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学習指導要領




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博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文





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平成27年度第2回高等学校卒業程度認定試験問題(世界史A)


Transcription:

タイトル 東 南 アジアの 人 間 像 と 日 本 経 営 史 の 原 像 ( 一 ) 著 者 大 場, 四 千 男 ; OBA, Yoshio 引 用 北 海 学 園 大 学 学 園 論 集 (148): 23-112 発 行 日 2011-05-18

東南アジアの人間像と日本経営 の原像 一) 大場四千男) い東南アジア の方法論として提起しようとする したがって ここでは森安孝夫の唐王朝の特 異性を取りあげ その全体像を明らかにする 森安孝夫は最初にユーラシア大陸に占める中央ユーラシア 中央アジア国家の境界線を次の 図-1のように描くのである この図に示されているように 中央ユーラシアは東端の大興安嶺 西端のドナウ河 黒海 北 端のアルタイ山脈 ウラル山脈と南端の崑崙山脈 ヒマラヤ山脈 カスピ海を境界にする中央ア ジア地帯とから成っている しかも この中央ユーラシアは中央アジアを枢軸にして形成され シルクロードのネットワーク網に支えられているのである この中央ユーラシアを征服する最初の王朝が唐であることから 唐の征服王朝としての特異性 は遊牧騎馬民族李氏の鮮卑系を出身系図とする すなわち 唐の始祖が李虎であり 孫の李淵は 高祖として唐帝国を築く 唐王朝の高祖李淵 612-626 の系図は図-2のように9代徳宗 李 まで続く この図-2には唐王朝の李氏一族の家系図の出自を示している すなわち 李氏一族は 大興安 嶺の武川鎮に由来する鮮卑系集団 140頁 の一つであり 隋王朝の始祖楊忠と同じ鮮卑系であ る このことから 森安孝夫は隋 唐を漢民族王朝でなく 鮮卑系遊牧騎馬民族 拓跋氏 の 拓 跋国家 或いは 関 集団 の王朝であると位置づけ 東南アジア の新しい解釈を行うのであ る すなわち 関 集団 王朝は北魏の国防を担う六鎮 つまり 武川鎮の鮮卑族を家系図の始 めとするのである 次に唐朝の確立に貢献する2代李世民 太宗 は中央アジアの西方経営を行うために中央ユー ラシア東部地域に勢力を誇っている匈奴 費也頭 と突 を 630年に破り 西方経営に乗り出し 図-1 中央ユーラシアの境界線 (森安孝夫 シルクロードと唐帝国 51頁より引用) 27

図-5 リンチェン ドルマ 印 とツァロン家家系図 リンチェン ドルマ 前掲書 付録より作成) 北海学園大学学園論集 36 第 148号 (2011年6月)

東南アジアの人間像と日本経営 図-6 の原像 一) 大場四千男) ブータン国王の家系図 地球の歩き方 ブータン 2009-10年版 24頁より作成) ドルマはブータン首相ジクメ ドルマに救いの手を求めたのであった ここではブータンの現代 を特徴づけるもう一つの問題 つまり ワンチュク家とドルマ家と の対立と和解をブータン仏教と絡めながら以下探究する 結論を言うならば ドルジェ ワンモはワンチュク家とドルジェ家との対立を解消して和解す べく4代国王ジグメ シンゲ ワンチュクとブータン仏教ドゥク派の儀式にのっとって結婚する ドルジェ ワンモはドルジェ家とワンチュク家の対立を初代国王ウゲン ワンチュクのブータン 統一過程に迄溯って明らかにする すなわち ブータン仏教の求める正統国王の資格は 17世紀に ブータン王朝を成立させたシャプドゥン ン ガワン ナムギェルの化身系譜 身 口 意の3つ 69

北海学園大学学園論集 表-1 第 148号 (2011年6月) 2人の首相とブータンの現代 地球の歩き方 ブータン 2009-2010年版 25頁より作成) 70

北海学園大学学園論集 第 148号 (2011年6月) 図-1 東南アジアにおけるブータンの位置 図-2 ブータンの各州と空港パロ 82