らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ
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- こうた いなおか
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1 2016/10/23 礼拝メッセージ成田宜庸長老 主題 : 霊の父の懲らしめ聖書箇所 : ヘブル人への手紙 12 章 5-11 節 きょうは皆さんとともにヘブル 12:5-11 を学んで行きたいと思います 前回 私たちはこの 12:1-4 をともに学び 私たちを愛して忠実に従われたイエス キリストのことを見ました 1 イエス キリストの十字架 a. 罪人たちの反抗 12:2 に イエスは ご自分の前に置かれた喜びのゆえに はずかしめをものともせずに十字架を忍び と書かれています みことばが教えるように イエス キリストの十字架は罪人たちの 反抗 でした 反抗 というギリシャ語の意味する所は 敵意 です この 反抗 の頂点があの十字架でした マタイはマタイ 16:21 にイエス キリストのことばとして私は十字架に架かる このような受難の予告を記しています また マタイ 27 章には人々のさまざまな 反抗 のことを記しています b. だれのためにあの十字架はだれのためにあったのか パウロはローマ 5:8-10 で しかし私たちがまだ罪人であったとき キリストが私たちのために死んでくださったことにより 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます ですから 今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが 彼によって神の怒りから救われるのは なおさらのことです もし敵であった私たちが 御子の死によって神と和解させられたのなら 和解させられた私たちが 彼のいのちによって救いにあずかるのは なおさらのことです と述べています イエス キリストは私たち罪人のためにあの十字架を忍ばれ イエス キリストは私たち罪人のためにあの十字架で血を流されたのです 2 私たちの信仰における戦い著者はまた 4 節で私たちの信仰における戦いについても書き記しています 救われた者 キリスト者となった者たちにもさまざまな戦いがあります それは内なる戦いであったり 外なる戦いです 内なる戦いは内に潜む罪と肉の欲との戦いです それは皆さんがよくご存じです パウロはローマ 7: 19 で自分のことを 私は 自分でしたいと思う善を行わないで かえって したくない悪を行っています と言っています こういう戦いが実際に私たちの内にある これは現実のことです また私たちには外なる戦いもあります それは外から来る迫害や困難 苦しみです Ⅱ テモテ 3:1 2 で 確かに キリスト イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな 迫害を受けます とパウロは述べています 私たちには内なる戦い 外なる戦いがあります 著者はここで しかし 私たちクリスチャンはこの戦いでまだ血を流したことがありませんと教えています ヘブル書の著者は あなたがたはまだ 罪と戦って 血を流すまで抵抗したことがありません と 12:4 で述べています 私たちはいのちが取られるような局面にまだ出会っていないと教えます 私たちを愛するがゆえに 神は私たちを懲らしめられるそして きょう私たちは 5-11 節を通して 神が 主が私たちをどのように取り扱おうとしているのかを一緒に学んで行きたいと思います 私たちを取り扱う私たちのお父様の根本をなすものは愛です 私たちを愛するゆえにお父様は私たちを懲らしめられるとこの後教えています きょうこの箇所で一番大切なことばを最初に学んで行きたいと思います それは 懲らしめ ということばです これはギリシャ語で パイデイア ということばが使われているのですが 訓練 とか 有益な訓練 教育的な訓練 という意味です 当時のユダヤ教において 父親は子どもたちを訓練して子どもたちによい振る舞いを教えるという役目がありました 父親はその訓練の手段の一つとして 子どもをむち打つことも認められていました この 懲らしめ には二つの面があります 一つは 矯正する ということです 誤り あるいは欠点を正して直すことです そしてもう一つの面は 罰を加える 懲罰 という面です 懲らしめ ということばを日本語の辞書で引くと ほとんどの説明は 懲罰 に関してです 矯正する という説明をしているものは私が調べた中にはありませんでした この 懲らしめ に使われているギリシャ語は ほかの聖書の箇所では違う日本語に訳されています エペソ 6:4 父たちよ あなたがたも 子どもをおこらせてはいけません かえって 主の教育と訓戒によって育てなさい ここに使われている 訓戒 ということばが同じことばです また Ⅱ テモテ 3:16 聖書はすべて 神の霊感によるもので 教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です の 訓練 に 懲
2 らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があなたを訓練されることを 知らなければならない で同じことばが使われています この 懲らしめ ということばは 確かに 矯正 と 懲罰 という二つの面があるのですが これから私たちが見て行く 懲らしめ ということばの持つ意味は 矯正する 訓練する という意味合いのことばとして使われています A. 懲らしめの動機 1. 主は愛する者を懲らしめられる 5-6 節まず最初に この霊の父の 懲らしめ の動機を考えてみたいと思います 5-6 節をお読みします そして あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています わが子よ 主の懲らしめを軽んじてはならない 主に責められて弱り果ててはならない 主はその愛する者を懲らしめ 受け入れるすべての子に むちを加えられるからである あなたがたはこの主のことばを忘れていませんかと言って著者は箴言 3:11-12 を引用しています 主はその愛する者を懲らしめ られる これが霊の父の 懲らしめ の動機です 1) 励ましとして 5 節 5 節に この勧めを忘れています と 勧め ということばは パラクレーシス というギリシャ語が使われています このことばには 励ます という意味もあります 恐らくこの パラクレーシス ということばを聞いた時 皆さんはある箇所を思い出したかもしれません それはヨハネ 14:16 で天のお父様はあなたがたにもうひとりの助け主を送ってくださると言われたイエス様のことばです 助け主 それは パラクレートス というギリシャ語が使われていて 励ます者 あるいは 協力者 支持者 助言者 力づける者 という意味のことばです 勧め は 励ます です だからこの励ましを忘れていませんかと著者は私たちに問いかけるわけです わが子よ これはすべてのキリスト者に対する呼びかけです 主の懲らしめを軽んじてはならない の 軽んじ るということばの意味は 矮小化する 小さくする あるいは つまらないものとして扱う です 主の懲らしめをつまらないものとして扱ってはだめだとここで教えているのです 私たち ひとりひとり自分のことを考えてみると もともとこの 懲らしめ というのは喜ばしいものではありません むしろ 懲らしめ はない方がいいと思っているものです 自分の身にその 懲らしめ が及んだ時 その 懲らしめ を非常に軽く扱い またそれによって私たちはすぐ元気を失ってしまうもので その 懲らしめ を受けることを その 懲らしめ の大切さを認めたくない そういうものであります 2) 愛から生じるものとして 6 節そして 6 節 主はその愛する者を懲らしめ 私たちが受ける主の 懲らしめ は 愛 と結びついたものです 愛 から生じる 懲らしめ は懲罰的なものではありません それは常に子どもにとっては有益なことです むちを加え ると書かれています 過ち 正しくないことを矯正するということです 先ほども言いましたように 当時ユダヤ教では父親が子を懲らしめる 矯正するために むちを加え ることをも認められていました B. 懲らしめの目的そしてこの後 7-11 節で著者は 引用した箴言 3:11-12 について霊の父の 懲らしめ とはどういうものであるのかを私たちに詳しく教えてくれています :7 訓練と思って耐え忍びなさい 神はあなたがたを子として扱っておられるのです 父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか :8 もしあなたがたが だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば 私生子であって ほんとうの子ではないのです :9 さらにまた 私たちには肉の父がいて 私たちを懲らしめたのですが しかも私たちは彼らを敬ったのであれば なおさらのこと 私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか :10 なぜなら 肉の父親は 短い期間 自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが 霊の父は 私たちの益のため 私たちをご自分の聖さにあずからせようとして 懲らしめるのです :11 すべての懲らしめは そのときは喜ばしいものではなく かえって悲しく思われるものですが 後になると これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます 1. 肉の父の懲らしめ 9-10 節今読んだところからふたりの 懲らしめ を見ることができます ひとりは肉の父の 懲らしめ です 実際に私たち父親のことです 親の権威は 2000 年前の時代にあっても 現代にあっても 社会にお
3 いては権威の縮図であります ここでみことばはその肉の父の 懲らしめ がどういうものであるのか教えています 1) 短い期間一つは 10 節に 短い期間 と書かれています これは時間的なことです 今世界で一番長く生きている方でも 115 歳か 116 歳です 私たち人間が生きる寿命というのはそのくらいです また親として子どもに親権を発揮できる時間は非常に短いものです その短い期間だけ肉の父親は子を 懲らしめ るということです 2) 自分が良いと思うままにまた 自分が良いと思うままに とあります このみことばから教えられることは 肉の父親の動機が自己的だということです それはどういうことかと言いますと 親の知識や経験に基づいて 自分がよいと思ったことを 懲らしめ の動機にしているということです だからこの 懲らしめ には時として間違いがあります 過ちがあるのです 肉の父の 懲らしめ は子どもにとって有益でないこと 最良でないことがあるのです それは親の知識や経験だけに基づいて与える 懲らしめ だからです 2. 霊の父の懲らしめ 7-11 節 1) 霊的親子の関係 (1) 自分の子として 7-11 節もうひとりは 霊の父 です まず 霊の父 の 懲らしめ は子どもとの関係において霊的な親子の関係です 7 節を見ると 神はあなたがたを子として扱っておられるのです 8 節 だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば 私生子であって ほんとうの子ではないのです とあります 霊の父 が与える 懲らしめ は 霊の父 が子どもとして扱ってくれる者だけに与えられるものです ヨハネはヨハネ 1:12 で この方を受け入れた人々 すなわち その名を信じた人々には 神の子どもとされる特権をお与えになった と書き記しています イエス様を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった その子どもだけが 霊の父 の 懲らしめ を受けることが可能となったということです (2) 子に対する訓練である 7 節そして 7 節 訓練と思って耐え忍びなさい この 霊の父 の 懲らしめ は子に対する 訓練 です ここに書かれている 訓練 ということばは この 懲らしめ と同じギリシャ語が使われています 日本語では 訓練 と訳されていますが 内容は 懲らしめ と同じです そして 訓練と思って耐え忍びなさい 懲らしめ と思って耐え忍びなさい この 耐え忍 ぶですが 前回あの十字架を耐え忍んだひとりの方を見ました まさに著者はそのことを受けて イエス キリストが忍ばれたように忍耐を持ってこの訓練を受け入れなさいと勧めるのです 当時は子を 懲らしめ ることを軽く見る そのような父親はその資格が不十分な者として見られていました だから子を 懲らしめ る その親の権威を持って 懲らしめ ない父親は周りからその資格が不十分な者と見られていました また 親の 懲らしめ から逃げようとする子はその身分を失うこともありました だからこの当時の親子関係からしても 親が子を懲らしめる 子が親の懲らしめを受ける それは大切な教えでした そのことを受けてこの著者は 霊の父 なる方は子として扱っている者にこの 懲らしめ を与えられると教えているわけです 2) 霊の父に服従すべき 9 節二つ目はこの 霊の父 の 懲らしめ は 霊の父 に服従することを教えるものであるということです 9 節 私たちには肉の父がいて 私たちを懲らしめたのですが しかも私たちは彼らを敬ったのであれば なおさらのこと 私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか とあります 私たちもよくわかるのです 私の父が私を懲らしめる 正しい方向に導いてくれる そういう父親を私たちは尊敬します みことばはそのことをもって なおさらのこと と 霊の父 の 懲らしめ のことを解いているわけです ここで 霊の父 という非常に珍しい使い方をされています まさに神 主はキリスト者の霊的なお父さんである この 霊の父 と使われているのは新約ではここだけです 英語の聖書ではどういうふうに書かれているか調べてみると the father of our spirits and live と書かれていました 英語の方が少しわかりやすいのかなと思ったのですが 霊の父 の 懲らしめ によって私たちキリスト者がより霊的な者へと変えられる時 その生活こそ私たちの本質的なもの 真実のものであるということです だから キリスト者は神をうやまい服従して生きることが自身の信仰において唯一の道であるとみことばは教えるわけです ヨハネは Ⅰ ヨハネ 5:3 で 神を愛するとは 神の命令を守ることです と教えています 神を愛するとは神に従うことだとヨハネは言います ヤコブもヤコブ 4:6-7 で しかし 神は さらに豊かな恵みを与えてくださいます ですから こう言われています 神は 高ぶる者を退け へりくだる者に恵みをお授け
4 になる ですから 神に従いなさい と教えています 霊の父 の 懲らしめ は霊的な親子関係にある者に訓練として与えられる またその 懲らしめ はお父様に服従することを教えるものであると 3) 霊の父は私たちのために 節そして三つ目は その 霊の父 の 懲らしめ は私たちのために与えられるものであるということです 肉の父の 懲らしめ は肉の父が自分の思うままに子どもに与えるものでした だから時には 子どもにとって最良でない 最善でない 懲らしめ もあるわけですが 霊の父 の 懲らしめ は私たちキリスト者にとって 最善 最良 最高のものです それが 節で書かれています 神は私たちキリスト者が成長するためにどんな 懲らしめ が必要で どんな試練が必要なのかをすべて完全に知っておられます ヤコブはヤコブ 1:2-4 で 私の兄弟たち さまざまな試練に会うときは それをこの上もない喜びと思いなさい 信仰がためされると忍耐が生じるということを あなたがたは知っているからです その忍耐を完全に働かせなさい そうすれば あなたがたは 何一つ欠けたところのない 成長を遂げた 完全な者となります 霊的な大人になるとここで教えています (1) キリスト者の益のために 10 節まずこの 霊の父 の 懲らしめ は私たちの益のために与えられるものだとみことばは教えます 1 0 節 霊の父は 私たちの益のため 懲らしめるのです 私たちが霊的に成長するために お父様は私たちを懲らしめられる 神を愛する人々 すなわち 神のご計画に従って召された人々のためには 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを 私たちは知っています パウロはローマ 8:28 でこのように教えます 頭で知っているのではなく 体験的に知っているとパウロは言います 霊の父 の 懲らしめ は私たちの益のために与えられるものであると 1 他の人の苦しみをも分かち合える者へとその中身を少し見てみたいと思うのですが 一つ目は他の人の苦しみをも分かち合える者へと私たちが造り変えられて行くということです 苦しんでいる人の苦しみがわかるということです それも心から Ⅱ コリント 1:4 で 神は どのような苦しみのときにも 私たちを慰めてくださいます こうして 私たちも 自分自身が神から受ける慰めによって どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです 私たちは周りにいる苦しみにある人の苦しみを分かち合うことができる者として成長するために 霊の父 の 懲らしめ があるということです 2 永遠の栄光を待ち望む者へとまた 私たちを霊的に成長させる このような 懲らしめ は私たちクリスチャンを永遠の栄光を待ち望む者へと変え続ける働きをも私たちのうちになすということです 今の時の軽い患難は 私たちのうちに働いて 測り知れない 重い永遠の栄光をもたらすからです Ⅱ コリント 4:17 です このように 霊の父 の 懲らしめ は私たちキリスト者の益のために 霊的成長のために与えられるものだとみことばは教えます (2) きよい者とするために 10 節そして二つ目 それは私たちをきよい者とするために与えられるものだと 10 節に 私たちをご自分の聖さにあずからせようとして 懲らしめるのです とあります ペテロは Ⅰ ペテロ 1:15-16 で あなたがたを召してくださった聖なる方にならって あなたがた自身も あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい それは わたしが聖であるから あなたがたも 聖でなければならない と書いてあるからです と書き記しています きよい者となるために 霊の父 は私たちを 懲らしめ られる こうみことばは教えます 神が私たちを召されたのは 汚れを行わせるためではなく 聖潔を得させるためです Ⅰ テサロニケ 4:7 です 神が私たちを救いへと導いてくださったのは 汚れを行わせるためではなく 聖潔を得させるためです と (3) よりキリストに似た者へと 聖化 11 節そして三つ目は 私たちをよりキリストに似た者へと変えるために 霊の父 は私たちに 懲らしめ を与えられるということです 11 節 すべての懲らしめは そのときは喜ばしいものではなく かえって悲しく思われるものですが 後になると これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます とあります 確かに私たちはよくわかるのです 私たちが実際に 懲らしめ に遭っている時 それは苦痛を伴います だから悲しく思う ペテロもパウロもそのことを私たちに教えています しかし そのような 霊の父 の 懲らしめ は 後になると これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます ここで使われている 訓練 ということばは 7 節の 訓練 と違うことばが使われています この 11 節の 訓練 はギムナゾーというギリシャ語が使われているのですが それはトレーニングするということです 英語のギムナジウム いわゆる体育館とか屋内競技場ということばはこのギムナゾーということばからできたと言われています 7 節の 訓練 は 懲らしめ る 11 節の 訓練 は トレーニングする という意味です だから 懲らしめ によってトレーニングされた人々に 後になると 平安な義の実を結
5 ばせます となります この 平安な義の実を結ばせます というのは 英語の聖書では produces a harbest of righteousness and peace. と書かれていました この英語を訳すと 正義と平安はその収穫を生み出します あるいは もたらします となります 何がかというと 懲らしめ がです その 懲らしめ によってトレーニングを受けた者たちのうちに正義と平和の収穫を生み出しますとみことばは教えています この 生み出す もたらす という表現は 農夫が果物を刈り込みしたことによって一層よりよい実を結ぶという原則を用いたことばです そのことをヨハネの福音書から教えられます ヨハネ 15: 2 でこう書かれています イエス様が語られたことばです わたしの枝で実を結ばないものはみな 父がそれを取り除き 実を結ぶものはみな もっと多く実を結ぶために 刈り込みをなさいます 私たちに与えられる主の 懲らしめ はまさにこの 刈り込み なのです 私たちに与えられる主の 懲らしめ は私たちを 刈り込 む働きをなすものです だから私たちはその 刈り込み によって 多く実を結ぶ 者となって行くということです 私たちはきょうこのヤコブ 12:5-11 で 非常に大切なことを教えられました それは私たちのお父様 霊の父 が私たちに与える 懲らしめ はお父様の愛が動機であるということ その愛ゆえに私たちにその 懲らしめ が与えられるということです その 懲らしめ の意味するところは 私たちがまさに天のお父様の子どもであるという証明です みことばははっきりとそう教えています 二つ目は天のお父様の 懲らしめ は私たちが主に服従する訓練のために与えられるものだということです そして三つ目 この 懲らしめ は私たちが霊的に成長して聖い者となり またよりイエス キリストに似た者へと変えられるために私たちに与えられるということです 箴言 3:11-12 を引用してこの箇所が進んで行ったわけですが この箴言 3 章をもう一回見てみたいと思います わが子よ 主の懲らしめを軽んじてはならない それは私たちが霊的な成長を遂げて行くために必要なことだからです みことばは私たちに主の 懲らしめ をしっかりと受け止めるようにと教えています
2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は
律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む (2) 一見矛盾したように聞こえるイエスの約束 1ヨハ 10:10 盗人が来るのは ただ盗んだり 殺したり 滅ぼしたりするだけのためです わたしが来たのは 羊がいのちを得
2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク
聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む (2) 救いの 3 つの側面は すべて信仰により 恵みによって達成される 1 義認 ( 過去形 ) 2 聖化 ( 現在進行形 ) 3 栄化 ( 未来形 ) (3) 今回は
Microsoft Word - ◎中高科
牧羊者 2014 年度第 Ⅰ 巻 中高科へのヒント 4~6 月 4 / 6 (4/6,4/13,/11,6/8,6/22 後藤健一師 4/20~/4,/18~6/1,6/1,6/29 石田高保師 ) 1. この世の中で イエス様を信じて従って生きていく時に つらいと思う時はありますか もし あるとしたら それはどんな時ですか 1. 弟子たちはイエス様について何と言っていますか (29~30) 2.
創世記5 創世記2章4節b~25
ローマ教会との関係 (2) 1. はじめに (1) あいさつ (1~7 節 ) (2) ローマ教会との関係 (8~15 節 ) 1 心の絆 の構築 2 前回は 1:8~12 を扱った * 感謝の人パウロ * 祈りの人パウロ * 使命の人パウロ 3 今回は 1:13~15 までを扱う 4パウロの使命意識 ( 例話 ) タイガーマスク現象 2. メッセージのアウトライン (1) 異邦人の使徒 (2) 負債を負った人
2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳
希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳的なテーマ それ自体は 良くも悪くもない 2 聖書が明確に指示していない グレーゾーン である 32 次的なことのついては 互いに裁き合わない ( 例話 ) 前回のアンケートの紹介 (3) きょうの箇所は
2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12
ヨハ 15:11~17 1. はじめに (1) 文脈の確認 1 最後の晩餐の後 イエスの最後の長い説教が続く 2ヨハネだけが記している * ヨハ 14 章二階部屋で語られた * ヨハ 15 16 章ゲツセマネの園に向かう途中で語られた 3 人類救済計画の時代区分 ( ディスペンセーション ) が移行しつつある 4 城壁の南側を通って 東に向かわれた * 数時間後には 逮捕されることになっている (2)A.T.
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第一コリントの信徒への手紙クラス 十字架の言葉は神の力です 第一コリント 1:18 東京キリストの教会 クラス 5 13 章 : 愛の道 14 章 : 霊的な賜物を生かす 15 章 : イエスの復活の力 16 章 : まとめの言葉 1) 最初の訪問 教会の設立 50A.D. から約一年半滞在した ( 使徒 18:11) パウロは一年六か月の間ここにとどまって 人々に神の言葉を教えた 2) 最初の手紙
神学総合演習・聖霊降臨後最終主日 2005/11/16
知多教会説教 主の洗礼日 イザヤ書 42:1-7 使徒言行録 10:34-38 ルカによる福音書 3:15-22 2016/01/10 知多教会牧師 : 花城裕一朗 聖霊が目に見える姿で 私たちの父である神と主イエス キリストからの恵みと平和が あなた がたにあるように アーメーン 本日の第一の日課において 預言者イザヤは言いました ( イザヤ 42:1) 見よ わたしの僕 わたしが支える者を わたしが選び
2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教
054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教が語られた場所を指しているだけである * ルカの福音書では 平らな所 となっている 3 本当は 内容を表現する命名の方がよい * メシアによる律法解釈 * 律法を正しく解釈するメシアの権威 (2) マタイとルカの比較
2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻
牧羊者 2017 年度第 Ⅰ 巻 中高科へのヒント ~ 月 ( 後藤健一 /2~9,/21,/11~18 石田高保 /1~/7,28~/ 三輪正見 /1,/2) / 2 1. この世の中で イエス様を信じて従って生きていく時に つらいと思う時はありま すか もし あるとしたら それはどんな時ですか 1. 弟子たちはイエス様について何と言っていますか (29~30) 2. イエス様は弟子たちのこれからの事について何と語られていますか
* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2
前書き (2) 使徒 1:1~5 1. はじめに (1) 新約聖書の約 25 パーセントがルカの著作である 1 ルカの福音書と使徒の働きは 前編と後編の関係にある (2) この書が書かれた目的は何か 1 歴史的目的 2 神学的目的 3 弁証論的目的 2. アウトライン (1) 献呈の辞 (1~2 節 ) (2) 復活後のイエスの奉仕 (3 節 ) (3) 使徒たちへの命令 (4~5 節 ) 結論 :
2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱
さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱は 天使 モーセ レビ的祭司である 1 御子は 天使に勝るお方であることが証明された 2 御子は モーセに勝るお方であることも証明された 3 御子は アロンに勝るお方であることの証明が続いている
夢を超えたもの_Culture A.indd
e yo Bey D B y nd D B reams 澄み切った夜空を見上げたことはありますか 子供の頃は 小さな宝石が果てしない空にボンドでくっついていると思ったかもし れません でもその後 星がどれほど大きいものか少し分かってきました そして 周りの物事は 自分が考えているよりはるかに大きく 深いものだと気づ き始めました だから自問します 私たちが目で見ている以上のものがあるでしょうか 目で見えること以上に素晴らしいことがあるのではないでしょうか
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牧師も祈られることが必要です This is translated from World Prayer (OMF books) and is on the topic of praying for a pastor or fulltime worker. The version below has no furigana. 神は牧師が信徒の霊的生活 特別な問題 多くの必要に対して 祈り深くあることを望んでおられます
神学総合演習・聖霊降臨後最終主日 2005/11/16
知多教会説教 復活後第 4 主日 使徒言行録 8:26-40 Ⅰ ヨハネの手紙 3:18-24 ヨハネによる福音書 15:1-10 2018/04/29 牧師 : 花城裕一朗 わたしを離れては 私たちの父である神と主イエス キリストからの恵みと平和が あなたがたにあるように アーメーン 本日与えられた福音書の御言葉は ( ヨハネ 15:5) わたしはぶどうの木 あなたがたはその枝である という有名な聖書箇所です
2015 年度 成長 カリキュラム表 149 号単元 11 イエスに出会った女性たち単元目標イエスに出会った女性たちの信仰の姿とイエスの愛を学ぶ月日週題聖書箇所主題 4/5 イースター 十字架と復活 マルコ 15:1-16:8 イエスの十字架と復活の意味を知る 主イエスは 私たちの罪のために死に渡され 私たちが義と認められるために よみがえられたからです ローマ 4:25 150 号 単元 14 族長たちの物語
2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ
(2) 049 ヨハ 5:19~47 1. はじめに (1) 難解な箇所であり 困難を覚える (2) 口伝律法の中の安息日に関する論争が始まる 138 年間病気であった人の癒しをきっかけに 論争が始まる 2 49~51 まで 安息日論争が続く (3)A.T. ロバートソンの調和表イエスは 安息日に病人を癒し パリサイ人たちに対して自らの行動を弁護する ( 49)( 今回は 5:19~47 を取り上げる
07/06/17 礼拝メッセージ 近藤修司 牧師
07/06/17 礼拝メッセージ近藤修司牧師 主題 : イエスの父 ヨセフ聖書箇所 : マタイの福音書 1 章 18-25 節 今朝はマタイの福音書 1 章から イエス キリストの父ヨセフについて学びましょう 18-25 節のところにこの人物について少し記されています 分かっていることは このヨセフは神に愛され 神に選ばれた人でした というのは 救い主イエスを神はこの家庭に送られたからです ヨセフはダビデ王の家系に生まれました
牧会の祈り
2016 年 2 月 14 日 ( 日 ) 朝 10: 10~ 受難節 四旬節第 1 役員会等 2 月第 2 公同主日礼拝式説教 日本アライアンス庄原基督教会 説教題 : 主への悪魔の試み 聖書 : マタイ 4 章 1~11 節 < 口語訳 > 新約聖書 4 頁マタイ 4 章 1~11 節 < 新共同訳 > 新約聖書 4~5 頁マタイ 4 章 1~11 節 < 新改訳第 3 版 > 新約聖書 4~5
テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは
テモテへの手紙第一 5 章 17-25 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 17-21 2A 監督者への監査 19-25 1B 公正な裁き 19-21 2B 慎重な按手 22-23 3B 透明性 24-25 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは 5 章において 教会において肉の家族と同じように 人に対して敬いを示さなければいけない教えから聞いていきました
Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek
Derek Prince Ministries Asia-Pacific www.derekprince.co.nz THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek Prince デレク プリンス 教えの遺産アーカイブ 学びの書簡シリーズ 思いの戦い 思いの戦い あなたは
ヘブル人への手紙1章
ヘブル人への手紙 1 章 1-3 節 さらにすぐれた方 1A - ヘブル人に対する手紙 2A 神のことば 1-3 1B 預言者によって 1 2B 御子によって 2-3 1C 万物の相続者 2 2C 神の本質の現われ 3a 3C 罪のきよめ 3b ヘブル人への手紙を学びます 今日のメッセージ題は さらにすぐれた方 です 1A - ヘブル人に対する手紙この手紙に入る前に 私たちがこれまでずっと学んできたことをおさらいしたいと思います
《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄 ‘05
聖霊に満たされなさい 2006. 5.30( 火 ) ベック兄メッセージ ( メモ ) 引用聖句ルカの福音書 3 章 21 節 22 節さて 民衆がみなバプテスマを受けていたころ イエスもバプテスマをお受けになり そして祈っておられると 天が開け 聖霊が 鳩のような形をして 自分の上に下られるのをご覧になった また 天から声がした あなたは わたしの愛する子 わたしはあなたを喜ぶ エペソ人への手紙
2008 年 7 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 6 創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6
創世記 6 創世記 2 章 4 節 b~25 エデンの園に置かれた人 イントロ : 1. 前回の復習 : ここまでで創造の 7 日間について学んだ (1) カオスからの創造であった (2) 神は 6 日間ですべてのものを創造し 7 日目に休まれた (4) 創世記 1:1~2:3 までが創世記全体のイントロダクション ( プロローグ ) (5) 創世記は 11 のトルドットに分かれる 1トルドットの意味は
英語の女神 No.21 不定詞 3 学習 POINT 1 次の 2 文を見てください 1 I want this bike. ワント ほっ want ほしい 欲する 2 I want to use this bike. 1は 私はこの自転車がほしい という英文です 2は I want のあとに to
英語の女神 No.21 不定詞 3 学習 POINT 1 次の 2 文を見てください 1 I want this bike. ワント ほっ want ほしい 欲する 2 I want to use this bike. 1は 私はこの自転車がほしい という英文です 2は I want のあとに to use という不定詞 (to+ 動詞の原形 ) が続いています この英文はいったいどんな訳になるのでしょうか
