田 代 太 田 古 墳 石 室 入 口 ( 南 から) 玄 室 奥 壁 彩 色 壁 画 の 現 況
序 鳥 栖 市 田 代 本 町 に 所 在 する 国 史 跡 田 代 太 田 古 墳 は 彩 色 壁 画 系 の 装 飾 古 墳 として 古 くから 知 られる 本 市 を 代 表 する 遺 跡 の 一 つです 本 書 は この 田 代 太 田 古 墳 の 周 辺 地 で 平 成 20 年 度 に 実 施 した 重 要 遺 構 範 囲 確 認 調 査 の 記 録 をまとめた 報 告 書 です 本 書 を 通 して 郷 土 の 文 化 財 に 対 して 一 層 のご 理 解 をいただき また 学 術 文 化 の 向 上 に 幾 分 とも 寄 与 するものになれば 幸 いに 存 じます 発 刊 にあたり 埋 蔵 文 化 財 の 保 護 に 深 いご 理 解 をいただいた 地 権 者 の 方 々 そし て 発 掘 作 業 や 整 理 作 業 に 従 事 された 方 々に 厚 く 御 礼 を 申 し 上 げます 平 成 22 年 3 月 30 日 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 教 育 長 楢 崎 光 政
例 言 1. 本 書 は 平 成 20 年 度 に 重 要 遺 構 確 認 調 査 を 実 施 した 鳥 栖 市 田 代 本 町 に 所 在 する 史 跡 田 代 太 田 古 墳 の 調 査 報 告 書 である 2. 発 掘 調 査 は 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 が 実 施 した 3. 発 掘 調 査 にあたっては 土 地 所 有 者 の 方 にご 協 力 を 頂 いた 4. 調 査 は 平 成 20 21 年 度 の 国 宝 重 要 文 化 財 等 保 存 整 備 費 補 助 金 および 佐 賀 県 文 化 財 保 存 事 業 補 助 金 を 受 けて 実 施 した 遺 構 実 測 は 中 島 貞 子 山 本 美 代 子 平 田 博 子 中 村 光 子 権 藤 イツヨ 久 山 高 史 がおこなった 遺 構 遺 物 写 真 撮 影 は 久 山 がおこなった 5. 出 土 遺 物 の 整 理 を 含 む 報 告 書 作 成 作 業 は 鳥 栖 市 牛 原 文 化 財 整 理 室 で 実 施 した 遺 物 図 面 整 理 は 松 崎 友 子 権 藤 由 美 子 がおこなった 遺 物 実 測 は 中 田 里 美 がおこなった 図 面 トレースは 毛 利 よし 子 中 田 がおこなった 6. 本 書 の 執 筆 編 集 は 久 山 がおこなった 凡 例 1. 本 書 で 報 告 する 調 査 地 区 については 昭 和 50 51 年 度 に 石 室 の 保 存 工 事 に 伴 って 実 施 された 調 査 地 区 をそれぞれ 1 区 2 区 とし 今 回 確 認 調 査 を 実 施 した 史 跡 西 側 の 調 査 地 区 を 3 区 東 側 の 調 査 地 区 を 4 区 とした 2. 方 位 は 座 標 北 である
本 文 目 次 第 1 章 調 査 の 経 緯 と 組 織 1 1. 調 査 の 経 緯 1 2. 調 査 の 組 織 1 第 2 章 田 代 太 田 古 墳 について 2 1. 地 理 的 歴 史 的 環 境 2 2. 古 墳 の 概 要 3 第 3 章 調 査 の 報 告 5 1. 調 査 の 概 要 5 1. 4 区 の 調 査 5 2. 5 区 の 調 査 8 第 4 章 まとめ 10 挿 図 目 次 図 1 鳥 栖 市 域 の 古 墳 時 代 後 期 首 長 墓 系 列 墳 の 分 布 (1/30,000) 2 図 2 田 代 太 田 古 墳 石 室 実 測 図 (1/60) 4 図 3 田 代 太 田 古 墳 測 量 図 及 び 試 掘 坑 配 置 図 (1/400) 折 り 込 み 図 4 3 区 試 掘 坑 (1/100) 6 図 5 3 区 試 掘 坑 土 層 図 (1/60) 7 図 6 3 区 出 土 埴 輪 片 (1/2) 8 図 7 4 区 試 掘 坑 (1/100) 9 表 目 次 表 1 3 区 試 掘 坑 一 覧 表 5 表 2 4 区 試 掘 坑 一 覧 表 8 写 真 図 版 目 次 巻 頭 図 版 田 代 太 田 古 墳 石 室 入 口 ( 南 から) 玄 室 奥 壁 彩 色 壁 画 の 現 況 図 版 1 1. 墳 丘 南 東 部 現 況 ( 東 南 から) 2. 墳 丘 南 東 現 況 ( 北 東 から) 3. 墳 丘 北 西 部 現 況 ( 北 から)
図 版 2 1. 墳 丘 北 側 平 坦 部 分 ( 西 から) 2. 墳 丘 東 側 平 坦 部 分 ( 東 から) 3. 墳 丘 北 側 平 坦 部 分 ( 北 から) 図 版 3 1. 墳 丘 北 西 部 現 況 ( 北 西 から) 2. 墳 丘 西 側 現 況 ( 西 から) 図 版 4 1. 1トレンチ( 東 から) 2. 2 トレンチ( 北 から) 3. 同 ( 南 西 から) 図 版 5 1. 同 落 ち 込 み 部 分 ( 北 から) 2. 同 3. 同 ( 南 西 から) 図 版 6 1. 3 トレンチ( 北 東 から) 2. 同 ( 南 西 から) 3. 同 ( 北 東 から) 図 版 7 1. 同 ( 北 から) 2. 同 ( 西 から) 3. 同 サブトレンチ( 南 西 から) 図 版 8 1. 4トレンチ( 北 東 から) 2. 同 ( 北 から) 3. 5 トレンチ( 西 から) 図 版 9 1. 同 南 壁 土 層 ( 北 東 から) 2. 6 トレンチ( 南 から) 図 版 10 1. 7トレンチ( 東 から) 2. 同 西 壁 土 層 ( 東 から) 図 版 11 1. 8 トレンチ( 東 から) 2. 9 トレンチ( 南 西 から) 図 版 12 1. 同 北 壁 土 層 ( 南 から) 2. 10 トレンチ( 南 東 から) 3. 同 西 壁 土 層 ( 東 から) 図 版 13 1. 11 トレンチ( 北 から) 2. 同 ( 南 から) 3. 12 トレンチ( 西 から) 図 版 14 1. 13 トレンチ( 西 から) 2. 14トレンチ( 北 東 から) 3. 3トレンチ 出 土 円 筒 埴 輪 報 告 書 抄 録 ふ り が な たしろおおたこふん 書 名 田 代 太 田 古 墳 副 書 名 史 跡 周 辺 の 範 囲 確 認 調 査 巻 次 シ リ ー ズ 名 鳥 栖 市 文 化 財 調 査 報 告 書 シ リ ー ズ 番 号 第 81 集 編 著 者 名 久 山 高 史 編 集 機 関 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 所 在 地 841-8511 佐 賀 県 鳥 栖 市 宿 町 1118 TEL 0942(85)3695 発 行 年 月 日 西 暦 2010 年 3 月 30 日 ふりがな 所 収 遺 跡 名 田 代 太 田 古 墳 ふりがな 所 在 地 さ 佐 と が けん コ 市 町 村 ー ド 賀 県 す し 410213 - 鳥 栖 市 遺 跡 番 号 北 緯 33 23 42 東 経 130 30 55 調 査 期 間 調 査 面 積 調 査 原 因 20081008 20081212 約 150m2 重 要 遺 構 確 認 調 査 所 収 遺 跡 名 種 別 主 な 時 代 主 な 遺 構 主 な 遺 物 特 記 事 項 田 代 太 田 古 墳 古 墳 古 墳 墳 丘 基 盤 面 円 筒 埴 輪 片 墳 丘 規 底 面 に 相 当 す る 基 盤 土 層 を 検 出
第 1 章 調 査 の 経 緯 と 組 織 1. 調 査 の 経 緯 鳥 栖 市 田 代 本 町 太 田 1370 番 地 に 所 在 する 田 代 太 田 古 墳 は 現 在 1,783m2が 国 の 史 跡 に 指 定 されている が 実 は 指 定 の 範 囲 が 古 墳 の 墳 丘 全 域 に 及 んでいない 図 3でわかるとおり 特 に 西 側 部 分 の 現 況 か ら 墳 丘 盛 土 が 基 底 部 ごと 大 きく 削 平 されていることがわかる この 部 分 は 早 くに 削 平 されており 指 定 当 時 にはすでに 別 の 地 籍 であったことにもよるが 1925 年 ( 大 正 15)に 指 定 された 当 時 は 壁 画 古 墳 として 石 室 が 重 要 視 され 墳 丘 の 重 要 性 は 現 在 ほど 考 えられていなかったようである 高 松 塚 古 墳 壁 画 の 劣 化 問 題 に 端 を 発 した 装 飾 古 墳 の 保 存 について 世 間 の 関 心 が 高 まりつつある 中 田 代 太 田 古 墳 についても 壁 画 の 保 存 問 題 について 注 目 される 機 会 があり これを 機 会 に 史 跡 の 拡 大 を 含 む 古 墳 の 保 存 活 用 について 検 討 を 進 めるよう 文 化 庁 より 指 導 があった また 近 年 周 辺 の 開 発 が 顕 著 化 しており 埋 蔵 文 化 財 として 周 知 されているところが 史 跡 部 分 のみであることもあり 史 跡 周 辺 の 埋 蔵 文 化 財 の 状 況 を 把 握 して 開 発 行 為 からの 保 護 を 早 急 に 強 化 する 必 要 もでてきた そこで 将 来 の 史 跡 範 囲 拡 大 も 視 野 に 入 れて 墳 丘 の 平 面 的 規 模 の 把 握 及 び 範 囲 を 明 確 化 させるこ とで 開 発 行 為 からの 保 護 を 強 化 するとともに 将 来 の 史 跡 追 加 指 定 や 保 存 整 備 を 図 る 際 の 基 礎 資 料 を 整 えることを 目 的 として 範 囲 確 認 調 査 を 国 庫 補 助 事 業 で 実 施 することとなった 調 査 は 現 地 の 発 掘 調 査 を 平 成 20 年 10 月 8 日 より12 月 12 日 にかけて 行 い 整 理 ならびに 調 査 報 告 書 作 成 業 務 は 平 成 21 年 度 事 業 として 鳥 栖 市 牛 原 文 化 財 整 理 室 において 実 施 した 2. 調 査 の 組 織 調 査 の 組 織 は 以 下 のとおりである 事 業 の 主 体 鳥 栖 市 鳥 栖 市 長 橋 本 康 志 事 務 組 織 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 総 括 教 育 長 中 尾 勇 二 ( 平 成 20 年 9 月 30 日 ) 楢 崎 光 政 ( 平 成 20 年 10 月 1 日 ) 教 育 部 長 松 永 定 利 (20 年 度 ) 西 山 八 郎 (21 年 度 ) 教 育 部 次 長 陣 内 誠 一 (20 年 度 ) 生 涯 学 習 課 長 中 島 光 秋 生 涯 学 習 課 参 事 緒 方 康 弘 (20 年 度 ) 篠 原 久 子 (21 年 度 ) 調 査 組 織 生 涯 学 習 課 文 化 財 係 係 長 石 橋 新 次 ( 課 長 補 佐 兼 務 20 年 度 ) 久 山 高 史 (21 年 度 調 査 報 告 書 担 当 ) 主 査 鹿 田 昌 宏 内 野 武 史 島 孝 寿 (21 年 度 ) 大 庭 敏 男 (21 年 度 ) 重 松 正 道 高 尾 守 人 (20 年 度 ) 調 査 指 導 文 化 庁 記 念 物 課 文 化 財 調 査 官 清 野 孝 之 現 場 発 掘 作 業 長 家 聖 一 山 下 重 信 権 藤 イツヨ 中 村 光 子 平 田 博 子 山 本 美 代 子 中 島 貞 子 松 崎 友 子 室 内 整 理 作 業 松 崎 友 子 毛 利 よし 子 権 藤 由 美 子 中 田 里 美 1
第 2 章 田 代 太 田 古 墳 について 1. 地 理 的 歴 史 的 環 境 佐 賀 県 の 東 部 に 位 置 する 鳥 栖 市 は 筑 後 川 流 域 に 展 開 する 広 義 の 筑 紫 平 野 の 一 角 をなすとともに 狭 義 の 筑 後 平 野 西 北 部 の 位 置 にある 北 は 筑 紫 山 地 に 限 られ 南 は 筑 後 川 に 至 る 東 は 筑 後 川 に 沿 って 福 岡 県 小 郡 市 から 甘 木 朝 倉 方 面 へと 広 がる 平 野 に 連 続 し 東 北 は 福 岡 県 筑 紫 野 市 方 面 一 帯 の 地 峡 を 経 て 福 岡 平 野 へ 通 じる 西 部 は 筑 紫 山 地 より 派 生 した 丘 陵 地 を 介 して 佐 賀 平 野 と 接 する 田 代 太 田 古 墳 は 鳥 栖 市 の 北 東 部 脊 振 山 塊 の 九 千 山 (847.5m)の 支 嶺 から 東 南 方 向 に 伸 びる 大 木 川 と 山 下 川 によって 形 成 された 高 位 段 丘 の 縁 辺 部 標 高 約 51mに 立 地 する この 高 位 段 丘 には 縄 文 時 代 から 古 代 にかけての 遺 跡 が 集 中 して 分 布 しており 柚 比 遺 跡 群 と 総 称 される 鳥 栖 市 域 における 古 墳 時 代 後 期 の 首 長 墓 系 列 古 墳 は 現 在 のところ 柚 比 遺 跡 群 を 中 心 に3グループ 13 基 が 確 認 できるが 田 代 太 田 古 墳 は 40 30m 級 の 円 墳 5 基 で 構 成 される6 世 紀 後 半 7 世 紀 初 頭 の グループ2 の 中 で 最 初 の 築 造 とみられる 古 墳 である 図 1 鳥 栖 市 域 の 古 墳 時 代 後 期 首 長 墓 系 列 墳 の 分 布 (1/30,000) 2
2. 古 墳 の 概 要 田 代 太 田 古 墳 は 古 墳 時 代 後 期 に 築 造 された 大 型 円 墳 である 彩 色 壁 画 系 装 飾 古 墳 として 早 くから 知 られており 1925 年 ( 大 正 15)11 月 4 日 に 国 の 史 跡 に 指 定 された 石 室 は 遅 くとも 明 治 初 期 には 開 口 しており 同 20 年 頃 に 発 掘 されたと 伝 えられているが 詳 細 は 不 明 である 1975 76 年 ( 昭 和 50 51)に 壁 画 を 保 護 する 目 的 で 石 室 を 密 閉 して 気 温 湿 度 の 変 化 を 安 定 させる 保 存 工 事 が 行 われたが その 際 に 石 室 床 面 及 び 墳 丘 墓 道 の 一 部 について 調 査 が 実 施 され ている ( 保 存 科 学 研 究 会 1976 田 代 太 田 古 墳 調 査 及 び 保 存 工 事 報 告 書 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 ) 2 段 に 築 かれた 墳 丘 は 高 さが 現 状 で 約 6mある 墳 丘 径 については 現 況 の 一 段 目 端 部 から 復 元 計 測 して 約 42mとされている 現 況 では 一 段 目 の 幅 が10m 前 後 もある 麦 わら 帽 子 状 となっている が 墳 丘 斜 面 が 削 平 されていることは 明 らかである また 現 況 で 径 約 9mを 測 る 墳 頂 平 坦 部 について も もともとの 形 態 であるかどうかはわからない 内 部 主 体 は 全 長 約 9mの 横 穴 式 石 室 で 南 に 開 口 する 前 室 中 室 後 室 の3 室 構 造 で 後 室 の 高 さ は 約 3mある 中 室 と 後 室 の 天 井 部 分 は 石 材 が 持 ち 送 られてドーム 状 となるが 前 室 は 眉 石 に 天 井 石 を 架 構 するだけである 屍 床 は 後 室 に3 体 分 中 室 に2 体 分 が 仕 切 られていることが 保 存 工 事 に 先 立 つ 調 査 で 明 らかとなっている とくに 中 室 については 埋 土 の 蛍 光 X 線 分 析 によるカルシウムおよびリン の 含 有 量 を 根 拠 に 埋 葬 の 事 実 ( 木 棺 を 使 用 せずに 被 葬 者 が 横 臥 されていた)が 証 明 されている 前 室 については 天 井 石 の 状 況 平 面 プランが 前 庭 側 壁 のように 手 前 に 広 がる 側 壁 の 石 積 み 状 況 中 室 眉 石 手 前 にもう 一 石 羨 門 状 に 架 構 された 横 石 などから 築 造 当 初 は 羨 道 として 計 画 されていたもの が ある 段 階 で 改 造 されている 蓋 然 性 が 強 いことを 指 摘 できる ただ その 改 変 が 築 造 時 のものなのか 追 葬 時 のものなのかは 盛 土 部 分 が 未 調 査 現 況 では 証 明 する 根 拠 を 持 たない 後 者 の 場 合 墳 丘 盛 土 や 墳 丘 の 平 面 的 規 模 についても 改 変 の 可 能 性 を 考 慮 する 必 要 がある 装 飾 文 様 は 後 室 奥 壁 と 後 室 と 中 室 の 間 の 袖 石 の 手 前 部 分 と 中 室 右 側 の 壁 に 描 かれている 壁 画 の 彩 色 は 赤 黒 緑 の3 色 の 顔 料 に 石 室 材 である 風 化 した 花 崗 岩 の 黄 色 い 岩 肌 を 加 えた4 色 の 効 果 を 用 いて 描 かれている 赤 色 顔 料 はベンガラ 黒 色 顔 料 は 炭 化 物 緑 色 顔 料 は 海 緑 石 を 使 用 している 後 室 奥 壁 の 壁 画 は 幅 約 2.3m 高 さ 約 1.1mの 腰 石 に 背 景 とし 連 続 三 角 文 を 描 き 中 央 部 分 に 大 小 の 同 心 円 文 を4 個 並 列 して これらの 間 を 埋 めるように 花 弁 の 内 部 に 緑 を 入 れた 花 文 や 挙 手 人 物 像 や 騎 馬 人 物 像 蕨 手 文 船 高 坏 を 配 し 最 下 辺 右 側 には4 個 の 盾 を 並 べたように 描 いている また 後 室 と 中 室 の 間 の 右 側 袖 石 には 同 心 円 文 や 弓 を 引 く 騎 馬 人 物 像 が 描 かれ 左 側 袖 石 には 同 心 円 文 船 に 乗 った 人 物 盾 高 坏 らしいものが 中 室 の 右 側 壁 にはいわゆるゴンドラ 船 が 描 かれている これらの 構 図 の 特 徴 は 連 続 三 角 文 や 蕨 手 文 などの 抽 象 的 な 文 様 と 人 物 像 のような 具 体 的 なものと を 巧 みに 配 していることである 連 続 三 角 文 は ヘビなどのウロコを 魔 除 けとして 象 徴 化 したと 考 えら れ 大 きさや 色 彩 構 成 がそれぞれ 異 なる4つの 同 心 円 文 については 同 心 円 文 = 太 陽 の 象 徴 化 と 考 える と 全 体 で 四 季 の 時 空 を 表 現 している 様 にもとれる そして 何 よりも 船 団 や 倒 された 人 物 などの 表 現 は 被 葬 者 の 波 乱 に 満 ちた 叙 事 詩 をうたい 上 げているのではと 想 像 することもでき 興 味 深 い 3
図 3 田 代 太 田 古 墳 石 室 実 測 図 (1/60) 4
第 3 章 調 査 の 報 告 1. 調 査 の 概 要 今 回 の 範 囲 確 認 調 査 は 大 きく 史 跡 指 定 地 の 西 側 及 び 東 側 の2 地 区 に 分 けて 実 施 した 現 史 跡 指 定 地 周 辺 とくに 隣 接 地 を 対 象 とし 作 業 員 及 びバックホーにより 幅 1 2m 長 さ1 2mのトレンチ ( 試 掘 溝 )を 計 14ヶ 所 設 定 して 古 墳 墳 丘 外 部 施 設 等 の 有 無 と 規 模 を 把 握 する 確 認 調 査 を 実 施 した 調 査 地 区 については 昭 和 50 51 年 度 に 石 室 の 保 存 工 事 に 伴 って 実 施 された 調 査 地 区 をそれぞれ1 区 2 区 とし 今 回 確 認 調 査 を 実 施 した 史 跡 西 側 の 調 査 地 区 を3 区 東 側 の 調 査 地 区 を4 区 とした また 史 跡 とその 周 囲 の 現 状 地 形 測 量 図 (1/200)を 作 成 するとともに 将 来 の 調 査 等 に 備 える 目 的 で 史 跡 内 に 測 量 基 準 点 を 設 置 した 2.3 区 の 調 査 史 跡 指 定 地 の 西 側 部 分 の 現 況 は 雑 種 地 であるが もとは 民 家 や 農 作 業 小 屋 が 存 在 していた この 部 分 は 古 墳 の 平 面 形 態 の 状 況 から 墳 丘 の 一 部 が 含 まれていることが 確 実 であるため 墳 丘 基 底 面 の 残 存 状 況 の 確 認 とその 規 模 の 把 握 さらには 周 溝 の 有 無 の 確 認 を 主 眼 として 6 本 のトレンチを 設 定 した ト レンチの 設 定 位 置 は 1 4トレンチについては 推 定 される 墳 丘 中 心 部 から 放 射 状 に 設 定 した ま た 2と 3トレンチの 間 に 両 トレンチの 埋 め 戻 し 後 にサブトレンチを 設 定 した 調 査 の 結 果 この 調 査 区 はほぼ 全 面 にわたって 近 現 代 の 撹 乱 を 受 けており 明 確 な 遺 構 を 検 出 するこ とはできなかった ただ 2トレンチの 西 端 部 から 確 認 した 落 ち 込 みについては 検 出 位 置 が 墳 丘 の 想 定 ライン 上 にほぼ 載 ることから この 部 分 が 墳 丘 第 1 段 の 上 端 部 にあたる 可 能 性 が 高 いようである しかし この 落 ち 込 みの 下 部 は 近 現 代 の 撹 乱 によって 原 形 をとどめておらず 古 墳 の 平 面 的 規 模 を 確 定 できるような 明 確 な 周 溝 の 痕 跡 としては 確 認 できなかった また 1 2および 3 4トレンチで 検 出 した 地 山 面 の 高 低 差 に1m 程 度 の 差 があることが 確 認 できた この 高 いところは 墳 丘 基 底 部 である 可 能 性 が 高 く この 場 合 不 明 瞭 ながらいわゆる 地 山 削 り だしによって 整 形 された 墳 丘 基 底 部 を 面 的 に 検 出 できたことになる 出 土 遺 物 は 近 現 代 の 溝 や 土 坑 から 出 土 したビニールやプラスチックが 混 ざった 瓦 や 陶 磁 器 など 現 代 のものが 大 半 で 古 墳 と 同 時 期 の 遺 物 としては 3トレンチから 出 土 した 円 筒 埴 輪 ( 図 6 図 版 14) 表 1 3 区 試 掘 坑 一 覧 トレンチ 掘 削 面 積 (m2 ) 調 査 面 積 ( m2) 地 山 検 出 面 標 高 地 山 検 出 深 度 (m) (m) 備 考 1 9.1 6.2 49.5 0.4 現 代 溝 小 穴 検 出 2 11.9 9.7 49.7 0.4 西 端 で 落 ち 込 み 検 出 3 13.1 11.3 48.6 1.2 1.4 円 筒 埴 輪 片 出 土 3 サブトレンチ 3.2 2.6 49.7 0.4 近 現 代 土 坑 ( 肥 溜 か) 検 出 4 7.8 5.6 48.6 1.4 5 5.4 3.6 49.1 0.9 近 現 代 溝 跡 検 出 6 16.2 11.7 48.5 0.9 近 現 代 溝 跡 検 出 5
図 4 3 区 試 掘 坑 (1/100) 6
淡 灰 褐 色 土 黄 褐 色 粘 土 ( 灰 黒 色 粘 土 層 状 ブロック 混 ) 褐 色 粘 質 土 褐 色 粘 質 土 黄 灰 色 粘 土 地 山 黄 灰 色 粘 土 ( 無 表 記 の 土 層 は 近 現 代 の 溝 土 坑 の 埋 土 あるいは 現 代 の 客 土 ) 図 5 3 区 試 掘 坑 土 層 図 (1/60) 7
の 破 片 がわずかに1 点 したのみである 突 帯 の 下 部 が 残 る 胴 部 片 で 外 面 調 整 はタテ ハケで 突 帯 接 合 部 はヨコナデ 内 面 ナデ 仕 上 げ いわゆる 川 西 編 年 の5 期 に 相 当 す る 破 片 1 点 のみの 出 土 であり 墳 丘 原 位 置 との 関 係 は 不 明 確 である 図 6 3 区 出 土 埴 輪 片 (1/2) 3.4 区 の 調 査 史 跡 東 側 の 調 査 地 区 については 8 本 のトレンチを 設 定 した トレンチの 配 置 は 14トレンチ 以 外 は 基 本 的 に 東 西 方 向 とし 10および 12トレンチについては 1 区 の 調 査 ( 墳 丘 盛 土 内 トレンチ)の 延 長 線 上 になる 位 置 に 設 定 した 調 査 地 の 現 況 は 平 坦 な 雑 種 地 で 造 園 業 者 により 庭 木 の 仮 植 場 や 造 園 資 材 の 仮 置 場 として 利 用 されている なお 史 跡 際 は 倉 庫 が 建 てられているほか 楠 の 大 木 が 生 い 茂 っ ており 史 跡 の 境 界 に 近 いところからトレンチが 設 定 できたのは 7 8トレンチの2 本 だけである 調 査 の 結 果 墳 丘 外 部 施 設 など 古 墳 に 関 わるものも 含 め 遺 構 遺 物 は 確 認 されなかった 調 査 地 区 の 基 本 層 序 ( 図 版 10 2 参 照 )は 地 山 検 出 深 度 がもっとも 深 かった 7トレンチで 客 土 ( 黒 褐 色 土 約 0.8 1m) 黄 灰 色 土 ( 約 0.9m)が 堆 積 し 地 山 ( 淡 黄 灰 色 土 )となる なお 7から 13ト レンチの 地 山 検 出 面 の 標 高 は46.1 46.5mで 原 地 形 も 現 況 と 同 様 に 平 坦 地 であったようである 遺 物 は 全 く 出 土 していないが 7 8トレンチ 間 の 客 土 中 からコンテナ1 箱 分 もの 円 筒 埴 輪 片 を 表 面 採 集 した これについては 地 権 者 の 話 から 調 査 地 区 の 東 に 隣 接 する 岡 寺 古 墳 から 客 土 にすべく 土 を 持 ち 出 した 際 に 混 入 したもののようである 切 株 の 根 の 間 に 挟 まったような 形 で 出 土 しているが 以 前 の 確 認 調 査 で 埴 輪 が 大 量 に 出 土 した 岡 寺 古 墳 の 前 方 部 北 側 墳 裾 部 分 から 木 根 ごと 土 を 搬 出 した 際 に 付 着 してきたものと 考 えられる 表 2 4 区 試 掘 坑 一 覧 トレンチ 掘 削 面 積 (m2 ) 調 査 面 積 ( m2) 地 山 検 出 面 標 高 (m) 地 山 検 出 深 度 (m) 7 16.8 10.9 46.1 1.8 両 トレンチのほぼ 中 間 の 客 土 8 17.3 12.2 46.2 1.7 中 から 円 筒 埴 輪 が 出 土 9 9.9 7.3 46.4 0.6 ~ 1.3 現 代 溝 小 穴 検 出 10 6.1 4.2 46.2 1.5 11 6.8 4.6 46.2 1.5 12 6.6 5.1 46.4 1.3 13 12.8 9.2 46.5 1.2 14 9.3 6.8 45.9 0.9 現 代 撹 乱 土 坑 あり 備 考 8
図 7 4 区 試 掘 坑 (1/100) 9
第 4 章 まとめ 今 回 の 調 査 では 調 査 地 区 の 範 囲 に 限 界 があり 充 分 な 成 果 を 得 たとは 言 い 難 い 結 果 となった 今 後 は 墳 丘 盛 土 を 含 めた 史 跡 内 について 確 認 調 査 を 実 施 していく 必 要 がある 以 下 今 回 の 確 認 調 査 で 判 明 したことについて 個 条 式 に 述 べ まとめとしたい 1. 今 回 の 確 認 調 査 の 重 要 な 目 的 の1つに 周 溝 の 存 在 の 有 無 を 確 認 することがあったが 周 溝 が 現 在 の 市 道 にまで 広 がると 仮 定 しても 推 定 ライン 上 に 設 定 した 2と 3トレンチにその 痕 跡 が 見 つかって いない これは 後 世 の 撹 乱 で 周 溝 が 大 きく 損 なわれていたとしても 不 可 解 である 2. 周 溝 の 有 無 は 確 認 できなかったが 1 2 及 び 3サブトレンチで 検 出 した 墳 丘 基 底 面 と その 外 部 ( 3 4トレンチ)との 間 に 段 落 ちがあることが 判 明 した すなわち 墳 丘 基 底 面 と 推 測 される 1 2トレンチの 地 山 検 出 標 高 が49.7m 前 後 一 方 3 4トレンチで 検 出 したそれは48.6m 前 後 で これは 以 前 の 調 査 で 検 出 された 墓 道 の 底 部 とほぼ 同 じであることを 確 認 した したがって 墳 丘 の 少 な くとも 前 ( 南 ) 面 から 東 側 にかけては 約 1.2m 前 後 の 掘 り 込 み( 段 落 ち)が 存 在 するものと 推 定 され る 3.この 段 落 ちの 性 格 については 1 次 調 査 の 報 告 書 ( 保 存 科 学 研 究 会 1976 田 代 太 田 古 墳 調 査 及 び 保 存 工 事 報 告 書 鳥 栖 市 教 育 委 員 会 P.35)で 墓 道 の 右 側 壁 が 東 へ 外 湾 する 地 点 より 起 る 床 面 の 落 ち 込 みは 2 次 調 査 (2 区 )の 遺 構 Ⅱとほぼ 同 位 置 であり この 付 近 より 周 湟 もしくは 封 土 の 黄 色 土 を 掘 りあげた 跡 が 存 在 する 可 能 性 が 高 い ( 中 略 ) 封 土 に 用 いられた 黄 色 土 の 量 は 多 く もし 特 定 区 域 より 採 取 されれば 周 湟 状 の 跡 を 示 すと 考 えられる と 予 察 されているように 墳 丘 盛 土 を 確 保 するために 地 山 を 掘 り 下 げているとともに 平 面 円 形 に 墳 丘 第 1 段 の 墳 裾 を 削 りだし 整 形 している 蓋 然 性 が 高 くなった 4. 周 溝 埋 土 に 特 徴 的 な 黒 褐 色 系 の 腐 葉 土 の 堆 積 が 痕 跡 すら 見 出 されていないことから 今 回 の 調 査 結 果 だけで 判 断 すれば 地 山 削 りだし 整 形 で 段 を 造 るのみで 周 溝 が 存 在 しない 可 能 性 も 指 摘 できる な お 地 山 ( 黄 灰 色 粘 質 土 )の 上 に 黄 褐 色 粘 土 ( 灰 黒 色 粘 土 及 び 同 層 状 ブロック 混 入 )と 淡 灰 褐 色 土 がそ れぞれ20 30cmの 厚 さで 堆 積 しているが( 図 5 参 照 ) この2 層 が 地 山 削 りだし 整 形 後 に 堆 積 した 層 であることが 推 測 できる 5.いずれにせよ 地 山 削 りだし 上 端 ラインが 墳 丘 第 1 段 端 部 であると 仮 定 した 場 合 墳 丘 の 平 面 的 規 模 が 径 約 42mとする 従 来 の 考 証 が 今 回 の 確 認 調 査 でも 立 証 できたことになる 6. 墳 丘 外 部 施 設 の 重 要 な 構 成 要 素 である 円 筒 埴 輪 は 3トレンチで 僅 か1 点 の 小 破 片 が 出 土 したの みであるが 過 去 の 調 査 で 羨 道 部 付 近 の 封 土 から 小 破 片 が3 点 検 出 されていることもあり 本 古 墳 に 円 筒 埴 輪 列 が 存 在 することがほぼ 確 実 となった 7. 史 跡 東 側 については 今 回 の 確 認 調 査 は 構 造 物 や 樹 木 により 試 掘 溝 の 設 定 が 制 限 されてはいるが 現 史 跡 境 界 線 以 東 には 墳 丘 外 部 施 設 が 広 がる 公 算 は 少 ない 周 辺 の 地 形 や 昭 和 20 年 代 の 空 中 写 真 など から 原 地 形 は 東 に 位 置 する 岡 寺 古 墳 との 間 に 南 北 に 細 い 谷 が 入 っていたようである 10
図 版 1 1. 墳 丘 南 東 部 現 況 ( 東 南 から) 2. 墳 丘 東 部 現 況 ( 北 東 から) 3. 墳 丘 北 西 部 現 況 ( 北 から)
図 版 2 1. 墳 丘 北 側 平 坦 部 分 ( 西 から) 2. 墳 丘 東 側 平 坦 部 分 ( 東 から) 3. 墳 丘 北 側 平 坦 部 分 ( 北 から)
図 版 3 1. 墳 丘 北 西 部 現 況 ( 北 西 から) 2. 墳 丘 西 側 現 況 ( 西 から)
図 版 4 1.No.1 トレンチ( 東 から) 2.No.2 トレンチ( 北 から) 3. 同 ( 南 西 から)
図 版 5 1. 同 落 ち 込 み 部 分 ( 北 から) 2. 同 3. 同 ( 南 西 から)
図 版 6 1.No.3 トレンチ( 北 東 から) 2. 同 ( 南 西 から) 3. 同 ( 北 東 から)
図 版 7 1. 同 ( 北 から) 2. 同 ( 西 から) 3. 同 サブトレンチ( 南 西 から)
図 版 8 1.No.4 トレンチ( 北 東 から) 2. 同 ( 北 から) 3.No.5 トレンチ( 西 から)
図 版 9 1. 同 南 壁 土 層 ( 北 東 から) 2.No.6 トレンチ( 南 から)
図 版 10 1.No.7 トレンチ( 東 から) 2. 同 西 壁 土 層 ( 東 から)
図 版 11 1.No.8 トレンチ( 東 から) 2.No.9 トレンチ( 南 西 から)
図 版 12 1. 同 北 壁 土 層 ( 南 から) 2.No.10 トレンチ( 南 東 から) 3. 同 西 壁 土 層 ( 東 から)
図 版 13 1.No.11 トレンチ( 北 から) 2. 同 ( 南 から) 3.No.12 トレンチ( 西 から)
図 版 14 1.No.13 トレンチ( 西 から) 2.No.14 トレンチ( 北 東 から) 3.No. 3トレンチ 出 土 円 筒 埴 輪