○現説資料 2回目作成中 その3

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Transcription:

新庁舎建設に係る発掘調査 ( 府中城跡 I 地点 ) 現地説明会 ( 第 2 層目 ) はじめに福井県遺跡地図で確認できる 周知の埋蔵文化財包蔵地 ( 遺跡 ) 府中城跡 の範囲は 東は日野川 西は総社前通り 南は松原通り 北は大正通りで囲まれた 約 13ha の範囲となります 今回の発掘調査を行っている付近 ( 周知の埋蔵文化財包蔵地 府中城跡 ) は 中世の朝倉氏が置いた府中奉行所に始まり これを前田利家が府中城として拡大し 慶長六年 (1602 年 ) 本多富正が府中領の領主となると その居館を置き 周辺に侍屋敷や足軽屋敷を配置するなど町全体を整備しました 近代においては本多家の学問所を前身とする進脩小学校 武生東小学校として利用され 昭和 30 年以降は市役所の庁舎として利用されてきた場所です ( 武生市史概説編 より一部引用 ) 周知の埋蔵文化財包蔵地 府中城跡 i の範囲 ( 福井県遺跡地図 に加筆 ) i 周知の埋蔵文化財包蔵地 ( 遺跡 ) に名付けられている遺跡名称の地点名は 包蔵地の範囲内で行った調査順に付けています 今回の I 地点 という名称は 10 地点目の調査ということに由来します 1

1 概要 所在地 : 越前市府中一丁目 13-7 調査原因 : 市役所新庁舎建設調査期間 : 平成 28 年 8 月 28 日 ~ 平成 29 年 7 月末予定調査対象面積 :3,000m2第 2 層目時代推定 : 江戸時代初期 ~ 中期 (1600 年代 ~1700 年代後半 ) 今回の開発に伴う緊急発掘調査 ii は 新庁舎の建設予定地のうち市民ホール 生涯学習センター 武生東公民館の跡地を除く範囲を調査しております なお 発掘調査は 平成 26 年に実施した試掘調査で確認できた2 層を調査しています 第 1 層目は 駐車場面から60cmから100cm掘り下げた地点から見つかり 第 2 層目は駐車場面から70cmから150cm掘り下げた地点から見つかりました ( 土層柱状図参照 ) 第 2 層目からは 石垣が1か所 礎石群が3か所など見つかりました 特に礎石群の上や周辺からは 赤く変色した土が堆積していたことから 火災の痕跡と推定されます また 第 1 層目に比べ 遺物の出土が少なく 火災後に廃材等を除去した可能性があります ( これまでの経緯と今後の計画 ) 平成 26 年 5 月 試掘調査 平成 28 年 8 月 28 日発掘調査着手平成 29 年 5 月 7 日第 1 層目現地説明会平成 29 年 6 月 20 日公会堂記念館常設展示において出土品の展示開始平成 29 年 7 月 22 日第 2 層目現地説明会平成 29 年 7 月 25 日石垣詳細調査のための断ち割り調査開始 平成 29 年 7 月末平成 29 年度平成 30 年度平成 31 年度平成 32 年度 発掘調査終了予定遺物の注記作業 接合作業復元作業 実測作業実測作業 写真撮影などの整理作業報告書を作成 ii 開発事業等を行う場合は 遺構や遺物など埋蔵文化財に対して記録保存のための発掘調査を行い その成果である調査記録 発掘調査報告書を確実に保存することになっています 2

2 遺物 出土層出土箱数主な出土品 ( 出土量順 ) 年代 iii 第 1 層目 137 箱 iv かわらけ 石製品 近世陶磁器 瓦江戸時代後期 第 2 層目 20 箱石製品 かわらけ 近世陶磁器 瓦江戸時代前期 ~ 中期 iii 年代判断の根拠は 時代によってつくりや形式が異なる土器 瓦等から判断しました 江戸時代後期 ( 第 1 層目 ): 大量生産 画一的な型押しの かわらけ が出土江戸時代前期 ~ 中期 ( 第 2 層目 ): 手づくねの かわらけ や 伊万里焼片が出土越前焼のかめの口の作りや 瓦の型式にも時代の特徴があります iv 第 1 層目の出土箱数は 表土層中からの出土数 (25 箱 ) も含みます 3 主な遺構 ( 別紙図面参照 ) (1) 石垣 1 列長さ南北 30m 高さ1~3.5m 調査範囲の東側で第 1 層目から一部が見えていた石垣は 南北に横切る形で全体が明らかになりました この石垣は流紋岩の石で積まれていました 第 1 層目の時点で見つかっていた堀の中の石を取り除いたところ 石垣はありませんでした 今回見つかった石垣の上部が崩壊した石である可能性があります また 石垣の中央に張り出し部分が見られますが この部分の背後 ( 西側 ) にも石列が見られることから 付け加えられたものと推測しています なお 説明会終了後 張り出し部分を取り除き 背後の石垣を記録保存するとともに 石垣の構造や造られた年代を明らかにするための断ち割り調査を実施します (2) 池状遺構 1か所長さ東西 7m 南北 15m 石垣の西側で見つかった遺構です 遺構の一部は石で囲まれており 内側には河原石が一部敷かれています 河原石の下には 粘土が貼られ水が漏れないようにした跡が見られ 池であった可能性があります (3) 礎石群 1 18 個東西 2 間 南北 6 間 (1 間 140 cm ) 池状遺構の西側で見つかった礎石群で 南北に細長い建物である可能性があります (4) 礎石群 2 4 個東西 1 間 南北 4 間 (1 間 140 cm ) 調査範囲の中央東寄りで見つかった礎石群です 建物は南側の調査範囲外に広がっている 可能性があります 3

(5) 礎石群 3 36 個東西 7 間 南北 9 間 (1 間 140 cm ) 発掘調査範囲の中央西寄りで見つかった礎石群です 礎石群の上面に赤く変色した土の堆 積が確認されています 火災によって焼失した建物ではないかと推測しています 4 参考資料 武生市史 には 宝暦 12 年 (1762 年 ) の大火の記録が記されており 江戸時代初期から中期で確認できるこの付近での大火の記録はこれのみです 今回確認された焼土の堆積は この時のものである可能性があります 武生市史概説編 (P328) 長尾家文書によると 宝暦 12 年 (1762 年 )4 月 3 日夜 亀屋町 v から出火し およそ 200 vi 戸 ほかに寺院多数を焼失した ついで 4 月 17 日午の刻過ぎ 竹が花町忠兵衛から出火 折からの強い南風で残りの町々 1200 戸及び御館 藩士邸宅 97 戸 vii を焼失した 1 か月に二 度の大火で町はほとんど焼失してしまった v 現在の南二丁目あたり vi 現在の若松町あたり vii 周知の埋蔵文化財包蔵地の府中城跡の範囲に含まれると推測される 4

土層柱状図 60~100cm 70~150cm 350cm 400cm 420cm 500cm 現状地盤 説明 遺構面 ( 第 1 層目 ) -60~100 cm 遺構面 ( 第 2 層目 ) -70~150cm 生涯学習センター基礎 -350 cm 遺構 ( 堀底最深地点 ) 市民ホール -400 cm 生涯学習センター地下室基礎 -420 cm 検出 層厚に幅が見られるのは 西から東にかけて 遺構面が緩やかに低くなっているためである 東公民館基礎 -500 cm 5

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