( 中国馬産業説明資料 ) 平成 26 年 8 月 日中ビジネス企画 小池尚明
1798 年 中国国内で近代競馬始まる (Oxford Univ. Press に掲載 日本より 64 年先輩 ) 1868 年 この頃から多数の中国馬が上海 天津経由で日本に輸出され 中国馬主体の日本競馬が開催されていく 19 世紀中期 香港 (1840) 上海 (1850) 天津 (1862) 等で中国人による競馬開催が始まり 20 世紀中頃まで 25 ヵ所以上の競馬場で世界規模の賭事競馬が開催される 1949 年 中華人民共和国建国し 事実上賭博禁止となる 1980 年 中華人民共和国刑法施行 (303 条 社会管理秩序妨害罪 で賭博禁止法ではない ) 1980 年代後半から広州 深圳 北京等で馬券発売を伴う非公認の賭博競馬が行われる 1999 年 北京に通順競馬場竣工し 2002 年から馬券発売 ( 景品交換方式 ) 2000 年 北海牧場の石田勇氏 北京に日本馬を輸出し 北京市通州区に 龍頭牧場 を開設 2001 年 廣州競馬場のトップ 黄啓桓 が懲役 19 年の判決を受ける 2003 年 江沢民国家主席により 賭博性の競馬活動を厳しく処分することの通知 を発令 2005 年 北京市公安局 景品交換型の競馬を行っていた通順競馬場の経営に停止命令 2006 年以降 中国馬術協会および中国馬業協会が主催する形で中国各地 (50 ヵ所以上 ) で祭典競馬や速度競馬が行なわれている 2010 年 武漢競馬に関わる賭事競馬解禁報道後に体育総局が報道内容を否定 2014 年 周近平国家主席が出席する中で世界汗血馬大会および中国馬文化祭が開催され 60 カ国 1,500 名を超える参加者が集結した 1
中国競馬産業の現状 競馬 1. 速度競馬としての 2 つの側面 国家体育総局所管の馬術競技の一種として 傘下の 中国馬術協会 が管理運営 農業部所管の畜産的馬事業務 ( 馬の改良増殖 ) として 傘下の 中国馬業協会 が管理運営 2. 刑法により賭博は禁止されており 馬券の発売は不可 3.1990 年代より 武漢 成都 南京 郷村 フフホト 通遼 ウルムチ イリ 済南等で 速度競馬 が実施され その他中国の 50 ヵ所以上で 祭典競馬 が実施されている 4. 確認できている競馬場施設多数郷村 ( 北京 ) 通順 ( 北京 ) 煙台 ( 山東省 ) 寧波 ( 浙江省 ) 武漢 ( 湖北省 ) 南京 ( 江蘇省 ) 成都温江 ( 四川省 ) 廣州 ( 広東省 ) 昆明 ( 雲南省 ) 深圳 ( 広東省 ) 西安 ( 陝西省 ) フフホト ( 内蒙古 ) 通遼 ( 内蒙古 ) シリンホト ( 内蒙古 ) 興安盟 ( 内蒙古 ) 瀋陽 ( 遼寧省 ) 長春 ( 吉林省 ) ウルムチ ( 新疆 ) ゴザル ( 新疆 ) イリ ( 新疆 ) 昌吉 ( 新疆 ) 済南 ( 山東省 ) 九龍山 ( 浙江省 ) の 23 ヵ所 馬産 1. 馬飼養頭数は約 700 万頭であるが ほとんどが在来種 ( 約 30 種 ) 2. 中国人によるサラブレッド生産は小規模に実施も 最近は一部で過熱化 3.1999 年中国農業部の管理下に 中国純血馬登記管理委員会 設立 4.2000 年日本から中華人民共和国向け馬の家畜衛生条件締結 日本 中国への馬の輸出が可能となる 5.2002 年国際血統書委員会 ISBC から CSB が国際承認される 6.2006 年頃より 海外からのサラブレッド導入を試みる中国人が増加 7.2009 年春 日本からのサラブレッド導入を希望する者が多数現れる 8.2009 年 10 月 豪州マジックミリオン社が北京でセリを実施 (80 頭中 約半数が売却 ) 9.2010 年 3 月 日本産サラブレッド 51 頭が中国に輸入される 10.2014 年 5 月 世界汗血馬国際大会が北京市で開催され 周近平国家主席が出席する 2
20 18 19 21 7 11 12 5 14 9 10 8 1 2 13 22 15 16 3 6 23 4 17 確認できている競馬場 1 北京市郷村 2 北京市通順 3 山東省煙台 4 浙江省寧波 5 湖北省武漢 6 江蘇省南京 7 四川省成都 8 広東省深圳 9 広東省廣州 10 雲南省昆明 11 陝西省西安 12 内モンゴルフフホト 13 内モンゴル通遼 14 内モンゴルシリンホト 15 内モンゴル興安盟 16 遼寧省瀋陽 17 吉林省長春 18 新疆ウイグルウルムチ 19 新疆ウイグル格賽爾 ( ゴザル ) 20 新疆ウイグル伊犁 21 新疆ウイグル昌吉市 22 山東省済南 23 浙江省九龍山 その他 天津賽馬城 北京青龍湖プロジェクトを始め 新設中の競馬場多数あり 3
日中間の馬産業に係る主な交流 JRA 及び JAIRS は 1990 年代から下記のような馬に係わる様々な技術協力 交流 ( 研修生受入れ 在外研修実施 馬考察団の派遣 受入れ ) を実施してきており 今後もさらに発展させていく方針 1996~1999 年 : 中国農業部国際合作公司の仲介により 馬の針治療 麻酔応用の日中獣医団相互訪問を実施 1995 年 8 月 :JRA 京谷理事 j 長が北京郷村競馬場を視察し 程春博代表から 1000 頭の日本馬購買を打診される 1999 年 4 月 : 中国馬業協会高仲元副会長一行が 中国血統書 創設のために日本で研修を受講 2000 年 8 月 : 日本から中国への 馬の輸出検疫条件 が締結される 2001 年 4 月 : 日本の馬生産者石田勇氏が中国通順区に 龍頭牧場 を開設 2002 年 10 月 : 中国血統書 (CSB) が 国際血統書委員会 (ISBC) から 国際承認 される 2003 年 9 月 : 中国純血馬繁育国際検討会 ( 馬業協会主催 ) が北京朝陽区で開催され 日本 香港が参加する 2004 年 3 月 : 日中の馬騎乗技術交流のために中国馬術協会一行が日本の馬繋養施設等を視察 2005 年 8 月 : 競馬と畜産に関する日中共同研究プロジェクト が農業部農村経済研究中心と JAIR 間で締結 2006 年 8 月 : 日中共同研究プロジェクトの中国側調査団 ( 劉志仁団長 ) が日本の競馬 生産状況を視察 2007 年 10 月 : 日本招聘により中国馬業協会呉常信理事長が馬産地 馬研究所および競馬関連施設等を視察 2008 年 7 月 : 中国農業大学において日本の講師による馬運動器病と馬感染症に関する 出張馬学講座 を実施 2008 年 12 月 : 中国農業部馬業考察団 ( 賈幼陵団長 ) が日本の馬産地 研究所 トレセン 競馬場等を視察 2009 年 3 月 :JAIR 小池理事長らが 第 1 回中国純血馬登記委員会 に講師として参加 2009 年 4 月 : 中国中央財形領導小組弁公室副主任陳錫文らが日本の馬産地および競馬場施設等を視察 2009 年 7 月 : 北京での馬学講座において 馬の臨床診断法 ( 滝沢講師 ) 馬の装削蹄法 ( 宮木講師 ) を実施 2010 年 3 月 : 日本産サラブレッド 51 頭が神戸港から大連港に向けて 船便により初めて中国に輸出された 2011 年 10 月 : 上海馬博覧会 (HORFA) に日本から 11 社 90 名がブース展示し 日本馬産業の PR を実施 2012 年 1 月 : 天津賽馬城プロジェクトの鍬入れ式に 日本から社台 F 下河辺 ビッグレッド F らが参加 2013 年 1 月 : 北京豊台区に青龍湖馬パーク構想が立ち上がり NCBP が基本計画の立案契約を締結 2014 年 5 月 : 周近平が主催する世界汗血馬大会が北京で開催され 世界 60 か国が参加 日本からも 9 名が参加 4
=2009 年以降は諸外国から 800 頭を超える馬が輸入されている模様 = オーストラリア : 中国各地で開催される競馬蔡やシンポジウムには殆ど出席するなど 最も熱心に活動中 華駿牧場 ( 通順競馬場 ) 建設 過去 1 年間で 300 頭超の対中馬輸出 10 月 10 日のマジックミリオンのセリ開催 四川省への牧場進出の噂などなど 米国 : ケンタッキー州産馬売り込みのプロモーション活動のため 州知事が 10 月 9 日に北京で馬関係者を集めたパーティを開催 (300 名の参加 ) 近々 キーンランド社のセリ開催予定 オーストラリアに次いでサラブレッドの輸出実績あり 欧州 : フランスは馬関係者を自国の競馬や馬産地に無料招待 アイルランドやイギリス ロシアなどからは種牡馬の輸出実績あり 中東諸国 : ドバイは 2009 年のドバイ ワールドカップ開催に中国関係者を無料招待すると共に 中国天津市寧河県に天津競馬城と呼ばれる競馬場や 1000 頭規模の馬産を含む大型複合施設の建設計画を発表 この合弁事業にはマレーシアの設計コンサルタント 香港洲際基業グループ 天津農懇集団などが参画し 10 年間で 40 億米ドル規模の合弁事業として発足 香港 :HKJC は 2010 年 11 月に広東省広州市で開催されるアジア大会馬術競技場に大規模出資をし 競技終了後 JC のトレセンとして活用する計画 将来は 競馬開催やサラブレッドの生産活動基地とする思惑あり HCJC 内には中国本土への働きかけを行なう専門部署 ( 国内事務部 ) を設置 北京には豪奢なクラブハウスを建設し 本土会員も勧誘 会員は HCJC の電話投票も行なえるサービスも備わっている ニュージーランド :2011 年には ニュージーランド産馬を中国までフェリー便で輸送を実施 5
行政サイドの変化 2009 年 3 月の全人代後に 国家体育総局のスポーツクジ管理センターの責任者が スポーツクジの範疇で競馬を行うことは困難との見解が示された その後 4 月に共産党中央財形領導小組弁公室副主任陳錫文氏が日本の生産地を訪れ 競馬は農業分野の産業であることを実感 6 月には 日中ハイレベル経済協議の非公式会合で農業部副大臣から中国馬産業への支援要請が出された 今後 両国農業担当者による次官級対話 農業科学技術交流グループ会議において馬産業の振興に関する交流 協力が議題として取り上げられる見込み 民間サイドの変化 2005 年に通順競馬場に北京市の公安が入って以来 民間の競馬熱が下火となっていたが 2007 年頃から中国馬術協会と中国馬業協会が主催する形で中国各地で速度競馬が盛んに行われるようになってきた この速度競馬には 地方の行政やスポンサーからの支援によりかなりの賞金が出るようになり 馬の所有者が各地域や乗馬クラブなどを代表して金と名誉をかけて争うようになった 龍頭牧場出身馬が好成績を挙げていることもあり 2009 年に入って日本からサラブレッドを導入したいとする者が相当数現れるところとなり 2010 年 3 月に初めて 51 頭の日本産サラブレッドが輸出され その後 200 頭を超える日本馬が海を渡った 6
中国環境の変化 胡錦濤政権後の周近平政権 1 期目 建国 60 年過ぎ オリンピックや万博も終了 好調な経済 GDP 世界第 2 位 個人 GDP6,800$ 上海 北京は20,000 弗超で富裕層増加 株や先物取引も好調 福祉くじや体育クジ( サッカー バスケット ) も過熱で国民も受け入れ 今までの行政サイドの懸念 1どこの部署が競馬を担うのか 競馬の目的と収益の使用を何にするか混沌状態体育総局 農業部 財政部 民生部 社会科学院 人民解放軍など 2010 年 3 月の全人代後に体育総局が匙を投げる 2 中国人は賭け事好き 騒擾事件などの発生が心配 3 不逞の輩の台頭 役人の汚職 12 兆円超の掛金の海外流失 ( 日本のアドバイス ) 競馬は農業! 良質馬の検定の場所が競馬! 賭博は禁止するとかえってアングラに流れてしまう 国がしっかり管理することで騒ぎや海外流失が止まる 7
大規模輸出検疫施設の不足 国の検疫施設は他の動物の輸出入でも使用するため 殆ど利用不可能 利用できても 畜舎費用や管理人経費に高額なコストがかかる 民間施設は事実上 JBBA 静内 JBBA 九州 鍋掛牧場の3 施設のみ 多頭数を輸出するための輸送手段の不備 飛行機便の場合 ストールを保有する航空会社が限られ あったとしても高コストとなる 船便の場合 フェリー便 orコンテナ便などのルートが確立されておらず 乙仲などの複雑な手続きをクリアーする必要あり 高額な出国検疫 輸送コスト 日本には馬輸出の専門エージェントが育っておらず 高コストの要因となっている 長期の輸出検疫期間 ( 日本で 60 日 中国で 45 日 ) 現在 農水省動物衛生課を通じて 中国側検疫当局と折衝中 その他の課題 -- 日本には多頭数の馬輸出経験が乏しい -- 生産頭数の減少等により 一度に多頭数の馬を集めにくい環境 日中の商習慣の違いにより 信頼関係の構築が難しい面あり 海外諸国が中国市場参入にしのぎを削る中で 日本は対中馬輸出意欲に欠ける面あり 8
( 理由 ) 馬の売買はもともと民間での取引が原則であるが 対中国取引ではさまざまな課題も多く 個人対個人の取引では座礁する可能性も高く もし失敗した場合には 日本馬全体の評価を落とすことになりかねない 中国側には馬産業全体を取り仕切る中国馬業協会という組織があり 日本との取引ではこの団体が支援す る形で個別取引を進める意向があり 日本にも同様の支援体制の整備を取るよう求めている 中国側が求めている馬の用途は競走用 繁殖用 乗用 観賞用など多様であり 日本側にはこれらを網羅するような横断的組織はないため 馬の生産者 育成者 所有者で構成する民間の受け皿が望まれる ( 事業内容と役割 ) 海外への馬取引を促進するために必要な調査 研究および情報の提供 輸出対象国における馬産業情報の収集および調査 馬輸出の障害となる課題の洗い出しと取り組み 検疫施設の確保 ストールの確保 輸送ルートの開発 低コスト輸出の開発 課題克服のための行政サイドへの働きかけ 検疫施設認定の迅速化 検疫期間の短縮 各種申請手続きの簡素化等 個別取引の相談 指導 チームジャパンとしての対応の必要性 中国馬業協会との連絡調整 その他 通訳の手配 馬購買者への招聘状の発行 検疫 輸出手続きなどの指導 ( 代行 ) など 9