「美濃が支えた江戸の食卓」を紹介

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す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査

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目 次 調査結果について 1 1. 調査実施の概要 3 2. 回答者の属性 3 (1) 主な事業地域 3 (2) 主な事業内容 3 3. 回答内容 4 (1) 地価動向の集計 4 1 岐阜県全域の集計 4 2 地域毎の集計 5 (2) 不動産取引 ( 取引件数 ) の動向 8 1 岐阜県全域の集計

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平成 30 年度広島県立庄原特別支援学校食に関する年間指導計画小学部重複障害学級 食べ物と健康との関わりについて知ろう 給食について知ろう 学習 遊びの指 導 生活単元 給食の食材や献立について知る 正しい手洗いを身に付ける 協力して配膳ができる 食後の片付けができる しっかりかむ習慣を身に付け,

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生活に欠かせない食事 食卓には様々な食器が並びます 江戸時代以前の食器は木製品や漆器, 素焼きの土師質土器などが多く使われていました 江戸時代にも漆器が食器として多く使われており, そのほかに陶器や磁器も使われるようになります 江戸時代初期は焼物の食器としては陶器が主に使われます からつ 陶器は当時

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アイヌ政策に関する世論調査 の概要 平成 3 0 年 8 月内閣府政府広報室 調査対象 全国 18 歳以上の日本国籍を有する者 3,000 人 有効回収数 1,710 人 ( 回収率 57.0%) 調査時期平成 30 年 6 月 28 日 ~7 月 8 日 ( 調査員による個別面接聴取 ) 調査目的

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教科 : 地理歴史科目 : 世界史 A 別紙 1 (1) 世界史へのいざない 学習指導要領ア自然環境と歴史歴史の舞台としての自然環境について 河川 海洋 草原 オアシス 森林などから適切な事例を取り上げ 地図や写真などを読み取る活動を通して 自然環境と人類の活動が相互に作用し合っていることに気付かせ

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平成 28 年 8 月 24 日赤平市市内在住の被保険者宅に市役所の保険係 サカイ を名乗る者から 医療費の還付金が 15,000 円発生している 5 月ごろに青い封筒を送っているが確認しているのか と電話があった 被保険者が 確認していない と言うと 昨日が申請期限だった と言われ

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日常的な食事に関する調査アンケート回答集計結果 ( 学生 ) 回収率 平成 30 年 12 月 1 日現在 134 人 問 1 性別 1 2 男性女性合計 % 97.0% 100.0% 3.0% 男性 女性 97.0% 問 4 居住状況 家族と同居一人暮らし

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Transcription:

美濃が支えた江戸時代の食卓 を紹介 多治見市美濃焼ミュージアム光枝美紀 歌川豊国 ( 三代 ) 卯の花月嘉永年間 (1848~1854)( 静嘉堂文庫蔵 ) 初物 を食べると寿命が 75 日延びると言われており 江戸の人々は初物を楽しみました 初鰹 は初夏の風物詩で 長屋の女性が初鰹を求め 振り売り と呼ばれる移動販売を行う男性の周りに集まっています 背景に見える 徳利 や 片口鉢 は美濃で大量に生産されていました はじめに江戸時代に入ると 桃山時代の茶道文化とともに一世を風靡した織部などの桃山陶は終焉を迎え 美濃では庶民向けの食卓器や厨房用器 燈明具などの生産が中心となっていきました 美濃焼の一大市場となった百万都市 江戸は 周辺から農民を住まわせ 外部から商人や職人が流入した人工都市でした 人口の約半分が武士であり 多くは郷里に妻子を残してきた 単身赴任 の家臣団のため 圧倒的に男性が多かったと言われています そのため 外食文化が発達し食文化の発展を促す要因となりました 多治見市美濃焼ミュージアムで開催中の小企画展 美濃が支えた江戸時代の食卓 (2019 年 1 月 19 日 ~5 月 12 日 ) では 飢饉や改革 磁器の陶器市場参入による不況など 厳しい社会変化にさらされながらも 時代に対応し焼き続けた美濃焼と その食卓器を用いて庶民に親しまれた江戸の食文化を紹介しています その 1. 美濃焼の歴史と変遷 1) 高級品から日常雑器へ江戸時代初期にあたる 17 世紀初頭を過ぎるころ 美濃で生産されていた沓形碗などの織部はやや減少し 中国の青磁を意識した御深井製品の生産がはじまりました 17 世紀中ごろには 地区ごとに異なるものの 碗や皿などの日常容器が焼かれるようになります また 17 世紀後期からは茶陶などの高級食器

ではなく 丸碗や拳骨茶碗などの多彩な日常容器が量産されるようになりました こうした美濃焼の器種の変化には 食の大衆化の影響がみられます 16 世紀に大成された茶の湯は主に上流階級が嗜むものであり 粉末の茶に湯を注ぎ茶せんで点てるものでした しかし 17 世紀中ごろには 茶は庶民の間でも広く普及していたと考えられています この頃の茶は やかん 鍋 釜などで茶葉を煮出し 大振りの茶碗を用い点てて飲まれていました 小振りの茶碗が登場するのは 18 世紀中ごろで 茶せんは用いられませんでした 江戸の町にはお茶を提供する 水茶屋 があり 茶は庶民には欠かせない嗜好品へとなっていったのです 渓斎英泉十二ヶ月の内六月門ト涼 (1800 年代 )( 国立国会図書館蔵 ) 2) 磁器生産 260 年以上続いた江戸時代において 絶え間なく美濃焼を焼き続けることは容易くはありませんでした 18 世紀末から 19 世紀初めには 美濃に大きな不況の波が襲います 天明 4 年 (1784) に 瀬戸では多くの窯が廃業に追い込まれており 美濃も例外ではありませんでした 不況の原因は 天明の大飢饉 (1782~) による米価高騰の影響や その対策として行われた寛政の改革による物価引き下げの影響 加えて美濃より約 200 年先だって生産された肥前の磁器が 陶器市場を圧迫してきたことも考えられます 瀬戸や美濃は この不況を乗り切るための転換期に磁器の開発へと踏み出しますが 磁器生産が安定的になるのは天保年間 (1830~1843) を待ちます *1 飢饉は天保 4 年 (1833) と天保 8 年 (1837) にも発生し 不況が続く中 嘉永 2 年 (1849) には美濃の村々で 5 年間窯焼きの数を減らす対策に出ました 美濃は不況の中にも様々な対策を講じ やきもの生産を続けていったのです 太白筒形湯呑 ( 美濃焼ミュージアム蔵 ) 美濃に磁器が導入された時期は享和 3 年 (1803) 頃とされており 磁器は陶器と比べて肌の白いことから 精製された純白の砂糖を意味する 太白 または陶器の 本業焼 に対して 新製焼 などと呼ばれました <コラム 1> 美濃焼を 瀬戸物 として売った蔵元制度享和 2 年 (1802) 生産と販売の二つを尾張藩の統制下におくことで 円滑な取引を目的として作られた制度が 蔵元制度 です 瀬戸窯では 不況とあいまって製品の大幅値下げを要求する問屋と窯屋の紛争をなくすための救済措置でありながら 尾張藩を通すことで諸税を徴収し 藩の財政を潤す利点もありました 一方美濃窯では 一時は名古屋問屋を離れて江戸問屋と直接取引をしていましたが 結局は瀬戸との競争になり値崩れをおこすため 享和 3 年 (1803) に尾張藩の蔵元制度の傘下に入ります これにより 美濃焼は 尾張藩蔵物 となり 江戸へは 瀬戸物 として販売されました

その 2. 江戸の食文化 江戸時代といっても 260 年以上続いた社会であり 貧富の差も大きかったため その内実は一様ではありません 江戸前期はまだ政治 経済の基盤を築いていく時期であり 食文化も階層的に高い人たちが楽しんだと思われます しかし 江戸後期になってくると 飢饉や三大改革にさらされながらも大衆も料理を楽しむ文化が成熟していきました 江戸時代を通じて料理本は発刊されていますが 江戸前期は料理人向けの本であるのに対し 江戸後期には庶民が楽しむ 遊び心のある料理本がいくつも発刊されています 庶民の食事 ( 東京都江戸東京博物館蔵 ) 食事は一汁一 二菜が基本でした 江戸時代は食文化が大きく変容した時代であり それまで朝夕の一日二回の食事から 現在と同じ一日三回の食事へと変わりました 明暦の大火 (1657) の復旧工事にあたった職人へ昼食を出したのがきっかけだったといいます 豆腐百珍天明 2 年 (1782)( 国立国会図書館蔵 ) 100 種類の調理法が掲載された料理本で 身近な食材である豆腐を 奇品 や 絶品 などのランクに分けて紹介し 続編が登場するなど絶大な人気を博しました 1) 江戸では欠かせない酒 久留米藩士江戸勤番長屋絵巻 ( 東京都江戸東京博物館蔵 ) 江戸の土地の約 60% は武家屋敷だったといいます 下級藩士は贅沢ができなかったため 各々が自分の徳利を持ち込んで宴会が開かれました これらの徳利は 貧乏徳利 と呼ばれ 守貞謾稿*2 でも紹介されており 名前の由来については その謂を知らず とあります 寛政 12 年 (1800) に美濃の窯方との取り決めで 徳利の生産は年間 6 万個と定められました それも 売れ行きが悪くなったため 6 万個に減らされており その前は年間 10 万個焼かれています 不況と改革による制限に苦しみながらも 美濃焼は木曽川を使って荷を船で運び 桑名から江戸へと送られていったのです *3

2 外食文化の象徴 蕎麦 歌川国貞 神無月はつ雪のそうか 1800 年代 静嘉堂文庫蔵 雪の夜に蕎麦の屋台へと集まる夜鷹 街娼 の女性たちが 冷たい雪と温かいお蕎麦の対比とともに鮮やかに描かれて います 万永元年 1860 には 江戸に 3,763 軒もの座敷のある蕎麦屋があったとされています 単身者の食生活を支え たのが外食文化でした 染付山水図猪口 美濃焼ミュージアム蔵 安政 4 年 1857 笠原村では 笠松役所へ年間の荷数を報告しており 蕎麦や うどんなどで使用したと思われる鉢類丼類は 湯呑や茶碗 皿などと併せて 五 千駄余 運ばれたことが記されています 当時 荷は馬の背中に乗せて木曽川の 湊まで運んでいました 一頭の馬が運ぶ量を一駄と数えます 一頭の馬の背には 六俵 三十六貫 135 積むことができ 一俵は三合徳利なら 36 本 湯呑なら 100 個 小皿なら 150 200 枚になります それらの荷を積んだ馬が年間五千頭を 数えるので かなりの荷数が美濃から運ばれていったことがわかります 多治見 市史 史料編 通史編より コラム 2 江戸の町の屋台 非日常的な ハレ の空間には 必ず屋台がありました 寺社の門前や名所 祭りなどには屋台をはじめと した食の店や振り売りが賑わったといいます 江戸時代の浮世絵には 寿司 水売り 焼いか 天ぷら 蕎麦 だんご 汁粉 果物 麦湯売りなど 多くの売り場が描かれています 天ぷらは一つずつ串に刺して売られ 稲荷寿司は好みの量を切って購入することができ 腹具合にあわせてすぐに食べることができました JAPPI NEWSLETTER April 2019

<コラム 3> 行事と食現在でも残っている風習として節句の行事があります 五節句は江戸幕府が定めた式日です 1 月 7 日の人日 3 月 3 日の上巳 5 月 5 日の端午 7 月 7 日の七夕 9 月 9 日の重陽の五つがあり 明治 6 年 (1873)1 月に廃止されましたが 重陽以外の節句は民間行事として現在でも行われています 節句にふさわしい食べ物を食べる風習は 食に対しての関心の高さが伺えます おわりに美濃焼の一大消費地だった江戸では 江戸時代を通して豊かな食文化が成熟していきました 今に伝わる食文化を支えた蔭には 華やかさとは対照的な厳しい美濃の窯の状況が垣間見られます しかし 時代の流れに埋もれることなく焼き続けられた美濃焼は 大いに江戸の食文化を支え 現在に至るまで焼き物産地として栄えることになりました < 註 > *1 [ 多治見市, 1976] 天保 8 年 (1837) 多治見村 笠原村 下石村 久尻村 高山村の五ヶ村における陶器と磁器の生産高について 徳利や壺などの陶器は年間 1,500 両なのに比べ 茶漬碗や湯呑などの染付磁器は 2,000 両とあり 陶器を上回っています *2 喜田川守貞が天保 8 年 (1837) から 30 年間に渡って書いた風俗誌 *3 [ 多治見市, 1976] 天保 8 年 (1837) 多治見村 笠原村 下石村 久尻村 高山村の五ヶ村における生産品の中に ひんぼう ( びんぼう ) 酒徳利 とあります これによると 九割は江戸へ 残りの一割は近国へ売り捌いたと記されており 徳利は ほとんどが江戸へと運ばれていったことが分かります しかしながら 不況の影響で江戸では売り捌けず 瀬戸物問屋は徳利をたくさん抱え込み難儀をしたといいます < 主要参考文献 > 近世風俗志 (1) (5) 喜田川守貞岩波書店 (1996 2002) 図説江戸 4 江戸庶民の衣食住河合敦 松本海株式会社学習研究社 (2003) ヴィジュアル日本生活史江戸の料理と食生活原田信男株式会社小学館 (2004) とっくりのがんばり興倉伸司 矢島吉太郎 TaKaRa 酒生活文化研究所 (1998) 浮世絵に見る江戸の食卓林綾野株式会社美術出版社 (2014) 江戸時代における喫茶碗の変遷土岐市美濃陶磁歴史館 (2014) 特別展瀬戸物として売られた美濃焼 - 江戸時代の焼物生産と販売 - 岐市美濃陶磁歴史館 (2018) 企画展図録江戸時代の美濃窯瀬戸市埋蔵文化財センター (2003) 新宿内藤町遺跡に見る江戸のやきものと暮らし新宿区内藤町遺跡調査会 (1993) 多治見市史窯業史料編 通史編上多治見市 (1976 1980) 謝辞 ( 敬称略 順不同 ) 本展開催にあたり 格別のご協力とご教示を賜りました下記の方々や関係機関に深く感謝申し上げます 小木曽郁夫中嶌茂多治見市文化財保護センター静嘉堂文庫江東区深川江戸資料館東京都江戸東京博物館