解 題 一 はじめに 小 平 市 史 料 集 第 二 十 九 集 は 村 入 用 として 市 内 五 カ 村 の 村 入 用 帳 を 一 冊 にまとめました 村 入 用 帳 は 近 世 において 村 の 一 年 間 の 諸 経 費 を 記 載 した 帳 面 村 入 用 とは 村 を 維 持 運 営 し 村 民 が 共 同 組 織 としての 村 を 通 じて 生 活 生 産 する 際 に 必 要 な 諸 経 費 で 年 貢 以 外 の 負 担 をいう その 諸 経 費 の 書 上 を 村 入 用 帳 といい 村 民 全 体 に 割 付 け 徴 収 する 帳 面 を 村 入 用 小 割 帳 といった ( 国 史 大 辞 典 吉 川 弘 文 館 ) とされています 小 平 市 内 に 現 存 する 村 入 用 関 係 史 料 は 村 によって 史 料 の 数 に 大 きな 差 があり 明 治 五 年 までの 史 料 を 目 録 で 調 べてみると 小 川 村 には 四 〇 点 小 川 新 田 には 九 点 鈴 木 新 田 には 三 点 野 中 新 田 には 〇 点 大 沼 田 新 田 には 四 三 点 廻 り 田 新 田 には 九 七 点 合 計 五 二 点 の 史 料 がありますが 今 回 収 録 したのはこの 内 二 三 点 です 基 本 的 には 一 年 間 の 村 の 諸 経 費 に 関 する 内 訳 と 総 合 計 を 書 上 げた 史 料 を 中 心 に 収 録 し 村 入 用 割 合 帳 及 び 定 使 給 や 当 座 入 用 等 の 臨 時 入 用 村 の 諸 経 費 に 関 する 内 訳 の 記 載 のないもの 欠 損 史 料 などは 除 外 しました 村 入 用 の 記 載 内 容 については 村 入 用 の 費 目 は 一 般 に 村 役 人 給 料 出 張 費 会 合 費 筆 墨 紙 代 などであるが 祭 礼 宗 教 行 事 の 費 用 のほか 土 木 水 利 の 普 請 や 治 安 に 関 する 入 用 人 足 賃 があり 広 義 の 村 入 用 には 夫 役 国 役 助 郷 役 年 貢 納 入 の 費 用 も 含 まれる 場 合 がある ( 国 史 大 辞 典 吉 川 弘 文 館 )とされています このことからも 分 かるように 村 入 用 を 調 べることによって 年 貢 の 他 に 村 ではどのような 経 費 が 必 要 であり どのような 生 活 をしていたのかを 知 ることができます また 村 入 用 帳 の 成 立 時 期 については 神 崎 彰 利 村 入 用 帳 について に 村 入 用 帳 が 確 立 する 時 期 それは 地 域 に よって 違 うが 一 つには 貞 享 元 禄 期 頃 なのではなかろうか ( 日 本 古 文 書 学 会 編 日 本 古 文 書 学 論 集 12 近 世 Ⅱ 吉 川 弘 文 館 418ページ 所 収 )とされているように 元 禄 期 以 前 の 村 入 用 帳 の 存 在 は 数 少 ない 上 に 村 入 用 帳 と 記 されているもの がほとんどないことを 考 えると 史 料 1 元 禄 十 五 年 惣 村 入 用 帳 は 大 変 貴 重 な 史 料 であると 言 えます 以 上 のことから 本 史 料 集 に 収 録 した 史 料 の 概 略 について 触 れ 村 の 生 活 の 一 端 についてまとめてみたいと 思 います 二 小 川 村 の 村 入 用 帳 小 川 村 の 村 入 用 帳 については 伊 藤 好 一 小 川 村 の 村 入 用 帳 と 村 入 用 について ( 武 蔵 国 多 摩 郡 小 川 村 村 入 用 帳 の 研 究 明 治 高 等 学 校 昭 和 29 年 )の 研 究 がありますが ガリ 版 刷 りで 学 校 の 内 部 資 料 として 配 布 されたもののようです 内 容 的 には 村 入 用 帳 の 形 式 村 入 用 帳 の 内 容 村 入 用 の 負 担 の 三 章 から 構 成 され 36 ページに 亙 り 詳 細 な 分 析 が 行 われています しかし 一 般 の 流 通 ルートには 載 らなかったものなので 前 掲 書 日 本 古 文 書 学 論 集 12 近 世 Ⅱ の 村 入 用 帳 関 係 論 文 にも 紹 介 されていません このような 事 情 から 早 い 時 期 に 研 究 されたもののその 後 の 研 究 にも 活 用 されていませんので 改 めて 小 川 村 の 村 入 用 帳 の 概 略 についてまとめてみたいと 思 います 1 村 入 用 帳 の 種 類 小 川 村 の 村 入 用 帳 には 大 きく 分 けて 一 年 間 の 村 入 用 を 書 上 げた 年 中 村 入 用 帳 と 一 年 間 を 三 期 に 分 けて 書 上 げた 期 間 村 入 用 帳 が あります 期 間 村 入 用 帳 は 安 永 九 年 ( 一 七 八 〇 )から 見 られるもので 村 入 用 割 合 帳 村 入 用 立 合 改 割 合 帳 村 入 用 取 調 帳 等 と 記 されており 本 史 料 集 には 収 録 しませんでした 今 回 収 録 したのは 年 中 村 入 用 帳 ですが 年 中 村 入 用 帳 も 三 種 類 に 分 けることができます 一 つは 村 入 用 帳 と 村 入 用 夫 銭 帳 です 小 川 村 の 村 入 用 帳 は 元 禄 十 五 年 ( 一 七 〇 二 ) 惣 村 入 用 帳 が 現 存 する 最 古 のもので 文 政 十 二 年 ( 一 八 二 九 ) 三 月 の 去 子 村 入 用 帳 まで 二 十 二 冊 存 在 し 嘉 永 三 年 ( 一 八 五 〇 ) 三 月 から 明 治 四 年 ( 一 八 七 一 ) 四 月 までは 村 入 用 夫 銭 帳 という 名 称 が 使 わ れていますが 内 容 的 には 同 じものです 但 し 元 禄 十 五 年 惣 村 入 用 帳 は 名 称 は 村 入 用 帳 ですが 内 容 的 には 最 後 に 各 人 の 出 銭 高 を 書 上 げていますので 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 に 含 まれるものです 村 入 用 帳 は 基 本 的 に 三 月 に 作 成 されており 前 年 一 年 分 の 村 中 諸 入 用 の 経 費 を 十 二 月 に 費 目 別 に 書 上 げ 集 計 したもので 名 主 組 頭 が 帳 面 に 仕 立 てて 村 中 の 百 姓 が 立 ち 会 って 割 合 勘 定 した 帳 面 です もう 一 つは 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 村 入 用 立 合 改 帳 村 入 用 立 会 改 割 合 帳 等 です これは 基 本 的 に 十 一 月 か 十 二 月 に 作 成 されてお り 当 年 一 年 分 の 村 入 用 について 諸 入 用 別 の 経 費 を 書 上 げ 惣 反 別 に 割 って 一 反 当 たりの 出 銭 高 を 決 め 各 人 の 出 銭 高 を 書 上 げた 帳 面 です 宝 永 六 年 ( 一 七 〇 九 ) 当 年 分 当 村 惣 入 用 改 小 割 貫 キ 帳 から 延 享 四 年 ( 一 七 四 七 ) 十 二 月 卯 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 までは 小 割 帳 の 名 称 が 使 われ 宝 暦 二 年 ( 一 七 五 二 ) 十 二 月 申 村 入 用 立 合 改 帳 から 寛 政 十 年 ( 一 七 九 八 ) 十 一 月 午 村 入 用 立 会 改 帳 までは 改 帳 享 和 元 年 ( 一 八 〇 一 ) 酉 年 中 村 入 用 立 会 改 割 合 帳 からは 改 割 合 帳 となっています 三 つ 目 は 村 入 用 立 合 改 出 帳 です これは 安 永 六 年 ( 一 七 七 七 )から 八 年 までの 三 点 しか 存 在 しませんが 名 称 が 村 入 用 立 会 改 帳 1
と 類 似 していて 標 題 だけでは 区 別 がつき 難 く 安 永 六 年 十 一 月 酉 村 入 用 立 合 改 出 帳 は 前 半 が 村 入 用 立 会 改 帳 と 同 内 容 で 後 欠 文 書 ですのでなおさらです しかし 後 の 二 点 には 諸 入 用 別 の 経 費 や 各 人 の 出 銭 高 の 書 上 げはなく 享 保 九 年 ( 一 七 二 四 ) 十 二 月 辰 村 入 用 立 合 改 小 割 貫 帳 から 享 保 十 二 年 ( 一 七 二 七 ) 十 二 月 未 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 のように いつ どれだけの 金 銭 を 何 のために 使 ったかが 記 されており 村 入 用 の 必 要 経 費 に 関 する 記 録 を 書 上 げた 帳 面 です 2 村 入 用 帳 の 記 載 内 容 村 入 用 帳 の 種 類 や 時 代 によって 記 載 内 容 に 違 いが 見 られますが 本 史 料 集 に 収 録 した 三 十 八 年 分 の 村 入 用 帳 を 見 てみると 記 載 順 序 に 違 いがあるものの 毎 年 の 記 載 内 容 は 十 二 項 目 以 内 に 分 けられています 伊 藤 好 一 氏 は 前 掲 の 論 考 で 1 事 務 費 2 会 議 費 3 人 件 費 4 出 張 費 5 警 察 費 6 土 木 費 7 産 業 費 8 用 水 費 9 玉 川 上 水 保 護 費 10 鷹 場 費 用 11 鮎 費 用 12 交 際 費 に 分 類 していますが 現 代 の 経 理 概 念 で 区 分 すると 却 って 分 かり 難 いものになってしまうように 思 われますので 原 資 料 の 表 記 に 沿 って まとめてみると 次 のようになります 小 川 村 村 入 用 帳 の 記 載 内 容 項 目 一 覧 1 役 人 等 の 江 戸 出 府 御 用 等 の 経 費 2 鷹 場 御 用 に 関 する 経 費 ( 猪 鹿 追 散 願 御 定 杭 塚 矢 来 修 復 鉄 砲 拝 借 御 成 御 用 など) 3 旅 人 の 日 暮 宿 代 ( 日 暮 宿 貸 瞽 女 座 頭 勧 化 浪 人 など) 4 諸 帳 簿 作 成 のための 筆 紙 墨 代 5 諸 勘 定 のための 寄 合 の 経 費 6 呑 水 堰 料 金 7 玉 川 上 水 や 用 水 の 橋 及 び 堀 の 修 復 費 8 勧 化 寄 進 及 び 瞽 女 座 頭 への 合 力 の 費 用 9 年 貢 納 入 等 の 人 馬 の 駄 賃 10 名 主 給 11 定 使 給 12 関 東 取 締 出 役 の 道 案 内 の 経 費 13その 他 ( 高 札 鷹 場 杭 の 修 復 井 戸 浚 火 番 小 屋 災 害 など) 村 入 用 帳 と 比 べると 村 入 用 立 合 改 帳 の 記 載 内 容 は 意 外 に 少 ないのに 驚 きます 村 入 用 帳 の 入 用 は 十 二 項 目 程 度 に 分 かれているの に 対 し 村 入 用 立 合 改 帳 は 五 ~ 六 項 目 程 度 であり 前 にまとめた1~4と9 及 び6や8が 記 され 10や11は 全 く 記 されていません しかも 史 料 46 の 安 永 八 年 ( 一 七 七 九 )の 村 入 用 立 合 改 帳 からは 項 目 ごとに 入 用 が 書 上 げられずに 総 額 が 一 本 にまとめられて 記 されるようになります 3 村 入 用 帳 に 残 された 歴 史 的 な 記 録 このように 村 入 用 帳 は 記 載 内 容 が 形 式 化 され 入 用 経 費 と 各 人 の 負 担 額 が 記 された 帳 簿 のために 史 料 集 として 刊 行 されることの 少 ないもののように 思 われます しかし よく 見 てみると 貴 重 な 記 録 が 残 されていることが 分 かりますので ここでその 中 のいく つかをご 紹 介 してみようと 思 います 1 鷹 場 杭 と 鷹 狩 享 保 七 年 ( 一 七 二 二 )から 慶 応 四 年 ( 一 八 六 八 )までの 村 入 用 帳 及 び 村 入 用 立 合 帳 には 尾 州 様 御 鷹 場 諸 願 等 入 用 が 記 されて います これは 享 保 七 年 十 二 月 寅 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 に 当 村 原 付 ニ 而 別 而 猪 鹿 狼 多 出 作 毛 を 荒 シ 候 ニ 付 尾 張 様 御 役 人 中 迄 猪 鹿 追 御 免 願 上 追 申 候 得 共 散 シ 不 レ 申 候 ニ 付 御 代 官 様 へ 鉄 炮 拝 借 願 上 尾 張 様 御 役 人 中 えも 相 願 申 候 惣 而 猪 鹿 追 鉄 炮 拝 借 仕 并 返 上 四 月 一 日 より 七 月 晦 日 迄 名 主 組 頭 百 姓 江 戸 并 田 無 村 前 沢 村 へ 罷 出 候 小 遣 人 馬 雑 用 其 外 諸 入 用 と 記 されているように 小 川 村 の 周 りの 原 野 には 猪 鹿 狼 が 多 く 作 物 を 荒 らすので 四 月 一 日 から 七 月 晦 日 までの 間 鉄 砲 を 拝 借 して 追 い 散 らすために 代 官 所 と 尾 張 家 役 人 に 猪 鹿 追 散 願 を 出 し 名 主 組 頭 百 姓 などが 鉄 砲 の 拝 借 返 上 等 に 江 戸 の 代 官 屋 敷 や 田 無 村 前 沢 村 の 尾 張 家 鷹 場 役 人 の 所 へ 出 掛 ける 時 の 人 や 馬 にかかる 費 用 ということになります しかも このことは 宝 永 六 年 ( 一 七 〇 九 ) 十 二 月 当 年 分 当 村 惣 入 用 改 小 割 貫 キ 帳 に 当 丑 年 御 公 儀 様 より 猪 鹿 威 鉄 炮 御 免 ニ 付 村 中 惣 百 姓 出 銭 仕 鉄 炮 弐 挺 相 調 と 記 されているように 公 儀 の 許 可 を 得 てこの 年 に 全 員 でお 金 を 出 し 合 って 調 達 したものであり 享 保 二 年 ( 一 七 一 七 )に 尾 張 藩 の 鷹 場 が 再 興 される 以 前 から 続 いている 制 度 であることが 分 かります 史 料 5の 享 保 七 年 ( 一 七 二 二 ) 十 二 月 寅 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 には 三 月 三 日 の 所 に 御 上 水 御 高 札 三 ケ 所 御 鷹 場 御 定 杭 六 2
ケ 所 尾 張 様 御 鷹 場 杭 六 ケ 所 右 十 五 ケ 所 やらい 破 損 竹 なわ 等 入 用 と 記 され 史 料 7の 享 保 九 年 ( 一 七 二 四 ) 十 二 月 辰 村 入 用 立 合 改 小 割 貫 帳 の 十 一 月 の 所 には 御 上 水 御 高 札 御 鷹 場 塚 やらい 十 五 ケ 所 つくろい 縄 竹 入 用 と 記 されています このことから 玉 川 上 水 端 の 三 か 所 に 高 札 があり 鷹 場 杭 は 将 軍 家 と 尾 張 家 の 分 が 各 六 か 所 あって 塚 が 築 かれていたようで これらは 縄 で 結 んだ 竹 矢 来 で 囲 われていたことが 分 かります また 史 料 9の 享 保 十 二 年 ( 一 七 二 七 ) 十 二 月 未 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 の 三 月 の 所 に は 御 定 杭 土 下 朽 候 書 上 ケ と 記 され 十 一 月 の 所 には 尾 張 様 御 石 杭 四 本 御 立 替 やらい 竹 縄 こも 諸 色 入 用 と 記 されています このことから 尾 張 家 の 鷹 場 杭 は 享 保 十 二 年 十 一 月 に 石 杭 に 立 て 替 えられ 本 数 も 六 本 から 四 本 に 減 ったことが 分 かります 鷹 場 については 史 料 集 第 二 十 一 二 十 二 集 として 刊 行 しており 数 多 くの 史 料 がありますが 鷹 狩 りの 記 録 はほとんど 見 当 たりま せん しかし その 貴 重 な 記 録 が 当 史 料 集 に 記 録 されていますのでご 紹 介 しましょう 史 料 10 の 享 保 十 三 年 ( 一 七 二 八 ) 十 二 月 申 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 には 猪 かり 御 用 ニ 付 せこ 人 足 才 料 名 主 組 頭 罷 出 候 節 小 遣 諸 入 用 等 として 銭 七 百 四 拾 七 文 史 料 12 の 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 ) 十 二 月 寅 村 入 用 立 合 改 小 割 帳 には 尾 州 様 御 鷹 場 諸 御 用 并 御 成 之 節 名 主 組 頭 百 姓 度 々 御 用 として 銭 壱 貫 百 拾 四 文 史 料 21 の 寛 延 三 年 ( 一 七 五 〇 ) 十 二 月 午 村 入 用 帳 には 尾 州 様 御 成 之 節 御 用 人 馬 買 立 代 として 銭 六 貫 文 が 記 され 史 料 25 の 宝 暦 四 年 ( 一 七 五 四 ) 十 二 月 にも 同 様 の 記 録 があり 銭 四 貫 百 拾 六 文 が 記 されています この 内 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 )の 御 成 と 宝 暦 四 年 ( 一 七 五 四 )の 鷹 狩 りは 尾 州 藩 の 御 鷹 野 と 鹿 狩 について ( 多 摩 のあゆみ 第 五 十 一 号 で 紹 介 した もので 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 )は 十 一 月 二 十 一 日 から 十 二 月 五 日 までの 十 五 日 間 に 尾 張 宗 春 が 御 成 になったものです 宝 暦 四 年 は 二 月 三 日 から 二 月 十 六 日 までの 十 四 日 間 に 尾 張 宗 睦 が 御 成 になったものですが 享 保 十 三 年 ( 一 七 二 八 )の 猪 狩 りと 寛 延 三 年 ( 一 七 五 〇 )の 鷹 狩 りは 未 確 認 であり 今 後 改 めて 尾 張 藩 の 御 記 録 を 調 べ 直 さなければならない 貴 重 な 記 録 です 2 玉 川 上 水 の 高 札 鷹 場 杭 の 関 係 で 玉 川 上 水 の 高 札 についても 触 れましたが 三 か 所 あったことが 記 されています この 高 札 は 史 料 集 第 二 十 三 集 の 管 理 に 収 録 されている 元 禄 七 年 ( 一 六 九 四 ) 七 月 の 史 料 3によればこの 年 に 立 てられたもので 当 初 から 三 か 所 あったことが 分 かります また 第 一 集 に 収 録 されている 正 徳 三 年 ( 一 七 一 三 ) 八 月 の 村 明 細 帳 にも 記 されており 是 ハ 御 上 水 御 高 札 橋 々ニ 御 上 水 御 奉 行 様 より 御 立 被 レ 成 候 とあることから 上 水 奉 行 によって 玉 川 上 水 の 橋 三 か 所 に 立 てられたとされています しかも 立 てられたその 年 の 内 に 引 き 折 られて 玉 川 上 水 に 投 げ 込 まれ 二 度 目 は 宝 永 五 年 ( 一 七 〇 八 ) 十 月 に 紛 失 しています そして 史 料 7の 享 保 九 年 ( 一 七 二 四 ) 十 二 月 辰 村 入 用 立 合 改 小 割 貫 帳 には 辰 拾 月 十 五 日 御 上 水 御 高 札 失 申 候 ニ 付 羽 村 代 田 大 木 戸 へ 注 進 致 其 上 方 々 相 尋 候 得 共 弥 相 見 へ 不 レ 申 候 ニ 付 御 奉 行 様 并 玉 川 庄 右 衛 門 殿 清 右 衛 門 殿 へも 名 主 組 頭 三 人 罷 出 候 節 人 足 人 馬 雑 用 小 遣 と 記 されていて 享 保 九 年 十 月 には 三 度 目 の 高 札 紛 失 事 件 が 起 き 名 主 弥 一 は 組 頭 三 人 を 伴 って 上 水 奉 行 と 玉 川 庄 右 衛 門 清 右 衛 門 方 にも 届 出 に 出 向 いています 村 入 用 帳 には 享 保 七 年 ( 一 七 二 二 ) 三 月 三 日 には 御 上 水 御 高 札 三 ケ 所 享 保 十 一 年 ( 一 七 二 六 )には 八 月 十 日 に 御 上 水 御 高 札 新 規 御 建 替 被 二 仰 付 一 八 月 に 御 上 水 新 規 御 高 札 弐 ケ 所 建 候 やらい 竹 なわ 等 入 用 九 月 四 日 に 御 上 水 古 高 札 古 柱 三 本 御 奉 行 三 太 夫 様 へ 指 上 とあります また 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 ) 五 月 と 宝 暦 十 年 ( 一 七 六 〇 )の 村 明 細 帳 にほ ぼ 同 文 の 記 録 があって 玉 川 上 水 の 高 札 は 二 枚 で 当 村 上 下 之 橋 際 ニ 有 町 奉 行 様 より 御 建 被 レ 遊 候 と 記 されております この ことから 玉 川 上 水 の 高 札 は 元 禄 七 年 に 橋 際 三 か 所 に 立 てられ 享 保 十 一 年 ( 一 七 二 六 ) 八 月 には 古 い 高 札 三 本 は 奉 行 所 に 返 され 上 下 二 カ 所 の 橋 際 に 新 規 に 立 て 替 えられたことが 分 かります この 状 況 は 宝 暦 十 年 まで 変 わらなかったようで 寛 政 三 年 に 完 成 し た 上 水 記 四 玉 川 上 水 羽 村 より 四 谷 大 木 戸 水 番 屋 まで 絵 図 には 小 川 橋 際 の 北 西 の 角 と 久 右 衛 門 橋 と 大 沼 田 新 田 分 水 口 の 間 の 南 側 上 水 端 に 高 札 の 絵 が 描 かれていますので 玉 川 上 水 の 高 札 は 享 保 十 一 年 ( 一 七 三 四 ) 以 降 この 二 か 所 に 立 てられていたものと 考 えられます しかし 高 札 の 場 所 は 当 村 上 下 之 橋 際 ニ 有 と 記 されているわけで 橋 際 でないこの 場 所 に 描 かれているのは 不 思 議 です このことについては 次 項 の 橋 の 修 復 で 謎 解 きをしてみたいと 思 います 3 橋 の 修 復 高 札 が 立 てられていた 場 所 が 玉 川 上 水 端 の 橋 際 だったことからも 橋 に 関 係 があり 史 料 集 第 二 十 三 集 には 橋 普 請 の 史 料 も 収 録 し ているのですが 意 外 に 分 からないことが 多 いのが 現 実 です そこで 本 史 料 集 に 収 録 した 村 入 用 帳 の 記 録 を 年 表 にまとめてみる と 次 のようになります 表 1 小 川 村 村 入 用 帳 にみる 橋 修 復 等 の 年 表 年 月 記 事 内 容 3
享 保 7. 3.3 御 上 水 御 高 札 三 ケ 所 享 保 8 呑 水 渇 水 之 時 分 村 中 ニ 而 汲 申 候 井 村 中 ニ 而 三 ケ 所 浚 申 候 井 戸 堀 手 間 代 夫 持 方 諸 入 用 5.- 野 火 止 御 水 道 何 者 仕 候 哉 せきを 仕 り 水 留 メ 申 候 ニ 付 御 上 水 御 奉 行 様 え 被 レ 為 レ 召 水 留 候 者 御 詮 儀 被 レ 遊 享 保 11.8.10 御 上 水 御 高 札 新 規 御 建 替 被 二 仰 付 一 8.- 御 上 水 新 規 御 高 札 弐 ケ 所 建 候 やらい 竹 なわ 等 入 用 9.4 御 上 水 古 高 札 古 柱 三 本 御 奉 行 三 太 夫 様 へ 指 上 享 保 12.3.10 坂 上 之 橋 端 口 くすれ 候 ニ 付 つくろい 申 候 杉 丸 太 葉 さゝ 長 そたしからみ 竹 等 入 用 3.- 麦 作 雪 ぬけ 御 見 分 願 状 組 頭 御 役 所 へ 差 上 候 節 入 用 12.6 坂 上 之 御 上 水 橋 損 シ 候 ニ 付 かけかへ 入 用 享 保 13 上 水 干 候 ニ 付 呑 水 無 二 御 座 一 井 戸 つるへ 縄 桶 板 おけや 手 間 わら 代 等 大 霜 降 蕎 麦 皆 損 仕 り 享 保 19 坂 上 府 中 橋 破 損 修 復 入 用 冬 中 名 主 組 頭 夜 廻 り 其 外 火 之 用 心 相 談 等 ニ 付 諸 入 用 元 文 2 世 間 物 悤 ニ 付 番 人 差 置 候 こや 普 請 并 竹 欠 四 ケ 所 番 屋 相 渡 候 入 用 元 文 3 番 小 屋 修 覆 等 諸 入 用 延 享 3 丑 冬 火 ノ 番 こ 屋 作 り 破 損 惣 而 火 用 心 ニ 付 諸 入 用 玉 川 御 上 水 ノ 上 板 橋 三 ケ 所 掛 替 其 外 野 火 留 堀 橋 詰 修 覆 等 寛 延 3 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 午 年 中 修 覆 掛 替 入 用 宝 暦 元 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 未 年 中 修 覆 掛 替 入 用 村 中 五 ヶ 所 火 番 所 普 請 入 用 宝 暦 2 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 申 年 中 修 覆 掛 替 入 用 村 中 五 ヶ 所 火 番 所 普 請 入 用 宝 暦 4 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 戌 年 中 修 覆 掛 替 入 用 宝 暦 13 村 方 火 之 番 小 屋 葺 替 ニ 付 萱 代 明 和 元 呑 水 堀 橋 破 損 ニ 付 入 用 明 和 2 上 水 堀 板 橋 弐 ケ 所 修 覆 ニ 付 木 挽 代 并 入 用 之 分 安 永 7 道 橋 取 繕 等 寛 政 5 呑 水 渇 水 之 時 分 村 中 ニ 而 汲 申 候 井 戸 三 ケ 所 浚 申 候 井 堀 手 間 代 扶 持 方 諸 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 享 和 元 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 え 掛 候 橋 修 復 入 用 享 和 2 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 え 懸 候 橋 々 修 復 入 用 享 和 3 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 堀 通 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 都 而 御 上 水 之 儀 ニ 付 相 懸 候 入 用 文 化 5 当 村 方 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 文 化 6 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 文 化 10 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 文 化 14 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 文 政 2 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 文 政 6 玉 川 御 上 水 通 橋 々 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 文 政 7 玉 川 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 文 政 8 玉 川 上 水 通 橋 并 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 文 政 9 玉 川 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 4
文 政 10 文 政 12 嘉 永 3 嘉 永 5 安 政 2 安 政 4 安 政 6 安 政 7 文 久 3 元 治 元 慶 応 2 慶 応 4 明 治 3 明 治 4 玉 川 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 玉 川 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 玉 川 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 玉 川 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 々 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 留 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 用 水 堀 橋 修 覆 入 用 玉 川 御 上 水 通 橋 并 ニ 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 用 水 堀 橋 修 覆 入 用 この 年 表 には 載 せませんでしたが 橋 修 復 の 記 録 は 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )と 安 永 元 年 ( 一 七 七 二 )から 五 年 までの 五 か 年 を 除 い て 毎 年 記 録 されています また 年 表 を 見 ていただくと 分 かるように 寛 政 五 年 ( 一 七 九 三 ) 以 降 の 橋 修 復 の 記 事 はほとんどパタ ーン 化 され 玉 川 御 上 水 通 橋 并 野 火 止 用 水 橋 其 外 村 内 呑 水 堀 之 橋 修 覆 入 用 と 記 されています 橋 の 修 復 が 恒 常 化 してい た 結 果 だと 思 われますが 具 体 的 な 事 例 が 記 載 されていないので いつ どのような 修 復 が 行 われたのかは 不 明 です そこで 具 体 的 な 記 述 に 焦 点 を 当 てて 見 てみると 史 料 9 享 保 十 二 年 ( 一 七 二 七 ) 十 二 月 六 日 には 坂 上 之 御 上 水 橋 損 シ 候 ニ 付 かけかへ 史 料 12 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 )には 坂 上 府 中 橋 破 損 史 料 18 延 享 三 年 ( 一 七 四 六 )には 玉 川 御 上 水 ノ 上 板 橋 三 ケ 所 掛 替 史 料 35 明 和 二 年 ( 一 七 六 五 )には 上 水 堀 板 橋 弐 ケ 所 修 覆 と 記 されています 玉 川 上 水 の 橋 については 史 料 集 第 二 十 三 集 の 解 題 で 触 れましたように ここで 坂 上 之 御 上 水 橋 及 び 坂 上 府 中 橋 と 呼 ばれているのは 延 宝 二 年 ( 一 六 七 四 ) 頃 の 小 川 村 地 割 図 に 描 かれている 鎌 倉 街 道 に 架 けられていた 橋 で 府 中 橋 と 呼 ばれていたものと 思 われます 府 中 橋 は 鎌 倉 街 道 の 衰 退 に 伴 って 消 滅 し 府 中 街 道 の 久 右 衛 門 橋 にその 座 を 明 け 渡 すことになります しかも 前 項 で 触 れた 久 右 衛 門 橋 と 大 沼 田 新 田 分 水 口 の 間 の 南 側 上 水 端 に 描 かれた 高 札 の 謎 は ここに 鎌 倉 街 道 が 通 りそこに 架 けられていたのが 府 中 橋 だとすれば この 謎 は 解 けるのではないでしょうか このことによって 玉 川 上 水 の 高 札 は 上 の 分 が 小 川 橋 際 の 北 西 の 角 に 下 の 分 が 府 中 橋 の 南 際 に 立 てられていたということになります 4 井 戸 浚 史 料 集 第 二 十 八 集 に 大 沼 田 新 田 の 井 戸 の 史 料 を 二 点 収 録 しましたが 玉 川 上 水 と 分 水 に 関 する 史 料 が 膨 大 に 存 在 する 中 で 井 戸 に 関 する 史 料 は 村 明 細 帳 にも 記 述 がなくほとんど 残 されていません このことから 表 1の 年 表 に 載 せた 史 料 は 大 変 貴 重 な 史 料 と 言 えます 中 でも 史 料 6 享 保 八 年 ( 一 七 二 三 )と 史 料 54 寛 政 五 年 ( 一 七 九 三 )にほぼ 同 文 の 呑 水 渇 水 之 時 分 村 中 ニ 而 汲 申 候 井 村 中 ニ 而 三 ケ 所 浚 申 候 井 戸 堀 という 記 録 があるのは 注 目 されます このことにより 小 川 村 には 享 保 八 年 に 井 戸 が 三 か 所 あり 寛 政 五 年 までこの 状 況 に 変 化 がなかったことが 確 認 できます そして その 井 戸 は 飲 み 水 である 玉 川 上 水 や 小 川 分 水 が 渇 水 した 時 に 村 中 で 汲 むものだった 事 が 明 らかです 村 明 細 帳 によれば 享 保 五 年 ( 一 七 二 〇 )の 小 川 村 の 家 数 は 二 軒 人 数 は 八 八 八 人 馬 一 五 三 疋 ですから 渇 水 時 には 九 百 人 近 い 人 数 の 飲 み 水 を 僅 か 三 か 所 の 井 戸 で 賄 っていたことが 分 かります この 生 活 に 欠 かせない 大 切 な 井 戸 を 維 持 するためには 時 々 井 戸 浚 をする 必 要 があったということです このように 井 戸 が 渇 水 時 の 飲 み 水 として 使 われていたということからも 井 戸 の 問 題 は 災 害 とも 密 接 に 結 びついています 史 料 集 第 十 八 集 に 災 害 に 関 する 史 料 を 収 録 し 解 題 に 表 2として 災 害 の 年 表 を 載 せましたが 享 保 十 二 年 ( 一 七 二 七 ) 三 月 の 麦 作 雪 ぬけ の 記 述 については 新 たに 追 加 する 必 要 があり 翌 十 三 年 の 大 霜 降 蕎 麦 皆 損 については 同 様 の 記 述 があることから 事 実 を 裏 付 ける 史 料 として 大 切 です 三 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 5
1 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 の 記 載 内 容 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 は 小 川 村 と 違 い 文 政 年 代 までと 弘 化 年 代 のものは 基 本 的 に 日 付 順 に 入 用 高 と 項 目 が 記 入 され 天 保 年 代 以 降 は 村 入 用 帳 の 記 載 内 容 項 目 が 整 理 され 年 中 の 入 用 高 が 集 計 されていきます 史 料 146 嘉 永 六 年 ( 一 八 五 三 )の 村 入 用 の 記 載 内 容 をみると 名 主 給 定 使 給 筆 紙 墨 代 瞽 女 遣 銭 水 油 蝋 燭 代 年 貢 勘 定 之 節 諸 雑 用 座 頭 遣 銭 旅 僧 遣 銭 諸 勧 化 遣 銭 取 締 御 用 諸 入 用 人 別 上 納 入 用 尾 州 様 見 廻 方 昼 食 廻 状 継 立 蝋 燭 代 取 締 組 合 道 案 内 給 分 栗 林 御 用 入 用 御 普 請 方 宿 泊 代 年 貢 納 入 用 の 十 七 項 目 が 記 されています しかし この 内 容 は 年 々 変 化 しており 基 本 的 に 毎 年 記 入 されているのは 名 主 給 定 使 給 筆 紙 墨 代 瞽 女 座 頭 遣 銭 水 油 蝋 燭 代 年 貢 勘 定 之 節 諸 雑 用 諸 勧 化 遣 銭 取 締 御 用 諸 入 用 鷹 場 御 用 役 人 御 用 の 入 用 年 貢 納 入 用 の 十 一 項 目 といったところです 小 川 村 と 比 較 してみると 大 沼 田 新 田 には 旅 人 の 日 暮 宿 代 呑 水 堰 料 金 橋 堀 の 修 復 費 がなく 水 油 蝋 燭 代 が 入 っているのが 特 徴 と 言 えます これは 村 の 違 いによるもので 小 川 村 に 日 暮 宿 代 の 項 目 があるのは 青 梅 街 道 沿 いで 交 通 量 も 多 く 御 岳 菅 笠 にも 描 かれているような 宿 屋 や 木 賃 宿 があったために 日 暮 れて 行 き 暮 れた 者 が 宿 泊 することがあり 金 銭 に 余 裕 のない 者 を 泊 めた 場 合 村 人 の 合 力 によって 賄 う 必 要 があったからだと 思 われます 次 に 呑 水 堰 料 金 は 享 保 以 後 に 開 かれた 新 田 には 課 せられていな いので 大 沼 田 新 田 にこの 項 目 がないのは 当 然 です 橋 堀 の 修 復 費 については 玉 川 上 水 沿 いの 村 との 違 いと 考 えられ 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 にも 寛 政 六 年 ( 一 七 九 四 )には 樋 口 普 請 入 用 ( 史 料 118)が 寛 政 七 年 ( 一 七 九 五 )には 村 内 橋 懸 代 ( 史 料 119) 寛 政 十 年 ( 一 七 九 八 )には 堀 普 請 入 用 ( 史 料 120)が 書 上 げられています また 水 油 蝋 燭 代 は 小 川 村 では 役 人 御 用 等 の 経 費 に 含 まれているものと 考 えられます 2 大 沼 田 新 田 に 来 訪 した 通 行 人 たち 小 川 村 に 日 暮 宿 代 の 項 目 があるのは 青 梅 街 道 沿 いで 交 通 量 も 多 かったからだと 書 きましたが 大 沼 田 新 田 も 狭 山 丘 陵 沿 いの 村 々 と 田 無 村 を 結 ぶ 江 戸 街 道 沿 いの 村 ですから 狭 山 丘 陵 沿 いの 村 々から 江 戸 往 還 のための 道 として 使 われていたことは 間 違 いないと 思 います しかし 村 入 用 帳 を 見 てみるとそれだけではなく 意 外 に 多 くの 通 行 人 たちの 存 在 が 浮 かび 上 がってきます それは 瞽 女 座 頭 浪 人 舟 頭 物 貰 旅 僧 勧 化 といった 合 力 や 勧 化 の 人 たちで 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 が 文 化 七 年 ( 一 八 一 〇 )を 除 いて 安 永 二 年 ( 一 七 七 三 )から 文 政 八 年 ( 一 八 二 五 )までの 間 入 用 項 目 を 詳 細 に 記 録 してくれていることによって その 人 数 や 支 払 っ た 金 額 等 が 分 かりますので 次 の 表 2をご 覧 ください 表 2 大 沼 田 新 田 村 入 用 帳 にみるごぜ 座 頭 浪 人 及 び 勧 化 年 代 ごぜ 座 頭 瞽 女 座 頭 浪 人 舟 頭 旅 僧 等 勧 化 安 永 元 年 安 永 2 年 6 3 2 寛 政 6 年 500 文 寛 政 7 年 500 文 寛 政 10 年 500 文 4 寛 政 12 年 500 文 1 3 享 和 元 年 500 文 3 1 3 享 和 2 年 500 文 6 8 文 化 元 年 500 文 1 7 文 化 4 年 500 文 11 5 文 化 6 年 500 文 23 3 文 化 7 年 500 文 640 文 2,336 文 文 化 11 年 500 文 38 2 文 化 13 年 500 文 50 4 1 10 文 政 3 年 500 文 24 1 4 文 政 4 年 500 文 30 2 6 文 政 5 年 500 文 35 6 6
文 政 7 年 500 文 30 1 9 文 政 8 年 500 文 50 1 13 天 保 8 年 1,000 文 667 文 1,124 文 天 保 11 年 1.000 文 1,944 文 弘 化 2 年 1,000 文 1,733 文 弘 化 3 年 1,000 文 356 文 2,508 文 嘉 永 元 年 1.200 文 1,120 文 嘉 永 2 年 1,200 文 144 文 座 頭 に 含 む 1,772 文 銀 8 匁 嘉 永 3 年 1,200 文 208 文 座 頭 に 含 む 3,456 文 嘉 永 4 年 1,200 文 164 文 座 頭 に 含 む 2,924 文 嘉 永 5 年 1,200 文 364 文 座 頭 に 含 む 2,0 嘉 永 6 年 1,200 文 188 文 364 文 1,616 文 安 政 元 年 1,200 文 180 文 124 文 3,063 文 金 1 分 銀 1.73 安 政 4 年 1,200 文 228 文 1,0 安 政 6 年 1,200 文 旅 僧 に 含 む 180 文 3,572 文 安 政 8 年 1,200 文 132 文 312 文 1,560 文 金 1 朱 文 久 2 年 1,200 文 旅 僧 に 含 む 484 文 3,600 文 元 治 元 年 1,200 文 840 文 1,900 文 慶 応 元 年 1,200 文 旅 僧 に 含 む 264 文 金 1 朱 銀 15 匁 慶 応 2 年 1,200 文 1,872 文 金 1 分 1 朱 慶 応 3 年 1,200 文 勧 化 に 含 む 勧 化 に 含 む 4,664 文 金 1 分 銀 8 匁 瞽 女 座 頭 浪 人 舟 頭 物 貰 旅 僧 勧 化 といった 通 行 人 たちの 実 態 はあまり 知 られていません それは 村 入 用 帳 が 数 多 く 残 っている 小 川 村 や 廻 り 田 新 田 では 諸 勧 化 として 年 間 経 費 の 合 計 が 記 されているに 過 ぎず ほとんどの 場 合 大 沼 田 新 田 のように 詳 細 な 記 録 が 残 っていないからです 表 2を 見 てみると これらの 人 たちに 村 では 村 入 用 として 一 括 して 支 払 っており 年 によって 来 る 人 数 も 支 払 う 金 額 も 違 うこと が 分 かります しかし 寛 政 六 年 ( 一 七 九 四 ) 以 降 には 瞽 女 座 頭 には 毎 年 定 額 が 支 出 され 特 に 瞽 女 については 一 度 も 個 別 の 支 出 がされていません そして 天 保 十 一 年 ( 一 八 四 〇 )と 嘉 永 元 年 ( 一 八 四 八 )を 除 き 天 保 八 年 ( 一 八 三 七 ) 以 降 は 座 頭 と 分 離 されて 瞽 女 だけが 定 額 で 支 出 されるようになります この 瞽 女 座 頭 の 入 用 は 寛 政 から 文 政 までは 年 に 五 〇 〇 文 ですが 天 保 からは 瞽 女 だけでも 一 〇 〇 〇 文 となり 嘉 永 以 降 は 一 二 〇 〇 文 が 計 上 されています また 事 例 としては 少 ないのですが 安 永 二 年 ( 一 七 七 三 )と 享 和 元 年 ( 一 八 〇 一 )には 瞽 女 座 頭 に 個 別 に 支 払 った 記 録 があ りますので 一 人 当 たりどのくらい 支 払 っていたのかを 見 てみると 安 永 二 年 には 瞽 女 が 一 人 三 文 座 頭 が 一 人 六 文 享 和 元 年 に は 座 頭 が 一 人 二 十 四 文 になっています 明 らかに 瞽 女 は 座 頭 の 半 分 の 金 額 しか 支 払 われていないにも 拘 わらず 瞽 女 座 頭 の 入 用 が 分 離 された 弘 化 三 年 ( 一 八 四 六 )と 嘉 永 二 年 ( 一 八 四 九 ) 以 降 の 金 額 を 比 較 してみると 座 頭 が 圧 倒 的 に 少 ないことが 分 かりま す このことから 大 沼 田 新 田 では 瞽 女 が 特 別 に 保 護 されていたのではないかと 思 われます しかし 宝 暦 六 年 ( 一 七 五 六 )と 寛 政 十 一 年 ( 一 七 九 九 )の 村 明 細 帳 及 び 天 明 六 年 ( 一 七 八 六 )の 家 数 人 別 帳 にも 瞽 女 座 頭 はいないと 記 されていて 大 沼 田 新 田 に は 瞽 女 の 存 在 が 確 認 できません 近 くでは 小 川 村 の 文 政 四 年 の 村 明 細 帳 に 座 頭 一 人 と 瞽 女 一 人 が 記 され 寛 政 十 二 年 ( 一 八 〇 〇 ) の 史 料 121 の 十 月 七 日 に 一 百 文 小 川 村 座 頭 ニ 遣 申 候 と 記 されています このように 瞽 女 座 頭 に 毎 年 一 定 の 金 額 を 支 払 っていますが 史 料 122 に 甲 州 座 頭 くわんけ が 記 されているのみで これ らの 人 たちがどこから 来 た 者 かはほとんど 不 明 です しかし 寺 社 の 勧 化 については 具 体 的 な 記 述 がありますので 勧 化 先 が 分 かり ます 7
そこで 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 を 見 てみると 具 体 的 な 勧 化 先 が 記 されている 事 例 が 七 十 八 件 あります この 内 足 立 郡 馬 内 村 は 埼 玉 郡 馬 内 村 (もないむら) 内 堀 村 常 覚 院 は 東 大 和 市 史 に 修 験 寺 院 として 掲 載 されている 宅 部 村 の 常 覚 院 のことと 思 われ 指 田 日 記 の 安 政 六 年 ( 一 八 五 九 ) 十 二 月 九 日 に 内 堀 の 常 覚 院 を 頼 み 修 羅 加 持 をなさしむ とあることから 内 堀 村 は 宅 部 村 内 堀 のことだと 思 われます これらのことから 地 名 の 確 認 できない 古 麹 村 を 除 いた 七 十 七 件 については 国 名 が 判 明 しましたので 表 3 大 沼 田 新 田 村 入 用 帳 にみる 勧 化 先 国 別 一 覧 を 作 成 しました 表 3 大 沼 田 新 田 村 入 用 帳 にみる 勧 化 先 国 別 一 覧 1 2 3 4 5 6 小 計 出 羽 国 最 上 諏 訪 明 神 諏 訪 明 神 湯 殿 山 大 日 寺 3 上 野 国 一 ノ 宮 館 林 愛 宕 永 徳 寺 3 常 陸 国 筑 波 山 筑 波 大 神 宮 筑 波 山 御 師 筑 波 山 水 戸 府 中 明 神 鹿 嶋 大 神 宮 7 筑 波 山 大 神 宮 六 合 大 師 三 峯 山 石 坂 秩 父 観 音 秩 父 観 音 一 ノ 宮 一 ノ 宮 武 蔵 国 秩 父 三 峯 道 普 片 山 村 法 台 寺 千 住 宿 金 毘 羅 一 ノ 宮 馬 内 村 秋 葉 高 萩 村 八 幡 請 宮 16 新 田 明 神 藤 窪 村 地 蔵 与 野 宿 西 宮 高 萩 村 八 幡 江 戸 深 川 霊 岸 寺 愛 宕 王 子 稲 荷 赤 坂 氷 川 明 神 妻 乞 稲 荷 深 川 海 福 寺 6 田 無 村 持 宝 院 中 藤 村 寺 関 村 神 国 院 山 口 観 世 音 山 田 村 能 満 寺 連 雀 村 山 伏 久 米 川 村 橋 広 袴 村 妙 金 院 清 戸 村 山 王 布 田 宿 安 楽 寺 清 水 村 法 印 府 中 一 ノ 宮 多 摩 郡 布 田 宿 安 楽 寺 布 田 宿 安 楽 寺 内 堀 村 常 覚 院 宇 津 貫 村 十 二 布 田 安 楽 寺 布 田 安 楽 寺 18 天 明 神 相 模 国 相 善 寺 1 上 総 国 白 幡 村 大 正 寺 1 下 総 国 山 伏 香 取 明 神 2 甲 斐 国 諏 訪 大 明 神 御 岳 山 甲 州 観 音 善 光 寺 東 宮 大 権 現 高 尾 山 6 信 濃 国 善 光 寺 諏 訪 明 神 諏 訪 明 神 木 曾 駒 岳 山 宝 室 寺 木 曾 宝 室 寺 駒 岳 6 美 濃 国 八 草 大 明 神 八 平 明 神 2 三 河 国 秋 葉 山 1 伊 勢 国 浅 間 浅 間 岳 2 山 城 国 嵯 峨 法 輪 寺 桂 姫 宮 2 大 和 国 当 麻 中 将 姫 1 紀 伊 国 熊 野 熊 野 熊 野 山 3 岩 見 国 金 光 院 1 伊 予 国 弘 法 大 師 施 宿 堂 1 合 計 82 古 麹 村 という 地 名 は 確 認 できない この 表 からも 分 かるように 北 は 出 羽 国 から 西 は 岩 見 国 までの 十 七 か 国 から 勧 化 に 来 ています 最 も 多 いのは 近 隣 の 多 摩 郡 から で 十 八 件 武 蔵 国 全 体 では 三 十 八 件 となっています この 中 でも 布 田 宿 の 安 楽 寺 は 五 回 も 勧 化 に 来 ていて 毎 回 三 〇 〇 文 から 四 〇 〇 文 計 上 されており 他 と 比 較 して 最 も 高 額 な 勧 化 銭 を 差 し 出 していることから 信 仰 の 篤 さが 分 かります 武 蔵 国 以 外 では 筑 波 山 の 大 神 宮 から 五 回 木 曾 駒 岳 山 宝 室 寺 から 三 回 熊 野 から 三 回 来 ていて 目 立 っています 8
寺 社 の 勧 化 を 除 くと 一 人 当 たりの 勧 化 の 金 額 はあまり 変 わりませんが 人 数 が 多 いのが 浪 人 です 享 和 二 年 ( 一 八 〇 二 )の 六 人 をはじめとして 徐 々に 増 え 文 化 十 三 年 ( 一 八 一 六 )には 五 十 人 になっています その 後 は 三 十 人 前 後 で 推 移 していますが 文 政 八 年 ( 一 八 二 五 )には 再 び 五 十 人 を 数 え その 支 出 高 は 六 一 二 文 となっています 寺 社 の 勧 化 と 比 較 しても 圧 倒 的 に 浪 人 の 数 の 多 さが 目 に 付 きます この 浪 人 が 天 保 八 年 ( 一 八 三 七 )の 史 料 137 に 座 頭 と 浪 人 合 わせて 六 六 七 文 が 計 上 されているのを 最 後 に 記 録 されなくなります このことは 大 沼 田 新 田 だけのことではなく 時 代 の 流 れもあると 思 われますので 次 に 時 代 の 流 れを 調 べてみた いと 思 います まず 牧 民 金 鑑 によって 浪 人 に 関 する 史 料 を 当 たってみましょう 安 永 三 年 ( 一 七 七 四 ) 十 月 には 近 年 浪 人 なとゝ 申 村 々 百 姓 家 ニ 参 合 力 を 乞 ( 中 略 ) 品 々 難 題 を 申 懸 合 力 銭 余 慶 ねたり 取 候 段 粗 相 聞 不 届 之 至 候 ( 中 略 ) 勿 論 何 様 申 候 共 決 而 止 宿 不 為 致 苗 字 帯 刀 いたし 候 ものへハ 一 銭 之 合 力 も 致 間 敷 候 と 記 されていて この 頃 になると 浪 人 が 村 々を 廻 り 合 力 を 求 めて 金 銭 をねだっているが 何 を 言 っても 決 して 泊 めたり 金 銭 を 出 したりしてはならないという 触 れを 出 しています しかし 文 化 九 年 ( 一 八 一 二 ) 六 月 には 浪 人 体 之 者 村 々を 徘 徊 いたし 合 力 止 宿 を 乞 ( 中 略 ) 安 永 三 年 相 触 候 処 近 来 帯 刀 いたし 候 浪 人 体 之 もの 所 々 江 大 勢 罷 越 村 方 之 手 ニ 及 ひかたく 令 難 儀 候 段 相 聞 候 と 記 され 村 々を 徘 徊 する 浪 人 が 増 えて 合 力 止 宿 を 要 求 され ていることが 分 かります 大 沼 田 新 田 で 浪 人 への 合 力 が 記 録 されるのは 享 和 二 年 ( 一 八 〇 二 )ですが この 触 れが 出 された 文 化 期 には 浪 人 が 増 加 の 一 途 を 辿 っています そして 天 保 十 四 年 ( 一 八 四 三 ) 七 月 には 浪 人 体 之 もの 在 々 多 く 徘 徊 致 し ねだりがま しき 儀 等 申 懸 候 義 ニ 付 而 者 前 々 相 触 候 趣 も 有 之 候 処 近 年 右 党 之 者 致 横 行 村 々 及 難 儀 候 趣 粗 相 聞 右 者 百 姓 共 心 得 違 を 以 聊 宛 之 合 力 を 与 へ 為 立 退 又 者 止 宿 をも 為 致 と 記 されているように この 頃 になると 村 々に 合 力 や 止 宿 を 求 めねだりがましい 要 求 をする 浪 人 が 横 行 し 実 際 に 村 々でも 浪 人 の 要 求 に 応 じて 合 力 や 止 宿 をさせていたことが 明 らかです このように 村 々を 徘 徊 し 合 力 や 止 宿 を 求 める 浪 人 が 増 え 続 ける 中 で 大 沼 田 新 田 では 天 保 十 一 年 ( 一 八 四 〇 ) 以 降 村 入 用 帳 に 浪 人 への 合 力 が 計 上 されな くなるのは 謎 ですが 次 の 廻 り 田 新 田 の 村 入 用 帳 の 章 で 紹 介 する 表 4にも 見 られるようにこの 辺 に 浪 人 が 来 なくなったわけではな さそうです このように 大 沼 田 新 田 の 村 入 用 帳 を 調 べることによって 多 い 時 には 年 間 六 十 人 を 超 える 寺 社 の 勧 化 や 浪 人 の 合 力 といった 旅 人 が 来 訪 していたことが 分 かり 人 の 交 流 が 図 られていた 実 態 を 知 ることができます 四 廻 り 田 新 田 の 村 入 用 帳 廻 り 田 新 田 の 村 入 用 帳 は 明 和 七 年 ( 一 七 七 一 )から 明 治 三 年 ( 一 八 七 〇 )までの 一 〇 〇 年 間 に 七 十 七 点 の 史 料 が 残 っており 小 川 村 や 大 沼 田 新 田 と 比 べて 経 年 変 化 を 知 るためには 貴 重 な 史 料 と 言 えます 村 入 用 帳 の 名 称 について 見 てみると 村 入 用 小 割 帳 や 村 入 用 覚 帳 及 び 村 入 用 小 前 書 上 帳 といった 名 称 も 見 られますが 明 和 七 年 ( 一 七 七 一 )から 文 政 十 年 ( 一 八 二 七 )までは 基 本 的 に 村 入 用 書 上 帳 文 政 十 一 年 以 降 は 村 入 用 夫 銭 書 上 帳 となっています また 村 入 用 帳 の 記 載 は 最 初 の 明 和 七 年 は 十 二 項 目 に 分 けられていますが 翌 明 和 八 年 からは 次 の 五 項 目 になっています 廻 り 田 新 田 村 入 用 帳 の 記 載 内 容 項 目 一 覧 1 役 人 等 の 江 戸 出 府 御 用 等 の 入 用 2 尾 州 鷹 場 入 用 3 年 貢 納 入 用 4 筆 紙 墨 代 入 用 5 諸 勧 化 入 用 しかし これらの 五 項 目 が 全 て 記 入 されているわけではなく 安 永 七 年 ( 一 七 七 八 )までは1から4までが 記 入 され 安 永 九 年 ( 一 七 八 〇 )からは3が1に 含 まれて 新 たに5が 記 入 されるようになります したがって 廻 り 田 新 田 の 村 入 用 帳 は 基 本 的 に 四 項 目 に 分 けて 一 年 間 の 入 用 高 が 記 されている 簡 単 な 内 容 で 大 沼 田 新 田 のような 詳 しい 内 容 の 分 析 はできません 但 し 村 入 用 控 帳 と 記 されている 史 料 210 216 218 220 222 224 の 六 点 の 史 料 は 日 付 ごとに 入 用 が 記 されたものであり 弘 化 四 年 ( 一 八 四 七 ) 以 降 のものであることもあって 大 沼 田 新 田 の 補 足 ができますので 次 の 表 4 廻 り 田 新 田 の 合 力 と 勧 化 をご 覧 ください 表 4 廻 り 田 新 田 の 合 力 勧 化 年 代 合 力 勧 化 9
弘 化 4 年 行 者 甲 斐 堀 八 幡 宮 200 文 盲 人 12 文 布 田 宿 安 楽 寺 穀 代 200 文 合 力 12 文 香 取 神 主 100 文 盲 人 12 文 勧 化 虚 無 僧 100 文 遅 井 村 八 幡 宮 200 文 盲 人 12 文 御 免 勧 化 100 文 盲 人 小 石 川 白 山 御 免 勧 化 200 文 安 政 4 年 盲 人 12 文 中 嶋 200 文 虚 無 僧 200 文 三 州 桑 名 村 広 忠 寺 100 文 浪 人 泊 り 100 文 三 州 八 幡 御 免 勧 化 100 文 浪 人 泊 り 100 文 上 州 一 ノ 関 100 文 盲 女 2 人 100 文 信 州 諏 訪 御 免 勧 化 44 文 五 百 羅 漢 御 免 勧 化 200 文 安 政 5 年 盲 人 泊 り 100 文 御 免 勧 化 広 忠 寺 100 文 盲 人 泊 り 安 楽 寺 穀 代 200 文 こせ 2 人 泊 り 100 文 上 州 一 ノ 関 200 文 こせ 1 人 泊 り 御 免 勧 化 100 文 尾 崎 村 勧 物 200 文 浜 松 諏 訪 明 神 安 政 6 年 こせ 1 人 50 文 小 石 川 白 山 浪 人 泊 り 100 文 遠 州 浜 松 諏 訪 明 神 浪 人 2 人 泊 り 300 文 大 塚 大 慈 寺 浪 人 2 人 泊 り 200 文 浅 草 御 免 勧 化 合 力 12 文 遠 州 浜 松 御 免 勧 物 浪 人 2 人 24 文 旅 僧 泊 り 安 政 7 年 こせ 2 人 100 文 勝 呂 住 吉 明 神 盲 人 1 人 三 河 成 瀬 八 幡 宮 100 文 盲 人 1 人 大 宮 司 氷 川 118 文 盲 人 2 人 24 文 御 免 勧 化 浪 人 4 人 100 文 大 塚 大 慈 寺 浪 人 1 人 浪 人 5 人 泊 り 500 文 万 延 2 年 浪 人 5 人 泊 り 500 文 羽 村 上 水 神 社 200 文 盲 人 16 文 浅 草 幸 竜 寺 北 野 天 神 金 1 朱 岩 殿 観 音 御 免 勧 化 100 文 御 免 勧 化 大 宮 氷 川 100 文 大 塚 大 慈 寺 100 文 遠 州 浜 松 御 免 勧 化 文 久 3 年 浪 人 安 楽 寺 200 文 10
浪 人 泊 り 100 文 遠 州 諏 訪 明 神 100 文 盲 人 12 文 穴 八 幡 100 文 遠 州 諏 訪 明 神 社 人 泊 り 100 文 御 免 勧 化 勝 呂 神 社 32 文 岩 殿 100 文 これを 見 ると 廻 り 田 新 田 では 盲 人 瞽 女 虚 無 僧 旅 僧 浪 人 への 合 力 が 幕 末 まで 続 いていたことが 分 かります この 中 で 虚 無 僧 は 勧 化 と 同 等 の 扱 いだったようで 一 〇 〇 文 から 二 〇 〇 文 が 支 払 われています 浪 人 には 一 人 十 二 文 から 一 五 〇 文 まで 支 払 わ れていますが 一 〇 〇 文 の 事 例 が 多 いことが 分 かります また 盲 人 や 瞽 女 には 一 人 十 二 文 から 五 〇 文 が 支 払 われています 以 上 の ことから 大 沼 田 新 田 と 比 較 するとその 金 額 と 泊 まりの 多 さが 目 立 ちます 特 に 安 政 六 年 には 勧 化 五 人 に 二 四 〇 文 の 支 払 いなの に 比 べ 合 力 十 人 に 七 三 四 文 を 支 払 い 翌 七 年 には 勧 化 五 人 に 三 六 二 文 の 支 払 いなのに 比 べ 合 力 十 六 人 に 八 六 八 文 を 支 払 っています これは 僅 か 家 数 十 五 軒 の 廻 り 田 新 田 が 家 数 四 十 六 軒 の 大 沼 田 新 田 と 比 較 して 合 力 に 支 払 う 金 額 が 多 過 ぎるように 思 われます なお 勧 化 先 の 国 別 を 見 てみると 具 体 的 に 勧 化 先 が 記 述 されている 三 十 七 件 ( 国 名 が 不 明 な 中 嶋 を 除 く)の 中 で 武 蔵 国 が 圧 倒 的 に 多 く 二 十 一 件 ( 江 戸 八 件 多 摩 郡 六 件 その 他 七 件 )で 全 体 の 六 〇 %を 占 めています その 他 に 目 立 つのが 遠 江 国 の 六 件 と 三 河 国 の 四 件 です 遠 江 国 の 六 件 は 全 て 浜 松 の 諏 訪 明 神 であることから 浜 松 の 諏 訪 明 神 に 深 い 信 仰 があったものと 思 われます 五 あとがき 小 平 市 史 料 集 第 二 十 九 集 は 村 入 用 をまとめてみました 村 で 一 年 間 にかかった 経 費 を 調 べることによって 当 時 の 村 人 の 生 活 や 人 の 交 流 について 知 ることができます この 解 題 でご 紹 介 した 鷹 場 杭 と 鷹 狩 玉 川 上 水 の 高 札 橋 の 修 復 井 戸 浚 村 に 来 訪 した 通 行 人 たち 等 の 実 態 だけでなく 様 々な 視 点 で 研 究 が 可 能 だと 思 われますので ご 活 用 いただきたいと 思 います なお 平 成 五 年 から 十 三 年 間 に 亙 って 刊 行 しつづけてきた 小 平 市 史 料 集 も 本 冊 で 第 二 十 九 集 となり 残 すところあと 一 冊 になり ました 来 年 度 には 図 書 館 で 刊 行 する 史 料 集 の 最 終 刊 として 第 三 十 集 交 通 運 輸 を 刊 行 する 予 定 ですので ご 期 待 ください 最 後 に 昨 年 度 から 市 民 参 加 による 史 料 集 作 りに 取 り 組 んでおり 今 年 度 も 図 書 館 ボランティアの 方 々に 協 力 をお 願 いしました 原 文 の 解 読 を 岡 田 美 枝 子 加 藤 とみ 小 林 正 雄 小 堀 恵 美 子 鳥 毛 一 陽 羽 山 淳 子 日 野 久 美 子 藤 井 一 栄 牟 田 美 津 子 の 各 氏 に していただきました また 校 訂 と 解 題 作 成 は 蛭 田 廣 一 が 行 い 印 刷 のための 原 稿 作 成 は 古 文 書 嘱 託 の 間 杉 志 津 子 が 担 当 し 岡 田 美 枝 子 さんと 羽 山 淳 子 さんに 労 を 煩 わしました 関 係 各 位 の 尽 力 に 感 謝 します 平 成 十 八 年 十 二 月 二 十 一 日 小 平 市 中 央 図 書 館 11