第 37 次発掘調査成果 (9 月 30 日現在 ) 奉行名石垣 調査期間平成 29 年 7 月 25 日 ~ 同年 11 月下旬 ( 予定 ) 調査位置三ノ丸北西石垣上面 (A 区 ), 三ノ丸瓦門北側石垣上面 (B 区 ) 三ノ丸北西石垣下面 (C 区 ) 調査目的三ノ丸北西石垣解体修理に伴う事
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- あゆみ やまがた
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1 平成 29 年 9 月 30 日 ( 土 ) 現地説明会資料盛岡市遺跡の学び館 国史跡盛岡城跡 第 37 次調査 盛岡城について盛岡城は, 旧北上川と中津川の合流点の丘陵地を利用して築かれた平山城です 初代盛岡藩主南部信直が慶長 3 年 (1598), 豊臣秀吉から築城普請の許可を得て, 築城工事が進められました おおよその完成を見た寛永 10 年 (1633) に3 代藩主南部重直が入城して以来, 南部氏 20 万石の居城となりました 明治維新後, 盛岡城は陸軍省の所管となり, 城内建物の保存も検討されましたが, 荒廃が進み維持が困難なことから, 明治 7 年 (1874) にそのほとんどは取り壊されてしまいました その後, 公園整備の計画が進められ明治 39 年 (1906) に 岩手公園 として開園しました また, 往時を偲ばせる雄大な石垣が良好に残されていたことから, 昭和 12 年 (1937) に国指定史跡に指定されました 〇発掘調査について築城以来,400 年以上も風雪に耐えた石垣ですが, 近年傷みが目立ちはじめ, 崩落の恐れも心配される箇所も出てきました そこで盛岡市は, 平成 24 年度に 史跡盛岡城跡整備基本計画 を策定し, 崩落の恐れのある一部石垣の解体修復 ( 積み直し ) を行い, それに伴う発掘調査を実施しています これまでの調査で, 石垣の変遷や構築方法なども徐々に明らかになりつつあります 今年度調査地点 本丸北東 二ノ丸南東 (H5~6) 本丸北西 (H8) 三ノ丸北西 南東 (H25~27) 都市計画道路拡幅 (S62~H1) 淡路丸 (S59~H2) 本丸南西 (H10~12) 台所 (H28~) 確認調査等 第 1 図盛岡城跡全体図および発掘調査実施箇所 1
2 第 37 次発掘調査成果 (9 月 30 日現在 ) 奉行名石垣 調査期間平成 29 年 7 月 25 日 ~ 同年 11 月下旬 ( 予定 ) 調査位置三ノ丸北西石垣上面 (A 区 ), 三ノ丸瓦門北側石垣上面 (B 区 ) 三ノ丸北西石垣下面 (C 区 ) 調査目的三ノ丸北西石垣解体修理に伴う事前調査調査面積約 260 m2確認した遺構 A 区天端石 栗石 盛土 ( 盛岡城 2 期 4 期 ) B 区天端石 栗石 盛土 ( 盛岡城 4 期 ) C 区根石 根石据方 ( 盛岡城 2 期または 4 期 ), 根固石 ( 盛岡城 4 期 ) 出土遺物藩政期軒丸瓦 ( 双鶴文 ), 軒平瓦 ( 蔦文 ), 平瓦 丸瓦片 C 区 A 区 B 区 第 2 図調査区位置図調査内容第 37 次調査は, 石垣変位調査や目視等で変位が大きいと確認されている, 三ノ丸北西部北面の石垣解体修理に伴い, 内部の栗石や盛土の状況, 根石の深さ等を確認するために実施しています A 区 北西部上面に位置し 栗石や盛土を確認しています この北面石垣は元和 3 年 (1617) の構築後 (2 期 ), 宝永 2 年 (1705) に積み直されています ( 奉行名石垣 :4 期 ) 4 期の栗石幅は天端石から約 2.5~3.0mです 背面の盛土は栗石から約 2m 内側で新旧の違いがあり, 宝永 2 年の石垣修理の際に盛土自体も大幅に削平し, 積み直していることが確認できました また, 石垣の北西隅付近でも新旧 (4 期 2 期 ) の栗石の境目と盛土の境目も確認しています B 区 瓦門北側上面に位置し, 石垣天端石 栗石 盛土 (4 期以降 ) を確認しています 栗石上面の盛土は これまで三ノ丸の調査では確認されていない盛土で, おそらく公園整備時にこの場所は, あまり削平を受けなかったため残存したものと思われます この盛土は 切り崩した花崗岩風化層を主体とする他の地点の盛土と異なり 小礫を多く含む締りのない脆い粘質土が主体を占め 廃棄された瓦片が大量に含まれてました また この盛土直下の石垣内部には栗石のみが充填されていると考えられます 盛土上面で瓦門建物跡の礎石等の確認も行っていますが 残念ながら現段階では確認できていません C 区 北西部下面に位置し, 石垣根石 根石据方 根石前面の根固石を確認しています 根石と根固石の一部は表土より上に露出しているものがありました つまり 公園整備以降に根石を覆う地山や盛土が, 削平されている可能性が高いと思われます 根固石は, 一部抜き取られている部分 ( 近代の建物建築の際か ) もありますが 当初は全ての根石前面に設置されていたものと思われます 使用石材は花崗岩の自然石が多いですが 中には矢穴が確認できる割石もあり 2 期と 4 期の矢穴を確認しています このことから 根固石を設置したのは宝永 2 年の積み直しの際と考えられます 根石は自然面の残る割石や野面石を多く使用していることから 2 期根石を残しているように見えますが,4 期矢穴が残る石材や方形に整形された石材も見受けられることから 根石自体も宝永 2 年に積み直されている可能性も否定できません 北東隅の根石の周辺も掘り下げて盛土の状況を確認していますが 他の根石部分より比較的盛土が厚く残存し 大幅な削平を免れているようです しかし 確認した盛土上面も藩政期の生活面を削平している可能性があります 2
3 三ノ丸北西部北面石垣の変遷図 ( 断面模式図 ) 江戸期 ( 宝永 2 年以後 ) 盛土 築石 地山 栗 石 盛土 根石 根固石 三 ノ 丸 公園整備時 ( 明治以降 ) 盛土削平 北 西 部 北 根石や根固石がむき出しになる 地山削平 面 石 垣 現在 表土 ( 新 ) 根固石も外される 表土 ( 新 ) 根石 根固石の掘込盛土地山撹乱 三ノ丸北西部北面下 (C 区 ) 平面図 (1:200) 3
4 盛岡城の概要 概念図 内曲輪は連郭式 + 輪郭式 それぞれの曲輪は堀と土塁によって区画される 本丸 淡路丸 内曲輪 外曲輪 二ノ丸 三ノ丸 遠曲輪 城下は梯郭式 (1) 基本構造 1 北上川と中津川の合流点に接した丘陵部に築城 ( 平山城 ) うちくるわ 2 本丸がある内曲輪 ( 城内 ) を要とし, 外曲輪, 遠曲輪 ( 総構 ) の順に扇形に配置 ( 梯郭式 ) 3 曲輪のそれぞれが堀と土塁で画される 4 内曲輪は, 本丸 二ノ丸 三ノ丸と, 下曲輪が段下がりで連なり, 腰曲輪 ( 淡路丸 ), 榊山稲 荷曲輪, 台所などの部分から構成 ( 連郭式 + 輪郭式 ) (2) 築城工事等 1 築城総奉行 南部信直の嫡子利直を総奉行に鍬 ( 鋤 ) 初 ( 慶長 2 年 <1597>) 2 着工年代 慶長 2 年 (1597)~ 慶長 3 年 (1598) 3 工事期間 40 年以上 工事の中断 ( 最上出陣 信直の死去 中津川 北上川の洪水等 ) 4 仮居城 三戸城 福岡城 ( 寛永 12 年 <1635>) 郡山城 ( 寛文 7<1667> に廃城 ) 5 完成時期 寛永 10 年 (1633) 頃 同年 8 月, 利直の死亡によって重直の初入部 ( 盛岡入 ) (3) 築城 石垣普請に関わった人物 1 内堀伊豆頼式 近江国出身で元は浅井氏家臣 浅井氏滅亡後 前田利家に仕えていた 九戸合戦後 信直 の招聘により南部家に移り 実際の築城の助言者となる 2 奥寺八左衛門 石垣奉行 貞享 3 年銘石垣 ( 二ノ丸西側 ) に刻字あり 3 野田弥右衛門 石垣奉行 貞享 3 年銘石垣と宝永 2 年銘石垣 ( 三ノ丸北側 ) に刻字あり 4 川守田弥五兵衛 石垣奉行 宝永 2 年銘石垣に刻字あり (4) 改修事業 1 落雷による本丸御殿の延焼 ( 寛永 13 年 <1636>) 2 頻繁な石垣普請 洪水 火災 石垣の崩壊 3 本丸の 三重矢倉 ( 櫓 ) 二階矢倉 の再構築 ( 寛文 13 年 <1673>) 4 三重矢倉 ( 三階櫓 ) を 天守 と改称させる ( 天保 13 年 <1842>) 4
5 盛岡城の石垣 (1) 石垣の積み方 1 乱積 大きさの異なる石を積上げる方法 石の大きさがバラバラなので, 目地は通っていない 盛岡城の中では, 自然石を加工せずに積む方法 ( 野面積 ) と, 石と石が重なる面を増やすため, 接合部を打ち欠いて積む方法 ( 打込接 ) が確認されている 2 布積 大きさが揃った石を横に並べて積上げる 石の大きさが均等で, 目地が横に通っている 3 算木積 石垣の隅 ( コーナー ) の積み方 長方形に整形された石を長短互い違いに積む 乱積 ( 三ノ丸西側 ) 布積 ( 三ノ丸北側 ) (2) 矢穴の種類矢穴 石材を分割するクサビを打ち込んだ痕 時期ごとに長さが異なる 矢穴 (2 期 ) 盛岡城 1 期 9cm~13cm 盛岡城 2 期 14~21cm( 盛岡城で最大 ) 盛岡城 3 期以降 4~6cm( 盛岡城で最小 ) (3) 石垣の種類乱積 本丸御末門南東部, 本丸御末門南東出隅, 三ノ丸不明門西側, 二ノ丸東面, 淡路丸北東隅, 淡路丸南西部, 本丸三重櫓台, 三ノ丸不明門東, 二ノ丸南東部, 三ノ丸瓦門南東部布積 二ノ丸西側, 二ノ丸北西部, 二ノ丸北東, 二ノ丸車門, 榊山曲輪北, 榊山曲輪東, 乗者, 淡路丸ハバキ, 二ノ丸東側ハバキ, 二ノ丸北東部石土居, 本丸小納戸櫓台 (4) 石切丁場遺跡 東安庭の見石 日影山 金勢に, 江戸中期 ~ 後期の石切丁場 なだらかな丘陵に大小の花崗岩 矢穴痕の石材が確認 矢穴の大きさから, 延宝 ~ 宝永年間 寛保年間以降の石切場 城内にも矢穴痕の石材あり 築城当初は城内 近傍 ( 慶善館 ) から採石された 外曲輪 ( 本町通りの堀 ) 八戸氏屋敷 ( 現県庁付近 ), 紺屋町, 紫波町長岡から採石 運搬した記録あり 上米内 白石地区に, 石材供給の伝説あり 花崗岩の転石が露呈してるが, 矢穴なし 5
6 盛岡城の石垣様式と遺構の変遷 時期年代概要 不来方城期 1 不来方城 1 期 14 世紀末頃 ~ 丘陵の頂部から中腹にかけて城郭が築かれる 2 不来方城 2a 期 15 世紀末 ~16 世紀前半 丘陵裾部まで拡大される 後の本丸 二ノ丸 三ノ丸 腰曲輪の前身的曲輪が存在した 不来方城 2b 期 16 世紀後半 本丸付近の堀改修 腰曲輪の嵩上げ 不来方城を大改修 本丸, 二ノ丸, 城内主要虎口に 3 盛岡城 1 期 16 世紀終末 ( 慶長 2 年 :1597)~ 石垣が築かれる ( 乱積 A) 石垣は, 角石に割石, 築石に野面石を用いた乱積 腰曲輪の法面は土手の ままで木柵が廻る 盛岡 4 盛岡城 2 期 17 世紀前葉 ( 元和 3 年 :1617)~ 本丸, 二ノ丸石垣の改修 ( 本丸の拡張 ) 城の西側を除き, 腰曲輪 三ノ丸に石垣が構築 ( 乱積 B) される 石垣は築石に至るまで割石で乱積 建物に双鶴 ( 向 鶴 ) 紋の瓦が葺かれる 寛永 13 年 (1636) 本丸の 大半を焼失 城期 5 盛岡城 3 期 17 世紀後葉 ( 寛文 8 年 :1668)~ 腰曲輪西側 二ノ丸西側 榊山曲輪の石垣が構築される ( 布積 A) 本丸再建と腰曲輪などの主な櫓等に赤瓦が葺かれる 本丸西側, 二ノ丸北東部, 三ノ丸北側, 腰曲輪西側 6 盛岡城 4 期 18 世紀前葉 ~ 中葉 ( 宝永元年 :1704)~ などの石垣積み直し ( 布積 B) 腰曲輪南と二ノ丸東にハバキ石垣構築 ( 布積 D, 元文 5 年 :1737~) 腰曲輪窪地の縮小 7 盛岡城 5 期 腰曲輪窪地の埋め立て 18 世紀後葉腰曲輪南西隅櫓を廃止して吹上三社勧請 ~19 世紀中葉城内排水設備の整備 (~ 明治 7 年 :1874) 明治 7 年建物払い下げ, 取り壊し ( 史跡盛岡城跡保存管理計画書より抜粋, 一部加筆修正 ) 6
7 7 盛岡城内図
8 瓦門付近拡大 もりおか歴史文化館蔵 明和三年書上盛岡城図 三ノ丸付近一部抜粋 8
9 三ノ丸北西部北面石垣全景 西から 東から 三ノ丸北西部北面石垣根固石検出状況 9
10 三ノ丸北面石垣 ( 中央 ) 根石据方掘りこみ 4 期 2 期 三ノ丸北面石垣 ( 東 ) 矢穴の残る根固石 10
11 瓦門北側 (B 区 ) 全景表土除去状況 瓦門北側 (B 区 ) 東側表土除去状況 11
12 1 期以前盛土 2 期盛土 4 期盛土 三ノ丸北西部上面全景 ( 平成 26 年度第 34 次調査 ) 2 期盛土 4 期盛土 三ノ丸北西部上面 2 期盛土と 4 期盛土の境目 ( 平成 26 年度第 34 次調査 ) 12
膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)
記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成
Microsoft Word - 0.中表紙・目次(120122)
Ⅱ 史跡の概要 1 史跡周辺の環境 1 史跡の位置と地形 本市は 北上盆地を貫流する東北地方最大の河川である北上川と 奥羽山脈を水源とする雫 石川 北上高地を水源とする中津川 簗川等が交わり 岩手山や姫神山等の象徴的な山並みを 中心市街地から見ることができる水と緑に囲まれた都市である 地形は概ね 北部と東西が山地及び丘陵地となっているほか 平地が南に開け 北上川 雫 ぞうふうとくすい 石川 中津川等の河川が流れる
なぜ 南部氏は石垣の城を造れたのか 盛岡城は東北地方を代表する 石垣造りの城 です 仙台城にしても 弘前城においても 石垣は本丸の重要な部分や 本丸 二ノ丸 三ノ丸などの出入り口 城門が建つところ ( 虎口 : こぐち ) にしか築かれていません これは城づくりの発想がまったく違うからです 石垣に対
いわてシニアネット第 63 回文化サロン 講演会 盛岡城には不思議がいっぱい 平成 27 年 10 月 22 日 ( 木 ) もりおか歴史文化館研修室 講師神山仁先生 ( 日本城郭史学会委員 ) 第 63 回 文化サロン チラシ講師神山仁氏プロフィール盛岡市出身 川口印刷工業株式会社社員 ライフワークとして日本城郭史の調査に取り組む 盛岡城に関する資料調査をはじめ 主に元和一国一城令 江戸幕府の武家諸法度による城郭統制
~ 4 月 ~ 7 月 8 月 ~ 11 月 4 月 ~ 7 月 4 月 ~ 8 月 7 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 7 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 8 月 4 月 ~ 6 月 6 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 11 月 4 月 ~
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月 古 墳 ガイドブック 日 文 化 の 日 出 発 : 午 前 8 時 半 帰 着 : 午 後 4 時 頃 見 学 場 所 庚 申 塚 古 墳 山 の 神 古 墳 ( 柏 原 ) 長 塚 古 墳 ( 沼 津 市 ) 清 水 柳 北 1 号 墳 ( 沼 津 市 ) 原 分 古 墳 ( 長 泉 町 ) 浅 間 古 墳 ( 増 川 ) 実 円 寺 西 1 号 墳 ( 三 ツ 沢 ) 富 士 市 教 育
調査を実施した 調査成果としては 3 面の遺構面を確認し 中世後半 (l 5 ~ (l 3 ~ ところが 調査の結果は 中世後半 (1 5 世紀以降 ) 中世前半 (1 3 ~ ~m ~ 2mm ~ ~ ~ 0.125 ~ 0.063 ~ 0. 1 25111111 ~ 0.063mm ~ 細粒砂 ( ~ 中粒砂 (m.) - 一 \~ ら平安 ~ 鎌倉時代と弥生時代 ( 中期 )~ 古墳 5
Ⅰ. 八王子城跡の中世城郭としての価値八王子城は 関東に覇を唱えた戦国大名北条氏の統治手法である支城領支配における 武蔵国の西南部と相模国の西部の一部を支配していた支城の一つである 八王子城の城主である北条氏照は 兄である北条四代目当主氏政を支え 甲斐の武田氏や越後の上杉氏との戦いや同盟の中心的な役
1. 八王子城跡の価値 八王子城跡は 関東平野と山地の境界部に北条氏照により築城された中世山城であり 歴史的背景の中で城自体の存続期間が短く 城主が一代であることに特徴がある 落城後は江戸幕府による直轄領 明治期以降の国有林 史跡や保安林等の法規制の運用など 時代を経る中で環境が保全されたため 築城当時の様相がよくとどめられている 一方 落城後氏照を弔うため人々により氏照の法号を持つ朝遊山宗関寺が再建され
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Ⅲ. 歴史 文化の核づくり 歴史 文化の核づくりを行う上で 以下の 3 つの観点から城址公園 歴史 文化ゾーンとの関わりを考え 前田正甫 ( 第 2 代藩主 )----------------------- 富山売薬の祖 る 前田正甫は 本草学の研究を奨励し 薬草の収集 研究を推進した 長崎から医 画術導入を図るなどして医学と薬学を考究し 薬草によって治療する医療を目指した 城址 城主 藩主 正甫が江戸城登城の折
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く 付 表 2> 墨 書 石 の 位 置 及 び 内 容 一 覧 石 坦 の 部 位 石 記 号 墨 書 内 容 南 東 隅 隅 石 a 根 石 の 積 み 面 に 2 点 と, 三 月 十 七 日 たのも 云 々とも 読 める 不 明 文 字, 検 出 時 は 逆 さに 見 えていた. 脇 石 b a 石 と 東 に 隣 接 する 脇 石 で, 積 み 面 に 2 点, 上 面 に 1 点 c a
金大考古 54, September 26, 9-3. 名古屋城元御舂屋門の発掘調査 : 酒井中 大名 通名 領国 居城 石高 割当坪数 1 前田 利常松平筑前守 加賀 能登 越中 / 金沢 万石 池田 輝政羽柴三左衛門 播磨 / 姫路 8.75 万石
金大考古 54, September 26, 9-3. 名古屋城 酒井 名古屋城 元御舂屋門の発掘調査 酒井 中 の人工河川は交通 流通 雨水の排水など 近世名古屋 元御舂屋門の発掘調査 城下において重要な水環境を提供している 名古屋城の 中 株式会社パスコ東日本事業部 普請は 徳川幕府により計画され 外様大名に命じられ た 慶長 15 161 年には 将軍秀忠から正式に普請 はじめに 近世城郭は日本全国各地に分布し
2. 急流河川の現状と課題 2.1 急流河川の特徴 急流河川では 洪水時の流れが速く 転石や土砂を多く含んだ洪水流の強大なエネルギー により 平均年最大流量程度の中小洪水でも 河岸侵食や護岸の被災が生じる また 澪筋 の変化が激しく流路が固定していないため どの地点においても被災を受ける恐れがある
2. 急流河川の現状と課題 2.1 急流河川の特徴 急流河川では 洪水時の流れが速く 転石や土砂を多く含んだ洪水流の強大なエネルギー により 平均年最大流量程度の中小洪水でも 河岸侵食や護岸の被災が生じる また 澪筋 の変化が激しく流路が固定していないため どの地点においても被災を受ける恐れがある 解説 急流河川の堤防被災は まず低水護岸や堤防護岸の基礎が洗掘され その後 高水敷または堤防が横方向に侵食される形態が主である
象鼻山ペラ校正
第98 図 象鼻山山頂部の地形分類 S 1/1,000 162 第5章 考 察 出土した土器は 質 量ともに十分であり 具体的な編年的位置を示すことができる 一方 ②盛土中や遺構面から土器が出土し その編年的位置が築造時期の上限や下限を示すのみの 墳墓として 3号墳 砂岩礫集積 や4号墳 6号墳 9号墳がある また 遺構として平坦面2が ある このうち 遺構面から出土した3号墳 砂岩礫集積 の土器はその下限
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51 1 243 1 20 2009. 1 1 2 1 2 1 2 3 4 5 1644 6 1617 32 7 1620 33 8 9 1632 9 1624 44 10 14 1609 11 12 9 5 1600 1 13 1 2 2 1445 14 16 15 132.2m 9 1581 13 10 13 3 1 5 1 8 4 1595 1 14 1609 9 15 2 18 48.3m
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金沢城公園整備事業の経緯について 1. 金沢城公園 ( 国指定史跡金沢城跡 ) の位置と歴史 (1) 位置金沢城公園 ( 国指定史跡金沢城跡 ) は 石川県金沢市に所在する近世城郭であり 市街地のほぼ中心部に位置する 特別名勝兼六園とともに 市域東部に位置する小立野台地が平野部へ舌状に張り出した先端部 ( 標高約 60m) に立地する 小立野台地は犀川 浅野川によって開析された河成段丘であり 城外との比高差は最も高い本丸で
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津山弥生の里文化財センターは 名称のとおり沼弥生住居址群 ( 沼遺跡 ) に隣接して建てられ その資料館も兼ねて平成 2 年 11 月に開館しました この沼遺跡の調査は昭和 27 年にまで遡りますが 当初より遺跡は教材公園として位置づけられ 幅広い市民の支援を受けて 逐次津山市が整備を重ねてきました すでに昭和 30 年 1 月には 発見された火災住居跡の炭化材を基にして大型の竪穴住居を復元し 同
す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査
高 速 自 動 車 国 道 近 畿 自 動 車 道 名 古 屋 神 戸 線 建 設 事 業 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 ( 茨 木 市 域 )その5 現 地 説 明 会 資 料 千 提 寺 西 遺 跡 の 調 査 平 成 25 年 3 月 23 日 公 益 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります
I.平 成12年 遺跡発掘調査 につ い て 加茂市教育委員会社会教育課主事 伊 藤 秀 和 本年 の発掘調査 は下条陣ケ峰線道路建設工事 に伴 い 中沢遺跡が調査 され 加 茂市 では唯 一 の 弥生時代 の集落跡が確認 された 試掘 確認調査 は下条地区で行 われ 3遺 跡 4遺 跡周辺地 を 対象 に行 つた 1口 中沢遺跡 一弥生 平安 一 所 在 地 加 茂市大字下条字芝野地内 調 査 面
立川市雨水浸透施設設置基準 1. 目的この設置基準は 立川市雨水浸透施設設置補助金交付要綱 ( 以下 要綱 という ) の雨水浸透施設の設置にあたり 必要な事項を定めることを目的とする 2. 用語の定義補助対象の雨水浸透施設とは 雨水浸透ます 及び 雨水浸透管 とし 雨水浸透施設の設置に伴い発生する
立川市雨水浸透施設設置基準 1. 目的この設置基準は 立川市雨水浸透施設設置補助金交付要綱 ( 以下 要綱 という ) の雨水浸透施設の設置にあたり 必要な事項を定めることを目的とする 2. 用語の定義補助対象の雨水浸透施設とは 雨水浸透ます 及び 雨水浸透管 とし 雨水浸透施設の設置に伴い発生する簡易工事を 付帯工事 とする (1) 雨水浸透ます は 有孔又は多孔性の浸透ますの周辺を砕石で充填し
出来形管理基準及び規格値 単位 :mm 編章節条枝番工種測定項目規格値測定基準測定箇所摘要 1 共通編 2 土工 3 河川 海岸 砂防土工 2 1 掘削工 基準高 ±50 法長 l l<5m -200 l 5m 法長 -4% 施工延長 40m( 測点間隔 25m の場合は 50m) につき 1 箇所
河川 海岸 砂防 掘削工 基準高 ±50 法長
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本 143 講堂改修工事事前調査概要報告書 3 遠景北 ~ 2015 年 1 月 23 日 東京大学埋蔵文化財調査室 本 143 東京大学講堂改修工事に伴う事前調査概要報告書 所在地東京都文京区本郷台遺跡群 (NO.47) 遺跡番号 略号本 143 HKO13 調査期間 2013 年 9 月 26 日 10 月 21~25 日 11 月 5 11 日 12 月 12~13 16 日 2014 年 5
出来形管理基準及び規格値 単位 :mm 編章節条枝番工種測定項目規格値測定基準測定箇所摘要 1 共通編 2 土工 3 河川 海岸 砂防土工 2 1 掘削工 法長 ç 基準高 ±50 ç<5m -200 ç 5m 法長 -4% 施工延長 40m( 測点間隔 25m の場合は 50m) につき 1 ヶ所
河川 海岸 砂防 掘削工 基準高 ±50
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6 第 731 号 防 災 平 成 22 年 5 月 1 日 2 被災の状況 かり 被災延長は約60mで 崩壊予想面積は約900 平成19年 2 月17日 土 早朝 6 時に この国道108 法面の滑動も確認されたため 同日16時から緊急車 号 大崎市鳴子温泉字大畑地内で 崖崩れが発生し 両 路線バスを除き 全面通行止めを実施したもの ました です 崩れた土砂は約10 で少なかったこともあり 同 法面の観測以降
韮山城跡 百年の計 きわめる つたえる いかす 郷土の誇り 平成 26 年 3 月 静岡県伊豆の国市
韮山城跡 百年の計 きわめる つたえる いかす 郷土の誇り 平成 26 年 3 月 静岡県伊豆の国市 伝堀越御所跡 韮山城跡狩野川南から見た韮山城跡周辺 北西から見た韮山城跡 伊豆国田方郡韮山古城図寛政 5 年 (1793) 公益財団法人江川文庫所蔵 小田原陣之時韮山城仕寄陣取図 毛利家文庫 山口県文書館所蔵 小田原陣之時韮山城仕寄陣取図 静岡県史 模式図 資料編中世四より 例言 にらやまじょうあと
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第 10 章 擁壁構造図集 95 第 10 章擁壁構造図集 第 1 節間知 等練積み擁壁標準構造図 1 標準構造図使 上の留意点 (1) 本指針に示す標準構造図は 背面土の土質が関東ローム 硬質粘土その他これらに類する土質の強度以上を有し かつ 設置地盤の許容地耐力が各図の条件を満足する場合に使用することができる なお 設置地盤に必要な長期許容応力度が100kN/ m2 (10 tf/ m2 ) を超えるものを使用する場合には
イマジン_表1表4
8 7 artist NARA 1 3 4 5 6 7 8 9 1011 1213 1 21 8 21 1 21 2 21 3 21 artist 4 21 5 21 6 21 7 21 NARA 8 21 9 21 10 21 11 21 12 柳生新陰流 で知られる柳生の里は自 然豊かな山里です 江戸時代初期の剣 術家である柳生宗矩が柳生藩初代藩 主として名を馳せた地であり 宗矩の長 男三厳が有名な柳生十兵衛です
新潟県立歴史博物館研究紀要第4号
新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は
物件番号 1 ポケートパーク 仮換地面積価格状況備考 E-27 街区 11 画地 従前地 法律等に基づく制限 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 都市
物件番号 1 ポケートパーク E-27 街区 11 画地 217.16 m2約 66 坪 6,384,504 円引渡可 北側 西側で幅員 6m の舗装市道に面している 地番地目面積 ( 公簿 ) 名取市閖上字新大塚 156 番田 401 m2 内市街化区域 なとりん号 閖上中央第一団地北 停まで約 0.1Km 道路の工事に応じて 停位置を変更する場合があります JR 東北本線 名取駅 まで約 5.5km
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むかしの高松 2006.12 第 20 号 特集 高松城を発掘する! その 2 ~ 玉藻公園の歩き方 ~ 玉藻公園は散策, 花見, お茶会, 植木市など, 一年を通して市民の憩いの場となっています 江戸時代は高松城であったことは知っていても, きれいに整備された現在の公園の印象が強く, お城の雰囲気が薄れています 今回は, 古写真 絵図 発掘調査成果を元に, 意外に知られていない 城 の様子を紹介したいと思います
二〇一九年浜田城とその城下浜田開府四〇〇年
二〇一九年浜田城とその城下浜田開府四〇〇年 浜田藩とその歴史 元和 5 年 (1619) 三重県の松坂藩からてんぽう古田重治が浜田に転封し 5 万 4 千石の浜田藩が成立しました 重治は城下町の建設や藩政の土台を築きました しかし かいえき 2 代重恒に跡継ぎがいなかったため 改易 されました 替わって 慶安 2 年 (1649) に松平 ( 松井 ) 周防守家が入り 広島県の福山藩とともに 中国地方の押さえとして
第 1 章 調査標準に関する現状と課題 jtd
16 10 29 目 次 はじめに 10 10 12 13 15 10 12-1- 090508.jtd 13 11 11 第 1 章 調査標準に関する現状と課題 10 29 10 10 30 41-2- 090508.jtd -3-12 57 93 57 94 11 57 93 090508.jtd -4-090508.jtd 57 93 12 10 10 10 第 2 章 記録保存のための発掘調査に関する標準
第 5 回日本城郭検定 3 級問題 2014 年 11 月 30 日 問 1 国宝の犬山城は江戸時代ある城の支城として機能した その城とはどれか 1 岐阜城 2 彦根城 3 名古屋城 4 岡崎城答 3 名古屋城 問 2 北信濃支配のため武田信玄の築城当時は海津城と呼ばれ 江戸期に城主真田氏が城名を変
第 5 回日本城郭検定 3 級問題 2014 年 11 月 30 日 問 1 国宝の犬山城は江戸時代ある城の支城として機能した その城とはどれか 1 岐阜城 2 彦根城 3 名古屋城 4 岡崎城答 3 名古屋城 問 2 北信濃支配のため武田信玄の築城当時は海津城と呼ばれ 江戸期に城主真田氏が城名を変えた城はどれか 1 上田城 2 武田氏館 ( 躑躅ヶ崎館 ) 3 小諸城 4 松代城答 4 松代城 問
プリント
VOL. 230 2 4 3 5 7 8 9 10 11 12 14 12 13 13 三連蔵 たかさご遊歩 花井家住宅 豊かな歴史とレトロな風情をたっぷりと 港町高砂を訪ねて その2 堀川 高砂来て民家 花井家住宅も 前回に続いて 今回も港町の歴史を今に伝え 随所にレト 栄えていたかがよく分かる ロな雰囲気を残す高砂 堀川界隈を 遊歩 してみることに うだつの上がる家並みを東に歩き
3. 市街化調整区域における土地利用の調整に関し必要な事項 区域毎の面積 ( 単位 : m2 ) 区域名 市街化区域 市街化調整区域 合計 ( 別紙 ) 用途区分別面積は 市町村の農業振興地域整備計画で定められている用途区分別の面積を記入すること 土地利用調整区域毎に市街化区域と市街化調整区域それぞ
土地利用調整計画の様式例 記載要領 土地利用調整計画の様式例 第 1 土地利用調整区域 1. 所在 面積区域名 所在 地番 面積 市町村 大字 字 ( m2 ) 対象区域が分かるよう 所在を明らかにした図面を添付する 記載要領 それぞれの土地利用調整区域を区別するため 区域名を記載すること 土地利用調整区域毎に地番単位で記載すること 対象区域が分かるよう 10,000 分の1~25,000 分の 1の市町村地形図を用いて
1 2 D16ctc250 D16ctc250 1 D25ctc250 9,000 14,800 600 6,400 9,000 14,800 600 以上 6,500 隅角部テーパーをハンチ処理に 部材寸法の標準化 10cm ラウンド 10cm ラウンド 定尺鉄筋を用いた配筋 定尺鉄筋 配力筋位置の変更 ( 施工性考慮 ) 配力筋 主鉄筋 配力筋 主鉄筋 ハンチの除去底版テーパーの廃止 部材寸法の標準化
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河川景観に配慮した護岸ブロックの 展 に関するパンフレット 平成28年6 国 研究開発法 研究所 然共 研究センター 公益社団法 全国 コンクリートブロック協会 河川景観に配慮した護岸ブロックの展示に関するパンフレット の発刊にあたって 平成 26 年 3 月に 美しい山河を守る災害復旧基本方針 が改定され 河岸 水際部の形状などに調和した工法検討に関する留意事項 保全すべき環境要素に関する留意事項
現地説明会資料
史跡赤穂城跡ひがしやぐらだいにしなかもんあと二之丸東櫓台 西中門跡の発掘調査 (1) 絵図からみた二之丸東櫓台 赤穂市教育委員会 赤穂城は 正保 2(1645) 年に常陸国笠間 ( 茨 られて防備の要としていますが 明治維新後 櫓 城県笠間市 ) から入封した浅野長直が 13 年の歳 や門はすべて失われてしまいました 昭和 30 年 月をかけて寛文元 (1661) 年に完成させた海岸平 代に三之丸大手隅櫓が整備されたほか
強化プラスチック裏込め材の 耐荷実験 実験報告書 平成 26 年 6 月 5 日 ( 株 ) アスモ建築事務所石橋一彦建築構造研究室千葉工業大学名誉教授石橋一彦
強化プラスチック裏込め材の 耐荷実験 実験報告書 平成 26 年 6 月 5 日 ( 株 ) アスモ建築事務所石橋一彦建築構造研究室千葉工業大学名誉教授石橋一彦 1. 実験目的 大和建工株式会社の依頼を受け 地下建設土留め工事の矢板と腹起こしの間に施工する 強 化プラスチック製の裏込め材 の耐荷試験を行って 設計荷重を保証できることを証明する 2. 試験体 試験体の実測に基づく形状を次に示す 実験に供する試験体は3
危険度判定評価の基本的な考え方 擁壁の種類に応じて 1) 基礎点 ( 環境条件 障害状況 ) と 2) 変状点の組み合わせ ( 合計点 ) によって 総合的に評価する 擁壁の種類 練石積み コンクリートブロック積み擁壁 モルタルやコンクリートを接着剤や固定材に用いて 石又はコンクリートブロックを積み
既存造成宅地擁壁の老朽化診断 目視点検調査要領 国土交通省国土技術政策総合研究所都市研究部 平成 21 年 3 月 このスライドは 国土交通省の技術的助言 宅地擁壁老朽化判定マニュアル ( 案 ) に基づく 宅地擁壁老朽化診断による危険度判定評価 を行うに当たり 目視調査を行う調査員の事前講習用に作成したものです 当該マニュアル案 (http://www.mlit.go.jp/crd/web/jogen/jogen_hantei.htm)
はじめに 宅地造成等規制法が昭和 36 年に制定されてからおよそ半世紀を経過しました この間 平成 18 年には同法制定以来初めての抜本改正が行われています この改正は 阪神 淡路大震災 ( 平成 7 年 ) 新潟県中越地震 ( 平成 16 年 ) などで被災例が多かった大規模盛土造成地に対応するの
宅地造成工事技術指針 付 名古屋市 ( 宅造用 ) 標準擁壁 付参考資料擁壁の計算例等 平成 20 年 4 月 名古屋市住宅都市局 はじめに 宅地造成等規制法が昭和 36 年に制定されてからおよそ半世紀を経過しました この間 平成 18 年には同法制定以来初めての抜本改正が行われています この改正は 阪神 淡路大震災 ( 平成 7 年 ) 新潟県中越地震 ( 平成 16 年 ) などで被災例が多かった大規模盛土造成地に対応するのが主な内容です
-1 本質的価値 昭和 7 年 192) の史蹟名古屋城の指定説明文では以下のように記述されている モト柳丸城ト称セシ廃城ノ地ニアリ慶長十五年徳川氏ノ築城ニカ丶リ前田毛利黒田以下諸大名ヲシテ役ヲ助ケシメシガソノ天守閣ハ実ニ加藤清正ノ経営ニ成リ五層楼ノ上有名ナル黄金ノ鯱ヲ置ケリ本丸ハ最近マデ離宮タリシ
-1 本質的価値 -2 構成要素 57 -1 本質的価値 昭和 7 年 192) の史蹟名古屋城の指定説明文では以下のように記述されている モト柳丸城ト称セシ廃城ノ地ニアリ慶長十五年徳川氏ノ築城ニカ丶リ前田毛利黒田以下諸大名ヲシテ役ヲ助ケシメシガソノ天守閣ハ実ニ加藤清正ノ経営ニ成リ五層楼ノ上有名ナル黄金ノ鯱ヲ置ケリ本丸ハ最近マデ離宮タリシニヨリソノ保存最モ完全ナルガニ丸三丸等ハ陸軍用地トシテ兵営練兵場ソノ他ニ使用セラレ今僅ニ東御門及旧奥御殿庭園ノ一部及ビ銃眼ヲ有セル土塀等ヲ存スルニ過ギズトイヘトモ猶城門趾城濠等旧規見ルベキモノ少カラズ
考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)
遺 跡 速 報 福岡県 首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院 Syurasan-Ruins in Fukuoka Prefecture えがみ ともえ 江上 智恵 久山町教育委員会 Tomoe Egami Hisayama Town Board of Education 近世の地誌類が記すとおり 調査前の首羅山遺 はじめに 跡は藪に覆われ 僅かな文献と伝承のみが残ってい 首羅山遺跡は福岡県糟屋郡久山町大字久原の白
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第 8 章練積み造擁壁の標準構造図 8.1 標準構造図の種類練積み造擁壁の種類としては 擁壁の背面の状態 ( 切土か盛土 ) によって切土タイプと盛土タイプの2 種類があります 表 8-1 参照過去に造成が行われている場合及び切土と盛土を同時に行う場合には 盛土タイプを使用してください 8.2 標準構造図使用上の注意点 1) 設置地盤の地耐力が表 8-1 の値以上にしてください 軟弱地盤や 過去に埋立てを行
筑豊広域都市計画用途地域の変更 ( 鞍手町決定 ) 都市計画用途地域を次のように変更する 種類 第一種低層住居専用地域 第二種低層住居専用地域 第一種中高層住居専用地域第二種中高層住居専用地域 面積 約 45ha 約 29ha 建築物の容積率 8/10 以下 8/10 以下 建築物の建蔽率 5/10
筑豊広域都市計画用途地域の変更 ( 鞍手町決定 ) 都市計画用途地域を次のように変更する 種類 第一種低層住居専用地域 第二種低層住居専用地域 第一種中高層住居専用地域第二種中高層住居専用地域 面積 約 45ha 約 29ha 建築物の容積率 8/10 以下 8/10 以下 建築物の建蔽率 5/10 以下 5/10 以下 外壁の後退距離の限度 1.0m 1.0m 建築物の敷地面積の最低限度 165
水口岡山城跡国史跡指定記念シンポジウム
水口岡山城跡国史跡指定記念シンポジウム 近世甲賀の起点水口岡山城 ~ 現代に続く礎 ~ 日 程 開催日平成 29 年 (2017 年 )5 月 28 日 ( 日 ) 会場甲賀市碧水ホール 13:00 開場 受付開始 13:30~ 主催者挨拶 13:40~14:25 基調講演 1 水口岡山城の魅力 ~ 歴史的価値と活用の可能性 ~ 中井均 ( 滋賀県立大学教授 ) 14:25~15:10 基調講演 2
岡山城主要部の現況航空写真 ( 平成 21 年撮影 ) 国史跡範囲
図 2-3: 岡山城 ( 三之曲輪以内 ) と現在の市街地重ね図 - 22 - 岡山城主要部の現況航空写真 ( 平成 21 年撮影 ) 国史跡範囲 - 23 - 2 岡山城と旧城下町の現状 1) 岡山城の現状 ⑴ 城郭の状況 1 本丸明治維新後に城は兵部省 ( のち陸軍省 ) の所管となり 明治 12 年 (1879) に御殿が また明治 15 年 (1882) に櫓 城門等の破却が行われ 本丸の建築物は天守閣と月見櫓を残すのみとなった
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参考資料 都市計画について 用途地域 阿佐ヶ谷駅北東地区における建築物の高さに関する主な制限 地区計画 地区計画の事例 ( 練馬駅南口 ) 道路について すぎなみの道づくり ( 道路整備方針 ) 道路整備の事例 ( 江古田北部地区 ) 自転車ネットワーク計画 1 用途地域 用途地域とは 用途地域制度は 土地利用の現況や動向と 都市計画区域マスタープラン ( 東京都 ) で示される将来の土地利用の方向を踏まえ
<4D F736F F F696E74202D B78EF596BD89BB82CC8EE888F882AB C8E86816A F4390B3205B8CDD8AB B83685D>
41 農道路肩 農道法面の補修 対象施設 : 農道施設の区分 : 農道本体対象活動 : 農道路肩 農道法面の補修 農道路肩 農道法面において 侵食 崩壊また ブロック積みや石積み等において 隙間 ひび割れ 欠損などがあり 施設の安全性が十分でない場合な 農道路肩 農道法面の侵食箇所等を補修します また ブロック積みや石積み等の補修又は積み直しをします このことにより 農道利用者の安全な通行が可能となる
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香芝市 1. 施行地区の位置 1 位置図 西名阪自動車道 JR 和歌山線 本地区は奈良市の南西約 18km 大阪市の南東約 25kmにあり 奈良県香芝市の東部に位置する南北約 400m 東西約 700mの区域であり 面積は約 17.6haである 近鉄大阪線 中和幹線 地区の東約 200mには近鉄大阪線五位堂駅がある 国道 165 号 五位堂駅前北第二地区 近鉄五位堂駅 国道 168 号 1 2 地区の従前の状況
