) 3. 大 正 4 年 (1915 年 ) 4. 大 正 9 年 (1920 年 ) 問 44 澤 将 監 の 子 孫 は 江 戸 時 代 どんな 身 分 だったか 1. 大 臣 2. 大 名 3. 大 庄 屋 4. 代 官 問 45 澤 将 監 は 誰 の 家 来 だったか 1. 上 杉 謙 信 2. 織 田 信 長 3. 武 田 信 玄 4. 豊 臣 秀 吉 問 46 いなわら まき 昔 中 之 口 地 区 での 燃 料 は 稲 藁 もみがら 薪 草 木 類 天 然 ガス 昭 和 30 年 代 後 半 からはプロパンガスが 主 に 使 われてきたが その 後 安 全 上 の 問 題 から 都 市 ガスに 切 り 替 えが 行 われ 現 在 に 至 っている 中 之 口 地 区 での 都 市 ガスの 供 給 は 道 上 打 越 集 落 から 開 始 された いつか 1. 昭 和 52 年 (1977 年 ) 2. 昭 和 54 年 (1979 年 ) 3. 昭 和 56 年 (1981 年 ) 4. 昭 和 58 年 (1983 年 ) 問 47 澤 家 15 代 の 澤 政 一 氏 は 新 潟 大 学 の 付 属 病 院 院 長 をした 名 医 だが 特 に 研 究 の 業 績 をあげたのは 次 の 病 気 のどれか 1. 癌 2.てんかん 病 3. 心 臓 4. 胃 腸 病 問 48 昔 川 は 物 流 の 動 脈 であった 動 力 船 が 就 航 する 前 の 舟 運 の 主 力 であった 川 船 (コ ウリ(レ)ンボウ)は 長 岡 新 潟 間 を 下 り( 長 岡 新 潟 )は 半 日 程 度 要 した それで は 上 り( 新 潟 長 岡 )はどれぐらいか 1. 半 日 2. 一 日 3. 一 日 半 4. 二 日 8
問 49 今 はあまり 見 られなくなったが 農 作 業 の 雨 よけや 日 よけに 愛 用 されたすげ 笠 は 中 之 口 地 区 特 産 であった 主 にどの 地 域 でつくられていたか 1. 地 区 全 域 でつくられていた 2. 福 島 河 間 三 ツ 門 道 上 の 一 部 でつくられていた 3. 羽 黒 姥 島 真 木 などの 南 部 地 域 でつくられていた 4. 門 田 や 高 野 宮 などの 東 部 地 域 でつくられていた 問 50 中 之 口 地 区 の 方 言 ( 里 ことば)で きっつぇ ねっか と 言 うことがある その 意 味 は 何 か つえ 1. 木 の 杖 がないでしょうか 2. 強 欲 な 人 を 指 す 3. 強 い という 意 を 強 調 するとき 4.キツツキを 見 つけたとき 問 51 中 之 口 地 区 の 方 言 ( 里 ことば)で かわろこ(かわどこ) と 呼 ばれる 場 所 がある 何 を するところか 1. 洗 濯 物 を 乾 かす 2. 農 具 や 野 菜 などを 洗 う 3. 塩 漬 けした 梅 の 実 を 天 日 干 しする 4. 食 物 を 煮 炊 きする 問 52 中 之 口 地 区 の 方 言 ( 里 ことば)で はらくち になったと 表 現 する 時 がある どのような 場 合 か 1. 武 士 が 切 腹 すること 2. 腹 ごなしに 原 っぱへ 行 くこと 3. 腹 ぎたない 人 の 隠 語 4. 食 事 をして 腹 がいっぱいになること 問 53 昔 正 月 14 日 の 晩 子 どもたちがわらぐつや ふかぐつなどの 使 えなくなったものを 持 ち 寄 り それをなわで 引 きずり 空 き 缶 などをたたきながら を 送 ろう 佐 渡 の 島 までさっさと 送 ろう などとみんなで 声 を 合 わせて 田 んぼの 畔 (あぜ)をめぐっ た この 小 正 月 の 行 事 は 何 か 1. 鳥 追 い 2. 虫 追 い 3.もぐらもち 送 り 4. 鳥 獣 (ちょうじゅう) 送 り 9
問 54 中 之 口 先 人 館 には 先 人 展 示 室 がある そこには 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 をはじめ 漢 学 者 の 小 柳 司 氣 太 博 士 東 映 創 設 者 の 大 川 博 氏 などさまざまな 分 野 で 活 躍 した 多 くの 先 人 の 資 料 を 幅 広 く 紹 介 している あわせて 何 人 か 1. 6 人 2. 10 人 3. 26 人 4. 36 人 問 55 現 在 の 三 条 市 上 保 内 で 生 まれ その 後 中 之 口 地 区 で 育 った 漢 学 者 で 新 修 漢 へんさん 和 大 字 典 を 編 纂 し 学 習 院 大 学 教 授 や 大 東 文 化 学 院 学 長 を 務 めたのは 誰 か 1. 西 村 欣 策 2. 諸 橋 轍 次 3. 吉 原 賢 二 4. 小 柳 司 氣 太 問 56 昭 和 7 年 (1932 年 )に 養 鶏 をはじめ 1000 羽 飼 育 を 達 成 昭 和 20 年 (1945 年 )に は 産 卵 日 本 記 録 鶏 を 作 り 4 年 連 続 日 本 一 の 座 につき 10 羽 一 群 の 世 界 記 録 を 達 成 した 昭 和 22 年 (1947 年 ) 天 皇 陛 下 の 新 潟 巡 幸 の 際 に 天 覧 の 光 栄 に 浴 した 人 は 誰 か 1. 川 上 正 直 2. 山 澤 善 衛 門 3. 永 塚 大 佐 久 4. 川 村 直 一 郎 問 57 中 之 口 地 区 出 身 の 平 松 遮 那 一 郎 氏 は 県 会 議 長 や 道 上 村 長 をつとめ 郷 土 の 発 と 展 さらに 治 水 事 業 道 路 整 備 そして 教 育 の 充 実 など 身 命 を 賭 して 貢 献 した この 功 績 をたたえようと 平 成 13 年 (2001 年 ) 顕 彰 碑 が 建 立 された その 場 所 はどこか 1. 西 蒲 原 土 地 改 良 区 2. 西 蒲 区 役 所 中 之 口 出 張 所 3. 中 之 口 老 人 福 祉 センター 4. 新 潟 県 政 記 念 館 問 58 東 映 の 創 設 者 の 大 川 博 氏 は プロ 野 球 パシフィックリーグのあるチームのオーナー でもあった このチームはパリーグ 優 勝 を 果 たし オーナー 大 川 博 氏 の 胴 上 げ 写 真 が 残 っている 当 時 のチーム 名 は 変 わったが 今 はどのチームに 当 たるか 1. 埼 玉 西 武 ライオンズ 2. 北 海 道 日 本 ハムファイターズ 3.オリックスバッファローズ 4. 福 岡 ソフトバンクホークス 10
問 59 この 里 の 桃 のさかりにきてみれば 流 れにうつる 花 のくれなゐ と 刻 まれた 歌 碑 が 潟 浦 新 の 緑 水 ふれあい 公 園 に 建 立 されている この 歌 を 詠 んだのは 誰 か 1. 有 願 2. 一 茶 3. 蕉 村 4. 良 寛 問 60 平 成 9 年 (1997 年 )10 月 4 日 から 毎 週 土 曜 日 の 半 年 間 NHK 朝 の 随 想 に 出 演 し 水 と 闘 った 先 人 たちの 話 や 地 区 出 身 で 各 界 で 活 躍 した 方 々 そして 地 域 の 風 習 行 事 方 言 など 多 岐 に 亘 る 事 柄 を 電 波 に 乗 せ 県 内 に 紹 介 した 人 がいる 誰 か 1. 大 矢 豊 太 郎 2. 酒 井 正 五 3. 片 岡 鼎 4. 北 澤 昭 松 問 61 昭 和 15 年 (1940 年 ) 頃 約 2,800 軒 を 数 えた 東 京 の 公 衆 浴 場 そのほぼ 半 数 が 新 潟 県 出 身 者 の 経 営 だったという 中 でも 多 くは 中 之 口 地 区 出 身 が 占 め 著 名 な 浴 場 主 が 多 い その 方 々の 中 で 昭 和 29 年 (1954 年 ) 組 合 立 天 神 中 学 校 に 教 育 会 館 ( 記 念 館 )を 設 立 寄 付 した 人 がいる 誰 か 1. 小 林 金 吾 2. 赤 塚 五 郎 3. 田 村 虎 太 郎 4. 栃 倉 晴 二 問 62 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 は 小 学 校 卒 業 後 母 を 助 けて 農 作 業 を 手 伝 っていたが 2 年 後 東 京 へ 働 きにでた どこで 働 いたか しんせき 1. 親 戚 の 食 堂 2. 親 戚 の 風 呂 屋 3. 両 国 の 町 工 場 4. 日 本 橋 の 魚 市 場 問 63 平 成 6 年 (1994 年 )に 中 之 口 地 区 の 誇 りである 大 横 綱 羽 黒 山 の 功 績 をたたえて 銅 像 を 昭 和 3 年 (1928 年 )3 月 に 卒 業 した 小 学 校 跡 地 に 建 立 した 羽 黒 山 が 卒 業 した 当 時 の 小 学 校 名 は 何 か じんじょう 1. 松 長 東 尋 常 小 学 校 2. 松 長 西 尋 常 小 学 校 3. 小 吉 尋 常 小 学 校 4. 道 上 尋 常 小 学 校 11
問 64 横 綱 羽 黒 山 の 初 代 後 援 会 長 は 田 村 虎 太 郎 ( 東 京 府 議 )であるが 二 代 目 後 援 会 長 は 誰 か 1. 加 藤 清 二 郎 2. 山 田 彦 三 3. 鈴 木 荘 六 4. 大 倉 喜 七 郎 問 65 中 之 口 地 区 出 身 の 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 は 明 治 以 降 で 最 高 齢 全 勝 優 勝 の 記 録 を 持 っている 何 歳 の 時 か 1. 34 歳 2. 37 歳 3. 39 歳 4. 42 歳 問 66 羽 黒 山 はふるさとの 味 が 忘 れられず 親 方 になっても 自 ら 作 って 弟 子 たちに 食 べさ せたものがある 次 のうちのどれか 1.どじょう 汁 2. 草 もち 3. 白 菜 漬 4.きなこ 餅 問 67 昭 和 36 年 (1961 年 )9 月 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 が 優 勝 額 ( 実 物 大 の 肖 像 画 )を 羽 黒 集 落 に 贈 呈 したが 何 処 に 保 管 されているか 1. 中 之 口 先 人 館 2. 羽 黒 神 社 3. 生 家 4. 弥 彦 神 社 問 68 越 後 が 生 んだ 名 横 綱 羽 黒 山 の 顕 彰 碑 が 昭 和 47 年 (1972 年 ) 弥 彦 公 園 内 に 建 立 さ れた 碑 面 に 刻 まれた 三 十 六 代 横 綱 羽 黒 山 政 司 之 碑 の 拓 本 が 中 之 口 地 区 公 民 館 のホールに 掲 げてある 揮 毫 (きごう 毛 筆 で 文 字 を 書 くこと)したのは 誰 か 1. 亘 県 知 事 2. 酒 井 正 五 村 長 3. 庄 本 光 政 宮 司 4. 加 藤 清 二 郎 問 69 大 剛 横 綱 と 称 される 横 綱 羽 黒 山 幕 内 の 総 成 績 は321 勝 94 敗 1 引 き 分 け 勝 率 7 8.7%であった 入 幕 から 引 退 までの 本 割 で 勝 った 決 り 手 で1 番 多 いのは 次 のどれ か 1. 上 手 投 げ 2. 吊 り 出 し 3. 寄 り 切 り 4. 寄 り 倒 し 12
問 70 まなむすめ 羽 黒 山 は 新 大 関 の 土 俵 を 努 めた 場 所 後 に 師 匠 立 浪 の 愛 娘 絹 代 さんと 結 婚 をし たが 何 歳 の 春 か 1. 30 歳 2. 27 歳 3. 25 歳 4. 24 歳 問 71 横 綱 羽 黒 山 は 兄 弟 子 双 葉 山 に 続 く 第 三 十 六 代 横 綱 である では 第 三 十 七 代 横 綱 は 誰 か 1. 武 蔵 山 2. 照 国 3. 安 芸 ノ 海 4. 東 富 士 問 72 横 綱 羽 黒 山 の 手 数 入 り( 横 綱 の 土 俵 入 り)は 仁 王 のような 見 事 な 体 と 相 まって そ の 豪 快 無 比 な 土 俵 入 りは 観 衆 を 魅 了 した その 土 俵 入 りの かた は 何 か 1.あんこ 形 うんりゅう 2. 雲 竜 しら 型 3.ソップ 形 4. 不 ぬ 知 い 火 型 しこな 問 73 羽 黒 山 の 四 股 名 は 生 誕 地 中 之 口 地 区 字 羽 黒 からだが 出 羽 三 山 の 一 つ 羽 黒 山 も 連 想 してつけられた それ 故 その 三 山 の 県 出 身 と 間 違 えられ 易 い その 県 はどこ か 1. 秋 田 県 2. 福 島 県 3. 長 野 県 4. 山 形 県 問 74 羽 黒 山 最 後 の 優 勝 は 昭 和 27 年 (1952 年 )1 月 場 所 千 秋 楽 に 千 代 の 山 を 破 って の7 回 目 の 優 勝 である その 時 の 成 績 はどうか 1.14 勝 1 敗 2. 全 勝 3.13 勝 2 敗 4.12 勝 3 敗 問 75 昔 は 名 前 を 呼 ぶときにあだ 名 ( 愛 称 )をよく 言 ったが 羽 黒 山 ( 本 名 小 林 正 治 )は 子 どもの 頃 どう 呼 ばれたか 1.マー 坊 2.まさ 3.まこ 4.おじ 13
問 76 ~ 問 79 中 之 口 地 区 出 身 の 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 は 序 ノ 口 から 十 両 までを 全 部 優 勝 し 全 階 級 1 場 所 で 通 過 6 場 所 目 で 入 幕 した 場 所 数 が 少 なかった 戦 後 の 混 乱 期 に 最 盛 期 を 迎 えたため 幕 内 の 優 勝 は(76)と 決 して 多 くはないが 4 場 所 連 続 優 勝 全 勝 いま 優 勝 (77) そして 連 勝 記 録 (78) さらには 横 綱 在 位 (79)の 記 録 は 未 だ 破 られて いない (76) 幕 内 優 勝 回 数 1. 5 回 2. 6 回 3. 7 回 4. 10 回 (77) 全 勝 優 勝 回 数 1. 2 回 2. 4 回 3. 5 回 4. 6 回 (78) 連 勝 記 録 1. 32 連 勝 2. 45 連 勝 3. 59 連 勝 4. 66 連 勝 (79) 横 綱 在 位 1. 3 年 3か 月 2. 6 年 8ヶ 月 3. 8 年 10か 月 4. 12 年 3か 月 問 80 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 は 昭 和 27 年 (1952 年 ) 師 匠 立 浪 親 方 の 死 後 昭 和 28 年 (195 かんさつ ふ とう ふくつ 3 年 )に 引 退 するまで 二 枚 鑑 礼 となったが 不 墝 不 屈 の 精 神 で 立 浪 部 屋 をさらに 隆 盛 させる 弟 子 の 中 から 北 の 洋 時 津 山 若 羽 黒 安 念 山 を 育 てあげた この 四 力 士 は 何 と 呼 ばれたか 1. 立 浪 四 羽 烏 2. 立 浪 四 人 衆 3. 立 浪 カルテット 4. 立 浪 四 天 王 問 81 横 綱 羽 黒 山 生 誕 百 周 年 記 念 グッズに 大 判 うちわができた 片 面 に 原 寸 大 の 手 形 反 対 片 面 に 羽 黒 山 が 毛 筆 で 書 いた 一 味 真 がプリントしてあるが 一 味 真 の 意 味 は 何 か とうがらし 1. 真 実 は 一 味 唐 辛 子 のように 混 ざりがない 2. ちゃんこ 鍋 はいろんな 食 材 の 味 が 一 度 で 味 わえる 3. 一 味 ( 仲 間 )を 裏 切 らない 真 の 心 4. 私 たちの 心 ( 想 い)は 一 つ 14
問 82 16 おば 歳 の 春 浴 場 主 を 夢 みて 上 京 した 正 治 ( 羽 黒 山 の 本 名 ) 少 年 は 叔 母 の 経 営 す る 朝 日 湯 で 番 頭 として 働 く 近 くに 相 撲 部 屋 があり 稽 古 がはじまると 稽 古 場 の 窓 にかじりついて よく 稽 古 をみたと 羽 黒 山 は 手 記 で 思 い 出 を 述 べている その 部 屋 すす の 親 方 が 角 界 入 りを 最 初 に 勧 めたのであるが 親 方 名 は 誰 か 1. 伊 勢 ヶ 浜 2. 錦 島 3. 出 羽 海 4. 立 浪 問 83 ~ 問 84 力 士 生 活 二 十 一 年 横 綱 在 位 三 十 場 所 に 輝 く 角 界 空 前 の 大 記 録 を 樹 立 した 羽 黒 ひろう 山 の 断 髪 式 及 び 引 退 披 露 大 相 撲 は(83) 浅 草 蔵 前 国 技 館 で 行 われた そして 羽 黒 山 最 後 の 豪 快 な 手 数 入 り( 横 綱 の 土 俵 入 り)も 披 露 された その 時 の 太 刀 持 つゆはら 千 代 ノ 山 露 払 いは(84)が 務 めた た ち もち は (83) 断 髪 式 及 び 引 退 披 露 大 相 撲 1. 昭 和 28 年 (1953 年 )9 月 17 日 2. 昭 和 28 年 (1953 年 )11 月 17 日 3. 昭 和 29 年 (1954 年 )1 月 30 日 4. 昭 和 29 年 (1954 年 )3 月 30 日 (84) 露 払 いの 力 士 名 1. 照 国 2. 前 田 山 3. 東 富 士 4. 鏡 里 と 問 85 終 戦 まじかの 数 ヶ 月 立 浪 一 門 は 勤 労 奉 仕 で 山 形 県 手 うげ 向 村 に 滞 在 した 毎 朝 暗 い うちに 起 き 食 糧 も 十 分 で 無 い 状 況 での 重 労 働 は 土 俵 以 上 の 苦 しさであったと 横 綱 羽 黒 山 は 手 記 に 書 いている どのような 作 業 か 1. 用 排 水 路 掘 り 作 業 2. 木 材 の 運 搬 作 業 3. 松 根 油 を 採 る 松 根 掘 り 作 業 4. 森 林 の 下 草 刈 り 作 業 15
問 86 羽 黒 山 は 師 匠 立 浪 の 名 跡 を 継 ぎ 日 本 相 撲 協 会 取 締 役 となり 角 界 発 展 に 尽 力 中 に 昭 和 44 年 (1969 年 )10 月 14 日 病 で 亡 くなる 後 日 政 府 から 長 年 の 相 撲 道 に 対 する 功 績 が 認 められ 従 五 位 勲 何 等 が 贈 られたか 1. 勲 3 等 2. 勲 4 等 3. 勲 5 等 4. 勲 6 等 問 87 羽 黒 山 引 退 記 念 誌 ( 昭 和 29 年 1 月 30 日 発 行 ) 私 の 半 生 の 手 記 で 立 浪 政 司 ( 羽 黒 山 ) 親 方 は 父 親 小 林 金 作 母 親 ミナのもとで 越 後 の 寒 村 に 生 まれたとある 小 林 正 治 ( 羽 黒 山 の 本 名 )の 生 年 月 日 はいつか 1. 大 正 元 年 11 月 18 日 2. 大 正 2 年 11 月 18 日 3. 大 正 3 年 11 月 18 日 4. 大 正 4 年 11 月 18 日 問 88 羽 黒 山 の 最 後 の 勝 ち 星 は 昭 和 28 年 (1953 年 ) 初 場 所 13 日 目 (1 月 21 日 )であっ た くしくも この 日 初 枝 夫 人 に 男 の 子 が 誕 生 した 羽 黒 山 は 最 後 の 白 星 の 日 に 生 まれた 男 の 子 に 何 という 名 前 を 付 けたか ( 名 前 は 二 字 一 字 は 羽 黒 山 の 名 からとっ ている) 1. 羽 黒 山 が 勝 った 日 の 誕 生 を 記 念 して 勝 男 と 名 付 けた 2. 羽 黒 山 が 勝 った 日 の 誕 生 を 記 念 して 正 勝 と 名 付 けた 3. 羽 黒 山 が 勝 った 日 の 誕 生 を 記 念 して 勝 正 と 名 付 けた 4. 羽 黒 山 が 勝 った 日 の 誕 生 を 記 念 して 白 司 と 名 付 けた 問 89 ~ 問 90 故 郷 の 羽 黒 神 社 には 羽 黒 山 が 大 関 に 昇 進 した 時 寄 進 した(89)と 横 綱 に 栄 進 し た 時 に 寄 進 した(90)がある (89) 大 関 に 昇 進 した 時 寄 進 したもの 1. 石 の 鳥 居 2. 玉 垣 ( 周 囲 に 設 ける 垣 根 ) 3. 灯 籠 4. 絵 馬 (90) 横 綱 に 栄 進 した 時 に 寄 進 したもの 1. 手 水 舎 (ちょうずや) 2. 杉 の 植 樹 3. 拝 殿 前 の 鈴 4. 賽 銭 箱 (さいせんばこ) 16
せんぶん 問 91 弥 彦 公 園 入 口 近 くに 三 十 六 代 横 綱 羽 黒 山 政 司 之 碑 が 建 っている 裏 面 の 撰 文 きごう ( 文 章 をつくること)と 揮 毫 した 人 は 誰 か 1. 羽 黒 山 の 義 弟 高 木 友 之 助 2. 立 浪 親 方 3. 立 行 事 木 村 庄 之 助 4. 立 浪 部 屋 後 援 会 長 加 藤 清 二 郎 問 92 問 91の 撰 文 の 中 に 嗚 呼 君 天 資 純 朴 円 満 土 俵 ノ 外 人 ト 争 ハズ と 横 綱 の 人 柄 をわずか18 文 字 で 表 している どんな 人 柄 だったか 1. 土 俵 上 の 激 しい 闘 志 がどこにあるかと 思 うほど おだやかな 人 だった 2. 冗 談 を 言 って 人 を 笑 わす 人 だった 3. 稽 古 には 大 変 きびしく 弟 子 から 恐 れられていた 4. 口 数 が 少 なく いつも 一 人 でいる 人 だった にしき 問 93 第 36 代 横 綱 に 栄 進 した 羽 黒 山 が 故 郷 に 錦 を 飾 る 昇 進 披 露 記 念 興 業 が 羽 黒 山 の 母 校 のグラウンドを 会 場 に 興 業 されたがいつか 1. 昭 和 15 年 (1940 年 )8 月 13 日 2. 昭 和 16 年 (1941 年 )8 月 13 日 3. 昭 和 28 年 (1953 年 )8 月 16 日 4. 昭 和 29 年 (1954 年 )8 月 16 日 問 94 ~ 問 95 横 綱 羽 黒 山 は 昭 和 28 年 (1953 年 ) 初 場 所 右 手 親 指 の 骨 折 にもめげず 13 日 目 力 士 として 最 後 の 勝 名 乗 りを 受 けた その 時 に 勝 った 対 戦 力 士 は(94)である その 後 春 場 所 は 全 休 となり 夏 場 所 2 日 目 の 取 組 で 相 手 力 士 の 外 掛 けに 敗 れた 一 番 が 羽 黒 山 最 後 の 土 俵 となったが その 時 の 相 手 力 士 は(95)である (94) 勝 った 対 戦 力 士 名 1. 朝 潮 2. 三 根 山 3. 栃 錦 4. 琴 ヶ 浜 (95) 敗 れた 相 手 力 士 名 1. 若 ノ 花 2. 琴 錦 3. 玉 ノ 海 4. 備 州 山 17
問 96 羽 黒 山 は 横 綱 になってからアキレス 腱 を 二 度 切 断 している 一 度 目 は 昭 和 23 年 (1 948 年 )3 月 の 奈 良 県 での 巡 業 中 二 度 目 は7 月 の 北 海 道 巡 業 である まだ 完 全 に 治 癒 していないので 無 理 だとの 医 師 の 反 対 を 振 り 切 り 北 海 道 巡 業 に 駆 けつけたと きである 何 をしたときか 1. 稽 古 をつけているとき 2. 手 数 入 り( 横 綱 の 土 俵 入 り) 披 露 のとき 3. 石 段 を 下 りるとき 4. 坂 を 登 るとき 問 97 羽 黒 山 の 全 盛 時 双 葉 山 名 寄 岩 羽 黒 山 の3 力 士 は 立 浪 三 羽 烏 と 呼 ばれた 三 羽 烏 の 相 撲 ぶりで 羽 黒 山 はどれか 1. 立 ち 合 いの 猛 突 っ 張 りからノド 輪 で 攻 め 引 きおとす 2. 完 成 されきった 右 四 ツの 美 しい 四 ツ 相 撲 3. 左 四 ツとなり 相 手 の 左 を 右 で 引 っぱりこみ がむしゃらに 前 に 出 る 4. 左 で 差 して 右 で 浅 く 前 まわしを 引 き 力 でねじ 伏 せるような 手 堅 い 取 り 口 問 98 ~ 問 100 第 36 代 横 綱 羽 黒 山 は 昭 和 8 年 暮 れ 立 浪 部 屋 に 入 門 した 小 林 正 治 ( 羽 黒 山 の 本 名 )に 立 浪 親 方 は 四 股 名 (98)を 贈 り 門 出 を 祝 った 羽 黒 山 は 厳 しい 稽 古 を 重 ね 破 竹 の 勢 いで 番 付 を 上 げて 行 く そして 昭 和 14 年 夏 場 所 後 (99) 再 び 改 名 し 羽 黒 山 政 司 と 名 乗 るがその 時 の 名 付 け 親 は(100)である (98) 立 浪 親 方 が 名 付 けた 四 股 名 1. 羽 黒 山 大 五 郎 2. 羽 黒 山 政 太 郎 3. 羽 黒 山 勝 太 郎 4. 羽 黒 山 政 五 郎 (99) 夏 場 所 後 に 昇 進 した 地 位 1. 新 十 両 になったとき 2. 新 小 結 になったとき 3. 新 関 脇 になったとき 3. 新 大 関 になったとき (100) 羽 黒 山 政 司 を 名 付 けたのは 誰 か 1. 立 浪 親 方 2. 親 方 夫 人 3. 双 葉 山 4. 後 援 会 長 18