170 研究ノート 摂関政治 に関するノート 朧谷 山中および北山氏による 藤原道長 を踏まえて 日本文化専攻博士課程二年町田一也はじめに 摂関政治 は九世紀中葉 藤原良房 基経から始まったとされている 彼らによる政治は 前期摂関政治 と呼ばれることもある 摂関政治 は延喜 天暦の治を挟みながら断続
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1 タイトル 著者 摂関政治 に関するノート : 朧谷 山中および北 山氏による 藤原道長 を踏まえて 町田, 一也 引用年報新人文学, 6: 発行日
2 170 研究ノート 摂関政治 に関するノート 朧谷 山中および北山氏による 藤原道長 を踏まえて 日本文化専攻博士課程二年町田一也はじめに 摂関政治 は九世紀中葉 藤原良房 基経から始まったとされている 彼らによる政治は 前期摂関政治 と呼ばれることもある 摂関政治 は延喜 天暦の治を挟みながら断続的に継続し 道長 頼通の時代に全盛期を迎えると言われてきた 筆者は現在 摂政 関白 大臣などの職掌の視点から 良房や基経の政治の特質の検討を進めている 大臣の職掌は養老令に規定されているが 令外官である摂政 関白が置かれたことにより大臣の職掌 地位はどう変化したのか その有無も含めて今後考えていきたい問題である 本稿では 藤原道長が就いた摂政 内覧などの職掌と内実を 先行研究に依拠して概観するものであり この
3 171 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート作業を通して今後 良房 基経期に道長 頼通による全盛期 摂関政治 の淵源を求めることができるかどうかを考える糧としたい 道長を扱った著書 論文は数多あるが ここで扱うのは刊行順に北山茂夫 朧谷寿 山中裕三氏がそれぞれ著した 藤原道長 である 朧谷氏の 藤原道長 はミネルヴァ書房の ミネルヴァ日本評伝選 シリーズの一冊として二〇〇七年に刊行された また 山中氏の 藤原道長 は吉川弘文館の 人物叢書 の一冊で 二〇〇八年刊行である このように近年 相次いで藤原道長伝が刊行されたことを踏まえ(1 ) 各氏は 摂関政治 の特質をどう論じているのかという問題に絞り 自己の課題との関係で検証してみたい なお 朧谷 山中両氏の著書に対し 北山氏のそれは岩波書店から一九七〇年に刊行されたもので 他の二氏より時期が離れており 既に一定の評価がなされている書ではある しかし 二氏に先行する 藤原道長 という表題の単行本を代表するものであるので ここで改めて検討の素材とした
4 172 一 三氏の研究の視座三氏の著書の目次は次の通りである 北山朧谷山中序章ある日の道長第一章権力の道において第二章クーデタとその後第三章寛弘時代の道長第四章摂政の座の一年有余結章無量寿院の大殿はじめに第一章藤原北家の躍進と兼家第二章若き時代第三章政界のトップに躍り出る第四章外戚を目指して第五章この世はわが世第六章迫りくる死はしがき第一九条家の流れ第二彰子の入内 立后第三末娘嬉子の誕生第四敦成 敦良親王の誕生第五三条天皇の即位第六後一条天皇の即位第七道長の最期終章道長の遺産 摂関政治の評価 道長を含めた藤原氏による摂関政治 政策論については 三氏とも特に章を設けて展開しておらず そのことに関する記述は全体に散見する 道長の政治 政策に限れば 北山氏が道長の受領 地方政治への関わりを中心に 第三章の後半で総括している(後述) 三氏は著述を行ううえで 道長の日記 御堂関白記 を根本史料に また 同時代の 小右記 権記 左
5 173 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート経記 などを傍証に使用している点では共通している だが これらの他の傍証に使用している史料の比重や論述上の視点の違いには注目すべき点がある 北山氏は道長の最盛期である寛弘時代(一〇〇四 一〇一二年)の道長の 生活の究明 政治的 民間宗教的動向の検討 に主力を注ぐと述べる その上で 素気ない記述の 御堂関白記 などの古記録では道長の全体像を描くには不十分として 紫式部日記 を重視している 山中氏は 栄花物語 は 史書 だったとし 文学 物語としての価値以上に史料的価値を有すると 本書を高く評価している 史料をもとに歴史を叙述するという現在の史家が行うスタイルを 栄花物語 もとっており 従って同書は一つの 史観 であると山中氏は考えているのである 朧谷氏も 紫式部日記 や 栄花物語 などを用いているが それらに対する史料的価値などには特に言及していない 二 道長の政治姿勢に対する評価北山氏は 道長を 積極的な政策をもたぬ大権勢家 とする一方 道長の生前は内乱が無かったことに注目し 道長が内乱の発生を防ぐための方策を講じていた可能性があるとも述べている 道長による政権掌握を九九五(長徳元)年の内覧就任に求め 以後の道長の姿は 白河 後白河らの法皇たちの原型 として 院政との共通性をうかがわせる見解を示している この点が北山氏の主張の大きな特色といえる 朧谷氏は 千年に及んだ摂関体制の覇者 病と闘いながら頂点を極めた男 と道長を評している また 摂
6 174 関政治は院政とともに 天皇の力の後退 とする 北山氏の 道長の生き方は 白河 後白河らの法皇たちの原型である という見方には そのまますんなりとは受け入れ難いようにも思う として 自己の道長伝は北山説の検証の意味を込めた論述になると明言している ただ 北山説の当否については総括されていない 朧谷氏はまた 摂関の条件は 娘に恵まれること その娘の成長の暁には天皇ないし将来天皇になりうる人に配すること そこに皇子が誕生すること と述べ 外戚の地位確立に大きな成功を収めたのが道長だと述べている すなわち 北山 朧谷両氏は天皇家との外戚関係に注目し 道長の 野心 が外戚関係の構築による地位確保であったと考えている点で共通している 北山氏は 藤原氏には従来 皇族への劣等感 があって 摂関の家につらなるものは 伝統的に 皇統をひく女性を娶ろうとする傾向が強かった と述べている 道長は宇多源氏で左大臣にまで昇った雅信の女倫子 同じく左大臣源高明の女明子を娶っている これらは 兄の道隆 道兼につづいて 摂関の地位につく日 にそなえるものだったとする すなわち 官人として歩み始めた時から道長はすでに摂関の地位を見据えていたと北山氏は考えているのである 朧谷氏も 道長は 賜姓皇族の尊貴性に目をつけて 源氏の女性との結婚を積極的にすすめたと述べ また 道長の最大の功績は 何といっても二重三重に手をうって天皇家との外戚関係の維持につとめたこと とする 道隆や伊周との対立などは その実現のための手段だったと捉えているようである 山中氏は 一条 三条天皇の時の道長は内覧 准摂政であったことについて 周囲の事情をよく見きわめようとしたことの現れ 謙譲の美徳 と道長の姿勢を評している その道長が行った政治についても 道長を中心として理想的なよき政治が行われていた と述べる この よき政治 とは 大津透氏が言うところの 天皇
7 175 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノートと皇后 摂関 さらに大臣以下の公が連合して政治にあたった (2 )ことを指している 加えて 紫式部ら女流作家たちが続出したことも 道長の よき政治 が背景にあったとするなど 三者の中で最も道長に肯定的な評価を与えているということになる また 道長が賜姓源氏の女性を娶ったことについては 祖父師輔に倣うところがあったのだろう とし 道長は五男というハンデを乗り越えるべく 高貴な出自の女性との結婚を望んだという見解を示している 北山 朧谷両氏は道長が皇族と肩を並べようとしたと考えているのに対し 山中氏はむしろ藤原氏内部での地位確保もしくは上昇を道長が考えたと述べているところに 明確な違いがある 山中氏は 父兼家や兄道隆のように高位高官になることが人生の最高の希望で 人をおしのけても自分が最高の地位に つくという 野心 を道長は持っていなかったと述べている 野心 の意味するところはほぼ三氏共通していると言って良いだろう 三 内覧と関白道長は関白にはならず 一条天皇 三条天皇の時代を通して内覧で過ごした ここで 道長の時代の摂政 関白 内覧がどのような職掌なのか まとめておきたい 摂政の職掌は 天皇に代わって叙位 除目 官奏を覧ることにある 二条良基の著した 百寮訓要抄 (一三八〇年ころ)には 天子にひとしくする職 とされるが 摂政は詔勅の発布が出来ず 儀式において天皇の代役とはなり得なかったので 必ずしも ひとしく とは言えないところがある 内覧は 太政官から天皇に奏聞すべき文書すべてを事前に見ることが役目である 天皇への奏上文書に予め目
8 176 を通すことの出来る点で関白と似ているが(予め文書に目を通すことを本来 内覧という) 天皇と太政官の間を往復する文書に限られているところに内覧の特徴がある これに加え 内覧の場合 一上の政務を行うことが出来るのも 関白との違いである 一上とは第一の上 すなわち主に左大臣であるが 関白になると一上の権限は次席の大臣以下に譲らなければならない(このことは 太政大臣 摂政も同様である) 内覧であれば一上として 奏上の必要のない文書に目を通しかつ決裁も出来るが 関白は太政官の文書については奏上が必要とされない限り 見ることすら出来なくなるのである なお 関白は摂政とともに 大臣経験者が任じられる 一方 内覧は藤原時平 菅原道真以来 大臣未経験者でも就任できる職だった 以上は摂政 関白 内覧に関する通説だが 北山 朧谷 山中三氏もこうした通説に基づいて論を展開している 四 一条天皇の時代九九五(長徳元)年四月 関白藤原道隆が死去した 前月 病に倒れた道隆は天皇に対し 次男伊周を後任として関白を代行させるよう要請している 一条天皇の勅命は奏聞を要する文書については 関白煩病の間 先づ関白に触れ 次いで内大臣に触れ るようにとの内容だった 関白の職を専ら代行するものだと考えていた伊周は その勅命に反論した 翌日 天皇は伊周に内覧を任せたが 関白病ひの間 という条件付きでの代行命令だった 伊周の母方の親戚である高階氏が 間 を 替 に改めるよう 外記などに迫ったらしいが 拒絶され 天皇も伊周側の要求を認めなかった
9 177 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノートまた 四月に入り 道隆は随身を返上した 伊周は自らが関白を代行する以上 これも譲り受けるべきものと考えていたが 天皇の勅命は関白の随身の人数減だけだった 従来 摂関以外の大臣は随身を賜っていなかったので 内覧である伊周は随身支給の対象にはならなかった しかし 先例があるとのことで 伊周に随身が支給された 道隆はこの時 再度関白を伊周に譲りたいとの奏請を行ったが ここでも一条天皇は伊周の関白就任を認めなかった 道隆は四月十日に死去したが この後少しして関白の詔は伊周ではなく 道隆の弟である右大臣道兼に下された しかし 道兼も五月八日に疫病で死去する 一条天皇は次の関白 内覧を道長 伊周のどちらにするか迷った結果 東三条院詮子の勧めもあって 道長に決めた 御堂関白記 をもとに 一上 内覧両方の権限を発揮している道長の姿を見たい 一〇〇四(寛弘元)年三月を例に取ってみると 七日に道長は陣定に出席し 諸国申請の雑事を議定した これは一上として果たしたことである 二日後の九日には陣座に出向き 官奏を奉仕した 官奏は道長の奉仕後 天皇に奏上されているので 官奏を奉仕することが内覧ということになる 北山氏は 一条天皇は道長によい感情をもっていなかったという伝承 を真相を衝いたものとして評価する 一条天皇は中関白家を頼りにしていたが 道長にはばかって対立を恐れ 伊周を関白に起用しなかったというのが北山氏の見解である 朧谷氏も北山氏と同様 一条天皇と道長の不和を重視している その不和は 大鏡 が語るものである この二人の仲に割って入ったのが国母詮子である 道長にとって姉詮子は 幸運の女神である とし 詮子も兄弟の
10 178 中で道長を特に可愛がっていたことが 道長の内覧就任につながったと見ている また 元木泰雄氏の 当時は まだ官職を父子相承するというイエの論理は定着していなかった という見解(3 )に賛意を示している 道長がこの後 左大臣になっても一条 三条天皇の時代を内覧で通したことについて このことが内覧の地位を高め 内覧は摂関と並ぶ地位となり と述べている どのような点で内覧と摂関の地位が並ぶのか その説明が不足している 山中氏は道長を評するにあたり 一貫して先述の 謙譲の美徳 と同種のことを述べ 道長に 野心 はなかったとしている また 古事談 が語る道長と一条天皇の不和 あるいは一条天皇の苦悩については おおげさに考えない方がよい とする土田直鎮氏の見解(4 )に同調している 道長は一条天皇との関係が良好であり 国母たる東三条院詮子 そして公たちの意見をよく聞き入れてことを運んでいく 天皇と詮子および道長ら三者の意思疎通に尽力したのが藤原行成であり 権記 をもとに 天皇が道長に不満を持ったとは考えがたいと 締めくくっている 五 三条天皇の時代(一)内覧就任一条天皇が一〇一一(寛弘八)年五月末に重態に陥った時 皇太子であった居貞親王の次の東宮を誰にするかで 議論があった 一人は定子所生の敦康親王であり もう一人は道長の女彰子が生んだ敦成親王である この時 敦康の母定子 外祖父道隆 叔父伊周の三人がすでに死去していたため 敦康親王の後見が隆家だけという
11 179 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート状態だった それに比して 敦成親王は左大臣道長を外祖父に持っていたことが大きな強みであった 一条天皇が次期東宮をめぐって悩んだことについては 藤原行成が日記に記している 敦康親王が立太子することを承伏しないのは 他ならぬ道長であることを行成が天皇に伝えたためである 行成は天皇に 敦康親王を厚遇(年官 年爵 別封)することを進言し 天皇もそれを聞き入れて居貞親王に申し伝え 親王もそれを約束した 居貞親王は三条天皇として六月 即位し 敦成親王が立太子した 三条天皇が道長に内覧の宣旨を下したのは八月二十三日だった 天皇は道長を関白に就任させたかったようだが 道長は自ら 今年重く慎むべき ことがあって辞退したと 御堂関白記 で述べている 山中氏はこの言葉にも注目し とりわけ物忌に対する強い意識があったのだろうと 道長の野心などではなく やはり性格に起因するものだと述べている 一方で 道長が一条 三条天皇の時代を通して摂政 関白に就かなかった理由を 山中氏は内覧という特権的地位を確保した上で 太政官の政務をも掌握したかったからとも述べている 氏は森田悌氏の研究(5 )を引用して 道長は上として官符作成に携わることが多いことを挙げている こうした点から 道長の執政者としてのしたたかな一面 を見出せるというのである 朧谷氏も 道長が一上の権限にこだわっていたと述べている点では 山中氏の見解と一致している ただし 道長には 将来をみすえると それはまずいという判断もあったかと思う と述べ 道長の野心を強調するかのような見解を示している また 今年重く慎むべき ことがあったと述べる道長の言葉には注目していない
12 180 (二)内覧から准摂政へ三条天皇は失明に近いほどの眼病を患っており 一〇一五(長和四)年三月十一日以降 官奏を覧ることすら出来なくなっていた そのため 道長は天皇に譲位を迫っていたことが 小右記 にもみえる 天皇の政務を代行するのが摂政であり 摂政は叙位 除目 官奏を行うものであることは 先述した 三条天皇は八月 道長に官奏を覧るべき仰せを下したが これが摂政就任の要請と思ったのか 道長は拒否している その理由は先述の通り 道長の太政官政務へのこだわりがあったということだろう 三条天皇は十月二十七日 道長に准摂政の宣旨を下した 准摂政は除目を行うこと 官奏を覧ることという通常の摂政の任に加え 一上の権限も認めたものである 山中氏によれば 道長が八月の時点で官奏を覧るよう求められても拒否したのは 先例に則っていないためだとも述べている その先例とは 冷泉天皇の御悩の時 天皇の宣旨を得て実頼が官奏を覧たという事例を指していて 事実 このことを道長は実資に調べさせることで知った 朧谷氏は道長の准摂政就任について この時点で道長は天皇を完全に抑えた と述べている 天皇と太政官の間を往来する文書を先んじて覧るのが関白 内覧の権限であったが 加えて本来天皇しか持ち得ない叙位 除目の権限を手に入れた さらに一上として太政官を取り仕切るとなれば 朧谷氏の言葉の通りということになる 実際 道長は十月二十七日の除目を 天皇の出御なしに行っている ただし 事前に天皇の承諾を得ようとしていたので 天皇を蔑ろにしようとしたとは一概には言えないのではないだろうか 北山氏は道長と三条天皇の間に確執があったこと そして道長は外孫敦成親王即位 摂政就任を目標に 天皇を退位においつめたというのが三条朝の宮廷史の内実 と述べている 天皇はあくまで政務へのこだわりを見せ
13 181 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート病気平癒までの時間をかせぐべく 道長を准摂政に任じたというのである こうした道長と三条天皇が対立していたとする見解は 朧谷氏も北山氏も 小右記 に基づいて示している 天皇を軽視し 独断で政務を執行しようとする姿勢を道長に見出すならば 旧来の摂関政治に対するイメージと大差ないだろう これに対して 山中氏は 道長が天皇に譲位を迫った背景には 病に悩む天皇への配慮もあったと述べる 外孫敦成親王を即位させる狙いがあったとする 小右記 の記述のみに注目しては 道長も救われないのではないだろうか と山中氏は述べる その見解は 道長と天皇よりも 実資が持つ道長への嫌悪感を考慮に入れたものと思われる 事実 実資は天皇の病とそれによる政務の停滞で落ち着かない道長について すべては三条天皇退位 敦成親王即位への期待にあると解釈している ただし 実資は道長の一連の言動を隆家 資平らからの伝聞として 小右記 に記している 伝聞にも誇張があったと考えられるのではないか 六 後一条天皇の時代病がいよいよ重くなった三条天皇の譲位を受け 一〇一六(長和五)年正月二十九日 敦成親王が即位した 後一条天皇である 天皇はまだ九歳の幼帝であり 道長は摂政に就任する 道長は准三宮となり 年官年爵ならびに封三千戸を賜ったが それは良房の先例に倣ったものだった その道長の住む土御門第が 七月二十一日に 次いで枇杷殿が九月二十四日に焼亡した その間 八月 九月初旬に火事があり 放火の可能性を道長は指摘している 北山氏は 受領 権門の邸宅がおもにねわれていた 山中氏は 政情への不満でもあったのだろうか とするなど 摂関を中心とした支配への不満が火事につながっ
14 182 たという見方で共通している 北山氏と朧谷氏は この火事で受領たちが任国から見舞いに駆けつけていることに注目している 特に北山氏は 道長が新第を建設する費用を挙って負担したのではないかと述べている 道長は摂政として除目の権限を持つから 受領たちは将来の国司再任を望み 道長に寄付してきたものと考えることができるだろう 一〇一七(寛仁元)年正月 三条上皇が死去した 葬列に道長は体調不良を理由に出席しなかったが 天皇の晩年 譲位をめぐって道長は天皇との駆け引きがあったため 疲れ があったのではないかと北山氏 山中氏は指摘する 二ヶ月後の三月四日 道長の嫡男頼通が内大臣となった 前年の一〇一六(長和五)年末に道長が摂政のまま左大臣を辞していたので 右大臣顕光が左大臣に 内大臣公季が右大臣 そして頼通は権大納言からそれぞれ昇進した それから程なくして 道長は摂政も辞し 同日 頼通が摂政を継いだ 摂政 関白は大臣経験者が任ぜられるものであったから 頼通は権大納言のままでは摂政職を引き継ぐことが出来ない そのため 道長は自分が退くことで大臣のポストを空けて 頼通を大臣にしようとする計画性があったことを北山氏 朧谷氏は指摘する 八月に入り 東宮敦明親王が退位の意向を道長に示した 天皇の子ではない親王にとっては 父三条上皇の死去が大きな後ろ盾を失ったことに等しかった 北山氏は 道長の存在そのものが太子には不安の根源であった と述べる 朧谷氏は外孫敦良親王の立太子を画策した道長の意思が介在していたと述べる なお 東宮が受けつぐ壺切の御剣を 道長は敦明親王には渡していなかったと実資は語っている 東宮退位が 道長の画策か それも東宮本人の意思によるものなのか 結論を出し難いが 親王は申し出通り
15 183 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート退位し 後一条天皇の弟敦良親王が立太子した 十二月四日 道長は太政大臣に任じられた この任太政大臣は 一ヶ月後に迫った天皇の元服に備えて 皇太后彰子の意思によるものだった 摂政 関白が職として成立を見た結果 太政大臣は太政官としての職務が無くなっていたが この頃は天皇の元服式での加冠役を務めるのが太政大臣ということになっていた 道長を太政大臣に任ずるとの宣旨は 摂政頼通が道長本人に伝えた 除目の権限は道長に代わって頼通が持っていた 翌年一月 後一条天皇が元服を迎え 予定通り道長は加冠役を務めた後 二月に三度の上表を経て太政大臣を辞任した 太政大臣がいつから元服する天皇の加冠役を務めるようになったのかはわからないが 後に 御遊抄 (一五世紀中頃成立)では良房が清和天皇の元服で加冠役を務めたと記されている そのため 九世紀の後半太政大臣が加冠役を務める習わしが形成されたのだろう こうした太政大臣の役目は摂関職の成立と関係が深いことを思わせる おわりに 課題と展望 道長の内覧 准摂政 関白の就任とその前後の経緯及び内実を 北山 朧谷 山中三氏の見解を交えながら概観した これまで述べてきたことの繰り返しになるが 道長の時代において 摂政 関白は大臣経験者が就くもの かつ一上の権限すなわち太政官の政務から離れなければならず 天皇への奏上などに主体的には関われないという
16 184 特徴があった 一方 内覧は大臣経験の有無を問わず任じられるものであり 一上の権限を手放す必要も無い 本稿冒頭でも述べたが こうした職掌のあり方が 摂関政治 の始まりとされる良房 基経の時からあったか否かの検討が 今後の課題となる 今 良房について考えてみると 文徳朝での良房は官符に上として主体的に関与している しかし 太政大臣に任じられると その役目は弟で右大臣の良相が担うようになった(なぜ左大臣源信ではないのか という問題はあるが) 良房の名で発せられた官符は皆無になるため これにより一上の権限を良相に譲った可能性がある また 良房は清和天皇の即位と同時に摂政に就いたとする 公補任 の記述も信憑性が増すだろう ただ 良房が病に陥る前後 少なくとも応天門の変ころまでは 太政官からの奏上に良房も筆頭公として名を連ねていることも見逃せない 太政大臣 摂政に就いた結果 太政官政務から手を引かざるを得なかったということでは無さそうである この辺りに良房の太政大臣 摂政としての政治と 後期摂関政治 の違いが考えられるのではないか なお 北山 朧谷両氏は摂関の職掌 地位の時代的変遷は検討されていない 山中氏のみ 実頼 師輔の時から次第に外戚(天皇の外祖父)の力が大きくなり 摂関政治は外戚政治であるといえるほど権威が高まる とし ここに良房 基経の時代との違いがあると述べるが 職掌の違いには触れていない 北山氏 朧谷氏は道長の 野心 を強調し 同氏族である道隆や伊周と対立し 彼らを排除し かつ天皇の権力を拘束する形で頂点を極めた という見方を貫いている 道長に 積極的な政策 が無い と述べるのは北山氏だが 両氏の見解は 権力を維持する手段として天皇の外戚という地位の獲得 および政治をあらゆる面で主導することが道長の一生涯だったということになろう 北山氏は道長の政治の特徴について次のように述べている 氏は 道長が 積極的な政策 を持たなかったと
17 185 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート序盤で述べ 本論では 何らの政策をうちださなかった ほとんどこれといった有効な対策を講じなかった 地方政治は ほとんど受領まかせ と論じている 先にも述べたように 受領は重任を求めて道長に近づいたが それは道長も受領の支援を必要としていたことの現れであろう そういう姿勢が 地方政治には目を向けなかったように見えるだけだったと思われる 一方 山中氏は両氏とは大幅に異なる 三条天皇との確執 後一条天皇の時代における道長の摂政 太政大臣就任から頼通の摂政就任に至る経緯 道長が最初から頼通に摂政を譲るつもりでいたなどの点では 北山 朧谷両氏とほぼ共通している しかし 山中説の基本は 道長の 謙譲の美徳 である 伝聞に依拠した記事が多いという 小右記 の特徴から 従来言われてきた一条天皇と道長 実資と道長の対立に疑問があるとし 温和な性情の道長を描出した点では 山中氏の著述に新鮮さが感じられる 北山氏は 道長家を中核とした貴族門閥制に天皇が政治的志向を拘束されたと指摘するので 山中氏の意見はこれと対照的である 三氏の著書は道長の性格 人物像を描き出すことに主眼が置かれ 道長による具体的な政治 政策にはほとんど言及がない 人物伝という本の性格上 仕方のないことではあるが この先 野心家あるいは温和といった性格づけが前提となって 道長の政治 政策を論じてしまう危険性もある 三氏は 御堂関白記 ほか史料を客観的に読み解いて 道長の性格を描出したのだろうし そのことに問題があるとは言えないが 政治 政策の検討も客観的に行うことが必要だろう 本稿では道長の摂関 内覧の職掌とその内実を概観したが それは道長の政治の外面を見たに過ぎず 実際にその職掌がどう機能したか またどのような政策が実行されたかなどの記述 考証に力点を置いていない 今後は 道長の政治が頼通にどのように継承されたかも含め より客観的に検証することが必要ではないかと思われる
18 186 また 今回の検討を踏まえて良房 基経期の摂政 関白の職掌と道長のそれとの連続面 断絶面を明らかにし 比較し 良房らの 摂関政治 の特質解明に迫りたい (まちだかずや)
19 187 蘋研究ノート 摂関政治 に関するノート[註](1 )最近 倉本一宏氏による 御堂関白記 の現代語訳全三冊が出版され(講談社学術文庫 二〇〇九年) また 小右記 の注釈本も刊行(八木書店 二〇〇八年 )が始まるなど 道長が生きた十世紀末 十一世紀初頭の 国風文化最盛の時代に注目が集まっているといえる (2 )大津透 摂関期の国家 (佐藤信ほか編 新体系日本史1国家史 所収 山川出版社 二〇〇六年)による (3 )元木泰雄 源満仲 頼光 (ミネルヴァ書房 二〇〇四年)による (4 )土田直鎮 日本の歴史5王朝の貴族 (中央公論社 一九六五年)による (5 )森田悌 王朝政治 (教育社 一九七九年)による 参考文献 大津透 日本の歴史06 道長と宮廷社会 (講談社 二〇〇一年)倉本一宏全現代語訳 御堂関白記 全三冊(講談社学術文庫 二〇〇九年)
年 9 月 24 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N
-- 05 年 9 月 4 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N 課長は どうしたのだろうかと思ったが 忙しさにまぎれ催促はしなかった さらにF 係長の休暇中に 係長会議が開かれ
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48 MARCH 2007 MARCH 2007 49 50 MARCH 2007 MARCH 2007 51 52 MARCH 2007 国内に関しては厳しく規制され 二人とも国内 は 国家機密漏洩罪に問われ懲役 20 年の判決 で署名付きの文章を発表することはできない を受け 12 月20日付 汚職や土地の強制収用 ただ筆者は 内外有別 政策は 昔と比 べれば一定の進歩と考える 彼らの文章は確
習う ということで 教育を受ける側の 意味合いになると思います また 教育者とした場合 その構造は 義 ( 案 ) では この考え方に基づき 教える ことと学ぶことはダイナミックな相互作用 と捉えています 教育する 者 となると思います 看護学教育の定義を これに当てはめると 教授学習過程する者 と
2015 年 11 月 24 日 看護学教育の定義 ( 案 ) に対するパブリックコメントの提出意見と回答 看護学教育制度委員会 2011 年から検討を重ねてきました 看護学教育の定義 について 今年 3 月から 5 月にかけて パブリックコメントを実施し 5 件のご意見を頂きました ご協力いただき ありがとうござい ました 看護学教育制度委員会からの回答と修正した 看護学教育の定義 をお知らせ致します
( 続紙 1 ) 京都大学 博士 ( 経済学 ) 氏名 蔡美芳 論文題目 観光開発のあり方と地域の持続可能性に関する研究 台湾を中心に ( 論文内容の要旨 ) 本論文の目的は 著者によれば (1) 観光開発を行なう際に 地域における持続可能性を実現するための基本的支柱である 観光開発 社会開発 及び
Title 観光開発のあり方と地域の持続可能性に関する研究 - 台湾を中心に-( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 蔡, 美芳 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date 2014-07-23 URL https://doi.org/10.14989/doctor.k18 Right 許諾条件により本文は 2015-07-23 に公開
論文題目 大学生のお金に対する信念が家計管理と社会参加に果たす役割 氏名 渡辺伸子 論文概要本論文では, お金に対する態度の中でも認知的な面での個人差を お金に対する信念 と呼び, お金に対する信念が家計管理および社会参加の領域でどのような役割を果たしているか明らかにすることを目指した つまり, お
論文題目 大学生のお金に対する信念が家計管理と社会参加に果たす役割 氏名 渡辺伸子 論文概要本論文では, お金に対する態度の中でも認知的な面での個人差を お金に対する信念 と呼び, お金に対する信念が家計管理および社会参加の領域でどのような役割を果たしているか明らかにすることを目指した つまり, お金に対する信念の構造の把握と関連領域の整理を試みた 第 Ⅰ 部の理論的検討は第 1 章から第 5 章までであった
社会科 歴史的分野 学習指導案 授業者 広島市立 中学校 教諭 1 日時平成 19 年 月 日 2 学年 学級第 1 学年 組 3 単元名 なぜ文化が国風化したのか? ~ 国風文化は平安時代を映す!~ 4 単元について (1) 教材観 文化 はその時代の背景を強く映し出している 国風文化が形成された
社会科 歴史的分野 学習指導案 授業者 広島市立 中学校 教諭 1 日時平成 19 年 月 日 2 学年 学級第 1 学年 組 3 単元名 なぜ文化が国風化したのか? ~ 国風文化は平安時代を映す!~ 4 単元について (1) 教材観 文化 はその時代の背景を強く映し出している 国風文化が形成された要因も, 平安時代という政治や社会を背景としている 遣唐使が廃止された 藤原氏の隆盛と摂関政治 藤原氏が,
第6回 平安時代の政治・経済
第 6 回平安時代の政治 経済 1. 平安京 不要の官人の削減 兵役の軽減を行った光仁天皇が死亡した後 桓武天皇が即位した 桓武は 奈良時代にみられた仏教政治を改め 人心の刷新を図るため 遷都を実行した 784 年 藤原種継の勧めに従い 山背国乙訓郡長岡に遷都した しかし 翌年種継は暗殺された 事件の背景には 大伴 佐伯氏らとの対立 さらに種継と皇太弟早良親王との対立があったといわれる 長岡京は 事件後も都として使われていたが
国民年金法による改定率の改定等に関する政令
国民年金法による改定率の改定等に関する政令 国民年金法施行令等の一部を改正する政令 平成 17 年 3 月 30 日政令第 92 号 平成 23 年 3 月 31 日政令第 81 号 - 本則 - 改正前 施行日 : 平成 23 年 4 月 1 日 ( 平成二十二年度における国民年金法第二十七条に規定する改定率の改定 ) 第一条平成二十二年度における国民年金法第二十七条に規定する改定率は 〇 九九二とする
博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文
博士論文 考え続ける義務感と反復思考の役割に注目した 診断横断的なメタ認知モデルの構築 ( 要約 ) 平成 30 年 3 月 広島大学大学院総合科学研究科 向井秀文 目次 はじめに第一章診断横断的なメタ認知モデルに関する研究動向 1. 診断横断的な観点から心理的症状のメカニズムを検討する重要性 2 2. 反復思考 (RNT) 研究の歴史的経緯 4 3. RNT の高まりを予測することが期待されるメタ認知モデル
景品の換金行為と「三店方式」について
景品の換金行為と 三店方式 について 1 景品の換金が行われる背景と法令の規定について 2 三店方式 の歴史について 3 三店方式 を構成する3つの要素について 4 三店方式 に関する行政の見解について 5 三店方式 に関する裁判所の見解について 6 三店方式 とパチンコ店の営業について 株式会社大商姫路 - 1 - 1 景品の換金が行われる背景と法令の規定についてパチンコは 遊技客が 遊技機で遊技した結果獲得した玉
条第一項に規定する国際平和協力業務の実施等に関する重要事項九自衛隊法 ( 昭和二十九年法律第百六十五号 ) 第六章に規定する自衛隊の行動に関する重要事項 ( 第四号から前号までに掲げるものを除く ) 十国防に関する重要事項 ( 前各号に掲げるものを除く ) 十一国家安全保障に関する外交政策及び防衛政
国家安全保障会議設置法 ( 昭和六十一年五月二十七日 ) ( 法律第七十一号 ) 第百四回通常国会第二次中曽根内閣改正平成一一年七月一六日法律第一〇二号同一五年六月一三日同第七八号同一七年七月二九日同第八八号同一八年一二月二二日同第一一八号同二五年一二月四日同第八九号同二六年四月一八日同第二二号同二七年九月三〇日同第七六号 安全保障会議設置法をここに公布する 国家安全保障会議設置法 ( 平二五法八九
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ワークシート ディベートは こうていがわひていがわ肯定側と否定側に分かれて行う 討論ゲーム です ディベートの様子をビデオで見てみましょう ディベートをすると 筋道を立てて考えることわかりやすく話すこと相手の話をしっかり聴くことよくメモを取ることなどの練習ができます ディベートの討論するテーマを 論題といいます -- これから, みなさんといっしょに ディベート学習 を通して 筋道立てて考える力 (
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2 154 2 2011 4 2012 3 2 2 42 38 2 23 3 18 54 DVD DVD 3 1 3 155 1 1 2 3 1 3 1 11 12 3 DVD 156 2 3 2 12 2 1 8 1 7 1 6 3 6 3 2 6 2 1 5 9 12 2 3 10 7 6 23 1 157 1 12 2 6 10 18 6 6 2 1 1 2 3 158 2 6 2 3 70
課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください
課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください 課題研究の進め方 Ⅰ 課題研究の進め方 1 課題研究 のねらい日頃の教育実践を通して研究すべき課題を設定し, その究明を図ることにより, 教員としての資質の向上を図る
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② ICM & Safety Division Newsletter No.24 解 説 ISO12100とはどのような内容か 長岡技術科学大学システム安全系 福田 隆文 ISO12100は機械安全の基本規格で 本ニュースレタ それぞれの技術原則を提示している 具体的な内容はぜ ーでも何回か取り上げられているように機械安全の実現 ひ規格を見て頂きたい 自分の担当している機械 設備 の仕方の原則を決めている
早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士論文概要書 論文題目 ネパール人日本語学習者による日本語のリズム生成 大熊伊宗 2018 年 3 月
早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士論文概要書 論文題目 ネパール人日本語学習者による日本語のリズム生成 大熊伊宗 2018 年 3 月 本研究は ネパール人日本語学習者 ( 以下 NPLS) のリズム生成の特徴を明らかにし NPLS に対する発音学習支援 リズム習得研究に示唆を与えるものである 以下 本論文 の流れに沿って 概要を記述する 第一章序論 第一章では 本研究の問題意識 意義 目的 本論文の構成を記した
監査に関する品質管理基準の設定に係る意見書
監査に関する品質管理基準の設定に係る意見書 監査に関する品質管理基準の設定について 平成 17 年 10 月 28 日企業会計審議会 一経緯 当審議会は 平成 17 年 1 月の総会において 監査の品質管理の具体化 厳格化に関する審議を開始することを決定し 平成 17 年 3 月から監査部会において審議を進めてきた これは 監査法人の審査体制や内部管理体制等の監査の品質管理に関連する非違事例が発生したことに対応し
O-27567
そこに そこがあるのか? 自明性 (Obviousness) における固有性 (Inherency) と 機能的クレーム (Functional Claiming) 最近の判決において 連邦巡回裁判所は 当事者系レビューにおける電気ケーブルの製造を対象とする特許について その無効を支持した この支持は 特許審判部 (Patent and Trial and Appeal Board (PTAB))
ISO9001:2015規格要求事項解説テキスト(サンプル) 株式会社ハピネックス提供資料
テキストの構造 1. 適用範囲 2. 引用規格 3. 用語及び定義 4. 規格要求事項 要求事項 網掛け部分です 罫線を引いている部分は Shall 事項 (~ すること ) 部分です 解 ISO9001:2015FDIS 規格要求事項 Shall 事項は S001~S126 まで計 126 個あります 説 網掛け部分の規格要求事項を講師がわかりやすく解説したものです
平成18年度標準調査票
平成 30 年度 チェック式自己評価用 組織マネジメント分析シート 自己評価用 経営層合議用 作成日 ( 完成日 ) 施設 事業所名 作成関係者 平成年月日 ( 役職名 ) ( 氏名 ) カテゴリー 1. リーダーシップと意思決定 2. 事業所を取り巻く環境の把握 活用及び計画の策定と実行 3. 経営における社会的責任 4. リスクマネジメント 5. 職員と組織の能力向上 6. サービス提供のプロセス
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博士前期課程第 1 期入学試験問題 小論文 2017 年 1 月 21 日 ( 土 ) 実施 問題 A~L のうち 2 問を選択し 答えなさい 問題 A 現在の日本の学校教育で行われている教育活動の具体例を挙げ その成立背景 歴史的変遷を概観した上で 今日的な課題を論じなさい その際 各種の学校段階のいずれかを想定して論じること 問題 B 次期学習指導要領が目指す教育の方向性について 中央教育審議会の提言のキーワードを二つ以上挙げて論じなさい
HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している
段落の最初の接続のことば1 だから それで そこで すると したがって ゆえに 順接 これがあったら 前を受けて順当な結果が次に来る だから 前を受けて順当な結果かどうかを確かめればよい 段落の最初の指示語資料 8 これ それ あれ などの指示語があったら 前で指している内容を 指示語のところに当てはめてみよう ( 代入法 ) あてはまるようならば (= 後ろに自然な形で続いていれば ) そのつながりでよい
会計年度任用職員の勤務時間 休暇等に関する条例 ( 案 ) ( 趣旨 ) 第一条この条例は 会計年度任用職員 ( 以下 職員 という ) の勤務時間 休暇等に関し必要な事項を定めるものとする ( 勤務日数及び勤務時間 ) 第二条職員の勤務日数ならびに勤務日の割振りは職務の性質に応じて任命権者が定める
会計年度任用職員の勤務時間 休暇等に関する条例 ( 案 ) ( 趣旨 ) 第一条この条例は 会計年度任用職員 ( 以下 職員 という ) の勤務時間 休暇等に関し必要な事項を定めるものとする ( 勤務日数及び勤務時間 ) 第二条職員の勤務日数ならびに勤務日の割振りは職務の性質に応じて任命権者が定める 2 前項の規定に基づき 任命権者が勤務日数又は勤務日の割振りを定める場合において 二週間ごとの期間につき勤務しない日を二日以上設けるものとする
第16部 ソフトウェア・プロセスの改善
第 39 章 ISO 9000 シリーズ ISO 9000 シリーズの目的当初製品の品質に関わる要求は ある製品の製造者とその顧客の間の二者間のものだった つまり顧客が必要としている製品の製造者に 高い品質の製品の提供を顧客が直接要求する形のものだった しかしこの製造者が多くの顧客を持ち 顧客も多くの製造者から製品を購入し 場合によればある企業が ある時は製造者の立場に立つが別の時には顧客になるというように製造者と顧客の間の関係が複雑になると
25~34歳の結婚についての意識と実態
2017 年 8 月 28 日 25~34 歳の結婚についての意識と実態 男女交際 結婚に関する意識調査より 株式会社明治安田生活福祉研究所 ( 社長木島正博 ) は 2017 年 3 月に 全国の 15~34 歳の男女 10,304 人を対象に 男女交際 結婚に関する意識調査 を実施しました 男女ともに平均初婚年齢が 30 歳前後 ( 注 ) である今日 この年齢層の結婚と男女交際についての意識と実態に注目し
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人間科学研究科の教学理念 人材育成目的と 3 ポリシー 教学理念 人間科学研究科は 総合的な心理学をもとにして 人間それ自身の研究を拓き 対人援助 人間理解にかかわる関連分野の諸科学や多様に取り組まれている実践を包括する 広い意味での人間科学の創造をめざす 細分化している専門の深まりを 社会のなかの人間科学としての広がりのなかで自らの研究主題を構築しなおす研究力を養い 社会のなかに活きる心理学 人間科学の創造をとおして
いる 〇また 障害者の権利に関する条約 においては 障害に基づくあらゆる差別を禁止するものとされている 〇一方 成年被後見人等の権利に係る制限が設けられている制度 ( いわゆる欠格条項 ) については いわゆるノーマライゼーションやソーシャルインクルージョン ( 社会的包摂 ) を基本理念とする成年
成年被後見人等の権利に係る制限が設けられている制度の見直しについて ( 議論の整理 ) 平成 29 年 12 月 1 日 成年後見制度利用促進委員会 成年後見制度の利用の促進に関する法律第 11 条において 成年後見制度の利用促進に関する施策の基本方針として 成年被後見人等の人権が尊重され 成年被後見人等であることを理由に不当に差別されないよう 成年被後見人等の権利に係る制限が設けられている制度について検討を加え
タイトル 東 南 アジアの 人 間 像 と 日 本 経 営 史 の 原 像 ( 一 ) 著 者 大 場, 四 千 男 ; OBA, Yoshio 引 用 北 海 学 園 大 学 学 園 論 集 (148): 23-112 発 行 日 2011-05-18 東南アジアの人間像と日本経営 の原像 一) 大場四千男) い東南アジア の方法論として提起しようとする したがって ここでは森安孝夫の唐王朝の特
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1. 2. 1 1987-79- 2-2. 1976 19-80- 2-3. 日出処の天子 -拒絶される愛 山岸涼子の 日出処の天子 は 1980 年から 1984 年にか けて 雑誌 ララ に連載された 厩戸皇子 後の聖徳太子 の少年青年期を描いた作品である 読者はこの作品によって 歴史を学ぶとともに 厩戸皇子と蘇我毛人 歴史上は蝦夷と 記さるがこの作品では毛人 の間のホモセクシュアルの雰囲 気を楽しんだ
現状では法制度を工夫しても 違憲の疑いが強い
資料 9 ブロッキング法制化は 違憲の疑いが強いこと 弁護士森亮二 1 現状では法制度を工夫しても 違憲の疑いが強い 前回 ( 第 7 回 ) の提出資料 ( 資料 7) と席上での説明は 中間まとめの修正版では無視されました 完全に無視でした 3 違憲審査基準のあてはめ 1 違憲審査基準は以下のとおり アクセス制限 ( ブロッキング ) が合憲といえるのは 1 具体的 実質的な立法事実に裏付けられ
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特集 2 日本のCMのぜんぶ 1953-2012 歴史を通して未来が見える テレビ コマーシャルからの証言 アーカイブが開く地平 テレビ コマーシャルは 社会変動や時代の感性をどう捉え 自らをどう変容 進化させてきたのか 社会学者として幅広い研究分野をもつ著者に アカデミズムの立場からCM研究の理論パラダイムの動向と CMイメージの歴史的な変転を具体的な作品を通して概説していただくとともに グローバルなアーカイブの構築によって開かれる新しいCM研究の可能性についてご提示いただいた
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第 3 表 ( 週間サービス計画 ) -51- 質問 1 週間サービス計画表の活用方法やサービスの組み立て方について どのように考えていますか? 質問 2 本人の主な日常生活について どのように把握しましたか? またその人らしい生活がイメージされていますか? 質問 3 週間サービスには 利用者 家族の状況 ( 意向 事情等 ) にあった計画になりましたか? 質問 4 週単位以外のサービス の欄には何を記載していますか?
分からないですから 子供と一緒の生活も 社会的なメッセージが影響していたとBさんは ほんとに何週間< らいだったらいいんですけ 感じている Bさんのキャリア志向には 女 ど それがずっと 1年 2年ってなると も外に出て仕事をした方がいい 男と対等にや どこでも大体 美術展見に行きたいと思っても っていくのがいい という 当時の社会的なメ お子さまはご遠慮下さいみたいなこと書いてあ ッセージの影響があったとBさんは振り返って
ギムギュドン牧師の公開謝罪は真心からだったのか 被害者を治療するために 残りの一生を注ぐと約束してから 3 日後に 金牧師は 被害者たちの言葉は誇張されていると述べた ヨハン教会の信徒たちは 金牧師の態度と 次第に現われるセクハラの更なる被害者 財政の疑いなどで 混乱している? ニュースエンジョイク
Newsnjoy 発ヨハン教会についての続報 9 月 5 日の記事で 金圭東牧師の謝罪の真を問うことと セクハラの被害者がさらに増える可能性 さらに財政問題を報じています ヨハン教会金圭東牧師の悔い改め 本物だったのか 公開謝罪後 被害者たちの主張 事実ではない と金牧師 さらにふえる被害者に財政不正まで 2014.09.05 ク ゴンヒョ ([email protected]) ヨハン東京キリスト教会
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2 [2012? 2] [1] Let s Study Archival Science: From a Graduate [ report] Misuzu Oneyama 1 : 100 ( [2]) [3] ISAD(G) 3 2008 2 : 2-1: GCAS Report Vol.3 2014 088 2008 (?) 14 16 9 :00-18:00 40 > 9:00-15:00 9:00-12:00
1 私の文学高橋信之初めに大学入学以来の五十数年の歳月を文学と深く関わってきた 私の文学は 研究と創作の双方との程よい関係を保つことができ そのことを幸運だと思っている 文学研究では 学生時代の早くからドイツ文学 特にトーマス マン研究に集中することができた また 学生時代に小説を書くことが出来たの
1 私の文学高橋信之初めに大学入学以来の五十数年の歳月を文学と深く関わってきた 私の文学は 研究と創作の双方との程よい関係を保つことができ そのことを幸運だと思っている 文学研究では 学生時代の早くからドイツ文学 特にトーマス マン研究に集中することができた また 学生時代に小説を書くことが出来たのも幸運であった 一時は 生涯の仕事としての創作活動を選びたいとも思ったが 文学研究を自分の仕事とし 大学院では
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装い としてのダイエットと痩身願望 - 印象管理の視点から - 東洋大学大学院社会学研究科鈴木公啓 要旨 本論文は, 痩身願望とダイエットを装いの中に位置づけたうえで, 印象管理の視点からその心理的メカニズムを検討することを目的とした 全体として, 明らかになったのは以下のとおりである まず, 痩身が装いの一つであること, そして, それは独特の位置づけであり, また, 他の装いの前提条件的な位置づけであることが明らかになった
l. 職業以外の幅広い知識 教養を身につけたいから m. 転職したいから n. 国際的な研究をしたかったから o. その他 ( 具体的に : ) 6.( 修士課程の学生への設問 ) 修士課程進学を決めた時期はいつですか a. 大学入学前 b. 学部 1 年 c. 学部 2 年 d. 学部 3 年 e
1. 大学院生対象アンケート 実施期間 : 平成 21 年 3 月 1 日 ~ 3 月 19 日 対象 : 大学院生 回収率 :25.6% [ アンケート内容 ] 1. あなたは次のどの学生に属しますか a. 一般学生 b. 留学生 2. あなたは現在どの専攻に在籍していますか 修士課程 a. 美術専攻 b. デザイン専攻 博士後期課程 c. 造形芸術専攻 3. あなたの学年は a. 修士課程 1
それでは身体は どこに帰属するのか 図3のあらわす空間は 身体を出現させる生 成の母胎(matrix)である この空間の実在は 客観の場合のように直接に確かめられるという せた させるであろう ことを通じて また はじめとする社会諸形式を駆使するからではな 示されるのである 身体 世界という名の諸客 観 主観の対合 を この母胎 事象の総体 のなかから 一定の仕方で切りとられたもので いか だとすれば
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17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 説明がない分 最初は積極的に独身で いたい強気な男という印象がありますが あとで印象ががらりと変わりますね 語語 りり順 トレレ ニグング 順の のト ーー ニン 何をどんな順番で語るかは 日頃から 小 説 を 読 み つ つ こ の 順 番 な ら 効 果 的 だけど 逆にすると艶消しだな とか 順 してみます 通して書くから分かるという部分があっ
( 続紙 1 ) 京都大学博士 ( 法学 ) 氏名小塚真啓 論文題目 税法上の配当概念の意義と課題 ( 論文内容の要旨 ) 本論文は 法人から株主が受け取る配当が 株主においてなぜ所得として課税を受けるのかという疑問を出発点に 所得税法および法人税法上の配当概念について検討を加え 配当課税の課題を明
Title 税法上の配当概念の意義と課題 ( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 小塚, 真啓 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date 2014-03-24 URL https://doi.org/10.14989/doctor.k18 Right 許諾条件により本文は 2015-03-24 に公開 Type Thesis or Dissertation
レバレッジETF・インバースETFについて
レバレッジ ETF インバース ETF について 野村アセットマネジメント株式会社 商品企画部 田畑邦一 1. はじめに 2012 年 4 月に日本で レバレッジ ETF インバース ETF が上場してから 約半年が経過し 10 月 18 日には 4 銘柄合計の立会内の売買代金が約 77 億円を記録するなど その存在感を増してきている ETF とは Exchange Traded Fund の略であり
要がある 前掲の加護野 1983 の議論にも あったように 文化概念は包括的に用いられ得 るものであり それ故これまで極めて多くの要 素が組織文化として論じられてきているが 共 有価値なる概念はこうした多様な要素をカヴァー し尽くすことができないのである 例えば組織 における慣習やこれに基づく行為様式は 通常 組織文化の重要な構成要素のひとつに数えられ ているが それは組織における無自覚的な前提 と化しており
( 続紙 1) 京都大学博士 ( 教育学 ) 氏名小山内秀和 論文題目 物語世界への没入体験 - 測定ツールの開発と読解における役割 - ( 論文内容の要旨 ) 本論文は, 読者が物語世界に没入する体験を明らかにする測定ツールを開発し, 読解における役割を実証的に解明した認知心理学的研究である 8
Title 物語世界への没入体験 - 測定ツールの開発と読解における役割 -( Abstract_ 要旨 ) Author(s) 小山内, 秀和 Citation Kyoto University ( 京都大学 ) Issue Date 2014-03-24 URL https://doi.org/10.14989/doctor.k18 Right 許諾条件により本文は 2015-03-01 に公開
人間科学部専攻科目 スポーツ行政学 の一部において オリンピックに関する講義を行った 我が国の体育 スポーツ行政の仕組みとスポーツ振興施策について スポーツ基本法 や スポーツ基本計画 等をもとに理解を深めるとともに 国民のスポーツ実施状況やスポーツ施設の現状等についてスポーツ行政の在り方について理
人間科学部専攻科目 スポーツ学概論 の一部において オリンピックに関する講義を行った スポーツを振興する産業やスポーツを通じた人間の教育に関する多領域の基本的知識を身に付けることが到達目標です 1 人間科学部専攻科目 スポーツ学概論 におけるオリンピック教育 活動期間 : 2015 年度前期 ( うち 1 コマ ) 参加者数 : 27 人 人間科学部専攻科目 スポーツ競技 Ⅱ の一部において オリンピックに関する講義を行った
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単元観 中学校学習指導要領では 目的に応じて資料を収集し, コンピュータを用いたりするなどして表やグラフに整理し, 代表値や資料の散らばりに着目してその資料の傾向を読み取ることができるようにする と示されている この内容を受け, 本単元では, 資料を収集, 整理する場合には, 目的に応じた適切で能率的な資料の集め方や, 合理的な処理の仕方が重要であることを理解すること, ヒストグラムや代表値などについて理解し,
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58 韓国の歴史教科書 現在韓国では 国定教科書 検定教科書 認定教科書とい 二 現在の韓国の歴史教科書とその構成要素 が審査 認定したものです 歴史関連の教科書は 表1 の 通り 小学校以外はすべて検定教科書です 教科書を構成する諸要素と深く関係しています その構成要 どの教科がどのような種類の教科書として編纂されるかは 部が著作権を持つ教科書であり 教育部で編纂し ひとつの 素を概観してみると
学生確保の見通し及び申請者としての取組状況
資料 23 ソーシャルビジネス推進研究会報告書 平成 22 年度地域新成長産業創出促進事業 ( ソーシャルビジネス / コミュニティビジネス連携強化事業 ) 抜粋 平成 23 年 3 月 目次 1. ソーシャルビジネス推進研究会の趣旨... 2 (1) ソーシャルビジネス推進研究会の目的... 2 (2) 政府の取組におけるソーシャルビジネスの位置づけ... 3 (3) 本研究会におけるソーシャルビジネスの概念の整理...
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モンゴル襲来の授業開発 - 生徒の既有知のゆさぶりを視点に - M145889 辻本成貴 M142401 杠拓哉 小学校教科書にあるモンゴル襲来 御家人たちが命がけで戦う でも御恩をもらえた者はわずか 幕府に不満をもつ御家人が出る 鎌倉幕府は足利氏によって倒される 武士は 御恩と奉公の関係で成り立っていたが その関係が崩れると 幕府は成り立たない 御恩と奉公の崩壊 幕府の滅亡? 授業開発者の教材観
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第 6 章報告及びフォローアップ 6-1 この章では 最終会議の進め方と最終会議後の是正処置のフォローアップ及び監査の見直しについて説明します 1 最終会議 : 目的 被監査側の責任者が監査の経過を初めて聞く 監査チームは 被監査者に所見と結論を十分に開示する責任を負う データの確認 見直し 被監査側は即座のフィードバックと今後の方向性が与えられる 6-2 最終会議は サイトにおいて最後に行われる監査の正式な活動です
日本列島の 歴史 を記した 日本書紀 ~ (720 年 ) や 古事記 ~ 漢書 ~ ~ 三国 三国志 の編纂の方が古い ~ 後漢書 にも 1 世紀の列島を示した独自記事がある ~ 集安高句麗碑 ~ 求めたのである こうして 倭国王の名前と系譜などを知ることができる ~. 宋書 倭国伝には 宋 の古代史 ~ ~ 古事記 仁徳段 ) と歌っている 後の蕎城氏につながる氏族が 本拠地としていた可能性がある
交換留学プログラム派遣留学 A 協定大学の紹介 2017 年度秋学期留学開始分 フランス語圏 留学情報室 留学月間報告書閲覧システム 留学情報室 (9 号館 5 階 ) のパソコン上では 過去に実施した派遣留学生選考試験の問題を自由に閲覧できます また 京都外大 Web Campus 上では 留学経
交換留学プログラム派遣留学 A 協定大学の紹介 2017 年度秋学期留学開始分 フランス語圏 留学情報室 留学月間報告書閲覧システム 留学情報室 (9 号館 5 階 ) のパソコン上では 過去に実施した派遣留学生選考試験の問題を自由に閲覧できます また 京都外大 Web Campus 上では 留学経験者や現在留学中の学生の様子がわかる 月間報告書 を毎月更新しています 最新の留学情報の収集に大いに役立ててください
ポイント 〇等価尺度法を用いた日本の子育て費用の計測〇 1993 年 年までの期間から 2003 年 年までの期間にかけて,2 歳以下の子育て費用が大幅に上昇していることを発見〇就学前の子供を持つ世帯に対する手当てを優先的に拡充するべきであるという政策的含意 研究背景 日本に
子育て費用の時間を通じた変化 日本のパネルデータを用いた等価尺度の計測 名古屋大学大学院経済学研究科 ( 研究科長 : 野口晃弘 ) の荒渡良 ( あらわたりりょう ) 准教授は名城大学都市情報学部の宮本由紀 ( みやもとゆき ) 准教授との共同により,1993 年以降の日本において,2 歳以下の子供の子育て費用が大幅に増加していることを実証的に明らかにしました 研究グループは 1993 年において
説明項目 1. 審査で注目すべき要求事項の変化点 2. 変化点に対応した審査はどうあるべきか 文書化した情報 外部 内部の課題の特定 リスク 機会 利害関係者の特定 QMS 適用範囲 3. ISO 9001:2015への移行 リーダーシップ パフォーマンス 組織の知識 その他 ( 考慮する 必要に応
ISO/FDIS 9001 ~ 認証審査における考え方 ~ 2015 年 7 月 14 日 23 日 JAB 認定センター 1 説明項目 1. 審査で注目すべき要求事項の変化点 2. 変化点に対応した審査はどうあるべきか 文書化した情報 外部 内部の課題の特定 リスク 機会 利害関係者の特定 QMS 適用範囲 3. ISO 9001:2015への移行 リーダーシップ パフォーマンス 組織の知識 その他
博士学位論文審査報告書
7 氏 名吉原千鶴 学 位 の 種 類博士 ( 経済学 ) 報 告 番 号甲第 391 号 学位授与年月日 2015 年 3 月 31 日 学位授与の要件学位規則 ( 昭和 28 年 4 月 1 日文部省令第 9 号 ) 第 4 条第 1 項該当 学位論文題目 A.C. ピグーの経済学 -ケインズによる 古典派 経済学批判の視点から- 審 査 委 員 ( 主査 ) 藤原新服部正治荒川章義 1 Ⅰ.
資料3 道徳科における「主体的・対話的で深い学び」を実現する学習・指導改善について
平成 2 8 年 7 月 2 9 日 ( 第 3 回 ) 中央教育審議会教育課程部会考える道徳への転換に向けた WG 資料 3 道徳科における 主体的 対話的で深い学び を実現する学習 指導改善について 主体的 対話的で深い学び を実現する学習 指導改善の視点 ( アクティブ ラーニングの視点 ) 1 深い学び の視点と 見方 考え方 3 対話的な学び の視点 4 主体的な学び の視点 5 主体的
