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解 題 一 はじめに 小 平 市 史 料 集 第 十 五 集 から 村 の 生 活 に 関 する 史 料 を 順 次 刊 行 し 第 十 七 集 で 事 件 事 故 訴 訟 に 関 する 史 料 は 完 結 の 予 定 で したが 一 〇 点 の 収 録 漏 れが 在 りましたので 本 集 に 補 遺 として 収 めました この 他 にこの 第 十 八 集 には 御 門 訴 事 件 村 役 人 村 政 結 婚 相 続 褒 賞 興 行 行 事 災 害 救 済 に 関 する 史 料 二 七 四 点 を 収 録 しました 村 の 生 活 に 関 する 史 料 は 圧 倒 的 に 事 件 事 故 訴 訟 が 多 く 補 遺 を 含 めると 九 一 五 点 に 及 びます 本 来 ならば 御 門 訴 事 件 もこ の 中 に 含 まれるのですが 歴 史 的 な 事 件 として 特 筆 されることから 別 項 目 としました また 災 害 救 済 には 養 料 積 穀 制 度 に 関 する 史 料 も 含 まれますが 史 料 の 多 さと 内 容 的 な 特 徴 から 別 項 目 とし 次 年 度 の 刊 行 を 予 定 しています 二 御 門 訴 事 件 御 門 訴 事 件 の 史 料 集 については 武 蔵 野 市 史 編 纂 委 員 会 編 武 蔵 野 市 史 続 資 料 編 1 ( 昭 和 43 年 )を 嚆 矢 として 品 川 区 が 編 纂 した 品 川 県 史 料 ( 品 川 区 史 資 料 編 別 冊 第 1 昭 和 45 年 )が 続 き 小 平 市 でも 小 平 郷 土 研 究 会 から 小 平 に 残 る 御 門 訴 事 件 関 係 史 料 集 ( 昭 和 55 年 )が 発 行 されています また 論 述 としては 多 摩 のあゆみ の 創 刊 号 ( 昭 和 50 年 11 月 )に 松 田 銀 治 村 田 朝 雄 両 氏 の 論 考 が 掲 載 され 第 26 号 ( 昭 和 57 年 2 月 )には 特 集 が 組 まれ 13 本 の 論 文 が 集 められています その 後 保 谷 市 史 通 史 編 3 近 現 代 ( 平 成 元 年 )には 門 訴 事 件 (18~32 ページ)として 田 無 市 史 第 三 巻 通 史 編 には 品 川 県 政 と 社 倉 問 題 (643~ 659 ページ)として それぞれ 一 節 を 割 いて 事 件 の 経 過 が 詳 しく 述 べられています 最 近 では 街 道 の 日 本 史 18 多 摩 と 甲 州 道 中 に 藤 野 敦 氏 が 御 門 訴 事 件 ( 品 川 県 社 倉 騒 動 )と 明 治 の 地 方 政 治 (133~145 ページ)と 題 して 論 及 しています 史 料 が 出 揃 い 数 多 くの 論 考 がありますので 目 新 しいことはほとんどありませんが 御 門 訴 事 件 に 関 係 した 十 二 か 村 の 内 四 か 村 が 含 まれる 小 平 市 としては 避 けて 通 れない 重 要 な 歴 史 的 な 課 題 です しかも 関 係 史 料 は 残 っていないも のの 上 保 谷 新 田 の 名 主 伊 左 衛 門 の 末 裔 である 平 井 家 の 移 住 地 となり 小 川 家 との 姻 戚 関 係 が 確 認 され 牢 内 の 伊 左 衛 門 との 書 簡 7 点 が 残 っており 伊 左 衛 門 の 動 向 を 知 るための 貴 重 な 史 料 となっているなど 新 たな 発 見 もあります そこで 改 めて 御 門 訴 事 件 の 概 要 をまとめ 小 平 の 近 代 の 幕 開 けである 明 治 維 新 がどのような 形 でスタートしたのか 振 り 返 ってみたいと 思 います 前 述 の 田 無 市 史 第 三 巻 通 史 編 には 事 件 の 経 緯 を 次 のように 説 明 しています 一 八 六 九 年 ( 明 治 二 ) 一 一 月 品 川 県 は 従 来 の 貯 穀 制 度 を 廃 止 し 高 五 石 以 上 の 家 は 一 石 につき 米 二 升 づつ 高 五 石 以 下 は 三 段 階 にわけ 上 は 一 戸 あたり 四 升 中 は 三 升 下 は 一 五 升 を 飢 饉 の 備 えとして 積 みたてる ただし 本 年 は 米 一 斗 = 一 両 の 割 で 換 金 して 納 入 せよ と 命 じた これに 対 して 田 無 周 辺 の 関 前 新 田 上 保 谷 新 田 梶 野 新 田 柳 窪 新 田 鈴 木 新 田 戸 倉 新 田 関 野 新 田 大 沼 田 新 田 内 藤 新 田 野 中 新 田 与 右 衛 門 組 善 左 衛 門 組 六 左 衛 門 組 の 一 二 新 田 が 激 しく 抵 抗 し 御 門 訴 事 件 と 呼 ばれる 大 騒 動 になった ( 中 略 ) 一 一 月 一 六 日 田 無 村 に 出 張 して 農 民 の 怒 りを 実 感 した 品 川 県 勧 農 方 の 荒 木 源 右 衛 門 は 五 石 以 上 を 一 〇 石 以 上 とし それ 以 下 を 三 区 分 する 妥 協 案 に 同 意 した ところが 報 告 を 受 けた 古 賀 知 事 は 激 怒 して 荒 木 を 免 職 にし たうえ 一 二 月 一 九 日 西 村 小 助 を 田 無 へ 派 遣 し 難 渋 の 者 以 外 は 当 初 の 命 令 どおりに 納 入 するように 厳 達 した むろん 農 民 は 納 得 せず 再 度 歎 願 書 を 県 庁 に 出 したところ 総 代 の 二 名 が 指 定 された 宿 屋 に 拘 束 される 宿 預 け の 処 分 をうけた この 知 らせに 小 前 一 同 憤 然 となり 一 二 月 二 八 日 皆 で 県 庁 に 押 しかけようと 動 きはじめる あわ てた 村 役 人 がこれを 押 しとどめ 急 を 聞 いて 駆 けつけた 県 吏 も 結 局 願 の 趣 き を 聞 き 届 けると 約 束 し その 場 をおさめ た だが 古 賀 知 事 は 頑 として 態 度 を 変 えなかった このため 一 八 七 〇 年 ( 明 治 三 ) 一 月 一 〇 日 田 無 村 八 反 歩 に 集 結 した 農 民 数 百 人 が 日 本 橋 浜 町 の 品 川 県 庁 めざして 青 梅 街 道 をつき 進 む 事 態 となった 県 庁 や 村 役 人 の 手 配 によって 内 藤 新 宿 の 淀 橋 付 近 で 多 くが 阻 止 されたが これを 逃 れた 農 民 たちは 中 野 から 北 東 にまわりこんで 県 庁 前 に 到 達 した す でに 夜 であった 県 吏 は 門 を 開 け 願 があるなら 内 へ 入 れと 誘 うが 農 民 は 動 かない 入 れば 強 訴 となるからだ 農 民 はあくまでも 合 法 的 な 門 訴 ( 歎 願 )の 形 を 守 った 業 を 煮 やした 県 庁 側 は 鉄 の 鞭 などを 振 りまわしながら 農 民

に 襲 いかかり 四 六 人 を 捕 縛 した 御 門 訴 事 件 という 呼 称 はここから 生 まれた 明 治 政 府 のお 膝 下 に 農 民 が 大 挙 して 押 しかける ということで 東 京 府 内 は 一 時 騒 然 となったようだ 面 目 をつぶされ た 古 賀 知 事 は 首 謀 者 の 徹 底 探 索 を 命 じた そして みずから 田 無 村 等 へ 出 張 し 上 保 谷 新 田 寅 之 助 の 母 にまで 拷 問 をくわえ 自 首 しなければ 一 二 カ 村 を 焼 きはらうと 脅 した 苛 酷 な 取 調 べと 流 行 病 のために 関 前 新 田 名 主 の 忠 左 衛 門 上 保 谷 新 田 の 国 五 郎 ら 五 人 が 牢 死 病 死 させられたあげく 七 一 年 二 月 二 七 日 上 保 谷 新 田 組 頭 元 右 衛 門 の 徒 刑 ( 懲 役 ) 三 年 を 最 高 に 各 名 主 が 杖 笞 の 刑 を 宣 告 され それ 以 外 の 村 役 人 も 役 職 をとりあげられた この 経 過 を 当 史 料 集 に 収 録 した 史 料 を 基 に 年 表 を 作 成 したのが 表 1 御 門 訴 事 件 関 係 年 表 です 表 1 御 門 訴 事 件 関 係 年 表 日 付 内 容 史 料 明 治 2 年 11 月 3 日 品 川 県 勧 農 方 荒 木 源 左 衛 門 矢 部 貞 造 出 役 社 倉 積 穀 を 申 付 ける 9 11 月 12 日 社 倉 出 穀 御 憐 愍 の 歎 願 書 を 提 出 1 12 月 6 日 荒 木 源 左 衛 門 田 無 村 に 出 役 し 村 役 人 小 前 を 呼 出 教 諭 30 12 月 18 日 社 倉 一 件 ニ 付 西 村 小 助 権 大 属 田 無 村 へ 出 役 30 12 月 19 日 社 倉 積 立 ニ 付 小 前 と 相 談 のため 日 延 願 6 12 月 26 日 村 々 惣 代 伊 左 衛 門 忠 左 衛 門 定 右 衛 門 御 調 中 宿 預 け 11,12 12 月 29 日 小 前 一 同 人 気 騒 立 田 無 村 八 反 歩 へ 屯 集 12,30 福 永 忠 太 郎 飯 沼 吉 次 郎 出 役 一 同 人 気 差 止 12,30 明 治 3 年 正 月 4 日 梶 野 新 田 藤 三 郎 関 野 新 田 清 十 郎 役 所 へ 罷 出 下 田 半 兵 衛 に 会 う 12 正 月 7 日 村 役 人 不 残 役 所 へ 召 出 13,14 正 月 9 日 13,14,15 難 渋 者 差 除 上 中 下 三 等 ニ 分 け 出 穀 教 諭 の 旨 承 伏 小 前 一 同 への 申 諭 し 廿 五 日 まで 日 延 願 伊 左 衛 門 忠 左 衛 門 宿 預 け 御 免 30 正 月 10 日 村 役 人 帰 村 途 中 村 方 のもの 品 川 県 庁 へ 門 訴 13,14 正 月 13 日 上 保 谷 新 田 峯 吉 召 捕 30 正 月 17 日 内 藤 新 宿 へ 伊 左 衛 門 忠 左 衛 門 呼 出 吟 味 30 内 藤 新 田 治 助 大 沼 田 新 田 弥 左 衛 門 召 捕 30 正 月 18 日 上 保 谷 新 田 元 右 衛 門 国 五 郎 田 無 村 陣 屋 へ 自 訴 30 正 月 19 日 忠 左 衛 門 伊 左 衛 門 治 助 弥 左 衛 門 田 無 村 陣 屋 へ 引 立 30 野 中 新 田 定 右 衛 門 召 捕 30 告 諭 の 建 札 16 上 保 谷 新 田 伊 左 衛 門 妻 嘉 吉 東 太 召 捕 30 正 月 21 日 定 右 衛 門 伊 左 衛 門 治 助 弥 左 衛 門 元 右 衛 門 国 五 郎 本 所 へ 入 牢 30 正 月 22 日 本 所 六 番 牢 の 伊 左 衛 門 へ 見 舞 金 差 入 れ 18 野 中 新 田 惣 兵 衛 無 提 灯 で 東 京 を 歩 行 召 捕 品 川 県 へ 引 渡 26 正 月 26 日 本 所 六 番 牢 の 伊 左 衛 門 へ 見 舞 金 綿 入 布 団 差 入 れ 21 正 月 28 日 関 前 村 定 右 衛 門 召 捕 品 川 県 仮 牢 入 30 2 月 7 日 定 右 衛 門 半 身 不 随 病 臥 ニ 付 宿 預 け 願 25 2 月 9 日 忠 左 衛 門 伊 左 衛 門 取 調 30 2 月 11 日 上 保 谷 新 田 甚 平 重 病 ニ 付 出 牢 間 もなく 死 去 30 2 月 13 日 野 中 新 田 定 右 衛 門 牢 死 30

2 月 14 日 上 保 谷 新 田 国 五 郎 牢 死 30 忠 左 衛 門 伊 左 衛 門 元 右 衛 門 重 病 ニ 付 出 牢 宿 預 け 30 2 月 15 日 治 助 弥 左 衛 門 関 野 新 田 三 四 郎 重 病 ニ 付 出 牢 宿 預 け 30 関 前 新 田 忠 左 衛 門 出 牢 間 もなく 死 去 30 4 月 4 日 伊 左 衛 門 治 助 六 兵 衛 本 所 へ 入 牢 30 4 月 8 日 本 所 より 品 川 牢 へ 引 越 30 4 月 17 日 内 藤 新 田 六 兵 衛 牢 死 30 4 月 21 日 治 助 元 右 衛 門 伊 左 衛 門 品 川 出 牢 30 5 月 11 日 治 助 病 気 ニ 付 宿 預 け 30 5 月 27 日 元 右 衛 門 病 気 ニ 付 宿 預 け 30 6 月 社 倉 積 立 金 上 納 30 閏 10 月 7 日 小 川 村 組 合 社 倉 取 建 出 役 ニ 付 見 込 取 調 の 評 議 31 明 治 4 年 2 月 村 々 三 役 人 役 義 取 放 の 申 渡 36 品 川 県 へ 門 訴 済 口 請 証 文 を 提 出 38 明 治 11 年 11 月 社 倉 穀 代 金 下 渡 47 田 無 村 で 新 田 十 二 か 村 の 名 主 役 人 が 呼 び 出 され 品 川 県 の 勧 農 方 から 社 倉 積 穀 を 申 し 付 けられたのは 明 治 二 年 十 一 月 三 日 で 十 二 日 に 史 料 1の 歎 願 書 を 提 出 していることが 田 無 市 史 第 二 巻 近 代 現 代 史 料 編 の 91 弾 正 台 探 索 書 (179~181 ページ)によって 明 らかです 史 料 1の 歎 願 書 には 社 倉 積 穀 が 困 難 な 理 由 の 一 つとして 近 年 不 作 之 年 柄 打 続 と 記 されています このことは 後 に 紹 介 する 表 2の 災 害 及 び 夫 食 拝 借 等 年 表 からも 明 らかであり 明 治 元 年 は 作 物 が 取 れない 状 況 が 続 いていて 秋 には 凶 作 となり 明 治 三 年 の 秋 も 稀 な 凶 作 だったことが 分 かります また 国 分 寺 市 史 料 目 録 Ⅱ 御 用 留 等 内 容 明 細 目 録 には 明 治 三 年 三 月 二 十 二 日 に 扶 食 ニ 差 支 候 者 有 之 ニ 付 貯 稗 穀 御 下 渡 シ 相 成 様 願 書 と 貯 穀 今 般 御 下 渡 ニ 付 割 渡 候 請 書 ( 支 配 162 57 58)があり 明 治 二 年 も 凶 作 であったことが 確 実 で 三 年 続 きの 凶 作 であったことが 確 認 さ れ 近 年 不 作 之 年 柄 打 続 というのが 事 実 であることが 証 明 されます このような 状 況 を 考 えると 飢 饉 の 最 中 に 飢 饉 の 備 えとして 積 みたてる 凶 荒 備 蓄 制 度 を 強 行 しようとしたということであり 時 期 的 にも 無 理 があったのではないで しょうか このことは 史 料 9 と 史 料 10 にみるように 明 治 三 年 十 二 月 の 社 倉 御 取 立 ニ 付 持 高 書 上 帳 に 現 れているように 難 渋 ニ 付 という 理 由 で 格 下 げになっている 者 が 数 多 く 書 上 げられており 野 中 新 田 善 左 衛 門 組 で 極 難 渋 で 出 穀 でき ない 者 が 27 軒 大 沼 田 新 田 で 極 難 渋 の 者 が 29 軒 となっています 一 方 国 分 寺 村 には 明 治 二 年 の 御 用 留 が 残 されていて 十 一 月 に 次 のような 廻 状 が 回 り 請 書 を 出 している( 支 配 162 46) ことからも 分 かるように 大 半 の 村 々はこのような 状 況 の 中 でも 今 までの 養 料 貯 穀 制 度 を 廃 止 して 社 倉 積 穀 制 度 を 実 施 するという 品 川 県 の 指 示 に 従 ったことがわかります 今 般 社 倉 御 取 建 ニ 付 別 紙 仕 訳 書 之 通 高 五 石 以 下 之 ものハ 高 壱 石 ニ 付 米 弐 升 ツ 丶 高 五 石 以 下 者 上 中 下 三 等 ニ 分 ケ 出 穀 被 仰 付 候 上 ハ 御 沙 汰 次 第 日 限 無 相 違 上 納 可 致 事 但 右 穀 囲 方 御 仕 法 之 義 者 追 而 被 為 相 立 候 間 当 巳 年 之 義 者 先 以 金 壱 両 ニ 付 米 壱 升 之 相 場 ニ 而 石 代 金 上 納 之 事 一 旧 幕 中 積 立 来 り 候 貯 穀 并 廿 分 一 御 下 ケ 穀 者 御 廃 止 之 事 但 是 迄 積 立 有 之 分 者 取 計 方 逸 々 相 伺 可 申 事 右 被 仰 渡 之 趣 一 同 承 知 奉 畏 候 依 之 御 請 証 文 差 上 申 処 如 件 新 田 の 歎 願 書 に 対 応 するために 荒 木 源 右 衛 門 が 田 無 村 に 出 張 したのが 田 無 市 史 第 三 巻 通 史 編 には 十 一 月 十 六 日 と なっていますが 史 料 30 には 十 二 月 五 日 に 出 役 して 六 日 に 村 役 人 と 小 前 の 者 を 呼 び 出 したと 記 されていて 相 違 があり ます 一 方 史 料 30 には 再 応 御 理 解 有 之 とあり 再 度 説 得 して 雛 形 に 従 って 帳 面 を 差 し 出 すように 指 示 しており

ここで 妥 協 案 を 示 した 形 跡 がないことから 荒 木 源 右 衛 門 は 二 度 出 張 したのではないかと 思 われます その 後 明 治 三 年 正 月 十 日 に 御 門 訴 事 件 が 起 こり 多 くの 者 が 召 し 捕 らえられて 厳 しく 吟 味 されるわけですが 史 料 17 ~23 までの 小 川 家 文 書 は 今 回 新 たに 加 えられたもので これらの 史 料 によって 本 所 六 番 牢 に 捕 らえられていた 伊 左 衛 門 の 様 子 を 克 明 に 追 うことができ 四 月 二 十 一 日 に 品 川 牢 を 出 るまでの 間 いかに 長 く 厳 しい 詮 議 が 行 われたのかを 窺 い 知 ることができます 三 江 戸 時 代 の 苗 字 先 日 ある 方 から 鈴 木 ばやし 関 係 の 史 料 を 調 べていたら 江 戸 時 代 の 史 料 なのに 苗 字 が 書 いてあるので この 史 料 はお かしいのではないかというお 尋 ねがありました 確 かに 江 戸 時 代 には 百 姓 町 人 は 公 的 に 苗 字 を 名 乗 ることが 許 されなか ったので ほとんどの 史 料 に 苗 字 が 書 かれていません しかし 当 史 料 集 の 結 婚 相 続 褒 賞 の 史 料 7 元 文 六 年 の 烏 帽 子 名 覚 には 十 七 人 全 員 の 苗 字 が 書 かれています また 貞 享 三 年 ( 一 六 八 六 )に 鋳 造 された 小 川 寺 の 梵 鐘 にも 寄 進 し た 檀 家 五 十 七 人 全 員 の 名 前 に 苗 字 が 付 いています 国 史 大 辞 典 の 苗 字 帯 刀 の 項 には 江 戸 時 代 には 百 姓 町 人 は 私 的 には 苗 字 を 名 乗 ることもあったが 公 的 文 書 には 許 されなかった とあり 森 安 彦 古 文 書 が 語 る 近 世 村 人 の 一 生 には 史 料 7が 紹 介 されていて 江 戸 時 代 の 農 民 は 苗 字 がないのが 原 則 なのですが ないというよりは 公 の 文 書 では 使 わなかった たとえば 領 主 に 対 する 文 書 に は 苗 字 をつけてはいけない ただ 名 前 だけを 書 きました それは 領 主 に 対 してで 仲 間 同 士 の 文 書 に 苗 字 を 使 うことは まま 見 られます ですから 公 には 使 わないけれども 誰 もが 苗 字 を 持 っているのです と 記 されているように 公 に は 名 乗 れなかったものの 江 戸 時 代 の 農 民 も 苗 字 を 持 っていたことが 明 らかです 農 民 が 公 に 苗 字 を 名 乗 れるようになったのは 明 治 三 年 九 月 のことで( 国 史 大 辞 典 ) 自 今 平 民 苗 字 被 差 免 候 事 という 太 政 官 布 告 が 品 川 県 の 村 々には 九 月 二 十 二 日 付 けの 品 川 県 庁 からの 通 達 ( 小 平 市 史 料 集 第 六 集 御 用 留 ( 大 沼 田 新 田 4) 65 ページ)によって 韮 山 県 の 村 々には 九 月 二 十 四 日 の 通 達 ( 小 川 家 文 書 D-1 207)によって 知 らされています このことが 顕 著 に 現 れているのが 村 入 用 帳 で 明 治 三 年 三 月 までは 苗 字 が 書 かれていなかったものが 小 川 村 でも 廻 り 田 新 田 でも 明 治 四 年 からは 全 員 の 苗 字 が 記 されるようになります そして 二 年 後 の 明 治 五 年 八 月 二 十 四 日 には 華 族 より 平 民 に 至 るまて 自 今 苗 字 名 并 屋 号 とも 改 称 不 相 成 候 事 とい う 太 政 官 布 告 が 出 され 苗 字 を 名 乗 るのが 当 たり 前 で 苗 字 も 名 前 も 改 称 してはならないということになります 四 災 害 の 実 態 災 害 については 小 平 市 史 料 集 第 十 三 集 新 田 開 発 2 で 年 貢 割 付 等 に 見 る 小 川 村 の 災 害 と 題 して 小 川 村 開 発 当 初 の 災 害 について 触 れましたが 今 回 の 災 害 救 済 関 係 史 料 収 録 に 際 し 改 めて 表 2として 災 害 及 び 夫 食 拝 借 等 年 表 を 作 成 してみましたので ご 覧 いただきたいと 思 います 表 2 災 害 及 び 夫 食 拝 借 等 年 表 西 暦 年 月 内 容 村 名 史 料 番 号 1664 寛 文 4 年 11 月 不 作 小 川 村 C-1 3 1665 寛 文 5 年 11 月 不 作 小 川 村 C-1 4 1681 天 和 元 年 10 月 当 酉 少 雨 損 場 小 川 村 C-1 18 1699 元 禄 12 年 8 月 15 日 之 風 損 ニ 而 倒 家 91 軒 作 物 被 害 書 上 小 川 村 史 料 1 1700 元 禄 13 年 2 月 夫 食 拝 借 小 川 村 史 料 2 1701 元 禄 14 年 9 月 麦 作 去 冬 寒 気 つよく 大 分 ぬけかれ 当 正 月 12 日 より2 月 27 日 迄 度 々 大 霜 秋 作 粟 稗 蕎 麦 しめりなく 大 分 やけかれ はねむ しくいからし 7 月 22 日 風 雨 8 月 18 日 大 風 ニ 而 惣 而 作 物 小 川 村 C-5 2 吹 ちらし 1702 元 禄 15 年 10 月 蕎 麦 畑 不 作 小 川 村 C-1 46 1714 正 徳 4 年 11 月 麦 霜 腐 当 風 損 小 川 村 C-1 58 1715 正 徳 5 年 11 月 当 水 腐 小 川 村 C-1 59 1721 享 保 6 年 正 月 近 年 打 続 作 物 損 毛 去 麦 作 皆 損 秋 作 ひてりニ 而 損 毛 小 川 村 史 料 3

1728 享 保 13 年 11 月 当 秋 作 数 度 之 風 損 之 上 打 続 水 腐 其 上 大 霜 降 諸 作 皆 損 小 川 村 史 料 6 1731 享 保 16 年 12 月 当 亥 年 度 々 之 風 水 損 小 川 村 C-1 79 1734 享 保 19 年 2 月 去 丑 年 麦 作 損 亡 小 川 村 C-1 82 享 保 19 年 当 月 7 日 8 日 大 雨 ニ 而 作 物 水 腐 不 残 皆 損 小 川 村 史 料 9 1739 元 文 4 年 8 月 霞 村 々 困 窮 小 川 村 史 料 10 1740 元 文 5 年 10 月 当 申 付 荒 引 大 沼 田 C-1 10 1741 寛 保 元 年 3 月 夫 食 拝 借 大 沼 田 史 料 62 寛 保 元 年 10 月 当 不 作 当 酉 水 腐 引 当 酉 付 荒 引 大 沼 田 C-1 11 1742 寛 保 2 年 10 月 当 戌 付 荒 引 当 戌 水 腐 引 同 風 損 引 大 沼 田 C-1 12 当 戌 畑 作 損 亡 引 廻 り 田 C-1 7 寛 保 2 年 11 月 種 麦 拝 借 小 川 村 史 料 11 1743 寛 保 3 年 10 月 当 付 荒 引 大 沼 田 C-1 13 1748 寛 延 元 年 10 月 当 付 荒 引 大 沼 田 伝 C-1 4 1750 寛 延 3 年 凶 年 廻 り 田 史 料 83 1752 宝 暦 2 年 11 月 来 夏 夫 食 不 足 野 中 史 料 56 宝 暦 2 年 凶 年 廻 り 田 史 料 83 1756 宝 暦 6 年 4 月 一 両 年 凶 年 打 続 去 亥 年 麦 作 違 夏 より 秋 迄 しけ 候 故 秋 作 実 入 兼 収 納 穀 過 半 不 足 大 沼 田 D-6 4 宝 暦 6 年 5 月 夫 食 拝 借 野 中 史 料 57 宝 暦 6 年 凶 年 廻 り 田 史 料 83 1767 明 和 4 年 3 月 両 毛 皆 無 廻 り 田 史 料 84 1770 明 和 7 年 11 月 夏 秋 作 損 亡 小 川 村 史 料 14 1771 明 和 8 年 正 月 去 寅 年 旱 損 ニ 付 夫 食 拝 借 大 沼 田 史 料 64 明 和 8 年 2 月 去 寅 年 旱 損 ニ 付 夫 食 拝 借 小 川 村 史 料 15 去 寅 年 旱 損 ニ 付 夫 食 拝 借 小 川 新 田 史 料 43 去 寅 年 悉 旱 魃 甚 不 作 ニ 付 夫 食 拝 借 野 中 史 料 58 夫 食 拝 借 廻 り 田 史 料 86 1784 天 明 4 年 閏 正 月 当 春 夫 食 差 詰 り 金 子 借 用 野 中 史 料 59 天 明 4 年 辰 春 夫 食 拝 借 小 川 新 田 史 料 46 1787 天 明 7 年 正 月 当 未 年 夫 食 割 渡 し 大 沼 田 史 料 66 1788 天 明 8 年 9 月 諸 国 御 料 所 村 々 凶 作 ニ 而 飢 渇 ニ 及 大 沼 田 D-6 13 1790 寛 政 2 年 6 月 去 午 年 凶 作 近 年 凶 作 打 続 廻 り 田 D-6 5 1808 文 化 5 年 12 月 当 年 世 上 一 統 不 作 小 川 村 C-5 11 1810 文 化 7 年 2 月 去 冬 中 より 度 々 之 大 雪 ニ 而 麦 作 損 亡 大 沼 田 D-6 20 文 化 7 年 4 月 去 冬 中 より 度 々 之 大 雪 ニ 而 麦 作 損 亡 小 川 村 史 料 20 文 化 7 年 6 月 当 春 凶 作 ニ 付 夫 食 割 渡 し 大 沼 田 D-6 20 当 春 凶 作 ニ 付 夫 食 割 渡 し 廻 り 田 史 料 90 1816 文 化 13 年 10 月 去 閏 8 月 4 日 風 損 当 秋 作 不 作 廻 り 田 山 D-6 2 文 化 13 年 12 月 当 秋 風 損 廻 り 田 山 D-6 3 1821 文 政 4 年 8 月 当 畑 方 旱 損 ニ 付 旱 損 反 別 差 出 大 沼 田 D-6 21 文 政 4 年 9 月 当 年 夏 作 大 旱 損 小 川 村 史 料 22 1831 天 保 2 年 5 月 麦 作 格 別 之 違 作 小 川 村 史 料 25 1833 天 保 4 年 違 作 小 川 村 史 料 31

1834 天 保 5 年 3 月 夫 食 拝 借 小 川 村 史 料 26 天 保 5 年 6 月 去 巳 年 違 作 諸 国 米 価 高 直 大 沼 田 D-6 23 1835 天 保 6 年 6 月 近 年 違 作 続 之 上 当 麦 作 殊 之 外 出 来 方 不 宜 廻 り 田 D-6 19 1836 春 中 より 気 候 不 順 初 夏 之 頃 より 引 続 雨 天 秋 作 蒔 付 雨 天 相 続 天 保 7 年 8 月 畑 中 雨 腐 れ 小 川 村 史 料 29 天 保 7 年 9 月 多 摩 郡 新 座 郡 村 々 当 4 月 中 より 先 月 4 日 迄 大 風 雨 降 続 不 順 之 冷 気 打 続 不 熟 皆 損 毛 廻 り 田 D-6 21 天 保 7 年 10 月 当 申 年 凶 作 ニ 付 飢 夫 食 拝 借 金 大 沼 田 史 料 67 天 保 7 年 稀 之 凶 作 小 川 村 史 料 31 1837 天 保 8 年 2 月 近 年 凶 作 打 続 候 上 去 申 年 秋 毛 皆 無 同 様 大 沼 田 史 料 68 天 保 8 年 4 月 当 春 差 詰 り 難 儀 至 極 ニ 付 再 夫 食 大 沼 田 史 料 70 天 保 8 年 9 月 去 申 年 稀 成 違 作 鈴 木 史 料 51 1852 嘉 永 5 年 7 月 当 子 畑 秋 作 旱 損 廻 り 田 史 料 91 1855 安 政 2 年 11 月 此 度 地 震 ニ 而 世 上 死 亡 之 人 民 不 少 施 餓 鬼 修 行 廻 り 田 D-6 43 地 震 ニ 付 出 府 廻 り 田 史 料 92 1856 安 政 3 年 9 月 8 月 25 日 夜 風 災 田 畑 諸 作 悉 吹 荒 廻 り 田 史 料 94 此 度 江 戸 表 大 風 雨 ニ 付 材 木 其 外 諸 色 払 底 廻 り 田 D-6 44 1861 文 久 元 年 4 月 窮 民 救 助 鈴 木 史 料 55 1866 慶 応 2 年 11 月 大 沼 田 新 田 当 8 月 7 日 稀 成 大 風 雨 大 荒 ニ 而 諸 作 悉 吹 荒 大 沼 田 D-6 33 1868 明 治 元 年 10 月 違 作 打 続 作 物 仕 付 方 差 支 当 秋 作 凶 作 小 川 村 史 料 34 1870 明 治 3 年 10 月 去 秋 稀 成 凶 毛 小 川 村 史 料 38 1870 明 治 3 年 10 月 去 秋 稀 成 凶 毛 廻 り 田 史 料 98 時 間 的 な 制 限 もあって 悉 皆 調 査 ができているわけではありませんが おおよその 傾 向 は 掴 めるものと 思 われます 寛 文 四 年 から 明 治 三 年 までの 二 〇 七 年 間 に 四 十 七 年 分 の 災 害 記 録 が 残 されていることになりますので 四 年 半 に 一 度 は 災 害 に 見 舞 われていたことになります 年 表 から 災 害 の 理 由 が 明 記 されているものを 拾 ってみると 風 害 が 12 回 水 害 が 12 回 旱 魃 が7 回 霜 雪 被 害 が4 回 虫 害 と 地 震 が 各 1 回 となっていて 大 半 が 風 水 害 や 旱 魃 及 び 霜 雪 や 冷 害 による 気 象 災 害 で 病 虫 害 や 地 震 等 の 災 害 はあまり 記 録 されていません これは 平 らな 地 形 と 畑 作 を 中 心 としたこの 地 の 特 徴 だと 言 えます また 元 禄 十 二 年 から 十 五 年 までの 四 年 間 元 文 四 年 から 寛 保 三 年 までの 五 年 間 天 保 四 年 から 八 年 までの 五 年 間 は 災 害 が 連 続 している 顕 著 な 事 例 となっています この 三 件 の 内 元 禄 の 災 害 は 日 付 と 内 容 が 分 かっているので 貴 重 な 災 害 記 録 です その 内 容 を 見 てみると 十 二 年 八 月 十 五 日 に 小 川 村 で 91 軒 の 倒 家 があるほどの 大 風 害 があり 十 四 年 正 月 十 二 日 より 二 月 二 十 七 日 までは 大 霜 同 年 七 月 二 十 二 日 には 風 雨 の 被 害 八 月 十 八 日 には 大 風 で 全 ての 作 物 が 吹 き 散 らされ てしまう 被 害 が 記 録 されています 中 央 気 象 台 海 洋 気 象 台 編 日 本 の 気 象 史 料 暴 風 雨 の 項 には 元 禄 十 二 年 八 月 十 五 日 は 関 東 諸 国 大 風 雨 と 記 されており 護 国 院 日 記 抄 に 昼 時 分 より 風 起 次 第 に 強 吹 雨 も 降 暮 に 及 大 雨 大 風 也 と 書 かれ 十 四 年 七 月 二 十 一 日 は 下 総 国 大 風 八 月 十 七 日 は 四 国 近 畿 東 海 道 奥 羽 諸 国 大 風 雨 となっていて 符 合 してい ます また この 他 の 日 付 のある 災 害 について 同 書 で 照 合 してみると 享 保 十 九 年 七 月 八 日 の 大 雨 については 記 述 がなく 七 月 六 日 に 陸 奥 国 暴 風 雨 とあります 文 化 十 三 年 閏 八 月 四 日 の 風 損 については 三 日 に 四 国 近 畿 東 海 道 関 東 諸 国 大 風 雨 とあり 武 江 年 表 に 三 日 四 日 大 風 雨 と 記 されています 安 政 三 年 八 月 二 十 五 日 の 大 風 雨 については 江 戸 並 下 総 筑 後 諸 国 大 風 雨 とあり 武 江 年 表 に 廿 三 日 微 雨 廿 四 日 廿 五 日 続 いて 微 雨 廿 五 日 暮 れて 次 第 に 降 りしきり 南 風 烈 しく 戌 の 下 刻 より 殊 に 甚 しく 近 来 稀 なる 大 風 雨 にて 喬 木 を 折 り 家 屋 塀 墻 を 損 ふ と 記 されています 慶 応 二 年 八 月 七 日 の 稀 成 大 風 雨 については 六 日 に 近 畿 中 部 関 東 奥 羽 諸 国 大 風 雨 とあり 武 江 年 表 に 六 日 朝 七 日 終 日 大 雨 夜 に 入 り 大 風 雨 にて 大 川 出 水 と 書 かれています 以 上 のことからほとんどの 記 録 が 日 本 の 気 象 史 料 と 符 合 するこ

とが 分 かり 当 史 料 集 に 収 録 した 災 害 関 係 史 料 は 同 書 と 照 合 することによって 更 に 詳 しい 年 表 を 作 成 することが 可 能 で あり 多 摩 の 災 害 史 を 研 究 する 上 で 貴 重 な 史 料 になるものと 思 われます 五 あとがき この 第 十 八 集 に 収 録 した 内 容 は 多 様 ですが 解 題 で 触 れたのは 御 門 訴 事 件 と 災 害 が 中 心 で あとは 苗 字 の 関 係 で 烏 帽 子 名 覚 につ いて 解 説 したに 過 ぎません この 他 にも 村 の 生 活 を 知 る 上 で 興 味 深 いものが 数 多 く 含 まれていますので これらの 史 料 を 活 用 し 研 究 を 進 めていただきたいと 思 います 最 後 になりましたがこの 史 料 集 の 作 成 市 民 参 加 による 史 料 集 作 りにから 取 り 組 むことになり 図 書 館 ボランティアの 方 々に 原 文 の 解 読 をお 願 いし 岡 田 美 枝 子 加 藤 とみ 小 林 正 雄 小 堀 恵 美 子 鳥 毛 一 陽 羽 山 淳 子 日 野 久 美 子 藤 井 一 栄 牟 田 美 津 子 の 各 氏 に 協 力 していただきました また 校 訂 と 解 題 作 成 は 蛭 田 廣 一 が 行 い 印 刷 のための 原 稿 作 成 は 古 文 書 嘱 託 の 間 杉 志 津 子 が 担 当 し 岡 田 美 枝 子 さんと 羽 山 淳 子 さんに 労 を 煩 わしました 関 係 各 位 の 尽 力 に 感 謝 します 平 成 十 七 年 十 二 月 二 十 八 日 小 平 市 中 央 図 書 館