2017 年 6 月 1 日発行会報 No.2683 通算 3194 回 ( 本年度第 42 回 ) 6 月 1 日本日のプログラム 日本での 1 年 ロータリー親睦活動月間 青少年交換学生アナベル ローズ ザイルさん 会長中本勝 副会長乾昌弘 副会長朝廣佳子 幹事中野聖子会場監督吉村真嗣会報委員長服部亘 創立 1952 年 ( 昭和 27 年 )3 月 27 日例会日時毎週木曜日 12:30 例会場奈良ホテル 0742-26-3300 事務所 630-8381 奈良市福智院町 5-3 TEL 0742-26-1300 FAX 0742-24-1289 http://www.nara-rotaryclub.com 前回例会報告 5 月 25 日奈良ホテル 12:30 ソング 四つのテスト お客様の紹介 関根俊一様 ( 卓話講師奈良大学副学長 ) 村上あずささん ( 奈良 RAC 会長 ) 会長挨拶 ちょっと前 奈良弁護士会の会合があり その後の懇親会で 最近は AI すなわち人工知能の発達がものすごいということで盛り上がっておりました その中で誰かが ところで AI って何の略? と聞きましたところ 優秀な当会の弁護士は誰もすぐには答えられませんでした そこで私が そんなの アーティフィシャル インテリジェンス に決まっているだろうと言いましたところ 若手 中堅の弁護士が さすが 中本先生 と言ってくれました しかし 考えてみますと いまどきそんな昔タイプの知識には何の価値もなく 必要なこと 知りたいことはみんなスマホを駆使して瞬時に調べることができます スマホを持っていないのは アーティフィシャル インテリジェンス を知っていた私だけでした 要するに世間から完全に取り残されているのだと思いました さらにこの先 知性とか教養というものの価値はさらに下がっていくのだろうと思われます 昨日 新聞を見ましたら アルファ碁というグーグルが開発したソフトと 日本の井山九段より強く世界最強と言われている中国の柯潔九段が対戦し アルファ碁が勝ったという記事が出ていました 私に言わせれば 人間が科学を駆使して作ったものに生身の人間が素手で立ち向かっても勝てないのは当たり前で それはウサイン ボルトとポルシェが走ってどっちが速いというのと変わらないと思います むしろ アルファ碁同士が対決したらどうなるか とかディープゼンゴのように異なる設計思想のソフトと戦わせたらどうなるか の方が興味があり それを報道していただきたいし その成果を人間がまた利用すれば良いんじゃないか と時代遅れの知識しか持っていない私が思った次第です 今日は 快慶をテーマに奈良大学の副学長関根先生のお話を伺います ぜひお楽しみに卓話をお聞きください
新入会員紹介 森田晃弘君 ( 株式会社ドコモ CS 関西奈良支店長 ) 皆様こんにちは ご紹介に預かりました森田と申します 本日伝統と格式のある奈良 RC に入会させて頂きありがとうございます 今後ロータリー活動を通じ奉仕の方針にのっとり 様々なことを勉強させて頂き 皆様からのご指導をたまわり今後色んな活動に尽力してまいりたいと思いますので今後ともよろしくお願い致します ( 親睦活動委員会 会報委員会所属 サポート会員小山新造会員 ) 速水英樹君 ( 大阪ガス株式会社奈良地区支配人 ) こんにちは ただ今ご紹介頂きました大阪ガスの速水英樹と申します 歴史と伝統のある奈良 RC に入会させて頂きありがとうございます また 先ほど説明を受けまして身の引き締まる思いでございます 私ロータリー活動は初めてでございますので諸先輩がたから厳しく暖かくご指導いただきますようよろしくお願い致します 先ほど趣味の紹介をして頂きましたが 山歩きはハイキングに毛の生えたようなもので終わった後のビールを楽しみにしておりました 山の会にも入会させて頂きたいと思います 料理も単身赴任でやっておりましたもので上手ではありませんが頑張ってやっております 今後ともよろしくお願い致します ( 親睦活動委員会 会報委員会所属 サポート会員上田昌平会員 ) ニコニコ報告 〇中本君ロータリー野球大会の応援に甲子園球場に行って参りました 残念ながら試合は 4-6 で敗れましたが 生まれて初めてスタンドからではなく ダッグアウトから応援させて頂きました 〇森田 ( 晃 ) 君本日入会させていただき ありがとうございます 〇速水君本日から入会させていただきます よろしくお願いいたします 〇筒井君過日母の葬儀には 多数お参り下さいまして有難とうございました 〇今西君世界の人達の楽しい夕べを演出するをモットーに旨い酒を造ることに努力しておりますが過日ロンドンでの酒コンクールにてワイン 酒部門で金賞を戴いた喜びを〇中島君 8 日から 18 日まで 日本一周クルーズ に ぱしふぃっくびいなす に乗って奈良国際ゴルフ倶楽部の同級生四人で行って来ました 11 日間は長い旅だと思っていましたが 盛沢山のイベントがあって終って見ればアット云う間でした 二度のメーキャップが大変です 〇下出君全国 RC 野球大会に出場してまいりました 中本会長にも応援に来ていただきまして どうもありがとうございました 結果は 4-6 と惜敗してしまいました 選手の皆様 おつかれさまでした 〇西山君 5 月 14 日開催されました藤原仲麻呂ラジオウォーキングでお寺が少し協力させて頂きましただけですのにお供を奉わり御礼の気持で少々〇緒方君創立 65 周年記念事業 藤原仲麻呂 実はいい人だった プロジェクト が 2650 地区 まちづくり基金奨励金 優秀賞を受賞しました ご協力いただきました会員の皆様 ありがとうございました 〇寺田君糖尿病でロータリーの友 5 月の俳壇に載りました 決っして川柳ではありません 〇渡邉 ( 誠 ) 君今日は待たれた青丹句会です 碧い目の客の力車や走り梅雨 〇中野 ( 聖 ) 君母の誕生日に会長より美味しいお菓子をいただきました 2 月に転倒して以来 入退院を繰り返しておりましたがおかげさまで 自宅療養にて快復しております 色々とご迷惑をおかけしたおわびとともに 〇北浦君ニコニコ 多く貯まりますよう~ に 〇倍巌君ニコニコ委員会の皆さん 御苦労様です
委員会報告 た 以上よろしくお願い致します 出席奨励委員会松山隆委員長本日 新入会員 2 名含め会員総数 126 名出席者数 93 名 出席率 82.30% 前々回 5 月 11 日の修正出席率 90.99% でした 〇親睦活動委員会阪田文彦委員長先週状差しに年度末懇親会の例会会場及び時間変更の案内を入れさせていただきました 最終例会は 6 月 29 日 ( 木 )16:00 ~ 17:00 でございます 年度末懇親会は同日の 17:15 ~ 19:00 を予定しております いずれも場所は春日ホテルでございます 出欠のご返事を 6 月 14 日までによろしくお願いします 〇ローターアクト委員会河口陽一委員長早いもので RAC の例会も 6 月の第一 第二例会を残すところとなりました 年度当初からロータリアンの皆様に多くご出席いただけるよう案内など工夫を重ねておりましたがそんなにご出席いただけてないというのが現状でございます まだアクトの例会に御出席されてない方でスケジュールが合えば 6 月の例会にご参加いただけたらと思います 本日は RAC 会長の村上が皆様にご報告とお願いに参りましたのでよろしくお願い致します 奈良 RAC 村上あずさ会長皆様には日頃よりご指導いただき誠にありがとうございます 私の年度も残すところ 2 回の例会となりましたのでご報告させて頂きます まず 6 月 7 日 ( 水 )19:30 より友愛会館にて専門知識開発委員会の作曲例会を行います こちらは奈良 RAC の歌を作ろうという委員長の思いでついに出来上がった曲を皆で聞こうという例会になっておりますのでどうぞお越しください 6 月第二例会 ( 最終例会 ) を山本真菜の卒業例会も兼ねて 6 月 25 日 ( 日 )16:00 より奈良ロイヤルホテルで開会致しますので皆様どうぞよろしくお願い致します 理事会報告 報告事項 1. まちづくり基金奨励金審査結果のお知らせ 2.7/1 会員数の計算方法変更の件 3.2017-2018 年度 RLI 委員会からの卓話のお伺い 4.2017-2018 年度職業奉仕に関する意識 a 調査ご協力のお願い 5. ロータリー章典 ( 日本語訳版 )& 英語原本のお届け並びに ロータリー情報ハンドブック ( 改訂第 2 版 ) のご紹介について 6. 青少年交換派遣学生結団式並びに壮行会のご案内 7.IM 報告書の送付について 8. 家族会ご臨席お礼状の件 9. 創立 60 周年記念例会ご臨席お礼状の件 10. 新会員推薦の件 11. 第 67 回 社会を明るくする運動 奈良県推進委員会の開催について ( 報告 ) 12. 小さな親切運動春号の件 13. その他 (1) 交換留学生壮行会 (2) 国際奉仕セミナー 審議事項 1. 新会員 7days の件 2. 退会届の件 3. 休会届の件 4. 名誉会員から正会員の件 5. 協会運営資金のご協力についてのお願いの件 6. 平成 29 年度奈良市国際交流協会会費の件 7. その他 幹事報告 本日次年度アッセンブリーが友愛会館で 13:45 より開催されます 関係各位はご参集よろしくお願い致します 次年度幹事福田一郎副幹事次年度委員会構成について変更点のご説明をさせていただきます 形式としましては CLP の方針を再度導入させて頂き理事 委員長を割り振らせていただきました その他今年度には無い委員会を 2 つ設置させて頂きました 地区のご要望もございまして長期ビジョンを作成する特別委員会 また次年度事業を奈良のソムリエ育成事業 奈良の子供ソムリエ育成事業というものを現状計画しておりましてその事業実施を担当していただく委員会を設置させて頂きまし
卓話 仏師 快慶について 奈良大学副学長 関根俊一氏 こんにちは 奈良大学の関根です 今日は快慶の話しをさせていただきますので どうぞお付き合い下さい 運慶 快慶とよく言われており このお二人は鎌倉時代の仏師の中でも最も良く知られた方ではないかと思います ただ この二人は大分造る仏像が違います 学生などに聞きましても お二人の一番のイメージは東大寺南大門の仁王さんのイメージです ああいう筋骨隆々として威嚇をして強い仏さんを造る というのが大体の印象です ところがこの快慶という人はそういう仏像も造りますが 本来目指したところは美しい誰もがありがたく拝んでいただけるような阿弥陀さんのお像を造っているのです 快慶ご本人も安阿弥陀仏という名前をもらいまして 大変敬虔な阿弥陀浄土経者です まず生没年ですが不詳です ここが謎な所でしてあれほど立派な仏像を作った方なのですが どこから来られた方なのかよく分かりません 安阿弥陀仏と称するのは 当時阿弥陀さんを信仰している人たちの中でこういう風になんとか阿弥陀仏という名前を付けておりまして 大変有名なのは東大寺を復興しました俊乗坊重源というお坊さんが 南無阿弥陀仏と申しておりました ここでは 安 と書いていますが本来は梵字で書きます 彼が造った仏像もほとんどこの梵字の名前で署名したり 足の臍 ( ほぞ ) の所に刻んだりしております 彼がたくさん作品を残したのが約三尺 (1m 弱くらい ) の阿弥陀さんのお像でございます しかもこれらは立像で 坐像はさほど残しておりません 実は快慶がこの三尺の阿弥陀さんを造り 当時の人々の心を捉え この仏さんが一つの手本になってまいります おそらく現在でもそうではないかと思います その手本になった仏様 それを後世の人たちは快慶の様式なので 安阿弥様 ( あんなみよう ) と呼ぶのです 快慶の研究をされている方が 安阿弥様 と名付けましたので 1m 弱くらいのきれいな阿弥陀さんの仏像を 安阿弥様 と呼んでいますが そういう所で運慶とはだいぶ違うのです 幸い今年 東京国立博物館で秋に運慶 展が開催されるようでありますので まず奈良の国立博物館に快慶の仏様を見に行って頂き その後に運慶展を見ていただくとその作風の違いが歴然と分かると思います 快慶はどっから来た方かは分かりませんが どうやら奈良の人ではなさそうで 京都辺りの非常に出の良い人なのではないかという感じがしますが 建仁三年 (1203 年 ) 13 世紀始まってすぐ 法橋 という位を頂きますが これはお坊さんの位ですが 当時仏師というのは仏さんを造る職業ですのでお坊さんと同じ 法橋 あるいは 法眼 法印 といった位をもらいます 快慶は一度南都焼き討ちで燃えてしまった興福寺 東大寺の復興をしまして その後 法橋 の位を頂くことになるのですが その時自分はその位をもらわずに運慶の息子さんに譲ったりしています ですからあまりそういう名誉的な称号をどんどん得ていくということがありませんでした ですが建仁三年に 法橋 になり 承元四年 (1210 年 ) に 法眼 という位を 2 つもらいまして活動を続けてまいりまして 没年がよく分かりませんが 城陽にございます阿弥陀寺さんの仏様 嘉禄三年 (1227 年 ) のお像ですが そのお腹の中にたくさんあった古文書の中に 過去法眼快慶 と出てまいります そのことから 1227 年までには亡くなっていると思われます 快慶がいつどこで仏像を造ったということですが 資料の上では寿永二年 (1183 年 ) 運慶の写した法華経 運慶願経 の中に結縁者として 快慶の名前が出てきます それが資料上の初見です その後 平重衡が南都焼き討ちをして 興福寺と東大寺の復興をしていく中で次第に頭角を現してくるということになります 運慶やその父の康慶はしきりに興福寺の復興造営をしていくのですが 快慶は現在ボストン美術館にある弥勒菩薩像 ( 興福寺にあった仏様で明治に入って廃仏毀釈の時にアメリカに渡った ) そのお像が一体分かっているだけです むしろ快慶がその復興造営でしきりと造ったのが東大寺のお像であります 東大寺大仏殿の大仏さん周囲の大きな四天王像であるとか 南大門の仁王さんであるとかそういう仏様を造っていきます 次に快慶は 勧進帳で出てくる俊乗坊重源の元で非常に一生懸命に働く訳ですが そこで造られたお像が東大寺の僧形八幡神坐像 東大寺の守り神のお像です これはポスターにもなっておりますので ご覧になった方もおられると思います 東大寺の大きな釣鐘の横にある俊乗堂にきれいな阿弥陀さんのお像がございます これがいわゆる三尺の阿弥陀さんでございますが その他にもお地蔵さんなどのお像を残しております 最近 東大寺の西の大きな門にあげられていた大きな額の回りに立体の小さい仏様がついているのですが それもどうやら快慶が造ったのではなかろうかと言われております 俊乗坊重源が東大寺を復興するに
あたりお金も必要ですが 一番苦労したのが材木を集めることでした 材木の陸送は大変難しいので 重源が水上を運ぶということを考え 今の播磨 ( 今の兵庫県 ) から 一番遠くは山口県まで行って木材を調達して 瀬戸内海から木津川を通って木津から陸送して資材にしました その拠点にするために各地に別所というのをつくります 木津川の上流の伊賀に別所をつくり 播磨 山口県といったところにもつくります そこにお寺をつくりまして そのお寺の仏様も主に快慶が造っております 現在でも播磨の浄土寺にも立派な阿弥陀様のお像が残っております 重源さんと共に関係するお寺の仏様を造ったりしております あとは高野山にも別所をつくっております 運慶につきましては頼朝からの評価が高く 早くに東国に下り仏像を造る 下ったのか奈良で造った仏像を運んだのかは両説ございますが 比較的関東でも運慶の立派な仏像は残っております 快慶は伊豆山で関係のあるお坊さんの所で少し仏像を造り その関係で足利あたりにも仏像が残っておりますが 運慶ほど東国での大きな活躍はなかったようです もう一つ重要な仕事としては長谷寺のご本尊の再興がありました 長谷寺のご本尊は平安時代に出来たのですが 何度も焼けてしまい現在のお像はずっと後のお像であります その途中で快慶もあの大きなお像を造っておりますが これも焼けておりまして現在はございません その後門跡寺院 特に慈円さんという偉いお坊さんの下でたとえば京都の青蓮院で仏像を造っております 院 ( 天皇陛下が引退されてお坊さんになる ) の関係の仏像も造っております こういうことからも快慶は比較的京都でも活躍の場をつくっておりますので 彼の出所 出身も少し関係がするのではないかという気もします 大きく仕事をみてみますと ひとつは東大寺の復興造営 重源さん関係の仏像 長谷寺のお像の再興 東のほうでも少し仏像を造る それ以外はというと彼は阿弥陀信仰者でありますから三尺 (1m 弱 ) の阿弥陀さんのお像を各地で造っております 奈良にも京都にもあります かなり広範囲にそういうお像を造っております 最後になりますが 快慶の表現 運慶と何が違うかということですが よく教えるときには快慶の絵画性 平面性 運慶の立体性なんて言いますが 運慶は彫刻として四方から見ても隙のない表現をいたします どっから見ても納得させるようなお像を造るのが運慶の一つの特色だと思います それに比べまして快慶のお像はあまり横から見ても後ろから見てもここではもうひとつ運慶ほどの立体性はございません その代わりどこに全力を集中させているかというと正面の美しさであります 正面から見た仏様の美しさ あるいはありがたさ そういうものを最後まで追及していくのだろうという感じがします 特に鎌倉時代になりますと次第に仏教が 皇室 貴族から武家あるいは庶民へとおりてくる時代でございます 従って武家も含めて心に響くような写実的な仏様を造っていくことが快慶のひとつの特色です 普通仏像は金箔を貼ったりしますが 快慶の仏様は金箔を直接貼るというのもありますが もうひとつのやり方として金粉を膠という接着剤に混ぜまして金の絵の具を作り それを身体に塗るということをよくやるのです これですと 金箔はキラキラ光りますが 金泥は鈍い金色を発する 非常に渋い感じの おそらくこれは仏様が私達のお側にやって来て下さる 生身の仏様と言いますが 非常にありがたい仏様が極楽から私達を迎えに来て下さる そういうお姿を念頭に置きながら造ったのではないかという気がします それでは 10 分ほど絵を見ていただくことにします 弥勒菩薩立像写真 ( ボストン美術館所蔵 文治 5 年 ( 1 1 8 9 )) アメリカには 3 ~ 4 体快慶の仏様が行っております これは明治に日本が廃仏毀釈という仏様には気の毒な時代にアメリカに渡りました 弥勒菩薩坐像 ( 醍醐寺 三宝院 建久 3 年 (1192)) 1192 年醍醐寺の秀吉が花見をしました三宝院の護摩堂に奉ってある大変綺麗な弥勒仏でございます 光背をとりますと見事な仏様でございます 全体的なプロポーションが整っておりまして ただ鎌倉時代も後半になりますと少し頭が大きくなり猫背になって少し下を向くようになるのですが これにはそういうような様子はございません 背筋を伸ばして非常にきれいで 表面には金泥を塗ったお像であります ですからピカピカ光っていません 飾りも古いのではないかと思うのですが 聖賢という醍醐寺のお坊さんがおりまして その方の関係の仏様であります 大日如来坐像 ( 石山寺 多宝塔 建久 5 年 (1194)) 滋賀県大津の石山寺の多宝塔がございますが その中に安置されております大日如来さんです こういうような座ったお像もございます
阿弥陀如来立像 ( 遣迎院 建久 5 年 (1194)) 先ほど申し上げました三尺 90cm 程度の阿弥陀さんというのはこの形式でございます このお像は昭和 58 年の奈良博で展示して以来だと思います 現在は仏教大学の鷹が峰の遣迎院にございます 比較的若い頃の三尺像であります このタイプのお像をずっと亡くなるまで快慶は造っていくわけです 阿弥陀三尊像 ( 浄土寺 建久 6 年 (1195)) これが播磨の浄土寺の阿弥陀三尊であります これは浄土寺浄土堂にあります これはよく考えられておりまして ちょうど秋と春のお彼岸の時に阿弥陀さんのお像の後ろへ太陽が落ちるようになっております に 夕陽の彼方から阿弥陀さんが西の極楽浄土からやって来て下さるという雰囲気を立体的に表している非常に神々しい仏様でございます これは非常に大きなお像ですから 今回展示には出ておりません ( 写真のみ ) 浄土寺に行かれる機会がございましたらお参りいただきたいと思います 菩薩面 ( 浄土寺 建仁元年 (1201)) 二十五菩薩来迎会といいまして阿弥陀さんが魂を極楽に送って下さる 救って下さる そういうのを当麻寺のお練りのように立体的に人間が衣装を着けて練り歩く時に使われたお面でございます これらは全て展示されておりますので 比較することもできるかと思います 阿弥陀如来立像 ( 浄土寺 建仁元年 (1201)) それから浄土寺のお像はもう一体 このお像だけは展示されていますが上半身は裸です これは運慶 快慶の頃は中国から新しい仏像が日本に伝わってまいりまして そういうのも積極的に取り入れて造っていくことをしていました 俗に宋風と言っています 四天王立像 ( 金剛峯寺 建仁 3 年 (1203) 以前 ) これは大仏殿の非常に大きな四天王像を造る前に 雛形を造っておこうと そのお像だという可能性もございます 現在は高野山にございます どういう風に署名をするかというと足の部分に臍を作りまして台座に立てるわけですが その臍の部分に刻みます 安阿弥陀仏とありますと これは快慶が造ったと 我々調べていまして臍の部分に安阿弥陀仏と出てくるのは非常に稀なケースなのですが こういう署名が出てくると非常にワクワクします 僧形八幡神坐像 ( 東大寺 八幡殿 建仁元年 (1201)) これは秘仏ですので 非常に色も綺麗に残っております 守り神でありますので威厳もありますし 非常に写実的です こういう表現は非常に難しいです 写実的ということは現実的ですから 人間の姿に近いということです ですから一歩間違えるとどこかのおじさんの顔になってしまうので なかなかこういうお顔を造るのは難しいです 非常に威厳のある八幡様らしいお顔になっております このお像はお腹の中をきれいにくりぬいてありまして その中は全面に朱が塗ってありました そこにお像を造った方々 縁を結んだ方々のデータが書いてあります 通常はお像の中は見えませんので ノミ跡が残っている場合が多いのですが このお像の場合は中をきれいにして朱を塗ってあります 阿弥陀如来坐像 ( 耕三寺 建仁元年 (1201)) このお像は伊豆山に昔あったお像で 現在は広島の耕三寺という所にあります 阿弥陀如来の座ったお像でございます 阿弥陀如来立像 ( 東大寺 俊乗堂 建仁 3 年 (1203)) さて 三尺像をいくつか見てお話を終わりたいと思います これは東大寺俊乗堂の阿弥陀さんです きれいな仏様です すらりと身体が伸びて 細かく見ますとここに金箔を細く切ってそれを文様に貼り付けて構成 装飾をしております 非常に細い線です これは書いたのではなく 一本一本細い糸の様な金箔を切って糸のような箔を ここは亀甲型にして花の模様を入れる 非常に気の遠くなるような作業をしております 後世になるとさすがにこのような糸のようなものではなく太い模様になってしまいます この時代は本当に細い模様をつけます 如来坐像 ( 新大仏寺 建仁 2 年 (1202) 頃 頭のみ ) それからこれは伊賀の別所ですが 頭だけ快慶さんのお像であります 木造金剛力士立像 ( 東大寺南大門 建仁 3 年 (1203)) 南大門の仁王さんです これは運慶 快慶 湛慶 定覚の 4 人の仏師が造ったと言われております 棟梁は運慶だったということで 向かって右側が運慶さんが 左側が快慶さんが中心であったであろうと言われています 吽 ( うん ) としているほうが運慶 阿 ( あ ) としているほうが快慶 今度南大門に行かれましたら ちょうど枠のように入っておりますが それを見ていただくと 阿 の方のお像は絵のようにピタリと四角の
枠の中に入っている 吽 の方はちょっと手を上げて 正面から絵にするとちょっとバランスが悪いかなという感じです 1 枚の写真にすると 吽 の方はぎこちない感じがします 阿 の方はぴったりと絵のようになっています こういうのが運慶と快慶の違いになります ただお像を引き出して見てみると 吽 の方は横から見るとこちらの方がより立体性 隙なくできているお像であります 木造文殊五尊像 ( 安倍文殊院 建仁 3 年 (1203)) 桜井の文殊院さんですが このお像は国宝になりまして 今回はこのお像は出展されておりませんが 東大寺のお坊さんの関係で文殊院に造ったお像であります 不動明王坐像 ( 醍醐寺 建仁 3 年 (1203)) 快慶さんの造ったお不動さん 恐ろしい顔をしておりますが 全体的にまとまりのいい表現であります 不動明王及び矜羯羅 制多伽童子像 ( 願成就院 ) それに比べましてこちらは運慶さんのお不動さんであります 運慶さんのお不動さんは肉体が充実しておりましてはちきれんばかりの肉体と動きもあります 特に背高童子はやんちゃ坊主のような立体造形として非常に立派なお像です 阿弥陀如来坐像 ( 松尾寺 12 ~ 13 世紀 ) これは快慶の座った阿弥陀さんです 阿弥陀如来坐像 ( 浄楽寺 ) これは運慶の阿弥陀さんです 穏やかなのが快慶さんでしたが 運慶さんになると身体もお肉も充実して 衣の線なんかも走りのいい表現になっております なかなか比べるのは難しいのですが 阿弥陀如来立像 ( 安養寺 12 ~ 13 世紀 ) あと後世こういうお像は奈良各地にございます これは田原本の安養寺さんのお像さんです 執金剛神立像 ( 金剛院 12 ~ 13 世紀 ) これは東大寺の執金剛立像を写したようなお像もつくっております 運慶と並び称される快慶ですが 運慶 快慶という名前だけでなく実際仏さんを見ていただきまして なかなか素晴らしいお像を造る仏師だと理解いただければと思います 仏像をやっていますと 抱きつきたくなるような 抱きしめたくなる仏さんというのがございます その一つが私は快慶さんなのです 本当に愛おしい感じが ありがたい感じがする作家さんです 是非この機会にご覧いただければと思います ありがとうございました ローターアクト報告 平成 29 年 5 月 28 日 ( 日 ) に RI 第 2720 地区の熊本に訪問し 昨年 9 月 11 日に奈良ゾーンでアクトの日に実施したロータリー熊本地震総合支援室への義援金募金 253,120 円の目録を 前田眞実ガバナーへお渡ししました その後 被害の特に大きかった益城町 西原村 南阿蘇 そして熊本城の被災状況を現地アクターの案内で視察しました 仮設住宅も未だ残っており 台風に強くするため瓦が重たくしているために屋根が崩れた家 地震のあとの記録的な豪雨で地滑りや落石を起こした山を見て回りました メイン通りを中心に復興が進んでいるとはいえ まだまだ現地は地震の爪痕が残っていました 普段からの備えがいかに大切かということ とっさの行動はなにも出来ないという経験 ロータリーのネットワークが緊急時に信頼出来 活かされることなど現地の声を聞くことができました 奈良 RAC 吉岡記
野球同好会 全国ロータリークラブ野球大会が 5 月 19 日 ( 前夜祭 )20 日 ( 本試合 ) で甲子園球場で開催されました 下出監督が率いる奈良 RC も毎年ながら出場させていただきました 対戦相手は 和歌山の海南東 RC でしたが 中本会長の応援をいただきながらの試合でしたが残念ながら 接戦の中 6 対 4 で敗戦 次回に託すことになりました 大島記 青丹よしゴルフ同好会 第 11 回青丹よしゴルフ同好会を 5 月 27 日 ( 土 ) 奈良国際ゴルフ倶楽部で行いました 13 名参加 素晴らしい晴天で ココチ良い空気がヒンヤリとして高原を歩く様で 約 17,000 歩を闊歩する最高のゴルフ日和でした 優勝は 1 オーバーの小林敏良君 準優勝に 2 オーバーの竹内一順君 第 3 位は阪田文彦君 因みに BB は松山隆君でした 次回は徳島方面に遠征 6 月 17 日 ( 土 ) は洲本ゴルフ倶楽部 18 日 ( 日 ) はサンビアゴルフクラブの 1 泊 2 日となります 多くの参加をお待ちしております 中島記 例会出席報告 会員数 出席免除者数 出席者数補填者数 出席率 第 41 回 5 月 25 日 126 名 32 名 93 名 82.30% 第 39 回名 5 月 11 日 ( 補正 ) 32 名 77 名 24 名 90.99% 次週 6 月 8 日 奈良県における直轄道路事業の現況 奈良国道事務所長宮西洋幸氏