身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 中 曽 根 養 元 力 石 村 6-19 年 1823-1886 医 師 漢 籍 に 通 する 学 制 後 に 小 学 教 員 傍 ら 郷 村 の 子 弟 に 小 宮 山 昌 喜 力 石 村 享 保 6- 天 明 8 1722-1788 農 民 和 漢 の



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6/ 小 高 孝 二 中 嶋 憲 一 小 町 谷 直 樹 m 愛 知 駒 ヶ 根 市 駒 ヶ 根 市 6/19 松 下 正 浩 m 静 岡 6/19 森 田 俊 一 5: m 愛 知 6/19 中 澤 俊 喜

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中 学 生 男 子 の 部 優 勝 村 上 太 一 静 岡 県 沼 津 市 立 原 中 学 校 2 年 1,939 準 優 勝 甲 地 悠 人 三 重 県 木 曽 岬 町 立 木 曽 岬 中 学 校 1 年 1,864 第 3 位 佐 藤 宇 宙 愛 知 県 名 古 屋 市 立 南 陽 中 学 校

学 校 対 抗 男 子 学 校 対 抗 6 月 3 日 ( 金 ) 9:00~ 開 始 式 ~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ2 回 戦 まで 6 月 4 日 ( 土 ) 9:00~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ3 回 戦, 個 人 戦 ( 複 ) 決 勝 まで, 個 人 戦 ( 単 )1 回 戦

2014 年 8 月 24 日 日 曜 日 長 野 マスターズ 陸 上 競 技 記 録 会 第 1 回 大 会 日 本 新 記 録 M25 佐 々 木 洵 県 五 種 競 技 2782 点 46m16 五 種 競 技 内 27m99 五 種 競 技 内 W50 金 子 葉 子 愛 知 県 13 秒

公 示 価 格 一 覧 の 見 方 1 < 番 号 > 一 連 番 号 2 < 標 準 地 番 号 > 冠 記 番 号 例 示 標 準 地 の 用 途 なし -1-2 住 宅 地 商 業 地 工 業 地 3 < 市 町 名 > 標 準 地 が 属 する 市 町

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豊 住 直 樹 岩 沢 雅 司 渡 邉 幸 彦 7 中 林 信 男 高 橋 功 7 竹 原 奈 津 紀 滝 沢 義 明 コ 9 片 見 明 コ ム ム 高 橋 進 小 峰 直 ム 中 島 克 昌 55 0 松 島 誠 55 滝 邦 久 関 竹 夫 嶋 田 道 夫 信 7 栗 原 孝 信 ム 竹 井

51 仲 田 茂 満 烏 谷 純 一 渡 辺 勝 介 福 岡 雅 人 和 田 豊 茂 鳥 越 博 之 石 山 靖 人 土 屋

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須 磨 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 垂 水 警 察 神 戸 市 垂 水 区 神 戸 市 のうち 垂 水 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 神 戸 水 上 警 神 戸 市 中 央 区 水

36 東 京 私 桜 美 林 大 学 大 学 院 心 理 学 研 究 科 37 東 京 私 大 妻 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 38 東 京 私 学 習 院 大 学 大 学 院 人 文 科 学 研 究 科 39 東 京 私 国 際 医 療 福 祉 大 学 大 学 院 医

August

目 次 本 編. 地 価 公 示 価 格 一 覧 表 ページ. 地 価 公 示 価 格 選 定 替 廃 止 等 一 覧 7ページ 3. 地 価 公 示 地 価 調 査 共 通 地 点 の 価 格 一 覧 表 8ページ 資 料 編 4. 宇 都 宮 市 ( 用 途 地 域 別 ) 均 価 格 変 動

青 森 5-9 青 森 市 本 町 5 丁 目 4 番 27 本 町 , , 青 森 5-10 青 森 市 本 町 2 丁 目 5 番 3 本 町 , , 青 森 5-11 青 森 市 中 央 1 丁

                         庁議案件No

2 EXECUTIVE BOARD 班 地 区 開 催 場 所 地 区 開 催 場 所 地 区 開 催 場 所 地 区 開 催 場 所 9 時 30 分 ~ 13 時 30 分 ~ 伊 香 牛 地 区 プラットホール 中 央 1 区 ~4 区 農 協 3 階 大 ホール 開 明 地

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燈 光 会 創 立 百 周 年 に 当 たり 永 年 にわたり 航 路 標 識 関 係 に 尽 力 のあった 燈 光 会 会 員 等 茶 会

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M 田 村 博 37 ( 宝 達 志 水 陸 協 ) 2 位 13"58 M 西 村 隆 則 39 ( 福 井 北 ) 1 位 12"30 ( 女 子 ) W 福 田 外 枝 75 ( 石 川 マスターズ) 1 位 21"65 W 北 田 聡 子 42

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ごあいさつ

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協 議 会 事 務 局 長 民 生 委 員 協 議 会 会 長 身 体 障 害 者 協 議 会 会 長 老 人 クラブ 連 合 会 会 長 ( 平 成 25 年 6 月 1 日 現 在 ) 母 子 寡 婦 福 祉 会 会 長 手 をつなぐ 育 成 会 会 長 中 馬 惠 雄 元 野 濱 子 里 島

役員の異動に関するお知らせ

男 子 シングルスA-2 犬 陽 介 圭 祐 花 俊 幸 将 紀 成 明 北 典 ( 淑 徳 国 際 学 ) 陽 典 ( 青 学 院 学 ) 誠 和 樹 矢 神 謙 介 越 雄 太 佐 樹 長 徹 ( 東 京 情 報 学 ) 佐 光 博 海 祐 樹 佐 伯 祐 行 斉 洋 毅 原 理 人 菊 翔 太

石 川 県 高 体 連 事 務 局 御 中 1/3 平 成 24 年 度 石 川 県 高 等 学 校 総 合 体 育 大 会 少 林 寺 拳 法 競 技 ( 予 選 ) 種 目 名 予 選 出 場 順 予 選 順 位 支 部 名 団 体 名 予 選 合 計 男 子 団 体 演 武 1 5 小 松 明

千 葉 市 資 源 循 環 部 千 葉 県 千 葉 市 中 央 区 千 葉 港 2-1 千 葉 中 央 コミュニティセンター3F 船 橋 市 千 葉 県 船 橋 市 湊 町 柏 市 産 業 277

政務調査会

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( 昭 和 40) 6/ ( 昭 和 41) 6/ ( 昭 和 42) 6/ ( 昭 和 42) 6/ ( 昭 和 43) 6/ ( 昭 和 44) 6/13 14

第 3 回 大 会 (S ) 第 4 回 大 会 (S ) 1 伊 那 北 伊 那 北 上 伊 那 農 業 A 上 伊 那 農 業 A 岡 谷 南 岩 村 田

( 金 ) 群 馬 県 報 第 9300 号 告 示 群 馬 県 告 示 第 151 号 環 境 基 本 法 ( 平 成 5 年 法 律 第 91 号 ) 第 16 条 第 1 項 から 第 3 項 までの 規 定 に 基 づき 環 境 基 準 に 係 る 水 域 類 型 の 指 定 等 の 告 示

平 成 24 年 度 横 浜 市 技 能 功 労 者 優 秀 技 能 者 表 彰 技 能 者 奨 励 賞 受 賞 者 横 浜 市 技 能 功 労 者 表 彰 とは 永 く 同 一 の 業 に 従 事 し 功 労 顕 著 な 技 能 の 方 々を 対 象 に 個 人 の 持 つ 極 めて 優 れた 技

34 福 祉 高 齢 者 ふれあいプラザ 矢 上 福 祉 香 梅 苑 矢 上 福 祉 桃 源 の 家 矢 上 福 祉 くるみ 邑 美 園 中 野 福 祉 くるみ 学 園 中 野 福 祉 くるみ 学 園 空

同 上 5,000 山 奥 町 山 奥 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 40,000 三 万 谷 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 5,000 田 尻 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 95,000 間 戸 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室


別添

男 子 敗 者 復 活 戦 湖 南 北 湖 南 北 袋 井 商 農 北 西 5 西 北 西 商 横 須 賀 日 体 南 新 居 池 新 天 竜 小 笠 西 商 市 北 立 5 3 北 市 立 聖 隷

千葉県高校受験 私立高校学費一覧

統 計 表 1 措 置 入 院 患 者 数 医 療 保 護 入 院 届 出 数, 年 次 別 措 置 入 院 患 者 数 ( 人 ) ( 各 年 ( 度 ) 末 現 在 ) 統 計 表 2 措 置 入 院 患 者 数 ( 人 口 10 万 対 ) ( 各 年 ( 度 ) 末 現 在 ) 主 な 生

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人事異動のお知らせ

認定技師HP掲載2015_提出用.xlsx

5 月 平 日 夜 間 1 木 那 須 森 屋 2 金 小 宮 山 井 上 博 元 3 土 浜 野 伊 東 祐 順 山 本 省 吾 中 下 ( 県 ) 坪 井 植 草 西 村 4 日 町 村 梅 沢 石 橋 武 川 賢 一 郎 松 田 秀 一 鈴 木 盛 彦 5 月 松 本 東 條 武 川 慶 郎

男 子 敗 者 復 活 戦 5 北 日 体 袋 4 北 掛 川 東 掛 川 工 新 居 5 北 立 7 城 4 6 北 市 工 立 南 開 誠 館 掛 川 北 城 北 工 市 立 市 袋 湖 南 北 商 代 北 商 湖 東 4 8 商

大会運営

小美玉市ふるさと応援寄附金

指定を受けている設置者一覧

統 合 ( 予 定 ) 日 店 番 号 統 合 店 店 番 号 継 承 店 電 話 番 号 H ( 月 ) 917 下 馬 支 店 78 世 田 谷 支 店 (03) H ( 月 ) 19 世 田 谷 通 支 店 597 経 堂 支 店 (03)3425-

ヨット 井 嶋 清 芳 ( 法 4) 中 村 睦 宏 ( 法 4) 平 松 良 洋 ( 法 4) 持 田 由 美 子 ( 法 4) 塩 谷 涼 ( 生 4) 伊 村 仁 志 ( 国 4) 橋 場 一 輝 ( 国 4) 清 原 遼 ( 国 4) 大 野 雅 貴 ( 法 3) 本 吉 剛 士 ( 法 3

第 49 回 関 東 実 業 団 対 抗 テニストーナメント 記 録 (ビジネスパル テニス 関 東 大 会 ) 男 子 フィードインコンソレーション N T T 東 日 本 ファナック 日 立 大 みか 日 立 A M S 佐 和 シャープ

第 日 0 年 0 月 08 日 第 節 試 合 時 間 : 0 時 間 分 勝 敗 0 分 ホンダエンジニアリング ( 投 手 ) 岡 﨑 建 斗 x 勝 0 敗 0 分 ( 投 手 ) 浅 野 公 太 ( 捕 手 ) 佐 藤 輝 長 岡 孝, 川 田 寛

Word Pro - 目次

平 成 年 度 中 国 四 国 学 生 テニス 王 座 ランキング 表 男 子 シングルス 男 子 ダブルス 位 山 本 琢 也 ( 松 山 大 学 ) 位 岡 林 航 介 ( 松 山 大 学 ) 位 岡 林 航 介 ( 松 山 大 学 ) 位 山 本 琢 也 ( 松 山 大 学 ) 位 山 本 雄

埼玉県高校受験 私立高校学費一覧


工 名 滋 賀 国 道 務 所 西 大 津 BP 坂 本 高 架 橋 (P66-P109) 工 場 部 工 従 来 鈑 桁 橋 ( 単 純 桁 ) H 23.3 ( 主 ) 小 野 藍 本 線 ( 仮 称 )はしかの 里 橋 橋 梁 上 部 工 ( 単 純 3 主 桁 ) 47.0

準 決 勝 4 組 3 着 +4 7 着 TR 1 組 ( 風 速 +1.3m) 2 組 ( 風 速 -1.3m) 3 組 ( 風 速 +0.9m) 平 野 相 洋 Q 嶋 﨑 相 洋 Q 佐 藤 相 洋 Q 青 山 座 間

( 株 ) 荒 井 建 設 興 業 市 内 南 房 総 市 和 田 町 布 野 205 番 地 水 道 施 設 工 事 特 定 B ( 株 ) 安 房 環 境 衛 生 市 内 南 房 総 市 千 倉 町 瀬 戸 2344 番 地 76 管 工 事 一 般 B 安 房 住 宅 設 備 機 器 ( 有

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800m 1 1'54"4 森 井 清 6 県 選 手 権 三 ツ 沢 2 1'55"22 福 山 高 志 26 関 東 高 校 千 葉 3 1'55"49 平 野 裕 樹 32 県 高 校 総 体 三 ツ 沢 4 1'55"84 小 園 大 地 29

講義要項-日本文化科目-1年

男 子 1 部 [5 6 年 生 ]ダブルス(1MD) 植 田 岡 田 (ウィルジュニア) 試 合 番 号 3 10 のシード 選 手 が 敗 退 した 場 合 の 敗 者 再 試 合 陳 [ 瑛 ] 堤 東 山 井 之 上 常 蔭 真 田 (SJBC) 佐 々 木 平 田 1 3

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塘 賢 三 熊 本 市 中 央 区 菅 原 町 F とも 社 会 保 険 労 務 士 事 務 所 平 成 26 年 5 月 1 日 中 島 大 八 郎 熊 本 市 東 区 沼 山 津 4 丁 目 2-17 中 島 社 労 士

小美玉市ふるさと応援寄附金

伊 勢 崎 市 佐 波 郡 中 学 校 新 人 剣 道 大 会 団 体 女 子 予 選 リ ー グ 玉 村 町 社 会 体 育 館 < 第 3 試 合 場 > Aブロック 二 玉 村 殖 蓮 あ ずま 四 勝 勝 者 総 本 順 中 中 中 中 中 数 数 数 位 二 中 0 1 0

土 木 一 式 工 事 A 名 所 在 地 又 は 住 所 代 表 者 役 職 名 代 表 者 氏 名 電 話 有 限 会 社 富 士 建 材 土 木 0 静 岡 県 富 士 宮 市 猪 之 頭 ー 代 表 取 締 役 植 松 秀 行 株 式 会 社 丸 進 建 設 静 岡

第 回 全 日 本 実 業 団 男 子 ソフトボール 選 手 権 大 会 第 日 年 月 6 日 回 戦 試 合 時 間 : 時 間 分 豊 田 自 動 織 機 安 川 電 機 行 橋 ( 投 手 ) 深 津 悠 平, 濱 田 耕 児 郎 ( 投 手 ) 小 野 武 人 ( 捕 手 ) 城 家 大

ホテルルートイン 鳥 栖 駅 前 R-I *5,500 円 /14 金 青 春 18きっぷ8-5 2,300 円 07:51 JR 鳥 栖 駅 JR 長 崎 本 線 肥 前 山 口 行 JR 佐 賀 駅 08: :24 JR 佐 賀 駅 JR 唐 津 線 西 唐 津

平 成 22 年 度 広 島 県 高 等 学 校 総 合 体 育 大 会 男 子 学 校 対 抗 戦 結 果 (H 記 録 花 岡 理 ) 広 島 城 北 2 安 古 市 2 沼 田 0 高 陽 廿 日 市 西 尾 道 4 大 門 県 立 工 業 5 崇

新 幹 線 朝 の 通 勤 通 学 に 便 利 な つばめ の 両 数 や 時 刻 を 見 直 します 熊 本 7:11 発 博 多 行 き つばめ 306 号 を N700 系 車 両 8 両 編 成 で 運 転 します 定 員 は 546 名 (+162 名 )となり 着 席 チャンスを 拡 大

様式1

代表取締役等の異動に関するお知らせ

三 和 シヤッター 工 業 株 式 会 社 ( 中 核 事 業 会 社 ) 人 事 異 動 [ 取 締 役 監 査 役 執 行 役 員 ] 長 野 敏 文 代 表 取 締 役 社 長 取 締 役 専 務 執 行 役 員 ビル 建 材 事 業 本 部 長 髙 山 盟 司 取 締 役 専 務 執 行 役

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平 成 27 年 地 価 公 示 結 果 ( 山 形 県 ) 1 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 法 に 基 づいて 国 土 交 通 省 土 地 鑑 定 委 員 会 が 毎 年 1 月 1 日 時 点 における 標 準 地 の1 平 方 メートル 当 たりの 正 常 な

H27全国組合せ(試合順なし).xls

2012年5月11日

平 成 27 年 2 月 度 2015/2/1 2015/2/1 2015/2/6 2015/2/7 2015/2/8 2015/2/ /2/ /2/ /2/ /2/ /2/ /2/ /2/ /2/27

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2 選 挙 人 名 簿 定 時 登 録 者 数 の 推 移 ( 国 内 ) 別 海 町 中 標 津 町 標 津 町 羅 臼 町 町 根 室 市 合 16 年 定 時 登 録 男 6,564 9,175 2,383 2,590 20,712 12,421 33,133 (9 月 2 日 現 在 ) 女


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03 公立学校建物の実態 P8~p10、P18~P41

武 田 鉄 工 株 式 会 社 山 形 県 山 形 市 北 町 三 丁 目 7 番 64 号 代 表 取 締 役 武 田 三 郎 A 伊 藤 建 設 株 式 会 社 山 形 県 寒 河 江 市 字 下 河

平成20年9月30日

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< 付 録 > 資 料 六 日 本 信 濃 国 更 級 郡 における 私 塾 寺 子 屋 師 匠 の 身 分 学 習 歴 一 覧 表 身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 升 之 亟 稲 荷 山 村?- 元 年?-1868 武 士 高 井 善 庵 網 掛 村 安 永 9~ 3 1780-1867 医 師 大 井 健 左 衛 門 網 掛 村 10~ 26 1813-1893 農 民 久 保 玄 正 上 平 村 3-19 年 1806-1886 医 師 姓 氏 もと 上 田 藩 士 で 藩 の 書 役 を 勤 めたが 故 があって 稲 荷 山 に 移 り 住 んで 寺 子 屋 を 開 いて 御 家 流 の 書 道 を 教 え る 門 弟 20 余 人 幼 時 同 村 宮 崎 丹 後 に 読 み 書 きを 学 び 15 歳 時 より 松 代 藩 士 山 寺 常 山 に 就 き 漢 籍 を 修 め 21 歳 同 藩 侍 医 立 田 玄 道 に 学 び 26 歳 2 年 江 戸 に 出 て 東 洞 吉 益 の 門 に 入 り5 年 間 万 病 一 毒 の 説 を 研 究 し 5 年 松 代 侯 の 侍 医 となり 士 席 に 列 された 2 年 70 歳 郷 里 に 帰 って 子 弟 に 習 字 読 書 を 授 ける 7 歳 より 同 村 小 宮 彌 治 兵 衛 に 就 き 習 字 を 学 び 其 後 福 泉 寺 万 全 に 漢 籍 を 戸 倉 村 虎 杖 庵 に 俳 諧 を 若 宮 村 芝 原 中 村 易 遊 に 和 歌 を 学 んだ 10 年 14 歳 の 時 上 田 藩 上 野 塾 に 入 り 漢 籍 を 修 め 翌 年 退 学 壮 年 に 名 主 などを 務 めた 6 年 3 月 江 戸 下 谷 三 枚 小 峰 宗 祐 浅 田 宗 伯 について 医 学 を 修 業 また 佐 久 間 象 山 について 書 道 を 学 んだ 門 弟 数 は 数 百 人 に 及 んだという 中 井 通 格 上 平 村 13-8 年 1816-1875 医 師 傍 ら 漢 学 書 数 を 教 えている 業 務 の 余 暇 を 以 っ て 郷 村 の 子 弟 に 教 える 業 務 の 余 暇 を 以 っ て 郷 村 の 子 弟 に 教 授 す 業 務 の 余 暇 を 以 っ て 郷 村 の 子 弟 に 教 える 宮 原 大 八 郎 今 里 村?- 11?-1828 農 民 年 間 近 郷 の 子 弟 に 読 み 書 き 算 術 を 教 える 2 年 3 年 3 月 ~ 5 年 林 部 官 左 衛 門 今 里 村 農 民 豪 農 なり 家 世 々 割 番 は 庄 屋 と 郷 代 官 との 間 へ 介 在 す 学 を 好 み 才 幹 をあり 謡 曲 を 能 くし 傍 ら 挿 花 の 技 を 好 む 子 幾 之 助 孫 大 共 に 箕 裘 を 受 けて の 初 年 に 至 る 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 安 永 山 崎 舜 察 今 里 村 元 - 22 年 1830-1889 僧 侶 20 歳 の 時 浄 土 宗 源 忠 寺 野 住 職 となり 余 暇 付 近 の 児 童 を 集 めて 読 書 を 教 えている 門 人 40 坂 口 与 左 衛 門 今 里 村 古 森 澤 11-3 年 1828-1869 藩 士 山 崎 賢 治 力 石 村 2- 元 年 1805-1848 医 師 漢 籍 を 修 め 才 幹 在 り 書 を 能 くす 7 年 より 庄 屋 となり 苗 字 帯 刀 を 許 す 子 勇 左 衛 門 孫 才 右 衛 門 共 に 箕 裘 を 継 ぎ 維 新 に 至 る 父 死 して 左 内 を 襲 名 した 漢 学 書 書 を 能 くし 年 間 付 近 の 子 弟 に 読 み 書 きを 教 授 す 山 崎 又 吉 力 石 村 安 永 9-?( 推 ) 1780-? 農 民 手 跡 を 能 くす 山 崎 庄 助 力 石 村 安 永 4-5 年 1775-1834 農 民 山 崎 八 郎 右 衛 門 力 石 村 6-41 年 1823-1897 農 民 画 家 長 崎 に 遊 び 在 留 清 人 に 就 て 画 法 を 学 び 大 いに 得 る 所 があった の 頃 寺 子 屋 師 匠 をなす 幼 より 学 を 好 み 程 朱 学 を 本 家 山 崎 賢 治 師 匠 に 受 け 造 詣 深 いものがある 山 崎 又 吉 の 後 を 継 いで 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 となる 初 年 小 学 校 設 立 に 学 務 などを 担 当 した 467 元 年

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 中 曽 根 養 元 力 石 村 6-19 年 1823-1886 医 師 漢 籍 に 通 する 学 制 後 に 小 学 教 員 傍 ら 郷 村 の 子 弟 に 小 宮 山 昌 喜 力 石 村 享 保 6- 天 明 8 1722-1788 農 民 和 漢 の 学 を 長 じ 業 務 の 余 暇 近 郷 の 幼 童 に 読 み 書 きを 教 え 業 務 の 余 暇 安 藤 慈 禀 上 山 田 村 7-30 年 1824-1897 僧 侶 東 国 寺 に 住 僧 にして 読 書 算 術 裁 縫 俳 諧 を 寺 子 に 教 授 し 50 余 年 に 亙 った 桑 原 義 覚 上 山 田 村 僧 侶 智 識 寺 の 住 僧 にして 書 を 能 くす 法 務 の 余 暇 児 童 に 深 澤 了 圓 上 山 田 村 4- 大 正 9 年 1851-1920 僧 侶 全 長 院 の 僧 侶 にして 漢 籍 に 通 じる 森 雄 禅 上 山 田 村 僧 侶 普 携 寺 の 住 僧 にして 法 師 坂 田 雄 林 の 後 を 受 け 法 務 の 余 暇 寺 法 務 の 余 暇 児 童 に 子 に 教 授 す 田 崎 祖 弘 上 山 田 村 新 山 4-42 年 1847-1909 僧 侶 見 性 寺 の 住 僧 にして 和 漢 の 学 に 渉 猟 し 弟 子 多 し 波 閇 科 神 社 の 神 官 学 を 豊 城 直 友 に 学 び 頗 る 得 るという 奉 仕 の 余 暇 郷 村 の 若 林 長 門 上 山 田 村 13-3 年 1830-1866 神 官 漢 籍 に 通 し 書 を 能 くす 和 漢 の 学 及 び 書 法 を 教 授 す 子 弟 に 教 授 す 家 世 々 農 を 業 とする 傍 ら 見 姓 寺 住 職 について 和 漢 の 学 を 農 閑 村 里 の 筆 子 に 宮 下 徳 兵 衛 上 山 田 村 新 山 寛 永 4~ 文 久 元 年 1792-1861 農 民 修 め 自 家 に 寺 子 屋 を 開 いて 多 くの 幼 青 年 子 女 に 読 書 を 教 教 授 す える 幼 にして 学 を 好 み 同 村 見 性 寺 住 職 国 明 和 尚 に 師 事 し 漢 山 崎 彌 治 右 衛 門 上 山 田 村 新 山 寛 政 11-17 年 1879-1878 農 民 学 を 修 め 造 詣 甚 だ 深 いものがあった 農 業 の 余 暇 近 郷 の 子 弟 に 漢 籍 を 教 え 学 徳 を 慕 ってくるものが 多 い 市 川 九 郎 兵 衛 上 山 田 村 11-31 年 1828-1898 農 民 幼 より 学 を 好 み 和 漢 の 学 に 通 じ 又 書 を 能 くす 幕 末 左 良 志 奈 神 社 の 神 官 初 め 素 読 を 上 総 の 人 三 楽 に 受 け 習 豊 城 直 友 更 級 村 12~ 12 年 1815-1879 神 官 字 を 埴 科 郡 戸 倉 の 虎 杖 庵 に 学 び 漢 学 は 父 直 長 に 就 き 国 余 暇 郷 村 の 子 弟 を 学 は 始 め 本 居 宣 長 の 著 によって 自 修 した 4 年 近 衛 中 教 授 す 将 三 条 に 随 従 し 孝 明 天 皇 の 大 礼 を 拝 す 4 年 松 代 藩 校 権 助 教 を 勤 めた 豊 城 豊 雄 更 級 村 2- 大 正 6 年 1841-1917 神 官 京 都 下 御 霊 神 社 主 出 雲 路 定 信 に 従 って 皇 漢 学 を 修 業 し 万 余 暇 郷 村 の 子 弟 を 延 元 年 より 佐 久 間 象 山 に 従 い 皇 漢 の 学 を 修 めた 豊 城 璦 斎 更 級 村 6-11 年 1823-1878 僧 侶 保 福 寺 の 住 職 法 務 の 傍 ら 子 弟 に 教 授 す 中 村 彌 藤 治 更 級 村 若 宮 4-25 年 1821-1892 農 民 8 歳 から 漢 籍 を 中 村 与 惣 右 衛 門 に 学 んだ 25 歳 12 年 か 業 務 の 余 暇 を 郷 村 ら 子 弟 に 教 授 した 文 久 の 交 里 正 となった 学 生 頒 布 の 子 弟 を 教 える 後 小 学 教 員 中 村 惣 彌 治 更 級 村 若 宮 8-35 年 1837-1902 農 民 13 歳 より 中 村 易 遊 に 漢 籍 を 学 び 18 歳 より 戸 倉 虎 杖 庵 に 習 字 と 俳 諧 を 学 んだ 中 村 与 惣 右 衛 門 更 級 村 若 宮 8-8 年 1811-1875 農 民 大 谷 与 五 郎 更 級 村 仙 石 安 永 2-5 年 1773-1852 農 民 祖 父 与 惣 右 衛 門 について 漢 籍 習 字 を 修 め 7 年 以 来 明 治 廃 藩 まで 若 宮 の 名 主 を 勤 めた 年 間 より 初 頭 に わたり 寺 子 屋 師 匠 をなす 同 村 明 徳 寺 の 僧 二 石 に 漢 籍 を 修 め 加 賀 の 人 新 井 博 雅 に 易 学 を 学 び 松 代 藩 士 佐 久 間 一 家 の 許 に 至 り 同 修 理 等 をと 共 に 易 学 を 研 究 す 又 宮 下 又 右 衛 門 に 就 て 武 術 を 修 め 11 年 免 許 皆 博 を 受 けた 藩 士 高 橋 半 兵 衛 につき 謡 曲 をも 学 ぶ 後 家 に 在 って 永 く 村 役 人 を 勤 め 傍 ら 門 弟 に 教 える 事 百 余 人 業 務 の 余 暇 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 業 務 の 余 暇 を 郷 村 の 子 弟 に 教 える 468

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 大 谷 与 五 郎 更 級 村 仙 石 2-7 年 1805-1874 農 民 幼 時 父 与 五 郎 に 就 き 読 み 書 きを 学 び 武 術 を 同 村 に 西 澤 七 右 衛 門 に 学 び 3 年 村 総 代 を 勤 めた 5 年 父 の 歿 後 襲 名 し 其 後 を 継 ぎ 業 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 業 務 の 余 暇 を 郷 村 の 子 弟 に 教 える 関 重 郎 治 更 級 村 仙 石 9-37 年 農 民 漢 籍 を 修 め 詩 文 を 能 くす 又 剣 技 を 好 み 松 代 藩 に 出 仕 慶 雅 更 級 村?- 5 年?-1848 僧 侶 明 徳 寺 十 九 世 の 住 僧 にして 書 を 能 くす 法 務 の 余 暇 児 童 に 矢 島 俊 雅 更 級 村 7-21 年 1810-1888 僧 侶 明 徳 寺 二 十 世 の 住 僧 8 歳 の 時 小 県 郡 上 田 海 禅 寺 十 五 世 俊 隆 遮 梨 により 剃 髪 し 学 を 修 め 後 明 徳 寺 十 九 世 慶 雅 に 漢 籍 と 仏 典 を 修 め 又 同 村 仙 石 西 沢 七 右 衛 門 に 武 術 を 修 めた 後 京 都 智 積 院 に 入 り 留 学 5カ 年 12 年 正 法 寺 住 職 となり 9 年 明 徳 寺 二 十 世 の 住 職 となり 十 八 カ 年 手 習 師 をし た 其 間 に 門 弟 約 220あった 法 務 の 余 暇 児 童 に 高 松 専 助 更 級 村?- 2?-1805 農 民 天 明 寛 政 享 和 の 頃 農 事 の 余 暇 寺 子 屋 を 開 き 村 内 の 子 弟 に 読 書 算 盤 を 授 く 天 明 北 村 作 五 郎 更 級 村 10-9 年 1813-1876 農 民 儒 学 を 専 精 寺 住 職 空 山 に 学 び 又 大 久 保 四 佛 佐 久 間 象 山 に 学 を 問 う 書 道 に 長 じ 漢 詩 を 能 くす 孝 海 更 級 村?- 6 年?-1835 僧 侶 光 山 栄 明 更 級 村?- 14 年?-1843 僧 侶 同 村 青 松 寺 の 住 職 で 寺 子 に 読 書 を 教 える 久 保 常 治 埴 科 郡 西 條 村 4-16 年 1804-1883 武 士 若 きより 各 地 流 浪 し 元 年 45 歳 の 時 更 級 村 来 着 3 年 (53 歳 ) 塩 崎 村 用 寺 の 法 弟 なり 僧 籍 に 入 り 子 弟 の 読 み 書 きを 教 える 事 三 十 余 年 間 羽 尾 村 阿 彌 陀 堂 に 寄 寓 し 郷 村 の 子 弟 に 教 授 す 矢 島 多 忠 次 羽 尾 村 寛 政 6-3 年 農 民 9 年 名 主 を 勤 め 各 方 面 其 名 を 知 られた 北 村 与 五 右 衛 門 羽 尾 村 寛 政 3-3 年 1791-1832 農 民 北 村 善 左 衛 門 羽 尾 村 7-28 年 1824-1895 農 民 中 村 林 左 衛 門 羽 尾 村 2-18 年 1805-1892 農 民 大 谷 俊 阿 羽 尾 村 僧 侶 矢 島 佐 野 右 衛 門 更 級 村 羽 尾 7-13 年 1810-1880 農 民 北 村 玄 瑞 羽 尾 村 明 和 7-14 1770-1843 医 師 西 村 師 練 桑 原 村 8-18 年 1808-1885 僧 侶 南 澤 師 亭 桑 原 村 僧 侶 享 和 2 年 正 月 より 松 代 藩 士 岡 某 に 就 き 習 字 経 学 小 笠 原 礼 式 などを 習 得 した 13 年 より 近 郷 の 子 弟 に 教 授 す 子 弟 に 教 授 す 9 13 北 村 五 郎 右 衛 門 の 養 子 易 学 の 素 養 があり 分 家 として 一 専 業 家 を 立 て 子 弟 に 読 み 書 き 等 を 教 える 幼 より 学 を 好 み 初 め 村 の 寺 子 屋 で 読 み 書 きを 習 い 後 佐 藤 一 専 ら 村 少 壮 年 教 育 斎 手 嶋 堵 庵 等 に 就 き 経 史 心 学 を 学 び 3 年 5 月 に 心 学 泰 の 任 を 当 たる 心 舎 を 設 立 し 村 少 壮 年 教 育 の 任 に 当 たる 明 徳 寺 の 住 僧 なり 年 間 より 年 間 にわたり 寺 子 屋 師 匠 をなす 漢 籍 を 僧 慶 雅 に 易 学 を 埴 科 郡 中 之 条 村 の 人 池 田 知 碩 に 俳 諧 を 稲 荷 駅 の 人 宇 津 呂 庵 竹 摩 に 画 を 長 野 村 の 人 可 亭 に 学 んだ 6 年 頃 より 子 弟 に 教 授 した 医 術 を 学 び 紀 州 に 至 り 藩 公 の 侍 医 を 勤 め 家 において 医 業 の 傍 ら 子 弟 に 漢 籍 を 教 えた 龍 洞 院 住 僧 になり 初 め 江 戸 駒 込 吉 祥 寺 に 学 び 漢 籍 に 通 じ 詩 文 を 能 くす 年 間 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 初 め 江 戸 駒 込 吉 祥 寺 に 学 び 成 業 の 後 浄 光 庵 に 住 し 再 び 龍 洞 院 に 転 任 し 至 る 所 寺 子 屋 師 匠 をなす 469

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 坂 田 栄 純 桑 原 村 寛 政 9-3 年 1797-1867 僧 侶 豊 山 の 長 谷 寺 に 学 び 7 年 より 長 福 寺 住 僧 となり 傍 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 ら 子 弟 に 読 書 算 術 を 教 えた の 師 匠 をなす 松 林 吉 兵 衛 桑 原 村 大 田 原?- 元 年?-1865 農 民 世 々 里 正 なり 業 務 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 嗣 子 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 吉 兵 衛 父 業 を 襲 ひ 初 年 に 至 った の 師 匠 をなす 海 安 源 智 八 幡 村?- 享 保 20 年?-1735 僧 侶 青 松 寺 の 僧 侶 になり 法 務 の 余 暇 村 里 の 法 法 務 の 余 暇 児 童 に 嗣 法 孫 相 伝 ふる 十 二 世 常 に 寺 子 屋 師 匠 をなり 以 て 学 制 頒 布 に 至 る 山 崎 練 貞 八 幡 村 14-38 年 1843-1905 年 僧 侶 大 雲 寺 十 七 代 の 住 納 なり 詩 文 を 能 くす 16 年 より 子 弟 法 務 の 余 暇 児 童 に を 教 育 する 筆 子 約 350 名 良 峰 恵 仙 八 幡 村 僧 侶 大 雲 寺 十 五 代 の 住 僧 なり 夙 に 漢 籍 を 修 め 仏 典 に 精 する 小 松 奏 宗 八 幡 村 中 原?- 8 年?-1875 僧 侶 経 史 に 渉 猟 する 子 弟 に 漢 籍 習 字 を 教 える 法 務 の 余 暇 少 壮 年 に 和 田 耕 造 八 幡 村 中 原 9-8 年 1812-1875 武 士 幼 より 佐 久 間 象 山 に 学 び 経 史 を 修 む 年 間 より 家 に 在 りて 子 弟 に 漢 籍 習 字 を 教 えた 初 頭 に 至 った 和 田 彌 左 衛 門 八 幡 村 中 原 2-13 年 1805-1880 農 民 8 年 より 名 主 を 勤 めた の 交 村 里 の 子 弟 に 教 授 する 松 島 真 岐 八 幡 村 中 原 10-16 年 1827-1883 修 験 年 間 より の 初 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 和 田 三 郎 右 衛 門 八 幡 村 中 原 天 明 2-11 年 1782-1840 農 民 の 交 業 務 の 余 暇 読 書 算 術 を 上 水 諦 観 八 幡 村 志 川 5-27 年 1808-1894 僧 侶 星 野 瀬 之 助 八 幡 村 4- 大 正 6 年 1847-1917 農 民 高 圓 寺 の 住 僧 なり の 初 年 より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 幼 より 学 を 好 み 松 代 藩 士 某 に 漢 籍 を 学 び 又 稲 荷 山 村 小 林 迎 祥 に 就 き 皇 漢 の 学 俳 句 を 学 んだ 専 業 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 業 務 の 余 暇 村 里 の 子 弟 に 読 書 算 術 を 渡 邊 郡 蔵 八 幡 村?- 13 年?-1842 農 民 農 業 の 傍 ら 子 弟 300 余 人 に 読 み 書 きを 教 えた 子 弟 を 伴 野 蔵 吉 八 幡 村 農 民 読 書 謡 曲 を 村 里 の 伴 倉 吉 八 幡 村 寛 政 9-17 年 1797-1885 農 民 子 弟 に 読 み 書 き 及 び 謡 曲 を 教 えた 戒 聞 八 幡 村 大 池 新 田 安 永 4-5 年 1775-1858 僧 侶 西 野 入 八 郎 八 幡 村 大 池 新 田 12- 大 正 3 年 1838-1914 農 民 大 皓 庵 の 主 なり 幼 にして 八 幡 村 清 浄 院 の 法 弟 になり 後 大 皓 庵 に 住 して 子 弟 を 教 育 する 8 歳 の 時 同 村 の 権 田 主 馬 に 就 き 読 書 習 字 を 学 び 20 歳 の 時 松 代 藩 士 高 野 権 右 衛 門 の 弟 子 となり 漢 籍 を 修 め また 剣 技 をよくす 年 代 寺 子 屋 の 師 匠 となり 20 余 名 の 子 弟 に 教 授 した 善 応 八 幡 村?- 3 年?-1856 僧 侶 俳 諧 を 好 み 相 州 鴫 立 庵 に 学 び 後 長 楽 寺 の 住 職 となる 子 弟 を 法 務 の 余 暇 少 壮 年 に 教 授 す 国 山 仙 嶺 八 幡 村?- 6 年?-1853 僧 侶 青 松 寺 の 住 職 子 弟 に 読 書 を 教 えた 松 崎 淳 海 越 中 の 人?- 元 年?-1868 僧 侶 八 幡 報 徳 寺 の 住 侶 となった 470 法 務 の 余 暇 少 壮 年 に

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 栄 山 寿 賢 八 幡 村?- 12 年?-1829 僧 侶 同 村 青 松 寺 の 住 職 で 村 里 の 子 弟 に 読 書 を 教 えた 近 藤 智 洞 八 幡 村 2-3 年 1831-1867 僧 侶 小 宮 山 容 安 八 幡 山 町 4-25 年 1821-1892 医 師 中 村 達 応 八 幡 村 11-20 年 1840-1887 僧 侶 清 浄 院 の 住 僧 なり の 末 年 より の 末 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 中 島 淡 水 に 書 を 学 び 和 漢 の 学 を 修 め 書 を 能 くす 兼 て 音 韻 の 学 に 通 す 著 書 多 数 あり 十 六 七 年 までに 約 20 年 間 業 務 の 余 暇 子 弟 に 教 授 した 浄 土 宗 の 僧 住 持 の 養 育 により32 歳 その 住 職 となった 餘 を 能 くし 法 務 の 余 暇 読 書 を 教 えた 門 人 数 約 百 名 法 務 の 余 暇 少 壮 年 に 法 務 の 余 暇 少 壮 年 に 教 授 す 天 山 童 倫 八 幡 村 11( 推 定 ) 1840( 推 定 ) 僧 侶 同 村 青 松 寺 の 住 職 で 子 弟 に 読 書 を 教 えた 小 林 迎 祥 伊 勢?- 6 年?-1859 武 士 阿 部 伊 勢 守 正 弘 が 臣 なり 頃 桑 原 村 に 寄 寓 した 和 漢 の 学 に 通 し 傍 ら 浄 瑠 璃 をよくす 酒 井 貞 安 塩 崎 村 滌 ノ 井?- 元 年?-1868 医 師 家 世 々 医 とす 子 弟 に 読 書 を 教 授 樽 田 周 作 塩 崎 村 滌 ノ 井?- 万 延 元 年?-1860 農 民 農 業 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 農 閑 郷 里 の 子 弟 に 読 書 を 島 田 獅 子 臧 塩 崎 村 滌 ノ 井 8-28 年 1837-1895 農 民 幼 より 読 書 を 好 み 軍 談 を 能 くす 学 制 後 小 学 教 員 北 澤 重 治 郎 塩 崎 村 滌 ノ 井 10-43 年 1827-1910 農 民 里 正 子 弟 に 読 書 を 教 授 宝 暦 北 澤 丈 右 衛 門 塩 崎 村 上 滌 ノ 井 明 和 8-14 年 1767-1843 農 民 する 父 重 治 郎 も 寺 子 屋 師 匠 で 天 明 8 年 7 月 10 日 父 死 亡 の 後 を 受 け 村 内 及 び 隣 村 大 当 の 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 天 明 教 善 塩 崎 村?- 元 年?-1865 僧 侶 書 を 能 くし 欣 浄 寺 の 住 僧 なり 法 務 の 余 暇 寺 子 に 教 授 す 法 務 の 余 暇 寺 子 に 近 藤 権 治 左 衛 門 塩 崎 村 平 久 保?- 11 年?-1878 農 民 読 書 を 好 み 俳 諧 を 能 くす 農 閑 郷 里 の 子 弟 に 読 書 を 道 誉 天 用 寺 僧 侶 書 を 能 くす 業 務 の 余 暇 寺 子 に 荒 井 源 説 塩 崎 村 天 明 7-2 年 1790-1866 僧 侶 幼 より 学 を 好 み 又 小 笠 原 礼 式 に 精 す 松 林 通 泰 塩 崎 村 元 - 27 年 1830-1890 医 師 矢 島 初 治 郎 塩 崎 村 天 明 3-3 年 1783-1850 農 民 書 を 能 くす 松 平 信 濃 守 忠 明 の 侍 医 たり 良 医 を 以 って 称 される 学 を 好 み 東 都 に 遊 学 し 佐 藤 一 斎 の 門 に 入 り 郷 代 官 に 登 用 されたことがある 子 弟 に 読 書 を 教 授 する 深 澤 雄 助 塩 崎 村 8-13 年 1825-1880 農 民 書 を 野 原 啓 助 に 経 を 矢 島 仏 斎 に 学 び 仏 斎 の 死 後 郷 里 の 少 年 に 中 村 古 祐 塩 崎 村 角 間 2-14 年 1804-1881 農 民 読 書 を 好 み 経 を 矢 島 仏 斎 に 学 び 後 上 田 藩 儒 臣 加 藤 維 藩 に 学 ぶ 性 俳 諧 を 好 み 連 歌 を 能 くす 又 軍 談 を 講 す 同 村 倉 石 多 源 治 号 墨 泉 其 の 統 を 継 いだ 471

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 丸 山 安 平 塩 崎 村 享 和 2-15 年 1802-1882 農 民 経 を 矢 島 仏 斎 に 受 け 傍 ら 書 法 を 学 び 頗 る 造 詣 する 所 あり 又 謡 曲 散 楽 を 好 み 屡 江 戸 に 遊 学 する 老 後 徒 を 集 めて 教 授 し 遠 近 の 少 壮 来 り 学 ぶ 者 千 人 達 している 渋 谷 彌 右 衛 門 塩 崎 村 8-6 年 1825-1873 武 士 初 め 矢 島 仏 斎 に 学 び 後 加 藤 維 藩 に 学 ぶ 頗 る 百 瀬 耕 元 の 書 風 を 能 くす 末 年 士 席 に 列 され 万 延 2 年 手 代 とな る 市 川 大 右 衛 門 塩 崎 村 上 町 農 民 俳 諧 を 好 み 書 を 能 くす 風 間 輔 右 衛 塩 崎 村 四 野 宮 農 民 農 閑 に 近 郷 の 児 童 に 読 書 を 星 野 百 麻 塩 崎 村 四 野 宮 9-20 年 1826-1887 農 民 幼 より 学 を 好 み 初 め 星 野 甚 之 介 に 学 び 其 の 歿 後 星 野 文 彌 に 習 った 長 じて 庄 屋 其 の 他 の 公 職 を 勤 め 業 務 の 傍 ら 専 業 文 久 祖 父 以 来 寺 子 屋 師 匠 をなす 倉 石 嘉 十 郎 塩 崎 村 四 野 宮 11-27 年 1828-1890 農 民 より 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 北 澤 鳳 山 塩 崎 村 長 谷 寺?- 11 年?-1840 僧 侶 初 め 星 野 は 甚 之 助 に 学 びその 後 星 野 文 彌 に 習 った 漢 籍 に 傍 ら 郷 村 の 子 弟 通 し 書 を 能 くす 長 く 庄 屋 その 他 公 職 を 勤 め に 年 間 寺 子 屋 師 匠 をなす 宮 崎 源 臧 塩 崎 村 長 谷 13-29 年 1816-1895 農 民 郷 土 の 子 弟 に 読 書 算 術 を 教 授 す 農 閑 に 郷 里 の 少 壮 瀧 澤 志 摩 塩 崎 村 8- 元 年 1811-1867 神 官 祖 父 以 来 皇 漢 の 学 を 修 める 郷 里 の 少 壮 に 教 授 し 来 り 学 ぶ 者 が 多 し に 読 書 算 術 を 教 授 郷 里 の 少 壮 に 教 授 する 飯 島 源 吾 塩 崎 村 宝 暦 5- 元 年 1755-1830 医 師 幼 より 家 庭 に 学 び 漢 籍 に 通 じ また 俳 諧 を 能 くす 飯 島 雲 慶 塩 崎 村 寛 政 4- 文 久 元 年 1794-1861 医 師 父 源 吾 に 学 び 漢 籍 に 通 じ 俳 諧 立 花 を 能 くす 文 久 年 間 に 寺 子 屋 師 匠 をなす 宮 崎 近 一 郎 塩 崎 村 長 谷 6-8 年 1835-1875 農 民 より の 初 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 学 制 後 小 学 教 員 となった 宮 崎 力 之 助 塩 崎 村 長 谷?- 14?-1843 農 民 漢 籍 に 通 じ 年 間 郷 里 の 少 壮 に 西 澤 喜 右 衛 門 二 ツ 柳 作 見 享 和 2 年 - 7 年 1802-1874 農 民 学 を 好 み 書 を 能 くす 選 ばれて 村 吏 となり 帯 刀 を 許 す 余 暇 郷 村 の 児 童 に 山 本 富 治 二 ツ 柳 作 見 4 年 -? 農 民 書 を 能 くす 余 暇 郷 村 の 児 童 に 田 中 斧 右 衛 門 石 川 村 3-29 年 1820-1896 農 民 学 を 好 み 真 臧 寺 十 一 世 連 芳 に 漢 学 を 修 め 書 道 を 学 ぶ 成 業 の 後 近 郷 の 子 弟 を 集 めて 維 新 の 際 に 副 区 長 となった 中 村 泰 仙 石 川 村 9-32 年 1826-1897 僧 侶 真 臧 寺 十 二 世 住 僧 なり 同 寺 の 法 師 連 芳 に 学 んだ 法 務 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 門 弟 200 余 人 田 中 与 惣 左 衛 門 石 川 村 5~ 32 年 1822-1899 農 民 山 本 央 人 に 漢 籍 を 学 ぶ 後 里 正 に 選 ばれた 西 澤 正 徹 石 川 村 8-27 年 1825-1890 医 師 漢 籍 を 修 め また 算 術 を 上 水 内 郡 鬼 無 里 村 の 人 寺 島 宗 伴 に 学 んだ 余 暇 近 郷 の 子 弟 に 472

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 田 中 儀 忠 太 石 川 村 11-44 年 農 民 算 数 を 寺 島 宗 伴 に 学 んだ 維 新 後 村 長 となった 中 村 久 八 石 川 村 宝 暦 7-11 年 1751-1840 農 民 西 澤 藤 吉 石 川 村 4-20 年 1807-1887 農 民 瀧 内 泰 一 信 田 村?- 元 治 元 年?-1864 武 士 栄 正 栄 知 栄 高 栄 純 赤 田 村 ( 信 田 村 )?- 5 年?-1822 僧 侶 児 島 義 雄 高 野 村 8-27 年 1825-1890 神 官 町 田 春 丈 石 川 村?- 20 年?-1887 僧 侶 武 田 重 彦 石 川 村 5-44 1852-1911 神 官 内 山 準 之 石 川 村?- 8 年?-1875 僧 侶 穂 刈 文 平 石 川 村 5- 昭 和 6 年 1852-1931 農 民 秀 阿 大 岡 村?- 4 年?-1857 僧 侶 志 田 魯 竜 大 岡 村 2-28 年 1831-1895 僧 侶 丸 山 助 太 郎 大 岡 村 門 増 6-43 1853-1910 農 民 小 林 彌 五 兵 衛 大 岡 村 笹 久 6-18 年 1823-1885 農 民 丸 山 助 左 衛 門 大 岡 村 門 増 寛 政 10-12 年 1799-1879 農 民 八 幡 村 の 医 師 原 田 見 智 に 学 び 経 史 に 渉 猟 し 常 に 徒 を 集 め て 学 を 好 み 書 を 能 くす 家 塾 を 開 いて 遠 近 子 弟 に 習 字 を 教 え る 門 弟 50 余 名 漢 籍 を 修 め 剣 技 をよくす 傍 ら 算 術 に 通 す 年 間 より 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 初 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 をなす 専 照 寺 二 十 八 世 の 住 職 大 和 国 長 谷 寺 に 上 り 仏 典 漢 籍 を 修 め 帰 国 後 子 弟 に 教 えた 二 十 九 世 西 村 栄 智 三 十 世 栄 高 法 務 の 余 暇 寺 子 屋 三 十 一 世 栄 澤 栄 純 は 法 務 の 傍 ら 師 匠 となり 殊 に 栄 高 最 功 師 匠 をなす あり 門 弟 合 計 千 人 に 及 ぶ 高 明 神 社 の 神 官 松 代 藩 士 佐 久 間 修 理 に 就 き 漢 籍 を 学 び 豊 後 国 府 内 藩 士 阿 部 鉄 臧 に 歌 学 を 修 めた より の 初 年 に 至 るまで 奉 仕 の 余 暇 村 里 の 子 弟 に 教 授 す 密 臧 寺 の 住 侶 にして の 初 年 より 寺 子 屋 師 匠 を 為 す の ち 小 学 教 員 となった 清 水 神 社 の 神 官 なり 和 漢 の 学 を 修 めた 曾 祖 父 以 来 明 和 の 初 年 より の 初 年 までに 四 代 100 年 亙 り 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 真 福 寺 十 一 世 の 住 僧 にして 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 法 務 の 余 暇 寺 子 屋 師 匠 をなす 松 代 藩 士 に 漢 籍 を 学 び 金 子 兵 衛 に 書 を 習 ひ 初 年 よ り 門 弟 におしえた 内 花 見 高 巌 寺 十 三 代 ( 九 代 の 説 もある)の 住 僧 にして 文 法 務 の 余 暇 寺 子 屋 政 7 年 以 降 法 務 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 きを 教 え 13ヶ 村 に 亙 師 匠 をなす り 百 数 十 名 の 門 弟 在 った 士 族 吉 左 衛 門 の 次 男 5 年 大 岡 久 村 天 宗 寺 に 入 籍 同 寺 二 十 二 世 の 住 僧 にして20 年 間 法 務 の 余 暇 子 弟 の 読 み 書 き を 教 えた 祖 父 助 左 衛 門 に 就 き 読 み 書 きを 学 び 松 代 藩 士 師 岡 七 左 衛 門 に 学 び 書 算 を 能 くす より の 初 年 まで 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 となり 同 村 芦 之 尻 熊 井 宇 右 衛 門 に 就 き 習 字 を 修 め 後 東 筑 摩 那 麻 村 宮 下 日 向 に 就 き 漢 籍 を 学 び 11 年 及 び 2 年 に 長 百 姓 元 年 名 主 を 務 め 翌 年 帯 刀 を 許 した 以 降 明 治 初 年 まで 子 弟 に 読 み 書 きを 教 授 した 書 算 をよくす 以 降 年 間 まで 子 弟 に 教 授 した 弘 化 震 災 後 藩 命 に 依 り 民 間 の 製 紙 の 買 上 に 奔 走 して 其 の 救 済 に 努 め 功 により 帯 刀 を 許 された 473 法 務 の 余 暇 寺 子 屋 師 匠 をなす 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 寛 政 寛 政 7

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 旗 本 なりと 伝 える 2 年 8 月 大 岡 村 笹 久 に 来 り 松 村 田 青 斎 大 岡 村 小 松 尾 寛 政 10- 元 年 1798-1865 武 士 沢 市 郎 兵 衛 に 寄 寓 して 寺 子 屋 師 匠 となった 年 間 以 降 20 年 間 子 弟 に 漢 籍 を 教 えた 漢 籍 の 造 詣 が 深 い 丸 山 与 平 治 大 岡 村 花 尾 農 民 珠 算 の 蘊 奥 を 極 めしひとなり 丸 山 栄 左 衛 門 大 岡 村 花 尾 寛 政 6- 文 久 2 年 1794-1862 農 民 東 筑 摩 郡 生 坂 村 山 本 某 に 就 き 読 書 算 術 を 修 め 殊 に 算 術 に 熱 達 した 家 世 々 名 主 を 務 め 傍 ら 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 となり 里 正 となる 丸 山 栄 左 衛 門 大 岡 村 花 尾 元 - 31 年 1844-1898 農 民 家 は 世 々 名 主 を 務 めた 幼 時 に 同 村 にて 村 田 青 斎 に 学 び 祖 父 以 来 の 寺 子 屋 師 匠 を 継 ぎ 子 弟 に 教 授 した 松 嶋 与 市 右 衛 門 大 岡 村 根 越 寛 政 2-3 年 1790-1850 農 民 幼 にして 学 を 好 み 独 学 遂 に 師 匠 となり 年 以 降 自 宅 で 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 丸 山 三 左 衛 門 大 岡 村 根 越 8-37 年 1825-1904 農 民 年 間 郷 里 の 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 2 年 より 名 主 を 務 めた 吉 田 伊 豫 大 岡 村 根 越 10-25 年 1827-1892 神 官 年 間 自 宅 で 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 松 嶋 宥 光 大 岡 村 根 越 9- 大 正 6 年 1836-1917 修 験 丸 山 佐 平 治 大 岡 村 根 越 明 和 8- 元 年 1771-1848 農 民 久 保 田 惣 兵 衛 大 岡 村 石 津 寛 政 10-8 年 1798-1875 農 民 熊 井 伊 右 衛 門 大 岡 村 川 口 6-44 年 1835-1911 農 民 本 間 三 左 衛 門 大 岡 村 川 口 寛 政 9-2 年 1795-1866 農 民 塩 入 作 左 衛 門 大 岡 村 川 口?- 12?-1829 農 民 小 林 満 長 大 岡 村 川 口 常 楽 院 久 保 田 久 米 七 大 岡 村 北 小 松 尾 寛 政 7- 元 年 1795-1868 農 民 柳 澤 清 左 衛 門 大 岡 村 9-31 1826-1898 農 民 柳 原 富 右 衛 門 大 岡 村 長 岩 4-12 年 1821-1879 農 民 同 地 の 手 習 師 松 嶋 与 右 衛 門 に 学 び 後 牧 郷 村 高 剛 寺 高 坂 了 叫 の 法 弟 となり 和 漢 の 学 を 修 めた より 元 治 年 間 に 亙 り 郷 里 の 手 習 師 たり 根 本 算 術 明 見 流 を 松 代 某 に 就 き 修 めたと 推 定 す 珠 算 の 蘊 奥 を 極 め の 頃 少 壮 に 名 主 を6 回 勤 め 地 方 屈 指 の 勢 力 があった 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 となり 本 間 三 左 衛 門 に 就 き 読 み 書 きをを 修 め 門 弟 中 第 一 出 会 っ た 特 に 書 を 能 くし 其 の 草 書 は 村 内 第 一 の 称 があった 明 治 初 年 まで 子 弟 に 教 授 した 門 弟 中 に 西 村 平 作 丸 山 孫 作 等 があった 書 を 能 くし 名 主 等 を 勤 め 年 間 より に 亙 り 少 壮 に 読 み 書 きと 算 術 を 教 えた 門 弟 中 熊 井 伊 右 衛 門 西 村 平 作 丸 山 勝 之 助 等 があった 書 算 を 能 くす 寛 政 年 間 より 年 間 まで40 年 間 読 書 習 字 算 術 を 教 授 した 此 地 方 の 先 輩 である 僧 侶 住 僧 にして 法 嗣 長 玄 孫 清 重 治 と 共 に 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 たり 世 々 里 正 を 務 め 今 正 雪 と 称 され 集 会 の 席 上 誰 一 人 も 反 対 するものがいない 程 度 であった 農 間 読 書 算 術 を 郷 里 の 殊 に 書 を 能 くし 村 の 頭 立 になって 権 勢 を 振 ったこともあ る 業 務 の 余 暇 子 弟 に 教 授 して より 初 年 に 至 っ た 東 筑 摩 郡 麻 績 村 の 人 平 法 印 愛 徳 に 就 き 漢 学 を 修 め 後 家 塾 を 開 き 12 年 間 子 弟 に 名 頭 村 名 附 庭 訓 往 来 証 文 往 復 文 等 及 び 算 術 を 教 えた 474 元 治 寛 政

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 平 川 豊 前 大 岡 村 日 合 読 書 算 術 を 郷 里 の 瀧 澤 彌 兵 衛 大 岡 村 梨 木 11-28 年 1814-1895 農 民 性 学 を 好 み 記 憶 強 く 諸 事 に 通 じ 里 正 及 頭 立 等 を 勤 め 傍 ら 読 書 算 術 を 郷 里 の 熊 井 宇 左 衛 門 大 岡 村 芦 の 尻 天 明 6-12 1786-1841 農 民 の 頃 子 弟 に 読 み 書 き 及 び 算 術 を 教 えた 又 俳 諧 を 好 み 遺 品 として 俳 諧 集 及 文 章 手 本 世 話 字 往 来 庭 訓 往 来 等 の 教 授 書 があった 広 田 橘 郎 太 大 岡 村 芦 の 尻 宝 暦 10-4 年 1761-1851 農 民 年 間 名 主 を 勤 め 以 降 頃 まで 業 務 の 余 暇 子 業 務 の 余 暇 読 書 算 弟 に 読 書 算 術 を 教 授 した 門 弟 160 余 人 又 俳 句 を 能 くし 術 を 熊 井 宇 左 衛 門 等 と 交 友 であった 松 嶋 源 左 衛 門 大 岡 村 下 栗 尾 3-19 年 1806-1886 農 民 里 正 になった 事 三 回 11 年 より 4 年 に 至 るまで 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 栗 林 喜 重 郎 鹿 谷 村 ( 信 級 村 ) 5-15 年 1822-1882 農 民 元 治 元 年 に 里 正 となり 学 制 後 小 学 教 員 となった 小 林 清 重 治 大 岡 村 川 口 9-32 年 1826-1899 農 民 長 玄 の 子 幼 時 父 に 学 び 後 佐 久 間 象 山 に 学 び 文 久 3 年 より 吉 澤 金 重 郎 信 級 村 農 民 窪 田 万 寿 雄 信 級 村 14 年 -? 神 官 吉 田 雄 記 大 原 村 大 原 7-30 年 1824-1897 神 官 吉 田 稲 穂 大 原 村 大 原 5- 大 正 13 年 1858-1924 神 官 宮 崎 宗 重 郎 大 原 村 鹿 道 享 和 元 - 13 年 1801-1880 農 民 高 橋 徳 栄 日 名 村 寛 政 6- 文 久 元 年 1794-1861 神 官 高 橋 友 意 日 名 村 8-35 年 1811-1902 神 官 業 務 の 余 暇 読 書 算 術 を 業 務 の 余 暇 郷 里 の 元 治 文 久 3 5 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 となり 後 小 学 教 員 漢 籍 を 修 め 算 術 を 能 くす 頃 の 郷 先 生 たり 里 正 た 業 務 の 余 暇 郷 里 の る 当 信 神 社 の 神 官 なり 皇 漢 の 学 を 修 めた 維 新 後 小 学 教 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 文 久 員 世 々 生 玉 神 社 の 神 官 にして 世 々 奉 仕 の 余 暇 郷 村 の 寺 子 屋 師 奉 仕 の 余 暇 郷 村 の 匠 をなす 幼 にして 和 漢 学 を 修 め 書 も 松 代 藩 山 寺 源 太 夫 派 を 修 めて 能 筆 の 誉 があった 雄 記 の 子 父 に 就 いて 読 算 書 等 を 習 ひ 累 代 の 神 官 を 継 ぎ 余 暇 郷 童 を 集 めて 寺 子 屋 師 匠 をなし 読 み 書 きを 教 え た 幼 より 学 を 好 み 松 代 藩 士 山 寺 源 太 夫 に 就 き 書 を 学 び 年 間 より の 初 年 まで50 年 間 に 亙 り 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 をな す 高 橋 氏 世 々 日 名 村 飯 岡 神 社 の 神 職 を 奉 仕 す 徳 栄 もまた 父 に 継 ぎ 飯 岡 神 社 の 神 官 をつとむ 余 暇 郷 童 を 集 めて 和 漢 の 書 等 を 教 える 子 友 意 箕 裘 を 継 ぎ 学 制 頒 布 なるまで また 寺 子 屋 師 匠 をした 和 漢 の 学 を 修 め 奉 仕 の 余 暇 村 里 の 徳 栄 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ 学 生 頒 布 に 至 るまでに 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 奉 仕 の 余 暇 郷 村 の 奉 仕 の 余 暇 郷 村 の 北 澤 吉 郎 太 日 名 村 9-16 年 1812-1883 農 民 年 間 より 文 久 年 間 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 三 澤 儀 右 衛 門 日 名 村 端 木 2-9 年 1805-1876 農 民 三 澤 儀 左 衛 門 日 名 村 端 木 農 民 父 の 後 を 受 けて 年 間 より 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えること 四 十 余 年 松 代 藩 の 番 役 を 務 め 二 人 扶 持 をもらった 剣 道 を 能 くす 儀 右 衛 門 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ 学 生 頒 布 に 至 るまでに 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 475

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 観 世 流 の 謡 を 善 くし 近 村 迄 出 張 教 授 をなし 門 弟 百 を 超 え 柳 沢 銀 右 衛 門 牧 郷 村 弘 崎 4- 大 正 7 年 1834-1917 農 民 文 久 た 清 右 衛 門 の 子 幼 時 同 村 精 進 屋 清 水 宥 全 に 学 び 後 佐 久 間 小 林 九 右 衛 門 牧 郷 村 弘 崎 8-25 年 1825-1892 農 民 読 書 算 術 を 教 授 す 文 久 象 山 に 学 び 子 弟 数 十 人 る 三 右 衛 門 の 子 小 林 大 三 郎 に 就 き 学 んで 習 得 する 所 多 く 松 田 恒 三 郎 牧 郷 村 弘 崎 12- 大 正 4 年 1841-1915 農 民 後 家 に 在 って 農 事 の 傍 ら 寺 子 屋 師 匠 となった 子 弟 20 余 人 を 集 め 読 書 算 数 を 教 授 して に 至 る 以 前 は 大 和 を 名 乗 り 百 五 十 石 取 りの 武 士 なりと 伝 える 文 大 代 左 五 兵 衛 牧 郷 村 弘 崎 天 明 7- 万 延 元 年 1796-1860 武 士 化 - 年 間 遠 近 の 子 弟 に 読 み 書 きを 佐 兵 衛 の 子 で 父 に 学 び 其 後 を 継 いで 子 弟 に 読 み 書 きを 教 大 代 龍 司 牧 郷 村 弘 崎 13-23 年 1816-1890 農 民 授 門 弟 30 人 年 間 より 年 間 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 を なす 竹 田 勝 計 牧 郷 村 14-44 年 1843-1911 年 神 官 竹 富 佐 神 社 の 神 官 なり 和 漢 の 学 を 修 め 又 剣 法 槍 術 を 能 くす 年 間 より の 初 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 をなす 高 坂 了 叫 牧 郷 村 修 験 竹 房 金 鋼 寺 の 修 験 なり 漢 籍 を 修 め 老 に 及 ぶまで 子 弟 に 教 授 田 邊 旭 山 牧 郷 村 牧 野 島 11-17 年 1814-1884 僧 侶 普 光 寺 の 十 八 世 住 僧 なり 漢 籍 に 通 師 年 間 より の 初 頭 まで 寺 子 屋 の 師 匠 をなす 門 弟 に 十 数 名 元 年 酒 井 禅 鶴 牧 郷 村 牧 野 中 僧 侶 牧 田 中 興 禅 寺 の 住 僧 にして 漢 籍 に 通 し 書 を 能 くす 法 務 の 余 暇 寺 子 に 清 水 宥 山 牧 郷 村 牧 野 中 明 和 2-6 年 1765-1835 僧 侶 漢 籍 を 修 め 郷 村 の 安 永 清 水 宥 全 牧 郷 村 牧 野 中 10-39 1813-1906 僧 侶 宥 山 宥 弁 宥 全 三 代 相 続 き 寺 子 屋 師 匠 であった 漢 籍 を 修 め 郷 村 の 文 久 元 年 清 水 宥 弁 牧 郷 村 牧 野 中 天 明 4-7 年 1784-1854 僧 侶 父 宥 山 の 後 を 受 けて 寺 子 屋 師 匠 を 勤 め 門 弟 数 十 人 内 山 万 吉 牧 郷 村 上 中 山 寛 政 元 - 文 久 3 年 1789-1862 農 民 年 間 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 内 山 万 吉 牧 郷 村 上 中 山 元 - 16 1818-1883 農 民 先 代 を 襲 名 し 叔 父 瀧 内 太 一 に 学 び 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 をな 待 井 傳 左 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 3-37 年 1832-1904 武 士 文 久 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 文 久 中 村 良 左 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 天 明 7-25 年 1787-1992 農 民 代 々 襲 名 をして 名 主 を 勤 めた 親 子 二 代 年 間 より 明 治 の 初 年 に 至 るまで 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 小 林 大 三 郎 牧 郷 村 2-5 1819-1858 農 民 漢 学 書 道 を 善 くし 下 中 山 南 牧 部 落 の 子 弟 を 集 めて 寺 子 屋 師 匠 となり 門 弟 数 十 人 吉 原 市 郎 左 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 農 民 の 頃 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 吉 原 本 治 郎 牧 郷 村 牧 中 牧 7- 昭 和 3 年 1836-1928 農 民 市 郎 左 衛 門 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ 学 生 頒 布 に 至 るまでに 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 幼 時 父 に 学 び 後 寺 子 屋 師 匠 であった 清 水 宥 全 に 就 き 修 めた 吉 原 藤 右 衛 門 牧 郷 村 寛 政 12-3 1800-1870 農 民 年 間 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 待 井 嘉 左 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 11-15 年 1828-1882 農 民 高 峰 寺 住 職 寛 存 に 就 いて 学 んだ 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 村 里 吉 原 藤 左 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 農 民 の 頃 農 間 村 里 の 子 弟 に 書 算 を 吉 原 政 右 衛 門 牧 郷 村 牧 中 牧 8-34 1825-1901 農 民 藤 左 衛 門 の 子 幕 末 頃 名 主 を 勤 め 業 務 の 傍 ら 子 弟 に 教 え 待 井 久 右 衛 門 牧 郷 村 日 向 5-23 年 1808-1890 農 民 聖 山 高 峰 寺 の 僧 侶 に 学 び 長 じて 庄 屋 を 勤 めた 業 務 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 476

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 香 坂 宥 寛 竹 房 村 6-24 年 1809-1891 修 験 当 家 八 代 続 いて 寺 子 屋 師 匠 として 子 弟 に 読 み 書 きを 教 え た 其 子 良 吽 父 の 職 を 継 ぎ 子 弟 を 教 導 した 内 山 清 右 衛 門 更 府 村 吉 原 安 永 5- 文 久 4 年 1776-1864 農 民 漢 籍 及 び 俳 句 を 修 め 農 間 村 里 の 内 山 藤 左 衛 門 更 府 村 吉 原 10-27 年 1827-1890 農 民 数 学 家 なり 年 間 郷 村 の 子 弟 に 算 術 を 専 業 竹 越 永 泉 更 府 村 吉 原 4- 大 正 3 年 1833-1914 農 民 幼 より 学 を 好 み 子 弟 に 専 ら 実 用 向 きの 学 問 を 授 ける 大 内 発 作 更 府 村 吉 原 寛 政 元 - 文 久 3 年 1789-1862 農 民 漢 籍 を 修 め 又 俳 句 に 通 じる の 頃 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 を なす 代 々 襲 名 通 称 定 乃 五 代 目 にあたり 貞 享 4 年 生 まれであ 柳 沢 傳 右 衛 門 更 府 村 山 平 林 貞 享 4- 明 和 4 1687-1767 農 民 る 家 世 々 里 正 たり 祖 先 以 来 能 く 箕 裘 を 継 ぎ 郷 村 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 同 六 代 目 享 保 8 年 生 まれ 寛 政 6 年 生 歿 同 七 代 目 寛 延 元 年 生 まれ 10 年 歿 同 八 代 目 天 明 7 年 明 和 柳 沢 一 郎 更 府 村 山 平 林 武 士 生 まれ 4 年 歿 同 九 代 目 6 年 生 まれ 12 年 歿 漢 籍 を 修 め 剣 技 を 好 み 謡 曲 を 能 くす 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 郷 先 生 たり 中 沢 伴 九 郎 更 府 村 山 平 林?- 6 年?-1859 農 民 の 頃 農 間 寺 子 屋 師 匠 をなす 高 野 善 兵 衛 更 府 村 三 水 4-20 年 1806-1887 農 民 より に 至 るまで 農 間 郷 村 の 少 壮 に 読 書 を 法 務 の 余 暇 郷 村 の 富 田 栄 宣 更 府 村 三 水 僧 侶 業 務 の 余 暇 村 里 の 隣 村 氷 ノ 田 村 某 に 就 き 学 び 漢 籍 を 修 め 長 じて30 余 年 間 子 弟 塚 田 嘉 臧 更 府 村 安 庭 寛 政 10-12 年 1798-1879 農 民 子 弟 に 読 書 を 教 授 に 教 授 した する 農 間 郷 村 の 少 壮 に 小 山 曾 右 衛 門 更 府 村 安 庭 農 民 元 治 の 頃 農 間 郷 村 の 少 壮 に 読 書 を 元 治 読 書 を 宮 本 伴 右 衛 門 有 旅 村 農 民 宮 本 九 郎 兵 衛 有 旅 村 農 民 伴 右 衛 門 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 を 開 いている 宮 原 案 右 衛 門 有 旅 村 農 民 里 正 たる 宮 原 案 右 衛 門 亦 有 旅 村 農 民 案 右 衛 門 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 を 開 いている 小 出 八 百 治 有 旅 村 9- 大 正 4 年 1838-1915 農 民 農 業 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 池 田 愛 臧 有 旅 村 8-26 年 1811-1889 農 民 内 山 林 之 助 有 旅 村 7-13 年 1810-1880 農 民 佐 藤 喜 左 衛 門 中 山 新 田 村 9- 大 正 7 年 1838-1918 農 民 世 々 里 正 たり 477

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 佐 藤 喜 左 衛 門 亦 中 山 新 田 村 農 民 喜 左 衛 門 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 を 開 いている 宮 下 喜 文 太 中 山 新 田 村 享 和 3-13 年 1803-1880 年 農 民 里 正 を 勤 め 業 務 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 える 宮 下 吉 十 郎 中 山 新 田 村?- 11 年?-1840 農 民 里 正 を 勤 め 業 務 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 える 児 島 常 学 中 山 新 田 村 11-29 年 1828-1896 修 験 北 澤 友 作 中 山 新 田 村 2-26 年 1805-1893 農 民 里 正 北 澤 重 治 郎 中 山 新 田 村 農 民 里 正 小 林 瀧 三 郎 中 山 新 田 村 10-26 年 1813-1893 農 民 書 算 に 通 す 農 間 郷 村 の 少 壮 に 青 木 廓 奥 中 山 新 田 村 元 - 大 正 4 年 1841-1915 僧 侶 長 念 寺 の 住 僧 にして 漢 籍 を 修 め 書 を 能 くす 学 制 頒 布 後 小 法 務 の 余 暇 子 弟 に 学 教 員 4 嶋 田 喜 太 郎 有 旅 村 青 池 5- 大 正 14 年 1852-1926 農 民 里 正 春 日 玄 庵 川 柳 村 宝 暦 4-6 年 1754-1823 医 師 幼 にして 医 を 児 玉 玄 長 政 敷 に 学 び 多 年 諸 国 を 回 って 修 業 を 重 ね 帰 っては 草 庵 を 結 び 医 の 傍 ら 子 弟 に 筆 道 を 教 え て 楽 しみとしていた 門 弟 百 数 十 人 山 本 央 人 川 柳 村 11-19 年 1814-1886 農 民 9 歳 のごろ 隣 村 瀬 原 田 高 原 寺 の 僧 龍 皎 に 就 き 書 を 習 い 22 歳 の 時 石 川 村 中 村 久 八 に 就 き 経 書 を 修 め 後 松 代 藩 士 原 主 馬 の 門 に 入 り 経 史 を 学 び 傍 ら 同 村 中 条 の 春 日 主 税 戸 部 村 青 木 以 文 に 就 き 多 年 考 究 した 横 田 村 鳥 羽 杢 左 衛 門 に 就 き 卜 傳 流 の 剣 術 を 修 め 江 戸 に 遊 び 湯 島 聖 堂 裏 なる 磯 又 右 衛 門 に 就 き 天 神 直 揚 流 の 柔 術 を 学 ぶ 家 に 帰 って 農 業 に 従 事 し 傍 ら 同 村 中 條 与 五 右 衛 門 に 謡 曲 を 学 び 同 大 当 の 羽 田 喜 左 衛 門 に 数 学 を 学 んだ されど 技 能 を 人 に 誇 らず 専 ら 農 業 を 励 んだ 郷 人 の 請 に 依 り 晩 年 家 塾 を 開 き 子 弟 に 教 授 し 門 人 数 百 人 に 及 んだ 宮 下 栄 山 布 施 村 5-24 1822-1891 神 官 布 制 神 社 の 神 官 漢 籍 に 通 す 甲 田 保 栄 山 布 施 村 7-2 年 1810-1869 修 験 法 嗣 重 栄 栄 光 寿 栄 相 継 ぎ 年 間 より の 初 年 に 至 法 務 の 余 暇 子 弟 に るまで 郷 里 の 南 澤 量 源 山 布 施 村 秋 古?- 35?-1902 修 験 山 布 施 村 秋 古 野 修 験 者 として 近 在 の 子 弟 を 集 め 読 み 書 き を 教 えた 小 山 田 大 作 山 布 施 村 秋 古 6-12 年 1823-1879 農 民 書 を 能 くす 農 業 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 きを 教 授 す 文 久 小 山 銀 治 郎 山 布 施 村 村 山 農 民 の 際 に 寺 子 屋 師 匠 をなす 関 口 小 重 郎 山 布 施 村 村 山 8-18 年 1825-1885 農 民 の 際 寺 子 屋 師 匠 をなす 478

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 宮 島 長 臧 山 布 施 村 村 山 3-18 年 1806-1885 農 民 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 塚 田 雄 道 山 布 施 村 村 山?- 12 年?-1879 農 民 初 年 まで 寺 子 屋 を 開 いた 嶋 田 順 応 山 布 施 村 村 山 8-43 年 1837-1910 僧 侶 学 制 頒 布 後 小 学 教 員 法 務 の 余 暇 村 里 の 禅 明 岡 田 村?- 享 和 2 年?-1802 僧 侶 玄 峰 院 十 三 代 の 住 僧 なり 宝 暦 年 間 より 享 和 に 亙 り 寺 子 屋 師 法 務 の 余 暇 村 里 の 匠 をなす 法 嗣 実 巌 法 孫 大 廓 曾 法 孫 大 祐 ともに 遺 志 を 継 ぎ に 至 るまで 宝 暦 仁 応 岡 田 村 元 - 2 年 1818-1869 僧 侶 玄 峰 院 十 八 代 の 住 僧 なり 漢 籍 を 通 し 仏 典 に 精 し 又 詩 文 を 能 くす 門 弟 常 に 百 数 十 人 雲 水 20 30の 出 入 があった 著 書 も 多 い 慶 山 岡 田 村?- 12 年?-1829 僧 侶 共 和 村 岡 田 観 照 寺 の 住 職 で 頃 漢 籍 を 子 弟 に 教 えた 高 野 哲 順 小 松 原 村?- 7 年?-1810 僧 侶 光 林 寺 十 九 世 の 住 僧 なり 天 明 年 間 より 年 間 に 亙 り 法 務 の 余 暇 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 法 嗣 米 倉 学 典 法 孫 西 澤 念 我 共 に 遺 志 を 継 きて の 初 年 に 至 る 庄 田 大 膳 小 松 原 村 神 官 伊 勢 神 社 の 神 官 なり 皇 漢 の 学 を 修 め 書 を 能 くす 父 兵 庫 以 来 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 倉 田 樵 翁 小 松 原 村 2-12 年 1804-1879 僧 侶 天 照 寺 の 住 僧 にして 漢 籍 を 修 め 算 筆 に 通 す 門 弟 数 十 人 瀧 澤 清 左 衛 門 小 松 原 村 6-14 年 1809-1881 農 民 父 嘉 兵 衛 は 松 代 藩 家 老 小 山 田 壹 岐 の 出 納 職 を 勤 めた 父 に 就 き 漢 籍 を 学 び 又 俳 歌 佛 学 に 通 す 松 代 侯 の 老 臣 小 山 田 氏 の 傔 従 となった 父 の 死 後 職 を 辞 して 家 に 帰 り 農 事 の 傍 ら 子 弟 に 書 を 講 じた 法 務 の 余 暇 村 里 の 法 務 の 余 暇 児 童 に 澄 宣 共 和 村 2-32 1831-1899 僧 侶 観 照 寺 十 四 世 の 法 印 で 法 務 の 傍 ら 手 習 師 をなした 広 俊 共 和 村 岡 田?- 寛 保 3 年?-1743 僧 侶 江 戸 時 代 の 真 言 宗 の 僧 観 照 寺 の 住 僧 で 寛 保 の 頃 漢 籍 及 び 珠 算 を 教 えた 明 和 頃 に 俊 雅 あり の 頃 俊 清 俊 意 俊 詔 年 間 俊 算 あり 何 れも 寺 子 屋 師 匠 であった 大 廓 共 和 村 岡 田 2 年 ( 推 定 ) 1845( 推 定 ) 僧 侶 同 村 玄 峰 院 十 五 代 の 住 職 で 建 築 設 計 などの 得 能 があ り 法 務 の 傍 ら 5 年 から 4 年 まで 漢 籍 を 教 えた 大 祐 共 和 村 岡 田 2( 推 定 ) 1850( 推 定 ) 僧 侶 同 村 玄 峰 院 十 七 代 の 住 職 で 5 年 から 2 年 まで 漢 籍 を 教 えた 龍 道 共 和 村 3( 推 定 ) 1870( 推 定 ) 僧 侶 同 村 観 照 寺 の 住 職 で 漢 籍 及 び 珠 算 を 教 授 した 門 弟 約 原 田 覚 之 丞 共 和 村 岡 田 寛 政 5-12 年 農 民 稲 荷 山 の 人 宇 津 呂 庵 竹 摩 翁 に 俳 句 和 学 漢 籍 を 修 め 俳 句 を 能 くす 算 術 は 其 蘊 奥 を 極 む 弟 子 200 余 人 称 賢 共 和 村 岡 田?- 元 禄 13?-1700 僧 侶 同 村 観 照 寺 の 住 職 で 元 禄 の 頃 漢 籍 及 珠 算 を 教 えた 元 禄 日 鎫 共 和 村 岡 田 寛 文 10( 推 定 ) 1670( 推 定 ) 僧 侶 真 言 宗 の 僧 観 照 寺 の 住 職 寛 文 の 頃 漢 籍 を 教 える 寛 文 村 松 源 左 衛 門 布 施 村 柳 沢 10-26 年 1813-1893 修 験 算 術 謡 曲 等 に 通 じ 庄 屋 を 勤 め 遠 近 の 子 弟 に の 初 年 より 学 制 頒 布 に 至 るまで 教 授 した 479 天 明 寛 保

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 高 雲 寺 の 修 験 清 法 以 来 十 世 代 々 家 塾 を 開 き 子 弟 に 読 み 山 本 直 衛 布 施 村 瀬 原 田 2-28 年 1845-1895 修 験 書 きを 教 え 学 制 頒 布 後 小 学 教 員 となった 寺 子 屋 時 代 法 務 の 余 暇 郷 村 の は 1カ 年 間 一 人 より 米 2 升 以 上 は 受 け 取 らなかった 農 繁 期 は 教 授 を 停 止 する 町 田 幸 之 助 布 施 村 瀬 原 田 6-23 年 1809-1890 農 民 同 村 高 雲 寺 南 了 法 印 の 門 弟 に 入 り 後 子 弟 に 書 算 を 教 え 殊 に 応 用 珠 算 に 力 を 入 れて 教 授 した 農 閑 村 里 の 子 弟 に 書 算 を 農 閑 郷 村 の 子 弟 に 近 藤 玄 秀 布 施 村 五 明 宝 暦 2-5 年 1752-1822 僧 侶 常 泉 寺 の 住 僧 なり 法 務 の 余 暇 郷 村 の 雨 宮 通 徳 布 施 村 武 士 医 を 業 とす 松 代 侯 に 仕 へて 侍 医 となる 子 弟 に 書 算 を 教 授 瀬 原 田 高 雲 寺 修 験 の 門 弟 となり 後 算 術 謡 曲 挿 花 折 村 松 源 左 衛 門 布 施 村 10-26 年 1813-1893 農 民 方 等 の 諸 芸 に 通 じ 遠 近 の 子 弟 に 教 授 した 名 主 も 勤 め 曾 根 川 熊 臧 布 施 村 3-8 年 1820-1875 農 民 た 真 島 村 梵 天 小 山 銀 太 夫 の 門 弟 となり 後 子 弟 に 読 み 書 きを 業 務 の 余 暇 寺 子 屋 教 授 す 師 匠 をなす 池 田 了 専 布 施 村 唐 臼?- 文 久 2 年?-1802 僧 侶 長 圓 寺 の 住 僧 なり より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 早 川 鯉 三 郎 布 施 村 五 明 5-3 年 1822-18670 武 士 父 に 学 び 其 の 後 を 継 ぎ 子 弟 に 読 み 書 きを 教 える 幼 より 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 武 技 を 嗜 み 漢 籍 に 通 す 弟 子 其 門 に 通 す 者 数 百 人 文 久 同 村 の 大 先 輩 青 木 以 文 に 学 を 受 け 精 励 することと 数 年 後 遂 松 本 松 源 戸 部 村 7-15 年 1810-1882 に 近 隣 の 子 弟 に 学 を 授 けるに 至 った 書 を 能 くし 漢 詩 和 歌 等 にも 興 味 を 有 する 青 木 以 文 戸 部 村 安 永 3-2 年 1774-1855 農 民 青 木 謙 斎 戸 部 村 13-18 年 1816-1885 農 民 父 から 教 えを 受 け 後 精 励 刻 苦 学 大 いに 進 み 遂 に 父 に 継 ぎて 郷 党 に 教 授 した 入 門 として 教 えを 受 ける 者 前 後 千 人 以 文 の 子 幼 時 から 父 以 文 に 学 を 受 け 後 松 代 の 佐 久 間 象 山 に 師 事 して 詩 を 作 り 書 を 巧 にする 父 の 死 後 に 其 の 業 を 継 ぎ 寺 子 屋 師 匠 として 郷 党 を 指 導 する 中 島 官 左 衛 門 上 氷 鉋 村 3-40 年 1806-1907 農 民 業 務 の 余 暇 子 弟 3 40を 教 えた 幼 時 同 郷 青 木 以 文 に 就 き 読 書 習 字 を 学 び 15 歳 上 高 郡 保 科 北 嶋 俊 左 衛 門 上 氷 鉋 村 5-12 年 1808-1879 武 士 村 小 宮 山 良 意 に 漢 籍 詩 文 を 学 び 18 歳 江 戸 に 出 て 星 池 の 門 に 入 り 32 歳 帰 郷 して 父 三 郎 右 衛 門 の 後 を 襲 ぎ 代 官 御 手 代 となり 元 治 の 頃 より 子 弟 に 読 み 書 きを 教 え 塾 名 を 元 治 開 陽 学 者 といった 十 代 耕 臧 上 氷 鉋 村 元 - 41 年 1830-1908 武 士 青 木 以 文 に 学 び 領 主 松 平 欽 治 郎 忠 厚 に 仕 へて 士 籍 に 列 さ れる 8 年 副 区 長 となり 丸 田 美 胤 上 氷 鉋 村 安 永 9-2 年 1780-1869 農 民 寺 子 屋 師 匠 として 最 も 書 を 能 くし 入 門 者 多 数 である 清 水 多 仲 中 氷 鉋 享 和 2-28 年 1802-1895 農 民 池 田 了 秀 笹 井 村 四 ツ 屋 宝 暦 1-12 1751-1841 僧 侶 柳 島 寛 兵 衛 青 木 嶋 村 安 永 7-3 年 1778-1850 農 民 上 役 渋 谷 太 郎 兵 衛 に 就 き 御 家 流 の 書 道 を 修 め 又 漢 籍 を 学 び 後 庄 屋 を 勤 めた 業 務 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 長 圓 寺 十 五 世 の 僧 漢 籍 と 仏 典 に 造 詣 深 く 当 時 において 助 教 位 を 授 けられた 門 弟 180 余 人 享 和 年 間 より に 至 るまで 農 閑 寺 子 屋 師 匠 をなす 門 弟 180 余 人 480 享 和

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 柳 島 市 郎 左 衛 門 青 木 嶋 村 10-5 年 1813-1872 農 民 寛 兵 衛 の 子 なり 箕 裘 を 継 ぎ の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 桑 原 鳳 界 青 木 嶋 村 6-18 年 1809-1885 僧 侶 勝 願 寺 の 住 僧 御 家 流 の 書 を 能 くし 子 弟 に 読 書 を 教 えた 法 務 の 余 暇 郷 村 の 承 誉 隆 傳 青 木 嶋 村 安 永 9-6 年 1780-1853 僧 侶 安 養 寺 の 住 僧 なり 寛 政 6 年 江 戸 芝 増 上 寺 に 入 寮 し 佛 学 及 び 法 務 の 余 暇 郷 村 の 和 漢 の 学 を 修 めた 寺 務 の 余 暇 52 年 間 子 弟 292 人 に 教 授 し 享 和 元 年 仁 誉 信 順 青 木 嶋 村?- 2 年?-1869 僧 侶 同 村 安 養 寺 の 十 九 世 住 職 で 子 弟 に 読 書 を 教 え 門 弟 70 余 井 上 玄 洞 松 代 藩 武 士 松 代 藩 の 浪 士 なり 世 々 医 を 業 とす 初 め 玄 道 に 学 び 後 市 川 三 亥 に 学 ぶ 年 間 より 学 制 頒 布 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 金 澤 重 右 衛 門 青 木 嶋 村 幼 より 皇 漢 の 学 を 家 庭 に 受 く 金 沢 吉 次 郎 青 木 嶋 村 9-11 年 1838-1978 農 民 寺 子 屋 師 匠 をなし 門 弟 30 人 宮 村 大 吉 青 木 嶋 村?- 8 年?-1837 農 民 門 弟 40 余 人 に 読 み 書 きを 教 えた 鹿 嶋 桂 一 郎 東 福 寺 村 農 民 俳 歌 を 好 み 絵 画 を 能 くす 佐 久 間 象 山 と 友 として 善 し 大 久 保 董 斎 東 福 寺 村 寛 政 12- 万 延 元 年 1800-1860 農 民 幼 にして 学 を 好 み 松 代 藩 士 山 寺 常 山 の 門 に 入 り 漢 籍 を 学 ぶ 漢 籍 に 長 じ 詩 文 を 能 くし 27 歳 寺 子 屋 を 開 き 年 間 にわたって 多 くの 子 弟 を 教 育 す 家 貧 で 身 体 も 強 から ず されど 窮 困 を 憂 えず 営 利 を 慕 わず 常 に 熱 心 に 子 弟 を 大 久 保 儀 助 東 福 寺 村 4- 大 正 11 年 1847-1922 農 民 董 斎 の 子 なり 佐 久 間 象 山 に 学 ぶ 万 延 元 年 より 15 年 ま で 門 弟 に 教 授 した 万 延 深 谷 谷 作 東 福 寺 村 中 沢 7-5 年 1810-1872 代 々 学 者 であり 国 学 を 修 め 書 画 俳 諧 を 能 くす 6 年 より 寺 子 屋 を 開 いて 常 に 筆 子 百 名 あり 四 十 余 年 に 亙 っ 6- 河 野 久 喜 松 代 藩 6-22 年 1824-1889 武 士 幼 より 佐 久 間 象 山 に 就 き 漢 籍 を 修 め 年 間 より 学 制 頒 布 まで 子 弟 に 教 授 した 3 秋 山 学 誠 東 福 寺 村 十 王 堂 僧 侶 漢 籍 に 通 じ 元 治 元 年 より の 初 年 に 至 るまで 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 元 治 青 木 藤 五 郎 中 氷 鉋 村 寛 政 6-2 年 農 民 鎌 原 洞 山 に 学 び 其 高 弟 たり 漢 籍 に 渉 猟 し 詩 文 及 書 を 能 くす 傍 ら 画 を 好 み 能 くす 酒 井 栄 庸 下 氷 鉋 村 修 験 漢 籍 に 通 じ 書 を 能 くす 青 木 民 八 小 山 安 治 真 嶋 村 梵 天 3-38 年 農 民 書 を 能 くす 農 閑 郷 里 の 子 弟 に 読 書 算 術 を 維 新 の 後 農 閑 郷 村 の 子 弟 に 村 吏 となり 読 書 算 術 中 沢 見 忠 真 嶋 村?- 3 年?-1870 医 師 医 を 本 業 とし 傍 ら 書 法 算 数 漢 文 国 文 を 郷 里 の 子 弟 子 弟 に 読 書 算 術 教 に 教 える 授 する 春 日 典 了 真 嶋 村 僧 侶 最 明 寺 の 住 僧 にして 読 書 算 術 を 郷 里 の 法 務 の 余 暇 郷 村 の 倉 嶋 隆 音 真 嶋 村?- 39 年?-1906 僧 侶 善 法 寺 の 住 職 にして 読 書 算 術 を 郷 里 の 法 務 の 余 暇 郷 村 の 4 村 山 保 義 真 嶋 村 北 村 5-27 年 1834-1890 僧 侶 佛 神 両 式 の 祭 典 を 行 い 傍 ら 子 弟 に 読 書 を 教 える 宇 敷 宇 忠 治 真 嶋 村 前 淵 12~ 22 年 1815-1889 農 民 幼 時 より 学 を 好 み 同 村 栄 昌 寺 住 職 より 漢 籍 を 学 び 郷 里 の 子 弟 に 教 育 を 当 たる 事 30 余 年 481

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 宮 崎 真 澄 真 嶋 村 川 合 4-38 年 1821-1905 神 官 川 合 神 社 の 神 官 に 和 歌 を 好 み 書 を 能 くす 傍 ら 郷 村 の 子 弟 に 竹 内 文 左 衛 門 真 嶋 村 川 合 農 民 郷 里 の 少 壮 に 教 授 する 玉 井 利 助 真 嶋 村 川 合 2-30 年 1831-1897 農 民 農 業 の 傍 ら 子 弟 に 読 み 書 きを 教 えた 余 暇 をもって 郷 村 の 文 久 北 村 富 之 亟 真 嶋 村 川 合 6-36 年 職 人 家 世 々 酒 造 を 業 とす 漢 籍 を 修 め 詩 文 を 能 くす 維 新 後 県 議 員 となり 柄 澤 大 之 進 小 島 田 村 7-26 年 1824-1893 武 士 世 々 松 代 藩 に 仕 へて 書 吏 となる 奉 公 の 余 暇 子 弟 に 漢 籍 奉 公 の 余 暇 郷 村 の 算 術 諸 礼 式 等 を 教 授 す 文 久 柳 澤 問 月 小 島 田 村 頤 気 3-33 1832-1900 僧 侶 常 然 寺 の 住 僧 なり 夙 に 漢 籍 を 修 め 造 詣 深 し 2 年 より 明 治 5 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 門 弟 300 余 人 小 林 省 吾 中 島 村 10- 大 正 2 年 1813-1913 農 民 世 々 里 正 たり 学 を 好 み 初 め 青 木 以 文 に 学 び 後 岩 下 桜 園 に 詩 文 を 学 ぶ 維 新 後 村 長 となる から 初 年 まで 専 業 約 20 年 間 寺 子 屋 師 匠 として 郷 里 子 弟 に 読 み 書 きを 授 けた 小 泉 九 右 衛 門 中 津 村 北 原 11-21 1828-1888 農 民 課 業 農 事 の 傍 ら より の 初 年 に 至 るまで 郷 里 の 子 弟 に 読 み 書 き 珠 算 等 を 教 えた 樋 口 重 三 郎 今 井 村 4-15 年 1821-1884 商 人 御 家 流 の 書 風 を 能 くし 和 歌 俳 句 を 好 み 家 業 商 事 の 傍 ら 祖 余 暇 郷 里 の 子 弟 に 父 以 来 業 務 の 余 暇 郷 里 の 丸 山 丹 治 中 津 村 今 井 医 師 世 々 医 を 業 とす 初 め 句 読 を 家 庭 に 学 び 後 青 木 子 遂 佐 久 応 診 の 余 暇 郷 村 の 間 象 山 に 学 び 傍 ら 蘭 学 を 修 めた 高 野 儀 右 衛 門 中 津 村 原 14-31 年 1817-1898 農 民 皇 漢 の 学 を 修 め 和 歌 を 能 くす 松 代 藩 より 帯 刀 を 許 し 藩 の 産 物 掛 を 命 じられた 文 久 小 泉 奥 右 衛 門 中 津 村 原 12-33 年 1829-1900 農 民 より の 初 年 に 至 るまで 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 なり 山 崎 了 海 西 寺 尾 村?- 5 年?-1872 僧 侶 文 久 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 寺 子 屋 師 匠 をなす 文 久 八 田 知 礼 許 淵 村 元 年 - 大 正 10 年 1848-1921 武 士 文 久 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 子 弟 に 漢 籍 算 術 習 字 を 教 えた 文 久 鳥 羽 大 道 横 田 村?- 3 年?-1870 僧 侶 観 音 寺 の 住 僧 なり 漢 籍 に 通 す 門 弟 70 余 人 法 務 の 余 暇 寺 子 屋 師 匠 をなす 宮 尾 徳 兵 衛 横 田 村?- 万 延 元 年?-1860 農 民 年 間 より 年 間 に 亙 り 業 務 の 余 暇 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 余 暇 郷 里 の 子 弟 に をなす 長 じ 佐 久 間 象 山 佐 藤 一 斎 等 に 就 き 漢 学 詩 文 を 修 め 自 宅 柳 澤 定 重 横 田 村 10-40 1827-1907 農 民 で 習 い 場 を 設 け 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 郷 里 4 の 寺 子 屋 師 匠 なり 学 制 頒 布 後 小 学 教 員 飯 嶋 密 秀 横 田 村?- 7 年 僧 侶 圓 福 寺 の 住 僧 なり 漢 籍 に 通 し 佛 典 に 精 す 海 光 密 音 横 田 村?- 2 年?-1819 僧 侶 同 村 圓 福 寺 九 代 の 住 僧 となる 法 務 の 余 暇 子 弟 に 読 み 書 き を 教 授 した 飯 島 密 秀 は 其 の 弟 子 である 藤 本 密 仙 御 幣 川 村 11-10 年 1814-1877 僧 侶 宝 昌 寺 の 住 僧 にして 漢 籍 に 通 し 書 を 能 くす 年 間 より 明 治 の 初 年 に 亙 り 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 4 482

身 分 学 歴 専 任 別 開 業 年 代 小 池 新 右 衛 門 御 幣 川 村 7-26 年 1824-1893 農 民 夙 に 漢 籍 を 修 め 年 間 より の 初 年 に 至 るまで 郷 里 の 寺 子 屋 師 匠 なり 子 弟 180 余 人 専 業 千 曲 金 平 御 幣 川 村 農 民 年 間 より の 初 年 に 亙 り 寺 子 屋 師 匠 を 為 す 北 澤 重 右 衛 門 御 幣 川 村?- 4 年?-1833 農 民 年 代 の 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 中 島 新 十 郎 御 幣 川 村 7-26 年 1810-1893 農 民 布 施 五 明 常 泉 寺 の 住 職 に 就 き 読 み 書 きを 習 ひ 後 俳 句 を 能 く し 事 に 細 字 に 巧 であった 子 弟 に 紙 筆 を 給 与 し 勉 学 させ たという 須 坂 彌 兵 衛 御 幣 川 村 寛 政 5- 文 久 3 年 1793-1863 農 民 寺 子 屋 師 匠 として 門 弟 に 読 み 書 きを 教 え 又 俳 句 を 指 導 し 小 林 彌 兵 衛 会 村 武 士 俳 諧 を 好 み 謡 曲 を 能 くす 年 間 より 年 間 に 亙 り 村 里 の 寺 子 屋 師 匠 をなす 増 田 貞 道 会 村 2-14 年 1805-1881 僧 侶 年 7 歳 清 林 寺 に 入 れて 僧 となるも 志 を 得 す 去 て 江 都 に 遊 学 し 専 ら 復 古 学 を 研 究 し 来 りて 会 村 地 蔵 洞 に 寓 し 徒 を 集 めて 3 学 ぶ 者 多 し 久 保 田 新 平 会 村 9-31 年 1812-1875 農 民 冬 日 庵 に 就 き 俳 句 を 学 び 後 白 雄 葛 三 に 師 事 した 家 は 世 々 庄 屋 を 勤 め 公 共 のために 財 を 投 じ 藩 主 より 苗 字 羽 職 山 岸 金 右 衛 門 安 永 7-5 年 1778-1858 武 士 漢 籍 を 修 め 朱 子 学 に 通 じ 業 務 の 余 暇 子 弟 を 指 導 する 小 林 四 五 右 衛 門 会 村 2-14 年 1804-1875 農 民 漢 籍 及 び 俳 句 を 能 くし 家 事 の 傍 ら 小 山 栄 正 赤 田 村 ( 信 田 村 )?- 5 年?-1822 僧 侶 大 和 国 長 谷 寺 に 上 り 仏 典 漢 籍 を 修 め 帰 国 後 子 弟 に 教 えた 出 典 : 更 級 郡 埴 科 郡 人 名 辞 典 及 び 更 級 郡 誌 による 483