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九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository 怡土 志摩の村を歩く 楠瀬, 慶太九州大学大学院比較社会学府日本社会文化専攻 : 修士課程 浦谷, 拓九州大学大学院比較社会文化学府 : 博士後期課程 木戸, 希九州大学文学部人文学科歴史学コース 田中, 由利子九州大学大学院比較社会文化学府 : 博士後期課程 他 http://hdl.handle.net/2324/1655044 出版情報 :2009-03-01. 九州大学大学院比較社会文化研究院服部英雄研究室バージョン : 権利関係 :

第 1 部怡土 志摩郡と中世怡土庄 1 はじめに 九州大学の伊都キャンパス移転と景観変化 現在 糸島と呼ばれる九州大学の伊都キャンパス移転地は 明治二九年 (1896) まで怡土 志摩郡と呼ばれた 中世には 当該地域は 京都の仁和寺法金剛院を領家とする巨大庄園怡土庄の領域にあたる 本書は 服部英雄教授を中心として九州大学の学生によって 1995~1997 年に行われた現地調査の報告書 筑前国怡土庄故地現地調査速報 ( 服部編 1999 以下 調査速報 ) の続編である 本書は 先の調査から数年を経て行われたた現地調査 (2001 2005 2008 年度 ) の成果報告書である 特に 中心となっているのは 写真 1 元岡の耕地と伊都キャンパス 2008 年 8 月 ~11 月にかけて編者が行った現地調査である 10 年前何も無かった元岡の山には 現在 伊都キャンパスが建設され 箱崎か ら工学部が移転を完了し 大学として機能を始めている 1) 2009 年 4 月には 教養課程の六本 松キャンパスが移転し 伊都キャンパスへ通う学生はますます増えることになる 郊外の農村地域であったこの場所には 伊都キャンパス移転に伴って九大学研都市駅 (JR 筑肥線 ) が建設され 周辺では宅地 道路開発が急速に進み 大きくその景観を変えている 2) その余波は キャンパス周辺のみならず糸島地域全域におよんでいる 3) このような状況はますます進行していくものと考えられる このような生活環境の変化の一方で 中世怡土庄から続く 怡土 志摩の村 の歴史 生活 民俗の記憶が忘却されつつあることも忘れてはいけない 調査速報 で行われた村落調査は怡土 志摩の一定地域 特に平野部に限られており 海辺部の集落や山麓 山間部の集落には及んでいない ( 図 1) 本書の課題は まだ調査されてないこれら多くの村の記憶の記録保存にある 本稿では 文献史学 考古学 民俗学 地理学 社会学など様々なフィールドワークの方法を用いながら 怡土 志摩の村 の村を歩いてみたいと思う その際 これまでの庄園現地調査が注目してこなかった海や山の地名 生業 交通 流通などに注目しながら 中世怡土庄の諸相に迫って行きたい 4) 2 位置と環境 旧怡土 志摩郡は 現在の福岡市西区の一部 志摩町 前原市 二丈町にあたる地域である ( 図 2) 明治二九年 怡土郡 志摩郡の 19 村が合併して糸島郡となるまで使われた呼称である 北西は玄界灘に臨み 東は早良郡 南は背振山地を挟み 佐賀県小城郡 東松浦郡に接する 北西の糸島半島は玄界灘に面し 中央部の火山 可也山などに山地丘陵が広がり その間を桜井川 初川 沖川などが流れる 南西部には引津湾 船越湾がある 1) キャンパスの建設はなお継続中である 2) 特に 元岡周辺地域の福岡市内に近いという利便性は 一戸建て住宅を中心とした宅地開発を進行させており キャンパス移転による学生街としての発展以前に 福岡市のベットタウンとしての発展を予測させる 3) 周辺地域では 耕地の宅地開発が進行しており 農村景観も徐々に変わりつつある 4) 糸島郡誌 日本歴史地名体系 41 を参照 1

図1 怡土庄故地現地調査地図 日本歴史地名大系 41 所収地図を改編 南東部は 富士町境の背振山地に井原山 雷山 羽金山 福岡市早良区境に高祖山 日向峠などがあ る 南部の山脈から発する瑞梅寺川 周船寺川 雷 山川 長野川などは今津湾 加布里湾 深江湾に入 る 河川流域に広がるのが糸島平野である 西部は唐津湾に面し 一貴山川 羅漢川が北流す る平野部を除けば山がちで 二条岳 女岳 浮嶽 十坊山など高峰が連なる 3 怡土庄の歴史5 図2 現在の怡土 志摩郡 怡土庄は 怡土 志摩郡に 12 世紀半ばから 15 世紀初めまで存在した京都の仁和寺法金剛院 調査速報 および正木 2005 を参照 5 2

くにゅう領の大庄園である 鳥羽上皇中宮の待賢門院璋子の近親者であった大宰府大弐 少弐の口入によ り 在地領主が連合して所領を寄進して成立したとされている 周辺には板持 船越 桑原 長野 原田庄などの筑前の寺社の膝下庄園が存在し 一円庄園ではない ( 図 3) 本家は待賢門院 - 上西門院 - 後白河院 - 宣陽門院 - 雅成親王 - 宣陽門院 - 鷹司院長子 - 後深草院 - 後伏見院 - 持明院統と伝領した 領家は仁和寺法金剛院 下地支配は立荘当時 在地領主で構成された荘政所を中心に行われてきたが 源平合戦を契機に平家方であった在地領主が打撃をうけ 仁和寺僧の支配となった 平家没落後 地頭 ( 氏名不詳 ) が置かれていたが 後白河院の強い要請で建久三年 (1192) には撤廃されている 承久の乱後は 大隅守護の千葉氏が守護領として支配 今津地頭も千葉氏である 弘安元年 (1278) から九年間は関東御領化している 弘安九年 (1286) には大友頼泰が元寇恩賞地として 志麻方三百町惣地頭職 を 正応三年 (1290) にはその家臣田原基直が末永 松成名地頭職を与えられ 怡土方は北条氏が地頭職を与えられている この時期に 怡土庄に対する仁和寺の惣庄的支配は解体した 鎌倉期の怡土庄は名 村の集合体の形をとっていたが 名の出現は 13 世紀初頭で 名は年貢公事徴収の収取単位であった 全体として十町 ~ 十五町程度の領主的名が多い 村は所領単位として現れる 名主は荘官と呼ばれ 仁和寺の在地支配の末端にあった 志摩方では これら名主層は地頭大友氏に対して年貢 公事を全く払っておらず 名主権力は強かったと考えられる 南北朝期には動乱によって怡土庄は荒廃する 観応の擾乱で下向し図 3 怡土 志摩郡の庄園分布 ( 竹内 1976 を改編 ) た足利直冬は少弐氏と結び 中村 重富 得永 野北氏の庄内領主層も参加したが 今川了俊下向後は探題勢力が浸透する その後 足利義満により大友親世 田原親貞に怡土庄所領が安堵されると 以後 少弐氏勢力と対抗しながら 大友氏の守護領化していく 仁和寺による預所支配は弘安頃から動揺し 永仁二年 (1294) がその史料的下限となる 以後 関東御領 北条氏所領として請所化していたと考えられている つまり 仁和寺は政所を通じて年貢を徴収し 下地進止権は怡土方 志摩方に置かれた政所に委任する請所方式をとっていた 政所は地頭大友氏が掌握しており 仁和寺との関係が確認できるのは建武二年 (1335) までである 文明十年 (1478) 八月の仁和寺領文書目録には不知行目録に怡土庄が見え これ以前に庄園としての実態はなくなっていたとされる 4 研究史と問題の所在 庄園景観復原研究の課題 ここでは 庄園景観復原研究の課題について 怡土庄における村落景観復原の事例から 明らかにしたい また 庄園現地調査における方法についても課題を指摘しておきたい 怡土庄における名の景観復原の代表的研究として 正木喜三郎氏の恒吉名 ( 現前原市大門 ) の 3

復原がある ( 正木 1980) 年不詳坪付断簡と正安四年(1302) 三月日の源続譲状 ( 中村令三郎文書 ) を用いた正木氏の恒吉名の耕地復原は見事に土地の景観を復原している ここでは 怡土庄恒吉名の景観は 集落は散居形態 耕地は 川成と常荒 不作の中に田地と白地 ( 畑地 ) が散在する荒涼たる状況 であったとされ その零細さを強調している これに対して服部英雄氏は 復原に使われた坪付は 領家に対して中村氏が有する土地 ( 恒吉名 ) が免祖地であることを認めさせた記録 であり 年貢の免除される川成 常荒 不作を多く計上する領家年貢減免の駆け引きの結果であるとしている 6) さらに 溝 の存在から 白地 も田地として機能する可能性 川成 不作 であっても一時的なもので耕地化する可能性もあるとプラスに評価している ( 服部 1998) このように見てくると 歴史的に村落景観を復原する際に問題となる帳簿類の実態性の問題や環境変化などの様々なバイアスが 当該地域においても存在することが改めて確認される これらバイアスを取り除いて より実態に近づいた景観復原を行うためには これまで行われてきた地名の現地比定のみならず その土地の立地や環境 利用 生活形態などの他要素にも配慮する必要がある そのために 豊後国田染庄や丹波国大山庄のように景観復原研究や庄園調査においては 文献史学 考古学 地理学 民俗学 土壌学など様々な分野を総合化して行われている こういった意味で言えば 調査速報 で行われた庄園現地調査は一部城郭史の視点を含むものの文献史学を中心としており 他分野も含めた学際的調査という点では残した問題は多いと考えられる 先の正木氏 服部氏の恒吉名に関する分析は 名主の小地頭 在地領主としての生産基盤の側面から耕地に注目したものだが 一方で恒吉名の陸上交通 河川水運の要衝としての性格に注目し 交易などの経済活動を行う津の存在の可能性を評価する見解もある ( 正木 1998) また 中村文書 の詳細な分析を行った藤本頼人氏も 松浦党一族としての中村氏の水上交通や経済活動への比重の高さを示唆している ( 藤本 2008) ここで指摘した例に見るように 庄園景観復原研究のキーワードは村落 耕地 領主制であったが 今後は庄園の内外を結ぶ交通路や物資流通 都市的な場に注目すべきだと石井進氏は指摘する ( 石井 1998) 庄園内には耕地の他にも海 川 林 山 山畑などがあり 穀物生産以外にも様々な生業が存在していた これら山野河海の利用は村落内のみで完結するものではなく 他地域との交通 交流によって成り立っていた すでに服部氏が自認しているように これまでの庄園現地調査は圃場整備によって消滅する 水田 を対象としており 水田 景観と 水利 の在り方の復原を目的とした 水田中心史観 であった ( 服部 2004) このような視点は その到達点として評価される豊後国田染庄や丹波国大山庄などの調査 研究においても基本的に堅持されている 7) これは 平野部を中心に調査を行った怡土庄故地の 調査速報 においても同様であった 服部英雄氏らによる報告書 中世景観の復原と民衆像 は 旦過 狩倉 山野 原野 古道 津 塩浜 などのキーワードに見るように 石井氏の提言に見事に答えたものである ( 服部編 2004) 怡土庄故地における現地調査においても 以上のような視点が不可欠である 6) 中世の検注に 検注使と在地の駆け引きがあったことは早くから指摘されている ( 宝月 1985) 中世検注について体系的に検討した山本隆志氏は 検注に際して様々な点で名主 百姓側にかなり譲歩があったことを指摘している ( 山本 1994) また 太閤検地の一環として行われた土佐国長宗我部氏の検地でも 平野部では一地一作人の徹底など詳細な検地が行われたが 名主権力の強かった土佐国の山間部では検地されない土地がかなりあがるなど 不徹底なものに終わっている ( 楠瀬 2008) 7) 例えば 中世荘園の世界東寺領丹波国大山荘 ( 大山喬平編 1996 思文閣 ) に添付された地名地図では 落とされる地名は田畑がほとんどで山の地名は皆無である ここでは 谷の地名が若干書かれる程度である 4

5 調査 研究の概要 2008 年度調査では これまで調査の対象とされてこなかった背振山地の山麓集落および玄海灘沿岸の漁業集落を中心に 福岡市西区 志摩町 前原市 二丈町で聞き取り調査を行った ( 図 1- ) 調査期間は 2007 年 8 月 17 日 ~11 月 11 日の間 25 集落 ( 大字 ) をまわり 約 50 名の人達から話を聞くことができた 現地調査では 以下のような調査を行った 1 聞き取り調査 ( 聞き取り項目 : 地名 ( 田 畑 山 谷 淵 石 用水路 橋 屋号 瀬 浜など ) 生業 ( 漁業 農業 狩猟 採集 炭焼 牛馬 林業など ) 集落構造 流通( 牛馬 木材 漁具 出荷 行商 ) 交通 ( 道路 橋 峠 渡船 ) 生活 ( 信仰 祭り 結婚 葬送 青年組 遊び ) 伝説 戦争体験 災害) 2 民具調査 ( 山道具 農具 漁具 鍛治など ) 3 石塔調査 ( 五輪塔 板碑 庚申塔など ) 4 景観調査 (GPS を用いた景観のデジタル化 ) この結果 以下のような重要な成果を得た 1 約 500 個の新出地名の現地比定 2 聞き取りによる新たな歴史 民俗の発見 生業の地域性 実態の解明 3 未報告の石塔群を多数発見 4 変貌する農山漁村の現状を記録 写真 2 聞き取り調査の様子 これらの内 1については第 2 部内の地図にプロットし 2については第 2 部の地誌編で村ごとに記載する 3については第 2 部内の地図に位置をプロットした うちいくつかは第 3 部 3 章で資料紹介する 4については 第 4 部第 1 章で述べる 6 資料と方法本書の第 2 部 地誌編 では 文書 地誌等を用いて怡土 志摩郡の村ごとの歴史的沿革述べる また 第 4 部 分析編 ではいくつかの中世文書を用いて 当時の景観を復原する作業を行う 本書で用いる文書 地誌等について その性格を述べる (1) 中世史料怡土庄は 筑前の庄園の中でも特に多く文書を残す地域である しかし 坪付 譲状 検地帳などの景観復原に用いることのできる史料は極端に少ない 以下 いくつかの史料集に所収されている 筑前国怡土荘史料 8) 九州荘園史料叢書四 新城常三 正木喜三郎共編 怡土庄研究の基礎史料集である ほとんどの関係史料が収録されている 1 号 ~245 号 本文中では怡と略す 平安遺文 平安期の基礎史料集 本文中では平と略す 鎌倉遺文 鎌倉期の基礎史料集 本文中では鎌と略す 南北朝遺文 九州編南北朝期の基礎史料集 本文中では南と略す 大宰府 太宰府天満宮史料 太宰府関係の史料および筑前国の関係の史料が収録されてい 8) 調査速報 に 筑前国怡土荘史料 正誤表 怡土庄史料南北朝分 怡土 志摩両郡南北朝期史料脱漏分 がある 5

る 本文中では大と略す 福岡県史資料 第十輯 筑前地方古文書 として 勝福寺文書 大泉坊文書 朱雀文書 中村文書 徳永文書などが載る 改正原田記附録 江戸後期に王丸村の児玉韞の祖父琢が江戸時代後期に採集した文書の写し 児玉韞採集文書 改正原田記 10 巻のうち巻 9-10 附録として糸島地方の中世文書を編年順に収める 筑前町村書上帳 成立は明治初期 文政期の 筑前国続拾遺 編纂関係の資料と明治期の神社明細帳を郡ごとに編成した資料集 怡土郡 志摩郡には多くの中世古文書を収録する (2) 近世史料怡土 志摩郡の近世史料は 地検帳ほかを含め膨大な量が存在する 特に 福岡西方沖地震により調査された志摩町所在被災史料は現在調査分のみで 9087 点にのぼる ( 志摩町教育委員会 2008) (3) 近世地誌先のとおり 怡土郡 志摩郡の近世史料は膨大である 本書では 以下の近世の地誌類を中心にして 地名 歴史 民俗 生活等に言及したい 筑前国続風土記 貝原益軒が元禄十六年 (1703) に藩命を受けて編纂した筑前国の地誌 本文中では 続風土記 と略す 筑前国続風土記附録 天明四年 (1784) から福岡藩士加藤一純が藩命を受け 鷹取周成らの援助で編纂が開始された筑前国の地誌 寛政五年 (1793) に四〇巻を藩に献上したが 博多 福岡 土産考などが未完のまま死去 その後 鷹取周成が青柳種信の援助を得て不足の八巻を補い 寛政十一年 (1799) に完成した 本文中では 附録 と略す 筑前国続風土記拾遺 文化十一年 (1814) 青柳種信が 筑前国附録 の吟味を命じられて編纂が始まり 天保六年 (1835) の種信死亡後は長男長野種正 次男青柳種春が編集を引き継いだ筑前国の地誌 本文中では 拾遺 と略す 太宰管内志 天保十二年 (1841) の成立 国学者伊藤常足が著した地誌 九州全域を網羅した江戸時代最大級の地誌 (4) 近代地誌 自治体史近代の史料については文書の所在や内容もほとんど明らかでないため 近世との比較も兼ねて主に 地理全誌 を参考にする また 以下の自治体史も参考にする 福岡県地理全誌 明治五年(1879) 陸軍省の指令を受けた福岡県が臼井浅夫に委託し 同十三年 (1887) にかけて編集された福岡県の地誌 本文中では 地理全誌 と略す 志摩町史 志摩町史編集委員会編 1972 年 糸島郡誌全 福岡県糸島郡教育会編 1927 年 筑豊沿海誌 筑豊水産組合編 1976 年 前原町誌 原賢二編 1975 年 前原町誌 前原町 1991 年 二丈町誌 二丈町誌編集委員会 1967 年 二丈町誌( 平成版 ) 二丈町誌編纂委員会 2005 年 福岡市漁村史 福岡県筑前海沿海漁業振興協会編 1998 年 7 本書の構成先に述べた問題点を受けて 本稿では1 総合的な調査と2 山野河海における地名 生業 交通 流通 3 村の歴史 生活 民俗の記憶という3つの視点を用意した 6

2008 年度調査では 文献史学 地理学 考古学 民俗学 社会学といった多様な分野を専攻する若手研究メンバーが集まり学際的な調査が行われた これらの成果を聞き取り調査の成果と含めて本書で報告する 第 2 部は 地誌編 怡土 志摩の村の歴史 生活 民俗について報告する 村ごとに (1) 村の歴史的沿革 (2) 大正 昭和期の村の姿に分けてその地誌を描く 2008 年度調査地以外にも 2001 年度の調査地 ( 図 1- ) についても紹介する 最後に 各村の地誌を総括して 怡土 志摩の地域構造 を論じる ( 第 5 章 ) 第 3 部は 分析編 中世怡土庄の諸相について論じる 文献史学では 桜井名 松成名などのこれまで現地比定や景観復原が行われてこなかった村落について景観復原を行った ( 第 1 章 ) また 海浜部の庄園である船越庄という怡土庄の周辺庄園に注目し その生業や交通 流通などについて考察を行った ( 第 2 章 ) 考古学では 中世の集落遺跡の分析によって村落景観を復原するという方法がよく取られるが 怡土庄域では中世遺跡の発掘件数が極端に少なく 考古学的な集落分析を行うことは難しい そこで 板碑 五輪塔という当該地域に多く分布しながら あまり報告の行われて来なかった地表資料に焦点を当てた これら石塔の変遷や分布 石材流通の解明によって 中世怡土庄における領主層の経済基盤 精神文化の一端が示された ( 第 3 章 ) また 滑石製石錘という玄海灘沿岸地域に分布した漁具の生産 流通に注目し 都市博多と博多湾沿岸地域の漁業集落との関係性について検討を行った ( 第 4 章 ) 近世期の福岡藩 佐賀藩の国境争論にも注目した 文献史料とフィールドワークを駆使して現地比定を行い その原因を探る ( 第 5 章 ) さらに 旧石器時代の玄界灘沿岸の石器文化に注目し 唐津地域と糸島地域の文化交流の発現を探った ( 第 6 章 ) 詳細な遺物実見と年代観 分布の検討を行う考古学的究である 第 4 部は 現代編 怡土 志摩怡の現代的諸相について論じる まず 志摩町における農業の概況と今後の展望について総括した ( 第 1 章 ) 次に 近年深刻化する耕作放棄地の発生要因とその背景について当該地域の事例から検討した ( 第 2 章 ) また 明治期の田畑階級の検討から耕作放棄地との関連性を探った ( 第 3 章 ) さらに 志摩町の農業法人と前原市井原山地区の農業体験型施設の事例分析から 当該地域における農業活性化への取り組みを探った ( 第 4 章 ) そして 最後に編者が歩き 見 聞いた農山漁村の現況と 九州大学の伊都キャンパス移転について報告し 本書のまとめとしている ( 第 5 章 ) ( 楠瀬慶太 ) 参考文献 石井進 1998 九州における中世景観の復元 九州史学 第 120 号楠瀬慶太 2008 新 韮生槇山風土記 高知県香美市域 120 人に聞いた歴史 生活 民俗 花書院志摩町教育委員会 2008 志摩町所在被災史料目録 志摩町教育委員会. 竹内理三 1976 荘園分布図( 下巻 ) 吉川弘文館宝月圭吾 1985 庄園における検注使の生活実態 信濃 37-10 正木喜三郎 1980 筑前国怡土荘について 鎌倉期における 九州中世史研究 二正木喜三郎 2005 筑前国 講座日本荘園史 10 四国 九州地方の荘園 吉川弘文館服部英雄 1998 怡土庄故地を歩く 高祖 大門村周辺の小地頭中村氏の屋敷 耕地を中心に 九州史学 第 120 号服部英雄編 1999 筑前国怡土庄故地現地調査速報 地域資料叢書 4 服部英雄編 2004 中世景観の復原と民衆像 花書院藤本頼人 2008 松浦一族中村氏と 中村文書 青山史学 第 26 号山本隆志 1994 荘園制の展開と地域社会 刀水書房 7