大阪市立科学館研究報告 第25号 2015年 p.45-54



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大 阪 市 立 科 学 館 研 究 報 告 25, 45-54 (2015) 歌 川 國 芳 知 多 星 呉 用 と 古 観 象 台 の 観 測 器 宮 島 一 彦 * 概 要 歌 川 國 芳 (1797-1861)の 浮 世 絵 出 世 作 通 俗 水 滸 伝 豪 傑 百 八 人 シリーズ(1827) 中 に 知 多 星 呉 用 という 一 枚 がある この 絵 の 呉 用 の 足 元 に 描 かれている 天 文 儀 器 が フェルビースト( 中 国 名 南 懐 仁 )が 北 京 の 観 象 台 に 設 置 した 肉 眼 天 体 観 測 器 であることは J.Needhamが Science and Civilisation in China で 簡 単 に 指 摘 しているが あまり 知 られていない 観 象 台 全 体 及 び 個 々の 観 測 器 を 描 いた 図 は 岡 田 玉 山 編 述 画 / 岡 熊 岳 大 野 東 野 画 唐 土 名 勝 図 会 (1806)に 載 せられている これらが 中 国 からもたらさ れた 南 懐 仁 新 製 霊 台 儀 象 志 附 新 製 霊 台 儀 象 図 (1674 序 )に 基 づいていることは 明 らかであろう 國 芳 はおそらく 唐 土 名 勝 図 会 に 基 づき かつ 実 際 よりずっと 縮 小 して 呉 用 の 足 元 に 描 いたのである この 観 象 台 は 明 清 の 都 北 京 の 内 城 の 一 角 に 設 けられたもので かつては 元 明 代 の 観 測 器 が 据 え られていた 清 朝 になり イエズス 会 士 南 懐 仁 らが 康 熙 帝 に 願 い 出 て それらの 儀 器 を 鋳 つぶして 得 た 青 銅 により 西 洋 式 の 肉 眼 観 測 器 を 製 作 設 置 した これが 上 記 の2 書 に 描 かれたものであり 義 和 団 の 乱 の 際 仏 独 に 戦 利 品 として 持 ち 去 られるなどの 転 変 の 末 に 元 の 場 所 に 戻 され 現 在 見 ることができる これらの 観 測 器 の 多 くは Tycho Brahe(1546-1601)の 天 文 台 に 設 置 されたものを 手 本 にしている 1. 歌 川 國 芳 歌 川 國 芳 は 周 知 のように 葛 飾 北 斎 や 喜 多 川 歌 麿 歌 川 広 重 らと 並 んで 現 在 でも 人 気 の 高 い 浮 世 絵 師 である 広 重 と 同 年 の 生 まれで 12 歳 で 描 いた 鍾 馗 提 剣 図 が 歌 川 豊 国 の 目 に と ま り 15 歳 の 文 化 8(1811) 年 その 弟 子 となった 同 11(1814) 年 頃 刊 の 合 巻 御 無 事 忠 臣 蔵 表 紙 と 挿 絵 が 初 作 とされる そ して 豊 国 没 後 の 文 政 10(1827) 年 頃 に 発 表 した 大 判 揃 物 通 俗 水 滸 伝 豪 傑 百 八 人 が 評 判 を 博 した 人 物 に よって 之 一 個 とするものと 之 壱 人 とするもの がある このシリーズ( 確 認 されているのは 文 献 1には61 組 74 人 とあるが 文 献 18のリストでは75 人 )の 一 枚 に 知 多 星 呉 用 がある シリーズ 最 初 の5 枚 のうちの1 枚 とのことで あるが 他 の 人 物 に 比 べ 美 術 書 や 美 術 展 で 紹 介 さ れることは 比 較 的 少 ないように 思 う 図 柄 は 他 の 人 物 が 入 れ 墨 を 施 した 肌 を 露 わにしたりして 勇 ましい 姿 で 描 かれているのとはいささか 趣 を 異 にし 指 を 折 って 策 をめぐらす 足 元 に 天 文 儀 器 が 描 かれている その * 中 之 島 科 学 研 究 所 研 究 員 / 同 志 社 大 学 理 工 学 部 嘱 託 講 師 miyajimakz@beige.plala.or.jp 浮 世 絵 の 実 物 を 購 入 したのを 機 会 に この 天 文 儀 器 に 着 目 して 見 たい 2. 水 滸 伝 水 滸 伝 は 三 国 志 演 義 西 遊 記 金 瓶 梅 と 併 せて 中 国 四 大 奇 書 に 数 えられる 奇 は 奇 妙 の 意 ではなく 優 れた という 意 味 であり それならば 他 に も 紅 楼 夢 など 数 に 入 れたいものもあるが それはさ ておく 現 在 見 る 形 になったのは 明 代 初 め その 形 に まとめたのは 施 耐 庵 とされるが 成 立 過 程 作 者 等 に ついて 詳 細 は 例 えば 駒 田 信 二 の 現 代 日 本 語 訳 版 ( 参 考 文 献 2)の 解 説 を 参 照 されたい 梁 山 泊 に 集 (つど)った 宋 江 を 首 領 とする108 人 の 好 漢 が 活 躍 三 国 志 の 諸 葛 亮 孔 明 に 相 当 する のが 呉 用 で 知 多 星 はあだ 名 である 三 国 志 演 義 のかなりの 部 分 が 史 実 に 基 づいているのに 対 し 水 滸 伝 は 虚 構 がほとんどであるが 宋 江 のモデルは 北 宋 末 に 梁 山 泊 の 湖 沼 地 帯 を 中 心 に 起 こった 反 乱 の 指 導 者 として 実 在 するし 同 書 に 登 場 する 宦 官 の 童 貫 や 宰 相 の 蔡 京 太 尉 ( 軍 事 の 長 官 ) 高 俅 同 じころ 反 乱 を 起 こした 方 臘 なども 実 在 の 人 物 である 三 国 志 同 様 水 滸 伝 もわが 国 の 江 戸 文 学 に 大 き な 影 響 を 与 え た 岡 島 冠 山 ( 1 6 7 3-1 7 2 8 ) の 訓

宮 島 一 彦 図 1. 筆 者 所 蔵 歌 川 國 芳 通 俗 水 滸 伝 豪 傑 百 八 人 之 一 個 知 多 星 呉 用

歌 川 國 芳 知 多 星 呉 用 と 古 観 象 台 の 観 測 器 点 本 と 翻 訳 をはじめ 翻 訳 翻 案 等 が 出 版 された 江 戸 時 代 における 決 定 版 ともいうべきものは 滝 沢 馬 琴 と 高 井 蘭 山 との 訳 になる 新 編 水 滸 画 伝 で 挿 絵 は 葛 飾 北 斎 が 担 当 した 馬 琴 の 南 総 里 見 八 犬 伝 も 水 滸 伝 に 想 を 得 たものである 現 代 語 訳 では 上 記 の 駒 田 信 二 のもの 翻 案 小 説 では 吉 川 英 治 新 水 滸 伝 ( 遺 作 未 完 )などがあるが 詳 しいことは 省 略 す る 3. 國 芳 の 知 多 星 呉 用 筆 者 がこの 浮 世 絵 を 初 めて 知 ったのは Needham Science and Civilisation in China, Vol.3 の 翻 訳 ( 日 本 語 訳 中 国 の 科 学 と 文 明 第 5 巻 天 の 科 学 ) 時 のこと で 訳 の 分 担 範 囲 に 含 まれていた( 文 献 3,4) P.450 の 図 版 説 明 に 曰 く ( 前 略 ) The legend reads: Chioku Seigōyō [Chih -To-Hsing, Wu Yung], a man from the village of Tōkei, having the cognomen Gāgaku-kyudō, and the literary name Karyu-sensei. In military science he was not inferior to Kōmei [i.e. Chuko Liang] and Taikohō [i.e. Chiang Tzu-Ya], and for wiles and stratagems he equalled Hanrei [i.e. Fan li]. He was a general at Ryosanhaku [i.e. Liang Shan Po, the headquarters of the rebellion described in All Men are Brothers]. ( 以 下 略 ) 始 めの Chioku Seigōyō は 絵 の 右 上 の 知 多 星 呉 用 を 読 んだものだが 多 を oku としているのは おおく と 訓 読 みしたのであろう Sei( 星 )を 呉 用 の 方 にくっ つけ([ ] 内 の 中 国 語 読 みは 正 しく 区 切 っている) 呉 を gō と 伸 ばしている 以 下 は 絵 の 中 段 左 方 の 文 を 読 んだもので これも 少 し 読 みがおかしいが いちいち 指 摘 しないでおく 原 文 は 東 渓 村 の 人 にして 字 (あざな)は 呉 学 究 道 号 を 加 [ 穴 冠 に 流 =りょう] 先 生 といふ 陣 㳒 [= 法 ]は 孔 明 太 公 望 に 不 劣 (おとらず) 陰 謀 は [ 草 冠 に 夕 + 匕 范 ] 蠡 (はんれい)にも 勝 れり 梁 山 泊 の 軍 師 なり である 120 回 本 では 第 13 回 後 半 から 舞 台 が 東 渓 村 に 移 り 第 14 回 で 呉 用 が 登 場 する 駒 田 信 二 の 訳 ( 平 凡 社 中 国 古 典 奇 書 シリーズ)によれば(ふりがな 略 ) ( 前 略 ) 学 者 のような 身 なりで 頭 には 桶 型 の 眉 深 な 頭 巾 をかぶり 身 には 黒 い 縁 のある 麻 のゆったりした うわぎを 着 腰 には 茶 褐 色 の 帯 をしめ 下 には 絹 の 靴 に 白 の 靴 下 をはき 眉 秀 で 顔 は 白 く 長 いひげを たくわえている この 人 こそ 知 多 星 の 呉 用 であって 字 は 学 究 道 号 を 加 亮 先 生 といい もともとこの 村 の 人 この 呉 用 をたたえた 臨 仙 江 ( 曲 の 名 )のうたがあ る ( 中 略 ) 謀 略 は 諸 葛 ( 孔 明 )を 欺 く 陳 平 ( 漢 の 高 祖 の 智 臣 ) 豈 才 能 に 適 せんや 略 か 小 計 を 施 せば 鬼 神 も 驚 く 字 は 称 す 呉 学 究 人 は 呼 ぶ 知 多 星 と 号 の 下 の 文 字 ( りゅう または りょう )は 亮 になっている ここには 比 較 の 対 象 として 太 公 望 も 范 蠡 も 出 てこな い 呉 用 は 天 罡 星 の 化 身 36 人 の 一 人 だが 地 煞 星 の 化 身 72 人 中 の 神 機 軍 師 朱 武 をたたえる 詩 には( 第 59 回 ) 智 は 張 良 の 比 たるべく 才 は 范 蠡 を 欺 かんとす 今 呉 用 に 副 うに 堪 えたり 朱 武 神 機 と 号 す とあり 朱 武 も 范 蠡 としか 比 較 していない 宋 周 密 撰 癸 辛 雑 識 続 集 上 の 宋 江 三 十 六 賛 知 多 星 呉 学 究 の 条 にもこれらの 人 物 との 比 較 はされていない 4. 知 多 星 呉 用 に 描 かれた 天 文 儀 器 かつては 占 星 術 は 兵 家 の 必 須 の 学 であったから 軍 師 呉 用 の 足 元 に 天 文 儀 器 をあしらったのであろう が 水 滸 伝 の 舞 台 は 北 宋 末 であるし 120 回 本 がほ ぼ 確 立 したのが 明 初 である イスラムの 天 文 儀 器 は 伝 来 しているが 西 洋 のものはまだ 伝 わっていない しか し 明 清 の 都 であった 北 京 に 今 も 残 る 古 観 象 台 の 西 洋 式 天 文 儀 器 を 見 れば それらのうちの 二 つを 描 いた ものであることは 一 目 瞭 然 である ニーダムは 前 記 図 版 説 明 の 冒 頭 で Ferdinand Verbiest, habited as a Chinese official, with his sextant and his celestial globe. また 末 尾 に His conflation with one of the heroes of popular literature in this way is remarkable. と 書 いている ここに 描 かれた 儀 器 (celestial globeは 誤 りでarmillary sphereが 正 しい)がフェルビーストの 製 作 に なるものであるとの 指 摘 はよいとして 人 物 像 がフェル ビースト 扮 するものという 主 張 の 根 拠 は 何 なのか わか らない 5. 北 京 の 古 観 象 台 筆 者 が 北 京 の 古 観 象 台 を 最 初 に 訪 れたのは1980 年 3 月 で 第 1 次 日 本 科 学 史 学 術 訪 中 団 の 一 員 として であった 時 あたかも 242800 人 の 死 者 を 出 した1976 年 7 月 28 日 の 唐 山 地 震 から4 年 足 らずしかたっていな かった この 地 震 で 震 源 地 に 近 い 北 京 古 観 象 台 も 被 害 を 受 け 側 壁 の 一 部 が 崩 れ 儀 器 にも 被 害 が 出 た ため 取 り 外 して ソヴィエト 連 邦 との 関 係 が 悪 化 した 時 に 台 下 に 設 けられたという 避 難 用 トンネルに 収 納 されていた( 図 2,3) 81 年 3 月 に 第 2 次 日 本 科 学 史 学 術 訪 中 団 の 一 員 と して 近 くを 通 過 した 時 も 儀 器 はまだ 台 上 には 戻 って いなかったが 同 年 中 に 修 復 が 完 了 重 点 文 物 保 護 単 位 に 指 定 されたことが 翌 年 報 じられた その 後 1987 年 2005 年 の 国 際 学 会 の 際 訪 問 の 機 会 を 得 た 2005 年 には 周 囲 が 高 いビルに 取 り 囲 ま

宮 島 一 彦 れてしまっていた 台 上 には 呉 用 の 足 元 に 描 かれていた 六 分 儀 ( 当 時 の 中 国 名 は 紀 限 儀 文 献 1に 地 平 経 緯 儀 あるブログに 八 分 儀 とあるのはいずれも 誤 り) 天 球 儀 ( 中 国 名 は 天 体 儀 )を 始 め 8 基 の 観 測 器 が 設 置 されている これら の 儀 器 お よ び 観 象 台 全 体 の 俯 瞰 図 は 南 懐 仁 (Ver biest,1623-88) 欽 定 ( 新 製 ) 霊 台 儀 象 志 附 新 製 霊 台 儀 象 図 および 董 誥 欽 定 皇 朝 礼 器 図 式 ( 文 献 7,8)な どにも 収 載 されている この 両 書 は 岡 田 玉 山 編 述 画 / 岡 熊 岳 大 野 東 野 画 唐 土 名 勝 図 会 巻 一 ( 文 図 2. 修 復 整 備 中 の 古 観 象 台 1980 年 筆 者 撮 影 図 3. 儀 器 の 取 り 外 された 古 観 象 台 台 上 撮 影 同 上 図 6. 天 体 儀 右 後 方 は 黄 道 経 緯 儀 1987 年 筆 者 撮 影 図 4. 古 観 象 台 俯 瞰 写 真 ( 人 民 画 報 1983 年 第 11 期 ) 図 5. 紀 限 儀 2005 年 筆 者 撮 影 図 7. 筆 者 蔵 唐 土 名 勝 図 会 巻 三 紀 限 儀 之 図

歌川國芳 知多星呉用 と古観象台の観測器 献9) の 引用書目 にも記載されている 下に 唐土名 勝図会 の 次ページに 霊 台儀象図 の 俯瞰図を 掲げる 両図を比べると むしろ前者の方が自然な感 じに描かれている また 紀限儀 天体儀の実物と 霊 台儀象図 皇朝礼器図式 唐土名勝図会 の絵とを 比較すると 装 飾 や表面の星座など 霊台 は他 の2書と異なり 実物も2書と微妙に異なる 図8 同 天体儀之図 図9 現在の古観象台 2005年筆者撮影 台下には中 国式の伝統的な渾天儀が置かれている 図 10 唐土名勝図会 巻三 観象台上之図 左右のページに分かれた図を整合させるため 縮小率を変えている

宮 島 一 彦 図 11. 筆 者 蔵 霊 台 儀 象 図 写 本 より 観 象 台 之 図 國 芳 の 絵 は 皇 朝 唐 土 に 近 い もちろん 國 芳 が 中 国 で 実 見 出 来 るはずもなく これらの 書 に 準 拠 したに 相 違 ない 儀 象 図 にはなかった 人 物 が 描 か れており 儀 器 名 や 説 明 文 も 加 えられている 紀 限 儀 は 奥 の 中 央 天 体 儀 は 手 前 の 中 央 にある 右 奥 から 左 回 りに 天 風 竿 ( 風 向 計 ) 紀 限 儀 ( 六 分 儀 2 天 体 の 角 距 離 の 測 定 ) 象 限 儀 ( 四 分 儀 高 度 の 測 定 ) 地 平 経 儀 ( 方 位 角 の 測 定 ) 黄 道 [ 経 緯 ] 儀 ( 一 種 のアルミラ 球 儀 黄 緯 黄 緯 の 測 定 ) 天 体 儀 ( 天 球 儀 ) 赤 道 [ 経 緯 ] 儀 ( 一 種 のアルミラ 球 儀 赤 経 赤 緯 の 測 定 )となる その 奥 のも のはよくわからない これを 図 4の 航 空 写 真 と 比 較 すると 配 置 が 一 致 し ない( 図 22 参 照 ) 天 風 竿 は 別 にして 少 なくとも 他 の6 つの 儀 器 は 南 懐 仁 が 製 作 したものであるが 後 述 のよ うに 1715 年 に 紀 理 安 (キリアン シュトゥンプB. Kilian Stumpf) に よ っ て 地 平 経 緯 儀 が 1744 年 に 戴 進 賢 (Kögler,1680-1746)らによって 璣 衡 撫 辰 儀 が 加 えられ た それらの 際 に 配 置 の 調 整 と 台 の 拡 張 が 行 われた その 後 義 和 団 の 乱 後 にこれらの 儀 器 は 戦 利 品 として フランスやドイツに 持 ち 帰 られてのち 返 還 された 日 中 戦 争 や 文 化 大 革 命 も 経 験 したし 先 述 のように 唐 山 地 震 後 にも 取 り 外 して 台 下 に 置 かれた 修 復 作 業 中 に 薮 内 清 先 生 のところに 観 象 台 の 古 い 写 真 はな いか との 問 い 合 わせがあった 霊 台 儀 象 図 の 観 象 台 之 図 はMelchior Hafnerの Astronomia Europaea に 銅 版 画 で 収 載 されて 西 洋 にも 紹 介 されたが デュアルド(Le p.du Halde)の 銅 版 画 は 裏 返 しで それと 知 らずに 転 載 している 書 物 もあ る( 文 献 3,10) 6. 観 象 台 縁 起

歌 川 國 芳 知 多 星 呉 用 と 古 観 象 台 の 観 測 器 元 朝 は 都 を 北 京 において 大 都 と 呼 んだ 中 国 の 王 朝 の 常 として( 漢 民 族 でない 元 の 場 合 も) 司 天 台 を 都 に 建 設 し 郭 守 敬 の 設 計 になる13ほどの 儀 器 が 据 え 付 けられた この 場 所 は 現 在 の 古 観 象 台 の 北 にあ った その 後 明 が 興 り 元 が 滅 んで 明 の 洪 武 帝 が 都 を 南 京 に 定 めると 鶏 鳴 山 ( 現 鶏 籠 山 ) 北 極 閣 に 観 星 台 を 建 設 し これらを 移 設 した 永 楽 帝 の 時 都 を 南 京 から 北 京 に 移 したが その 際 上 記 の 天 文 儀 器 はそのまま 残 置 された そして 欽 天 監 ( 天 文 の 役 所 )の 役 人 を 派 遣 してこれらの 木 型 を 取 り それを 北 京 に 持 ち 帰 って 渾 儀 ( 渾 天 儀 西 方 のアル ミラ 球 儀 に 相 当 ) 渾 象 ( 天 球 儀 ) 簡 儀 ( 郭 守 敬 が 創 案 し たもの) 圭 表 (ノーモンの 一 種 )を 複 製 し 北 京 宣 化 門 城 上 の 観 星 台 に 設 置 した 万 暦 年 間 に 西 洋 天 文 学 が 伝 わると 徐 光 啓 は 願 い 出 て 象 限 大 儀 6 紀 限 大 儀 3 平 懸 渾 儀 3 交 食 儀 1 列 宿 経 緯 天 球 1 万 国 経 緯 地 球 1 平 面 日 晷 3 転 盤 星 晷 3 候 時 鐘 3 望 遠 鏡 3を 造 った さらに 李 天 経 は 沙 漏 を 作 った 今 個 々の 説 明 は 省 く 清 では 観 象 台 と 改 称 され 前 述 のように 康 煕 13 年 南 懐 仁 が 天 体 儀 黄 道 経 緯 儀 赤 道 経 緯 儀 地 平 経 儀 象 限 儀 紀 限 儀 を また 同 54 年 には 紀 理 安 が 地 平 経 緯 儀 を 造 って 台 上 に 設 置 した この 際 銅 材 を 得 るため 両 京 の 元 明 時 代 の 儀 器 を 鋳 つぶした が ある 廷 臣 の 奏 請 により 明 代 の 渾 儀 簡 儀 天 体 の3 儀 だけは 残 された これらも 乾 隆 帝 の9 年 北 京 に 移 さ れた 同 じ 乾 隆 帝 の9 年 圭 表 と 戴 進 賢 ら 作 の 璣 衡 撫 辰 儀 (アルミラ 球 儀 の 一 種 )が 加 えられ また 50 年 にはイ ギリスから 小 象 限 儀 が 献 上 された 清 末 光 緒 帝 の 時 の 義 和 団 の 乱 終 結 後 の1901 年 これらは 独 仏 に 戦 利 品 として 持 ち 去 られ 代 わりに 小 天 体 儀 小 地 平 経 緯 儀 が 設 置 された 第 一 次 大 戦 後 返 還 が 決 まり 1920 年 に 日 本 を 経 由 して 1921 年 に 北 京 の 古 観 象 台 上 に 戻 されたが 元 明 の 渾 儀 簡 儀 圭 表 は 台 下 に 置 かれた 1931 年 にいわゆる 満 州 事 変 が 起 こると うち 渾 儀 簡 儀 圭 表 ( 台 座 を 除 く) 漏 壺 ( 水 時 計 ) 小 天 体 儀 小 地 平 経 緯 儀 は 民 国 で 建 設 された 南 京 の 紫 金 山 天 文 台 に 移 された( 文 献 15) いずれも 現 存 する 北 京 の 古 観 象 台 は 内 城 の 南 東 角 天 安 門 の 東 に あったが 現 在 では 周 囲 の 城 壁 は 取 り 壊 され その 下 を 地 下 鉄 が 走 っている 7.Tycho Braheの 儀 器 との 関 係 ところで 観 象 台 上 にイエズス 会 士 たちが 据 え 付 けた 天 文 儀 器 の 多 くはTycho Brahe (1546-1602 デン マーク)の Astronomiæ Instauratæ Mechanica ( 文 献 16) に 記 載 が あ る こ の 書 は ティ コ が 領 地 の 島 に 建 図 12. 南 京 紫 金 山 天 文 台 の 明 代 渾 儀 1980 年 筆 者 撮 影 図 13. 同 明 代 簡 儀 図 14. 同 上 圭 表 明 代 のもので 清 朝 の 時 1 尺 の 実 長 が 変 わったため 表 の 上 部 を 継 ぎ 足 したという てた 天 文 台 に ティコ 自 身 の 創 意 工 夫 を 盛 り 込 んで 作 ら れ 据 え 付 け ら れ て い た 観 測 器 に つ い て 書 か れ

宮 島 一 彦 図 15. 唐 土 名 勝 図 会 に 示 された 観 象 台 の 位 置 右 端 東 の 文 字 のすぐ 左 図 16.ティコの 六 分 儀 たものである 図 10,11に 描 かれているものを 順 に 比 較 すると (1) 知 多 星 呉 用 に も 描 か れ た 紀 限 儀 は Sextans Astronomicus Trigonicus pro Distantiis Rimandis で ある( 図 16) 図 17.ティコの 象 限 儀 (2) 象 限 儀 はQuadrans Volubilis Azimuthalis( 図 17) (3) 地 平 経 儀 に 対 応 するものはない( 経 緯 儀 に 近 いもの はある) (4) 黄 道 [ 経 緯 ] 儀 はArmillæ Zodiacales (5) 天 体 儀 はGlobus Magnus Orichalcicusに 相 当 する

歌 川 國 芳 知 多 星 呉 用 と 古 観 象 台 の 観 測 器 が かなりデザインが 異 なる また 描 かれた 星 座 は 前 者 は 中 国 星 座 ( 位 置 はイエズス 会 士 の 観 測 値 に 従 う) 後 者 は 西 洋 星 座 である (6) 赤 道 [ 経 緯 ] 儀 はArmillæ Aliæ Æquatoriæ ティコは 望 遠 鏡 発 明 (1608) 以 前 の 最 高 の 観 測 者 と いってもよい 天 文 学 者 で 独 自 の 工 夫 を 凝 らして 観 測 精 度 を 高 めた 彼 の 提 唱 した 新 しい 天 動 説 (アイルラン ドにS.Eriugena(c810~c877)という 先 駆 者 がいる)をベー スにした 暦 法 が 中 国 に 渡 来 したイエズス 会 士 らによっ て 時 憲 暦 として 施 行 された 観 象 台 に 上 述 の 観 測 器 が 据 え 付 けられたころは すでに 望 遠 鏡 が 発 明 されて65 年 以 上 たっており 上 にも 触 れたように 明 末 に 徐 光 啓 は 観 象 台 に 望 遠 鏡 を 設 置 している それにもかかわらず イエズス 会 士 た ちがそれらを 取 り 壊 して 新 たに 設 置 した 天 文 儀 器 は すべて 肉 眼 観 測 器 である Hevelius(1611-1687)は 望 遠 鏡 による 観 測 と 肉 眼 観 測 器 による 観 測 の 両 方 を 行 った また ムガール 帝 国 の 藩 王 (マハラジャ) Jai Singh 2 世 (1688-1743 )は 1725 年 前 後 に デリー ジャイプール 等 の5か 所 にジャ ンタル マンタル( 天 文 台 )を 建 設 したが そこに 設 置 さ れた 観 測 器 もまた 肉 眼 用 のものであった 望 遠 鏡 は 表 面 や 形 の 観 察 肉 眼 観 測 器 は 位 置 観 測 という 使 い 分 けか 肉 眼 観 測 への 思 い 入 れの 強 さか 理 由 はよくわからないが 中 国 の 場 合 伝 統 的 な 天 文 学 を も 尊 重 し つ つ 西 洋 天 文 学 を 導 入 し た イ エ ズ ス 会 士 たちにとっては 暦 法 についても 観 測 器 につ いても ティコの 影 響 が 大 きかったといえる 8.おわりに かくして 極 東 の 国 の 浮 世 絵 師 が 描 いた 天 文 儀 器 が はるか 北 欧 の 天 文 儀 器 にまでつながっていることが 明 らかになった これらの 儀 器 は 有 為 転 変 のすえ 現 在 も 見 ることができる なお 刀 の 鍔 に 天 文 儀 器 が 描 かれているケースが ときどきあるが 下 の 写 真 は 日 本 刀 の 鍔 に 関 するある 事 典 に 収 録 されている 斎 藤 真 義 作 の 鍔 で 三 国 志 五 丈 原 の 項 に 入 っている すなわち 蜀 の 丞 相 諸 葛 亮 孔 明 ということであるが この 構 図 モチーフ 等 は 國 芳 の 知 多 星 呉 用 そっくりで 足 元 に 天 体 儀 と 紀 限 儀 が 置 いてある 孔 明 であることを 示 す 銘 があるようではな く( 斎 藤 真 義 の 文 字 は 写 真 から 読 み 取 れる) 編 者 の 思 い 込 みらしく 感 じられる 図 18.デリーのジャンタル マンタル 1969 年 筆 者 撮 影 図 19.ジャイプールのジャンタル マンタル 撮 影 同 上 図 20,21. 刀 の 鍔 に 描 かれた 天 文 儀 器 [おもな 参 考 文 献 ] (1) 大 阪 市 立 美 術 館 没 後 150 年 歌 川 國 芳 展 ( 図 録 )2011 (2) 駒 田 信 二 水 滸 伝 中 国 古 典 奇 書 シリーズ 平 凡 社 1962( 同 氏 の 訳 と し て は そ の 前 後 に 同 社 の 中

宮 島 一 彦 国 古 典 文 学 全 集 中 国 古 典 文 学 大 系 版 がある) (3)J.Needham Science and Civilisation in China, Cambridge University Press,1959 (4) 中 国 の 科 学 と 文 明 第 5 巻 天 の 科 学 思 索 社 1976 第 2 刷 1979 (5) 文 物 1982 年 第 5 期 (6) 伊 世 同 北 京 古 観 象 台 席 沢 宗 中 国 古 代 天 文 学 成 就 人 民 画 報 1983 年 第 11 期 (7) 南 懐 仁 (Verbiest) 欽 定 ( 新 製 ) 霊 台 儀 象 志 附 新 製 霊 台 儀 象 図 (1674 序 ) (8) 董 誥 欽 定 皇 朝 礼 器 図 式 1759/1766( 静 嘉 堂 蔵 本 マイクロフィルム) (9) 岡 田 玉 山 編 述 画 / 岡 熊 岳 大 野 東 野 画 唐 土 名 勝 図 会 (1806) (10) 今 井 湊 中 国 物 理 雑 識 全 国 書 房 1946 (11) 常 福 元 天 文 儀 器 志 略 1932 頃 (12) 明 史 活 字 本 中 華 書 局 1974 (13) 歴 代 天 文 律 暦 等 志 彙 編 四 中 華 書 局 1976 (14) 清 史 稿 活 字 本 中 華 書 局 1976 (15) 陳 遵 嬀 中 国 天 文 学 史 第 四 冊 上 海 人 民 出 版 社 1989 (16)Tycho Brahe Astronomiæ Instaurataæ Mecha nica 1598( 複 製 版 Culture et Civilisation, Bruxell es, 1969) (17) 宮 島 一 彦 昔 の 天 文 儀 器 天 文 学 史 ( 中 山 茂 編 ) 恒 星 社 厚 生 閣 1982 第 2 刷 1987 (18) とら のあごら(http://geocities.jp/shizogeka/) 美 術 アーカイブ 水 滸 伝 DB ほかに 四 庫 全 書 電 子 版 いくつかのインターネット 記 事 を 参 照 した 図 22. 英 文 ウィキペディアより 現 在 の 古 観 象 台 平 面 図 図 10,11と 同 じく 上 が 北 で 奥 から 左 回 りに 璣 衡 撫 辰 儀 象 限 儀 天 体 儀 黄 道 経 緯 儀 地 平 経 儀 地 平 経 緯 儀 紀 限 儀 赤 道 経 緯 儀 で 南 懐 仁 より 後 に 造 られた 璣 衡 撫 辰 儀 と 地 平 経 緯 儀 が 増 え 天 風 竿 と 用 途 不 明 の 穴 のあいた 台 がない 象 限 儀 黄 道 儀 以 外 は 配 置 も 変 わっている なお 現 在 は もと 晷 影 堂 ( 一 種 の 観 測 室 )があった 花 園 (GARDEN, 図 9)の 中 に 渾 天 儀 ( 図 12 参 照 )および 圭 表 ( 図 14) 紫 微 殿 前 の 中 庭 (COURTYARD)に 同 じく 簡 儀 が 置 かれている 渾 天 儀 と 簡 儀 は 紫 金 山 天 文 台 のものの 複 製 だが 圭 表 の 台 座 は 元 代 のもの 図 23. イ ギ リス 特 使 Macartney より 1793 年 熱 河 離 宮 に 避 暑 滞 在 中 の 乾 隆 帝 に 献 上 された ものとして 描 かれている 天 体 儀 と 黄 道 経 緯 儀 絹 本 着 色 実 際 は1673 年 にフェルビーストが 製 作 し 観 象 台 に 据 え 付 け た も の 1990 年 旧 王 立 天 文 台 (Greenwich) 博 物 館 にて 筆 者 撮 影 遠 近 法 補 正 ガラスがはま っているため 展 示 室 の 光 が 映 り 込 んでいる