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まえがき 知 覧 特 攻 平 和 会 館 は 大 東 亜 戦 争 末 期 ( 戦 後 は 太 平 洋 戦 争 ともいう) 昭 和 20 年 3 月 下 旬 から7 月 中 旬 にかけ 沖 縄 で 行 われた 陸 軍 航 空 特 攻 作 戦 に おいて 戦 死 された1,036 名 の 方 々の 遺 影 遺 書 手 紙 などを 展 示 してい る 南 九 州 市 の 資 料 館 です 皆 さんには 特 攻 作 戦 という 人 類 史 上 他 に 例 を 見 ない 歴 史 上 の 事 実 から 多 くのことを 学 び 平 和 の 尊 さ 命 の 大 切 さについて 理 解 を 深 めるとともに 更 に 特 攻 隊 員 がたった 一 つしかない 命 を 投 げ 出 して 国 を 守 り 父 母 兄 弟 姉 妹 を 守 った 強 い 責 任 感 家 族 を 愛 する 心 国 を 愛 する 心 を 理 解 し それを 今 後 の 自 分 の 人 生 の 充 実 発 展 に 役 立 てていただきたいと 願 っています 修 学 旅 行 や 総 合 学 習 で 来 館 するにあたって 何 を 事 前 に 学 習 したら 良 い か との 問 い 合 わせが 時 々あります ぜひ 当 時 の 歴 史 背 景 特 攻 に 至 った 歴 史 について 事 前 に 学 習 していただ きたいと 思 います 今 日 のわが 国 発 展 の 原 点 は 明 治 時 代 以 降 の 歴 史 にあると 言 っても 過 言 で はありません 当 時 の 世 界 情 勢 を 背 景 にした 明 治 時 代 以 降 の 歴 史 を 正 しく 理 解 することにより 特 攻 の 真 実 特 攻 隊 員 の 心 を 深 く 理 解 することができま す 残 念 なことに 最 近 日 本 とアメリカは 戦 争 をした ということを 知 らな い 若 者 が 増 えているという 話 もあります まったく 嘆 かわしいことです 私 たちの 一 生 は 先 祖 代 々 長 い 間 に 育 まれた 歴 史 の1ページに 過 ぎません 海 外 旅 行 をしてみると 日 本 は 本 当 に 素 晴 らしい 国 だということが 良 く 分 かります 私 たちは この 素 晴 らしい 日 本 を 造 ってくださったご 先 祖 に 感 謝 まいしん するとともに 後 に 続 く 者 のために 更 に 平 和 で 住 みやすい 国 づくりに 邁 進 する 立 場 にあると 思 います これがひいては 世 界 平 和 への 貢 献 にもつながる ことでしょう 本 資 料 は 皆 さんが 特 攻 についてよく 理 解 するため 世 界 の 歴 史 を 背 景 に 日 本 がどのような 歴 史 をたどったのか 明 治 時 代 以 降 の 日 本 史 の 真 実 を 明 ら かにし 主 として 特 攻 に 至 った 歴 史 背 景 を 判 り 易 く 解 説 したものです この 内 容 を 十 分 に 事 前 学 習 し 知 覧 特 攻 平 和 会 館 における 見 学 の 実 を 挙 げ ていただければ 幸 いです 2
1 江 戸 時 代 末 期 から 明 治 維 新 に 至 るまでの 世 界 情 勢 産 業 革 命 と 市 民 革 命 に 成 功 したイギリス フ ランス アメリカなど 欧 米 の 諸 国 は 安 い 原 料 の 確 保 や 自 国 の 商 品 を 売 る 市 場 を 求 めてアジア やアフリカに 植 民 地 を 獲 得 していきました これら 欧 米 の 強 国 ( 列 強 )は1800 年 代 に は 地 球 の 陸 地 の35%を 支 配 するに 至 り 第 一 次 世 界 大 戦 (1914 年 )が 始 まった 頃 には 実 に84%まで 支 配 地 を 拡 大 しました 東 南 アジア 諸 国 も 当 時 イギリス フランス オランダ スペイン( 米 西 戦 争 (1898 年 ) 後 は アメリカ)などの 植 民 地 となって 厳 し い 植 民 地 支 配 を 受 けていました 19 世 紀 中 ごろのアジアの 植 民 地 状 況 中 国 分 割 につながったアヘン 戦 争 とその 影 響 について 調 べてみましょう 2 ペリーの 来 航 から 日 米 開 戦 に 至 る 経 緯 1853 年 6 月 アメリカの 海 軍 ペリー 提 督 率 いる 黒 船 ( 軍 艦 )が 浦 賀 の 沖 合 に 現 れ 軍 事 的 な 脅 威 により 日 本 に 開 国 と 通 商 を 求 めました 鎖 国 中 の 日 本 は 大 変 混 乱 したものの 1868 年 開 国 しました 日 本 は 開 国 以 降 欧 米 列 強 の 軍 事 的 脅 威 を 打 ち 払 おうと 必 死 で 西 洋 文 明 の 導 入 に 努 めました このころ 欧 米 列 強 の 植 民 地 支 配 圏 の 拡 大 は 続 いており 日 本 が 独 立 を 維 持 し 大 国 の 仲 間 入 りを 果 たすまで 苦 難 の 連 続 でした 明 治 維 新 後 日 本 が 最 も 力 を 入 れたの が 欧 米 列 強 の 植 民 地 にされないことで した このため 特 に 力 を 入 れたのが 富 国 強 兵 ( 国 を 強 くする) 教 育 の 充 実 そして 殖 産 興 業 でした 産 業 を 興 し て 国 民 の 生 活 を 豊 かにしたいという 狙 い がありました 早 速 資 源 の 乏 しい 日 本 は 石 油 鉱 物 資 源 などの 物 資 を 求 め 資 源 豊 富 な 東 南 1 欧 米 からみた 日 露 戦 争 フランスの 新 聞 漫 画 の 挿 し 絵 (1904 年 ) 巨 人 ロシアに 挑 戦 する 日 本 人 を 世 界 の 人 々が 見 守 っている 当 時 誰 もがロシ アの 勝 利 を 信 じていた
アジアの 各 国 と 交 渉 に 当 たりますが ほとんどの 国 が 既 に 欧 米 諸 国 の 植 民 地 になっており 相 手 に してくれません それでも 日 本 は 明 治 大 正 昭 和 時 代 に 渡 りいろいろと 努 力 しました でもなかなかうまくいき ませんでした 日 本 が 最 も 頼 りにしていたアメリカも 日 本 が 日 露 戦 争 で 勝 利 した 後 は 日 本 の 強 さに 対 し 脅 威 を 感 じ 始 めました 日 露 戦 争 後 日 本 の 国 力 増 進 に 脅 威 を 感 じたアメリカは いつか 日 本 と 戦 争 になるかもしれない ことを 予 期 し 対 日 戦 争 基 本 計 画 ( オレンジプラン )を 作 りました そして 次 第 にアメリカ イ ギリス 中 国 オランダの 諸 国 が 共 同 して 日 本 を 経 済 的 に 追 い 詰 めてきたのです 1941 年 ( 昭 和 16 年 ) 春 悪 化 した 日 米 関 係 を 打 開 しようと 日 米 交 渉 を 開 始 しますが 秘 密 電 報 の 傍 受 解 読 に 成 功 したアメリカは その 交 渉 を 自 国 に 有 利 になるよう 誘 導 しました そして7 月 には アメリカにある 日 本 の 資 産 が 凍 結 され さらに 日 本 に 対 する 石 油 輸 出 が 全 面 禁 止 されて 日 本 にはまったく 石 油 が 入 らなくなりました さらに11 月 ハル ノート と 呼 ばれる 強 硬 な 提 案 を 突 きつけられ 苦 境 に 陥 った 日 本 は アメリカの 要 求 を 受 け 入 れて 先 進 諸 国 の 植 民 地 になるか それとも 戦 争 に 打 って 出 るべきか とい う 厳 しい 状 況 判 断 を 迫 られたのです その 結 果 わが 国 としては アジアにおける 欧 米 列 強 の 植 民 地 支 配 の 状 態 を 開 放 して アジア 独 自 の 勢 力 圏 ( 当 時 は 大 東 亜 共 栄 圏 といった)を 作 り アジア 諸 国 が 共 に 繁 栄 することを 目 標 と し ついにアメリカを 主 軸 とする 連 合 国 との 戦 争 に 踏 み 切 ったのです アメリカ 合 衆 国 は 開 国 してわずか200 年 余 りですが 既 に 世 界 一 の 大 国 になっていま す どのようにして 急 激 に 大 国 に 成 り 得 たのか 独 立 宣 言 (1776 年 )の 真 意 と そ れ 以 降 のアメリカの 世 界 進 出 の 歴 史 を 調 べてみましょう オレンジプラン 及 び ハル ノート の 内 容 を 調 べてみましょう 当 時 白 人 で 構 成 する 欧 米 の 国 々がアジアやアフリカなど 有 色 人 種 の 国 々を 植 民 地 と して 支 配 していました 第 1 次 世 界 大 戦 後 行 われたパリ 講 和 会 議 (1919 年 )で 日 本 が 提 出 した 人 種 差 別 撤 廃 案 及 びその 結 末 について 調 べてみましょう また 黄 禍 論 (こうかろん)についても 調 べてみましょう 日 本 とアメリカとの 戦 争 は 戦 後 太 平 洋 戦 争 といわれるようになりました しか し 当 時 日 本 政 府 はこの 戦 争 を 大 東 亜 戦 争 と 名 付 けました なぜ 戦 後 太 平 洋 戦 争 といわれるようになったのか その 経 緯 について 調 べてみましょう 3 開 戦 から 特 攻 作 戦 に 至 る 経 緯 大 東 亜 戦 争 ( 戦 後 は 太 平 洋 戦 争 ともいう)は 1941 年 ( 昭 和 16 年 )12 月 8 日 ハワイの オアフ 島 真 珠 湾 にあるアメリカ 海 軍 基 地 への 奇 襲 攻 撃 によって 開 始 されました 日 本 の 陸 海 軍 主 力 は 真 珠 湾 攻 撃 の 後 東 南 アジアに 進 攻 しました 先 に 述 べたように 当 時 2
東 南 アジアのほとんどの 国 々が 欧 米 列 強 の 植 民 地 となっており 現 地 守 備 隊 しか 残 っていなかった こともあって 奇 襲 攻 撃 が 成 功 し 瞬 く 間 にオーストラリア 北 側 の 線 まで 進 出 しました ところが 1942 年 ( 昭 和 17 年 )8 月 になるとアメリカを 中 心 とする 連 合 軍 が 態 勢 を 回 復 し 反 撃 に 転 じました その 後 の 日 本 軍 は 連 合 軍 の 強 大 な 戦 力 に 押 され 防 戦 一 方 になり 開 戦 から3 年 後 の1945 年 ( 昭 和 20 年 ) 初 頭 になると 沖 縄 はもちろん 日 本 本 土 も 空 襲 を 受 けるようになり ました 特 に1945 年 ( 昭 和 20 年 )5 月 7 日 同 盟 国 であったドイツが 降 伏 すると 連 合 軍 の 攻 勢 は 日 本 だけに 集 中 するようになり 日 本 全 土 が 苦 戦 を 強 いられるようになったのです 当 時 日 本 政 府 は 沖 縄 を 本 土 の 最 前 線 と 考 えていましたので その 最 前 線 を 守 るために 採 られた のが 特 攻 作 戦 でした この 段 階 では 圧 倒 的 な 物 的 戦 闘 力 に 勝 るアメリカの 進 攻 を 阻 止 する 日 本 軍 としては 兵 士 一 人 一 人 の 精 神 力 を 武 器 とした 特 攻 戦 法 しか 他 に 手 段 がないとの 結 論 に 達 したのでした つまり 日 本 の 軍 人 が 命 を 懸 けた 特 攻 を 重 ねることで アメリカ 軍 にも 大 きな 被 害 を 与 え そう なると 嫌 戦 気 運 ( 戦 争 を 嫌 がる 気 持 ち)が 広 がっていき お 互 いに 損 害 を 出 したくないから その うち 停 戦 になるのではないか という 期 待 を 政 府 はしていたのではないでしょうか 4 航 空 特 攻 作 戦 の 概 要 け ら ま 沖 縄 での 陸 軍 による 航 空 特 攻 作 戦 は 米 軍 主 力 が 沖 縄 南 西 にある 慶 良 間 列 島 に 上 陸 した1945 年 ( 昭 和 20 年 )3 月 26 日 から 始 まりました 特 攻 作 戦 とは 重 さ250kgの 爆 弾 を 装 着 した 戦 闘 機 で 敵 の 艦 船 に 体 当 たりして 沈 める パイロットは 必 ず " 死 ぬ 亡 くなる " という 必 死 条 件 の 作 戦 でした 特 攻 作 戦 には 知 覧 基 地 を 始 め 宮 崎 県 の 都 城 など 九 州 の 各 地 そして 当 時 日 本 が 統 治 していた 台 湾 など 多 くの 基 地 から 出 撃 していますが 知 覧 基 地 が 本 土 最 南 端 だったということもあり 最 も 多 く 全 特 攻 戦 死 者 1, 036 名 のうち 439 名 ( 中 継 基 地 となった 徳 之 島 喜 界 島 を 含 む) 全 員 の 半 数 近 くが 知 覧 基 地 か ら 出 撃 しています 本 格 的 な 特 攻 作 戦 は 陸 海 軍 共 同 で4 月 6 日 第 1 次 総 攻 撃 として 始 まり 7 月 19 日 第 11 次 総 攻 撃 の 終 了 ま で 続 きました しん ぶ 特 攻 部 隊 のうち 九 州 から 出 撃 した 部 隊 は " 振 武 隊 まこと ひ こうたい 台 湾 から 出 撃 した 部 隊 は " 誠 飛 行 隊 " と 呼 称 しています け ら ま 3 月 26 日 開 始 された 慶 良 間 列 島 海 域 への 特 攻 作 戦 は 沖 縄 本 島 石 垣 島 宮 古 島 から 出 撃 しましたが 4 月 1 日 沖 縄 本 島 に 上 陸 後 は 九 州 及 び 台 湾 から 出 撃 する ようになりました たい " 3
沖 縄 戦 で 陸 軍 の 特 攻 機 が 出 撃 した 飛 行 場 鹿 児 島 県 宮 崎 県 熊 本 県 福 岡 県 出 撃 地 人 数 出 撃 地 人 数 知 覧 402 山 口 県 小 月 2 徳 之 島 14 沖 縄 20 喜 界 島 23 沖 縄 県 石 垣 31 万 世 120 宮 古 10 鹿 屋 12 宜 蘭 37 都 城 東 73 台 中 31 都 城 西 10 八 塊 32 台 湾 新 田 原 38 桃 園 15 健 軍 127 花 蓮 港 15 菊 池 1 竜 潭 5 大 刀 洗 14 蓆 田 4 合 計 1036 徳 之 島 は( 知 覧 徳 之 島 ) 喜 界 島 は( 知 覧 喜 界 島 ) をそれぞれ 経 由 した 数 陸 軍 沖 縄 戦 都 道 府 県 別 特 攻 隊 員 戦 死 者 数 都 道 府 県 隊 員 数 都 道 府 県 隊 員 数 都 道 府 県 隊 員 数 北 海 道 35 名 福 井 8 名 山 口 20 名 青 森 9 名 山 梨 6 名 徳 島 13 名 岩 手 18 名 長 野 30 名 香 川 17 名 宮 城 27 名 岐 阜 21 名 愛 媛 13 名 秋 田 9 名 愛 知 43 名 高 知 6 名 山 形 10 名 静 岡 22 名 福 岡 43 名 福 島 22 名 三 重 18 名 佐 賀 22 名 茨 城 25 名 滋 賀 10 名 長 崎 18 名 栃 木 28 名 京 都 26 名 熊 本 20 名 群 馬 24 名 大 阪 35 名 大 分 25 名 埼 玉 22 名 兵 庫 28 名 宮 崎 20 名 千 葉 27 名 奈 良 8 名 鹿 児 島 40 名 東 京 86 名 和 歌 山 14 名 沖 縄 6 名 神 奈 川 31 名 鳥 取 9 名 樺 太 2 名 新 潟 17 名 島 根 8 名 朝 鮮 11 名 富 山 13 名 岡 山 26 名 石 川 17 名 広 島 28 名 合 計 1,036 名 5 平 和 会 館 見 学 上 の 心 構 え 知 覧 特 攻 平 和 会 館 に 入 場 したら まず 語 り 部 の 講 話 を 約 30 分 聞 き その 後 自 由 見 学 となります 語 り 部 の 講 話 では 特 攻 の 歴 史 をはじめ 展 示 してある 複 数 の 特 攻 隊 員 の 遺 書 手 紙 などについて 説 4
明 を 受 けることになります 語 り 部 の 講 話 で 特 攻 作 戦 の 概 要 についてしっかり 把 握 した 後 館 内 の 自 由 見 学 をしていただき ます 自 由 見 学 では 時 間 の 許 す 限 り 一 つでも 二 つでも 自 分 でよく 理 解 できる 遺 書 手 紙 を 読 むよう に 心 がけましょう また 館 内 には 特 攻 について 解 説 しているいろいろなメディアがあります 特 に 遺 品 室 のコーナー 境 界 8 箇 所 に 設 置 してあるパソコン 画 面 モニターの 解 説 システム(タッチパネル 式 )は 特 攻 隊 員 を 調 べる システムと 遺 書 手 紙 を 調 べる システムの2 種 類 があり 特 攻 隊 員 の 情 報 や 特 攻 隊 員 の 残 した 遺 書 手 紙 などを 楷 書 化 し 理 解 が 難 しいと 思 われる 用 語 の 解 説 も 表 示 されるので よ り 理 解 をしやすいと 思 います これら 各 種 メディアを 積 極 的 に 活 用 するとともに 分 からないところがあったら 遠 慮 なく 知 覧 特 攻 平 和 会 館 職 員 にお 尋 ねください 最 後 に 語 り 部 の 講 話 及 び 自 由 見 学 を 通 じて 学 んだことを 次 の 要 領 でまとめてみましょう (1) 特 攻 隊 員 の 遺 書 手 紙 にはどのような 特 色 がありますか あなたはこれを 読 んで どのように 感 じましたか (2) 特 攻 隊 員 の 写 真 を 見 ると 笑 顔 が 多 いようです どうしてこのような 素 直 な 笑 顔 ができたの か 考 えてみましょう (3) あなたは 特 攻 隊 員 の 心 から 何 を 学 びましたか またそれをこれから 自 分 の 人 生 にどのよう に 役 立 てたいと 思 いますか 6 おわりに ある 人 が 西 郷 隆 盛 を 評 して 西 郷 さんは 釣 り 鐘 のような 人 だ 大 きく 叩 くと 大 きく 響 く 小 さく 叩 くと 小 さくしか 響 かない と 言 ったことがあります それだけ 人 物 が 大 きく ものの 考 え 方 が 深 かったということでしょう 知 覧 特 攻 平 和 会 館 に 展 示 してある 遺 書 手 紙 にも それが 当 てはまると 思 います 事 前 学 習 を 充 実 し 遺 書 手 紙 を 真 剣 に 読 めば 読 むほど その 奥 にある 特 攻 隊 員 の 心 が 深 く 伝 わっ てきます 表 面 だけの 文 字 を 読 むだけでは かわいそうに という 感 想 しか 生 まれません 起 こってしまった 特 攻 作 戦 今 となって 悔 やむだけでは 何 も 生 まれません 彼 らの 生 き 様 から 何 かを 学 ぶ 姿 勢 こそ 私 たち 残 された 者 にとって 大 きな 使 命 といえるのではないでしょうか この 資 料 を 十 分 に 事 前 学 習 して 知 覧 特 攻 平 和 会 館 を 見 学 し そして 隊 員 の 遺 書 手 紙 に 真 剣 に 接 することにより 特 攻 隊 員 の 心 から 多 くのことを 学 んでいただけるものと 期 待 します 5
6 発 行 日 平 成 23 年 1 月 編 集 発 行 知 覧 特 攻 平 和 会 館 897-0302 南 九 州 市 知 覧 町 郡 17881 番 地 Te l:0993-83 - 2525 Fax:0993-83 - 4859 e-mail heiwakaikan@samba.ocn.ne.jp