慈 渓 徐 福 国 際 フォーラムに 参 加 して 平 成 21 年 11 月 22 日 伊 藤 健 二 1 はじめに 2009 年 9 月 26 日 と27 日 中 国 の 浙 江 省 慈 渓 市 中 日 友 好 協 会 及 び 中 国 徐 福 会 主 催 で 2009 中 国 慈 渓 徐 福 国 際 論 壇 (フォーラム) が 開 催 されました 神 奈 川 で 徐 福 を 研 究 している 神 奈 川 徐 福 研 究 会 では 11 人 のメンバーでこのフォーラムに 参 加 しました フォーラムの 後 現 地 旅 行 社 に 依 頼 し 仏 教 聖 地 である 普 陀 山 や 徐 福 像 がある 岱 山 寧 波 市 内 にある 道 元 が 学 んだ 天 童 寺 等 を 訪 れました 今 回 の 旅 行 は 徐 福 にからむ 旅 ではあったが い ろいろとハプニングが 発 生 し また 日 中 の 習 慣 の 違 いなども 興 味 深 いものでありました こ のレポートは フォーラムの 内 容 も 含 め 旅 日 記 としてまとめたものです 徐 福 とは: 司 馬 遷 の 史 記 によると 2200 年 前 秦 の 始 皇 帝 に 東 方 の 三 神 山 に 不 老 不 死 の 霊 薬 がある と 具 申 し 始 皇 帝 の 命 を 受 け 3,000 人 の 童 男 童 女 ( 若 い 男 女 )と 百 工 ( 多 く の 技 術 者 )を 従 え 五 穀 の 種 を 持 って 東 方 に 船 出 し 平 原 広 沢 ( 広 い 平 野 と 湿 地 ) を 得 て 王 となり 戻 らなかったとの 記 述 がある 徐 福 に 関 する 伝 説 は 中 国 日 本 韓 国 に 散 在 し 日 本 では 青 森 県 から 鹿 児 島 県 に 至 るまで 各 地 に 徐 福 が 来 たという 伝 承 が 残 されており 佐 賀 で は 神 として 神 社 に 祭 られ また 和 歌 山 県 の 新 宮 では 徐 福 の 墓 があるなどの 痕 跡 が 見 られる 神 奈 川 徐 福 会 : 神 奈 川 県 日 本 中 国 友 好 協 会 ( 以 下 県 日 中 友 好 協 会 と 記 す)の 任 意 研 究 会 として 2002 年 に 発 足 した 学 習 会 を 定 期 的 に 行 うとともに 徐 福 ゆかりの 地 へのバス 旅 行 内 外 で 行 われる 研 究 会 やシンポジュウムへの 参 加 等 の 活 動 を 行 っている 2 神 奈 川 徐 福 研 究 会 としての 参 加 者 中 尾 安 治 県 日 中 友 好 協 会 副 会 長 元 県 会 議 員 フォーラム 後 の 旅 行 は 所 用 があり 参 加 しなかった 田 島 孝 子 神 奈 川 徐 福 研 究 会 会 長 今 回 の 旅 行 では 責 任 者 であるとともに 細 かな 会 計 に 至 るまで 仕 切 っていただいた 河 野 通 広 県 日 中 友 好 協 会 理 事 神 奈 川 徐 福 研 究 会 事 務 局 長 三 田 満 県 日 中 友 好 協 会 理 事 神 奈 川 徐 福 研 究 会 会 員 中 浜 勝 也 神 奈 川 徐 福 研 究 会 会 員 ( 浜 松 在 住 であるが 研 究 に 参 加 している ) 伊 藤 健 二 神 奈 川 徐 福 研 究 会 会 員 石 毛 卓 子 着 物 の 着 付 け 講 師 で 国 際 交 流 も 行 っている 今 回 のフォーラムでは 神 奈 川 徐 福 会 の 女 性 のメンバーの 多 くは 着 物 を 着 た 川 上 由 美 石 毛 さんの 娘 さんで 着 付 けの 助 手 をしていただいた 西 山 百 代 オペラを 通 じ 国 際 交 流 等 を 行 っている 松 本 日 世 会 津 徐 福 会 会 長 で 会 津 と 徐 福 の 関 係 を 研 究 している 須 田 育 邦 上 海 在 住 で 慈 渓 徐 福 会 館 の 理 事 長 上 海 の 宿 の 手 配 などを 行 っていただいた フォーラム 後 の 旅 行 は 参 加 しなかった - 1 -
孔 晓 明 通 訳 を 依 頼 した 上 海 在 住 の 女 性 旅 行 にも 同 行 してくれた この 他 神 奈 川 徐 福 会 会 員 で 中 国 に 関 し 多 くの 著 作 がある 池 上 正 治 先 生 がフォーラムに 参 加 したが フォーラムでの 司 会 等 多 くの 役 割 があり 我 々と 行 動 を 共 できなかった 3 成 田 から 慈 渓 へ 9 月 24 日 ( 木 ) 夕 方 成 田 空 港 へ 集 合 フォーラムは26 日 からであるので25 日 朝 の 飛 行 機 でも 間 に 合 うが 時 間 的 なゆとりがほしいことと 上 海 で 一 泊 しても 夕 刻 便 の 飛 行 機 チ ケットの 方 が 安 くなることから 前 日 発 とした 夜 上 海 空 港 に 到 着 須 田 さんと 孔 さんが 出 迎 えてくれた この 日 の 宿 は 須 田 さんが 手 配 してくれた 上 海 の 街 中 にある 錦 江 之 星 旅 館 (jinjian in) ビジネスホテルのようなホテルで ツイン 一 泊 で4~5 千 円 と 安 いが 清 潔 感 はある このホテルはチェーン 店 で 上 海 だけでも 数 十 あるという 日 本 からもインターネッ トで 予 約 ができるようなので 気 軽 に 利 用 できそうだ 翌 25 日 はホテルの 近 くの 飲 食 店 で 朝 食 の 後 上 海 の 街 をぶらついたが 上 海 では 万 博 が 近 いこともあり 信 号 を 守 ろ うとか ゴミをすてない などのマナー 運 動 が 盛 んで 街 角 に 指 導 員 が 立 ってい る 中 国 語 でマナーは 文 明 といい 街 角 にも 文 明 と 言 う 文 字 が 入 った 標 語 があちこちで 見 られる 午 後 今 回 のフォーラムの 主 催 者 であ る 慈 恵 市 人 民 政 府 がチャーターしたバス に 乗 り 慈 渓 に 向 かった 市 人 民 政 府 と は 日 本 の 市 役 所 のことである 昨 年 5 月 に 杭 州 湾 の 海 上 に 長 さ 35673 mの 杭 州 湾 跨 海 大 橋 が 完 成 したので 慈 恵 へは 3 時 間 で 行 けるようになった 上 海 慈 渓 寧 波 位 置 図 この 橋 の 長 さは 世 界 で 二 番 目 海 上 橋 としては 世 界 一 だそうだ 夕 刻 宿 泊 先 の 達 蓬 山 大 酒 店 に 到 着 し て 参 加 手 続 きを 行 った 達 蓬 山 とは ホテルの 近 くの 徐 福 文 化 園 のある 山 の 名 前 で 蓬 莱 に 到 達 する から 来 たそう だ 蓬 莱 とは 東 海 ( 東 シナ 海 )にあり 仙 人 が 住 み 不 老 長 寿 の 薬 があるという 所 徐 福 はここから 不 老 長 寿 の 薬 を 求 め て 蓬 莱 に 旅 立 ったと 言 われている - 2 - ホテルの 窓 からは 湖 と 遊 園 地 が 見 える
このホテルは 五 つ 星 のリゾートホテルで 隣 接 する 遊 園 地 とともに この 日 が 開 業 日 だ 客 は 我 々の 徐 福 関 係 者 と 達 蓬 山 にある 寺 の 開 眼 供 養 に 集 まった 坊 さん 集 団 の2 団 体 だけの ようだった ホテルの 部 屋 は 非 常 に 豪 華 なものだったが 慈 恵 市 に 払 った 料 金 は 全 食 事 の 二 泊 と 上 海 までの 送 迎 を 含 め600 元 ( 約 9000 円 ) しかしこの 値 段 では 五 星 ホテル の 一 泊 分 にもならない 差 額 は 慈 渓 市 が 負 担 したとも 考 えられない このホテルと 周 辺 のデ スニーランドのようなテーマパークを 一 括 開 発 した 業 者 が 中 国 徐 福 会 の 副 会 長 を 行 ってい るので おそらくこの 業 者 が 破 格 の 値 段 で 請 け 負 ったのだろう 4 徐 福 フォーラム 26 日 朝 ホテルの 豪 華 な 会 議 室 でフォ ーラムが 始 まった 主 催 は 慈 渓 市 人 民 政 府 中 日 友 好 協 会 及 び 中 国 徐 福 会 で 参 加 者 は 日 本 から60 名 ほど 韓 国 からは25 名 ほ ど 中 国 の 方 を 合 わせ 全 体 では200 名 を 越 えた ( 韓 国 には 徐 福 が 済 州 島 を 経 由 し たという 伝 説 がある )フォーラムは 日 中 韓 それぞれの 同 時 通 訳 で 行 われたが 専 門 的 な 用 語 が 多 く 通 訳 さんは 大 分 苦 労 して いたようだ 羽 田 孜 先 生 の 代 理 で 表 彰 を 受 けた 田 島 氏 午 前 中 は 慈 渓 市 長 等 の 要 人 の 挨 拶 等 と 表 彰 式 が 行 われたが 羽 田 孜 前 総 理 も 受 賞 し 神 奈 川 徐 福 会 会 長 の 田 島 さんは 和 服 姿 で 代 理 で 表 彰 を 受 け この 後 羽 田 孜 前 総 理 のメッセージ を 代 読 した 午 後 は 第 一 節 として 全 体 の 主 題 に 関 し 中 国 徐 福 会 副 会 長 や 徐 福 研 究 者 の 辻 志 保 先 生 等 の 発 言 があり その 後 専 題 発 言 として 日 中 韓 の 各 地 の 徐 福 会 や 徐 福 研 究 者 から 研 究 発 表 等 が 行 われた 池 上 正 治 氏 が 専 題 発 言 の 後 半 部 の 司 会 を 行 ったが 名 司 会 ぶりが 印 象 的 だった 神 奈 川 徐 福 会 からは 河 野 氏 が 徐 福 と 富 士 古 文 献 の 題 目 で 発 表 を 行 った 論 文 の 内 容 は 前 日 配 布 された 論 文 集 に 日 本 語 と 中 国 語 で 掲 載 された この 他 発 表 は 行 わなかったが この 論 文 集 には 神 奈 川 徐 福 会 からは 田 島 孝 子 氏 と 池 上 正 治 氏 共 同 の 一 つの 徐 福 伝 説 の 蓬 莱 島 - 瀬 戸 内 海 祝 島 を 訪 ねて 前 田 豊 氏 の 徐 福 集 団 と 日 本 の 古 史 古 伝 との 発 表 する 河 野 氏 繋 がりに 関 する 考 察 中 浜 勝 也 氏 の 日 本 書 紀 富 士 文 献 を 対 比 で 検 討 する 神 話 天 孫 降 臨 と 筑 紫 高 千 穂 への 遷 都 が 掲 載 された フォーラムの 最 後 の 質 疑 時 間 はあまり 残 されてい なかった フォーラムとしては 実 質 半 日 であり 学 術 研 究 というよりイベント 的 な 印 象 を 受 けた 徐 福 については 司 馬 遷 の 史 記 等 の 中 国 の 歴 史 書 以 外 に 学 術 的 な 資 料 はないので 研 究 対 象 の 多 くは 各 地 に 残 る 徐 福 に 関 しての 伝 説 民 話 などである 主 催 者 挨 拶 でも 徐 福 研 - 3 -
究 の 意 義 は 友 愛 平 和 交 流 促 進 にあるとしており 研 究 というより 友 好 と 交 流 を 行 うこ とと 街 の 活 性 化 がねらいのようだ 一 部 の 論 文 では では 日 本 の 弥 生 文 化 と 当 時 の 中 国 と の 関 連 に 関 するものがあり 徐 福 が 文 化 を 伝 えた 可 能 性 を 示 すものとして 興 味 が 持 てるが 徐 福 が 直 接 伝 えたかどうかは 謎 のままである よくわからないから 古 来 から 各 地 で 伝 承 や 物 語 が 生 み 出 され 徐 福 がロマンの 人 と 言 われるのだろう 神 奈 川 徐 福 会 の 参 加 者 この 日 の 夜 招 待 晩 餐 会 が 行 われ 個 々の 参 加 者 の 交 流 が 行 われた また 壇 上 では 日 中 韓 の 民 俗 芸 能 等 が 演 奏 等 された 翌 27 日 は 市 がチャーターしたバスで 近 くの 達 蓬 山 にある 中 国 徐 福 文 化 園 に 行 った こ こにはすでに 徐 福 像 が 建 っているが 新 たに 徐 福 東 渡 成 功 起 航 地 と 書 かれた 石 碑 を 建 て この 日 に 除 幕 式 が 行 われた 徐 福 文 化 園 の 徐 福 像 と 除 幕 式 会 場 祭 天 儀 式 の 再 現 この 後 徐 福 文 化 園 内 に 秦 の 時 代 の 儀 式 場 を 再 現 した 祈 求 壇 が 設 置 されているが こ こで 祭 天 儀 式 が 実 演 され 巫 女 さんの 様 な 女 性 が 祭 壇 に 動 物 の 肉 等 を 捧 げるなどの 儀 - 4 -
式 を 行 った 最 後 に 公 園 内 にある 施 設 や 隣 接 する 寺 院 の 搭 に 昇 るなどし 昼 前 にホテルに 戻 り 食 事 を して 一 連 の 行 事 は 終 了 した この 徐 福 文 化 園 は 大 きな 寺 院 に 隣 接 していることもあり 観 光 スポットとして 開 発 されたようだが しかし 日 本 からは 簡 単 に 来 れる 場 所 ではない 5 慈 渓 から 寧 波 へ 1 徐 福 記 念 館 慈 渓 の 市 街 地 に 慈 渓 福 記 念 館 があり 徐 福 に 関 しての 紹 介 展 示 を 行 っている こ の 記 念 館 は 慈 渓 市 人 民 政 府 が 半 額 須 田 氏 と 田 島 氏 が 半 額 を 出 資 して 会 社 ( 八 雲 旅 遊 開 発 有 限 公 司 )を 設 立 し 須 田 氏 が 理 事 長 田 島 氏 が 館 長 に 就 任 して 2000 年 3 月 30 に 開 館 した 記 念 館 の 入 り 口 には 鳥 居 が 建 っており 一 階 に 展 示 室 と 事 務 所 2 階 に 宿 泊 施 設 がある この 会 社 は 記 念 館 の 運 営 慈 渓 徐 福 記 念 館 内 の 事 務 室 だけでなく 徐 福 に 関 する 教 育 活 動 着 物 着 物 着 付 け 等 の 日 本 文 化 の 紹 介 現 在 地 元 政 府 と 共 同 で 日 本 の 果 樹 の 育 成 等 農 業 交 流 を 行 っている 2 河 姆 渡 遺 跡 27 日 のフォーラム 行 事 終 了 後 午 後 慈 渓 市 が チャーターしたバスで 寧 波 へ 向 かったが 途 中 河 姆 渡 (カボト) 遺 跡 に 立 ち 寄 った この 遺 跡 は 1973 年 に 発 見 された 紀 元 前 5000 年 ごろの 稲 作 文 化 の 遺 跡 で 地 名 から 河 姆 渡 遺 跡 と 名 付 けられた 立 派 な 博 物 館 に 発 掘 された 陶 器 や 土 器 等 の 生 活 用 品 紡 織 用 道 具 木 の 実 等 の 食 料 石 の 装 飾 品 などが 展 示 されていた 陶 器 や 土 器 には 模 様 や 動 植 物 等 が 描 かれ 七 千 年 前 の 文 化 の 高 さが 感 じられ 復 元 された 高 床 式 住 居 る 外 部 には 水 田 跡 地 復 元 された 高 床 式 住 居 等 復 元 された 住 居 が 配 置 されていた 以 前 は 古 代 中 国 文 明 といえば 黄 河 文 明 であったが 近 年 中 原 以 外 の 各 地 にも 高 度 な 文 明 があった ことが 明 らかにされている 特 にこのあたりの 稲 作 文 明 は 日 本 に 大 きな 影 響 を 与 えていたと 考 えられ 弥 生 文 化 のルーツであるといわれている 最 近 発 掘 された 大 和 の 纏 向 遺 跡 の 建 物 の 復 元 模 型 が 新 聞 に 載 っていたが 河 姆 渡 遺 跡 の 復 元 住 居 も 高 床 式 であり 類 似 している 先 日 インターネットを 見 ていたら 弥 生 人 が 中 国 からきたのであれば 日 本 語 が 中 国 語 になっているはずではないか という 書 き 込 みが 載 っていたが 渡 来 人 は 中 国 の 中 原 から 来 たのでないので 中 国 語 を 使 っていたわけではない 当 時 の 揚 子 江 流 域 等 周 辺 の 言 語 はよく 分 かっていないが 弥 生 文 化 の 研 究 者 である 安 本 美 典 氏 は このあたりの 言 語 は 中 国 語 とは 異 なるアジア 南 方 言 語 (ビルマ 語 系 )であり 日 本 語 は 東 北 アジア 語 である 基 語 に 揚 子 江 流 域 の 言 語 がかぶさったと 指 摘 している - 5 -
秦 の 始 皇 帝 が 初 めて 言 葉 を 統 一 したが 徐 福 が 連 れて 行 った 童 男 童 女 も 地 方 の 出 身 者 であ ろうし 中 国 語 は 話 せなかったであろう 3 寧 波 寧 波 (ニンポー)は 古 くからの 港 町 で 遣 唐 使 の 上 陸 地 点 でもあり また 曹 洞 宗 の 開 祖 道 元 が 学 んだ 天 童 寺 があり 日 本 人 にはなじみが 深 い 道 元 が 上 陸 した 場 所 ( 宋 時 代 の 港 )に 現 在 記 念 碑 が 建 っている 近 代 には 上 海 より 古 い 時 代 から 外 灘 (ワイタ ン: 外 国 人 の 川 岸 の 意 味 で 旧 租 界 地 )があり 寧 波 の 外 灘 は 老 外 灘 と 言 われている 近 年 ここを 観 光 地 として 再 開 発 し 昔 の 建 物 を 道 元 禅 師 入 宋 記 念 碑 利 用 し おしゃれな 飲 み 屋 などが 店 を 並 べている 行 経 路 ( 概 略 図 であ り 正 確 なル ー ト で は な い ) 舟 山 市 の 行 政 区 域 と し て は 普 陀 山 岱 山 も 含 む 6 寧 波 から 普 陀 山 岱 山 へ 28 日 から3 日 間 は 現 地 旅 行 社 の 手 配 による 普 陀 山 岱 山 及 び 寧 波 市 内 観 光 を 行 った 依 頼 した 会 社 は 昨 年 中 国 の 徐 福 関 係 者 が 来 日 したときの 来 日 団 の 中 の 一 員 で この 会 社 が 旅 行 会 社 だと 思 い 今 回 の 旅 行 計 画 の 手 配 を 問 い 合 わせたところ 自 社 は 旅 行 会 社 ではないが 旅 行 手 配 を 引 き 受 ける というものだ メールでやりとりし なんとか 旅 行 計 画 がまとまっ た しかし 元 々 旅 行 会 社 ではないので 不 慣 れな 点 が 多 かった 旅 行 代 金 を 支 払 うとき 領 収 書 を 準 備 していないなど 旅 行 社 として 基 本 的 なことができていない 旅 行 に 参 加 したのは9 人 であるが 同 行 したスタッフは 元 請 けの 観 光 会 社 の 社 員 別 の 旅 行 社 の 日 本 語 ガイド 彼 女 が 妊 娠 中 だったので 付 き 添 いのお 姉 さん さらに 現 地 の 案 内 人 など 若 い 女 性 が4 人 という 豪 華?なものだ - 6 -
寧 波 に 一 泊 後 朝 早 朝 ホテルを 出 発 朝 食 はバスの 中 でお 弁 当 しかし 饅 頭 のようなもの が 多 く 食 欲 は 進 まない 港 から 舟 で 普 陀 山 に 向 かう 山 となっているが 島 である 中 国 の 四 大 仏 教 名 山 の 一 つで 島 内 に 多 くの 寺 院 があるが 巨 大 な 観 音 様 が 特 に 有 名 である 島 内 の 循 環 バスに 乗 り 寺 院 を 巡 った 夕 方 舟 で 岱 山 (タイザン) 島 に 向 かい ここのリゾー ト 風 ホテルで 一 泊 した この 島 は 漁 業 がさかんであり 海 産 物 の 料 理 がおいしかった また 浙 江 省 の 風 景 名 勝 区 に 指 定 されていて 山 海 の 風 光 明 媚 な 場 所 である 岱 山 島 は 徐 福 が 立 ち 寄 ったとされている 場 所 で 大 きな 徐 福 の 像 が 立 っている しかし 訪 れた 時 は 新 たな 建 物 の 建 設 のための 工 事 中 であった また 既 存 の 看 板 等 の 施 設 が 痛 入 口 の 看 板 岱 山 徐 福 記 念 んでおり これも 修 理 される のであろう 完 成 後 に 再 度 訪 れたいが 交 通 の 便 の 悪 いと ことだ 地 球 の 歩 き 方 に も 載 っていない ここまで 来 る 日 本 人 はあまりいないだろ う 夕 方 乗 り 合 い 長 距 離 バスで 次 の 宿 泊 地 である 寧 波 に 戻 った が 途 中 舟 山 本 島 を 経 由 し2 回 フェリーを 乗 り 継 いだ 岱 山 の 徐 福 像 ( 東 ( 左 )を 向 いて 立 っている) ( 写 真 はインターネットより 取 得 ) 翌 30 日 は 先 ず 寧 波 市 内 の 天 童 寺 を 訪 れた 天 童 寺 は 曹 洞 宗 の 開 祖 である 道 元 が 修 行 した 寺 である 寺 の 周 辺 は 何 もない 静 かなところであるが ここにテー マパークを 建 設 する 計 画 で 日 本 人 村 も 作 るそうであ る 現 在 日 本 から 寧 波 へは 交 通 の 便 があまり 良 くない が 来 年 日 本 から 直 行 便 が 飛 ぶそうで 日 本 人 の 観 光 客 を 見 込 んだ 開 発 のようだ 日 本 人 が 容 易 に 来 れるよ うになり 楽 しく 観 光 できることは 良 いことであるが 静 かな 禅 寺 の 周 辺 を 騒 がしくしていいのか と 複 雑 な 気 持 ちがした この 日 は 天 童 寺 の 他 阿 育 王 寺 (アショカ 王 の 漢 字 ) も 訪 れた 天 童 寺 にある 道 元 に 関 する 石 碑 日 本 道 元 禅 師 得 法 霊 蹟 碑 - 7 -
6 寧 波 から 上 海 へ 帰 りの 飛 行 機 は 4 人 が 上 海 の 飛 行 場 5 人 がより 寧 波 に 近 い 杭 州 の 飛 行 場 から 帰 ること となっているので ここで 別 れ 寧 波 のそれぞれ 異 なった 長 距 離 バスターミナルに 向 かった 上 海 組 は 上 海 行 きのあるバスターミナルへ 送 ってもらい 旅 行 社 ともお 別 れだ この 日 は 国 慶 節 の 前 日 で バスターミナルは 大 勢 の 人 でごった 返 していた バスのチケットは 旅 行 社 が 購 入 し 渡 された 出 発 時 間 が 近 づき 改 札 を 通 ろうとしたところ 何 とこのチケットは3 日 後 の 日 付 であり 係 員 から 待 つように 言 われた 不 安 な 気 持 ちで 待 っていたが 幸 いなこ とに 出 発 時 間 になっても 乗 車 しなかった 人 が 数 人 いたようで 我 々は 予 定 のバスに 乗 れた 寧 波 市 内 はこの 時 大 渋 滞 だったので 乗 り 遅 れた 人 がいたのだろう しかし 旅 行 社 が 間 違 っ たチケットを 渡 すとはとんでもないことである 売 ったバス 会 社 の 間 違 えだったとしても 旅 行 社 が 買 ったチケットを 確 認 するのは 当 然 である 私 もチケットを 受 け 取 った 時 出 発 時 間 と 行 き 先 は 確 認 したのだが まさか 日 付 が 違 っているとは 夢 にも 思 わなかった 幸 い 通 訳 の 孔 さんが 同 行 していたので 情 況 が 把 握 できたが 通 訳 がいなかったらどんなに 心 細 かっ たであろうか 日 付 が 間 違 えだとわかった 時 いつもにこやかな 孔 さんは 人 が 変 わったよう に 旅 行 社 に 対 して 怒 って 電 話 した 孔 さんが 言 うには 自 分 は 普 段 はあまり 怒 らないが 今 回 は 怒 った その 後 旅 行 社 から 孔 さんの 携 帯 に 連 絡 があり お 詫 びとして バス 代 を 返 す と 行 ってきた 帰 国 後 旅 行 社 にメールで 我 々は 結 果 的 にバスに 乗 れたので 賠 償 の 必 要 はない しかし 孔 さんに 御 礼 をしてください と 連 絡 しておいた 上 海 周 辺 は 連 休 前 の 大 渋 滞 であったが バスの 中 では 毛 沢 東 等 の 政 治 家 を 茶 化 した 一 人 漫 才 のDVDを 放 映 していた 中 国 もずいぶん 自 由 になったという 印 象 を 受 けた やっと 上 海 南 駅 に 着 き そこからタクシーに 乗 るつもりだったが 渋 滞 を 避 け 重 たい 荷 物 をもって 地 下 鉄 で 上 海 の 中 心 部 まで 移 動 した 夜 10 時 過 ぎにホテルに 着 き 近 くの 飲 食 店 で 遅 い 食 事 をとった ビールを 注 文 すると 店 にないので 近 所 のコンビニで 買 ってこい と 言 われ 買 ってきて コップを 持 ってくる ように 頼 むと コップがないからこれで 飲 めと 丼 を 出 された 丼 でビールを 飲 むのは 初 め ての 経 験 である 杭 州 組 も 帰 りは 多 くの 交 通 事 故 を 目 撃 するなど 大 変 だったようだ 中 国 旅 行 は 連 休 にかかる 計 画 はなるべくたてないほうが 無 難 だ 7 おわりに 今 回 の 旅 行 は 徐 福 フォーラムの 参 加 が 主 目 的 であるが その 後 の 旅 行 も 大 勢 で また 通 常 のツアーでは 行 けない 場 所 であり 有 意 義 で 楽 しかった メンバーは 初 対 面 の 人 も 多 く 堅 苦 しい 雰 囲 気 かと 思 ったが 皆 興 味 の 方 向 が 同 じなのですぐにうち 解 け ほとんど 毎 日 部 屋 で 飲 みながら 夜 遅 くまで 楽 しくお 話 したのは 楽 しい 思 い 出 となった 現 地 の 旅 行 社 が 不 慣 れで 快 適 とは 言 えない 部 分 もあり 一 般 のツアーであれば 苦 情 が 出 てたかもしれない が 皆 旅 慣 れており 多 少 のトラブルはいい 思 い 出 に 変 わった 最 後 に 今 回 の 旅 行 は 何 から 何 まで 田 島 さんのご 尽 力 によるもので 感 謝 して 報 告 を 終 わり ます - 8 -
徐 福 伝 説 を 縁 とした 地 域 と 人 のネットワーク ホームページの Event Report 2009 年 9 月 25 日 - 27 日 2009 中 国 徐 福 文 化 国 际 论 坛 の 報 告 に 掲 載 された 記 事 2009 年 9 月 25 日 - 27 日 中 国 浙 江 省 慈 渓 市 の 達 蓬 山 大 酒 店 において 2009 中 国 徐 福 文 化 国 际 论 坛 が 行 われました この 会 議 に 合 わせて 会 場 となるホテルばかりか 遊 園 地 などの 施 設 が 全 てオープンとなったようで 参 加 記 念 の 写 真 撮 影 も 遊 園 地 の 中 で 行 われました これまで 各 地 市 政 府 のみなさんが 中 心 となって 運 営 されていた 大 会 が 今 回 は 企 業 による 徐 福 への 参 入 という 新 たな 面 を 見 ることになりました 来 年 は 徐 福 東 渡 2220 年 記 念 の 年 なのだそうで 来 年 への 中 国 徐 福 会 としての 企 画 抱 負 が 宣 言 さ れました こうした 企 画 案 が 出 されたことそのものも 新 しいことでしたが 日 本 や 韓 国 の 参 加 者 の 代 表 を 集 め て 意 見 を 求 める 姿 勢 は 長 年 徐 福 研 究 の 現 場 に 足 を 運 んできた 者 としては 実 に 感 慨 深 いものです これまで 尽 力 してきた 徐 福 に 関 わる 方 々への 表 彰 とともに こうした 進 行 ぶりに 新 たな 歩 みが 始 まっていることを 強 く 感 じました 参 加 者 は 日 本 から 60 名 ほど 韓 国 から 25 名 ほど 中 国 の 方 を 合 わせて 全 体 には 200 名 を 超 える 大 きな 会 でした 参 加 者 のみなさまお 疲 れさまでした 以 下 お 知 らせしていたものと 一 部 変 更 がありましたので 当 日 版 を 載 せておきます ( 以 下 の 日 程 は 紙 面 の 関 係 で 一 部 省 略 しました 伊 藤 ) 9 月 26 日 ( 全 体 大 会 ) 会 议 时 间 :2009 年 9 月 26 日 09:30 11:30 主 持 人 : 中 国 徐 福 会 副 会 长 张 云 方 日 程 :09:00 会 议 接 待 参 会 人 员 签 到 09:30 会 议 主 持 人 张 云 方 宣 布 会 议 开 始 介 绍 与 会 嘉 宾 09:35 中 国 徐 福 会 会 长 刘 智 刚 致 辞 09:40 中 共 慈 溪 市 委 書 記 洪 嘉 祥 致 辞 09:45 日 本 国 驻 中 国 大 使 馆 政 務 和 総 務 参 事 横 地 晃 致 辞 09:50 韩 国 前 统 一 部 部 长 韩 中 亲 善 协 会 会 长 李 世 基 致 辞 09:55 日 本 佐 贺 市 副 市 长 古 贺 胜 夫 致 辞 10:00 中 国 国 际 徐 福 文 化 交 流 协 会 秘 书 长 曲 玉 维 致 辞 10:05 文 化 部 社 团 管 理 中 心 副 主 任 马 俊 英 致 辞 10:10 中 国 徐 福 会 副 会 长 李 书 和 宣 读 受 奖 单 位 和 表 彰 词 10:15 中 国 徐 福 会 副 会 长 周 凤 鸣 宣 读 受 奖 个 人 和 表 彰 词 10:20 表 彰 颁 奖 受 奖 单 位 上 台 领 奖 佐 賀 県 徐 福 会 西 帰 浦 市 徐 福 文 化 国 際 交 流 協 会 連 雲 港 徐 福 研 究 会 龍 口 市 徐 福 研 究 会 宁 波 雅 戈 尔 达 蓬 山 旅 游 投 资 开 发 有 限 公 司 发 奖 者 : 刘 智 刚 杨 振 亚 洪 嘉 祥 横 地 晃 马 俊 英 受 奖 个 人 上 台 领 奖 羽 田 孜 李 世 基 村 岡 央 麻 三 善 喜 一 郎 石 倉 昭 重 - 9 -
宮 下 長 春 管 正 張 良 群 蔡 可 卿 发 奖 者 : 刘 智 刚 杨 振 亚 洪 嘉 祥 横 地 晃 马 俊 英 王 众 一 张 宇 杰 横 堀 克 己 10:40 受 奖 单 位 代 表 连 云 港 徐 福 研 究 会 副 秘 書 长 陳 博 林 发 言 10;45 受 奖 个 人 代 表 日 本 佐 贺 县 徐 福 会 会 长 村 冈 央 麻 发 言 10:50 日 本 田 岛 孝 子 代 表 前 首 相 羽 田 孜 发 言 10:55 中 国 徐 福 会 副 会 长 宁 波 雅 戈 尔 达 蓬 山 旅 游 投 资 开 发 有 限 公 司 总 经 理 毕 德 祥 宣 读 中 日 友 好 协 会 贺 信 11:00 日 本 佐 贺 县 厅 国 际 厅 副 课 长 原 恒 久 宣 读 佐 贺 县 知 事 贺 信 11:05 中 国 徐 福 会 副 会 长 兼 秘 书 长 张 美 荣 宣 读 徐 福 东 渡 2220 周 年 纪 念 活 动 的 倡 议 书 11:15 全 体 与 会 代 表 照 相 11:30 会 议 结 束 12:00 招 待 午 宴 开 始 ( 地 点 : 达 蓬 山 大 酒 店 宴 会 厅 ) 下 午 ( 论 坛 讨 论 ) 会 议 分 三 节 举 行 会 议 时 间 :2009 年 9 月 26 日 下 午 14:00-17:45 第 一 节 : 主 题 发 言 主 持 人 : 日 本 佐 贺 县 徐 福 会 会 长 村 冈 央 麻 14:00 中 国 徐 福 会 副 会 长 张 云 方 发 言 14:20 日 本 徐 福 研 究 著 名 学 者 逵 志 保 发 言 14:40 韩 国 西 归 浦 徐 福 文 化 国 际 交 流 协 会 禹 珪 日 发 言 第 二 节 : 专 题 发 言 上 半 节 主 持 人 : 韩 国 济 州 道 徐 福 文 化 学 会 会 长 高 应 三 15:00 中 国 徐 福 会 副 会 长 连 云 港 徐 福 研 究 所 所 长 张 良 群 15:10 日 本 佐 贺 徐 福 会 和 佐 野 喜 久 生 15:18 韩 国 巨 济 市 徐 福 留 宿 地 研 究 会 顾 问 李 性 辅 15;26 日 本 八 女 市 教 育 委 员 会 赤 崎 敏 男 15:34 前 中 国 駐 日 本 長 崎 総 領 事 日 本 中 部 大 学 教 授 曾 文 彬 15:42 连 云 港 徐 福 研 究 会 戚 贵 森 下 半 节 主 持 人 : 日 本 徐 福 研 究 著 名 学 者 池 上 正 治 16:00 慈 溪 徐 福 研 究 会 秘 书 长 方 印 华 16:10 山 东 胶 南 琅 琊 暨 徐 福 研 究 会 会 长 钟 安 利 16:18 中 国 徐 福 会 副 秘 书 长 方 毓 强 16:26 日 本 神 奈 川 徐 福 研 究 会 秘 书 长 河 野 通 広 16:34 浙 江 象 山 县 徐 福 研 究 会 副 秘 书 长 盛 鑫 夫 16:42 日 本 佐 贺 徐 福 会 副 会 长 占 部 义 弘 16:50 台 湾 徐 氏 宗 亲 会 理 事 长 徐 鸿 进 16:58 慈 溪 市 徐 福 研 究 会 顧 問 費 志 軍 第 三 节 讨 论 交 流 主 持 人 : 中 国 徐 福 会 副 会 长 李 书 和 17:35 中 国 徐 福 会 会 长 刘 智 刚 会 议 总 结 9 月 27 日 上 午 :8:00 酒 店 大 厅 集 合 乘 坐 大 巴 至 中 国 徐 福 文 化 园 上 午 :8:30 徐 福 东 渡 成 功 起 航 地 揭 幕 仪 式 上 午 :9:30 祭 天 仪 式 地 点 : 中 国 徐 福 文 化 园 祈 求 坛 - 10 -
番 外 発 表 論 文 の 中 に 日 本 の 弥 生 時 代 との 関 連 を 述 べたものもあったが 最 近 の 研 究 では 弥 生 時 代 の 始 まりが500 年 さかのぼり 紀 元 前 10 世 紀 ごろとの 説 が 有 力 になりつつあり 徐 福 が 東 渡 した 紀 元 前 200 年 ごろの 日 本 は 以 前 の 時 代 区 分 では 弥 生 前 期 であったが 最 近 の 研 究 では 時 代 は 弥 生 時 代 の 4050402201@jcom.home.ne.jp 田 島 様 旅 行 ではいろいろお 世 話 になりました 楽 しく 有 意 義 な 旅 行 だったので 旅 行 日 記 をまとめたいと 思 っていましたが 神 奈 川 徐 福 会 での 発 表 がいいチャンス でした ようやく 旅 行 日 記 の 案 ができあがりましたので 内 容 の 確 認 をお 願 いします また 5ページに 徐 福 記 念 館 に 関 しての 紹 介 も 入 れたいのですが 私 は 経 過 等 を 知 りませんので 概 略 を 教 えてください 皆 さんの 了 解 を 得 られましたら この 旅 日 記 をインターネットのホームページ - 11 -
にして 公 開 しようと 思 います 徐 福 に 関 してのホームページは 意 外 と 少 ないです 11 月 6 日 伊 藤 健 二 西 山 百 代 様 返 信 が 遅 れて 申 し 訳 ありませんでした 今 回 の 旅 行 があまりにも 楽 しかったので 旅 行 記 を 作 成 しています まだ 完 成 品 ではありませんけれど とりあえず 印 刷 して 同 封 します また 写 真 2 枚 同 封 します この 旅 行 記 は 参 加 者 の 了 解 を 得 られれば 12 月 にインターネットホームペー ジで 公 開 します もし 西 山 さんが 個 人 の 名 前 を 出 したくないのであれば 私 に 連 絡 してください また 何 かご 意 見 があれば 連 絡 してください ホームページができあがったら メールでご 連 絡 します 11 月 13 日 4050402201@jcom.home.ne.jp 伊 藤 健 二 - 12 -
松 本 様 先 日 はご 丁 寧 なはがきありがとうございました 月 餅 を 食 べそこなったのは 残 念 でしたね とことで 今 回 の 旅 行 が 有 意 義 で 楽 しかったので フォーラムの 内 容 報 告 を 含 め 旅 行 記 にまとめました 寧 波 での 周 さんの 街 案 内 も 有 意 義 だったので これも 加 えて 編 集 したいと 思 いますが とりあえず 現 時 点 でのものをお 送 りします イ ンターネットでは 容 量 が 大 きすぎて 送 れないと 思 いますので 紙 で 送 付 します 12 月 中 にはホームページで 公 開 したいと 思 っています 個 人 的 な 名 称 を 出 す ことや 他 にもご 意 見 があれば 連 絡 してください 2009 年 11 月 20 日 伊 藤 健 二 - 13 -
石 毛 卓 子 川 上 由 美 様 様 先 日 の 徐 福 の 旅 行 ではおせわになりました 女 性 陣 の 着 物 姿 が 美 しかったです ね とことで 今 回 の 旅 行 が 有 意 義 で 楽 しかったので フォーラムの 内 容 報 告 を 含 め 旅 行 記 にまとめました 12 月 中 にはホームページで 公 開 したいと 思 っていま す 個 人 的 な 名 称 を 出 すことに 差 し 支 えがあれば 連 絡 してください また 他 にも 何 かご 意 見 があれば 連 絡 してください 2009 年 11 月 20 日 伊 藤 健 二 - 14 -