さぬき野菜・さぬき魚

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スライド 1

同 上 5,000 山 奥 町 山 奥 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 40,000 三 万 谷 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 5,000 田 尻 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 95,000 間 戸 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室

の体 面 が あ り 贈答 品やそ の 他 に 出費 も多 い 屋敷 で は乗 馬 を飼育 し そ の飼料 もかか る のだ 千 二 百石 の早 乙女主水之介 の生活 は決 して 楽ではなか っただ ろ う 旗本屋敷 の 大き さは? 早 乙女 主 水之介 の屋敷 は 本所長割下水 にあった とい

三条を召し上がれ 地産地消推進店へ行こう 三条市では 地産地消を進め 人もまちも元気な三条を実現するため 積極 的に地場農産物を使うお店を 三条市地産地消推進店 として認定しています 地産地消推進店には 認定証として Bon Appetit!! SANJO とかかれたプレー トが掲示してあります ぜ

女 子 1 位 リグ(2) 野 村 優 香 9 小 笠 原 果 穂 8 木 原 舞 4 古 川 未 夢 羽 MTC 鳥 取 野 村 愛 美 8 木 原 舞 9 小 笠 原 果 穂 MTC 鳥 取

九州地方一問一答 (15 分 各 1 点 ) 実施日 : 年月日 問 1. かつて薩摩藩があったのは今の何県か 問 2. 北海道南部に広がる 火山活動によってつくられた台地を何というか 問 3. 前問の台地を形成しているのは何という火山か 問 4. 樹齢 3000 年を超える縄文杉が生息し 世界自然

須 磨 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 垂 水 警 察 神 戸 市 垂 水 区 神 戸 市 のうち 垂 水 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 神 戸 水 上 警 神 戸 市 中 央 区 水

公 示 価 格 一 覧 の 見 方 1 < 番 号 > 一 連 番 号 2 < 標 準 地 番 号 > 冠 記 番 号 例 示 標 準 地 の 用 途 なし -1-2 住 宅 地 商 業 地 工 業 地 3 < 市 町 名 > 標 準 地 が 属 する 市 町

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青 森 5-9 青 森 市 本 町 5 丁 目 4 番 27 本 町 , , 青 森 5-10 青 森 市 本 町 2 丁 目 5 番 3 本 町 , , 青 森 5-11 青 森 市 中 央 1 丁

与謝蕪村

6 学校給食での地場産物活用に当たっての課題 学校給食における市町村産食材等の利用に関する調査 において 市町村に対し 学校給食で地場産物の活用を促進する上での課題について 市町村産食材と道産食材について それぞれ伺ったところ 次のような結果となりました 学校給食への地場産食材利用促進上の課題 関係

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平 成 25 年 度 新 潟 県 高 等 学 校 秋 季 地 区 体 育 大 会 新 潟 地 区 バドミントン 大 会 結 果 報 告 書 平 成 25 年 11 月 8 日 ( 金 )~10 日 ( 日 ) 男 子 新 潟 明 訓 高 等 学 校 女 子 新 潟 市 立 高 志 中 等 教 育 学


人間科学部専攻科目 スポーツ行政学 の一部において オリンピックに関する講義を行った 我が国の体育 スポーツ行政の仕組みとスポーツ振興施策について スポーツ基本法 や スポーツ基本計画 等をもとに理解を深めるとともに 国民のスポーツ実施状況やスポーツ施設の現状等についてスポーツ行政の在り方について理

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大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町 大 宮 1 丁 目

H28 地価公示結果1(黒)

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指定を受けている設置者一覧

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1 食に関する志向 健康志向が調査開始以来最高 特に7 歳代の上昇顕著 消費者の健康志向は46.3% で 食に対する健康意識の高まりを示す結果となった 前回調査で反転上昇した食費を節約する経済性志向は 依然厳しい雇用環境等を背景に 今回調査でも39.3% と前回調査並みの高い水準となった 年代別にみ

横 浜 ガーデン 山 神 奈 川 県 横 浜 市 神 奈 川 区 三 ツ 沢 下 町 横 浜 菅 田 神 奈 川 県 横 浜 市 神 奈 川 区 菅 田 町 488 新 田 神 奈 川 県 横 浜 市 港 北 区 新 吉 田 町 3238 横 浜 日 吉 七 神 奈 川 県 横 浜 市

秋 元 才 加 第 1 部 秋 元 才 加 第 1 部 秋 元 才 加 第 1 部 秋 元 才 加 第 2 部 秋 元 才 加 第 2 部 秋 元 才 加 第 2 部 秋 元 才 加 第 3 部 秋 元 才 加 第 3 部 秋 元 才 加 第 3 部 秋 元 才 加 第 4 部 秋 元 才 加 第

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福井市人口統計表 2015 年 1 月 1 日現在 大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町

成 績 2011 年 度 競 泳 国 際 大 会 代 表 選 手 選 考 会 4 月 9 日 ~4 月 11 日 於 静 岡 県 浜 松 市 総 合 水 泳 場 ToBio 冨 田 一 穂 17 位 23 秒 34 大 庭 洋 平 19 位 23 秒 43 葛 原 俊 輔 10 位 50 秒 24

平成 23 年度 第 5 回 多度津町夏のまつり ( マクドナルド杯 ) ジュニアサッカー大会 (U-12の部) 予選リーグ戦 日程表 試合会場 : 多度津山サッカー場 ( 香川県 多度津町 ) 試合会場 : 多度津山サッカー場 ( 香川県 多度津町 ) 試合時間 A グラウンド 審 判 試合時間

別添

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石 川 県 高 体 連 事 務 局 御 中 1/3 平 成 24 年 度 石 川 県 高 等 学 校 総 合 体 育 大 会 少 林 寺 拳 法 競 技 ( 予 選 ) 種 目 名 予 選 出 場 順 予 選 順 位 支 部 名 団 体 名 予 選 合 計 男 子 団 体 演 武 1 5 小 松 明

図表 1. 調査対象と標本数 1 次調査回答者 調査対象全国 20 歳から 79 歳までの日本人 総務省 人口推計 を元に 地域別年代別に標本数を割り付けた レポート1 ~1 次調査結果より国内市場における歴史文化観光の需要構造 2 次調査回答者 (1,901 人 ) 2 次調査スクリーニング条件中


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1 横浜のイメージ [ 経年変化 ] 観光 レジャー が増加傾向経年変化をみると 異国情緒 国際都市 は減少傾向となっている一方 観光 レジャー は増加傾向となっている 図 横浜のイメージ [ 経年変化 ](3 つまでの複数回答 )

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中 学 生 男 子 の 部 優 勝 村 上 太 一 静 岡 県 沼 津 市 立 原 中 学 校 2 年 1,939 準 優 勝 甲 地 悠 人 三 重 県 木 曽 岬 町 立 木 曽 岬 中 学 校 1 年 1,864 第 3 位 佐 藤 宇 宙 愛 知 県 名 古 屋 市 立 南 陽 中 学 校

人事異動のお知らせ

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【】中学社会歴史:江戸時代:幕藩体制

長野県主要農作物等種子条例 ( 仮称 ) 骨子 ( 案 ) に関する参考資料 1 骨子 ( 案 ) の項目と種子の生産供給の仕組み 主要農作物種子法 ( 以下 種子法 という ) で規定されていた項目については 長野県主要農作物等種子条例 ( 仮称 ) の骨子 ( 案 ) において すべて盛り込むこ

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みかんの輸出 ( 生鮮及び乾燥したもの ) 門司税関の 2014 年輸出数量及び金額 全国第 1 位 平成 27 年 3 月 18 日 門司税関 はじめに 3 月になり 春の足音が聞こえてきますが まだまだ寒い日が続いています 寒い冬の日に コタツでみかんを食べるという日本人の姿はもはや遠い昔になり

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調査概要 調査名 : おせち料理と正月に関する意識調査 調査方法 :WEB モニターによるアンケート 対象 :20~60 歳代男女 実施期間 : 平成 27 年 10 月 9 日 ~10 月 12 日 サンプル数 :1,000 人 20 代 30 代 40 代 50 代 60 代 女性 100 人

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電通、海外16地域で日本のイメージや興味・関心を調査―「ジャパン・ブランド」に好影響を与える日本人イメージ ―

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ヨット 井 嶋 清 芳 ( 法 4) 中 村 睦 宏 ( 法 4) 平 松 良 洋 ( 法 4) 持 田 由 美 子 ( 法 4) 塩 谷 涼 ( 生 4) 伊 村 仁 志 ( 国 4) 橋 場 一 輝 ( 国 4) 清 原 遼 ( 国 4) 大 野 雅 貴 ( 法 3) 本 吉 剛 士 ( 法 3

千 葉 市 資 源 循 環 部 千 葉 県 千 葉 市 中 央 区 千 葉 港 2-1 千 葉 中 央 コミュニティセンター3F 船 橋 市 千 葉 県 船 橋 市 湊 町 柏 市 産 業 277

アイヌ政策に関する世論調査 の概要 平成 3 0 年 8 月内閣府政府広報室 調査対象 全国 18 歳以上の日本国籍を有する者 3,000 人 有効回収数 1,710 人 ( 回収率 57.0%) 調査時期平成 30 年 6 月 28 日 ~7 月 8 日 ( 調査員による個別面接聴取 ) 調査目的


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平 成 27 年 地 価 公 示 結 果 ( 山 形 県 ) 1 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 法 に 基 づいて 国 土 交 通 省 土 地 鑑 定 委 員 会 が 毎 年 1 月 1 日 時 点 における 標 準 地 の1 平 方 メートル 当 たりの 正 常 な

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2. 調査の結果の概要 雲仙市訪問の目的 を 1 観光 2 仕事 3 帰省 4 その他 の項目で聞いた 観光 が 75.9% で最も多く 次いで その他 17.3% 仕事 4.4% 帰省 2.4% である 同伴者対象者 を 1 一人旅 2 家族旅行 3 友人 知人との旅行 4 団体旅行 ( 職場 地

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JA 横 浜 本 郷 支 店 8:00~19:00 9:00~19:00-9:00~19:00 9:00~19:00 JA 横 浜 豊 田 支 店 8:00~21:00 9:00~19:00-9:00~19:00 9:00~19:00 JA 横 浜 川 上 支 店 8:00~19:00 9:00~1

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重工業から農林漁業まで 幅広い産業を支えた動力機関発達の歩みを物語る近代化産業遺産群 *

第 3 次 山形県総合発展計画 短期アクションプラン ( 平成 25 年度 ~28 年度 ) 平成 2 5 年 3 月 山形県

大 会 競 技 役 員 大 会 名 誉 会 長 松 本 善 雄 大 会 名 誉 副 会 長 大 会 顧 問 太 宰 雄 一 郎 鈴 木 三 郎 武 林 和 彦 田 中 健 治 櫻 井 藤 雄 大 会 相 談 役 藤 島 正 弘 大 会 会 長 菊 地 浩 大 会 副 会 長 我 妻 勇 大 槻 清

稲沢市の観光に関するインターネット調査調査項目 未定稿 1 回答者の属性 Q1 あなたの性別 1 男性 2 女性 1 つだけ選択 Q2 あなたの年齢 1 10 歳代 2 20 歳代 3 30 歳代 4 40 歳代 5 50 歳代 6 60 歳以上 1 つだけ選択 Q3 あなたの職業 1つだけ選択 1

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PowerPoint プレゼンテーション

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リレー メドレーリレー 1 南 黒 地 区 2 弘 前 地 区 3 大 館 地 区 阿 部 心 咲 浅 利 夕 蘭 笹 川 穂 乃 花 中 野 天 彩 奈 鈴 木 維 莉 伊 藤 智 花 葛 西 香 乃 城 葵 星 々 松 崎 咲 昊 奈 良 岡 志 穂 山 本 舞 桜 森 澪 花 2:19.90

男 子 1 部 [5 6 年 生 ]ダブルス(1MD) 植 田 岡 田 (ウィルジュニア) 試 合 番 号 3 10 のシード 選 手 が 敗 退 した 場 合 の 敗 者 再 試 合 陳 [ 瑛 ] 堤 東 山 井 之 上 常 蔭 真 田 (SJBC) 佐 々 木 平 田 1 3

平 成 20 度 関 東 高 校 テニス 大 会 水 戸 地 区 予 選 会 女 子 団 体 ランキング 表 清 真 園 竹 内 比 呂 志 広 光 茨 城 正 人 水 戸 二 野 沢 英 幸 1 本 村 千 尋 3 1 佐 川 貴 子 山 田 安 里 沙 小 島 千 恵 2

釧根地区バドミントン協会

平成 29 年度広島県立庄原特別支援学校食に関する年間指導計画小学部重複障害学級 遊びの指導 生活単元学習 給食の食材や献立について知る 正しい手洗いを身に付ける 協力して配膳ができる 給食の食材や献立について知る バランスよく, 何でも食べる 必要な水分を上手に摂取する 食後の片付けができる しっ

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やり 投 (オープン) 今 田 直 弥 加 藤 拓 也 65m38 3 位 浦 田 幸 平 63m16 4 位 加 世 田 強 真 57m84 7 位 66m58 織 田 記 念 4 月 29 日 於 広 島 県 広 島 市 広 島 ビッグアーチ ユニバ 女 子 5,000m 後 藤 奈 津 子 1


青 森 県 尾 崎 酒 造 秋 田 県 飛 良 泉 本 舗 阪 神 木

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体操競技中学男子1

平 成 年 度 第 6 回 加 古 川 市 中 学 校 団 体 対 抗 ソフトテニス 大 会 - 女 子 の 部 - 中 部 A 陵 南 A 6 別 府 C 山 家 奥 - 吉 野 牧 野 原 口 成 田 - 一 岡 藤 井 山 家 神 庭 - 原 久 保 森 柳 - 笠 原 石 岡 西 邨 伊 達

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解いてみましょう ( 第 3 講 )A について 1 問われている ( 求められている ) ことを確認する ア イ について書く の関係に与えた影響について書く ウ の関係に与えた影響について書く エ に触れながら書く オ 3 行 (90 字 ) 以内で書く 2 資料の内容と教科書 ( プリント )

めに必要な情報を提供するとともに 2 関係者一体となった契約栽培等の需要と直結した生産を推進していく また 生産者の収益性向上につながる地域の気候風土を活かした特色ある野菜等園芸作物への作付を促進し 産地づくりを進めていくため 生産者への作付誘導のインセンティブとなる産地交付金を戦略的に活用していく

57 毛 馬 中 央 公 園 大 阪 市 都 島 区 毛 馬 町 4 丁 目 1 58 毛 馬 北 公 園 大 阪 市 都 島 区 毛 馬 町 4 丁 目 毛 馬 東 公 園 大 阪 市 都 島 区 毛 馬 町 5 丁 目 5 60 城 北 緑 道 公 園 大 阪 市 都 島 区 毛 馬

Transcription:

地域ブランド戦略と近世讃岐の産物研究 大名武鑑 の時献上等にみる讃岐の特産品 溝渕利博はじめに (1) 地方自治体の現状と地域再生 活性化策の必要性 人口減少 高齢化 地域経済の疲弊 財政難など地域 活力の低下に悩む地方自治体と地方分権化時代における地域間競争の激化に対応した地域再生 活性化策 (2) 近世産物研究と地域特産品との関係 現代日本の特産品の起源には 近世各藩の産物に由来するものが多 く 地域活性化には江戸時代の産物研究が欠かせない (3) 地域ブランド品の発掘と地域活性化 大名武鑑 の 時献上 や 讃岐国名勝図会 などの地誌類に記 された讃岐の名物を取り上げて 地域ブランド品を発掘し 地域活性化活動の一助としたい 1. 大名武鑑 の時献上にみる讃岐の特産品 ~ さぬき魚 ~ (1) 大名武鑑 の時献上とは 1 大名武鑑 江戸時代 諸大名の姓名 本国 居城 石高 官位 家系 相続 内室 参勤交代の期日 時献上および拝領品目 家紋 旗指物 菩提寺 重臣などを掲載した民間の書肆が刊行した小型本 4 冊構 成で 巻一に10 万石以上の大名 巻二に1 万石以上 1 万石未満の大名 巻三に幕府の役人付 巻四には西丸の役人付と諸家隠居方が載せられており 藩名ではなく 藩主の名から調べるようになっている 2 時献上 江戸時代 各大名家からは毎年決まった季節に藩領内でとれる国産品を将軍家へ献上する慣わしとなっていた これを年中あるいは月次献上といった 時献上 とは 参勤時の 参府献上 御暇御礼 とは異なり 江戸時代 諸大名 交代寄合及び大名重臣 ( 御三家付家老など ) が家ごとに 毎年季節を定めて 領内の産物を将軍家に献上した制度 献上品目にも格式に応じた規程があり 簡単には変更できなかった 3 献上 下賜儀礼の政治文化史的役割 将軍家への恭順の意思表明の場 ( 将軍 藩主の代替わりごとに主従関係を再確認 )+ 家格制に基づく幕藩制的秩序の編成 ( 石高 官位 殿席などによって序列化された 礼の秩序 による幕藩体制的秩序の構築と維持強化 ) 将軍 大名 家臣 領内献上システムの構築と重層的構造 4 古代から政務と儀式とは一体不可分の関係 政治を考える上で儀礼や儀式の研究は欠かせない 献上行為と拝領 下賜 御成 振舞行為とは一体のもので それを儀礼化し 執行することが政治そのものであった 5 献上品と献残品 献上品は上位者に献上されるとともに 必要に応じて その一部が下位者に下賜された 例えば 高松藩の時献上品であった塩鯛について見れば 寛延 3 年 (1750) に長尾西村の百姓 43 人が初穂 15 俵ほどを冥加として献上し 酒 3 樽 塩鯛 50 枚を下賜されたことが記されている ( 増補高松藩記 ) * 図 1 大名武鑑 ( 天保 9 年 ) にみる高松藩の時献上 * 表 1 大名武鑑 の時献上にみる讃岐諸藩の献上品 (2) 高松藩の時献上品 1 鯛 高松藩では 正月に塩引鯛 3 月に粕漬鯛を幕府将軍家に献上している 延喜式 主計部には 讃岐国 中男作物 鯛楚割 同大膳部には 讃岐国より鯛の塩作りおよび白干を献ず とあり 平安時代から楚割鯛や塩鯛 干鯛が讃岐の名産として知られていた 中世にも 文安 2 年 (1445) の 兵庫北関入船納帳 に ( 四月 ) 十日入船宇多津塩鯛十駄 ( 中略 ) 十四日入船平山塩鯛十駄 などとあり 近世になっても 延宝 5 年 (1677) 讃岐で最初の地誌書である小西可春の 玉藻集 に 讃岐の名物として 魚島の鯛鰆 ( 春二月末に網卸す 初鯛を金山鯛と云 初雷を魚出シ神鳴と云 鳴門口より始て鯛出来と云 ) 鰆子 ( 三月中旬にこしらゆるをよしとす ) 小豆島煎海鼠( 諸国名物記 ) 引田海鼠腸( 同書 ) 圓座 とある 2 鰆 高松藩初代藩主松平頼重の記録 英公実録 には 寛永二十年 (1643) 七月朔日 初而鰆子御献上 とあり これ以降 高松藩では3 月と12 月に鰆子を幕府将軍家に献上している 鰆は 瀬戸内では 春告げ魚 ハルイオ ( 春を祝う魚 ) と呼ばれ 春に産卵のために外海から瀬戸内海に入り込み 秋には再び外海へ戻る回遊魚である からすみ は鰡のからすみが有名であるが 讃岐では鰆の真子から造られた 魚の真子 ( 卵巣 ) を塩漬けにして干すことで丹念に精製して造られ 鰆の真子がもつ濃厚なうま味と独特な食感が魅力で 酒の肴としても喜ばれ 高松藩主や丸亀藩主から将軍家へ献上された - 1 -

3 串海鼠 英公実録 に 寛永二十年十二月七日 始メテ国産串海鼠ヲ幕府ニ献ス 後恒例トナル とあり 高松藩では これを初例として毎年 10 月に串海鼠を幕府将軍家に献上するようになった これより以前から讃岐では 海鼠腸 ( このわた= 海鼠の腸を塩漬けにしたもの ) が讃岐の特産品として時の権力者へ献上されていた 特に引田の海鼠腸は有名で 豊臣秀吉から生駒雅樂頭宛てに十一月十七日付け ( 文禄四年から天正十三年までの間 ) で 海鼠腸桶二到来 遠路懇志悦思食候 委細福水将監可申候也 という礼状 徳川家康からも生駒雅樂頭宛てに正月六日付け ( 年欠 ) で 如来意新春之慶賀珍重存候 為御祝儀 引田海鼠腸幷雉子送給喜悦之至候 猶期面談之節候 恐々謹言 との礼状が届けられている (3) 丸亀藩の時献上品 1 串海鼠 丸亀藩では 6 月に串海鼠壱箱が幕府将軍家に献上されている 江戸中期以降 幕府は煎海鼠 ( いりこ= 海鼠の腸を抜いて煎り乾しにしたもの ) を長崎貿易の重要な輸出品 ( 俵物 ) として増産を各藩に命じた 丸亀藩領内にも 寛政 11 年 (1799) に幕府役人の平岩右膳が讃岐沿岸視察にやって来て 俵物の ( 煎海鼠 干鮑 鱶鰭 ) の製造を仁尾 姫浜 箕 伊吹島 仮屋 和田浜の各浦ごとに命じている 江戸中期以降 幕府は日中貿易の決済を俵物 ( 煎海鼠 干鮑 鱶鰭 ) で行うこととし その生産 集荷体制の強化に乗り出してきたため それまで各地の漁村は外国貿易とは無関係な存在であったが この俵物貿易の開始によって次第に幕府の俵物生産体制の中に組み込まれるようになった 安政 5 年 (1858) の 西讃府志 物産編魚類には 海鼠について 海鼠ハ荘内ニ多クトレリ 中ニモ大浜ナル船越ノ瀬戸 金山ノ州 障子洲ナドニテ得タルヲ宜シトス 串海鼠ニ製スルモ ココナルヲ専ラ用ユ とあり 三野郡大浜の串海鼠が有名だった 2 鯛 丸亀藩では6 月に干鯛 12 月には鯛を幕府将軍家に献上している 讃岐の干鯛は中世からよく知られ 文安 2 年 (1445) の 兵庫北関入船納帳 には 平山干鯛廿駄 同所干鯛十五駄 とあり 近世になっても寛永 18 年 10 月 20 日の 讃岐国小物成帳 讃岐国内五万石領之小物成 には 宇足郡之内一 干鯛千枚三浦運上 ( 西平山町 北平山町 御供所町 ) 一 鰆之子百五拾腸同所 とあり 鯛や鰆子が丸亀藩にも運上として納められていた 天保 14 年 (1843) の丸亀藩がまとめた領内の概要書 西讃海陸予答 には 大浜浦 庄内郷の随一にして人家多く年中漁事 ( 鯛 鰯 雑魚 ) を業とす ( 中略 ) 船越八幡のうらは楠浜といふ鯛の網代場也 とあり 大浜や楠浜などが鯛の漁場として知られていた 金毘羅参詣名所図会 にも 鯛 鰆の漁場大浜 詫間の間の楠浜といえる所にて鯛を多く漁す 又大浜より三里ばかり沖の方 あるひは箱の岬より四里余り沖にても漁す 是すなはち塩飽の佐柳島の辺という とある 3 鰆 鰆は西讃では貴重なものとして 中世から祝儀の際の贈答品などに用いられていたことがわかる 秋山家文書には 為明春祝儀 御状 川鴈二 鰆十披露候 就其五明五本被進候 目出度存候 とあり 鰆が鴈とともに正月の祝儀物として 秋山源太郎が春房に届けている 江戸時代になっても 増補三代物語 には詫間村について 鯛鰆之漁場此辺春日多く漁す 楠浜と云所 格別也 とあり 唐墨馬鮫の鮴 ( こ ) を乾製す 唐墨に似るを以て名とす とも書かれており 特に三野郡の楠浜は鯛や鰆の好漁場として知られ からすみ も製造されていたことがわかる (4) 多度津藩の時献上品 1 串鮑 多度津藩では 12 月に串鮑一箱を幕府将軍家に献上している 串鮑は串貝とも呼ばれ 干した鮑を串に刺したもので 祝い事や贈り物によく用いられた (5) 讃岐諸藩の時献上の特色 1 海産物の献上品が多い 瀬戸内海という自然環境と好漁場に恵まれていたため 海産物の献上品が多かった 特に讃岐では鯛 鰆 海鼠が多く 塩引きや粕漬け また干 ( 乾 ) したり 串刺しにするなど保存加工を施して献上している 江戸までの輸送距離が長かったことがその背景にあるが 延喜式 の時代から鯛塩や鯛楚割などにする加工技術の発達と蓄積が讃岐にはあり その伝統が時代を経て継承されていたことも重要な要素であった 2 献上回数は高松藩が一番多かった 高松藩が10 回 丸亀藩が6 回 多度津藩が2 回と 石高 官位 家系などいわゆる大名としての家格や格式の違いがそのまま献上回数に表れている 特に高松藩は徳川氏の御家門として 毎年 江戸城の正月参賀儀礼に参列し 将軍から盃の御流と時服を拝領するなど将軍家や水戸徳川家と親しく 時献上以外でも外様大名の丸亀藩 多度津藩とは自ずと扱いが違っていた 3 時献上品は藩領に付属したもの 献上品は毎年同じ時期に同じ品物を献上するのが原則で たとえ転封等によって藩主が交代してもほとんど品目等は変わっていない これは時献上が基本的に国産物であるから 大名家ではなく藩領に付属するものと考えられていたからである すなわち 時献上の体制と品目は 讃岐の歴史と風土に根ざして形成されたもので 個人的には変えることはできない社会的なシステムの一つとして - 2 -

幕藩制秩序を支える重要な制度 政策であったといえる 歴史を遡れば 讃岐の献上品のコアな部分も 延 喜式 の平安時代と江戸時代の時献上品との間に大きな差はなく ただ献上先が朝廷から将軍家に変わったということである これは 常に時の権力者の元に主要国内物産が集まってくるという献上品の歴史的性格を表したものということができる 2. 近世地誌類にみる讃岐の特産品 ~さぬきの伝統野菜 ~ * 野菜は一日 350g 以上取るべきだと言われているが 日本人の野菜摂取量は少ない かつては日本人は野菜を多く食べていたが 1996 年頃を境に少なくなったと指摘され ( 平成 17 年 3 月 20 日付け 日本経済新聞 ) 特に香川県民は一人当たりの野菜摂取量が少なく 全国平均の八割しか食べていないのが問題となっている (1) 江戸前期の地誌類にみる さぬき野菜 1 小物成の中の 御菜 ( おさい ) 寛永 19 年 (1642) の 讃岐国高松領小物成 に 大内郡一 米弐石四斗九升六合御菜河股村 一 米拾四石七斗八升四合御菜引田 寒川郡一 米壱石九斗弐升御菜鶴羽村 一 米弐石四斗御菜志度村 一 米五石七斗六升御菜津田村 とある 御菜 は菜の丁寧語で 数々と取り揃える おかず の意味がある 御菜米 は小物成の一つで もとは菜と魚の弁物を徴収していたが のちに米で代納したのでこう呼ばれた 銀納の場合は 御菜銀 ( おさいぎん ) という 我が国では飯や酒とともに食べる食品を さい な といい 菜と魚は同義語であったが 江戸時代には菜と魚とが区別され 野菜 ( 野にある菜 ) と魚 ( 肴 = 酒 ( さけ )+ 菜 ( な )) となった 2 讃岐の三大名物野菜 ( 大根 牛蒡 穂蓼 ) と二大名物果物 ( 柿 枇杷 ) 延宝 5 年 (1677) の 玉藻集 は 高松城下中野天満宮の祠官小西可春 ( 柳原小八郎 ) が著したもので 名物郷東の大根 牛川牛蒡 幡羅大根 津田の穂蓼卯月に穂生る と記されている 可春は讃岐の名物野菜として 大根 牛蒡 穂蓼 の三つ 代表的な果物として 円座柿 木徳枇杷 の二つを挙げている 牛川牛蒡 の発祥の地は綾川町牛川の浦谷池畔にある三九郎畑とする説がある 貝原益軒の 菜譜 によれば 穂蓼は 万葉集 巻十一に わが宿の穂蓼古幹採み生し実になるまでに君をし待たむ と詠まれ 当時から人家近くで栽培され食用にしていた 室町時代の料理所 四条流庖丁書 (1489) をみると 総じて蓼できぬれば 何魚にても蓼ス良也 と記され 魚の膾には蓼酢が用いられた 播州赤穂の地名は あかたで の穂の産地だったので その名がついた 3 上高岡村の松茸 諏訪大明神記 ( 鰐河神社文書 ) によれば 三木郡上高岡村の明神の森に松茸が多数生え 貞享 (1684~88) 以後代々の藩主が松茸狩に来ており 松茸献上に対して蔵米一石が与えられている (2) 江戸中期の地誌類にみる さぬき野菜 1 瓜 茄 西瓜 冬瓜 莢菔 蔓菁 匏瓜 山椒などの商品作物 高松藩領山田郡木太村の増田休意が延享 2 年 (1745) に 翁嫗夜話 ( 漢文 ) を著し のちこれを基に明和 5 年 (1768) に 三代物語 にまとめた さらに後年 休意の弟で藩儒の菊池武賢がこれを校合して15 巻にまとめ 藩主松平頼恭に献上したところ 讃州府志 の題を与えられた 藩主が初めて本格的な地誌として認めた貴重な史料である 三代物語 大内郡入野郷入野山村 中尾山松茸名品 寒川郡鶴羽郷津田村 津田名物 蓼ノ穂旧史曰四月穂生ると 北山名物 蘿萄 ( 大近 ) 梨子 桃 寒川郡富田郷南川村 大蘿萄近頃造出 寒川郡長尾名村 長尾山松茸名品 寒川郡前山村 蕨名品奥山村 蕨名品 三木郡井戸郷鹿庭村 笋 ( たけのこ ) 絶品也 今枯 葛布皆名物 三木郡高岡郷上高岡村 松茸諏訪山名品公之御用番人有 毎歳番来被下 三木郡原郷 原莢菔 ( だいこん ) 名品 香川郡東部 上之村 上ノ村莢菔 ( だいこん ) 名品 香川郡東部 下福岡村 松島坊瓜 茄 西瓜 冬瓜 ( かもうり ) 莢菔 ( だいこん ) 蔓菁 ( かぶら ) 匏瓜 ( ふくべ ) 香川郡西部円座郷円座村 円座柿名物 香川郡西部飯田郷郷東村 莢菔 ( だいこん ) 名品 阿野郡南之部山田郷牛川村 牛川牛蒡名品凡山田郷牛蒡勝於他 那珂郡小松荘 生姜 柚子名品 讃州府志 巻之三寒川郡産物 津田ノ蓼穂四月生穂名品 雨滝山川椒出津田村名品味異於他 巻之四三木郡産物 竹并筍鹿庭名品今枯 原郷莢菔 ( だいこん ) 味異於他 この時期になると 香川郡東部の上之村 下福岡村や香川郡西部の円座村 郷東村など 高松城下の近郊農村において野菜栽培が盛んになっており 莢菔のほかに瓜 茄 西瓜 冬瓜 蔓菁 匏瓜などの季節野菜や多種類の商品作物の栽培が行われ 城下町の発達と人口の増加に伴う都市住民の旺盛な消費需要に応えている 2 金毘羅の生姜 柚子 平賀源内は宝暦 10 年 (1760) の秋 薬用植物の調査のために金毘羅山を訪れ その著書 物類品隲 (1763) の中で 生薑 讃岐金毘羅産上品 形小ニシテ 味甚辛棘ニシテ筋スクナシ と紹介し 金毘羅産の生姜は特に上質だと絶賛している 生姜 は食用や薬用に栽培され 生姜湯や生姜味噌 - 3 -

生姜酒などにすると 体を温めて風邪を治すに良い薬だと信じられていた 柚子 は古くから果実は酸味が強いが香りがよく 果皮とともに多くの料理に珍重された 果汁を用いて柚子味噌や柚子餅 柚子饅頭なども作られ 文政 5 年 (1822) の神事献立の二の膳にも柚饅頭が出されている ( 文政五歳 御神事諸用書留 ) 金毘羅では柚べし ( 柚子を入れた餅菓子 ) や加美代飴 ( 砂糖 水飴 柚子で作る鼈甲飴 ) なども作られた (3) 江戸後期の地誌類にみる さぬき野菜 1 土産物としての金毘羅生姜 中山城山は香川郡東池西村出身の儒学者で 藤川東園に古文辞学を学び 寛政 1 1 年には高松城中で講義を行った 全讃史 は文政 11 年 (1828) に出されたもので その産物志に 津田穂蓼 幡羅大根三木郡原村名品 牛川牛蒡阿野郡南牛川村 金毘羅乃生姜那珂郡金毘羅乃土産物 とあり 特筆すべきは 金毘羅乃生姜那珂郡金毘羅乃土産物 と紹介されていることであり 初めて讃岐で 土産物 という用語が野菜に対して使われ 対外的な土産物として取り上げられていることである 2 丸亀の大根の市と西瓜店 天保年間 (1830~44) の 丸亀繁昌記 には 九夏三伏夏の夜 橋上には蚊の愁ひなく 老若男女 橋の涼とて黄昏より群をなす 西瓜店には 曲筒の水に人の眼をひやし 薪船はいかりの上に相引の催あり ( 中略 ) 大根の市は赤穂を品の最上として四十七人の中使どもの注進によりて 家々にみだれ入り 皆大石の手下となりて 功のものゝ名を得たり と記され 丸亀の町には西瓜店や大根の市があったことがわかる それとは別に 松生 ( まつばえ ) の市 という薪 西瓜 木瓜などの市も立っていた 3 金毘羅の薫柿と万濃池の蓴菜 讃岐国名勝図会 は 高松城下の町人梶原藍渠とその子藍水が編纂した讃岐の地誌で 嘉永 6 年 (1853) に始めて明治 2 年に終わっているが 凡例に 一 当国産物甚だ多し 砂糖 塩 小豆等のごときは天下に冠たる事偏く世のしる処なり この書一郡の産物を集め録して その下に委しくその村名を記す とあり 各地の土産について次のように紹介している 大内郡松茸 ( 与田山盥谷 たいらだに ) 寒川郡山椒 ( 雨滝山 ) 松茸( 長尾村 山 ) 蓼 松露 ( 津田村 ) 蕨( 前山村 絹島 ) 三木郡菜菔 ( 原村 ) 山田郡松茸 ( 植田村 ) 枇杷( 庵治 ) 香川郡東菜菔 ( 中ノ村 ) 香川郡西柿 ( 円座村 ) 阿野郡北翻白草 ( 白峯谷 ) 阿野郡南牛蒡 ( 牛川村 ) 松茸 椎茸( 山田村 ) 鵜足郡葛布 ( 勝浦村 ) 那珂郡生薑 薫柿 ( 金毘羅 ) 蓴菜( 万濃池 ) 松茸( 金毘羅 塩入村 ) 牛蒡 松茸( 塩入村 ) 金毘羅やその近郊の農村では商品作物の栽培が盛んとなり 薫柿 や 松茸 が土産物として登場してくるのが この時期の大きな特徴である 薫柿は柿を煙でいぶすと渋みが消えて甘みが増すといわれ 松茸は神事献立にも用いられている ( 文政五歳 御神事諸用書留 ) 蒪菜は奈良時代から菜として食用にされており 菜譜 には ところてんの如し 煮て食う もろこしにて蒪羹 ( じゅんこう ) を賞す と紹介されている 4 西讃府志 にみる丸亀領内の特産野菜 西讃府志 は天保 11 年 (1840) に家老佐脇藤八郎の命で領内に 地志撰述 作成を通達し のち櫛梨神社社人 ( 神主 ) 秋山伊豆 ( 惟恭 厳山 ) が引き継いで安政 5 年 (1 858) に完成した藩撰地誌 近世地誌は中国の方志の影響を受けて 各藩の藩主が自らの支配の正当性を明らかにするために 領内各地域の歴史や地名 物産などを調査して本に纏めるという極めて政治的な行為であった 巻之四十八 物産 蔬菜類蘿蔔佐文村ヨリイト早ク出 イツモ梅雨ノ比種ヲ下シ 七月比ヨリ賣出ス 多ク鬻クモ 此村又買田村ナドナリ 又原村大浜浦ナドニナレルハ 味殊に勝レタリ 蕪菁莦 ( ミツナ ) 芥菜( カラシ ) 百葉徳苦トモ 胡蘿蔔 韮 蒜 水晶葱( ラッキヨー ) 分葱( ワキギ ) 胡葱( アサツキ ) 葱 ( ヒトモシ ) 根深トモ 蘩蔞 ( ハコヘ ) 鶏腸菜 ( カハラケナ ) トモ 薺 ( ナツキ ) 萵苣( チサ ) 水苦蕒 ( カハチサ ) 蒲公英( タンポポ ) 黄瓜菜( ウマコヤシ ) 松菜 接續菜( ツキナ ) 筆頭菜 ( ツクツクシ ) トモ 黄鵪菜 ( タヒラニ ) 三葉 牛蒡 黄獨( カシウイモ ) 蕨 藜 ( アカザ ) 狗脊( ゼンマイ ) 水慈姑( クハイ ) 芹菜( セリ ) 蕃椒( タワガラシ ) 罌粟( ケシ ) 生薑内野々村ヨリ多出 萆薢( トコロ ) 百合 菠薐菜 ( ホウレンソ ) 菌類松茸大麻山善通寺山ナルヲヨシトス 香気ヨク味スグレタリ 多クハナシ 粟井井関アタリノ山ヨリ多出 麥盧蕈 ( シヨウロウ ) 有明浜ナルヲヨシト云ヘリ 外ナルヨリ大ニシテ呼又ヨロシ 又大浜浦ニ産レルモイトヨシ 椎茸 橿茸 柳茸 柞茸 初茸 赤茸 湿地茸 ( シメジ ) 黄白アリ 木茸 瓜類胡瓜 越瓜丸亀平山 又土器村清水ナドヨリ早出 壺盧 ( ユウガホ ) 南京瓜 茄子葛原ノ村人多ク作レリ 苦瓠 西瓜 絲瓜 甜瓜 干瓢 菓類梅 桃 柿梅ハ七ケ村香田浦ナドニ多シ 桃ハ下高野ニ多ク作レリ 春ハ花サヘメヅルバカリナリ 又近キ此ハ宮田村ニモ多ク殖タリ 柿ハ河内村ヨリ出ルヲヨシトス 味他ニ異なり 世ニ河内柿トイヘリ 朱欒彼是ニモ殖ツレドモ志々島ニ一株アリ 味外ナルヨリ勝レリ 葡萄粟島ナル梵音寺ニ大キナルアリ 味亦イトヨシ 杏 栗 石榴 梨子 橘 榠桅 ( クワリン ) 榲桲 ( マロメロ ) 包橘 ( タチバナ ) 乳柑 ( クチンポ ) 柑子 橙 柚 襏椵( ユウカ ) 金柑 枇杷 楊梅( ヤマモモ ) 櫻桃( ユスラ ) 無花果 李 棗 榧 大根は佐文よりいと早く出 いつも梅雨のころ種を下し 七月ごろより売り出し 多人ひさぐ と書かれ - 4 -

佐文村の 早出し大根 が有名であった また 内野々の生薑や大麻山 善通寺山 粟井 井関の松茸 有明 浜 大浜浦の麥盧蕈 丸亀平山 土器村清水の胡瓜 越瓜 葛原の壺盧 南京瓜 茄子 香田浦の梅 下高野の桃 河内村の柿 志々島の朱欒 粟島梵音寺の葡萄など各地の特産野菜が記載されている 5 生嶋 中山 中村の大根 万延元年 (1860)~ 明治 35 年 (1902) の 家政年中行司記 ( 渡辺家文書 ) には 原料となる大根に生嶋 中山 中村のものが使われており 当時 讃岐では野菜ごとの特産地が生まれて 6 久米池蓮根 久米池老朽工事竣江記念碑 によれば 久米池にはかつて蓮が繁茂し 久米池蓮根 として知ていた マルセル モースの贈与論と日本の贈答文化フランスの社会学者マルセル モースは 贈与論 (1925) の中で 人間社会には貨幣を使った交換原則にはおさまらない慣行が存在すると述べている なかでも贈与は経済的領域を越えた重要な原則として社会的に機能し 贈与をめぐる道徳的義務のシステムとして1 贈り物を与える義務 ( 提供の義務 )2それを受ける義務 ( 受容の義務 )3お返しの義務( 返礼の義務 ) の三つを挙げている そもそも贈答という言葉自体が返礼の存在を前提にしており 受け取った者に対して返礼を義務付けている この贈与の性質を互酬性 reciprocity と呼ぶが そこには贈り物を一種の債務 負債と感じる意識があったと考えられる モースが3お返しの義務と呼んだがこれである 日本の社会では贈り物の実用的価値が重視され 食物がその大部分を占めている 贈与という行為は 歴史上あらゆる時代 あらゆる地域に見られるが とりわけ日本では 文化的に贈答儀礼がよく保存されている 中元や歳暮以外に 結婚祝いや出産祝い 入学祝い 香典等人生の節目ごとに様々な祝儀 不祝儀が繰り返されている また 近年ではバレンタインデーやホワイトデー等のように新たな贈答儀礼も次々と再生産されている この他 年賀状やメールのやりとり 訪問や招待なども同じ贈答儀礼と同じ構造をもっていると考えられる 3. 付論近世における食の格式と階層性 大名武鑑 にみる うどん の格付け * 表 2 大名武鑑 の時献上にみられる麺類 1) 麺類の格付け 大名武鑑 の時献上には 麺類が33の藩から大名献上物として将軍家に献上されている その内訳は素麵が28 藩 蕎麦が3 藩 ( 信濃高遠 飯山 上野小幡 ) 饂飩が2 藩 ( 上野館林 下総結城 ) で 素麵が質量ともに最も多い なかでも地名を付した素麵が6つ ( 三輪 白子 三春 輪島 博多 豊原 ) もあるなど 広く名産品として世に知られていたことがわかる これら時献上として献上された品物は すべて幕府から公的に認められた特産品であり 当時の最高級品であったと考えられる 時献上として献上された麺類の中で 食の格式からいえば 素麵が一番格式が高く 次いで蕎麦 饂飩の順であったといえる 2) 饂飩の2 大産地 大名武鑑 によれば 江戸時代の饂飩の2 大産地は上野の館林と下総の結城にあったことがわかる 安永 2 年 (1773) の 大名武鑑 には 下総結城藩主水野日向守勝起の項に 時献上正月三日御盃臺 暑中干饂飩 在着御禮一種一荷 寒中牛蒡 とあり 結城藩の特産物として 干饂飩 が幕府に献上されていたことがわかる また 上野館林藩は 将軍家から甲府藩とともに御両典と呼ばれて御三家と並ぶ連枝として高い家格を誇っていたが 太田備中守の時代には時献上として 饂飩粉壱箱 を献上している 1 館林 良質小麦の産地で 日本のチエルノーゼム と自称し 日清製粉 正田醤油の発祥の地でもある 名産は うどん と 麦落雁 館林うどん は 多加水で 切り出した麺を竹ざおにかけて天日で半乾燥させるのが最大の特徴で 白く透明感があって やや太めで柔らかいがコシの強い風味豊かな味わいがする 乾麺なので贈答品や土産物に適している 結婚式の引き出物や新盆 法事のお返し 会社の得意先への贈答などによく使われる 中元の時期には細物 歳暮の時期には太いうどんがよく売れる つけ汁は醤油だれとゴマだれの2 種類があり 冷たいざるうどんで食べるのが一般的である ( 例 ) 館林名物 分福茶釜の冷やし釜玉うどん 麺 1グランプリin 館林で2 年連続グランプリをとった原田製麺の 冷やしキュウリ汁うどん ( 地元板倉地区の名産キュウリを使ったオリジナル食品 ) * 館林の地域活性化運動 日本最大級の麺の祭典 麺 1グランプリ in 館林 (H23~) 麺恋ガールズ 麺のまち うどんの里 館林マップ 館林まちゼミ ( 館林の名店が教えてくれる 得するまちなかお店ゼミナール H24~ 受講料無料で キラリと光るお店づくり をめざす 主催 : 館林商工会議所 ) * 資料 1 麺-1グランプリ in 館林 と館林 まちゼミ 2 結城 館林と同じく古くから小麦の産地で 味の良い乾麺の名産地として知られ 江戸時代には藩の特産品として 干饂飩 が幕府に献上されていた 嘉永 2 年 (1849) の 下総国與地全図 には 結城の物産と - 5 -

して 結城紬 結城牛蒡 結城干饂飩 が紹介されている 昭和ころまで家庭で手打ちをすることもあったが 多くはお店で乾麺を買ってゆでて食べることが行われていた 地元では西村製麺所の ゆうきうどん が有名で 主に贈答 土産用のうどんが製造されている * 結城の地域活性化運動 北の鎌倉 をキャチフレーズに 21 世紀記念事業 結城百選 ( ふる里再発見 ) 結城紬の無形文化遺産 (H22) 紬のふる里マップ 3) 各麺類の特色 これらによると 素麪は糸のように白くて美しい上品で 将軍家等への献上品や七夕の贈り物として幅広く知られていたことがわかる 蕎麦は信州産のものが最も佳いとされ 饂飩は 大抵饂飩は寒い時節に適しており 冷麦は暑い時節に宜い 然ども 意に任せて寒温の区別なく食べる人もある と記され それぞれ庶民の食べ物として親しまれていた様子を窺うことができる 4) 現代 3 大うどん成立の歴史的背景 現在 日本 3 大うどんの一つと言われている群馬県の水沢うどんは 水沢寺 ( 水沢観音 ) の参詣客を相手に供されたのが始まりで 同じ群馬県で江戸時代に将軍家への献上品として知られた館林うどんとともに 群馬の3 大うどん ( 館林 桐生 水沢 ) の一つとされている 秋田県の稲庭うどんは 稲庭古今事蹟誌 によれば 寛文年間以前に稲庭村で佐藤市兵衛によって始められたと伝えられており のち秋田藩佐竹家への献上品となっている いずれも干し饂飩が主で献上品に適していたと思われ 江戸時代の饂飩の2 大産地であった上野の館林と下総の結城と同じように もとは藩から指定された特定の製造業者がこれを製造して藩に上納していたものが 明治以後 幕藩体制の崩壊で国産専売制度が崩れて外護者を失い 時献上の献上品生産から民間相手の地域特産品製造へと舵を切ったものと推測される これに対して香川県の讃岐うどんは 生または半生饂飩が主で 献上品にも適しておらず また 製造 販売段階についても 商品経済の発達に伴って江戸後期に初めて川堤や道端等に小屋掛けのうどん 蕎麦切り商が出始めるレベルであった これには讃岐諸藩の政策も関係していて 例えば 高松藩では天保の改革で奢侈禁止令を発して うどん 蕎麦切り商の人別を吟味するなど藩体制を引き締めるために経済統制と生活統制を強化している このような背景もあって 讃岐では 藩の国産奨励というバックグランドのあった館林 ( 水沢 ) 結城 稲庭などとは違って うどんは藩領内で冠婚葬祭などの特別な儀式の際に出される食べ物の一つに過ぎなかったものと思われる 従って 讃岐では 江戸後期になってうどんや蕎麦が広まったといっても 藩領内の極限られた範囲内のことであって 藩領外に販売できるような段階ではなかったので 敢えて国名を付して讃岐うどんと呼ぶ必要もなかったのである 因みに香川県で乾麺が製造され始めたのは 明治 37 年 (190 4) 頃からである おわりに (1) 江戸時代の時献上品には1000 年来の伝統がある 讃岐の歴史と風土に根ざした独自の特産品を大切にし これらを讃岐ブランドの中心に据えて総合的な地域ブランド戦略を練るべきである (2) 讃岐の特産品を地域ブランド戦略の中核に 1アラン フォーバスの6つの アトラクテイブス ( 魅力 ) ヒストリー( 歴史 ) 歴史上の有名事件の現場や歴史的建造物 フィクション( 物語 ) 小説や演劇 歌謡で有名になった名所や名物 リズム& テイスト ( 音楽と料理 ) 音楽が楽しく 食事が美味しい ガール& ギャンブル ( 女性と賭け事 ) 女性が奇麗で スリルに富む娯楽街がある ショピング( 買物 ) 名物名品など品揃えが良くて安値な商店街と賑わいに富んだ町並み サイトシーイング( 景色 ) 風光明媚で奇勝絶景に恵まれている 2このうち3つを揃えることが大事 cf.6つとも揃えようとする個性がなくなり 必ず失敗する 3 あれがあるから そこへ行きたい と思う魅力を作れ cf.. 道路 飛行場 ホテルを造るのは二の次 (3) 香川県遺産 KAGAWA Heritage 推進運動 香川県の豊かな自然 歴史 文化 産業などの地域資源を次世代に継承していくことで 新しい魅力を持った香川県を創造していく民間主体の県民運動 1 香川県民による 伝統の創造 運動 次世代に遺したい 香川県の宝物 を掘り起こし 新しい伝統 として地域で守り育てていく県民運動 ex. エリック ホブズボームの 伝統の発明 ( 創られた伝統 ) 2 香川県民による 地域活性化 運動 香川県民の ひと もの ところ の再発見による地域活性化運動 3 香川県民による 未来の創造 運動 地域住民自らが有形 無形の地域の良さや価値を見出し 誇りと愛着をもって地域の 未来を創造 していく運動 人づくり ものづくり 地域づくり * 歴史 ( 時間差 ) によるブランドの差別化 ex. 景観は10 年 風景は100 年 風土は1000 年の計 - 6 -