NEWS vol.15 2010.sep CONTENTS
島 根 県 立 古 代 出 雲 歴 史 博 物 館 石 見 美 術 館 連 携 事 業 古 事 記 1300 年 神 々のすがた 古 代 から 水 木 しげるまで 子 どもの 頃 ぼくは 漠 然 と 鳥 取 と 島 根 は 違 うと 感 じていた 地 理 的 に 近 く ても 雰 囲 気 がまるっきり 違 うのだ 目 に 見 えない 神 々が 寄 ってきているようなのだ 島 根 の 人 々には 出 雲 の 神 々の 雰 囲 気 が 漂 う ぼくはべビィの 頃 から 島 根 県 人 とい うと 凡 て 神 につかえている 人 だと 思 っていた 水 木 しげる 氏 が 自 伝 神 秘 家 水 木 しげる 伝 でこのように 感 じるように 島 根 県 は 様 々な 神 話 や 伝 説 を 今 に 伝 えています とりわけ 小 泉 八 雲 が 神 々の 国 と 形 容 した 杵 築 ( 出 雲 市 大 社 町 )には 出 雲 大 社 があり 日 本 書 紀 によれば 祭 おおなむちのみこと あらわに すめみま かみごと かくりごと 神 の 大 己 貴 命 は 顕 露 ( 目 にみえる 世 界 )を 皇 孫 に 譲 りささげられたかわりに 神 事 幽 事 ( 目 に 見 えない 神 の 世 界 のものごと)を 治 められることになった といい 伝 えられています 古 来 日 本 人 は 神 々は 目 に 見 えない 世 界 にあり 我 々の 目 には 見 えない 存 在 と 考 え 古 くから 心 の 中 でとらえた 神 々 のすがたを 形 にあらわすうえで 様 々に 模 索 を 繰 り 返 してきたのでした 古 事 記 編 纂 1300 年 を 前 に 当 館 と 島 根 県 立 石 見 美 術 館 では 秋 の 企 画 展 神 々のすがた を 開 催 します 当 館 では 神 々のす がたの 系 譜 をたどる 古 代 から 水 木 しげるまで ( 総 点 数 113 件 147 点 会 期 中 絵 画 と 能 面 は 展 示 替 えあり) 石 見 美 術 館 では 近 代 美 術 で 古 事 記 の 名 場 面 をたどる 古 事 記 と 近 代 美 術 と 題 して それぞれ 歴 史 美 術 の 視 点 から 日 本 人 の 神 々に 対 する 思 いを 探 ります 古 事 記 と 近 代 美 術 1 近 代 日 本 画 にみる 神 々のすがた 前 賢 故 実 から 再 興 院 展 の 画 家 たちへ 美 術 3 版 画 にみる 神 々のすがた 2 近 代 洋 画 にみる 神 々のすがた リアルに 描 かれた 違 和 感 のある 神 々 庶 民 に 広 められた 神 々のイメージ 4 彫 刻 にみる 神 々のすがた 神 の 御 霊 は 木 にやどる 5 神 域 見 えないけれど 神 々しい 休 館 日 : 毎 週 火 曜 日 観 覧 料 ( 円 ) 古 代 か ら 水 木 し げ る ま で Ⅰ 現 代 の 神 々のイメージ Ⅱ 目 に 見 えぬ 神 歴 史 Ⅲ 顕 現 する 神 Ⅴ 英 雄 神 スサノオ Ⅶ 神 を 継 承 する 休 館 日 : 毎 月 第 3 火 曜 日 観 覧 料 ( 円 ) Ⅳ 多 様 化 する 神 Ⅵ 現 代 に 生 きる 神
髪 をみずらに 結 った 古 代 の 豪 族 の 姿 で 表 わすのは 明 治 20 年 代 以 降 に 確 立 した 神 のイメージなのでした 古 代 神 は 特 定 の 山 木 磐 や 人 な どに 降 臨 し 神 意 を 託 宣 するとされま した 神 が 示 現 する 場 ( 斎 庭 )や 神 器 を 通 じて 古 代 人 の 神 観 念 を 探 ります 遮 光 器 土 偶 ( 青 森 県 亀 ヶ 岡 遺 跡 出 土 ) / 明 治 大 学 博 物 館 銅 鐸 ( 加 茂 岩 倉 遺 跡 出 土 29 号 鐸 )/ 文 化 庁 国 宝 ほか 仏 教 が 伝 来 すると 仏 像 は 当 初 異 国 の 神 と 受 けとめられ 8 世 紀 にはいる と 神 々を 神 像 や 絵 画 で 表 現 するように なりました また 神 の 正 体 と 捉 える 本 地 垂 迹 神 こそ 仏 の 本 質 とする 神 本 仏 迹 など 神 仏 習 合 思 想 が 広 く 流 布 しました 木 造 摩 多 羅 神 坐 像 / 安 来 市 清 水 寺 ( 新 発 見 資 料 ) 日 吉 山 王 宮 曼 荼 羅 図 / 奈 良 国 立 博 物 館 重 要 文 化 財 ほか Ⅳ. 多 様 化 する 神 中 世 後 期 になると 福 神 が 庶 民 の 信 仰 を 集 め 神 能 や 神 楽 で 神 が 演 じられるようになり 近 世 には 儒 学 や 国 学 の 進 展 により 髪 型 や 装 束 の 考 証 が 行 われるようになりました また 神 々は 身 近 な 存 在 として 錦 絵 や 風 刺 画 に 登 場 するようになりました 荼 吉 尼 天 曼 荼 羅 / 大 阪 市 立 美 術 館 七 生 舞 之 図 / 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 ほか 日 本 神 話 を 代 表 する 英 雄 神 スサノオ 荒 ぶる 神 威 か ら 中 世 には 疫 神 を 祓 う 牛 頭 天 王 と 習 合 し また 勇 猛 な 神 と して 今 にいたるまで 信 仰 を 集 めています 木 造 牛 頭 天 王 坐 像 / 出 雲 市 ă 鰐 淵 寺 天 淵 八 叉 大 蛇 記 / 松 江 市 ă 高 野 宮 ( 内 神 社 )ほか 純 粋 な 太 古 からの 精 霊 信 仰 それは 宗 教 の 前 段 階 とし てのアニミズムとか そう いったものとは 違 う 本 当 の あるべき 宗 教 としての 草 木 虫 魚 教 (アニミズム) なの だ 精 霊 とは 何 かを 長 年 に わたって 問 い 続 ける 水 木 しげ るが 捉 えた 神 々の 姿 とは? 原 画 : 焼 火 権 現 / 疱 瘡 神 / 貧 乏 神 / 厩 神 / 根 の 国 ほか 神 を 舞 い 神 に 捧 げ 神 と 人 々が 共 に 楽 しむ 神 楽 地 域 共 同 体 の 崩 壊 の 危 機 の 中 で 中 国 地 方 の 神 楽 社 中 は 地 域 の 人 と 土 地 との 絆 を 守 り 続 け 絶 えず 模 索 しています 神 楽 を 通 じて 神 の 姿 を 継 承 する 人 々の 姿 を 映 像 で 紹 介 し ます 紹 介 映 像 大 社 / 佐 陀 神 能 保 存 会 ドキュメント 神 を 舞 う 温 泉 津 プロジェクト 若 者 たちの 新 た なる 挑 戦 / 石 見 神 楽 温 泉 津 舞 子 連 中 京 都 造 形 芸 術 大 学 瓜 生 山 舞 子 連 中
島 根 県 内 では 毎 年 どれくらいの 発 掘 調 査 が 行 われている かご 存 じでしょうか 平 成 21 年 度 についてみると12 月 28 日 までに 市 町 村 の 教 育 委 員 会 ほかが45 件 の 発 掘 調 査 を 県 教 育 委 員 会 が41 件 の 発 掘 調 査 を 計 画 実 施 しています 一 頃 よりは 少 なくなったとはいえ 実 に 多 くの 遺 跡 の 調 査 が 日 々 県 内 で 行 われているといってよいでしょう 本 展 示 は このように 日 頃 行 われている 埋 蔵 文 化 財 の 発 掘 調 査 成 果 を 時 代 地 域 を 限 って まとまったかたちで 紹 介 する 展 示 の 第 2 弾 ですÿ 今 回 の 対 象 となるのは 弥 生 時 代 の 出 雲 平 野 ですÿ 出 雲 平 野 は 県 内 最 大 の 平 野 で 現 在 は 南 側 を 中 心 に 市 街 化 が 進 んでい ますが かつては 出 雲 国 風 土 記 に 神 門 水 海 と 記 されて いる 汽 水 湖 が 存 在 する 低 湿 な 土 地 でした 弥 生 時 代 はまさに 人 々が 山 裾 から 平 野 部 にしだいに 移 住 していった 時 代 に 当 た ります そして 弥 生 時 代 の 後 半 には 神 門 水 海 域 をのぞい た 平 地 部 に 大 規 模 な 集 落 がいくつも 展 開 していたことが 出 雲 市 内 の 発 掘 調 査 ではっきりと 解 ってきました 実 際 に 遺 跡 の 発 掘 調 査 を 実 施 してみて まず 我 々 調 査 員 が 驚 かされたのが 大 きな 溝 に 捨 てられた 多 数 の 土 器 です これらの 土 器 には 完 全 な 形 のものも 多 く 含 まれており 必 ずしも 壊 れたものを 捨 てたとは 限 らないようです 土 器 の 年 代 は 弥 生 時 代 末 古 墳 時 代 前 期 のものですが このような 大 量 に 土 器 を 捨 てるようす は 市 内 各 地 の 遺 跡 で 確 認 されていますÿ 今 回 はその 一 部 ですが 古 志 本 郷 遺 跡 の 溝 から 見 つかった 土 器 をまとめ て 展 示 してみたいと 思 います これらの 土 器 がどうして 捨 てられなければならなかったのか これは 出 雲 の 弥 生 時 代 的 な 社 会 の 終 わりを 考 える 上 で 大 きな 問 題 であり 展 示 するナマの 資 料 を 通 して 皆 さんも 是 非 このナゾを 考 えてみてください このほか 弥 生 時 代 後 半 には 出 雲 平 野 と 九 州 など 遠 隔 他 地 域 との 交 流 が 活 発 になり 各 種 の 手 工 業 生 産 も 平 野 のなかでおこなわれるようになり 出 雲 平 野 は 山 陰 地 方 でも 随 一 の 交 易 港 になっていったと 考 えられます こ の 時 代 には 社 会 の 大 変 革 があったのです 出 雲 平 野 から の 多 くの 出 土 品 を 展 示 する 今 回 の 特 集 展 で 是 非 この 激 動 の 時 代 を 体 感 してみてください
358 本 の 銅 剣 で 日 本 中 に 衝 撃 を 与 えた 荒 神 谷 遺 跡 銅 鐸 の 同 時 発 見 日 本 最 多 記 録 (39 個 )で 知 られ 考 古 古 代 史 ファン9,000 人 が 現 地 説 明 会 へ 押 し 寄 せた 加 茂 岩 倉 遺 跡 そして 弥 生 後 期 の 王 墓 西 谷 墳 墓 群 いずれも 最 寄 りの 駅 バス 停 から 歩 いて 何 十 分 何 時 間 という 交 通 の 不 便 さに 泣 いています これらの 遺 跡 を 結 び つける 足 として 浪 漫 バスは 出 発 しました 古 代 出 雲 歴 史 博 物 館 では 昼 食 を 含 めた 長 い 自 由 見 学 時 間 が 取 ってあり ます 大 社 コーナー ではなじみ 深 いえびす 様 大 黒 様 や 出 雲 大 社 の 巨 大 な 模 型 の 前 で 皆 さんの 足 が 止 まりました 午 後 最 初 の 見 学 地 は 今 年 の 春 開 館 したばかりの 出 雲 弥 生 の 森 博 物 館 です 来 館 した 子 どもが 楽 しく 遊 べる 空 間 をめざしたという 1 階 正 面 たいけんコーナー では 弥 生 服 を 着 たり 砂 場 に 入 って 物 を 発 掘 し たり 接 合 = 土 器 ( 強 力 磁 石 入 り)の 立 体 ジグソーパズルを 楽 しめます すぐ 隣 の 遺 物 整 理 室 では ほんとうの 接 合 作 業 も 行 われていて 埋 蔵 文 化 財 調 査 のプロの 仕 事 ぶりをガラス 越 しに 見 学 できます 2 階 の 常 設 展 示 室 では 圧 倒 的 な 存 在 感 の 西 谷 3 号 墓 復 元 模 型 が 部 屋 の 真 ん 中 を 占 めます 墓 を 作 る 人 王 の 葬 儀 に 参 加 する 人 など 多 くの 人 物 模 型 は 出 身 地 ごとに 服 の 色 や 入 れ 墨 まで 違 うというこだわりようです 博 物 館 に 隣 接 するほんものの 西 谷 3 号 墓 にも 登 ってみました 以 前 館 長 さんが サプライズがありますので ぜひ と 言 っていた 2 号 墓 に 入 ると 墓 のあるじのなきがらが 幻 灯 のように 浮 かび 上 がり おおっ おおっ とどよめきがあがりました 次 は 荒 神 谷 博 物 館 です 短 い 時 間 の 中 で 学 芸 員 さんが 時 間 を 取 って 見 せ てくれたのは 横 からみた 銅 矛 で した もともとは 柄 をさしこんで 使 うはずだったソケット 状 の 穴 には 銅 矛 を 作 ったときの 鋳 型 (なかご)の 土 が 入 ったままです 出 雲 に 伝 わった 銅 矛 が 本 来 の 使 い 方 とは 全 然 違 う 使 われ 方 をしていたことを 雄 弁 に 語 っていま した ちょうど 特 別 展 を 開 催 中 で 展 示 室 の 中 には 日 本 各 地 から 銅 鐸 の 中 の 動 物 たち が 大 集 合 していました 最 後 は 銅 鐸 39 個 同 時 発 見 の 加 茂 岩 倉 遺 跡 です 14 年 前 の 現 地 説 明 会 の ときは 山 の 斜 面 に 急 ごしらえされた 急 な 階 段 をのぼって 現 地 に 着 いたも のでした 今 ではガイダンス 施 設 から 傾 斜 の 少 ない 遊 歩 道 がついていて 車 いすを 使 ってでも 現 地 へ 行 けるようになりました 古 代 出 雲 を 感 じる 4 つのスポットをかけめぐった 今 日 の 旅 4 カ 所 がそ れぞれに 個 性 的 で 飽 きることなく あっという 間 に 過 ぎてしまった 一 日 でした
さんいんさんぽ 水 木 しげる 記 念 館 / 鳥 取 県 境 市 当 館 は 水 木 しげる81 歳 の 誕 生 日 平 成 15 年 3 月 8 日 に 開 館 し 今 年 で8 年 目 を 迎 える JR 境 港 駅 から およそ800メートル 続 く 水 木 しげる ロードの 東 端 にあり 前 身 は 老 舗 の 料 亭 だった 建 物 古 き 良 き 境 港 の 面 影 を 活 かした 設 計 で 外 観 を 白 壁 の 土 蔵 造 りで 仕 上 げている 前 庭 と 入 口 前 庭 の 中 ほどには 鬼 太 郎 誕 生 の 名 シーン 目 玉 おやじが 生 まれたばかりの 鬼 太 郎 を 心 配 げに 見 守 るブロンズ 像 があり 来 館 者 に 人 気 の 写 真 スポットだ 館 内 に 一 歩 足 を 踏 み 入 れると 左 に 大 きな 絵 が 目 に 飛 び 込 んでくる 水 木 マンガの 代 表 的 なキャラクターが 一 堂 に 会 した 大 作 妖 怪 友 だち 大 集 合 鬼 太 郎 ねずみ 男 などはもちろ んのこと 幼 少 のころの 水 木 しげるやのんのんばあ 境 港 の 冬 の 味 覚 松 葉 ガニなど 25にもおよぶキャラクタ ーを 描 いている 一 階 げげの 間 では 水 木 の 半 生 を 年 表 に 沿 って 写 真 と 絵 思 い 出 の 貴 重 な 品 などを 展 示 し 水 木 の 波 乱 万 丈 の 人 生 を 紹 介 している のんのんばあとオレ は 妖 怪 やこの 世 とは 別 の 世 界 があることなどを 教 えて 幼 い 水 木 に 影 響 を 与 えた のんのんばあ が 語 るゾーンだ 幼 いこ ろの 水 木 になって 妖 怪 の 不 思 議 さ 奥 深 さをぜ ひ 体 感 してほしい 妖 怪 洞 窟 には 40 体 もの 妖 怪 が 棲 みついて いる ライトが 効 果 音 をともなって 怪 しげに 瞬 き 日 常 にはない 空 間 を 演 出 している また 妖 怪 庭 園 は 写 真 撮 影 OK 庭 園 の 中 に12 体 の 妖 怪 が 得 意 のポーズを 決 めている 庭 園 をぬけると 等 身 大 の 水 木 しげるが 目 に 入 り その 横 には 氏 が 壁 に 直 接 描 い た 鬼 太 郎 ねずみ 男 目 玉 おやじの 絵 がある 一 番 人 気 の 写 真 スポットだ 二 階 階 段 の 壁 にも 水 木 直 筆 の 鬼 太 郎 たちが ところ 狭 しと 並 ぶ 水 木 が 帰 郷 し 来 館 するたびに 増 えていく 壁 画 だ 上 って 最 初 に 目 に 入 るのが 水 木 が80 歳 を 過 ぎてから 制 作 に2 年 をかけた 妖 怪 道 五 十 三 次 歌 川 広 重 の 東 海 道 五 拾 参 次 をモチーフに 描 いた 力 作 で 日 本 橋 から 京 都 までの55 枚 を 展 示 この 中 には300もの 妖 怪 が 描 いてあり 氏 の 作 品 に 賭 ける 意 気 込 みを 感 じ 取 ることができる また 企 画 展 水 木 しげると 女 房 のゲゲゲな 時 代 も 開 催 中 だ 貸 本 漫 画 を 描 いていた 売 れない 時 代 の 水 木 家 の 居 間 を 再 現 しており 当 時 水 木 が 愛 用 していた 品 々を 展 示 している このように 水 木 しげる 記 念 館 は 画 業 60 周 年 を 迎 えた 水 木 しげるの それぞれの 時 代 の 作 品 にスポットを 当 ててお り お 子 様 からご 年 配 の 方 まで 幅 広 いファンの 方 々に 楽 し んでいただける 施 設 となっている 水 木 しげる 記 念 館 684-0025 鳥 取 県 境 港 市 本 町 5 番 地 ( 本 町 アーケード 通 り) TEL 0859-42-2171 休 館 日 年 中 無 休 入 館 料 一 般 700 円 中 高 生 500 円 小 学 生 300 円 ( 団 体 20 名 以 上 1 名 につき100 円 引 )