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Transcription:

冷 戦 の 内 部 構 造 -ソ 連 ロシアに 内 在 する 冷 戦 産 業 の 実 態 - 片 桐 俊 浩 はじめに ソ 連 史 と 現 代 ロシア 史 との 間 には 大 きな 断 絶 が 存 在 する しかしロシア 連 邦 はソ 連 邦 から 主 要 な 国 土 基 盤 と 機 構 を 引 き 継 いだのであり その 継 続 性 にも 注 目 すべきであろう 本 稿 はソ 連 時 代 に 秘 密 裏 に 形 成 された 冷 戦 の 内 部 構 造 を 明 らかにし こうした 冷 戦 の 遺 産 である 諸 産 業 ( 以 下 に 冷 戦 産 業 と 略 記 )がロシア 連 邦 にどのように 引 き 継 がれたのか 今 日 のロシア 連 邦 の 内 外 情 勢 にどのように 影 響 しているかを 展 望 する 20 世 紀 の 冷 戦 の 過 程 で ソ 連 政 府 は 軍 需 産 業 拠 点 の 秘 匿 化 を 進 めた とりわけ 核 ミサイ ル 工 業 は 厳 格 に 機 密 が 保 たれ 開 発 製 造 拠 点 はロシア 国 内 の 閉 鎖 的 な 企 業 都 市 に 置 かれた これらは 一 般 に 秘 密 都 市 と 呼 ばれている 今 日 でも 核 ミサイルに 関 連 する 産 業 や 機 構 のか なりの 部 分 は ソ 連 時 代 からの 秘 密 都 市 に 集 約 されている 秘 密 都 市 は 兵 器 の 開 発 製 造 拠 点 となる 産 業 都 市 の 他 ミサイルや 原 子 力 潜 水 艦 が 配 備 さ れる 基 地 型 都 市 核 ミサイルの 実 験 を 行 う 実 験 場 都 市 に 分 かれる 本 稿 で 主 に 扱 うのは10 の 企 業 都 市 (アルザマス16 チェリャビンスク70 スヴェルドロフスク44 チェリャビン スク40 スヴェルドロフスク45 トムスク7 クラスノヤルスク26 ズラトウスト36 ペ ンザ19 クラスノヤルスク45)で 日 本 語 で 核 閉 鎖 都 市 などと 表 記 されることが 多 い 核 閉 鎖 都 市 も 企 業 活 動 の 実 態 からさらに 研 究 所 原 子 炉 工 場 に 分 けることができる ま ず 本 稿 で 分 析 対 象 となる 諸 都 市 と 産 業 の 概 略 を 以 下 に 示 す 核 閉 鎖 都 市 10 都 市 一 覧 企 業 都 市 の 旧 名 企 業 名 業 務 内 容 アルザマス16 全 連 邦 実 験 物 理 研 究 所 水 爆 とICBM 弾 頭 の 設 計 核 計 画 立 案 チェリャビンスク70 全 連 邦 技 術 物 理 研 究 所 SLBM 弾 頭 核 砲 弾 魚 雷 地 雷 設 計 スヴェルドロフスク44 ウラル 電 気 化 学 コンビ ウランの 濃 縮 と 成 型 大 型 車 両 製 造 ナート チェリャビンスク40 生 産 合 同 マヤーク プルトニウム 製 造 核 廃 棄 物 処 理 スヴェルドロフスク45 電 気 化 学 機 器 原 子 爆 弾 圧 縮 空 気 電 子 機 器 の 製 造 トムスク7 シベリア 化 学 コンビ ウランとプルトニウムの 濃 縮 と 成 型 ナート クラスノヤルスク26 鉱 山 化 学 コンビナート プルトニウム 製 造 核 廃 棄 物 処 理 人 工 衛 星 の 製 造 ズラトウスト36 機 器 製 造 工 場 原 子 爆 弾 (ミサイル 弾 頭 )の 大 量 生 産 ペンザ19 生 産 合 同 スタート 核 ミサイルなどの 軍 用 電 子 機 器 製 造 クラスノヤルスク45 電 気 化 学 工 場 ウラン 製 造 ミサイル 弾 頭 の 生 産 33

以 上 の 企 業 都 市 10 都 市 は それぞれ 研 究 所 原 子 炉 工 場 としての 役 割 を 受 け 持 ってい る A B C に 大 別 してこれを 示 す A.2ヶ 所 のロシア 連 邦 核 センター(РФЯЦ, Российский федеральный ядерный центр) 現 在 のロシアには 連 邦 核 センターが2ヶ 所 に 存 在 する 旧 アルザマス16には 全 連 邦 実 験 物 理 研 究 所 (РФЯЦ-ВНИИЭФ)が 旧 チェリャビンスク70には 全 連 邦 技 術 物 理 研 究 所 (РФЯЦ-ВНИИТФ)がそれぞれ 置 かれている 両 研 究 所 の 研 究 分 野 の 違 いとしては ア ルザマス16がスタンダードな 原 子 爆 弾 や 水 素 爆 弾 ICBM 弾 頭 の 開 発 を 行 っているのに 対 して チェリャビンスク70は 小 型 化 された 核 兵 器 など 技 術 的 に 応 用 された 分 野 に 特 化 し ていることが 挙 げられる 両 センターともソ 連 崩 壊 後 は 国 際 的 な 核 軍 縮 交 渉 と 核 弾 頭 解 体 の 中 心 となっており 研 究 所 には 国 務 長 官 級 の 米 国 要 人 がロシア 滞 在 中 にしばしば 訪 問 する 1990 年 代 を 通 して 米 国 のロスアラモス 及 びローレンス リヴァモア 研 究 所 と 交 流 を 深 めており 核 兵 器 の 管 理 や 一 部 の 新 規 プロジェクトを 共 有 している ソ 連 崩 壊 直 後 (1993 年 頃 )の 証 言 では 研 究 所 職 員 のアメリカへの 出 張 が 頻 繁 に 行 われていた 1 B. 兵 器 用 核 物 質 製 造 コンビナート( 原 子 炉 と 核 物 質 製 造 工 場 ) 兵 器 用 核 物 質 を 製 造 するコンビナートは6 都 市 に 存 在 する 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 に 伴 い ソ 連 政 府 は 本 格 的 な 核 開 発 に 乗 り 出 し 1945 年 後 半 にプルトニウム 製 造 を 行 うチェリャビ ンスク40とウラン 製 造 のスヴェルドロフスク44の2 拠 点 を 建 設 した その 後 も1947 年 にス ヴェルドロフスク45 1949 年 にトムスク7 及 びクラスノヤルスク26 1955 年 にはクラスノ ヤルスク45が 増 設 された 核 物 質 の 大 量 生 産 を 最 優 先 するソ 連 政 府 の 方 針 は 結 果 的 に 安 全 対 策 をなおざりにし 表 立 って 報 道 されない 重 大 事 故 をしばしば 引 き 起 こした 最 初 の 死 亡 事 故 は1949 年 にアルザ マス16で 発 生 した 同 年 までにチェリャビンスク40でも 事 故 が 起 きていることから 原 子 力 事 故 はソ 連 核 開 発 の 黎 明 期 からの 問 題 であったと 言 えよう この 件 については 後 述 する コンビナートの 拡 大 と 軍 事 注 文 が 保 証 されていたため これらの 企 業 と 都 市 にとって 冷 戦 時 代 は 繁 栄 の 時 代 でもあった しかし 冷 戦 の 終 結 とソ 連 崩 壊 によって 軍 事 注 文 が 途 絶 え たことから 核 物 質 を 扱 う 企 業 と 都 市 は1990 年 代 に 経 済 危 機 の 直 撃 を 受 けた 1990 年 代 前 半 に 各 コンビナートは 日 用 品 の 製 造 や 建 設 労 働 者 の 他 都 市 への 派 遣 などで 失 業 者 救 済 を 図 った コンビナート 本 体 では 米 国 政 府 の 資 金 で 兵 器 用 核 物 質 や 核 廃 棄 物 の 処 理 を 進 めて きた 近 年 では 核 廃 棄 物 の 引 き 取 りや 核 物 質 の 販 売 において 世 界 各 国 に 市 場 を 有 する C. 核 ミサイル 弾 頭 製 造 工 場 ソ 連 で 核 ミサイル が 政 府 レベルの 課 題 となったのは 第 二 次 世 界 大 戦 末 期 であった 2 ソ 連 のミサイル 技 術 は 戦 前 からの 蓄 積 がある また1947 年 には 当 時 計 画 中 であった 原 子 爆 弾 と 同 じ 重 量 の 荷 を 搭 載 して 弾 道 ミサイル 発 射 実 験 を 実 施 するなど 3 核 ミサイル の 比 重 は 核 開 発 の 途 上 から 高 まっていた 1 «Научный руководитель Челябинска-70 академик Евгений Аврорин», с.16. Губарев, В.С., Челябинск-70, М., 1993, с.5-17. 2 片 桐 俊 浩 第 3 回 アジア 冷 戦 史 研 究 会 報 告 2005 年 11 月 1 日 3 Атомный Проект СССР, Документы и материалы, Министерство Российской Федераций по атомной энергий, РАН. Том II часть 1. 1938-1945. М., 1998, с.461. 34

1952 年 には 核 兵 器 の 大 量 生 産 とミサイル 弾 頭 化 を 目 的 に 原 爆 工 場 が 建 設 され 後 のズラ トウスト36となった 1954 年 に 建 設 されたペンザ19はミサイルのナビゲーションシステム を 中 心 とした 特 殊 な 電 子 機 器 を 製 造 した 1955 年 に 建 設 されたクラスノヤルスク45は 多 種 にわたる 放 射 性 物 質 特 殊 化 学 物 質 の 開 発 で 知 られている こうした 工 場 の 生 産 ラインに は 冷 戦 時 代 から 西 ドイツ イタリア 日 本 製 の 最 新 鋭 の 工 作 機 械 が 導 入 されていた 4 冷 戦 の 終 結 と 核 弾 頭 廃 棄 の 国 際 合 意 から ソ 連 崩 壊 後 の 諸 工 場 では 弾 頭 の 新 規 受 注 が 完 全 停 止 した 1990 年 代 は 核 弾 頭 の 解 体 現 場 として 機 能 してきたが 近 年 再 び 核 弾 頭 製 造 拠 点 としての 重 要 性 を 増 している 本 稿 では ソ 連 から 引 き 継 がれたロシア 国 内 の 冷 戦 の 遺 産 を 分 析 検 討 する 今 日 のロ シア 連 邦 に 基 礎 的 条 件 を 与 えるソ 連 の 冷 戦 産 業 は 1920 年 代 後 半 から1960 年 代 前 半 にかけ ての 長 期 のプロセスによって 形 成 された 後 の 核 閉 鎖 都 市 となる 拠 点 の 源 流 は1920 年 代 後 半 から 建 設 された 収 容 所 に 求 められ これらは 戦 前 戦 中 に 極 秘 の 軍 事 工 場 となった 戦 後 のソ 連 政 治 が 核 開 発 に 傾 斜 する 中 で 幾 つかの 極 秘 の 収 容 所 = 軍 事 工 場 は 核 関 連 の 研 究 所 や 工 場 へと 発 展 した 核 閉 鎖 都 市 の 歴 史 は 第 二 次 世 界 大 戦 を 挟 むソ 連 史 の 主 要 な 事 件 を 網 羅 している 即 ち 工 業 化 から 核 ミサイル 冷 戦 までの 連 続 した 歴 史 を 見 せている 1. 核 閉 鎖 都 市 の 企 業 と 都 市 核 閉 鎖 都 市 は 現 代 ロシアにそのまま 引 き 継 がれた 訳 であるが ここで 核 閉 鎖 都 市 10 都 市 に 本 拠 を 置 く 軍 需 産 業 についてソ 連 時 代 からの 成 り 立 ちを 個 別 にまとめる 必 要 があろう 核 閉 鎖 都 市 では 企 業 の 発 展 と 都 市 の 建 設 が 不 可 分 であったため 都 市 建 設 についても 簡 単 に 言 及 しておく 後 に 見 るように 都 市 建 設 の 過 程 はソ 連 崩 壊 後 も 引 き 継 がれる 他 産 業 と の 関 連 を 生 み 出 した 1 全 連 邦 実 験 物 理 研 究 所 (ニジニ ノヴゴロド 州 サロフ 市 旧 アルザマス16) < 企 業 の 概 要 > Российский федеральный ядерный центр Всероссийский Научно-Исследовательский Институт Экспериментальной Физики ニジニ ノヴゴロド 州 南 部 の 貯 水 池 に 面 した 森 林 中 モルドヴィア 共 和 国 との 境 界 にソ 連 ロシアの 核 開 発 を 牽 引 する ロシア 連 邦 核 センター 全 連 邦 実 験 物 理 研 究 所 (РФЯЦ-ВНИИЭФ) と 主 に 核 弾 頭 の 製 造 解 体 を 行 う アヴァンギャルド プラン トがある 実 験 物 理 研 究 所 は1946 年 の 設 立 からソ 連 崩 壊 後 の1992 年 まで 物 理 学 者 Ю.Б.ハ リトン(1904-1996)が 指 導 した 研 究 所 は 核 開 発 の 事 実 を 米 国 に 伏 せるため 1946 年 1 月 以 降 モスクワから 現 地 に 移 動 し た 1940 年 代 のアルザマス16には 第 1から 第 3までの 工 場 が 存 在 したが その 後 の 工 場 増 設 政 策 により 諸 部 門 がロシア 各 地 に 移 転 分 散 した 電 気 化 学 産 業 を 中 心 に 様 々な 軍 需 企 業 や 研 究 所 がアルザマス16から 派 生 している 1947 年 に 水 爆 やミサイル 用 の 部 材 を 生 産 する 電 気 化 学 機 器 (スヴェルドロフスク45) 1952 年 に 原 子 爆 弾 量 産 工 場 部 品 製 造 工 場 (ズラトウスト36) 1954 年 にミサイルのためのナビゲーション 技 術 を 中 心 とした 軍 用 電 子 機 器 開 発 製 造 企 業 生 産 合 同 スタート(ペンザ19) 1955 年 に 第 2の 核 開 発 センター 技 術 物 理 研 究 所 (チェリャビンスク70) がそれぞれ 移 動 した 4 Шипулин, В., Митюков, А., Шипулина, Т., Рождение завода, с.99, 103. Лесной: история закрытого города, Екатеринбург, 1997, с.19-120. 35

研 究 所 名 の 実 験 物 理 にある 通 り アルザマス16の 業 務 は 基 礎 研 究 から 核 戦 略 の 政 治 計 画 の 立 案 まで 幅 広 い 秘 密 都 市 やソ 連 の 国 境 警 備 の 技 術 開 発 で 知 られるペンザ19やチェ リャビンスク70には 事 実 上 アルザマス16と 同 一 の 業 務 が 重 複 して 存 在 する アルザマス16 の 電 子 技 術 はクレムリン 連 邦 保 安 局 国 防 省 内 務 省 中 央 銀 行 武 器 庫 ロシア 美 術 館 などの 警 備 に 応 用 されているが 5 これはペンザ19が 請 け 負 う 主 要 な 業 務 の 一 つでもあ る チェリャビンスク70 同 様 アルザマス16は 核 爆 発 を 利 用 した 運 河 ダム 建 設 地 震 探 査 法 による 地 質 調 査 の 研 究 と 現 地 での 爆 破 指 導 を 行 った 6 冷 戦 を 通 してアルザマス16( 実 験 物 理 研 究 所 )は 拡 大 の 一 途 を 辿 り 研 究 分 野 は 新 型 核 ミサイルの 開 発 から 現 代 物 理 における 素 粒 子 の 謎 の 解 明 やプラズマ 研 究 にまで 及 んだ ソ 連 崩 壊 を 境 に 核 閉 鎖 都 市 の 冷 戦 産 業 が 苦 境 に 陥 ると アルザマス16は 軍 需 生 産 ラインの 民 需 転 換 支 援 や 米 国 の 政 府 及 び 企 業 との 交 渉 を 行 った 研 究 所 と 分 離 したアルザマス16の アヴァンギャルド コンビナートは 食 器 やフォークなど 日 用 品 の 製 造 で 雇 用 の 確 保 を 目 論 んでいる 都 市 の 閉 鎖 環 境 を 利 用 したダイヤモンド 加 工 業 もコンビナートの 有 望 な 資 金 源 に 育 っており 販 売 を 受 け 持 つベルギーのパートナーとともに 増 産 計 画 を 進 めている < 都 市 の 沿 革 > г. Саров, Нижегородской области サロフ(アルザマス16)は16 世 紀 以 来 知 られる 有 名 な 修 道 院 の 跡 地 で 帝 政 ロシア 時 代 にはニコライ2 世 をはじめとする 皇 帝 一 家 もこの 地 を 訪 れている ボリシェヴィキによっ て1920 年 代 に 修 道 院 が 廃 止 された 後 も 労 働 コミューンや 収 容 所 が 置 かれた 収 容 所 は 1938 年 10 月 12 日 のソ 連 邦 人 民 委 員 会 議 決 議 により 機 械 製 造 人 民 委 員 部 へ 移 管 され 7 1939 年 7 月 10 日 には ソ 連 邦 人 民 委 員 会 議 付 属 国 防 委 員 会 が サロフ 修 道 院 の 跡 地 に 152mm 砲 弾 工 場 の 建 設 を 決 めた 8 第 二 次 世 界 大 戦 中 サロフの 第 550 号 施 設 (サロフ 機 械 製 造 工 場 とも)では12 時 間 労 働 2 交 代 制 が 敷 かれ 9 この 工 場 で 製 造 されたロケット 弾 カチューシャ の 砲 弾 (M13)は 戦 争 終 結 までに20 万 発 に 達 した 10 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 砲 弾 生 産 に 責 任 があったのは 弾 薬 人 民 委 員 のБ.Л.ヴァンニコフで カチューシャ 用 の 爆 薬 を 担 当 していたのがЮ.Б.ハリトンであった この2 人 は1946 年 にサロフを 核 セン ターに 改 造 する 際 候 補 地 を 選 定 する 役 割 を 果 たした アルザマス16はソ 連 崩 壊 後 もロシア 連 邦 の 内 外 で 重 要 な 位 置 を 占 めている 1992 年 2 月 のБ.Н.エリツィン 大 統 領 を 始 めとして(この 時 ロシア 連 邦 核 センター が 創 設 された) С.В.ステパシン(1995 年 ) В.С.チェルノムィルディン(1997 年 ) М.М.カシヤノフ(2000 年 )などロシアの 主 要 な 政 治 家 が 来 訪 している 11 ロシア 正 教 のアレクシー2 世 総 主 教 はソ 連 時 代 を 含 めてこれまでに 幾 度 もアルザマス16を 訪 れている 12 5 Министерство по Атомной Энергии Российской Федерации. Первый Серийный, Саров. Арзамас-16, с.20. 6 Попов, Ф.Д., Арзамас-16 Семь Лет с Андреем Сахаровым: Воспоминания Контрразветчика, Мурманск, 1998, с.41. 7 ГА РФ, Ф.8418, Оп.23, Д.715, Л.4. 8 ГА РФ, Ф.8418, Оп.23, Д.715, Л.1. 9 Саров Дивеево. Путеводитель, Саров. Саранск, 2002, с.50. 10 Попов, Ф.Д., Арзамас-16 Семь Лет с Андреем Сахаровым: Воспоминания Контрразветчика, Мурманск, 1998, с.30. 11 エリツィン 大 統 領 がアルザマス 16 を 訪 問 した 際 施 設 を 案 内 した Ю.К.ザヴァリーシン 実 験 物 理 研 究 所 長 は 大 統 領 とウラル 工 科 大 学 で 同 期 であった Завалишин, Ю.К., Встречи в Сарове, Саров. Саранск, 2002, с.13-19. 12 Веселовский, А.В., Ядерный щит (записки испитателя ядерного оружия), Саров, 36

冷 戦 時 代 のライバルであったロスアラモス 研 究 所 と 実 験 物 理 研 究 所 とはソ 連 崩 壊 後 に 提 携 関 係 に 移 り 学 校 生 徒 を 含 めた 市 民 的 な 交 流 が 深 められている 1994 年 9 月 28 日 には サロフ 市 ( 旧 アルザマス16)とアラモス 郡 との 間 で 姉 妹 都 市 提 携 の 正 式 調 印 が 行 われた 13 2 全 連 邦 技 術 物 理 研 究 所 (チェリャビンスク 州 スネジンスク 市 旧 チェリャビンスク70) < 企 業 の 概 要 >Российский федеральный ядерный центр Всероссийский научно-исследоватепьский институт технической физики この 研 究 所 はソ 連 時 代 から アルザマス16とともに 核 ミサイル 開 発 の2 大 センターの 一 つであった 研 究 所 では 現 在 も 新 型 核 ミサイル 開 発 を 推 し 進 めている 付 近 のカスリにあ る 水 中 発 射 式 弾 道 ミサイル(SLBM) 研 究 拠 点 マケーエフ 研 究 所 がミサイルの 開 発 を 担 当 している 152mm 核 砲 弾 用 の 最 小 の 核 爆 弾 最 軽 量 の 戦 略 核 弾 頭 核 物 質 を 最 小 限 に 使 用 した 経 済 的 な 核 爆 弾 核 物 質 の99.85%の 重 量 をエネルギーに 変 える 最 もきれいな 核 爆 弾 放 射 線 照 射 装 置 としての 最 も 威 力 の 小 さい 爆 弾 14 核 爆 発 による 石 油 採 掘 の 推 進 核 爆 発 による 空 洞 形 成 を 利 用 した 濃 縮 ガス 用 の 貯 蔵 所 建 設 核 爆 発 を 地 震 探 査 法 に 応 用 した 資 源 探 査 ガス 田 火 災 の 消 火 を 目 的 とした 地 中 核 爆 発 の 指 導 15 宇 宙 からの 物 体 や 巨 大 隕 石 の 落 下 を 核 爆 発 で 阻 止 する 方 法 の 研 究 などを 行 っている 16 実 際 に1960 年 代 から ソ 連 では 石 油 の 湧 出 促 進 ガス 田 や 油 田 の 火 災 消 火 ヤクートのウドカンやバムなどでの 地 質 調 査 に 原 子 爆 弾 が 使 用 され チェリャビンスク70の 技 術 物 理 研 究 所 は 計 画 の 監 督 と 指 導 員 派 遣 を 行 なった 17 ソ 連 崩 壊 後 にチェリャビンスク70への 軍 事 注 文 は 激 減 し 経 済 状 況 が 著 しく 悪 化 した 現 在 市 を 挙 げて 経 済 構 造 の 改 革 を 進 めている 1995 年 10 月 3 日 には 市 議 会 が 小 企 業 の 活 動 を 支 援 するためのフォンド 設 立 を 決 議 した 18 ベンチャー 企 業 の 創 設 支 援 新 興 企 業 のロ シア 国 内 外 国 企 業 との 資 本 技 術 提 携 が 行 われている < 都 市 の 沿 革 > г. Снежинск, Челябинской области チェリャビンスク70は1930 年 代 に 開 業 していたサナトリウム スングル を 接 収 して 建 設 された 第 二 次 世 界 大 戦 中 このサナトリウムは 軍 の 療 養 所 として 使 用 されていたが 1946 年 に 戦 争 捕 虜 としてソ 連 に 連 行 されたドイツ 人 科 学 者 を 雇 用 する ベー(Б) 研 究 室 が 設 置 された この 研 究 室 では 日 本 の 被 爆 経 験 を 中 心 に 生 物 と 放 射 線 の 関 係 を 研 究 して いた 1953 年 から1955 年 にかけて 核 兵 器 開 発 の 人 材 が 集 められ ソ 連 第 二 の 核 開 発 セン ターとなった 都 市 建 設 ではチェリャビンスク40から 移 された 収 容 所 や 軍 事 建 設 部 隊 が 作 1999, с.27. 13 Саров: Прошлое, настоящее, Агапов, А.А.(сост.), Саранск, 1999, с.137. 14 Рыкованов, Г.Н., Водолага, Б.К., Ситоненко, В.А., Из истории РФЯЦ-ВНИИТФ, с.424. Вопросы Современной Технической Физики: К 70 летию со дня рождения академика Е.Н.Аврорина: Избр. Тр. РФЯЦ-ВНИИТФ им. Академика Е.И.Забабахина, Снежинск, 2002, с.412-431. 15 Губарев, В.С., Ядерный век. Зеркало Урала, М., 1997, с.348. 16 Ядерный Центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.48-49. 17 «Главный конструктор Борис Литвинов», Губарев, В.С., Челябинск-70, М., 1993, с.89-93. 18 Круглов, А.Г., Шаги, предпринимаемые администрацией Снежинска, в поддержку малых инновационных фирм, с.80. Доклады международного семинара. Малые инновационные формы в атомных городах, Обнинск, 2002, с.79-83. 37

業 に 当 たった 逆 にバイコヌール 発 射 場 の 建 設 ではチェリャビンスク70から 建 設 要 員 が 派 遣 されている 技 術 物 理 研 究 所 本 体 の 業 務 はソ 連 時 代 から 大 きな 変 更 は 無 く コンピュータによる 核 爆 発 弾 道 計 算 兵 器 設 計 の 他 核 弾 頭 によるミサイル 迎 撃 システムや 核 爆 発 による 隕 石 の 軌 道 変 更 に 関 する 研 究 を 続 けている 19 3 生 産 合 同 マヤーク (チェリャビンスク 州 オジョルスク 市 旧 チェリャビンスク40) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Производственное объединение Маяк チェリャビンスク40には1945 年 11 月 14 日 ソ 連 邦 人 民 委 員 会 議 決 議 により 建 設 が 開 始 されたプルトニウム 製 造 コンビナート マヤーク ( 旧 817コンビナート)がある 同 じ 決 議 でウラン 製 造 の813 工 場 ( 現 在 のウラル 電 気 化 学 コンビナート)も 建 設 されたが チェ リャビンスク40の 方 が 最 初 の 実 験 まで 優 先 されていた(これはソ 連 最 初 の 原 子 爆 弾 がプル トニウム 原 爆 だったことに 由 来 する) チェリャビンスク40は 戦 後 のソ 連 の 核 開 発 を 技 術 的 側 面 から 立 ち 上 げた 物 理 学 者 の И.В.クルチャトフが 指 導 居 住 した 都 市 でもある 1940 年 代 に 実 働 していた 核 閉 鎖 都 市 は こことアルザマス16だけであり この 点 からもソ 連 における マヤーク コンビナートの 比 重 の 高 さが 窺 い 知 れる 1950 年 代 にチェリャビンスク 州 内 で 建 設 されたズラトウスト36 とチェリャビンスク70はチェリャビンスク40の 人 員 と 資 材 が 移 動 することで 成 立 してい る コンビナートでは 何 度 か 重 大 事 故 が 起 こり 周 辺 の 汚 染 は 深 刻 である しかしコンビ ナートは 現 在 でも 使 用 済 み 核 燃 料 の 引 き 取 りを 行 うロシア 国 内 の 数 少 ない 施 設 であり 続 けている < 都 市 の 沿 革 > г. Озерск, Челябинской области 最 初 の 核 実 験 終 了 直 後 の1949 年 10 月 チェリャビンスク40には5 万 5 千 人 以 上 の 要 員 が 研 究 や 原 子 炉 の 操 業 建 設 作 業 に 従 事 していた 20 当 時 の 建 設 関 係 者 のほとんどが 囚 人 で あり 他 に 軍 事 建 設 部 隊 ドイツ 人 捕 虜 ドイツ 戦 線 からのソ 連 人 帰 還 者 を 動 員 していた 21 チェリャビンスク40は 最 初 に 建 設 された 核 閉 鎖 都 市 の 一 つであり この 都 市 で 培 われ た 建 設 の 手 法 は 他 の 核 閉 鎖 都 市 のみならずソ 連 全 土 に 影 響 を 与 えた 4 ウラル 電 気 化 学 コンビナート(スヴェルドロフスク 州 ノヴォウラルスク 市 旧 スヴェ ルドロフスク44) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Уральский электрохимический комбинат この 工 場 は 第 二 次 世 界 大 戦 中 スヴェルドロフスク 州 ヴェルフ ネイヴィンスク (Вверх-Нейвинск)に 疎 開 してきた 航 空 機 工 場 を 基 に 建 設 された 工 場 の 建 設 は 囚 人 に よって 行 われ 工 場 の 操 業 にはレニングラード 包 囲 を 逃 れてきた 市 民 が 多 数 加 わった 戦 争 終 結 後 は1945 年 に 着 工 された 最 初 の 核 開 発 拠 点 の 一 つとなった 同 時 期 に 建 設 された 19 «Главный конструктор Борис Литвинов», Губарев, В.С., Челябинск-70, М., 1993, с.94. 20 Атомный Проект СССР. II-4. 1945-1954, Москва. Саров, 2003, с.720, 737. 21 Черников, В., За завесой секретности или строительство 859. (страницы истории ЮУС), г. Озерск, 1995, с.73. 38

チェリャビンスク40と 比 べてコンビナートより 規 模 の 小 さい 工 場 格 ではあったが 1949 年 10 月 頃 の813 工 場 では 既 に3 万 人 以 上 が 働 いていた 22 スヴェルドロフスク44にはソ 連 初 の 気 体 拡 散 法 によるウラン 濃 縮 工 場 ウラル 電 気 化 学 コンビナート が 建 設 された ソ 連 時 代 は 兵 器 用 ウランの 精 製 をしていたが 最 近 は 核 燃 料 を 欧 米 や 韓 国 などに 売 っている 23 1954 年 3 月 に 秘 密 裏 に 市 制 が 施 行 され 現 在 はロシ ア 連 邦 法 に 基 づく 閉 鎖 行 政 領 域 スヴェルドロフスク 州 ノヴォウラルスク 市 である ソ 連 崩 壊 後 解 体 された 核 弾 頭 の 処 理 を 引 き 受 けている ウラン 製 造 以 外 に 原 子 力 軍 事 関 連 施 設 から 住 宅 までを 手 がける 建 設 会 社 やディーゼル 式 軍 用 大 型 積 載 車 の 工 場 もある < 都 市 の 沿 革 > г. Новоуральск, Свердловской области 都 市 建 設 の 現 場 となった 湖 畔 北 側 には19 世 紀 に 鉄 道 が 開 通 している ソ 連 建 国 から1930 年 代 末 にかけて ここには 鉄 道 労 働 者 のために 開 かれた 休 暇 施 設 が 営 業 していた 24 工 場 と 都 市 の 建 設 は 主 に 囚 人 が 行 っていたが スターリン 死 去 に 伴 う1950 年 代 の 囚 人 解 放 の 過 程 で 軍 事 建 設 部 隊 に 代 えられた 都 市 建 設 では 同 時 期 のチェリャビンスク40の 方 が 先 行 し ていたため 軍 事 建 設 部 隊 はチェリャビンスク40から 派 遣 された 1940 年 代 の 仮 設 居 住 地 建 設 から1970 年 代 の 水 道 管 工 事 まで 重 要 な 建 設 事 業 がチェリャビンスク40の 派 遣 した 建 設 部 隊 によって 行 われた 5 エレクトロヒムプリボール(スヴェルドロフスク 州 レスノイ 市 旧 スヴェルドロフス ク45) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Комбинат Электрохимприбор スヴェルドロフスク45には 核 ミサイル 弾 頭 製 造 コンビナートの エレクトロヒムプリ ボール がある このコンビナートはもともとアルザマス16にあったプラントを1947 年 に 設 備 を 複 製 して 建 設 された ソ 連 が 初 の 核 実 験 を 成 功 させた1949 年 の 秋 頃 には2 万 人 以 上 の 要 員 が 働 いていた 25 スヴェルドロフスク45は 原 子 爆 弾 と 並 行 して 開 発 されていた 熱 核 融 合 爆 弾 の 施 設 であ り 現 在 まで 核 弾 頭 の 製 造 を 含 む 核 ミサイル 工 業 全 般 に 関 わっている 隣 接 するニージナ ヤ トゥーラにはミサイル 工 業 があり スヴェルドロフスク45でも1940 年 代 から 圧 縮 空 気 や 液 体 酸 素 の 出 荷 を 行 っていた またズラトウスト36やペンザ19に 先 んじて 電 子 機 器 工 場 が 置 かれた < 都 市 の 沿 革 > г. Лесной, Свердловской области ニージナヤ トゥーラは18 世 紀 に 建 設 された 鉄 製 品 工 場 とその 居 住 地 を 前 身 とする 19 世 紀 には 金 やプラチナなどの 希 少 金 属 を 採 鉱 する 採 掘 場 が 付 近 一 帯 に 設 けられ 鉄 製 品 工 場 は 刑 務 所 に 用 途 変 更 された この 刑 務 所 にはЯ.М.スヴェルドロフらが 収 監 されていた 革 命 後 は 収 容 所 が 置 かれ 水 力 発 電 所 の 建 設 を 行 っていた 1947 年 以 降 囚 人 が 中 心 と なってコンビナートと 都 市 の 建 設 が 推 進 された 住 宅 は 当 初 仮 設 建 築 が 使 用 されていたが 1950 年 以 降 に 石 炭 ガラブロック 次 いでパネル 建 材 を 使 用 するようになった スヴェルド 22 Атомный Проект СССР. II-4. 1945-1954, Москва. Саров, 2003, с.721, 737. 23 Здесь другой календар..., Новоуральск, 2003, с.9. 24 Анурьев, Ю.П., Новоуральск. Годы и судьбы, 1941-1945. Историческая летопись, Екатеринбург, 1995, с.76-69. 25 Атомный Проект СССР. II-4. 1945-1954, Москва. Саров, 2003, с.721, 738. 39

ロフスク45の 都 市 建 設 を 行 った 軍 事 建 設 部 隊 は 各 地 の 核 閉 鎖 都 市 やソ 連 の 他 の 都 市 の 建 設 に 動 員 された 6 シベリア 化 学 コンビナート(トムスク 州 セヴェルスク 市 旧 トムスク7) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Сибирский химический комбинат ソ 連 ロシア 最 大 の 兵 器 用 核 物 質 製 造 企 業 シベリア 化 学 コンビナート( 旧 816コンビナー ト)は 核 実 験 の 約 半 年 前 1949 年 3 月 26 日 に 建 設 が 開 始 された 26 これはアルザマス16で 原 子 爆 弾 の 量 産 が 決 まったことを 受 けたもので ソ 連 政 府 が 実 験 前 に 核 兵 器 の 大 量 生 産 を 計 画 していたことを 示 している 核 物 質 の 製 造 を 行 うコンビナート 以 前 にこの 地 には 軍 事 工 場 が 存 在 した 1939 年 10 月 22 日 ソ 連 邦 人 民 委 員 会 議 防 衛 委 員 会 の 依 頼 を 受 けた 軍 備 人 民 委 員 Б.Л.ヴァンニコフの 現 地 調 査 によりトムスクが 重 砲 弾 工 場 の 予 定 地 に 挙 げられた 27 鉄 道 が 通 されておりトミ 河 の 豊 富 な 水 が 使 えること 国 境 からかなり 離 れていることが 立 地 上 の 利 点 とされたが この ときは 建 設 が 却 下 された 28 但 し 独 ソ 戦 の 開 始 直 後 に 砲 弾 工 場 が 建 設 されている トムスクは 国 境 から 遠 く 冷 却 用 のきれいで 冷 たい 水 を 利 用 できるとの 同 じ 理 由 から 29 核 開 発 開 始 後 に 原 子 炉 の 建 設 候 補 地 として 再 び 注 目 されることとなった 現 場 となった 収 容 所 には1949 年 春 から 多 数 の 囚 人 が 送 り 込 まれ 原 子 炉 と 工 場 が 急 速 に 建 設 された トム スク7のコンビナートは1953 年 8 月 7 日 最 初 の 兵 器 用 ウラン 製 造 に 成 功 した 30 以 後 ソ 連 を 代 表 する 軍 事 企 業 に 成 長 した 1960 年 代 からは 地 域 経 済 への 貢 献 を 求 められるようになった 研 究 開 発 の 分 野 でも1962 年 に トムスク7 郵 便 私 書 箱 153 が 特 別 研 究 を11 件 達 成 したとある 31 翌 1963 年 にも トムスク7が 再 び11 件 の 研 究 を 達 成 したとされていることから 32 地 域 との 継 続 的 な 契 約 が 存 在 したことであろう しかし 国 防 関 連 の 省 から 依 頼 を 受 けた これらの 研 究 結 果 は 学 術 上 重 要 な 意 義 を 持 つが 経 済 的 な 効 果 について 口 にしてはならない なぜなら それらは 特 別 な 性 質 を 持 つからだ 33 とされ 開 発 された 技 術 は 経 済 的 価 値 よりも 機 密 を 優 先 され た 軍 事 注 文 の 激 減 と 経 済 危 機 の 影 響 もあり ソ 連 崩 壊 後 は 積 極 的 に 民 需 転 換 海 外 市 場 開 拓 に 動 いている 現 在 のコンビナートは 世 界 の 数 十 カ 国 に 顧 客 を 持 ち その 品 質 はフラン ス アメリカ ドイツなど 各 国 から 表 彰 されている 34 < 都 市 の 沿 革 > г. Северск, Томской области トムスク7は 古 くから 農 村 や 修 道 院 などが 存 在 する トムスク 市 の 北 方 にある 森 林 一 帯 に 建 設 された 現 在 の 行 政 単 位 トムスク 州 セヴェルスク 市 は 地 図 にも 記 載 されているが 関 係 者 以 外 立 ち 入 り 禁 止 となっている 同 市 はトムスク 市 北 部 に 広 がる 森 林 とトミ 河 に 26 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.33. 27 ГА РФ, Ф.8418, Оп.23, Д.730, Л.1. 28 ГА РФ, Ф.8418, Оп.23, Д.730, Л.23. 29 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.33-34. 30 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.55. 31 ГА НО, Ф.1677, Оп.1, Д.55, Л.107-108. 32 ГА НО, Ф.1677, Оп.1, Д.77, Л.140-141. 33 ГА НО, Ф.1677, Оп.1, Д.104, Л.2. 34 Северск. Томск-7, Северск, 1999, с.6. 40

沿 った トムスク 市 街 から15km 離 れた 地 域 にある 大 規 模 なウラン プルトニウム 製 造 工 場 があるため 周 辺 の 河 と 森 林 は 汚 染 されている トムスク7は 建 設 関 係 者 が 多 く コンビナートの 操 業 以 外 に 建 設 プロジェクトの 受 注 が 主 な 産 業 である 都 市 には 市 民 のための 複 数 の 劇 場 と 音 楽 スポーツ 学 校 スタジアム 動 物 園 スキー 場 が 存 在 し 市 外 でも 各 種 の 建 設 事 業 を 手 懸 けている 住 居 大 学 と 寮 ソ 連 科 学 アカデミー シベリア 支 部 (ノヴォシビルスク 州 のアカデムゴロドク) 空 港 農 業 施 設 ( 畜 舎 ジャガイモ 保 管 庫 ) 35 トムスク 石 油 化 学 コンビナート 36 などである ソ 連 崩 壊 直 後 のトムスク7は 兵 器 用 核 物 質 の 製 造 停 止 建 設 業 の 不 振 で 経 済 と 社 会 が 混 乱 に 陥 った これらは 出 生 率 の 低 下 死 亡 率 の 増 大 婚 姻 の 減 少 犯 罪 の 激 増 (ソ 連 崩 壊 直 前 に 比 べ 約 6 倍 ) 若 年 層 における 麻 薬 の 蔓 延 となって 表 れた 37 経 済 社 会 情 勢 は 近 年 改 善 に 向 かっている 7 鉱 山 化 学 コンビナート(クラスノヤルスク 地 方 ジェレズノゴルスク 市 旧 クラスノヤ ルスク26) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Горно-химический комбинат ソ 連 時 代 の 鉱 山 化 学 コンビナートは 兵 器 用 プルトニウムの 製 造 と 発 電 を 行 っていた 現 在 は 使 用 済 み 核 燃 料 の 引 き 取 りと 発 電 のみを 行 っている 核 攻 撃 に 耐 えられるコンビナー トとして 1950 年 以 降 山 の 地 下 に 建 設 された 1960 年 からは 軍 用 の 偵 察 衛 星 通 信 衛 星 の 開 発 と 製 造 を 行 う 部 門 が 設 立 され これ 以 後 ソ 連 が 打 ち 上 げる 衛 星 の 事 実 上 全 ての 製 造 に 関 わっている バイコヌールでのロケット 打 ち 上 げを 管 理 することでも 知 られており 現 在 は 核 物 質 のコンビナートというより 衛 星 ビ ジネスの 拠 点 となっている ロシアが 保 有 する 人 工 衛 星 の 運 行 通 信 アンテナ 部 品 や 機 械 の 生 産 を 受 け 持 っている 38 1997 年 11 月 にクラスノヤルスクで 行 われた 日 露 首 脳 会 談 の 模 様 を 中 継 したのも 同 市 の 衛 星 システム 会 社 プリマテレコム であった 39 < 都 市 の 沿 革 > г. Железногорск, Красноярского края コンビナートと 都 市 はクラスノヤルスク 市 からエニセイ 川 右 岸 の 流 れを 下 った60kmの 地 点 にあり 建 設 作 業 のため 大 規 模 な 収 容 所 が 建 設 された 始 めに 収 容 所 までの 鉄 道 次 いで 地 下 コンビナート 都 市 の 順 に 建 設 された いずれも 囚 人 が 建 設 労 働 の 中 心 を 担 って いる 住 宅 街 に 沿 ってレクリエーション 用 の 人 口 湖 が 建 設 され モータースポーツのため のヨットハーバーがある 都 市 には 中 等 学 校 スポーツ 学 校 大 学 と 大 学 の 支 部 劇 場 芸 術 学 校 文 化 の 家 図 書 館 博 物 展 示 センター 動 物 園 付 き 公 園 などがある 40 35 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.132. 36 Северск. Томск-7, Северск, 1999, с.9. 37 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.159-160. 38 Якушин, П.В., Поддержка администрацией города инновационной деятельности. Обощение опыта деятельности инновационных фирм на территории города, с.61-62, Доклады международного семинара. Малые инновационные фирмы в Атомных городах, Обнинск, 2002, с.61-74. 39 Доклады международного семинара. Малые инновационные фирмы в Атомных городах, Обнинск, 2002, с.72. 40 Вся Россия. Города и населенные пункты. Энциклопедия, М., 2001, с.139-140. 41

8 電 気 化 学 工 場 (クラスノヤルスク 地 方 ゼレノゴルスク 市 旧 クラスノヤルスク45) < 企 業 の 概 要 > ФГУП ПО Электро-химический завод 1955 年 に 建 設 された 気 体 拡 散 法 によるウラン 濃 縮 工 場 電 気 化 学 工 場 ЭХЗ (クラスノ ヤルスク45)は クラスノヤルスク 地 方 ルィビンスク 地 区 ザオジョルヌィの 炭 鉱 跡 地 にあ る この 炭 鉱 は 日 本 人 抑 留 者 収 容 所 の 作 業 場 所 だった クラスノヤルスク 地 方 には 軍 事 施 設 が 数 多 くあり クラスノヤルスク45の 付 近 には クラスノヤルスク66 などのミサイル 基 地 ( 秘 密 都 市 )が 存 在 する クラスノヤルスク45ではSLBM 弾 頭 の 製 造 も 行 っている 41 クラスノヤルスク26 同 様 宇 宙 開 発 の 拠 点 でもある クラスノヤルスク45( 現 在 はゼレノ ゴルスクという)には 毎 年 米 国 日 本 中 国 ポーランドその 他 の 人 々が 宇 宙 に 関 する 国 際 プログラムに 訪 れる 42 < 都 市 の 沿 革 > г. Зеленогорск, Красноярского края 当 初 はテント 村 の 設 営 炭 鉱 宿 舎 の 間 借 り 仮 設 居 住 地 の 設 営 などで 住 宅 問 題 を 解 決 し ていたが 後 には 動 物 園 からスキー 場 までを 完 備 する ソ 連 でも 恵 まれた 都 市 となった クラスノヤルスク45の 建 設 業 は 伝 統 的 に ノヴォシビルスクやクラスノヤルスク26との 関 係 が 強 く 閉 鎖 都 市 外 部 の 案 件 を 多 数 受 注 している 9 機 器 製 造 工 場 (チェリャビンスク 州 トリョフゴールヌィ 市 旧 ズラトウスト36) < 企 業 の 概 要 > ФГУП Приборостроительный завод 核 ミサイル 時 代 の 代 表 的 な 核 閉 鎖 都 市 ズラトウスト36の 機 器 製 造 工 場 は ミサイル 開 発 の 黎 明 期 からスプートニク1 号 打 ち 上 げ キューバ 危 機 ソ 連 崩 壊 後 の 弾 頭 解 体 に 至 る 現 代 史 の 陰 の 主 役 である 工 場 はチェリャビンスク 州 ユリューザン 市 の 山 林 にあった 木 材 加 工 収 容 所 を 基 に 1952 年 に 建 設 された 最 初 の 工 場 長 にはアルザマス16で 原 子 爆 弾 組 立 工 場 ( 第 3 工 場 ) 長 とし て 実 績 のあったК.А.ヴォローディンが 就 任 した 工 場 は 今 日 に 至 るまでミサイル 弾 頭 製 造 の 中 心 地 であり 続 けている < 都 市 の 沿 革 > г. Трехгорный, Челябинской области チェリャビンスク40の 支 部 として 計 画 され 工 場 と 都 市 の 建 設 のためチェリャビンスク 40からは 収 容 所 と 軍 事 建 設 部 隊 が 大 規 模 に 移 された 1952 年 のうちに 工 場 と 仮 設 住 宅 街 が 形 成 された 1954 年 から 同 市 の 収 容 所 は 順 次 廃 止 されたが その 後 も 工 場 道 路 建 築 な ど 都 市 の 主 な 施 設 は 囚 人 によって 建 設 された 多 くの 囚 人 は 解 放 後 も 工 場 や 軍 事 建 設 部 隊 に 雇 用 され 閉 鎖 都 市 の 市 民 となった 10 生 産 合 同 スタート (ペンザ 州 ザレチヌィ 市 旧 ペンザ19) < 企 業 の 概 要 > ФГУП ПО СТАРТ ペンザ19には1954 年 に 建 設 を 開 始 した 軍 用 電 子 機 器 の 大 型 コンビナート 生 産 合 同 ス タート がある この 工 場 はアルザマス16 スヴェルドロフスク45 ズラトウスト36の 電 子 機 器 製 造 部 門 から 人 材 と 設 備 を 導 入 して 設 立 された 建 設 現 場 は 精 密 機 械 製 造 で 有 名 な 41 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.166. 42 «Дорога к звездам», Красноярский край. Книга 1997 года, Красноярск, 1998, с.46. 42

ペンザ 市 の 市 街 から15km 東 にあるセリクサ 駅 南 部 の 森 林 中 にあった 収 容 所 が 選 ばれた 主 な 製 品 は 核 ミサイルのナビゲーションシステムと 目 されており ペンザ19からミサイル 発 射 場 原 子 力 潜 水 艦 基 地 へ 出 張 したとの 記 録 が 数 多 い エネルギー 産 業 との 関 連 の 深 さ も 指 摘 できる 現 在 でもペンザ19の 製 品 は 旧 ソ 連 諸 国 の 石 油 ガス 企 業 600 社 以 上 で 採 用 されている 43 1966 年 以 降 生 産 合 同 スタート には 軍 やKGBの 特 殊 注 文 を 遂 行 する 任 務 が 与 えら れた 中 ソ 国 境 紛 争 を 経 た1970 年 代 以 来 ペンザ19の 警 備 機 器 部 門 が 内 務 省 国 境 警 備 隊 の 監 視 装 置 機 器 を 独 占 的 に 受 注 している 44 この 他 にも 次 に 挙 げる 施 設 警 備 を 担 当 してき た;ソ 連 共 産 党 中 央 委 員 会 本 部 クレムリン 武 器 庫 にあるソ 連 邦 ダイヤモンドフォンド 45 中 央 銀 行 をはじめとする 各 種 の 銀 行 全 ての 外 務 省 海 外 施 設 ソ 連 時 代 の 全 国 境 線 46 国 防 省 をはじめとする 中 央 省 庁 原 子 力 発 電 所 47 ロシア 統 一 エネルギーシステム トラン スネフチ ガスプロム ロスアヴィアコスモ 48 その 他 石 油 ガス 施 設 とパイプライン ゴルバチョフの 別 荘 49 重 要 博 物 館 や 展 示 場 など < 都 市 の 沿 革 > г. Заречный Пензенской области もともとペンザ 市 の 一 部 であり ザレチヌィ 地 区 が 秘 密 都 市 ペンザ19 となるまで 数 年 間 を 要 した 建 設 開 始 年 が 収 容 所 の 廃 止 と 重 なっているものの 都 市 の 建 設 は 囚 人 に よって 行 われた 解 放 された 囚 人 は 現 地 の 軍 事 建 設 部 隊 に 雇 用 され ペンザ 州 を 中 心 にソ 連 の 重 要 施 設 建 設 に 参 加 した 1960 年 代 以 降 は 急 テンポで 工 場 が 増 設 され ブレジネフ 政 権 下 でも 各 部 門 の 独 立 諸 部 門 の 肥 大 化 が 進 んだ この 過 程 で 食 品 工 場 商 店 娯 楽 施 設 が 増 設 された 都 市 建 設 を 担 った 部 隊 は 現 在 住 宅 団 地 や 正 教 会 の 建 設 を 行 っている 2.ソ 連 国 内 の 原 子 力 事 故 ソ 連 の 核 ミサイルの 開 発 製 造 拠 点 となった 研 究 所 や 企 業 は 秘 密 都 市 に 存 在 したため 米 ソ 冷 戦 時 代 は 公 に 話 題 になることはなかった しかしながらそれらの 拠 点 はソ 連 の 内 外 政 策 の 要 となる 業 務 を 遂 行 していたのであり 明 確 に 報 道 されないまでも20 世 紀 を 象 徴 す る 数 々の 歴 史 的 事 件 に 関 係 してきた ここでは1957 年 9 月 のチェリャビンスク40 爆 発 事 故 43 Ушаков, И.С., Производственное объединение «СТАРТ» пензенский приборостроительный завод, с.194. Заречный. История закрытого города, кн.2. Заречный, 1998, с.7-210. 44 НИКИРЭТ 25 лет. 1977-2002. История и современность, Грушенков, Б.В.(сост.), Пенза, 2002, с.7-14. 45 НИКИРЭТ 25 лет. 1977-2002. История и современность, Грушенков, Б.В.(сост.), Пенза, 2002, с.8. Жуков, А.С., Заречный дела и люди, с.368. Заречный. История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998, с.367-372. 46 Жуков, А.С., Заречный дела и люди, с.370. Заречный. История закрытого города, кн. 2, Заречный, 1998, с.367-372. 47 Ушаков, И.С., Производственное объединение «СТАРТ» пензенский приборостроительный завод, с.97. Заречный. История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998, с.7-210. 48 НИКИРЭТ 25 лет. 1977-2002. История и современность, Грушенков, Б.В.(сост.), Пенза, 2002, с.4. 49 Оленин, Ю.А., Алаухов, С.Ф., Грушенков, Б.В., Протасов, Ю.К., Омельченко, П.П., Самочкин, Ю.В., с.94, Заречный. История закрытого города, кн.1, Заречный, 1998, с.85-106. 43

同 年 10 月 4 日 のスプートニク1 号 の 製 造 と 打 ち 上 げ 1960 年 の 米 国 U2 機 撃 墜 事 件 1962 年 のキューバ 危 機 1986 年 のチェルノブィリ 原 発 事 故 とその 処 理 などを 具 体 例 に 冷 戦 下 の 諸 事 件 と 核 閉 鎖 都 市 との 関 係 を 考 えたい チェリャビンスク40 爆 発 事 故 ( ウラルの 核 惨 事 ) 1940 年 代 後 半 のソ 連 政 府 は 原 子 爆 弾 の 完 成 を 最 優 先 し 安 全 対 策 をほとんど 講 じなかっ た 1949 年 8 月 29 日 のソ 連 初 の 核 実 験 までに 稼 動 していた 核 開 発 の2 拠 点 アルザマス16と チェリャビンスク40ではいずれも 実 験 までに 事 故 が 起 こっており このうち1949 年 にアル ザマス16で 発 生 した 事 故 では 死 者 が 出 ている 50 後 者 のチェリャビンスク40では1940 年 代 以 降 も 度 々 重 大 事 故 が 生 じており 同 市 ではこれまでに260 名 以 上 が 被 爆 死 している 51 チェリャビンスク40で 起 きた 最 も 有 名 な 事 故 はЖ.メドベージェフによって 紹 介 された 1957 年 9 月 の 爆 発 事 故 で メドベージェフはその 著 ウラルの 核 惨 事 において 爆 発 の 場 所 が チェリャビンスク40 というコードを 付 けられたチェリャビンスク 州 のキシュティ ムであることを(ソ 連 時 代 に) 指 摘 している 52 1957 年 9 月 29 日 16 時 20 分 チェリャビンスク 州 キシュティムの 極 秘 施 設 チェリャビンス ク40の Б 施 設 ( 第 25 工 場 )で 廃 液 処 理 中 に 爆 発 事 故 が 起 こった この 爆 発 による 直 接 の 死 者 は 出 なかったものの 160tの 重 量 がある 鉄 筋 コンクリート 製 の 覆 いが20m 以 上 も 吹 き 飛 ばされ 汚 染 された 塵 はチュメニ 州 にも 到 達 した 53 汚 染 された 数 キロ 塊 のコンクリ 片 が 爆 発 の 勢 いで 施 設 周 囲 約 400mにわたって 吹 き 飛 ばされた 54 事 故 翌 日 の9 月 30 日 にЕ.П.スラフスキー 中 型 機 械 製 造 相 を 中 心 とした 委 員 会 がモスクワ から 現 場 に 派 遣 され 住 民 の 避 難 が 開 始 された 10 月 3 日 には 事 故 処 理 のため200 人 規 模 の 部 隊 2 個 が 派 遣 されている 55 チェリャビンスク40 爆 発 事 故 の 処 理 作 業 には 全 体 で1000 名 以 上 の 部 隊 が 動 員 され 56 周 辺 23の 居 住 区 から 57 10180 人 58が 他 地 域 へ 避 難 した 事 故 翌 年 の1958 年 1 月 にはズラトウスト36から 技 術 者 と 建 設 部 隊 が 派 遣 され 同 部 隊 は 退 去 した 村 落 住 民 のために60 棟 の 住 宅 からなる 居 住 地 を 建 設 した 59 事 故 処 理 に 活 躍 した 関 係 者 はペ ンザ19などにも 確 認 できる 60 一 部 の 住 民 はそのまま 他 の 閉 鎖 都 市 に 移 住 した 61 50 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.241. 51 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.237. 52 ジョレス A メドベージェフ ウラルの 核 惨 事 梅 林 宏 道 訳 技 術 と 人 間 1982 年 p.192. 53 Кокшаров, А.И., Огнеборцы-55 лет, Озерск, 2003, с.74-80. 54 Кокшаров, А.И., Огнеборцы-55 лет, Озерск, 2003, с.75. 55 Новоселов, В.Н., Толстиков, В.С., Тайны «сороковки», Екатеринбург, 1995, с. 272-274. 56 Толстиков, В.С., «Авария на хиткомбинате «Маяк»», с.10. Челябинск. Энциклопедия, Челябинск, 2001, с.10-11. Кокшаров, А.И., Огнеборцы-55 лет, Озерск, 2003, с.75. 57 УВД г. Озерска. Хроника. Публицистика. Факты, Челябинск, 2000, с.93. 58 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.241. 23 村 1 万 200 人 退 去 217 市 村 27 万 2000 人 のうち 1 万 200 人 退 去 Атом без грифа «секретно». Книга вторая. Полвека с бомбой, М., 1996, с.71. 24 居 住 地 10730 人 Толстиков, В.С., «Авария на хиткомбинате «Маяк»», с.11. Челябинск. Энциклопедия, Челябинск, 2001, с.10-11. 1000 車 両 で 全 住 民 2 万 4000 人 のうち 1 万 2000 人 が 避 難 Кокшаров, А.И., Огнеборцы-55 лет, Озерск, 2003, с.81.などが 報 告 されている 59 Новицкий, С., Дороги стратегического назначения, с.46. Трехгорный: История. Публицистика. Литература, Николяй, Л.Г.(сост.), 2.изд., Челябинск, 2002, с.45-47. 60 Жуков, А.С., Слово о ветеранах, с.281. Заречный. История закрытого города, кн.1. 44

チェリャビンスク40では1967 年 4 月 にも 深 刻 な 汚 染 事 故 を 起 こしている 長 きにわたり チェリャビンスク40では 原 子 力 施 設 から 廃 液 をカラチャイ 湖 に 直 接 垂 れ 流 していたが 湖 が 乾 燥 により 干 上 がったため 汚 染 された 塵 が 広 範 囲 に 散 乱 した この 湖 にようやくコンク リートブロックが 導 入 されたのは チェルノブィリ 原 発 事 故 後 であった 62 チェリャビン スク40ではこうした 事 故 が 繰 り 返 されたため 周 辺 には 現 在 も 汚 染 された 立 ち 入 り 禁 止 区 域 が 設 定 されている 63 チェリャビンスク40とその 周 辺 には 警 告 された 汚 染 地 域 である にもかかわらず 現 在 も 住 み 続 ける 人 々や 未 就 学 の 年 齢 で 障 害 者 になる 児 童 が 多 い 64 大 規 模 な 越 境 汚 染 をソ 連 各 地 の 秘 密 都 市 から 動 員 した 部 隊 で 秘 密 裏 に 処 理 する 手 法 は 1957 年 のチェリャビンスク40 爆 発 事 故 以 来 制 度 的 な 性 格 を 帯 びた ソ 連 末 期 に 起 きた チェルノブィリ 原 発 事 故 でこのことを 確 認 できる チェルノブィリ 原 子 力 発 電 所 爆 発 事 故 1986 年 4 月 26 日 モスクワ 時 間 1 時 24 分 チェルノブィリ 原 発 4 号 炉 が 操 作 違 反 により 暴 走 し 爆 発 した ロシア 原 子 力 省 によると 爆 発 は マヤーク コンビナート 事 故 の 約 10 分 の1 ( マヤーク =チェリャビンスク40)であったが 直 撃 で2 人 が 死 亡 した 65 事 故 後 の 数 日 間 この 重 大 事 故 は 極 秘 裏 に 処 理 されつつあった 放 射 線 の 急 増 に 気 づい たソ 連 国 内 の 研 究 所 は 当 局 によって 研 究 結 果 の 公 表 を 差 し 止 められ ソ 連 政 府 による 各 国 政 府 からの 情 報 提 供 要 請 の 拒 否 は 幾 日 も 続 いた 66 この 事 故 が 公 になった 原 因 は 汚 染 が 国 境 を 越 えて 広 がりを 見 せたこと ソ 連 政 府 の 黙 殺 にもかかわらず 次 第 に 高 まる 国 際 的 な 世 論 が 大 きな 圧 力 を 発 揮 したことにある 事 故 の 公 表 は 国 際 的 なプロセスとして 進 行 した 国 際 的 な 関 心 の 高 まりの 裏 で この 事 故 でも 秘 密 都 市 の 建 設 企 業 と 部 隊 が 事 故 処 理 に 動 員 されていた 以 下 の 一 覧 はチェルノブィリで 爆 発 事 故 が 起 こった 直 後 事 故 処 理 のため に 核 閉 鎖 都 市 から 専 門 家 や 労 働 者 が 派 遣 された 様 子 の 一 端 を 示 したものである Заречный, 1998, с.280-283. 61 Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3. Челябинск, 2001, с.66. 62 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.244. 63 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.242. 64 Атом без грифа «секретно». Книга вторая. Полвека с бомбой, М., 1996, с.71. 65 Атомная отрасль России. События. Взгляд в будущее, Михайлов, В.Н.(сост.) и др., М., 1998, с.243. 66 Иойрыш, А.И., Ядерный джин, М., 1994, с.354. 45

派 遣 元 都 市 名 事 故 処 理 への 協 力 内 容 トムスク7 数 日 後 に 建 設 会 社 ヒミストロイの 要 員 を 派 遣 67 ペンザ19 医 療 チームの 他 68 鉄 道 部 門 と 69 建 設 会 社 が 事 故 処 理 に 協 力 70 ズラトウスト36 運 転 手 のグループを 派 遣 71 スヴェルドロフスク44 建 設 関 係 者 を 処 理 に 派 遣 72 スヴェルドロフスク45 建 設 関 係 者 を 処 理 に 派 遣 73 チェリャビンスク40 水 道 工 事 会 社 を 原 発 事 故 の 処 理 に 派 遣 74 秘 密 都 市 から 派 遣 した 部 隊 で 原 子 力 事 故 の 処 理 を 行 った 事 例 として チェルノブィリ 原 発 事 故 はソ 連 時 代 最 後 の 例 となった 30 年 近 くソ 連 の 原 子 力 を 牛 耳 ってきたЕ.П.スラフス キー 中 型 機 械 製 造 相 は 同 年 中 に 職 を 解 かれ ソ 連 における 原 子 力 史 は 一 つの 時 代 を 終 えた 旧 秘 密 都 市 で 原 子 力 に 関 連 する 事 故 や 汚 染 はソ 連 崩 壊 後 も 続 いている 1993 年 4 月 6 日 12 時 58 分 (モスクワ8 時 58 分 ) トムスク7で 作 業 規 則 違 反 が 原 因 となり 爆 発 事 故 が 起 こった 爆 発 は 建 物 の 石 炭 ガラブロックの 壁 を 破 壊 したが 75 直 接 の 死 者 は 出 なかった 76 トムス クの 住 民 にこの 事 故 を 知 らせたのはモスクワからのラジオ 放 送 だった 現 在 もトムスクの 住 民 は 汚 染 した 森 林 に 立 ち 入 らないように 注 意 されている 77 チェリャビンスク40 トムスク7 クラスノヤルスク26など 核 閉 鎖 都 市 には 汚 染 の 激 しい 地 域 が 多 い 汚 染 や 死 亡 事 故 の 発 生 は 原 子 炉 やコンビナートだけでなく 研 究 所 でも 発 生 している 78 プーチン 大 統 領 もスネジンスク(チェリャビンスク70) 来 訪 の 際 閉 鎖 67 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.181. 68 Клюхов, С.И., Силантьева., Н.К., Куликова, Л.А., Становление санитарно-эпидемической службы города, с.392, Заречный, История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998, с.390-392. 69 Ушаков, И.С., Производственное объединение «СТАРТ» пензенский приборостроительный завод, с.174, Заречный, История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998. с.7-210. 70 Савальев, Б.Г., Попов, С.И., Попов, И.В., Помелов, Е.П., Юнушкин, Н.М.,Перовский, Д.И., Новинский, В.С., Кобозев, Ю.Г., Голдобеев, А.П., Перемышлин, К.А., Открытое акционерное общество «пензенское управление строительства, с.280, Заречный. История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998, с.237-280. 71 Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3, Челябинск, 2001, с.203. 72 Артемов, Е.Т., Бедель, А.Э., Укрощение Урана. Страницы истории уральского электрохимического комбината, Новоуральск, 1999, с.322. 73 Староверова, Е., «Нам доверили дело и мы его сделаем!...», с.160. Лесной: история закрытого города, Екатеринбург, 1997, с.135-160. 74 Елфимов, Ю.Н., Уралгидромонтаж Страницы истории, Озерск. Челябинск, 1998, с.75-76. 75 Булатов, В., Томск-7(Россия), с.259. Ядерная энциклопедия, М., 1996, с.259-261. 76 Буланов, В.И., Чирков, В.А., «Мог ли случиться Чернобыль в Сибири?», Атом без грифа «секретно», кн.2, Полвека с бомбой, М., 1996, с.33-34. 77 市 川 富 士 夫 トムスク-7 再 処 理 施 設 爆 発 事 故 調 査 報 告 旧 ソ 連 の 放 射 能 汚 染 の 実 態 p.42 日 本 の 科 学 者 28 号 1993 年 12 月 pp.39-44. 78 既 に 述 べたアルザマス 16 の 例 の 他 に 1968 年 4 月 5 日 のチェリャビンスク 70 でも 事 故 が あり 2 名 が 死 亡 している Леваков, Б.Г., Лукин, А.В., Магда, Э.П., Погребов, И.С. Импульсные Ядерные Реакторы РФЯЦ-ВНИИТФ. Снежинск, 2002, с.44. 46

都 市 の 環 境 問 題 について 言 及 している 79 しかし 核 閉 鎖 都 市 の 住 民 が 個 人 的 な 都 合 で 自 由 に 都 市 を 離 れることは 法 的 に 認 められない 80 3. 冷 戦 期 に 核 閉 鎖 都 市 が 国 際 的 な 話 題 となった 例 米 ソ 米 ロ 間 の 諜 報 活 動 や 外 交 交 渉 では 一 般 に 明 示 されないまでも 兵 器 の 開 発 製 造 配 備 について 具 体 的 なケースが 扱 われている 冷 戦 史 における 幾 つかの 事 件 は 核 閉 鎖 都 市 と 関 係 していた ここに 具 体 例 を 検 討 する スプートニク1 号 の 製 造 と 打 ち 上 げ ソ 連 ロシアの 宇 宙 開 発 は 軍 事 的 な 関 心 から 研 究 されたミサイル 兵 器 に 源 流 を 求 められ る ロシア 革 命 から1938 年 に 至 るまで ミサイルはモスクワとレニングラードで 研 究 が 行 われた 複 数 のミサイルが 第 二 次 世 界 大 戦 勃 発 までに 赤 軍 に 実 戦 配 備 された その 後 第 二 次 世 界 大 戦 が 始 まると ソ 連 政 府 は カチューシャ などの 実 用 的 ミサイル 兵 器 の 量 産 に のみ 産 業 の 重 点 を 置 くようになった しかし 政 治 的 なレベルでは 大 戦 中 から 核 ミサイル の 可 能 性 が 検 討 されていた ソ 連 における 長 距 離 弾 道 ミサイル 開 発 は 核 との 共 同 の 枠 組 みで 戦 後 に 本 格 化 した 1946 年 にはアストラハン 州 に カプスティン ヤール ミサイル 実 験 場 が 建 設 され 翌 年 から ドイツ 人 科 学 者 とドイツ 資 産 を 基 にしたミサイル 実 験 が 開 始 された 1949 年 にソ 連 で 核 実 験 が 成 功 すると 核 の 量 産 弾 頭 化 ミサイルの 長 距 離 化 に 政 策 の 比 重 が 移 された 1951 年 12 月 アルザマス16の 第 3 工 場 から3 基 の 原 子 爆 弾 が 軍 に 出 荷 され ソ 連 の 核 兵 器 産 業 はシリーズ 化 された 原 子 爆 弾 の 大 量 生 産 という 新 たな 段 階 に 達 した 1ヵ 月 後 の 1952 年 1 月 24 日 ソ 連 邦 閣 僚 会 議 はチェリャビンスク 州 ユリューザンに 原 子 爆 弾 工 場 を 建 設 する 決 議 を 出 した 81 工 場 建 設 と 操 業 はアルザマス16で 第 3 工 場 長 を 務 めたК.А.ヴォロー ディンに 任 され 1955 年 8 月 1 日 には 原 子 爆 弾 タチアナ の 初 出 荷 を 果 たした 82 ユリューザンの 原 爆 工 場 は ズラトウスト36 と 呼 ばれるミサイル 弾 頭 製 造 の 企 業 都 市 に 発 展 した 1950 年 代 に 工 場 長 を 務 めたヴォローディンの 時 代 ズラトウスト36では 既 に 戦 略 ミサイル 核 弾 頭 の 出 荷 テストをカプスティン ヤール 実 験 場 で 行 っている 83 79 Молчанов, В.А., Некоторые вопросы экологической безопасности ЗАТО г. Снежинска, с.328. Министерство Российской Федерации по Атомной Энергии. Снежинский физико-технический институт. Межотраслевая научно-практическая конференция. Снежинск и наука. 29 мая 2 июня 2000 года, Снежинск. Тезисы, Снежинск, 2000, с.328-329. 80 ロシア 連 邦 体 制 下 においても 閉 鎖 行 政 領 域 に 関 しては 情 報 制 限 と 市 民 権 の 制 限 がある Миронова, Н.И., ЗАТО и современные тенденции устойчивого развития, с.541. Министерство Российской Федерации по Атомной Энергии. Снежинский физико-технический институт. Межотраслевая научно-практическая конференция. Снежинск и наука. 29 мая 2 июня 2000 года. Снежинск. Тезисы, Снежинск, 2000, с.541 81 Беляев, Ю., О чем говорят архивы, с.22. Родное Трехгорье г. Трехгорный, Челябинской области: Историко-литературный альманах, Трехгорный, 1996, с.22-28. Трехгорный. История, Публицистика, Литература, Николяй, Л.Г.(сост.), Челябинск, 2003, с.8, 18. 82 Беляев, Ю., «Становление», с.89. Родное Трехгорье г. Трехгорный, Челябинской области. : Историко-литературный альманах, Трехгорный, 1996, с.84-91. 83 Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3, Челябинск, 2001, с.85. 47

ズラトウスト36はミサイル 弾 頭 の 有 力 な 製 造 企 業 となると 同 時 に ソ 連 におけるミサイ ル 製 造 の 拠 点 ともなった さらに 世 界 初 の 宇 宙 機 器 スプートニク1 号 の 製 造 にも 関 わっている ズラトウスト36で 技 術 者 だったВ.クズネツォフは 工 場 で スプートニク1 号 を 目 撃 したときのことを 次 のように 語 る それは1957 年 の8 月 のことだった 私 と 一 緒 に 働 いていた 設 計 者 が 観 覧 に 連 れ 出 してく れた 彼 は 私 を 閉 鎖 部 門 の 職 場 に 通 し そこには 理 想 的 な 清 潔 さに 保 たれた300mmほどの 輝 いた 玉 が 横 たわっていた 彼 は それが 未 来 の 人 工 衛 星 だと 言 った 10 月 4 日 に 全 世 界 が 最 初 の 人 工 衛 星 について 知 ることとなった 84 8 月 にズラトウスト36で 加 工 された スプートニク1 号 は 周 知 の 通 り2ヵ 月 後 の1957 年 10 月 4 日 にカザフスタンのバイコヌール 発 射 場 から 打 ち 上 げられた これは5 日 前 の9 月 29 日 にチェリャビンスク40で 重 大 事 故 が 発 生 し ソ 連 の 原 子 力 を 管 轄 する 中 型 機 械 製 造 省 が 混 乱 していた 時 期 に 当 たる Л.シチェドリンは10 月 4 日 にズラトウスト36で 幹 部 例 会 を していたときのことを 書 いている 工 場 長 秘 書 のリータ シェスタコヴァがドアを 開 けて 駆 け 入 り スプートニクが 打 ち 上 げられました! と 叫 ぶと 拍 手 が 沸 き 起 こり 工 場 長 の ヴォローディンは 涙 を 流 したという 85 核 ミサイルの 開 発 に 直 結 する 宇 宙 開 発 は ソ 連 では 秘 密 都 市 での 極 秘 事 業 としてのみ 可 能 であった この 件 についてニューヨークで 取 材 攻 勢 に 遭 遇 した 当 時 のグロムイコ ソ 連 外 相 も 政 府 から 事 前 に 何 も 知 らされていなかったとしている 86 バイコヌール 発 射 場 自 体 が 当 時 は 極 秘 施 設 だった 1950 年 代 後 半 のバイコヌールには セミョルカ 他 配 備 中 や 開 発 中 の 最 新 型 ミサイルが 集 結 していたからである 1960 年 4 月 バイコヌールには 米 国 の 偵 察 機 を 撃 墜 する 任 務 を 帯 びて 高 射 ミサイル 部 隊 が 配 備 された 87 このとき 冷 戦 史 でも 有 名 なU2 撃 墜 事 件 が 起 きた U2 撃 墜 事 件 ソ 連 がミサイルに 重 点 を 置 いた 理 由 の 一 つには 航 空 力 で 米 国 に 太 刀 打 ちできないとい う 事 情 があった 米 国 のロッキード 社 はソ 連 の 対 空 ミサイルが 届 かない 高 度 を 飛 行 する 偵 察 機 U2を 開 発 し 1956 年 7 月 4 日 にはソ 連 領 空 での 同 機 による 初 の 偵 察 飛 行 を 果 たした 米 国 の 目 論 見 通 り 当 時 のソ 連 が 配 備 していた 移 動 式 対 空 ミサイルС-75では 高 度 20kmの 機 体 を 打 ち 落 とすことができなかった 88 米 国 はソ 連 領 空 で 偵 察 飛 行 を 繰 り 返 し アルザ マス16をも 写 真 に 収 めた 89 ソ 連 側 はこれに 対 抗 して 新 型 対 空 ミサイルを 開 発 し この 兵 器 をソ 連 全 土 に 配 備 した 1960 年 5 月 1 日 モスクワ 時 間 午 前 5 時 米 国 の 偵 察 機 U2はパキスタン 北 部 のペシャワール 基 地 からソ 連 領 に 向 けて 飛 び 立 った U2の 偵 察 活 動 については 各 地 の 核 閉 鎖 都 市 に 記 録 が 84 Кузнецов, В., Государственные задания, с.93. Ядерный щит родины. Приборостроительний завод. г. Трехгорный, Челябинск, 2000, с.91-94. 85 Щедрин, Л., Директор с большой буквы, с.180. Ядерный щит родины. Приборостроительний завод. г. Трехгорный, Челябинск, 2000, с.168-186. 86 アンドレイ グロムイコ グロムイコ 回 顧 録 ソ 連 外 交 秘 史 読 売 新 聞 社 外 報 部 訳 読 売 新 聞 社 1989 年 p.480. 87 レニングラードから 移 動 した 部 隊 Герчик, К.В., Взгляд сквозь годы. О сослуживцах и однополчанах : Жизнь и судьбы, М., 2001, с.170. 88 Альперович, К.С., Так рождалось новое оружие, М., 1999, с.76. 89 Попов, Ф.Д., Арзамас-16 Семь Лет с Андреем Сахаровым: Воспоминания Контрразведчика, Мурманск, 1998, с.53. 48

残 っているため ある 程 度 の 航 路 を 追 うことが 可 能 である U2は 始 めにクラスノヤルスク 地 方 の 上 空 に 入 り クラスノヤルスク26の 偵 察 を 行 った 状 況 から 判 断 すると 近 辺 にあ るクラスノヤルスク45も 偵 察 したと 考 えることが 出 来 る クラスノヤルスク 方 面 からス ヴェルドロフスクに 抜 けるにはトムスク7の 上 空 を 通 過 することになる この 後 チェリャ ビンスク 州 のズラトウスト36を 偵 察 したことが 知 られており 証 言 によるとズラトウスト 36 偵 察 後 にスヴェルドロフスク 方 面 に 向 かった 90 シベリアからの 通 り 道 にチェリャビン スク40が 存 在 することから この 施 設 も 撮 影 されたと 見 ることが 妥 当 であろう 撃 墜 が チェリャビンスク70の 上 空 であったとの 説 もある 91 こうして 証 言 をつなぎ 合 わせていく と U2の 航 路 は 事 実 上 核 閉 鎖 都 市 を 網 羅 するものであったことが 分 かる U2はソ 連 が 配 備 していた 対 空 ミサイルコンプレックス(С-75 デスナ )から 発 射 され たミサイル(В-750 13Д )によって 撃 墜 された ミサイルは 同 機 尾 部 に 命 中 92 U2 機 は 墜 落 を 始 めたが 93 フランシス グレイ パワーズ 操 縦 士 は 墜 落 中 に 脱 出 して 一 命 を 取 り 留 め 後 に 米 国 で 捕 まったKGB 要 員 と 交 換 で 帰 国 した パワーズは 本 来 任 務 終 了 後 ノル ウェーに 到 着 の 予 定 であった 94 キューバ 危 機 1953 年 から1989 年 まで 存 在 した 核 ミサイル 弾 頭 の 製 造 を 行 なう 中 型 機 械 製 造 省 の36 年 間 の 歴 史 の 中 で チェルノブィリ 原 発 事 故 まで 約 30 年 間 にわたって 省 を 率 いたのがЕ.П. スラフスキーだった モスクワでの 省 の 業 務 に 移 る 前 スラフスキーはチェリャビンスク 40で 初 代 コンビナート 長 を 務 めていた スラフスキーはチェリャビンスク40の 支 部 として 核 ミサイル 弾 頭 の 製 造 を 行 うズラトウスト36を 建 設 した 後 にモスクワで 中 型 機 械 製 造 相 に 就 任 すると スラフスキーは 業 務 を 大 幅 に 加 速 させる 命 令 を 発 した スラフスキーのこ の 判 断 が 中 型 機 械 製 造 省 の 業 務 の 地 理 上 の 拡 大 を 進 め 結 果 としてキューバ 危 機 を 引 き 起 こしたと 言 われている 95 キューバ 危 機 で 問 題 となった 核 ミサイル 弾 頭 を 製 造 したのは ズラトウスト36の 機 器 製 造 工 場 だった ズラトウスト36で 製 造 された 製 品 はキューバ に 送 られ これによってキューバ 危 機 が 始 まった 96 ソ 連 は 当 初 キューバへ5 部 隊 40 基 を 派 遣 する 計 画 を 立 案 していた 1962 年 10 月 末 まで にキューバには34 基 のР-12ミサイルが 到 着 した 97 この 時 点 までに 配 備 されたミサイル 部 隊 の 破 壊 力 の 合 計 は ヒロシマ 型 原 爆 の3000 倍 に 達 した 98 米 国 はソ 連 側 の 動 きを 探 るため 偵 察 機 U2をキューバ 領 空 に 放 った 持 ち 帰 った 情 報 を ソ 連 領 空 での 偵 察 結 果 と 照 合 した 結 果 ソ 連 のミサイル 発 射 場 の 特 徴 と 一 致 した 99 米 国 90 Дорогов, Г., Этыды о новостройках, с.55-56. Трехгорный: История. Публицистика. Литература, Николяй, Л.Г.(сост.), 2 изд., Челябинск, 2002, с.52-60. 91 Новоселов, В.Н., Толстиков, В.С., Тайны «сороковки», Екатеринбург, 1995, с.86. 92 Альперович, К.С., Так рождалось новое оружие, М., 1999, с.83. 93 Первов, М., Межконтинентальные Баллистические Ракеты СССР и России, М., 1998, с.35. 94 Первов, М., Зенитное ракетное оружие противовоздушной обороны страны, М., 2001, с.227. 95 Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3, Челябинск, 2001, с.34. 96 Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3, Челябинск, 2001, с.113. 97 Первов, М., Межконтинентальные Баллистические Ракеты СССР и России, М., 1998, с.53. 98 Первов, М., Межконтинентальные Баллистические Ракеты СССР и России, М., 1998, с.54. 49

側 はこの 結 果 をソ 連 に 突 きつけ われわれは 何 でも 知 っている と 伝 えた 100 ソ 連 側 はこ れに 先 立 つ1962 年 9 月 11 日 13 時 00 分 付 けで 米 国 との 核 戦 争 の 準 備 に 踏 み 切 っており 大 陸 間 弾 道 ミサイルР-7(セミョルカ)の 配 備 されたソ 連 のアルハンゲリスク 州 プレセツク 発 射 場 ( 秘 密 都 市 ミールニー12 レニングラード300などのコードがある)は 核 ミサイル 発 射 の 臨 戦 態 勢 を 命 じられた 1962 年 10 月 27 日 事 態 は 一 層 緊 迫 した ソ 連 は 同 日 に 米 国 の 放 ったキューバ 上 空 のU2 を 対 空 ミサイル(С-75 デスナ В-750ВН(13Д))で 撃 墜 し 乗 員 のルドルフ アンダー ソンはバネス 市 近 郊 で 墜 落 死 した 101 U2 撃 墜 翌 日 の10 月 28 日 からニューヨークでキュー バ 危 機 の 協 議 が 始 まり ソ 連 は 最 終 的 にミサイルの 回 収 を 決 めた プレセツクの 核 ミサイ ル 部 隊 に 敷 かれた 臨 戦 態 勢 が 解 除 されたのは11 月 22 日 9 時 00 分 であった 102 キューバから 核 ミサイルを 回 収 する 任 務 は 核 閉 鎖 都 市 から 派 遣 された 要 員 が 行 った ズ ラトウスト36から 派 遣 されたА.シャムストゥディノフは 回 収 後 のミサイルがアルザマス 16のあるゴーリキー 州 に 運 ばれたとしている キューバを 訪 れた 後 我 々は 欠 陥 商 品 と 共 に 帰 国 してゴーリキー 州 ジェルジンスク 市 に 行 った 103 キューバ 危 機 の 経 験 者 は 核 ミサイルの 電 気 系 統 を 製 造 するペンザ19などでも 確 認 できる 104 キューバ 危 機 の 主 役 と なった 核 ミサイルは 核 閉 鎖 都 市 で 設 計 され 組 み 立 てられ 回 収 されたのである 4.ソ 連 邦 からロシア 連 邦 への 引 継 ぎ 核 閉 鎖 都 市 に 蓄 積 された 冷 戦 産 業 は 時 間 とともにソ 連 の 体 制 と 政 策 の 根 幹 となって いった ここからはソ 連 の 冷 戦 産 業 がどのように 現 代 ロシアの 体 制 に 移 行 したのかを 考 え る ソ 連 の 軍 事 工 業 経 済 から 市 場 経 済 への 移 行 ソ 連 崩 壊 に 伴 い 計 画 経 済 による 冷 戦 産 業 への 国 家 注 文 の 保 証 は 突 然 消 失 した 核 閉 鎖 都 市 の 企 業 は 自 力 で 市 場 を 開 拓 することを 余 儀 なくされた 1990 年 代 の 核 閉 鎖 都 市 では 失 業 者 が 増 大 し 都 市 の 治 安 は 悪 化 した 未 成 年 者 の 不 良 化 麻 薬 の 蔓 延 強 盗 殺 人 事 件 の 増 加 孤 児 の 問 題 が 深 刻 化 した アルザマス16などソ 連 時 代 の 頭 脳 と 労 働 力 の 粋 を 集 めた 旧 秘 密 都 市 でストライキやデモが 起 こり 企 業 と 都 市 は 混 乱 した 1996 年 10 月 30 日 には 技 術 物 理 研 究 所 (チェリャビンスク70)のВ.З.ネチャイ 所 長 が 所 員 への 給 料 未 払 いを 苦 に して 執 務 室 で 自 殺 するという 事 件 まで 起 きた 105 99 グレアム T アリソン 決 定 の 本 質 キューバ ミサイル 危 機 の 分 析 宮 里 政 玄 訳 中 央 公 論 社 1977 年 pp.124-125. 100 ニキータ フルシチョフ フルシチョフ 封 印 されていた 証 言 ジェロルド シェクター ヴャチェスラフ ルチコフ 編 福 島 正 光 訳 草 思 社 1991 年 p.278. 101 Первов, М., Зенитное ракетное оружие противовоздушной обороны страны, М., 2001, с.228. 102 Космодром «Плесецк», М., 2002. с.22. Полигон особой важности. 40-летию Государственного испытательного полигона Министерства Обороны Российской Федерации, М., 1997, с.22. 103 Шамсутдинов, А., «Задание выполнено, товарищ директор!», с.127. Слово о приборостроительном: Воспоминания, кн.3, Челябинск, 2001, с.124-129. 104 Кондрашов, Ю.А., Воробьев, А.М., "Испитатели," с.400. Заречный. История закрытого города, кн.2, Заречный, 1998, с.399-406. 105 この 事 件 は 日 本 でも 報 道 された 朝 日 新 聞 1996 年 11 月 1 日 給 料 未 払 いの 窮 状 に 絶 望 50

このような 混 乱 の 中 大 量 破 壊 兵 器 の 拡 散 や 暴 発 を 危 惧 した 米 国 政 府 はロシアの 核 ミサ イル 産 業 への 支 援 に 乗 り 出 した 米 国 企 業 で 核 閉 鎖 都 市 の 企 業 との 関 係 を 深 めたのはGE である 同 社 はソ 連 の 核 ミサイル 産 業 と 伝 統 的 に 関 係 が 深 く 核 開 発 の 初 期 の1946 年 1 月 28 日 にも 対 外 貿 易 人 民 委 員 のミコヤンが 核 開 発 目 的 でGEの 製 品 を 手 配 している 106 アル ザマス16が 経 済 的 苦 境 に 陥 った1990 年 代 GEは 実 験 物 理 研 究 所 の 製 品 の 大 量 購 入 を 申 し 出 るなど アルザマス16と 外 国 企 業 との 付 き 合 いにおいて 代 表 として 動 いている 107 ソ 連 崩 壊 から1990 年 代 前 半 にかけて 核 閉 鎖 都 市 内 部 には 外 資 との 提 携 を 含 め 数 多 くの ベンチャー 企 業 が 設 立 された 現 在 の 核 閉 鎖 都 市 では 当 局 企 業 ともベンチャービジネス の 育 成 に 一 貫 して 力 を 入 れており マネジメントやマーケティングを 学 ぶことの 出 来 る 学 校 が 人 気 を 博 している 108 H.H.ベーカー 米 国 務 長 官 がチェリャビンスク70を 訪 れた 際 も ロシアの 科 学 者 と 西 側 の 投 資 家 とのジョイントベンチャーの 可 能 性 を 指 摘 している 109 チェリャビンスク70で 給 水 機 やベンチを 生 産 する ドーム 社 は 韓 国 の オリンピア 社 と 提 携 している 110 また 同 市 の 技 術 物 理 研 究 所 では 核 爆 発 の 解 析 シミュレーションで 培 った 演 算 能 力 を 生 かして 薬 用 化 学 物 質 やHIV 等 のウィルスの 分 子 構 造 の 解 明 にも 取 り 組 んでいる 111 アルザマス16やクラスノヤルスク26はダイヤモンド 加 工 業 に 参 入 し これは 特 にアルザ マス16にとって 雇 用 確 保 の 有 力 手 段 に 育 ってきている ダイヤモンド 産 業 には 施 設 の 完 全 閉 鎖 が 必 要 であり 閉 鎖 都 市 にある 軍 事 産 業 拠 点 はその 要 件 を 非 常 によく 満 たしている 112 アルザマス16は 加 工 したダイヤモンドをベルギーのパートナー 企 業 に 卸 している 113 雇 用 対 策 として アルザマス16ではスプーン フォーク ナイフ コップ ティーカップなど の 製 造 も 行 っている 114 クラスノヤルスク45やトムスク7では1990 年 代 の 一 時 期 テレビを 造 っていたものの 市 場 競 争 に 勝 てず 生 産 から 撤 退 した 115 ズラトウスト36では 靴 トロ 核 センター 所 長 自 殺 陳 情 報 われず ロシア 9 面 106 Атомный Проект СССР. II-2. 1945-1954, Москва. Саров, 2002, с.134. 107 Ядерный Центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.193-200. 108 Анализ социально-экономического развития малых научных городов, Обнинск, 2003. 3, с.65-67. 109 ザックリー デービス ジョナサン メダリア 米 国 議 会 調 査 局 報 告 書 ロシアからの 核 拡 散 危 険 性 とその 防 止 策 C-NET 1992 年 p.7(crs4-5). 110 Холодов, А.А., Румянцев, Ю.В., Развитие малых инновационных фирм г. Снежинск для обслуживания российского рынка. Доклады международного семинара. Малые инновационные фирмы в атомных городах, с.41, Обнинск, 2002, с.40-47. Анализ социально-экономического развития малых научных городов, Обнинск, 2003. 3, с.60. 111 Анализ социально-экономического развития малых научных городов, Обнинск, 2003. 3, с.41. 112 Ядерный Центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.185. Архипкина, О.Н., Белугин, А.В., Дьякова, Е.С., Жиганов, В.И., Смирнов, П.Г., Шаги, предпринимаемые администрацией г. Саров, и градообразующими предприятиями, в поддержку деятельности малых инновационных фирм, с.86. Доклады международного семинара. Малые инновационные фирмы в атомных городах, Обнинск, 2002, с.84-89. 113 Ядерный Центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.187. 114 Архипкина, О.Н., Белугин, А.В., Дьякова, Е.С., Жиганов, В.И., Смирнов, П.Г., Шаги, предпринимаемые администрацией г. Саров,и градообразующими предприятиями, в поддержку деятельности малых инновационных фирм, с.88. Доклады международного семинара. Малые инновационные фирмы в атомных городах, Обнинск, 2002, с.84-89. 115 История Северска, Зиновиев, В.П.(ред.), Томск, 1999, с.172. 51

リーバス バスタブ スポーツ 用 具 の 製 造 116 ダイヤのレーザーカット スキー 場 の 運 営 水 道 管 や 積 層 処 理 加 工 の 袋 製 造 製 薬 業 (HIV 等 のウィルスの 研 究 も)への 多 角 化 を 進 め ている 117 プーチン 政 権 ソ 連 崩 壊 後 の 経 済 的 な 混 乱 の 中 で 連 邦 政 府 は 核 閉 鎖 都 市 の 軍 需 企 業 を 救 済 する 意 図 に 基 づき 税 法 上 の 特 典 を 旧 秘 密 都 市 に 与 えた しかしこの 政 策 は 予 算 を 連 邦 持 ちにした 閉 鎖 都 市 の 企 業 が 大 散 財 に 走 る 結 果 をもたらしている 118 閉 鎖 都 市 を 利 用 したオイルマネー の 不 正 な 流 れは 連 邦 政 府 の 徴 税 を 著 しく 阻 害 した このような 背 景 の 故 に 武 力 官 庁 を 重 視 する 現 プーチン 政 権 も 冷 戦 時 代 の 軍 事 産 業 拠 点 閉 鎖 行 政 領 域 に 対 しては 厳 しい 見 方 をしている 2000 年 8 月 12 日 の 原 子 力 潜 水 艦 クルスク 沈 没 事 故 に 関 連 して 閉 鎖 行 政 領 域 (ЗАТО) 119 について 問 われた 大 統 領 は ソ 連 時 代 の 旧 秘 密 都 市 が 石 油 企 業 や 金 融 業 界 の 不 正 の 温 床 になっていると 非 難 した 私 が 全 てお 答 えしましょう 貴 方 の 質 問 は 閉 鎖 行 政 領 域 を 設 置 することについてで したね 閉 鎖 行 政 領 域 とは 何 であるのか 説 明 したいと 思 います それは 企 業 が 法 人 登 記 している 地 域 であり そこでは 税 法 特 典 が 与 えられます そしてそれらの 企 業 は 連 邦 予 算 には 金 を 払 わず その 地 域 より 少 し 多 い 額 を 払 い 込 みます その 代 わり 彼 らは つまり 地 域 に 少 しだけ 払 う そうでしょう? それで 自 分 のポケットには 数 十 億 入 れ るのです 要 するに 今 何 の 話 をしているのか そのスケールを 分 かりやすく 言 うと 昨 年 5 人 によって 登 記 されたある 閉 鎖 行 政 領 域 の 企 業 が ざっと80 億 を7ヶ 月 で 使 い 込 みました 別 の 閉 鎖 行 政 領 域 では15 人 の 使 い 込 みで7ヶ 月 に150 億 が 消 えました これ らのカネを 連 邦 で 刈 り 取 って 艦 隊 でも 進 水 させたほうが 良 かった こういった 閉 鎖 行 政 領 域 は 大 体 覚 えていませんが 20くらい 議 会 は 法 律 を 通 さなかった ( 発 言 聞 き 取 れず) 我 々はこのことに 同 意 しなければならなかったのです 二 者 は 残 されたまま 我 らの 金 融 機 関 や 石 油 企 業 は 全 てわれ 先 にとそこで 登 記 しました こういうわけで 閉 鎖 行 政 諸 領 域 には 二 者 の 全 てが 居 ついています 連 邦 予 算 にはほんの 少 しも 払 わず ま たもやポケットにせっせと 運 び 込 んでいる 閉 鎖 行 政 領 域 を 設 立 するやいなや 蜂 蜜 に たかるハエやら 何 やら 貴 方 が 見 たこともないものが 人 民 大 衆 にたかるのです そして カネは 一 瞥 も 出 来 ません まあ 多 少 は ご 婦 人 方 済 みません ペタペタ 化 粧 できるか もしれない 国 家 はそこから 失 い 艦 隊 を 喪 失 する 120 プーチン 大 統 領 は 閉 鎖 行 政 領 域 で 認 められた 税 法 特 典 が 金 融 機 関 や 石 油 企 業 二 者 の 全 て によって 悪 用 されているとの 認 識 を 示 し 不 正 な 資 金 の 流 れが 存 在 することを 認 116 Газета «Атомпресс», апрель, 1999 г., с.252. Ядерный щит родины. Приборостроительный завод. г. Трехгорный, Челябинск, 2000, с.250-252. 117 О.Силин. Инвестиционные проекты города, с.142. Трехгорный:История. Публицистика. Литература, Николяй, Л.Г.(сост.), 2 изд., Челябинск, 2002, с.141-152. 118 Железнов, М.И., Зацепин, В.Н., О проблемах предприятий, финансируемых из федерального бюджета, Снежинск, 2000, с.3-8. 119 1992 年 にアルザマス 16 で 立 案 され 条 文 が 書 かれた 閉 鎖 行 政 領 域 に 関 するロシア 連 邦 法 が 初 出 毎 年 度 の 予 算 や 大 統 領 令 で 変 化 するが 約 43 都 市 ある Закон РФ от 14.07.1992 N 3297-1 О закрытом административно-территориальном образовании. 120 Трудный разговор. Атомная подлодка «Курск», Хроника гибели. М., 2000. с.300-327. «Коммерсант Власть», 25 августа. 52

めた このような 閉 鎖 行 政 領 域 に 対 するエリツィン 政 権 とプーチン 政 権 との 相 違 は 連 邦 予 算 からの 補 助 金 支 出 の 動 向 の 変 化 によって 確 認 することが 出 来 る 1994 年 代 から2004 年 に 至 るまでの 10 年 間 のロシア 連 邦 予 算 と 閉 鎖 行 政 領 域 への 補 助 金 をまとめたのが 次 の 表 である 121 ロシア 連 邦 予 算 の 中 の 旧 秘 密 都 市 ( 閉 鎖 行 政 領 域 ) 会 計 年 度 連 邦 支 出 連 邦 収 入 閉 鎖 行 政 領 域 へ 閉 鎖 行 政 領 域 補 助 金 の (10 億 ルーブル) (10 億 ルーブル) の 補 助 金 (100 万 ルーブル) 連 邦 支 出 に 占 める 割 合 (%) 1994 194495.31 124477.0 597317.2 0.31% 1995 248344.3 175160.6 1043200 0.42% 1996 435750.0 347200.0 1863927 0.43% 1997 529765.2 434365.1 2400760 0.45% 1998 499945.2 367548.0 2918868 0.58% 連 邦 支 出 連 邦 収 入 (1000ルーブル) (100 万 ルーブル) (100 万 ルーブル) 1999 575046.6 473676.1 1700488 0.3% 2000 855073.0 797200.9 4063811 0.48% 2001 1193482.9 1193482.9 5740060 0.48% 2002 1947386.3 2125718.2 6909710 0.35% 2003 2345641.4 2417791.8 7954778 0.34% 2004 2659447.0 2742850.4 8291311 0.32% 2005 3047929.3 3326041.1 8498523 0.28% 2006 4270114.7 5046137.5 8620702.8 0.20% 閉 鎖 行 政 領 域 補 助 金 の 連 邦 支 出 に 占 める 割 合 (%)は 小 数 点 以 下 第 三 位 で 四 捨 五 入 121 Собрание Законодательства Российской Федерации. 10. 4 июля 1994 г., Официальное Издание. Ст.1108. с.1538-1545. Собрание Законодательства Российской Федерации. 14. 3 апреля 1995 г., Официальное Издание. Ст.1213. с.2206-2208. Собрание Законодательства Российской Федерации. 21. декабря 1996 г., Официальное Издание. Ст. 21. с.208-210. Собрание Законодательства Российской Федерации. 9. 3 марта 1997 г., Официальное Издание. Ст.1012. с.1716-1718. Собрание Законодательства Российской Федерации. 13. 30 марта 1998 г., Официальное Издание. Ст.1464. с.2727-2728. Собрание Законодательства Российской Федерации. 9. 1 марта 1999 г., Официальное Издание. Ст.1093. с.1706-1707. Собрание Законодательства Российской Федерации. 1. 3 января 2000 г., Официальное Издание. Ст.10. с.32-35. Собрание Законодательства Российской Федерации. 1. 1 января 2001 г., Официальное Издание. Ст.2. с.24-26. Собрание Законодательства Российской Федерации. 53. 31 декабря 2001 г. (часть 1), Официальное Издание. Ст.5050. с.12238-12239. Собрание Законодательства Российской Федерации. 52. 30 декабря 2002 г. (часть 1), Официальное Издание. Ст. 5132. с.12348-12349. Собрание Законодательства Российской Федерации. 52. 29 декабря 2003 г. (часть 1),Официальное Издание. Ст.5038. с.12732-12733. Собрание Законодательства Российской Федерации. 52. 27 декабря 2004 г. (часть 1),Официальное Издание. Ст.5277. с.12237-12238. Собрание Законодательства Российской Федерации. 52. 26 декабря 2005 г. (часть 2), Официальное Издание. Ст.5602. с.16440-16441. 53

この 表 から 次 のことがわかる ソ 連 崩 壊 から1998 年 の 経 済 危 機 までのエリツィン 政 権 下 において 連 邦 予 算 からの 旧 秘 密 都 市 への 補 助 金 は 一 貫 して 増 額 されてきた 原 因 の 一 つには ソ 連 崩 壊 後 の 軍 事 注 文 の 激 減 によって 冷 戦 時 代 の 産 業 が 連 邦 の 補 助 金 に 頼 らざる を 得 なかったことが 挙 げられる 別 の 側 面 から 分 析 すれば 補 助 金 は 石 油 産 業 と 金 融 機 関 の 不 正 な 納 税 回 避 がどのくらいの 規 模 で 行 われたかを 推 測 する 材 料 になる 即 ち 閉 鎖 行 政 領 域 補 助 金 への 連 邦 支 出 は 石 油 産 業 と 金 融 機 関 による 納 税 回 避 の 穴 埋 め 額 に 当 たる 122 この 差 額 がソ 連 崩 壊 後 のロシア 連 邦 における 徴 税 能 力 の 低 下 となって 表 れたのであり そ の 原 因 は 旧 秘 密 都 市 に 認 められた 税 法 上 の 特 典 を 目 的 に 他 の 地 域 で 活 動 する 企 業 が 法 人 登 記 を 閉 鎖 行 政 領 域 で 行 うようになったことにある 123 徴 税 能 力 の 強 化 を 目 指 すプーチン 政 権 下 において 旧 秘 密 都 市 への 補 助 金 はほぼ 一 貫 し て 減 額 されている 連 邦 法 で 定 められた 閉 鎖 行 政 領 域 ( 旧 秘 密 都 市 ) 約 40 都 市 の 財 務 担 当 者 を 集 めて 徴 税 能 力 の 強 化 に 関 する 財 務 省 主 催 のセミナーが 毎 年 のように 行 われている 税 法 上 の 特 典 が 悪 用 された 例 としては かつてのアルザマス16に 設 定 された サロフ 投 資 ゾーンИЗС が 挙 げられる 1999 年 から2000 年 にかけて サロフ(アルザマス16) 市 内 で 登 録 された 法 人 数 は1649 法 人 から1747 法 人 へと6% 弱 増 えた しかし 税 収 は3360 万 ドル から7295 万 ドルへと2 倍 以 上 に 急 増 している 124 この 根 源 的 な 影 響 は そこに 新 たに 登 記 した 法 人 の 影 響 にある と 実 験 物 理 研 究 所 は 分 析 している 125 プーチン 大 統 領 の 説 明 から すれば 脱 税 のために 石 油 産 業 や 金 融 機 関 がサロフ(アルザマス16)に 紛 れ 込 んで 登 記 し たことが 原 因 であろう アルザマス16での 税 収 の 急 増 がこれらの 企 業 からもたらされるは ずの 連 邦 収 入 に 全 く 見 合 わない 少 額 であることは 想 像 に 難 くない 税 法 上 の 特 典 は 最 終 的 に 連 邦 予 算 に 繰 り 込 まれるため 126 ロシア 連 邦 政 府 の 税 収 が 結 果 的 に 減 ることになる このように 閉 鎖 都 市 への 税 法 特 典 は 対 象 となる 都 市 に 経 済 的 利 益 をもたらさなかった 127 政 府 はこの 問 題 を 周 知 させるため 閉 鎖 都 市 から 行 政 担 当 者 を 集 めて 近 年 何 度 もセミ ナーを 開 いている プーチン 政 権 は 違 反 がまかり 通 っている 閉 鎖 行 政 領 域 の 予 算 を チェックすることを 徴 税 上 の 重 要 な 課 題 と 位 置 づけている 128 122 プーチン 大 統 領 と 税 務 当 局 の 認 識 では 補 助 金 = 石 油 産 業 と 金 融 機 関 の 不 正 な 税 金 逃 れ 123 Худякова, И.В., Правовое положение Закрытых административно-территориальных образовании, Дис. кан. Казань, 2003, с.90. 124 Ядерный центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.268. 125 Ядерный центр России Саров, Саров. Саранск, 2001, с.270. 126 Семенова, Т.В. О взаимоотношении федерального бюджета с бюджетами ЗАТО и перспективы на 2002 год, с.16. Проблемы взаимодействия участников бюджетного процесса в закрытых административно-территориальных образований, с.12-20. 127 Вышебаба, А.М., Завьялова, А.М., Левина, И.Л., Специальный Налоговый Режим ЗАТО г. Северск, с.83-84. Мизин, В.А., Левина, И.Л., Деятельность Официального Агента Инвестиционной Зоны в ЗАТО (на примере г. Северска), с.87-90. Технология и Автоматизация Атомной Энергитики, Северск, 1999, с.83-84, 87-90. 128 Максимова, Н.С., Основные направления развития бюджетной и совершенствования бюджетного процесса в закрытых административно-территориальных образованиях, с.32. Финансово-экономические проблемы функционирования закрытых административно-территориальных образований, М., 2001, с.29-36. 54