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第6章 航空エンジン工業の歩み 1節 日本ジェットエンジン 株 の設立と 3社体制 まず川崎航空機がヘリコプター用でフランクリン 社 ライカミング社を 新三菱重工がプラット ア ンド ホイットニー P&W 社を 新明和工業が 1 エンジン工業の再出発 コンチネンタル社 デハビランド社 ジプシー 戦後7年間の空白は 航空機エンジンとその部品 ブラックバーン社 シーラス を また富士精密工 産業にとっても大きな痛手だった この間に世界の 業がジェイコブス社 ライカミング社を それぞれ 航空機エンジンは レシプロ エンジンからジェッ 技術提携先として修理事業を行っていた トエンジンの時代へと革新的な飛躍を遂げていた しかし レシプロ機から次第にジェット機主流時 こうした中 わが国の航空機エンジン業界の再開 代となり レシプロ エンジン自体のオーバーホー は なによりもエンジン工業の形態を整えることを ル需要の伸びが見込めなかったために 各社とも事 最初の課題とし エンジンの生産というよりも ま 業から手を引いてしまった ず昭和27年米軍機用エンジンのオーバーホールとそ 2 ジェット エンジンのオーバーホール のための修理部品の製造を手掛けることからスター ジェット エンジンのオーバーホールは 川崎航 トし 防衛機のオーバーホール レシプロ エンジ 空機が行った米軍J33及びJ47ターボジェット エン ンの国産化など事業範囲を拡大していった ジンの修理作業と石川島播磨重工が実施したJ47タ 1 レシプロ エンジンの修理 再開当初のレシプロ エンジンの修理事業では ーボジェット エンジンの修理用部品の国産化がそ の始まりである 川崎航空機が戦後いちはやく手掛けたJ33ジェット エンジンのオーバーホール 第1部 総論 63
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各論 データ 全幅8.6m 全長6.0m 全高 岡村 N-52 2.6m 翼面積12.0 最大重量0.6t 発 軽飛行機 動機Cont.C90 95hp 1 最大速度160 /h 航続距離400 離陸距離 575m/65hpの場合 座席数2 わずか65hpのコンチネンタルA-65エ に耐空証明書を交付された エンジン ンジンを搭載した2人乗りの軽スポーツ を95hpのC90-12Fに プロペラを 機 日大教授木村秀政氏と日大の学生 72CK48に変更したN-52Aの性能は大幅 が飛行機の基礎設計を行い 朝日新聞 に向上した 社が製作費を引き受け 岡村製作所 風洞試験 翼桁の強度試験 脚落下 旧日本飛行機岡村工場 が戦後初の機 試験 エンジンの運転試験なども戦後 体として設計 製作を担当した はじめてのことであったため これに N-52の初飛行は昭和28年4月7日 浜 協力した運輸技術研究所などは設備の 松飛行場で行われた プロペラをセン 新設または修理から始める状態であっ セニッヒ72CK44にかえ 昭和29年4月 た た時の直径2.45mの木製プロペラ ス 立飛 R-52 タータ エンジン計器が利用され エ 練習機 ンジンは富士自動車 現 小松ゼノ ア 計器は東京航空計器が分解 修 理した R-52は昭和27年9月17日に初飛行し 脚の落下試験や各部の強度試験は運輸 技術研究所で行われ 飛行試験が完全 に終わったのは翌年4月だった JA3017タチヒ号は全日本学生航空連盟 の訓練およびグライダー曳航機として 活躍した データ:R-52改 全幅10.7m 全長7.4m 全高3.0m 翼面積17.3 自重0.6t 最 大重量0.9t 発動機Lyc.O-290-D 130hp 1 燃料容量130 最大速度 176 /h 巡航速度135 /h 海面上昇 航空再開および航空機製造の解禁を には航空局の耐空性基準が公布されて 率102m/min 実用上昇限度4,000m むかえ その第1号機として新立川飛 いなかったため 構造強度は旧日本航 航続距離610 離陸距離484m 着陸 行機が完成した国産機 昭和27年5月 空評議会の飛行機機体強度規程の陸上 距離541m 座席数2 末 全日本学生航空連盟 読売新聞社 機第4種に準拠した 後援 から練習機の発注をうけ 遠藤 東京工業大学に保存されていた神風 良吉氏が設計主務者となり他に4名の Ⅱ型エンジンを使用し 以前このエン 技術者が設計に従事した 設計開始時 ジンが3式水上練習機に搭載されてい 第1部 各論 99
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図 1 ボーイング777の日本担当部位 142 第1部 各論
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