研 究 ノート 四 国 地 方 の 狂 犬 病 流 行 史 1 唐 仁 原 景 昭 要 約 筆 者 は 日 本 全 国 の 狂 犬 病 流 行 史 の 研 究 を 行 っているが,4 つの 県 を 擁 する 島 に 狂 犬 病 が 上 陸 した 場 合 にどのような 流 行 方 式 をたどり,どの 程 度 の 犠 牲 者 がでた のか,その 時, 防 疫 担 当 の 県 当 局 はどのような 対 応 をとっていたのか, 或 いは 何 をしていれば 被 害 を 減 少 させ 得 たのか,などについて 考 察 を 加 えてみた その 結 果, 何 人 もの 死 者 が 発 生 して, 初 めて 侵 入 に 気 づいてから 対 処 を 開 始 し た 県,すぐさま 侵 入 に 気 付 き, 在 郷 軍 人 会 や 青 年 団 総 出 で 当 該 犬 を 捜 索 追 跡 し, 翌 日 には 淘 汰 に 成 功 した 県, 隣 接 県 に 狂 犬 病 が 侵 入 流 行 していることを 知 りな がら 隣 接 地 域 の 野 犬 掃 蕩 及 び 飼 犬 に 対 する 鎖 錮 並 びに 緊 急 予 防 注 射 を 行 わなかっ たために 多 大 な 流 行 と 犠 牲 者 を 出 した 県 の 温 度 差 を 知 ることできた 周 囲 を 海 という 擁 壁 に 囲 まれ, 九 州 本 州 と 隔 絶 された 地 域 である 四 国 地 方 での 狂 犬 病 の 上 陸 と 流 行 の 過 去 の 実 態 はいかなるものであったのだろうか,という 素 朴 な 疑 問 に 端 を 発 したものであるが,1 頭 の 狂 犬 の 上 陸 が 四 国 全 体 に 影 響 を 及 ぼ し, 愛 媛 県 を 除 く 香 川 県 徳 島 県 高 知 県 においては 狂 水 病 死 亡 者 の 発 生 に 遭 遇 して,ようやく 狂 犬 病 の 自 県 内 侵 入 に 気 づき,その 後 対 策 を 開 始 するという 初 動 防 疫 の 根 底 を 揺 るがす 実 態 が 明 らかとなった 調 査 方 法 発 生 年 における 新 聞 記 事 並 びに 家 畜 伝 染 病 予 防 法 に 基 づく 県 報 への 発 生 告 示 を 調 査 して, 島 内 四 県 の 発 生 状 況 を 時 系 列 配 置 したデータベースを 構 築 した ( 表 1) このことにより, 当 時 の 発 生 実 態 と 行 政 当 局 の 防 疫 対 応 を 知 ることができた 発 生 状 況 香 川 県 の 発 生 状 況 大 正 元 年 12 月 3 日 対 岸 の 岡 山 県 と 香 川 県 の 間 に 浮 かぶ 小 豆 島 に,1 頭 の 狂 犬 が 上 陸 し 翌 日 斃 死 したので 大 事 には 至 らなかった その 後 11 年 間 平 穏 な 時 代 が 経 過 し TOUJINBARA Kageaki:Rabies History and Epidemics in the Shikoku District 1. 日 本 獣 医 史 学 会 理 事 連 絡 先 : 唐 仁 原 景 昭 283-0812 千 葉 県 東 金 市 福 俵 324 4 (2012 年 10 月 5 日 受 付 2012 年 10 月 27 日 受 理 ) 28 日 本 獣 医 史 学 雑 誌 50(2013)
表 1 データベースの 構 築 県 別 時 系 列 配 列 大 正 12 年 香 川 県 番 号 発 生 日 種 類 氏 名 性 年 齢 発 病 日 決 定 日 転 帰 日 手 段 発 生 地 出 典 T12. 4.12 畜 犬 並 びに 野 犬 取 締 規 則 改 正 香 川 県 令 第 23 号 1 T12.7.10 野 犬 7 月 10 日 行 方 不 明 丸 亀 市 9/20 日 付 け 香 川 新 報 男 8 月 2 日 8 月 26 日 8 月 26 日 狂 水 病 死 亡 丸 亀 市 で 上 記 狂 犬 により 咬 傷 9/20 日 付 け 香 川 新 報 2 T12. 8.11 野 犬 行 方 不 明 仲 多 度 郡 琴 平 町 9/20 日 付 け 香 川 新 報 鈴 木 夫 男 14 8 月 25 日 9 月 14 日 9 月 17 日 狂 水 病 死 亡 上 記 狂 犬 により 咬 傷 死 亡 9/20 日 付 け 香 川 新 報 3 T12. 8.17 飼 犬 飼 主 8 月 17 日 8 月 20 日 撲 殺 狂 水 病 綾 歌 郡 川 津 村 9/20 日 付 け 香 川 新 報 咬 傷 人 5 6 人 上 記 狂 犬 により 咬 傷 9/20 日 付 け 香 川 新 報 4 T12. 8.18 飼 犬 眞 鍋 太 三 豊 郡 高 室 村 9/27 日 付 け 大 阪 朝 日 新 聞 五 味 義 男 24 9 月 21 日 狂 水 病 死 亡 上 記 狂 犬 により 咬 傷 死 亡 9/27 日 付 け 大 阪 朝 日 新 聞 5 T12. 8.27 9 月 27 日 斃 死 仲 多 度 郡 琴 平 町 9/29 日 付 け 大 阪 朝 日 新 聞 秋 山 太 郎 男 49 狂 水 病 死 亡 上 記 狂 犬 により 咬 傷 死 亡 9/29 日 付 け 大 阪 朝 日 新 聞 6 T12.9.12 野 犬 9 月 12 日 行 方 不 明 綾 歌 郡 西 庄 村 9/20 日 付 け 香 川 新 報 男 上 記 狂 犬 により 咬 傷 9/20 日 付 け 香 川 新 報 7 T12. 9.15 飼 犬 島 田 サ 9 月 15 日 9 月 17 日 仲 多 度 郡 多 度 津 町 9/20 日 付 け 香 川 新 報 T12.9.16 小 学 生 2 人 上 記 狂 犬 により 咬 傷 9/20 日 付 け 香 川 新 報 T12.9.17 通 行 夫 人 1 人 上 記 狂 犬 により 咬 傷 9/20 日 付 け 香 川 新 報 8 T12. 9.16 犬 牝 9 月 16 日 9 月 21 日 9 月 19 日 斃 死 仲 多 度 郡 榎 井 町 愛 媛 県 告 示 第 559 号 9 T12. 9.17 犬 9 月 17 日 仲 多 度 郡 多 度 津 町 愛 媛 県 告 示 第 541 号 1 頭 目 から7 頭 目 までは 県 報 告 示 なし, 行 政 当 局 は 事 後 追 認 となり,この 間 の 取 逃 しが 大 発 生 の 引 き 金 となった 29
ていたが, 表 1に 示 すように 大 正 12 年 7 月 10 日 香 川 県 丸 亀 市 に1 頭 の 狂 犬 が 出 現 し 1 人 の 男 性 を 咬 傷 した 後 姿 を 消 した 咬 傷 を 受 けた 男 性 は,33 日 後 の 同 年 8 月 2 日 突 然 狂 水 病 症 状 を 現 し 8 月 26 日 苦 悶 の 後 に 死 亡 した その 後 狂 犬 は 8 月 11 日, 仲 多 度 郡 琴 平 町 同 郡 多 度 津 町 ( 現 多 度 津 市 ), 綾 歌 郡 川 津 村 西 庄 村 ( 現 坂 出 市 ), 三 豊 郡 高 室 村 ( 現 観 音 寺 市 )と 広 範 な 地 域 に 出 現 し, 咬 傷 被 害 者 多 数 の 内 3 人 が 狂 水 病 を 発 病 して 犠 牲 者 となった これらの 地 域 で 初 発 から7 頭 までの 狂 犬 は 香 川 県 報 に 登 載 されておらず, 行 政 機 関 は 後 追 い 認 知 す ることとなった つまり7 月 10 日 から9 月 16 日 までの 間 詳 細 情 報 を 掌 握 することなく, 初 動 防 疫 の 対 応 を 果 たせず,その 結 果, 大 正 12 年 中 の 香 川 県 内 発 生 は 犬 55 頭, 牛 1 頭, 猫 1 頭, 山 羊 1 頭, 野 犬 毒 殺 銃 殺 等 6, 500 余 頭, 咬 傷 者 160 人 中 狂 水 病 死 亡 者 15 名 という 多 大 な 被 害 を 招 いた ( 大 正 13 年 2 月 2 日 付 け 香 川 新 報 記 事 ) それでは, 大 正 12 年 7 月 10 日 に 丸 亀 市 に 出 現 した 最 初 の1 頭 の 狂 犬 はどこから 来 たのであろうか 香 川 県 は 大 正 11 年 9 月 23 日 付 け 香 川 県 令 第 76 号 で 狂 犬 病 予 防 のため 当 分 の 間, 大 阪 府 兵 庫 県 岡 山 県 からの 畜 犬 の 移 入 停 止 措 置 を 発 令 ( 予 防 注 射 済 みを 証 す 図 1 初 発 香 川 県 流 行 図 (T12) 30
る 警 察 署 の 証 明 書 を 所 持 するものを 除 く)していたが, 香 川 県 の 対 岸 に 位 置 し, 定 期 航 路 が 運 航 されていた 関 係 から 考 えると, 当 時 発 生 地 である 岡 山 県 から 潜 伏 期 の 犬 が 侵 入 したものと 考 えられる ( 図 1 ) 大 正 13 年 になってようやく 狂 犬 発 生 頭 数 は 2 頭 にまで 減 少 させることに 成 功 し たが,8 月 5 日 にまた 1 人 の 少 女 が 自 家 飼 犬 による 咬 傷 を 受 け 狂 水 病 犠 牲 者 となり, 咬 傷 から 僅 か 2 日 後 の 8 月 7 日 に 死 亡 していた 愛 媛 県 への 伝 播 大 正 12 年 10 月 14 日 香 川 県 と 徳 島 県 境 に 近 い 宇 摩 郡 土 居 村 ( 現 四 国 中 央 市 )に 1 頭 の 狂 犬 が 現 れ, 路 傍 で 遊 戯 中 の 児 童 14 名 の 中 に 飛 び 込 み 全 員 に 咬 傷 を 与 え,なお 周 辺 に 繋 留 されていた 畜 犬 3 4 頭 に 咬 みつきそのまま 山 奥 深 く 逃 走 するという 事 件 が 発 生 した 村 では,その 形 相 に 狂 犬 病 を 疑 い 駐 在 所 に 届 け 出 るとともに, 青 年 団, 在 郷 軍 人 会 総 出 で 逃 げ 込 んだ 山 狩 りを 行 い, 翌 15 日 朝 再 び 通 行 人 を 襲 った 狂 犬 を 発 見 包 囲 し, 遂 に 撲 殺 したが, 逃 走 中 の14 日 夜 にも 多 数 の 野 犬, 畜 犬 に 咬 みついた 形 跡 があった 県 当 局 は10 月 16 日 愛 媛 県 告 諭 第 四 号 を 発 令 し, 狂 犬 病 への 警 戒 と, 畜 犬 の 繋 留, 鎖 錮, 予 防 注 射 の 励 行, 咬 傷 を 受 けた 時 の 処 置 方 法 などを 県 民 に 告 示 した 一 方 で,この 狂 犬 がどこから 侵 入 したものであるかの 系 統 追 跡 を 行 った 地 元 警 察 署 の 調 査 によると, 当 該 犬 は 愛 媛 県 最 初 の 発 生 地 である 宇 摩 郡 土 居 村 よりも 11km 離 れた 香 川 県 境 に 近 い 宇 摩 郡 三 島 町 ( 現 四 国 中 央 市 )の 元 県 会 議 員 前 谷 某 の 飼 犬 で, 香 川 県 三 豊 郡 豊 濱 村 ( 現 観 音 寺 市 )の 親 戚 から 貰 い 受 けたものであった ことが 判 明 した 狂 犬 病 流 行 地 である 香 川 県 から 犬 が 勝 手 に 持 ち 込 まれたことを 知 った 県 当 局 は, 10 月 21 日 に 愛 媛 県 と 香 川 県 間 の 犬 の 移 動 を 禁 止 するとともに, 浮 浪 犬 の 捕 獲, 撲 殺, 毒 殺, 畜 犬 登 録 の 促 進 に 努 めた 結 果, 愛 媛 県 内 初 発 地 である 宇 摩 郡 土 居 村 ( 現 四 国 中 央 市 )で 咬 傷 されたと 考 えられる 犬 1 頭 の 他, 発 生 地 とは 県 内 の 反 対 方 面 に 位 置 する 愛 媛 県 温 泉 郡 三 津 濱 町 ( 現 松 山 市 )にもう1 頭 の 発 生 をみているが, 宇 摩 郡 土 居 村 と 温 泉 郡 三 津 濱 町 の 間 の 市 町 村 に 発 生 がみられないことや, 三 津 濱 が 海 岸 に 近 いことと, 三 津 濱 港 と 対 岸 の 広 島 県 宇 品 港 との 間 に 航 路 があったことを 考 慮 すると, 宇 摩 郡 土 居 村 からの 伝 播 ルートよりも, 広 島 県 宇 品 港 愛 媛 県 温 泉 郡 三 津 濱 港 ルートで 侵 入 したものと 考 える 方 が 自 然 であろう ( 図 2) 31
図 2 愛 媛 県 への 伝 播 (T12 T13) 愛 媛 県 民 への 公 報, 捕 獲, 予 防 注 射 の 励 行, 畜 犬 登 録 の 促 進 など 迅 速 な 行 政 対 応 の 結 果, 幸 いにも 大 流 行 を 防 止 することができたことは 称 賛 に 値 するものであ るが, 初 発 発 生 時 に 咬 傷 を 受 けた20 歳 の 青 年 が28 日 後 の11 月 11 日 に 発 病 して3 日 後 の11 月 14 日 に 死 亡 していることが 悔 やまれるところである 翌 大 正 13 年 5 月 17 日, 徳 島 県 方 面 から 来 た 人 力 車 夫 が 引 き 連 れた 飼 犬 が 宇 摩 郡 上 山 村 ( 現 四 国 中 央 市 )で 3 歳 の 雄 牛 の 鼻 端 2カ 所 に 咬 傷 を 与 えた 結 果,20 日 後 の 6 月 5 日 に 狂 犬 病 症 状 を 呈 し,5 日 後 の 6 月 10 日 死 亡 した また,6 月 26 日 松 山 市 内 に 飼 犬 1 頭 が 狂 犬 症 状 を 呈 し,16 歳 の 少 女 に 咬 傷 を 与 えたが, 大 事 には 至 らなかった 徳 島 県 への 伝 播 四 国 4 県 の 中 で 最 も 被 害 の 大 きかったのが 徳 島 県 である 理 由 はいくつか 考 え られるが, 一 つは 県 庁 所 在 地 である 徳 島 市 が 四 国 東 端 に 位 置 し, 西 部 地 域 は 大 正 12 年 に 流 行 があった 香 川 県 や 愛 媛 県 に 隣 接 しており, 西 部 地 域 の 情 報 が 県 東 部 32
図 3 徳 島 県 流 行 図 (T13) 地 域 の 県 庁 まで 届 きにくいという 当 時 の 通 信 事 情 が 考 えられる また, 県 民 への 県 報 告 示 を 通 じての 広 報 が 正 しく 行 われていなかったものと 考 えられる 通 常, 家 畜 伝 染 病 が 発 生 した 場 合 は, 家 畜 伝 染 病 予 防 法 の 定 めにより 県 報 で 発 生 告 示 を 行 い 県 民 に 周 知, 警 戒 を 呼 び 掛 けることになっていたが, 徳 島 県 報 を 精 査 してみると, 告 示 本 文 には 病 名, 畜 種, 性 別, 発 生 日, 転 帰 日, 転 帰 方 法, 確 定 日 などの 項 目 が 告 示 されるべきところが, 告 示 本 文 に 狂 犬 病 の 発 生 について という 見 出 し 文 しか 掲 載 されていなかった 大 正 12 年 に 隣 接 の2 県 に 狂 犬 病 の 発 生 があれば 当 然 それら 危 険 地 域 の 周 知 を 告 示 し, 畜 犬 登 録 の 促 進, 放 浪 犬 の 捕 獲 と 緊 急 予 防 注 射 の 励 行 などを 行 い 徳 島 県 内 への 侵 入 防 止 を 図 るべきであるが, 徳 島 県 がこれらの 対 処 を 告 示 したのは 大 正 13 年 5 月 29 日 以 降 であることから, 対 応 が 遅 すぎたことが 明 確 である 徳 島 県 内 狂 犬 病 発 生 は 大 正 13 年 3 月 から 始 まっており, 前 年 に 発 生 のあった 香 川 県, 愛 媛 県 と 県 境 を 接 する 三 好 郡 において, 佐 馬 地 村 ( 現 三 好 市 ), 辻 村 ( 現 三 好 市 ), 箸 蔵 村 ( 現 三 好 市 ), 池 田 町 ( 現 三 好 市 ), 三 野 町 ( 現 三 好 市 ), 晝 間 村 ( 現 東 み よし 町 )に 連 続 して 大 流 行 が 発 生 し, 美 馬 郡, 麻 植 郡, 阿 波 郡 と 東 方 向 へと 拡 散 して,その 一 部 は 南 下 して 高 知 県 への 伝 播 の 一 因 となった 33
大 正 13 年 3 月 2 頭,4 月 12 頭,5 月 10 頭,6 月 22 頭 と 毎 月 倍 増 する 発 生 に 驚 いた 県 当 局 は,5 月 になってようやく 畜 犬 繋 留, 鎖 錮 命 令 を 発 令 して 県 下 一 斉 予 防 注 射 実 施, 野 犬 毒 殺 を 繰 り 返 し 実 施 した 7 月 21 日 までに 県 下 各 警 察 署 管 内 の 野 犬 狩 り 実 績 は5,603 頭 に 上 り, 感 染 源 となる 犬 の 制 御 効 果 が 現 れて 7 月 3 頭,8 月 0 頭,9 月 2 頭 と 減 少 を 示 し, 大 正 14 年 3 頭,15 年 1 頭 の 発 生 にとどまり,ようやく 徳 島 県 内 から 狂 犬 病 を 駆 逐 することに 成 功 した 大 正 13 年 の 発 生 統 計 は, 狂 犬 51 頭, 咬 傷 被 害 者 212 人, 狂 水 病 発 病 死 亡 者 10 名 という 大 きな 被 害 を 被 ることとなった 高 知 県 への 伝 播 県 境 を 接 する 徳 島 県 では, 大 正 13 年 3 月 から 流 行 が 開 始 されていたが, 大 正 13 年 4 月 13 日 に 長 岡 郡 西 豊 永 村 ( 現 大 豊 市 )で 死 亡 した 男 性 の 死 因 に 疑 問 を 抱 いた 警 察 が 調 査 を 行 ったところ,4 月 9 日 に 狂 犬 に 咬 まれてから 頭 痛 を 患 い 病 臥 中 であった ことが 判 明 した この 西 豊 永 村 は 高 知 県 北 部 に 位 置 し,3 月 初 旬 から 狂 犬 病 の 流 行 地 となっていた 徳 島 県 三 好 郡 と 県 境 を 接 している 村 である 図 4 高 知 県 流 行 図 (T13) 34
図 5 高 知 県 最 終 流 行 図 (T15 S2) 従 って, 徳 島 県 佐 馬 地 村 ( 現 三 好 市 ), 辻 町 ( 現 三 好 市 ), 箸 蔵 村 ( 現 三 好 市 )に 出 没 し 県 東 部 方 面 へ 伝 播 していった 狂 犬 群 の 亜 流 が 南 下 して 高 知 県 内 に 侵 入 したこ とが 考 えられる 続 いて,4 月 17 日 に 高 知 市 下 知 町 で 飼 犬 が 通 行 人 に 咬 傷 を 与 えた 県 当 局 は 狂 犬 病 蔓 延 を 警 戒 して 長 岡 郡 の 一 部 に 畜 犬 繋 留 の 県 令 を 発 令 していたが, 更 に 規 制 範 囲 を 拡 大 して 高 知 市 及 び 隣 接 7 町 村 並 びに 長 岡 郡 田 井 村 ( 現 土 佐 郡 土 佐 町 ) 他 9 町 村 を 警 戒 区 域 として 該 当 警 察 署 に 対 し 畜 犬 取 締 強 化 を 通 達 した 大 正 13 年 の 流 行 は, 県 北 部 地 域 を 中 心 に 狂 犬 21 頭, 狂 水 病 発 病 死 亡 者 4 人 を 数 えた 大 正 14 年 は 沈 静 化 して 発 生 は 皆 無 であったが, 大 正 15 年 3 月 に 高 知 県 東 部 地 域 の 安 藝 郡 海 岸 沿 いに 南 下 して 安 藝 町 を 中 心 に12 頭 の 狂 犬 発 生 を 記 録 し, 昭 和 2 年 7 月 まで 流 行 は 継 続 された この 間, 県 下 一 斉 予 防 注 射 を 実 施 するとともに 繋 留 指 示 地 域 を 拡 大 して 対 処 したが, 狂 犬 発 生 を 認 知 してから 対 応 するのでは 効 果 が 薄 いことを 知 ることができた 35
考 察 今 回 の 調 査 を 実 施 した 結 果, 過 去 に 狂 犬 病 の 侵 襲 を 受 けていなかった 4 県 を 擁 する 大 きな 島 における 伝 播 様 式 の 詳 細 を 知 ることができた 最 初 の 発 生 県 となった 香 川 県 においては, 初 発 から 7 頭 目 までの 狂 犬 発 生 に 対 する 初 動 防 疫 が 的 確 になされていなかった その 結 果, 大 正 12 年 の 発 生 が, 狂 犬 病 罹 患 動 物 58 頭, 被 咬 傷 者 160 名, 狂 水 病 死 亡 者 15 名 という 結 果 を 招 いた 責 任 は 重 大 である 次 の 伝 播 先 である 愛 媛 県 においては,1 頭 目 の 犬 の 形 相 が 通 常 ならざるものとし て 逃 走 先 の 山 狩 りを 在 郷 軍 人 会 と 青 年 団 総 出 で 行 い, 翌 日 に 撲 殺 処 分 に 成 功 させ ていた また,その 犬 の 系 統 分 析 で 素 性 を 特 定 し, 隣 県 発 生 地 からの 人 為 的 移 動 によるものであることを 素 早 く 突 き 止 めた 功 績 は 大 きなものがある また 愛 媛 県 内 初 発 地 と 反 対 側 に 位 置 する 三 津 濱 港 ( 現 松 山 市 )においても 発 生 を 記 録 してい るが,これも 素 早 い 対 応 によって 流 行 を 最 小 限 に 抑 えこんでいたことも 素 晴 らし い 対 応 と 考 えられる 大 正 12 年 中 の 発 生 は 香 川 県 及 び 愛 媛 県 の2 県 であるが,これら2 県 と 県 境 を 接 していたのが 徳 島 県 である 隣 接 県 で 狂 犬 病 が 発 生, 流 行 していれば,それら 両 県 との 接 点 地 域 が 危 険 にさらされていることを 当 然 警 戒 すべきことであり, 危 険 地 域 全 体 の 野 犬 掃 蕩, 畜 犬 登 録 と 飼 犬 の 鎖 錮, 緊 急 予 防 注 射 を 励 行 させていれば 発 生 をもっと 減 少 させることもできたと 考 えられる それに 成 功 していれば, 高 知 県 への 伝 播 も 避 けられたであろう 狂 犬 病 は, 世 界 中 で 今 も 猛 威 を 振 るう 人 畜 共 通 伝 染 病 の 一 つである 最 終 発 生 から55 年 の 歳 月 が 平 穏 のうちに 経 過 している 今 こそ, 安 全 神 話 に 安 住 することな く, 過 去 の 歴 史 から 平 時 における 畜 犬 登 録, 予 防 注 射 の 毎 年 実 施 など 安 全 対 策 へ の 努 力 が 求 められるところである 36