佐 屋 街 道 平 成 18 年 8 月 10 日 ほうろく 地 蔵 から 長 良 橋 中 川 運 河 長 良 橋 明 治 天 皇 御 駐 蹕 之 碑 ナゴヤ 球 場 唯 然 寺 新 幹 線 尾 頭 橋 国 道 19 ROUTE かなやま 堀 川 青 大 悲 寺 断 夫 山 古 墳 熱 田 神 宮 国 道 1 ROUTE ほうろく 地 蔵 今 回 は 東 海 道 の 宮 宿 から 桑 名 宿 の 海 路 のバイパス 的 な 陸 路 である 佐 屋 路 を 歩 いてみることにした さっそく 東 海 道 から 分 岐 であるほうろく 地 蔵 まで 向 かう ほうろく 地 蔵 の 反 対 側 に があり 北 さやつしま みのち 道 と ある 東 海 道 を 下 ってきて 右 折 していくのが これから 向 かう 佐 屋 路 であり 美 濃 路 でもある 8 時 40 分 に 出 発 国 道 1 号 線 に 出 て 国 道 19 号 線 との 交 差 点 と 歩 道 橋 でわたる この 辺 りは 街 道 ではなく 車 用 の 道 に 変 わってしまって いる 国 道 の 西 側 を 北 に 向 かって 歩 く 途 中 で 右 大 将 頼 朝 公 誕 生 舊 地 断 夫 山 古 墳 青 大 悲 寺 ( 鋳 鉄 製 の 地 蔵 がある)を 見 ながら 過 ぎていくと
金 山 新 橋 の 交 差 点 に 着 く この 交 差 点 の 南 西 角 に がある 南 左 さ や 海 道 つしま 道 とある ここまでは 美 濃 路 と 佐 屋 路 の 重 複 区 間 で 佐 屋 路 はここを 左 折 する 9 時 20 分 案 内 板 によると 岩 塚 万 場 神 守 佐 屋 の 宿 場 があり その 後 は3 里 の 渡 しとなって 桑 名 に 続 いて いる 左 折 してしばらく 行 くと 堀 川 があり 尾 頭 橋 が 架 かる 佐 屋 街 道 が 整 備 されるに 伴 って 新 しく 堀 川 にかけられた 橋 である 堀 川 は 流 れもほと んどないが 以 前 よりはきれいになった 感 じがした 9 時 26 分 新 幹 線 と 臨 港 貨 物 線 をくぐると 右 側 にある 唯 念 寺 に 津 島 街 道 一 里 塚 の 碑 が 立 つ 熱 田 からの 最 初 の 一 里 塚 である この 先 には 五 女 子 郵 便 局 や 二 女 子 郵 便 局 というように ちょっと 変 わった 町 名 が 残 っている こういう 町 名 はぜひ 残 していって 欲 し いと 思 う 中 川 福 祉 会 館 前 に 佐 屋 街 道 の 石 碑 と 案 内 板 がある シーボルトや 十 四 代 将 軍 家 茂 そして 明 治 天 皇 も 通 ったとある 少 し 先 に 行 くと 明 治 天 皇 御 駐 蹕 之 所 の 碑 が 立 つ ほどなくして 中 川 運 河 を 渡 る 9 時 58 分 長 良 橋 から 万 場 大 橋 橋 を 渡 っていくと 左 手 に 萬 念 寺 がある こ こには 白 い 犬 がいて 迎 えてくれた 街 道 に 戻 り 進 んでいくと 明 治 天 皇 御 駐 輦 之 所 の 碑 がある 鉄 道 の 高 架 をくぐる 近 鉄 名 古 屋 本 線 JR 関 西 本 線 あおなみ 線 が 通 ってい る 駅 としては 近 鉄 の 烏 森 駅 である 少 し 賑 やかになる
八 幡 社 JR あおなみ 鉄 道 烏 森 萬 念 寺 長 良 橋 右 手 の 奥 に 八 幡 社 があり 境 内 に 常 夜 燈 と をかねたものがある 左 なこや とある 10 時 4 0 分 境 内 は 緑 が 多 くしばらく 休 憩 する 八 幡 社 かすもり 街 道 をさらに 進 むと 大 きな 工 場 があり 岩 塚 宿 となる 八 幡 社 光 明 寺 と 続 く 桐 蔭 高 柳 小 近 鉄 光 明 寺 は コンクリート 製 の 鐘 楼 を 兼 ねた 山 門 が 珍 しい 11 時 4 分 名 古 屋 高 速 五 号 万 場 線 岩 塚 小 その 奥 に 茅 葺 の 八 幡 社 がある 茅 葺 自 体 珍 しいが そもそも 神 社 もこう いう 姿 だったのだろう しかも よく 見 ると 板 塀 で 囲 まれている 四 囲 を 囲 んでいるので 壁 と 思 ったが 板 と 板 の 間 に 隙 間 がいちいち 空 けてあるので 壁 というよりは 塀 というべきか 光 明 寺 光 明 寺 の 街 道 沿 いには 三 十 三 観 音 もある 万 場 大 橋 庄 内 川 通 りを 越 えてすぐ 右 側 に 半 分 埋 ま った 七 所 神 社 への がある さて 庄 内 川 の 堤 防 に 上 がるが 万 場 の 渡 し 残 っているわけではないの で 上 流 の 万 場 大 橋 を 渡 る 橋 の 上 段 には 高 速 道 路 が 通 っている 遠 くに 名 古 屋 駅 の 高 層 ビルが 見 える
万 場 大 橋 から 秋 竹 橋 秋 竹 橋 県 道 68 号 万 場 大 橋 福 田 川 を 渡 り 左 折 して 堤 防 一 里 塚 跡 を 歩 いてい くと 堤 防 七 所 社 神 社 東 名 阪 自 動 車 道 稲 荷 社 自 性 院 十 二 所 神 社 地 蔵 堂 砂 子 橋 県 道 117 号 下 に 常 夜 燈 がある そ の 脇 には 橋 柱 がある さらに 新 川 万 場 大 橋 名 古 屋 高 速 五 号 万 場 線 国 玉 神 社 庄 内 川 光 円 寺 常 夜 燈 常 夜 燈 があ るが 背 景 が 巨 大 団 地 になってし まうのは 違 和 感 である 11 時 21 分 堤 防 を 下 っていくと 万 場 宿 となる 比 較 的 に 大 きな 家 が 増 えてくる 街 道 の 右 手 に 覚 王 院 があり 国 玉 神 社 がある 11 時 29 分 国 玉 神 社 と 光 円 寺 との 角 は 高 札 場 であった らしい 光 円 寺 の 立 派 な 山 門 を 見 ながら 進 んでいく 後 で 知 ったが 変 り 灯 篭 があった! 残 念 街 道 は 左 にカーブし 名 古 屋 高 速 と 県 道 1 15 号 に 近 づいていき 県 道 を 渡 る 渡 ったと ころで 大 治 町 となり 名 古 屋 市 といったん 分 かれる 新 川 を 新 しい 砂 子 橋 で 渡 る 須 な 子 はし と 刻 まれた 標 石 が 立 っている と 書 かれていたが 改 修 工 事 で 移 動 されたのか 見 当 たらなかった 渡 ったところから 県 道 117 号 となる 西 進 する 十 二 所 神 社 の 鳥 居 があり ずっと 先 には 団 地 が 見 える 道 は 北 を 向 き 四 つ 角 の 右 手 に 地 蔵 堂 があり 左 手 には 高 札 場 跡 ( 旧 佐 屋 街 道 ) の 標 柱 が 立 っている
四 つ 角 を 右 に 行 くと 自 性 院 がある もともとはもっと 大 きな 成 願 寺 の 一 部 だったが 火 事 などで 現 在 の 姿 になったようである 街 道 に 戻 り 左 折 するが ちょうど 喫 茶 店 があったので 昼 食 を 摂 る 冷 房 が 効 いていてとても 気 持 ちよかった 稲 荷 社 を 右 手 に 見 て 東 名 阪 自 動 車 道 をくぐる しばらく 行 く と 左 手 に 七 所 社 神 社 があり その 反 対 側 に 旧 一 里 塚 ( 佐 屋 街 道 ) の 標 柱 がある 家 と 家 の 間 に 小 さくなって 立 っている 千 音 寺 の 一 里 塚 である 再 度 名 古 屋 市 に 入 り 大 治 町 に 戻 る 街 道 は 右 にカーブし 信 号 機 で 左 折 し 県 道 68 号 線 に 合 流 し 福 田 川 を 渡 る 秋 竹 橋 橋 から 県 道 65 号 県 道 65 号 蟹 江 川 下 田 橋 弓 掛 橋 県 道 68 号 七 宝 中 七 宝 小 七 宝 町 役 場 秋 竹 橋 福 田 川 秋 竹 橋 を 渡 ると 七 宝 町 となる 七 宝 町 役 場 北 の 交 差 点 の 角 に 緑 地 が 整 備 され 七 宝 焼 原 産 地 があった 七 寶 焼 原 産 地 寶 村 ノ 内 遠 島 とあり 最 上 部 にローマ 字 標 示 がされているのも 珍 しい 13 時 40 分 七 宝 町 を 通 り 抜 け 蟹 江 川 となる 下 田 橋 の 下 流 に 弓 掛 橋 がある 義 経 がここより 弓 を 射 られ 弓 は 百 町 飛 んで 落 ちたという 伝 説 がある 近 くに 弓 掛 松 の 碑 があるらしいが わからなかった 13 時 52 分 そのまま 歩 き 津 島 市 に 入 り 県 道 65 号 通 称 西 尾 張 中 央 道 の 交 差 点 に 出 る
県 道 65 号 から 日 光 橋 秋 葉 神 社 穂 歳 神 社 憶 感 神 社 日 光 橋 県 道 68 号 神 守 小 日 光 川 神 守 の 一 里 塚 県 道 65 号 との 交 差 点 を 過 ぎると 神 守 の 一 里 塚 がある 残 っているのは 北 側 のムクノキのみであ る 14 時 10 分 この 先 の 信 号 を 右 折 すると 神 守 の 宿 場 となる 古 い 町 屋 が 残 っている 道 を 進 むと 突 き 当 りとなる 街 道 は 左 折 であるが 右 折 してしばらく 行 くと 左 手 に 珍 しい 六 角 形 の 地 蔵 堂 があった さらに 進 むと 憶 感 神 社 に 入 る 街 道 に 戻 り 西 に 進 んでいくと 右 手 に 穂 歳 神 社 がある 14 時 36 分 街 道 は 県 道 と 合 流 し 日 光 川 を 渡 る このとき 日 光 橋 は 工 事 中 で 下 流 側 の 架 橋 を 渡 る 渡 った 後 で 工 事 中 のところを 通 り 川 まで 戻 ると 秋 葉 神 社 があった 15 時 4 分
日 光 橋 から 名 鉄 尾 西 線 踏 切 県 道 68 号 埋 田 の 追 分 津 島 市 民 病 院 津 島 市 役 所 ヨシヅヤ 社 標 秋 葉 神 社 日 光 川 日 光 川 を 渡 って 行 くと 諸 鍬 神 社 の 社 標 と 獅 子 舞 開 祖 の 市 川 柳 助 碑 が ある 街 道 不 明 愛 宕 神 社 ひびの 名 鉄 尾 西 線 15 時 を 過 ぎ 西 日 になりかかり 保 育 園 さすがに 疲 れも 出 てきた しばらく 街 道 不 明 木 陰 で 冷 たいもの を 飲 み 休 憩 する 津 島 市 役 所 の 辺 りから 一 本 南 へ 曲 がる 明 治 天 皇 御 小 休 所 跡 の 碑 があ る 神 社 がある すぐ 先 に がある 15 時 32 分 左 さやみち 右 つ しま 天 王 みち とあるが この 先 の 佐 屋 街 道 は 区 画 整 理 で 消 滅 している しかし この 空 き 地 という か 変 わったところに 無 防 備 に 立 っている 感 じがする 少 し 先 に 津 島 街 道 埋 田 追 分 の 碑 があり 説 明 がな されている その 後 ろには 道 の 両 側 に 常 夜 燈 があり さらに 奥 には 石 の 鳥 居 の 足 元 のみが 立 っている 津 島 神 社 の 鳥 居 であるが 伊 勢 湾 台 風 で 倒 れたものがその まま 残 っている 街 道 跡 の 遺 功 と 台 風 の 猛 威 を 残 す 意 味 でも この 辺 りこそ 公 園 にでも 整 備 す ればいいのに そのうちに 車 がぶつかっ て 倒 れてしまうのではなかろうか 広 い 道 に 出 て 左 折 する 道 が 消 滅 しているので そのまま 西 に 向 かい 津 島 市 民 病 院 を 左 手 に 見 て 南 進 すると 愛 宕 神 社 が 見 える 愛 宕 神 社 の 脇 から 佐 屋 街 道 に 戻 る
狭 い 道 を 抜 けていくと 再 び 広 い 道 となり 右 手 の 信 号 まで 出 て 左 折 する すぐに 斜 めに 右 手 に 入 っていく 道 があるのでそちらに 行 くが これが 街 道 なのかよくわからない 歩 いていくと 保 育 園 の 前 になる この 辺 りは 海 抜 0mより 低 い 地 区 となっている 広 い 道 を 右 折 して 名 鉄 尾 西 線 の 踏 み 切 りを 目 指 す この 辺 りも 街 道 は 消 滅 してしまっている 名 鉄 尾 西 線 踏 切 から 渡 し 跡 佐 屋 西 小 佐 屋 三 里 之 渡 趾 天 神 社 名 鉄 尾 西 線 16 時 16 分 踏 切 を 渡 って 変 電 所 の 角 を 左 に 曲 がりしばらく 行 くと が ある どうやら この 辺 り で 街 道 が 合 流 しているよう だ 街 道 が 海 道 になってい るのも 面 白 い 国 道 155 号 水 鶏 塚 八 幡 社 さや 浄 法 寺 や 天 神 社 が 右 手 にある 天 神 社 の 境 内 には 火 の 見 櫓 があり 祭 神 は 菅 原 道 真 とある 須 依 の 交 差 点 を 右 折 していくと いよいよ 佐 屋 宿 である 古 い 町 並 みを 行 くと 左 へ 入 る 横 丁 があり 角 に 水 鶏 塚 の がある くひな 塚 是 よ り 南 へ 一 丁 と 刻 まれている にしたが って 行 くと 左 側 に 八 幡 社 右 側 の 小 公 園 に 水 鶏 塚 がある 16 時 45 分 街 道 に 戻 り 西 進 する 国 道 155 号 との 交 差 点 の 手 前 の 左 側 に 左 さや 舟 場 道 ( 左 )の がある 道 路 右 側 には 佐 屋 代 官 所 址 ( 右 )の 碑 がある そして 交 差 点 の 向 い 側 に 自 然 石 に 刻 んだ 東 海 道 佐 屋 路 佐 屋 三 里 之 渡 趾 ( 下 )の 碑 がある 16 時 59 分 この 後 人 々は 佐 屋 川 から 舟 で 桑 名 に 向 かったが 佐 屋 川 自 体 なくなっている 巡 検 街 道 を 経 て 桑 名 へ 行 くのもよいが 今 回 はここで 終 わりとする 名 鉄 佐 屋 駅 より 帰 宅 する